地蔵尊(小中町)

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 田中正造誕生地墓所から130m程北西の交差点傍に地蔵尊(佐野市小中町)。
 ストリートビューを見ると2013年頃にはまだ地蔵尊も小鳥居も無かったようなので、わりと最近になって建てられたものなのだろう。
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 50m程北東にも小鳥居がある。
 この立小便禁止的な小鳥居はあちこちでみかけたが、こんな所で小用を足す人もいないだろうし、犬の飼い主にでも向けたものなのだろうか。
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 交差点脇に小さな祠があったのだが、何神社なのかはわからない。
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浅間神社・阿夫利神社(小中町)

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 田中正造旧宅の東側に鎮座する浅間神社・阿夫利神社(佐野市小中町974)。

薬師堂(小中町)

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 田中正造誕生地墓所の東隣に位置する薬師堂(佐野市小中町959)。
 御堂の左側が薬師堂。右側は「牛皮山」の額が掛けられており、中には「般若院」の額が見える。牛皮山般若院と言う名の寺院であるのだろうが、ググってみても出てこないので詳細は不明。
 右奥に見えるのは田中正造誕生地墓所。
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 入口。
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 案内板。
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 案内板その二。
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 案内板その三。
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 墓碑。
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 石祠もあったのだが、何神社なのかわからない。
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 栃木県道237号赤見本町線を挟んで北側に田中正造旧宅。

八坂神社(小中町)

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 小中町荒宿公民館脇に鎮座する八坂神社(佐野市小中町)。
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 天王の文字が見える。
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 庚申塔。
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根本山神宮(並木町)

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 旗川の畔に鎮座する根本山神宮(佐野市並木町251)。
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 石祠の額部分には「山神宮」とのみ刻まれているが、佐野市役所のサイトには根本山神宮と記されている。
 石段手前の水盤には鷹の羽団扇紋が刻まれており、側面には「嘉永五壬子年九月吉日」とあるので1852年の造立。
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 どちらも安政二年(1855)三月の造立であることはわかるのだが、何神社なのかはわからない。
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 馬頭観音かな。
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馬頭観世音(並木町)

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 旗川に架かる稲岡橋の傍に位置する馬頭観世音(佐野市並木町253)。
 その隣には青面金剛となんらかの供養塔。文字が薄くなっていてよくわからない。
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 宝永三丙■天九■吉■の文字が見えるので1706年の造立。
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 川の向こうはもう足利市稲岡町。

稲荷神社(並木町)

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 堀之内公民館脇に鎮座する稲荷神社(佐野市並木町120)。
 鳥居の柱には「昭和二十八年五月十九日建之 堀之内郷一同」と刻まれている。
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 烏帽子岩元祖食行身禄霊神。
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 案内板。
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 左の石祠は浅間神社。右の石祠は稲荷神社。中央の石祠とその手前の石塔は不明。
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安楽寺(並木町)

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 宗光院の500m程北に位置する真言宗豊山派積水山無量寿院安楽寺(佐野市並木町1185)。
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仁王門
 この仁王門は、元永三年(一一二〇)足利家綱が罪を許されて九州大宰府より帰る時現在地に移し、永享年間に再建したものである。なお天井に宝永二年(一七〇五)の再建者の名が墨書してあり、現在の仁王門は、三間一戸入母屋造で、和洋新派(室町時代様式)の代表的建造物である。
 平成十二年十一月二十六日の火災により茅葺屋根が焼失した。
 防災上の理由から、銅板葺で復元を行うことになり、平成十三年十月九日修復工事が終了した。
木造金剛力士像
 この仁王像は、運慶と伯運の作と伝えられている。
 作者年代共に不明である。洗練された写実風のなかに精神の強さを表した室町時代の様式である。
 像高は、二六四センチメートル
銅鐘
 元禄八年(一六九五)天明の鋳工長谷川七郎衛門尉藤原正吉の作である。
 鐘の上帯の飛雲、下帯の桜花流水、駒の爪の蓮弁模様があり、笠形の蓮弁鋳出しの奇形は県内に類例のない珍形である。
  口径 六九・六九センチメートル
  重量 約四五〇キログラム

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 参道左手側に大門公民館があるのだが、神社も兼ねているようだ。
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 しかし何神社であるのかはわからない。
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 仁王門。
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ふるさと佐野100選 安楽寺仁王門
元永3年(1120)九州大宰府より現在地へ移り、その後再建された
昭和33年市の有形文化財に指定される
三間一戸重層の入母屋造茅葺きの楼門で、上下重のバランスが良く、意匠的に見ても優れており、県下の近世楼門の典型である中に阿吽一対の金剛力士像が安置されている

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 山門。
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 山門をくぐるとすぐ左手側に何故か狸。
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 本堂。
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安楽寺について
 当山安楽寺は、寺伝では詳らかではないが、開山したのは日賢上人で菅原道真公、追福報恩謝徳のため延暦年間に九州の大宰府に醍醐派光台院本末二十五ヶ寺の中本寺として建立されました。
 後に、佐野唐沢城主足利壱岐守家綱公(身の丈一丈、腰回り八尺)が、元永年中筑紫に謫せられた時、異国より来た三人の力士(蛇慢、我慢、岩幕)と、鳥羽天皇の命令により相撲の天覧試合を行い、勝利を得ました。その恩賞として朝廷の勅許を得て、大宰府の安楽寺の伽藍(本尊、山門にいたるまで)船で運び、元永三年(西暦一一二〇年)に今のこの地に建立しました。
 時を経て、明治五年八月(西暦一八七二年)台風の折、竜巻が起こり本堂、鐘楼堂、蔵、庫裏、中門等が倒壊したが、同八年五月に再建した。
 しかし、再建したとはいえ、以前の安楽寺の伽藍ではなく接待所(客殿)を改築して仮本堂として運営してまいりました。
 このような大災害に見舞われても山門(仁王門)は無事で一度も火災にもあっておりませんでした。
 ところが、平成十二年(西暦二〇〇〇年)の十一月二十六日夜十時ごろ原因不明の思わぬ火災にあり、仮本堂、庫裏、仁王門の二階が焼失しましたが幸いに一階の仁王尊像には被害が及びませんでした。
 翌年、本堂新築に対して役員一同、檀徒一同の賛同のもと本堂建立の計画が立てられ、当山全檀信徒の協力により本堂新築工事が始まりました。
 平成十五年の春に地鎮式を挙行し、同年十一月末より基礎工事に取り掛かり、平成十七年三月十三日檀信徒参加のもと上棟式を執り行い、平成十九年十月二十八日、元真言宗豊山派第二十九世管長、総本山長谷寺第八十三世化主、雨引山楽法寺管首、大司教大僧正川田聖定猊下を大導師と仰ぎ、盛大に本堂の落慶法要を挙行いたし、ここに安楽寺本堂の容姿を顕現したのです。

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 境内社。
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 菅原道真公を祀っているとのことだが、他の二つの祠はなんなのだろう? 二基の石祠はどちらも稲荷大明神。
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 線刻碑。
 左側の小さな石柱は「成辨金剛」と刻まれている。成辨金剛ってなんだろう。
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 鐘楼堂と銅鐘。
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 恵比寿神。
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 大日如来。

宗光院(並木町)

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 花岡町公民館の北側に位置する真言宗豊山派延壽山宗光院(佐野市並木町1790)。
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 線刻碑。
 「伊豫國大山寺写 野州新四國 第五十二番 花岡宗光院」と刻まれている。
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 花岡町公民館前に並ぶ石仏群と石蔵。
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 石仏に混ざって鎮座する石祠。
 梅鉢紋が刻まれているので天満宮だろうかと思ったのだが、下に目を向けると二股大根が刻まれている。聖天宮なのか天満宮なのか、はてさて。
 側面には「大正六年四月三日 花岡氏子中」と刻まれているので1917年の造立。
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 馬頭観音と如意輪観音。
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 青面金剛と庚申塔。
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 安永四乙未年(1775)四月造立の如意輪観音。
 この左側に無縫塔、右側に普門品百萬供養塔がある。
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 水盤の側面には「文化九壬申稔正月大吉辰」と刻まれているので1812年の造立。
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 蔵の脇には獅子舞の説明板が設置されている。
芦畦の獅子舞
 約七百年前に始まったといわれる獅子舞で、昔、芦畦とよばれた並木町花岡に伝わるものである。
 毎年、旧六月一日と十五日に近い日曜日に行われる厄除け行事で、三頭の獅子が、太刀持・ささら等のお供を従え、笛、太鼓の音に合わせて町内を舞いめぐるものである。
 なお、獅子頭は安楽寺の仁王様の余材をもって作ったという伝承がある。
 平成六年三月

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 薬師尊と刻まれた石燈籠。亀の上に乗っている。
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 花岡町公民館の70m程東、消防団傍の道端に設置された石燈籠。「聖天宮」と刻まれている。
 ここから1.3km程北に二柱神社(元聖天宮)があるから、ここも参道の一部なのだろうか。公民館前の石祠にも二股大根が彫られているし。
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 なんだろうこの突起部。
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 石燈籠から75m程北の道端に道祖神。

御嶽神社(高橋町)

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 高橋第一公民館の脇に鎮座する御嶽神社(佐野市高橋町)。
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 祠が二つ並んでいるが、たぶん左側が御嶽神社だろう。右の祠の中に置かれた板には稲の文字が見て取れるので稲荷社かとも思ったが、○の中に卐と、その上に山の絵が描かれているのでこちらも御嶽講に関係するものなのだろう。
 左端の石祠は筑波山神社。背面に「大正三年旧二月二十八日納」と刻まれている。
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阿夫利神社(高橋町)

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 高橋町第二公民館前に鎮座する阿夫利神社(佐野市高橋町)。
 石祠の側面には「明治三十四年 第四月初申」と刻まれているので1901年の造立であることはわかるのだが、額部分が崩れてしまっていて神社名は確認できない。幸いにも近所の方がいらしたので尋ねてみたら、阿夫利神社であるとのこと。
 また、現在高橋町第二公民館が建てられている所には以前は釈迦堂があり、老朽化したお堂を建て直す代わりに公民館を建ててその中で釈迦如来をお祀りしているのだそうだ。
 余談だが、戦国時代にはこの南側辺りに白石豊前守の居城である高橋城があったそうであるが、後の時代に寺院が建てられたのだろう。
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 公民館の裏手には無縫塔と地蔵菩薩、阿弥陀如来、如意輪観音、庚申塔が並んでいる。
 地蔵菩薩は寛文十一亥年(1671)、如意輪観音は寛政十一己未年(1799)の造立。阿弥陀如来は保九辰天十月八日の文字が見えるので、おそらく享保九年(1724)だろう。
 公民館を建てる為の土地造成中に地中から出て来た物の中で程度の良い物だけを並べたとのことで、破損の激しいものなどは再び埋め戻されてしまったのだそうだ。以前はここの南側にお寺があったとの言うことなので、無縫塔はその住職達のものであるのかも知れない。阿弥陀如来像には覺心法師霊位と言う文字も刻まれていることだし。
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 公民館から80m程東側の道端に地蔵菩薩。

不動明王・聖徳太子堂(高橋町)

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 渡良瀬川左岸、高橋公民館西側に位置する不動明王・聖徳太子堂(佐野市高橋町)。
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 「高橋町 不動明王様 聖徳太子様」と書かれた扁額が掛けられている。
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 戦没者慰霊碑。
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 裏手の無縁墓地に置かれた青面金剛と阿弥陀如来、如意輪観音。
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天満宮(大古屋町)

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 国道50号佐野バイパス南側、秋山川の畔に鎮座する天満宮(佐野市大古屋町)。
 以前の鎮座地からは西北に100m程移動したことになる。去年移転工事中とのコメントを頂いていたのを思い出し、帰りがけに参詣。
 鳥居の柱や鈴緒の六角桐枠には「平成二十八年十一月吉日」と刻まれており、半年程前に新築されたばかりであるようだ。
 七年前の記録はこちら
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 拝殿正面。
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 産泰神社。
 こちらは以前と変わらず、そのまま移築されたようだ。
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 浅間宮。
 こちらも平成二十八年十一月に新築されている。
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 左奥から大正二年十二月二十五日建の天満宮仮宮建築記念碑、大正十年三月二十二日建の天満宮拝殿新築記念碑、平成二十八年十一月吉日建の新築記念碑。
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 地蔵菩薩、不動明王、十九夜塔、地蔵菩薩。
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 青面金剛。
 ストリートビューを見ると以前からこちらにあったことがわかるが、覆屋は天満宮移転時に合わせて新築されたのだろう。
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 以上で6月10日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA16-85mm、DA FISH-EYE 10-17mm、50-150mm II。X30。
 ウォーキングカウンターは7,603歩。

諏訪神社(町谷町)

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 佐野みかも台産業団地に囲まれた町谷町公民館の南隣に鎮座する諏訪神社(佐野市町谷町222
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『諏訪神社移築記念碑
 諏訪神社は、明治三十年(1897)に町谷町所有地に建築されたが、当該土地が山林開発(後に新都市開発整備事業用地として地域振興整備公団が買収)のため、昭和五十五年(1980)に諏訪溜池の辺りに借地して新築された。
 その後、平成十五年(2003)に地主山口芳孝様から町谷町が買い受け公民館を建築したこの土地に永く保存できることを願い移築したものである。
 平成十六年五月吉日』
 NAVITIMEを見ると、みかもクリーンセンターの北東にある池の畔に諏訪神社の名が見えるので、以前はそこに鎮座していたのだろう。
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 北側から。
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 諏訪神社の西南にある池の畔に建てられた……なんだろう。人が住んでいると言う感じではなかったし、すぐそばに町谷町公民館があるのだから集会所と言うわけでもないだろう。社務所…なのかなぁ。

田原八幡宮(新吉水町)

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 天満宮から南へ向かうと田原八幡宮があるのだが、なかなか見つけられず、周辺を随分とうろうろすることになってしまったが、結局どまんなかたぬまに車を置いて徒歩で探したら割りとあっさり見つけられた。しかも、見つけてみれば駐車場がしっかり有るじゃないか○刀乙
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 二の鳥居と東明寺古墳。
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『佐野市指定史跡 藤原秀郷公墳墓 1基
 昭和42年6月28日指定
 直径24m 高さ3m 円墳
 周囲の平坦面と切石を含めると、直径35.6m、高さ5mの墳墓となる。
 藤原秀郷公は、上野国(群馬県)赤岩に生まれた。天慶三年(940)二月、朝廷に背き乱を起こした平将門を、平貞盛と協力して討ちとった。その戦功により従四位下に叙せられ、武蔵(東京都・埼玉県)・下野(栃木県)の国守に任じられた。正歴二年(991)九月に没し、ここに葬られたと伝えられる。
 かつてこの近くに、秀郷が開基となり、大僧都知海法印が開山した大同山東明寺(元和三年(1617)に廃寺)があったことから、「東明寺古墳」ともいう』
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 古墳の北側に田原八幡宮。
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 狛犬。
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 本殿。
 八幡宮ではあるが、御祭神は藤原秀郷公。かつては墳頂に鎮座していたのが、こちらに下ろされたのだそうだ。

 以上で9月11日参拝分終了。
 使用機材はK-7にDA40mmとFA28mm、FA77mm、APO-LANTHAR 180mm。K10DにDA15mm。IXY Digital 400。

天満宮(新吉水町)

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 新吉水地区コミュニティセンターの西側に鎮座する天満宮。コミュニティセンター南側の田沼吉水駅前郵便局が良い目印になるだろうか。
 現在は境内の造成中のようで、コミュニティセンターと神社の間に駐車禁止と書かれたカラーコーンが置かれていたので、コミュニティセンターの駐車場を借りることにした。
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 改めて、鳥居。
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 拝殿。
 先ほどの小見町の天満宮からこちらまではとても近く、また今回は参拝しなかったが、下小見地区にも天満宮があるそうで、この比較的狭い地域に天満宮が三つもあると言うのは、藤原秀郷公が菅原道真公を深く崇敬していたことと関係があるのだろうか。
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 日露戦争従軍記念碑の左側の石祠は為朝神社。すると御祭神は鎮西八郎源為朝だろう。従軍記念碑右側の少しだけ立派そうな祠は詳細不明。
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 神武天皇遥拝所。
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 本殿左右から。
 塗り直されたばかりなのか、彫刻に施された色彩はかなり鮮やかだ。…うん? なにかおかしいな。天満宮なのに、なんで梅紋ではなく左三つ巴紋なんだ? あぁ、そうか、藤原秀郷公が使っていたのがこれだ。唐沢山神社の神紋も左三つ巴紋だったものな。とすると、こちらの神社はやはり秀郷公縁の神社と言うことになるのだろう。
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 本殿裏の彫刻。左右の彫刻は中国の故事を元にしたような感じだったが、こちらの雷神は随分と日本風だ。
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 全景。

天満宮(小見町)

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 神明神社から南下して行くと、どまんなかたぬまの西の交差点に至る手前左側に天満宮が鎮座している。
 ところで、赤見町の駒場交差点から吉水町の道の駅交差点までを繋ぐ道って何て呼んだらいいんだろう。
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 狛犬と拝殿。
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 こちらの狛犬は石塚町の熊野神社久保町の日枝神社の狛犬と似たような形をしている。
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『佐野市指定有形文化財 養蚕額 1面
 平成4年6月16日指定
 縦85cm 横165cm
 この額は、昭和三年(1928)十月、小見養蚕組合で、養蚕の振興を願って天満宮へ奉納したものである。桑切り、桑くれ、運搬、おこ上げ、繭かき等の養蚕作業に従事する男女十九人と、運搬する馬一頭が描かれている。
 画家は、当時の小見新宿に住んでいた郷土画家の清水秋塘で、後に出流原に移り住み、そこで没したといわれる。
 養蚕業の衰退した現在、当時の養蚕作業の様子を知ることができる資料として貴重である』

 養蚕業の発展を願うなら、蚕影神社や天白神社の方がいいんじゃないかと思うのだが、菅原道真公の所領が桑原であったとも言われているようなので、その辺りの繋がりなのかな。
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 養蚕額。
 保護の為にビニールで包まれており、円偏光フィルターを着けても反射を除去しきれない。
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 天満宮の社殿横に境内社。
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 床はコンクリートで固められており、祠の周囲には石造りの瑞垣が見える。
 また、祠には三五の桐や左三つ巴紋が見えるが、いったいこちらは何神社なのだろう。
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 末社。
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 小見町公民館の脇に稲荷神社。

神明神社(小見町)

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 榊神社から西へ向かい、小見原公民館を目印に進んで行くと、公民館北側の道端に神明神社が鎮座している。
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 由緒書きどころか額や社号標石も無いので、参拝した時は何神社なのか判らなかったが、帰宅後にググってみたら佐野市の公式ウェブサイトにこちらの神社の記述があったので、神明神社と判明。と言うことは、御祭神は天照大神であろう。
 しかし、創建時期や由緒などはやはり不明。
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 神社の脇に地蔵祠。
 道路に面して、ダイナミックな文字で青面金と彫られた石塔が建てられている。剛の文字は見えないが、青面金剛であるのは間違いないだろう。天明丁未年七月朔日とあるので、天明七年(1787)のものか。徳川家斉が第11代将軍に就任したり、田沼意次が失脚して松平定信が寛政の改革に着手した年だそうだが、そう考えると、しみじみと古い物なのだなぁと感じる。

榊神社(吉水町)

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 東明庵から南下して行くと、北関東自動車道の下を潜った少し先に慶安寺と榊神社への案内標識が有るので、それに従って進むと右手側に榊神社が見えて来る。
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 拝殿。
 撮影していた時には気付かなかったが、よく見てみると屋根の上に狛犬型の留蓋が設置されている。
 こちらも由緒書き等が見当たらなかったのでいつものようにググってみると、吉水駅前情報と言うブログにこちらの神社のことが記載されていた。それによると、こちらの御祭神は保食神、或いは豊受大神であり、古くは白鳥神社境内にあったが、現在地に遷座したとのこと。が、その白鳥神社がどこにあるのかは判らない。
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 本殿。
 背面には七福神の彫刻が施されている。
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 愛宕神社。
 右側の石祠は詳細不明。
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 扠首束には鬼の首のような木像が設置されている。
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 末社群。
 八つの祠が並んでいるが、いずれも不明。
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 神楽殿。
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『佐野市指定無形文化財 吉水榊神社太々神楽
 昭和53年12月12日指定
 この神楽は、赤見村大門(佐野市赤見町大門)に伝わる太々神楽を、昭和二年(1927)、吉水在住の有志数名が伝授を受け、これを吉水の鎮守である榊神社に奉楽し、氏子の五穀豊穣と家内安全を祈願したことに始まる。
 神社への奉楽は吉水敬神講の人たちにより、春祭(四月第四日曜)と秋の例祭(十月第四日曜)に行われる。神楽は、神々が舞う前に素面に白装束で御幣・鈴などを持ち、神楽殿周囲を清める舞に始まる。
 演目は、
  1.猿田彦之命の舞  2.岩戸開きの舞  3.事代主之命の舞
  4.八幡大神の舞   5.大王之命の舞  6.大国主之命の舞
  7.素佐能男之命の舞 8.経津主之命の舞 9.稲荷大明神の舞(白狐)
 10.住吉大神の舞  11.金山彦之命の舞 12.大山津美之命の舞
の十二座であるが、普通は時間の制約上、1.猿田彦之命の舞、2.岩戸開きの舞、3.事代主之命の舞を主とし、大胴・ツケ太鼓・笛に合せて勇壮に、厳粛に、或いはユーモラスに演じられる』

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 境内全景。

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 榊神社の前から鳥居をくぐらず、社号標石の右へと入って行くと、榊神社と慶安寺の間の細い参道に馬頭観世音の板碑。
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 青面金剛と地蔵菩薩。
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 庚申青面金剛尊と青麻山青麻大権現。
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 薬師堂。
 薬師堂から左に行けば榊神社境内、右に行けば慶安寺境内。

八坂神社(吉水町)

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 県道16号線を南下し、のぞみ動物病院前で南西へ入って行くと右手側に救世山東明庵が見えて来る。こちらは佐野坂東三十三ヶ所札所の十八番札所でもある。
 ちなみに山門の右側に見える赤い屋根が東明庵で、正面に見える建物は吉水上公民館。
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 こちらの御本尊は馬頭観世音菩薩。
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 佐野坂東観音巡礼開創供養塔。
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『佐野市指定有形文化財(考古資料) 石造佐野坂東観音巡礼開創供養塔 1基
 平成11年3月30日指定
 形状 笠付墓塔(中央に馬頭観音立像の浮き彫り)
 総高 162cm、幅 39cm、奥行き 24cm

 救世山東明庵は、元禄四年(1691)に本源雲谷が開いた寺院である。雲谷は、近隣の寺院等に呼びかけ、坂東三十三ヶ所の観音霊場になぞらえた「佐野坂東三十三所」を開創した人物である。雲谷は同行三十三人と、寺院に参籠しながら佐野坂東三十三所を巡り、元禄十一年(1698)八月十七日に巡り終えた。
 この供養塔は、それらのい事業を記念して建てられた供養塔である。庶民の観音信仰を知る上から貴重な資料である』
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 地蔵祠。
 左のぼこぼこした石は庚申塔であるようだ。
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 吉水上公民館に隣接して八坂神社が鎮座している。

大宮大黒天(田沼町)

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 栃木県道16号線沿いに有るセブンイレブン田沼町田沼店の南東に大宮大黒天が鎮座している。
 社号標石は美光宝飾店の向い側にあり、道了大薩埵と刻まれている。左側の標石は半ばほどで折れてしまっているが、大正六年十月吉日とある。
 鳥居脇のゴミ置き場くらいしか駐車スペースが無いと思っていたが、調べてみたら左側の広いスペースが駐車場であったらしい。てっきり私有地だとばかり思っていた。
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 鳥居の脇には庚申塔や甲子大黒天、冨士登山大雄山道了大薩埵参拝記念碑、支那事変記念碑が並んでいる。
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 左は織姫神社・三峰神社。右が大宮大黒天。
 大宮大黒天側には、小田原の大雄山最乗寺(道了尊)より分祀したと言われる天狗の団扇が祀られているのだそうだ。
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 本殿裏に末社が二つ。
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 三光星大神と刻まれている。
 天照大神(日)・月読尊(月)・素盞嗚尊(星)の三神なのかな。太平山神社では天照皇大御神(日)・豊受姫大神(月)・瓊瓊杵尊(星)としているし、天照大神(日)・月読尊(月)・天御中主尊(星)とする所もあるようなのでよく判らない。

稲荷神社八幡大神(石塚町)

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 熊野神社から西へ少し歩くと稲荷神社・八幡大神。
 初めは屋敷神かと思ったのだが、地図にも記載されているし、よく見ると敷地が分かれているので屋敷神ではないだろうと判断。また、熊野神社のエントリーに記載しようかとも思ったが、一応境外にあるので独立して記載することにする。

熊野神社(石塚町)

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 石塚神社から北上して行くと石塚小学校脇の交差点で三方向に分かれるので、右側の道へ入ってまっすぐ進んで行くと突き当たりに真言宗豊山派大悲山南方寺があり、その西側に隣接して熊野神社が鎮座している。
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『熊野神社本殿
 創建は不詳であるが、現在の本殿は天保十五年(1844)に改築されたものである。建築は大工棟梁野城大和藤原長久。彫刻は彫工内山山城藤原吉久によるもので、流破風作りで基部に風浪雲竜の彫刻を配し、壁面には古典に引例した天下泰平を祈念する場面の彫刻を回らせている貴重な建造物である』

 昭和61年12月6日に佐野市の有形文化財に指定されている。
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 二の鳥居。
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 狛犬。
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 拝殿。
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 本殿。
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 本殿左側に末社。

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 南方寺。

石塚神社(石塚町)

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 下石塚交差点まで戻り、そのまま北上して行くとやがて右手側に石塚神社が見えて来る。
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 拝殿。
 由緒書き等は見当らず、従って詳細不明。
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 拝殿左側に末社。
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人丸神社(小中町)

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 藤宮神社から南下し、県道237号線に合流する少し手前で東へ折れると人丸神社が鎮座している。
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 駐車場の端に八坂神社。
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『人丸神社縁起
一、所在地 佐野市小中町一○六二番地
一、御祭神 万葉の歌聖 柿本人麿公
一、御祭礼 一月初詣・元旦祭
         四月・十月 第二日曜日
         御神楽奉納(市指定無形民俗文化財)
一、宝物  柿本人麿公御神影・小堀鞆音画伯謹書
        湧泉地・神苑が記念物(名勝)
        神楽面(八面)=出目勝満作(市指定文化財)
  なお、御社には、須藤晏齋、小堀鞆音、同安雄の父子三代にわたって絵画が奉納されている
一、当地は義人田中正造翁、画聖小堀鞆音、同安雄、山口信治(正造翁と国会開設請願者)、篠崎ハル(ナイチンゲール受賞)篠崎敏治、源三兄弟の生誕の地として有名である
一、御社に参拝された文人は樋口清之(国学院大学名誉教授)、梅原猛ご夫妻(京都産業大学教授)、小堀桂一郎(鞆音=孫東京大学教授)、小林吉一(国学院栃木短大教授)
  芸能人は当地縁の京塚昌子、江戸家猫八、小猫父子等の各氏
一、初詣、七五三、学業成就(進学合格)、交通安全祈願は霊験灼(あらたか)である

 御祭神人麿公の詠れた歌
  下野の阿蘇野の原の朝あけに
     もやかけわたる、つづら草かな』
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 参道。
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『人丸神社神苑
 扇状の湧水をもとにして、人丸神社野神苑が成立している。四季折々の神社の情趣を生み、神社の境内には石鳥居(1691)や石灯籠(1688)があり、島には疫病除けの為朝神社と下流の水田の守護神斎川神社がある。

 人丸神社湧泉池
 田沼扇状地の末端に湧出した地下水が池となって、下方数百ヘクタールの水田をうるおす斎川の水源となっている。地質学上の湧水として貴重な自然現象である。

 絹本着色柿本人丸像
 田崎早雲筆の大和絵風人物画の代表的作品で、人丸神社の祭神柿本人丸を描いた掛軸である。
 もと葛生町の村樫正作氏の所蔵品であったのを、昭和四十年十月(1965)人丸神社に奉納したものである。

 神楽面(八面)
 宝永七年三月(1710)江戸講中より奉納されたものである。
 この中の一面の裏側に「出面勝満(花押)」と朱書のある。種別は、てんぐ、びやっこ、ひつこ、うずめ、ふとだま、ふつぬし、おきな、おうなの八面で、巧みに喜怒哀楽をとらえ、高度の造形性をもっている。作者は江戸時代中期に活躍した古本模倣面の名門である』
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 神楽殿。
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 狛犬。
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 社殿。
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 末社群。
 左側の石祠は三峯神社。そして長屋の左から日枝神社、伊津伎神社、稲荷神社、八坂神社、天満宮、神明宮、八幡宮、浅間神社、斎川神社。
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 中央の祠には名は記されていなかったが、左側に三笠山大神、右側に八海山大神が並んでいるので御嶽大神ではないかと思われる。また、八海山大神の隣には阿留摩耶大神・摩利支天。
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 本殿左側にも末社。
 左端はおそらく稲荷神社。その右は「稲荷大・八満大」の文字が残っている。その右に白山宮。右端は不明。
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 本殿の真裏にも祠があり、左側は判らないが、右側の祠の台座には齋川神社の文字がある。
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 本殿右側の島に為朝神社。
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 為朝神社の右側、湧泉池と用水路の間に末社。しかし何神社なのかは判らず。
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 湧泉池の中にも末社。
 こちらもどなたを祀っているのかは判らないが、よくある例として厳島神社ではないかと思われる。
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 四阿を挟んで南側の湧泉池と用水路の間にも末社。やはり判らず。
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藤宮神社(石塚町)

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 十二天塚古墳より東へ向かい、下石塚交差点から南下して行くと右手側に藤宮神社が道路に面して鎮座している。
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 由緒書き等は見当らず、ググってみても詳細は不明。
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 本殿。

蓮沼神社(赤見町)

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 佐野市運動公園の南側に十二天塚古墳があり、その墳頂に蓮沼神社が鎮座している。
 直径はおよそ38m、高さはおよそ7mの円墳であるそうだ。
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 古墳南側に蓮沼神社の鳥居。
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 石室が口を開いている。
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 蓮沼神社。
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 稲荷大明神と十二天尊。
 なぜ蓮沼神社と称するようになったのだろう?
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 北東側から。

沼鉾神社(赤見町)

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 赤見小学校の東側に沼鉾神社の社号標石が建てられており、その脇に石祠が鎮座しているがどなたが祀られているのかは不明。
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 一の鳥居。
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 二の鳥居。
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 狛犬。
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 狛犬の台座には由緒を記した石板が嵌め込まれている。
『神社の創立は、文武天皇二年(698)六月十五日勧請したと伝えられ、藤原秀郷公が元慶九年(946)に御本殿及び拝殿等を再建したといわれております。その後、正治二年(1200)に御本殿、拝殿を修理し、元和元年(1615)に御本殿の改築が行われております。享保年間に至り拝殿は、火災に会い消失しておりましたが、天保十一年(1831)正月十九日に新築されました。この度、御本殿、拝殿共老朽化甚しく、改修の必要にせまられ、氏子、崇敬者相計り、社殿の改修、社務所の新築をすることに決定し、社殿改修は、昭和五十八年(1983)七月二十五日仮遷宮並びに改修報告祭を執行、同年十二月二十五日修了、社務所の新築は昭和五十八年起工式を行ない、同五十九年三月二十九日工事を修了いたしました。追加工事として、水屋並びに神楽殿、末社の整備を行ない、ここに総べての工事を完了することができましたので一二○○年を記念し奉祝祭を執行いたしました』
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 東側の駐車場脇に立てられた看板を見ると、こちらの御祭神は伊邪那岐尊と伊邪那美尊。
 沼鉾神社の名前は天沼鉾からかな?
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 拝殿。
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 虹梁の上には四股を踏んだ力士のような木像。
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 二福神社。
 どなたが祀られているのか判らなかったが、プチ神楽殿さんの記事を見ると大己貴命(大黒天)と事代主命(恵比寿神)であるそうだ。
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 機織姫神社と末社群。
 末社は左から雷電神社、宇都宮神社、不明、稲荷神社。そしてその右側に大日光と刻まれた石塔。
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 機織姫神社本殿。
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 機織姫神社の左にも末社。
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 神楽殿。

 こちらには他にも金刀比羅神社と稲荷神社、諏訪神社、熊野神社、水神社、八幡神社、中門犬神社が祀られているそうなのだが、見落としていた○刀乙

八坂神社(赤見町)

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 愛宕神社鳥居前の交差点からまっすぐ西へ向かい、バス停前を南西に入って行くと八坂神社が鎮座している。
 実は二年前に青龍神社を参拝した時に、こちらの神社にも参拝するつもりだったのだが、その時は見つけられなかったので再び探してみたらあっさり見つかった。しかも前回断念した場所から、僅か130m程しか離れていなかった○刀乙
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 拝殿。
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 草に埋もれた末社。
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 境内に建てられた市の沢公民館の脇に如意輪観音と庚申塔。
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 全景。

 この後、旗川橋交差点の南西に位置する白山神社にも向かってみたのだが、神社前50m程先から車が入れない程に道が細くなり、しかも車を置けるスペースが微塵も無いために今回は参拝を断念。
 足利市内の神社では、おそらくこの白山神社が最東端に位置していると思われるので、可能ならば参拝しておきたいところだ。

愛宕神社(赤見町)

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 栃木県道175号山形寺岡線と県道237号赤見本町線の合流地点に愛宕神社の鳥居が建てられている。
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 が、困ったことに神社前まで繋がっている筈の道は封鎖されている為、ここから先に進むことができない。しかし、私有地と言うことでは仕方が無い。
 鳥居の方から上って行けないだろうかとも思ったのだが、うん、無理だ。途中で断念した。
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