天満宮(小俣町)

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 鶏足寺の東側に鎮座する天満宮(足利市小俣町2764)。
『天満宮
主祭神 菅原道真命
例 祭 四月二五日(現行は四月第四土曜日)
由 緒 創立年・由緒などは不詳。安政二(一八五五)年九月八日に類焼し、その後本社
   を再建した。昭和二六年、本殿雨覆・幣殿・拝殿を新築し、同年一〇月二五日に遷
   座祭を行なった』
(「栃木県神社誌」より抜粋)
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 参道。
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 拝殿。
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 末社。
 社名等は記されていない為、何神社なのかは不明。
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 末社。
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 以上で1月14日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA16-85mm、DA FISH-EYE 10-17mm、50-150mm II。X30。
 ウォーキングカウンターは7,896歩。
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鶏足寺(小俣町)

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 真言宗豊山派仏手山金剛王院鶏足寺(足利市小俣町2748)。
 参道入口の石柱には「別格本山 鶏足密寺」とある。
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 山門。
 駐車場は寺の東西に二箇所あるが、山門前にある城山町自治会館の駐車場に停めさせてもらった。
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『仏手山金剛王院鶏足寺
 當山は、開創一千二百年に及ぶ大本山で釈迦如来を本尊とし、また五大尊(不動明王など)の寺院として天慶(九四〇)以来著名である。
 はじめ天台・真言兼帯の寺院であったが、文永六年(一二六九)下野薬師寺の長老・慈猛上人を迎え、真言宗慈猛流全國総本寺となり、末流はその数三千といわれ、遠く四國の善通寺までその教線は及んだ。
 天皇祈願寺として、又、修行道場の基盤を古くからととのえ密教文化の聖地として栄えていたが、天文二十二年(一五五三)上杉謙信関東鎮定の折り兵火にかかり勅使門を除く堂舎はみな焼失する。江戸期再建され、やゝ旧観に復したが十分の一程度の規模に縮小されたのは惜しまれる。
 現在、不動尊の霊験弘布をめざし正五九の各月参拝者で賑わいをみせている』
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 参道。
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 勅使門。
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『足利市重要文化財(建造物) 鶏足寺勅使門 一棟
 紅梁蟇股で棟を支え、各柱上は出三斗の組物で桁を受けている。控柱(方柱)の面取りは少なく、軒廻りは二重疎垂木で、板蟇股の曲線も複雑で、その他細部に後補の分が多い。修理によって屋根の柿葺が銅板で覆われているが、正和年間(一三一二~一三一六)の築造という寺伝のとおり鎌倉時代末期の面影を残している古建築である。
  昭和四十五年三月二日指定』
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 本堂。
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 別角度から。
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『仏手山金剛王院鶏足寺
 大同四年(八〇九)東大寺の定恵上人が世尊寺という寺を建てたのが鶏足寺の始まりです。その後、比叡山の円仁上人(慈覚大師)により寺域が拡大・整備されました。
 天慶二年、平将門の乱平定に際し、常裕法印は、秀郷の請いをうけ将門調伏の修法を行いました。功により秀郷は将門を倒し、寺も鶏足寺と改められ、寺領をふやし、寺の基礎を不動のものとしました。
 鎌倉時代文永年間、下野薬師寺の慈猛上人をむかえ真言宗にかわり、慈猛流の全国総本山として山内に二十四院・四十八僧房をもち全国に三千十余の末寺があったと伝えられています。室町時代天文年間、兵火にかかり寺の堂宇は焼失し、古くからの什宝も多く失われました。今に伝わる次のような文化財に寺の盛時をしのぶことができます。
  ○ 重要文化財
   銅印   (平安時代)
   太刀銘力王(室町時代)
   梵鐘   (鎌倉時代)
  ○ 県指定文化財
   両界曼荼羅図
   絹本著色 五大明王像
  ○ 市指定文化財
   銅造 釈迦牟尼仏坐像、紋織物(山藤の錦)
   鶏足寺勅使門
 その他未指定の不動明王坐像、五大尊像、などの仏像、鶏足寺文書、梵鐘、仏画、陶磁器など多数あります。
  昭和六十二年四月』
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 布袋尊。
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 不動尊堂。
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 唐破風に施された彫刻。
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 斜めから。
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 閻魔天堂。
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 延命観音。
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 七福神。
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 猿田彦大明神と不動明王。
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 サルスベリの木。
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『足利市重要文化財(天然記念物)鶏足寺のサルスベリ 四本
 それぞれの目通りの太さ(胸囲幹囲)は一m以上あり、高さはいずれも八mを超える。花は紅色で七月から九月下旬ないし十月初旬まで咲いている。太さに多少の差はあるが、配置から見て同時期に植えられたと考えられる。寺の記録には残されていないが、樹齢は二〇〇~三〇〇年のものと推定される。
 サルスベリは中国南部原産の樹木で、寺院等に多く植えられている。別名百日紅といわれるように花期が長く、およそ三ヶ月にわたって花を咲かせる。
 市内では他にも寺社や公園等によく植えられているが、これほど太いものがそろって健在しているのは珍しい、また、太さが一mを超えるものは今のところ見当たらない。四本ともそろって大切に保管されたいものである。
  平成十四年十一月十四日指定』
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 赤門。
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 城山町自治会館の南側にある五大明王像を安置した蔵……で、いいのかな。
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「足利市指定重要文化財 五大尊付不動明王頭部」と書かれた案内板が設置されているのだが、本文は判読できないほどに薄くなっており詳細は不明。
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 宝篋印塔。
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 庚申塔。
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 タブノキ。
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『足利市重要文化財(天然記念物)五尊教会のタブノキ 一本
 目通りの太さ(胸囲幹囲)二・五m、高さ約十五m。枝は東西に十四m、南北に十六m張り出している。新芽と花梗は赤色を帯びる。花は五月に咲き、果実は八月頃紫黒色に熟す。
 タブノキは元来暖地海岸生のものであるが、関東地方の内陸部にも点在する。県内では太平町の太平山に、群馬県では館林市や板倉町、千代田町でその存在が確認される。
 この木が自然に根付いたものなのか、人為的に植えられたものかは不明であるが、この地が山裾で冬の北西風から守られ、適度な水温にも恵まれていることから、古い時代に分布したものの子孫が生き残った可能性も考えられる。市内の両崖山頂のホソバタブとともに希少なもので、樹齢は二〇〇年を超えるものと思われるが、樹勢もよく大切に保存されたいものである。
  平成十四年十一月十四日指定』

石尊宮(小俣町)

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 石尊山に鎮座する石尊宮(足利市小俣町)へ向かう為、まずは登山口へ。
 入口傍の道端には崩れた石祠がコンクリートブロックでそれっぽく整えられており、額部分にはうっすらと「山神」らしき文字が見える。
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 義倉跡の案内板。
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 石燈籠。
 奥の石柱には「石尊山不動尊」と刻まれている。この先に駐車場があり、六~七台くらいは置けるスペースがある。
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 水垢離場。小さな川から水が流れ込むようになっており、角には石造の龍頭と不動明王がある。
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『足利市重要文化財(民俗文化財) 小俣石尊山の梵天祭り
 この行事は、標高四八六メートルの石尊山に地元叶花の住民が、毎年八月十四日の早暁、梵箭と約十五メートルの杉丸太を下の沢から一気に直線的に担ぎ上げ、それぞれを結び付け組み立てて、日の出とともに山頂にうち立てる。山頂では予め炊いて担ぎ上げておいた赤飯と御酒が配られる。近在から老若男女が登拝してくる。やがてこの杉丸太の頂上に付けた梵天を若者が登り競って名板、帝釈天、幣串を抜き取り、それぞれ家内安全、商売繁昌、五穀豊穣を願って家に持ち帰り飾るという祭りである。
 昭和五十七年四月二十一日指定』
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 自然環境保全区域案内板。
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 石尊山不動尊
 石段脇の丁目石には「三丁」の文字が見える。
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 不動堂から奥へ向かうと登山道になっているが、道は整備されていてとても登り易い。
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 八丁目の丁目石と不動明王。
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 女人禁制と刻まれた石柱と十三丁目の丁目石。
 ここまでは楽なのだ。が、少し先からは傾斜が強くなり、また途中から岩山へとなる為少々足場も悪くなる。とは言え、まぁそれほどきついわけでもない。
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 奥の方に石尊山の頂が見えてくる。この辺りは周囲の木々が少ない為、風を遮るものが無くて寒い。岩場になるまでは少し暑いくらいだったのに、一転して寒い。
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 南に目を向けると採石場が見える。その向こうの山は彦谷湯殿山だろうか。
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「山の神様がむこうの尾根にいる」
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 釈迦岩。
 お釈迦様と言うよりも観音様のように見えるのだが、別の方角からならお釈迦様に見えるのだろうか。
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 見晴らしはとても良いのだが、やっぱり寒い……。
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 少し登ると石尊宮。
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 拝殿の前はすぐ崖になっている。
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 東側から。
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 石尊宮の扁額の両脇には小天狗と大天狗の面が設置されている。
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 崩れた石祠。

 この後は隣の深高山まで行き、山頂の石祠にお参りする予定だったのだが、雪が降ってきたので撤退。しかし下りている途中で雪は止み晴れ間も出てきた。ガッデム。
 まぁ、また後で登ることにしよう。寒くない時期に。

織姫神社(西宮町)

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 この日最後にお参りしたのは織姫神社(足利市西宮町3889)。まぁ、スタート地点が織姫公園駐車場だったからなんだけど。
 織姫神社の過去ログはこちらから
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 歩道橋の上から。
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 七日ともなれば参拝者は少ないだろうと思っていたのだが、結構いた。
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 前回の時はまだ建設途中で、なんだっけこれとか言っていたのは「愛の鐘」となっていた。鳴らしたい人は社務所に申し出てくださいとのことだが、うーん、神社にはいまいちそぐわない物のような気がする。まぁ神前式には良いイベントになりそうではあるが。
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 あまり落ち着けなさそうなテーブルと椅子。

 以上で1月7日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA16-85mm。X30。
 ウォーキングカウンターは15,580歩。大して歩いてないな。

不明(通三丁目)

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 通三丁目児童公園の端に鎮座する小祠(足利市通三丁目)。
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 背面に宝珠型の穴があるのでおそらく稲荷社だろうとは思うのだが、社名を記したものが見当たらないので確証は無い。
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 公園端の螺旋階段を上るとすぐ前に「渡良瀬橋」の歌碑がある。
 ……どういう曲だっけ。YouTubeで聞いてみるかな。

日限稲荷(今福町)

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 今一会館の南側に鎮座する日限稲荷(足利市今福町704-3)。
 鳥居の柱には「明治四十四年三月之立願」と刻まれている。参道脇の石碑は石鳥居寄附連名碑と石段奉納金碑。
 こちらに来るのは八年半ぶりくらいか。前回よりも周囲がすっきりとしており、今回は参拝できるかなと思ったのだが……
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 えーっと、どこ、かな? 地図を見る限りではここから左手側へと続いているはずなのだが、前回同様にどこへ入って行けばいいのかわからない。おそらくここから登って行けばいいのだろうとは思うのだが、先程下りて来たばかりでまた登るのかと思ったらどうにも面倒臭くなり、しばし考えてからまた後でいいかと先送りすることに決定。
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 日限稲荷の鳥居から東へ120m程の位置にある平和の塔なるオブジェ。
 自分が生まれるよりも前からあったようだが、このような物があるなんて初めて気付いたわ。

子安辨財天(西宮町)

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 日蓮宗本経寺の隣に鎮座する子安辨財天(足利市西宮町3833)。
 鳥居の柱には「昭和七年六月吉辰」と刻まれている。
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 辨財天堂。
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 稲荷社。
 鳥居の柱には「大正十二年十二月吉日」とある。
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山神社(大岩町)

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 両崖山から天狗山へ向かって歩き始めて2分程でこちらの標識へ。天狗山の先にかわら山、須永山、観音山の名が記されているが、そちらまで行くつもりは毛頭無い。
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 天狗山まで0.7kmの標識。逆方向に行くと紫山に向かうことになるようだ。
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 左奥に見える禿山が天狗山。ここから山頂まではおよそ二十数分と言ったところか。
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 先程の標識から10分程歩くとこちら。ここまでわりと緩やかな道が続いていたので楽勝楽勝と思っていたのだが、この先の直登ルートと巻道ルートの分岐点からちょっとしんどくなる。
 遠回りとは言え巻道の方が楽だろうと思いそちらの方を選んだのだが、いやはやこちらも山歩きに慣れていない身としては地味にしんどい。途中小休止も取ったのだが、足場が狭くあまり落ち着けないので、これは一気に登ってしまった方がマシ。直登ルートとの合流点で息を整え、後もう少し! ……と思ったら岩場キター○刀乙
 ここまでは歩くだけで来られたのだが、最後の岩場はトラロープを使って身体を引き上げたり岩をよじ登ったりと、これ帰りはここを下らなきゃならないんだよなと考えて軽く後悔したりもしつつ、なんとか山頂に到着。でも下りの時は足元に気をつけていればそれほど苦も無かったり。ちなみに、どこの学生なのかは知らないが野球部員らしき集団が直登ルートを登っていた。
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 山神社。
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 近くのテーブルに置かれた「天狗山と山神社」と言うパウチ加工された案内書きに、「文政十年(一八二八)に足利本町、新上町、栗竒、五十部村、大岩村の主な人々により建立された」と記されている。
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 遠くに浅間山が見える。
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 かわら山方面には向かわず、両崖山方面へと戻る途中に本経寺への標識があるので、これに従って天狗谷を下るルートへ。次の目的地である子安辨財天は本経寺の隣にあるので、このルートが一番早い。まぁ、この道も細いわそこそこ傾斜があるわ積もった枯葉で滑り易いわと少し不安になったものの、少し下れば広い道に出るのであとは気楽に。途中でガサガサと音がするのでそちらに目を向けると、二頭の猪が逃げて行くところだった。そこそこ距離が離れていたので、「おー、猪だ。本当にいるんだなー」とかのんびり考えていられたけれど、すぐ近くに出られていたらテンパってたかも知れない。
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木曽御嶽神社(本城一丁目)

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 織姫神社の北に聳える両崖山。その頂に鎮座する御嶽神社を目指して出発。標識によればここから1.3km。
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『両崖山城跡
○前期古城
 平安時代、天喜2年(1054)藤原秀郷の子孫、伊勢崎淵名城主藤原成行が足利に入部、両崖山に築城したと伝えられます。以来、130年間足利地方を治めました。
 丁度その頃、奥州に乱が起こり、天喜4年、源頼義、義家父子が平定に出発しました。源氏の軍勢は、足利浅間山の南麓を中継基地としました。これがもととなり、源姓足利氏が発生したのです。
 藤原成行の足利進出は、この源氏の面倒を見るためだったとも考えられるかも知れません。
 治承4年(1180)源平合戦が始まると、源姓足利氏の棟梁源義兼は挙兵、頼朝の側近として活躍しました。義兼は頼朝と同じ八幡太郎義家4代の後裔で、母方の従兄弟でした。
 両崖山の藤姓足利氏は立場上、時の政権の平氏の従っていました。源平合戦の時、両崖山城主藤原俊綱の嫡男、足利又太郎忠綱は、京警護のため、平家の軍中におりました。源三位源頼政の軍勢と平家の軍勢が宇治川で合戦となりました。この時、足利忠綱は17歳でしたが、藤原足利氏を率いて宇治川を渡る一番乗りの功名を立てました。この様子は[平家物語]に橋合戦として詳しく書かれて、世に広く知らせています。両崖山の藤姓足利氏は、中立を守ろうとしましたが許されず、治承5年9月、三浦義茂率いる源氏の軍勢が渡良瀬川まで押し寄せてきました。総攻撃の前日、城主藤原俊綱(60歳)の首が源氏の本陣に届けられ、攻撃は中止されました。[吾妻鏡]には、家来の桐生六郎に謀殺されたと書かれています。しかし城主俊綱が自分の首一つで戦いを回避したとも考えられます。藤姓足利氏は消滅し、足利地方は源姓足利氏に統一され治められました。
○後期古城
 戦国時代、足利は古河の公方軍と上野の上杉軍の戦場となりました。
 文正元年(1466)上杉方の武将、長尾景人が代官として足利に入部、岩井山に勧農城を築きました。足利長尾三代政長が両崖山城に移り、再建しました。
 両崖山で戦いが行われたことはありませんでしたが、堅固な城砦として両毛地方に睨みを効かしました。戦国末期、関東は小田原北条氏の支配下となり、北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされると、足利長尾氏も滅亡しました』
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 少し登るとすぐに展望広場。
 ここまで来たことは何度かあるのだが、これより先に進むのは今回が初めて。足利で生まれ育って何十年と経つのになんだかなぁと言う気がしないでもない。
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 道はごつごつとした石が多く起伏もそれなりにあるがわりと歩き易い。この日は天気が良く風も無い為、寒さを感じずにいられたのも気楽に歩けた理由の一つかも。
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 両崖山山頂の標識と注連柱が見えてきたら、山頂まではあとほんの少し。
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 参道入口。
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 石祠が並んでいるが、何を祀っているのかは不明。左奥の石祠には「霊神」と刻まれていたので、御嶽教かなにかの中の偉い人が祀られているのかも。山頂の石碑には神習教の文字があったから、そちらかな?
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 一の鳥居。
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 両脇にずらりと並ぶ石祠群。こちらにも○○霊神と刻まれたものがある。
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 権大教正信重霊神。
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 石段の脇に案内板と尾曳稲荷社。
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 斜めから。
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 尾曳稲荷社の由緒を記した石碑と、その奥に正一位大比喜稲荷。
『稲荷の由来
茲に鎮座する社は正一位尾曳稲荷大明神と稱し霊験あらたかな稲荷です 本社は上州館林尾曳城の本丸にあり古来よりすべての願事も叶へられ一家を守護すると傳へられています 明治廿五年父石井清吉は紋織ジャカード機械の製作に頭を悩まし心身共に進退極まった時 尾曳様の話を聞き三七、二十一日の願をかけました 一夜靈夢を見ると身体も直り機械も完成をしました 感激した父は御宮を自ら作り特に尾曳様より分社し仲間斎藤栄吉他五名と語らい同廿七年春浜野先達に先導して貰い苦心難行して此山上に奉納したものです 此の度各所修理し幔幕を奉納し後日の為石碑を作りました
  昭和五十一年四月一日』
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『足利市重要文化財(史跡) 足利城跡
 足利城は、足利成行が天喜二年(一〇五四)に築城し五代一二〇年間使われ、その後、室町時代に至り足利長尾氏三代目の景長が修築したが、天正十八年(一五九〇)に北条氏に味方した六代目顕長の没落とともに廃城となった。
 城は山頂部の本丸跡、三方の尾根に作られた段郭と掘切等からなっている』
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 二の鳥居。
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 案内板と石碑。
 石碑には「勧請百五十年記念碑 両崖山 木曽御嶽神社 平成六年四月吉日 足利神習教丸信支教会」と刻まれている。
 平成六年は1994年だから、そこから150年遡ると1844年となるので天保十五年に勧請されたことになるのかな。栃木県神社誌にはこちらの神社の記述が見当たらないので、詳細はわからない。
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 山頂に並ぶ神社。
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 中央には御嶽神社。
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 左側には月讀命 三日月神社、日本武尊、日野大神。
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 右側には大黒天と天満宮。
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 社殿側から見た二の鳥居。
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 天狗山の山頂には山神社があるとのことなので、次はそちらへ。
 両崖山頂からハイキングコースを北へ向かうと白鬚神社があるそうなのだが、それはまぁまた後でお参りすることにしよう。
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織姫神社2015年春季例大祭

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 織姫神社の春季例大祭に行って来たのよさ。
 過去ログを見ると、2010年11月の秋季例大祭以来四年半ぶり。春季例大祭では2007年5月以来だから八年ぶりか。
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 到着した時には10時を少し回っていたので、既に御神楽が始まっていた。
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 神主さんやお偉いさん達が並んで撮影。
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 2010年の秋季例大祭で設置された厄祓い太鼓はすっかり黒くなっていた。そしてそれとは反対側に何やら新たに建設中。側面には昭和十三年五月十五日とあるが、はてさて、何を作っていると言っていたっけかな。
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 藤棚。
 案内板には、あしかがフラワーパークから奉納された大藤の子と書かれていた。
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 県道40号線を挟んで鳥居の向かい側ではひめたまのイベントを行っていたが、態々道を渡るのも面倒なのでパス。

飯有神社 初午(福居町)

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 三年半程前に参拝した飯有神社(福居町1237-1)で先日の日曜日(2月19日)に初午があると聞き、ちょっと足を運んでみた。
 前回のエントリーでこちらは主祭神に伊弉諾尊と伊弉冉尊、配祀神に五十猛命と大雷命と書いたが、稲荷系にしては御祭神が珍しいし、稲荷系ではないとしたらいかにも稲荷の転訛っぽい社名だしと以前から気になっていたので、なにか知っている人がいるのではないかと思ったのだが、幸いにも役員の中に地元の歴史研究会に参加しておられる方がいらしたので、その方から神社の沿革を記したコピーをいただくことができた。

『飯有神社の沿革
 大宝律令、養老律令が作られ、地方の統治組織が出来、梁田郡衙(郡司の庁)が置かれたと見られる字 大宮上に、郡衙の守護神として奉祀されたと考えられる。
 祭神は伊邪那岐命・伊邪那美命が祭られ、創立は天平九年(737)七月二日と考えられる。
 土地区画整理のため、明治三十八年(1905)二月十一日、諏訪神社の境内(現在位置)に移転された。
 享保十二年(1727)正一位の神位を授けられた。
 神道裁許状 左の如し
 下野国梁田郡中里村正一位飯有大明ノ神子丹後恒ノ神事神楽等勤仕之時着舞衣者
 神道裁許之状如件
           享保十二丁未年十一月十一日 神祇管領長上従二位卜部朝臣』

 んー、創建時期は判ったけれど、元々こちらにあった諏訪神社はどこへ行ってしまったのだろう? 主祭神はおろか配祀神としても建御名方命の名が出て来ないのはどういうことだろうか。おそらく境内社のいずれかが諏訪神社なのであろうが…。そしてやっぱり稲荷っぽい名前の理由もわからないままだ。

八坂神社(野田町)

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 野田下自治会館に隣接した八坂神社。
 薬師如来堂と八坂神社の額が並んで掛けられており、また鈴ではなく鰐口や青銅の鐘が下がっていることから見て、仏教色が強いようだ。

 以上で12月17日参拝分終了。
 使用機材はK-7にDA18-55mm WR。ひさびさの自転車移動に加えて風がやや強かったせいか、この日は筋肉痛が凄かった…○刀乙

塔ノ木稲荷神社(久保田町)

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 田辺三菱製薬工場の南側、国道50号足利バイパスに架かる吉次塚歩道橋そばに塔ノ木稲荷古墳があり、その墳頂に稲荷神社が鎮座している。
 三年ほど前のエントリーで、田辺三菱製薬工場の北側にある浅間神社古墳周辺を延々探しても塔ノ木稲荷古墳を見つけられなかったと書いたが…そうか、南側かぁ○刀乙
 実はここを見つけられたのは、数日前にたまたま50号バイパスを走っていた時に、塔ノ木稲荷古墳を見つけられなかったことを思い出し、まさか南側にあったりするんじゃないだろうなと思って振り向いたら……あったー!? 車で移動していた時なので、目を向けるのが早くても遅くても見落としていたであろうバッチリなタイミングではあるのだが、なんともマヌケな話だ。
 ちなみに、写真右端に見える建物が田辺三菱製薬工場。
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 稲荷神社。
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 その横に、大正六年三月に建てられた忠勇碑。

天神社(高松町)

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 癪除八幡宮前から西へ向かい、観音寺西側の十字路を北へ向かうと高松天神山古墳があり、その墳頂に天神社が鎮座している。
 石段があるが、小さい上に傾いているので足元注意。
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 墳頂には拝殿の他には小さな水盤があるのみ。
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 額には「菅神廟」とあり、その横に「安政三年丙辰春三月之吉 藤原和弌謹篆」と記されている。1856年に奉納されたものであるようだ。

七社権現(高松町)

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 日向交差点から県道148号線を北上し、矢場川に架かる八幡橋を渡ってすぐ左に下りて行くと、民家の横の畑の中に七社権現が鎮座している。
 こちらは以前、癪除八幡宮のエントリーでWristletさんから教えて頂いた社で、素盞鳴尊の東征に付き従いこの地で命を落とした七人の従者を祀ったものであるのだそうだ。また、この七人の剣と素盞鳴尊の剣を合わせた八振りの剣を祀ったものが癪除八幡宮の境内社でもある八剣神社であるそうだ。
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 前からだと低木でよく見えないので斜めから。
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子育観音堂(羽刈町)

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 国道122号線と県道20号線の交差する中野向地交差点から北へ向かうと、羽刈工業団地の西にある西原集会所裏に羽刈観音山古墳があり、その墳頂に観音堂が鎮座している。
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 子育観音と書かれた額が掛けられている。
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 青面金剛。
 享保十五庚戌天十一月吉日とあるので1730年のものだろう。

稲荷神社(藤本町)

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 栃木・群馬県道38号線を北上して行くと、矢場川に差し掛かる手前に稲荷神社が鎮座している。
 社号を記したものも無く、鳥居も神明鳥居だったりするのだが、二年程前のWristletさんのブログにこちらは稲荷神社であると記されていた。

 以上で9月18日参拝分終了。
 現在ロードスターが入院中(修理工場の人曰く、電気系か吸気系のどちらか)なので久しぶりに自転車でうろついてみたのだが、脹脛に筋肉痛が…。
 今回の使用機材はK-7にDA18-55mm WR、DA35mm Macro、50-150mm II。

織姫神社秋季例祭2010

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 織姫神社の秋季例祭に行って来たのですだ。
 9時30分開始と言うことなので、10時くらいに到着すれば丁度良いだろうと高をくくっていたら、既に満車なので旧西小学校に停めてくれと言われた。おぅ、今年は人出が多いのか。
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 あれ、こんな手摺り付いてたっけ? と思ったら、最近取り付けられたばかりであるそうだ。
 ひめたまのポスターも見受けられるが、結局ひめたま公式サイトは今日になっても例祭については一言も言及無し。尤も、その割にはいかにもヲタと思われる方々の姿もちらほらと見えたりはしていたのだが。
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 天狗の舞、だったかな。まさか初っ端からお神楽だったとは…。もっと早く動き出しておけば良かったか。
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 今日は富士山が見えますよ、と言われたので見てみれば、成程それらしいものがうっすらと見えている。
 余談だが、今回初めてK-7のダストリムーバルIIでも落ちないゴミが発生。F5.6程度でも写り込んでしまうので割りと大きいゴミなんだろうなと思い、帰宅後にミラーアップしてみたら、肉眼でも見えるサイズのゴミが付着していた。O-ICK1を使えば簡単に取れたけど。
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 10時半からは織姫駐車場入口案内石碑の除幕式。
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 駐車場側にも社号標石が設置されましたとさ。
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 議員さんやらお偉いさんやらが揃って撮影。
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 厄叩き太鼓の除幕式。
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 朽ちた御神木を使った太鼓で、上を三回下を三回叩くことで厄祓いが出来る…らしい。自分は叩いていないけど。
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 奉納演奏一番目はこども八木節。
 ここで天神乱漫のOPを思い出してしまうあたり、自分、ダメかもしれん。
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 二番目は南高吹奏楽部の演奏、そして三番目にビンエ・カンと言う方々によるアフリカ太鼓の演奏。
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 最後は再びお神楽。演目は「翁の舞」と「ひょっとこの大掃除」
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 ふと絵馬掛けを見ると…おゥ。
 ちなみに名前の書かれていた部分はスタンプツールで消し消し。
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 ひめたま絵馬も社務所で売られていたので、厄除けのお守りと一緒に、来られなかった友人への土産に一枚購入。

樺崎八幡宮(樺崎町)

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 久しぶりに樺崎八幡宮など。前に参拝したのが2008年の11月23日なので、1年8ヶ月ぶりか。前回参拝した時は神橋の脇に民家があったのだが、今は無くなっている。
 なんでいきなり樺崎八幡宮かと言うと、Sphereと言うエロゲメーカーの製品である「ヨスガノソラ」に登場する叉依姫神社のモデルがこちらの樺崎八幡宮であると言うのだ。最初の公式壁紙を見たときは似ているとは思ったものの、まさか本当にそうだとは思いもしなかった。ちなみにそのことが書かれているのは、2010年5月28日分のSphereスタッフページなので、情報遅れもいいところだ。
 ついでに言うと、自分はヨスガノソラは未プレイだったりする。あ、いや、体験版だけはやったな。
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 樺崎寺跡復元予定図。
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 二の鳥居。
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『樺崎八幡宮
 足利義兼は、晩年鑁阿と号し建久年間生母菩提のため、理真上人を開山として法界寺を創建しました。法界寺は鑁阿寺を壇上とした奥の院で、義兼もここに住み念仏三昧し、正治元年に当地で入寂しました。樺崎八幡宮は、義兼の入定後、子の義氏によって八幡神を合祀したことに由来します。法界寺は、明治以降廃寺となりましたが、この地は樺崎八幡宮を含めて、足利源氏関係の遺跡として極めて貴重なものです』
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『樺崎八幡宮本殿
 桁行二間 梁間二間 両側面は高欄付縁張
 銅板葺  江戸時代
 樺崎八幡宮は、正治元年(1199)、足利義兼の入定の地に八幡神を勧請し、義兼の霊を合祀したことに由来する。
 本殿は、天和年間(1681~1684)の再建といわれ、昭和六十三年度・平成元年度の保存修理で、本来の造りであった隅木入春日造(軒唐破風)に復元した。
 この建物は、意匠上においても種々の面で卓抜したものがあり、歴史的由来とあわせて価値の高い建造物である。
 (昭和六十一年九月二十四日 足利市指定)

 足利義兼は、奥州藤原氏征伐の後、建久年間(1190~1199)、この地に下御堂(法界寺)を創建した。義兼は正治元年、当地にて入寂、その子義氏は、法界寺の緒堂宇を整備するとともに八幡神を勧請した。
 足利将軍家の衰退とともに法界寺もその庇護するところを失い、現在は樺崎八幡宮を残すのみである』
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『樺崎八幡宮について
 祭神 誉田別命 源義兼
 祭日 4月19日(春祭) 10月19日(例祭)
 1月1日(歳旦祭) 12月31日(大祓)
 由緒沿革
 鎌倉時代の建久年間(1190~1198)に足利義兼が鑁阿寺を創建し、理真上人にこの地を寄進して、法界寺(下御堂)を建立した。義兼自身も晩年はここに住み、正治元年(1199)に死去した。その子義氏は、ここに鑁阿寺の奥の院として赤御堂を建てた。これは義兼公の廟墓で、御影堂でもある。さらに八幡神をも祀った。
 八幡宮社殿は八幡山の中腹にあり、本殿床下には「足利義兼公御廟」の墓標が立てられている』
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 石段を上った先に拝殿がある。
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 拝殿。
 拝殿の中や本殿に関しては前回参照。ちなみに、叉依姫神社とは違って社殿裏に坂道は無い。が、裏山の中には琴平神社が鎮座しているのだそうだ。
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 拝殿の脇にひっそりと鎮座する厳島神社。
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 社殿北側に神楽殿。
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『北の郷物語 その六十話 樺崎八幡宮と大々神楽
 樺崎八幡宮は、康平六年(1063)、源義家の勧請と伝えられ、樺崎寺で生入定した源姓足利氏二代義兼が合祀されて以来同氏歴代の廟所となり、鑁阿寺の奥の院に位置付けられました。明治時代の神仏分離で樺崎八幡宮として存続が図られ、その後神社政策により合祀した赤坂宮内の示現神社の神楽殿を移築して伊勢からもたらされたと言う大々神楽十六座を氏子が奉納しました。昭和五十六年(1981)、神楽保存会が発足、平成三年(1991)に神楽殿を一新しています。
 大々神楽十六座
01 太平の舞  02 導きの舞  03 児屋根の舞
04 岩戸の舞  05 八幡の舞  06 恵比須の舞・火男の舞
07 大国の舞  08 鹿島の舞  09 住吉の舞
10 金山の舞  11 稲荷の舞・白狐の舞 12 水神の舞
13 山神の舞  14 織姫の舞  15 榊掘の舞
16 大蛇退治の舞』
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 坂道側から。ヨスガノソラのイメージボードっぽいのを狙ってみたが、画角がちと足りなかったようだ。
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 坂を下って行くと菅公廟。
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『北の郷物語 その百二十話 樺崎菅公廟と飛梅
 菅公こと菅原道真は、荒魂の雷神格の一方、和魂の文神格も勧請されました。明治十四年(1881)に地元有志が第十四区樺崎小学校に天神講の祠廟、菅公廟を建立、合併で北郷第三尋常小学校に移り、変遷を経て昭和三十八年(1963)、足利市立大月小学校に改称、移転した際、裏山に放置されました。平成十八年(2006)、住民の尽力で天神信仰を重んじた源氏の氏神社の樺崎八幡宮境内に遷座し、菅公を慕い京から大宰府に飛来した梅花の飛梅伝説に因み献梅されました』
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 境内に戻り、今度は社殿南側から。
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『多宝塔跡
 発掘調査では5.7×5.7mの大きさの礎石建物跡が確認され、14世紀には瓦葺きの建物に改修されていることがわかりました。樺崎寺の多宝塔は、1226年に4代住持になった熱田弁僧都重弘により、その父の供養のため建立されたとされています』
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 多宝塔跡。
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『供養等覆屋跡
 山の斜面の岩盤を削りだし、平らにしたところに3×3mの大きさの礎石建物が建てられていました。お堂の中には義兼の子、義氏の供養塔である五輪塔が置かれていたと伝えられています。
 樺崎八幡宮絵図には五輪塔10基が並ぶ足利氏御廟の右手に義氏の五輪塔が描かれています』
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 供養等覆屋跡。
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 供養等覆屋跡のそばに織姫神社。
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『礎石建物跡
 御廟跡北端の下層から出土した建物跡は3×3mの大きさで、周囲は1mの幅で縁が回り、建物の中央奥には石積基壇があります。周辺からは13世紀の瓦が出土しています。
 足利氏の一族等を供養するための、御廟の前身となる建物跡です』
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『足利氏御廟跡
 発掘調査では南北20.4m、東西6.5mの大きさの基壇が確認されました。この基壇の上に五輪塔10基が並べられ、瓦葺の覆屋が建てられていたことがわかっています。10基の五輪塔は足利氏歴代の供養塔で、明治の神仏分離令により菅田町の光得寺に移され、現在は保存処理中のため足利市教育委員会で保管しています。
 周辺から出土した瓦には「応永二十年」(1413)と書かれたものがあり、鎌倉公方・足利持氏によって先祖の廟所が整備されたと考えられます』
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 御廟跡。
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 南側へ下りて行くと、濠の跡かな。
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 神社南東に広がる池。
 K-7を地面すれすれまで下ろしてライブビュー撮影してみたが、液晶がろくに見えないので殆どノーファインダー状態。SONYのαやニコンD5000、パナのG/GHシリーズならこういった状況でも楽なのかも知れないけど、それだけの為に買う気にはならんなぁ。

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 ついでなので、樺崎八幡宮の東側、用水路脇に鎮座する子育て地蔵尊と厄除薬師如来堂。
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 庚申塔と青面金剛、地蔵尊。
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 庚申塔と青面金剛。

 以上で6月26日参拝分終了。そう言えば、足利市内の神社を参拝したのは、今年はここが初めてだ。殆どヨスガノソラとは関係無くなった上に過去の参拝時より詳細な内容になってしまったけど、ま、いいか。このブログは神社参拝日記だし。
 今回使用したのはK-7にDA15mmとDA21mm、FA43mm、FA77mm。K10DにFA31m。
 今月はあまり参拝できないかと思っていたが、なんだかんだで毎週動けていたのでそれなりに数行ったなぁ。むしろ先月と先々月がおかしいんだ。来月は新作ゲームがあったり、半年ぶりに足利に帰って来たダチと出かける約束が入っていたりするので、今月より参拝数は減りそう。

大月町御嶽神社(奥宮)

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 では奥宮へ。
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 登り始めるとすぐに御神燈。嘉永七甲寅とあるので1854年のものか。
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 参道は細いがわりと緩やかなので登りやすい。
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 ここにも御神燈。
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 御神燈とその奥に如意輪観音。
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 ここにも御神燈。天保十三壬寅と刻まれている。つまり1842年のもの。
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 岩の上の石には降魔の剣が描かれ、剣身には不動明王とある。
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 更に登ると二十三夜供養塔。
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 そこから左に歩いて、お地蔵様…かな?
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 奥宮に到着。
 山頂を目指すなら、この右を抜けて進んで行く。
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 お地蔵様と…どなた? 不動明王、かな?
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 山頂ではないけど見晴らしの良い所まで少し登り、足利市外を眺めてみる。

 これで12月19日参拝分終了。
 今回はK-7にDA15mmとDA18-55mm WR、*ist DSにFA31mmを使用。山中移動中心の時は、やはりズームレンズの方が楽だなぁ。SIGMAの17-70mm F2.8-4 DC MACRO OS HSMはまだペンタックス用は出ていないけど、出たらちょっと欲しいかも。
 そして最近W41CAのバッテリー消耗が早くなってきたので、帰宅途中に最近の携帯電話のチェックなど。CA003とか良さげかなぁとか思っていたら、なにこれめっさ高ぇ。携帯に6万近くなんて出せんわー。CA004でも2万ちょいか。…予備バッテリー買って、もう少しW41CAを使うことにしよう。いまのとこコレで全然不満無いし。

大月町御嶽神社(里宮)

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 大月町の威怒神社の北にお姫様神社、東に御嶽神社があると言うことなので、威怒神社の隣の集会場に車を停めて、まずは近そうなお姫様神社探索へ。
 写真の場所からまっすぐ進めば御嶽神社、左へ進むとお姫様神社に行けるらしい。ちなみに情報源はいつものごとく楚巒山楽会様のところから。
 …が、しかし、どこまで行ってもお姫様神社が見つからない。深井製作所の南東にある池の脇で二股に分かれているが、左に進むと深井製作所の裏手に出、右は墓場の前を抜けてなお進んで行くとやがて藪に阻まれる。藪漕ぎをして進んでみても、やがて無意味なことに気付いて戻ることに。
 仕方が無いので近所の方を見つけて話を聞いてみると、その人は長くこちらに住んでいるがお姫様神社なんてものは聞いたことがないとのこと。ただ、おしめさま神社というものはかつてあったが、深井製作所の建設時(平成四年)に潰されてしまったか、或いは残っていたとしても薮に呑まれて判らなくなってしまったとのことだった。と言うことで、お姫様神社の探索は無理ー。
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 石灯篭まで戻り、東へまっすぐ進んで行くと奥に参道の入口が見えて来る。
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 道は整備されていて歩きやすい。
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 しばらく歩くと石段が出て来るので、これが見えて来たら御嶽神社まではすぐ。
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 左側にしっかりした石段が見えたらそこを登って行くと突き当たりに御嶽神社の里宮がある。
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 拝殿。かなり崩れかかっているように見えるが…
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 見えるどころか半壊している。
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 狛犬。
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 狛犬の脇の石段の先には奥宮に続く参道が伸びている。
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 階段の脇には首の取れた狛犬が。
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 信之霊神、金陵霊神とあるのは御嶽教関連かなにかかな。
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 建坐王神廟記なのか建王廟坐神記なのかよく判らないが、どうやら由来らしきものが彫られているようだ。
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 新井家は先祖代々御嶽大神信仰家にして権中教主源吾霊神は十四歳にして既に信仰の道に云々…とあるが、なんだろうこれ。御嶽教関連なのは間違いないが、こちらの神社を建てた人のことを記してあるのかな? 上に彫られている文字は源吾霊神坐碑、だろうか。
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 さらにその奥に石碑と石灯篭が見える。こちらの石碑は二霊神坐碑とあるようなので、これまた御嶽教関連だろう。
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 こちらの石祠の額には御嶽山と刻まれているが、これが奥宮と言う訳ではない。

 長くなりそうだから、奥宮は次のエントリーで。

小俣町八坂神社

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 県道67号線を桐生方面へ向かって行くと、県境に伏見稲荷神社があるのだが、その手前の細い道を北へ入ってまっすぐ進むと右手側に八坂神社がある。
 ちなみにその道、67号線を東から進んで来るには問題ないが、西から進んで来た場合はとても入り難いので、西から来た場合は伏見稲荷の西にある信号から入るのが無難。
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 中には御神輿が納められ、その他に…なんじゃこりゃ。えーと、冷蔵庫?

小俣町八幡宮

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 めぐみ幼稚園前の道を南東へ向かい、新上野田橋を越えた先の変形十字路附近に小さなお堂のような八幡宮がある。
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 中央が八幡宮で、左の石祠は稲荷神社のようだ。その間にあるものはなんだろう?
 それにしても、右側のスペースが妙に気になる。

小俣町山神社

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 小俣駅南東に位置する山神社。
 めぐみ幼稚園前の踏切を渡って県道227号線に合流し、北西へ向かうとすぐ右手側に見えて来る。県道67号線から小俣田町交差点で北上する方が判り易いかも?
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 石宮の額部分には山神社と刻まれている。
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 石宮の左に庚申塔。
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 ずらりと並んだ庚申塔群。後列中央には青面金剛が鎮座し、最前列左側にはお地蔵様に馬頭観音、水神宮なども。
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 少し離れて馬頭観音碑。

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 踏み切り南側に三面六臂の…阿修羅? の訳は無いな。馬頭観音か。

葉鹿町愛宕神社

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 無量院の北東に雷電神社があると言うことなのだが…見当たらない。
 墓場の裏から回り込み、雷電山の麓へ下りて行く途中、見つけたのは雷電神社ではなく愛宕神社。
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 少々読み取り難いが、彫られた文字は愛宕で間違いないだろう。
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 お地蔵様と…なんだろう?
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 更に下りて行くとお堂がある。初めはこちらが雷電神社かと思ったのだが、前に回りこんでみると、お堂の中に不動明王らしき像が見えた。近所の方にも訊いてみたのだが、やはりお不動様だとのことなので、こちらは不動堂のようだ。
 雷電神社については詳しいことは判らないが、無量院の近くにあるらしいと言うことなので、今度は境内を横切って雷電山山頂へ。
 …うわ、枯葉が積もっていて滑る滑る。脇にロープが張られているのは、滑り落ちるのを防止する為だろうか?
 山頂まで登ると水道施設があり、周囲を囲った柵には立入禁止の看板が掛けられているが、水道施設前から東へと道が伸びているのでそちらへ進むと少しして小さな岩舞台のような場所へ出た。一応道もあるので下りて行こうとして…うわ、枯葉で滑る滑る。これはやばい。麓まではそれほどの距離でもなさそうだが、こちらにはロープは張られていないので一気に滑り落ちる危険性もある。登山靴でも履いていればそうでもないのだろうが、如何せん普通の靴なので危険要素は減らしたいところ。なので来た道を戻って下りることに。
 結局雷電神社は見つからなかったが、仕方が無いか。

小俣町愛宕神社

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 土師天神宮の横から藪漕ぎをしながら山を登るとすぐに整備された道に出るので、山頂へ向かって歩いて行くとやがて大きな送電塔が見えて来る。送電塔の方へ行き、そのまま藪の中を突き進んで行けば隣の水道山まで行けそうだと言うことだが、今回の目的は愛宕神社だし、藪の中を歩くのは遠慮したいのでそちらはパス。
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 しばらく進んで行くと、右手側に玉串らしきものを縄で巻きつけた木が。御神木、と言うことでもなさそうだが、はて。
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 山頂に愛宕神社。
 そう言えば、足利市内の愛宕神社って殆ど山の上にあるような気がする。
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 本殿の上には愛宕山の文字が見える。
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 楚巒山楽会様の掛けられたプレートを発見。山中にある神社の情報は大抵こちらの方のサイトで仕入れているので、いつもお世話になっております。

 そして来た道を戻り、今度は藪漕ぎをせずにちゃんと道を使って下りて行ったら、なんと土師天神宮の鳥居の脇に到着。うぅ、全然気付かなかった○刀乙

土師天神宮

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 葉鹿町にある無量院の前の通りを西へ少し進むと、北側に愛宕山への入口がある。
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 ここで藪の中へと入って行ってもすぐに行き止まりになるので、標縄柱の左を通って登って行く。
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 と、すぐに土師天神宮と額の掛かった鳥居が見える。
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 拝殿。
 菅原道真公の十七代前の先祖である野見宿禰は土師氏の始祖でもあるので、こちらの御祭神はその二柱なのかな?
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 拝殿内部。
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 拝殿裏手には石祠などがあるが、なぜ柵の中?
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 左奥は金毘羅宮。右手前は文宣王、つまりは孔子。
 石祠の方は判らない。大黒様らしき置物があるが、関係あるのかな。そう言えば、大阪府藤井寺市にある道明寺天満宮の境内にある土師神社は天夷鳥命と野見宿祢、大国主命の三柱を祀っているそうだから、充分ありえるか。
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 どちらもさっぱり判らない。
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 柵の前から左奥へと歩くと、水没と言うか泥に呑まれかけた石祠があるが、どなたかを祀っているのか廃棄されたものなのかも判らない。

冨士嶽神社

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 清水川を渡って南東へ進み、県道227号小俣桐生線に出たら足利市街方面へ歩いて行くと冨士嶽神社がある。
 こちらの御祭神は木花開耶姫命なのか、磐長姫命なのか、どちらだろう。
 それにしても、大月町の天満宮や多田木町の日光三社大神社でも思ったけど、神社の境内にゴミ集積所があるのってどうなのよ。
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 末社。

 これで12日参杯分終了。栄富稲荷神社以外は小俣小学校西の熊埜神社に車を置いて徒歩で移動していたのだが、思ったよりも時間がかからなくて良かった。さすがに鶏足寺とその隣の天満宮にまで行っている余裕は無かったけど。
 今回はK-7にDA15mm、FA28mm、APO-LANTHAR 90mm、*istDSにFA43mmを着けて歩いていたのだが、栄富稲荷神社と日光神社ではDA15mmでさえ収め切れない部分があり、もう少し広角域を強化しようかななんて考えてみたり。

小俣町日光神社

IMGK4791s.jpg
 さらに清水川に沿って北上し、二つ目の橋が架かった所で右へ向かうと日光神社の鳥居が見えて来る。
IMGK4748s.jpg
 道が細いので、15mmでも鳥居を正面から撮るには狭すぎる。
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 階段を上り切った先に拝殿。
 拝殿右側には御神輿を納めた祭具殿。左側には末社群。
IMGP1913s.jpg
 十四の末社が並んでいるが、両端は崩れていて原型を留めていない。それでも右端は台座部分に維大権現という文字が残っていたので、おそらく金毘羅大権現だろうという予想はつく。そして右から二番目は天満宮、三番目は機神。あとは不明。
IMGK4786s.jpg

今宮神社

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 清水川に沿って桐生方面へと歩いて行くと、川の東側に今宮神社の鳥居が見えて来る。
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 長くはないが、そこそこ急な上りになっている石段。
IMGK4740s.jpg
 拝殿。
 今宮神社と言っても、京都の今宮神社なら御祭神は大己貴命、事代主命、奇稲田姫命の三柱だが、鹿沼の今宮神社なら御祭神は大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命の三柱だ。さて、こちらの神社はどなたを祀っているのだろう。ここからそう遠くない位置に日光神社があることを考えると、大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命である可能性が高いか?
 それにしても、ライブビューを利用して、腕を高く上げて撮影すると超広角レンズでもパースをきつくせずに済むのは便利だなぁ。
IMGK4715s.jpg
 拝殿左側に並ぶ末社群。
 中央には出羽三山。右端は額に織女神と刻まれていた。その他は不明。
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 拝殿裏手には庚申塔群。
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