庚申塔(木戸町)

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 多々良川の東岸、赤城神社の70m程南に位置する青面金剛(館林市木戸町)。
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 ……うん? 「憲実は木戸に在った足利学校や大日堂を足利に転出させてしまったと云う」ってなんかさらっとヘンな起源説が混ざってないかこれ。木戸宝寺と言うのも聞いたことが無いのでググってみたが出て来ないな。木戸法季(下野守護木戸貞範)と言う人なら出たけど。それと上杉憲実は室町時代中期の人なのだが、1140年頃は平安時代なのでその頃の一族を滅ぼすのは無理じゃないかなぁ。
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 以上で11月3日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA16-85mm、FA50mm F1.4、XR SPEEDLITE 300P。X30。
 ウォーキングカウンターは11,879歩。走行距離は約60km。
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神明宮(高根町)

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 群馬県道8号線傍に鎮座する神明宮(館林市高根町)。
 鳥居の柱には「昭和三十九年三月」と刻まれている。
 鳥居と祠のどちらにも社名を記したものが無い為何神社なのかわからなかったのだが、高根町には䑓の大山祇神社と愛宕神社、寺内の長良神社、新倉の稲荷神社、向原の神明宮があると『上野国神社明細帳』に記されており、境内の石燈籠には「享保二十乙卯二月吉日」「高根村向原 当社惣氏子」と刻まれているのでここは神明宮であるのだろう。
 御祭神は豊受姫命であり、由緒は不詳。
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 青面金剛。
 享保二丁酉歳霜月吉祥日と刻まれているので1717年の造立。

正一位稲荷大明神(羽附旭町)

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 館林環境センターの250m程西、渕ノ上古墳脇に鎮座する正一位稲荷大明神(館林市羽附旭町)。
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 本殿。
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 末社。
 左の石祠は中に文字らしきものが見えるのだが、よく読み取れない。側面には「萬延元庚申年九月吉日」「淵上氏子中」と刻まれている。万延元年は1860年。
 右の石祠は水神宮。側面には「文化七庚午年七月廿三日」「願主 渕上 風張郷中」お刻まれている。文化七年は1810年。
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 末社。
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 渕ノ上古墳。
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渕ノ上古墳
 昭和六十三年(一九八八)に発掘調査によって明らかになった、渕ノ上古墳の石室の平面の形を再現したものです。
 渕ノ上古墳は、谷田川北岸の標高一八メートルほどの低台地上に立地する直系約三〇メートルの円墳です。
 石室は横穴式石室で全長約五・七メートル、玄室の長さが三・二メートル、羨道の長さは二・五メートルほどあることが発掘調査で明らかになっています。
 石室内からは直刀、耳環、鉄鏃、刀子、馬具、鉄斧、須恵器提瓶、石製模造品などの副葬品が出土しました。
 また、墳丘から多くの埴輪が出土しており、その出土状態から墳頂部に家形埴輪、石室の開口部に人物や馬の形象埴輪が、周囲には円筒埴輪が並べられていたと考えられます。
 本古墳の東側には舟山古墳(板倉町)筑波山古墳(板倉町)などがあり、同じ形態の石室をもっていることから六世紀後半に造られた同じ古墳群を構成する一つと考えられます。
 館林市教育委員会
 古墳の案内板は設置されているのに神社の由緒書きは無い・・・・・・。
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白山神社(赤生田町)

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 館林ICの東側、田北東集会所脇に鎮座する白山神社(館林市赤生田町229)。
 この日も予想より早く着き過ぎてしまった○刀乙 11月3日の日の出時刻は6時頃とのことだったので、なら6時過ぎに着けばいいかと思っていたのだが、20分近く早く着いてしまった為まだ暗かったのだがまぁそこはそれ、ISO感度を上げて対応。
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 斜めから。
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 ISO感度をあまり上げず、外付けフラッシュを使って撮ったのがこちら。
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 末社。
 左から二つ目には愛宕山の文字が見えるが、他は不明。
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 末社。
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 右の建物が田北東集会所。
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 参道入口脇には庚申塔。

古峯神社(日向町)

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 多々良沼の畔に鎮座する古峯神社(館林市日向町1744)。
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当社は多々良沼の守護神として明治初年沼持一同により現在の栃木県鹿沼市草久古峯ヶ原古峯神社 祭神日本武尊を勧請した 然しこの神社との関係は更に古く江戸時代中期の沼争論の頃の古峯信仰に因由するか 以後尊崇をあつめ越えて大正十年 一九二一年 三月石宮に改めるなど奉斉につとめてきたたまたま昭和五十三年 一九七八年 一月十三日奇しくも祭神日本武尊と深いかかわりをもつ白鳥が多々良沼に飛来以来例年越冬を続けている
このたび館林市多々良沼公園野鳥観察棟完成に当り白鳥と古い因縁をもつ古峯神社を三度整備拡充し神徳の隆昌と将来に予定される県立自然公園にふさわしい環境の保存を望んでやまない
 平成四年十一月吉日
 日向漁業協同組合員一同

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 「鷲宮 明治卄五年一月十日」と刻まれているが、鷲宮神社だろうか。
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 西側へと桟橋が伸びている。
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 南側に目を向けると浮島弁財天が見える。
 一ヶ月前は改修中だったが、それももう終わったようだ。
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 以上で10月8日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA16-85mm。X30。
 ウォーキングカウンターは5,024歩。走行距離は約52km。
 さーて、フラッシュどうしようかな。銀塩時代に使っていたリコーのXRスピードライト300Pならあるのだが、さすがにK-5IIsと組み合わせるのは無理がある。フラッシュのガイドナンバーは大きいほど良いとは聞くものの、普段フラッシュの使用率は低いから悩む。

厳島神社(松原二丁目)

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 松原会館脇に鎮座する厳島神社(館林市松原2-7)。
 富士獄神社の前にお詣りするつもりだったのだがどうやらこの日が例祭日だったようで、先に富士獄神社にお詣りしてから戻って来れば丁度良いかと思い後回しに。
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 社郷標石には「當所鎮守 厳島神社」「明治十七年甲申歳十月穀旦建之」と刻まれている。明治十七年は1884年。
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 左端の祠は八坂神社。その右隣の祠は何神社なのかわからないが、鬼飾りに羽団扇の形をしているので琴平神社か阿夫利神社あたりなのかも。その右隣は天満宮。
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 「四國六十四番 伊豫國 松■ 里前神寺移」「文政八乙酉年七月 施主 村■ 従是竜泉寺」と刻まれている。文政八年は1825年。
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富士獄神社(富士原町)

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 国道122号線富士原交差点傍に鎮座する富士獄神社(館林市富士原町1127)。
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 絵馬殿。
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 二の鳥居。
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富士嶽神社由緒
 祭神 木花佐久耶毘売命 外十柱
 当社創立の年月は詳らかでないが、徳川幕府時代に代々の館林城主によって、修復・営繕が行なわれ、広く住民の尊崇を集めた。
  文禄元年 (一五九二年) 榊原式部大輔康政 再建
  寛永九年 (一六九二年) 榊原式部大輔忠次 修復
  明暦二年 (一六五六年) 松平和泉守乗寿  修復
  寛文七年 (一六六七年) 館林宰相徳川綱吉 修復
  元禄一一年(一六九八年) 五代将軍綱吉   銀子二十枚寄進
 明治九年(一八七六年)区内九ヶ村(羽附・赤生田・松原・谷越・新宿・小桑原・青柳・堀工・近藤)の郷社となる。
 明治四三年(一九一〇年)本社境内の稲荷神社・大山祇神社・菅原神社、近藤村の菅原神社、松原村の厳島神社・長良神社・稲荷神社、新宿村の長良神社・神明宮・琴平神社・根本神社・相殿八坂神社、小桑原村の神明宮・稲荷神社・菅原神社・琴平神社・相殿大山祇神社・雷電神社を合祀する。
 境内末社に八幡宮・愛宕神社・織姫神社。清滝神社・日枝神社・小御嶽神社がある。
  例祭日 初山祭 六月一日
      火 祭 (旧暦)八月一日
      元旦祭 一月一日
 古来より夫婦和合、結縁、安産、子育、及び酒造り、火鎮めの神として厚い信仰をうけ、特に初山祭に赤子の成長を祈願して額に御神印を押す行事は、当社独特の神事として広く伝承されている。(一般に浅間神社のペッタンコ祭と言われる。)
  邑楽郡誌 館林市誌より
              秀城設楽 操謹書

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 二の鳥居の右手側に織姫神社。
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 左手側には大神宮と日枝神社・清滝神社。
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 拝殿。
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 石段の右側に稲荷神社と八幡宮。左側に愛宕神社と大山祇神社。
 この写真では拝殿側から見ているから左右逆になっているけれど。
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 狛犬。
 台座には「文化十三丙子天十一月吉祥日」と刻まれている。文化十三年は1816年。
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 辯才天、石尊宮、石尊大権現、水子地蔵尊、雷電宮。
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 参拝順路出口側の鳥居。
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 神楽殿。
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 道祖神、庚申塔、甲子塔。右端の石塔には「竣敷石■■」と刻まれている。
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 社殿裏手から。
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普濟寺(羽附町)

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 こちらにお参りする予定は無かったのだが、前を通り過ぎようとした際にちらりと鳥居が見えたので立ち寄ることにした曹洞宗龍洞山普濟寺(館林市羽附町1691)。
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 惣門をくぐり、参道を少し進むと左手側に稲荷社が鎮座している。
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 陶器製の、あー・・・・・・獅子、でいいのかなこれ。伊勢崎の寶珠寺で見たのと似ている。
 台座に記されている中国宜兴は中国の宜興市のことだろうか。その下の果売箱ってなんだろうとググってみたら・・・・・・え、ゴミ箱? 狛犬や獅子ではなくそういう形をしたゴミ箱なのこれ?
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 二の鳥居と本殿。
 台座には「昭和四十年五月二十二日」と記されている。
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 稲荷社の向かい側には水子供養の観音像。
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 茅葺きの山門。
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 鐘楼。
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館林市指定重要文化財 銅鐘
一.指定年月日 昭和五十年(一九七五)三月
一.所在地   館林市羽附町一六九一番地普済寺
一.時代    江戸時代
 この銅鐘は、慶安二年(一六四九)羽継村に住む小林太郎左衛門、小林彦左衛門、藤原安信の三人が、近郊の人々の助力によって、現世と来世の安楽を願って下野天命(栃木県佐野市)の鋳物師藤原重次に作らせ寄進したものです。
 鐘の大きさは、口径六九cm、銅の高さ九九cm、竜頭を含めると一二六cmになり、乳の配列は四乳四列、下帯の文様は巧妙です。
 その姿は、全体的に細長く、駒の爪が大きく外に突出し、撞木座の部分がふくらみ、上部のツバが出ないなど、江戸時代の洪鐘の特徴を良く表しています。
 銅鐘には「大日本国上野州邑楽郡佐貫荘 羽継郷志柄村龍洞山普済寺 遠近村里 四衆以助力 新奉鋳一鐘 而為二世安楽寄進焉者也 本願羽継郷住人 小林太郎左衛門 小林彦左衛門 江田讃岐守藤原安信 大工下野州天命住人横塚内藤原重次前永平当山九世月新雪叟代新添之慶安二己丑二月吉祥日」と刻まれ、寄進者や鋳師の名の他、銅鐘を鋳造し寄進した理由を読み取る事ができます。
 江戸時代初期の館林領内の様子を伝える資料です。
               館林市教育委員会

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 本堂。

不動明王堂(楠町)

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 楠町他上集会所脇に位置する不動明王堂(館林市楠町1848)。
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 文政九年(1826)造立の出羽三山塔と湯殿山納経供養塔。出羽三山塔は台座の部分が道標にもなっている。
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 馬頭観世音。
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上宿天満宮(羽附町)

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 館林市立第五小学校の東側に鎮座する上宿天満宮(館林市羽附町)。
 鳥居の柱には「平成二十三年七月吉日 上宿天満宮氏子一同」と刻まれている。
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 本殿。
 菅原道真公らしき座像の前に八坂大神祈祷神符が置かれている。
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 地蔵菩薩二基と貞享二乙丑天(1685)九月造立の青面金剛。
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恵下稲荷神社(赤生田町)

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 中島集会所脇に鎮座する恵下稲荷神社(館林市赤生田町1730-3)。
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 額には「正一位恵下稲荷大明神」と彫られている。
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 石燈籠。
 四面に「奉納恵下稲荷宮御神前 願主 中嶌氏子中」「宝暦十一辛巳歳九月吉祥日」「別當養老山現■■」「建立初発退隠法印■宜」と刻まれている。宝暦十一年は1761年。
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 明治十七年申(1884)旧九月二十三日造立の二十三夜月讀尊と延享元甲子天(1744)八月造立の青面金剛塔。
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 木に隠れてしまっている右側の建物が中島集会所。

稲荷社(赤生田町)

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 JA邑楽館林の南側、畑の中に鎮座する稲荷社(館林市赤生田町)。
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 どこから行けば良いのかわからなかったので、超解像ズームで狙ってみた。額は掛かっていないが、お狐さまが見えるので稲荷社だろう。
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 150m程東に向かった所にも小祠

川入大権現(赤生田本町)

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 谷田川北岸の道端に位置する川入大権現(館林市赤生田本町
 ググってみたところ、こちらは水難者の供養塔であるとのこと。
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 「川入大権現 明和八辛卯歳 三月吉日 別當退院尊宜」と刻まれている。明和八年は1771年。
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八坂神社(堀工町)

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 堀工町会館前に鎮座する八坂神社(館林市堀工町)。
 鳥居の左柱には「平成二十八年十月吉日 施工者 邑楽町前橋石材店」、右柱には八坂神社祭礼関係者名簿が刻まれている。
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 牛頭天王像。
 「奉造立牛頭天王尊像 寺内鎮守 元禄七甲戌年三月吉日 願主現住宥牲」と刻まれている。元禄七年は1694年。
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天満宮(堀工町)

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 茂林寺前駅の170m程南東に鎮座する天満宮(館林市堀工町)。
 左の祠が天満宮。右は覆屋の中に赤い木祠と三神宮と刻まれた扁額が納められていたので三柱の神が祀られているのだろうとは思うのだが、どの神を祀っているのかは不明。
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 二年半程前にお詣りした根本山神社がここから70m程東にある。こんな近くにあるのに何故気付かなかったかなぁとも思うが、まぁよくあるよくある。
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 マンホールの蓋にはぶんぶく茶釜の図柄が。

大街道天満宮(大街道)

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 大街道会館の傍に鎮座する大街道天満宮(館林市大街道1-6)。
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 拝殿。
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 斜めから。
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大街道天満宮由来の記
 祭神 菅原道真公
    火雷天神
 当大街道天満宮は、安政五年(一八五八)館林城下の有力商人七氏の寄進により、別当不動院五宝寺浄泰師の尽力で、現在の大街道一丁目地内に小社として建立になり、その地を天神屋敷、北域を天神前と呼んでいた。
 明治中期の小祠小社統廃合令(太政官布告)に従い、成島の大谷神社にご本尊の石碑を合祀するという変遷を経て、大正八年(一九一九)当時の区民有志の方々の熱意努力が実を結び、ご本尊の石碑の返還が実現し、現在の地に安置還御になったのである。
 昭和三十一年(一九五六)時の総代はじめ区民一同の寄進による社殿全域の改築が、高鳥天満宮譲渡の宮居を奥の院に造成して完成した。また昭和五十五年(一九八〇)還御六十周年祭を執行し、記念額を奉納掲示した。
 春は四月十五日、秋は十月十五日を地区の氏神、天神さまのお祭りの日と定め親しんで参りました。ここに還御八十周年を記念して、「由来の記」を奉納いたします。
 平成十三年四月吉日

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 由緒書きに記されている御本尊の石碑と言うのはこれのことだろう。
 表面には「天満宮 安政五戊午歳正月吉日 別當不動院 五寶寺浄泰建之」、裏面には寄進者七名(角屋儀兵衛、大津屋太七、丸屋太七、和泉屋九兵衛、万屋傳兵衛、戸室七之助、石屋伊右エ門)の名が刻まれている。
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火防組創設記念碑
我ガ大街道ハ多々良村大字成島ノ一部ニ屬シ明治時代ハ僅ニ數戸ナリシガ時運ノ推移ニ従ヒ大正十二年既ニ六十餘戸ヲ算シ館林町ノ風上ニ隣接スルヲ以テ部民相寄リ其繁榮ヲ慶スルト共ニ先ツ防火施設ノ必要ヲ痛感シ共心戮力爲ニ寢食ヲ忘レ東奔西走經費約三千餘圓ヲ蒐メ火防ニ要スル被服器具機械ヲ調ヘ組員五十餘名ヲ選ミ茲ニ大街道火防組ヲ組織スルニ至リ更ニ集會所ヲ新築スル等一躍自治ノ根幹ヲ形成スルヲ得タリ
爾来協力一致幾多ノ辛酸ヲ重ネ専ラ内容ノ充實ニ努ム館林警察署長深ク之ヲ喜ヒ寄スルニ懇篤ナル感謝状ヲ以テシ本村當局亦之ヲ認メ大正十四年四月第四區ヨリ獨立シテ第六區ヲ新成シ昭和二年四月多々良消防組ニ編入セラレ第六部トナル尚同六年館林町ヨリ瓦斯倫卿筒ノ譲與ヲ受ケ益々設備ノ改善ヲ圖ルト共ニ常ニ隣保共助ノ念ヲ涵養セントス茲ニ創設十五週年ヲ迎フルニ際リ之ヲ石ニ勒シテ將來ノ發展ニ資スト云爾
 昭和十二年四月  從七位寺島錬二篆額竝書
             大街道一同 建設
                   生明乎■刻

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琴平神社(本町一丁目)

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 熊野神社の200m程南、本町一丁目会館の隣に鎮座する琴平神社(館林市本町1-8-47)。
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 境内社。
 あまり例を見ない配置だが、どういう理由でこうなっているのだろう。
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 馬頭観音と地蔵尊。

熊野神社(台宿町)

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 曹洞宗法輪寺の西に鎮座する熊野神社(館林市台宿町2-8)。
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 拝殿。
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熊野神社(足次町)

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 館林警察署足次駐在所の100m程南、理容ヒラタの北隣に鎮座する熊野神社(館林市足次町131)。
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 塚の麓に熊野神社。額には「熋㙒三社」と書かれている。
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 塚の頂に富士嶽神社と三峯神社。
 塚の前に鳥居があるのでこちらが主かと思ったのだが、ググってみたら熊野神社が主でこちらの二社は境内社であるようだ。
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 近くの標識に赤城神社のお祭りの告知がくくりつけられていたが、近くに赤城神社はあったかなと思ったら700m程北西にあった。と言うか八年前にお詣りしてた。
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 理容ヒラタの120m程西の道端に鎮座する石祠(館林市足次町122-1)。
 何神社なのかは不明。

 11月13日追記。
群馬縣上野國邑樂郡足次村字登戸 無格社 熊野神社
祭  神 速玉之男命 伊弉冉命 事解之男命
由  緒 不詳
境内末社 四社
 境内神社之義去明治十年九月中取調三社之處今般四社ト相成候義ハ、壱社石碑ト取調今般候處命切付有之候ニ付神社ト取調候間壱社増加相成候義ニ御座候間、十年取調御引直シ奉願上候以上
 菅原社  祭神 菅原道真公
 三峯社  祭神 日本健命
 浅間社  祭神 木之華咲耶姫命
 湯殿社  祭神 大山祇命
(『上野国神社明細帳』より抜粋)
 菅原社と湯殿社が見当たらないが、どこへ行ったのだろう。

稲荷大明神(足次町)

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 住宅街の中に鎮座する稲荷大明神(館林市足次町)。
 早朝だった為か、門が閉まっていたので外から。
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蚕影神社(岡野町)

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 農道脇に鎮座する蚕影神社(館林市岡野町)。
 こちらにお詣りするのは九年ぶりだが以前よりも整備されていた。
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 祠も新しくなっている。
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 左の石塔には蚕影神社、右の石塔には磐長姫命と刻まれている。

稲荷大明神(高根町)

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 県道8号足利館林線高根北交差点から350m程南下した所にある五叉路を東へ向かうと稲荷大明神(館林市高根町)が鎮座している。
 予想より早く着いてしまった為まだかなり暗く、自転車用のLEDライトで照らしてみたが光量はそれなりにあるものの照射角度はそれほど広くないのでこんな感じに。K-5IIsの内蔵フラッシュのボタンがいかれて開かなくなってしまっていたので、クリップオンフラッシュを買おうかどうか迷っていたらこんな状況だよぅ。
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 とりあえずISO感度を上げて対応。
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 拝殿。
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 青面金剛。
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 稲荷大明神北側の道端に富士獄神社。
 脇の石祠が何神社なのかは不明。
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 稲荷大明神境内から。

正一位稲荷大明神(上三林町)

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 雷電神社の600m程北東、民家脇の道端に鎮座する正一位稲荷大明神(館林市上三林町1816)。
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 祠の中には笠間稲荷神社の神璽が見えたので、笠間稲荷からの分霊なのだろう。
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 天保十二辛丑年(1841)十二月造立の石燈籠と元治元甲子年(1864)十二月造立の大黒天。

雷電神社(上三林町)

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 真言宗豊山派雨宝山雷光寺の北側に鎮座する雷電神社(館林市上三林町1392)。
 鳥居の柱には「寛政十一■■■己未冬十一月吉日」と刻まれている。寛政十一年は1799年。
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 二の鳥居。
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 狛犬。
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 厳島神社ズ。
 左から安政五戊午年(1858)九月造立の辨財天、弘化三丙午年(1846)四月造立の辨財天。残りの石祠二基も辨財天だろう。右端の宇賀辨財天像は宝暦十一辛巳年(1761)四月造立。波の上に立ち、八臂には武器、頭上の鳥居の中にも顔があり、鳥居の上に「ウ」の梵字が刻まれている。
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 三の鳥居。
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 拝殿。
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 狛犬。
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館林市指定重要無形民俗文化財 上三林のささら
一、保護団体の名称 館林市上三林ささら保存会
一、主な奉納場所  館林市上三林町一三九二 雷電神社 他
一、指定年月日   平成五年七月十六日

 この上三林のささらは、江戸時代中期の頃、武州国忍(現在の埼玉県行田市)の下中条より伝承されたといわれ、その年の五穀豊穣に感謝するとともに、厄病神を追い払う祭事として、豊作の年のみに雷電神社などに奉納されてきた。
 上三林のささらの内容は、「花棒っ子」と呼ばれる幼児や子供、「若衆」たちによる棒や太刀の仕合(棒振り二十一演目)と「雌獅子かくし」など十三の演目を演じる「一頭一人立三匹獅子舞」で構成され、奉納日には、花棒、棒方、獅子、笛方などが行列を作って、雷光寺から雷電神社、八坂神社、雷光寺と場所を巡る「道行き」とともに各所に奉能される。
 民俗芸能としてのささらの原形をよく保ち、地域的特色を顕著に表しており貴重である。
 これまで、豊作の年のみに行なわれてきたが、現在では、雷電神社の秋季大祭に奉納されている。
 「ささら」とは、本来、竹でつくられた楽器の一種のことを指すが、こうした獅子舞にこの楽器がよく使われたことから、獅子舞自体を「ささら」と呼ぶようになったと考えられている。
 雷電神社の由緒書きは設置されていない。
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 稲荷大明神。
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 社日稲荷神社と八幡宮。
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 菅原神社、御嶽山神社、清龍神社。
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 五社大権現、三峯神社、妙義神社。
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 神馬像。
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 雷光寺山門。
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 本堂。
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 県道83号線脇に建てられた標石。

八坂神社(上三林町)

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 県道83号線を挟んでJA邑楽館林三野谷支所の南側に鎮座する八坂神社(館林市上三林町595)。
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 青い屋根の祠は浅間神社。その左の赤い屋根の祠は愛宕神社。
 石段右側の石祠は小御嶽神社。左側の石塔は「神道扶桑教 北口登山 三十三度大願成就」と刻まれた石塔と「烏帽子山食行身禄イ杓」と刻まれた石塔。
 左奥の石碑は上三林土地改良竣工記念碑。
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 北側から。
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 左から報国碑、彰魂碑、凱旋記念碑。

神明宮(上三林町)

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 県道83号熊谷館林線と県道361号線が交わる上三林交差点の170m程南西に鎮座する神明宮(館林市上三林町)。
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 末社。
 左から金刀比羅宮、若宮八幡宮、川嶌大明神。
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 祠の残骸。
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菅原神社(入ケ谷町)

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 谷田川に架かる谷田川橋の西側、群馬県道361号矢島大泉線に面して鎮座する菅原神社(館林市入ケ谷町119)。
 『邑楽郡誌』によると、御祭神は菅原道真公と上野国十二神であり、境内社に稲荷社があるのだそうだ。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
 「菅公千年祭 明治二十五年九月」と刻まれた扁額が掛けられている。
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 斜めから。
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 末社。おそらくこれが稲荷社なのだろう。
 側面には「昭和四年正月元日」と刻まれている。
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 庚申塔。
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 裏手から。
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 菅原神社の80m程南西の道端にある小祠
 地主神だろうか。

大谷神社(成島町)

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 東武小泉線成島駅の400m程東に鎮座する大谷神社(館林市成島町371)。
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 鳥居の根巻部分には狛犬の姿が彫られている。
 柱には「天保五年甲午歳二月吉日」と刻まれているので1834年の造立。
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 二の鳥居。
 「皇紀二千六百年 伊勢参宮記念」と刻まれているので昭和十五年(1940)の造立。
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 参道脇の狛犬。
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 拝殿前の狛犬。
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 拝殿。
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大谷休泊翁合祀記念碑
上毛の地は美しい山水の天恵と偉人の恩沢に浴し隆々栄えて在り、室町時代は天文の頃、大谷休泊翁は渡良瀬川より取水し明和村大輪に至る上休泊堀を、又多々良沼より江黒に流れる下休泊堀を掘削し、水田を拓きて其の配水面積実に一千余町歩に及び、灌水滔々として幾百年今なおその恩恵に浴す、翁は又館野ケ原の荒野を拓き軽鬆の地に松苗を植林す、されど旱魃による枯死木の多きを憂い清浄の地へ草祠を営み山神を祭り植林の完成を祈願す、此れ大谷神社の創建なりという。以来苦節二十年を要し五百八十六町歩に亘る造林を達成し、水源涵養、防風、薪炭林として民生に寄与し、八州に冠たる農耕改良植林の大業をなす、英知を以て天恵を増進し而して東毛を沃野と化す、正に農地改良の始祖として斯界に盛運を授け給へり、
      偉なるかな 其の広遠なる業績、 敬なるかな 其の崇高なる神徳、
郷党等しくその恩徳を崇拝し敬仰おく能はざる所なり、今や「水と緑豊かな郷土造り」、の機運本邦に高からんとする時、氏子一千参百余の総意により大谷休泊翁を大谷神社に合祀し永世敬神の誠を盡さんとす、願はくは悠遠に郷土を守護し賜はらんことを、
 昭和六十一年四月吉日  題字 群馬県知事   清水一郎書
                館林市議会議長 熊倉正一郎撰文
                大谷神社総代表 曽根彦之書

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   合 祀 紀 念 碑     群馬縣知事正五位勲四等神山閏次篆額
夫レ敬神ハ皇國民ノ特徴ニシテ忠孝ハ大和民族ノ獨特ナリ宜ナル哉我カ國 上ハ宗■ヨリ下鎮守ニ至ルマニ國トシ村トシ将タ字トシテ神社ノ建立之レ無キハ莫シ我カ成嶌村内大谷原ニ鎮座セル大山祇神社ハ祭神大山祇命ニシテ永禄二年九月今ヲ距ル凡三百五十餘年ノ昔大谷休伯翁大谷原ニ植林ヲ経營スルニ方リ松苗ヲ隣郡太田金山ヨリ移植セシニ樹半枯死セリ足ニ於テ翁原野中央ノ地ニ草祠ヲ結ヒ以テ山林ノ守護神ト為シ更ニ又稺松數十萼株ヲ栽培繁茂セシメタリト而シテ維新前ニ在テハ館林代々ノ城主ヨリ毎歳祭資料トシテ松材若干本ヲ下賜セラルゝノ例アリ爾来時移リ星易リ明治五年社格ヲ村社ニ列ス之レ本社因起ノ梗概ナリ又小蓋耕地諏訪神社休伯耕地山神社赤土耕地山神社愛宕稲荷神社等祭祀ノ典禮今日ニ亘レリ明治三十八年敕令ヲ以テ社寺ノ合併合祀ヲ發布セラレタリ是ニ於テ乎篤志者令旨ニ鑑ミ氏子ト謀リ村内ノ神社ヲ合祀セント中央便宜ノ地ヲ相シ民有地千三百餘坪ヲ購フテ社地ト為セシハ明治四十年三月ナリ尋テ又社名ヲ大谷神社ト改稱スルノ官ノ認可ヲ得シハ四十一年六月ナリ今茲朙治四十二年一月一日ノ吉辰ヲ以テ社殿建築ノ工ヲ起シ同年三月五日上棟式ヲ舉ク又時ヲ同クシテ社務所ヲ境内ニ造設ス越テ同年十一月十日ヲトシ五社靈璽ノ合祀遷宮式ヲ舉行シ茲ニ創メテ大谷神社ト敬虔スル一大村社ハ出現セリ矣嗚呼此ノ村ニシテ而シテ此ノ舉アリ顯然タル神靈村民ノ幸福ヲ増進ス可シ灼然タル神徳闔村ノ安寧ヲ擁護ス可シ又村民ハ頼テ以テ道ヲ践ミ業ヲ勵ミ大ハ即國家ノ盛運ト繁榮トヲ祈リ小ハ即子孫ノ長久ヲ禱ラン頃日氏子相謀テ合社建設紀念碑ヲ社側ニ樹テ以テ不朽ニ傳ヘ後世子孫ヲシテ長ヘニ皇國ノ特質タル敬神ト忠孝トノ美徳ヲ發揮セシメント有志某々等来テ余ニ文ヲ乞■余固ヨリ不文敕テ中ラスト雖深ク其ノ意ヲ好シ辭セスシテ而シテ之ヲ録ス
  明治四十二年十一月              館林 吉田必於撰
                         仝  岡戸畊瑩書
 永禄二年(1559)九月に大谷休泊が山林の守護神として大山祇命を祀る祠を建てたのが創まりで、大山祇神社として長く信仰されて来たが明治五年(1872)に村社に列格、四十一年(1908)に大谷神社に改称。四十二年に社殿の建立と五社の合祀遷宮式とあるが、これは諏訪神社と山神社、山神社、愛宕神社、稲荷神社の五社と言うことだろうか。上の大谷休泊翁合祀記念碑を見ると昭和六十一年(1986)に大谷休泊も御祭神の一柱として合祀されているので、現在の御祭神は
 主祭神 大山祇命
 配祀神 建御名方命、軻遇突智命、倉稲魂命、大谷休泊
と言うことになるのだろうか。
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 末社。
 中に掛けられた奉名板には富士の文字が見えたので、おそらく富士嶽神社だろう。
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 上部が剥がれてしまっているが、小御嶽神社だろう。下部には磐長姫命と日本健命の名が刻まれている。
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 大黒天。
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 末社。
 神社名を記したものは見当たらなかったので何神社なのかは不明。

竹生島神社分宮(富士原町)

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 国道122号線富士原交差点西南に鎮座する竹生島神社分宮(館林市富士原町1109-2)。
 名前から見て本町三丁目にある竹生島神社からの分社かと思っていたが、由緒書きを見るとまるで違った。
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当社御祭神と弁財天由緒
 当社は古より滋賀県の琵琶湖の北に浮かぶ神の斉く島日本三大弁財天本社竹生島神社の直系分社として御遷宮され、当地に御鎮座されています。
 全国各地に竹生島神社の名称のお宮は数多く御鎮座されていますが当神社は唯一の直系分宮です。
市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと) 別名 弁天様
宇賀之御魂命(うがのみたまのみこと)  別名 龍神様
浅井姫命  (あざいひめのみこと)   別名 竹生島地主神

竹生島神社の起源
 総国風土記によると雄略天皇三年(約一五〇〇年前)に御祭礼が執り行われた記録がありその後天智天皇が志賀の宮を御創造になった折この竹生島に市杵島姫命(弁財天)をお祀りになりました。又別の縁起によると聖武天皇が奈良に都を始められた神亀元年甲子三月十五日天照大神様の御神託により都の守護神として当竹生島に市杵島姫命(弁財天)を御祀りになり、天平三年には天皇自ら竹生島にご参拝されました。

弁財天様は万能の功徳を授ける女神
 弁財天は今日七福神の中の唯一の女神として知られているが、大弁功徳天、妙音天、美音天、などとも諭旨され略して弁天、この神への人の気楽さで弁天さま、弁天さんと呼び習わすが弁財天様の現世功徳とは人々に弁舌の才を与え、福智を授け、延命と財宝をもたらし天災地異を除く神法として信仰を集める神で特に富貴、名誉、食物、勇気、子孫繁栄を恵む、学芸音楽の守護、土地の豊饒を招来する農業神として信奉される、人々の熱心な崇敬によりその功徳の包容力を益々高められきわめて特別な神格を持っている大神様です。
 神は人の敬いによって神威を高め 人は神の徳によって運に添う
 竹生島神社本宮の由来は書かれているが、この分宮の沿革などは記されていないのでよくわからない。
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 拝殿。
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 北の鳥居。
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清龍神社(本町二丁目)

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 群馬県道57号線脇に鎮座する清龍神社(館林市本町2-11)。
 以前に一度参拝しているので立ち寄る予定は無かったのだが、折角通りがかったのだからとお詣りしてみた。前回は2009年11月だったから、大体八年ぶりか。
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 本殿。
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 下の方が埋もれているが、出ている範囲内では「奉寄  清瀧大権  天和三年  願主 冨田  別當 福壽」の文字が見える。
 この井戸は館林駅前の竜の井や城沼と繋がっていたとの言い伝えがあると案内板に記されているが、まだ竜の井を見に行ったことなかったな。そのうちに行って来よう。
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 この後は富士原町の富士嶽神社へ向う予定だったのだが、行ってみたら鳥居の周辺でスマホを見ながら下を向いている集団がいたのでパスして次の神社へ。そう言えば西本町の愛宕神社でも参拝し終えた頃に鳥居の所で同じようにスマホを見ている集団がいたっけ。なんだったんだろうあれ。ポケモンGoとかかな? まぁまた後で行って来よう。見落としていた神社もあることだし。
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