八坂神社(高林南町)

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 高林四区梁場公民館脇に鎮座する八坂神社(太田市高林南町269)……の筈なのだが、どうやら公民館に附随した倉庫の中に収められているようで、神社の姿は見えない。
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 冨士浅間大菩薩。
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 他には元久三年(1206)十二月造立の馬頭観世音や寛政十二年(1800)十一月造立の庚申塔、天保四年(1833)造立の如意輪観音などが並んでいる。
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羽黒神社(龍舞町)

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 群馬県道2号前橋館林線と県道38号足利千代田線が交わる竜舞十字路交差点の北西150m程の位置に鎮座する羽黒神社(太田市龍舞町甲2189)。
 前回こちらに参詣したのは2008年7月12日なので、七年ぶりか。
『羽黒神社
 五月六日(旧三月二十五日)が祭典である。
 廃仏毀釈のとき、無格社であったため、神明宮(村社)に合祀されたが、昭和二十二年(1947)、神明宮より現在地へ移し、コウチの氏神として祀っている。
 この羽黒神社は、いつの頃かはっきりしないが、出羽国羽黒山から、御分霊場として、宝林寺へ祀られたという。現在のお宮が、宝暦年間に造られたものなので、それ以前であることは間違いないという。
 羽黒神社は、五穀豊穣・生業繁栄のため祀られており、霊験があらたかであるという。
 むかしは、春の祭典が旧暦三月二十五日(現在新暦になおして行う)で、このときは苗代の祈願をした。夏が七月上旬(新暦)で、このときは田植の祈願をした。秋が十一月二十五日で、感謝祭であった。
 春の祭典のときは、神楽などが行われ、大変盛大である。春の祭典の日(旧三月二十五日)を変えると、災難があるとか、体にわざわいがあるとかいって、羽黒様の祭典や行事について、反対する人はだれ一人いないという』
(「太田市史 通史編 民俗 下巻」より抜粋)
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 七年前は祠の隣に神楽殿があったのだが、現在は無くなっている。境内の手入れをなさっている方がいたので尋ねてみたら、壊れてしまったとのこと。
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 以前、正運寺の南に御霊神社があるというコメントを頂いたことがあるのを思い出したので、こちらの前に立ち寄ってみたのだが……民家の庭先だなぁ。コメントにもそう書かれてはいたからわかってはいたのだが、ふむ、どーしよこれ。数秒考え、とりあえず確認できたから良しとしようと結論。太田市史に記述は見当たらなかったし、ストリートビューでも見られるしね、うん。座標的にはここ
 以上で5月30日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mmとDA20-40mm。X30。
 次の土曜は渋谷duo MUSIC EXCHANGEで行われるAsrielのファイナルライブに行って来るので、神社巡りはお休み。……嗚呼、なんで解散しちゃうんだよぅ。

春日神社(龍舞町)

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 群馬県道38号足利千代田線脇の公園内に鎮座する春日神社(太田市龍舞町)。
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「太田市史 通史編 民俗 下巻」には龍舞に賀茂神社、神明宮、白山社、熊野社、赤城社、羽黒社有りと記されているが、春日社の名は見当たらない。春日神社と言うことは御祭神は天児屋根命だと思われるが、詳細は不明。

赤城神社(新田花香塚町)

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 大国神社から県道292号線を東へ向かうと、真言宗安成寺の南側に赤城神社(太田市新田花香塚町871)が鎮座している。
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 拝殿。
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 狛犬。
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『赤城神社改修記念碑
由緒
 當神社は寛永十六年(1639)當国大社赤城大明神三夜澤式内社の正一位赤城大明神祭神
 一 大穴牟遅命
 一 豊城入彦命
 一 宇迦之御魂命
 御分霊を勧請し当地の産土大神として信仰篤く又外に松の古木樹令三百五十年以上の物一本有り。
記録
 嘉永元年(1848)戊申九月吉日普請の奉額あり。上州下淵名の名工彌寺河内守音次郎の作なり。
 大正十一年(1922)御社殿の上屋管葺を亞鉛葺に改修する。
 昭和五十五年(1980)三月吉日御神殿の改修大工事を完了する』
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 末社群。
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 雀之森稲荷神社。
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 拝殿。
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 東から。

 以上で5月5日参拝分終了。
 使用機材はK-7にDA15mmとFA31mm、DA10-17mm Fish-Eye。K10Dに50-150mm II。COOLPIX P7100。
 今回で伊勢崎市内にある神社は小規模のものを除けば全て巡り終わったかな?
 連休中は大半が雨でろくに出歩けなかったなぁ。まぁ、おかげで積みまくっていた本の一部が崩せたからそれはそれでいいのだけれど。

御嶽神社(薮塚町)

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 薮塚本町小学校の北東に鎮座する御嶽神社
 御嶽神社、新海霊神、靖国神社の三つの額が掛けられているが、由緒等は不明。


 以上で4月28日参拝分終了。
 使用機材はK-7にDA15mmとDA35mm Macro、FA77mm。ist DsにFA43mm。COOLPIX P7100。
 朝のうち(5時前)は新田上江田町辺りで霧が濃く、ハイビームにして尚数十m先も見通せないほどだったが、前照灯も点けずにいきなり現れる対抗車が少なくないのは、怖いのでやめて欲しいわ。

秋葉神社(小角田町)

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 国道354号線と県道312号線に挟まれた小角田会館の南に鎮座する秋葉神社
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 本殿。
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 末社。
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 庚申塔と大黒天、如意輪観音。
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 青面金剛と如意輪観音。

赤城神社(新野町)

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 脇屋町赤城神社から東へ走って行くと、程なく新野町の赤城神社に到着。
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 二の鳥居。
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 参道右脇に天満宮。
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 拝殿。
 やはりこちらも詳細不明。
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 狛犬。
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 浅間大神。
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 末社。
 左側は住吉神社と思われる。右側は東照宮。住吉神社の祠には丸に根笹紋が陽刻されている。
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『住吉神社は久保田淡路守帯刀春広が淡路より新田義貞の挙兵に参加するため上州に来るおりに大阪住吉神社に立寄り分神して戴き守神としたと伝えられ新野村住吉に在りましたが明治四十年十一月十四日郷社赤城神社に合祀されました』
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 末社。
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 末社。

 以上で1月7日参拝分終了。
 使用機材はK-7にDA18-55mmWR、DA15mm、DA70mm、50-150mmII。*istDsにFA43mm。
 昨年末にLoweproのスリングショット202AWというカメラバッグを購入したので、試しがてらに自転車で伊勢崎まで行ってみたのだが…もうやめよう。片道二時間程と、思ったよりは時間がかからないものの尻が痛くなってしかたがない○刀乙

赤城神社(脇屋町)

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 再び県道2号線を東へ走り、別所交差点を越えた先にいちご園の看板があるので、そこで北へ入って行くと赤城神社が見えて来る。
 神社の周囲は小さなパークゴルフ場になっている。
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 拝殿。
 これまた詳細不明。
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 本殿。
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 裏に回ると末社群。
 八坂宮、稲荷大明神、天満宮、住吉大明神、熊埜宮、道祖神、粟島大明神宮、愛宕大権現、石尊宮、道祖神、伊勢宮など。

太奈荷神社(新田上田中町)

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 神明宮から北東へ向かって行くと、太奈荷神社が鎮座している。ちなみに太奈荷と書いて「たなか」と読むそうだ。
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 拝殿。
 由緒書き等は見当たらず、ググっても詳細不明。
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『新田町指定天然記念物 太奈荷神社の松
 指定  平成五年九月九日
 所在地 新田町大字上田中一○七七-一
 太奈荷神社拝殿前の松を一号樹、社殿西になる松を二号樹として指定しました。一号樹は、目通幹囲三・八二メートル、根本幹囲五・三九メートル。株周九・八メートル、樹高二十六・五メートルを計ります。二号樹は、目通幹囲三・八メートル、根本幹囲五・二メートル。株周七・五メートル、樹高二十七メートルを計ります。
 この二本の松はクロマツで、樹齢は三百年から三百五十年と推定されます。新田町では、このような古木、大木はほとんどありません。また、群馬県内でも樹齢が三百年に及ぶクロマツは少なく、貴重な樹木です』

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 末社とか庚申塔とか青面金剛。
 前列左端の石祠は稲荷宮。後列は不明。
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 拝殿横に末社。
 左側は判読できず。右は秋葉山神社。
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 裏手に回ると石塔と石祠。額には霊神宮と刻まれている。
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赤城神社(新田権右衛門町)

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 上中稲荷神社から北西へ向かって行くと、伊勢崎市との境付近の民家脇に赤城神社が鎮座している。
 鳥居の台石脇に石祠が二つ鎮座しているが、何神社かは不明。もしかしたら門守神かも知れない。また、鳥居の隣には庚申塔群。
 由緒等を記したものは見当たらず、詳細不明。
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 神社は通りからやや引っ込んだ場所にあるが、入口前には史跡めぐりコースの看板があり、ここから100mと記されている。しかし、態々目印の看板が用意されているのに、肝心の神社側に案内板等が無いのは残念だ。史跡めぐりコースに含まれていると言うことは、由緒のある神社だろうと思うのだが。

上中稲荷神社(新田上中町)

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 溜池公民館北西の十字路を西へ向かって行くと上中稲荷神社が鎮座している。
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 庚申塔群。
 辨財天や大黒天の名も混ざって見える。
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 鳥居。
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 お狐様。
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 拝殿。
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『稲荷神社建設記念之碑
 由緒 不詳
 伝説によれば、当社信仰の起源は、後鳥羽天皇の御代、源頼朝治承・文治年間に鎌倉幕府を創立、源氏益々隆盛の折り、頼朝と意を異にした源義経が上野の国大原野に回避したとき、当稲荷大明神を深く尊敬したと伝う。後に岡登治郎兵衛この地を開拓し、当地に小村落を設立したのが上中村である。寛文拾庚亥年当稲荷社の祠を改築し上中村の惣鎮守として奉祀する。
 この村は各地から人が集り、村落を為したが、最も早きは栗原氏・志村氏・金井氏・橋本氏の四姓で、字四ノ家もこれからとったものである。
 大正四年七月上中村字新割の無格社稲荷神社、溜池村、赤城神社、同境内末社、琴平・秋葉・稲荷各神社の五社を現在地に合祀する。村人信仰の中心である当社が、昭和五十七年八月十五日、夕刻、原因不明の火災によって焼失され、氏子一同再建の機運高まり、ここに再建を見るに至った。
 昭和五十八年四月吉日』

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 八坂神社。
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 神楽殿と社務所。
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 社務所の横に末社。
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 御嶽山座王大権現・八海山堤頭羅神王・三笠山刀利天宮。

溜池神社(新田溜池町)

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 大久保赤城神社からずっと南下して行くと、溜池公民館の隣に正体不明の祠が鎮座している。額も無ければ社号標石も無いので神社の名前が判らない。なので、暫定的に溜池神社と呼称することにしよう。
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 手掛かりが無いかと覗いてみたが、さっぱり。
 本殿前面下部には絵が描かれており、武器を持った大男が牛車に乗った公家を襲っているようにも見える。
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 かくだーい。
 赤く吊り上った目に、顔の下半分を覆う髭、よく見ると角らしいものもある? んー…鬼?
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 庚申塔と大黒天。
 あと、写真を撮るのを忘れてしまっていたが、秋葉宮もあった。
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 青面金剛。
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 祠の裏手に回ると石塔。神社の名が三つ記されているが、左のものは判読できず、中央は窟戸神社、右は須佐之男神社。

赤城神社(大久保町)

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 小泉稲荷神社から北東へ向かって行くと、太田薮塚ICの手前に大久保公民館があり、その向い側に赤城神社が鎮座している。
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 鳥居。
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『由来
この村は平治物語によると東山道(あづまみち)が通っていた。この地に大窪太郎が館を構えていた。保元の頃(1156)この者の娘が奥州平泉の藤原氏を頼って行く途中みちのく信夫の郡司小太夫の妻となって二人の男子を育てた。兄は佐藤継信、弟を忠信と称していた。二人は縁あって源義経の家臣となり、兄は屋島の合戦の際義経の身代わりとなって戦死をした。弟忠信は平家滅亡後義経と行を共にしていたが京都の館に在った時、頼朝の軍勢に攻められた。この時義経の鎧を着用し身代わりとなって討死をした。
赤城社はこの大窪太郎が創建したものであるが数百年の間荒廃のままであった。世も移り替り江戸時代となった。幕府は貿易の決済や国内需要を賄うため足尾銅の大増産を計画し、銅山奉行に岡上景能を任命した。景能は銅運搬の人馬確保のため笠掛野に新しく八ヵ村を創設した。寛文二年(1662)近隣の村むらより移住した人達により大久保村が誕生した。
 寛文五年(1665)新設されたこの村へ赤城社を移し、赤城神社として鎮座した。以来三百有余年村人の崇敬を集めてその発展を願ってきた。生れた子等の無事な成長を願い又戦中は出征する兵士が武運長久を願って無事帰還して大願を成就してきた。
赤城神社は県内七十八社のうちの一社である。
昭和三年(1928)幣帛供進指定村社となっていたが太平洋戦争後社格を失って現在に至っている。
 祭神 大己貴命
 春祭 四月十五日
 秋祭 十一月二十三日』

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 歌碑。
『赤字神社祭神大己貴命
 氏子らに福をさづくる大久保の 大黒天の御神たふとし

 立不動尊
 志たてつらぬけと立不動 のらすがめ みかげいろつき』

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 御嶽山神社・八海山神社・三笠山神社。
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 拝殿。
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 拝殿横に琴平宮。
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 裏手に回ると石塔群。
 金山彦神や雷電宮、畜魂碑、馬頭観音などがあるが、その殆どは猿田彦神なので、庚申塔と見るべきか。

稲荷社(東長岡町)

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 天神山古墳の北側を走る県道2号線新島町交差点から北西に向かって行くと、道の傍らに祠がぽつんと鎮座している。右奥に見える黄色い建物は太田東メモリードホール。
 祠の扉が宝珠紋に似た形にくりぬかれていたので、おそらく稲荷神社だろうと思われる。

 以上で10月8日参拝分終了。
 朝4時半に足利を出発して、帰り着いた時には夕方の4時半。12時間もうろついていたことになるか。筋肉痛が出ないのが不思議不思議。
 使用機材はK-7にFA28mmとDA15mm、DA18-55mm WR、50-150mm II。

雷神社(飯田町)

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 太田中央公園の南東に鎮座する雷神社。
 鳥居の右に見える社号標石には當所鎮守雷電宮とあり、側面には明和九壬辰八月吉日と記されているので1772年のものだ。
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 隣接する飯田町住民センターの脇に雷神社社殿改築記念碑。
『當社は別雷命を奉斎し京都公郷の未裔龍蔵坊法印の勧請する所なり。古來より雷災除の守神として世人住民の深く崇敬する所なり。昭和十八年一月二十二日維持方法確立し群馬縣より神饌幣帛料供進神社に指定せらる。昭和二十一年六月二十五日變事に伴い宗教法人神社となる。昭和二十四年五月四日国有地たる当境内地は大蔵省より無償を以て譲與せらる。以来氏子崇敬者社殿改築を計画し一致協力議決して着工すべく神社本庁統理の承認を以て立木伐採し之を用材として多大なる奉納資金と勞力の奉仕等全く誠心誠意の團結に依り茲に講和發効獨立の意義ある本春改築の大工事を完了し記念の一大事業を遂行したる事は誠に世上の範とするものなり。茲に奉賛各位の芳名を刻み益々子孫をして神社崇敬の観念を涵養し神徳の發揚に努力し日常生活の基本とせらるべく後世に伝え發奮の資にせんとするものなり。
  昭和二十七年四月吉日 建之』

 龍蔵坊法印なる僧侶がいつの時代の人なのか分からないので創建時期は不明。少なくとも1772年より前であるのは確かだろう。と言うか「京都公郷の未裔」ってなんだろう。「京都公卿の末裔」の間違いなのか、それとも京都公郷と言う名前の人が…いないか。この碑が建てられた時代には普通に使われてたのかな。
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 拝殿。
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 社殿裏に境内社。宝珠紋があるので稲荷神社だろう。
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 ずらりと並ぶ末社群。
 稲荷社が一つあること以外は不明。
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 富士塚。頂にあるのは浅間宮。

赤城神社(鶴生田町)

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 八幡神社からまっすぐ南下して行くと、通りよりやや西に引っ込んだ所に赤城神社が鎮座している。
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 拝殿。
 こちらも古墳跡に建てられているのだそうだ。
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『由緒記
 当神社は今より六百余年前、永仁三年(1295)三月、鶴生田村の開祖新田義重公の裔鶴生田孫三郎時常、赤城山三夜沢赤城大明神の分霊を頂き此の村の守護神として奉斎して以来幾多の増改築修理が行われ、明治四十三年(1910)四月村社の指定を受け奉幣を賜る。
 終戦後昭和二十六年宗教法人として新発足し神社本庁に所属し今日に至る。

 主祭神 豊城入彦命
       大己貴命
 例祭  四月十五日』

 鶴生田孫三郎時常と書かれているが、調べてみると鶴生田氏の開祖は時常ではなく時綱が正しいみたい。
 新田義重─額戸経義─額戸氏綱─鶴生田時綱と繋がるそうなので、義重の曾孫にあたるようだ。
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 社殿裏に末社群。
 わかったのは天王宮と諏訪社x2の三社だけ。
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 御嶽神社と浅間神社が並んでいる。
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 少し離れて三峰大権現。
 文久元辛酉九月とあるので1861年のもの。また、新田義貞裔源俊純ともあるが、岩松徳純の孫で当時の岩松氏当主であり呪術師でもあったようだ。wikipediaを見ると岩松義寄、徳純、道純、俊純の四代の描いた猫の絵はねずみ除けに効果があると信じられており、他にも疱瘡除・疫神除・狐憑き封じの札を人々に与えていたのだそうだ。
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 こちらで見かけた猫。人に慣れているのか、近寄っても逃げなかった。
 猫なんてどこにでもいるけど、上記のようなこと知ると妙な縁を妄想してしまう。

八幡神社(強戸町)

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 下強戸住民センターに隣接して鎮座する八幡神社。
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 辨財天。
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 拝殿。
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 八坂神社。
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 末社群。
 諏訪社と道了大権現のみ分かったが、他は不明。
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 富士塚。古墳の一部であるそうだ。
 左側に見える水盤らしきものには水神の文字が刻まれている。
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稲荷神社(成塚町)

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 成塚中央公園の南に位置する成塚稲荷神社古墳。そこに鎮座するのは当然稲荷神社だ。
 そして石橋町浅間神社のエントリーに書いた、見落としていた稲荷神社がここ。
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 鳥居の左側に石祠。右側に出羽三山。その奥に見える石祠はなんだろう。
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 拝殿。
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 拝殿の左手側には境内社があり、その参道沿いに十数基もの石祠がずらりと並んでいる。
 わかるところでは八幡太神、天満宮、山神宮、冨士森稲荷神社、小御嶽山神社、食行身禄霊神、稲荷神社。他は不明。
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 額には冨士山と刻まれているが、つまりは浅間神社なのだろう。
 側面には萬延元庚年申十二月吉日とあるので1860年のもの。

赤城神社(寺井町)

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 松尾神社から県道39号線を東へ走って行くと、高野山真言宗寺尾山聖王寺の東側に隣接して赤城神社が鎮座している。
 やたらと人が多かったが、どうやら赤城神社の隣で運動会か何かが行われていたようだ。
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 拝殿。
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 社殿の裏には末社が並んでいる。
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 尾内家氏神 大鷲神社址。
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 末社。石祠が三基並んでいる。
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 末社群。
 金毘羅大権現、天満宮、八幡武大神以外は不明。
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 少し離れて末社三つ。
 左側は稲荷神社と思われる。

松尾神社(新田小金井町)

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 県道39号線新田小金井町北から南東へ向かって行くと、松尾神社が鎮座している。
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 拝殿。
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『松尾神社
 鎮座地 新田郡新田町小金井一一一五番地(現在は太田市新田小金井町1112)
 祭神 大山咋神
     市杵嶋姫命
 由緒 承平年間(西暦九三○年代)の創建と伝えられる。
     この地域の開発に先立ち、土地開拓の神として、山城国(京都)松尾神社の神を祀った、
    と云われる。
     酒造の道に御神徳のある神として、酒造家の崇敬を集めた。鰻と亀を神使とし、古くから、
    地域に「鰻を食さず、亀を殺さず」との言い伝えがあった。
 経過 享保十二年(1727)、正一位を戴く。松尾大明神。
     同年、その祝賀にて太々神楽奉納。
     天保六年(1835)、本殿再築。
     天保八年(1837)、太々神楽再起。
     嘉永五年(1852)、神楽殿竣工。
     明治五年(1872)、村社松尾神社とする。
     明治四十一年(1908)、八幡宮(柳原)、稲荷神社(一本杉)合併。
     明治四十三年(1910)、鳥居再調。
     大正元年(1912)、八幡宮(般若)合併。
     大正八年(1919)、社務所竣工。位置は、町道の南。
     昭和三年(1928)、白山神社(原口)、熊野神社(中里)、農業稲荷神社(馬場)合併。
     昭和二十一年(1946)、宗教法人松尾神社とする。
     昭和二十六年(1951)、本殿上屋、幣殿改築。拝殿模様替え。
     昭和二十八年(1953)、社務所移転。
     平成六年(1994)、社務所移転新築。
     平成九年(1997)、太々神楽、町重要無形文化財指定。
 境内末社 神明宮、竈戸神社、諏訪神社、北野神社、母加佐神社、
        春日神社、八坂神社、鷲神社、絹笠神社

新田町指定重要無形文化財 太々神楽
 松尾神社に伝わる郷土芸能「太々神楽」は、江戸時代享保十二年に、松尾大明神が正一位の位を戴いたお祝いに、村の青年が習って奉納したのが始まりとされている。それからは、毎年、春・秋の祭典に奉納されてきたが、天保年間に神楽師が減り、一度途絶えてしまった。神楽が奉納されなくなると飢饉・悪病・火災等が続発し村人の生活は困窮した。天保八年、再び神楽が奉納されるようになると、豊作続きで、伝染病や火災もなくなり、豊かな生活が行われるようになった、といわれている。以来、現在まで休むことなく奉納されている』
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 神楽殿。
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『新田の名木
 樹木名 銀杏
 所在地 松尾神社境内
 樹齢  約一一○年
 幹周り 三・六メートル
 高さ  三○メートル
 明治三十三年、大正天皇の御成婚記念として植樹した、と云われている。松尾神社の御神木としてじゃ、本殿の真裏に松の大木があったが、昭和二十九年の台風で倒壊。今ではこの銀杏の木が最古の樹木となっている。境内の他の二本の銀杏は、昭和天皇御成婚記念(樹齢約八五年)、今上天皇御成婚記念(樹齢約五○年)として植樹したものである。
 新田町では、昭和五十五年に銀杏を町の木と定めた。新田かるたに「空をつく町のシンボル大いちょう」とある。
 平成十七年三月』
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 銀杏の根元に庚申塔と石祠二基。
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 末社。
 左側の祠には御神輿が二つ納められており、おそらく八坂神社ではないかと思われる。右側の祠には扁額が掛けられてはいるものの、文字が薄くなっていてわからない。
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 神明宮。
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 先の左側の祠の裏にも石祠が一基。嘉永元年(1848)八月吉日とある。
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 拝殿左側に四基の石祠。
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 社殿真裏に一基の石祠。
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 拝殿右側に二基の石祠。
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 鳥居前の道に設置されたマンホールの蓋。
 銀杏の葉をモチーフとしたデザインが施されているが、上記の理由によるものだろう。

新星神社(山之神町)

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 新星公民館前に鎮座する新星神社。
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『新星神社建立之碑
 産土は心のふるさとである。
 昭和二十一年三月焦土と化した祖国再建の基盤としての新農村建設の夢と、飢餓に瀕した同胞の食料増産の絶対使命とを担って、旧陸軍飛行場跡の草原に開拓の第一鍬を打ち込んで以来、星霜二十有五年、新しい里の夢を新星と云う命名に託し、その後次々と迎えた同志と共に今や三十戸、集会所の建設に道路の拡巾新設に一応基礎的な整備を完了しその生活も安定した。
 今私達は一層の親和と団結と将来の飛躍発展とを念願してその魂の拠り処として全員の合意と発起とにより茲に現住者の全産土神を一つに勧請合祀して御祭神となし、新星神社を建立し部落の鎮守となした。
 昭和四十五年十月吉日』

 北海道の美瑛町にある新星神社とは全く関係無く、山之神町新星地区に建立された神社だから新星神社なのね。住人の全産土神を合祀して御祭神となすとも書かれているが、これはもう主祭神と配祀神とかではなく、複数の神々を一つにまとめて土地神にしてしまったと言うことだろうか。
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白鬚神社(藪塚町)

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 西野公民館から北東へ向かうと、群桐産業の向かい側から白鬚神社の参道が延びている。
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 鳥居。
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 鳥居をくぐるとすぐ左手側に小さな池があり、その中の島に石祠が鎮座している。
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 拝殿。
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 本殿。
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『薮塚本町指定文化財 天然記念物 白蛇の松
 推定樹齢約四百年、樹高約三十米、根囲り約五米
 由来 天明年間(十八世紀末)数年間に渡って旱害がおこり、農民の苦しみは深刻であった。
 ある農夫婦が農民の窮状を見かね、白鬚大明神に三七日(二十一日間)の雨乞い祈願をしたところ、満願の日に大雷雨があり、その時落雷にあい気絶してしまった。気付いたとき、社前は明るく、そばの老松を見ると白蛇が正に昇天の勢いをもって昇るところであった。これは吉兆であると村に帰り、村人と再び来てみると何ら変ったことがなく、老松は元の姿で中空に聳え立っていた。
 農民はこの慈雨に喜び、このために豊作の秋を迎えることができた。以来数百年、この土地では特にひどい旱害に苦しむことがなく、村人はこの老松のことを子孫代々語り伝え白蛇の松というようになった。社前の小池は常に水を湛え、どんな旱天にも水が涸れたことがないと聞いている。
 昭和四十八年五月指定』
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 黒松跡の碑と石祠。
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 石祠三基。側面には寛政五年四月吉日とある。1793年のものだ。
 ところでこれはゴルフボールを奉納しているのか、それとも隣のゴルフ場から飛んで来たものなのか。

八坂神社(薮塚町)

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 西野公民館入口脇に鎮座する八坂神社。
 鳥居の柱には平成十八年五月吉日とあるが、神社自体の由緒などは不明。
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 御神輿と本殿。

菅原神社(西長岡町)

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 稲荷神社から南下して行くと、そのうちに菅原神社の前に出る。
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 拝殿。
 いつもの如くググってみると、こちらの御祭神は菅原道真公を主として、建御名方命と櫛御氣野命、五十猛命、大屋津姫命、抓津姫命を配祀しているそうだ。
 社殿の裏手は古墳となっているが、社殿を建築する際に削られてしまったようだ。
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 壊れた石灯籠。明和九壬辰年十二月とあるので1772年のものだ。
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 境内南東端にも古墳。
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 その墳頂に末社が五つ。
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 社務所建設記念碑と十二石橋坐碑。社務所は大正十二年に建てられたようだが、現在その姿は見当たらない。

稲荷神社(西長岡町)

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 若宮八幡宮から西へ向かうとすぐに稲荷神社が見えて来る。
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 祠の側面には入長岡総鎮守 正一位稲荷大明神とあり、昭和六十一年二月二の午に改築したようだ。
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 末社。
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 遠景。

若宮八幡宮(西長岡町)

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 浅間神社の麓にある上州上田ビオトープの里パーキングエリアから道なりに北上して行くと若宮八幡宮がある。
 鳥居の柱には平成元年九月吉日、注連柱には明治三十六年と記されているが、こちらの神社の創建はいつ頃なのだろう?
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 拝殿と本殿。
 若宮八幡なら御祭神は大鷦鷯尊(仁徳天皇)だと思うのだが、扁額には八幡神社と記されている。若宮八幡は八幡宮から勧請した新宮とされる場合もあり、その場合の御祭神は誉田別尊(応神天皇)となるのだが、こちらはどうなのだろう。
 すずき@東毛様の運営されているブログ「無軌道庵」を見ると、こちらには惟喬親王(清和天皇の兄)も祀られているとのことだが、「も」と言うことは主祭神ではないのだろう。
 惟喬親王と言えば、こちらとこの後に参拝した稲荷神社の間を南北に走る道を北上して行くと県道332号線に合流する辺りに惟喬親王宮があるそうなのだが、その存在を知ったのはほんのさっきなので、そちらは当然参拝していない○刀乙
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 参道脇に石祠。なにも記されていないので何神社なのか不明。

浅間神社(西長岡町)

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 八王子山公園墓地の西端に鎮座する浅間神社。
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 浅間神社拝殿。
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 本殿。
 左の祠はなんだろう?
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 改築記念碑。
『今を去る百十五年前、我ら祖先が風光明媚のこの愛宕山に修験道の道場として浅間神社を勧請しました。長年月風破倒木のため、社殿が倒壊されました。関係者一同相計り挙げて改築の運びとなりました。おもえば我ら祖先が農作業の疲労も厭わず相集い相励んだ事を思うにつけ、身の平安を願うのみではなく、子孫に到るまで祈る愛郷心の一念発起に外ならないものだったのでしょう。この度の改築にあたり、この社域に佇むとおのずと深い感動を覚えます。ここに発起者の霊に御報告旁々、無事息災の神佑を祈念し、改築建碑の辞を謹書した次第であります。
平成八年三月吉日』
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 高尾山。
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 境内社。
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三尾稲荷神社(西長岡町)

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 曹洞宗天王山長岡寺の入口脇に三尾稲荷神社が鎮座している。
 長岡寺は1500年代前半に建立された寺院だと言うことだが、三尾稲荷神社もその頃からあったのだろうか? 社号標石の裏を見ると昭和六十一年二月吉日 長岡廿九世膽堂代建立と記されているので稲荷堂自体は比較的最近のものであるようだが。
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 正面。
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 お狐様。
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 馬頭観音。
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 拝殿。

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愛宕神社(菅塩町)

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 善泉寺の前をスルーして愛宕神社へ。
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 社号標石の横に道祖神。天明七丁未年十二月とあるので1787年のもの。
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 大国主命と猿田彦大神。
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 参道。
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 石段脇の石燈籠には宝暦七丁丑年二月吉日とあるので1757年のもの。
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 社殿左側に境内社。
 中央に天照皇大神宮。左右の祠は不明。
 また左手前側の石祠は右側が秋葉山宮。左側は社号が記されていなかったが、前面に梅の木の彫刻が施されているので天満宮ではないかと推測。台座には宝暦六年とあるので1756年のもの。
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 社殿右側の末社。
 左側は天王宮。右側ははっきりしないが、天祖宮か天神宮ではないかと。
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 社殿裏に末社群。
 左端は月弓神社。側面には明治十五年十二月再建と記されている。
 他にも新田七社神社があり、こちらは側面に元弘年中新田義貞とある。また、その隣の石祠には大治年中新田義重再建と記されている。

金比羅神社(菅塩町)

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 天満宮から北西へ向かって行くと十字路のそばに薬師堂。
 ここから左手側の坂を上って行くと金比羅神社、十字路から北へ向かって行くと善泉寺の先に愛宕神社がある。
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 金比羅神社までの道は舗装されてはいるものの、ひび割れてがたがたしている。
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 ものの数分で金比羅神社に到着。
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 拝殿。
 右奥に見える石祠は蚕影社。
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 社殿を斜めから。
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 謎の石柱。
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