天満宮(明和町上江黒)

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 上江黒浄水場の100m程南西、民家脇に鎮座する天満宮(邑楽郡明和町上江黒)。
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 一見神社らしくはないが、まぁ割とよくある。
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 阿夫利神社・・・・・・で、いいのかな。厨子があるから仏堂っぽい感じもするけれど。

 上江黒浄水場の北側に稲荷社がある。
 社名を記した額などは無く、朱塗りの鳥居は稲荷社っぽいが塚の上にあるから浅間社の可能性もあるかなーと思っていたところ、散歩中の近所の方がいらしたので何神社なのか尋ねてみたところ稲荷社であると教えていただいたのだが、稲荷社の東側にある家の屋敷神であるとのことだったので、エントリーは立てないことに。
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天満宮(明和町上江黒)

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 泰世産業株式会社の脇に鎮座する天満宮(邑楽郡明和町上江黒582
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 菅原道真公像。
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今宮神社(明和町南大島)

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 明和町役場の北側に鎮座する今宮神社(邑楽郡明和町南大島)。
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今宮神社の歴史
 南大島二軒の今宮神社は、天保3年(1832年)栃木県鹿沼市今宮町1,692番地に鎮座する鹿沼今宮権現より御神体を譲り受け、現在地に建立されたものと思われる。
 御神徳は、商売繁盛・開運・健康長寿・五穀豊穣であり、当地は瓦製造にかかわっており、商売繁盛の神社として崇敬を集め今日に至っている。
 鹿沼今宮神社は、延暦元年(782年)に建立され日光二荒山神社の分社的性格をもち、日光鹿沼今宮権現と称した。
 天文3年(1535年)日光神領惣政所の地位にあった壬生綱房が、鹿沼築城と共に現在地に遷し、今宮権現と称して城の鎮守とした。
 天正18年(1590年)豊臣秀吉の関東平定に伴い壬生氏滅亡後、鹿沼宿の氏神となる。徳川幕府から五十石の朱印地を拝領し、慶長13年(1608年)3月今宮権現が、現在見られるような優美な権現作りの社殿(県文化財指定)と整備された。
 明治維新とともに、神仏が分離され今宮神社と称号が改められ、昭和6年には栃木県県社に昇格した。戦後は宗教法人今宮神社として崇敬を集めている。
 例大祭に行われる鹿沼今宮付け祭りは、国指定重要無形民俗文化財となっている。

 寛文元年(1661年)三代将軍家光の第四子徳川綱吉が館林城主(25万石)となった時には、当地に住居が二軒あった事が確認されており、二軒が耕地名とされ現在も南大島二軒と呼ばれている。
 天文三年は1534年の筈なのだが・・・・・・あぁ、十二月だけは1535年か。
 右側の新築工事内訳には平成二十一年(2009)十一月十五日に落慶式が行なわれたと記されているので、現在の社殿は八年前に建てられたものである。

不明(邑楽町赤堀)

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 赤堀長良神社一の鳥居の80m程西に鎮座する祠(邑楽郡邑楽町赤堀)。何神社なのかは不明。
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 矢印の所を入って行くと長良神社。

 以上で10月1日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA16-85mm、DA FISH-EYE 10-17mm。X30。
 ウォーキングカウンターは8,347歩。走行距離は約46.2km。

青面金剛(邑楽町赤堀)

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 群馬県道314号古戸館林線の脇に位置する青面金剛(邑楽郡邑楽町赤堀)。
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八坂神社・天満宮(千代田町上中森)

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 曹洞宗天徳山授楽寺の120m程北の十字路脇に鎮座する八坂神社と天満宮(邑楽郡千代田町上中森)。
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 左の石祠が八坂神社で右の石塔が天満宮。
 石祠の側面には「明治三拾年九月十五日設立」「大字上中森本郷」と刻まれている。
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 80m程西の道端には猿田彦大明神

大神宮(千代田町上中森)

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 県道38号足利千代田線と20号足利邑楽行田線、368号上中森川俣停車場線の交わる上中森交差点の180m程西南に鎮座する大神宮(邑楽郡千代田町上中森)。
 額が無かったり瓦に卐が付いていたりするのでよくわからなかったのだが、石燈籠に大神宮と刻まれていたので、ではこちらは大神宮なのだろうと。
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 大神宮の北30m程の道端に馬頭観音。

不明(千代田町赤岩)

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 赤岩渡船場の500m程南東に鎮座する祠(邑楽郡千代田町赤岩)。
 鳥居には「参宮記念」「昭和十年九月一日 當所 柴崎高三郎」と刻まれている。
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 左の石燈籠には「皇紀二千六百二年」、右の石燈籠には「昭和十七年三月吉日」と刻まれている。
 鳥居に刻まれた参宮記念の文字と神明鳥居から、こちらは神明宮なのではないだろうかと思うのだが、社名を記したものが見当たらないので確証は無い。図書館で『千代田村誌』や『邑楽郡誌』も調べてみたのだが、こちらの記述は見当たらなかった。
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 この祠から40m程西にある民家入口脇に赤い石祠と馬頭観音塔。
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 更に30m程西には青面金剛塔。
 側面には「寶暦十三癸未年二月吉祥日」と刻まれている。宝暦十三年は1763年。

大日如来(千代田町赤岩)

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 曹洞宗安楽寺の北側に位置する大日如来(邑楽郡千代田町赤岩)。
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 埼群古墳館と言うサイトを見ると、こちらは出羽三山古墳と呼ばれる古墳であり、その墳頂に出羽三山の石碑があるとのことなのだが・・・・・・
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 倒れている。
 石碑の背面には以下の碑文が刻まれている。
原碑者嘉永三年當代講社之拘建設者而大正十二年罹関東大震災被轉倒破壊矣于時昭和六年春下記依功徳者改碑厄表面題目翻刻為再建焉

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五先達碑
寶林院岩瀬氏通稱市作川清坊川上氏通稱茂助竝爲人正直恬淡亦友善同所感仰信大日如來日夕拝跽寶林院唱川清坊和望風起信者翕然而進是謂大日講此間田幡豊吉者特信斯教修行備至矣名聲嘖々賛二氏開當山奉安如來事係於弘化嘉永之際皆沒矣寶林院男市造川清坊男八五郎能承父之遺風性行境遇相均現爲講社之先達信徒祈功徳之悠久斯相謀傳不朽云爾時明治三十一年三月例祭之日
 増田朴薫沐書

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 不動尊。

琴八庚申(千代田町赤岩)

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 千代田町役場北西の道端に建てられた庚申塔(邑楽郡千代田町赤岩)。
 琴八庚申と刻まれているが、琴八ってなんだろう。
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 右側面には「宝暦七年八月十三日 昭和十二年二月立」、左側面には「坂本喜一郎 仝 新太郎 立之」と刻まれている。

五位堂(邑楽町篠塚)

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 坪谷交差点の100m程南に位置する五位堂(邑楽郡邑楽町篠塚)。
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 こちらは細谷右馬助秀国の墓所であると書かれている。五位堂の名は細谷秀国の位階が従五位であったことから五位殿と呼ばれていたことに由来するのだそうだ。
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道祖神(邑楽町篠塚)

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 坪谷交差点から580m程東へ向かった所に鎮座する道祖神(邑楽郡邑楽町篠塚)。
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辨財天(邑楽町篠塚)

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 坪谷交差点脇に鎮座する辨財天(邑楽郡邑楽町篠塚)。
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 この時は気付かなかったのだが、すぐ北側に細谷右馬助秀国の居館であった細谷館跡がある。と言うかここも細谷館跡の一部なのかも。

赤城三島神社(邑楽町篠塚)

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 県道152号線坪谷交差点の340m程西北に鎮座する赤城三島神社(邑楽郡邑楽町篠塚632)。
 地図には三島神社と記されているが、額には赤城神社と三島神社の名が記されている。
 こちらにお詣りするのはやはり九年半ぶり。前回の記事はちょっと雑だったかなと言う気がしたので撮り直しの為に立ち寄ってみたのだが、うん、あまり変わらんかも。
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八幡神社(邑楽町篠塚)

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 篠塚伊賀守重広の居城であった篠塚城跡に鎮座する八幡神社(邑楽郡邑楽町篠塚2820)。
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 篠塚城の守護神として祀られていたと記されている。
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 狛犬。
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 拝殿。
 鳥居もそうだったけど、なんだか色々と傾いている。
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 額には八幡神社と八坂神社の名が記されている。
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 虹梁なのかな、吊られているけど。
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 末社。
 左端の石祠の中には篠塚森戸開之助命神と刻まれた石塔が収められていたが、篠塚森戸開之助って誰だろう。地蔵尊の側面には「篠塚家水子之霊位」と刻まれており、その傍の石祠は何神社かわからないが側面に「大正五年十二月九日」と刻まれている。右端の石塔は昭和八年十二月造立の大口真神。

庚申護国神(邑楽町篠塚)

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 国道354号線傍に鎮座する庚申護国神(邑楽郡邑楽町篠塚)。
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 鳥居の柱には「平成十六年十一月吉日」と刻まれており、額には何も刻まれていない。
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 奥の石碑には庚申護国神と刻まれているので、英霊と庚申塔を一緒に祀っているのだろう。
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 馬頭観音。
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 北側から。

愛宕神社(邑楽町篠塚)

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 浄土宗大信寺の700m程西に鎮座する愛宕神社(邑楽郡邑楽町篠塚)。
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 馬頭観音と庚申塔。
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谷中観世音(邑楽町中野)

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 谷中集会所脇に位置する如意輪観音堂(邑楽郡邑楽町中野56)。
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 由緒碑と如意輪観音像。
谷中如意輪観世音
東上州三十三観音霊場第九番札所
 この観音様は夫婦和合・安産・長寿・福徳をみちびき 病気や苦難を救う霊験あらたかで ご利益多く老若男女の厚い信仰を集めていることで古来有名 本道の霊仏は春日作で中野藤内左衛門景春の守り本尊の持仏である
 景春は中野城三代の城主で元弘三年五月八日新田義貞生品明神で鎌倉討幕の兵をあげた時 弟義春と参陣し北条高時を討ち幕府を倒す義貞に従って建武政権に参加 足利尊氏反旗をひるがえすや 各地に転戦
 延元二年三月六日義春越前金崎城で戦死 翌三年脇屋義助に従って越前鯖江で戦う 同年閏七月二日足羽七城総攻撃 総大将新田義貞藤島城に向かう途中矢面に立つのを景春がいさめたが聞き入れられず義貞戦死 その死骸の前に景春はぬかずいてあと追い自害
 景春殉死の知らせに悲しんだ奥方は山深い押落に庵を結ぶ 妙言法尼と号し如意輪観音を安置して朝夕夫の冥福を祈る
 慶長三年九月中野氏の家臣の子孫 金井左五衛門・神藤外記 押落の庵跡から谷中の現在地に如意輪観音像を移し 世人に広く礼拝のお堂を建てる
 宝永五年四月回国修行僧堯親 東上州三十三観音霊場を定め第九番札所となる
 平成十八年八月十七日
      谷中石像建立委員会
          撰文 細谷清吉

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 額には「聖天山・神明宮・馬多楽神」と書かれている。馬多楽神とは摩多羅神のことだろうか。
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 神明宮裏手に置かれていた由緒書き。
谷中子育観音の由来
延元三年(一三三八)閏七月新田義貞は越前足羽(福井市)において、足利の部将斯波高経の軍と戦い、武運拙く流れ矢に中って遂に刎死し、家臣中野藤内左衛門尉景春も亦腹掻っ切って壮烈な最期を遂げた。
あとに景春の妻は貞心深く剃髪して妙言法尼と号し亡夫の霊を弔ったが、暦応四年(一三四一)三月夢枕に立ち、「西ノ谷の沼戸の辺に景春の兜の守本尊如意輪観音を祀るべし」と。
よって字押落に庵を立て御丈七寸の如意輪観音を安置して朝夕ひたすら回向した。やがて庵は荒廃したので慶長三年(一五九八)九月、金井左五衛門・神藤外記は谷中の地に堂庵を引き、修復して諸人礼拝の霊場とした。
其後宝永五年(一七〇八)廻国の僧堯親は、西国・坂東・秩父観音霊場の遠隔なるため巡拝困難を慮り、新たに「東上州三十三番」を設け谷中観音をその第九番と定めた。昭和五三年人々の篤信により新堂宇は建立され、「子育観音」の名は益々遠近に高い。
 世を厭ふ心のほどもかたかくる
  ただたのむべし法のちからを。
 昭和五十五年三月
     邑楽町役場

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社氏稲荷神社(邑楽町石打)

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 国道122号線石打交差点の600m程北西、日本省力機株式会社南東の民家脇に鎮座する稲荷神社(邑楽郡邑楽町石打1583)。
 額には「正一位社氏稲荷大明神」と書かれている。
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 お狐さま。
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 境内社。
 左の祠は陶器の狐が大量に置かれており、また文化九壬申年(1812)造立の石燈籠には「奉納稲荷大明神」と刻まれているので稲荷神社なのだろう。神明鳥居だけど。右の祠はまるでわからない。
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 南西側の道路傍に鳥居の台座跡らしきものがある。昔はここにも鳥居が建てられていたのだろうか。
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聖観音堂(邑楽町中野)

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 邑楽町立中野東小学校の北側に位置する聖観音堂(邑楽郡邑楽町中野)。
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 聖観世音菩薩。
 奥の石塔には馬頭観音の文字が見える。

 以上で9月9日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mm、DA35mm Macro、DA70mm。X30。
 ウォーキングカウンターは8,095歩。移動距離は往復で約40kmだが、これくらいの距離なら自転車でも楽だな。

八幡宮(邑楽町鶉新田)

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 多々良沼公園の北西に鎮座する八幡宮(邑楽郡邑楽町鶉新田116)。
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 本殿。
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 末社。

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 八幡宮の230m程南の十字路脇に位置する・・・・・・大聖文殊大菩薩(邑楽郡邑楽町鶉新田175)、かな。ちょっと読み取り難い。
 背面には「昭和七年一月吉日 願主 飯塚仁市」と刻まれている。

浮島弁財天(邑楽町鶉新田)

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 多々良沼公園から沼の中に突き出した小島に鎮座する浮島弁財天(邑楽郡邑楽町鶉新田)。
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 現在は改修工事中であるようだ。
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浮島辨財尊天由来
抑 当社は鎌倉幕府没落の時 執権北条高時の弟四郎慧性が、或る夜日頃崇拝する江の島弁財天が夢枕に立ち「汝等の池 上毛の郷に霊地あり、其処え逃れて居住なし、北条家の再興を図るべし」とのお告げに従い、弟荒間五郎友春と重臣三名を伴い主従五名にて多々良沼に辿りつき、恩林寺を建て東林友丘和尚を開山として北条家の菩提寺となし、北条家代々の護り神たる江の島弁財天を恩林寺開山東林大和尚に懇請して勧請し鎮守として建立したものである。
               恩林寺縁起より
平成元年十月三十日建立

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 鳥居。
 柱には「昭和六十年十月 森下隆司 建納」と刻まれている。
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 拝殿。
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 斜めから。

 改修が終わったらまた後で来よう。

元八幡宮(邑楽町赤堀)

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 群馬県道314号線脇に鎮座する元八幡宮(邑楽郡邑楽町赤堀4010)。
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 由緒書きが無いので詳細は不明だが、標柱には「元八幡宮之■■」と刻まれている。左側の石碑は開拓記念碑なので神社に関する事柄は記されていない。
 元八幡宮と言うからには他所にも八幡宮がありそうなのだが、この近辺には他に八幡宮は見当たらない。どこかの神社に合祀されている八幡宮の元宮がこちらと言うことなのだろうか?
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天満宮(邑楽町赤堀)

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 国道354号線の脇に鎮座する天満宮(邑楽郡邑楽町赤堀)。
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 祠の中には天満宮の石塔の他、久五郎神社と刻まれた石塔と石祠の台座部分のみが納められている。
 久五郎神社には「大正十四年二月吉日」と刻まれているので1925年の造立とわかるが、他は不明。まぁこの久五郎神社が何を祀ったものなのかさっぱりわからないのだけれど。
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 庚申塔。
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 後ろから。
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大日如来堂(邑楽町狸塚)

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 本郷江原集落センター脇に位置する大日如来堂(邑楽郡邑楽町狸塚2315)。
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 庚申塔と青面金剛。
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 江原新田土地改良事業竣工記念碑。
 大日堂についての記述は無い。
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馬頭観音堂(邑楽町狸塚)

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 群馬県道20号線狸塚交差点の170m程東、狸塚総合研修センター脇に位置する馬頭観音堂(邑楽郡邑楽町狸塚1590-1)。
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 享和四甲子年(1804)二月造立の石仏と明治三十九年(1906)三月造立の石碑。
 石仏は道標を兼ねているようで、左側面に「左たてはやし」と刻まれている。右側面にも刻まれているのだが、崩し字で刻まれている為読めない。石碑は文字が薄くなっていて読み取り難いが、「明治三十七八年之役也我軍之」で始まっているので日露戦争の記念碑なのだろう。
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 出羽三山塔。
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八坂神社(邑楽町中野)

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 第五区公民館脇に鎮座する八坂神社(邑楽郡邑楽町中野)。
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 寛政十戊午年(1798)五月造立の庚申塔。

愛宕神社(邑楽町中野)

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 邑楽町立中野小学校の南側に鎮座する愛宕神社(邑楽郡邑楽町中野)。
 額が無いので何神社なのかわからなかったが、弘化四年(1847)に建てられた石碑に愛宕邱と記されているので愛宕神社であろう。
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 本殿。
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重脩愛宕邱碑
上毛邑樂郡中野村有愛宕邱焉土人之所祀以禳災也往昔土人渇仰之餘相倶擔土築而成之其蹟洼然自畫心字清泉沸亢旱不竭土人知神之樂茲土焉祭祀匪懈神徳益以顯其後歴載既久邱圯池竭大乖所以妥神之意也土人大畏乃重恊議戮力増崇浚深疊石而環之嶄然皎然不日告成土人請勒其事干石扵余曰庶使後代掲虔渇仰如今匪懈焉余扵是知神之庥佑茲土永世無斁也乃作短古一章使其剜之其辭曰
神徳與邱崇民心與泉清神人唯誠耳茲以觀其成
弘化四年龍在丁未冬十月江戸龜田保撰文
 石碑の後ろの覆い屋の下には石塔の一部が置かれていたが、何なのかは不明。
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長良神社(大泉町寄木戸)

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 およそ六年半ぶりに参拝した寄木戸の長良神社(邑楽郡大泉町寄木戸1099)。
 前回はこちら
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 道祖神。
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 拝殿。
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 開田記念碑と石祠。
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 左手前に万延元年(1860)の猿田彦神。中央奥の石祠は木花開耶姫命と刻まれているので浅間社だろう。他は不明。
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 本殿裏に末社殿。
 菅原神社、八坂神社、厳島神社、諏訪神社、鷲宮神社、春日神社、疱疫神社、大山祇神社の八社が祀られているのは前回記した通り。
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 日枝神社。
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