箭弓稲荷神社(箭弓町二丁目)

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 再び南下して、箭弓稲荷神社へ。
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 二の鳥居。
 写真では雨が降っているが、自分が到着した9時半頃ではまだ晴れていた。

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八雲神社(野田)

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 時間に余裕があったので、道を戻って野田と松山の境に鎮座する八雲神社へ。
 滑川と市野川に挟まれたこの場所なら、同じ素盞嗚尊を祀る神社でも祇園系の八雲神社より水神としての性格も持つ氷川神社の方がありえそうなのだが、なぜ八雲神社なのだろう。
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 拝殿。

子育浅間神社(上野本)

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 氷川神社の東200m程の位置に鎮座する子育浅間神社。
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 左から八幡大神、馬頭観世音、青面金剛尊、石祠×2。稲荷神社かな?
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 突き当たりに社殿。
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 浅間神社の拝殿と末社の稲荷神社。

氷川神社(上野本)

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 県道66号線を更に南下し、上野本交差点で国道254号線を西へ。上野本西交差点手前の横断歩道橋で右折すると、すぐに氷川神社。
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『金谷もちつき踊り 県指定民族文化財
 大字上野本の氷川神社の秋の祭りに、五穀豊穣を祈願して奉納されます。
 伝承によれば、平安時代に坂上田村麿が蝦夷征討の折この地を通り、岩殿山に住む悪竜を退治し、村人を救ったことから始まったとされています。村人は喜びのあまり踊りながら餅をつき、坂上田村麿をもてなしました。
 その後、毎年の祝とともに技巧が加わり、今日のような「もちつき踊り」になったと伝えられています。
 踊りは大杵による曲づき(片かむりづき・両かむりづき・よろけづき等)と小杵による曲づき(にらめづき・けこみづき・十文字づき等)があります。
 氷川神社の祭典は春が四月十七日、秋が十一月二十九日ですが、踊りの奉納は十一月二十三日の勤労感謝の日のみとなっています』
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 拝殿。
 拝殿手前右手側に再建記念碑が二つ並んでおり、片方は逆光となり碑文は読み取り難かったが、もう片方は順光だったので普通に読み取れた。それによると、昭和四十四年暮に境外地を売却し、そうして得た資金に氏子からの寄付金と東松山市からの公会堂建設補助金を合わせて再建に着工し、翌四十五年十一月二十九日竣工したとのこと。
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 末社群。
 右から二番目は山神社。あとは不明だが、左奥から二番目は梅鉢紋が刻まれていたので、おそらく天神社ではないだろうか。

七鬼神社(若松町一丁目)

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 66号線を南下して行くと、若松町一丁目交差点脇に七鬼神社が鎮座している。
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 鳥居。
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 七鬼神社と言うごつくて珍しい名前の神社だが、ググってみても詳細は不明。ヤクジンさまとも呼ばれ、8月18日が例祭であるようだ。ヤクジンさまと言うのは疫神なのか薬神なのか。まぁ、前者だろうな。しかし、鎮座している場所が五叉路の脇であることを考えると、疫神と言うよりもそれらを防ぐ塞の神なのではないかと言う気もする。
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 本殿。屋根のとがり具合が鬼の角のようにも思える。
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神明神社(神明町一丁目)

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 地図で見た感じ、車で入るのは無理そうだと思い御茶山自治会館前に車を停めて歩いて行ったのだが、民家前の参道らしきものは予想以上に細く、人一人分ほどの道幅しかなかった。
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二尾稲荷神社(神明町一丁目)

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 東松山医師会病院の南側、新明町自治会館の西に鎮座する二尾稲荷神社。
 自治会館前の道は一方通行なので、県道66号線側からしか入れない。
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 金属製の鳥居。
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 参道は短い。
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歓喜天(本町一丁目)

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 66号線沿いに南下し、小池商店と中勉商店の間の西側に伸びた細い道を入って行くと、柵が張られていて行き止まりになっているが、その先に歓喜天社が見える。
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 柵越しに撮影し、更にトリミングをして中央拡大。

八雲神社(本町一丁目)

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 上沼公園の東側、埼玉県道66号行田東松山線の脇に八雲神社が鎮座している。
 鳥居は、この辺りではあまり見かけない中山鳥居。そう言えば、明善谷沼傍の八雲神社も中山鳥居だったか。
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『八雲神社 市指定文化財
 社殿は、間口二・六m、奥行三・六m単層切妻で正面軒は唐破風となり、その下に千鳥破風がおいてあります。社殿は切妻の面もすべて彫刻で飾られています。正面は花鳥及竜と唐獅子・左側は神功皇后新羅征伐凱旋の場、右側は須佐之男命大蛇退治の場、背面は天照大神の天岩戸の場が刻まれています。
 他の神社の彫刻と異なり、伝統的なものに取材し、豊かな民族的色彩を有する特色をもっています。
 昭和三十三年一月 境内より左記の銘文が発見されました。
   惟時安政六年四月奉再勧進請者也
   法主祈願現住権律師亮覚敬白
   祇園牛頭天王
 この彫刻は安政六(一八五九)年四月の再勧進請のときに製作されたもので、彫工飯田仙之助が三人の弟子に技を競わせたものといわれています』

 …で、こちらの神社の由緒は? と言うことで、いつもの如くGoogle先生に訊いてみると、創建時期などは判らなかったが、こちらの八雲神社は松山神社の末社であり、7月の第4土曜日に例大祭が行なわれると言うことは判った。
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 正面から。
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 66号線側から。こちらの面は須佐之男命の大蛇退治か。
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 神庫。

日吉神社(日吉町)

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 松山神社前から北へ歩いて行くと、上沼公園交差点の手前に日吉神社が鎮座している。わりと控えめな佇まいで、鳥居よりも日吉神社駐車場入口の看板の方が目立っているくらいだ。
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『日吉神社御由緒
 祭神 大国主命
     大山咋命
 創建 江戸時代文化十五年二月(一八一八年)近江国日吉山に鎮座する地主神・安産子育て・家内安全・学業成就の守護神日吉山王大権現を当地に勧請、社殿を建立する。
 ※ 日吉町の地名はここより始まる。
  明治四三年九月 社殿・再建
  平成二年十二月 社殿・類焼
  平成三年 九月 再建・遷座
 祭典日
  元旦祭
  春季例大祭 四月初旬
  秋季例大祭 九月 第一土曜日
 ※ 神社の呼称を日枝から日吉に改める。
  平成一九年九月吉日』
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 鳥居をくぐると、左手側に辨財天。
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 再建記念碑にも由緒が刻まれている。
『御由緒
 当社の御祭神は大山咋命である。
 文化十五年二月近江国日吉山に鎮座まします安産・子育の守護神日吉山王大権現を当地に勧請し社殿を創建す。
 その後、明治四十三年九月社殿を再建す。
 平成二年十二月十一日社殿類焼し灰燼に帰し、直ちに氏子・崇敬者再建に着手す。
 平成三年九月吉日竣工遷座奉祝す』
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 拝殿。
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 額には日枝大神と浮き彫りにされている。
 由緒書きにも「神社の呼称を日枝から日吉に改める」と書かれているので、古くは日枝神社と称していたのだろう…って、おや? 神社の創建が日吉町の町名の由来のように書かれていたが、日枝神社と称していた頃でも日吉町だったのだろうか?

松山神社(日吉町)

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 東松山市役所の脇から不動横丁へと回り、上沼公園方面へ走って行くと松山神社の看板が見えて来るのでそちらへ入り、神社南側の神庫前に駐車。
 鳥居があるのは神社南東側なので、一旦出てから入り直し。
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 参道右手側に社務所。
 …あぁ、こっちに車を置けば良かったのか。鳥居前からも入れるようになっているのだし。
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 参道。
 右手側には民家もあったりする。
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 歌碑のような、違うような。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
 由緒書きなどは見当たらなかったので、いつもの如くGoogle先生に伺ってみると、こちらは康平六(一○六三)年に氷川神社として創建され、寛永元(一六二四)年に熊野神社を合祀。明治十六(一八八三)年四月、社号を氷川神社熊野神社から松山神社に改称したとあり、御祭神は伊邪那美命とのことだが、元が氷川神社なら素盞嗚尊・奇稲田姫命・大己貴命も祀られているのではないだろうか?
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 本殿。
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 境内社の大鳥神社。
 拝殿の柱には大鳥神社の他に浅間神社の名も記されており、二社が合祀されているのだろうか。
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 手前の額には鷲宮大明神、奥の額には大鳥神社と記されている。
 こちらも由緒書きは見当たらなかったが、東松山観光協会に記述がある。それによると松山神社の末社として享和元(一八○一)年九月に再建されたとあるが、創建はそれよりも古いと言うことになるのだろう。また、毎年12月15日に酉の市が行なわれているそうだ。
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 神楽殿。
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氷川神社(松山町三丁目)

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 市ノ川の氷川神社前を南東へ走り、県道47号深谷東松山線に合流したら西へ。サンクス前を北東へ入ると車一台がギリギリ通れる程の幅の道を抜けると松山町三丁目の氷川神社前に出る。神社の隣に松山町公会堂があるので、そちらに車を停めることができる。
 ちなみに、市ノ川の氷川神社前を南西に走って行った方が早かったのだよね○刀乙
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 左から愛宕神社、氷川神社、倉庫。
 倉庫前には氷川神社新築記念碑が建てられており、平成二年七月十五日とあった。が、由緒などは記されていなかった。残念。
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 愛宕大権現像。勝軍地蔵尊と言ってもいいけど。
 貞享三丙寅天九月吉日とあるので、1686年に造られたのだろう。

氷川神社(市ノ川)

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 県道391号線を南下し、市野川を越えたら一つ目の信号で西へ。突き当たりのセブンイレブン前で南へ向かうとすぐに氷川神社が見えて来るのだが、駐車場が無い。
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 拝殿。
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 境内社。詳細不明。
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赤城神社(野田)

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 県道391号線を南下して、次は野田の赤城神社へ。
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『野田の獅子舞(市指定無形民俗文化財)
 野田の獅子舞は毎年七月十四日の夏祭、十月十四日の秋祭に赤城神社に奉納される。
 獅子舞の由来は、今から三百数十年前寛永年間にこの地の名主長谷部平兵衛福兼によって始められたと伝えられている。
 獅子を「メジシ」「オジシ」「ダイガシラ」と呼び、袴に白足袋姿で八畳程の敷物の上で舞う一人立ちの三匹獅子舞で座敷獅子と云われている。

 野田の獅子頭(市指定有形民俗文化財)
 代々獅子元を務める長谷部家に、寛永年間の作と云われる獅子頭が残っている。竜頭形式の獅子頭で、桐材を用いた素朴なものである』
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 狛犬。
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 赤城神社・鳥居再建記念碑。
『一、赤城神社は、永正年間より長い間住民の安全を見守って下さいましたが、老朽化が進み氏子の創意により再建。
 一、鳥居は、何者かに依り車で破壊された為に再建』
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 拝殿。
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 右奥に末社。
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 左側にも末社。
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 再建記念碑。
『赤城神社は室町時代文亀二(一五○二)年二月、此の里に祀らる。今より四百六十年前也。
 御祭神は大國主命、豊城入彦命彦、狭島命と素盞嗚尊、菅原道真公を合祀す。
 永正二乙丑(一五○五)年一月四日、松山城主上田正直公より里名野田と賜るに依って野田村鎮守社と改め奉祀す。本殿は当時の建造に倣て宝暦十一辛巳(一七六一)年十二月に修復並びに外殿建立。安政元(一八五四)年春、雨乞い祈願の為御池を掘り、翌安政二年秋に大願成就の意を以って拝殿を建て奉る。
 外殿二百二年拝殿百八年の星霜を重ねて老朽す。氏子協議の結果外殿拝殿を再建す。総工費壱百七十五万円なり。建碑して記念に録す。
 昭和三十七年十月十月十四日』
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 社殿裏手にある池。これが雨乞い祈願の為に掘られた池なのだろうか。

八雲神社(大谷)

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 307号線まで戻り、東に進んで大谷交差点で391号線を南下。大木技研の脇を回り込んで南下して行くと明善谷沼の東側に八雲神社が鎮座している。
 ところで地図を見直して気付いたのだが、吉庚集会所バス停前から東へ入って行った方が早かったんじゃないか。なんでこう、遠回りばかり…○刀乙。
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 本殿覆い屋。
 拝殿は昭和四十六年三月に建てられたと石碑に刻まれていたが、こちらの神社自体の創建はいつ頃なのだろう。

八雲神社(大谷)

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 先程の八雲神社から南下して行くと東松山ぼたん園があるのだが、その手前の道端に八雲神社が鎮座している。
 4月24日から5月5日まではぼたんまつりを行なっているが、それほど混んでいる様子でもなかった。とは言えぼたん園前に停めるのもなんとなく憚られるので、八雲神社の北東にある待避所に駐車。
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 拝殿。
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 本殿。
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 祠の裏に境内社が二社並んでいるが、詳しいことは不明。
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 道端には如意輪観音や馬頭観音など。

八雲神社(大谷)

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 307号線から東松山ぼたん園へ向かう途中に見かけた八雲神社。吉庚集会所バス停の脇辺りだったかな。
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 こちらの面は馬頭観音だらけ。
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 聖徳皇太子。右奥の方には地蔵菩薩と如意輪観音…かな?
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 八雲神社。
 なんだかこの組み合わせは珍しいような気がする。

秋葉神社(大谷)

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 天神社から東へ歩いて行くと、右手側に丸太の階段が見えて来るが、ここを上って行くと秋葉神社の裏手に出てしまうので、きちんと参拝したいならこの先の十字路で右折して、民家の脇を通り抜けて行くことになる。
 まぁ、自分はそんなこと知らなかったので神社の裏から入ることになってしまったのだけど。
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 表から入って来ると、きちんと社号標石や鳥居がある。
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 輝度差が激しかったのでPSE8.0で弄りまくってみたが、やはり不自然か。レタッチの本でも買って勉強しようかな。
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 社殿の壁に掛けられた絵馬。
 他にも繭の奉納額も掛けられていたが、秋葉権現は養蚕の神ではないのだから、もしかしたらこちらには蚕影神社が合祀されてでもいるのだろうか。

天神社(大谷)

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 307号線を渡り、東松山CCの北西側へ歩いて行くと、天神社が鎮座している。
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 御祭神は菅原道真公だろう。
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 大雷神社と荒神社、そしてこちらの天神社は宮司さんが同じであるようだ。

荒神社(大谷)

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 大谷交差点から県道307号福田鴻巣線を西へ向かい、森屋商店の脇で右折すると宗悟寺の手前に上郷公会堂があるのでこちらに車を置いて、そこから徒歩で西へと歩いて行くとゴルフ場の脇に荒神社が鎮座している。
 ちなみに、ここから307号線に沿って北西に歩いて行くと、山田の淡洲神社まではすぐだったりする。
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 神社前の道は舗装されているが、ウォーキングトレイルなので歩行者専用。
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 鳥居。
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 丸太の階段を上って行くと、荒神社。
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 で、こちらの御祭神はどなたなんだろう?
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大雷神社(大谷)

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 上岡交差点で右に折れ、県道391号大谷材木町線を南下して行くと大岡小学校前の交差点に雷電山古墳の看板が掛けられているので、それに従ってゴルフ場方面へ進んで行くと、途中右手側に大雷神社への参道が伸びている。
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『三千塚古墳群 昭和三十一年二月市指定史跡
 大岡地区には、雷電山古墳を中心として、数多くの小さな古墳が群集しています。これらの多くの古墳を総称して「三千塚古墳」と呼んでいます。
 三千塚古墳群は、明治二十年~三十年頃にそのほとんどが盗掘されてしまいました。そのときに出土した遺物は、県外に持ち出されてしまい不明ですが、一部は国立博物館に収蔵されています。三千塚古墳群からは、古墳時代後期(六~七世紀)の古墳から発見される遺物(直刀・刀子・勾玉・管玉など)が出土しています。
 雷電山古墳は、これらの小さな古墳を見わたす丘陵の上に作られています。この古墳は、高さ八m・長さ八十mの大きさの帆立貝式古墳(前方後円墳の一種)です。雷電山古墳からは、埴輪や底部穿孔土器(底に穴をあけた土器)などが発見されています。
 雷電山古墳は、造られた場所や埴輪などから五世紀初頭(今から千五百年位前)に造られたものと思われます。また、雷電山古墳の周辺にある小さな古墳は、六世紀初頭から七世紀後半にかけて、造られつづけた古墳であると思われます』
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 参道の左側に社務所があり、駐車場も広め。
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 鳥居。
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 石段の先に大雷神社の拝殿が見える。
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 拝殿。
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 額は龍のレリーフで囲われている。
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 明治百年記念之碑。
『大雷神社由緒沿革
 当神社は伊邪那美命の御子大雷命を奉斎し、御創建は今から壱千百十餘年前清和天皇の御代貞観元(八五九)年巳酉四月十二日と社伝に言い伝えられている。
貞観六(八六四)年辛亥七月二十二日には武蔵従五位下大雷神従五位上を授けられ、三代実録武蔵風土記等の古文献にも記載されている如く古代より有名な神社である。
古代より当地は山間の地にして水利の便非常に悪く五穀良く稔らず、大神を祭祀してより五穀豊穣が伝えられ盛夏干旱の時村民挙げて降雨の祈願をし遠近郷の農民も降雨の祈願に詣でて深く信仰された社殿は、雷電山と号する古墳の嶺を平坦にして大神を鎮座し、社殿の周囲には昔日埴輪の残片が多く古考の説に此の地は武蔵国司の墓と伝承され、付近一帯には陪臣の墓と思われる数百の古墳の群が散見せられた。
寛政十(一七九八)年壬午四月二十五日再建の社殿は村内はもとより、大神の御神徳を称せる近郷近在の人等によって上遷宮が執行された。
寛政の頃には、関東取締役人の御沙汰によって行なわれた特殊神事の奉納相撲は両関が揃い盛大に開幕され、明治以前まで続けられ大谷のぼた餅相撲と名高かった。
寛政十年から五十九年後の安政四(一八五七)年、近くの山火事により類火して本社火災の折、御神体と奉斎せる幣串自から社外に飛び去りしより神顕の広大さに村民崇敬者益々畏敬の念を深め、この幣串を今も御神体として奉斎する。
安政四年の火災後五年の歳月を経て現本殿が再建された。
昭和四十三年十月二十三日』

 干支の表記がおかしいような気がするんじゃよ? 貞観元年巳酉→己卯、貞観六年辛亥→甲申、寛政十年壬午→戊午の筈。
 それはさておき、こちらの御祭神は大雷命だけなのかな。末社などは見当たらなかったが。
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 墳丘の裾野、レストハウスへ通じる道の端に立てられた案内板。
『大雷神社祭礼相撲場跡 市指定史跡
 旧大谷村の総鎮守大雷神社の社殿を中心に、辻(相撲場)が二ヶ所あり、一の辻・二の辻と呼ばれ、一の辻は大相撲に・二の辻は草相撲に使用されていました。辻には三百席ぐらいの桟敷席が、傾斜地を巧みに利用して造られていました。
 現在は二の辻だけが残っています。
 大雷神社の相撲は、江戸時代中頃から行なわれていたと伝えられています。相撲の興行には、領主だけでなく関東取締役の特別の許可が必要でした。
 相撲興行には、近在の人々が大勢集まり、「関東三代辻相撲」の一つといわれるほどににぎわいました。
 この日、祝酒とともに「ぼたもち」を相撲見物の人たちにふるまったことから「大谷のぼたもち相撲」とも呼ばれ、大変親しまれていましたが、明治二十年頃を最後にその姿を消しました』
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 北西側から。
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入雲大神(大谷)

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 407号線を南下し、上岡地蔵前で西へ折れ、そこから北西へ向かうと赤熊神社へ向かってしまうので南西へ向かうと道端に祠がある。
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 額には入雲大神と書かれているが、これ、八雲大神の書き間違えがそのまま定着しちゃったとかってことじゃないだろうなぁ。御祭神も素佐男尊って書かれてるし。…いやいや、「入」に見えるがよぉ~く見ると僅かに離れているので、「八」かもしれんね、これは。

御嶽神社(下唐子)

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 唐子中央公園西側の信号機から真っ直ぐ西へ歩いて行くと、下唐子1号墳と呼ばれる円墳があり、その墳頂に御嶽神社が鎮座している。
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 神明鳥居。
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 鳥居をくぐるとすぐ左手側に由緒らしきものを記した石碑があるが、下田又平という人が紀元2600年記念に木曽御嶽大神を勧請した云々、でいいのかな。
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 石段を上って行くと、途中右手側に清瀧不動尊塔と一心霊神・普寛霊神・覚明霊神塔。
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 石段を上り切ると、御嶽大神を中央に置き、その左右に石塔が並んでいる。
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 向かって左の列には、左から秋葉大神、三寶荒神、長崎大神、合掌地蔵尊、武尊山大神。
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 右の列には、左から天神七代地神五代人皇三代御神、白川大神、摩利支大神、阿留摩耶大神。
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 そして正面には左から三笠山大神、御嶽大神、八海山大神。

弁才天(石橋)

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 内青鳥橋を渡って関越道を越え、南へ向かうと池の中に弁天堂が鎮座している。
 関越道の西側に青鳥城跡があるが、ここは青鳥城の濠の一部であったらしい。
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 MAPPLEでは弁天様としか書かれていないので、弁天として祀られているのか厳島神社として祀られているのか判らないが、まぁどちらでも大した差は無いか。
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 北側から。
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 池の畔に虎御石。
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『虎御石
 市指定文化財
 この虎御石は、高さ三七五cm・幅七○~七七cm、厚さ一四cm、比企・入間地方最大の板石塔婆です。鋭い三角形の山形、深い溝の二条線、区画された額部の上面に荘厳体の胎蔵界大日如来を表わす種子(アーンク)が力強く彫られています。種子の下には、深く雄渾な蓮弁が刻まれています。
 蓮座の下には四行の真言偈文、さらに三行の銘文が刻まれています。「応安二己酉卯月」とあることから、虎御石は応安二年(一三六九年)に建立されたものです』
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 池の東には墓地があり、道に面して地蔵菩薩と青面金剛。

八雲神社(石橋)

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 八幡神社前から北へ向かい、国道254号嵐山バイパスの上を渡り、更に北へ歩いて行くと青鳥橋の西、インフィニティーと言うパチンコ屋の南西にちんまりと八雲神社が鎮座している。
 地図で見た感じでは駐車スペースは無さそうだと思い徒歩で来てみたが、正解だった。

八幡神社(石橋)

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 唐子神社前から東へ向かい、県道344号高坂上唐子線と交差する水道庁舎入口交差点を越えた先に八幡神社の鳥居がある。
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 参道はやや長く、二の鳥居まで150mくらい。
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 二の鳥居の手前に青面金剛と庚申塔。
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 二の鳥居と狛犬。
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 参道。突当たりに若宮八幡古墳があり、その墳頂に八幡神社。
 八幡神社なのに若宮八幡古墳と言うのもよく判らんなぁ。
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 古墳の麓に招魂社。
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 石段を上って行くと、墳頂に八幡神社。
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 墳頂から若宮八幡古墳発掘現場を見下ろしてみたり。
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 現在発掘調査中の為か、立ち入り禁止になっている。
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『八幡神社由緒略記
 御祭神   誉田別尊(応神天皇)
        倉稲魂命   武御名方命
        菅原道真   別雷命
        素盞鳴命   軻遇突智命

 御由緒
 当所石橋の八幡神社は誉田別尊(応神天皇)を主祭神と齋きまつり明治四十年三月二十三日宇附川稲荷神社城山五社大神上宿愛宕神社を合祀せる古社なり。
 昔大神は深く内外の政治に大御心を用いられ文学を奨励し殖産興業を盛んにし数多の池溝を開き潅漑の便を計り又大船を作り交通の道をも開かれ当時国内は勿論韓国との交通甚だ頻繁となし海外の文化を導入し謙譲忍耐、和衷、協同の徳をもって国家を安泰し国民を安んじ給えり、されば大神は厄除開運の御神徳と共に文教及び産業の守護神として万人齋し尊崇する中に当社は私達祖先により慶長元年村内守護のため此の地の古墳上に社殿を造営し相模国鎌倉の鶴岡八幡宮より神霊を分祀し代々祭祀怠らず厚き神護の下営々として村づくりにいそしみ来たれり。
 爾来星霜移り社殿の老朽甚だしく再建の議澎湃として起り昭和四十八年十二月十六日竣工浄闇の裡に壮麗清浄の新殿に神霊を奉安し盛大に奉祝今日に及ぶ而して今や神威益々赫々の光を発し氏子崇敬者を鎮守し給え御神徳の洪大なるを偲ばしむ。

 文化財 史跡 若宮八幡古墳一基
     埼分指第一七九号 昭和三十九年三月 指定

 主なる祭事
     歳旦祭     一月一日
     祈年祭(春祭) 四月十五日
     例大祭(秋祭) 十月十五日』

唐子神社(下唐子)

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 唐子中央公園の南に鎮座する唐子神社。
 こちらはお諏訪さまと呼ばれているそうなので諏訪神社系なのかと思っていたのだが、ググってみたらかつては白髭神社と称していたらしい。後に諏訪神社と八幡神社を合祀したと言うことなので、その時に唐子神社に改称したのだろうか。
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 唐子神社参道の東側に下唐子公会堂があり、その敷地内に阿夫利神社御神燈と辯才天。
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『下唐子獅子舞(市指定無形民俗文化財)
 下唐子の獅子舞は、唐子神社の夏祭(七月二十六、二十七)、秋祭(十月十九日)の奉納舞として行われる。
 獅子舞の由来は明らかでないが、武田信玄の家臣馬場美濃守の子孫が、今から二百数十年前この地に転在して白髭大明神を祭り、獅子舞を奉納したのが始まりと伝えられている。
 一人立ちの三匹獅子舞で、その特色は、舞い方がおとなしく、技が混んでいるところにあり、笛方は骨が折れるといわれている。舞の構成は「ドジョウネコ」「ショイウデンカグラ」「メジシカクシ」となっている』

 唐子神社でググると、獅子舞よりも箭弓稲荷神社で奉納される巫女舞の方がバシバシ出て来るのだが、どういうことだろう。唐子神社の巫女による奉奏ということだが、こちらの神社では巫女舞は奉納されないのだろうか? それはともかく、箭弓稲荷神社で巫女舞が奉納されるのは4月29日だそうなので、もうすぐなのだね。
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 二の鳥居。
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 狛犬。
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 拝殿。
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 神楽殿。
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 祭器庫。
 この横を抜けて裏手に出ると幽冥大神と刻まれた額の掛かった石鳥居があり、その先は奥都城、つまり神道式のお墓になっていた。
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 境内社。
 唐子神社は本殿の左右に合祀されている神社が張り出しており、中にはそれぞれ二社ずつ納めされている。うち一社が稲荷神社なのは判ったが、他が判らん。
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 立派な鳥居はあるものの、どなたを祀ったものなのかはさっぱり。
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 その後ろにも二社。左側は幣束が三本、右側は幣束が七本立てられているが、そんなに多くの神様が祀られているのだろうか。
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 拝殿の右側を抜けて行くと唐子中央公園に出る。
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稲荷神社(下唐子)

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 稲荷宮から北上して稲荷橋(これも冠水橋)を渡り、そのまま真っ直ぐ進んで行くと、一つめの信号手前に稲荷神社が鎮座している。
 ここの信号の先で東へ折れると唐子神社前に出るのだが、とりあえずトイレに行きたかったのでその先の唐子中央公園の駐車場へ。

稲荷宮(下唐子)

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 県道41号線を西へ戻り、稲荷橋の南から高本山配水場へ向って走るとほぼ真正面、高本山の麓に稲荷宮が鎮座している。ちゃんとした駐車場ではないものの、駐車スペースは有り。
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 稲荷宮の脇に末社…かな? 中には幣束などは見当たらなかった。
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 馬頭観音っぽい感じ。
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 稲荷宮前の辻に…なんだろう。庚申塔のようなものだろうか。

葛袋神社(葛袋)

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 神戸神社から県道41号線を東へ走り、神戸川を越えた辺りで秩父鉱業岩石採掘場方向へ向うと途中に葛袋神社がある。
 隣に葛袋公会堂があり、その前に駐車場があるので、これまた駐車スペースの確保に悩まなくて良い。
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 参道。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
 神明鳥居と言い社殿の造りと言い、これはもう天照大神を祀っているのだろう、と思いきや、
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『社誌
 当社は川北山根大平の三郷を以って葛袋となし、其の中央山頂に五社大神と南方に白髪大神を守護神として祀り、明治五年に両社を合祀し村社に列せらる。明治三十三年社殿を改築し、同四十年愛宕神社及び八坂神社を合祀し、社号を葛袋神社と改称す。
 昭和六十一年十一月二十七日不慮の火災により、社殿を消失し、氏子一同再建を誓い多額の浄財を寄進し、平成元年四月十六日竣工壮麗清浄なる神殿に神霊を奉安す。
 仍って茲にその梗概を誌し、永く後世に傳えんとする』

 五社大神と言うことは、五柱の神々か。それに白髪大神とあるが、これは猿田彦神なのか清寧天皇なのか、どっちだろう。軻遇突智命と素盞嗚尊は判るが、それ以外がさっぱりだ。
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 社殿裏に境内社。左から大黒天、金毘羅大権現、金刀比羅神社、大黒天。外側の石祠は不明。
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