稲荷神社(北平野)

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 埼玉県道346号砂原北大桑線と県道84号羽生栗橋線が接続する北平野交差点の西、北平野集会所の隣に鎮座する稲荷神社(加須市北平野366)。
 稲荷庵と言う蕎麦屋が目印になるが、営業しているようには見えなかったな。
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 拝殿。
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 お狐様。
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 天神社。
 昭和四十七年一月にこちらに遷座して来たようだ。
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 末社と愛宕尊(勝軍地蔵)。
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『有形民俗文化財 勝軍地蔵の石仏
 指定年月日 昭和六十一年十二月八日指定
 所 在 地 加須市北平野三六六番地
 所有者等  稲荷神社
 造 立 年 享保十一年(1726)
 勝軍地蔵は、地蔵信仰の一形態で、悪業煩悩の軍に勝つという意味のお地蔵様であり、また火伏せの神(火防神)として愛宕信仰の対象ともされてきました。
 中世その姿から武士の信仰厚く、特に足利将軍家の尊崇厚かったといわれています。
 この地方で建てられた勝軍地蔵は、主として愛宕信仰として、火伏せの神「愛宕様」と呼ばれる信仰からと思われます。当町内で唯一の勝軍地蔵です。
 愛宕信仰の歴史を知る貴重な資料として指定しました。
 昭和六十三年三月三十一日』
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 勝軍地蔵正面。
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 浅間大神。
 背面に明治廿四年十二月吉日と刻まれているので1891年の建立。左の石祠は何神社なのか不明だが、文化十三年(1816)の建立。

 以上で4月27日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mm、DA35mm Macro、DA70mm、DA10-17mm Fish-Eye。Coolpix P7100。
 八幡浅間神社と阿佐間八幡神社の屋根に偽色やモアレが派手に出てしまったが、今度からは念の為に絞りまくって回折を起こさせて偽色低減も考えた方がいいかも。使用説明書にも書いてあったことだし。
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安楽寺(杓子木)

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 先の八坂神社の南側、杓子木集会所の隣に位置する真言宗智山派姥亀山安楽寺(加須市杓子木328)。
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八坂神社(杓子木)

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 ライオン事務器大利根センターのすぐ南側に鎮座する八坂神社(加須市杓子木)。
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 その隣の塚の頂に浅間神社。中腹には食行霊神と小御嶽神社。
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 更にその隣に猿田彦大神。
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 石段右側に天神(文化七庚午三月=1810)と石祠。天神の上には二文字分くらいのスペースがあり、またうっすらと文字らしいものも見えるのだが、読み取れない。
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 石段を上ると伊雑宮、皇拝遥碑、豊受大神。右奥は前述の浅間神社。
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 更にその隣に大六天社と塞神。
 大六天社左側の石祠は秋葉神社。
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 十九夜供養塔。
 崩れた顔半面を補修したものなのだろうけど、まるで烏天狗のように見える。
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 全景。
 駐車スペースは無いので、車はすぐ南にある安楽寺に置かせてもらった。

八坂神社(松永新田)

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 中川に架かる鹿沼橋の東側、松永新田集会所の隣に鎮座する八坂神社(加須市松永新田)。
 石段の脇には天保五年甲午正月十五日と刻まれているので、1834年にはこちらの神社はあったことになるだろうか。鳥居には「大正二年六月建之 平成二十三年十月改修」と書かれている。境内端には砕けた鳥居の残骸が置かれているので、東日本大震災で倒壊したのかも知れない。
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 境内全景。
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『八阪神社新造神幟記
松永新田今屬于豊野村地褊戸寡田又庫下
多水害以故前時民甚窘焉明治維新之後水
路渫沃濫溢無患窪汚變而成膏*由加之和
氣融液連年豊穣於是村民大喜仰聖明之鴻
澤敬神之靈佑乃以明治廿六年各醵出若干
金新造神幟二竿請余書之以獻於村鎮八阪
神社焉夫敬君者君降其惠敬神者神降其福
敬之為道永弗可志也今又刋石請余記其事
欲辤不能遂作之記云
 明治廿六年六月 白石健撰弁書   』
 註:*の部分は「月曳」
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 富士塚。
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 塚の裾には十九夜観世音塔と参明藤開山三拾三度碑。
 塚の頂には仙元大菩薩・小御岳石尊大権現・食行身禄霊神。
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 末社。
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 倒壊した鳥居と十九夜観世音塔。

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 八坂神社の少し北側に地蔵祠と十九夜塔。
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 祠の脇に牛頭天王。
 明和二乙酉年十二月吉……かな? 明和二年なら1765年のものとなる。

八幡神社(杓子木)

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 生出八幡神社から西へ向かって行くと、八幡神社(加須市杓子木)が鎮座している。
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 天明五巳年正月(1785)建立の大毘沙門天。
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 拝殿。
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 文化十癸酉十一月(1813)建立の大和大神と寛政六寅九月(1794)建立の琴平大神。
 大和大神と言うのがよくわからないが、軽く検索をかけてみた感じでは大和の大神神社の神、つまり大物主命のことのようだ。
 んー、大物主命は蛇神、つまり水神と雷神としての性質を持つ神であり、毘沙門天と八幡神も水神の性質を持つ神だ。琴平神社の祭神は大物主命なので当然同じ。あれ、そう言えば金毘羅神も八幡神も毘沙門天も金属神としての性質も持っているんだっけ。すると、この辺りでは古代製鉄が行なわれていたのかな?

八幡神社(生出)

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 阿佐間交差点から西へ向かって行くと、用水路脇の田圃の中に八幡神社(加須市生出)が鎮座している。
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 拝殿。
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 稲荷神社鳥居。
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 稲荷神社。
 …だと思う。額などは無いので確定では無いが、祠の前に稲荷神社遷座記念碑が建てられているので稲荷神社なのだろう。
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 稲荷神社遷座記念碑。昭和六十一年四月吉日とあるので、1986年に遷座して来たのだろう。
『当稲荷神社は、生出三一三番地に鎮座坐しましたが、大利根工業団地造成に伴い、大利根町立豊野小学校の移転用地と成った為八幡神社の境内神社として、此の佳地に遷座する者也』
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 左から浅間大神・小御嶽石尊大権現・食行身禄霊神、八幡宮(明治七戌十一月十五日=1874年)、天満宮(寛政五丑年十一月吉日=1793年)、聖殿宮(明治廿六年十一月=1893年)、不明(明治十四寨辛巳二月=1881年)、不明、金毘羅神社(明治廿八年二月十日=1895年)。
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阿佐間八幡神社(阿佐間)

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 埼玉県道346号砂原北大桑線と県道316号阿佐間幸手線が合流する阿佐間交差点の東南に鎮座する八幡神社(加須市阿佐間991)。
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 拝殿正面。
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『阿佐間八幡神社 御由緒
○御縁起(歴史)
 創建年月日は定かでないが、承応二年(1654)には、村の鎮守とあり人々は八幡大神を阿佐間の守護神として崇め、八幡様に神恩感謝の誠を捧げ、折々のお祭りを厳粛に斎行してきた。尚江戸期には旗本松平家の知行地となっている。
 その間、元禄五年三月十五日(1692)社殿老朽化により改築を代官松平主計頭に願い出ている。元禄十五年三月十五日(1702)台風により社殿破損のため、松平主計頭金四両を寄進し修営。さらには、元禄九年九月十六日に新畑二反一畝三分を主計頭源昭利が寄進している。
 人々の信仰厚く、享保三年十二月八日(1719)には、神祇神道管領卜部朝臣兼敬の名において「正一位八幡宮」の宗源宣旨がなされている。
 氏子此を大いに慶び灯籠祭りをおこなった。それ以来九月十四日の「宵宮祭」には今日まで灯籠祭が続いている。
 更に文政三年(1820)社殿改築。明治三年(1870)社殿改築。その後一三○年を経て老朽化甚だしく、氏子全員の総意により、平成十五年十一月(2003)銅板葺の社殿に改築(日本建築工芸設計事務所監督)。
○御祭神と御神徳
 八幡大神(誉田別尊)
 殖産興業の神。邪を祓い悪を正す神。母子神の大愛を垂れたもう神、武家の信仰厚く武神として崇められる。大東亜戦争中は武運長久を祈る人々が社頭に額ずいた。
○祭典日
 ・歳旦祭(一月一日)      ・祈年祭(三月二十五日)
 ・春季例祭(四月十五日)    ・夏越大祓・子供神輿渡御祭(七月十五日)
 ・宵宮祭(灯籠祭)(九月十四日)・例大祭(九月十五日)
 ・大祓(十二月三十一日)    ・次日祭(毎月一日) ・日供祭』
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 狛犬。
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 拝殿斜めから。
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 社殿横から。
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 石碑と御嶽山神社・八海山神社・三笠山神社、秋葉神社。
『    撫山中島慶丸署額
埼玉縣武藏國北埼玉郡豐野村阿佐間八幡神社者奉祀
以爲鎮祠其來舊矣民人敬仰祭享豐絜闔村自古毎得免流行
指獗之厲渡與危害惨憺之盗火水災閭里静謐百穀豐穣繁壌
鼓腹各樂其業是皆厚浴神澤之明験也且近時日清之役里中
從軍者五人日露之役十二人皆跂渉海陸千難萬苦冒礟人?
弾雨灶之間奮戦勇闘踰年亘月會無一死傷焉自非明神之加
護安能全此霊徳冥麻嘻大矣哉旅是里之著族遠藤宇九??
林藏小川忠太郎小野寺市兵衛四氏主唱欲撰石?命巧??
製神幡立柱之礎石以奉献于祠前蓋表報恩之意也乃得??
之賛成募醵資金衆皆奮而出財凡計貮百餘圓也數日工竣功
遂樹廟碑以傳諸永世來就余嘱文因書慕梗慨以?之
 明治三十八年十一月
 鴛城齋藤武雄撰弁書               』

『秋葉大神碑陰記
遠江國秋葉山所祀大神鎮火訶盗靈功炳焉民皆仰
而賴之由是永正中武州足立郡指扇村民遙請其靈
祠焉而祭之今茲甲午北埼玉阿佐間之村民等又就
其祠請之建石書神號以為招祀之所焉嗟乎維新而
降聖明在上賢傑輔政天地訢合年穀穣盈雖瘠土僻
村室廬櫛比財蓄豊殖鎮火呵盗尤為今日之急務其
敬奉斯神也宣矣哉及徴予文遂書諸石陰
 明治廿七年九月  白石健撰弁書    』
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 金刀比羅宮。
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 若宮八幡宮と湯殿山神社・熊野山神社・白山神社。
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 八坂神社。

八幡浅間神社(間口)

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 埼玉県道316号阿佐間幸手線間口八幡神社交差点そばに鎮座する八幡浅間神社(加須市間口479)。
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 拝殿。
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 昭和四年四月十五日造立の狛犬。
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 拝殿と八坂神社。
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 本殿裏に末社殿。
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 浅間宮と稲荷大明神。

子之権現(北下新井)

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 加須市立元和小学校の南側に鎮座する子之権現社(加須市北下新井)。
 額の縁には昭和四十九年十月吉日と書かれているが、それが建立された日なのか額が奉納されただけの日であるのかは不明。
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 こちらの子之権現は飯能市の天台宗大鱗山雲洞院天龍寺から勧請したもののようだ。

庚申神社(北下新井)

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 加須市立大利根中学校の東北に鎮座する庚申神社(加須市北下新井)。
 青面金剛が祀られているので庚申堂なのではないかなと思ったけど、でも祠の中に庚申神社移築落慶記念と書かれた板が掛けられているので、庚申堂ではなく庚申神社。
 移築作業は平成十七年十一月二十三日着工、平成十八年二月五日竣工。庚申塔は延宝八年(1680)建立と書かれている。
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 左から普門品三万三千三百三十三巻供養塔(寛保元辛酉歳十月吉祥日=1741年)、青面金剛(延宝八年庚申霜月吉日=1680年)、地蔵尊(寛政九丁巳年十一月吉日=1797年)、地蔵尊?
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『欠折耕地の膳椀
 婚礼や葬式といった大勢の人寄せに使用する膳椀類は、個人所有もあれば耕地や林家組合で共同所有するものもあった。北下新井の欠折耕地では若連が芝居を行った際の収益で膳椀三○組をそろえた。膳椀は茶箱二つに収納して庚申堂に保管され、耕地内の家で人寄せがあるときは幾らかの金を取って貸し出している。その金を貯金し、膳椀が傷んだときの修繕費や購入費に当てているという。(大利根町史民俗編より抜粋)』

秋葉山神社・稲荷神社(琴寄)

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 大利根運動公園の南側に鎮座するお堂(加須市琴寄)。MAPPLEには稲荷神社と記載されているが、どう見てもお堂。
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 十二神将がいるので薬師堂かとも思ったのだが、中央の如来像は薬師如来ではなく、禅定印の形から見て釈迦如来だろう。
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 お堂の横に秋葉山大権現と稲荷大明神。
 お堂の方が釈迦堂でいいのかどうかわからないので、とりあえずエントリー名は確定している秋葉神社と稲荷神社で。
 秋葉山神社は文政十丁亥二月十八日(1827)、稲荷神社は寛政二年(1790)の建立。
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『佛説女人成佛経一千巻
 遠所奉安措供養之地蔵
 尊在女人對此尊像慙悔
 罪障致三拝者百千辜滅』
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 石碑の上部分には地蔵尊の姿と上記の碑文が刻まれ、下部分には血の池地獄に落ちる人とそれを見る仏の姿が刻まれている。
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 お堂前にずらりと並ぶ石仏。
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稲荷神社(旗井)

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 埼玉県道84号羽生栗橋線旗井西(駅入口)交差点前にあるセブンイレブン加須旗井西店の向かい側に鎮座する稲荷神社(加須市旗井)。
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 鳥居と拝殿。
 鳥居は平成二十二年三月(2010)の建立。
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 水盤。
 文政元年戊寅年九月(1818)と刻まれているので、こちらの神社の創建はこれと同時期か或いはそれ以前と言う事になるか。

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 旗井西(駅入口)交差点のすぐ北東、堀南三区大利根ハイツ集会所脇に並ぶ石祠など。
 左から山王神社、浅間神社、喰行身禄霊神、小御嶽神社、青面金剛。
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 山王神社(宝暦二天申十二月=1753)、浅間神社(明治十四戴歳次辛巳春三月=1881)。
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 食行身禄霊神、小御嶽神社。
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 青面金剛(延宝三年九月=1675)。

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 稲荷神社には駐車場が無いので、たなばた公園の駐車場を利用。
 四阿の隣に見える双つの塚の上には左におりひめ、右にひこぼしと刻まれた石碑が置かれている。

稲荷神社(中渡)

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 加須市立大利根東小学校の北東、利根川堤防脇に鎮座する稲荷神社(加須市中渡)。
 由緒書き等は見当たらないのでググってみると、こちらの神社明細帳には「寛延二年歳次己巳(1749)二月豊日従四位下行摂津守荷田宿禰信名」とあり、また伏見稲荷神社からの分霊であることを記した証書も伝わっているのだそうだ。と言うことで、こちらは寛延二年の創建で、御祭神は宇迦之御魂大神ということになる。
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 お狐様。
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 寛政四壬子歳十一月(1792)造立の水神宮と黒田大権現。
 黒田大権現がよくわからないが、黒田大和守と言う人を祀っているのだそうだ。かつて中渡村は久留里藩の領地で、寛保二年(1742)に沼田藩から転封された黒田大和守直純が藩主となったと言う事なので、祀られているのはその人なのかも知れない。
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 堤防から。鳥居の先はすぐ行き止まりになっている。
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 前述の通り、鳥居の先は行き止まりなので、こちらのお堂前から入って行くことになる。何堂なのかは不明。
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 西側から。
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 文化七庚午年三月(1810)の十九夜供養尊や元禄十七甲申年正月(1704)の権大僧都法仰弘誉不生位地蔵尊の他、読誦大乗妙典碑や如意輪観音、青面金剛などが並んでいる。
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 享保十一丙午年十月(1726)造立の青面金剛。
 右後ろに見える小さな石塔には「吉井町クリーンセンター落成記念 平成四年九月 吉井町」と記されたプレートが付いているが、これってこの辺りとは関係ないのでは…?

八幡神社(琴寄)

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 三尺排水路に架かる三尺橋の北側、用水路傍に鎮座する八幡神社(加須市琴寄)。
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 嘉永七甲寅五月(1854)造立の青面金剛。左のものは前面がごっそり落ちていてなんだかわからないが、十九夜塔っぽい感じがする。側面には天保九戌九月と刻まれているので1838年の造立。
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諏訪神社(琴寄)

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 琴寄新田主税集会所の前に鎮座する諏訪神社(加須市琴寄)。駐車場は無いので近くにあるおおとね野菊公園の駐車場を利用。
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 鳥居にも祠にも額は付いておらず、祠の中の神璽も幣に隠されて殆ど見えないが、諏の文字が見えたので諏訪神社であろうと推測。また端の方には雷電神社の神璽も置かれていたので、諏訪神社と雷電神社が合祀されているのだろう。この二社と言うことは、豊穣を祈願して建てられたものなのかな。
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白山神社(間口)

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 先程の羽黒権現神社から少し北に向かうと、民家に挟まれる形で白山神社(加須市間口1887-2)が鎮座している。
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 右側の祠が白山神社。左の祠は何神社なのか不明。
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 末社。何神社なのかはこれまた不明。その右奥に見えるのは招魂社。

羽黒権現神社(間口)

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 光製薬丸山工場と民家の間の細い道を入って行くと、突き当たりに羽黒権現神社(加須市間口977)が鎮座している。
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 拝殿。
 羽黒権現と言うことは、御祭神は伊氐波神と稲倉魂命なのかな。羽黒神社でも場所によっては玉依姫命を祭神としていることもあるのでなんとも言えないけど。

横沼神社(琴寄)

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 上中妻集会所の隣に鎮座する横沼神社(加須市琴寄344)。
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『横沼神社社務所改築記念碑
明治八年琴寄村村社横沼神社社殿新築落成馬尋有社務所
改築之議然水害屢起村民因弊議逐輟物換星移社務所之狭
隘與舎屋之頽破益甚小林賢太郎中島甲子郎等常憂之偶大
正十三年四月併無格社所得之餘財與神社境内立木賣價及
氏子二百三十餘人之醵資得數千金於是起社務所改築之工
多年之宿願貫徹村民始欣然舉祭典今茲氏子等胥謀欲建碑
以不朽之嘱文?余乃記梗概繁以銘曰
  川邊之里 琴寄之郷 俗淳人和 崇祖敬神
  醵資協力 顛意茲成 刀水浩浩 民福悠悠
  建碑勒石 以告後昆
       衆議院議員正三位勲一等高橋是清篆額
        前衆議院議員勲四等小澤愛次撰文
              小林賢太郎平正通謹書
 大正十五年十一月十日』
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 元禄十三年(1700)二月造の水盤。
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『村社横沼神社合祀碑
神社は國家の宗祀にして是力盛衰は即ち皇化の汚隆に關す政府斯に觀るあ 大に崇敬の道を講じて施設最も務む神社合祀の事の如き亦其一に居る爰に埼玉縣北埼玉群元和村の村民等能く其意を體し明治四十三年五月相謀り無格社護世天神八幡諏訪雷電淺間湯殿愛宕塞横沼の十社を村社横沼神社に配祀し且つ其社領を併せて以て祭祀の嚴肅修造の完備を期せり惟うに本社の主神天穂日命は天孫降臨の際出雲に使して偉勲を建て給い神子神孫因て東國に封せられ其氏社を設くるもの頗る多し本社も亦蓋し其神裔の奉齋する所に係る今や本社は神饌幣帛供進の社に指定せられ神威赫赫正に以て民心を一にするに足る嗚呼神祇を尊崇するは皇國の大典にして政教の根源なり村民恒に能く其誠を致さは是力神化を蒙むるもの豈に唯一鄕一邑のみならんや
 大正三年甲寅六月吉辰
             正三位勲一等 男爵 千家尊福篆額
  東京帝國大學文科大學長正四位勲三等文學博士上田万年撰文
                 文 部 屬 玉井廣平謹書』

 こちらの主祭神が天穂日命と言うことは、元々は鷲神社だったのかな?
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 明治九丙子年(1876)三月十五日造の石燈籠と……なに、これ? 側面には天保五年甲午(1834)九月と刻まれている。
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 拝殿と狛犬。
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 狛犬。
 台座には「明治廿年十一月十五日 栗橋石工大島清吉」と刻まれているので1887年の造立。
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 横から。
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 末社。
 何神社なのかはわからないが、側面には享保十七壬子年と刻まれているので1732年の造立。
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 石段上に拝殿。
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 拝殿前の狛犬。
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 後ろから。
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 どちらも社名を記したものが無いので何神社なのか不明。随神なのかも。
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 本殿裏左に稲荷神社。その脇の小さな石祠は表面が崩れていて何神社なのかわからない。

天満天神宮・駒形大明神(琴寄)

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 有限会社志村鉄工の裏に鎮座する天満天神宮・駒形大明神(加須市琴寄466)。
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 安永二癸巳年三月(1773)の石燈籠。
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 十九夜塔と青面金剛、稲荷大明神。
 稲荷社は背面に天明三癸卯歳二月吉日と刻まれているので1783年のもの。

浅間大神(琴寄)

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 若宮八幡宮から少し南へ歩いて行くと、おおとね図書館の西側に浅間大神(加須市琴寄)が鎮座している。
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 浅間大神。
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 食行身禄霊神と小御嶽大神。

若宮八幡宮(北下新井)

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 埼玉県道84号羽生栗橋線北下新井中央交差点から少し西へ向かうと若宮八幡宮(加須市北下新井461)が鎮座している。
 鳥居の台座には「平成二十三年三月十一日におきた東日本大震災により各地に大きな被害を生じたが、当若宮神社においても大鳥居が被害を受けた。よって、氏子合い寄り改修協議を為し、ここに改修建立を為す。平成二十三年六月吉日氏子一同」と刻まれた碑板が埋め込まれていた。
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 前列左は合祀碑。三峯神社、神明社、熊野神社、猿田彦神社、稲荷神社、琴平神社、雷電社の名が刻まれている。
 前列右は改修記念碑。
『改修記念碑
 本村民往古より摂津国高津宮祭神大鷦鷯尊(仁徳天皇)を信仰し、元和四年(1618)祠を創立。該神を分霊し勧請す。不老山若宮八幡と称す。
 例祭を毎歳四月十五日と定め以て五穀豊穣を祈る。しかし本村地は利根川と古利根川の間に位置し洪水氾濫幾度と知れず。文政十一年(1828)村民協力して現在地に築土し祠殿を再建するも、爾来尚数十年多発する水害の為稲熟は年毎に減り村民は疲弊を極む。天保九年(1838)から利根川の築提工事と中小河川の整備により、田数百町歩を得て排滞水、水防事業が亦緒につく。村民漸くにして愁眉を開き炊煙益々盛る。これ関係者の努力の致す処なれど、神徳に非ざれば何をもってここに至る。明治三十年(1897)八月村民相図り、社殿を大修理し以て祭典を挙げる。大正十二年(1923)九月一日関東大震災の為本社殿全壊、境内神社崩壊。被害箇所整理の後大正十四年春社総代、役員協議して再建に着手。大正十五年十月完了後吉日御遷宮祭典を挙げる。
 平成元年(1989)、再建以来六十余年の歳月を経て本殿、境内社共に老朽化著しく、各役職、氏子の諸賢、対策協議会を結成す。機熟して今上天皇即位御大典記念事業として、財源を北下新井区財産から金七百四拾貮萬圓、八幡社準備金より金四百萬圓、奉賛寄進金壹千七百六十参萬貮千圓、川辺領記念碑移設工事補助金壹百萬圓、収入合計参千五萬貮千圓。総工費貮千九百五拾萬圓をもって平成三年十二月二十日着工。平成五年三月十日完了。御遷宮の祭典を挙行し、この事業を子々孫々に伝えんが為、奉賛者各位の芳名を記し、拠ってここに記念碑を建立す。
 平成五年三月吉日』
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 拝殿と狛犬。
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 狛犬。
 台座には大正十四年二月五日と大きく刻まれている。大正十四年は1925年。
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 拝殿左側に子安神社。右側に稲荷神社。
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 雷電神社と熊野神社。
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 社名を記したものは見当たらなかったが、後ろに池があるので厳島神社なのではないだろうか。
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 祠の中に金山彦と彫られた額があるので、金山彦神社なのだろう。
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旗井神社(旗井)

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 東武日光線の踏切傍、ローソン大利根旗井店の西隣に鎮座する旗井神社(加須市旗井556)。
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『旗井神社
縁起(歴史)
 平安時代、天喜年中(1055)の創・祀にて、康平年中(1060頃)源義家が陸奥の豪族安倍氏鎮定(前九年の役)に向かう時、乗馬神前にて頻りに嘶き敢えて進まず、依って、下馬して旗を井の傍らに立てて馬に水を与え憩う。時に義家村老を召してその小祠の祭神を問いたるも知る者なし。ここにおいて今より「天神」と崇めるべき旨を告ぐ。而して白旗を与え去る。故を以て「旗井天神」と称え、その旗を神宝となしたりと。
 後人、菅原道真公の像を安置し現在に至る。
 延宝五年(1677)社殿を新築。寛延三年(1750)彩色修復。寛永六年(1853)社殿改築。元和七年(1621)利根川東遷に伴い新川通り開削により、字堤外瀬合に移転。明治五年(1872)村社に列格。明治四四年(1911)利根川第三期改修により現在地(旗井五五六番地)に移転改築し、旗井地区内の神社七社(水神社・男野明神社・女野明神社・大神社・日枝社・稲荷社・八幡社)を合祀の上、社名を「旗井神社」と改称。
 昭和五七年(1982)本殿・幣殿・拝殿の屋根を銅板にて葺き替え。
御祭神
 菅原道真公
 境内神社…水神社・稲荷神社・明神社
御神徳
 学問の神・慈悲・正直の神
祭典日
 一月一日(歳旦祭)
 四月十五日(春季例大祭)
 十月十五日(秋季例祭)
年中行事
 七五三詣・勧学祭・初宮』
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 拝殿。
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 御嶽神社。
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『御嶽神社
 御祭神 大口真神(御神狗・おいぬさま)
 日本武尊が東征の際、御岳山の山中において狼に難を救われ、その際に「この山に留まり、地を守れ」と仰せられ、以来、御嶽大神とともに「おいぬさま」とあがめられ、病魔・盗難・火難除け等の諸災除けの神として関東一円の信仰を集めています。
 又、道中での難を救う神として、登山や旅行安全の神、「おいぬ」は「老いぬ」にも通じて、健康・長寿の神、戌は安産・多産な事から、安産・子授けの神としても多くの信仰を集めています』
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 九頭龍大権現。
 側面には嘉永元年申四月と刻まれているので1848年のもの。以前はもう少し北側の利根川堤防裾に鎮座していたようだが、現在はこちらに移されている。
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 水天宮と御嶽神社・八海山神社・三笠山神社。
 水天宮の側面には享和三癸亥年五月吉祥日と刻まれているので1803年のもの。

八幡宮(旗井)

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 渡沼集会所の隣に鎮座する八幡宮(加須市旗井)。
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 拝殿と渡沼集会所。
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 子大権現と二十三夜塔。
 子大権現は文化四丁卯三月(1807)、二十三夜塔は天保二卯九月(1831)のもの。
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 如来堂。
 中には仏座像が納められているが、阿弥陀如来なのか釈迦如来なのかわからない。
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 青面金剛。
 左のものは享保四己亥年二月(1719)。右は読み取れず。
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 地蔵尊。

鷲神社(外記新田)

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 埼玉県道60号羽生外野栗橋線の脇、外記新田集会所の隣に鎮座する鷲神社(加須市外記新田14)。
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 末社。
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 青面金剛x2、大乗妙典六十六部日本回國供養塔、十九夜塔、地蔵尊。
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 青面金剛。左は享保三戊戌歳十一月(1718)、右はよく読み取れなかった。
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 大日如来と…あとはなんだろう。配置場所や形も違うから五智如来でもないだろうし。わからん。享保九甲辰天十月吉日とあるので1724年のもの。
 地蔵尊は大部分が補修されたもののようだ。

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 鷲神社の少し北側に鎮座する神社。
 近くの人に尋ねてみたら、詳しいことはわからないが北辰様と呼ばれているとのこと。と言うことは祀られているのは妙見菩薩(天御中主尊)であると見て、こちらは妙見社と言うことになるだろうか。

鷲神社(砂原)

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 神武天皇社東側の道をまっすぐ南下して行くと、十軒農民センターの隣に鷲神社(加須市砂原447)が鎮座している。
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 拝殿。
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 稲荷神社。
 背面に昭和五十九年二月建之と刻まれている。
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 地蔵尊と青面金剛。右端は表面が崩れ落ちていてよくわからないが、十九夜塔かな?
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 地蔵尊は天保十四年癸卯正月(1843)、青面金剛は享保三年戊戌十一月(1718)と刻まれている。

神武天皇社(新川通)

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 真言宗智山派法輪寺の南側に鎮座する神武天皇社(加須市新川通738)。地図上では法輪寺の北側にあるが、現在は南側に移転している。
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 社殿東側から。
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『神武天皇社 御由緒
□御縁起(歴史)
 新川通は利根川を背にかかえ常に水難との戦いの日々であった。1621年(元和七年)新川通の開削。1704年(宝永元年)利根川大洪水。1705年(宝永二年)新川通拡幅。1787年(天明七年)利根川大洪水・1948年(昭和二十三年)利根川大洪水。土地の至る所に小沼があり農作業にも難渋した。しかし、1948年の洪水は肥沃な土地へと変わり水田が出現した。
 天明二年(1782)鷲宮村鷲宮神社の霊位を祀り、鷲神社を村の鎮守としたが、他に八幡神社・八坂神社・今宮神社の三社はあり、氏子は守護神として崇めてきた。
 明治の御代になり、明治七年(1874)六月十五日村社として国に申し立て、これを以て創建日とした。
 神武天皇社と称えるに至ったのは、従来利根川堤腹に勧請してあった鷲神社・八幡神社・八坂神社・今宮神社の社殿が年の経過と共に破損し修理困難によって四神の社宇を廃し、神日本磐余彦尊(神武天皇)と共に拝祠し今日に至る。
 この度、利根川拡幅のため移転を余儀なくされたが、現在の鎮座地六九一番地は昭和三十五年(1960)七月一日旧鎮座地六八七番地から移転したものである。
 新しい鎮座地は新川通七三八番地一(1388㎡)
 社殿は、向拝殿・拝殿。幣殿・本殿からなり、総面積46.63㎡
□御祭神と御神徳
 神日本磐余彦尊・・初代神武天皇様で国家鎮護の神
 天穂日尊・・財福招福の神
 八幡大神・・子育て。安産・除災の神
 八坂大神・・悪疫退散の神
 今宮大神・・福をもたらす神
□祭典日
 歳旦祭 (一月一日   例大祭(春祭り)(四月十五日)
 夏越大祓(六月三十日) 夏祭り(渡御祭)(七月十五日)
 秋祭り (十月十五日) 歳越大祓    (十二月三十一日)』
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『民俗資料 農耕絵馬
 指定年月日 平成十二年一月二十日
 所 在 地 加須市新川通六九一番地の一
 所有者等  神武天皇社
 農耕絵馬は、明治十三年(1880)に絵師雲峰によって描かれたもので、武蔵国北埼玉郡新川通村の道路、水路、利根川の堤防などの略図の中に一連の米づくりの作業の様子が克明に描きこまれている偏額式大絵馬である。
 馬による耕起から始まり、苗取り、田植え、田の草取り、脱穀、選米、俵詰め、蔵入れ、といった農作業の過程がよくわかり、当時の稲作の状況がしのばれる貴重な資料として指定した。
 平成十二年七月一日』
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 鳥居。
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 拝殿。
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 八坂神社と手水舎。
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 神武天皇社移転碑と伊勢太々御神楽碑、伊勢参宮記念碑、新川通り渡舟場県営により解散記念碑。
 移転碑は平成二十三年十一月に建てられたもので、利根川堤防拡幅の為新川通七百三十八番地壱に移転と刻まれている。渡舟場解散記念碑は昭和三十二年十月七日とある。
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 天満宮と末社。
 末社は左から??明王(文化二乙丑年八月=1805)、稲荷宮(安永二癸巳十二月=1774)、大辨財天(文化六己巳十二月=1810)。
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 遠景。
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 遠景。右側の建物は法輪寺。

仙元大神(飯積)

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 群馬埼玉県道369号麦倉川俣停車場線を挟んでワタナベ流通の向い側に鎮座する仙元大神
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 左側の建物は何だかわからないけれど、普通に考えるとそちらに本殿が収められているのかな。もしかしたら浅間神社とは違うのかも知れないけど、特に手掛かりが無いので写真中央の仙元大神をエントリー名にしておこう。
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 仙元大神。
 側面には「明治十一寅六月吉日 渡邊清治郎」と刻まれている。仙元大神の文字の上には○で囲まれた參月という文字があるが、何を意味しているのかわからない。富士講に関連したマークのようなものだろうか。
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 正面に「仙元大菩薩百社大願成就 武州埼玉郡 蓮行門人 山越 渡邊竹次郎」、側面に「弘化二乙巳年正月貞祥日」とある。
 弘化二年は1845年、明治十一年は1878年なので、二人の渡邊さんは親子かな? 参道脇に置かれた石塔には「寛政六甲一月吉」と刻まれていたので、1794年より前からあったのかも知れない。
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 歩道から参道に続く入口。

 以上で7月15日参拝分終了。
 使用機材はK-7にDA15mmとFA31mm、FA43mm、DA10-17mm Fish-Eye。K10Dに50-150mm II。COOLPIX P7100。

稲荷神社(本郷)

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 鷲神社から堤防沿いに北上すると、本郷水位観測所の西側に稲荷神社が鎮座している。
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鷲神社(本郷)

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 利根川と渡良瀬川に挟まれた、旧北川辺町の端に鎮座する鷲神社(加須市本郷747-14)。
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 宝暦三癸酉年(1753)の鳥居。笠木と貫が無くなってしまっている。
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 阿弥陀如来と青面金剛、地蔵菩薩。
 阿弥陀如来は少し読み取り難いがおそらく貞享四癸酉天(1687)十月吉日、青面金剛は享保五庚子年(1720)、地蔵菩薩は元禄二年(1689)のもの。
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 狛犬。
 台座には大正六年(1917)四月吉日と刻まれている。
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 鷲神社所蔵の加須市北川辺地域指定文化財を記した案内板と金毘羅神社。
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 鷲神社所蔵の文化財。
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 拝殿。
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 拝殿前に設置された、板絵着色利根川ケレープ工事の図の案内板。
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 末社群。
 左奥から靖国神社、石段寄附者連名碑、八幡社、不明、不明、御霊社、浅間大神・烏帽子岩・内八海龍王・外八海龍王・小御嶽石尊、田中霊神・辨財天。
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 天満宮と雷電神社。
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 毘沙門堂…かな?
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 木造毘沙門天立像の案内板。
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 六地蔵尊と大日如来、地蔵菩薩。
 大日如来は寛文二午天七月と刻まれているので、1662年のものだと思うのだが、寛文二年は壬寅だから午ではないはず。寛文六年なら丙午だけど。
 また、六地蔵の隣に北川辺地域指定記念物である本郷渡場巡拝塔があるのだが、普通に雨曝しになっているので撮影している時には気付かなかった。
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 十九夜塔。
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八幡宮(駒場)

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 北川辺町排水機場の南西に鎮座する八幡宮
 右奥に見えているのが北川辺町排水機場。ちなみに排水機場の北200m辺りに大杉神社があるそうなのだが、見つけられなかった。車で流しながらではなく、徒歩で探せば良かったかな。
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 月読尊。
 側面には享和四甲子歳正月吉辰日と刻まれているので1804年のもの。
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 拝殿。
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 東から。
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