雷電社湯殿社合殿(外国府間)

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 外国府間集落農業センターの隣に鎮座する雷電社湯殿社合殿(幸手市外国府間528)。
 こちらも初め来た時は氏子の方々による清掃中だったので、邪魔にならないように先に他の神社巡りをしてからリターン。
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 狛犬。
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 拝殿。
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『雷電社湯殿社合殿竣工記念碑
 幸手市外国府間の当地に約三百年前から鎮座し地区住民の心の拠り所として慕われて来た雷電社湯殿社が平成十三年四月十六日午後四時頃不審火で全焼してしまいました。
 地区住民は茫然とし日常生活も手が付かないという状態でしたが気を取り戻し再建に向け動き出しました。
 再建に当たり地区内の三人の総代を中心に区長並びに十人の世話人に依る再建会議を重ねると共に時々宮司さんや設計業者さんにも会議に加わって頂き再建内容の検討をしてまいりました。
 論点はこの度の火災に依り保険会社から支払われた保険金一千七百万円の範囲内とするか、焼失前の規模の建物を再建するかと言う事でしたが、焼失前の規模の建物を再建するには優れた彫刻も有り約五千万円かかるであろうとの事でした。この為再建会議出席者全員苦悩の末新たに地区住民から寄付金を集める事はせず、保険金の範囲内で再建しようと言う事になったのであります。
 工事は地元の業者であります高雄工務店さんにお願いし、平成十三年九月四日起工となり、平成十四年四月十五日地区住民が待ちに待った竣工の日を迎えたのであります。当日は天候にも恵まれ地区住民一同歓喜に咽ぶ一日でした。
 故にこの事業の竣工に当たりその趣旨と経過を略記すると共に再びこのような悲しみを地区住民が味わう事の無いよう祈願し、後世のためこの碑を建立する。
 平成十四年四月吉日』
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 稲荷神社と天満宮…たぶん。首の取れた公家姿の像が納められていたので菅原道真公像なのではないかなぁと思うのだが、確証は無い。
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 地蔵祠。
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 地蔵菩薩と青面金剛。
 青面金剛は貞享四年卯十一月九日とあるので1687年のもの。地蔵菩薩は読み取り難いが、文六天午十月と見えるので、寛文六年丙午かなぁ? であるならば1666年となるか。
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 大日如来と如意輪観世音菩薩。
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 …なんだろ?
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八幡神社(戸島)

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 埼玉県道318号並塚幸手線と県道26号境杉戸線の交差する戸島交差点から少し西へ向かうと、安戸集会所のそばに八幡神社(幸手市戸島229)が鎮座している。
 実は前回の9月15日にも一度来ていたのだが、改修作業中だったので参拝はしなかったのだ。
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 二の鳥居。
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 青面金剛と庚申塔。
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 青面金剛。
 寛文四甲とあるので1664年のもの。
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 拝殿。
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 境内端の祠。
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 三面に一体ずつ猿の彫られた庚申塔と、不動明王。
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 祠の前の石像はなんだろう? 顔が無くなってしまっているが、右手に杖で左手に索と言うと、道了尊だろうか。……うん、駄目だ、わからん。
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 祠の中にも石像が納められているが、これまた皆目見当が付かない。

 以上で9月29日参拝分終了。
 使用機材はK-7にDA15mmとFA31mm、FA43mm、FA77mm。Coolpix P7100。

天神神社(天神島)

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 幸手市立図書館の南側を流れる倉松川に架かる天神島橋のすぐ南に鎮座する天神神社(幸手市天神島279)。
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 額には「繪林山」と刻まれているが、はて? こちらは天神島城跡であるそうだが、お寺があったという話は見ないなぁ。
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 参道。
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『天神神社の杜と榛の木並木
 この神社は、中世に古河公方の家臣としてこのあたりを拠点としていた一色氏の建てたものといわれ、一帯は一色氏の砦跡で、濠や土塁が残っていて、近くにはその屋敷跡とされる一角があります。
 この脇を流れる倉松川に添って並んでいるのが、今では珍しくなった榛の木です。以前は収穫した稲を干すのに用いられていましたが、そういった風景も遠い記憶の中に残るだけとなってしまいました』
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『天神島砦跡と天神社
 幸手市天神島二七九
 古くは菅霊島といわれていましたが、室町時代にこのあたりを治めていた一色氏が、鎌倉の荏柄天神の分霊を勧請し祠ったことから現在の地名になったようです。
 幸手駅付近にあった一色氏の陣屋の出先である砦の跡があり、周囲には濠や土塁が残っています。また、この一帯は、中世の城郭の区画の名称である丸曲輪という小字名で呼ばれています。
 また、天神社の社殿には運慶作といわれる祭神が二体あり、三十三年毎にご開帳されています』
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『市指定有形文化財歴史資料 天神島天神神社所蔵資料
 幸手市天神島二七九
 この天神神社の由来は、「天神島菅神廟縁起」によると、菅原道真の霊を鎮めるため、延長元年(923)に造営された墓所が、その始まりとされています。
 以後も一色氏などの武将により手厚く保護されましたが、大水や戦火による荒廃と再建とが繰り返されました。その一端は、古い棟札からもうかがい知ることができます。
 天神神社の永い歴史は多くの貴重な文化財を生み出しました。氏子のみなさんの深い崇敬が、それらを守護し、大切に伝えているのです。
 平成十年四月一日指定』
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 神楽殿。
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 狛犬。
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 拝殿。
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 愛宕神社。
 鳥居には「安政二乙卯六月吉建之」と刻まれているので1855年のものだと思われるのだが、なんだか妙に新しいような?
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 末社。
 中には左三つ巴紋の付いた祠が二つ並んでいたが、何神社なのかは不明。石段脇の石柱には「百太夫木社?? 明治八年??月」と刻まれているので、もしかしたら道祖神なのかも。
 石燈籠には文化二乙丑年八月吉祥日と刻まれているので1805年のもの。
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 十九夜供養塔と大師堂。
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 青面金剛(天和四甲子年(1684)正月)と辨財天(貞享元甲子年(1684)九月)。
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 宝篋印塔と良運阿闍梨碑。

神明神社(中二丁目)

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 幸手駅のやや東南に鎮座する神明神社(幸手市中2丁目1-5)。
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『神明神社とたにし不動尊
 幸手市中二-一-五
 神明神社は。宝暦五年(1755)に伊勢皇太神宮の分霊を祠った神社です。
 境内に成田・菅谷両不動尊があり菅谷不動尊はたにし不動尊ともいわれています。眼病の人がが、たにしを描いた絵馬を奉納して祈願すればご利益があるといわれ、この絵馬は他にはあまり例のないものです。江戸時代には、ここに高札場(現在の掲示板)がありました。
 また、その他に大杉神社の神輿や大正十二年の関東大震災の記念碑等があります』
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『几号高低標(英国式水準点)
 幸手市中二-一-五
 この案内板の後ろの石は、以前神社に奉納された燈籠の基礎の部分で、長い年月の間に上部が壊れたために脇に置かれていたものです。
 その側面に「不」の記号が刻まれていますが、これは「几号高低標」といいます。
 明治七年(1874)にイギリス式の測量方法が導入され、東京・塩竃(宮城県)間の水準測量を行った際に神社の鳥居や灯篭等に設置されたもので、横線は測量に用いる平板を表し、下の部分は三脚を表しています』
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 境内。
 参道左側に二つ並んでいるお堂は、手前が菅谷山不動尊。奥が成田山不動尊。
 参道右側の祠は、水神宮と聖徳太子堂と稲荷大明神を合祀したもの。
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 拝殿。
 案内板には書かれていなかったが、Wikipediaを見ると、こちらの御祭神は大日霊命を主祭神として、建御名方命と誉田別命を配祀神としているようだ。
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 狛犬。
 台座には大正十一年三月十七日と刻まれているので、1922年のものだ。
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 今宮大杉神社。
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 社殿横から。
 壁には改築記念碑と芳名碑が取り付けられている。
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『神明神社改築の由来
 当町神明神社は遠く宝暦五年、我々の祖先が、町内氏神として奉祀し、爾来幾星霜を経過し、此の間累代の氏子は宏大無辺なる御神徳に浴し、今日に至るまで、各自安住し得られたことは、偏えに神明御加護の賜と深く感銘いたして居ります。然るに社殿は既に二百二十数年前の建物にて、其後先輩諸氏により折々破損個所の修理を施して参りましたが、偶々第二次世界大戦に遭遇し、加うるに昭和二十二年の大水害の惨禍を受け、為に社殿は極度に大破腐朽し、昭和二十九年に上屋を建て、応急処置を施したものの、其後破損もひどく此の儘では著しく神厳を害するだけでなく誠に恐れ多き極めと存じ、町内氏子の総意により、本殿を建替えることとなりました。亦之と同時に都市社会施設特別整備事業の指定により、埼玉県より三百万円也、幸手町より三十万円也の補助金を頂き、神明会館の新築も併せて行うことに決り、本殿並に集会所の建築費の目標を「当初一千二百万円也とし」、昭和五十一年七月より基金の募金を始めた所、御信仰厚き氏子各位の絶大なる御協力と御賛同を得、約一千七百余万円也の寄附金が集り、昭和五十二年三月には神明会館が落成し、其上拝殿両不動尊及び鳥居参道等の大修理を施すことが出来ましたことは、偏えに神明神社の御神徳は申すに及ばず、町内氏子各位の敬神崇祖と郷土愛に外ならないと、心より感謝申し上げると共に、町内の一大事業を後世に伝える為に社殿の建替えの由来と併せて寄附者の御芳名を記す次第であります。
 昭和五十二年十月吉日建之』

稲荷神社(千塚)

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 真言宗豊山派高雲山宝性院のやや西に鎮座する稲荷神社
 鳥居の柱には「嘉永六癸丑八月吉祥日」と刻まれているので、1853年のもの。
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 拝殿。
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 末社。
 稲荷大明神(寛政五癸丑(1793)二月)、稲荷大明神、稲荷大明神・若宮大明神(文政十三寅十二月(1831))。

千塚神社(千塚)

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 千塚神社(幸手市千塚1359)の鳥居。
 柱には「宝暦六丙子歳九月吉祥日」と刻まれているので、1756年に造られたのだろう。貫のあたりに補修された形跡が見えたりはするが。
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『千塚神社
 幸手市千塚一三五九
 ここには、香取、鹿島、八幡、天神、浅間神社が合社されています。
 毎年七月十五日(現在は七月十五日に近い日曜日)に神社に奉納されるささら獅子舞(市指定無形民俗文化財)は、天下泰平・悪疫退散・五穀豊穣などを祈願するものです。雄獅子・雌獅子・中獅子の三頭が、普通道中・篠山道中のおはやしで、太刀・入り込み・花・白庭・のきば・橋渡り・弓・辻・風殿・しめなどの』

 杭と案内板が細いロープで縛り付けられているので、ここまでしか読めない。
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 拝殿。
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 狛犬。
 台座には皇紀貮千六百年(昭和十五年=1940年)と刻まれているが、狛犬の方はもう少し新しい感じだ。
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 拝殿斜めから。
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 末社群。
 稲荷大明神(安永四乙未(1775)正月)、稲荷大明神、鹿嶋大明神(享保二十年卯(1735)八月)、稲荷宮(明和八卯(1771)二月)、稲荷大明神(文政十一子(1828)二月)。
 後ろには「観世音菩薩・虚空蔵菩薩・稲荷大明神・辨天大神」と刻まれた小さな石碑もある。そちらは昭和五十六年六月のもの。
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 神明宮(天保十己亥(1839)十一月)。
 左側は不明。しかし側面に刻まれた文政三辰の文字は読み取れるので、1820年のものであることはわかる。

高須賀大杉神社(高須賀)

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 国道4号線外国府間交差点から南西に向かい、東武日光線を越えると中川の北岸に高須賀大杉神社(幸手市高須賀445-1)が鎮座している。
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『高須賀大杉神社
 幸手市高須賀四四五-一
 茨木の旧阿波村にある大杉神社の分霊を祠ったもので水神様ともいわれ、船持や船頭衆からの信仰が厚かった神社です。
 毎年七月七日(現在は七月七日に近い日曜日)に行われる夏祭りは、大太鼓・小太鼓・笛・鉦で演奏する大杉ばやし(市指定無形民俗文化財)に合せてみこしをかつぎ、みこしが静かに動いているときは「道中ばやし」、大きく動かすときは「みだればやし」を演奏し、悪疫退散・害虫駆除・風水害のないことを念じて家々を回ります』
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 天明四年(1784)十一月造立の青面金剛塔と、元文五年(1740)十月造立の青面金剛。
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 石段を上った先に拝殿。
 右側の建物はおそらく神輿殿。
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 末社。
 辨財尊天(天明三卯歳(1783)四月)、稲荷大明神(寛延四未(1751)九月)、稲荷大明神(天明三卯歳二月)、天満宮(天明五巳歳(1785)正月)などの文字が見える。
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 富士塚。

吉野神社(吉野)

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 吉野集会所の隣に鎮座する吉野神社(幸手市吉野250)。
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『吉野神社と姥神様
 幸手市吉野二五○
 天文二十三年(1554)に幸手を治めていた一色氏は、北条一族と戦って敗れました。当時の城主一色直為の奥方吉野の前と、乳母の安の戸はこの戦いで亡くなり、その後この地方の子供に悪病がはやったため吉野の前を吉野神社に、安の戸を姥神様として祠ったところ、病気がおさまったと伝えられています。そのことから病気の子を持つ親や、乳の出ない親の信仰を集めました。
 吉野・安戸という地名もここからおこったとされています』
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 拝殿と狛犬。
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 拝殿正面には天満宮と卯之宮大明神・蕎麦嶽大明神の額が掛けられているが、卯之宮大明神は吉備津彦命であるとして、蕎麦嶽大明神って誰? 
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 末社群。
 宇賀神や若宮八幡の文字も見えるが、殆どは不明。

 以上で9月15日参拝分終了。
 使用機材はK-7にDA15mm、DA21mm、DA35mm Macro、FA50mm、DA70mm。

香取神社(平須賀二丁目)

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 真言宗豊山派宝聖寺の北隣に鎮座する香取神社(幸手市平須賀2-452)。
 香取神社の脇に平須賀中株集落農業センターがあるので、そちらが駐車スペースになる。
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 鳥居。
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 狛犬。
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 拝殿。

香取神社(戸島)

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 戸島交差点から県道318号線を西へ向かうと道端にコイン精米所があるので、そこを北へ入るとすぐに香取神社(幸手市戸島1-57)が見えて来る。
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 天満宮。
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 稲荷神社。
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 拝殿。

 地図を見ると、こちらの香取神社のすぐ東側に乳母神社と言う神社があるのだが、行ってみたらどう見ても民家の敷地内なので参拝は断念。また、ここから北西に向かった所に吉野神社があり、そちらには北条氏との戦いで亡くなった一色直為の奥方を吉野神社に祀り、共に亡くなった乳母を姥神様として祀ったとも書かれているので、この姥神様を祀った神社が乳母神社なのではないだろうかと推測。

香取神社(戸島)

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 埼玉県道318号並塚幸手線と県道26号境杉戸線の交差する戸島交差点の北東、中原集会所の北側に鎮座する香取神社(幸手市戸島524)。
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 なんだろう、これ。
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 稲荷神社。
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 菅靈碑…かな。菅原道真公を祀っているのだろうか。
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 拝殿。

香取神社(惣新田)

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 東川集会所脇に鎮座する香取神社(幸手市惣新田630)。
 石燈籠には天保九戌年三月吉日とあるので1838年のもの。こちらの神社の由緒は不明だが、1838年より以前からはあるのだろう。
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 拝殿。

香取神社(惣新田)

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 浄土宗能満寺の南側に鎮座する香取神社(幸手市惣新田356-1)。
 中の石祠には雷電大権現・香取大明神・稲荷大明神と刻まれていたので、その三柱が合祀されているようだ。
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 香取神社の前には塚があるのだが……、
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 なんて読むんだ、これ。
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 東から。

香取神社(惣新田)

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 一ツ谷集落農業センター脇に鎮座する香取神社(幸手市惣新田425)。
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 拝殿。
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 末社。
 中央の天満宮(天保七丙申(1836)正月)以外は不明。

香取神社(長間)

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 中川に架かる天神橋の北西、本田集会所の隣に鎮座する香取神社
 注連柱の側面には「明治三十六年四月吉日」「北葛飾郡八代郷大字長間本田組」と刻まれている。
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 拝殿。
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 稲荷神社。

香取神社(惣新田)

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 新国道4号春日部古河バイパスと埼玉県道383号惣新田幸手線の交差する芝原交差点の西側、下澤集会所の隣に鎮座する香取神社(幸手市惣新田1074-1)。
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『下沢目木の香取神社
 幸手市惣新田一○七四-一
 昭和四十二年(1967)、当地区内にあった香取神社二社と稲荷神社が合祀され現在の香取神社となりました。祭神は経津主命(香取様)と保食命(稲荷様)です。
 鳥居の右柱には「文化九壬申(1812)二月吉日」、左柱には願主として「肥州宇土藩(現、熊本県)臣岡本拾右衛門隆穀妻もん」、「武州岡部藩(現、埼玉県)臣渡邊治右門重章母やそ」と刻まれています。遠いこの地に二人の女性が何を祈願したのか、今となってはそれすらも定かではありません』
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 拝殿。
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 拝殿前面の壁に力士像。
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『獅子の由来
 下澤の獅子は当地出身永田利平氏から厄病退散の守護神として寄進された。
 もとより永田氏宅地内に祀られていたが社殿改築を機として平成四年十月十九日香取社内に合祀されたものである。
 平成六年二月』
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 御嶽山・八海山・三笠山、國常立尊・国狭槌尊・豊斟渟尊、稲荷大明神。
 稲荷大明神は寛政九年(1797)造立。その少し下にある石燈籠には「宝暦八戊寅五月吉日 稲荷大明神」と刻まれている。宝暦八年は1758年なので、稲荷の石祠は1797年に再建されたものなのだろう。

戸隠大明神(惣新田)

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 香取神社の南東、県道42号線に面して鎮座する戸隠大明神
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 左から富士浅間宮、戸隠大明神、天満宮。
 天満宮は安政四丁巳年(1857)八月造立。
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香取神社(惣新田)

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 正福院の南東に鎮座する香取神社(幸手市惣新田1418)。
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 拝殿。
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 稲荷大明神×2。
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 秋葉大権現。

戸隠神社(惣新田)

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 北杉山集会所の隣に鎮座する戸隠神社(幸手市惣新田1622)。
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 青面金剛と……なんだろう。馬頭観音かな。右端は國常立尊・国狭槌尊・豊斟渟尊。
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 富士塚かなと思ったのだが、頂にあるのはどうやら猿田彦大神であるようだ。麓には辨財天があり、頂より一段下がったところにある石塔は不明。
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 拝殿。
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 庚申塔群。
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 稲荷大明神と青面金剛。
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 末社。
 左は不明。右は稲荷大明神。

細野神社(細野)

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 鹿島神社から少し西へ向かうと、県道42号線の手前に細野神社が鎮座している。
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 拝殿兼社務所と言ったところだろうか。
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 大師堂。
 その手前には左から庚申塔、十九夜塔、十九夜塔、大祖参神、稲荷大明神。
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 本殿。

鹿島神社(槙野地)

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 子の権現社から南西に向かうと、用水路のそばに鹿島神社が鎮座している。
 幸手市内で鹿島神社は珍しいような気がするが、観音院脇の香取神社も武甕槌命が合祀されていたし、長間の香取神社のそばにも鹿島神社があるから、この辺りでは香取と鹿島をセットで祀る傾向があるのかな。
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 明和二乙酉(1765)二月造立の稲荷神社。

子の権現社(槙野地)

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 槙野地集会所の南側に鎮座する子の権現社(幸手市槙野地707)。
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『子の権現社
 幸手市槙野地七○七
 子の聖を祠っており、足腰の病気や婦人病がなおるように祈願する人が多い神社で、参詣する人々は、わらじ・釜敷き・女性の髪の毛などを奉納していきます。
 境内の奥には周辺の道端にあった石塔が集められ、「下総国葛飾郡槙野地邨」と刻んだ庚申塔や、関宿・宝珠花や六萬河岸の渡し場への道しるべもあります。
 この一帯は下総台地の縁辺部にあたり、縄文時代から人々が住んでいたと考えられ、字井堀を中心としていくつかの遺跡が確認されています』
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 庚申塔に辨財天、青面金剛など。
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 青面金剛。
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六軒稲荷神社(惣新田)

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 九郎衛門香取神社前から県道42号線を南下して行くと、六軒集会所の北側傍に稲荷神社(幸手市惣新田2637-2)が鎮座している。
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 庚申塔と青面金剛。
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 延享三丙寅年(1746)八月造立の青面金剛。
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 仙元大菩薩と刻まれているので、小さいながらも富士塚なのだろう。
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 鳥居。
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 道祖神。
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 拝殿。
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『稲荷神社御由緒
 六軒は惣新田の東端に位置する新田開発の地で其の地名は當時の戸数が六軒であったことに由来する。
 当稲荷神社は之等の人々によって勧請創建されたが詳しい経緯については定かでない。
 御祭神は宇迦之御魂大神又の名を保食神・御食津神とも申し上げ五穀豊穣・商売繁昌の神として深い信仰を集めている。因みに全稲荷神社の御本社は伏見の稲荷大社である』
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 天満宮。
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 末社。

香取神社(惣新田)

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 埼玉県道42号松伏春日部関宿線三田交差点から南下して行くと、九郎衛門集会所の隣に香取神社(幸手市惣新田2780-3)が鎮座している。
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 拝殿。
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 稲荷神社。
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 六地蔵や庚申塔、青面金剛など。
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 青面金剛。
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香取神社(長間)

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 先程の香取神社から南へ向かうと、またすぐに香取神社(幸手市長間187)が見えてくる。
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 鳥居の横に庚申塔群。
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 参道右側に天神宮。
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 石燈籠手前と奥に末社があるが、手前のものは不明。奥のものは蛭子宮。
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 拝殿。
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 拝殿の左側に稲荷神社。

 以上で9月8日参拝分終了。
 使用機材はK-7にDA15mmとDA21mm、FA28mm、FA43mm、FA77mm。Coolpix P7100。
 このエントリーを書いている日にPENTAX K-5IIとK-5IIsが発表されたわけだけど……悩むわぁ。碑文とか石仏とかを撮影するにはローパスレスであるIIsの方がきっちり写してくれそうなのだが、普段の使用なども考えるとモアレの出難いIIの方が無難か。ま、どうせまたLimited Silverとか出るだろうし、それまで悩みながら待つとしようかな。

香取神社(長間)

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 長間集会所の南西に鎮座する香取神社(幸手市長間406)。
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 狛犬。
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 拝殿。
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 境内社。
 何神社なのかは不明だが、板倉雷電神社の神札が貼られているので、もしかしたら雷電神社なのかも知れない。
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 天満宮と石祠二基。
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 西から。

浄誓寺(神明内)

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 浄土真宗東本願寺派通光山浄誓寺(幸手市神明内1469)。
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『浄誓寺と将門の首塚
 幸手市神明内一四六九
 通光山浄誓寺と称し、浄土真宗の寺で、本尊は阿彌陀如来です。
 境内に高さ三m程の塚があり、頂に風化した五輪塔が立っています。ここに、天慶三年(940)の天慶の乱で、平貞盛・藤原秀郷等の連合軍と幸手で最後の一戦を交え、討ち死にした平将門の首が埋められたと伝えられており、市指定史跡となっています。
 付近にも、将門の血が赤く木を染めたことからつけられた、赤木という地名もあり、将門に関するいわれが多く残っています』

 この血の付いた木は何日経っても血の赤が褪せず、そればかりか衣冠束帯を纏った人が夜な夜な現れては付近を徘徊したことから、この木を御神体として将門公を祀り、赤木明神と称したと言う伝説も残っているそうなのだが、その木がどこにあるのかは不明。浄誓寺の南側であるらしいのだけど。
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 山門をくぐると左手側に薬師堂。
 この辺りには経津主命(本地仏は薬師如来)を祀る香取神社が多いから、そのへんも関係あるのかな。ところで地図を見てみると、浄誓寺の 西 それぞれに香取神社が鎮座しているのね。
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 本堂。
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 本堂の裏手に回ると首塚がある。
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 幸手市指定史跡である将門公の首塚。昭和五十八年(1983)三月二十四日に指定されたようだ。

香取神社(神明内)

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 赤木集会所前の道を北上して行くと、西側に香取神社(幸手市神明内917)が見えてくる。
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 拝殿。
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 寛政四壬子年(1792)九月建立の八幡宮。

稲荷神社(平須賀)

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 赤木集会所の敷地内に鎮座する稲荷神社。
 浄誓寺の案内板によると、赤木と言う地名は平将門の流した血が木を赤く染めたことに由来するとのこと。
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 隣には安永三年(1774)建立の天神宮。
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 庚申塔群。

天王神社(天神島)

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 轡瀬公民館(幸手市天神島大字846)の隣に鎮座する天王神社。
 名前からみて、御祭神は素盞鳴尊だろう。
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 鳥居のそばには、如意輪観音と地蔵菩薩が祀られているお堂がある。
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 公民館前に光明真言百万遍塔と馬頭観音と徳大勢至塔。
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 神社入口脇には庚申塔と青面金剛。
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 青面金剛。
 左は天明八戊申年(1788)十二月。右は元禄十丁丑年十二月(1698)。
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