御堂(傍示塚町)

IMGS5969s.jpg
 矢場川の右岸に位置する御堂(館林市傍示塚町)。
 先週、導成渕の水神宮前で地元の方から聞いた話では、東に馬頭観音があると言うことだったのでこちらが馬頭観音堂なのだろうと思っていたのだが……
DSCF4268s.jpg
 それらしい仏像は見当たらない。
 ここから300m程西に馬捨場の説明板があるので、その近くに馬頭観音が祀られていても不思議はないのだが、うーん?
IMGS5989s_20180129203516cd4.jpg
 馬捨場(館林市木戸町)。
 奥に見えるのがこの御堂。
IMGS5980s_20180129203517f8d.jpg 
馬捨場
 昔のこと甲斐の武田信玄が木戸郷を攻めて来て、多くの部下と馬を失った、戦死者を埋葬した処を「信権墓地」と云い、馬を捨てた処を「馬捨場」と言った。
 この時、信玄は有名な足利学校を侵してはならないと指令を出している。木戸郷に足利学校や大日堂(ばん阿寺)があったのである。
 後世に至って農耕馬が死ぬところの馬捨場に丁重に埋葬したと云う。木戸郷の北東部に在る。
 ……おや? 木戸町の赤城神社南側の庚申塔説明板には「上杉憲実が木戸に在った足利学校や大日堂を足利に転出させてしまった」と書かれていたのだが、おかしいな。上杉憲実は1400年代の人物で武田信玄は1500年代の人物なのだから、上杉憲実が足利学校と鑁阿寺を木戸から足利に移していたのだとしたら武田信玄が木戸に攻め込んだ時には既にどちらも無い筈ではないか。まぁ元々眉唾物の話なので信用に値しないが、せめて辻褄くらい合わせろと。と言うか木戸郷って昔は足利荘の一部だったよね。
IMGS5976s_20180129203518933.jpg

 以上で1月20日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA16-85mm、DA FISH-EYE 10-17mm、DA70mm。X30。
 ウォーキングカウンターは6,692歩。走行距離は約49.3km。
 いつもなら50号バイパスに出て帰路に就くのだが、同じ道ばかり走るのも厭きたので遠回りにはなるが違う道を使ったら少し迷いそうになった。
スポンサーサイト

湯殿山大権現(上早川田町)

IMGS5962s_201801291935057ea.jpg
 上早川田町の雷電神社南側、県道223号寺岡館林線脇に鎮座する出羽三山塔(館林市上早川田町)。
 両側の石塔にも文字が刻まれているのだがよく読み取れない。
IMGS5966s_20180129193504629.jpg

IMGS5958s.jpg

太日稲神社(大島町)

IMGS5909s_20180129190253f7b.jpg
 曹洞宗奕葉山春昌寺の南に鎮座する太日稲神社(館林市大島町5192)。
 太日稲と書いて「おひな」と読むのだそうだ。
IMGS5918s.jpg
 拝殿。
IMGS5953s_20180129190250628.jpg
 裏手から。
DSCF4263s_20180129191232aca.jpg 
大日稲神社
 当社は、明治四二年(一九〇九)四月三〇日「正儀内」地内に鎮座していた稲荷神社(倉稲魂命)・神明宮(大日孁尊)と、その末社八幡宮(誉田別命)・日向神社(豊玉彦命)の四社を合祀、神明宮の祭神大日孁尊(天照大御神)の「大」と、日向・稲荷両社名から一字ずつとり「大日稲神社」とし、社殿はこの年六月一三日竣工した。境内には八幡宮・浅間神社・小御嶽社などの末社がある。
 伝説によると、合併社のうち日向神社の祭神は磯ヶ原日向守正儀という殿様で、あるとき、どうしたわけか殿様夫婦が近くの底無沼に身を投じて死んだ。これを知った村人たちは殿様夫婦の不慮の死を嘆きかなしんだ末、沼のほとりに小さな社を建て日向守を祭り、日向神社と名付け、その沼を夫婦沼と呼んだ。
 のち大和国(奈良県)高市郡高取城主二万五千石を領し春昌寺に祖先の墓のある植村氏は、日向守の家来筋ともいうが確証がない。

群馬縣管下上野國邑樂郡北大島村字正義内 無格社 神明宮
 祭  神 大日孁貴命
 由  緒 不詳
 境内末社 八幡宮  祭神 譽田別命

群馬縣管下上野國邑樂郡北大島村字正義内 無格社 日向神社
 祭 神 豊玉彦命
 由 緒 不詳
 
群馬縣管下上野國邑樂郡北大島村字正義内 無格社 稲荷神社
 祭  神 倉稲魂命
 由  緒 不詳
 境内末社 厳島神社  祭神 市杵島姫命
      月夜見神社 祭神 月夜見神命
(『上野国神社明細帳』より抜粋)

IMGS5932s_2018012919025106e.jpg
 末社。
 塚頂の石祠は浅間社。その脇の石塔は小御嶽神社・大天狗・小天狗。右端の赤い祠は八幡宮。その隣の石祠は額部分が破損しており何神社なのかわからない。

薬師堂(大島町)

IMGS5897s_201801281647572ce.jpg
 細内集会所裏墓地東側の道を200m程北上した所にある薬師堂(館林市大島町)。
IMGS5884s.jpg
 薬師堂の50m程南の道端に位置する青面金剛と石祠。
IMGS5885s_2018012816475522e.jpg
 青面金剛アップで。
IMGS5895s_20180128164756a07.jpg

不明(細内町)

IMGS5870s.jpg
 細内集会所(館林市細内町782-1)と合体しているお堂……?
DSCF4232s.jpg
 中を覗きこむと厨子が安置されているのが見えたが、なにを祀っているのかは不明。
IMGS5882s.jpg
 細内集会所の隣に祠がある。
IMGS5873s_20180128160650ebe.jpg IMGS5875s_201801281606507e5.jpg
 祠の裏手には塚があり、倒れてしまってはいるが石塔が置かれている。浅間神社だろうか。
DSCF4242s.jpg
 祠の中には山の形をした石碑があり、祝詞の文字が見えるが本文はよく読み取れない。
IMGS5880s_20180128163135545.jpg
 筑波神社・今宮大■大神・香取大神宮・鹿嶋大神宮・息栖大神と刻まれた石塔や坂東秩父西国札所延命為二卋安……と刻まれた石塔、参明藤開山角行食行と刻まれた石塔、出羽三山塔などが並んでいる。
DSCF4247s.jpg
 上毛十二社石塔。

浅間宮(細内町)

IMGS5860s_20180128154214763.jpg
 細内集会所南側の民家脇に鎮座する浅間宮(館林市細内町781)。
IMGS5858s_20180128154158b47.jpg IMGS5857s.jpg IMGS5859s_201801281541564bc.jpg
 庚申塔と石祠、日露凱旋記念碑。
 石祠は小御嶽神社なのかな。
IMGS5865s.jpg
 浅間宮の裏手、県道57号線に面して建てられた青面金剛。その脇には小さな馬頭観音も見える。

神明宮(千塚町)

IMGS5847s_2018012815254289d.jpg
 大島県営住宅団地の南側に鎮座する神明宮(館林市千塚町526)。
IMGS5846s_20180128152541583.jpg
 「天照皇太神宮」と「天満宮」の額が掛けられている。
IMGS5849s_201801281525402c4.jpg
 石燈籠。側面には「安政五戊午歳二月吉日」と刻まれているので1858年の造立。
IMGS5838s_20180128152543f1e.jpg

熊野神社(千塚町)

IMGS5785s_2018012717413406e.jpg
 常榮寺の南側に鎮座する熊野神社(館林市千塚町)。
 熊野神社のすぐ南西に場所に富士塚があるが、民家の敷地内なのでそちらはパス。
IMGS5787s_2018012717413396b.jpg
 本殿。
IMGS5796s_20180127174133ee5.jpg
 祠の中には仏像が納められている。家都御子神の本地仏である阿弥陀如来だろうか。印相も来迎印のようだし。
IMGS5814s_2018012717413278e.jpg
 後ろから。

IMGS5797s.jpg IMGS5803s.jpg
 熊野神社の北側、千塚集会所の隣に常榮寺(館林市千塚町119)。
IMGS5813s_20180127182308542.jpg IMGS5804s.jpg
 本堂前左側に並ぶ十九夜塔と普門品供養塔、先祖供養塔、地蔵菩薩。右側に……なんだろう、釈迦如来かな?

御嶽神社(大島町)

IMGS5776s_20180127164734f9f.jpg
 十二社権現神社の150m程南西に鎮座する御嶽神社(館林市大島町)。
IMGS5778s.jpg
 石祠。
IMGS5782s_201801271647323cb.jpg

十二社権現神社(大島町)

IMGS5741s_2018012715210836d.jpg
 神明宮の280m程南、寄居会館脇に鎮座する十二社権現神社(館林市大島町4737)。
 ここは館林城主赤井照光の家臣・片見師方の居城であった北大島城の跡地であるのだそうだ。
群馬縣管下上野國邑樂郡北大島村字寄居 無格社 十二社神社
 祭  神 上野十二社神
 由  緒 不詳
 境内末社 菅原神社  祭神 菅原道真公
      厳島神社  祭神 市杵島姫命
(『上野国神社明細帳』より抜粋)
 上野十二社と言うことは貫前神社(経津主神・比売大神)、赤城神社(大己貴命・豊城入彦命)、伊香保神社(大己貴命・少彦名命)、甲波宿禰神社(速秋津彦命・速秋津姫命)、大国神社(大国主命)、榛名神社(火産霊命・埴山姫命)小祝神社(少彦名命)、火雷神社(火雷命)、倭文神社(天羽槌雄命)、美和神社(大物主櫛甕玉命・素盞嗚命)、賀茂神社(賀茂別雷命)、宇芸神社(倉稲魂命)の十二社を祀っているのだろう。
IMGS5744s_20180127152107621.jpg
 鳥居内側から。
IMGS5745s_20180127152106c9d.jpg
 拝殿。
IMGS5767s_201801271521044fb.jpg
 末社。
 『上野国神社明細帳』によれば末社は菅原神社と厳島神社の筈なのだが、右の石祠はどう見ても浅間神社だろう。傍に小御嶽磐長姫命石塔もあることだし。左の祠は不明。
 石祠の側面には「明治十九年戌二月廿六日」と刻まれている。
IMGS5765s_201801271521058ea.jpg
 稲荷社。その隣は六地蔵塔だろうか。
IMGS5770s_20180127162723dd3.jpg 
IMGS5774s_20180127162722d78.jpg

観音堂(大島町)

IMGS5421s_20180123110022fb5.jpg
 淨蓮院の200m程南東に位置する観音堂(館林市大島町1516)。
IMGS5423s_20180123110021431.jpg
 観音堂正面。
IMGS5439s.jpg IMGS5432s_20180123105853a3b.jpg
 庚申塔や普門品供養塔、如意輪観音、青面金剛などが並んでいる。
IMGS5436s.jpg
 青面金剛アップで。
IMGS5429s.jpg
 中には地蔵菩薩らしき像がぽつんと一体のみ安置されていた。
IMGS5416s.jpg
 観音堂西側から。
IMGS5441s.jpg
 観音堂の向い側には三峯社の石祠と他一基があった。

水神宮(木戸町)

IMGS5338s.jpg
 矢場川右岸、導成渕の脇に鎮座する水神宮(館林市木戸町)。
 120m南西に諏訪神社、95m南西に八幡宮と、水に縁のある神様が集中してるなここ。
IMGS5344s_20180122212021c17.jpg IMGS5339s_201801222120403b9.jpg
 石祠の右側面には「東講中 平成四年六月吉日」、左側面には「約三百三十年前矢場川堤防上に水神宮を祭り氏子一同尊崇した 河川改修により西方三十米の所より現在地に新築遷宮す 平成四年六月」と刻まれている。
 平成四年は1992年だから、そこから330年前とすると1662年なので創建は寛文二年頃、徳川第四代将軍家綱の時代か。
IMGS5336s_20180122212001609.jpg

 以上で1月13日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA20-40mm、DA15mm、FA31mm、FA77mm、K50mm F1.4。X30。
 ウォーキングカウンターは6,382歩。走行距離は約63.4km。

八幡宮(木戸町)

IMGS5331s_201801222055278fe.jpg
 矢場川右岸、導成渕の南側に鎮座する八幡宮(館林市木戸町790)……たぶん。
 たぶんと書いたのは、前述の諏訪神社と同じ理由なので以下略。てっきり稲荷社だろうかと思っていたのだが違った。
IMGS5332s.jpg

諏訪神社(木戸町)

IMGS5335s_2018012220232247b.jpg
 矢場川右岸、導成渕の南側に鎮座する諏訪神社(館林市木戸町)……たぶん。
 たぶんと書いたのは、鳥居にも石祠にも社名が記されておらず、ここから160m程南西の道端に設置された「船橋」の案内板に「船橋から導成渕に向って左に諏訪神社、右に八幡宮があり」と記されていることから、おそらくこちらが諏訪神社なのだろうと思われるため。
IMGS5322s.jpg
 石祠。
 側面には「昭和十二年一月廿四日再建」と刻まれている。
IMGS5326s_201801222023213b4.jpg

DSCF4272s.jpg 
船橋
 旧渡良瀬川第二次主流の「樽の口」から東にある名所導成渕に向って川が流れていた。左岸に鉾や槍、直刀等を製造した「鍛冶屋田」右岸に鍛冶屋部落のお陰で栄えた「柳町」があった。そこを通りぬけて行くと木戸宿発着所に至る、小島市蔵氏や井汲敏氏付近であった。此処にて上陸すると道標を兼ねた供養塔がある、左太田 右佐野行きの道案内が刻まれている。此処に砂や荷物が荷上げされたと云う。
 旧宅地は火山の噴火で水田と変った、堰番から四ヶ村用水が出来て、発着所附近に橋が竣工した、この橋の名前を「船橋」と言った。
 船橋から名所導成渕に向って左に諏訪神社右に八幡宮があり、大昔、義家、義国から来た処のように推察される。

DSCF4278s.jpg 
導成渕
 中世期頃のこと、山伏姿の修験道者が木戸に一向宗を伝導して「導成坊」と言った。高根本願寺跡附近から前原平五郎氏宅の東北に転居した。此処を地名「寺道」と呼んでいる。
 寺道には一向宗の越塚氏が住んで、在家に移り住んだ川島、時田、今泉、藤野、西田の名主役のような役を勤めていた、越塚氏は寺道から木戸郷の北東、現矢場川沿岸に転居し導成寺を開設した。越塚氏は第十代鑑相の時遊行上人と会津へ行って称名寺を開設した、従って導成寺は「時宗萬寿寺」と変った、現在の深諦寺の前身である。
 館林城主徳川綱吉公の時、木戸郷の西北に土手が築かれた、この導成寺附近の土手を称して「導成渕」と云った、井汲、小島、田野入家の北側の土手の総称である。
 天正年間に木戸は大水に見舞われた、赤城山麓の白沢村から木彫男の獅子頭一軀が導成渕に流れ着いた、万寿寺(深諦寺)の住職は更に二つの獅子頭を作り、獅子舞として伝導して今日に至っている、日干天続きに祈る「雨乞ひ獅子舞」は関東に誇り得る民族芸能である。

稲荷神社(田谷町)

IMGS5283s_20180121223145fcb.jpg
 渡良瀬川自転車道を目指して適当に北上していたら辿り着いた稲荷神社(館林市田谷町941)。
 この日巡る予定には無かったと言うかそもそも存在を知らなかった神社だが折角なのでお詣りして行こうと。
IMGS5287s_20180121225007f53.jpg DSCF3909s.jpg
 参道右手側の祠。稲荷社だろうか。
IMGS5290s_201801212231437d0.jpg
 参道左手側の石祠。
 社名は記されていないので何神社なのかわからないが、近くに食行・角行霊神と小御嶽石尊大権現があるので、おそらく浅間神社なのだろう。
IMGS5294s_20180121223142bd0.jpg IMGS5298s_20180121223141200.jpg
 食行霊神・角行霊神と小御嶽石尊大権現・大天狗・小天狗。
IMGS5309s_20180121223144a0a.jpg
 拝殿。
IMGS5306s_20180121223144535.jpg
 本殿覆屋。
IMGS5314s_2018012122582214b.jpg
 神社前から300m程西へ向かうと県道362号線に出て、そこから600m程北上すると県道57号線大島山王交差点に到着したので「ああ、ここなのか」と漸く現在地がどこなのかを把握。大体北に向かえばいいだろうと気分で走っていたので自分がどこにいるのかちょっとわからなくなっていたのだよね。こちらの神社に辿り着いたのは、或る意味お稲荷さまのお導きだったのかな(笑)

神明宮(大島町)

IMGS4818s_20171227222506590.jpg
 県道57号線傍に鎮座する神明宮(館林市大島町4563)。
IMGS4890s_20171227222505247.jpg
 鳥居。
IMGS4882s_20171227222504077.jpg
 鳥居の手前には小さな石祠があるが、何神社なのかは不明。
IMGS4860s_20171227222503ffc.jpg
 拝殿。
IMGS4875s.jpg
 斜め後ろから。
IMGS4855s.jpg
 境内。
IMGS4894s.jpg
 たぶん富士塚。
 石祠の背面には「萬延元庚申年十一月吉日」と刻まれている。
IMGS4842s.jpg
 左から水神宮、三峰神社、八坂神社。
IMGS4893s.jpg IMGS4862s_20171227225730b82.jpg
 筑波山神社。
 左の石塔は烏帽子岩食行身禄イ杓。
IMGS4867s_20171227230047525.jpg IMGS4878s.jpg
 水神宮と首無し地蔵。
IMGS4898s_20171227231259add.jpg
 北側から。
IMGS4902s_20171227231258618.jpg
 堤防上から。

 以上で12月10日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA16-85mm、FA43mm、DA FISH-EYE 10-17mm、50-150mm II。X30。
 ウォーキングカウンターは7,089歩。走行距離は約43km。
 今年の神社巡りはここまで。来年はどこへ行こうかな。行動範囲狭いけど。

馬頭観世音(大島町)

DSCF3549s.jpg
 庚申社の80m程南の道端に建てられた馬頭観世音(館林市大島町2328)。
 「馬頭観世音  施主 小林徳次郎  馬名 金花号 昭和二十五年七月廿八日 二才  馬名 春駒号 昭和二十六年六月廿四日 三才」と刻まれている。

DSCF3551s.jpg DSCF3552s.jpg
 岡里区民館の80m程北、堤防法面に建てられた馬頭観世音(館林市大島町
 「馬頭観世音  昭和九年八月 関澤■司立之」と刻まれている。

DSCF3569s.jpg DSCF3572s.jpg
 神明宮の400m程北東、堤防法面に建てられた馬頭観世音(館林市大島町)。
 左の馬頭観音は明治三十年十二月、中央の馬頭観音は明治四十五年一月の造立。右の地蔵菩薩は不明。

庚申社(大島町)

IMGS4809s_2017122720224222c.jpg
 岡里区民館の170m程北西に位置する庚申社(館林市大島町2331)。
 こちらの存在は知らなかったのだが、帰宅する為堤防上を走っていたら視界の端に鳥居が入って来たので立ち寄ってみることに。
IMGS4816s_201712272022406f2.jpg
 青面金剛と大乗妙典日本廻國供養塔。
 如意輪観音が彫られているから十九夜塔かと思ったら違った。
IMGS4811s_20171227202241149.jpg

DSCF3558s.jpg
 堤防上から。
DSCF3545s.jpg
 庚申社の200m程南の道端に猿田彦大神
 背面に「昭和四十二年十二月 櫻井■建之」と刻まれている。

不明(大島町)

IMGS4485s.jpg
 岡里区民館(館林市大島町2278-1)の隣にある……なんだろうこれ。
 中には大きな幣束が一つと小さな幣束が三つあり、幣束を下げた縄も掛けられているので神社だろうかと思うのだが、銅鐘があったりすぐ南側が墓地だったりするので寺院なのかも、と言う気もする。
 大島神社の建営碑には岡里の稲荷神社を合祀したと記されていたし、ここが稲荷社と言う可能性もあるかなぁ?
IMGS4484s_2017122022253746e.jpg
 銅鐘には「吉祥寺第七世法印弘誉 亍時天和第二歳龍集 壬戌六月吉祥日」「下野佐野金屋町住 鑄師 出井十郎兵衛 同左右■門」と刻まれている。天和二年は1682年。
IMGS4489s.jpg

IMGS4494s_20171220222536ec7.jpg
 岡里区民館の南側に十九夜塔と石塔、讀誦法華経一萬部供養塔が建てられている。
 十九夜塔の右側面には「明治廿四年十二月吉日上刕邑樂郡大嶋𦊆里」、讀誦法華経一萬部供養塔には「正徳六丙申年閏二月九日」と刻まれている。明治二十四年は1891年、正徳六年は1716年。
DSCF3408s.jpg
 十九夜塔の左側面に刻まれた歌……かな?
DSCF3405s.jpg
 十九夜塔の覆い屋に掛けられた絵馬。

DSCF3415s.jpgDSCF3418s.jpg
 岡里区民館の240m程南、県道57号線脇にある庚申塔
 「萬延元年庚申十月吉日」と刻まれているので1860年の造立。

石仏群(大島町)

IMGS4456s_20171219224846dd9.jpg
 上新田集会所脇に並ぶ石仏群(館林市大島町3753-2)。
IMGS4460s_20171219224845991.jpg 
DSCF3392s.jpg
 何神社だろう?
IMGS4471s_20171219224912c72.jpg IMGS4467s_2017121922491198c.jpg
 地蔵菩薩や馬頭観音、青面金剛塔、庚申塔、念仏供養塔、十九夜塔などが並んでいる。
IMGS4475s_20171219224926ff5.jpg

大島神社(大島町)

IMGS4395s.jpg
 大島町中央公園の東隣に鎮座する大島神社(館林市大島町3835)。
 鳥居の柱には「大正五年四月建之」と刻まれている。大正五年は1916年。
IMGS4399s_20171219200726077.jpg
 参道左手側に館林市の重要無形民俗文化財に指定されている大島岡里神代神楽の案内板が設置されている。
DSCF3333s.jpg 
館林市指定重要無形民俗文化財 大島岡里神代神楽(太々神楽)
一、指定年月日   昭和五六年(一九七八)二月六日
一、保存団体の名称 敬神講
一、保存団体の所在 館林市大島町
一、奉納神社    大島神社
 大島岡里神代神楽は「里神楽」と呼ばれる民間で行われる神楽に分類されます。
 五穀豊穣や無病息災を祈願して、大島神社へ奉納されています。
 この神楽は、江戸時代に下野国佐野の飯田(現在の栃木県佐野市飯田町)より伝えられたものといわれ、「戸ヶ崎流」と称し、初めは飯田地区近辺の神職によって奉納されていたが、明治初年、大島地区の村人に受け継がれ今日まで伝承されてきました。
 演目は、日本神話に題材を持つ七つの「式舞」と、滑稽な話を題材とした五つの「興舞」の一二座から成り立っており、「里神楽」として確立された形態を残し、比較的古風で格調高い形式を今に伝えています。
「式部」          「興舞」
  ① 幣舞式者(武者幣舞)   ① 金山(鍛冶屋・ひょっとこ)
  ② 翁(天の翁)       ② 恵比寿
  ③ 児屋根(天個屋根命)   ③ 大黒(大国)
  ④ 太玉           ④ 狐(稲荷)
  ⑤ 鈿女           ⑤ 山神(山の神)
  ⑥ 戸隠
  ⑦ 天狗
 今日では大島神社だけでなく、神楽の奉納が困難となった近隣の神社にも奉納されています。

IMGS4400s.jpg
 拝殿。
IMGS4410s_20171219200517973.jpg IMGS4415s_20171219200516219.jpg
 狛犬。
IMGS4404s_20171219200518364.jpg
 赤城大神宮と記された額が掛けられている。
DSCF3338s.jpg
 明治二十五年(1892)八月に奉納された絵馬。
 文字が薄れていて読み取り難いが、山や川、また多数の神社の名が記されている。
DSCF3342s.jpg DSCF3340s.jpg
 拝殿西側の壁にも絵馬が掛けられている。
 左側の絵馬は山や神社らしき建物が描かれており、上部には伊勢太々神楽と書かれている。明治十二年(1879)の三月或いは五月に奉納されたものであるようだ。
 右側の絵馬は五人の武将が描かれており、文字の殆どは消えかかっているが「天保七丙申歳九月吉日」はしっかりと読み取れる。天保七年は1836年なので181年前か。そりゃあ文字も消えるわって言うかむしろよく残っていたものだ。
DSCF3347s.jpg
 本殿。
IMGS4441s_20171219205015f6a.jpg 
大島神社建營碑
群馬縣邑樂郡大島村字上新田有一社曰赤城神社元鎮座於渡良瀬川堤外不詳其由
緒有事者祈則有験是以遠邇皆崇敬之延寶中遭祝融災社殿悉歸烏有衆庶爭投財造
營社殿寶永年間有洪水社殿流亡不留片影於是再募財造營焉現時所存社殿即是也
明治四十年二月神社合祀之令出也本村有志者鑑訓令之主㫖相謀乃講合祀之策明
治四十三年四月請官至六月得允合祀於本郷菅原神社寄居十二社神社岡里稲荷神
社觀音嚴島神社改称大島神社居民之崇敬益厚矣大正二年内務省改修渡良瀬川也
境内地爲官所購大正三年七月新相地於赤城前十一月得允移社殿改築焉大正四年
六月改築功全竣十月十五日行遷宮之盛儀大正五年二月氏子惣代村之有志者等首
唱普募財建花崗岩華表於境内以增神徳之愈髙頃者有志相謀勒石欲傳之不朽來乞
文余奉職于郷校不能辞以不文乃誌其梗概銘曰
     崇祖敬神   萬邦無比   闔邑斯民   禮神祇敦
     清楚社殿   功忽充矣   威徳逾髙   能安閭閻
   大正五年五月中浣
              群馬縣邑樂郡長從六位勲五等塙住篆額
              邑樂郡大島小學校長堀口捨次郎撰并書
                               石由刻
 群馬県邑楽郡大島村字上新田(現在の館林市大島町)に有る赤城神社は元は渡良瀬川の堤外に鎮座していたがその由緒は不詳。延宝年間(1673-81)火災により社殿悉く焼失し、その後再建されるも宝永年間(1704-11)洪水により流出。再び財を募り社殿を造営。神社合祀令により明治四十三年(1910)四月に合祀を申請、六月に許可を得て本郷の菅原神社、寄居の十二社神社、岡里の稲荷神社、観音の厳島神社を合祀して大島神社と改称。大正二年(1913)に内務省が渡良瀬川改修の為に境内地を購入し、大正三年十一月に許可を得て社殿を移し、大正四年六月に改築、十月十五日に遷宮の儀式を行ない大正五年二月に財を募り鳥居を建立。……かな?
 本郷の菅原神社と言うのは、こちらの前にお詣りした500m程西にある天満宮のことだろうか。だとすると合祀は書類上だけのものだったのか、或いは合祀した後に分離したものなのだろうか。
IMGS4431s_201712192050149af.jpg
 末社。
 左に小御嶽神社、右に烏帽子岩食行身禄イ彴があるのでおそらく浅間神社だろう。
IMGS4435s.jpg
 日露戦役記念之碑と日清戦役凱旋記念碑、神楽殿改築記念碑。
IMGS4426s_201712192050121dd.jpg
 神楽殿。
IMGS4447s_2017121922212497f.jpg
 大島町中央公園内に位置する聖霊殿。
IMGS4448s.jpg 
聖霊殿
 本殿は、昭和二十二年五月(一九四七年)大島村平和愛好同士会によって創設され、西南の役(明治十年)から日清(明治二十七年)、日露(明治三十七年)、太平洋第二次大戦(昭和二十年)に至る幾多の従軍戦没者英霊九十三柱、並びに明治二十二年四月(一八八九年)大島村制施行以来、歴代村長及び現在に至るまでの先哲、自治功労者の栄誉をたたえて祭祀し世界平和と郷土の繁栄を、永遠に祈念し建立された。
  昭和六十年九月吉日
       大島聖霊殿奉賛会

天満宮(大島町)

IMGS4361s.jpg
 本郷集会所脇に鎮座する天満宮(館林市大島町)。
IMGS4357s_20171218195445fdc.jpg
 本殿。
IMGS4384s_2017121819544566e.jpg
 東側から。
IMGS4366s.jpg
 左から摩利支天・阿普摩耶大権現(慶應三丁卯年(1867)十一月吉日)、弁才天(明治廿二年(1889)十一月再立)、不明(慶應三丁卯年十一月吉日)、南無青面金剛塔(享保十八癸丑歳(1733)十月大吉日)。
DSCF3328s_201712182021227ac.jpg DSCF3330s.jpg
 青面金剛塔には輪宝紋が陽刻され、台座には幣帛を担いだ二猿が彫られている。
IMGS4389s_201712182027566d6.jpg

地蔵堂(大島町)

IMGS4344s_201712181914085e2.jpg
 県道57号線大島山王交差点から70m程北に位置する地蔵堂(館林市大島町)。
DSCF3312s.jpg
 地蔵尊。
IMGS4348s.jpg
 十九夜塔。その隣には百万遍供養塔とよくわからない石柱。
 十九夜塔の側面には「嘉永二酉年八月吉日建之」と刻まれており、覆屋の柱には「昭和八酉年一月吉日」と刻まれている。嘉永二年は1849年で昭和八年は1933年。
DSCF3320s.jpg
 庚申塔。
 南面には「庚申 南たてはやし」、西面には「西 あしかゝ 北 ■■■■さの」、北面には「寛政六甲■天二月」と刻まれているので道標も兼ねているのだろう。寛政六年は1794年。

深諦寺(木戸町)

IMGS3976s.jpg
 県道8号足利館林線脇に位置する時宗常栄山松寿院深諦寺(館林市木戸町624)。
IMGS3942s_2017121022404300e.jpg
 本堂。
DSCF2867s.jpg
 由緒書き。
IMGS3958s_20171210224038651.jpg
 如意輪観音。
IMGS3953s_20171210230512156.jpg
 大乗妙典廻國供養塔、普門品供養塔、念仏供養尊。
DSCF2864s.jpg
 六尺藤案内板。
IMGS3968s_20171210230541ec3.jpg
 歴代住職の墓。
IMGS3979s_20171210230437aa8.jpg

 以上で11月24日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA20-40mm、DA FISH-EYE 10-17mm、DA15mm、FA50mm F1.4、50-150mm II。X30。
 ウォーキングカウンターは9,623歩。走行距離は約60.5km。

双体道祖神(岡野町)

DSCF2854s.jpg
 長良神社の南西、十字路脇に位置する双体道祖神(館林市岡野町232)。
 道祖神の姿の上に鈿女尊と猿田彦尊の名が刻まれており、側面には「文化元甲子年 四月吉祥日」と刻まれている。文化元年は1804年。
DSCF2855s.jpg
 「左 あしかが 右 たてばやし」かな? どちらも最後の一文字はコンクリートの中に埋まってしまっているようだが。
DSCF2849s.jpg

稲荷社(楠町)

DSCF2839s_20171210205654fb7.jpg
 楠町公園の120m程西の道端に鎮座する祠(館林市楠町1173-2)。Google Mapでは稲荷と表示されているので稲荷社なのだろう。
DSCF2837s.jpg

DSCF2842s.jpg
 稲荷社から西へ95m程、県道362号線脇に鎮座する小祠
 おそらく道祖神か猿田彦大神の類だろう。

愛宕神社(羽附旭町)

DSCF2833s.jpg
 アダチ技研前の庚申塔から80m程北の道端に鎮座する愛宕神社(館林市羽附旭町1219)。
DSCF2832s.jpg DSCF2831s.jpg
 左の石塔は文字が摩滅していてさっぱり読み取れないが、Google Mapでは馬頭観音と表示されているので馬頭観音なのだろう。たぶん。
 右の石塔は愛宕神社の文字がはっきりと残っており、明治二十五年(1892)五月に建てられたものである。

庚申塔(羽附旭町)

DSCF2821s.jpg
 有限会社アダチ技研前の道端に位置する庚申塔(館林市羽附旭町)。
 「庚申塔 安政七庚申年春二月吉之日  南 いゝの前」と刻まれている。安政七年は1860年。
 庚申塔の右側には石祠と石塔があるが、何を祀っているのかは不明。

DSCF2816s.jpg
 270m程南には庚申塔と猫供養塔が並んでいる。

厳島神社(羽附旭町)

IMGS3931s_201712092147530cd.jpg
 国道354号線羽附交差点の380m程北東、田畑に囲まれた中に鎮座する厳島神社(館林市羽附旭町631)……で、いいんだよね、地図には弁天島って書いてあるし。
IMGS3926s_20171209214752c6d.jpg
 鳥居。
 笠木に赤い塗料が僅かに残っている。
IMGS3929s.jpg

IMGS3933s.jpg

八坂神社(羽附旭町)

IMGS3919s.jpg
 羽附旭町長竹集会所の裏に鎮座する八坂神社(館林市羽附旭町492-5)。
 せまい。
DSCF2801s_2017120822430899b.jpg
 出羽三山供養塔。
 側面には「嘉永五子年七月吉日 羽附村 ■■」「奉廻禮西國秩父坂東百番供養塔」と刻まれている。嘉永五年は1852年。
DSCF2808s.jpg
 十九夜供養塔。
 側面には「天保十二丑年二月吉日」と刻まれている。天保十二年は1841年。
カレンダー
01 | 2018/02 | 03
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 - - -
ブログ内検索
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
最近のトラックバック
FC2カウンター
プロフィール

梁瀬

Author:梁瀬
無駄な徘徊でCO2を増やす、
方向感覚に不案内なヒト

リンク
RSSフィード