小百合神社(間野谷町)

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 間野谷町交差点そばに間野谷公民館(伊勢崎市間野谷町606-1)があり、そこから西へ向かって行くとグラウンドの北側に小百合神社が鎮座している……筈なんだけどなぁ。
 確かに建物はあるのだが、なにか違うような気がするなぁ、コレは。
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 或いはこの草叢の中に埋もれてしまっているのだろうか?
 なんにしても、周囲にはロープが張られており、個人か企業かはわからないがいずこかの所有地であるように思われるので勝手に入って行くわけにもいかない。
 と言うわけで、小百合神社は見つけられなかった。

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 間野谷公民館。
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 その敷地の端に石祠が二基。
 左側の石祠の側面には慶應四戊辰年二月二十五日と刻まれているので1868年、幕末…と言うか明治元年じゃないか。明治ではなく慶應の年号が使われていると言うことは、幕府側の人に縁のある社なのだろうか。
 これが移転した小百合神社だったりしないかなぁ、しないだろうなぁ。仮に小百合神社であるにしろそうでないにしろ、由緒などはさっぱりわからないのだけれどね。

 以上で1月28日参拝分終了。
 使用機材はK-7にDA15mm、FA28mm、DA40mm、FA77mm、DA10-17mm Fish Eye、50-150mm II。K10DにDA21mm。

稲荷神社(間野谷町)

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 国道50号線間野谷町交差点から北上して行くと、アルミテック(伊勢崎市間野谷町311-9)の東側に稲荷神社が鎮座している。
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 お狐さま。
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 拝殿とお堂。
 こちらもまた由緒書きが見当たらないのでググってみると、創建年代は不詳ながら上野介景秀が山城の国の伏見稲荷神社の分霊を迎えて創建したとのこと。赤堀上野介景秀は戦国時代の人で、城を奪われたのが1590年だから、それより前なのかな。
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 末社。
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 末社。

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 稲荷神社西側の変形十字路(X字路?)脇に鎮座する石祠群。
 左端は地神宮、中央二つの石祠は天王宮と愛宕山神社。

火雷神社(香林町二丁目)

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 樺神社から県道293号線を北上し、北海道ホリー工業伊勢崎支店(伊勢崎市香林町2丁目1291-13)前の交差点から西へ向かって行くと火雷神社に到着。
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 狛犬。
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 拝殿。
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『火雷神社
 神社の由来
この地(群馬県)は地形上から山と雷に対する風格化が多い。
大雷、火雷神社等に雷の通り道というのがあって、その道筋に神社を建てて、その怒りを鎮めようとした。神社は政治と祭り事と称した様に、人間と切っても切り離せない生活の中の同居人であった。雷は災害も、もたらすが、雨を伴う恵みの雨は作物の生育を助け、農耕民族にとって不可欠なものでありました。創建年代は不詳なれども古老の傳える所によれば、今から七○○年前頃、この地に鎮守の杜があり、室町時代より続く境野家(土手屋敷)の氏神として「太郎宮」が建立されました。
その後領主上野介景秀公神明の尊崇厚く神殿を修理し、奉幣の儀を行う後、累世崇敬せられしも、何時、郷民の持ちとなりました。
以後、郷民の手により守られ祭祀が絶えることなく行われて来ました。
現在の拝殿は元禄時代(1690年頃)に、本殿は宝暦八年(1758)に再建された建物である。
明治十二年、火雷神社と改称し村社に列す。
明治四十二年大字天神久保に祭祀してあった菅原神社、稲荷神社と火雷神社に祭祀してある八幡神社、春日神社、山神社、樺神社、鹿島神社、菅原神社、秋葉神社、八郎神社、神明神社を合祀して今日に至る。
大正三年四月十五日、神饌幣帛料供進神社に指定される。

 神社の改修
新生日本講和獨立記念に神社の改修が行われました。
時役氏子総代、高柳四七八様を委員長として、副委員長、村会議員、委員と総勢二十一名の役員を中心として村中総出の大事業であった。
改修する費用を捻出するために、神社裏山の杉と松を売却して四十五万円を確保しました。
雨漏りのあった古い茅葺屋根の神社が、今の姿の立派な形に生まれ変わりましたのは、昭和二十七年四月でした。
神社の広場も整理、整頓され、氏子総出にて落成式が盛大に行われました。

 香林の由来
旧石器が大正用水開発時と千鳥遺跡と二ヶ所発見されている。
赤堀文書には次の様にある。
香林太郎時秀
香林郷 下賜安堵御判間事、正平六年(1351)足利尊氏 花押(印)
中野境野家墓地に香了上人供養塔があり延徳四年(1492)の銘文がある。
香林の七屋敷
 町田の西側におせんだて屋敷、下組斉藤家前方に左太夫屋敷、
 そして曦観音堂西方に勘平屋敷、藤三屋敷、せいさ屋敷、他、
 そして中組の土手屋敷があり、土手屋敷は四囲を土手と堀を
 めぐらした室町時代の屋敷といわれている。
「香りとはかおりであり、松の大樹が多かった地方であり、松の香り高く林をなしたことが、香林の由来とされています」
 平成二十一年十月吉日』

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 摩利支天尊。
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『摩利支天尊の由来
開運の神、摩利支天尊は、元は火雷神社の裏にあったが、勝負に負けず嫌いの強い神として信仰され、参拝者が多いので、火雷神社境内の西方、社前の現在地へ遷した。
昔、柔道の先生高柳伝四郎氏は東京へ試合に行く時、丑の刻参りを行ったと伝えられる。
現在では進学、就学、選挙、又は勝負に関する事が非常に多彩なので、特に参拝者が多く、願が成就した時は木の木刀を作って御礼参りに行くのである。
現在でも年中新しい木の木刀が奉納してある。
摩利支天は梵名マリーチの音訳で訳すと、威光とか陽焔となるこれは陽炎の事を考えればよい。かげろうの神格化されたもので、日天の前にいつも疾走して阿修羅の軍を調伏する神とされている。
 平成四年四月吉日』

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 秋葉神社と八坂神社。
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 末社。こちらには神社名を記した看板が設置されていない。
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 末社群。
 左から八幡神社、菅原神社、山神社、神明神社、稲荷神社。

樺神社(香林町一丁目)

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 香林下公民館脇に鎮座する樺神社。
 由緒等を記した案内板も無ければ、ググってみても情報が出て来ない。むぅ…。
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 本殿。
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 少し引いて撮る。
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 山車庫。
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 曦観音堂。
 地図を見るとこちらに樺神社と書かれているが、こちらは観音堂。堂内の修理かなにかが行われていたようだ。
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 曦観音堂正面。
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 宝篋印塔。
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 木造の如意輪観音坐像と石造の観音菩薩坐像が市の重要文化財に指定されているそうだ。

天神宮(野町)

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 野町区公民館脇に鎮座する天神宮。
 しかし公民館の敷地への入口が伸縮門扉で閉じられていた為、門扉の外から撮影。幸いにも西側を流れる鏑木川に架かる橋の脇に退避できるエリアがあったので、車はそちらに。
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 山車庫。
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