深川神明宮(森下一丁目)

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 八名川公園前を東へ向かって行くと、深川神明宮が鎮座している。
『由来記
 今から凡そ四百年余の昔深川の地は、葦の茂る三角州で住む人も無かった。その頃深川八郎右衛門と云う人が一族を引連れこの一帯を開拓した。八郎右衛門は敬神の念篤く、崇敬する伊勢皇大神宮の御分霊を奉斎して、開拓民の福祉と当地の発展を祈願したのが深川神明宮の初めである、やがて徳川家康公が江戸に入府、慶長元年当地を巡視し八郎右衛門を召して地名を尋ねた。未だ住む人も少なく地名も無き由答えると、家康公は八郎右衛門の姓「深川」を以って地名とせよと命じた。深川の地名の起こりは、神明宮の鎮座する実に此の地なのである。
 爾来深川の地は江戸の繁栄と共に発展し、当宮も「深川総鎮守神明宮」と称えられ、多くの崇敬を集めることとなった。その間には震災戦火の大きな災禍があったが、氏子万民の赤誠を以て昭和四十三年に御社殿御造営も成り、衆庶の崇敬益々旺んである。
 今般、郷土和楽万民繁栄を祈念して御鎮座四百年祭を斎行するに当たり、今日の繁栄の礎を築いた郷土の先人に感謝し、当宮の由緒を茲に記す。
 平成九年八月吉日』

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 寿老神社と和合稲荷神社。
 和合稲荷神社には和合大神・稲荷大神・浅間大神・厳島大神・疱瘡大神・鹿嶋大神・大国大神・御嶽大神・金刀比羅大神・道祖大神・北野大神の計十一柱の神が合祀されている。
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 力石。
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 天祖神社。
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 注連柱とその奥に拝殿。
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 狛犬。
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八名川稲荷神社(新大橋三丁目)

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 八名川小学校の南側に鎮座する八名川稲荷神社。
 道中、萬年橋北交差点のすぐ南に位置する神明開発の隣に箭弓稲荷神社があったのだが、屋敷神かどうか判らなかったので参拝しなかったのだが、ググってみたところではどうやら屋敷神ではなかったようだ。ちぇー、それなら参拝してくれば良かった。
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 鳥居。境内側から。
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 社殿。

正木稲荷神社(常盤一丁目)

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 芭蕉稲荷神社からおよそ30m程西側に鎮座する正木稲荷神社。
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 お狐さま。
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 社号標石と由来碑。
『正木稲荷の由来
 かつて深川元町万年橋北側に柾木の大樹あり。この樹にほど近い隅田川の中州上に当社「正一位稲荷大明神」存す。
 時の移る中、大樹朽ち、当社も幾多の変遷を経るが、当社古くから「腫物に効くおできの神様」との名高く、寛政十年、明和六年の文記にも当社の名が見られ、文政十年六月十六日には曲亭馬琴の妻女お百も「腫物平癒」の願かけに参詣の記録あり。昭和初期の祭礼には下町情緒豊かに、花柳界の「キレイドコロ」が人力車を連ね大変賑わっていた。
  ぴいぴいも売れる柾木の御縁日
  陸奥米の籾の間に稲の神
  柾木のぴいぴい吹きながら野掛也
 と当社を読む句も残っている。
 戦災後、先代三木常正宮司はじめ地元秋田勝三郎、飯田源次郎、塙善之助各氏世話人となり社殿復興す。そして平成二年の今日玉垣御社殿改修に際し、崇敬者の賛同を得て現状の整備を成す。
 平成二年五月吉日建之』

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『正木稲荷由来
 近年柾木稲荷が正木稲荷に改められ、祭神は宇迦魂命と応神天皇を祭り、例祭は毎年二月初午の日である。
 創立は年代不詳、江戸時代古くより当社はあったようである。為永春水著「梅暦」の挿絵に当社が描かれ、奉納の幟に「柾木稲荷大明神 天宝五年(1834)二月初午等」と書かれ名の知れた稲荷社であった。
 当社は江戸切絵図「本所深川絵図」に「マサキイナリ」と記載されている。この絵図は文久二年(1862)版である。また江戸名所図絵では「真先稲荷明神社」とも称されている。江戸には稲荷社もっとも多く、この絵図には著名な稲荷社だけが記されている。当社はその一つであった。
 昔は柾木の大木があったので、この社名がつけられた。隅田川から小名木川へ入る目標として尊重されていた。また子供が柾木の葉を丸めてピーピー鳴らしていたのである。またその葉が腫れ物によくきいたともいわれている。その祈願には全快迄「ソバ」を断ち、全快すれば「そば」を献じて奉賽する信仰があった。
 柾木(柾)はニシキギ科の常緑低木で、高さ三メートル、海岸近くに多く育ち庭木生垣用になり、葉は厚く滑らか、長楕円形、六月頃淡緑色の円弁花をたくさんつける。実は球形、開いて赤色の種子をだす。
 小名木川の水路は行徳(千葉)の塩を直線コースで江戸に運ぶため天正十八年(1590)水路が開かれ、江戸が世界一の人口になるにつれ重要な河川となり、寛永六年(1629)現在の河幅に開削され、船舶取り締りのため当社の隣に船番所が設置された。寛文元年(1661)船番所は大島九丁目の小名木川と中山の交査する場所に明治維新まで置かれた。
 また当所の近くに芭蕉庵があって大正十年十一月東京府が芭蕉翁古池の跡とし旧跡に指定した。しかし昭和五十六年この旧跡は芭蕉記念館に移転した。
 江東区の地図にも当社は記載されており、昔より町内持(維持経営)である』

芭蕉稲荷神社(常盤一丁目)

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 小名木川に架かった萬年橋を渡ると、左手側に芭蕉稲荷神社が鎮座している。
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 お狐さま。
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『深川芭蕉庵旧地の由来
 俳聖芭蕉は、杉山杉風に草庵の提供を受け、深川芭蕉庵と称して延宝八年から元禄七年大阪で病没するまでここを本拠とし「古池や蛙飛びこむ水の音」等の名吟の数々を残し、またここより全国の旅に出て有名な「奥の細道」等の紀行文を著した。
 ところが芭蕉没後、この深川芭蕉庵は武家屋敷となり幕末、明治にかけて消滅してしまった。
 たまたま大正六年津波来襲のあと芭蕉が愛好したといわれる石造の蛙が発見され、故飯田源次郎氏等地元の人々の尽力によりここに芭蕉稲荷を祀り、同十年東京府は常盤一丁目を旧跡に指定した。
 昭和二十年戦災のため当所が荒廃し、地元の芭蕉遺跡保存会が昭和三十年復旧に尽した。
 しかし、当所が狭隘であるので常盤北方の地に旧跡を移転し江東区において芭蕉記念館を建設した。
 昭和五十六年三月吉日』

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 社殿。
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 芭蕉庵跡碑。
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 遠景。

三穂道別稲荷神社(清澄三丁目)

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 深川稲荷神社から東へ向かうと清澄内科医院の北側に三穂道別(みつほみちわけ)稲荷神社が鎮座している。
 詳細不明につきググってみるも、さっぱりだ。社号標石の側面には「昭和四十年四月吉日 昭和五十三年八月吉日再建」と刻まれているが、これは昭和四十年創建と言うことなのかな。それとも社号標石の建てられたのがその年なのだろうか。
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 神明鳥居。額の側面には昭和四十三年八月吉日と記されている。
 それにしても、参道めっさ狭い。
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 覆い屋と祠。
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 お狐さま。

深川稲荷神社(清澄二丁目)

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 エーデルワイス・ミュージアム前から東へ向かって行くと、十字路脇に深川稲荷神社が鎮座している。
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『深川稲荷神社(布袋尊)
由来
 深川稲荷神社は、寛永七年(1630)の創建と伝えられています。
 以前は、旧町名の西大工町にちなんで俗に西大稲荷と呼ばれていました。関東大震災(1923)の後の区画整理により町名が変更し、昭和二十七年頃から深川稲荷神社となりました。
 深川七福神のひとつ(布袋尊)として親しまれています』

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 二の鳥居と社殿。
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『明治百年記念
 深川稲荷神社は祭神宇賀魂命にて。寛永七年の創立にして当町会の地域が古い町であることを示している。大正十二年の大震災後の区画整理により町名が一変した。清住町西大工町伊勢崎町の各一部を合併して清澄町二丁目が出来た。清住町は寛永六年弥兵衛という人が開発し弥兵衛町と称したが、元禄八年清住町と改めた。西大工町は慶長のころ海辺新田といい、小名木川の河港として栄えたところで舟大工が多く住んでいたので深川海辺大工町とも称されたが明治六年西大工町と改められた。伊勢崎町は元木場の一部で神田京橋の材木商の貯木場であり又川舟組の住居もあった。当町の半分は幕末まで久世大和守の屋敷であった。明治初年頃には近代郵便制度の創始者前島密が住んでいた。明治十三年岩崎弥太郎がこの地を入手して深川親睦園を造り名園とした。之が現在の清澄庭園である。大震災後当町に属する所は埋立られ市街地となった。現在三野村合名会社の附近は幕末から明治初年三井家の代表として財界に活躍した三野村利左ヱ門が住んだ邸宅の跡である。中村学園は中村清蔵が明治三十八年小名木川畔に開校し明治時代深川に於ける女子教育の唯一の学校で大震災後当地に移転した。ここに明治百年を記念して当町の沿革を記し早くから発展してきた由緒ある町であることを伝えるものである。
 昭和四十三年十一月』

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 お狐さま。
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 布袋尊。
 …なんだろう、このミョーにむかつく表情は。

大黒稲荷大明神(清澄一丁目)

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 清洲橋を渡り、エーデルワイス・ミュージアム脇…と言うかここ駐輪場か? ともあれそこに鎮座する大黒稲荷大明神。
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 祠の隣の石には昭和二十三年四月吉日とある。
 ググってみても詳細不明。
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 お狐さま。
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