愛宕神社(五霞町元栗橋)

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 法宣寺前の道を南へ少し向かうと、栗橋城跡の案内板が立てられている。しかしここから入って行っても民家があるだけなので、事前にwebで調べてみた限りでは、愛宕社へは法宣寺の脇から入って行くことになるようだ。
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『栗橋城跡
 今からおおよそ五百年前の室町時代、鎌倉の北条氏照氏がここ北関東の一帯を上杉謙信氏から守りぬくために、支城として築城させたものであるといわれています。
小山城(小山市)、古河城(古河市)、水海城(総和町)、関宿城(関宿町)そして竹山城(八王子)等も氏照氏は支城として支配していたそうです。ここ、五霞村城山は、当時の水運の便を考えると、どうしても栗橋城は、必要だったのだと考えられます。
 旧権現堂川を掘ったため、城跡は二つにわかれてしまったが、当地は松本好司氏宅を中心に、北方に若宮八幡、愛宕権現を祀る社あり、附近には、七曲りと称せられる。浅いところでは、三~四メートル、深いところでは十メートル位の空堀が現存しています。
 昭和六十一年一月』
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 と言うことで法宣寺本堂の裏から堀跡へ降りてみる。
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 堀から西へ向かって土塁→堀→土塁と越えて行くと、祠発見。
 左側の二つの祠にはどちらにも勝軍地蔵の像が置かれていたので、どちらも愛宕社なのだろう。
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 三柱の神が祀られているようだが、どなたを祀ったものなのかは不明。
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法宣寺(五霞町元栗橋)

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 神明社の南西に位置する日蓮宗正長山法宣寺(猿島郡五霞町元栗橋154)。山門や本堂の屋根には井筒の中に橘がある、いわゆる日蓮宗橘紋が見える。井伊直正が日蓮宗の宗徒であったことから、後に日蓮上人が井伊氏の一族であると言う話が生れたということらしい。
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 鐘楼。
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 本堂。
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 本堂裏手に祠があるが、稲荷社かな?
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 法宣寺のやや南東に位置する、元栗橋上宿生活改善センターの前に青面金剛。
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 左のものは寛政十一己未(1799)十一月、右のものは正徳元辛卯(1711)九月造立。

神明社(五霞町元栗橋)

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 7月29日の香取神社のエントリーに於いて、香取神社そばの神明社(猿島郡五霞町元栗橋166)を見落としていたと書いたが……なんでこんなにわかりやすいのを見落とすかな○刀乙
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稲荷神社(五霞町川妻)

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 県道268号線を挟んで五霞町川妻浄水場の北西に鎮座する稲荷神社(猿島郡五霞町川妻2490)。
 駐車スペースは無いので、一色神社に車を置いたまま徒歩で。

一色神社(五霞町川妻)

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 香取神社から少し北へ向かうと、県道268号線の脇に一色神社(猿島郡五霞町川妻56)が鎮座している。
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 狛犬。
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『川妻一色神社の由来
 元和五年(1619)武蔵国幸手城主一色宮内大輔直朝公は、関宿城主、小笠原左衛門信政公に攻め落とされてしまいました。
 そこで、幸手城主の二男、一色次郎輝季公は、この怨みを晴らそうと、名を庄右衛門法吉と改め、姿をかえて、ここ川妻村に、かくれ住み、チャンスがくるのを待っていたのでした。翌元和六年(1620)に利根川が大氾濫をし、農産物がとれなくなり村人は、大変困ってしまいました。
 輝季公は、これをみて利根川を下る関宿藩の年貢米を満載にした、御用船を奪い、川妻の村人を救ったと、伝えられています。村人たちは、大変感謝しましたが、関宿城主は大いに怒り、厳令を下して、輝季公を捕らえようとしました。しかし、人並はずれて武術にすぐれていた輝季公は、なかなか捕らえられませんでした。その時、栗橋宿に住む、萬屋五郎兵衛が関宿城主にうまく言いくるめられ、輝季公が遊びに来たことを通報し、丁度囲碁を打っていた時、輝季公は、召し捕られ、麻縄でしばられてしまいました。
 翌、元和七年(1621)十月十五日、輝季公は利根川の河原で処刑され川に流されたが、川妻村を離れることがなく、死体はいつまでもとどまっていたのだそうです。
 村人は、関宿城主の怒りを恐れながらも、これを川妻、北区の一隅に密かに一色神社として祀った。毎年、四月十五日、十一月十五日には、麻を奉納し、五穀豊穣、家内安全を祈って、例祭を行なっています。
 昭和六十二年二月』

 小笠原信政と書かれているけど、これ多分政信の書き間違えじゃないかな。確かにこの時代に小笠原信政と言う人はいるようだけど、関宿藩主で左衛門佐の役職に就いていたのは信政の兄である小笠原政信の方だから。
 それと、一色直朝は慶長二年(1597)年に死去していたり、幸手城は天正十八年(1590)に一色氏が去って廃城になっていたりと、この伝承とは色々と齟齬がある。まぁ、伝説だからそんなものかも知れないけれど、元々はどう言ったことからこんな伝説が生れたのだろう? 元和年間に洪水があったことや一色輝季と言う人(ただし次男ではなく三男)がいたこと、それと小笠原政信が関宿藩主になったのが元和五年であると言うことは確かなようだけど。
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 拝殿。
 本殿の胴羽目は天岩戸隠れや八岐大蛇退治……あと、なんだろうこれ。社殿のような建物に向かい御幣を捧げ持って祈る武人の彫刻があるが、古事記にこんなシーンあったかな?
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 末社群。何神社が祀られているのかは不明。

香取神社(五霞町川妻)

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 香取神社(猿島郡五霞町川妻116)の一の鳥居と二の鳥居。
 右奥に見える鳥居は神明宮の鳥居。
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 狛犬。
 台座には嘉永四亥年六月吉日と刻まれているので、1851年のものと思われる。
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 拝殿と狛犬。
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 末社。何神社だろうか。
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 神明宮。
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 本殿。
 壁面には田植えから収穫までの様子を描いた彫刻が施されており、農耕神として篤く尊崇を受けていることが感じられる。
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 拝殿と本殿。

庚申社(五霞町川妻)

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 川妻の香取神社から少し南へ下った三叉路の脇に鎮座する庚申社
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 青面金剛。
 宝暦四甲戌九月吉日と刻まれているので1754年のもの。

白山神社(五霞町小手指)

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 若宮八幡宮から東へ向かって行くと、民家脇に白山神社の鳥居があるのだが、うむ……駐車スペースの確保に困る。誰も来ないことを期待して鳥居前の壁ギリギリまで寄せて駐車し、ささっと参拝を済ませよう。
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 二の鳥居と拝殿。
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 本殿。
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 なんだろう。倉庫かな?

若宮八幡宮(五霞町元栗橋)

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 香取神社の北西に鎮座する若宮八幡宮(猿島郡五霞町元栗橋7393)。
 若宮八幡なら、御祭神は大鷦鷯尊(仁徳天皇)だろうか。
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 狛犬。
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『若宮八幡宮再興記念碑
 当若宮八幡宮は、赤松宗旦著「利根川図志」にも紹介されている。また、古くから栗橋城の守護神とも伝承されている。創建は定かではないが由緒ある八幡宮である。
 明治二十七年(1894)ご神木(サイカチ)の保護のために玉垣新設や、昭和十七年(1942)本殿の造営や修理等を経て今日に至っている。しかし、長年の風雪を受け維持・管理にも困難が生じてきた。
 今度郵政民営化に伴い上宿簡易保険組合(二十有余年)が解散となり当組合の還元金を浄財にし、又、上宿氏子一同の総意による浄財を持って再興を実施するに至った。
 当若宮八幡宮は、永らく地域社会の発展と繁栄をもたらすものと確信する。
 再興を永らく留めたく記念碑を建立する。
 平成九年三月吉日』

 栗橋城が築城されたのは享徳三年(1454)~長禄元年(1457)頃と言われ、廃城になったのは天正十八年(1590)だそうだから、城の守護神として建立されたのならその頃になるのかな。
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香取神社(五霞町元栗橋)

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 幸手霊園法宣寺の北東に鎮座する香取神社(猿島郡五霞町元栗橋184)。
 まったく気付かなかったのだが、この一の鳥居から50mくらい南東に入ると神明社があったらしい○刀乙 Google MapにもMapionにもMapFanにも記載されていないけど、MAPPLEには記載されている……ぐぬぬぅ。
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 二の鳥居。
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 狛犬。
 台座には文久二戌年正月建之と刻まれているので、1862年のものと思われる。
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 拝殿。
 左右の祠は社名は記されておらず、陶製の狐が置かれていたが、おそらく稲荷社ではなく随神ではないかなと言う気がする。
 こちらの香取神社の由緒等は不明だが、嘗ては法宣寺の南側に栗橋城があったそうなので、位置的に見て鬼門除けの社だったのだろうか。五霞町のサイトを見ると栗橋城の北側に若宮八幡宮と愛宕権現社があるとのことなのだが……おや? 若宮八幡宮にはこのあと参拝しているが、愛宕社はどこだろう。地図には載っていないようなのだが、ググってみると法宣寺の裏から権現堂川方面に向かって行くと祠があるようなので、もしかしたらそれが愛宕社なのかも。うーむ、後で行って見るか。
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 境内社。
 周りに置かれた石はなんだろう。

三嶋神社(五霞町元栗橋)

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 真言宗実相院の隣に鎮座する三嶋神社(猿島郡五霞町元栗橋1404)。
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 拝殿。

八坂神社(五霞町元栗橋)

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 浄土宗隆岩寺の南西に鎮座する八坂神社(猿島郡五霞町元栗橋2943)。
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『八坂神社みこし新調記念
 此の神社のみこしは素盞鳴命をまつり毎年夏の祭には五穀豊穣、家内安全、災難消除を祈願し、みこし渡御が盛大に行われました。しかしみこしは老朽著しく二十余年もの間渡御できず、氏子の人々のみこし奉納の熱意が年ごとに盛り上がり、そして今年は町制施行(六月一日)の年にあたり、更に氏子総意のもと準備委員会を結成し、たび重なる協議の結果、みこし新調に道が開かれました。
 最初のみこしは、享保十年(1725)頃に作られ、時代を遡ること百数拾年余で、元栗橋の先賢達の残された遺徳が偲ばれる。その後何回も修復を経て参りました。
 そして今年四月十五日みこし奉納奉告祭が挙行され、当八坂神社の歴史が増し未来の世代への橋渡しが出来ました。
 この間氏子の皆様の暖かいご支援、そして幾多の人々の献身的なご努力と尊い奉賛金により、荘厳なみこしが新調された事を記し、これに尽力された方々に深甚なる感謝の意を表すると共に、将来この地にて郷土を愛する者が互に助け合い時移り世が変っても良き風土良き伝統を踏まえ、共存共栄の灯をともすことを願いながら、この記念碑を建立するものである。
 平成八年七月七日』
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 拝殿。
 石段左側の祠には咸興歩兵第七十四聨隊全景と書かれた写真が収められていたので、護国神社や忠魂社のようなものかも知れない。右側の祠はおそらく稲荷社。
 ググってみたら、左の祠は伊弉冉尊を祭神とする白山社で、右の祠は保食命を祭神とする稲荷社だそうだ。
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浅間神社(五霞町元栗橋)

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 浄土宗隆岩寺の南東に鎮座する浅間神社(猿島郡五霞町元栗橋2904)。
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 稲荷社……かな?
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 塚の頂に浅間神社。
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 南西から。

雷電宮(五霞町元栗橋)

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 キユーピー株式会社睦寮の隣に鎮座する雷電宮(猿島郡五霞町元栗橋2837)。
 創建時期や由緒等は不明だが、水盤には明治二十七年十二月吉日と刻まれているので、1894年より前からあるのだろう。
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香取神社(五霞町元栗橋)

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 茨城埼玉県道267号幸手境線に面して鎮座する香取神社(猿島郡五霞町元栗橋5107)。
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 拝殿。
 拝殿左側の祠は三峯神社。右の祠は稲荷神社。
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 八坂神社。
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 香取神社拝殿と稲荷神社々殿、三峯神社々殿、八坂神社々殿は昭和六十年(1985)四月に落成したようだが、創建時期は不明。
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日取神社(五霞町元栗橋)

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 五霞町環境浄化センターの南西に位置する田圃の中に鎮座する日取神社(猿島郡五霞町元栗橋7246)。
 田圃の中なので当然駐車場などは無く、車を東側の農道脇に置いて畦道を歩いて行くと、祠の裏手から入ることに。どうやら隣家の前から畑の脇を抜けて行くのが正解だったようだ。
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 銅製の神明鳥居だが、陶製の小さな狐が置かれていたりするので神明系なのか稲荷系なのかよくわからない。
 右側の祠の中には慶長八卯年(1603)二月造立の稲荷大明神社。下総国葛飾郡土余部村別当湯仙寺とも記されているが、地図を見ても近くにそのような寺は見当たらない。
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 近くの道端に鎮座する青面金剛。
 寛延二年八月十九日とあるので1749年のもの。
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 東から。
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 北から。

幸主神社(五霞町幸主)

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 名馬尊のやや北西に鎮座する幸主神社(猿島郡五霞町幸主978)。駐車場は無いので、車は幸主農村公園に置いたまま徒歩で。
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 拝殿。
 左側の改築落成記念碑には昭和五十六年(1981)一月と刻まれている。
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『藩主久世大和守三代目領分下総国葛飾郡幸館新田村に天明四年甲辰二月二十九日西暦一七八四年、正一位稲荷大明神を祭神す。明治四年四月十一日西暦一八七一年幕府領廃藩となり以後村社に列格す。大正二年十月吉日西暦一九一三年幸館村現在の本田村社香取神社と主税新田村社香取神社を合併し幸主神社に尊称す。この碑は香取神社合併として昭和五十六年一月吉日西暦一九八一年再建立す。
 大正二年十月吉日主税新田八幡神社を合併す』

 幸主香取神社の石碑にも同じようなことが記されていたが、本田香取神社のことは記されていなかったな。
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 拝殿と本殿。その間を繋ぐ幣殿は無い。
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 鳥居前の注連柱には元治二乙丑と刻まれていたので、1865年に建てられたのだろう。鳥居は平成十五年(2003)十一月建立。

幸主名馬尊(五霞町幸主)

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 幸主農村公園の隣に鎮座する幸主名馬尊
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『幸主名馬尊の由来
 治承四年(1180)鎌倉、源頼朝公には、生唼(白馬)と、磨墨(黒馬)という二頭の名馬を持っていました。ある日、佐々木四郎高綱という若武者が「殿、一番乗りはこの私めがぜひ生唼をお与え下さい」と申し出たのでした。すると翌日今度は梶原源太影季という若武者が「いや一番のりはこの私めに磨墨を」と申し出たのでした。
 頼朝公は、あまりにもあっぱれな二人の姿に二頭の名馬を授けてしまったのでした。ご存知宇治川の先陣争いです。後に奥州平定にも活躍をし、その帰路ここ我が五霞村小福田の「する墨の池」に生唼、は幸主「池月」に立ち寄り体いやしてやったといわれていますが、生唼はとうとう力が尽き息をひきとってしまいました。
「鎌倉路する墨池の秋の月」との歌も残されています。先人は、生唼の冥福を祈り、名馬尊として拝殿を建て、毎年旧一月三月十九日を祭礼日として、かつてはにぎわったものだそうです』

 栃木県佐野市飛駒にも磨墨・生月の名馬伝説が残っていたりするが、あちらは二頭の没した地ではなく、生れた地とされている。尤も、飛駒ではなく千葉県北西部説の方が有力ではあるらしいけど。
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 拝殿内部。
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 裏に回ると石塔があるが、こちらが名馬尊の御本体なのかな。そして石塔の前の石仏は馬頭観音だろうか。
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 名馬尊拝殿前には道路に面して庚申塔や青面金剛などが並んでいる。
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 元禄十三年(1700)十月と延宝四年(1676)二月の青面金剛。
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 青面金剛の裏には名馬尊拝殿側を向いた六地蔵。
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 名馬尊の東隣に薬師堂と本田薬師堂集会所。

香取神社(五霞町幸主)

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 新国道4号春日部古河バイパスを挟んで、道の駅ごかの南西に鎮座する香取神社(猿島郡五霞町幸主1103)。
 香取神社と八幡神社が合祀されているとのことなので、御祭神は経津主命と誉田別命になるのだろう。大正二年(1913)に幸主神社に合祀されたが、その後もこちらで祀られているようだ。
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『霊蹟保存碑
当地は元独立の村にして主税新田と称す。鎮守社は香取神社八幡神社合殿にして此地に鎮座し創立の由来漠として詳ならず。明治五年(1872)社格制定の際村社に定めらる。明治十三年(1880)当村及び幸舘村、幸舘新田と三ヶ村合併、幸主村と改称し同二十二年(1889)町村制の実施に当り五霞村と称するに及びて幸主村は具大字と属れるも鎮守社は猶旧の如く分立す。明治三十九年(1906)以降政府専ら神社の整善を企画し其設備不完全にして発達の見込無き神社は可成合併して設備を完全にし維持方法を確立し、以て永遠に尊厳なる発達を遂げしめんとし勧奨漸く急なるに従い大正二年(1913)十月三日県庁の許可を経て字原村社稲荷神社の境内神地をとし各鎮守三社を合祀して村社幸主神社と改称するに至りて旧社殿境内跡地凡て訪社の有に帰し之を処分する運命に際会せり折是旧氏子の情として歴史深き霊蹟を破却するに忍びず一同協議を尽して金三百余円を拠出し旧社殿及び附属工依物は之を買受境内跡地九畝二十六歩は字浦郷地乙五百七十一番田二畝二歩字同所乙五百七十二番田二畝二十一歩字同所乙五百七十三番田四畝九歩を購入して代地に出し橋本君松の名義を以て之を交換し尋て旧氏子の共有と為して原形の儘其霊蹟を保存す。思うに後世子孫亦今の霊蹟に対する精神を継承して之を経営す可く依て以て敬神の念愛郷の情永久に深厚なるを得えし。茲に真顛末を石に彫し不朽に伝えん。
欲?余に文を嘱す余は三社の社掌を兼努するや二十有余年尚合併の事に当り経遇を知るや最も深し依て議辞を志して之を記すと云爾』

香取神社(五霞町新幸谷)

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 五霞町役場の北西に鎮座する香取神社(猿島郡五霞町新幸谷74)。
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 参道右側に青面金剛。正徳五年(1715)九月……かな?
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 拝殿。
 他に文政七甲申年(1824)三月の石燈籠もあった。
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 狛犬。

雷電宮(五霞町川妻)

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 田圃を挟んで穴薬師古墳の東に鎮座する雷電宮(猿島郡五霞町川妻266)。
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 後ろに聳える、避雷針のようにも地面から伸びた稲妻のようにも見える木が御神木であろうか。種類はわからんけど。
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 雷電宮から西を向くと穴薬師古墳が見える。

浦島神社(五霞町小手指)

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 茨城埼玉県道268号西関宿栗橋線に架かる下宿橋の西側に鎮座する浦島神社(猿島郡五霞町小手指3050)。
 遠目には神社と言うよりも城砦か何かのようにも見える。
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 奥に見える螺旋階段に付いた亀が胡散臭さを増しているような気がしないでもないが、スロープの出入口に設置された門は立派なものだ。
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 門には亀に乗った浦島太郎と龍宮城の住人達の彫刻が施されている。と言うことは、やはりこちらの神社に祀られているのは浦島太郎と言うことになるのだろう。この辺りにも浦島伝説があるのだろうか。
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 スロープの上側から見てみたり。
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 鳥居。
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 隠岐造の本殿。
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 夫婦亀石。
 足腰の神様・縁結びの神様と書かれているが、むしろ玉手箱を開けて足腰が弱くなったり、龍宮から帰って来たら時間が経ち過ぎて自分と縁のある人がいなくなってしまっていたりと、逆なんじゃないだろうか。
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主税権現社(五霞町小手指)

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 香取神社の南西、嶋稲荷大明神の北西に位置する主税権現社(猿島郡五霞町小手指36)。
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 鳥居。
 主税権現と刻まれた額が掛けられている。読み方としては「ちからごんげん」でいいのかな。
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 祠の中には主税権現と刻まれた大きな石が置かれているのみで、他には特に無し。
 石燈籠の下からは蛙の石像が顔を覗かせている。蛙を御神使としている神様はどなただったかな、と思ってググってみると、猿田彦命や少彦名命、石凝姥命などがそうであるようだ。また蛙は田の神の使いともされるので、前述の三神は関係無い可能性もある。
 主税と言うのはこの辺りに関係した人物の名前で、それを神として祀ったものなのかと思ったのだが、蛙の像があることを考えると、もしかしたら田の神を祀っており、主税とは米の隠喩であるのかも知れない。……いや、無いな、それは。

庚申大六天八坂神社(五霞町新幸谷)

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 正一位嶋稲荷大明神からほぼ真南に向かって歩いて行くと、庚申大六天八坂神社が鎮座している。
 地図に神社名の記載は無く、鳥居にも額が無いので正しい名称は不明だが、庚申塔と大六天、八坂神社が祀られているのでとりあえず庚申大六天八坂神社と呼んでおく。ぶっちゃけ庚申を外して大六天八坂神社だけの方が言葉の据わりは良いような感じもするのだけれど。
 ちなみに、写真のほぼ中央奥に見えるのが嶋稲荷大明神。
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 左から庚申塔、大六天、八坂神社。

嶋稲荷大明神(五霞町小手指)

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 香取神社から南へ歩いて行くと、用水路の北側に嶋稲荷大明神(猿島郡五霞町小手指287)が鎮座している。
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 石造りの額で、正一位嶋稲荷大明神と浮き彫りにされた文字の上下には一対の狐の姿も彫られている。
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 拝殿前の石段には昭和七年(1932)三月と刻まれている。
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 西側から。

香取神社(五霞町小手指)

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 小手指農村公園の隣に鎮座する香取神社(猿島郡五霞町小手指75)。
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 鳥居。
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 参道右側に敬神之碑があり、その隣に……御神木の輪切り?
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『敬神之碑
 五霞町小手指に鎮まり坐す香取神社は、経津主大神を御祭神とし、創建の年代は不詳であるが、記録によると正徳三年(1713)十一月に字名主、氏子中にて社殿を造営したとある。
 古くより小手指村の鎮主として厚き信仰心にて崇め奉り、御加護を授かりながら護持されてきた。
 昭和五十九年(1984)秋には社殿の老朽化が著しく、敬神の念深き氏子諸人の浄財によって、御修営事業が行なわれた。
 その後、平成十年(1998)三月異変が発覚、不心得者により社殿の一部が破損し、本殿内の御神像が失われた。
 御神像は延享元年(1744)にお祀りされたと言われていたものである。
 歳月の移り行く中、御神像を乞う気運が高まり、御祭神の御本営である香取神宮に詣で許しを得、早速協議を重ねた。御神像は資料に基づき忠実に再現する事とした。
 氏子崇敬者一同により誠意あふれる奉賛を受け、ここに新たな御神像が完成したのである。
 畏くも香取神宮より御分霊を賜り、もって更なる御神徳を仰がんとするものである。
 之を記念して此の碑を建立するものである。
 平成十五年四月吉日』

 江川天満宮も平成十年四月に盗難事件があり、結局発見できなかったと書かれていたが、これらは同一犯によるものなのかな。寺院や神社などから盗み出された文化財や神物が某キムチ国に運び込まれただの、某隣国からの窃盗団が検挙されただのって話はよく聞くし。国外に持ち出されていたらなかなか見つからないだろうなぁ。
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 拝殿。
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 狛犬。
 昭和六年(1931)四月建立。
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 茅の大蛇。
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 社殿の周囲をぐるりと取り囲んでいる。
 丁度この日(7月14日)の朝に設置されたばかりであるのだそうだ。
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 拝殿に掛けられた絵馬。
 かなり薄くなってしまっているけど、左は猿田彦命と天鈿女命で、右は弁慶と源義経かな。
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 諏訪大明神。
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 神明宮と八坂神社。
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 下総坂東第五番 勝光院。本尊は十一面観世音菩薩。

福田神社(五霞町小福田)

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 新国道4号春日部古河バイパスの西側に鎮座する福田神社(猿島郡五霞町小福田58)。
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 旧満福寺跡の石碑。
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 狛犬。
 昭和六十年十一月造立。
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 二の鳥居。
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 三の鳥居。
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 拝殿。
 大棟には十六弁菊花紋が見える。
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『福田神社の由来
 当神社の創建日は詳らかでないが、奉納額に「天満、雷電、天神宮、文政四年(1821)九月」と記されているので、その以前から氏子の人々が厚く信仰されてきたものと拝察されます。
 主神である正一位稲荷大明神は五穀豊穣、萬民豊楽の大誓願をたてられ、その御神徳は普く四隣に及んだと言われ、当時の氏子一同は御神恩に報いるため神殿を造営し、日本稲荷総本宮京都伏見稲荷大社社家愛染寺知山大徳より、天保十一年(1840)四月十二日神璽証書を拝戴し、この地に勧請申しあげ郷土繁栄の守護神として御奉祀いたしたとのことであります、従ってこのときが当神社の創建日であるとされています。
 その後、歳月を経て大正三年(1914)十月五日当神社社掌関根繾次は、氏子とともに稲荷大明神の御神光を奉戴し、すでに御鎮座なされし雷電社、八幡社、の合祀を発願され「福田神社」と改称し続いて大正十三年本殿の屋根模様替え工事が施工されました。
 然し、最近社殿の老朽化が甚だしく宮司関根健二、氏子一同相計り本殿、拝殿、鳥居、御神燈等の大改築をすることに決定し氏子を始め近隣の篤信者の浄財によって直ちに計画着工し荘厳なる社殿が落成され、ここに目出度く御遷宮の祭典を厳修することができました。于時昭和六十年十一月吉祥日なり。

  祭典
一、 一月 二日  元旦祭
一、 四月十五日  祈年祭
一、十一月十五日  献穀祭』
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 社殿斜めから。
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 何神社なのか不明。

水神宮(五霞町大福田)

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 大福田天満宮の南西、用水路そばに鎮座する水神宮
 側面に寛政九丁巳星五月吉と刻まれているので、1797年のもののようだ。

大福田天満宮(五霞町大福田)

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 大福田水処理センターの西隣に鎮座する大福田天満宮(猿島郡五霞町大福田945)。
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 天満宮の左に大杉神社。右側に浅間神社。
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『大福田天満社
 天満社(祭神・菅原道真公)の造営は元文三年(1739)と記されています。その後、大杉大明神が合祀され現在に至っています。
 古来、疫病除けの神様として信仰し、五穀豊穣、災難厄除け、家内安全を祈願しています。
 祭礼は毎年七月二十三日から二十五日まで、氏子総代、区長、組合長、若連たちで行なわれています。大杉大明神の発祥は、稲敷郡桜川阿波に在る大杉神社(祭神は倭大物主櫛甕玉命)です。
 五霞町内では、当地大福田の他に冬木、元栗橋両地区にも大杉神社があり、いずれも阿波様(あんばさま)と呼ばれて親しまれ、群衆信仰の的となっています。
 又、大杉神社に奉納される大杉囃子は、祭礼日をはじめ、各種催事にも披露されます。つくば科学万博(昭和六十年=1985)「五霞村の日」には、大福田大杉囃子保存会が出演し好評を得ました。
 平成八年六月』

 元文三年で1739年になるのは十二月だけのようなので、元文三年十二月創建と言うことになるのだろうか。
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 左から諏訪社、八幡神社、稲荷大明神。
『本社修繕莫藪不鮮然以神地属堤外毎洪水不免
 其害洵不堪遺憾於是乎一時雖?社殿於天神社
 境内信者且所不為屑故建碑於現神地以表敬意
 於無窮矣
 明治己亥二月』

 明治で己亥と言うと、三十二年(1899)か。
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 白山大権現。
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 葛飾坂東第三番札所 下総国葛飾郡大福田村天福寺 十一面観世音堂と大師堂。

日吉神社(五霞町山王山)

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 東昌寺から少し西へ歩くと日吉神社(猿島郡五霞町山王山707)が鎮座している。
 東昌寺に設置された案内板にも書かれていたが、東昌寺の山王権現は西向き、こちらの日吉神社は東向きと向い合うように建てられている。
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 十五弁菊花紋が彫られている。
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『日吉神社
 當山開闢巳来於此處有神明社都泯絶久矣故世人傳其跡曰神明山
 今追先規寺内道俗勠力構神廟一宇奉安天照皇大神者也仰所冀者
 憑昭被神徳皇風永扇家國安全矣于時天和二壬戌暦九月十六日六
 國山東昌禅寺霊峯苗叟名主年寄奉祀之而今至大正六年氏子總代
 青木六之須毛等為涵養敬神之誠意積基金五百圓永久固村社之基
 礎以資助風教之振興爾云
 維持大正六年九月十六日
    男爵神尾光臣草額』

 古くは天照皇大神を祀る神明社であったと伝えられるが絶えて久しく、天和二年(1682)九月十六日に東昌寺霊峯苗翁や名主、年寄らによって山王権現が奉祀された……と言うことでいいのかな?
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 隣にはお堂。
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 薬師如来かな? 右側は不動明王だろうか。
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