天満宮(片柳町一丁目)

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 栃木駅の北西約900m程の位置に鎮座する天満宮(栃木市片柳町1-14-3)。
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 拝殿。
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 狛犬。
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 本殿。
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 雷電神社。

 以上で5月23日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mmとDA20-40mm、DA FISH-EYE 10-17mm、SIGMA 50-150mm II。X30。
 この日の歩数は23,468歩。ついでに二杉神社まで行こうかとも思っていたのだが、あまり時間が無い&面倒臭くなったので境町交差点そばの有料駐車場まで戻り、そのまま帰宅。
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稲荷神社(大平町西山田)

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 御嶽神社の南東およそ160m程の位置に鎮座する稲荷神社(大平町西山田2862)。
『主祭神 宇気姫命
 古老によれば、創立年代は不詳という。本殿は氏子より奉納されたもので、五穀豊穣の御神徳を仰ぎ祭典を行なっている』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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 先の二社と違い、こちらは大通りからは見え難い場所にあるのでわかりにくい。そもそも「なんとなくあの辺にありそう(キュピーーン)」と勘で行ってみたら本当にあったので驚いたくらいだ。地番はわかっていてもウェブマップでは表示されないので正確な場所がわからず、まさか三社とも見つけることができるとは思っていなかった。

道祖神社(大平町西山田)

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 道端に聳える木の根元近くに鎮座する道祖神社(大平町西山田3121)。
『主祭神 猿田彦命
 創立年代は詳らかではない。本殿は氏子より奉納されたもので、御祭神猿田彦命は、道開きの神として仰がれている』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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 ほぼ向かい側には馬頭観音。
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御嶽神社(大平町西山田)

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 西山田の龍神社にほど近い農道脇に鎮座する御嶽神社(大平町西山田2911)。
 駐車場なんてあるわけがないので、龍神社脇の集会所前に車を置いて、後は徒歩で。
『主祭神 國常立命
 古老によれば、創立年代は不詳という。本殿は氏子によって奉納され、國常立命を国家安泰・五穀豊穣の神として仰いでいる』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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天満宮(大平町西野田)

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 大平西野田郵便局の西側に鎮座する天満宮(大平町西野田60)。
 入口は大平西野田郵便局の50m程南、両毛丸善大平町給油所のほぼ向かい側。車で入るのは無理なので大平町健康福祉センターに駐車してから徒歩で戻って来たのだが……中央保育園側に回れば車で境内に乗り入れられるじゃんよー○刀乙
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 平成十三年(2001)八月建立の鳥居。
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 栃木県神社誌、大平町誌共に記述無し。
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 庚申塔など。

八坂神社(大平町西水代)

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 栃木市立大平南小学校の北側に鎮座する八坂神社(大平町西水代1832)。
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 参道。
 奥の石燈籠は天保九戊戌年(1838)六月の造立。
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 明治四拾貮年(1909)三月造立の狛犬。
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 拝殿。
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『主祭神 素盞鳴命
 本社は天慶三年(940)の頃、藤原秀郷が平将門を追討の時、戦勝祈願のため山城国愛宕郡祇園社より下都賀郡児玉郷祇園原に勧請したものと伝えられる。
 その後天正九年(1581)に氏子一同、協力して現在の地に移し社殿を建立したと言う。
 正徳元年(1711)には京都神祇官より贈位かつ「天王清」との社号を賜わる。以来当字の鎮護神として崇敬されている。
 明治初年に「八坂神社」と改められ、同四年(1871)村社となり同三十九年(1906)拝殿を改築し、大鳥居を建てる。同四十年五月三日「供進指定社」となる。同四十二年(1909)十月四日諏訪神社、他四社を合祀し現在に至っている』
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 東から。
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 末社。
 飾り瓦には宝珠紋があるのだが、稲荷神社は祀られていない。
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 中には御水神様と日枝神社、諏訪神社。明治四十二年十月四日合祀。
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「昭和二十一年十一月三日」「新憲法公布記念」とあるが、なんだろうこれ。
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 祭具殿とか。

 諏訪神社他四社を合祀と言うことは、あと二社ある筈なのだが、何神社なのだろう。栃木県神社誌と大平町誌にも、そのことについての記述は見当たらない。

稲荷神社(大平町西水代)

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 栃木市立大平南小学校の150m程東側に鎮座する稲荷神社(大平町西水代)。
 駐車スペースは無いので、少し北にある大平南地区公民館に駐車。
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 拝殿。
 大棟には右三つ巴紋が見える。稲荷神社なのに何故三つ巴紋? とも思ったのだが、大平南小学校の北側に鎮座する八坂神社も右三つ巴紋を神紋としているので、もしかしたらこちらの稲荷神社は西水代八坂神社の境外社なのではないだろうか。栃木県神社誌にも大平町誌にもこちらの神社の記述は無いので詳しいことはわからないのだけど。
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 境内。

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 稲荷神社の北東に鎮座する石祠
 何神社なのかはわからないが、位置的に見て道祖神かな?

八坂神社(大平町榎本)

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 曹洞宗大中寺の東に鎮座する八坂神社(大平町榎本722
『主祭神 健速素盞鳴命
 藤原秀郷が平将門追討の際、山城国愛宕郡八坂郷の祇園社へ戦勝を祈願。神助により平定したことから、承平六(936)年に、この地に勧請したのが当社の始まりである。天正八(1580)年、疫病流行の折、神輿を作って巡行したところ、疫病が治まったという。元は祇園牛頭天王といったが、明治初年、八坂神社と改称した』(「栃木県神社誌」より抜粋)

『承平六年(936)山城国八坂より勧請されたと伝わる。天正八年(1580)疫病流行を御輿渡御によって鎮圧したので、西御庄榎本二五郷の総鎮守となった。別説によると、藤原秀郷は平将門追討の大願がかなったので、小山、結城、榎本の三ヶ所に祇園三社を祀った(940年頃)のが、この神社の始まりといわれている』(「大平町誌」より抜粋)
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 拝殿。
 鳥居の影がいい感じで落ちてくれていた。
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 昭和五十八年癸亥歳(1983)盛夏七月造立の狛犬。
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 弘化四歳在丁未(1847)八月造立の狛犬。
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 愛宕神社と末社殿。
 末社殿は左奥から大土神社、春日神社、雷神社、稲荷神社、八幡宮、神明宮の六社。昭和六十年(1985)十一月に屋根の改築工事を行なったと記されている。
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 左二つ巴紋のレリーフが埋め込まれているが、社名などは記されていない。こちらの八坂神社の神紋も左二つ巴紋なので、神輿殿なのかもしれない。
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白山神社(大平町榎本)

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 榎本集会所(大平町榎本616-2)の50m程北に鎮座する白山神社(大平町榎本)。
 栃木県神社誌と大平町誌のどちらにも記述が見当たらず、詳細不明。
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 一の鳥居は昭和五十五年(1980)九月、二の鳥居と三の鳥居は昭和五年(1930)九月九日の建立。
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 狛犬。
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 拝殿正面。
 大棟には「亀甲に桔梗」紋が付いている。

三所神社(藤岡町藤岡)

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 東武日光線藤岡駅の北西、ネクスタパッケイ株式会社栃木工場の西側に鎮座する三所神社(藤岡町藤岡)。
『祭神は伊弉諾尊、伊弉冉尊、大己貴命。
 藤岡城主一族の守護神として、初代藤岡城主藤岡伊勢守房行が、唐沢宿現宮から勧請し祀ったと伝う。向かって右側の社は、元、今の内町公民館にあった神明宮を明治四十二年(1909)藤岡神社に移し、昭和二十年(1945)頃現在地に移したものである』(「藤岡町史」より抜粋)
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『藤岡城跡
 平将門が承平二年(932)に後世関東七ヶ城の一つと言われた堅固な花岡館を築城します。
 しかし、天慶三年(940)逆心という名のもとに討たれ、同時に廃城になります。
 寛仁二年(1018)足利成行がその規模東西450m、南北690mに及ぶ中泉城を再興し、一族の佐貫太郎重光に支配させます。後に藤岡城と改められますが、豊臣秀吉の小田原城攻撃により北条方についた藤岡城も天正十八年(1590)落城し、自然廃城になります』
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 狛犬。
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 三社神社と神明宮。
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 石燈籠の跡だろうか? しかしグラスやお猪口が置かれているところを見ると、五輪塔の跡なのかなと言う気もする。
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 南西から。
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 東南から。

 以上で7月13日参拝分終了。この後はチェックし忘れていた大前神社の鳥居と旧社地跡碑を撮影してから帰宅。
 使用機材はK-5IIsにDA15mmとFA28mm、FA43mm、FA77mm。Coolpix P7100。

浅間神社(大平町伯仲)

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 栃木県道160号和泉間々田線に面して建てられた浅間神社(大平町伯仲2993-1)の社号標石。
 こちらへの参詣もまた前回から三年二ヶ月ぶりとなるが、特に以前と変わったところは無い。
『主祭神 木花開耶姫命
 創立は不詳であるが、この地の領主であった渡辺兵庫介の氏神として、ここに鎮座したと伝えられる。今も氏子とのつながりは強い。明治四二年(1909)一二月に星宮神社を合祀。昭和三五年(1960)春、氏子が協力して本殿、および拝殿の改築を行ない、同年四月に遷座。同六三年(1988)、本殿と拝殿の葺き替えを行なった」(「栃木県神社誌」より抜粋)
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 昭和五十五年(1980)四月建立の鳥居。
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 拝殿と狛犬。
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 160号線を挟んで社号標石の南側に厳島神社(大平町伯仲2993-4)。
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 160号線側から。

根渡神社(大平町伯仲)

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 栃木県道160号和泉間々田線と県道252号蛭沼川連線が交差する伯仲交差点の南西、真言宗豊山派円明寺の西隣に鎮座する根渡神社(大平町伯仲1727)。こちらもまた前回より三年二ヶ月ぶりの参詣となる。
『主祭神 劔根命
 創立は不詳。享保年中(1716~36)、氏子が協力して社殿を改築。根渡明神と称していたが、明治初年(1868)に根渡神社と改めた。同一○年(1877)、村社となる。同四一年(1908)、社殿が焼失したため、これを再建し、現在に至る。同四二年(1909)、十二社神社ほか九社を合祀。昭和五五年(1980)、参道の敷石を新設。平成元年(1989)、社殿を修築した』(「栃木県神社誌」より抜粋)

 劔根命は神武東征の論功行賞により葛城国造に任じられたと言うこと以外はどんな功績を立てたのかなどわからないのだが、まぁそれはいい。それよりも何故こちらの神社で劔根命を祀っているのかとか、なぜ根渡明神の名で呼ばれていたのかとか、さっぱりわからん。少し気になったのは、神倉神社の由緒に出て来る観世音菩薩国津八蛇姫命、或いは龍造大權現國津生八蛇姫尊でもどちらでもいいけど、国津は「くづ」、國津生は「くづう」と読むのだとしたら、「くづ」=「葛」で葛城氏の祖である劔根命と関係があるのではないだろうか。熊野速玉大社の摂社である方の神倉神社は天照大神と高倉下命を御祭神としているが、この高倉下命の孫である天忍男命(アメオシオノミコト)と、劔根命の娘である賀奈良知姫命(カナチラヒメノミコト)が婚姻を結び、生まれた瀛津世襲命(オキツヨソノミコト。別名を葛木彦命)が尾張氏の祖となったとされている。蛭沼神倉神社の現在の御祭神は水速女命だが、元は国津八蛇姫命であったことを考えると、元々勧請した人々がこの地に住む葛城氏に所縁のある人達だったのではないだろうかと想像してしまう。尤も「くづ」の一言だけからの発想なのだから、どちらかと言えば妄想の類ではあるのだが(苦笑) そもそも、蛭沼神倉神社は古くは山王寺(現在の山王寺大桝塚古墳の辺りだろうか)の北東にあったと言うことなのだから、地域が違うか。今でも1kmくらい離れてるし。
 そして、なぜ根渡明神なのかと言うのはまるで想像もつかない。他所の根渡神社は水や川に関係した神を祀っていることが多いようだが、劔根命って水神ではないよなぁ。すぐ近くに赤津川、それから永野川と巴波川が流れてはいるけれど。うーん……?
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 拝殿と平成四年(1992)十一月二十三日造立の狛犬。
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 八坂神社
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 御神木と末社。

天満宮(藤岡町緑川)

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 神倉神社の東北東約1.2km程の位置に鎮座する天満宮(藤岡町緑川479-1)。
 鳥居の柱には「爲十二所神社合社八十周年記念 平成元年十一月吉日」と刻まれている。藤岡町史には緑川十二所四七九番地に鎮座と記されているので、十二所神社が小字名の由来になっていたのかも。
『主祭神 菅原道真公
 創立は不詳である。「藤岡町史」資料編近世の「緑川村明細帳」に「一八畝歩 右同断(御除地)天神社他」とある。また、町内寺社一覧には「由緒等不明、除地八反歩」とある。かつて子供相撲が行なわれた土俵が残っていて、例祭には土俵幣が奉幣される。配神に高龗命・五十猛命を祀る』(「栃木県神社誌」より抜粋)

『由緒不詳なるも、新波村の天満宮を御分霊の勧請したものと口碑に伝う』(「藤岡町史」より抜粋)

 新波天満宮からの分霊であるならば、創立は寛正二年(1461)以前と言うことはなくなるか。亦平成元年(1989)が十二所神社合社八十周年目であるなら合社したのは明治四十二年(1909)と言うことになるが、そのことが記載されていないのはなぜだろう。
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 拝殿。
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 境内東端に末社。

神倉神社(藤岡町蛭沼)

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 これまた前回から三年二ヶ月ぶりの神倉神社(藤岡町蛭沼1596-2)。
 ここには嘗て大杉塚古墳と呼ばれる古墳があったそうなのだが、現在は消滅しているとのこと。
『主祭神 水速女命
 古老の言によれば、称徳天皇の神護景雲元(767)年一一月一五日、熊野権現中ノ嶽より龍造大権現国津観世音八蛇姫像を迎え、その後水速女命と称して崇敬した。祭典は、御祭神を迎えた旧暦一一月一五日に執行される。配神として稲倉魂命・菅原道真公・市杵島姫命・大日孁貴命・伊弉諾命・龍神・大杉神・十二社神を祀り、境内社に愛宕神社がある』(「栃木県神社誌」より抜粋)

『神護景雲元年(767)十一月十五日、熊野権現中の嶽より竜造大権現とし観世音菩薩国津八蛇姫命の像を迎えたもの。現在の社は昭和に至り、山王寺北東の旧地より遷座したもの』(「藤岡町史」より抜粋)
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『神倉神社の由緒
 當神社の御祭神は水速女命と傳へられるも文献に依れば「人皇第四拾八代稱徳天皇の御宇景雲元年末十一月十五日ニ紀州熊野大權現中嶽ヨリ之ヲ遷ス」とあり尚御靈代は龍造大權現國津生八蛇姫尊と記録せらる 御拜殿は文化年間の建造と傳へられ年經て破損せるに依り明治四拾年五月拾五日上棟式を擧げ改築さられたり
 元當部落民は字神倉の西南部に居住せるものゝ如くなるも人口の増加と水害の為め高地を求めて西へ西へと發展し自然神社のみ取残されたる形態となる 為めに氏子崇敬者協議の上前境内地字神倉二三九番地ノ一より現地に移轉改築なし昭和二拾八年旧三月拾五日に遷宮祭を執行す
 神倉神社祢宜永島初太郎敬白』
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『道鏡禅師と神倉神社
 千三百年前の奈良時代、蛭沼の畔に道鏡さま一行が来て、その従者が住み着いたという口伝があります。
 道鏡さまは法王となった偉いお坊さまで、ときの孝謙・称徳天皇を支えた方です。しかし道鏡さまの活躍を快く思わない者たちにより、下野国に追われることになりました。
 陸路では身の危険がありました。従者と十四家族は道鏡さまを守り紀伊の新宮に出て、神倉神社に航海の安全を祈り、下野をめざしました。
 江戸湾から巴波川に至りこの辺りで下船し、従者は惣社の室八島を経て下野薬師寺に無事送り届けたと言われています。
 従者は、五家讃岐、藤沼五郎左衛門、長島四郎兵衛、野尻新兵衛、鷺内道海、早乙女伊賀、荒川勘解由、海老沼将監、荒井長左衛門、関口河内、五百部泉で、家族と生活を共にしたと言われています。なおこの神倉神社は紀伊から勧請したものです。
              道鏡を守る会
 二○○七(平成十九)年四月七日』
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 拝殿。
 右側の建物は物置か神輿殿だと思っていたのだが、栃木県神社誌の記述を見ると、こちらが愛宕神社になるのだろうか。
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 南側から。
IMGS7376s.jpgIMGS7377s.jpg
 寛政六甲寅(1794)正月造立の狛犬。頭頂部は平たく、浅い凹みがある。
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 尻。

愛宕神社(藤岡町蛭沼)

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 蛭沼愛宕塚古墳頂に鎮座する愛宕神社(藤岡町蛭沼1308-1)。
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 拝殿。
 神倉神社に合祀されたが、社殿は未だ残されている。
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 南側には栃木県道50号藤岡乙女線が走っている。県道50号線が通る前(昭和三十年代以前?)はこの部分も古墳だったとのこと。

稲荷神社(藤岡町西前原)

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 西前原工業団地の北東、赤津川のすぐ脇に稲荷神社(藤岡町西前原90)が鎮座している。
 駐車スペースは無いので字下の稲荷神社との中間地点、西前原工業団地入口にある西前原研修館に駐車。
 こちらは栃木県神社誌には記述が無く、藤岡町史にも稲倉魂命を祭神とすると言うことくらいで、由緒は不詳となっている。見 落 と し て た ○刀乙
『主祭神 稲倉魂命
 創立は不詳である。文和年間(1352~56)の頃、下野国西海荘蛭沼村前原城主、中沼淡路守藤原宗政六代の孫、中沼右近大夫守忠がここに住み、長男守行が初めて前原と称した。神社南の遊水池あたりに菱形の前原城があったとされ、当社はこの前原城と関連するものと思われる』(「栃木県神社誌」より抜粋)

 検索をかけると栃木市立部屋小学校のサイトに当神社の記述があり、こちらではてんのう様と呼ばれる男神を祀り、字下の稲荷神社は下の神様と呼ばれる女神を祀っているとのこと。とすると、こちらでは素盞鳴尊を合祀しているということだろうか。またもう一つの稲荷神社が下の神様と呼ばれていると言うことは、こちらが上之宮でそちらが下之宮と言う関係に当たるのだろう。素盞鳴尊と対になり、倉稲魂命に関係するような女神と言うと神大市比売命の名が思い出されるが、奇稲田姫命も稲田の神として稲荷とは関係があるし、また川にも縁のある神なので赤津川のそばにある稲荷神社に祀られていたとしても不思議は無い。ただ、この辺りのことは栃木県神社誌にも藤岡町史にも記述が無いのでなんとも言えない。
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 文化十二乙亥(1815)三月造立の大杉大明神と、元禄辛未(1691)十一月造立の青面金剛。

稲荷神社(藤岡町西前原)

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 西前原工業団地の南西、排水機場の隣に鎮座する稲荷神社(藤岡町西前原481)。
『主祭神 稲倉魂命
 由緒は不詳である。当社は字鐙に鎮座する。この鐙という地名は、殿様が城を追われた時に馬の鐙を落としたことに由来すると言い伝えられている。こうしたことから、村社稲荷神社と同様に前原城との関わりが想像される』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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星宮神社(藤岡町部屋)

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 巴波川の堤防脇に鎮座する星宮神社(藤岡町部屋)。
 栃木県神社誌と藤岡町史のどちらにも記述無し。また検索をかけてみても由緒沿革、御祭神等詳細不明。わかったことは、こちらの祭事や奉納相撲などは平成の初め頃に行なわれなくなってしまったと言うことくらいか。
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 こちらに参詣したのは前回から三年二ヶ月ぶりになるが、随分と茂ったものだ。
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 狛犬。
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 逆側から。
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 二荒山神社。
 本当によく茂ったなぁ。
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 左から馬頭観音、庚申塔、馬頭観音、道祖神、青面金剛。

天満宮(藤岡町新波)

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 巴波川の南岸、新波ふれあい公園の東隣に鎮座する天満宮(藤岡町新波1387)。
『主祭神 菅原道真公
 創立は寛正二(1461)年九月である。壬生胤業が下野国壬生の地に向かう途中、当地に至って北野天満宮の守護が懐中より落ちた。すると、進むことができなくなったので、片巫野毛秀雄に尋ねたところ、「この郷を望むなり」と述べた。これによって当社を奉斎することとなった』(「栃木県神社誌」より抜粋)
 藤岡町史には片巫野毛秀雄ではなく片座野毛秀雄と記されているが、さて、どちらが正しいのだろう。
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 参道右側に石祠。
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 拝殿正面。
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 斜めから。
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 菅原道真公姿絵。
『九月十日
 去年今夜待清涼
 秋思詩篇獨斷腸
 恩賜御衣今在此
 捧持毎日拜餘香』
 この詩は大宰府に左遷させられた昌泰四年(901)に詠んだものだそうで、この二年後である延喜三年(903)にこの世を去っている。尤も、その六年後には怨霊として帰って来るわけであるが。
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 狛犬。
 左の狛犬は頭部が大きくめり込んでいるが、腰の辺りにも大きな凹みがある。対し右の狛犬は状態が良く、背骨や肋骨などの形もよく残っている。
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 大正十年(1921)四月三日造立の狛犬。
 この写真ではわからないが、どちらも頭頂に浅い凹みがある。
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 大杉神社。
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 三国第一山碑と末社。
 藤岡町史には境内神社に大杉大神、稲荷神社、白山神社と記されているので、こちらは稲荷神社か白山神社のどちらかだと思うのだが、木祠の中には大黒天像が収められていたので、どちらなのかはわからない。

帯刀神社(藤岡町帯刀)

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 帯刀研修館の西北に鎮座する帯刀神社(藤岡町帯刀66-3)。
『主祭神 素盞鳴命
 創立は不詳である。明治四年(1871)三月一五日、愛知県海部郡津島神社より牛頭天王の御分霊を勧請した。その後、同四四年(1911)四月一二日、水神社と神明宮を合祀し、以来八坂神社と称した。後に帯刀神社と改称し、村社に列せられた。配神として水速女命、譽田別命、大日孁貴命、菅原道真公、高龗神、弁財天神を祀る』(「栃木県神社誌」より抜粋)

『由緒不詳。口碑に享保二年(1717)隠岐島より昔勧請せりとも、明治四年(1871)三月十五日 愛知県海部郡津島神社から牛頭天王の称号の御分霊を勧請。明治四十四年(1911)四月十二日 水神社 神明宮を合祀。従来、八坂神社と称したが、神社法により帯刀神社と改称、疫病の神として近郷近在の信仰厚し』(「藤岡町史」より抜粋)
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 二の鳥居。
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 拝殿。
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 末社。
 左端の木祠は八幡宮。他は不明。
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 末社。

おゆわ稲荷神社(藤岡町部屋)

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 帯刀研修館脇に鎮座するおゆわ稲荷神社(藤岡町部屋2227-1)。

『おゆわ淵伝説
 郷土の部屋地方は、昔毎年のように水害に苦しめられていた。田畑が荒され、多くの人々が水死するということで、やがて村人から水害を防ぐため、若い娘を人柱とする風習が起こり、決壊のたびに人柱の数が切れ所に立たされていったという。おゆわもその一人である。
 慶長十八年(1613)二月、前の年からすすめられていた洪水の復旧工事も近い堤で、今年は誰を、どんな風で人柱にするかという話が起った。座はしらけて話題一つ起らない雰囲気となり、誰一人として話をしなくなってしまった。困ったあげく押切村の名主の発言にて明日普請場に最も早く弁当を持参した娘を立てることと、家に帰っても誰にも話さぬことで話はきまった。
 翌二月三日、当日を待った村人たちは、各自思い思いに、自分の娘でないこと、あるいは自分の親が出ないよう祈りつつ昼を待つと、皮肉ことに人柱の意見を一番はじめに発言していた押切村の名主唯一娘「おゆわ」が現われてしまった。父は、これは大変とおおいにおどろき、手にて向うへ行けと合図したところ、「おゆわ」は、早く来いと一人のみこみ駆け足にて父のもとへと来てしまった。父の悲しみも甲斐もなく何も知らぬ「おゆわ」は、そこでとうとう人柱となってしまったという。人柱は、切れ所の洞沼今の西前原と部屋との境界、古屋敷から川下、五十間の地といえ、「おゆわ」の名をとって「おゆわ稲荷大明神」として祀り、厚く霊をとむらったことを伝えている。
 やがて明治末期から大正初期にかけてのとき、大きなカメが現地より出たそうですが、祠は今の帯刀部落の上流へと移され、現地には、小さな石地蔵を残し、「おゆわ」の命日の日には、毎年供養するにいたったという』(「藤岡町史」より抜粋)
 現在、おゆわ淵は既に無く、大正七年(1918)におゆわ稲荷だけが帯刀研修館の敷地に移転されたのだそうだ。ところで大きなカメと言うのは、甕と亀のどちらなのだろう。甕の方だろうとは思うけど。
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 大正二年(1913)六月八日造立の、線刻青面金剛碑。
 いつもの600x900ではわかりにくので、ちょっと大きめの1200x1800で。

八幡神社(藤岡町石川)

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 石川研修館の西隣に鎮座する八幡神社(藤岡町石川481)。
『主祭神 誉田別命
 配 神 大枚神 金勢神 水速女命
 由緒不詳 出雲大社より迎うとも、享保二年(1717)三月十九日、下総国古河城主土井利厚の領地巡視の際、当所に源義家祀の達しあり、そこで下野国野木神社々掌海老沼常基に命じ、豊作念願のため十月十五日奉祀、八幡宮の称号を賜り、後に八幡神社と改むと伝う』(「藤岡町史」より抜粋)
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 昭和五十八年(1983)十一月造立の狛犬。
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 拝殿。
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 水神宮と金精宮。
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 金精様。
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 末社。
 額の文字は落ちてしまっているので何神社なのか定かではないが、こちらが大枚神になるのだろうか。ところで大枚神ってなに?
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 宝篋印塔…かな。
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 東から。
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 石川研修館の東隣に薬師堂。

鹿島神社(藤岡町部屋)

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 小山市白鳥との境付近に鎮座する鹿島神社(藤岡町部屋2384)。
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 二の鳥居。
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 栃木県神社誌、藤岡町史のどちらにも記述が無いので詳細不明。
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 左から月讀命(明治十二年(1879)十月建立)、愛宕大権現(天保十二丑十二月(1842)建立)、八龍神(天保十二丑十二月(1842)建立)。

水神宮(藤岡町部屋)

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 小山市白鳥との境にあるカーブ脇に鎮座する水神宮(藤岡町部屋)。
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 青面金剛(元禄五壬申年(1692)十一月造立)と水神宮。
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 水神宮の中にはなぜか金精様が。
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八幡宮(藤岡町部屋)

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 宇佐宮研修館の北隣に鎮座する八幡宮(藤岡町部屋1217-1)。
『主祭神 誉田別命
「下野神社沿革誌」には、「慶長年中(1596~1615)の創立にして豊前の宇佐八幡宮を奉遷し勧請す」とある。一一月一五日には、祭典に先立って納幣祭(奉幣祭)を執り行う。年番が御幣・注連縄・神饌の一部を唐櫃に収めて神社に運び、それらを総代が供えて祝詞上奏・玉串奉奠を行なう。次いで例祭を斎行する』(「栃木県神社誌」より抜粋)

『戦後修理の折拝殿の猛子(獅子?)頭に上棟式文化十二年(1815)十一月吉日 田熊七兵衛、茂呂宇左ヱ門、また拝殿の鴨居の上場に調刻師、長谷町角、柴田喜四郎世話人薫井弥左ェ門と刻んである。
 境内神社に二荒山神社、雷電神社、大杉神社、厳島神社、愛宕神社、琴平神社がある』(「藤岡町史」より抜粋)
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 八坂神社と大杉神社。
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 鳥居。
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 昭和十五年(1940)十二月造立の狛犬。
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 藤岡町指定有形文化財歴史資料第四号の力石。
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 力石の案内板。
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 天明八年(1788)戊申年十一月造立の狛犬。
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 拝殿。
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 砲弾四発と、その右には露国兵銃剣劒と書かれた木箱が奉納されている。
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 左から住吉大明神(天保十二年丑(1841)三月建立)、雷電宮、二荒山神社(明治十五年壬午(1882)旧十一月十二日建立)、稲荷神社。
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 末社と改修記念碑、歌碑、三国第一山碑など。
 藤岡町史によれば、あとは厳島神社と愛宕神社、琴平神社がある筈なので、これらの石祠がそうなのだろうか。ちなみに左は文化四丁年(1807)九月、右は明治廿三年(1890)十一月の建立。
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 もはやなんだかよくわからないが、おそらく嘗ては石仏だったのではないかなぁ。あと砕けた供養塔。

愛宕神社(藤岡町部屋)

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 巴波川の南岸、田中研修館の南西に鎮座する愛宕神社(藤岡町部屋)……だと思う。
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 祠の中には愛宕大権現と陽刻された石造の額と、元禄十三庚辰年(1700)九月造立の地蔵尊。勝軍地蔵ではないけど、勝軍地蔵自体が地蔵尊の一形態だからいいのか。
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 西側から。

天満宮(藤岡町藤岡)

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 底谷公民館の西隣に鎮座する天満宮(藤岡町藤岡5613)。
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 狛犬。
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 大正八年(1919)十一月造立の石燈籠。
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 拝殿。
『主祭神 菅原道真公
 創立は元弘二(1332)年九月で、京都北野天満宮の御分霊を祀った。後、長禄二(1458)年三月社殿を造営。明暦二(1656)年正月に焼失するが、九月に再建。正徳二(1712)年本殿を再建。明治三○(1897)年焼失し三三年再建した』(「栃木県神社誌」より抜粋)

『元弘元年(1331)京都北野天満宮の御分霊を祀ったもの。下野国足利天神原より城中北の馬番に遷座、長禄二年(1458)三月十四日、宮殿造営、明暦二年(1656)正月十四日、本殿拝殿焼失、後に本殿雨覆を造営、正徳五年(1715)拝殿再建、明治九年(1876)十二月五日、堂宇悉く焼失、明治三十年(1897)十一月五日焼失、翌三十一年(1898)県の許可を得、同三十三年(1900)十月本殿拝殿中殿離覆の四殿を再建』(「藤岡町史」より抜粋)
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 大正八年(1919)十一月造立の狛犬。
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 明治三十二年(1899)二月に奉納された宮殿十分の一図。
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 社殿北西側から。
 十分の一図と見比べてみると、以前の中殿が現在の本殿鞘殿になっているのだろう。しかし、そこから飛び出しているのはなんだろう。大引きだか根太だかを保護するように覆われているようにも見えるが、はて?
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 神輿殿。
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 諏訪神社。左右の石祠は不明。
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 左の祠には神明、右の祠には鷲原と書かれた板が打ち付けられている。
 藤岡町史を見ると、藤岡字諏訪に諏訪神社、藤岡字山合に神明神社、藤岡字鷲原に鷲神社有りと記されており、それらがこの天満宮境内に遷座したものかも知れない。他にも藤岡字東原に保呂和神社、藤岡字本郷に第六天神社と浅間神社、道祖神社が有ると記されているので、諏訪神社両脇の石祠がそのいずれかである可能性もある。
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 神楽殿。その右側の建物は底谷公民館。

 以上で7月6日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mmとDA35mm Macro、DA70mm。Coolpix P7100。

 メモ用に持ち歩いていたFinepix AX300が壊れた。
 電源OFFにしようとしたらレンズ戻らん。ビープ音と共に電源入れ直せとのメッセージ。電源OFF→ON Beep、電源OFF→ON Beep、電源OFF→ON Beep、Beep、Beep、Beep……うん、諦めた。買ってからまだ1年も経ってないのだが、脆いなぁ。通販で買ったから保証書に日付入ってないし……○刀乙
 しょうがないからAX600に買い換えた。スペック的にはAX300とどこが違うのかさっぱりわからんし、相変わらずエネループだとバッテリーの持ちが不安定だけど、ボディカラーは赤を選んだのでそこだけは確実に違う(笑) まぁ、携帯電話だと画質が悪過ぎるので多少はマシで、且つ単三電池の使える安い機種と言う理由で選んだわけだから、こんなものだろう。

白山神社(藤岡町藤岡)

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 東武日光線藤岡駅の西190m程に位置する羽黒公民館前に鎮座する白山神社(藤岡町藤岡4352-7)。
 藤岡町史には藤岡字羽黒に白峯神社有りと書かれているが、こちらのことなのだろうか。中の火袋には白山神社と書かれているのでこちらは白山神社だと思うのだけど、白峯神社と白山神社では御祭神はまるで違うよねぇ。
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 神社名や御祭神の名ではなく、顔が陽刻されている。神像のようなものなのだろうか。……どうでもいいことだけど、ゴッドハンドのコンラッドを思い出してしまった。
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 木祠が三基。三社が合祀されていると言うことかな。羽黒と言う地名から見て羽黒神社とかありそうな気もするけど、その辺りは不明。と言うか全体的に詳細不明。

藤岡神社(藤岡町藤岡)

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 東武日光線踏切西側に建てられた、藤岡神社の一の鳥居。ここから150m程西側に城山八幡宮が鎮座している。
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 藤岡神社(藤岡町藤岡3976)やや手前から。
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 二の鳥居と大欅。
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『主祭神  天照大御神
 配 神  別天つ神
      神代七代
      月読命
      建速須佐之男命
      思金神
      伊斯許理度売命
      玉祖命
      天児屋命
      布刀玉命
      天宇受売命
      天手力男神
 三大祭日 祈念祭  二月二十三日
      例祭   四月十九日
      新嘗祭  十一月二十六日』
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『由緒沿革
 天慶三年(940)の創立にして天正五年(1577)四月本殿拝殿とも焼失につき同十八年(1590)社殿再建の上藤岡鎮守と崇む。
 その后元禄七年(1694)本殿建替、正徳二年(1712)吉田家より正一位の神位の許可あり。文正中紫岡神社と改め明治八年(1875)藤岡神社と改称す。
 昭和五十六年(1981)一月、富士山本宮浅間神社、秋葉山本宮秋葉神社、伏見稲荷大社、諏訪大社、出雲大社、日光東照宮総本社の承認を得て常宝殿に奉祭す』
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 狛犬。
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 三の鳥居。
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 狛犬。
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 えぇ、なんと言いますか……。
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 四の鳥居。
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 狛犬。
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 拝殿。
『主祭神 大日孁貴命
 配 神 伊弉冊命、月読命、天児屋根命、天宇受売命
 天慶三年(940)九月相馬次郎将門滅亡の折、武蔵権頭興世の家臣六名、讃岐太郎竜蔵慈福入道円深、潜竜斉繁桂、頼秀坂法光、賢坊正喜、円蔵法歓喜、常陸の戦場より敗北し、一旦本国の平方へと帰ったが、高瀬船にて坂東川を逆上し、同十九日、藤岡へと帰り着き藤かつらのつるをたよりに上陸、荒れ果てた城を眺めつつ今の八幡宮境内にて自害、やがて八幡宮内に葬られ六所大明神として奉祀されたとも、また寛仁戌午年(1018)三月、常陸国筑波山より遷座せし神とも伝う。天正五年(1577)四月、兵火にかかり焼失、同十八年(1590)再建、元禄七年(1694)堂宇を立替、正徳二年(1712)吉田家より正一位の神位を受く。文政四年(1821)紫岡神社と神号の告文、明治五年(1878)村社、翌六年(1879)境内一町五段五畝三歩、同八年(1875)藤岡神社と改め祭神も表記の六神とした。境内神社に稲荷神社、東照宮』(「藤岡町史」より抜粋)

 …あれ? 家臣六名と言いつつ五名しかいないし、六神と言いつつ五神しか書かれていないぞ。ホワーイ? まぁ、ここに書かれていないもう一柱の神は伊弉諾命であるのだけど。ところで、ここに書かれている八幡宮と言うのは城山八幡宮のことになるのかな、やっぱり。
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 常宝殿。
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 狛犬。
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『常宝殿
 主祭神 木花之佐久夜毘売
 配 神 邇邇芸命
     大山津見神
 主祭神 火之迦具土神
 主祭神 宇迦之御魂神
 配 神 佐田彦神
     大宮能売神
     四之神
     田中神
 主祭神 建御名方神
     八坂刀売命
 配 神 事代主命
 主祭神 大国主命
 主祭神 徳川家康公
 配 神 源頼朝公
     豊臣秀吉公』
 上記の由緒沿革記には浅間神社、秋葉神社、伏見稲荷大社、諏訪大社、出雲大社、日光東照宮と記されていたから、その順序で記されているのだろう。
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『藤岡神社碑     正二位勲一等伯爵松方正義篆額
藤岡神社舊稱六所大朙神奉祀伊弉諾尊伊弉冉尊天照皇大神月讀尊天兒屋根
命天宇豆女命爲藤岡里鎭守南距渡良瀬川數十歩在下野國都賀郡郡今分爲上
下里屬下郡按舊志景行朝諸國府中祀六所明神謂之總社葢上下野州及武藏常
陸等總社皆是也而祭神各有異同延喜神名帳不載今莫得而考焉天承五年四月
藤岡城主佐渡守清房爲佐野宗綱所攻祠罹兵燹至十八年再建宮殿元禄七年更
新之正徳二年請神爵于京師神祇伯陞正一位文政四年欲改號藤岡神社而官不
允代藤岡以紫岡明治八年申前請始得官准因改今名里民合辭慶之曰遭遇聖代
宿願始建比不獨神徳之光抑亦我郷之榮也卽相議欲勒事於石以傳不朽未果今
玆壬寅夏里人柿沼某來屬余文不得辭撰銘詞與之
紫藤爛兮河水浼  構宮殿兮方土鎭  藤引蔓兮流不斷
蒙神者兮民以衎  神號顯兮適我願  碑而篆兮示永遠
明治三十五年八月 勅撰議員正四位勲三等文學博士重野安繹撰』
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 金比羅大権現と…なんだろう、水神宮と大神宮かな。その隣に文化元甲子(1804)四月建立の大黒天。
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 常燈明には妙義大々講中や榛名山大々講中とも刻まれている。
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 浅間神社。
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 月山神社・出羽神社・湯殿山神社。その左に句碑。
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 神楽殿。
 再建記念碑には昭和三十四年五月十日建之と刻まれているので、1959年。
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 北の鳥居そばの案内板。
『天慶三年(940)の創立にして、旧くは六所大明神と称せられ、藤岡町の総鎮守神とされています。御祭神は伊弉諾尊、伊弉冉尊、天照皇大神、月読命、天児屋根命、天宇受賣命の六神を奉斎しています。
 天正五年(1577)藤岡城落により社殿兵火により焼失、同十八年に再建されます。正徳二年(1712)京都神祇伯より正一位の神号を受け、文政四年(1821)紫岡神社と称せられるも、明治八年(1873)藤岡神社と改称します』
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 聖徳太子と大山祇命。
 安政二年乙卯二月と刻まれているので、1855年のもの。
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 北の鳥居。

八幡宮(藤岡町藤岡)

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 城山公民館の隣に鎮座する八幡宮(藤岡町藤岡4042-1)。
『主祭神 誉田別命
 創立は不詳である。土地の人々の篤い要望によって勧請された。御祭神の誉田別命は、豊作の神として地元の人々の崇敬を受けている。境内社に鷲神社・雷電神社がある』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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 社殿東側から。
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 鷲神社と雷電神社。
 その右側に青面金剛塔と十九夜塔。
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