猿田彦神社(中里)

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 前の週にうっかり忘れていた猿田彦神社(久喜市中里)。
 駐車場は無いので、近くの香取神社に車を置いてから参詣。この辺りで雨が降り始めて来たが、K-5IIsは防塵防滴なのでまぁ大丈夫だろうと。レンズは違うけどねー。
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 覆い屋の下には長椅子が置かれていたりして開放的。でも祠には覆い屋がかかって無いので雨曝し。
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 本殿。
 手前の物は賽銭箱ではなく線香炉。仏教色強め?
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 南無妙法蓮華経と刻まれた碑。法華宗か日蓮宗かな。

 以上で4月20日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mmとDA21mm、FA31mm、DA40mm、50-150mmII。Coolpix P7100。
 あー、ストリートビューは便利だなぁ。事前に神社周辺の状況がわかるから、駐車スペースの有無の確認や目印などを確認しておくことでうっかり通り過ぎてしまうことが減って凄く楽だ。
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焙烙地蔵(栗橋東三丁目)

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 国道4号線と国道125号線が合流する栗橋交差点から埼玉県道60号羽生外野栗橋線を下りて行くと、民家の脇に焙烙地蔵(久喜市栗橋東3-16)が鎮座している。
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『栗橋町指定文化財 焙烙地蔵
 昭和五十三年三月二十九日指定
 むかし、現在の利根川に関所が設けられ、人の通行をきびしく取締っていた時代、関所を通らないで渡った者、あるいは、渡ろうとくわだて事前に発見された者は、関所破りの重罪人として火あぶりの刑に処せられたと伝えられている。処刑場も地蔵尊のある現在の場所であったという。
 こうした多数の処刑者を憐れみ、火あぶりになぞらえて、その後土地の人が供養のため焙烙地蔵として祭ったものである。今も焙烙に名前を書き入れ奉納されているのが見受けられる。
 また、エボ地蔵ともいわれ、あげた線香の灰をエボにつけると治る、といい伝えられている』

 エボ地蔵の部分を読んでランサーエボリューションが脳裏に浮かんだが、地蔵の描かれた痛ランエボとかちょっとシュールだな。
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 焙烙地蔵尊。

一言神社(栗橋中央一丁目)

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 栗橋駅東口、静御前の墓から少し北東に向かうと民家前に一言神社(久喜市栗橋中央1-2-15)が鎮座している。
 GoogleやMapion、Navitimeなどのウェブマップでは久喜市栗橋中央1-2-15と書いてあるのだけど、神社の所在地をまとめたサイトや埼玉県庁公式サイトなどを見ると久喜市栗橋中央1-1046になっているのは何故なんだ。しかも埼玉県庁サイトは今月12日に更新されている筈なのに。まあいいや。
 こちらも由緒書き等は見当たらないのでググってみると、静御前の侍女であった琴路が最勝王院(現在の経蔵院)の境内に静御前の鎮魂の為に創建したものであり、静御前が今際の際にただ一言、義経の名を呼んで息絶えたので一言神社なのだとする伝説や、利根川の洪水の際に人柱にされた旅の母子が一言言い残そうとしたが叶わず村人達によって水中に投げ込まれてしまったので、その慰霊の為に一言神社が建立されたと言う伝説が残っているのだそうだ。こうなると、じゃあ御祭神は一言主神とは違うの? となりそうだが、実際のところは不明ながら一言主神がそうであると見做されているようだ。
 右側の小さな祠は稲荷神社。
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 元禄二己巳天十月(1689)造立の青面金剛。
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千勝神社(井坂)

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 栗橋駅の西南に位置する千勝神社(久喜市伊坂1339)。
 鳥居の石額には三島大明神・千勝大明神・御霊宮の名が刻まれている。
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 拝殿。
 由緒書き等は見当たらないのでググってみると、事代主命と猿田彦命を御祭神としているようだ。三島神社の事代主命と千勝神社の猿田彦命として、御霊宮に祀られているのはどなたなのだろう。
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 狛犬。
 台座には明治四拾壹年三月丗一日大々御神楽執行と刻まれているので1908年の造立。しかし壹と一が混ざっていたり三が参じゃなかったり、この新旧混ざり具合はなんだろう。
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 社殿東側から。
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 本殿裏手に庚申待供養塔。
 猿田彦命を祭神としている割には庚申塔が少ないな、ここ。どうやら青面金剛などはこちらのすぐ北側にある真言宗迎盛院に纏められているようだ。
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 子之権現神社。
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 浅間神社鳥居。
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 浅間神社と小御嶽神社。
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 雨宮神社と……なんだろう?

感覚稲荷神社(松永)

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 松永神社の南西に鎮座する感覚稲荷神社(久喜市松永)。
 ここから数メートル東に向かうと、改築されたばかりと思しき祠が三つ東を向いて並んでいるが、近くにいた人に地図に載っていないが個人所有の神社なのかと尋ねてみたらそうだとの答えがあったので、そちらは参拝していない。
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 この辺りは旧利根川堤防の跡で、鎌倉古道が通っていたのだそうだ。松永神社のそばにプレートが建てられていたのだが、撮影しておくのをうっかり忘れていた。

松永神社(松永)

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 埼玉県立栗橋北彩高等学校の南側に鎮座する松永神社(久喜市松永345)。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
 由緒書き等は見当たらないのでいつものようにGoogle先生に訊いてみると、永正二年(1505)に紀伊国(現在の和歌山県)から移り住んだ松長慶長(鈴木三郎)が土地を開発し、それより先に土地の開拓を行なっていた草加、村上、倉橋の三氏を祀った地神尊と共に、氏神として紀伊より勧請した熊野神社を奉斎。後、村内に星宮神社と香取神社、天神社を創建。現在の松永神社はこの内の星宮神社を母体としており、幕末に香取神社が合祀され、明治四十三年(1910)に熊野神社と天神社、稲荷神社を合祀し、大正三年(1914)に松永神社に改称したと言うことだ。また、松永神社になる前は星野神明社とも呼ばれていたようである。
 御祭神は天香香背男命・須佐之男神・伊邪那岐神・伊邪那美神の四柱であると言うことなので、星宮神社と熊野神社が主体になっているようだ。香取・天神・稲荷も合祀されているので、経津主命・菅原道真公・倉稲魂命も配祀神として祀られているのだろう。
 余談だが、松長村は延享四年(1747)に一橋家領となった時に松永村と改めたのだそうだ。
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 逞しい狛犬。
 台座には文化七庚午歳三月吉辰日と刻まれているので1810年の造立。
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 拝殿前左側の祠に納められた神輿。
 祠の中には雷電神社修繕寄附と書かれた板が打ち付けられているので、こちらは雷電神社と言う事になるだろうか。
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 左から稲荷社、天神宮、熊野大権現、地神尊。
 天神宮は文化六己巳九月(1809)、地神尊は天保二年辛卯九月(1831)の造立。
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 松永神社社殿両脇に建てられたこちらの祠には額などは無かったので何神社なのかは不明。ただ、先程の石祠に中には香取神社は見当たらなかったので、このどちらかが香取神社であるのかも知れない。
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 左側の祠の中には関羽と周倉を描いた大絵馬が掛けられている。

八幡神社(佐間)

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 国道125号線と埼玉県道316号阿佐間幸手線の交わる佐間西交差点の東、真言宗豊山派八幡山定福院の西隣に鎮座する八幡神社(久喜市佐間577)。
 鳥居を撮影していたら氏子の方々による境内の清掃が始まったので、邪魔にならないようにこちらは後回しにして先に羽黒権現神社、白山神社、元香取神社、八幡社を参拝。この四社は駐車場が無いのでこちらに車を置いて徒歩で移動。戻って来た時には既に清掃は終了していたので参拝。
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 拝殿。
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 歌舞伎絵馬案内板。
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 青龍権現社。
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 祠の中には辨財天と青龍大神。
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 嘉永三庚戌年(1850)造立の狛犬。
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 拝殿左側に愛宕神社。
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 愛宕神社本殿と狛犬。
 本殿の中には勝軍地蔵像が納められているのが見える。その隣に額が置かれているが、文字がうねっていてなんと読むのかわからない。
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 拝殿右側に神輿殿。
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 本殿裏手には笠間稲荷神社。
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 笠間稲荷神社横から。

八幡社(高柳)

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 臨済宗円覚寺派荷王山寶聚寺の北西に鎮座する八幡社(久喜市高柳)。
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元香取神社(高柳)

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 高柳寺新田香取会館の隣に鎮座する元香取神社(久喜市高柳2224)。
 元香取と言う名の由来はなんなのだろう? この辺りの地名は元ではないし、遷宮記念碑を見ると何処かの神社に合祀されたが故に元香取と言う名前になった訳でもないようだ。
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 拝殿。
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 元香取社遷宮記念碑。
 昭和十一年十二月十九日と刻まれているので、1936年に何処からかこちらに遷座して来たのだろう。

八坂神社(栗橋北二丁目)

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 埼玉県道60号羽生外野栗橋線八坂神社前交差点の下に鎮座する八坂神社(久喜市栗橋北2-15)。
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 神輿復元記念碑。
『慶長年中(1596~1615)利根川洪水のとき、水溢を防かんとて村民等堤上に登り居たりしに、渺々たる水波の中に鯉魚と泥亀とあまたかこみ神璽と覚ほしきもの流れり。引き上げ見るに全く御神像にて元栗橋の天王なること集へる村民等しく見認め得たりしかば、衆庶皆奇異の思ひをなし、かゝる乱流の中に傾覆の患ひもなく、鯉魚泥亀の類囲みて當所に流れ来る事は之れ霊の然らしむるところとなし、則爰に勧請す。(八坂神社縁起─「武蔵風土記」より)

 栗橋町総鎮守八坂神社は、素戔鳴尊を祭神としてお祀り申しあげている。神社創建以来氏神として人々の深甚なる信仰を集めつゝ、元和元年甲子歳(1615)には、神への祈りと親愛感の結晶として、関東一円にも他に並ぶものゝない堂々たる「みこし」が氏子の総意によって造営されたのである、それより江戸・大正・昭和と、三百五十有余年の星霜を経て、なおその威容を誇る「みこし」は造営当時の輝きを失わず、明治十九年には明治天皇御自ら親しく天覧なされ、よってその栄誉は一段と高められたのである。
 人々を熱狂の渦に巻きこみ、神の御霊と人々の心が一体となり、町全体が興奮の坩堝と化する夏の大祭。勇壮なる掛声と共に「みこし」が奉舁され、人々は躍動する心の根源をこゝに培っていくのである。
 この長い伝統の基盤の上に、人々の魂のよりどころ、生命の支えとして、祈りと愛着に守られてきた「みこし」がこゝに新たに改修復元されて現代に甦えることになった。町民の熱烈なる心が見事に結実して、「みこし」の復元並びに「みこし殿」が立派に完成した。栗橋町の未来永劫に至るまでの発展は、こゝに約束されたのである。こゝに大いなる喜びを表明して記念碑を建立するものである。
 昭和四十六年七月一日』
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 神輿殿と忠霊塔。
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 八坂神社の神輿案内板。
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 八坂神社の神輿案内板其の二。
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 二の鳥居。
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『栗橋町総鎮守 八坂神社縁起
 御祭神 素盞鳴命
 慶長年中利根川洪水ノトキ水溢を防カントテ村民等堤上ニ登リ居タリシニ渺々タル水波ノ中ニ鯉魚ト泥亀トアマタ囲ミ神璽ト覚ホシキモノ流レ来タレリ引キ上ゲ見ルニ全ク御神像ニテ元栗橋ノ天王ナルコト集ヘル村民等モ見認メ得タリシカバ衆庶皆奇異ノ思ヒヲナシカゝル乱流ノ中ニ傾覆ノ患ヒモナク鯉魚泥亀ノ類囲テ当所ニ流レ来ル事ハ之レ霊ノ然ラシムトコロトナシ則ニに勧請ス
 元和年中當地開墾栗橋宿ト称シ奥羽日光両街道ト定メラレ衆庶集マル為鎮守神社益々殷賑ス
  新編武蔵風土記
 平成二年御大典記念』
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 手水舎の水盤横に鎮座する石祠。水神様かな?
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 拝殿。
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 狛犬ならぬ狛鯉……でいいの? 亀も一緒に神像を守って来たと言うのに、扱い小さいよーな。
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 台座には御祭神と由緒を刻んだプレートが嵌め込まれている。
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 八幡神社と皇太神宮。
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 八幡神社案内板。
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 皇太神宮案内板。
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 秋葉神社。
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 左側は御嶽山神社・八海山神社・三笠山神社。その下に木食普寛。
 右側は水神宮・大杉大明神。
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 左奥から稲荷社、稲荷神社、山王社・日吉神社。
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 日吉神社案内板。
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 以上で4月13日参拝分終了。まさか書くのに一週間も掛かるとは……。これから昨日参拝して来た神社の写真のRAW現像を始めなければならないことを考えると、また一週間くらい掛かりそうだ○刀乙
 使用機材はK-5IIsにDA15mmとDA21mm、FA31mm、FA43mm、FA77mm。Coolopix P7100。

香取神社(栗橋北二丁目)

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 真言宗豊山派経蔵院の西隣に鎮座する香取神社(久喜市栗橋北2-14)。
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 拝殿。
 木で見えないけれど、左側に愛宕会館がある。名前から推測するに、こちらの香取神社には愛宕神社も合祀されているのだろうか?
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 大辨財天。
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 御神木。

 4月28日追記:別のことを調べていたらなぜかこちらの神社がHit。どうやら古くはこちらには愛宕権現堂があったのだそうで、現在は八幡神と愛宕神を合祀しているとのこと。また、勝軍地蔵像も安置されているそうだ。

水神宮(栗橋)

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 日蓮宗常薫寺跡地の北側、堤防脇に鎮座する水神宮(久喜市栗橋)。
 常薫寺は現在はここより南西の栗橋東中学校そばに移転しており、会津見送り稲荷からも見ることができる。ちなみに会津見送り稲荷とも縁の深い寺院であるのだそうだ。
 閑話休題。利根川上流河川事務所のサイトを見ると、こちらの水神宮は昭和六年(1931)に東京土木出張所長の真田秀吉氏が個人で建設したものであると書かれている。
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会津見送り稲荷(栗橋東六丁目)

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 国道4号線を挟んでベイシア栗橋店の西側に鎮座する会津見送り稲荷(久喜市栗橋東6-22)。民家の敷地内にあるので、許可を頂いて参拝。
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 鳥居。
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『栗橋町指定文化財 会津見送り稲荷
 昭和五十三年三月二十九日指定
 江戸時代、徳川幕府が参勤交代制をとっていたころ、会津藩の武士が藩士江戸参向に先立ち、先遣隊として江戸へ書面を届けるためこの街道を栗橋宿下河原まで来たところ、地水のため通行できず、街道がどこかわからずたいへん困っていると、突然白髪の老人が現れて道案内をしてくれた。お蔭で武士は無事に江戸へ着き、大事な役目をはたせた、という。
 また、一説には、この地で道が通行できずに大いにあせり、そのうえ大事な物を忘れたことに気がつき、困り果てたすえ、死を決意した時、この老人が現われ藩士に死を思い止まらせた、ともいわれている。
 のちになって、この老人は狐の化身とわかり稲荷様として祭ったものである』
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 拝殿。
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 その隣には正一位妙寿稲荷大明神。
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 弘化四丁未年十一月(1847)の力石と文政十丁亥歳二月(1827)の石燈籠。
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 正徳四午稔十月十六日(1714)の庚申供養塔。
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 水盤。
「会津家中芝誥西部屋一ノ宮彌久組中」と刻まれている。

川通神社(栗橋東六丁目)

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 川通会館の隣に鎮座する川通神社(久喜市栗橋東6-20-13)。しかし目印としてはライブシアター栗橋の方が目立つので、その西側と言った方がわかりやすいかも。
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 鳥居。
 石の額には香取宮と八幡宮の名が刻まれている。
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 本殿は瑞垣に囲われていて殆ど見えない。
 その左側に笠間稲荷神社。右側に富士仙元宮。
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 六地蔵尊と庚申塔、青面金剛。
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 六地蔵尊。
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 六地蔵尊と地蔵尊。青面金剛。
 青面金剛は享保七壬寅天十月吉日と刻まれているので1722年のもの。

香取神社(中里)

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 中里下香取会館の隣に鎮座する香取神社(久喜市中里96-1)。
 氷川鹿島大神宮の次に参詣するつもりだったのだが、鳥居の横などに車が数台置かれていたので、時間を置けば無くなっているだろうと思い先に他の神社巡りをしてからリターン。
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 拝殿。
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 末社。
 左は何神社か不明だが、寶暦十年(1760)のもの。右は天満宮で嘉永五年子年十二月(1853)のもの。
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 天満宮。
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 稲荷社かな?
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 如来堂。
 神将などもあるので薬師如来堂かと思ったのだが、薬壷を持っていないので違うかなー? 印相は見てもよくわからない。手首取れてるし。

 こちらから少し北西に向かうと猿田彦大神が鎮座しているのだが、すっかり忘れ去っていた。後で行こう。と言うか翌週の20日(つまりこのエントリーを書いた日)に参詣して来た。

稲荷神社(間鎌)

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 間鎌稲荷会館の隣に鎮座する稲荷神社(久喜市間鎌159-1)。
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 お狐様。
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 拝殿。
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 地神尊。
 側面に享和元辛酉年四月吉蓂日と刻まれているので1801年のもの。

八幡神社(間鎌)

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 久喜市立栗橋西中学校の脇に鎮座する八幡神社(久喜市間鎌332-3)。
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 拝殿。
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 左から辨財天宮、稲荷大明神、稲荷大明神・稲荷大明神。
 辨財天宮は明治四十年と刻まれているので1907年。右側の稲荷大明神は安永七戊戌二月吉日と刻まれているので1778年のもの。
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 浅間宮。
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 地蔵尊と光明真言百万遍供養塔。
 供養塔は明和二乙酉十一月吉祥日と刻まれているので1765年のもの。
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 坂東様…って、なに? 中には納経塔が納められていたので仏教系だと思うけど。

天神社(間鎌)

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 間鎌天神会館の隣に鎮座する天神社(久喜市間鎌530-1)。
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 拝殿。
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 稲荷神社。
 中には狐に乗った老人の絵があり、常州笠間と書かれていたので笠間稲荷神社からの分霊なのだろう。

大神宮(北広島)

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 北広島公民館の北東、東武日光線の脇に鎮座する大神宮(久喜市北広島1232-1)。
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 斜めから。
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 石祠、甲子供養塔、十九夜供養塔、馬頭観世音。

北広島地蔵尊(北広島)

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 北広島公民館の南隣に鎮座する北広島地蔵尊堂(久喜市北広島1328)。
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 地蔵菩薩像案内板。
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 地蔵堂竣工記念碑と豊田村旧役場・夜間学校遺跡碑。
『自在山金剛院地蔵堂竣工記念碑
 往古より安産子育ての守護仏として地区住民から深い信仰を得ていた北広島金剛院地蔵堂が、平成十四年九月二日夜八時頃時を同じく北広島天神社と共に不審火で全焼してしまいました。
 地区住民は茫然とし日常生活も手が付かないという状態でしたが気を取り戻し再建に向け動き出しました。
 再建に当たり区長を初めとする三役、総代、組長、有志に依り構成された建設委員会に基づく再建会議を開催し、天神社そして地蔵堂の順に再建を図ることを決定し、時々密蔵寺住職さんにもご意見を伺いながら再建内容の検討を進めてまいりました。
 出来得るならば、この度の火災に依り保険会社から支払われた保険金並びに資金等を含めた約一千八百万円の範囲内で再建すべく検討して参りましたが、地蔵菩薩他五体のご仏像の復元費用等がどうしても不足することから再建会議出席者全員の苦悩の末地区住民の皆様より貴重な御浄財を集めさせていただきました。
 再建のための建築工事は大利根町の染谷工務店にお願いし、平成十六年三月十四日に起工となり同年十二月十八日漸く待望久しき竣工の日を迎えました。
 ここに再建事業竣工に当たり本事業に寄せられた各方面からの支援に深甚なる感謝の意を表すると共に再びこのような悲しみを地区住民が味わう事の無いよう祈念し、後世のためこの碑を建立する次第でございます。
 平成十七年三月吉日』
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『北広島安産子育地蔵尊縁起
栗橋町大字北廣島に安置し奉る地蔵尊は今を去る壹千参百年の昔聖徳太子一刀三禮の御靈作と傳えられ安産子育の守護佛として其の靈験あらたかなること能く人の知る所なり
時偶々明治革新の際廃佛毀釋の風に会し當尊の信仰も漸次衰退に向う明治九年地租改正の砌俗吏此の有難き地蔵尊を他へ移し何れかに合併せんとして忽ちに佛罰を蒙り身体の自由を失う俗吏大いに恐愕し地蔵尊を元の位置に奉安して其の許しを乞いたりと是れ古老の語り傳えられたる実談なり
現在の堂宇は享保年間に再建せられたるものにして幾多の星霜を閲し且つ昭和二十二年利根川の大洪水に困る被害の為由緒深き堂宇も其の破損甚だしきを以て一般信徒を勧化し参百余名より金壹百萬圓の浄財喜捨を得て茲に大改築を完成し昭和三十五年十一月落慶の法儀を嚴修す
夫れ地蔵菩薩は微妙功徳の伏蔵解脱珍寶の出家なり廣く行善の固を照すこと日の光耀に同じく速やかに煩惱の熱を除くこと月の清涼の如し代受苦を以て本誓と為し庶人の痛苦を救度し給う 仰ぎ願くば
  世界平和 萬民豊楽 佛日増輝 常轉法輪
  風雨順次 五穀豊穣 乃至法界 平等利益
   維持 昭和三十六年七月吉祥日』
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 馬頭観音祠。
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 馬頭観音。
 文化七年十二月吉日と刻まれているので1810年のもの。「西 羽生 加須 ふどうをふ(不動王?)」などの文字も見えるので、道標も兼ねていたのだろうか。

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 地蔵尊堂からやや北東にある民家脇に鎮座する青面金剛。
 元禄十丑年と刻まれているので1697年のもの。

天神社(北広島)

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 北広島公民館の南東に鎮座する天神社(久喜市北広島923-1)。
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 拝殿。
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『北広島天神社社殿竣工記念碑
 往古より霊験灼たかな守り神として当地に鎮座し、地区住民の心の拠り所として深く慕われて来た北広島天神社社殿が、平成十四年九月二日夜八時頃時を同じく北広島地蔵堂と共に不審火で全焼してしまいました。
 地区住民は茫然とし日常生活も手が付かないという状態でしたが気を取り戻し再建に向け動き出しました。
 再建に当たり区長を初めとする三役、総代、組長、有志に依り構成された建設委員会に基づき再建会議を開催し、天神社そして地蔵堂の順に再建を図ることを決定し、八坂神社染谷宮司にもご意見を伺いながら再建内容の検討を進めてまいりました。
 最終的には、再建会議出席者全員の総意の下、天神社については新たに地区住民から寄付金を集める事はせず、この度の火災に依り保険会社から支払われた保険金約一千百万円の保険金の範囲内で再建しようという事になりました。
 再建のための建築工事は大利根町の染谷工務店にお願いし、平成十五年五月四日に起工となり、同年十二月十四日、関係各位のご支援とご協力の下、待ちに待った竣工の日を迎えました。当日は天候にも恵まれ地区住民一同歓喜に咽ぶ一日となりました。
 ここにこの事業の竣工に当たりその趣旨と経過を略記すると共に再びこのような悲しみを地区住民が味わう事の無いよう祈願し、後世のためこの碑を建立する次第でございます。
 平成十七年三月吉日』
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 末社。

香取神社(南栗橋四丁目)

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 南栗橋駅西口に鎮座する香取神社(久喜市南栗橋4-15)。
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 狛犬。
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『香取神社
 所在地 栗橋町大字中里四二三番地
 香取神社の祭神は、経津主命である。
 埼玉県社寺明細帳には「元禄十年(1697)に除税地となる」とあるので、それ以前に創建されたものと推定されている。
 新編武蔵風土記稿の中には、「村の鎮守なり、狐塚村泉福寺持」と記載されている。
 現在の社殿は、昭和四十一年(1966)に再建されたもので、地元の人たちにより元旦、四月十五日、十月十五日の日に祭礼が行なわれている。
 境内には、嘉永三年(1850)奉納の石燈籠、享保十年(1725)の石塔などがある。
 昭和六十三年三月』
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 拝殿。

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 聖観世音菩薩・不動明王堂。
『当聖観世音菩薩、不動明王堂は栗橋町施行豊田土地区画整理事業の実施に伴い道路用地となるため町の要請に応じ檀信徒一同相諮り南東方約七十メートルの現在地に尊堂を建立し諸尊を安置し奉る
 此処にこの趣旨を後世に傳えるため記念碑を建立す
 昭和六十一年五月吉日』

真光寺(小右衛門)

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 真言宗豊山派不動山梅正院真光寺(久喜市小右衛門516)。
 右奥に見えるのは弁財天祠堂。
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 愛敬学校・聲門学校遺跡碑、観世音堂改築碑、真光寺新築記念碑、本尊建立記念碑、本堂落慶記念碑。
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『本尊建立記念碑
当山は真言宗豊山派に所属し栗橋町小右衛門の郷国道四号線添に大伽藍聳えたりしが昭和十八年(1943)八月落雷の爲全焼。観音堂を堂宇として再建を企つるもたまたま住職照信僧都病にたおれ不歸の客となる。其の後兼務住職顕隆僧正再建を企つるも時到らず機熟せず徒に星は流れ月重なりて三十有余年爰に檀徒飯塚正夫氏発信し総代各位に諮り檀信徒各位の浄財を仰ぎ再建す。而し乍ら信仰の対象たる木尊佛なきを悲しみ飯塚氏自己の浄財有意の士各位の浄財を仰ぎ爰に尺有余の直座不動明王の本尊を建立すると共に燈籠其の他燭台等を供える事を得たり
 昭和四十八年五月吉日建之』

八幡神社(小右衛門)

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 真光寺の西側に鎮座する八幡神社(久喜市小右衛門)。
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 拝殿と狛犬。
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『小右衛門下組八幡神社新築記念碑
一、祭神 
 誉田別命
一、創立沿革
 栗橋町大字小右衛門上地区堤外に有る川通神社の八幡神社を、小右衛門下組氏子共有の氏神として、小右衛門集落の東端旧権現堂川の堤外にて、四号国道より北東一百米程の田園の中、大字小右衛門字堤外四十八番地に勧請して建立、年月は不明その後大正三年五月二日川通神社に合祀されたが、社殿は元のままとして旧氏子に依り祭祀を行っていた。
 平成九年神社のある、堤外地域一体が、県営権現堂公園建設の予定地となり買収される。大島地区在住の木村定生氏の協力により、同氏所有の小右衛門五反田八五一番地面積五二八㎡を譲り受け移転、社殿の新築を計る。
一、建立沿革
 創建、再建、年月等不明、前社殿は昭和二十八年四月十五日、新築、社殿、木造瓦葺破風造り、三坪 平成十年二月移転の為解体、新社殿は平成十年九月新築 社殿、木造銅板葺千鳥入母屋作り、六坪
一、行事儀礼
 元旦、四月十五日、十月十五日
 氏子 参拝して神饌を捧ぐ
 ここに神社の完成を祝し記念碑を建立し永く後世に伝承するものである。
 平成十年十月吉日』
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 正一位八幡大神宮・香取神社・稲荷神社。

弁財天祠堂(小右衛門)

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 国道4号線工業団地入口交差点の南、真言宗豊山派不動山梅正院真光寺の北隣に鎮座する弁財天祠堂(久喜市小右衛門516)。
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『久喜市指定文化財(史跡)一里塚
 指定年月日 平成四年七月三十日
 所 在 地 久喜市小右衛門五一六
 慶長九年(1604)江戸幕府は、大久保長安に命じて東海道・中山道・日光道中・奥州道中・甲州道中の五街道をはじめとして、主要街道に一里塚を築かせた。
 江戸の日本橋を基点として、一里(約四キロメートル)毎に塚(土盛り)を築き、その上に榎などの木を植えて道のりを表し、伝馬制度に大きな役割を果たしたほか、旅人の休憩所にも利用された。
 道中奉行所が作成した「五街道分間延絵図」のうち、日光道中を描いた「日光道中分間延絵図にも、この一里塚が描かれている。
 この塚は、幸手宿と栗橋宿の中間で小右衛門村にあったものである。
 現在、塚の上には、昭和初期に付近から移築されたという弁財天堂が建てられている。
 塚の高さは西側から約二メートル、東側(道路側)は約○・六メートルで、塚の形体と当初の広さを残し、当時の姿を偲ぶことができる。
 平成二十五年三月二十一日』
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『弁財天再建之碑
 久喜市小右衛門地区を南北に通る、国道4号線堤下にある。寺院「真光寺」境内の、一隅にある一里塚跡地に建つ弁財天堂は、その歴史も古く江戸時代に徳川幕府が作成した。「日光道中分間延絵図」で文化三年(1806)には、道路を挟んだ一里塚の反対側に建てられていたことが確認されている。その後道路の拡幅により一里塚跡地に移築されたものと見られている。
 現在の祠は昭和三年(1928)に小右衛門地区在住の皆様や関係者の方々の寄付金により新築されたものである。しかし永年の風雨を受け維持管理が困難となりこのたび地域在住の多くの方々の意向を受け、皆様方からの浄財を持って祠の再建を実施するに至った。
 当弁財天堂が、地域の繁栄と幸せを永らくもたらすものと確信し、その再建を記念碑に刻み建立する。
 平成二十四年二月吉日』
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氷川鹿島大神宮(狐塚)

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 中川に架かる昭和橋の北側に鎮座する氷川鹿島大神宮(久喜市狐塚217)。
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『氷川鹿島大神宮
 所在地 栗橋町大字狐塚二一七番地
 この神社は、「氷川神社、鹿島大神宮」と称し、祭神は素盞鳴尊、建御雷命である。
 社殿がないので、くわしい由来については不明であるが、埼玉県社寺明細帳に「元禄十年(1697)除税地になる」とあるので、それ以前に、創建されたものと推定される。
 新編武蔵風土記稿には、「村の鎮守なり、狐塚村泉福寺持」と記載され、また、前記埼玉県社寺明細帳には、「天保十四年(1843)氏子協力し再建せり」とある。
 現在の社殿は、昭和三十年に建立されたものである。例祭は四月十五日、十月十五日と春秋二回行われている。
 また、境内には、文久年間(1861~63)建立の庚申塔や二十三夜供養塔などがある。
 昭和六十三年三月』
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 二の鳥居。
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 御嶽山蔵王大権現・八海山大頭羅神王・三笠山刀利天宮。
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 拝殿。
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『狐塚氷川・鹿嶋神社改築記念碑
一、名 称  氷川神社 鹿嶋大神宮
一、所在地  栗橋町大字狐塚四番二一七番地
一、所有者  埼玉県神社庁
一、祭 神  素盞鳴尊 武甕槌命
一、創立沿革 往古より之あり、元禄十丁丑(1697)年除税地と相成り、及々大破した
      ので天保十四年中(1843)、氏子力を協せて再建せり。明治六年(1873)
      村社と許可。同四十三年(1910)三月二十五日、同村同字四番無格社御嶽
      神社を合併す。大正五年(1916)九月十四日、本殿改造許可。同年十一月
      十五日工事落成。
       昭和二十二年(1947)九月 洪流により鳥居流失。
一、建設沿革 昭和二十四年(1949)四月 本殿屋根葺替え及び鳥居再建
       昭和三十 年(1955)五月 本殿屋根瓦改造と修理
       昭和四十九年(1974)四月 神社修復、鳥居修理
       昭和六十一年(1986)十月 鳥居修理
       社殿入母屋、木造瓦葺、六坪
                境内地 三二二坪
一、行事祭礼 四月十五日、十月十五日
            春秋二回の祭礼を行なう。
       部落三班に分れ輪番制で祭礼を行なう。
一、地 勢  字のほぼ中央を南北に貫く県道幸手杓子木線の東側に位置し、南は中川
      堤塘北方には内池が清澄な水を湛えているが、西方は水田が開けている。
      社殿の後方に杉は鎮守の森を形成していたが近年公害により枯死し現在は
      数本を残すだけとなって居る。
   以上が昭和六十四年迄の元神社の概況であり、町の資料による。
一、焼 失  平成二年六月十八日、放火により木造瓦葺入母屋の社殿六坪と、中の本
      殿も全焼する。
一、再 建 石の鳥居    平成元年十月、十尺、御影石造り、木造鳥居の柱部分
             老朽化の為、大字の特別会計で之を建立する。
      神前燈籠 一対 鳥居の建立と同時に神社の役員他等で御影石で新設する。
      社殿を改築   平成二年八月より、平成三年四月まで
           拝殿 入母屋、木造銅板葺、建坪 六坪
           本殿 木造、唐破風造り
              社殿の改築の費用は、すべて氏子の寄附金による。
  平成三年四月吉日』
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 向い側の公園に置かれた狐像。
 狐塚と言うくらいだし、狐に関わる言い伝えでもあるのかな。

香取神社(新井)

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 新井集落センターの北隣に鎮座する香取神社(久喜市新井272)。
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 拝殿。
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 狛犬。
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 天満宮と辨財天。
 天満宮の側面には文化十癸酉十二月吉日(1814)、辨財天の側面には文化三丙寅年正月(1806)と刻まれている。
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 稲荷神社。
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香取神社(河原代)

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 ファミリーマート栗橋河原代店のすぐ東側に鎮座する香取神社(久喜市河原代682)。
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 本殿落慶記念碑。
 香取神社と稲荷神社が合祀されているようだ。
『本神社は栗橋町施行の町道幹線二号線整備事業の実施に伴い築造用地として町の要請に応じ境内地及び参道の一部を協力をしこれを機に氏子一同に相諮り買収費並びに河原代地蔵尊の浄財を建築費に充て天皇陛下即位十周年を記念して境内地内の整備と本殿の新築を行い諸社を安置し奉る。
ここに趣旨を後世に伝える為記念碑を建立する』
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『河原代の氏子祖先幾代この香取神社の社前に額いては神恩の辱さを感謝して参りました既に明治十三年にも社殿の改築を成し今又昭和二十二年九月十五日のカサリン颱風の暴威に依る東村新川の堤塘大決潰は未曽有の災害を起し當社殿も毀損甚しく速に之が再建を企圖せしも連年の不作は意に任せず延引致しました講和を記念する本年は幸豊作に惠まれ人々神威を感じ再建意慾に燃立ち多額の醵出も惜まず喜び勇んで改築を了しましたことは實に神妙の極である茲に概畧を記し寄附者の氏名を列ねて後世に傳える
 昭和二十六年九月十日』

香取神社(河原代)

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 北広島香取神社から少し北へ向かうと、畑の中に香取神社(久喜市河原代)が鎮座している。
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 拝殿。
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 狛犬。
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『抑当社は正保二年(1645)乙九月始経営し、爾後洪水の為に毀壊されれ因て安永二亥己歳〔*1〕本社を営造し、弘化四未十二月(1848)両家を再建。其の後明治八乙亥歳(1875)九月新たに拝殿を造立し、今明治十丁丑九月(1877)内殿并右本社、鳥居両様根続き屋根共に改め修復に及びうやまった奉拝すべく者なり』
 註*1 安永二年は癸巳で1773年。安永八年なら己亥で1779年。さて、どちらだろう?
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 稲荷大明神。
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 社殿南側から。
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香取神社(北広島)

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 河原代福寿会館の北東に鎮座する香取神社(久喜市北広島)。
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