白山社伊邪那美大神(総社町桜が丘)

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 JR上越線第二大久保踏切の50m程東側に鎮座する白山社伊邪那美大神(前橋市総社町桜が丘1230)。
 鳥居の柱には「明治三十四年四月建設 當所氏子中」と刻まれている。明治三十四年は1901年。
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 拝殿。
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白山社伊邪那美大神
 国生みの神として伝えられている伊邪那伎・伊邪那美の神は、人々が祖先神・氏孫繁栄の神として信仰してきた神様である。祭神は二神の通弁をつとめた菊理比咩と白山修験の御師によって信仰の対象となった白山比咩神(本地十一面観音)である。この社は、社殿後の白山大神石宮によると、寛文2年(1659)に鎮守神としてこの地に勧請されたことが分かる。また8基の石宮と2基の天神・天満宮の石造物は、この地の民間信仰の明かしである。石鳥居の扁額文字は異体字で伊■册大神(いざなみのおおかみ)と読める。
  平成15年3月吉日 総社地区史跡愛存会
 ■部分は丰丰。しかし石額に刻まれている文字はどう見ても弉である。現在の額は新たに作られたものなのだろうか?
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 拝殿裏に並ぶ石祠群。丸い石塔二基は天満宮。

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伏見稲荷神社(宮本町一丁目)

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 美和神社の100m程南に鎮座する伏見稲荷神社(桐生市宮本町1-2)。
 枝で鳥居がよく見えない。柱には「大正乙卯四年孟夏」と刻まれているので1915年4月の造立。
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 拝殿。
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 破損の激しいお狐様。

 以上で6月30日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA16-85mm。X-T100にXC15-45mm、XC50-230mmII、DA70mm。X30。
 ウォーキングカウンターは8,789歩。

美和神社(宮本町二丁目)

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 桐生市立北小学校の西側に鎮座する美和神社(桐生市宮本町2-1-1)。
 こちらの神社は駐車場が無いのでまた後でお詣りに来ればいいかなと思っていたのだが、XC50-230mmIIの試し撮りの為に立ち寄った桐生が岡動物園をうろついていたらこちらに到着してしまっていた。動物園の敷地と境内が繋がっていたのだね。
 桐生が岡公園に来たのはニコンD100の試し撮りに来た時以来だから、十六年ぶりになるのかな。
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 神橋と鳥居。
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 拝殿。
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 神楽殿。
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 八意思兼神社。
 右の石祠は何神社なのかわからなかったのだが、ググってみたら機神神社であり、また八意思兼神社には思兼命の他に聖徳太子も祀られているのだそうだ。
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 八坂神社神輿庫。
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八坂神社と神輿蔵の由来
 八坂神社を祀る桐生祇園祭の歴史は古く、明暦二年(一六五六)を起
源とした祭礼である。祇園祭は元来天王祭礼とも云い、仏教の守護神で
ある牛頭天王を祭神に厄除神として京都祇園社に祀ったことにより全国
に広まった神仏習合の祭りである。桐生市本町三丁目の地(現市営アパ
ート)に衆生院という寺があった。元禄二年(一六八九)に市神、牛頭
天王社を造営したことにより、子供の手踊りが中心の素朴な祭りも徐々
に賑わうようになった。元文三年(一七三八)には衆生院の境内に神輿
蔵を造営し、それまで本町四丁目の伊勢屋に借置きしていた神輿を移し
たことにより本格的な祭礼の形が整ったのである。
 その後、江戸中期になると祭礼屋台も造られ各町思い思いの出し物で
人を楽しませるようになった。主に狂言や練り物、曳き物などで競った
のである。江戸後期、安政の頃になると惣六町(本町の六町会)では大
型の祇園屋台を建造し、夜通し歌舞音曲で賑わったため、「関東の三大
夜祭り」と呼ばれた所以でもある。
 明治維新が実現し神仏分離の布告が出されると、仏教の守護神である
牛頭天王の神号は廃止され素戔嗚尊としたのである、又京都の祇園社が
八坂神社と改めたため全国に広まった。桐生では明治三年に衆生院が廃
寺となり八坂神社と改名した。それまで天王祭礼と呼んでいた祭りはこ
れを機会に八坂祭典と正式に決めたのである。
 しかし三丁目の地は明治十一年に山田郡警察署が新築されたため徐々
に手狭になった。明治四十年には恵比寿新道が完成。明治四十一年七月
十五日末社と共に美和神社に合祀され、神輿蔵のみ建造し今日に至って
いる。
 八坂祭典の名称は平成六年(一九九四)より桐生祇園祭と改めた。
 尚、安置されている神輿は五代目として平成十三年八月完成した。
 平成十七年八月吉日
  桐生祇園祭 惣六町並びに横山町

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 筆塚。隣の小さな石碑には筆冢修繕詞と刻まれているが、崩し字で記されているので読めない。
 石祠は八坂神社なのかと思ったのだが、母衣輪神社であるのだそうだ。
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 神輿庫裏手にも倉庫らしき建物がいくつか並んでいるが、何なのかは不明。
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 松尾神社。
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 金毘羅神社の鳥居。
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 狛犬。
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 金毘羅神社。
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 西宮神社参道。
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 西宮神社。
 狛犬撮るの忘れた。
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西宮琴平兩社之碑      伯爵 宗重望篆額
上野國山田郡桐生町美和神社一郷鎮守而延喜式内上野十二社之一苑
内數千畝樹木鬱蒼幽寂爽塏之地也明治三十四年十一月十三日別建祠
祀攝津國西宮太神初信徒九十餘名從而賛同者七百餘人及寄附金四千
三百四十餘圓則三十五年九月十九日起工三十八年三月十七日告成葢
西宮太神爲商賈貿易之祖昰以遠近行賽者陸續不絶同三十八年其信徒
一人本多某又建琴平神祠贊同者百五十人及醵金一千餘圓則十二月一
日起工越三十九年十二月十日竣工此祠徍替觀應二年桐生三郎國綱創
遷讃岐國云今兩社棟宇宏麗締構精雅各極偉觀漱盤燈龕之屬■悉備矣
大凢水旱疾病行■戰没有求則禱焉於是乎車馬紛錯旌来如織逐■為人
烟繁庶之區我聞布一■政則神人呂味夫建祠祀神則一郷之善政也至誠
至善奉之神必享之神人相和則災害自消灾害自消則福利■來詞冋
 宮宇新飾 威靈赫然 錫福不絶 爰致明禋
 千歳一日 ■詞万年 檀櫃秩秩 永■我民
明治四十秊一月       上毛 藤生高選並書
                    桐生 丸田壽樟刻
 ■部分は文字は残っているのだがIMEパッドでも出てこないので分からない文字。
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 鳥居。
 傍に美和神社の社号標石が建てられているが、位置的には金毘羅神社の鳥居のようにも思える。額の写真も撮っておけば良かったか。
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関東一社 桐生西宮神社由緒
桐生西宮神社は延喜式内上野十二社の一社美和神社の御祭神が大国主命である関係から明治三十四年十月摂津西宮神社の御分霊をいただき商業、工業、農業、交通、海運、漁業等に、霊験あらたかな蛭子大神(恵比寿様)を桐生ヶ岡公園に接する古木生い茂る美和神社の荘重な神域におまつりした神社です
此の西宮神社を関東一社と申します理由は蛭子大神を御祭神とする神社は桐生だけで各地の恵比寿様は国土開発等に御神徳のある大国主命又事代主命をお祀りした神社であり御祭神の相違から区別されて関東一社と称せられて居ります
十一月十九日、二十日の例大祭には近郷近在は申すまでもなく栃木、埼玉等隣接各県から参拝者は数十万を数え桐生市全市に恵比寿講の雰囲気が溢れまれに見る賑やかな大祭典となります。
    祭  典
一、初 祭  一月二十日(初恵比寿)
一、例大祭  十一月十九、二十日
昭和五十六年十一月吉日
御遷宮八十周年記念 建之

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光明寺(宮本町三丁目)

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 吾妻公園の東側に位置する曹洞宗大慈山光明寺(桐生市宮本町3-9-15)。
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 山門の上り口には千庚申塔。
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 ずらりと並ぶ庚申塔の中に青面金剛も見える。
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 香炉の上には狛犬……じゃなくて獅子かな。
 千手観音堂前の香炉にも似たものがあったが、こちらの方が新しそうだ。
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 山門の脇に金剛力士。
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 本堂。
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 千手観音堂。
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 木鼻以外にも獅子の彫刻が施されている。
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東毛三十二番札所 光明寺千手観世音
古記の伝えるところによると聖武天皇天平宝宇十一年(六三九年)行基菩薩聖武天皇の勅願により観音像一体を刻みてこの地に一宇の堂を建立す。爾来千二百有余年開運厄除・安産子育・所願成就の霊験あらたかにして多くの人々の皈依厚く今日に至る。
  御詠歌(三十二番札所御詠歌)
 ありかたや ちかいも ふかき千手堂
  二世あんらくと たれもたのまん
 昭和六十二年四月八日

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 香炉。
 こちらの獅子は風化しかかっている。
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 竜王護法大善神と白山妙理大権現を合祀した祠。
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 宝珠弁財天。
 宝珠型の珍しいもので、室町時代に作られたものであるそうだ。
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光明寺の歩み
 古記の傳ふる所によれば、當山は遠く千二百有余年の昔
人皇四十五代聖武天皇の天平宝宇十一年九月十六日、行基
菩薩、観世音の夢告を受け、この地に来り 山上の靈光池
水に映り月光の如くなるを歓こび、信仰の中心として水月
庵を開創す。 降って寛永元年鳳仙寺七世義拈午把襌師開
山となり、大慈山光明寺と改め曹洞修行の道場となす。
 爾来、法灯盛衰幾度か移るも、歴代住職の心血と、檀徒
各位の協力、加うるに市勢の発展とにより、今日の興隆を
見るに至れり。ここに 大本山總持寺貫主岩本勝俊襌師を
拜請し、本堂庫裡等の落慶式を挙ぐるに當り、感激描く能
はず、ここに石に刻して後世に残すものなり
 昭和四十四年五月二十五日 光明現三十世 良榮謹誌
                     早川勇二刻

御嶽神社(宮本町三丁目)

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 曹洞宗大慈山光明寺北側の山の中腹に鎮座する御嶽神社(桐生市宮本町3-9)。
 左に見えるのは光明寺の千手観音堂。
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 二の鳥居。
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 石段右手側に千手観音。
 側面に「文久三㐪八月吉日」と刻まれている。文久三年は1863年。㐪は亥の異体字であるので、文久三年の干支である癸亥とも合う。
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 不動明王と二童子。
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 一心霊神堂。
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 三の鳥居。
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 右上に並ぶ石塔には普香王童子や獅子光童子、善儞師童子、波利迦童子などの文字が見えるので、不動明王の眷属である三十六童子なのだろう。
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 拝殿。
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 御嶽山の額と、その前に梵天が掛けられている。
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 一心霊神と奥殿。
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新築記念碑
星移り年古れば神域社殿も荒廃す 御嶽神社も亦然なり 当社大教主高山藤三郎氏は此れが復興を計る 私もこれに参画して 奥殿並びに一心霊神堂を新築して 献す 以っていささか 神恩に報い神威を揚げ奉り 大方の信徒の便益にも資せんとするなり 今や功成る 依って祈念の碑を立てて永く子孫に敬神崇祖の道を示すといふのみ
 昭和四十四年四月吉日
 御嶽神社責任役員
      青木石太郎建之

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 奥殿と狛犬。
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 御嶽橋。
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