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菅原神社(青梨子町)

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 青梨子町集会所の隣に鎮座する菅原神社(前橋市青梨子町7)。

『群馬縣管下上野國西群馬郡青梨子村字天神 村社 菅原神社
祭 神  菅原道真公
由 緒  寛永十二年九月勧請
     明治四十四年十月三十一日幣帛料供進指定
境内末社 三社
 琴平宮  祭神 大物主命
 八坂社  祭神 素盞嗚命
 神明宮  祭神 大日孁貴命』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 一の鳥居。
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 二の鳥居。
 柱には「元禄六年癸酉四月吉日」と刻まれているので1693年の造立。
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 拝殿。
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 狛犬。
 台座には「明治三庚午年二月吉日」と刻まれているので1870年の造立。
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 金刀比羅宮。
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 八坂社と秋葉神、猿田彦大神。
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 神牛。
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 末社。
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 なんだかわからない石と菅公一千年紀念碑。
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 宮中献納俳句碑と筆塚。
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 境内西端にずらりと並ぶ庚申塔群。

 以上で8月11日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mmとFA31mm、DA20-40mm、50-150mm II。
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淡嶋神社(上青梨子町)

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 上青梨子町集会所の隣に鎮座する淡嶋神社(前橋市上青梨子町218)。
 鳥居の柱には「明治三十六癸卯年二月穀旦」と刻まれているので1903年の造立。

『群馬縣管下上野國西群馬郡青梨子村字神明西 村社 大木神社
祭神 大日孁命、少彦名命、大物主命
由緒 不詳
   明治四十五年七月十五日許可、仝所字神明西無格社淡島神社、仝境内末社一社ヲ
  合併、仝時に村社大木神社ト改称セリ
   大正十年一月二十八日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進神社ト
  シテ指定セラル
境内末社 五社
 八幡宮  祭神 誉田別命
 三峯社  祭神 木花咲屋姫命
 疱瘡社  祭神 久斯神
 愛宕社  祭神 大山祇神
 八坂社  祭神 素盞嗚命』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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『淡島神社
所 在 前橋市青梨子町二百十八番地
御祭神 少彦名命
例祭日  十月九日
 元始祭 一月三日
 節句祭 三月三日
 夏 祭 七月十四日
由 緒 創立は天長年間、安永五年九月再建
    明治四十五年、古来 神明宮と称えていたものに同字神明西に奉祀せる 淡島
   神社、同境内地の末社琴平宮を合祀、村社 大木神社と社名を改称したが、昭和
   三十五年四月みたび淡島神社と社名を変更し今日にいたる。
    御祭神、少彦名命は少名昆那神とも言われ、神代の昔、大国主神と共に国を作
   り固められた。又 医薬治病の神であり、病災の消除、子宝安産、縁結びの神と
   して、その霊験は著しい。
    少彦名命を淡島神とも称し、女性の守り神として信仰厚く、特に雛祭り発祥地
   として、三月三日には、盛大に例大祭が行われている』
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 拝殿。
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 斜めから。
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 台座の側面には「御大典奉祝記念 平成二年十一月吉日 元宮改修工事」と刻まれたプレートが埋め込まれているので、こちらの石祠は淡島神社の元宮なのだろう。たぶん。
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 末社群。
 左から御嶽山大神、秋葉大権現、祇園牛頭天王宮、不明、不明、不明、不明、三峯社。「上野国神社明細帳」によると八幡宮、疱瘡社、愛宕社、八坂社もある筈なので、この何神社なのかわからない石祠がそれらであるのだろうか。
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 上青梨子町集会所前の水路縁に鎮座する双体道祖神。

八幡宮(清野町)

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 八幡川の畔に鎮座する八幡宮(前橋市清野町346)。
 八幡宮の前には車一台分程の幅の道が通るだけで駐車場などは無い為、ささっと参拝と撮影を。
 鳥居の柱には「享保十五庚戌卯月吉日」と刻まれているので1730年の造立。

『群馬縣管下上野國西群馬郡野良犬村字八幡前 村社 八幡宮
祭 神  品陀和氣命
由 緒  不詳、明治六年四月邨社ニ列ス
境内末社 六社
 八坂社  祭神 健速素盞男尊
      由緒 天明三年六月建立明治十年本村字屋鋪ヨリ移轉
 琴平社  祭神 大物主櫛甕玉尊
      由緒 不詳、明治十年五月本村字屋鋪ヨリ移轉
 神明宮  祭神 大日孁貴命
      由緒 不詳、嘉永六年九月十六日再建
 菅原社  祭神 菅原道真公
      由緒 不詳、明治十年七月本村字屋鋪ヨリ移轉
 三峯社  祭神 日本武尊
      由緒 不詳
 榛名社  祭神 埴山姫神
      由緒 不詳』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 社殿東側から。
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 末社群。
 左から三番目の石祠は榛名山大権現。右端の石塔は秋葉大権現。他は不明。
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『前橋市指定重要無形民俗文化財 野良犬獅子舞
 指定年月日 昭和48年9月24日
 所 在 地 前橋市清野町346 八幡宮
 清野町の八幡宮に伝わる獅子舞で、吉岡町南下の下八幡宮から慶長年間に伝えられたといわれている。「野良犬」とは清野町の旧村名の一つである。
 獅子舞は毎年10月上旬の八幡宮の秋祭りに奉納され、古くは、八幡宮の氏子が舞子とされたが、現在では広く清野町の住民によって守り伝えられている。
 本獅子舞の流派は「関白龍天流」といわれ、一人立ちの前獅子、中獅子、後獅子と呼ばれる3頭の獅子で舞う。その他にカンカチ・ササラ・棒使い・天狗・笛方・万灯や氏子中が加わり総勢20人を超える。
 獅子頭は、前獅子は黒漆塗りで螺旋状の角、中獅子は赤漆塗りで角が無く宝珠を戴き、後獅子は黒漆塗りで枝のある角を持つ。
 舞は13通りからなり、祭礼時には「宿」と呼ぶ練習会場の家から八幡神社まで絶間なく舞い続けられる。獅子は頭を左右に激しく振り、その動きは、市内の獅子舞の中でも最も勇壮なものである』

神明宮(池端町)

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 池端町公民館の北側に鎮座する神明宮(前橋市池端町157)。
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『神明宮
 この神明宮の祭神は、天照大神・別名大日霎貴命で、勧請年月日は不詳だが、上野国神名帳に従五位池岸明神の記録があり、これが池端神明宮ではないかと伝えられている。
 明治六年正一位小出神社、祭神経津主命を合併した。
 明治四十二年拝殿を新築し、平成七年本殿の一部を改修している。
 現在境内には次の末社がある。
        勧請年    祭神
秋葉大権現 天保六年   火之迦具土神
衣笠大神  明治三十一年 宇迦御魂神
八坂神社  明治三十二年 須佐之男命
 平成十年一月一日     氏子総代』

 「上野国神社明細帳」によると、境内社は小出社(経津主命)、雷電社(健御雷神)、琴平宮(大物主命)、八坂社(素盞嗚命)、菅原社(菅原道真公)、疱瘡社(健速須佐之男命)、大國主社(大國御魂命)、三峯社(倭建命)、榛名社(埴山姫命)の計九社あるとのことだが、現在どれがどの神社であるのかわかるのが上記の三社と言うことなのだろうか。
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 末社。左から不明、猿田比古神、双体道祖神、八坂神社。
 八坂神社の石祠の側面には「明治丗二歳芬七月吉日」と刻まれている。明治三十二年は1899年。左端の石祠は何神社は何を祀っているのかはわからないが、石祠の前面に「歸峯 木山執檢 大僧都行滿㳒印 尊」らしき文字が刻まれている。
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 参道と拝殿。
 社殿は清里3号墳と呼ばれる円墳の頂に建てられている。
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 石段の両脇に並べられた末社群。
 幸神の隣の石祠には「金毘羅大権現」と刻まれているので琴平宮であるとわかるが、他の石祠は不明。
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 本殿。
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 その脇に小出神社跡。
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 秋葉大権現。
 側面には「天保六年歳在乙未十一月良辰 葛西静壽謹書」と刻まれている。天保六年は1835年。
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 庚申堂。
 横のコンクリート壁には「池端町108番地北原賢宅前より移祭す 平成十一年四月吉日」と刻まれたプレートが埋め込まれている。
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 堂の左右に並べられた庚申塔群。

小出神社(吉岡町陣場)

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 陣場公会堂の南側に鎮座する小出神社(北群馬郡吉岡町陣場137)。

『小出神社
 陣場を通過する県道の中程、東側に「邨社小出神社入口」と刻まれた石柱が建てられてある。ここにあった四メートルに余る石灯篭は、数年前、境内巽の隅に移された。この石柱から約五〇メートル東進した所が、陣場の花火で知られた小出神社の境内である。天孫降臨に先だって武甕槌命と共に、中ツ国を平定した経津主命を祭神とし、武運の神としてあがめられてきた。
 人皇五十代桓武天皇延暦十八年(七九九)、皇子葛原親王御東征のみぎり、この地に御所を置き、陣所を建て、武運長久祈願の為、勧請されたといい伝えられている。祭典は春秋二回行われ、四月十五日の春祭りに奉納される太々神楽は、里神楽といわれた。
(中略)
 社務所から、小出神社西側に行った所に、道俟神と天王様を祭る。道俟神は、安政二歳次(一八五五)乙卯三月の建立で、陣場出身の石関黒山の書である。陣場の人たちは、これを六三除けの神として、線香を供えて祈願している。天王様は、七月十四日、十六日を農休み、中の十五日を祇園祭りとて祝っている。十四日の宵祭りに、氏子総出で境内掃除、紙花つくり、百八灯の張り替えをし、各家庭では、表道に面した所に灯篭を掲げ、あたりが一面明るくなる思いで、ゆかた着の老若男女が、三々五々参詣し、夜がふけるまで太鼓の音が響きわたり、お祭りの心をじっくりと味わうのであった。
 その奥に金比羅大権現を祭る。「安永六(一七七七)丁酉正月吉日建立」とあり、水難除けの神である。真中にしがみ石を台座としたのが天神宮で、建立は子供中である。後方に猿田彦大神が二基祭られ、飯島勘右衛門、同太兵衛の名が見える。
 奥の院の真後に、かしの御神木があり、年をとっていたので樹心は朽ちて、うろになり外皮だけでいたころ、この木に祈り釘が打ち込まれたことがある。今は、根っこだけ残されている。ここに奉安されてある神額は、大明神を刻まれているので、石鳥居中央の額であろう。このすぐ側の石宮は、屋根のひさしに宝珠の玉の図柄があり、中に白狐があるから稲荷様であろう。
 東側の雷神宮は安政三年歳次(一八五六)丙辰五月閏の建立で、落雷除けの願がこめられている。秋葉様は、安永二年(一七七三)癸巳五月、火伏せの神として祭ったものである。十二月十八日には、例祭を行ない、村内の安全を祈るのである。稚蚕霊神は、明治二十一年(一八八八)四月の建立で、四月十五日に祭りがある』
(「吉岡村誌」より抜粋)

 こちらの神社は明治六年の神社調査の際、本来村社の資格を有するところを誤って無格社として届けられてしまったが大正十三年九月二十三日に社格の変更願を出し、昭和二年七月四日、内務大臣鈴木喜三郎の承認を得て無事村社として認められたと「吉岡村誌」に記されている。その際の願書や調書、意見書なども記載されているが、長いのでパス。
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 鳥居の右の柱には「正徳三年癸巳仲冬建之」、左の柱には「天保十三壬寅季春繕焉」と刻まれている。1713年の冬に建立され、1842年の春に修繕されたということか。
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 拝殿。
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 狛犬。
 台座には「昇格記念 昭和三年十月 氏子中」と刻まれている。村社昇格を記念して奉納されたもののようだ。
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 稚産霊神の石碑。
 この碑はぐんま絹遺産の第23-56号として登録されている。後ろに見える案内板には以下の文が記されている。
『陣場桑
 蠶養育手鑑の著者・馬場三太夫重久翁が栽培していた桑に、進取の精神に富んだ此の地の人達が改良を重ね、葉が柔らかく、稚蚕の給桑として理想的な陣場桑を完成させ、自用のほか、県から販売許可を受け明治から大正にかけて、近郷からの注文により毎年何万本も出荷していたという』
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 雷神宮と秋葉大権現。
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 本殿裏の石祠と神額。「吉岡村誌」によれば稲荷社と推測されている。
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 猿田彦大神。
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 金比羅大権現と天神宮。
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 天王宮と衜俟神。
 天王宮の側面には「天明八年戊申二月吉日」と刻まれているので1788年の造立。
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 石関黒山の顕彰碑と水準点。
『石關黒山■士墓表
嗚呼是石關黒山■士之墓也處士以農家子自幼乃績學不
怠既長遊于江戸受業於太田錦城師之門又屢踵余質疑盖
将進求古人為己之學焉居數年河越候聞其名也辟為前橋
教授■士教人以孝友惇睦爲先藩之子弟久而化之駸駸馬
莫不嚮學勵行者矦嘉之賜以紋服人皆荣之而■士性譙虗
退託身亦善病懼教導之有缺大非矦家所以設學之意於是
一朝辭去頽然一室清約自甘而子弟之嚮慕之者猶昨云■
士諱光芳字子蘭又曰勝次郎石關其姓黒山其所自號也上
毛陣場里人父曰太郎八諱光一有二子長曰正暁次即處士
也■士以安政戊午二月十二日終于家享年五十九葬于里
中先塋之側配非爪氏先卒子男一女二皆夭葬之明月其門
人相與謀營建其碑以■士信余特䔍也具状来請墓上之文
余不可以辤遂掲其概略以表之
安政五秊歳次戊午冬十有一月
        江戸 海保元備撰并書 須藤永裕鐫』
 ■部分はユニコードではU2909Cの異体字。
 水準点には
『陣場の位置
 標高 197.5M
 北緯 36度25分50秒
 東経 139度0分12秒
  国土地理院調査
  平成24年11月調べ』
と書かれている。
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『陣場の常夜塔
 陣場を南北に通る県道は、昔三国街道と呼称されていた。江戸時代となって城下町高崎が大きく発展すると共にこの道の交通量も次第に多くなり、重要な幹線交通路となった。
 陣場の常夜塔は県道に面し、神社入口となるところに文化五年十月(一八〇八)に建立された。神社の氏子達が通行人の利便のために建立したものである。越後方面の大名達の江戸への参勤交代の往来もあったし、人馬による旅人の通行も長い年月見続けてきたが、昭和三十年頃から急速に自動車交通時代となり、常夜塔が果たす役割も減少し、ついに神社境内に移転したのである。
 歴史的建造物としてのこの石灯籠は、静かな境内で自動車の排気ガス公害も受けず、人々の営む生活を見下ろしているのである。
 平成六年三月三十一日』
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 三国街道に面して建てられた社号標石。その脇には里程標が建てられている。
『里程標
 高﨑市へ   三里二町
 前橋市へ   二里七町
 澁川町へ   二里
 朙和村役場へ 十八町
  大正七年十月 陣場青年會』
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