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六芸神(浅草二丁目)

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 浅草警察署公園六区交番の北側、まるごとにっぽん前に鎮座する六芸神(台東区浅草2-6)。
 神社のカテゴリーに入れていいのかどうか少し悩んだが、まぁいいか。
六芸神因縁(由緒)
 江戸時代、浅草寺境内は、娯楽の場として大道芸人たちが芸を披露する場所として栄えました。明治に東京五公園の一つとして指定され、公園六区がつくられ、見世物小屋や芸人が集まって来ました。その後、映画や演劇も始まり、六区興行街として全国にその名が知られるようになり、現在の六区ブロードウェーとなりました。
 興行街としてにぎわう六区には、いつの頃からか六人の芸達者な神様が住みつき、六区周辺の芸人達を見守り、芸の知恵を授けてくれるといわれています。六区からは六芸神に見守られた多くの芸人達が映画や演劇、音楽等で活躍しています。このため、六芸神を通りの繁栄の守り神として祭っています。

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 左から唄神、奏神、話神、戯神、演神、踊神であるそうだ。
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 以上で2018年12月30日参拝分終了。
 使用機材はX-T100にXC15-45mm。X30。
 この後は浅草寺にも行ってみたのだが、人が多過ぎてのんびり撮影するのは無理だった。舟和で和菓子を買ったり神谷バーで電気ブランを買ったりしてから帰宅。
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八幡神社(西浅草二丁目)

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 国際通り浅草一丁目交差点から50m程西に鎮座する八幡神社(台東区西浅草2-14-5)。
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 拝殿。
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 虹梁部には金色の……狛犬?
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 狛犬。
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八幡神社由緒書
御祭神は応神天皇なり。元禄十三年(西暦一七〇〇年)庚辰八月九日田島山快楽院誓願寺に於て豊前の国(大分県)宇佐八幡宮の御神霊分神を斯の地に御奉遷す。爾来旧浅草田島町の鎮護として御祭りす。御維新前誓願寺にて進退し明治六年一月浅草神社社務兼勤の命を蒙る。
昭和二十年三月九日夜戦火に依り灰燼と帰すも地域住民有志の浄財寄進にて昭和二十四年二月再建、更に昭和四十七年五月近代的コンクリート造りの社殿、社務所が完成し現在に至る。
 平成二年五月
      西浅草二丁目町会
       氏子總代 渡辺留三郎(百歳)

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 境内から見た鳥居。
 柱には「昭和五拾七年拾壹月吉日之建」「奉納 西浅草二丁目東西町会」とある。
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本法寺(寿二丁目)

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 東京メトロ銀座線田原町駅1番出口の50m程南西に位置する日蓮宗長瀧山本法寺(台東区寿2-9-7)。
 公式サイト有り。
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長瀧山 本法寺 御案内
一 長瀧山 本法寺(日蓮宗)について
  天正十九年(西暦一五九一)太田道灌の居城であった江戸
 城紅葉山に初代日先上人が開山したのが発祥の地である。
  その後北条氏が滅亡し徳川家康が新たに江戸城を築城する
 さいに紅葉山から外濠にあたる八丁堀に移った。
  さらに明暦二年(西暦一六五七)江戸の振袖火事の大火で
 焼失し幕府が用達町人高原平兵衛に賜与した浅草の拝領町屋
 敷のあった現在の地に移った。
  住居表示で現在は寿町二丁目となっているがその前の旧高
 原町という町名はその由来からとったものである。

一 熊谷稲荷の由来について
  江戸中期の享保年間の頃雷門の浅草寺境内にあった熊谷稲
 荷を熊谷安左衛門の菩提寺である当本法寺に勧請した。
  この熊谷稲荷は江戸時代から霊験あらたかな稲荷として信
 者も多く江戸誌に参詣頗る多しと書かれているように世に名
 高い稲荷である。
  稲荷を祀った狐にもさまざまな種類がありそのなかでも人
 間に福徳をわかつ福狐として白狐だけが稲荷大明神の御眷属
 にえらばれる資格があると云われている。
  白狐は財物に恵まれることと人生の幸福を授かると語りつ
 がれているが熊谷稲荷は白狐を祀った稲荷で江戸浅草の本法
 寺と東北の弘前の津軽藩公が祀った二箇所だけしかないきわ
 めて珍しい稲荷で江戸時代から霊験あらたかなお守札をだし
 ている稲荷として世に知られている。
  一の守 伝教大師から伝授された身体加護・身にふりかか
      るすべての災難をとりのぞく熊谷稲荷の秘法とさ
      れているお守である。
  除火難    浅草寺誌にもあるとおり江戸時代から御利
  除盗難のお札 益のあるお札として世に名高い。
註 熊谷稲荷縁起の詳細な説明書については当寺にお申し出あ
  ればさしあげます。

一 はなし塚について
  境内に台東区教育委員会の文化財史蹟の掲示板があるので
 お読みください。

一 その他
  当本法寺境内には吉見稲荷、お伽丸柳一の碑。筆塚、山谷
 なかま塚、江川太郎左衛門の菩提所などがあるのでご自由に
 御高覧下さい。
                        本法寺

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 境内に入ってすぐ左側に熊谷稲荷。
 階段脇の石祠も稲荷社だろうか。
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 右側には吉見稲荷。金比羅大権現が合祀されているそうだ。
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 お狐さま。
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 こちらの石祠も稲荷社だろうか。扉が三つあると言うことは三社が合祀されているようにも思えるが社名が記されていないのでわからない。
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はなし塚
           台東区寿二丁目九番七号 本法寺
 この塚が建立された昭和十六年十月、当時国は太平洋戦争へと向かう戦時下にあり、各種芸能団体は、演題種目について自粛を強いられていた。落語界では、演題を甲乙丙丁の四種に分類し、丁種には時局にあわないものとして花柳界、酒、妾に関する噺、廓噺等五十三種を選び、禁演落語として発表、自粛の姿勢を示した、この中には江戸文芸の名作といわれた『明烏』『五人廻し』『木乃伊取』等を含み、高座から聴けなくなった。
 「はなし塚」は、これら名作と落語会先輩の霊を弔うため、当時の講談落語協会、小噺を作る会、落語講談家一同、落語定席席主が建立したもので、塚には禁演となった落語の台本等が納められた。
 戦後の昭和二十一年九月、塚の前で禁演落語復活祭が行われ、それまで納められていたものに替えて、戦時中の台本などが納められた。
   平成十六年三月

Hanashi Zuka
 This mound was built during the Pacific war in 1941, at that time, comic storytellers ware forced to eliminate some of comic stories from their program in theaters. They selected 53 comic stories about the pleasure quarters, sake, a mistress, etc. and announced that they would not play these subjects of comic stories anymore, thereby showing their attitude toward to wartime to the goverment. Some of comic stories abolished ware "Akegarasu(A crow in the morning)", "Gonin mawashi(Rolling by five persons)" and "Miiratori(Mummy hunting)" which ware said to be the masterpieces of Edo literature, however these stories have never been played thereafter.
 This mound was built in remembrance and memory of these masterpiece of comic stories and the deceased storytellers by the Rakugo association and all comic storytellers, etc. and scripts of the comic stories abolished ware stored in the mound.
 After the war, the revival festival of abolished plays was held in front of the mound in September 1946. Scripts of comic stories played in wartime are stored in the mound now instead of what was stored before.
  写真の石柱は噺塚ではなく熊谷安左衛門の和歌碑である。
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 本堂。

本社三島神社(寿四丁目)

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 東京メトロ銀座線田原町駅2番出口の150m程南東に鎮座する本社三島神社(台東区寿4-9-1)。
 由緒書きは設置されていないが、台東区下谷にある三島神社の公式サイトの記述によると、弘安の役(1281)の際に河野通有が氏神である三島大明神に戦勝祈願し、その帰陣に於いて武蔵国豊島郡に三島大明神の分霊を勧請して上野山内の河野氏の館に奉齋したが、慶安三年(1650)に徳川三代将軍家光公より社地の移転を命ぜられた為に金杉村(現在の台東区根岸)に遷座。更に宝永七年(1710)に社地が幕府の御用地に指定された為、浅草小揚町(現在の台東区寿)に遷座したとある。これがこちらの三島神社であり、根岸の三島神社が元三島神社である。また、氏神様が遠くて困るという氏子一同の希望により分霊を金杉村字金杉町(現在の台東区下谷)に勧請して創建されたのが下谷の三島神社である。
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 拝殿。
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 台湾とか中国産っぽい獅子。
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 石稲荷大明神・髪稲荷大明神。
 由緒は不明。
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歓喜院聖天堂(妻沼)

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 待乳山聖天や生駒聖天と共に日本三大聖天の一つとされる妻沼聖天こと歓喜院聖天堂(熊谷市妻沼1511)。
 尤も、日本三大聖天の三番目に名を挙げられる寺院は他にもいくつかあるようだが。
 公式サイト
有り。
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 聖天山の標石側面には「昭和二年四月十八日建之」と刻まれている。
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 地蔵尊。
 台座には「當村中 正徳五乙未年正月廿四日」と刻まれているので1715年の造立。
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 御嶽山大神・八海山大神・三笠山大神の石塔の傍に八幡大神・八坂大神・稲荷大神の石塔があり、その奥の石塔には阿留摩耶の文字が見える。他にも役行者 小角霊神や一心霊神・盛心霊神・盛国霊神、高徳浪心霊神(高野浪次郎)などの石塔があり、御嶽教所縁のものなのだろう。
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 貴惣門。
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聖天山貴惣門
種   別 国指定重要文化財 建造物
指定年月日 平成十四年五月二十三日
 妻沼聖天山聖天堂の正門として建てられた雄大規模の八脚門で、側面(妻側)に破風を三つ重ねた類例の少ない奇抜な形式に特徴がある。
 寛保二年(一七四二)幕命で、利根川大洪水の復旧工事に妻沼を訪ねた周防国(山口県)岩国吉川藩の作業棟梁長谷川重右衛門に聖天堂の大工棟梁林正清が設計を依頼したもので、約百年後の寛永四年(一八五一)正清の子孫林正道が棟梁となり完成した。
 総欅造の精緻なつくりに多様な技法の彫物で要所を飾るなど、江戸末期の造形技術の粋が発揮されている上、主要部材に寄進の名を遺す等、郷民信仰の証を伝える貴重な建造物である。
 百年掛かりとかサグラダ・ファミリアのようだと思ったが、リーフレットには弘化四年(1847)起工の寛永四年竣工と記されているので建築期間自体は四年間である。
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 「皆與願滿足」と記された額が掛けられており、また菊や鶏などの彫刻も施されている。
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 虹梁には鳥や龍の彫刻が施され、大きな龍の上には応龍(翼の生えた龍)も見える。
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 応龍と獅子。
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 二天王に踏まれている邪鬼の顔。
 持国天と毘沙門天は金網があるためうまく撮れず、では下の隙間からと思ってもやはり狭くてこれくらいしか撮れなかった。まあ二天王の写真は妻沼聖天のサイトで見られるからそれで。
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 貴惣門南側から。
 背後に駐まっている車があった為これ以上は退がれずフレームに収め切れなかった。今思えば斜めから撮れば良かったのではないかと〇刀乙
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 南面の彫刻。
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 北面の彫刻。
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 西面の彫刻。
 琴を弾く仙人らしき人物と龍を題材にした彫刻は他の神社でも見かけられるようなので割と有名な話なのだろうと思うのだが、なんだかわからない。
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 参道。
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 齋藤別当實盛公像。
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齋藤實盛
       文部省小学唱歌
一、年は老ゆとも、しかすがに
  弓矢の名をばくたさじと、
  白き鬢髭墨にそめ、
  若殿原と競ひつつ、
  武勇の譽を末代まで
  残しし君の雄雄しさよ。
二、錦かざりて歸るとの
  昔の例ひき出でて、
  望の如く乞ひ得つる
  赤地錦の直垂を
  故郷のいくさに輝かしし
  君が心のやさしさよ。

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 増田彌七郎翁之像。
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 護摩堂。
 「交通安全」「車祈願所」と書かれた板が打ち付けられている。
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 妻沼聖天境内図。
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 熊谷市の有形文化財に指定されている中門。釘を一本も使わずに造られており、またこの境内で最も古い建造物であるのだそうだ。
 「四脚門」または「甚五郎門」と言う別名でも呼ばれているとのこと。
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 国登録有形文化財である仁王門。
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 狛犬。
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 左側の「妻沼聖天山ご案内」は歓喜院本坊前に設置されているものとほぼ同じ内容。
平成三十一年御開扉奉讃勧進趣意書
 斎藤別当実盛公は長井庄(現在は「妻沼十二郷」という)(合併前の妻沼全域。熊谷・行田・深谷の一部を含む広い地域)の総鎮守として治承三年(西暦一一七九年)に当山を開創されました。以来地域の守護神として、また速疾頓成・皆与願満足の神として江戸・上州をはじめ日本全国の歓喜天の信仰を集めています。平成三十一年は開創八百四十周年に当たります。平成八年に御開扉大法会を執行して以来、二十三年たちます。この間には、各位のご尽力を頂き、本殿の保存大修理が行われ、更には、国宝に指定されるという、大きな出来事がありました。仁王像や二天像の修復も完了し、加えて仁王像は熊谷市指定文化財に、また境内の九つの建物が国の登録文化財に指定されました。地域の皆様のご先祖様が営々として護持して来られたからです。ここにそれらの慶事を含めて、久しぶりの御開扉法会を執行いたしたく存じます。
 御開扉は常々はお厨子の中に祀りされているご本尊様にお願いしてお姿を拝させていただく行事です。ご本尊聖天様はご自身の御誓願により、普段は秘仏でお祀りせねばならないのです。御開扉申し上げる御本尊は建久八年(西暦一一九七年)奉鋳の国指定重要文化財です。
 御開扉大法会を執行するについては、会場の設営・境内の整備などご参詣者の皆様の受け入れのための事業をはじめ種々の経費が見込まれます。そこで妻沼聖天山十二郷の世話人様を中心に「平成三十一年御開扉浄願会」を組織し、協賛下さる会員を勧進募集しております。趣意お汲み取りの上、ご協賛賜りますようにお願い申し上げます。
 勧進の詳細は受付にお申し出下さい
   平成二十九年十一月吉日起音
          妻沼聖天山歓喜院

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 案内板脇の箱は俳句を詠んだ紙を入れる為の投句箱。
聖天山所蔵文化財
一、本殿(妻沼聖天堂)国指定重要文化財 建造物 昭和五十九年十二月二十八日
   源平合戦で名を馳せた斎藤別当実盛公が、治承三年(一一七九)古
  社を修造守本尊の大聖歓喜天を祀って聖天宮と称し長井庄の総鎮守と
  したのに始まり、幾多の変遷を経て宝暦十年(一七六〇)林兵庫正清
  ・正信の手により、二十五年の歳月をかけ現堂が完成した。本殿は奥
  殿、中殿、拝殿よりなる廟形式の権現造りで桃山建築美を伝える江戸
  中期の貴重な文化財である。昭和四十三年(一九六八)屋根替を終る。
二、錫杖 国指定重要文化財 工芸品 昭和二十五年八月二十九日
   実盛公の外甥宮道国平が公の孫実家・実幹と建久八年(一一九七)
  四月聖天堂の本尊として奉鋳寄進したもので、鐶内中央に大聖歓喜天
  の御正躰を配し柄部に建立氏人及び鋳匠紀年等の刻銘がある。
  高さ五一.八cm。重さ一二.五kg。
  大正三年四月国宝に指定、秘仏にして当地方の信仰の中心となる。
三、紵絲斗帳 埼玉県指定文化財 工芸品 昭和三十四年三月二十日
   中国明代の織物で忍城主成田長泰が、聖天堂の厨子に懸ける為に奉
  納したという。享保十六年(一七三一)八代将軍吉宗ご覧になり嘉賞。
  荻生徂徠編「度量衡考」に嘉靖の古物也(嘉靖は明の年号で、一五二
  二~六六)と紹介されている。
   布の墨書銘にこの織物を紵絲と呼び中国福建省の機戸袁宗太が織っ
  たと記されている。縦一四七cm、横一七〇cm。
四、鰐口 埼玉県指定文化財 工芸品 昭和三十二年三月一日
   直径三一cm銘帯に「武州福河庄聖天堂常住也大檀那當庄住人沙弥
  來阿」外帯に、「暦應二年」(一三三九)正月下旬の陰刻があり、
  南北朝時代に福河庄の存在を証する貴重な資料である。
 平成八年四月御開扉記念

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 仁王像。
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 仁王門西側。
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 大師堂。
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 石舞台。
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 拝殿。
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 拝殿の彫刻。
 しまった、海老虹梁を撮るのを忘れていた。
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 狛犬。
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 拝殿南側。
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 狛犬。
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 受付で拝観料を払って入場。
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 本殿南面の彫刻。
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 本殿西側の彫刻。
 修復作業中だった。
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 作業中の箇所は大きな写真が用意されていた。
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 本殿北側の彫刻。
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 天満宮。
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 五社大明神。
 諏訪大明神、灌頂大明神、井殿大明神、稲荷大明神、神明大明神の五社を祀っており、その前には明治三十四年三月に作られた聖天宮の石額が置かれている。
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 五社大明神脇の石祠。稲荷社だろうか。
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 三宝荒神社。こちらも国登録有形文化財である。
 後ろの石碑には「御本殿 聖天堂 屋根替記念 南無大聖歓喜雙身天王 高野山真言宗管長 総本山金剛峯寺座主 大僧正 堀田真快 謹書 于時年八十有一」と刻まれている。
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 赤子稲荷神社。
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 赤子稲荷神社前の参道脇に建てられた筆塚と血道之碑。
欣然菴瘞筆銘并叙
   江都一齋佐藤坦為文 米葊河三𠅆書并題額
武藏旛羅郡西城村有一農曰良隆字伯彛森田氏菴號欣然
性好臨池伎甞受法於河米葊冣以行草檀長為人敦篤爾雅
耕耨餘暇則覃思筆札古今真蹟法帖靡不臨撫時又遊戯詞
藻迨近載委産於子弟専従其所好毎興到輙先舉一太白随
即揮毫數十幀墨乾筆渇尚不肯休或値蟾葩佳辰亦手停一
觴托之諷咏趣瀟灑也既而遠近稍稍聞其名持䌭紙来丐者
踵接於戸不圖天嗇其齡以天保八年之夏故盖五十七歳矣
門人追慕不己胥謀将鳩其■生所用大小退筆數百枚瘞之
於妻沼村歡喜天秪林内菅公祠之側土毛人𦍒恒氏索碑文
於余乃叙梗槩係之以銘曰
屋鳥不驅棠樹不伐思慕其人愛及其物毫秃管敗今有何靈
既重伊人物亦匪輕瘞之靈壌樹䂖鎸銘物靡不朽不朽社名
  天保八年龍集丁酉季秋下澣一日    廣屋鶴鎸
 ■部分は「スの下に十」のような形をしている。なんの異体字なのだろう。
血衜之碑
  毎歳春穐祭毉聖張仲景于家塾今茲
  戊寅之秌清酌餘醺不覺哦私言名曰
  家言吟   大濱恭有玄道父撰
文政元年仲䆋望毉聖祭前吟家言傷寒非外■
今古一家言□□□□病乎将不病為是一家言
□□□□血靈而氣憑為是一家言□□□□宛
生惟血道亦是一家言□□□□此昰四家言歸
豦在一言□□□此言宇宙何茫茫共和元𠦚肇
立言尓来刻若十八年日就事實試此言俯仰観
察小天地建之質之庄此言茫茫宇宙不自量若
昰幾其㑅家言
  右予有所激而作秘不以人二三双人偸計而刻之
  石題曰血道碑公然以建通區益謂将欲令玄道立
  其志云于時文政十一年夏五月也恭有病在于沐
  悚然不得巳再記 𨐌■冬 南無佛葊謹書  窪世祥刻
 一つ目の□□□□には
  自呼吸入于心肺走
  于血道或表■■
 二つ目の□□□□には
  人身之靈有備格柜
  擠排作是百殿之痣
 三つ目の□□□□には
  太陽之靈充于血中
  所以天地之氣憑爲
 四つ目の□□□□には
  血離則靈不獨立靈
  離則血不獨立
 五つ目の□□□には
  人身一軀莫不
  生成于血道者
が入る。■部分は読み取れなかったりIMEパッドで入力しても出て来ない文字。
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 参道脇に昭和二年三月十二日造立の馬頭観世音石塔。
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 聖泉湧出碑。
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 夫婦の木と鐘楼。
夫婦の木
 この樹木は「欅」「榎」各々が互に寄り添い、絡み合い、助け合い、力強く古今を生きる神秘な縁結びのご神木です。
 お祈りしてご利益をいただいて下さい。

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 奥へ進むと軍荼利の瀧。
 A型バリケードに「これより先、マムシが出る可能性がありますので立入り禁止 聖天山」との注意書きが括り付けられているので瀧の方へは行かなかったのだが、しかし今の時期ならマムシの活動時期ではないのだから大丈夫だったかも知れない。
 写真の暗部を持ち上げてみたら軍荼利明王が写っていたので切り出してみたり。
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 軍荼利の瀧を対岸から。
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 なんだろう? 持ち物を見ると制多迦童子のようにも思えるが、不動堂とかは無いしなぁ。軍荼利の瀧の方を向いているし、軍荼利明王の眷属的なものなのだろうか。
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 弁天社。
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 平和の塔。
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 南口。ここから150m程南下すると歓喜院本坊。
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 鬼だかおっさんだかよくわからないものが石燈籠に抱き着いている。

 以上で2018年12月21日参拝分終了。
 使用機材はX-T100にXC15-45mmとXC50-230mm。X30。
 それにしても、このエントリーを書くのにまさか三日もかかるとは思わなかった。
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