伏見稲荷神社(宮本町一丁目)

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 美和神社の100m程南に鎮座する伏見稲荷神社(桐生市宮本町1-2)。
 枝で鳥居がよく見えない。柱には「大正乙卯四年孟夏」と刻まれているので1915年4月の造立。
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 拝殿。
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 破損の激しいお狐様。

 以上で6月30日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA16-85mm。X-T100にXC15-45mm、XC50-230mmII、DA70mm。X30。
 ウォーキングカウンターは8,789歩。
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美和神社(宮本町二丁目)

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 桐生市立北小学校の西側に鎮座する美和神社(桐生市宮本町2-1-1)。
 こちらの神社は駐車場が無いのでまた後でお詣りに来ればいいかなと思っていたのだが、XC50-230mmIIの試し撮りの為に立ち寄った桐生が岡動物園をうろついていたらこちらに到着してしまっていた。動物園の敷地と境内が繋がっていたのだね。
 桐生が岡公園に来たのはニコンD100の試し撮りに来た時以来だから、十六年ぶりになるのかな。
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 神橋と鳥居。
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 拝殿。
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 神楽殿。
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 八意思兼神社。
 右の石祠は何神社なのかわからなかったのだが、ググってみたら機神神社であり、また八意思兼神社には思兼命の他に聖徳太子も祀られているのだそうだ。
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 八坂神社神輿庫。
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八坂神社と神輿蔵の由来
 八坂神社を祀る桐生祇園祭の歴史は古く、明暦二年(一六五六)を起
源とした祭礼である。祇園祭は元来天王祭礼とも云い、仏教の守護神で
ある牛頭天王を祭神に厄除神として京都祇園社に祀ったことにより全国
に広まった神仏習合の祭りである。桐生市本町三丁目の地(現市営アパ
ート)に衆生院という寺があった。元禄二年(一六八九)に市神、牛頭
天王社を造営したことにより、子供の手踊りが中心の素朴な祭りも徐々
に賑わうようになった。元文三年(一七三八)には衆生院の境内に神輿
蔵を造営し、それまで本町四丁目の伊勢屋に借置きしていた神輿を移し
たことにより本格的な祭礼の形が整ったのである。
 その後、江戸中期になると祭礼屋台も造られ各町思い思いの出し物で
人を楽しませるようになった。主に狂言や練り物、曳き物などで競った
のである。江戸後期、安政の頃になると惣六町(本町の六町会)では大
型の祇園屋台を建造し、夜通し歌舞音曲で賑わったため、「関東の三大
夜祭り」と呼ばれた所以でもある。
 明治維新が実現し神仏分離の布告が出されると、仏教の守護神である
牛頭天王の神号は廃止され素戔嗚尊としたのである、又京都の祇園社が
八坂神社と改めたため全国に広まった。桐生では明治三年に衆生院が廃
寺となり八坂神社と改名した。それまで天王祭礼と呼んでいた祭りはこ
れを機会に八坂祭典と正式に決めたのである。
 しかし三丁目の地は明治十一年に山田郡警察署が新築されたため徐々
に手狭になった。明治四十年には恵比寿新道が完成。明治四十一年七月
十五日末社と共に美和神社に合祀され、神輿蔵のみ建造し今日に至って
いる。
 八坂祭典の名称は平成六年(一九九四)より桐生祇園祭と改めた。
 尚、安置されている神輿は五代目として平成十三年八月完成した。
 平成十七年八月吉日
  桐生祇園祭 惣六町並びに横山町

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 筆塚。隣の小さな石碑には筆冢修繕詞と刻まれているが、崩し字で記されているので読めない。
 石祠は八坂神社なのかと思ったのだが、母衣輪神社であるのだそうだ。
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 神輿庫裏手にも倉庫らしき建物がいくつか並んでいるが、何なのかは不明。
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 松尾神社。
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 金毘羅神社の鳥居。
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 狛犬。
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 金毘羅神社。
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 西宮神社参道。
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 西宮神社。
 狛犬撮るの忘れた。
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西宮琴平兩社之碑      伯爵 宗重望篆額
上野國山田郡桐生町美和神社一郷鎮守而延喜式内上野十二社之一苑
内數千畝樹木鬱蒼幽寂爽塏之地也明治三十四年十一月十三日別建祠
祀攝津國西宮太神初信徒九十餘名從而賛同者七百餘人及寄附金四千
三百四十餘圓則三十五年九月十九日起工三十八年三月十七日告成葢
西宮太神爲商賈貿易之祖昰以遠近行賽者陸續不絶同三十八年其信徒
一人本多某又建琴平神祠贊同者百五十人及醵金一千餘圓則十二月一
日起工越三十九年十二月十日竣工此祠徍替觀應二年桐生三郎國綱創
遷讃岐國云今兩社棟宇宏麗締構精雅各極偉觀漱盤燈龕之屬■悉備矣
大凢水旱疾病行■戰没有求則禱焉於是乎車馬紛錯旌来如織逐■為人
烟繁庶之區我聞布一■政則神人呂味夫建祠祀神則一郷之善政也至誠
至善奉之神必享之神人相和則災害自消灾害自消則福利■來詞冋
 宮宇新飾 威靈赫然 錫福不絶 爰致明禋
 千歳一日 ■詞万年 檀櫃秩秩 永■我民
明治四十秊一月       上毛 藤生高選並書
                    桐生 丸田壽樟刻
 ■部分は文字は残っているのだがIMEパッドでも出てこないので分からない文字。
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 鳥居。
 傍に美和神社の社号標石が建てられているが、位置的には金毘羅神社の鳥居のようにも思える。額の写真も撮っておけば良かったか。
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関東一社 桐生西宮神社由緒
桐生西宮神社は延喜式内上野十二社の一社美和神社の御祭神が大国主命である関係から明治三十四年十月摂津西宮神社の御分霊をいただき商業、工業、農業、交通、海運、漁業等に、霊験あらたかな蛭子大神(恵比寿様)を桐生ヶ岡公園に接する古木生い茂る美和神社の荘重な神域におまつりした神社です
此の西宮神社を関東一社と申します理由は蛭子大神を御祭神とする神社は桐生だけで各地の恵比寿様は国土開発等に御神徳のある大国主命又事代主命をお祀りした神社であり御祭神の相違から区別されて関東一社と称せられて居ります
十一月十九日、二十日の例大祭には近郷近在は申すまでもなく栃木、埼玉等隣接各県から参拝者は数十万を数え桐生市全市に恵比寿講の雰囲気が溢れまれに見る賑やかな大祭典となります。
    祭  典
一、初 祭  一月二十日(初恵比寿)
一、例大祭  十一月十九、二十日
昭和五十六年十一月吉日
御遷宮八十周年記念 建之

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光明寺(宮本町三丁目)

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 吾妻公園の東側に位置する曹洞宗大慈山光明寺(桐生市宮本町3-9-15)。
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 山門の上り口には千庚申塔。
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 ずらりと並ぶ庚申塔の中に青面金剛も見える。
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 香炉の上には狛犬……じゃなくて獅子かな。
 千手観音堂前の香炉にも似たものがあったが、こちらの方が新しそうだ。
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 山門の脇に金剛力士。
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 本堂。
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 千手観音堂。
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 木鼻以外にも獅子の彫刻が施されている。
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東毛三十二番札所 光明寺千手観世音
古記の伝えるところによると聖武天皇天平宝宇十一年(六三九年)行基菩薩聖武天皇の勅願により観音像一体を刻みてこの地に一宇の堂を建立す。爾来千二百有余年開運厄除・安産子育・所願成就の霊験あらたかにして多くの人々の皈依厚く今日に至る。
  御詠歌(三十二番札所御詠歌)
 ありかたや ちかいも ふかき千手堂
  二世あんらくと たれもたのまん
 昭和六十二年四月八日

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 香炉。
 こちらの獅子は風化しかかっている。
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 竜王護法大善神と白山妙理大権現を合祀した祠。
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 宝珠弁財天。
 宝珠型の珍しいもので、室町時代に作られたものであるそうだ。
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光明寺の歩み
 古記の傳ふる所によれば、當山は遠く千二百有余年の昔
人皇四十五代聖武天皇の天平宝宇十一年九月十六日、行基
菩薩、観世音の夢告を受け、この地に来り 山上の靈光池
水に映り月光の如くなるを歓こび、信仰の中心として水月
庵を開創す。 降って寛永元年鳳仙寺七世義拈午把襌師開
山となり、大慈山光明寺と改め曹洞修行の道場となす。
 爾来、法灯盛衰幾度か移るも、歴代住職の心血と、檀徒
各位の協力、加うるに市勢の発展とにより、今日の興隆を
見るに至れり。ここに 大本山總持寺貫主岩本勝俊襌師を
拜請し、本堂庫裡等の落慶式を挙ぐるに當り、感激描く能
はず、ここに石に刻して後世に残すものなり
 昭和四十四年五月二十五日 光明現三十世 良榮謹誌
                     早川勇二刻

御嶽神社(宮本町三丁目)

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 曹洞宗大慈山光明寺北側の山の中腹に鎮座する御嶽神社(桐生市宮本町3-9)。
 左に見えるのは光明寺の千手観音堂。
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 二の鳥居。
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 石段右手側に千手観音。
 側面に「文久三㐪八月吉日」と刻まれている。文久三年は1863年。㐪は亥の異体字であるので、文久三年の干支である癸亥とも合う。
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 不動明王と二童子。
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 一心霊神堂。
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 三の鳥居。
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 右上に並ぶ石塔には普香王童子や獅子光童子、善儞師童子、波利迦童子などの文字が見えるので、不動明王の眷属である三十六童子なのだろう。
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 拝殿。
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 御嶽山の額と、その前に梵天が掛けられている。
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 一心霊神と奥殿。
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新築記念碑
星移り年古れば神域社殿も荒廃す 御嶽神社も亦然なり 当社大教主高山藤三郎氏は此れが復興を計る 私もこれに参画して 奥殿並びに一心霊神堂を新築して 献す 以っていささか 神恩に報い神威を揚げ奉り 大方の信徒の便益にも資せんとするなり 今や功成る 依って祈念の碑を立てて永く子孫に敬神崇祖の道を示すといふのみ
 昭和四十四年四月吉日
 御嶽神社責任役員
      青木石太郎建之

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 奥殿と狛犬。
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 御嶽橋。
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最上位青石稲荷大明神(西久方町一丁目)

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 日蓮宗妙光山法経寺の境内に鎮座する最上位青石稲荷大明神(桐生市西久方町1-7-26)。
 左の石段は開山堂、中央の石段は最上位青石稲荷大明神、右の石段は墓地へと続いているが、上でつながっているのでどこから上っても同じである。
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 二の鳥居と拝殿。
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 お狐さま。
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 開山堂。
 左側には観世音菩薩。
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 上から見た鳥居。
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 日蓮上人像。
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 弁天社だろうか。
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 法経寺本堂。
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 大黒殿。
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 この時点でもう暑くて帰りたくなってきたものの堪えて次の神社へ。

桐生天満宮(天神町一丁目)

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 群馬大学桐生キャンパスと県立桐生工業高校の間に鎮座する桐生天満宮(桐生市天神町1-2-1)。
 公式サイト有り。
 駐車場は神社北側にあるので、一度境内を通り抜けてからもう一度入り直してみたり。
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 二の鳥居。
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 神橋。
 神門入口に建てられた柱には「ここから撮影禁止」と書かれている為、門の向こう側、即ち拝殿や狛犬などの撮影はしていないので写真は無し。
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 神橋傍の水車。
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 機神神社。
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 財福稲荷神社。
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金運招来・江戸豪商由来 財福稲荷神社
〔由緒〕
 幕末から維新を経て明治の中頃まで、天満宮境内には数多くの摂社・末
社が遷座されましたが、その中に、かつて桐生に縁りの深かった、江戸で
栄えた富裕な商家に代々祀られていた家敷稲荷があり、戦前までは桐生広
域の商工業者から「江戸の財福稲荷」として広く信仰されましたが、戦後
はその存在も忘れられがちでした。
 そこで此度の平成大修理事業竣工記念として、宝船神社とともに御本殿
西側の末社石宮より御神霊を戴き、境内太鼓橋北西側の宮地を新たな鎮座
地と定めて遷座祭を斎行し、ここに、古来より伝わる社号を掲げて「財福
稲荷」と称え奉り、往末永く奉斎して厳かに祭祀仕奉つとともに、新年の
初詣や初午祭はじめ年間を通じより多くの崇敬者各位の御参拝をご祈念申
し上げます。
〔御祭神〕稲荷大神(倉稲魂神)
〔御神徳〕金運招来・財運招福・商売繁昌・社運隆盛
     事業繁栄・営業拡大・創業成功・契約成立 (他)

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 南蛮燈籠。
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 宝船神社。
 大国主命、事代主命、大宮能売命、天鳥船命、少彦名命、須佐之男命、伊邪那岐命・伊邪那美命を合祀している。
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 水舎傍にある東の鳥居。
 鳥居の柱には「大正十四乙丑年十一月 玉垣寄附者一同」と刻まれている。大正十四年は1925年。
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 神明宮・直日神社。
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 天満宮本殿裏に並ぶ末社。右側は春日社。
 左奥にも基礎が見えるが、嘗てはもう一社あったのだろうか。
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桐生市指定重要文化財 天満宮末社春日社
  所   在 桐生市天神町一丁目二一八番地の一
  指定年月日 平成三年十一月八日
 天満宮は、天正十九年(一五九一)に久方村梅原から赤城の森(現在地)へ遷され、荒戸新町(のちの桐生新町)の起点となった神社であり、旧桐生領五十四箇村の惣鎮守格であった。
 末社春日社は、本殿の後方に南面して建つもので、一間社流造りの小規模な社殿である。
 社殿は、身舎、庇の軒桁や垂木に見られる反り増しをはじめ、要所に用いられている彫刻の装飾に、室町時代後期の建物の特徴をよく残している。一部に菊と唐草・流れに紅葉などの文様が描かれており、各部には彩色が施されていた痕跡が見られるが、ほとんどは不明である。
 県内における類似する建物としては、板倉町の雷電神社末社稲荷社社殿があり、象鼻彫刻が発生した早期の建築と考えられる。
 このことから、建築年代は天正(一五七三)から慶長(一六一五)年間と推定され、現存する桐生市内の建造物としては、最古のものであるとともに、当地方における古建築の遺例として貴重である。
 平成五年十一月一日

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 本殿西側に並ぶ石祠群。
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 神楽殿。
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 神楽殿の側面には算額の案内板が掛けられている。
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 渡辺崋山 毛武游記の碑。
毛武游記 天保二年卯十月
     上冊
帰又天神祠に謁す。此祠は桐生第一街にありて、六丁目といえるかたより一文字に行とまれところ、即此やしろあり。境内松並いと黒うしげり、中に一水きよらかにながれ出づ。此ながれにわたり廓あり。やしろハいとめでたくつくりなして、上も下も力をあわせ花鳥の形を彫りて、なかなか都にもまれに見る御やしろなり。

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群馬県指定重要文化財 天満宮社殿
名称及び員数 天満宮社殿(本殿・幣殿・拝殿)
           附 本社幣殿拝殿妻之図
             棟札 四枚
指定年月日  平成二年九月二十五日
所 在 地  桐生市天神町一丁目二一八番地の一
所 有 者  宗教法人 天満宮
建築年代   本殿・幣殿 寛政元年上棟(一七八九)
       拝殿    享和二年  (一八〇二)

 天満宮は桐生新町の宿頭として、天承十九年(一五九一)に久方村梅原から現在地へ遷座したといわれ、桐生領五四ヶ村の惣鎮守格であった。
 棟札によれば、現在の本殿及び幣殿は安永七年(一七七八)に起工し、寛政元年(一七八九)に上棟、寛政四年(一七九二)に社寺奉行へ披露され、翌、寛政五年(一七九三)に遷宮開帳が行われている。
 拝殿は享和二年(一八〇二)に棟札があげられている。
 天保十二年(一八四一)には拝殿の屋根瓦の差替が行われ、本殿・幣殿は銅板に葺き替えられている。
 天満宮の社殿は、県内の江戸時代の神社建築に多く見られる本殿が幣殿・拝殿につながる権現造の形式である。本殿・幣殿は外壁の前面に極彩色の精巧・華麗な彫刻が施されており、内部は同様な彫刻とともに壁画も描かれていて、北関東の近世神社建築の特徴をよく示した優れた建築である。とくに、内部の彩色は当初の姿をよく伝えている。
 附指定である「本社幣殿拝殿妻之図」は極彩色の社殿の側面図であるが、現在の社殿とは構造・彫刻ともに若干の相違がみられる。特に拝殿には精巧な彫刻が描かれており、計画図と考えられることから、当時の造営計画を知る上でも貴重である。この図には、棟梁町田主膳・町田兵部、画工狩野益広の名が記されている。
 また、四枚の棟札は、社殿の造営と修理の経過を物語る重要な資料であり、本殿・幣殿の大棟梁は町田主膳、彫刻は関口文治郎他八人、絵師は狩野益広他五人、拝殿の棟梁は町田兵部の名が記されている。
 平成二十五年三月 桐生市教育委員会

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奉造立天満宮御本社御上棟 寛政元己酉年一月十五日

手置帆負命
天思金命  奉造立桐生殿
彦狭知命
     上野国山田郡■■村          木梗
  棟 梁 町田兵部■栄清  町田龜十郎栄正  葛貫孫兵衛
  股棟梁 中山庄藏斯重   鹿山平次郎    尾花善兵衛
  肝 煎 麻嶌政八郎昌方  神山安五郎    武井甚左エ門
  同 断 町田弥吉郎栄直  豐田喜八郎      助八郎
  合手類 原嶋金太郎忠久  白石八百吉      次良左エ門
  同 断 町田宗八郎清久  田沼清藏       佐一郎
                          粂八郎

                 新町一町目
                  朴木要七郎   落合嘉左衛門
維旹享和二歳次壬戌十月朔旦 世話人 同 佐兵衛   栗田■吉
       神主前原大内藏勝行  ■原吉右衛門  小嶋權右衛門
                  栗原利左衛門  發頭 落合源藏
                  阿久澤藤右衛門 同  關口金兵衛

 天保十二年辛丑年四月廿五日記之
奉修覆御本社御幣殿銅葺
  御拝殿凢差替末社神築殿迠修復

上野国山田郡桐生下久方郷
桐生領惣社天滿宮者從 東照神君御祈願
所而長日天下泰平國土安全祈祷無怠慢勤
行然御神殿及大破神主藤原勝温為發願天
保十一庚子年九月廿八日大工棟梁須永隼
人手斧立賀翌辛丑年三月廿五日荒増成就
上棟之式寺社御奉行阿部伊勢守様御聞濟
而同月廿八日丑刻御遷宮四月十二日追十
五日之間令開帳者也
       神主前原大内藏藤原勝温

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赤城神社(新里町板橋)

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 群馬県道333号上神梅大胡線のそば、板橋区民会館の隣に鎮座する赤城神社(桐生市新里町板橋175)。
 こちらの神社は事前に資料に当たっていなかったので詳細不明。
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 二の鳥居の石額には「天神宮」と刻まれている。
 ちなみに一の鳥居は平成四年十月の建立で、二の鳥居は平成三年十月の建立。
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 拝殿。
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 拝殿裏の石祠。おそらくこちらが本殿なのだろう。
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 末社群。
 宕大権と言う文字が見えるので、愛宕神社もあるのだろう。
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鹽竃神社(新里町野)

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 県道352号線と県道336号線が合流する野交差点のやや北側、川縁に鎮座する鹽竃神社(桐生市新里町野68)。
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 拝殿。
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 狛犬。
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 普遍・慈光と刻まれた……なにコレ。
 なんとなく仏教色が見て取れるが、こちらの由緒等がわからないのでなんとも。
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 御神木跡だと思うが、石柱には神代杉の文字が刻まれていた。
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 社殿裏に末社。

赤城神社(黒保根町下田沢)

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 70号線を東へ戻る途中、二の鳥つりぼり前から少し東側に鎮座する赤城神社。
 鳥居の手前には虎ロープが張られ、立入禁止の札が下げられていたのでロープの上から撮影。

一の鳥居・二の鳥居(黒保根町下田沢)

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 下田沢交差点から群馬県道62号沼田大間々線を北上して行くと、群馬県道70号大間々上白井線と合流する地点の左手側に一の鳥居と書かれた標柱が立てられている。
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 鳥居の跡らしき石柱が立っている。これが一の鳥居(跡)なのだろう。
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 お地蔵様。
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 70号線を西へ向かって走って行くと、二の鳥つりぼりを過ぎて少し進んだ所の道端に二の鳥居とお地蔵様が立っている。鳥居には赤城大明神と刻まれているので、前橋市の富士見町赤城神社の鳥居になるのかな。
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 鳥居の向かい側には六根清浄塔とその傍に小さな石祠。
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 鳥居から少し西へ歩くと、カーブミラー脇に石祠が鎮座しており、赤城大明神と刻まれている。
 側面には宝暦十三癸未歳五月吉日と刻まれているので、1763年のものだ。
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 石祠の更に少し西側に不動明王…かな?
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 二の鳥居のすぐ南側には鳥居川が流れている。
 ずっと西側へ向かうと利平茶屋森林公園から山崖の滝に行けるようなのだが、十月末で閉園しているので行っても仕方がない。開園期間は五月一日~十月三十一日だそうなので、その頃に思い出して気が向いたら行ってみよう。

愛宕神社(相生町二丁目)

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 いつもはみどり市へ向かう時は国道50号線を通っているのだが、たまには違うルートで行ってみようと思い、国道122号線(途中から群馬県道340号如来堂大間々線)を通ってみたら、群馬県道340号線と群馬県道3号前橋大間々桐生線が交差するポイントに愛宕神社が鎮座していた。
 神社北側の社務所裏に広めの駐車場があるのだが、着いた時にはまだチェーンが掛けられていたので、西側の裏手から境内へ。裏手にも三台分程の駐車場があるのだが、参拝者もいないのに既に車が置かれていた。
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 鳥居正面から。
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 参道右手側に土俵屋形。
 群馬県神社庁のサイトにこちらの記述があり、それによると、十月第三日曜日の祭典において近郷の小学生、中学生、国体出場選手などにより奉納相撲が行われるのだそうだ。
 ブルーシートが掛けられているので補修中なのかとも思ったが、季節を考えると単に土俵の保護か。今週になって急に冷え込むようになったから、先週はなんともなかった車のフロントガラスが今朝はびっしりと霜で覆われていたものなぁ。
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 参道左手側に手水舎と八坂神社。
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 二の鳥居と由緒書き。
『愛宕神社と四本柱土俵屋形
 愛宕神社の歴史は古く、慶長三年(1598)安土桃山時代の創建で京都の愛宕山最高峰に鎮まる、愛宕神社の末社に該する。
 祭り神は、火産霊神(ほむすびのかみ)、本地佛は、勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)である。
 この土俵の屋形は、慶応四年(1868)二月に、江戸相撲、第九代目横綱 秀ノ山雷五郎勝義が当神社に奉納した祭礼用相撲土俵である。
 古文書によると、横綱の直筆で、屋根付き四本柱土俵と免許状、併せて大張幕と大額を、相生村下新田の恩人である、高木源之丞を取り継ぎ人として村人衆に奉納したものであると記録されている。
 神社土俵は、源之丞の勧めもあり江戸相撲界の秀ノ山一門の稽古場として以前から使われていた。
 江戸では、横綱のことを愛宕の天狗様と称されていた。
 弘化四年(1847)二月七日には、神社境内土俵で、江戸相撲一行の大興業が行われている。横綱の土俵を一目見ようと、大入りだったと伝えられている。
 国内では、この種の土俵屋形は珍しく、地方に於ける日本三土俵の一つに該当すると、高く評価されている。
 現在の屋形は、昭和五十七年に新築奉納されたものである。
 平成十一年十月吉日

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 拝殿。
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 狛犬。
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 本殿。
 なんだか土台は古墳ぽい感じだなと思ったら、やはり古墳だった。社殿の周囲の石垣も古墳の一部であろうから、割と大きい方か。
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 本殿裏左手側には末社が並んでいる。
 鳥居の向こうに見える大きめの石祠は白瀧大明神。
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 右手側にも末社群。

十二山神社(黒保根町八木原)

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 水沼駅の脇を抜けて群馬県道257号根利八木原大間々線を南下して行くと、二又に分かれたポイントに十二山神社への案内標識が設置されているので、そちらへ入って行くと突き当たりに十二山神社が鎮座している。
 参道の手前に少し開けた場所があるので、そこに駐車。
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 参道を抜けると左右に社殿が見えるのだが…どちらが十二山神社なのだろう?
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 まずは右手側の石段を上ってみよう。
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 拝殿。
 ガードレールが設置されているのは落石除けだろうか。
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 本殿。しかし何神社なのか判らない。
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 下の神社を見下ろしてみると、なんと三階建て。
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 それでは、ともう一方の神社へ。おそらくはこちらが十二山神社なのだろうと思うのだけど、山王鳥居と言うことは日吉神社系なのかな。
 それはともかく、山王鳥居の実物を見たのは初めてだ。
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 奥へ進むと、斜面に天王宮。
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 社殿背後の岩山に登れそうなので少し登ってみたのだが…ヤヴァイ。履いているのは普通のウォーキングシューズなので、途中までは問題無いが手懸りの少ない岩場では滑りそうでいかん。岩山の頂には祠がありそうな気がするのだが、滑り落ちたら洒落にならんのでここまで。
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 岩山の裏へ回っていくと、眼下に鉄道線路とその横を流れる川が見える。わたらせ渓谷線と渡良瀬川…か?
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 更に進むと、石がごろごろしているので注意が必要だ。更に奥まで進んで行けそうではあるが、無駄に危険そうな場所に行くこともないだろう。山歩き用の装備でもしているなら危険でもないのだろうけどね。

 以上で12月11日参拝分終了。
 257号線は狭いわうねうねしているわ落石の危険があるわ(と言うか、途中にそう大きくもない石くらいならいくつか落ちていた)で、利用する人も少ないのだろう。自分以外の車は一台しか見かけなかった。それも、退避エリアに車を停めて三脚を設置して撮影している人だけ。
 そうそう、257号線を南下して行くと貴船神社の横を通ることになるのだけど、今回はそちらまで参拝している余裕が無かったのでパス。そのうちに参拝してみたいとは思うのだけど。
 今回使用したのはK-7にDA15mmとFA28mm、DA40mm、FA77mm。K10DにSIGMA 50-150mm II。

赤城神社(黒保根町下田沢)

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 群馬県道62号沼田大間々線を下田沢交差点に向かって南下して行くと、右手側に黒保根老人休養センターの案内標識が見えて来るので、そこから南に入って行くと老人休養センターの隣に赤城神社が鎮座している。
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 二十三夜塔。
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 石段脇に天津祖猿田彦大神。
 月譚尊と日弓尊の名が並んで刻まれているが、日弓尊ってどなた様? また、側面にも多くの神々の名が刻まれているのだが、実は撮影時にはそれに気付かなかったのでよく読み取れない。
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 古い鳥居の跡…かな? 安永九庚子と刻まれているので、1780年のもの。
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 二の鳥居。
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 拝殿と境内社。
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 末社群。

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 赤城神社手前に庚申塔群。
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 双体道祖神。
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 んー、なんだろうコレ。

 2014年11月5日追記。
『群馬縣管下上野國南勢多郡下田澤村字柏山
村社赤城神社
一、祭神 大己貴命 (追記)合併ニ依リ後記ノ通リ追記
     日本武尊 大山祇命 倉稲魂命 保食命 大國主命 素盞嗚尊 金山彦命
     伊弉諾尊 伊弉冉尊 埴山姫命 菅原道真公 大日孁命 火産靈命
     崇徳院天皇 鎮西八郎為朝 不詳三座
一、由緒 不詳 (追記)合併ニ依リ後記ノ通リ追記
     大正六年二月九日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進神社トシ
    テ指定セラル
     明治四十一年一月二十日許可、本社境内末社神明社、八坂神社、大山祇社、琴
    平神社、及仝村字鹿角無格社赤城神社、仝境内末社三社、仝村字高楢無格社武尊
    神社、仝境内末社三社、并仝村字平無格社赤城神社、仝境内末社四社、仝村字清
    水無格社赤城神社、仝境内末社九社、仝所字前田原無格社大山祇神社、仝境内末
    社二社、仝村字津久瀬無格社稲荷神社、仝境内末社五社、仝村字出代原無格社赤
    城神社、仝境内末社三社、仝村字平無格社武尊神社、仝境内末社六社ヲ合併セリ
一、境内末社
 神明社  祭神 大日孁命  由緒 不詳 明治四十一年一月二十日許可本社へ合併
 八坂神社 祭神 素盞嗚尊  由緒 不詳 明治四十一年一月二十日許可本社へ合併
 八幡社  祭神 誉田別命  由緒 不詳
 大山祇社 祭神 大山祇命  由緒 不詳 明治四十一年一月二十日許可本社へ合併
 琴平神社 祭神 崇徳院天皇 由緒 不詳 同上』(「上野国神社明細帳」より抜粋)

秋葉宮(黒保根町下田沢)

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 鈴鷹稲荷神社から県道62号線に向かって北上して行く途中で偶然見つけた秋葉宮。
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 拝殿。
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 本殿。
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 末社群。
 右の二つは神明宮と天王宮。石塔には奉献石尊大権現と彫られている。

鈴鷹稲荷神社(黒保根町宿廻)

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 川口川沿いの道を北上して行くと、カーブ際の崖の上に鈴鷹稲荷神社が鎮座している。
 駐車場などは当然無く、カーブを超えた先にかろうじて退避できそうな極僅かなエリアがあるのでそこに駐車してささっと参拝。
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 石段。
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 拝殿。
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 本殿。
 1997年の黒保根村誌にはこちらの記述があるようだが、それ以外の情報はググってみても皆無。
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 拝殿脇の末社。
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 裏にも末社。
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 社殿の裏に露出した岩。
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 少し奥に進むと斜面に岩が飛び出している。先のものと合わせて磐座かと思ったが、このテの物に関しては自分の予想は大抵外れるので、実は全くそんなことはないのかも知れない。

諏訪神社(黒保根町宿廻)

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 赤城神社から北上して行くと、正円寺の北東に諏訪神社が鎮座している。ちなみに、正円寺の南側には深沢城(宿廻城や神梅城とも言う)跡があり、この諏訪神社も嘗ては城内にあったようだ。とすると、鬼門封じの為に建てられたものなのだろうか。
 鳥居の前には土俵があり、こちらでは八月に相撲試合が奉納されているのだそうだ。なるほど、「宿廻」は「すくね」で武内宿禰にちなんで相撲なのか…と思ったらすくねではなく「しゅくめぐり」と読むのね○刀乙
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 天神宮と天王宮(八坂神社)。天王宮は天保七年(1836)六月のもの。
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 末社。
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『芭蕉句碑
 所在地  宿廻城 諏訪神社境内
 建碑年月 明治二十八年四月
  <碑文>
 鶯や 柳の後
  藪の前 はせを

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 句碑の横に、首のもげた不動明王。

赤城神社(黒保根町宿廻)

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 銅街道を北上し、宿廻交差点から群馬県道335号梨木上神梅停車場線を南西に向かうと赤城神社が鎮座している。
 参道からは車で入って行くことはできないが、335号線に設置されている赤城神社の標識に誘導されて進むと、直接拝殿前の境内に乗り込むことができる。
 参道入口には青面金剛と二十三夜塔が並んでおり、青面金剛は元文五年龍庚申八月とあるので1740年のものだ。
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 何故か片側だけが長い拝殿。
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 本殿。
 外から見ると、通常本殿のある部位が高くなっているが、実際には一階部分だけで事足りているようだ。すると、二階部分はなんなのだろう。本殿の上に社務所を置くとかは有り得ないだろうし。
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 社殿裏に並ぶ末社群。
 右奥から天王宮、諏訪神社、赤城山。他は不明。天王宮は文化十三年(1816)、諏訪神社は明治三十六年(1903)のもの。

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 道を挟んで赤城神社の東側に石幢。
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『石幢(庚申供養)
 六地蔵尊像を龕部に彫り、幢身には輪廻の痕跡があるなど信仰上重要な意義を
もつとともに、造立年や刻銘が丁寧に記されていることから歴史的遺物として貴
重である。
 造立者松井備後守については、天正十二年八月二十三日深沢城攻略の折、戦功
のあった松井新左衛門とどうかかわるか研究に価するものがある。
 <記銘>
  奉彫刻六地蔵大菩薩
 庚申供養所
 本願松井備後守夫婦 干時
 同結衆弐拾六人   天正拾六戌子二月

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 道端には青面金剛と庚申塔。

天王宮(黒保根町上田沢)

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 257号線まで戻り、南下して行くと道端に石祠が鎮座している。位置としては荻の目橋より少し北。
 石祠の前面に天王宮と彫られているので素盞嗚尊を祀っているのだろう。
 その脇には聖徳太子、馬頭観世音、道祖神が並んでいる。

栗生神社(黒保根町上田沢)

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 県道257号線を北上してしばらくすると左手側に栗生神社入口の標識が見えて来るので、そちらへ入って行くとそのうちに栗生神社の鳥居が見えて来る。
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 二の鳥居。
 こちらの前が駐車場になっており、数台分のスペースがある。IMGP6624s_20101205185104.jpg
『本社の草創は慶雲4年(707)と口承されている。祭神は栗生左衛門頼方(新田義貞の功臣)で古来より武運、火伏せの神として崇拝される。境内には本殿、神楽殿、門を兼ねたお篭り屋、太郎神社、元宮等が配置されている。
 本殿を飾る彫物は関口文治郎作であり江戸期の彫刻文化に大変貴重なものである』

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 石段の途中に手水舎があるが、水盤の足には甕に入り柄杓を持った女房が彫刻されている。なんか猟奇的だ。
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 篭り屋。
 外壁には木の大刀が数本奉納されている。
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 内壁には木の大刀のみでなく、何故かバットも奉納されていた。
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 篭り屋兼門を抜けると拝殿。
 拝殿の中には合祀されている神々の名を記した板が掛けられており、それによるとこちらの御祭神は栗生左衛門頼方・大日孁命・倉稲魂命・素盞嗚命・火産霊神・大己貴命・菅原道真公・源為朝公、その他不詳三座の計十一柱の神が合祀されていることになる。
 また、境内神社に金山彦社・赤城社・大山祇社の三社があり、四月十五日と十一月十五日が例祭日であるとも記されている。
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 社殿側面。
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 神楽殿。
 この脇から奥へ入って行くと栗生山(標高は968.2mで、神社のあるこの地点で640m)の登山道になるのだが、調べてみると結構急登な道であるらしい。また、山頂近くには奥の院があるそうなのだが…うむむ。
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『群馬県指定重要文化財 黒保根栗生神社本殿
平成十一年四月三十日指定
勢多郡黒保根村大字上田沢二二三八
文化財の概要
 栗生神社本殿は、新田義貞の家臣の四天王の一人として、当時勇猛の名を馳せた栗生左衛門頼方公が祀られている。
 一七九○(寛政二)年の建立で、柱は表面を稲妻紋等の文様彫刻で埋めつくされ、壁面脇障子などほぼ全面に透かし彫りや高肉彫り彫刻などで埋めつくされ本殿全体が彫刻作品のようである。彫師は、黒保根出身の名工「関口文治郎」である。江戸時代後期の群馬県神社本殿建築の特徴を持つ点が貴重とされている』


 新田義貞四天王とは栗生左衛門顕友・篠塚伊賀守重広・畑六郎左衛門時能・亘理新左衛門早勝or由良新左衛門具滋のことであるらしい。こちらの御祭神は栗生左衛門頼方だが、改名したのかな。
 邑楽の児島神社に参拝した時も思ったのだが、足利市の住人が参拝して祟られないといいなぁ。
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 本殿。
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 本殿左手側に末社。こちらが金山彦社・赤城社・大山祇社なのかな。
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 本殿右手側に太郎神社。ブルーシートが掛けられていると言うことは、改修中なのかな。
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 御神木の大杉。
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『群馬県指定天然記念物 黒保根栗生神社の大スギ
スギ(御神木)
平成九年三月二八日指定
勢多郡黒保根村大字上田沢二二三八
文化財の概要
 栗生神社の草創は慶雲四年(707)と口承されています。
 この大スギは、拝殿東側にあり大同二年(807)に御神木として植えられたと伝えられています。
 目通り七・○二米、根回り一四・一五米、樹高四六米の巨木で、樹齢約一二○○年(推定)の村内最大の老木です』


 ところで、新田義貞らが活躍したのは鎌倉時代末期から南北朝時代(1336-1392)初期のことで、当然慶雲四年(707)の頃には栗生左衛門が祀られている筈がない。とすると、それ以前はどなたが主祭神であったのだろう。少し気になったのが、拝殿の中に掛けられた御神幕に葉団扇紋が描かれていたこと。天狗に関係のある神様と言えば大物主神や大山祇神、猿田彦神などだろうか。こちらでは大山祇神も祀られているようだし、そもそも栗生山の入口だ。元々は山の神を祀っていたと言う可能性は充分ありえそうだ。ただ、そうすると現在の扱いは随分ひどいことになりそうなのだが、どうなのだろう。

黒峯神社(黒保根町水沼)

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 国道122号線と群馬県道257号根利八木原大間々線の合流する水原交差点から桐生市役所支所の北東へ向かうと257号線脇に黒峯神社が鎮座している。
 鳥居前から右へ坂を上って行くと、車で境内まで入って行くことができる。
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 二の鳥居の両脇に神牛。…と言うことは、こちらの御祭神は菅原道真公なのだろうか?
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 うん、やっぱり牛だ。
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 鰹木の付いた門。
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 拝殿。
 そばの石碑には平成十年に社殿の修理と車道の開設が行われたことが記されているが、由緒等の詳しいことはさっぱり判らない。Wikipediaには態々知名度の低さが書かれているくらいだ。
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 拝殿右手側の斜面に石祠。
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 裏手に回ると末社。中央の祠には「百村百社拜禮 祈出征軍人健全 勢多郡新里村大字大久保青年會」と書かれた木簡が納められていた。
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 神明造りの本殿。
 千木が内削ぎと言うことは、御祭神は女性神か。とすると、天照大神かな。先程の神牛から見て菅原道真公かと思ったのだが、うむー、合祀されてるのかな。
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 本殿左手側に石祠。稲荷神社なのかな。

 2014年11月5日追記。
『群馬縣管下上野國南勢多郡水沼村字植村
村社菅原神社 (追記)黒峯神社
一、祭神 菅原道真公 大己貴命 大山祇命 建御名方命 火産靈命 素盞嗚尊 不詳一座
一、由緒 不詳、明治十年一月三十日焼失
     当社元菅原神社ト称ス、明治四十三年八月四日許可、大字八木原村字宮原村社
    赤城神社、字生鶴沢無格社大山祇神社、仝境内末社並ニ本社境内末社三社ヲ合併
    同時に村社黒峯神社ト改称シ、氏子ヲ八十一戸ト更正ス
     大正六年十一月十六日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進神社
    トシテ指定セラル
一、境内末社 三社
 諏訪社  祭神 建御名方命 由緒 不詳 明治四十三年八月許可本社ヘ合併
 愛宕社  祭神 火産靈命  由緒 不詳 明治四十三年八月許可本社ヘ合併
 阿夫利社 祭神 不詳    由緒 不詳 同上』(「上野国神社明細帳」より抜粋)

天沼稲荷神社(相生町五丁目)

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 群馬県道78号線を北上し、岩宿遺跡入口交差点を越えてファミリーマート前の交差点で右折、二つ目の信号機でまた右折して少し進むと天沼稲荷神社が見えて来る。
 こちらは広めの駐車場があるので、車の置き場に困らなくていい。
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 参道左手側に山神宮。
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 二の鳥居。
 こちらの額には正一位稲荷大明神とある。
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 幟の立ち並ぶ参道と拝殿。
 由緒書きは無く、ググってみてもやはり判らない。
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 お狐さま。
 こちらと一の鳥居は平成十年十月十日に奉納されている。
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 山神宮。
 側面には文化九壬申二月吉日と刻まれているので、1812年のものか。台座や柱の色が違うので、後で補修されたのだろう。
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 左側は多賀大明神、右は明見大明神。
 どちらも弘化四未年九月吉日とあるので、1847年のもの。

八王子神社

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 茶臼山の麓にある八王子神社。
 八王子神社ということは素盞嗚尊の五男三女神を祀っているのかとも思うが、一口に八王子神社と言っても場所によって祭神がまちまちなので確証は無い。
(追記:主祭神は惟高親王であるとのこと)
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 拝殿の隣には崩れた境内社の跡が残っている。
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 拝殿裏には猿田彦命と刻まれた石塔と末社群。左端が道祖神、右端が辨財天。
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広沢町金刀比羅宮

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 50号線を足利方面へと走り、広沢町交番交差点で県道332号桐生新田線へと入り南へ進んで行くと桐生典礼会館の手前250m程あたりで左側に見えて来る。
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 参道・・・と言うほどのものも無いが、階段を登った先に祠が見える。
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 覆い屋の側面に四国金刀比羅宮参拝者 分社記念と書かれた額が掛けられていた。昭和四十七年四月十日ともあったので、その頃に香川県の金刀比羅宮から勧請したのだろうか。
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 階段を下り、少し離れた所に若宮八幡宮。小さい方の石祠は不明。

比呂佐和神社

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 広沢町三丁目にある比呂佐和神社。広沢町三丁目交差点西側にあるマクドナルドを目印に、その脇から北へ伸びている道を入って行くと境内へと入っていくことができる。神楽殿の前に二~三台分くらいのスペースがあるのでそちらに駐車したのだが、どうやら神社の裏手に駐車場があったらしい。
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 鳥居をくぐって、参道より。
 右側に湯殿山と刻まれた石柱が見えるのだが、そこは広沢保育園の敷地内ではなかっただろうか?
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 拝殿手前左側に参集殿とかこそだてひろばと書かれた建物があり、その隣に神楽殿。
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 拝殿正面。
 手前左側に手水舎と由緒書き。
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 これによるとこちらの御祭神は大穴牟遅神を主祭神として大物主命、木花咲夜比売命、品陀和気命、素盞嗚命、大日孁命、白瀧姫命、天児屋根命、火産霊神、大禍津日神、大山祇命、宇迦之御霊命、菅原道真公、鳴雷命の計十四柱。
 旧くは三夜沢赤城神社より勧請した赤城神社であったということだが、三夜沢赤城神社の御祭神は豐城入彦命と大己貴命のはずで、何故こちらには豐城入彦命は祀られていないのだろう?
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 拝殿前右側に朱楽菅江(あけらかんこう)の碑。
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 狛犬。
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 本殿は鞘殿に納められているようで、外からでは見ることができない。
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 拝殿の左側には稲荷神社。
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 稲荷神社の拝殿の中にはお狐様。燭台の形が宝珠紋になっているのも面白い。
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 稲荷神社の左側には末社や庚申塔が群れを成している。
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 末社の中で文字が読み取れたのは金刀毘羅宮、山神社×2、天満宮、白瀧宮、琴平山、稲荷大明神、天?、三峯山、水神宮、冨?の十一社のみ。天は天満宮か天王宮のどちらかだろう。冨と言うのは冨士嶽社だろうか。
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 参集殿の隣にも細い参道があり、こちらの鳥居には八幡宮の文字が見える。
 由緒書きには品陀和気命の名前もあったから八幡宮があってもおかしくはないのだが、当の八幡宮らしき神社は見当たらなかった。

相生町白瀧神社

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 桜木小学校の西側にぽつんと建つ白瀧神社。
 駐車場は無いので小学校の裏手にある公民館の駐車場に停めて参拝。
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 鳥居をくぐってすぐ右側に正体不明の祠と庚申塔。
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 高さはそれほどでもないが、かなり急傾斜な階段の先に本殿を納めた覆い屋が見える。
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 大きい方の祠が白瀧姫で、小さい方は天八千々姫命だろうか。
 ちなみに、神社裏の岩を越えると東武桐生線が走っている。
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 本殿左側。写真には写っていないが右端の石祠のさらに右側にもう一つ石祠がある。どちらも祭神は判らなかったが。
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 本殿右側。こちらも岩がごろごろと転がっている。
 中には大山祇尊と刻まれたものも。
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 石の上に置かれた石祠には雷天宮の文字が。・・・雷天宮? 祀られているのは火雷天神、かな?
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 この石が崩れて来たら、簡単に神社が潰されてしまいそうだなぁ。そもそもなんでこんな所に白瀧神社があるのだろう。

相生町賀茂神社

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 相生町一丁目にある賀茂神社。
 由緒書きには天明年間(1781年~1788年)に京都の賀茂神社から勧請したとも宝暦元年(1751年)に広沢町の賀茂神社から分霊したとも書かれており、正確なところは判っていないようだ。
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 鳥居をくぐると神橋がかけられている。
 左奥に見える建物は一丁目会館。社務所も兼ねているのだろうか。
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 参道右側に手水舎。まっすぐ進むとなんとも浮いていると言うか、どうにもありがたみを感じない拝殿。
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 社殿右側に境内社群。
 金毘羅宮と天王宮が二つずつ、神明宮が一つ、あとは不明。
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 手水舎からまっすぐ伸びた参道に繋がる鳥居。

織姫神社

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 桐生市役所と市民文化会館に隣接して鎮座する神社。
 明治二十八年(1895年)に日本織物株式会社(後の富士紡績株式会社)が川内町の白瀧神社から白瀧姫を勧請して祭神とし、桐生工場の敷地内に祀ったものなのだそうだ。織姫町の名前はこの神社に由来するのだろうか。
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 境内はそれほど広くはないが、かと言って狭いというほどでもない。
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 拝殿はなく本殿のみだが、工場内に建てられた神社としてはかなり立派なのではなかろうか。
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 境内の隅の方に境内社。
 どなたを祀ったものなのかは判らなかった。

 ところで織姫神社と言えばこちらよりも足利市の方が有名だが、やはり足利のものの方が見栄えが良いからだろうか。

境野町白瀧神社

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 三ツ堀加茂神社からそう遠くない場所(直線距離で東へ200mくらい)にある白瀧神社。周囲は民家で駐車場は無いので、加茂神社の駐車場に車を置いたまま参拝してみたり。
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 拝殿。
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 本殿。
 二つあるのは白瀧姫と天八千々姫命で一つずつ、と言うことだろうか。由緒書きは見当たらなかったが、おそらくここは川内町にある白瀧神社からの分霊社なのだろう。
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 本殿奥には椋の木と欅が聳え立ち、その根本に庚申塔と二十三夜塔、正体不明の石祠。
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 左端の文字がよく読み取れないけど、太子宮・・・かな? 聖徳太子でも祀っているのかと思ったが一応Google先生に訊いてみると、中壇元帥(封神演義や西遊記に登場する哪タ三太子)を祀っている可能性も? おそらく職能神繋がりで聖徳太子の方だと思うのだけど。

三ツ堀加茂神社

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 先程の加茂神社は境野町七丁目にあったが、こちらは境野町三丁目にある加茂神社。こちらも広沢町の賀茂神社から分霊した神社の一つで、直径約18m高さ約3.5mの円墳の上に社殿が建てられている。
 鳥居前を右に進むと数台分ほどの広さの駐車場があるのでそちらに駐車。
 こちらと境野町七丁目の加茂神社には昨年の3月に一度参拝していたのだが、エントリーを立てるのは広沢町の賀茂神社の後にしようと思っていたらいつの間にか時間が経ちすぎて細かな部分を忘れてしまった為、再度参拝することに。
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 鳥居の手前右側には天然記念物の大サカキ。
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 境内一望。
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 石燈篭の奥には正体不明の末社群に混ざって青面金剛、二十三夜塔、湯殿山、大黒天。
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 拝殿に掛けられた額には古墳から出土した埴輪と環頭太刀の写真や壁画、本殿の写真などが収められている。
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 拝殿隣に並ぶ末社群。
 一つだけ立派な祠があり、ちょうど扉が開いていたので中を覗き込んで見ると、大歳神と天照皇大神の神璽が納められていた。大歳神と言う事は饒速日命でいいのかな。Wikipediaを見ると饒速日命=大歳神=賀茂別雷神と言う説があるらしいが、それで加茂神社に大歳神を祀った祠があるのだろうか。
 ただ、さすがに大国主と大歳神、大物主、賀茂別雷神、事解之男尊、饒速日命、布留御魂が同一の神であると言うのは無理があるような気がしないでもない。それに饒速日命は天火明命と同一神であるとの説もあるし。そう言えばKishin―姫神―邪馬台王朝秘史というラノベの中では天火明命=大歳命になっていたなぁ・・・と、話が逸れまくりだ。

境野町加茂神社

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 栃木県道67号線を桐生方面に向かい、消防南分署前交差点より200m程先のT字路で右折、そのまま直進すると左手側に加茂神社が見えて来る。神社前には充分なスペースがあるのだが、そちらはどこかの会社の所有地なので境内の端に駐車。
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 鳥居をくぐり、参道から外れて右側に庚申塔群。鳥居手前右側にも二つの庚申塔があった。
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 拝殿手前右側に双体道祖神。
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 拝殿。
 鳥居の額は加茂神社となっているのだが、拝殿に掛けられた額には賀茂大明神と書かれていた。どちらであれ、御祭神が賀茂別雷神であることには変わりないのだが。
 広沢町の賀茂神社から分霊された神社が近隣に七社あるそうなので、ここもその一つなのだろう。
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 加茂神社の隣には浜の京東集会所。その奥に八坂神社と織姫神社。
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 左側が織姫神社、右が八坂神社。
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 八坂神社拝殿と本殿。
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 織姫神社拝殿と本殿。
 八坂神社と織姫神社は何故か本殿に覆い屋がなく雨曝しになっている。
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 八坂神社の奥に末社群。
 正面中央に天満宮。左右は不明。左列奥は辨財天。
 右側にずらりと並んでいるものは殆ど判らなかったが、一つだけ歳徳大神・牛頭天皇と刻まれているものがあった。
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