神明氷川神社(弥生町四丁目)

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 中野神明小学校の南隣に鎮座する神明氷川神社(中野区弥生町4-27-30)。
 以前参拝した藤神稲荷神社はこちらの神社の境外末社である。
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『至誠
当社は文明元年太田道灌が江戸城鎮護のため武蔵大宮氷川神社の神霊を勧請
分祀したものと伝えられ 徳川幕府開設の後は専ら当地区の鎮守として長く
町民の崇敬する所であった 然るに昭和二十年五月二十五日戦火によって社
殿と共に民家悉く灰燼に帰し 四野廃蕪 人心荒涼 ややもすれば敬神報賽
の念を失わんとする有様となった 茲に氏子一同焦土の中に蹶起し 先づ仮
本殿を造営し、各々家業に精励して年と共に本地区の復興繁栄を見るに至っ
た 仍て昭和二十七年御造営奉賛会を結成し 会長伊藤金左衛門理事長神田
勘十郎以下役員及び氏子一同の協力を以て鋭意事に当り 漸次工を進めて完
成を遂げ 昭和三十三年九月御遷座の盛典を挙げた 社殿荘厳 神域清浄
まことに奉賛会会員の至誠を象徴するものである そもそも奉祀の根原は共
同の神を祭って互に親和し 協力一致家業にいそしみ 以て相互の繁栄を願
うにある 今この神域内に中野区南部公会堂の設けられたるは最もその意に
適うものであり 本地区永遠の繁栄を卜するものと云うべきである
  まこころをこめて祭れるうふすなの氷川の水のたえむ世あらめや
 昭和三十四年九月  題字 明治神宮宮司從二位勲一等 甘露寺受長
           撰文 從三位勲三等 文学博士  玉井幸助
           謹書 明治神宮 禰宜      高澤信一郎』
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 参道左手側に宗像神社・大国魂神社。
 宗像神社の御祭神は市杵島姫命・多岐津姫命・多紀理姫命。大国魂神社の御祭神は大国魂大神。
 また、この時はまったく気付かなかったのだが、右端に写っているコンクリートに石を混ぜたような塊は三光麟神社であるのだそうだ。まるで気にしていなかったのでまともに写っているものが一枚も無い○刀乙
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 拝殿。
 素盞嗚命を主祭神とし、櫛稲田姫命、大日孁貴命、事代主命、大山祗命の四柱を配祀神としている。
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 狛犬の台座に刻まれた碑文。
『記念事業碑
当氷川神社は、文明元年、太田道灌が武蔵大宮氷川神社より勧請奉祀したものと伝えられ、本年はちょうど五百年目に当ります。
時あたかも明治百年を迎え、茲に氏子一同敬神報賽の誠をもって「氷川神社祭神ご鎮座五百年、明治百年両記念事業」として、参集殿兼社務所の造営及び狛犬の建設を協議決定し、芽出度く完成致しました。
この記念事業の大儀に奉仕した総代、世話人をはじめ高額奉納者の功績を後世に遺す為、その氏名を次に列記しました。
 昭和四十三年十月吉日
  氷川神社宮司 真壁恵愛
  仝・総代会長 神田勘十郎
          戸村二郎書』
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 津島神社。
 牛頭天王・稲荷大神・宇賀大神の三柱が合祀されている。
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 狛犬。
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 御嶽山神社。
 御祭神は櫛眞知大神。
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 神楽殿。
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 伊藤金㔫エ門翁之像。
 誰ですかねこの人。ググってみても同名の戦国武将しかHitせんのだが。地元の名士とかそういった人かな。
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 南の鳥居。
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多田神社(南台三丁目)

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 真言宗豊山派如意輪山宝福寺の脇に鎮座する多田神社(中野区南台3-43-1)。
 多田神社公式サイトもある。
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『多田神社御由緒
 御祭神 贈正一位鎮守府将軍多田満仲公
 満仲公は第五十六代清和天皇の御曽孫多田源氏の祖神である。幼少より文武両道に秀で、国家に貢献されたる偉勲功績は、わが国史に燦然として輝き武門の棟梁たる勅諚を賜わり国家鎮護の大任を果たされたるのみならず、或は沼地を開拓して広大なる田畑を造成し、或は河川を改修して農耕の拡大に寄与し、併せて源家興隆に確固たる基盤を築かれた。またその威力は関東に及び、特に雑色村の文化向上に尽された事蹟は尠少ではない。仍って時の里人の敬慕浅からぬものがあった。その第二子は歴史上著名な賴光公であり第四子賴信公は平忠常を討ち、関東を平定した。続いて賴義・義家の父子二公は前九年・後三年の両役に大軍を率いて奥羽の地に赴きその凱旋の帰途、寛治六年(一〇九二年)祈願達成の報賽として、大宮八幡宮に神鏡を献じ、別当宝仙寺を建立すると共に、大宮八幡宮造建の時の八幡宮神供の雑色料の地である当地に、日頃淑敬する満仲公の祠を建てたところ、雑色村の鎮守社として住民に崇敬せられて来たということが「武蔵名勝図会」に記されている。新編武蔵風土記稿には「多田権現稲荷合社」と記されている。慶長二年社殿を再建、更に江戸後期の文政年間修復を加えた。明治十四年改築しまた明治四十四年にも改築したと社史に記してあるが、太平洋戦後、氏子の急増により昭和三十五年社殿を改築したのが現在の社である。
 昭和五十四年八月吉日
      多田神社宮司 細野喜八記』
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 二の鳥居。
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 拝殿。
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 斜めから。
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 狛犬。
 台座には「明治十四年三月建之」と刻まれているので、1881年のもの。
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 多田稲荷神社の鳥居。
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 多田稲荷神社。
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 阿夫利神社・御嶽神社・榛名神社三社合祀社。
 この三社の組み合わせは先に参拝した大山神社と同じだが、この辺りではこの三社は深く信仰されているのだろうか。
 鳥居前の案内板には以下の文が記されている。
『雑色村と多田神社
 現在の南台の地域は、古くから雑色(又は雑色村)とよばれていました。そしてこの多田神社を雑色の鎮守としてあがめ現在にいたっています。
 当社は、約九百年前、寛治六年(一〇九二)源義家が大宮八幡宮(杉並区大宮二丁目)に参詣のおり、先祖多田満仲を奉祀したことにはじまると伝えられています。したがって当社の創建の時からすでに雑色の地は大宮八幡宮とのつながりがとりわけ深く、天正十九年(一五九一)の検地帳にも「多東郡大宮之内雑色村」と記され、大宮領に含まれていたことがわかります。また、鎌倉街道と伝えられる古道が両神社〜雑色地域の間に通じていたともいわれています。
 「雑色」とは、皇室の文書や道具類を納める倉を管理したり、皇室行事の実施を担当する役所で働いていた人々のことで、その所有地であったことに由来する地名とする説と、大宮八幡宮の造営に働いた人びとの所有地であったことが地名の起りであるとする説があります。
 昭和五十八年三月』
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 東の鳥居。

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 宝福寺。
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『筆塚碑
 この「筆塚」の字は、戸村直衛という人が書いたもので、明治の初めに建てられたと考えられます。
 戸村氏は、明治三年、雑色村に「戸村塾」を開いた人で、中野区最初の公立校「桃園小学校」の教師も勤めました。身分・経歴は明らかではありませんが、家塾開業願や小学校設立伺書などによれば、若いころに幕府の関係者から、数学・書道・洋学を学んだ知識人であったことがうかがえます。
 明治五年に学制が発布されるまで、庶民教育は江戸時代から民間の塾や寺子屋で行なわれました。明治初め、中野にも戸村塾など数か所の私塾があったといわれています。明治四年当時、戸村塾の生徒は二十五名で、教場は宝福寺や村内の民家をあて、学制発布後も存続し、私立戸村小学校から桃園小学校雑色分校へと引き継がれました。
 この筆塚は、師弟の使用した毛筆を納めて供養し、学業上達を願ったものと考えられます。これは、中野の初等教育を物語るゆかしい記念碑です。
 昭和五十六年三月』

藤神稲荷神社(弥生町二丁目)

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 弥生町二丁目交差点の南東に鎮座する藤神稲荷神社(中野区弥生町2-19-4)。
 社号標石の裏には以下の文が刻まれている。どうやらこちらの神社はここから600m程南西にある神明氷川神社の境外末社であるようだ。

『藤神稲荷神社は、其の昔我等の祖先が郷町の鬼門除け「きよめ」産業繁栄の神として祀ったと伝えられております。
 戦前は夜店等が出て賑やかでした。それなのに戦火に御炎上したまま二十余年間復興の目処がつかず年月を重ねるばかりで氏子崇敬者の心痛の種で有ました。特に地元の有志渡辺憲太郎、秋元利助、秋元弥五郎、三氏の復興に対する熱願は一方ならぬものが有ました。その熱望は遂にむくいられ、茲に復興の時桟到来、昭和四十年三月本殿兼拝殿を本社神明氷川神社の基金を以て稲葉建設株式会社の施工により造営し、社務所は本社神明氷川神社の基金の一部と氏子の献金により特に地元の協力は偉大であり、尚多摩建築株式会社の奉仕的精神によって建築完成されました。
 是の社標を建立して敬神の美風を後世に伝える記念社標と致すものであります』
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 二の鳥居。
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 お狐さま。
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 拝殿。

 以上で3月12日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA20-40mm、DA15mm、50-150mm II。X30。
 この後はベルサール新宿で行われたPENTAX K-1の御披露目会へ。
 ウォーキングカウンターは22,255歩。

本郷氷川神社(本町四丁目)

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 東京メトロ丸の内線中野新橋駅の北200m程の位置、TUTAYA中野新橋店のすぐ西側に鎮座する本郷氷川神社(中野区本町4-10-3)。
 由緒書きは見当たらないが、こちらもまた鍋横区民活動センター運営委員会のサイトに本郷氷川神社についての記述があるので見てみると、文明元年(1469)に太田道潅が江戸城鎮護の為に大宮の氷川神社から勧請したのが始まりで、昭和二十年五月二十五日の大空襲により社殿とその他の建造物を焼失したが、昭和三十年九月に社殿を再建したとのこと。
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 狛犬。
 台座には「天保四癸巳年九月吉日  麹町十二丁目 願主 鹿嶋屋幸太良」と刻まれている。ちなみに天保四年は1833年。
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 拝殿。
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 神楽殿。
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 稲荷神社、稲荷神社、御嶽神社。
 御嶽神社の御祭神は日本武尊で、武州御嶽神社より勧請したと記されている。
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 中央の稲荷神社前には狐を浮き彫りにした石祠があるが、こちらは眷属を祀ったものであるのだろうか。
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 神輿庫……かな、多分。
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 本郷道改修記念碑。
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五柱五成神社(本町四丁目)

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 鍋屋横丁交差点の南、三菱東京UFJ銀行の裏手に鎮座する五柱五成神社(中野区本町4-30)。
 五柱五成と書いて「ごしゃいなり」と読むそうだが、「いなり」を飯成や伊奈利と書く神社は見たことがあるが、五成と書くのは初めて見た。と言うか五柱で「ごしゃ」と読ませるのはどうなんだ。いや、感覚的には理解できるんだけど。
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『略縁起
一、主祭神
 本殿
  天圀蔵五柱五成大神
    天日瑞穂造美尊、天豊穀食類媛命、天豊宇気比媛命
    天太田地土命、天大市比売尊
  正一位槙屋末広稲荷大明神
  天五色大天空大神
 摂社殿
  天五色辨財天
 碑(四)
  富士浅間両龍王神 天圀蔵五柱五成大霊魂
  天大圀主大霊魂  三社大口真大霊魂
一、祭日
 月次祭  十七日、午の日
 初午大祭 三月貮の午の日

 当社の御祭神槙屋末広稲荷様は、文政六年(1823)四月槙屋平兵衛京都伏見稲荷大社一之宮末広大神の御分霊を勧請せられたものであります。降って昭和五年、宗教法人解脱会開祖岡野聖憲師(御遷化後解脱金剛の法号を賜り皇室の御菩提寺である京都東山の御寺泉湧寺に御分霊が安置されております)が当地に御巡錫の折末広稲荷様の極めて高い御神徳を感ぜられ「この稲荷は單に一族一門の守護神としておくべきでない、広く世の人々にその御神徳を分つべきである」と申されて、新たに衣・食・住一切を司る稲荷の大祖神として頭書の五柱の神々を天圀蔵五柱五成大神と名付け奉り、併せて他の神々も同時に斎祀されたものであります。
 又当社は「日限りのいなり」と呼ばれ、お願いごとはすべて七日間或は二十一間というように、日限りで毎日お願いし、大願成就には必ず五色のお旗をあげるよう定め伝えられております』
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 拝殿。
 翌日の初午祭の準備をされていたので、あまり邪魔にならないように参拝と撮影を済ませようと思っているうちにどんどん人が増えて来たのでちょっと焦る。
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 眷属社。
 中には小さな陶器のお狐さまが大量に納められている。
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 天五色辨財天社。
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 上段は「冨士浅間両龍王神、天猿田彦大神、天五色中大小天空神」。昭和丁丑春建とあるので昭和十二年(1937)だろう。
 下段は左から「天大圀主大霊魂、大黒天、恵比寿」、「天圀蔵五柱五成大霊魂、大古以来土地守護 末廣稲荷」、「三社大口眞大霊魂」。いずれも昭和丙子建立とあるので、昭和十一年(1936)。

五福稲荷神社(本町六丁目)

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 青梅街道を挟んで新中野駅前郵便局の南西60m程の位置に鎮座する五福稲荷神社(中野区本町6-20)。
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 社殿。
 由緒書きは見当たらないが、ググってみると鍋横区民活動センター運営委員会のサイトに五福稲荷の項目がある。創建時期等は不明だが、五福稲荷の名の由来が、かつて当社が中野区本町通り5丁目2番地9に位置していたことから、「5・2・9」でゴフクと読ませる語呂合わせでつけられたものであるとのこと。こちらには昭和六十年五月に移転して来たそうなので、三十一年前か。
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 お狐さま。
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一本檜稲荷神社(中野三丁目)

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 JR中野駅南口から西へ550m程、タイムズ中野第18駐車場脇に鎮座する一本檜稲荷神社(中野区中野3-49-13)。
 ここから東へ100m程、第2田村ビル前にある小さな祠も一本檜稲荷神社であるようだが、気付かなかったので写真は無し。
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 社号標石には「囲 桃園鎮守 一本桧稲荷神社」とあり、倒れた御神燈台の奥にお狐さまが見える。
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 こちらのお狐さまの脇には由緒書きらしきものがあるのだが、所々文字が消えていて殆ど解らない。とりあえず中野氷川神社の境外末社であることはわかったのだが、他はさっぱりなのでググってみたところ、徳川吉宗が賞賛した檜が社名の由来になっているようだが、創建時期や由緒等の詳細は不明。
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中本一稲荷神社(中央一丁目)

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 中野坂上交差点と淀橋交差点の中間、青梅街道に面して鎮座する中本一稲荷神社(中野区中央1-35-2)。
 鳥居の額は「中本稲荷神社」だったり、拝殿の切長型提灯は「中本一高稲荷神社」だったり、名前が安定していないような。ググってみたら、当地の旧称である中野本町通り一丁目を略して中本一と名付けられたのだそうだ。また、古くは高稲荷とも称していたのだとか。
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 三の鳥居。
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 拝殿。
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 合祀三神とあるが、どちらの神社が合祀されているのかは不明。側面には天保七丙申歳二月と刻まれているので1836年の造立。
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 西の鳥居。

白金龍昇宮(中央一丁目)

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 山手通りを挟んで白玉稲荷神社の北東、中野区立第十中学校脇に鎮座する白金龍昇宮(中野区中央1-42)。
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『白金龍昇宮由来
白金龍昇宮
 日本の国土は龍体の姿をしておりますのでこのお宮には、昭和二十四年中野区城山町に現れました黄金の龍を国土の神としてお祀りしてあります。
 国土を祀らずしては平安の来るはずもありません。ここに日本の国土を祀り国家の安泰をはかり世界人類の幸福をお祈りしております。
七曜の心霊
 日月火水木金土の七曜も、このお宮にお祀りしてあります。七曜は世界共通の生きながらの神で生命の根源でありますので人類はもとより万物にとって一日もなくてはならぬ神々です。ここにお祀りして世界平和と人類の幸福をお祈りしております。
 建立者 大日入来不動明』

 不動明って言うとデビルマンを思い出しますネー。ググって見ると、「大日入来不動明」と書いて「だいひいりきたってうごかざるあかり」と読むのだとか。この白金龍昇宮は七曜会と言う新宗教団体の建立した社で、中野区城山町に現れた黄金の龍と言うのは太田道灌砦趾(現在の谷戸運動公園附近)に現われた白蛇のことであるようだ。
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白玉稲荷神社(中央二丁目)

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 青梅街道と山手通りが交差する中野坂上交差点の北に鎮座する白玉稲荷神社(中野区中央2-8-24)。
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 二の鳥居と本殿。
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 お狐さま。
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 旧石鳥居。
 柵で囲まれているので隙間から魚眼ズームで撮ってみたが、かなり苦しい。
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 昭和三十三年(1958)二月造立のお狐さま。
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『白玉稲荷神社の鳥居
 白玉稲荷神社は、もとは宝仙寺境内にありましたが、明治維新後の神仏分離の際に、ここに分社され、以後、この地であがめられてきたやしろです。
 この石の鳥居には、「奉納 歳豊饒 小下中」「明治十四年己十月」、そして願主として浅田甚右ヱ門以下五十人の氏名が刻まれています。
 青梅街道に面した家いえは江戸時代末期、半商半農の生活を営んでおり、問屋場の置かれた街道筋には人家も多く、村内は上・中・下の三宿にわけられていました。鳥居に刻まれた「小下中」というのは、下町をさらに大・小にわけたうちの小下組中という意味で、この近辺が小下に属していたのでしょう。この文は、浅田澱橋氏を介し、明治の初め頃の漢学者 南摩綱紀の依頼によって成瀬大域が書いたもので、その書風は、区内の金石文の中でも風格のある名筆といわれています。
 この鳥居に刻まれた金石文によって、地名の移り変わりがわかるとともに、この地に住んでいた有力者たちの姿を想像することができます。
 昭和五十八年三月』
 明治十四年(1881)の干支は辛巳なので、己ではなく巳が正しいわけですネー。
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天神社(中央二丁目)

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 宝仙大学の北西に鎮座する天神社(中野区中央2-39)。
 鳥居の額には天神社とあるが、看板には第六天と書かれているのでこちらは第六天神社なのだろう。
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 本殿。
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 がっしりした体躯の狛犬。昭和六年(1931)二月造立。
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 別角度で。

明徳稲荷神社(本町二丁目)

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 本町通り公園の西隣に鎮座する明徳稲荷神社(中野区中央2-52-1)。
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『この稲荷神社は、江戸時代に中野村の名主をつとめた堀江家の敷地(約二万一千平方メートル)の東北の隅に位置しています。東北の方角は古来、鬼や災難が入ってくるという鬼門として忌み嫌われていました。このため、堀江家では、屋敷内に神を祀って鬼門除けとしたものです。
 堀江家文書によれば、中野宿で市場の繁栄と安全のために祀った市神という神社の記録があり、これが明徳稲荷なのではないかとも考えられます。
 大正時代に地元の人たちが堀江家から稲荷神社を譲り受け、現在にいたっています。
 関東大震災と第二次世界大戦の際に罹災しているため、江戸時代の社殿や、古記録は残っていませんが、狐の彫り物のある慶応三年(1867)の手水鉢にわずかながら往時をしのぶことができます。 
 この稲荷神社には、明徳稲荷のほか、火伏せの秋葉神社と雨乞いの榛名神社とが祀られています。
 平成二年十一月』
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 南の鳥居。
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 拝殿。
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『明徳稲荷神社は徳川時代小代官堀江家の建立されたものです。その後榛名神社秋葉神社が合祀三神体が祭られています。戦火で焼失、昭和二十二年再建。棟梁飯塚常吉氏高橋義雄氏お二人の腕前です。落し木と云う方法で柱に板の溝を掘り羽目横板張り乾燥しても自然に閉まってくる屋根勾配昔通り』
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 昭和四十三年(1968)二月造立のお狐さま。
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 破損したお狐さま。
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 こちらは先代かな?
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 東の鳥居。

白玉稲荷神社(中央三丁目)

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 セブンイレブン中野中央三丁目店西側の細い道を北上すると、左手側に見えて来る白玉稲荷神社(中野区中央3-23-15)。
 御祭神は宇迦之御魂神であるそうな。
 左側に見える石柱(鳥居跡?)には「文政七甲申年(1824)」「明治六癸酉年(1873)五月再建」と刻まれている。
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 お狐さま。
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 北野神社からこちらまでの間に天祖神社があるのだが、そちらのことを忘れていた。そして新中野駅のそばにも神社が三社あるようだ。気付かなかった……○刀乙

北野神社(中央五丁目)

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 中野区と杉並区の境、青梅街道に面して鎮座する北野神社(中野区中央5-19-18)。
 社号標石には「北野神社 西町天神」と刻まれている。
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 拝殿。
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 明治四十二年(1909)九月造立の狛犬。
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氷川神社(東中野一丁目)

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 第六天神社の脇を道なりに西へ歩いて行くと、氷川神社の前に出る。
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 南参道と二の鳥居。
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 三の鳥居。
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 雨に濡れているおかげか、つややかな狛犬。
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 参道突き当たりに拝殿。
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 参道右手側に神楽殿。
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 拝殿。
 こちらの神社はよほど信仰されているのか、雨だと言うのに次々と参拝者が現れてはお参りをしていた。中には祝詞をあげるお爺さんもいたほど。
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 狛犬。
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『中野の氷川神社
 この神社は、旧中野村の総鎮守社で、創建は長元三年(1030)に武蔵一の宮である埼玉県大宮市(現さいたま市大宮区)の氷川神社から勧請したと伝えられています。室町時代の応永年間(1394~1427)に社殿を改築した伝えもありますから、中野村の開発とともに鎮座も古いことがうかがわれます。
 祭神は素佐之男尊・稲田比売尊・大己貴尊の三柱で、例祭は九月十四・十五日ですが、もとは二十六・二十七の両日でした。
 江戸時代には護摩修行が行われ、湯立神楽をあげ、淀橋・上宿・下宿・西町・仲宿・打越・囲・原の氏子がそれぞれの地区の幟や提灯の美を競いました。豊年には、獅子舞・相撲・力石くらべなども行われて、近在をあげての盛大な行事になっていました。明治・大正期の華麗な神輿や山車の巡行はいまも語り草になっています。
 拝殿にある中世の石の狛犬をはじめ、境内には中野の歴史を語る多くの遺品があります』

 こちらの由緒書きには書かれていなかったが、ググってみると、こちらは源頼信公が平忠常征討の際に武蔵国一宮大宮氷川神社より勧請したもので、文明九年(1477)には太田道灌が豊島泰経・泰明兄弟討伐の際に戦勝祈願を行い、凱旋後に社殿を造営したとの記録もあるそうだ。
 ちなみに源頼信は源頼光の弟で、藤原道兼・道長兄弟に仕えて道長四天王の一人に数えられた人物である。太田道灌は扇谷上杉家に仕えた名将で、川越城や江戸城を築城したことでも知られる。また、中野にある神社は太田道灌に縁の有るものが多いようだ。
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 境内社の塩竃神社と稲荷神社。
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 その隣に御嶽神社と北野神社、庚申塔。
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 御神輿や山車が納められていると思われる倉。
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 西参道側の二の鳥居。
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 狛犬。
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 狛犬のそばに狸。…なんで?
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 東京都道317号線山手通りに面して建てられた、西参道側の一の鳥居。

 以上で9月23日参拝分終了。
 使用したのはK-7にDA18-55mm AL WR。防塵防滴ボディと簡易防滴レンズのおかげで、雨の中でも比較的安心して使えるのはありがたいね。DA18-135mm ED AL [IF] DC WRには然程興味は無かったのだけど、K-5と一緒に購入するのも検討してもいいかも。
 今回、当初はもう少し南まで歩き、西に回って中野駅を目指すつもりだったのだが、思った以上に雨脚が強くて二社参拝した時点でそれ以上の参拝を断念。次の機会に期待しよう。

第六天神社(東中野一丁目)

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 東中野駅東口から南へ歩いて行くと、大六天神社が鎮座している。
 駅を出た時から降っていた雨はここまで来た時にかなり強くなったので、しばらく神社の軒先をお借りして雨宿りをしていた。
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『御祭神 
  天神第六代坐榊皇大御神
  面足尊
  惶根尊
 御神徳 
  緒産業繁栄・安産子育の神
 月次祭 
  毎月十八日
 御由緒 
  悠久の昔江戸蔵前の第六天神宮(榊神社)の御分霊を奉斉。古来より第一の別宮として尊祀せられて居ります』
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 拝殿。
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中野五丁目北野神社

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 氷川神社前から南下して行けば中野まではすぐだろうと思っていたら・・・オゥッ! 道に迷って東中野駅の近くにまで行ってしまった。もみじ山通りに合流できれば目的地の北野神社まではすぐだと言うことは判っていたので、とりあえず早稲田通りを西へ西へ。
 そしてようやく中野五丁目の北野神社へ到着。実はこちらの神社へは先月も参拝に来ているのだが、土地鑑が無いと迷うなぁ。前回は中野駅前から線路に沿って歩いていたから迷うこともなかったのだけど。
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 狛犬。
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 拝殿。
 古くは打越天満宮、或いは打越天神とも呼ばれていたそうだ。
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 拝殿から左へ向かうと、突き当たりに伏見稲荷神社。
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 丸みを帯びたお狐様。
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 拝殿の右側に回ると石仏が並んでいる。

 天気予報では降水確率40%と言うことだったので傘を持ち歩いていたのに、降らないどころか晴れ間さえ見える始末。結局傘は邪魔になっただけ○刀乙 降られるよりはいいですけどねー、えぇ。
 そんなわけなのでレンズもDA18-55mm WRを着けてみたのだが・・・うーん? なんかK10D+初代DA18-55mmよりも描写が緩いような? 今回のカラーモードはナチュラルを使っているのでそのせい(シャープネス-1)かも知れないけど。それをさっぴいても、K-7の写りはK10D以下と言う感じかなぁ。諧調性は悪くないしペンタックスらしさを感じる描写でもあるのだけど、色がなぁ。クリアさに欠けると言うかべたついていると言うか、まぁK20Dでもそうだったんだけど。って言うかそれがイヤでK20Dは買わなかったんだけど。パラメータを追い込めばなんとかなるかな。
 それにしても、中野駅周辺は意外と神社が多いなぁ。今回は時間の都合上北側の六社しか参拝できなかったけど、機会があれば今度は南側を中心に参拝して歩いてみたいものだ。

上高田四丁目氷川神社

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 新井薬師前駅の南東に位置する氷川神社。
 北野神社の近くにも氷川神社がもう一つあったのだが、そちらを存在を知ったのは帰宅してからだったので後の祭り。それにしても、この辺りは北野神社と氷川神社が多いなぁ。
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 ごく狭い距離で鳥居が並んでいるが、手前の方が古そうだ。
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 鳥居の脇に神楽殿と手水舎。
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 三の鳥居と、その手前に由緒書き。
 上高田一円の鎮守として享徳二年(1453年)に土地の人達が素盞嗚尊の御神徳を慕い、武蔵国一之宮氷川神社より勧請し創建したとのこと。こちらもまた太田道灌所縁の神社であるようだ。
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 狛犬。
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 参道右手側に境内社。
 額には八幡社、稲荷社、天王社、天神社と刻まれている。
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 拝殿。右奥に社務所があり、左奥の高台には表忠碑が建てられていた。

松が丘二丁目北野神社

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 中野通り(東京都道420号鮫洲大山線)に沿って北上し、下田橋バス停で脇道をまっすぐ進んで行くと北野神社に突き当たる。
 古くは天満宮と称していたが、明治五年に北野神社に改められたとのこと。こちらにも大田道灌が戦勝祈願をしたとの話が残っているそうだ。
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 狛犬。
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 参道右側に神楽殿。
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 拝殿。
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 拝殿右側に市杵嶋神社。
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 拝殿左側は一段高くなっており、正一位稲荷大明神とのぼりの掛けられた鳥居が見える。
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 鳥居手前左側には惣元講と刻まれた碑があり、その上に不動明王が鎮座している。
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 参道を歩いて行くと、突き当たりに稲荷神社。御祭神は宇迦之御魂神。

沼袋一丁目氷川神社

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 北野神社より北に向い、薬師橋を渡って踏み切りも越えると左手側に氷川神社が見えて来る。
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 二の鳥居。
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 狛犬。
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 参道右手側に力石。そう言えば新井天神にも力石があるらしいが、気付かなかったな。
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 茅の輪。
 ここで右を向くと手水舎があり、近付くと龍の口から水が流れ出すハイテク仕様。
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 拝殿。本殿の脇に金色の狛犬が控えているのが見える。
 正平年間(1346~1370年)に武蔵国一之宮である氷川神社より分霊を勧請してこちらに創建されたとのことで、文明九年(1477年)に太田道灌が豊島一族と合戦の折に戦勝祈願したという話も残されている。
 公式サイトもあるようで、詳しくはそちらを参照。
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 拝殿前から参道を左へ向かうと、境内社が三つ並んでいる。左から天王社、稲荷社、御嶽社だが、三本願い松のせいで稲荷社が見え難くなっている。
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 天王社。
 八雲神社(素盞嗚尊)と諏訪神社(建御名方命)、胡録神社(面足命、惶根命)が合祀されている。
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 稲荷神社。御祭神は宇迦之御魂命。
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 御嶽神社。御祭神は日本武尊、櫛真知命、大己貴命、少彦名命。
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 神楽殿と鳥居。

新井四丁目北野神社

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 法務省矯正研究所より東へ歩いて行くと、新井五差路交差点の北東に北野神社がある。鳥居の額に新井天神とあることからも判るように、北野天満宮を勧請したものだろう。
 なお、こちらでは菅原道真公の他に保食神も祀っているとのこと。
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 狛犬。
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 参道左手側には手水舎と撫で牛。自分の身体で悪いところや良くなりたいところがあったら、牛のその部位を撫でると良くなるということらしい。
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 拝殿。右側の社務所ではお守りなども売っていたので宮司さんは常駐しているようだ。・・・巫女さんは見なかったなぁ。
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 拝殿前にも狛犬。
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 拝殿前から左へ向かうと、大鳥神社。御祭神は日本武尊。
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 その隣には伏見稲荷神社。御祭神は倉稲魂命。
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 お狐様。
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 稲荷神社の更に隣にも祠があるのだが、こちらは絵馬掛けに弁天様の絵があったので、おそらく弁天様か厳島神社なのだろう。
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 社務所前から東の道へ抜けると、こちらにも鳥居が。

野方一丁目妻戀神社

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 中野駅北口にあるフジヤカメラにD-BG4を買いに行ったついでに駅周辺の神社でも巡ってみようと思い、まずは早稲田通り(東京都道25号飯田橋石神井新座線)を挟んで東京警察病院の向かいにある妻戀神社へ。
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 一の鳥居と二の鳥居の間で左を向くと、そちらにも鳥居があり、小さな塚が祀られている。お稲荷様かな。
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 三の鳥居と、参道両脇にお狐様。金網に囲われていて見づらい。
 文京区湯島にある妻戀神社は日本武尊と弟橘媛を祀り、その後稲荷神社と合祀されたため妻戀稲荷と呼ばれたそうだが、こちらも同じような感じなのかな。
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 境内の隅にお地蔵様。

 この後、野方警察前交差点から北へずいっと進み、宝樹稲荷神社を目指したのだが・・・あれ? 神社の屋根は見えるのにどこから入って行ったらいいのか判らないぞ。
 しばらく周辺をうろつき回り、そのうちに法務省矯正研修所前まで辿り付いた時に神社に辿り付けない理由が判明。なんと神社は研修所の敷地内に鎮座している為、参拝するには許可を貰って入らなければならないとのこと。・・・めんどくせぇ。仕方がないのでスルーして次の神社へ。
 ちなみにGoogle先生に訊いてみたところ、多摩の社と言うサイトにこちらの記述があり、それによれば宝樹稲荷神社の祭神は倉稲魂命で、文化十四年(1817年)に板倉勝政が市ヶ谷の屋敷に守護神として祀ったのが始まりだとのこと。
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