坂上神社(本田)

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 深谷市立川本南小学校の南側に鎮座する坂上神社(深谷市本田4898-1)。
 ちなみに「さかがみ」ではなく「さかうえ」と読むようだ。
 フカペディアによれば、天慶三年(940)に藤原秀郷が平将門追討中にこの地で病に罹り、信仰している上州赤城の神に祈ったところ平癒した為、この地に祠を建てて赤城の神を祀ったのが始まりとされているとのこと。後に秀郷の裔がこの地に移り住み、当地の地名を取って本田次郎近常と名乗り、社殿を再建して村の鎮守としたと伝えられているのだそうだ。古くは現在地よりも十町(約1.1km)余り西にあったそうなのだが、現在地に移転した時期は不明。
 御祭神は大己貴命と豊城入彦命、宇迦御魂命、菅原道真、軻遇突智命、天照大御神の六柱。新築記念碑の裏には明治四十四年(フカペディアによれば明治四十二年)に黒の谷の稲荷神社と後鷹の巣の愛宕神社を合祀して坂上神社と改称したとあるが、菅原道真公と天照大御神はどこから合祀したものなのだろう。
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 参道。
 ストリートビューを見ると、2012年7月にはまだ参道の脇に木々が残り、台湾産っぽい感じの狛犬も見当たらない。ここ二~三年程の間に今の姿になったのだろう。
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 狛犬。いや、どちらも阿形だから獅子と言うべきか。
 そう言えばこのタイプのもので吽形のものって見かけたことないな。
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 平成二年十一月十二日造立の狛犬。
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 昭和四十六年十月十五日に建てられた新築記念碑。
『当社は明治四十四年上本田赤城神社黒の谷稲荷神社後鷹の巣愛宕神社の財産等合併して坂上神社と改稱して現在に及ぶ 社殿は旧赤城神社を使用せしも甚しく老朽せる建物となりたるため神社基金並に愛宕神社持寄りの山林を売却して財源となし氏子中相計り本年二月總工費四五○萬円にて着工し同年十月竣工せり
 昭和四十六年十月十五日建之』
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 末社群。
 石祠には社名が記されていないので何神社なのかは不明。右の三つは一心霊神と御嶽大神、不動明王。

 2015年9月6日追記。
「埼玉の神社 大里 北葛飾 比企」によると、末社の石祠は左から稲荷社、浅間社、天神社、神明社であるようだ。
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春日神社(本田)

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 八幡神社から東へ1.5km程、時宗安養山阿弥陀院教念寺の南側に鎮座する春日神社(深谷市本田2025)。
 ググル先生に訊いてみたところ、天平二十年(748)に河内国の枚岡神社を勧請したものと伝えられ、古くは枚岡神社と称していたが、神護景雲二年(768)に藤原氏が氏神である鹿島神宮の武甕槌命に香取神宮の経津主神と枚岡神社の天児屋根命・比売神を併せて御蓋山(通称春日山)に祀り春日神としたことから、それに合わせて春日神社と改称したのだそうだ。
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 参道。
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『春日神社之碑
              正三位勲一等男爵千家尊福篆額
春日神社在武蔵国大里郡本畠村大字本田祀天津兒屋根命村社也明治四十年三月移
社殿於社域中央以北同月得官允起拝殿及幣殿之工翌年四月竣功行遷宮式其工費一
千六百餘圓也先是明治三十九年降勅令行神社廢合於是氏子胥謀請官明治四十年四
月移轉字山之神無格社山之神社及字北社宮司無格社社宮司社於春日神社域内明治
四十一年十月又移轉字鹿嶋無格社鹿嶋神社及字宿無格社稻荷神社於其域内明治四
十二年二月合祀字平方村社大天白神社於春日神社移天神社於同社地域而字鹿嶋無
格社雷電社以明治四十二年九月得登載干神社簿同年十月合祀之於春日神社域内鹿
嶋神社於是時有氏子二百二十二戸又有社地一千七百四十歩社外宅地一百三十七歩
及土地一千九百七十七歩明治四十三年五月遂被指定神饌幣帛料供進神社焉而社域
四圍皆以荒川石新築石垣延長實一百六十一間五尺也屬其西者五十九間二尺氏子而
從軍於明治二十七八年役者六人同從軍於明治三十七八年役者四十二人及参加両役
者六人荅神恩且為紀念築之屬其東北者七十八間三尺明治二十九年一月仝三十一年
一月仝三十二年二月及仝三十五年二月氏子而参拝伊勢太廟者六十八人相謀築之屬
其南者二十四間為氏子一同所築焉於是社域肅穆神威益揚頃者氏子有志■貲建碑欲
以表彰神徳來徴余文因紀其所言如此
  大正二年十月           從六位林有章撰弁書』
 ■は抬の「口」の部分が「月」の左下が伸びていない妙な形になっている。異体字だろうか。
 この碑を見ると社宮司社と大天白神社も春日神社境内に移転して来ている筈なのだが、あれー? 見当たらなかったぞ。

『記念之碑
 天平二十年第四十五代聖武天皇の御代西暦七百四十八年の昔より下本田の鎮守として氏子の信仰の篤い春日神社であります
 拝殿幣殿の再建竝に神殿外宇の小屋替等三殿の竣工と併せて瑞垣を新に回らし幽神の霊氣漂ふ
 其記念之碑を建立するにあたり概要を茲に記す 抑新築にいたりたる主因は取替不能な拝殿東南の隅柱の腐蝕甚大なるによる 想うに財源なく後世までの護持に誠に憂慮にたえない事態であった
 時恰埼玉県営農林公園の川本町に設置が決定其用地内に所在する本田三社共有地を昭和五十九年八月埼玉県に拂下げる続いて埼玉県営川本工業団地が決定し昭和六十一年十二月同団地内の共有地を埼玉県に拂下げる又工業団地取付道路用地等三次に亘り埼玉県へ共有地の拂下げをする 三次に亘る拂下げ代金の内春日神社の取得分は合計金三千七百四十六万八千八百也であつた 又昭和六十二年一月境内の﨔の枯損木二本を金一千万円也と金四百五十万也の合計金一千四百五十万にて業者に拂下げ從来より蓄積せる資金と併せ概ね再建可能なる財源を取得し昭和六十二年十一月起工し 平成二年八月願望総ての工事を完了す
灼なる御神徳により財源を授かり尊厳にして華麗なる御社三殿の再建を達成す
             平成二年十月十四日
                   建築委員長 大澤仁三撰文』
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 拝殿と狛犬。
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 八坂神社。
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 かわもと郷土かるた。
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 末社殿。左から古峯神社、八幡神社、雷電神社、山之神社、冨士浅間神社。
 その右に天満大自在天神、天満天神社。
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 鹿島神宮、稲荷大明神、社日神社。
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 稲荷大明神。
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 深谷市指定文化財史跡第16号の高札場跡。
 昭和37年1月29日に川本町の指定文化財に登録されたが、川本町と深谷市の合併に伴い、記号番号変更の為平成18年1月1日に登録され直している。
『高札場跡
 この上に高札(現代の掲示板)が、江戸時代から明治初年にかけて立てられていた。
 おきてがきや、お知らせを一般の人々に知らせるためのものであった。
 この地は、「御高札の辻」、「札の辻」とも呼ばれている』

八幡神社(本田)

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 埼玉県道69号深谷嵐山線と県道81号熊谷寄居線が交わる本畠駐在所交差点の北側に鎮座する八幡神社(深谷市本田138)。
 ここから170m程南下した所にある歩道橋脇に有形民俗文化財3号の双体道祖神が鎮座しているのだが、この時は気付いていなかったので撮影していない。また機会があったならばその時にでも。
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 かわもと郷土かるた。
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 拝殿と狛犬。
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 斜めから。
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『八幡神社改修之碑
 敬神尊皇は建國以来の諄風國体の基てあり崇祖愛郷は報恩感謝に発する親和協力
繁学への道である当八幡神社の御創立は養老六年と伝へられ由縁に拠れば元正天皇
霊亀二年多治比縣守遣唐使を命せられし折筥崎八幡宮に祈請して霊験をうけ帰朝の
後更に養老四年持節征夷将軍として東國の鎮撫にも神護めてたかりしにより此處に
筥崎宮を勧請して報賽の礼を行へるに因るといふ誉田別命を祀れるより誉田八幡と
崇めこの地を誉田郷本田郷といふと爾来村人の尊崇篤く信仰近郷に及ふここ本田は
明治二十二年本田村連合戸長役場区域の畠山村と合併し本畠村となり開化の進むに
從ひ武川村と合体して昭和三十年川本村大字本田となった近時世情の進転は著しく
村勢弥々盛なれば圃場の整備を行ひ道路を舗装して縦横に貫通させ将来への備へを
完了した氏子総代人等は豫てから鎮守の護持に心を碎いてゐたが整備による社地の
提供により多額の代償を得ることとなったのでこれぞ神慮によることと畏みこれを
機会に神社の改修を計画し氏子一同の参画多数有志の浄財をも加へて社殿社務所を
改築し末社参道鳥居の修復更に境内の整備を行ひ此の度総てを竣成した依って碑を
建て時の流れと経緯を記し関係者一同の芳名を刻んで永く記念とするものである
   昭和四十九年一月吉日
     埼玉県神社庁長武蔵一宮氷川神社宮司 東角井光臣 題撰並書』
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 末社群。
 左端の石祠には○の中に金の文字が彫られており、また荒川の近くでもあることから見て、金刀比羅宮だろうか。右の石祠三基は不明。
 末社殿には左から熊野神社、浅間神社、東照宮、天照宮、八坂神社、天神神社、雷電神社、稲荷神社、山之神社、榛名神社。
 フカペディアによれば、景行天皇二十六年に武内宿禰が東国に派遣され、各地の視察をしていた折に荒川の増水により数日滞在を余儀なくされ、その時に里人に様々な教えを与えたり熊野社を祀らせたり松を植えさせたりしたと伝えられているのだそうだ。
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 末社かと思ったら、納札社殿と書かれていた。

菅沼天神社(菅沼)

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 川本天神グラウンドの北側に鎮座する菅沼天神社(深谷市菅沼480)。
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 かわもと郷土かるた。
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「的場の儀」案内板。
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 案内板の隣に神牛。
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 鳥居。
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 拝殿。
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 額などが無かったので社名がわからなかったが、すぐ後ろには昭和五年二月二十五日に建てられた三峯神社改築記念碑があるので、おそらく三峯神社であるのだろう。
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 神社の目の前には菅沼沈砂池。
 今更になって、沈砂池側から天神社の写真を撮れば良かったなと思ったが後の祭り。

八幡神社(川本明戸)

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 秩父鉄道明戸駅の南東250m程、瀬山八幡神社からは南西730m程の位置に鎮座する明戸八幡神社(深谷市川本明戸113)。
 社殿裏が駐車場になっている。
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 鳥居のそばには砲弾型の皇軍戦捷記念碑と土地の奉納碑が建てられており、奉納碑には「境内一畝十歩 昭和十五年三月十六日 當所 瀬山福太郎」と刻まれている。
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 拝殿。
 鬼瓦には並び矢羽紋と宝珠紋が見える。稲荷神社が合祀されているのだろうか。
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 天神社。
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 塞神、水神、塞神。

 2015年9月6日追記。
「埼玉の神社 大里 北葛飾 比企」によると、こちらの八幡神社は稲荷神社と神明神社を合祀しているそうだ。

八幡神社(瀬山)

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 真言宗豊山派少間山観音院龍泉寺前を東西に走る国道140号彩甲斐街道を渡って南へ少し向かうと、瀬山集会所の北隣に八幡神社(深谷市瀬山398)が鎮座している。
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 かわもと郷土かるた。
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 稲荷社。
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 拝殿。
 大棟には丸に並び矢羽根紋が見える。
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 神明社。
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『社殿改築記念之碑
八幡神社は当地の鎮守として古代より御神徳高く氏子の
崇敬日に篤きを加えたが拝殿の茅葺屋根は幾星霜の経過
と共に腐朽の著しいものがあつた偶然昭和四十一年九月
二十六日襲来の未曾有の台風によつて倒伏した数十本の
社木は本殿及び拝殿を無惨にも破壊した敬神の念の厚い
氏子一同は相謀りて本殿の修復並に拝殿の瓦葺入母屋作
り改築を決議して其の実行計画を樹立し基金五十万円社
木二百余石の代金百二十八万円及び氏子応分の奉賛金七
十五万円と社木二百五十石とを使用して昭和四十三年七
月起工し同年十月めでたく竣工した
本年は明治維新百年に当る記念すべき意義深い年である
この時に社殿の改築並に神域の整備の完成したことは氏
子各位の伝統的精神と崇高な敬神の誠意の顕現として誠
に慶賀に堪えない茲に氏子並に関係各位の絶大な御援助
御協力に対して衷心から感謝の意を表し併せて其の大要
を叙し後世に伝える
   昭和四十三年十月十一日
     埼玉県神社氏子総代会長勲二等石坂養平題額
     八幡神社社殿改築委員長藤野要次郎撰並書』

八幡神社(武蔵野)

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 武蔵野自治会館の隣、埼玉県道175号小前田児玉線に面して鎮座する八幡神社(深谷市武蔵野1862)。
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『武藏野神社碑
               埼玉縣知事從四位勲三等齋藤守圀篆額
抑至誠以敬神祇祭神祇即我國古來美風而其義可固謂深遠也埼玉縣大里郡花園村大
字武藏野之郷自古奉祀神祇焉在字中宿村社曰八幡大神社字宮地村社曰十二社大神
社字東宿地曰大荒神社字正法寺曰諏訪大神社字善道寺曰稻荷大神社字十二所曰稻
荷神社字下宿曰稻荷神社字東林曰山神社字上宿曰道祖神社八幡大神社境内有五社
稱八坂大神社稱琴平大神社天手長男神社伊奈利大神社淺間神社十二社大神社境内
有三社八幡大神社八坂大神社天手長男神社即是也而諸神之肇也蓋莫知其原然居是
者自父祖遡曾高而上皆尊奉而禋祠焉不敢廢也然今也世移時變一郷欲克彰崇敬之實
所須不盡其施設整善之途也會官布合祀令諭以神事不可忽焉於是氏子信徒等胥謀乃
得允許明治四十一年九月二十二日擧大荒神社而下六社配祀諸八幡大神社翌年三月
稔七月二十日協心戮力篤竭享祭之禮致敬神之誠矣社域肅穆人心更安神乃益靈矣神
明庇護長福予斯二弗復容疑也項者欲建合祀之碑來諸記於予因敍梗概如此
 大正十四年十月二十日
                   埼玉縣囑託肥塚泰造撰辡書』
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 拝殿。
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 額に記された八幡大神の文字の脇には正三位犬養毅謹書ともある。
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 狛犬。
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 末社殿。この裏が駐車場になっている。
 左から秋葉神社、蚕影神社、琴平神社、稲荷神社・山神社、八坂神社、天手長男神社、伊奈利神社、浅間神社、道祖神社、諏訪神社・古峰神社、大荒神社。
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 天神宮と辨財天。
 天神宮の後ろにも石祠があるが、何神社なのかは不明。
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 仙元大日神。
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 社殿裏から。

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 八幡神社裏側の道を100m程北に行った突き当りのT字路脇に鎮座する冨士浅間大神

諏訪神社(小前田)

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 秩父鉄道小前田駅の200m程西南に鎮座する諏訪神社(深谷市小前田1)。
 鳥居の柱には大正六年四月建立と刻まれている。
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 参道。
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 拝殿。
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 賽銭箱の上に設置された由緒書き。
 永禄五年(1562)に長谷部兵庫吉長によって当地に遷されたと記されているが、では創建はいつなのかと検索をかけてみたら、応和年間(961~964)に奥羽地方より移住してきた住人達によって現在の寄居町立桜沢小学校の辺りに塚を築いて諏訪神社を祀ったのが始まりで、その後、文明年間(1469~87)に花園城主藤田掃部左衛門氏行が信州の諏訪大社より正一位南宮法性大明神の分霊を勧請して社殿を建立したとのこと。ところで藤田掃部左衛門の名が氏行だったり氏家だったりするのだが、どっちだ? 昔の武将はわりとちょくちょく名前が変わってたりするから、どっちでもいのかな。
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 狛犬。
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 向拝虹梁に施された彫刻。
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 こちらはなんだろう?
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 海老虹梁の……鷹かな。
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 本殿。
 本殿にも彫刻が施されているのだが、保護の為に金網が巡らされていてよく見えない。
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 蚕影神社。
 扁額には■(「神」の下に「虫」)影神社と記されていたり、案内書きには繭影神社と書かれていたり、なんだか名前が安定しないけど読み方は同じ「こかげじんじゃ」。
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 和魂神社と八坂神社・琴平神社。
 和魂神社(にぎみたまじんじゃ)では小前田地区の戦没者を祀っているのだそうだ。
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 浅間神社と天手長男神社。
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 久那斗神・八衢比古神・八衢比賣神と釜山神社。
 案内書きには釜山神社はここから南西に8km程離れた釜伏峠にあり、嘗てそこにあった関所の主である新田氏や大口真神を祀ったものだと記されている。新田氏に縁のある人がこちらに移り住んだ際に勧請したものなのだろうか?
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 白山神社。
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 神明神社と春日神社。
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 その裏手にも祠が並んでいるが、何神社なのかは不明。

豊栄神社(黒田)

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 彩甲斐街道と秩父往還の交わる黒田交差点から南東500m程の位置に鎮座する豊栄神社(深谷市黒田1497)。
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 拝殿。
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 狛犬。
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『合祀記念
        熊谷中學校教諭秀奄田島榮七篆額
本村社 豐榮神社は其の起原を詳にせすと雖も古くより 赤口社 聖天社と稱し當地の鎮守として字赤口(俗に元社地と称し赤口の池の北にあり明治九年検地の際字上南原に編入せらる)にあり氏子の索敵する所なりしか傳へ曰ふ豐臣氏の鉢形城を攻むるに方り兵燹に罹りしを以て此の地に遷し奉りしものなりを明治維新の後 赤口神社(祭神を埴山姫命とす) 二柱神社(祭神を伊邪那岐命伊邪那美命の二神とす)を改稱し氏子を合同して村社となせり其の後明治三十九年十二月 勅令に遵ひ 神意を承けて兩社を合せ 豐榮神社と改め奉り氏子の協議に由りて拜殿を新築したり同時に從來各所に散在せし無格社 神明大神(撞賢木厳之御魂天疎向津比賣神) 地神社(埴山姫命) 養蠺神社(宇氣母智神) 磯崎大神(大名牟遅神 少彦毘古那神)を合せて 瑞穂神社とし 八坂神社(建速須佐之男命) 淺間大神(木花佐久夜姫神) 愛宕神社(火産霊神)を合せて 荒御霊神社と改め境内に遷して奉祀することとな■■後の記念のために經歴の大要を述すと云爾
 明治四十一年八月需に應して奈良吉三郎謹誌』

 撞賢木厳之御魂天疎向津比賣神(つきさかきいつみたまあまさかるむかつひめ)とは天照大神の荒御魂のことで、瀬織津姫命とも同一視される神である。
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 町指定無形文化財である黒田のささら獅子舞案内板。
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 獅子頭新調記念碑。
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 末社殿。
 左から荒御霊神社、戸隠神社、瑞穂神社。
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 鳥居脇に神輿庫。

八幡神社(永田)

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 浅間神社の500m程西に鎮座する八幡神社(深谷市永田664)。
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『合祀記念
     官幣大社氷川神社宮司従六位足立 達篆額
夫敬神崇祀者我國為自上世之美風也恭■  列聖尊崇神祇修類禋★禮行望秩
★典以為政教之其源焉然而中世以降異端邪説誣世惑人遂至叓斯美風漸衰于上
而微于下也豈可勝慨嘆虖天運順環明治維新大正★後昭和之世制度革進百叓燦
然而最敬神★儀崇祀★道上下大起所謂類于上帝▼于六宗望于山川偏于群神者
踰越子上世矣於戯復盛矣哉埼玉縣大里郡花園村永田之里奉祀神祇者四曰天神
稲荷社在天神前曰愛宕神社曰嚴島神社在西上皆無格社也曰八幡社在宮林是為
村社也明治四十一年二月奉遷前三社於其境域唯袷稲荷社于境内蠺影神社更四
十三年五月亦合祀大字北根村社稲荷神社于八幡社尚有無格社曰八坂大神社曰
琴平社移祀於其域内今茲三月改稱社號曰八幡大神社皆悉所得官允也既修社殿
完整設△饌幣★公薦礿禘之禮典嘗烝★儀弍頗極荘嚴稜威赫奕照輝四方云昰蓋
可謂因郷民一致▽心戮力厚敬神★儀而盡崇祀★道者也嗟嘑本村之美風既如斯
矣而春祈秋報不敢為怠即天佑神助國運之隆昌郷黨之繁榮不期而所知耳豈可不
慶賀乎頃者村民胥議欲樹合祀記念碑以傳于後也祀職長谷部直記君曾嘱攵余更
復使氏子惣代齎簡而来余怘襪線懵乎史實然與君同職交誼不淺曷得辭焉弗顧陋
文乃叙梗㮣以塞其責云旹昭和四年龍集己巳春四月初旬
       郷社吉見神社社司勲七等須永富夫謹譔敬書』
■=「隹」の下に「心」
★=F.E.M.C.のマークを逆さにしたような形。「出」の異体字だろうか。
▼=偏に「ネ」、旁は「囱」の下に「土」
△=偏に「イ」、旁は「夊」の下に「女」
▽=偏に「日」、旁に「十」。「協」の異体字だろうか。
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 拝殿。
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 神楽殿。
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 神代神楽の案内板。
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 和霊神社。
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 厳島神社。
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 末社殿。左から愛宕神社、天満天神社、稲荷・蚕影神社、八坂大神社、古峯神社。
 少し離れて右にある祠は琴平神社。
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 遠景。
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 参道入口脇に建てられた石燈籠。

浅間神社(永田)

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 秩父鉄道永田駅の北西500m程の位置に鎮座する浅間神社(深谷市永田)。
 正面の石段は張り出しが少なく、かろうじて爪先が引っ掛かる程度。塚の上に上るのなら左側から。
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 庚申塔。
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下田稲荷神社(永田)

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 台山稲荷神社の350m程南に鎮座する下田稲荷神社(深谷市永田)。
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台山稲荷神社(北根)

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 国道140号線彩甲斐街道の脇、セブンイレブン深谷北根店の南側に鎮座する台山稲荷神社(深谷市北根)。
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 お狐さま。
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天満天神宮(境)

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 境ふれあいセンターの敷地端に鎮座する天満天神宮(深谷市境227)。
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甲子大黒天(境)

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 セブンイレブン深谷境店の東350m程の道端に鎮座する甲子大黒天(深谷市境)。
 駐車場は無いので道端に停めて素早く参拝。

 改築記念碑の裏には以下の文が刻まれている。
『古来当字は敬神の念いよいよ篤く常に神佛の信仰に意を注ぎ来りしは我が里人の美風たり殊に当大竹廓は熊谷宿より八幡に通ず鎌倉街道に面し旅人の往来繁きが故に農耕文化の早くより開けし処なり其の農耕の神たる甲子大黒天神を奉祀し来るものなり然るに其の社祠永年の風塵に損傷甚だなりし時恰も土地改良事業施行に当り里人相謀りて御祠の改築移転を見るに至れり依って石文を刻み後昆に伝へんと卜す
 昭和四十七年壬子年四月甲子
  玉津島神社宮司
       宮本忠雄撰文』

 先週参拝した大黒橋傍の大黒天はここから北西に1km程。他にもあったりするのかな。

荒川神社(荒川)

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 国道140号線秩父往還道と埼玉県道296号菅谷寄居線、埼玉県道86号花園本庄線が接続する荒川交差点の南東170m程、高野山真言宗荒澤山寿楽院の東隣に鎮座する荒川神社(深谷市荒川985)。
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 鳥居。
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 合祀遷座記念碑。
『荒川神社ノ記
埼玉縣大里郡花園村大字荒川ニ古來鎮座ノ神祇
其数村社二無格社五曰ク字大明神村社大明神社
境内琴平神社曰ク字稻荷林村社伊奈利大神社境
内天手長男神社曰ク字下宿無格社八坂大神社曰
ク字南大塚無格社山之神社曰ク字鉄糞無格社淺
間大神社曰ク字川端無格社伊奈利大神社同天満
天神社トス
曩ニ官合祀ノ令ヲ布キ諭スニ神事ノ忽セニスヘ
カラサルヲ以テス即チ氏子崇敬者相議シ村社大
明神社村社伊奈利大神社ヲ無格社天満天神社境
内ヘ移轉合祀シ天満天神社ヲ境内神社トシ社号
ヲ村社荒川神社ト號シ本殿拜殿社務所ヲ建設シ
明治四十一年四月四日遷座式ヲ擧ゲラレタリ大
正四年御大禮奉祝ノ為メ記念事業トシテ境内外
ノ設備ヲ完整センカ為メ同年九月二日官ノ允許
ヲ得テ更ニ中央ノ位置字寺ノ脇二反八畝二十七
歩ヲ撰定シ境内ト為シ之ニ移轉シ無格社伊奈利
大神社同天満天神社ヲ村社ノ本殿ヘ淺間神社ヲ
山之神社本殿ヘ境内神社タリシ琴平神社天手長
男神社ヲ八坂大神社本殿ヘ合祀移轉シ何レモ境
内神社ト為シ大正六年四月七日遷座式ヲ擧行セ
リ而シテ土地八反九畝余歩資金八百余圓ヲ造成
シ基本財産ト為シ明治四十二年九月氏子百二十
余戸ヲ以テ組合ヲ組織シ村社荒川神社初穂組合
ヲ設定セリ明治四十一年七月一日神饌幣帛料供
進神社ニ掯定セラル同四十年三月陸軍大臣ヨリ
明治三十七八年戰役戰利兵噐ヲ奉納セラル爾来
神威益々荘厳ヲ添ヘ郷黨ノ繁榮愈々加ハリ衆庶
始テ寧シ今回合祀碑ヲ建テ後世ニ傳ヘントス余
ニ文ヲ嘱ス余亦氏子諸子ノ敬神ノ篤キニ感シ終
始ヲ略綜シ記ト為スト云爾
 大正七年十二月
      縣社高城神社社司福井守賀謹誌』
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 拝殿。
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 狛犬。
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 八坂神社。
 フカペディアの荒川神社の項を見ると、主祭神である素盞嗚尊の他に大物主命と櫛明玉命が配祀されているようだ。
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 山ノ神社。
 大山祇命の他に木花咲耶姫命が配祀されているそうだ。 山ノ神社と書かれた額の横には、冨士浅間神社三十三社拝礼や高山八社拝礼と書かれた板も打ち付けられている。
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 庚申塔。

 以上で7月19日参拝分終了。
 帰宅する途中に甲子大黒天にもお参りしておこうと思ったのだが、丁度祭礼が行われているところだったので、今回はパス。
 使用機材はK-5IIsにDA15mm、DA20-40mm、DA70mm、50-150mm II。X30。

足髙神社(武蔵野)

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 桑名野神社の南西850m程の位置に鎮座する足髙神社(深谷市武蔵野3283)。
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 八坂社脇の掲示板に貼られていた由緒書き。
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 八坂神社。
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 拝殿。
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 狛犬。
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 本殿裏手側に天手長男神社と天神社。
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 浅間大神、山神社、不明。
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 稲荷神社。
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 お狐さま。
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 稲荷社と塞神宮の間に弎㠀大神と仙元大神。ちなみに弎㠀は三島。
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 塞神宮。
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 地神碑と浅間大神。
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 御嶽三神。
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 辨財天x2。

桑名野神社(大谷)

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 熊野神社の南西570m程の位置に鎮座する桑名野神社(深谷市大谷)。
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『碑誌
大字大谷ニ桑名神社ト桑野神社ト称スル二社座セルヲ昭和二十四年四月十五日合社シテ桑名野神社ト改名シ奉リ境内社トシテ天手長男神社琴平神社八坂神社大國主神社嚴嶋神社淺間神社地神社七社ヲ奉斎ス尚本殿拜殿上屋神樂殿水舎等改築及社號標ヲ建設シ奉崇拝ノ記念トナス
 昭和二十七年十二月』

 こちらには記されていないが、主祭神は倉稲魂命であるそうだ。
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 拝殿。
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 斜めから。
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 神楽殿。
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 末社の鳥居。
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 左奥から冨士浅間神社、天手長男神社、琴平大神社、不明、地神碑、不明、大黒天、不明、辨才天、不明、大日神。
 琴平社の隣の石祠は八坂社だろうか。また、大黒様と弁天様を挟んでいるきのこっぽい形のものは石燈籠のようなものだと思うのだが、んー。

 参詣した時には気付かなかったのだが、ここから100m程南西に諏訪社があるようだ。やはりこちらもあとでお参りしておこう。

熊野神社(大谷)

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 稲荷神社から南西におよそ550m程の位置に鎮座する熊野神社(深谷市大谷)……と思いきや、
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 扁額には蠺影神社と書かれている。あっるぇぇ~?
 ねじれて干乾びた木が、まるで大注連縄のようだ。
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 どうやら、社務所兼集会所かと思っていたこちらが熊野神社であるようだ。と言うか、中に祠が置かれているのだろうな。

稲荷神社(大谷)

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 大谷第四自治会館脇に鎮座する稲荷神社(深谷市大谷1666-1)。
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 一の鳥居左側に花魂大神。
 背面には「大谷第四花卉組合有志」「昭和五十四年四月八日 初供養」と刻まれているので、草花の供養の為に建てられたものであるようだ。
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 七の鳥居の両脇にお狐さま。
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 拝殿。

大黒天(境)

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 玉津島神社前の道を西へ770m程向かうと、櫛引排水路に架かる大黒橋の傍に大黒天(深谷市境)が祀られている。
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 大黒天。
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玉津島神社(境)

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 折之口八幡神社前の道を西へ1km程向かった所に鎮座している玉津島神社(深谷市境81-2)。
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『玉津島神社
 社名「玉津島」は、県域では珍しくその本社たるべき社は和歌山県和歌山市和歌浦町に鎮座する。衣通姫命が祀られている。
 創建は明らかにできないが、別当を努めた真言宗不動山明王院大聖寺を開山した実裕が寛永九年(1632)に入寂していることから、既にこのころには当社も祀られていたと思われる。
 当社は境の鎮守としてはもちろん、安産の神として古くから信仰されていて、祈願成就の証として柄杓を奉納する風習がある。
 境内にある境内神社は
  天手長男神社 道祖神社
  八坂神社   御嶽神社』
 衣通姫命の横に「いておりひめ」とルビが振られているが、正しくは「そとおりひめ」である。いとおり、ならまだ読み間違えかなとも思えるが、何故いておりなんだ。
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 鳥居。
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 拝殿。
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 斜めから。
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 境内社。
 左の石祠は天王宮(八坂神社)。中央と右の祠は社名を記したものが見当たらなかったのでわからなかったのだが、ググってみたところ、中央の赤い屋根の祠が道祖神社で右の祠が蚕影神社であるようだ。
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 しかしどちらの中にも二つの祠があり、どれがなにやら。
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 御嶽塚。
 塚の頂には御嶽山國常立尊・八海山國狭槌尊・三笠山豊斟渟尊の木曽御嶽三神碑と摩利支尊天碑が建てられている。
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 天手長男神社。

 参詣した時には気付かなかったのだが、ここから200m程西にある境ふれあいセンター敷地の端に天満天神宮が祀られているようだ。ちなみに玉津島神社の境内にあるのは境第二ふれあいセンター。
 また後で行ってみることにしよう。

八幡神社(折之口)

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 折之口ふれあい公園脇に鎮座する八幡神社(深谷市折之口148)。
 鳥居の柱には宝暦十年庚辰三月吉祥日と刻まれているので、1760年の造立。
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 二の鳥居。
 石額には稲荷大明神と刻まれている。
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 拝殿。
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 末社殿。
 三社が祀られているが、それぞれ何神社なのかは不明。
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 拝殿脇の末社。やはり何神社なのかは不明。
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 表忠碑。
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 合祀記念碑。
 裏側に合祀の経緯を記した碑文が刻まれているが、枝やら蜘蛛の巣やらで近寄り難い。神社の創建年代や由緒などは記されておらず、とりあえず八幡神社と春日神社、稲荷神社、八柱神社、稲荷神社の五社が合祀されていることはわかった。
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 合祀社殿、と呼べばいいのかな。
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 合祀されている四社の社殿。
 おそらく左奥から春日神社、稲荷神社、八柱神社、稲荷神社。
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 鹿の彫刻があるので、こちらはおそらく春日神社。
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 稲荷大明神と刻まれた石額が置かれているので、稲荷神社で間違い無いだろう。
IMGS9887s.jpgIMGS9886s_2015072201001970e.jpg
 側面には凝った彫刻が施されている。
IMGS9882s.jpgIMGS9880s_20150722010058bf7.jpg
 八柱神社と稲荷神社。
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赤観音(長在家)

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 道の駅かわもとの南約150m程の位置に鎮座する赤観音(深谷市長在家)。
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『長在家、下原の赤観音は、安産、養蚕の仏として信仰されていました、養蚕の盛んなころは大勢の参拝者で賑いました。
 また、この赤観音には、大蛇(龍)がお腹の大きい女の人に姿を変えて安産を祈願した話など多くの伝説が残されています』
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 獅子型の留蓋瓦。
 観音堂の大棟の上には三つの鳩を象った瓦も見えた。

稲荷神社(長在家)

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 秩父鉄道武川駅の北東約700m、道の駅かわもとの南約600m程の位置に鎮座する稲荷神社(深谷市長在家204-1)。
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『深谷市指定有形民俗文化財
 石臼参道(いしうすさんどう)
      昭和五十三年八月三十日指定
 昔、小麦や豆などの穀物を粉にするには石臼を使っていた。いつのころからか、要らなくなった石臼を、村人が神社へ納めた。この石臼を境内参道の敷石にしたもので、約三五○個ほど並べられてある。この様な例はあまり無く貴重なものである。
 稲荷神社の三月の例祭では「豆腐まつり」と言い、各家庭で豆腐を作って奉納したものである。その大豆も、ここに奉納された石臼で碾いたものであろう。
 境内には、文久元年(1861)に田島金岳ほか一三人で建てた「春の夜や籠り人ゆかし堂の隅」の芭蕉の句碑がある』
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 参道と拝殿。
 参道を広く収める為に斜め構図にしてみたが、もう少し下から狙えば良かったかな。
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 アップで。
IMGS9765s.jpgIMGS9763s_20150721195756479.jpg
 お狐さま。
 台座には「喜寿記念」「兄 小川金五郎 当七十七才」「弟 小川浅治郎 当六十八才 大正十年七月七日 真巻八十二書」「奥州白河 彫刻師 大竹音松」などと刻まれている。喜寿記念だから七月七日に奉納されたのだろうか。それと、真巻八十二書ってなんだろう?
IMGS9826s.jpgIMGS9827s_20150721195754f4c.jpg
 お狐さま二号。
 いや、台座には明治四拾年吉祥日と刻まれているから、こちらが一号かな。伊勢参宮記念に奉納されたもののようだ。
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 向拝虹梁に施された彫刻。鳳凰の奥や龍の下にも狐の姿が見える。
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 社殿斜めから。
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 拝殿西側の獅子山……じゃないな。狐山? に一対のお狐さま。
 先代様なのだろうか? 特に破損らしい破損も見えないけれど。
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IMGS9751s.jpgIMGS9752s.jpg
 末社。
 左の三つは仙元宮、冨士浅間社木蕐開耶姫命、小御嶽太神。右の石祠二基は不明。
IMGS9755s_201507212059193af.jpgIMGS9756s.jpg
 飛房大神と子大権現。
 飛房大神ってなんだろう? と思い検索してみたら、群馬県富岡市中沢にある鳥総神社が飛房(とびふさ)大明神とも呼ばれていたとのことなので、それなのかも。ちなみに鳥総神社の御祭神は市杵島姫命であるそうだ。
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 鳥居向い側の道端に建てられた石燈籠。
 慶應二丙寅年如月吉祥日と刻まれているので1866年のものだが、なぜこんな所に。

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 稲荷神社の東40m程の場所に武川村招魂社。
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 招魂社の前、用水路のそばに鎮座する石祠。
 側面には「辨財天 馬場檢校 昭和四十九年十月吉日再建」とある。

吉岡家大神宮(血洗島)

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 埼玉県道45号線血洗島交差点よりやや西側の道端に鎮座する大神宮。
 社号を記した物が全く見当たらなかったので何神社なのか判らなかったのだが、ググってみたら深谷市議である吉岡信彦氏のブログにこちらの記述を発見。そちらには吉岡家大神宮と書かれており、また常夜燈に「吉岡小兵衛 建之」と記されていたので、吉岡氏の御先祖様が建立された神社であるようだ。祠と鳥居には「大正八年九月建之」とあるのでおよそ92年ほど前か。
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 少し離れて。
 右奥に見える森は諏訪神社

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 諏訪神社前の道を県道45号線に向かって南下して行くと、道端に猿田彦大神碑と庚申塔(三申)。
 吉岡家大神宮とは関係無い上に諏訪神社の方が近いのだが、態々エントリーを立てるほどでもないので一緒に記録しておこう。


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 以上で6月19日参拝分終了。
 今回使用したのはK-7にDA18-55mm WRとIXY Digital 400。DA18-55mm WRは便利なレンズだけど、やっぱりいろいろなー、うーん…。

山崎天神社(山崎)

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 宮西公園からまっすぐ南下し、大通りに出たら東へ向かって和倉橋を越えたらしばらくすると右手側に山崎天神社が見えて来る。が、駐車場が無いので路肩に駐車。
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 真言宗智山派天神山薬王寺地蔵院。
 御本尊は薬師如来だが、地蔵菩薩と観世音菩薩もお祀りしているようだ。
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 鳥居。
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 振り返ると遙拝所。
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 拝殿右手側に地神碑。
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 拝殿。
 由緒等は不明。
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 富士塚…かな。
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 塚の頂には仙元大日神。
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 その隣に石祠二基。
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 庚申塔。右奥に見えるのは青面金剛。
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 末社殿。
 天照皇大神と稲荷神社、諏訪神社、三社権現社が祀られている。ググってみた結果、この三社権現とは伊弉諾尊・事解男命・速玉男命のことであるそうだ。
 また、他に雷電社と辨天社も合祀されているそうなので、奥に見える石祠二基がそれであるのかも知れない。


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佐類田彦大神(榛沢)

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 宮西公園の端に佐類田彦大神を祀る祠が鎮座している。公園の案内図には庚申様と書かれており、佐類田彦大神とは猿田彦大神のことだろう。
 左側には湯殿山・月山・羽黒山供養塔と道路改修記念碑、揚水池設置記念碑。
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 岡部町西部工業団地造成に伴い、平成九年三月にこちらに移転してきたものであるようだ。
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 県道352号線を見つめる蛙の石像。…で、これなにか意味あるのかな?


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舟附稲荷神社(榛沢)

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 大寄八幡大神社東側の道を北へ向かって歩いて行くと、やがて東側に舟附稲荷神社が見えて来る。
 検索をかけても詳細は出て来なかったが、舟附稲荷と言う名前であり、北に小山川、東に志戸川が流れていることから、舟運の守り神として建てられたのではないかと推測。もしかしたら近くに舟附場があったのかも知れない。
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