貴船神社(大間々町塩原)

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 県道257号線を北上して行くと、トンネルの手前左側に貴船神社の鳥居が見えて来る。
 ちなみにトンネルの上は貴船神社の境内。
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 手水舎前にも鳥居。
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『平安時代の天暦十年、東国(主に関東地方)がひどい干ばつに襲われた時、山城国(京都府)の貴船神社の祭神高龗神が雨を降らせてくれました。
 人々はこの雨で救われ、関東平野の最北端、大間々扇状地の奥、渡良瀬川流域のこの場所へ分社として創建しました。
 大山祇神・大穴牟遅神も合わせて祭られており、開運福徳の神社として参詣されています』

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『貴船神社御由緒
創立
 平安時代の天暦十年(956)、東国(関東地方)がひどい干ばつに襲われたとき、山城国(京都)の貴船神社の祭神が、古来より祈雨・止雨祈願の神として信仰されてきた高龗大神(たかおかみのおおかみ)で、その分霊を奉り降雨と五穀豊穣を祈願したところ、それがかなえられたので、関東平野の最北端、渡良瀬川流域の山地に祭られ、現在地に建立されたのは、江戸時代の寛文八年(1668)といわれています。

御祭神
 御祭神は高龗大神のほか、大山祇大神、大穴牟遅大神が合わせてまつられています。
 高龗大神   水の神さまで国土を永遠に湿潤にして草木の生育
       を助け、人々の生活を豊かにする。雨をともなう龍
       としての信仰があり、水の供給を司る神として崇め
       られてきた
 大山祇大神  山々の精霊を統括支配し、五穀豊穣をもたらす神
 大穴牟遅大神 国土を治め、守護し、人々の病めるのを治し、不
       幸を救う神

御神徳
 貴船大神は、関東地方を干ばつから守り、古くから水の神さまとして信仰されてきました。人類をはじめ地上に生育する全ての生物は一として水の恩恵を受けないものはありません。ですから貴船大神を崇敬し、その御神徳に浴すことは、衣食住の安全、即ち生活の保証を得ることになり、家内安全、商売繁盛、水の浄化力から厄除等、また水の力は諸願を成就させるとして心願成就の神、そして交通安全の守護神として篤く崇敬されています。

貴船信仰
 貴船の神は開運の神・心願成就の神として信仰されています。貴船神社の「きふね」は、昔「気生根」とかかれ、水は気の生ずる根源であり、生命の原動力である気が蘇ると元気が出て運が開け、願い事を成就できるという信仰です。水神の鎮まる貴船神社に参拝すると、気力が生じて願い事を成就できることから縁結び、恋愛成就の神としても知られています。
 このように貴船の神は、衣食住の源である水を司る神、その水の源である雨をもたらす神として、また開運・心願成就の神として人人の崇敬をうけてきました。

 あー、貴船神社の御祭神って高龗神だったのか。交通安全で有名だったり名前の感じからして天鳥船神だと思っていた。不勉強だなぁ自分。
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 三の鳥居。
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 四の鳥居。
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 四の鳥居の左手側に貴船稲荷神社。
 祠の左右に計三基の石祠があるが、名が記されていないので何神社なのかは不明。貴船神社の公式サイトを見ると境内社として稲荷神社、菅原神社、赤城神社、日枝神社などがあると書かれているが、これがそれらなのか、或いは貴船神社本殿裏に並んでいる末社がそうなのかまでは判らない。
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 狛犬。
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 拝殿。
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 拝殿左手側に燈明殿があり、その横に陶製の狛犬。
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 拝殿の右横から裏手へ向かうと、天狗の宮。
 中には大きな烏天狗と大天狗の面が納められている。
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 天狗の宮の隣には大きく枝を延ばした松の木。
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 社殿裏に並ぶ末社群。道祖神や疱瘡神などの名が見えた。
 ところで、ミニ鳥居のあるものと無いものでは何が違うのだろうか。
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 休憩所と社務所と御札授与所。
 これを撮った時は境内には人の姿は殆ど見えなかったのだが、しばらくしたら交通安全祈願の御祈祷依頼と思われる車が数台連続で入って来た
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 右の坂道は社務所の前まで続いている。
 有名な神社なのでもっと大きいのかと思っていたのだが、想像よりは小さかったので少し驚いた。神楽殿が無いが、貴船神社のサイトを見ると、五月の例大祭で奉納される舞は拝殿で行われているようだ。

 以上で12月18日参拝分終了。と言うか、今年はこれで更新終了かな。さすがに来週辺りはそんな暇も無いだろうし。
 使用機材はK-7にDA15mmとDA21mm、FA28mm。K10DにSIGMA 50-150mmII。うーん、K10D用にD-BG2でも買おうかななんて今更ながらに考えてみたり。いまいち手にフィットしないのでD-BG2は好きじゃないんだけど。
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塩原神社(大間々町塩原)

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 赤城神社から南下すると、みどり市水道局塩原浄水場の西側に塩原神社が鎮座している。
 塩原浄水場の敷地内にも水神を祀った祠があったが、さすがにそちらには入れないので参拝は無理。
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 拝殿。
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 神楽殿なのか社務所なのか判らないが、どちらにしろボロボロだ。
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 急傾斜地崩壊危険区域って、ちょっと怖いなぁ。
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 境内社。
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 石祠と石塔。
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 天王宮。その隣で仰向けに倒れているのは国常立神。左側で二つ並んだ石は猿田彦神。
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 末社やら大黒天やら。
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 反対側にも末社が並んでいる。
 九基の石祠が並んでいるが、判ったのは雷電宮が一社のみ。
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 鳥居前の石段を下りて行くと県道257号線方面に出られるようだが、態々下りて行く必要も無いのでここで引き返した。
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 257号線際に建てられた社号標石。
 是ヨリ約二丁とあるので、大体218mと言ったところか。

赤城神社(大間々町塩沢)

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 神明神社から北東に向かって行くと、左手側に塩沢赤城神社が見えて来る。
 神社の北側から境内に乗り上げられそうだが、神社の西側に手づくり公園駐車場があるので、そちらに駐車した。
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 社号標石とは反対側の上り口に朱塗りの鳥居。
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 鳥居。
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 拝殿。
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『塩澤赤城神社社記
 祭神 赤城神大己貴命(大国主命)
 祭日 四月十九日 十月十九日
 当神社は勧請の年月は社殿消失のため社記を失い不詳であるが、三夜沢鎮座の赤城神社御分霊を奉祀したものであります。
 赤城神は赤城山麓を中心として多くの村々で信仰され、塩沢赤城神社も祖霊・伐神・農業神として地域の守護神として崇拝されてきました。
 祭神大己貴命は国土開発経営に功績があり農業・養蚕・畜産を興し福の神として人々の生活を豊かにしてきたと言われております』

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 社殿右手側に末社群。
 一番奥の祠は十二山神社であるらしい。
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 赤城神社の向かい側に庚申塔とアナゴさん…ではなく、石仏だろうと思われる謎の首。

神明神社(大間々町塩原)

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 渡良瀬川に架かる福岡大橋を渡り、群馬県道257号根利八木原大間々線を西へ向かったらすぐに右折すると自動車鈑金塗装工場の北側、用水路の脇に神明神社が鎮座している…のだが、ここって廃神社なのかしらん? ぼろぼろすぎる。
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 石祠や御神燈など。崩れてしまっている物も多い。
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 石祠。
 右側のものには天王宮の文字が見える。
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 石祠に挟まれて馬頭観音。
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 拝殿と本殿。


 こちらの神社の前に神梅神社を探してみたのだが、見つからない。Googleマップで大間々町上神梅60番地を検索すると神梅団地の南側が表示されたのでそのへんをうろついてみたが、見つからない。近くにいた人に訊いて見たら、この辺りは上神梅226だと言う。おまけに周辺地図まで出して来て60番地を調べてくれる親切ぶりには感謝するしかない。
 で、調べてもらった結果、60番地は記載されていなかったが、先週参拝した八坂神社の辺りであるらしいので、お礼を言って再び八坂神社の周辺をうろついてみたのだが、やはりそれらしいものは見当らない。帰宅後に改めて調べてみると、上神梅に59番地と61番地はあっても60番地は存在しないらしい。ちなみに八坂神社とその隣が61番地。群馬県神社庁の方には上神梅60番地と書かれているのだがなぁ。念の為に下神梅60番地で調べてみたら、そちらは存在するようだ。でもそこには国道122号線際で、神社らしき物を見た覚えは無い。八坂神社の北に位置する覚成寺の前に小さな赤い祠があったが、それはお稲荷さまのようであったし、なにより覚成寺は上神梅152番地だ。
 とすると、神梅神社は八坂神社の境内にあるか、或いは八坂神社が以前は神梅神社と称していたかなのだが、神社庁の方に現在神梅神社と記載されている以上、旧称とは考え難い。境内社のいずれかが神梅神社であると考えるべきだろうか。

大蒼院(東町小中)

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 折角なので、曹洞宗福聚山大蒼院も。
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 本堂前の石段脇に如意輪観音と青面金剛。
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 参道入口に庚申塔や青面金剛、地蔵尊。
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 禁葷酒とあるが、大丈夫、今日は缶紅茶とトマトジュースしか飲んでない。
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 鳥海神社から見た大蒼院。
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 フウガとライガ…ではなく、仁王。

鳥海神社(東町小中)

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 銅街道を北上し、小中交差点から群馬県道268号船笹神戸停車場線に入ったら阿入橋の手前で坂を上ったと思ったらすぐに右折して後は道なりに走って行くと突き当たりに曹洞宗福聚山大蒼院があり、その手前に鳥海神社が鎮座している。
 ちなみに、鳥海神社の西側に観音堂があるそうなのだが、気付かなかった。
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 拝殿。
 こちらの御祭神は鳥海三郎こと安倍宗任。前九年の役で源頼義に敗れた安倍氏の一族が京に連行される途中で黒川郷(現在の黒保根町・東町)を通過した際、一族や家臣の一部は京までの同行を許されずにこの地に土着し、黒川郷を支配した鳥海弥三郎の配下であり小中を受け持っていた松島氏の屋敷神として建立されたものが、いつの間にか小中の鎮守神になったのだそうだが、この鳥海弥三郎と言うのは安倍宗任の弟である鳥海弥三郎家任(または安倍家任)とは別人なのだろう。弥三郎家任は兄宗任と共に大宰府に流されたそうだから、黒川郷を支配できる筈は無い。また、鎌倉時代末期にも鳥海弥三郎と言う人物がいたようだが、そちらは仁賀保、つまり秋田県の人なのでこちらとは距離がありすぎる為これも考え難いかな。江戸時代なら領地が飛び地になっていることなんて珍しくもないのだが。
 余談だが、安倍晋三元首相は安倍宗任の三男である安倍季任(または松浦実任)の子孫にあたるのだそうだ。
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 末社。裏には昭和五十二年十月吉日とあった。
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 奥に見えるのが大蒼院。

角地蔵(大間々町上神梅)

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 六合神社から122号線に向かう途中に鎮座している角地蔵堂。みどり市の史跡に指定されているそうだ。
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 不動明王とお地蔵様。
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 こちらもお地蔵様かな。
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『深沢 角地蔵の由来
 宿廻の阿久沢氏や沢入の松島氏一族が、太田金山に属する桐生勢と天正七年(1579)合戦になり、その時の戦死者を葬った処を、千人塚又は桐生塚とも呼んでいるのだという。宝暦二年(1752)正円寺二十八盈仙により仏像を彫らせたが、不思議な事が起こるので石工が逃げ出し、頭の所だけ四角に残ったので「角地蔵」と呼んだといわれている。天明二年(1782)四月の高山彦九郎旅日記には「石工に申付けたるに価にあたらて半途にして逃げたりという」ともかかれてある。別に地元では「間違い地蔵」とも呼ばれている』

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『天正七年八月太田金山城主由良国繁公は藤生紀伊守、金谷因幡守を将として、潮の如く高津戸要害城を攻落し、さらに神梅城の阿久沢能登守、沢入城の松島古柏式部等の黒川勢にいどみかかって来た。由良国繁は部下の無益の殺生を避ける為黒川勢の不戦降伏を計り松島淡路守を軍使として派遣したが丁度渡良瀬川が増水で氾濫しており、松島淡路守は水練の達人であったが心せくまま濁流に入り渡ろうとしたがついに馬もろ共濁流に呑まれ流されてしまい、軍使としての任を果す事が出来なかった。其の日のうちに其の事が由良国繁のもとに知らされたので、黒川に出陣をする事になった。時に八月廿三日の事であった。折しも黒川方においても力及ばざる事を悟って古柏の嫡男松島弥太郎を人質軍使として由良方に派遣をしたが、其の時すでに遅く、由良勢は現地において黒川勢と激突に及んだ。渡良瀬川をはさんで、東は由良勢が穴原に陣を敷き、西は黒川勢が神梅側に陣をしいて、攻め太鼓も物々しく、両軍一千余人が対陣暫らくして渡良瀬の流れを越しつつ越されつつ揉合ううち組落ちる者、流れ溺れる者、生捕れる者、手負う者、入交じり修羅場と化し、死者の数は多数にして、数へるべくもなかった。激戦の半ばにして由良方より、和議許諾の報伝はり敵味方の大将、何時とはなしに引太鼓を打ちならし、夫々軍を引上げて、激しい戦いは終った。
 星移り歳を過ぎる事一七四年、宝暦二年の正月、修法山正圓寺廿八世盈仙和尚元旦の恒例に依り旧本丸跡の天守閣跡八幡宮に勤行し帰途不思議な光景を見た。新宿飯米場辺りに怪火玉、中天に散飛し、数線の軍勢が渓流に合戦をするような現象、盈仙和尚ふと昔の天正七年の古戦場であった事を想起し当時の戦死者が成仏出来ずに居る事を感知、赤城山地蔵御地蔵尊に七日七夜勤行精進する。結願修行の朝、数百霊魂紫雲に乗じ地蔵嶽の仙境に入り怪火玉全く止む。其の歳の六月盈仙和尚深沢宿を始として近郷の善男善女に地蔵尊の御利益を説法一丈二尺の地蔵尊と供要碑の建立の浄財を募った。和尚の真心に賛同した大勢の信者の協力に依り念願の地蔵尊と供要碑が完成した。其の時、石工の設計違いに依り、お顔の部分が出来ず石工は逃げてしまい、お顔を四角にしてしまい、お名號を桐生塚角地蔵尊と命名。善男善女を集め、ねんごろに開眼供養をした。三百年の徳川の時代も過ぎ、激動の明治の時代を迎える。日清日露の両戦役に深沢の勇士も出征をした。角地蔵尊に武運長久を祈願、角地蔵尊の御加護に依り無事帰る事が出来た。明治大正の時代が過ぎ、昭和の時代に入り、昭和十一年十月深沢の有志相集り、御堂の建設を計画。深沢地区が主となり隣接町村の方々の浄財一金二百七拾八円を募って角地蔵尊御堂を建設をした。歳は過ぎ風雪に耐へる事五十年先覚者が造ってくれた御堂も老朽甚だしく、深沢区民の長い間の懸案であった。迂回路も開通し同時に角地蔵尊御堂建設の気運高まり昭和六十年三月十六日の区民総会において万場一致、御堂を建設する事を決議をした。同時に建設委員会を構成、建設の企画設計及建設資金調達各分野に亘り検討工事の万全を期した。建設業者及工事関係者の善意により九月廿日御堂も立派に完成をした。昭和六十年九月廿三日、正圓寺四十世鈴木正徳和尚を招き、深沢区民を始めとして来賓の方々隣接町村の善男善女の参列に依り御堂の落慶法要を盛大に行った。二三○有余年の長き亘り、深沢郷の角地蔵一度祈願をすれば、七難を即滅し、七福速やかに生じ、安産子育諸病平癒す。特に交通安全霊験灼たかなり。長い歳月深沢郷の霊場として区民が信仰なされてきた、角地蔵尊の御利益を、子々孫々に伝へると共に御堂建設を記念し由来の碑を建立し長く後世に遺さんとするものである。
 昭和六十二年九月廿四日』

六合神社(大間々町上神梅)

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 八坂神社から北上して行くと、グンエイ神梅グラウンドの北側に六合神社が鎮座している。
 どうでもいいことではあるが、六合神と言う文字を見ると六神合体と叫んでみたくなるのは自分がオッサンだからだろうか。
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 参道脇には元は鳥居だったのかどうなのか、石柱が数本立っている。
 天満宮再建と彫られているが、はて?
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 社殿。
 本殿覆い屋の屋根には五本の鰹木と千木が見えるが、千木が内削でも外削でもなく斜めになっている。
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 社殿右側に並ぶ末社群。
 左端は熊野宮、右端は秋葉山・八坂宮。その他の石祠には文化十三子歳(1816)や元禄三(1690)などの文字が見て取れた。

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 六合神社の鳥居の少し南側に琴平神社入口。
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 天王宮と琴平神社標石。
 電柱の奥に見える突き当りには墓場があり、その脇に六合神社の鳥居がある。
 天王宮の側面には文化七午歳六月吉日と彫られているので1810年のものだ。
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 標石の向かい側に庚申塔。
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 ここを上って行くとグンエイ神梅グラウンドがあり、道を挟んでグラウンド北側に六合神社がある。
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 グラウンドの西から南へと道が伸びているのでそちらに琴平神社があるのかと思ったのだが、やや広めのエリアがあるだけだった。山上まで続いていそうな道のようなものもあったのだが、潅木の枝が邪魔なのでパス。
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 他にもグラウンド西側に山中へと続いていそうな道があるので歩いて行ってみたのだが、途中で二又に分かれ、まっすぐ進んで行くと山上ではなくその奥へと続いているようだったので戻り、もう一方の道を上ってみたらすぐに藪に阻まれてしまった。
 たぶん、あるとしたら山頂の辺りだと思うのだが、絶対あるという確証もないからなぁ。群馬県神社庁のリストを見ても、六合神社は載っていても琴平神社の名前は無いし。

 2014年11月5日追記。
『群馬縣管下上野國南勢多郡上神梅村字陣場
 村社菅原神社 (追記)六合神社
一、祭神 菅原道真公 大山咋命
     高龗神 大國主神 建御名方命 大山祇命 瓊々杵尊 彦火々出見尊
     大物主命 大己貴命 倉稲魂命 素盞嗚尊 伊邪那岐命 伊邪那羑命
     火産霊命 猿田彦命 天鈿女命 當國式内十二神社 以上、徳川家康公
一、由緒 不詳。明治三十七年二月廿五日許可、仝大字無格社日枝神社を本社ヘ合併。
    大正六年九月一日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進神社トシ
    テ指定セラル
     明治四十年十月三十一日許可、本社境内末社稲荷神社、八坂神社、熊野神社、
    白山神社、貴船神社、及仝大字無格社三社神社、同境内末社三社、無格社琴平
    宮、大字宿廻村村社赤城神社、同境内末社二十五社ヲ本社ヘ合併、同時ニ村社
    六合神社ト改称、氏子ヲ百八十戸ト更正ス、明治四十年十二月二十五日許可、
    仝村大字下神梅村字川久保村社近戸神社、仝境内末社八社ヲ合併、氏子弐百拾
    四戸ト更正ス
一、境内末社 七社
 稲荷神社 祭神 倉稲魂命        由緒 不詳 四十年十月丗一日許可本社ヘ合併
 八幡宮  祭神 譽田別命        由緒 不詳
 八坂神社 祭神 素盞嗚尊        由緒 不詳 四十年十月丗一日許可本社ヘ合併
 熊野神社 祭神 伊邪那岐命 伊邪那美命 由緒 不詳 四十年十月丗一日許可本社ヘ合併
 琴平宮  祭神 金山彦命        由緒 不詳
 白山神社 祭神 伊邪那美命       由緒 不詳 四十年十月丗一日許可本社ヘ合併
 貴船神社 祭神 高龗神         由緒 不詳 三十六年三月廿五日許可、合併ニ
                    依リ追記四十年一月丗一日許許可本社ヘ合併』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)

八坂神社(大間々町上神梅)

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 銅街道を北上すると、神梅小学校の北西に八坂神社が鎮座している。
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 拝殿。
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 本殿。
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 拝殿前の末社群。
 金比羅宮や秋葉宮、秋葉山神社、天満宮など。
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 中峰大薩埵と彫られているが…誰?
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 拝殿左側に並ぶ末社群。
 山神、摩利支天、天王宮、八幡宮、天満宮など。

 どうやら近くには神梅神社と言う神社があるらしいが、その存在を知ったのは帰宅後なので、今回は参拝していない。…鳥海神社などもそうだが、事前に調べておかないといかんなぁ○刀乙

近戸神社(大間々町下神梅)

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 銅街道(国道122号線)の西側に鎮座する近戸神社。
 鳥居には元文五庚申と彫られていたので1740年のものだ。
 季すけ茶屋のやや南に位置するが、駐車場は無い。参道入口に停められないこともないが、民家の出入り口にもなっているのでお奨めはしない。自分は少し北側にあるレストラン向かい側の待避所に置いた。
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 拝殿。
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 末社群。
 右から天満宮、天王宮、貴舩山。奥の四つは不明。
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 道祖神。
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諏訪神社(東町荻原)

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 わたらせ渓谷線沿いに西へ走って行くと、国道122号線との合流点手前に諏訪神社が鎮座している。
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 狛犬。
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 境内。
 御祭神は建御名方神と思われるが、由緒等の詳細は不明。
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 境内社。
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 神社脇の道を挟んで石祠。

三島神社(東町花輪)

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 群馬県道345号花輪水沼線を西へ走って行くと、みどり市役所東庁舎西側に三嶋神社の一の鳥居。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
 三島神社と言うことは御祭神は大山祇神と思われるが、由緒等は不明。
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 境内社。
 左は神明造りで千木が内削ぎになっているから神明宮かな。
 中央は三つ巴紋の御神輿が大小一つずつ納められていた。八坂神社かも。
 右の祠は中からっぽ。また、中央の祠との間に石祠が一つ。
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 右の祠の前に金精様。
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 神楽殿。
 神楽殿の西側にアスファルトで舗装された駐車場がある。
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 末社群。右端は天王宮。他は不明。
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 壊れた山車の部品かな。

御霊神社(東町花輪)

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 花輪交差点から南に下ってすぐの場所に銅街道の標石が建てられているが、この標石の右から伸びる細い道を入って行くと突き当たりに御霊神社が鎮座している。が、ギリギリ車一台分の幅しかなく、しかも民家の庭先を横切って行くことになる。これで駐車スペースが無かったら嫌だなと思い、ここから少し南西に向かった所に運動広場の駐車場があるのでそちらに車を置いて徒歩で向かうことにした。
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 うん、神社前はそれなりに広かった。
 それはそれとして、鳥居。
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 拝殿。
 由緒書き等は無く、ググってみても出て来るのは熊の出没報告ばかり。そう言えば、先程の標石の横にも熊出没注意の看板があったっけ。この時期なら熊は出て来そうにないが、夏場あたりだとよく出るみたいだ。
 群馬県神社庁のリストには赤城御霊神社と記載されているので、赤城神社系なのかな。
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 祠はあるが、格子の隙間から覗き込むと中はからっぽだった。

稲荷神社(東町小夜戸)

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 NTTドコモ小夜戸衛星通信所の南西に鎮座する稲荷神社。
 駐車場は無いので、通信所の向かい側にある東町小夜戸集会所に駐車。
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 鳥居の左右に庚申塔。
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『ここ稲荷神社の祭神は宇賀御魂命です。うかとは食物の事を意味します。また稲荷が「稲なり」の変化ともいわれる事から、五穀を司る神様を祭った社です。
 稲荷神社には狐(おいなりさん)が祭られてます。これは祭神の別称を御饌津神と言い「三狐神」(みけつかみ)と表わした事から、神の使いとしたためです。
 稲荷神社は全国各地にありますが、総本山は京都伏見にあります』


 古くは狐のことをケツと呼んでいたそうだが、これは狐の鳴き声が元になっているのだとか。
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 拝殿。
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 本殿。
 こちらの本殿はみどり市の重要文化財に指定されており、寛政三年(1791)に建立されたものであるとみどり市の公式サイトに記載されている。大間々町小平の木之宮神社の本殿も同様の彫刻が施されているとも書かれているが、あちらは文化財指定されていなかったような…保存状態の差なのかな。
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 末社群。
 中央は蚕影山神社、その一つ左が八幡宮。他は不明。
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 神社南側の道から。
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 そこから少し西へ歩いた所に石祠。

豊郷神社(東町小夜戸)

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 国道122号線花輪交差点から南へ向かい、中野駅の横を通って東へ向かうと豊郷神社が鎮座している。
 最初は気付かずに800m程先の庚申塔前まで行ってしまったが、まぁそんなのもいつものことだ○刀乙
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 石段左側に神楽殿。
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 拝殿。
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『この神社の祭神は、大己貴命、即ち大国主命です。出雲大社の祭神と同じことから、招福の神様を祭った社です。
 また、この神社には巨大な自然石の金精様があります。石段の右側には、女陰杉の御神木もあり「多産豊穣・万物みのり」を祈願しており、この郷を神社の名のごとく、豊かな郷にと見守っています』

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 金精様。
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 拝殿左手側に並ぶ猿田彦太神。
 左は天明五年(1785)、右は天明七年(1787)のもの。
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 猿田彦太神と庚申塔。天明四年(1784)のものや延享二年(1745)のものがある。
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 石祠群。
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 猿田彦太神と謎の祠。

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 豊郷神社から北東800m程の位置にある庚申塔。
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 庚申塔脇から伸びる林道を少し上った所に石祠。山神かな?

太郎神社(東町神戸)

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 国道122号線を西へ走って行くと、神戸交差点の少し先にある玉木屋の隣に鎮座する太郎神社。
 鳥居脇の石燈籠には寛保三癸亥龍集と刻まれているので、1743年のものだ。
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 参道右側に根性大明神。桐原神明宮の根生大明神と同様、金精様だろう。
 右の石は湯?山。?の部分は殿の異体字なのかな。
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 拝殿。
 こちらの神社も詳細不明。
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 大黒天。とすると、祀られているのは大国主神だろうか?
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 御神輿。
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 左端は忠魂碑。中央の祠には三つ巴紋の記された御神輿が納められていたので神輿殿か、或いは八坂神社かも。右端の石祠も不明だが、側面に十六菊花紋が陽刻されていたので神明宮かも。

 122号線を西へ進んで行くと小中交差点があり、その近くに鳥海神社があるらしいのだが、その神社の存在を知ったのが今日…と言うかついさっき○刀乙

招福神社(東町草木)

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 草木ドライブインに鎮座する招福神社。
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 チラシには「貧乏・疫病神追放神社」と書かれ、鳥居も設置されているのだが、現在この鳥居は無く、撤去された跡が残っているだけだ。
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 大国様。
 ドライブインの建物脇に大きな布袋様も鎮座していたのだが、そちらは撮影しておくのを忘れてしまった。
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 貧乏神と疫病神かな。逆かもしれんけど。
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 招福神社の向い側に鎮座する稲荷神社。
 どうやら招福神社の鳥居はこちらに移されたようだ。
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 招福神社からドライブインの裏へ歩いて行くと寝釈迦と弘法大師像。
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『寝釈迦(御本尊)は、この地より北方向、直線距離にして6kmの二子山のふもとにおられます』
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 草木湖。

東宮神社(東町沢入)

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 国道122号線を北上し、沢入交差点で右折するとすぐに左手側に東宮神社が見えて来る。
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 狛犬。
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 拝殿。
 由緒書き等は見当らず、ググってみても東宮氏(現花輪氏)に関係があると言う事くらいしか判らなかった。
 東町花輪字三ヶ郷の三ヶ郷城を永禄年間(1558-70)に築いたのが東宮丹波守で、桐生親綱や由良成繁に仕えた東宮修理が城主であったと言う情報も出て来たが、同じ一族なんですかね、やっぱり。
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 本殿左手側に神明神社。
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 本殿右手側にも石祠があったのだが、こちらは不明。
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 本殿。
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 大正八年四月に建てられた碑。表面には大山祇命と大きく刻まれている。

武尊神社(東町草木)

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 草木湖の西を走る国道122号線から富弘美術館前で西へ上って行くと、高常寺の少し先に武尊神社が鎮座している。
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 本当なら鳥居をくぐって行きたいのだが、藪漕ぎをするのも嫌なので、脇の道から回り込むことに。
 周囲は高い壁で囲われており、まるで砦のようにも見える。
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 拝殿。
 武尊神社と言う名なのだから、御祭神は日本武尊と思われるが、由緒等は不明。
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 側面から本殿と拝殿。
 本殿は神明造りで外削ぎの千木と六本の鰹木が見える。男神の場合は鰹木の本数は奇数だと聞いた覚えがあるのだが、どうも必ずしもそうとわけでもないらしい。
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 神社裏に続く側道の脇に鎮座する石祠。山神を祀っているそうだ。
『共有地大字草木舟替三六三-一に奉ってあった、山の神を諸岡氏の好意により草木二六八-二番地の山林約二坪を提供して頂きここに移転安置した。
 平成十三年九月吉日』

稲荷神社(大間々町小平)

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 帰宅する為に334号線を戻っている途中、鳥居の姿が視界に入ったのでこれまた立寄ってみた。
「キンケン石産株式会社 小平砕石工場入口」と書かれた看板から北に入るとすぐなのだが、駐車スペースは無いので路肩に駐車。ここはトラックの出入りが多いので注意が必要だ。
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 参道から左、334号線の方に目を向けると薬師如来を祀る瑠璃堂。
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 鳥居をくぐり、少し歩くとすぐに稲荷神社。
 祠はぼろぼろで、壁のあちこちに穴が開いていた。
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 何故か三つ巴紋の描かれた本殿。
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 四基の石祠と水盤。

 以上で11月27日参拝分終了。
 当初の予定より参拝した神社の数が増えてしまったが、いくつか地図に記載されていない神社に遭遇してしまったのだから仕方が無い。別に困りもしないしね。
 使用した機材はK-7にDA15mmとDA21mm、DA35mm、DA70mm、DA10-17mm Fisheye。K10DにSIGMA 50-150mm II。IXY Digital 400。

十二山神社(大間々町小平)

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 木之宮神社に向かう途中、鳥居らしきものがちらりと視界に入ったので、木之宮神社から戻り際に立寄ってみた。
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 祠の中には「昭和廿四年八月二日 奉再建十二山神村内安全祈所 廿三世大阿闍梨竪者邦信」と書かれた木簡が納められていたので、こちらは十二山神社の遥拝所のようなものなのかな。
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 祠の後ろの岩の上には石仏が鎮座していた。

木之宮神社(大間々町小平)

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 県道334号線を北上して行くと、334号線に背を向ける形で小平川の畔に木之宮神社が鎮座している。
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 本殿。
 由緒等は不明だが、こちらには寛政五年(1793)と文化四年(1807)の二枚の棟札が残されているそうだ。
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 末社。
 石祠の中には小さなお狐さまの置物が納められているが、稲荷神社なのかな?

伏見稲荷神社(大間々町小平)

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 第六分団詰所左側の坂を上って行くと、左手側に鳥居が見えて来る。
 額には伏見稲荷大神とあるが、京都の伏見稲荷から勧請したものなのだろうか。
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嵯峨神社(大間々町小平)

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 県道334号線を更に東へ走って行くと、右手側に小平の里鍾乳洞公園、左手側に嵯峨神社の鳥居が見えて来る。
 鳥居のすぐ左側に充分なスペースがあるのだが、そこは大間々消防団第六分団詰所前なので駐車するのは気が引ける為、鳥居右側にある小平公民館に駐車させてもらった。実際、大して距離変わらんし。
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 鳥居と公民館の間にある庚申塔。
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『嵯峨宮
 ここの嵯峨宮は、嵯峨天皇によって弘仁十四年(823)最澄の願により大乗戒壇の設立が許された。
 小平の里は嵯峨天皇と最澄(天台宗開祖)の里でもある』

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 鳥居をくぐり、まっすぐ歩いて行くと嵯峨神社。
 戒壇と言うことは神様や仏様を祀る為の場所ではないと思うのだが、はてさて、どなたが祀られているのだろう。天台宗は特定の本尊がないそうだし…じゃあ、嵯峨天皇?
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 石段の右側に石祠二基。
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 拝殿。仏教色が強いだけあって、鈴ではなく鰐口が下げられている。
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 境内社。
 中の祠には幣束が三本立てられていたが、こちらもどなたが祀られているのか判らない。
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 先程の境内社から少し上った所にも石祠。
 奥の院でもありそうな気がしたが、土が軟らかくて崩れやすい為、上っていくのは断念した。

菅原神社(大間々町浅原)

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 県道334号線まで戻り、そこから北上して行くと左手側に菅原神社が見えて来る。
 左手側に見える大きな建物は神楽殿。その前を通って社殿の裏まで回るとかろうじて駐車スペースがある。
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 拝殿。
 こちらも由緒等は不明。
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 狛犬。
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 正面から。
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 拝殿右手側に末社。
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 末社群。
 左から不明、牛頭天王、御室社、大?(ネ人)、不明、石尊、赤城宮、妙儀、秋葉、不明。
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 拝殿左手側にも末社群。
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 本殿裏の末社。

十二山神社(大間々町長尾根)

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 長尾根公民館から北東へうねうね車を走らせると、やがて十二山神社に到着。地図には十二神社と記載されているが、拝殿の壁に掛けられた寄付金者芳名額には十二山神社と書かれていた。
 この辺りまで入って来る人は少ないと思うが、神社の周りは綺麗に刈り払われていて清々しさを感じた。
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 拝殿左手側に石祠。
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 拝殿右手側にも石祠二基。
 右側の石祠には寛延己巳九月と刻まれていたので1749年のものだ。
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 ところで、十二山神社と言うことは十二山を崇敬の対象としているものと思われるが、その十二山はみどり市と佐野市の境にある十二山のことでいいのかな。

熊野神社(大間々町長尾根)

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 群馬県道334号小平塩原線を東へ進み、浅原田中団地前で南へ下って行くとしばらくして左手側に長尾根公民館が見えて来るので、公民館脇の十字路から北へ向かうと十二山神社、南へ向かうと熊野神社に到達できる。まずは熊野神社へ。
 枝が伸びていて背を屈めないと引っかかって上れないわ、石段に落葉が積もっていて滑り易いわとちょっとしんどい。
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 鳥居。
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 二の鳥居らしきもの。
 寶暦十二壬午十一月吉日と刻まれているので、1762年のものだ。
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 熊野神社拝殿。
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 幸いにも拝殿から鳥居の横まで続いている坂道があったおかげで石段を下りずに済んだ。鳥居から拝殿までの石段は落葉のせいで滑り易く、上るのはまだしも下るのはかなり慎重にしないと滑り落ちかねないと思っていたので、楽ができて良かった。

十二神社(大間々町浅原)

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 上桐原交差点から福岡大橋を渡り、道なりに東へ進んで行くとその内左手側に十二神社が見えて来る。とは言え、駐車スペースが無いのが困る。
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 拝殿内部。
 天井の梁に昭和参拾壹年参月弐拾五日上棟と書かれていた。と言うことは1956年だ。
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 大黒天。
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神明宮(大間々町桐原)

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 国道122号線に戻り、大間々警察署の手前で東へ向かうと新田山田水道事務所の南側に神明宮が鎮座している。第十二区集会所に隣接しているので駐車スペースは充分にある。
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 二の鳥居。
 万治元戊戌と刻まれているので、1658年に建てられたものなのだろう。
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 馬頭観世音と根生大明神。根生は金精と同じだろう。
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 社殿。
 由緒等は不明。
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 末社群。
 秋葉山神社と天王宮だけは判ったが、他は不明。
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 庚申塔群。
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 末社群その二と天満宮。
 末社群は左端が熊野宮、奥から二つ目が大黒天なのは判ったが、他は不明。

八宮神社(大間々町桐原)

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 遠ノ久保稲荷神社から南回りに西へ歩いて行くと第十区公民館の手前に八宮神社の社号標石があるので、そこから北へ向かうと八宮神社が鎮座している。
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 二の鳥居には「享×庚子十一月」と記されていたが、×の部分が金属で補強されて見えなくなっている。とは言え、享で始まる元号はいくつかあっても庚子があるのは享保だけなので、これは享保五年(1720)に建てられたもののようだ。
 道を挟んで鳥居の西側に白線で区切られた駐車場のようなものがあったが、あれは八宮神社の駐車場なのかな。
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 拝殿。
 由緒書きは見当らない。ググってみたらプチ神楽殿さんのところに由緒が記されていた。
 それによると、こちらは赤城神社の八番目の分社なので八宮と名付けられたのだそうだ。また、御祭神は品陀和気命と大穴牟遅神で、八幡宮と赤城神社が合祀されているのだとか。ふむ、てっきり八つの神社が合祀されて八宮なのかと思っていたが、全く違ったようだ。
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 社殿の裏には八つの末社が並び、奇しくも八宮となっている。
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