赤城神社(新里町板橋)

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 群馬県道333号上神梅大胡線のそば、板橋区民会館の隣に鎮座する赤城神社(桐生市新里町板橋175)。
 こちらの神社は事前に資料に当たっていなかったので詳細不明。
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 二の鳥居の石額には「天神宮」と刻まれている。
 ちなみに一の鳥居は平成四年十月の建立で、二の鳥居は平成三年十月の建立。
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 拝殿。
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 拝殿裏の石祠。おそらくこちらが本殿なのだろう。
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 末社群。
 宕大権と言う文字が見えるので、愛宕神社もあるのだろう。
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鹽竃神社(新里町野)

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 県道352号線と県道336号線が合流する野交差点のやや北側、川縁に鎮座する鹽竃神社(桐生市新里町野68)。
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 拝殿。
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 狛犬。
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 普遍・慈光と刻まれた……なにコレ。
 なんとなく仏教色が見て取れるが、こちらの由緒等がわからないのでなんとも。
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 御神木跡だと思うが、石柱には神代杉の文字が刻まれていた。
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 社殿裏に末社。

赤城神社(黒保根町下田沢)

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 70号線を東へ戻る途中、二の鳥つりぼり前から少し東側に鎮座する赤城神社。
 鳥居の手前には虎ロープが張られ、立入禁止の札が下げられていたのでロープの上から撮影。

一の鳥居・二の鳥居(黒保根町下田沢)

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 下田沢交差点から群馬県道62号沼田大間々線を北上して行くと、群馬県道70号大間々上白井線と合流する地点の左手側に一の鳥居と書かれた標柱が立てられている。
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 鳥居の跡らしき石柱が立っている。これが一の鳥居(跡)なのだろう。
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 お地蔵様。
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 70号線を西へ向かって走って行くと、二の鳥つりぼりを過ぎて少し進んだ所の道端に二の鳥居とお地蔵様が立っている。鳥居には赤城大明神と刻まれているので、前橋市の富士見町赤城神社の鳥居になるのかな。
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 鳥居の向かい側には六根清浄塔とその傍に小さな石祠。
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 鳥居から少し西へ歩くと、カーブミラー脇に石祠が鎮座しており、赤城大明神と刻まれている。
 側面には宝暦十三癸未歳五月吉日と刻まれているので、1763年のものだ。
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 石祠の更に少し西側に不動明王…かな?
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 二の鳥居のすぐ南側には鳥居川が流れている。
 ずっと西側へ向かうと利平茶屋森林公園から山崖の滝に行けるようなのだが、十月末で閉園しているので行っても仕方がない。開園期間は五月一日~十月三十一日だそうなので、その頃に思い出して気が向いたら行ってみよう。

愛宕神社(相生町二丁目)

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 いつもはみどり市へ向かう時は国道50号線を通っているのだが、たまには違うルートで行ってみようと思い、国道122号線(途中から群馬県道340号如来堂大間々線)を通ってみたら、群馬県道340号線と群馬県道3号前橋大間々桐生線が交差するポイントに愛宕神社が鎮座していた。
 神社北側の社務所裏に広めの駐車場があるのだが、着いた時にはまだチェーンが掛けられていたので、西側の裏手から境内へ。裏手にも三台分程の駐車場があるのだが、参拝者もいないのに既に車が置かれていた。
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 鳥居正面から。
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 参道右手側に土俵屋形。
 群馬県神社庁のサイトにこちらの記述があり、それによると、十月第三日曜日の祭典において近郷の小学生、中学生、国体出場選手などにより奉納相撲が行われるのだそうだ。
 ブルーシートが掛けられているので補修中なのかとも思ったが、季節を考えると単に土俵の保護か。今週になって急に冷え込むようになったから、先週はなんともなかった車のフロントガラスが今朝はびっしりと霜で覆われていたものなぁ。
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 参道左手側に手水舎と八坂神社。
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 二の鳥居と由緒書き。
『愛宕神社と四本柱土俵屋形
 愛宕神社の歴史は古く、慶長三年(1598)安土桃山時代の創建で京都の愛宕山最高峰に鎮まる、愛宕神社の末社に該する。
 祭り神は、火産霊神(ほむすびのかみ)、本地佛は、勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)である。
 この土俵の屋形は、慶応四年(1868)二月に、江戸相撲、第九代目横綱 秀ノ山雷五郎勝義が当神社に奉納した祭礼用相撲土俵である。
 古文書によると、横綱の直筆で、屋根付き四本柱土俵と免許状、併せて大張幕と大額を、相生村下新田の恩人である、高木源之丞を取り継ぎ人として村人衆に奉納したものであると記録されている。
 神社土俵は、源之丞の勧めもあり江戸相撲界の秀ノ山一門の稽古場として以前から使われていた。
 江戸では、横綱のことを愛宕の天狗様と称されていた。
 弘化四年(1847)二月七日には、神社境内土俵で、江戸相撲一行の大興業が行われている。横綱の土俵を一目見ようと、大入りだったと伝えられている。
 国内では、この種の土俵屋形は珍しく、地方に於ける日本三土俵の一つに該当すると、高く評価されている。
 現在の屋形は、昭和五十七年に新築奉納されたものである。
 平成十一年十月吉日

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 拝殿。
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 狛犬。
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 本殿。
 なんだか土台は古墳ぽい感じだなと思ったら、やはり古墳だった。社殿の周囲の石垣も古墳の一部であろうから、割と大きい方か。
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 本殿裏左手側には末社が並んでいる。
 鳥居の向こうに見える大きめの石祠は白瀧大明神。
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 右手側にも末社群。

十二山神社(黒保根町八木原)

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 水沼駅の脇を抜けて群馬県道257号根利八木原大間々線を南下して行くと、二又に分かれたポイントに十二山神社への案内標識が設置されているので、そちらへ入って行くと突き当たりに十二山神社が鎮座している。
 参道の手前に少し開けた場所があるので、そこに駐車。
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 参道を抜けると左右に社殿が見えるのだが…どちらが十二山神社なのだろう?
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 まずは右手側の石段を上ってみよう。
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 拝殿。
 ガードレールが設置されているのは落石除けだろうか。
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 本殿。しかし何神社なのか判らない。
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 下の神社を見下ろしてみると、なんと三階建て。
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 それでは、ともう一方の神社へ。おそらくはこちらが十二山神社なのだろうと思うのだけど、山王鳥居と言うことは日吉神社系なのかな。
 それはともかく、山王鳥居の実物を見たのは初めてだ。
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 奥へ進むと、斜面に天王宮。
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 社殿背後の岩山に登れそうなので少し登ってみたのだが…ヤヴァイ。履いているのは普通のウォーキングシューズなので、途中までは問題無いが手懸りの少ない岩場では滑りそうでいかん。岩山の頂には祠がありそうな気がするのだが、滑り落ちたら洒落にならんのでここまで。
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 岩山の裏へ回っていくと、眼下に鉄道線路とその横を流れる川が見える。わたらせ渓谷線と渡良瀬川…か?
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 更に進むと、石がごろごろしているので注意が必要だ。更に奥まで進んで行けそうではあるが、無駄に危険そうな場所に行くこともないだろう。山歩き用の装備でもしているなら危険でもないのだろうけどね。

 以上で12月11日参拝分終了。
 257号線は狭いわうねうねしているわ落石の危険があるわ(と言うか、途中にそう大きくもない石くらいならいくつか落ちていた)で、利用する人も少ないのだろう。自分以外の車は一台しか見かけなかった。それも、退避エリアに車を停めて三脚を設置して撮影している人だけ。
 そうそう、257号線を南下して行くと貴船神社の横を通ることになるのだけど、今回はそちらまで参拝している余裕が無かったのでパス。そのうちに参拝してみたいとは思うのだけど。
 今回使用したのはK-7にDA15mmとFA28mm、DA40mm、FA77mm。K10DにSIGMA 50-150mm II。

赤城神社(黒保根町下田沢)

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 群馬県道62号沼田大間々線を下田沢交差点に向かって南下して行くと、右手側に黒保根老人休養センターの案内標識が見えて来るので、そこから南に入って行くと老人休養センターの隣に赤城神社が鎮座している。
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 二十三夜塔。
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 石段脇に天津祖猿田彦大神。
 月譚尊と日弓尊の名が並んで刻まれているが、日弓尊ってどなた様? また、側面にも多くの神々の名が刻まれているのだが、実は撮影時にはそれに気付かなかったのでよく読み取れない。
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 古い鳥居の跡…かな? 安永九庚子と刻まれているので、1780年のもの。
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 二の鳥居。
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 拝殿と境内社。
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 末社群。

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 赤城神社手前に庚申塔群。
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 双体道祖神。
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 んー、なんだろうコレ。

 2014年11月5日追記。
『群馬縣管下上野國南勢多郡下田澤村字柏山
村社赤城神社
一、祭神 大己貴命 (追記)合併ニ依リ後記ノ通リ追記
     日本武尊 大山祇命 倉稲魂命 保食命 大國主命 素盞嗚尊 金山彦命
     伊弉諾尊 伊弉冉尊 埴山姫命 菅原道真公 大日孁命 火産靈命
     崇徳院天皇 鎮西八郎為朝 不詳三座
一、由緒 不詳 (追記)合併ニ依リ後記ノ通リ追記
     大正六年二月九日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進神社トシ
    テ指定セラル
     明治四十一年一月二十日許可、本社境内末社神明社、八坂神社、大山祇社、琴
    平神社、及仝村字鹿角無格社赤城神社、仝境内末社三社、仝村字高楢無格社武尊
    神社、仝境内末社三社、并仝村字平無格社赤城神社、仝境内末社四社、仝村字清
    水無格社赤城神社、仝境内末社九社、仝所字前田原無格社大山祇神社、仝境内末
    社二社、仝村字津久瀬無格社稲荷神社、仝境内末社五社、仝村字出代原無格社赤
    城神社、仝境内末社三社、仝村字平無格社武尊神社、仝境内末社六社ヲ合併セリ
一、境内末社
 神明社  祭神 大日孁命  由緒 不詳 明治四十一年一月二十日許可本社へ合併
 八坂神社 祭神 素盞嗚尊  由緒 不詳 明治四十一年一月二十日許可本社へ合併
 八幡社  祭神 誉田別命  由緒 不詳
 大山祇社 祭神 大山祇命  由緒 不詳 明治四十一年一月二十日許可本社へ合併
 琴平神社 祭神 崇徳院天皇 由緒 不詳 同上』(「上野国神社明細帳」より抜粋)

秋葉宮(黒保根町下田沢)

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 鈴鷹稲荷神社から県道62号線に向かって北上して行く途中で偶然見つけた秋葉宮。
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 拝殿。
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 本殿。
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 末社群。
 右の二つは神明宮と天王宮。石塔には奉献石尊大権現と彫られている。

鈴鷹稲荷神社(黒保根町宿廻)

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 川口川沿いの道を北上して行くと、カーブ際の崖の上に鈴鷹稲荷神社が鎮座している。
 駐車場などは当然無く、カーブを超えた先にかろうじて退避できそうな極僅かなエリアがあるのでそこに駐車してささっと参拝。
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 石段。
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 拝殿。
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 本殿。
 1997年の黒保根村誌にはこちらの記述があるようだが、それ以外の情報はググってみても皆無。
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 拝殿脇の末社。
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 裏にも末社。
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 社殿の裏に露出した岩。
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 少し奥に進むと斜面に岩が飛び出している。先のものと合わせて磐座かと思ったが、このテの物に関しては自分の予想は大抵外れるので、実は全くそんなことはないのかも知れない。

諏訪神社(黒保根町宿廻)

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 赤城神社から北上して行くと、正円寺の北東に諏訪神社が鎮座している。ちなみに、正円寺の南側には深沢城(宿廻城や神梅城とも言う)跡があり、この諏訪神社も嘗ては城内にあったようだ。とすると、鬼門封じの為に建てられたものなのだろうか。
 鳥居の前には土俵があり、こちらでは八月に相撲試合が奉納されているのだそうだ。なるほど、「宿廻」は「すくね」で武内宿禰にちなんで相撲なのか…と思ったらすくねではなく「しゅくめぐり」と読むのね○刀乙
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 天神宮と天王宮(八坂神社)。天王宮は天保七年(1836)六月のもの。
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 末社。
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『芭蕉句碑
 所在地  宿廻城 諏訪神社境内
 建碑年月 明治二十八年四月
  <碑文>
 鶯や 柳の後
  藪の前 はせを

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 句碑の横に、首のもげた不動明王。

赤城神社(黒保根町宿廻)

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 銅街道を北上し、宿廻交差点から群馬県道335号梨木上神梅停車場線を南西に向かうと赤城神社が鎮座している。
 参道からは車で入って行くことはできないが、335号線に設置されている赤城神社の標識に誘導されて進むと、直接拝殿前の境内に乗り込むことができる。
 参道入口には青面金剛と二十三夜塔が並んでおり、青面金剛は元文五年龍庚申八月とあるので1740年のものだ。
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 何故か片側だけが長い拝殿。
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 本殿。
 外から見ると、通常本殿のある部位が高くなっているが、実際には一階部分だけで事足りているようだ。すると、二階部分はなんなのだろう。本殿の上に社務所を置くとかは有り得ないだろうし。
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 社殿裏に並ぶ末社群。
 右奥から天王宮、諏訪神社、赤城山。他は不明。天王宮は文化十三年(1816)、諏訪神社は明治三十六年(1903)のもの。

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 道を挟んで赤城神社の東側に石幢。
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『石幢(庚申供養)
 六地蔵尊像を龕部に彫り、幢身には輪廻の痕跡があるなど信仰上重要な意義を
もつとともに、造立年や刻銘が丁寧に記されていることから歴史的遺物として貴
重である。
 造立者松井備後守については、天正十二年八月二十三日深沢城攻略の折、戦功
のあった松井新左衛門とどうかかわるか研究に価するものがある。
 <記銘>
  奉彫刻六地蔵大菩薩
 庚申供養所
 本願松井備後守夫婦 干時
 同結衆弐拾六人   天正拾六戌子二月

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 道端には青面金剛と庚申塔。

天王宮(黒保根町上田沢)

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 257号線まで戻り、南下して行くと道端に石祠が鎮座している。位置としては荻の目橋より少し北。
 石祠の前面に天王宮と彫られているので素盞嗚尊を祀っているのだろう。
 その脇には聖徳太子、馬頭観世音、道祖神が並んでいる。

栗生神社(黒保根町上田沢)

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 県道257号線を北上してしばらくすると左手側に栗生神社入口の標識が見えて来るので、そちらへ入って行くとそのうちに栗生神社の鳥居が見えて来る。
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 二の鳥居。
 こちらの前が駐車場になっており、数台分のスペースがある。IMGP6624s_20101205185104.jpg
『本社の草創は慶雲4年(707)と口承されている。祭神は栗生左衛門頼方(新田義貞の功臣)で古来より武運、火伏せの神として崇拝される。境内には本殿、神楽殿、門を兼ねたお篭り屋、太郎神社、元宮等が配置されている。
 本殿を飾る彫物は関口文治郎作であり江戸期の彫刻文化に大変貴重なものである』

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 石段の途中に手水舎があるが、水盤の足には甕に入り柄杓を持った女房が彫刻されている。なんか猟奇的だ。
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 篭り屋。
 外壁には木の大刀が数本奉納されている。
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 内壁には木の大刀のみでなく、何故かバットも奉納されていた。
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 篭り屋兼門を抜けると拝殿。
 拝殿の中には合祀されている神々の名を記した板が掛けられており、それによるとこちらの御祭神は栗生左衛門頼方・大日孁命・倉稲魂命・素盞嗚命・火産霊神・大己貴命・菅原道真公・源為朝公、その他不詳三座の計十一柱の神が合祀されていることになる。
 また、境内神社に金山彦社・赤城社・大山祇社の三社があり、四月十五日と十一月十五日が例祭日であるとも記されている。
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 社殿側面。
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 神楽殿。
 この脇から奥へ入って行くと栗生山(標高は968.2mで、神社のあるこの地点で640m)の登山道になるのだが、調べてみると結構急登な道であるらしい。また、山頂近くには奥の院があるそうなのだが…うむむ。
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『群馬県指定重要文化財 黒保根栗生神社本殿
平成十一年四月三十日指定
勢多郡黒保根村大字上田沢二二三八
文化財の概要
 栗生神社本殿は、新田義貞の家臣の四天王の一人として、当時勇猛の名を馳せた栗生左衛門頼方公が祀られている。
 一七九○(寛政二)年の建立で、柱は表面を稲妻紋等の文様彫刻で埋めつくされ、壁面脇障子などほぼ全面に透かし彫りや高肉彫り彫刻などで埋めつくされ本殿全体が彫刻作品のようである。彫師は、黒保根出身の名工「関口文治郎」である。江戸時代後期の群馬県神社本殿建築の特徴を持つ点が貴重とされている』


 新田義貞四天王とは栗生左衛門顕友・篠塚伊賀守重広・畑六郎左衛門時能・亘理新左衛門早勝or由良新左衛門具滋のことであるらしい。こちらの御祭神は栗生左衛門頼方だが、改名したのかな。
 邑楽の児島神社に参拝した時も思ったのだが、足利市の住人が参拝して祟られないといいなぁ。
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 本殿。
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 本殿左手側に末社。こちらが金山彦社・赤城社・大山祇社なのかな。
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 本殿右手側に太郎神社。ブルーシートが掛けられていると言うことは、改修中なのかな。
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 御神木の大杉。
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『群馬県指定天然記念物 黒保根栗生神社の大スギ
スギ(御神木)
平成九年三月二八日指定
勢多郡黒保根村大字上田沢二二三八
文化財の概要
 栗生神社の草創は慶雲四年(707)と口承されています。
 この大スギは、拝殿東側にあり大同二年(807)に御神木として植えられたと伝えられています。
 目通り七・○二米、根回り一四・一五米、樹高四六米の巨木で、樹齢約一二○○年(推定)の村内最大の老木です』


 ところで、新田義貞らが活躍したのは鎌倉時代末期から南北朝時代(1336-1392)初期のことで、当然慶雲四年(707)の頃には栗生左衛門が祀られている筈がない。とすると、それ以前はどなたが主祭神であったのだろう。少し気になったのが、拝殿の中に掛けられた御神幕に葉団扇紋が描かれていたこと。天狗に関係のある神様と言えば大物主神や大山祇神、猿田彦神などだろうか。こちらでは大山祇神も祀られているようだし、そもそも栗生山の入口だ。元々は山の神を祀っていたと言う可能性は充分ありえそうだ。ただ、そうすると現在の扱いは随分ひどいことになりそうなのだが、どうなのだろう。

黒峯神社(黒保根町水沼)

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 国道122号線と群馬県道257号根利八木原大間々線の合流する水原交差点から桐生市役所支所の北東へ向かうと257号線脇に黒峯神社が鎮座している。
 鳥居前から右へ坂を上って行くと、車で境内まで入って行くことができる。
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 二の鳥居の両脇に神牛。…と言うことは、こちらの御祭神は菅原道真公なのだろうか?
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 うん、やっぱり牛だ。
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 鰹木の付いた門。
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 拝殿。
 そばの石碑には平成十年に社殿の修理と車道の開設が行われたことが記されているが、由緒等の詳しいことはさっぱり判らない。Wikipediaには態々知名度の低さが書かれているくらいだ。
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 拝殿右手側の斜面に石祠。
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 裏手に回ると末社。中央の祠には「百村百社拜禮 祈出征軍人健全 勢多郡新里村大字大久保青年會」と書かれた木簡が納められていた。
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 神明造りの本殿。
 千木が内削ぎと言うことは、御祭神は女性神か。とすると、天照大神かな。先程の神牛から見て菅原道真公かと思ったのだが、うむー、合祀されてるのかな。
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 本殿左手側に石祠。稲荷神社なのかな。

 2014年11月5日追記。
『群馬縣管下上野國南勢多郡水沼村字植村
村社菅原神社 (追記)黒峯神社
一、祭神 菅原道真公 大己貴命 大山祇命 建御名方命 火産靈命 素盞嗚尊 不詳一座
一、由緒 不詳、明治十年一月三十日焼失
     当社元菅原神社ト称ス、明治四十三年八月四日許可、大字八木原村字宮原村社
    赤城神社、字生鶴沢無格社大山祇神社、仝境内末社並ニ本社境内末社三社ヲ合併
    同時に村社黒峯神社ト改称シ、氏子ヲ八十一戸ト更正ス
     大正六年十一月十六日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進神社
    トシテ指定セラル
一、境内末社 三社
 諏訪社  祭神 建御名方命 由緒 不詳 明治四十三年八月許可本社ヘ合併
 愛宕社  祭神 火産靈命  由緒 不詳 明治四十三年八月許可本社ヘ合併
 阿夫利社 祭神 不詳    由緒 不詳 同上』(「上野国神社明細帳」より抜粋)

天沼稲荷神社(相生町五丁目)

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 群馬県道78号線を北上し、岩宿遺跡入口交差点を越えてファミリーマート前の交差点で右折、二つ目の信号機でまた右折して少し進むと天沼稲荷神社が見えて来る。
 こちらは広めの駐車場があるので、車の置き場に困らなくていい。
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 参道左手側に山神宮。
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 二の鳥居。
 こちらの額には正一位稲荷大明神とある。
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 幟の立ち並ぶ参道と拝殿。
 由緒書きは無く、ググってみてもやはり判らない。
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 お狐さま。
 こちらと一の鳥居は平成十年十月十日に奉納されている。
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 山神宮。
 側面には文化九壬申二月吉日と刻まれているので、1812年のものか。台座や柱の色が違うので、後で補修されたのだろう。
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 左側は多賀大明神、右は明見大明神。
 どちらも弘化四未年九月吉日とあるので、1847年のもの。

八王子神社

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 茶臼山の麓にある八王子神社。
 八王子神社ということは素盞嗚尊の五男三女神を祀っているのかとも思うが、一口に八王子神社と言っても場所によって祭神がまちまちなので確証は無い。
(追記:主祭神は惟高親王であるとのこと)
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 拝殿の隣には崩れた境内社の跡が残っている。
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 拝殿裏には猿田彦命と刻まれた石塔と末社群。左端が道祖神、右端が辨財天。
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広沢町金刀比羅宮

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 50号線を足利方面へと走り、広沢町交番交差点で県道332号桐生新田線へと入り南へ進んで行くと桐生典礼会館の手前250m程あたりで左側に見えて来る。
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 参道・・・と言うほどのものも無いが、階段を登った先に祠が見える。
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 覆い屋の側面に四国金刀比羅宮参拝者 分社記念と書かれた額が掛けられていた。昭和四十七年四月十日ともあったので、その頃に香川県の金刀比羅宮から勧請したのだろうか。
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 階段を下り、少し離れた所に若宮八幡宮。小さい方の石祠は不明。

比呂佐和神社

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 広沢町三丁目にある比呂佐和神社。広沢町三丁目交差点西側にあるマクドナルドを目印に、その脇から北へ伸びている道を入って行くと境内へと入っていくことができる。神楽殿の前に二~三台分くらいのスペースがあるのでそちらに駐車したのだが、どうやら神社の裏手に駐車場があったらしい。
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 鳥居をくぐって、参道より。
 右側に湯殿山と刻まれた石柱が見えるのだが、そこは広沢保育園の敷地内ではなかっただろうか?
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 拝殿手前左側に参集殿とかこそだてひろばと書かれた建物があり、その隣に神楽殿。
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 拝殿正面。
 手前左側に手水舎と由緒書き。
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 これによるとこちらの御祭神は大穴牟遅神を主祭神として大物主命、木花咲夜比売命、品陀和気命、素盞嗚命、大日孁命、白瀧姫命、天児屋根命、火産霊神、大禍津日神、大山祇命、宇迦之御霊命、菅原道真公、鳴雷命の計十四柱。
 旧くは三夜沢赤城神社より勧請した赤城神社であったということだが、三夜沢赤城神社の御祭神は豐城入彦命と大己貴命のはずで、何故こちらには豐城入彦命は祀られていないのだろう?
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 拝殿前右側に朱楽菅江(あけらかんこう)の碑。
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 狛犬。
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 本殿は鞘殿に納められているようで、外からでは見ることができない。
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 拝殿の左側には稲荷神社。
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 稲荷神社の拝殿の中にはお狐様。燭台の形が宝珠紋になっているのも面白い。
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 稲荷神社の左側には末社や庚申塔が群れを成している。
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 末社の中で文字が読み取れたのは金刀毘羅宮、山神社×2、天満宮、白瀧宮、琴平山、稲荷大明神、天?、三峯山、水神宮、冨?の十一社のみ。天は天満宮か天王宮のどちらかだろう。冨と言うのは冨士嶽社だろうか。
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 参集殿の隣にも細い参道があり、こちらの鳥居には八幡宮の文字が見える。
 由緒書きには品陀和気命の名前もあったから八幡宮があってもおかしくはないのだが、当の八幡宮らしき神社は見当たらなかった。

相生町白瀧神社

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 桜木小学校の西側にぽつんと建つ白瀧神社。
 駐車場は無いので小学校の裏手にある公民館の駐車場に停めて参拝。
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 鳥居をくぐってすぐ右側に正体不明の祠と庚申塔。
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 高さはそれほどでもないが、かなり急傾斜な階段の先に本殿を納めた覆い屋が見える。
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 大きい方の祠が白瀧姫で、小さい方は天八千々姫命だろうか。
 ちなみに、神社裏の岩を越えると東武桐生線が走っている。
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 本殿左側。写真には写っていないが右端の石祠のさらに右側にもう一つ石祠がある。どちらも祭神は判らなかったが。
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 本殿右側。こちらも岩がごろごろと転がっている。
 中には大山祇尊と刻まれたものも。
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 石の上に置かれた石祠には雷天宮の文字が。・・・雷天宮? 祀られているのは火雷天神、かな?
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 この石が崩れて来たら、簡単に神社が潰されてしまいそうだなぁ。そもそもなんでこんな所に白瀧神社があるのだろう。

相生町賀茂神社

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 相生町一丁目にある賀茂神社。
 由緒書きには天明年間(1781年~1788年)に京都の賀茂神社から勧請したとも宝暦元年(1751年)に広沢町の賀茂神社から分霊したとも書かれており、正確なところは判っていないようだ。
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 鳥居をくぐると神橋がかけられている。
 左奥に見える建物は一丁目会館。社務所も兼ねているのだろうか。
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 参道右側に手水舎。まっすぐ進むとなんとも浮いていると言うか、どうにもありがたみを感じない拝殿。
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 社殿右側に境内社群。
 金毘羅宮と天王宮が二つずつ、神明宮が一つ、あとは不明。
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 手水舎からまっすぐ伸びた参道に繋がる鳥居。

織姫神社

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 桐生市役所と市民文化会館に隣接して鎮座する神社。
 明治二十八年(1895年)に日本織物株式会社(後の富士紡績株式会社)が川内町の白瀧神社から白瀧姫を勧請して祭神とし、桐生工場の敷地内に祀ったものなのだそうだ。織姫町の名前はこの神社に由来するのだろうか。
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 境内はそれほど広くはないが、かと言って狭いというほどでもない。
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 拝殿はなく本殿のみだが、工場内に建てられた神社としてはかなり立派なのではなかろうか。
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 境内の隅の方に境内社。
 どなたを祀ったものなのかは判らなかった。

 ところで織姫神社と言えばこちらよりも足利市の方が有名だが、やはり足利のものの方が見栄えが良いからだろうか。

境野町白瀧神社

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 三ツ堀加茂神社からそう遠くない場所(直線距離で東へ200mくらい)にある白瀧神社。周囲は民家で駐車場は無いので、加茂神社の駐車場に車を置いたまま参拝してみたり。
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 拝殿。
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 本殿。
 二つあるのは白瀧姫と天八千々姫命で一つずつ、と言うことだろうか。由緒書きは見当たらなかったが、おそらくここは川内町にある白瀧神社からの分霊社なのだろう。
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 本殿奥には椋の木と欅が聳え立ち、その根本に庚申塔と二十三夜塔、正体不明の石祠。
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 左端の文字がよく読み取れないけど、太子宮・・・かな? 聖徳太子でも祀っているのかと思ったが一応Google先生に訊いてみると、中壇元帥(封神演義や西遊記に登場する哪タ三太子)を祀っている可能性も? おそらく職能神繋がりで聖徳太子の方だと思うのだけど。

三ツ堀加茂神社

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 先程の加茂神社は境野町七丁目にあったが、こちらは境野町三丁目にある加茂神社。こちらも広沢町の賀茂神社から分霊した神社の一つで、直径約18m高さ約3.5mの円墳の上に社殿が建てられている。
 鳥居前を右に進むと数台分ほどの広さの駐車場があるのでそちらに駐車。
 こちらと境野町七丁目の加茂神社には昨年の3月に一度参拝していたのだが、エントリーを立てるのは広沢町の賀茂神社の後にしようと思っていたらいつの間にか時間が経ちすぎて細かな部分を忘れてしまった為、再度参拝することに。
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 鳥居の手前右側には天然記念物の大サカキ。
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 境内一望。
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 石燈篭の奥には正体不明の末社群に混ざって青面金剛、二十三夜塔、湯殿山、大黒天。
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 拝殿に掛けられた額には古墳から出土した埴輪と環頭太刀の写真や壁画、本殿の写真などが収められている。
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 拝殿隣に並ぶ末社群。
 一つだけ立派な祠があり、ちょうど扉が開いていたので中を覗き込んで見ると、大歳神と天照皇大神の神璽が納められていた。大歳神と言う事は饒速日命でいいのかな。Wikipediaを見ると饒速日命=大歳神=賀茂別雷神と言う説があるらしいが、それで加茂神社に大歳神を祀った祠があるのだろうか。
 ただ、さすがに大国主と大歳神、大物主、賀茂別雷神、事解之男尊、饒速日命、布留御魂が同一の神であると言うのは無理があるような気がしないでもない。それに饒速日命は天火明命と同一神であるとの説もあるし。そう言えばKishin―姫神―邪馬台王朝秘史というラノベの中では天火明命=大歳命になっていたなぁ・・・と、話が逸れまくりだ。

境野町加茂神社

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 栃木県道67号線を桐生方面に向かい、消防南分署前交差点より200m程先のT字路で右折、そのまま直進すると左手側に加茂神社が見えて来る。神社前には充分なスペースがあるのだが、そちらはどこかの会社の所有地なので境内の端に駐車。
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 鳥居をくぐり、参道から外れて右側に庚申塔群。鳥居手前右側にも二つの庚申塔があった。
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 拝殿手前右側に双体道祖神。
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 拝殿。
 鳥居の額は加茂神社となっているのだが、拝殿に掛けられた額には賀茂大明神と書かれていた。どちらであれ、御祭神が賀茂別雷神であることには変わりないのだが。
 広沢町の賀茂神社から分霊された神社が近隣に七社あるそうなので、ここもその一つなのだろう。
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 加茂神社の隣には浜の京東集会所。その奥に八坂神社と織姫神社。
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 左側が織姫神社、右が八坂神社。
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 八坂神社拝殿と本殿。
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 織姫神社拝殿と本殿。
 八坂神社と織姫神社は何故か本殿に覆い屋がなく雨曝しになっている。
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 八坂神社の奥に末社群。
 正面中央に天満宮。左右は不明。左列奥は辨財天。
 右側にずらりと並んでいるものは殆ど判らなかったが、一つだけ歳徳大神・牛頭天皇と刻まれているものがあった。
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広沢町賀茂神社

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 50号バイパスを桐生方面へと向かい、広沢第二高架橋を渡った先の交差点で南へ向かうとmaehara20thと言う鋸屋根の自動車博物館があるのだが、その脇の道に式内賀茂神社と刻まれた標石が建っている。
 この道をまっすぐ進むと右手側に賀茂神社があり、その前にあまり広くはない駐車場がある。
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 こちらに来たのは2005年の12月以来、ほぼ三年ぶりか。
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 鳥居。右脇に小さな石祠があるのだが、どなたを祀ったものなのかは判らなかった。
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 鳥居をくぐってすぐ左手側に由緒書き。
 これによると、こちらの主神は賀茂別雷神で、他に玉依姫命、経津主神、武甕槌神、建御名方神、素盞嗚命、白滝姫命、宇迦之御魂神、外二十柱と多くの神々が祀られている様子。
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 参道の右脇から社務所方向へと伸びる道の途中に下加茂神社。これは鹿島鳥居かしらん?
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 参道へと戻り、今度は左側へ目を向けると八坂神社がある。
 祠が三つ並んでいるが、全て八坂神社であるとのこと。ただ、中央のものは額に「天」の文字が刻まれているのだよね。
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 天・・・の後に二文字分くらいのスペースがあるのだが、八坂神社で何故に天? ・・・あぁ、天王宮の天か。
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 八坂神社の隣には神輿舎と神楽殿。春と秋の例祭で宮比講社神楽が奉納されるとのこと。
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 そして参道の終点には賀茂神社の拝殿。
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 狛犬の姿が見えないな、と思ったら参道から少し離れた左右の石灯篭に刻まれていた。
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 拝殿脇から右側へ回り込むと、桐生市指定文化財の石灯篭がある。永和四年(1378年)のものということなので、600年以上もの歳月を経ているということか。
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 本殿に施された彫刻。中国の民話かなにかが題材だろうか。
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 本殿から離れ、境内の右奥へと歩いて行くとこちらにも境内社が。奥に見える赤い祠が香取神社と鹿島神社であるようなのだが、どちらがどちらなのかは判らなかった。
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 鳥居の右奥にもいくつか末社が見える。水盤脇のものはおそらく稲荷神社。
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 鳥居をくぐると左側に末社が並んでいる。
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 香取・鹿島両神社前に並ぶ末社群。
 右列には摩多羅神や貴船八大竜王神・高鴨味鋤高彦根神、八雷、?和、榛名・赤城、稲荷などの名前が見られたが、左列は殆ど文字が読み取れないものばかりで、右奥から二つ目が八幡宮であること以外はさっぱり判らなかった。
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 拝殿前まで戻り、左側へ進むと豊機神社。
 鳥居をくぐって左側へ進むと句碑のみちが賀茂山の上まで続いている。以前来た時は賀茂山から手臼山砦跡まで登って行ったのだが、今回はそちらに用はないので登らず。
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 拝殿の後ろに本殿があり、額には機神宮と刻まれていた。

 本日はここ一箇所のみだが、午後には友人と一緒に佐野市の唐沢山神社まで行ってみたり。
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