小林神社(壬生町北小林)

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 北小林公民館のそばに鎮座する小林神社(下都賀郡壬生町北小林86)。
 鳥居は平成二十一年(2009)九月の建立。
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『主祭神  大己貴命、少彦名命
 承久三(1221)年、朝比奈三郎が箱を背負って当地にきたが、疲労はなはだしく、木陰に箱を、丘の上に笠と杖を置いていった。玄春がこの箱を見つけ、中に薬師如来像があったので、仮堂を設けて安置した。寛保二(1742)年には薬師堂が建立され、明治九(1876)年に下の宮を、明治四三(1910)年に上の宮を合祀して、小林神社となった』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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 拝殿正面。
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 斜めから。
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 天満宮。
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 天満宮の脇からぐるりと小林神社の社殿裏に回り込むと、神輿庫がある。神輿の中に収められた木神札には金刀比羅の文字が見えるので、こちらは金刀比羅神社であるのかも知れない。
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 神楽殿。
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 お隣に位置する真言宗智山派小林寺(壬生町北小林87-1)。
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 斜めから。
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 六地蔵。
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 青面金剛と庚申塔。
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 天棚庫。
 弘化三年(1846)に作られ、壬生町の有形民俗文化財にも指定されている天棚が収められているのだそうだ。

 以上で3月15日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mmとDA20-40mm。K-7にDA70mm。Coolpix P7100。
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中泉寺(壬生町中泉)

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 中泉公民館の南隣に位置する真言宗智山派中泉寺(下都賀郡壬生町中泉856)。
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『供養塔由来
 この五輪塔は巴御前様と呼ばれ中泉九七二番地大島家の敷地内にあり旧暦九月十九日一族が代々供養してきたものであるが事情あってこれが撤去されるのを中泉檀徒総代が知り役員相計りこの中泉寺の境内に建立することになったものである
 昭和六十一年九月吉日』
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 虚空蔵堂。その隣に地蔵尊と十九夜塔。
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 堂内には「正一位星宮大権現」と記された額が掛けられている。

磐裂根裂神社(壬生町中泉)

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 中泉公民館の東隣に鎮座する磐裂根裂神社(下都賀郡壬生町中泉861)。
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 狛犬。
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 拝殿。
『主祭神  磐裂命、根裂命
 例 祭  一一月二三日
 承徳二(1098)年二月の創立。里の人々が開拓の神として二柱の大神を中泉地区の吉方に祀ったことに始まると伝えられている。現在、氏子の安全・五穀豊穣の御神徳を称え、例祭には賑やかに祭典が斎行されている』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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 社殿斜めから。
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 末社。右端の石には塞神の文字が見える。
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 末社。
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 中央には浅間大神と小御嶽磐長姫神・櫻大刀自神・苔虫神。その周囲の石祠は不明。
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 少し離れて石祠二基。

磐裂神社(壬生町上田)

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 国道121号線と栃木県道3号宇都宮亀和田栃木線、栃木県道172号上田壬生線が接続する上田交差点の西側に鎮座する磐裂神社(下都賀郡壬生町上田1350)。
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『主祭神  磐裂命、根裂命
 例 祭  一一月二三日
 創立年代は詳らかではない。縄文時代の遺跡が出土した地に鎮座していて、江戸時代には上田地区の人々によって奉斎されていた。現在、地区に伝えられているお囃子の伝承に熱心に取り組んでおり、祭礼日に奉納される』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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 大正四年(1915)十二月十五日造立の狛犬。
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 神楽殿。
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 拝殿。
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 社殿裏手に崩れた石祠跡。
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稚児ヶ池稲荷神社(野木町野木)

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 野木原集会所の南東、古河市との境に鎮座する稚児ヶ池稲荷神社(下都賀郡野木町野木1)。
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 社殿。
 祠に収められた石塔には稲荷神社の他に雷電神社と霊神社の名が刻まれている。
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 狛犬。
 台座には昭和十二年三月と刻まれているが、こちらの狛犬は後に新たに造立されたものだろう。
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 狛犬。
 こちらは台座の文字が剥がれ落ちていた為不明。昭和二十年代ではあるようだが。
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『稚児ヶ池稲荷神社由緒
 此処は文治五年(1189)の頃は、鎌倉街道の道筋と伝えられて居ります。その節は、木立の中に一基の鳥居が立って居り、傍らに清らかな池が在ったと云う。
 この池は、村人が旱魃の時に雨乞の祭りを致し、また、常の水垢離の場所となって居た。其の後、地形は変りましたが、社は熱心な信奉者に依って今日まで守られて来ました。
 尚、此処は現在も野木一番地で有ります』
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 南から。

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 野木原集会所敷地内の浅間神社。烏帽子磐神社と小御岳神社の名も刻まれている。
 右側の石塔にはなんとか霊神と刻まれている。よくわからないが冨士講関係だろう。

稲荷神社(野木町南赤塚)

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 矢畑集落センターから少し西に向かった杜の中に鎮座する稲荷神社(下都賀郡野木町南赤塚2012)。
 石燈籠には「嘉永四亥歳正月吉日」「領主 田村銀蔵」と刻まれているので1851年の造立。
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 鳥居。
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 拝殿。
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 社殿新築記念碑。
『稲荷大明神由緒
 当稲荷大明神は宇迦之御魂大神を祀る神社でその創建は審らかでないが古文書に、願に依り本宮より厳璽を授くの証に享和三年(1803)正月豊日正四位下羽倉摂津守信邦とあり赤塚村谷畑の鎮守として京都伏見稲荷大社より御分霊を奉斎し郷土の繁栄安泰を祈ったものでその後数回の改修を行ったが今度破損甚だしきため御大典記念事業として社殿の新築を行った』

熊野神社(野木町野渡)

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 曹洞宗満福寺と浄土宗光明寺の間に鎮座する熊野神社(下都賀郡野木町野渡752)。
 鳥居の柱には明治二十三庚寅歳十二月吉日と刻まれてるので、1890年の建立。
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『御祭神   伊弉諾尊
 創立年月日 大宝三年(703)と伝う
 紀州熊野の人川島對馬、故ありて諸国を歴遊、当地に至りて住居を定め開墾して一村落を起し次第に人口を増やしたるも土地を鎮むる神社なきを以って生国紀州なる熊野神社を分霊奉戴して此所に祀れるなりと』

『熊野神社祭典日程
 三月十五日  事始めの祭
 四月八日   出社祭
 四月十四日  歸社祭
 四月十五日  例祭
 四月十六日  雹祈祷祭
 四月二十五日 後祭
 十一月十五日 小祭
 十二月十五日 神嘗祭』

『四月八日(出社祭) 早朝から氏子が神社に集まり、協力し合って野渡コミュニティセンター前にオカリヤ(お仮屋)を建てたり、神輿や山車の飾り付けをしたりします。これを「花葺き」と言います。また、あらかじめ受けてきておいた榛名神社や妙義神社や古峰神社のお札を道の辻々に立てるのもこの時です。準備が終わると、熊野神社の御神霊がオカリヤに移される、いわゆる出社の神事が行われます。引き続いて当番耕地の中でこの一年の間に新築した家を宿に祝宴が催され、ここで初めてササラ獅子舞が披露されます。三月十五日から続けられてきた厳しい練習の成果が問われる時でもあるので誰もが真剣です。また、当番耕地ではこの日から十四日まで当番でオカリヤの番をします。
 四月十四日(大祭) 神事の後、ササラ獅子舞が宿とオカリヤで一シバずつ舞われ、続いて祭りのハイライトである神輿渡御が行われます。当番耕地の山車を先頭に、他耕地の四台の山車、露払い、区長、氏子総代、金棒引き(道案内役の女の子二人)、棒使い(三人)、獅子、笛吹きと続き、更に五年後再び当番が回ってきた時に獅子舞や棒使いをやる予定の子供たちがそれぞれ三方にのせた供え餅や菓子を持って列に加わり、神輿が最後に渡御してきます。二時間ほどかかって全耕地を回って神社に帰ってくると社前でまたササラ獅子舞が一シバ舞われます。かつては「宮こもり」といって、当番耕地の人々はこの日神社で一夜を明かしたそうです。
 四月十五日(大祭) 八日から続いてきた祭典も、この日の神事で一応の区切りとなります。この日もササラ獅子舞が、宿、神社、区長、さらにまた神社で一シバ舞われます。
 四月十六日(オヒマチ) 八日同様神社に氏子が集まり、オカリヤを取り壊したり、祭りに使ったものを片付けたりします。この日神社では祈念式典が行われますが、これに先立ち当番耕地では板倉の雷電様に代参を出します。昔は代参者が帰って来てから式典を行っていたそうですが、現在は雷電様の参拝を午前九時と定め、熊野神社の式典もこの時刻に行うようになっています。またかつては、この後男女それぞれ宿を決め盛大な祝宴が催されたそうです。酔いが回ると、若衆がおしろいをつけ赤い長襦袢を着て村中を走り回り、みんなを笑わせたということもあったそうです。
 なお、十七日も何かしら理由をつけてオヒマチにしてしまうことがあったようです』(「野木町史」より抜粋)
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 二の鳥居。
 天保四癸巳歳(1833)二月九日の建立。
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 三の鳥居。
 平成二十年(2008)十一月の建立。
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 鳥居の脇に石神。
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 飛越獅子。
 昭和二十四年(1949)四月の造立。
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 ちょっとだけアップ。
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 日露戦争記念碑と大東亞戦記念碑の間に弘化二乙巳年(1845)正月建立の三峯山神社。写真には写っていないが左端には一旦有緩急義勇奉公碑もある。
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 参道左手側に浅間神社。こちらは浅間神社と愛宕神社、馬力神社が合祀されている。
 鳥居と旗柱台は平成九年(1997)二月の建立。
『浅間神社由来之碑
抑是に鎮まり給ふ淺間大神は元新田の巽古河町に通ずる道路に接し二丈餘の盛土に三十餘の石段あり其の上に西に向ひて鎮座し右に冨士守稲荷神社左に小御嶽神社を末社として奉齋し境内三反三畝十九歩に■老樹鬱蒼として生立ち中にも丈餘の杉と樅は遠き昔戊物語るの如く矗然として天空に聳えたり爾来新田耕地の人々この大神を氏神として崇敬すること厚く毎年舊六月一日を以て祭典を執行し來たりしが時茲に明治三十九年法規の改正にあひ止■く字内の無格社稲荷神社神明宮と共に村社熊野神社に合併するに至り從來所屬の境内地全部を戊同社の財産に合併せも而して其の後趾地の盛土を切り崩せしに埴輪曲玉及太刀等戊發掘せしかむ一部は其の筋の手を經て東京博物舘に又一部は野木尋常高等小學校第一分教場に寄贈し今尚保管せらる以上沿革の大要を記して後世に傳ふるものなり』
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 左から御嶽山神社、白龍神(明治三十八年(1905)三月)、冨士守稲荷神社(明治二十四年(1891)二月)、参明藤開山。
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 小御嶽神社と狛犬。
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 参道右手側に神明宮。
 明治四十二年(1909)九月の建立、鳥居は昭和五十五年(1980)十一月建立。
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 参道右手側に大杉神社。
 正面にあるのは鳥居寄附名碑。その左側で南側を向いているのが大杉神社。亦、鳥居寄附名碑には大正十一年四月とあるので、この鳥居は1922年に建立されたのだろう。
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 大正九年(1920)十一月造立の狛犬。
 台座もなかなかに凝っている。
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 アップで。
 片やイケメン、片や疲れたオジサンと言った風情がある。
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 子狛犬。
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 昭和三年(1928)十一月造立の狛犬。なんか怪獣っぽい。
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 背中に乗った子狛犬。
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 拝殿。
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 本殿脇の狛犬。
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 目付きがちょっと怖いかも。
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 倉庫かな。神輿や山車が納められているのだろう。
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 二宮尊徳像。
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 末社。
 左から湯殿山・月山・羽黒山神社(慶應二丙寅年(1866)九月)、不明、秋葉山・愛宕山神社(明治二十四年(1891)十一月)、帯屋塚・神明塚稲荷神社(明治三十九年(1906)九月)。

 以上で11月2日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mmとDA21mm、DA35mm Macro、DA40mm。Coolpix P7100。
 Lightroom5の使い方も少しはわかってきたような気がしないこともないが、どうもしっくり来ないなぁ。まぁまだ試用期間は残っているし、もう少し使ってみようかな。

水神宮(野木町野渡)

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 栃木県下都賀郡野木町と茨城県古河市の県境に位置する野渡二の二自治会館の隣に鎮座する薬師堂(下都賀郡野木町野渡)。
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 薬師堂。
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 絵馬。
 右端の辺りに「明治亠」の文字が見える。亠は六なのか十なのかわからないが、いずれにせよ明治初期の薬師堂を描いたものであろう。
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 薬師堂の裏に、渡良瀬川の方を向いて水神宮が鎮座している。右の石碑は築堤記念碑。
 野木町史には「野渡の水神社は船頭たちの信仰が篤かった神社であると言う」と書かれているが、それがこちらの水神宮であるのだろうか。
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 ずらりと並ぶ地蔵菩薩や如意輪観音、薬師如来。
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 水死霊神。

妙福辨財天(野木町野木)

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 浄土宗浄明寺と真言宗豊山派満願寺の中間辺り、交差点そばに鎮座する妙福辨財天(下都賀郡野木町野木)。
 看板には野木唯一の弁財天と書かれているが、野木町史を見ると野渡の寺山に辨財天が祀られていると書かれている。そちらの辨財天は動かすと祟るとの言い伝えがあるそうなので、こちらに移転して来たと言うことではないのだろう。
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 西側から。
 鳥居の柱には平成十四年三月吉日建立と刻まれている。
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 辨財天の東側、道路に面して不動明王が鎮座している。
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 側面には文化五戊辰年十月と刻まれているので1808年の造立となる。

野木神社(野木町野木)

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 野木町立野木小学校の北西に鎮座する野木神社(下都賀郡野木町野木2404)。
 一の鳥居は国道4号古河バイパスと栃木県道261号野木古河線の合流する野木交差点のすぐ南側、261号線に面して建てられている。
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 野木小学校前に二の鳥居跡。
 ここから南西に向かうと割とすぐに雷電神社があるのだが、境内の清掃作業中だったので今回はパス。
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 二の鳥居になるのか三の鳥居になるのかわからないが、一の鳥居からここまでおよそ500m。参道マジ長い。
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『野木神社由緒沿革
 仁徳天皇の時代(313~99)、下野国造奈良別命が当国赴任の折、莵道稚郎子命の遺骨を奉じ、下野国笠懸野台手函の地に斎奉る。その後、延暦年間(782~806)に坂上田村麻呂が蝦夷平定し都へ凱旋の途中、当社に鎮撫の功を奏し、その報賽として現在の地に社殿を造り遷座したと伝えられる。
 鎌倉時代には、幕府より社領として旧寒川郡八ヶ村の寄進、及び神馬の奉納が有り、又元寇の際、北条時宗公より攘夷祈願の命を受けて、右殿左殿に息長足比売命を始め、あらたに五祭神を合わせ祀った。
 文化三年(1806)火災により社殿悉く焼失したが、時の古河城主、土井利厚公は領民の協力を得、現在の社殿を再建した。
 明治時代には乃木大将も当社を厚く崇敬し、度々参拝に訪れ、所縁の品々を御神宝として奉納した。

御祭神
 主祭神 菟道稚郎子命
 右 殿 息長足比売命、誉田別命
 左 殿 田心比売命、瑞津比売命、市杵嶋比売命
境内社
 王子稲荷神社、厳島神社、雷電神社
 合祀社(天満宮、猿田彦神社、星宮神社、稲荷神社)
主祭日
 三月二十二日    春渡祭(お討鬼)
 四月第二日曜日   春の神楽祭
 八月三、四日    例大祭
 十二月二、三、四日 冬季例祭(三日夜、提灯もち、神楽祭)
 他、諸例祭』
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 拝殿。
 先の震災で破損したようで、現在修繕作業中。拝殿周囲にバリケードが廻らされていた為、境内社の殆どは近付けず。来年辺りにまた来てみよう。
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 野木町指定文化財黒馬繋馬図絵馬と算額の案内板。
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 数学は嫌いなので、考えること自体を脳が拒否します(苦笑)
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 神楽殿。
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 厳島神社。

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 東洋精工脇に位置する野木宿入口の案内板。
 嘗てはこの場所に木戸が設置されていたのだそうだ。
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 そしてその向いに野木神社の社号標石と馬頭観音。
 社号標石には明治二十年十一月と刻まれている。
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 野木宿の案内板。

大杉神社(野木町野木)

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 杏林製薬開発研究所の南隣に鎮座する大杉神社(下都賀郡野木町野木1853)。
 栃木県神社誌と野木町史のどちらにも記述無し。
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 青面金剛と如意輪観音。
 青面金剛の方は文字が薄くなっていてわかり難いが、正徳元辛卯天…かな? 正徳元年なら1711年。如意輪観音は寛政十一未天十一月とあるので1799年。
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松原区不動堂(野木町友沼)

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 高良神社の北西、松原コミュニティセンターから少し西へ向かった所に鎮座する不動堂(下都賀郡野木町友沼)。
 地図には釈迦堂と記載されているが、実際お堂には不動堂と書かれているのだから、不動堂なのだろう。
 野木町史を見ると、松原のお不動様は災難があった時にお願いすると必ず願いが叶ったと伝えられ、成就するとお礼に提灯を奉納する習わしがあったが、昭和十七年(1942)に焼失してしまったと記されている。とすると、現在の不動堂はその後に再建されたものであるのだろう。
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高良神社(野木町友沼)

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 野木町立新橋小学校の西側に鎮座する高良神社(下都賀郡野木町友沼5232)。
 鳥居の柱には「文政十三年庚寅六月 別當 法音寺朝源」と刻まれている。1830年の建立だ。
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 二の鳥居。こちらは昭和四十六年(1971)八月の建立。
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 改築記念碑。
『當高良神社は景行天皇から五代の帝に仕へて忠誠を盡した武内宿禰を祀り奉った社で其由緒は詳でないが神木の老杉等より見ても相當古い創立と察し得らるゝのである然るに社殿は建立以来多くの年月を經て破損甚しく且つ狭小なるため氏子の人々も常に之を憂ひ去る昭和十四年改築の議を決し直ちに寄附を募り資材を集めて工を起したるに時恰も東亞の戦乱勃發し次第に擴大して遂には國を擧げての大戦争と成りし為め資材も人手も意の如く成らず茲に止むを得ず工事を中止する事八年同二十二年に至って漸く干戈斂まりし故再び工を始め同年十一月茲に全く本殿拜殿玉垣に至るまで完備した壯麗なる社殿の竣工を見るに至ったのである
 因て其由來を略記してこの碑を建て併せて寄附者の芳名を裏面に刻して永く後世に傳ふる事とした
 昭和二十三年十一月十九日』
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 拝殿。
『主祭神 武内宿禰命
 創立年代は不詳だが、伝えによれば、天喜年間(1053~58)源頼義が野木町友沼に八幡神社を再建する際、八幡神社の祭神誉田別命(応神天皇)に最も関係深い武内宿禰をこの地に祀ったのが始まりだという。九州久留米の高良神社から勧請したともいわれ、生活守護・五穀豊穣・延命長寿の神として奉斎したという』(「栃木県神社誌」より抜粋)
 このことは友沼八幡神社境内の石碑にも記されている。
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 狛犬。
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 社殿側面から。
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 須賀神社。
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 末社。
 左端の石祠は不明。右奥の石祠は左から神明宮、愛宕神社、稲荷神社。友沼八幡神社境内の石碑に記されていた、八幡神社から高良神社境内に遷された三社がこちらの三社なのだろう。
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 遠景。

八幡宮(野木町佐川野)

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 栃木県道190号境間々田線を挟んで野木町立佐川野小学校の東側に鎮座する八幡宮(下都賀郡野木町佐川野1318)。
 一の鳥居は県道190号線に面して建てられている。
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 二の鳥居。
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 大正五年(1916)十月造立の狛犬。
 中谷神明宮の狛犬と似ているが、こちらの方が引き締まっている。まぁ、あちらの方が愛嬌があるとも言えるが。
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 拝殿。
『主祭神 誉田別命
 創立は不詳。正保二(1645)年の記録によれば、本宮は柿沼将監・岩崎数馬・岩崎蔵人・岩崎修繕・知久大膳・大森数馬・三橋加茂・坪井専右衛門・坪井藍物・舘野治部・舘野数馬・宝示戸修理・鈴木某の一三軒の氏神であったという。後に佐川野村の鎮守となった。先の一三軒は十三頭と呼ばれて祭祀に奉仕する』(「栃木県神社誌」より抜粋)
 野木町史にも同様の事が記されているが、岩崎数馬は岩崎但馬、坪井専右衛門は坪井團右衛門、坪井藍物は坪井監物と、僅かに名前が違っている。また、十三軒が交代で毎月一日・十五日・二十八日の三回境内の清掃を行いお神酒を上げているとも記されている。
 また、野木町史には当八幡宮境内に星宮神社が祀られているとも記されている。言い伝えでは宝示戸家の祖先が平将門征伐の際に藤原秀郷に随行して東国にやって来たと言われ、初めは芳賀の芳志戸に住んでいたが後にこの地に移り住むようになり、その際に芳志戸の星宮神社から分社したものをこちらに祀ったとある。この星宮明神は宝示戸家の氏神であったのだそうだ。
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 社殿斜めから。
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『社殿改築之碑
栃木縣知事従四位勲三等山縣三郎篆額
    社寺兵事課長 木村金吾撰文
當社八幡宮ハ人皇第十五代應神天皇ヲ奉齋シタルモノニシテ其ノ創建詳カナラザルモ正保
年間以前ナルコトハ記録ニ依ツテ明ナリ而シテ神殿ハ天保年間ノ造營ニシテ拜殿ハ明治二
十二年ノ建築ナリ幾多星霜ヲ閲シタル為神殿拜殿共ニ腐朽セルヲ以テ氏子一同恐懼シ是ガ
改築ヲ企圖セシガ時恰モ財界ノ不況ニテ實現スルニ至ラザリシニ光輝アル歴史的祝歳紀元
二千六百年ニ際會シ此ノ慶祝ヲ紀念スルト共ニ平常ノ神恩感謝ノ一ツトシテ社殿改築ノ議
起ルヤ氏子一同進ンテ此レニ協賛ス偶々在京ノ崇敬者寶示戸政次郎柿沼與三郎両氏ハ首唱
者ニテ切實ナル現村長柿沼延次氏及ビ有志宝示戸實賀氏ノ熱心ナル勸説斡旋ニヨリ神徳報
賽トシテ改築資金中ヘ巨額ノ寄進アリタリ於是造営工事爲ニ一段ノ光明ト進捗ヲ見ルニ至
ル依テ更ニ氏子一同ト慎重ニ協議ヲ遂ゲ委員ヲ選任造營ニ着手シ茲ニ結構壮麗ナル神殿拜
殿ノ改築ヲ見タリ之レ畢竟スルニ皆神徳の著シキ故ト氏子一同只管感激措カサル処ナリ
今ヤ我國ハ古今未曾有ノ事變ニ際會シ東亞建設ニ國ヲ擧ゲテ邁進ス此レ惟神ノ大道八紘一
宇ノ精神ヲ中外ニ宣揚スルモノニシテ益々神祇ヲ尊崇シ神徳發揚ニ努力ヲ要スルノトキ茲
ニ醇風風美擧工費寄進者ノ美徳ノ一端ヲ記シ永遠ニ之レヲ傳フ
紀元二千六百年
 昭和十五年十一月十五日』
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 改築記念碑の隣に……小さなお狐さまがあるから稲荷神社かな?
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 御神輿殿。左の石祠は不明。
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 末社。日月紋と逆卍があるが、何神社なのかは不明。もしかしたらこちらが星宮神社なのだろうか。
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 庚申塔と青面金剛。
 左から大正九庚申年(1920)十一月、寛政十二庚申年(1800)、萬延元年庚申(1860)十一月、元文五庚申年(1740)十二月、宝永元甲申年(1704)十一月。右端の青面金剛は元号部分が破損していてわからないが、元丙申十一月の部分ははっきりと残っている。おそらく享保元年(1716)ではないだろうか。それ以前だと最短でも慶長元年(1596)まで遡らないと丙申にならない。
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 青面金剛正面。
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 三峯神社。

八幡宮(野木町川田)

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 宮戸川に架かる川田橋の北東に鎮座する八幡宮(下都賀郡野木町川田420-1
 脇の鳥居建設記念碑には「旧鳥居は文政十一年(1828)三月建設成りしも其の後昭和十八年(1943)に至り事故のため倒伏せり。依而茲に氏子相計り新たに建設す。昭和二十七年十一月十五日建」と刻まれている。
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 拝殿。
『主祭神 誉田別命
 当宮は承久元(1219)年六月一六日の創立。その後正保五(1648)年正月吉日に本社を建立し、元禄四(1691)年一○月七日に本殿・拝殿を再建。享保四(1719)年四月一三日、神階正一位を授けられる。明治四(1871)年に雷電神社ほか三社を合祀する。同五年には村社に列せされた』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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 斜めから。
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 大正十年(1921)十一月十五日造立の狛犬。
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 八坂神社と社殿改築記念碑。
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 末社。
 左から愛宕神社、不明、■現神社、天満宮・■龍権現、稲荷神社、雷電神社、山神宮。山神宮は天保五年(1834)午二月、その他は明治四十四年(1911)十一月十五日の造立。
 ■現神社は示現神社、■龍権現は八龍権現かな?

須賀神社(野木町友沼)

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 上羽毛田自治会館前に鎮座する須賀神社(下都賀郡野木町友沼943)。
 須賀神社と言うことは御祭神は素戔嗚尊なのだろう。由緒等は不明。
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 栃の木。

 以上で10月19日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mm、DA21mm、DA35mm Macro、DA70mm、50-150mm II。Coolpix P7100。

水神宮(野木町友沼)

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 思川左岸に鎮座する水神宮(下都賀郡野木町友沼)。
 対岸にも水神宮が鎮座しているが、そちらとは違い、こちらは石祠だけ。
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 稲荷神社のある乙女寒沢古墳の位置確認の為にGoogleストリートビューを見ていたら偶々発見。そしてその肝心の乙女寒沢古墳なのだが、個人所有である為に事前に見学許可を取る必要があるようだ。
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 水神宮のすぐ西側を流れる思川。
 左奥の青い橋は友沼橋。更にその向こうのアーチの付いた橋は松原大橋。

星宮神社(野木町潤島)

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 JR東北本線No.80星の宮踏切のすぐ東側に鎮座する星宮神社(下都賀郡野木町潤島610)。
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 参道左手側に沿革碑と力石。
『星宮神社沿革碑
當星宮神社は掛けまくも恐き磐裂神根裂神を齋き祀る御社なり古記録の傳る所に依れは天正十一年(1583)閏島村開基の時勧請し其後享保十九年(1734)二月十五日通稱星宮家と稱する新井助太郎氏の祖と時の自性院大雲寺住職と共に京に上り正一位の宗源宣旨を奉戴したるものと傳ひ爾來大祭日には今尚星宮家にて幣帛を奉るを例とす大祭は九月十八十九日の兩日なり明治維新の際太政官布達により神佛混合を禁せられ野木神社社司海老沼友喜同社掌熊倉多作の兩氏兼務せしが大正六年(1917)熊倉氏辞任大正十一年海老沼氏歿後子息忠雄氏代りて兼務せしが昭和十二年(1937)同氏歿後間々田八幡宮社掌栗原政次氏現に兼務社掌たり明治五年(1872)村社に列せらる明治四十年(1907)八幡宮雷電神社嚴島神社愛宕神社天満宮須賀神社を合祀し奉る現在境内四百六十五坪不動産は田三反一畝十三歩畑二町五反三畝歩内田七畝十一歩は元官有溜地なりしを明治二十三年(1890)時の氏子總代針谷徳左エ門須田鎌三郎新井覺之進の諸氏隣地主新井藤吉氏の名義を以て拂下け爾來祭田と称し年々其耕作米にて神酒を醸し大祭に神饌に供す同氏歿後神社名義に更め社地となす畑二反三畝歩は八幡宮跡地畑三反八畝十二歩は雷電神社跡地なり時の社掌海老沼熊倉兩氏氏子総代新井鐵次郎須田奥次青木三七蔵諸氏の是に関する努力少からす畑一町一畝十歩は大正三年(1914)官有地を拂下く社掌兩氏と氏子総代須田営重郎針谷音藏須田清右エ門諸氏の想像以上の努力の結果無償社地となりたるものなり田二反四畝二歩は元官有溜地なりしを大正十年(1921)耕地整理施行の際時の區長新井助太郎村會議員須田栄藏委員青木吉右エ門諸氏の奔走努力により無償社地となる畑銃八歩は須田義氏の献地なり茲に皇紀二千六百年奉祝記念事業として社号標建設に當り當社の沿革の大畧を記し後世に傳へんとす
 瀬端三樂謹書』
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 拝殿。
 神仏判然令施行以前は虚空蔵菩薩を本尊として祀っていたことから、この辺りでは鰻を食べないと言う風習が残っているのだそうだ。これは鰻が虚空蔵菩薩の眷属であるからなのだが、このような地域はあちこちに見受けられる。
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 文化二乙丑年(1805)九月造立の狛犬。
 吽像の方は頭頂部にモヒカンと言うかトサカのような突起が、阿像の頭頂部には小さな突起ある。また、どちらもドリルのような尻尾が特徴的だ。
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 別角度で。
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 社殿斜めから。
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 稲荷神社。
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 末社殿。
 天満宮、愛宕神社、須賀神社、八幡宮、厳島神社、雷電神社の六社が合祀されている。
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 御神木……かな?
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 庚申塔と青面金剛。
 左の青面金剛は享保元丙申年(1716)九月、右は延宝八庚申年(1680)霜月の造立。右端の庚申塔は萬延元年(1860)庚申十一月の造立。
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 遠景。

龍神社(野木町若林)

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 根渡神社から東北新幹線の橋梁沿いに北上して行くと上原接骨院の看板が見えて来るので、その手前で西へ向かうと龍神社入口の案内板が見えて来る。後は狭い道を進んで行けば龍神社(下都賀郡野木町若林387)に到着。
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 社号標石そばの石祠。
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 鳥居。
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 拝殿。
 大正八年十一月二十八日奉納の額には八龍神社、大正四年奉納の額には龍神社と書かれている。鳥居前の石造旗柱にも八龍神社と刻まれているが、龍神社の名前に固定されたのはいつなのだろう。
『主祭神 高龗神
 創立は建久二(1191)年。若林村の総鎮守である。元禄年間(1688~1704)に社殿を改築。安政三(1856)年八月暴風で境内の大木が社殿の上に倒れて大破したため、近隣村の応援を得て、万延元(1860)年に社殿を新築。昭和五(1930)年に村社に列せられた。同一○年本殿を新築し、拝殿を改築した』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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 昭和十年十一月造立の狛犬。
 龍神社だけあってか、狛犬の顔付きもどことなく龍っぽい雰囲気がある。
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 別角度で。
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 更に別角度で。この角度では狛犬の尻と言うか後脚の辺りが人の顔っぽく見えるが、まぁシミュラクラ現象。
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 本殿後ろから。
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 末社殿。
 左から稲荷神社、雷電神社、愛宕神社。
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 末社。
 何神社なのかは不明だが、台座には「平成五年建立上原家氏神」と刻まれている。

稲荷神社(野木町南赤塚)

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 大塚古墳々頂に鎮座する稲荷神社(下都賀郡野木町南赤塚)。
『県指定史跡 大塚古墳
 昭和三十二年六月三十日指定
 大塚古墳は、地元で「五界塚」と呼ばれる御門古墳群の1つです。五基の古墳が存在したとされていますが、現在では四基しか確認できません。大塚古墳は方墳で、その規模は一辺の長さ約二十三メートル、高さ約三・五メートル。墳丘は明確な方形状をなしていますが、北西コーナーで少し崩れています。墳頂部は長辺約九メートル、短辺約八メートルの長方形状をした平坦地です』
 案内板の左に立つ標石の側面には「昭和三十二年八月二十七日指定」「昭和五十六年三月二十五日建之」と刻まれている。指定日におよそ二ヶ月のズレがあるが、どう言うことだろう。
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 墳丘。
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 稲荷神社……だよね?
『栃木県指定史跡 大塚古墳 1基
 所有者 木本タネ
 昭和32年8月27日指定
 茨城県との境界付近に位置しており、現存する墳形から判断すれば、方墳であると推定される。
 現存墳丘は、方形を示し、一辺は約23メートルであり、高さは約3.5メートルである。
 墳頂部は長方形状を示しており、長辺は約9.2メートル、短辺は約8.2メートルである。周湟部は不明』
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 左端の石祠には「月天・日天」と刻まれ、その下に「疱瘡神水善■・男體三社権■・天照大皇神・根渡赤■■」と刻まれている。その右には粟島大明神と上岡島馬頭観世音。
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 西国坂東秩父観世音巡拝塔と元祖身録線刻碑。
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 身録線刻碑があると言うことは、こちらには浅間神社があったのだろうか?
 画面左端では馬頭観世音が倒れめり込んでいる。

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 稲荷神社のある墳丘の北側にある低い墳丘二つ。
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 片や墳頂に小さなお狐さま。
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 片や墳頂に湯殿山・月山・羽黒山、山川不動尊。

北野天満宮(野木町南赤塚)

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 栃木県道294号東野田古河線に面して鎮座する北野天満宮(下都賀郡野木町南赤塚)。
 この脇の道を250m程北上すると根渡神社の一の鳥居前に到着する。位置的に見て境外末社だったりするのかなと言う気もするが、石碑などには特に記されていなかったので違うかも。

根渡神社(野木町南赤塚)

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 東北新幹線橋梁西側に鎮座する根渡神社(下都賀郡野木町南赤塚844)。
 参道は長く、二の鳥居まで凡そ200m程。
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 参道。途中には堀の跡なども見える。こちらは小山氏の家臣であった針谷河内守の館跡であるのだそうだ。
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 二の鳥居。
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『根渡神社改築記念之碑
当根渡神社は大己貴命を齋奉する所にして其の創立年代詳らかならずと雖も文禄年間(1592~96)再建し更に寛延元年(1748)改築を行いし社殿にして爾来三百有余年の星霜を経神殿は天明三年(1783)十一月吉日奉造遷宮されたるものなりしが社殿の腐朽破損著しく追次修理を施し来りし時恰も昭和二十四年(1949)四月國家より境内一千二百三十六坪余の無償譲与を受け続いて法人法の改定講和発効を機とし天下泰平國土安寧を祈願し茲に本殿拝殿幣殿瑞垣等一切の改築動機成立し建築材の大半は境内の立木を當て不足材にありては氏子全般より多大の資材と労力の援助を得昭和二十七年四月工を起し本年二月二十日上棟本日茲に全く崇嚴清美なる社殿の完成を見るに至りぬ是偏に神明加護の賜物たるは勿論敬神の念篤厚なる氏子崇敬者の盡力と工事担当委員の熱烈なる誠意に■れるを記念し亊■の大略を刻して後世に伝へんとするものなり
 昭和二十八年四月十日 野木神社宮司海老沼秀雄撰文』
 ■の部分は略字になっていて判り難い。
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 天満宮と修改築記念碑。
『根渡神社並末社修改築記念碑
 当根渡神社末社赤木神社・佐室神社・伊津嶋神社参社の合祀は其の年代不詳なるも鞘堂棟札及び納額等によれば享和年間(1801~4)に改築を行いし社殿と推定せられ爾後百八拾余年の星霜を経又旗竿御舎は大正十一年(1922)改築以来約六十年を経過し遂次修復を施し来りしが近年更らに腐朽著しくいづれも老朽化した爲に氏子一同相謀らい末社々殿鞘殿及び旗竿御舎の改築並に根渡神社玉垣拝殿屋根等修復動機成立し氏子全般に亘り多大の資材労力の援助を得て昭和五十五年(1980)十月工を起し堂縁十一月茲に崇嚴清美なる社殿の完成を見たものなり
 是偏に御神徳の発揚と産土神の加護によるは勿論敬神の念篤き氏子崇敬者の誠意盡力によるものにして各位の長久発展を祈願し石文とし後世に伝えるものとす
 昭和五十五年庚申十一月吉日 根渡神社宮司 海老沼雅夫撰文』
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 狛犬。
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 拝殿。
『主祭神 大己貴命
 創立年代は不詳だが、承平年間(931~38)、平将門の時代にこの地方の豪族の守り神であったという。文六年間い社殿を再建。寛延年間に改築。天明三年に奉遷。その後修理を重ね、昭和二八年に現存の社殿を建造した。平成一四年(2002)火災で焼損したため、再建を図り、平成一六年一一月新社殿の完成をみた』(「栃木県神社誌」より抜粋)

 近くに居たお爺さんが言うには三年程前に悪戯で放火され、一部造り直したのだそうだ。向拝柱や虹梁の色が違うのはそのためなのだと。また賽銭泥棒も現れるとのことで、なんとも嘆かわしい話だ。
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 社殿斜めから。
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 末社殿。
 こちらには愛宕神社、佐室神社、赤城神社、厳島神社、稲荷神社が祀られている。修改築記念碑に記されている伊津嶋神社が見当たらないが、もしかしたら伊津嶋神社=厳島神社なのだろうか。
 手前には井戸。こちらの神社を参拝中に何組もの人達がこの水を汲みに来ていたので何か謂れのある水なのかと思い尋ねてみたら、ただ単に美味しい水だから皆汲みに来るのだとのことだった。

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 根渡神社の一の鳥居の西、十字路脇に鎮座する青面金剛と庚申塔。
 青面金剛は享保元丙申年(1716)十一月の造立。中央の庚申塔は側面に寛政十二庚申龍集霜月吉良辰とあるので1800年の造立。右の庚申塔は不明。

神明宮(野木町中谷)

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 南赤塚の日枝神社から少し南西に向かった所に鎮座している神明宮(下都賀郡野木町中谷391)。
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 狛犬。
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 参道の両脇に並ぶ石燈籠と拝殿。
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『神明宮境内無償譲與記念碑
當神明宮は大日孁命を齋祀り軻具土命を配祀せる社にして寛文六丙午年(1666)十一月の創建と傳ふ其後二百七拾年の歳月を経て去る昭和十一年(1936)本殿拝殿瑞垣等全部を改築し実に崇嚴清美なる社殿を見るに至りしが昭和二十年(1945)八月十五日大東亜戰爭の終結に伴ひ國政上にも多大の変動を耒し神社の如きも一の宗教として全く國家と分離せられ社格も消滅するに至りぬ從つて数百年來鎮座したりし是の境内も國有地として返還の止むなきに至れるを七十数戸の氏子深く憂ひ幾多の擧証傍証を添へて是れが譲與を申請したるに昭和二十五年六月二十一日指令社第七八一八号を以て大字中谷字小屋前三九一のイ及びロの二筆を合せ境内地一三五七坪九二勺を立木共神明宮に無償譲與する旨関東財務局より許可せらるゝに至り茲に全く神明宮として前記境内地を確保するを得永久不動の基を作りぬるを喜び茲に碑石に刻して是を後世に傳へんとす
 宮司 海老沼秀雄 撰文』
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 大正十四年(1925)二月造立の狛犬。
 この角度では羽根が生えているようにも見える。
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 まぁ尻尾なんですけど。
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 本殿脇の狛犬。
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 末社殿。こちらは旧社殿であるそうだ。
 疱瘡神社、朏神社、稲荷神社、加波山神社、大杉神社、愛宕神社の六社が合祀されている。栃木県神社誌には朏神社ではなく月出神社と書かれているが、まぁ同じだろう。

日枝神社(野木町南赤塚)

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 野木町立南赤塚小学校の南西に鎮座する日枝神社(下都賀郡野木町南赤塚1323)。
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 拝殿。
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 末社があったのかな?

星宮神社(野木町丸林)

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 野木町役場の東側に鎮座する星宮神社(下都賀郡野木町丸林572)。
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 鳥居脇に道祖神。
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『星宮神社沿革
 当神社は大字丸林六百三十二番地に在り磐裂根裂の二神を祀れる所にして其創立詳かならずと雖宝永三年(1706)并宝暦九年(1759)領主への書上帳に「星宮神社境内七田二反歩畑三反歩御代々御除地被下候」とあるに依れば其以前の鎮座たるや必せり 其後明治五年(1872)村社に列せられ同四十年(1907)二月雷電神社愛宕神社嚴島神社日野大神社を合祀し其の跡地雷電神社分四畝六歩愛宕神社分五畝十二歩嚴島神社分二畝二十四歩日野大神社分七畝三分は明治四十年二月二十五日無償譲與を受く同四十一年三月氏子一同より石鳥居を又真瀬八郎治氏より旗竿を奉納同四十二年五月更に嚴島神社を合祀し其の跡地二十四歩を無償譲與せらる同四十三年六月許可を得て元國有林四反三畝三歩二反一畝十歩三反二畝四歩の三筆を立木共購入越へて大正に入り拝殿の改築を企畫し同三年(1914)五月より氏子の寄附を募りて一千○八十三円を集め更に許可を得て社木の伐採をなし代金八十一円五十銭を得合計金一千百六十六円五十銭を以て同五年九月工事に着手し翌六年七月に竣工を見るに至りぬ 次いで昭和二十一年(1946)十一月野木中学校へ當時の村長柿沼延次氏より寄贈せられたる元奉安殿を村より譲受け工費八万餘円を費して之を本殿に改装し更に社木を伐採して玉垣の新築をなし全く崇嚴清美なる社殿の完成を見るに至りぬ 其後法令の改革により証憑書類として宝永三年八月并に宝暦九年五月領主への書上帳等を添えて出願同二十四年境内地千百九十二坪の無償譲與を受け茲に宗教法人法による星宮神社の設立を遂げぬ而して同十二年四月眞瀬要之進氏より狛犬を同二十四年十一月岡村栄次郎氏より灯篭の奉納あり又同三十年一月社有地の内畑四反三畝三歩を本村中学校敷地として贈與し以て今日に至りぬ
不肖吾等祖先の崇高なる神の遺業を継承して神徳を永く子孫に傳へんと其由緒并に沿革の大要を記してこの碑を建立し氏子六十一戸一致団結して神社の尊嚴を保持し益々長隆盛を図らんと志す者也
 昭和三十年八月一日   宮司 海老沼秀雄 撰文』
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 拝殿。
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 社殿斜めから。
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 昭和十二年(1937)四月造立の狛犬。
 奉納者に眞瀬要之進、同きよと刻まれているので、沿革碑に記されている狛犬がこれなのだろう。
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 愛宕神社。
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 須賀神社。
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 末社群。
 左から大杉大明神、須賀神社、厳島神社、日野大神、雷電宮。

愛宕神社(野木町友沼)

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 国道4号線小山バイパス役場入口交差点の南、4号線脇の観音堂から少し東に入った畑の中に鎮座する愛宕神社(下都賀郡野木町友沼848)。
『主祭神 火結神
 創立は詳らかではない。天保一二(1841)年に友沼村大火のおり、社殿、旧記をすべて焼失した。その後、社殿は天保一五年に再建された。明治三八年には、社殿が破損したため修理を行なった』(「栃木県神社誌」より抜粋)
 栃木県神社誌に載っている写真では流造の立派な社殿なのだが、はてさて。ググってみると2011年12月末頃まではここに塚があり、その頂に愛宕神社が鎮座していたことが確認できるのだが、それ以後どうなったのかはわからないものの、現在はこの通り。鳥居も以前は石造りの明神鳥居であったようだが、うーん? 塚まで無くなっているところを見ると、単に焼失したと言うわけでもないのかな。

浅間神社(野木町友沼)

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 友沼川西コミュニティセンターに隣接するお堂の前に鎮座する浅間神社(下都賀郡野木町友沼字川西
 額の部分は崩れていて社名は確認できないが、両脇に小御嶽磐長姫大神と藤原角行霊神・伊藤食行霊神があるので浅間神社と見て間違いないだろう。
 背面には明治廿四年第十一月と刻まれているので1891年の造立。
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 お堂の方はどの仏様を祀った堂宇なのか不明。

水神宮(野木町友沼)

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 下生井八幡宮からまっすぐ北東に向かって行くと道の突き当たり、川西配水場のすぐ北側に水神宮(下都賀郡野木町友沼)が鎮座している。
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 拝殿。
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 昭和七年(1932)十月造立の狛犬。
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 正徳三癸巳天(1713)造立の青面金剛。
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 神輿庫…かな。
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 薬師堂。
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 川西配水場南側の変形十字路脇に鎮座する道祖神と馬頭観音
 道祖神は昭和三十一年(1956)正月の造立。

雷電神社(野木町友沼)

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 野木町立友沼小学校の南に鎮座する雷電神社(下都賀郡野木町友沼164)。
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 由緒等は不詳だが、社殿と狛犬は平成十五年十二月、鳥居は同年十一月に新たに建立されている。

八幡神社(野木町友沼)

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 真言宗豊山派地蔵山法音寺と野木町立友沼小学校の間に鎮座する八幡神社(下都賀郡野木町友沼912)。鳥居の額には「正八幡宮」とある。
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『友沼八幡神社「将軍御休所跡」
 元和二年(1616)、徳川家康が没すると、これを駿河の久能山にいったん葬ったが、翌三年の一周忌に久能山から日光へと改葬した。
 東照大権現社が完成すると、将軍秀忠は日光参詣(社参)のため、四月十二日に江戸を出発している。さらに寛永十三年(1636)に東照宮が完成すると、徳川家最大の廟所として将軍はじめ諸大名、武家や公家、さらに庶民にいたるまで参詣するようになった。
 将軍の社参は、秀忠の第一回社参をはじめとして、天保十四年(1843)の十二代将軍家慶の社参まで一九回に及んだ。寛永十三年四月、遷宮後の第十一回社参行列の規模も拡大された。
 社参の行程は四月十三日に江戸を出発し、岩槻・古河・宇都宮で各一泊、十六日に日光に入り、十八日には帰途につく。復路もやはり三泊四日で帰るのが恒例となった。それとともに昼食・休憩の宿や寺社なども決まり、大沢宿(現今市市)のようにそのための御殿が建てられた例もあった。
 友沼の将軍御休所は、将軍が江戸を出発し、二泊めになる古河城を朝出て、最初に小休止をした場所で、八幡神社の境内にあった。次は小金井の慈眼寺で昼食をとり、石橋へという道順をとった。
 ところで、近世における八幡神社は「日光道中略記」によると、別当法音寺の支配下にあった。野木村の野木神社の場合、元和二年に別当満願寺の支配がはじまるから、八幡神社も早くはほぼこの時期かと思われるが、小祠から拝殿・本殿をそなえた神社に整備されたのは、社参の規模が拡大する寛永十三年以降のようである。将軍御休所の建物は境内にあり、西運庵と呼ばれた。日光社参と八幡神社の整備が深くかかわっているとすれば西運庵の成立もこの時期かもしれない。なお文化期(1804~17)の宿駅のようすを描いたといわれる「日光道中分間延絵図」では、はるかに丸林村、潤島村の林が、さらに遠方には若林村の森が見え、正面には筑波山を眺望できる景勝の地と記されている。
 肥前国平戸藩主松浦静山は寛政十一年(1799)八月、四十才のとき、日光参詣の途中、友沼の「石の神門建てたる八幡の神祠のまえにしばし輿をとめ」、休憩している。
 天保十四年四月、「続徳川実紀」によると、一二代将軍家慶の社参では、享保(第十七回)、安永(十八回)の社参では設けなかった幕張りが小休止の場所でまで行われた。友沼の御休所でも幕が張られ、一行は疲れをいやしたとある。
 平成三年三月二十五日』
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『八幡神社由緒沿革
當社ハ第十五代應神天皇ヲ奉齋セル社ニシテ創立ノ年紀邈焉トシテ詳カナラザルモ口碑ニ天喜年中源賴義奥羽征伐ノ時之ヲ再建セシモノナリト傳フ社ノ南字松原ニ高良社アリ該社ハ天皇ノ重臣武内宿禰ヲ祀レルモノニシテ本村ノ鎮守八幡社ナレバ其臣ヲ此所ニ祀リシモノナラン云々ト古河誌ニ見ユ 明治五年村社ニ列セラレ仝四十年二月無格社稲荷神社 日御前神社 春日神社 鹿島神社 鷲神社 神明宮 愛宕神社 稲荷神社 住吉神社ヲ合祀シ仝年五月三日神饌幣帛料供進指定セラル其後社殿ノ破損朽腐甚シキタメ皇紀二千六百年ヲ記念シ昭和十五年工ヲ起シテ拝殿一部ノ修理社號標建設土垣ノ改築神庫ノ新設等ヲ完成シ今ヤ高嵩端麗ナル社殿ト老欅列立セル廣濶ナル境内トヲ具備スルニ至レリ
 昭和十七年十一月建之』
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 二の鳥居。
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 狛犬。
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 昭和五年(1930)二月二十八日造立の狛犬。
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 拝殿。
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 拝殿と本殿。
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 末社群。
 左の石祠は天満神社・稲荷神社・地荒神社の合祀社。
『合祀の由緒
 稲荷神社  字新城
 日御前神社 仝
 春日神社  字西浦
 鹿島神社  字羽ヶ田
 鷲神社   仝
 住吉神社  字新城
 神明宮   字松原
 愛宕神社  仝
 稲荷神社  卯の木狐塚

 上段九社は明治四十年二月二十五日法令の改正により大字総鎮守の八幡神社境内に合祀した
 其の後昭和四十年三月松原高良神社氏子総代の申入れにより当八幡神社総代会及大字友沼部落長会議で協議の上其の申入れに応ずる事となり 県神社庁に手続きを済まし高良神社境内に左の三社を遷した
 一、神明宮 一、愛宕神社 一、稲荷神社
 残り六社は破損甚だしき為に昭和四十年九月に改築した』
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 大欅。
『町指定文化財 友沼八幡神社ケヤキ
指定年月日 平成二十二年三月二十五日
所 在 地 野木町大字友沼九一二
 友沼八幡神社は将軍が江戸を出発して三日目に、「将軍御休所」として最初に小休止をした場所であったという。小祠から拝殿、本殿をそなえた神社であり、将軍御休所の建物は境内にあったとされている。当時はケヤキ、スギ、イチョウなどの大木が境内を囲むようにあったといわれる。
 明治十一年頃の友沼村の地誌には、スギ、ケヤキの「大木あり」と記されており、昭和三十~四十年頃もこの木の他に太いケヤキもあったが、樹勢の衰えにより伐採されている。現在、推定樹齢五五○年のこのケヤキは、向き合うようにあるイチョウとともに、神社を代表する巨木として、その勇壮な美しい姿で立っている』
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