乃木神社(赤坂八丁目)

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 大日本帝国陸軍大将乃木希典を祀る乃木神社(港区赤坂8-11-27)。公式サイト有り。
 鳥居の傍には東京メトロ千代田線乃木坂駅1番出入口がある。
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 狛犬。
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 境内案内図。
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 二の鳥居。
 この時は結婚式が行われていたり団体参拝客が二組あったりで結構な数の人が来ていたが、少し待っていればそれなりに数も減ってくる。普段の神社巡りではこんなに人を見ないのでちょっと落ち着かない気分。
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 狛犬。
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 拝殿。
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 教育の碑。
『明治天皇御製
   教 育
 いさをある人を
   をしえの親にして
 おほしたてなむ
   やまとなでしこ

 明治四十年一月に御祭神乃木将軍が学習院院長に任命された頃に生徒心得の為に明治天皇より賜った御製であります 乃木将軍のような国家に勲功のある立派な人を学習院院長にして 大切な皇国の未来を担う子弟の教育に當らせたいという明治天皇のお気持ちがこめられています
 この碑は当時の御歌所所長 高崎正風氏が謹書したものを刻んだものであります』
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 ナンダモンダ(菊面石)。
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 さざれ石。
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 正松神社の鳥居と社号標石、案内板。
『境内摂社 正松神社
昭和三十八年一月二十二日鎮座
御祭神 玉木文之進正韞命
    吉田矩方松陰命
御鎮座の由来
 玉木文之進先生は 幕末維新に際し多くの偉人傑士を輩出した長州萩の学者であり 松下村塾の開祖であり 吉田松陰先生は 玉木先生の甥に當り その村塾を受継いで幾多の國士を養成せられた大教育者であり 國事に仆れた烈士であります 乃木将軍は松陰先生の弟弟子として玉木先生に薫陶せられ 又松陰先生を深く敬い 之が人格形成の基になったものと拝察致します 依て乃木神社戦災復興竣成を機に萩の松陰神社より二柱の御分霊を請受け 境内に鎮祭した縁の神社であります』
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 正松神社。
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 赤坂王子稲荷神社の鳥居と社号標石、案内板。
『境内末社 赤坂王子稲荷神社
昭和三十七年十二月二十二日鎮座
御祭神 宇迦之御魂神 宇気母智神
    和久産巣日神
御鎮座の由来
當神社は乃木将軍御夫妻又御両親崇敬特に篤く 月詣りまでせられた北区王子に鎮座の王子稲荷神社を乃木神社戦災復興竣成を機に勧請した縁の神社であります』
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 赤坂王子稲荷神社。
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『乃木神社之碑
中央乃木會理事陸軍大将従二位勲一等功二級一戸兵衛題額
大正元年九月十三日夜 明治天皇ノ靈轜宮城ヨリ青山練兵場内葬場殿ニ
遷御アラセラル此夜八時乃木大將夫妻赤坂區新坂町自邸ニ於テ自刃ス蓋
シ大將ハ 天皇ニ殉シ奉リ夫人ハ大將ニ殉セルナリ翌朝凶報傳ハルヤ中
外ヲ擧ケテ其忠烈貞節ニ感動セサルハ莫カリキ予時ニ東京市長ノ職ニ在
リ大將夫妻ノ忠誠ヲ不朽ニ傳ヘント欲シ有志ト謀リテ乃木會ヲ起シ大將
邸宅ヲ保存シ且地域ヲ擴メ城内ニ社殿ヲ造營シ大將夫妻ノ靈ヲ祀ルノ議
ヲ決ス事畏クモ 天聽ニ達シ内帑若干ヲ下シ賜フ東京市率先シテ資ヲ捐
シ三井岩崎鈴木古河住友安田藤田森村澁澤木戸等諸家及全國篤志者相競
ヒテ之ニ效フ大正十一年八月十日内務省技師大江新太郎氏ノ設計監督ノ
下ニ起工シ翌年十一月一日本殿工先ツ成リ鎮座祭ヲ行フ殘工事ハ資ノ集
マルニ隨ヒテ續行シ今ヤ豫定ノ工事大略竣工ス東京市カ隣地ニ經營セル
乃木公園亦完成シ繞ラスニ江戸城虎門枡形ノ巨石ヲ以テシ本社及乃木邸
ト共ニ市内ノ名跡トナル本社ハ参拜者日ニ踵ヲ接シ祭日ニハ殊ニ雜沓シ
神威年ト共ニ赫赫タルヲ覺ユ本會創立以來經營ノ責ニ任シタル關係ニ依
リ茲ニ概要ヲ録シテ後ニ垂ルト云爾
昭和六年五月
   中央乃木會長正三位勲一等法學博士男爵阪谷芳郎謹撰
                従六位勲六等林經明謹書』
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『乃木神社復興之記
昭和二十年五月二十五日大東亞戰争ノ厄ニ罹リ本殿ヲ始メ社殿焼失直チニ之カ復
興ヲ誓ヒ昭和二十三年一月十三日川島康資氏ノ一建立ニ依リ先ツ假本殿復興昭和
二十六年十月一日小林古径畫伯ヲ始メトスル四十一畫伯丹青ヲ奉獻セラレ又古田
寛悟氏始メ多クノ人ヨリ屋瓦ヲ奉納コレ等崇敬ノ至誠ニ基ツキ儀式殿ノ完成ヲ見
茲ニ甫メテ神前結婚式ヲ斎行セリ昭和二十九年五月一日鈴木一光氏ト古田寛悟氏
トノ盡力ニ依リ茶席忘筌完成昭和三十七年九月十三日乃木神社崇敬會長佐々木義
彦氏他諸氏ノ盡力ト建設ヲ請負ハレシ竹中藤右衛門氏ノ赤誠ノ結果本殿幣殿拝殿
等完成續イテ摂社正松神社末社赤坂王子稻荷神社ヲ勸請シテ昭和四十三年二月境
内ニ接續スル社有地ニ乃木會館ヲ設立シ以テ永年所期ノ目的ヲ完遂スルヲ得タリ
社殿及ヒ會館ノ建築設計ハ總テ工學博士大江宏氏ノ祭神崇敬ノ至誠ニ就レルモノ
ナリ
昭和五十三年六月
   乃木神社宮司 高山 貴 謹記
   責任役員江南 桑原通雄 謹筆』
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 旧乃木邸。
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『東京都港区指定文化財 有形文化財 旧乃木邸及び馬小屋
 旧乃木邸は、明治三十五年(一九〇二)に新築されたもので、乃木希典大将夫妻が大正元年(一九一二)九月十三日、明治天皇御大葬の日、明治天皇に従って殉死するまでここに住んでいた。将軍が、ドイツ留学中に見たフランス軍隊の建物を模範にして建てたというもので、明治期の洋風建築が接客を目的とする豪華な建物か、和風住宅に洋風の応接室を付属させたものが多いのに比べこの邸宅は、軍人の家らしく、飾り気がなく簡素で合理的に作られている。建坪は一六八㎡、木造平屋建、日本瓦葺で、傾斜地を巧みに利用し、建物全体に半地下構造をもつ。
 馬小屋は、平屋建、日本瓦葺で、邸宅が新築される以前、明治二十二年(一八八九)に建てられた。間口約十二・五m、奥行約四・五mの細長い建物には、四つに区画された馬房や、馬糧庫等がある。住居が木造であるのに対し、馬小屋が煉瓦造で立派だ、という評判のあったもので、馬をかわいがり大切にした大将の人柄が偲ばれる。
 昭和六十二年十月二十八日』
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『乃木大将と辻占売少年像
 今に伝えられる「乃木大将と辻占売少年」の話は、明治二十四年、乃木希典が陸軍少将の時代、用務で金沢を訪れた折りのことです。希典は金沢で偶然、当時八歳の今越清三郎少年に出会います。今越少年は、辻占売りを営みながら一家の生計を支えていました。この姿に感銘を受けた希典は、少年を励まし、金弐円を手渡しました。今越少年はこの恩を忘れることなく、努力を重ね、金箔業の世界で大きな実績を積み上げました。
 この銅像は、こうした乃木希典の人となりを伝えるものとして、昭和四十三年に旧ニッカ池(六本木六丁目)の縁に造立されましたが、このたび旧ニッカ池周辺が整備されることとなり、希典所縁のこの地に移建されました。
 平成十三年九月』
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 乃木家祖霊舎。

 この後はX30を修理に出す為、東京ミッドタウン内のフジフイルム スクエアに行き二階のサービスセンターへ。受付の方がわりと美人な眼鏡さんだったので内心ひゃっほい。
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鈴降稲荷神社(赤坂五丁目)

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 中峰マンションの入口脇に鎮座する鈴降稲荷神社(港区赤坂5-1-27)。
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『鈴降稲荷神社
 鈴降稲荷神社はもと四谷仲殿町にあり、伊賀町、中殿町一帯がその氏子であった。元禄八年この社地が御用地となったので赤坂一ツ木に替地を給され、ここに遷座奉安された。その折任命された別当は鈴降山神宮寺別当願性院と称え毎年正月四日徳川家の武運長久を祈願したお礼を将軍に献上のため登城するならわしがあった。明治十三年社殿類焼に遭い仮殿を建てて神鈴を奉安、更に明治二十五年内陣を土蔵造りとしたが大正十二年の震災で拝殿は大破、土蔵は崩壊したので大正十四年氷川神社境内稲荷社へ合祀された。今も一ツ木の横町は鈴降横町と称される所以である。
 往古からのいいつたえによると朱雀院天台の頃の創設なりとか。花園院正和年中、稲荷の神七歳の童女にのりうつり「我は鈴降宇賀三社の霊神なり、わが持つところの鈴は天降の鈴なり一たび拝する者には家門繁栄ならしめん」と信託あり、よって鈴降の神号とすと。
 又一説には天正十年織田信長本能寺の変に遭いし折、京阪にありし徳川家康急遽三河に帰らんとて、伊賀越えの際山中にて道に迷いし時、遥かに鈴の音が聞こえるので、その方向にたどりつくと観音堂あり堂主山名孝倫なる者がいて之を迎え厨子の中より三箇の鈴を取り出し家康に献じ、且つ付近の住民を集めて道案内と警護をしつつ伊賀の白子に出、舟にて海路浜松へ帰ることが出来たという。家康は、此の恩義を徳とし、江戸幕府を開くや、孝倫はじめその折の郷民を江戸に召して四谷に地を給し、これを伊賀同心組とした。
よって彼等は一宇の祠を建て、さきの鈴を神鈴として鈴降稲荷と号し伊賀組の鎮守としたという』

日枝神社(永田町二丁目)

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 国会議事堂の西側、星ヶ岡城二の郭跡に鎮座する日枝神社(千代田区永田町2-10-5)。
 公式サイト有り。五年前に参拝した日本橋茅場町の山王日枝神社はこちらの摂社・御旅所である。
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 石段。
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 随神門。
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 内側から。
 こちら側の随神は猿の姿をしている。写真に大きく収めたいところではあったがガラスが反射して駄目だった。55ΦのC-PLフィルター買おうかなぁ。
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 拝殿。
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 御神使の猿。
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 末社。
 左側に山王稲荷神社、右側に八坂神社・猿田彦神社。
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 狛犬。
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 アップで。
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『千代田区指定有形民俗文化財 狛犬
 指定 平成十二年四月
 日枝神社の境内社、山王稲荷神社の本殿と、八坂神社・猿田彦神社両社を合祀した本殿の前に、一対の石製狛犬があります。幅五五cmほど、高さは七〇cmほど、台座部分を含めても大人の背くらいの高さです。
 像の台座には「奉献」「文政三庚辰年六月吉日」「南伝馬町三町目」「家主中」などと陰刻の銘文があり、向かって右側の像には「植草重左衛門」ほか一〇名と「地形方抱三右衛門」「石工 新川勘兵衛」などの名前が、また同様に向かって左側の像には「亀田左兵衛」ほか一一名の名前が見られます。この他に左側の像の中段台石外側の側面には「明治三十四年九月 自神田神社境内移之 南伝馬町三ヶ町」などと年代の異なる銘文も刻まれています。
 以上のことから、この狛犬はもともと文政三年(一八二〇)に、当時神田神社境内に鎮座していた南伝馬町天王社に奉納されたものであることがわかります。しかしその後、明治一八年(一八八五)二月一三日未明に神田神社周辺で起きた火災により天王社本殿その他が焼失した後、南伝馬町の氏子たちは新たに日枝神社境内に鎮守として祇園社を勧請しました。その時点では、おそらくこの狛犬は未だ神田神社境内に現存していたのであり、一六年後の明治三四年(一九〇一)に石製燈籠などその他の南伝馬町天王社に由来する旧来の石造物とともに日枝神社境内に移転、再設置されたと思われます。
 この狛犬は、千代田区内に現存する狛犬としては、すでに文化財指定した二例【平河天満宮狛犬=享和元年(一八〇一)、再建嘉永五年(一八五二)】【築土神社狛犬=安永九年(一七八〇)】と同様、江戸時代の銘文をもつものであり、区内においては貴重な文化財です。そして、江戸時代から明治時代にかけての人々の信仰の一端、特に日枝神社及びその境内社である八坂神社と神社周辺の人々や南伝馬町の人々との関わりを、私たちに語りかけてくれているのです。
 平成十三年三月』
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 稲荷社の裏手にも祠があるのが見えるが、こちらは柵で遮られた立入禁止区域内にある為何神社であるのかは不明。
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 こういう所があると城跡なんだなと実感できるが、現在は補修作業中のようだ。まあどのみち立入禁止区域内なので近寄って見ることはできないのだけど。
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 西の鳥居。
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『山王さま 日枝神社(江戸山王 元官幣大社)
 御祭神 大山咋神
 相殿神 國常立神・伊弉冉神・足仲彦神
 御祭神・大山咋神は須佐之男神の御孫神、稲・穀物の神、大年神の御子で山末之大主神(山頂を支配する偉大な神)鳴鏑(鏑矢)に成りませる神とも申し上げます。
 大山咋神は、近江国(滋賀県)の日枝山(比叡山)に鎮まり、平安京を守護し給う大神として、山王・日吉・日枝の社は全国に三千数百社に及びます。
 江戸山王の始原は鎌倉の初期平家の一門・秩父重継が江戸貫主を名乗り、その館に山王社を勧請し、文明十年(一四七八)太田道灌が城内に、更に天正年間徳川家康が入府に際し城内の鎮め・将軍家産土神と崇め、四代家綱・万治二年(一六五九)当地に移遷されました。
 江戸時代の山王まつりは日本三大祭の一つに数えられ、時の将軍が自ら奉迎せられ「天下祭」「御用祭」とも称され広く世に知られ江戸市民に親しまれました。
 現在も隔年に執り行われる六月の山王まつり「神幸祭」は氏子各町内を巡幸し、古式ゆかしく盛大に行われています。
 明治維新東京奠都により江戸城は皇居となり、日枝神社は皇城の鎮護・国土の平穏・万民の和楽を祈願し官幣の大社に列せられました。
 昭和二十年五月・戦災の国宝御社殿は、昭和三十三年六月氏子崇敬者の赤誠溢るる奉賛により復興され、その後宝物殿・山車庫・社務所・赤坂口山王大鳥居・西参道・稲荷参道等相次ぎ復興整備されました。
 氏子区域は都心の七十二ヶ町に及び、生業の隆昌・子孫家門の繁栄を守護し、御神徳は広大無辺であります』
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 狛犬。
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 稲荷参道側から見た山王鳥居。
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 稲荷参道にずらりと並ぶ鳥居。
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 この鳥居をくぐると山王稲荷神社、八坂神社・猿田彦神社合社前に出る。
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 境内案内図。
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 南神門。
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 南の鳥居は現在改修作業中である為見ることができなかった。

北関東三県ウマいもん合戦in桐生

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 友人に誘われたので、26日は「北関東三県ウマいもん合戦in桐生」に行って来た。
 開始時間よりも大分早く着いてしまったが既にそこそこ人が入っており、まだ人が少ない内にと席を確保。
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 なすの蒲焼重なるものがあると言うことなので一つ買って見た。なんだか有名なものらしいけど、このイベントまで知らなかったよ自分。この日は肌寒く、蒲焼重が冷えるのも早かったがまぁまぁ美味い。温かければもっと美味かったのだろう。
 全体的に茶色いものが多く腹に溜まり易い為か3~4箇所ほど回ったらもう満腹ですとなり、出店されているもののほとんどに手を出さぬまま帰路に着くことに。
 そして不幸なことに、X30が故障○刀乙 電源Off→少し経ってまた電源Onにしようと思ったらズームリングが途中で引っかかって回らない。ぶつけたり落したりしたのならば仕方が無いとも思うが、電源のOff→Onで壊れるのは納得いかんわー。うちにある富士フイルムのデジカメ5機の内4機がレンズ周りの故障経験有りと言うのは、ちょっとこれ故障率高いんじゃないだろうか。とりあえず近い内に修理に出そう。

雷電社(粕壁)

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 八木崎駅の東北400m程、ファミリーマート春日部粕壁店の隣に鎮座する雷電社(春日部市粕壁4607)。
 社号標石の裏側には「昭和四十九年四月二十六日 社殿改築記念」と刻まれている。
 前回お参りした八木崎稲荷神社からは500mも離れていないのだが、こちらを見落としていたことに気付いたのは帰宅後だったので仕方がない。今回はお参りできたとは言えこの時既に五時近くになっており、もう少し遅くなっていたら撮影するのに困っていたかも知れない。三脚とか持ち歩いてないし。
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 鳥居。
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 拝殿。

 以上で11月12日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mm、DA20-40mm、DA FISH-EYE 10-17mm、50-150mm II。*ist DsにDA35mm Macro。X30。
 ウォーキングカウンターは34,617歩。
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