稲荷神社(杉戸町杉戸四丁目)

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 厳島神社のすぐ北側、河寿会館の隣に鎮座する稲荷神社(北葛飾郡杉戸町杉戸4丁目10-30)。
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 狛犬。
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 拝殿。
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 末社。
 疱瘡神は確認できたが、他は不明。お公家様のような石像もあったが、菅原道真公なのか聖徳太子なのかわからない。
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 厳島神社隣の富士塚上から見た稲荷神社。
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厳島神社(杉戸町杉戸四丁目)

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 東武動物公園駅の北西、大落古利根川に架かる河原橋のそばに鎮座する厳島神社(北葛飾郡杉戸町杉戸4丁目10)。
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 祠の中には宇賀辨財天と子安観音の像が納められている。
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 富士塚。
 麓から大日如来、仙元大菩薩、小御岳石尊大権現、御室浅間太神とあり、塚頂に富士大権現が鎮座している。また、大日如来の脇に芭蕉句碑が埋め込まれている。
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 芭蕉句碑。
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『芭蕉の句碑
 所在地 杉戸町杉戸四丁目
 ここ浅間神社の岩山の一角に、次の芭蕉の句が、自然石に刻まれている。
 八九間 空で雨ふる 柳哉 はせ越
 この句は、続猿蓑集巻の上に載っている連句の発句であるが、数多い芭蕉の句のうち、なぜこの句が選ばれたのかわかっていない。この自然石は、昭和三十三年(1958)に古利根川の改修工事を行なうため、この浅間山を移築したとき見つかったものである。
 はせ越は、松尾芭蕉で、元禄二年(1689)三月二十七日に「奥の細道」の旅立ちをして、翌二十八日には杉戸宿を経て間々田宿に泊っている。江戸時代末期には地方でも俳句がさかんになり各地に発句の会などができ、俳句作りは農村の娯楽の一つとなり、清地の近津神社の境内には、嘉永六年(1853)に建立された当町の俳人の名が刻まれた碑がある。
 また、浅間神社では、毎年七月一日に子供の健やかな成長を祈る行事として、初山が催されている。
 昭和六十二年三月』
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 金刀比羅宮。
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 狛犬。
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『厳島神社金刀比羅宮改修記念碑
 厳島神社は昭和初期古利根川の河川改修により社を現在地に移しましたが風雨に晒され老朽化し総代役員崇敬者の厚志により上屋で覆い復元、又金刀比羅宮は享保年間(1716~35)に改修された記録があるが永き年月により屋根は朽ち雨もり石垣は崩れ思いあまり役員一同協議の結果、用中寺本堂建立を機に大改修荘厳の美を復元す。
 昭和五十六年八月三十日建立』

舎人稲荷神社(杉戸町杉戸)

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 香取神社から東へ向かうと、東武日光線のそばの畑の中に舎人稲荷神社(北葛飾郡杉戸町杉戸758)が鎮座している。
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『稲荷神社改修趣意書
 舎人稲荷神社は今から百八十七年前天明八年(1788)京都伏見稲荷神社より御勧請申し上げ爾来舎人組地域の氏神として深く敬虔なる祈りをする者は延寿福楽の栄華を授くと言われ、住民に崇敬され今日に至っている。現在の社殿は既に六十数星霜を経ており、この間二十年前に小規模の修繕をした儘であり、最近土台が腐朽し、屋根の破損も甚だしく神霊の社として放置しがたい状態である。氏子の方々から修復してはとの声あり、この度氏子世話人慎重審議した結果この期に社殿を大改修し荘厳の美を復元し参拝の心を増進神明の加護により氏子住民各位の安楽をはかることになりました。
 ついては、氏子並住民各位の絶大なるご信助によりこの大願を成就したいと存じます。どうぞ進んで浄財をご喜捨賜りますよう世話人一同ご懇願申し上げる次第です。
 昭和五十年四月吉日』
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 二の鳥居。
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 拝殿。

香取神社(杉戸町杉戸)

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 上杉戸集会所の隣に鎮座する香取神社(北葛飾郡杉戸町杉戸592)。
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『香取神社
 祭神 経津主命
 祭儀 例祭七月十五日
 当社は下総香取の香取神宮の末社である。当町内の地域は、もと下総国に属していたので多くの香取神社が鎮座している。
 創建年代は不詳であるが相当古いと思われる。江戸時代は東福寺が管理していた。明治六年(1873)に村社となった。
 境内には、木・石造の鳥居(明治四十一年)各一基、手水石(安永七年)一、石燈籠(天保五年)一、狛犬一対のほか力石がある。拝殿には絵馬もある。
 なお、稲荷、第六天の二社が合祀されている』
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 拝殿。
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 狛犬。
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 第六天神と稲荷大明神。
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 地蔵堂兼大師堂。
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御所宮神社(杉戸町下高野)

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 御所宮神社(北葛飾郡杉戸町下高野1735)。
 こちらは第四代古河公方足利晴氏の子である足利輝氏を祀っているのだそうだが、なにをした人なのかわからない。兄弟には第五代古河公方足利義氏や足利藤氏、藤氏の死後に後継者として義氏と争った足利藤政などがいるのだが、輝氏の足跡はさっぱりだ。同じように影の薄い兄弟である足利家国でさえ、館山市の真言宗智山派補陀洛山那古寺へ孔雀明王経を寄進した際の寄進状が残っていると言うのに。
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 青面金剛。
 天和と三月吉日の文字は読み取れるのだが、何年なのかがはっきりしない。まぁ、天和は1681年11月~1684年2月の間なので、その頃に造られたのだろう。
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 拝殿。
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 稲荷大明神(寛政五丑年(1793)九月)と天満宮(嘉永七寅年(1854)六月)。

天満宮(杉戸町下高野)

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 真言宗豊山派龍燈山永福寺と曹洞宗全長寺の間に位置する中志集会所の隣に鎮座する天満宮(北葛飾郡杉戸町下高野424)。
 こちらは高野城跡地の候補の一つとされているのだそうだ。
 因みに杉戸七福神の内、寿老人は永福寺に、布袋尊は全長寺にあるそうだが、特に七福神巡りをする予定は無いのでそちらはパス。
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『町指定天然記念物 天満宮の槇
 ここの天満宮は、菅原道真を祭神として、十月二十五日が祭礼の日となっている。しかし神社がつくられた年代は明らかでない。天満宮は、天を祭る信仰から始まったものである。
 この境内にある槇は、高さ二十二メートル、幹の太さ周囲四メートル、樹齢約六百年と言われ近隣市町にも見当たらない巨木である。そのため、昭和三十七年(1962)二月二十八日、天然記念物として、杉戸町指定文化財となった。
 槇には、コウヤマキ・イヌマキ・ラカンマキ等があるが、この天満宮のマキの正しい名前はイヌマキといい、マキ科の常緑樹である。イヌマキは、関東地方から沖縄までの暖い地方に自生し、高さ二十五メートル、太さ周囲三メートルにも達し、庭や生垣、建築材などにも利用されている』
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 拝殿。
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 犬槇。

愛宕神社(杉戸町下高野)

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 木々子神社の南西に位置する愛宕神社(北葛飾郡杉戸町下高野363)。
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 上株集会所兼社務所兼拝殿、と言ったところであろうか。

木々子神社(杉戸町下高野)

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 宮ノ下集会所の南東に鎮座する木々子神社(北葛飾郡杉戸町下高野1257)。
 鳥居は壊れ、台座と柱が一本だけ残っている。
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『木々子(このこ)神社
 祭神 木花咲耶姫命
 祭儀 例祭七月二十日 秋祭十月十七日
 木花咲耶姫命は大変美しい姫で、日向国(宮崎県)高千穂峰に降り立たれた天孫瓊瓊杵尊の妃になったと神話にある。また姫は、静岡県富士宮市にある富士山本宮浅間神社(元官幣大社)をはじめ、全国各地にある同名の神社の主神として祀られている。
 創建年代は詳らかではないが、江戸時代の寛保三年(1741)の文書によると当時、当社は木々子明神と呼ばれ、下高野にあった東大寺(本山派修験、現在廃寺)が管理をしていた。境内には、厳島、稲荷、三峰の諸社が祀られている』
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 拝殿。
 屋根瓦が落下して来るので危険と書かれたプレートが壁やらブロック塀やらに何枚も設置されている。
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 本殿。
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 右の祠には稲荷大明神が祀られているので、残りの二つが厳島神社か三峰神社になるのだろう。
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 富士塚。
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 浅間大神。
 その脇には小御嶽磐長姫命と木花咲耶姫命の名が刻まれている。

香取神社(杉戸町高野台西二丁目)

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 杉戸高野台駅の北西に位置する香取神社(北葛飾郡杉戸町高野台西2丁目7-13)。
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 参道左側に稲荷大明神と疱瘡神。
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『香取神社
 祭神 経津主命
 祭儀 例祭四月十五日 十月二十日
 当社の創建年代は明らかではないが、本殿に安置されている石造の十一面観音像に延宝三年(1675)の銘がある。また、当地は元和・寛永年間(1615~43)の開発と伝えられているので、およそその時期と思われる。
 当社は上新田の鎮守であったが、明治五年(1872)の社格制定に際し村社となった。昭和五十九年(1984)区画整理にともない現在地に移転した。
 境内には、宝暦二年(1752)銘の稲荷大明神と疱瘡を免れることを祈って祀られた疱瘡神がある』
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 拝殿。

第六天社(杉戸町下野)

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 香取神社の裏手に鎮座する祠。
 奥宮か末社だろうかと思ったのだが、神社名を記したものは見当たらない。
 しかし埼玉県庁のサイトを見ると杉戸町下野212に第六天社があると言うことなので、おそらくこちらがそれであるのだろう。
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香取神社(杉戸町下野)

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 天神社から一本東側の道を北上して行くと、真言宗智山派福正院のやや南に香取神社(北葛飾郡杉戸町下野208)が鎮座している。
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 稲荷神社と正地辨財天社・香取中社。

天神社(杉戸町下野)

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 八幡神社から県道65号線を少し北上すると、交差点脇に天神社(北葛飾郡杉戸町下野910)が鎮座している。
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 由緒等は不明。

八幡神社(杉戸町下野)

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 埼玉県道65号さいたま幸手線八幡神社交差点のすぐ脇に鎮座する八幡神社(北葛飾郡杉戸町下野895-1)。
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 拝殿。
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『八幡神社
 祭神 誉田別命(応神天皇)
 祭儀 九月十五日
 当社は、江戸期の「新編武蔵風土記稿」によれば、下野村の鎮守の一つで村民持ちとある。
 明治五年(1872)四月の社格制定にともない村社になった。大正十二年(1923)の関東大震災で本殿が全壊し、同十四年に再建されたが、のち平成十三年四月火災に見舞われ全焼した。現在の本殿は、同年十二月に再建されたものである。
 境内には、震災復興記念碑のほか、力石(二基)、馬頭観音、地蔵像がある』
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 末社。
 中には置物っぽい小さな大黒天像が置かれていたが、何神社なのかは不明。
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 拝殿斜め下から。
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 庚申塔、青面金剛、馬頭観世音供養塔、地蔵菩薩。
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八幡神社(杉戸町遠野)

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 埼玉県道26号境杉戸線脇に鎮座する八幡神社(北葛飾郡杉戸町遠野337)。
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『八幡神社
 祭神 譽田別命、経津主命
 祭儀 祈年祭 二月十五日
    秋 祭 九月十五日
 当社の創建年代は明らかではないが、戦国時代には既に遠野の村落は形成されていたところから、この頃と思われる。
 通称「八幡様」であるが、八幡神社と香取神社の合殿であり「新編武蔵風土記稿」には、「八幡香取合社」とある。江戸時代には内国府間の正福寺が管理していた。明治六年(1873)村社となった。大正六年(1917)九月に八幡神社と改称された。境内社に天満神社がある。
 秋祭りの前日は「宵宮」と呼ばれ、境内と参道にはたくさんの灯籠がたてられる』
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 拝殿。
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 愛宕神社、天満宮、稲荷宮、辯才天・稲荷大明神。

香取神社(杉戸町本島)

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 真言宗豊山派大黒院の南側に鎮座する香取神社(北葛飾郡杉戸町本島683-1)。
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 富士塚。
 頂には富士嶽神社。
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 天満宮、金毘羅大権現、不明。
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 狛犬。
 台座には明治二十八年(1895)八月の文字が刻まれている。
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 拝殿。
 左の石燈籠は延享三丙寅年十二月(1747)、右の石燈籠は享保十三戊申年(1728)十一月。
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八幡香取神社(杉戸町佐左ヱ門)

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 佐左衛門集会所の傍に鎮座する八幡香取神社(北葛飾郡杉戸町佐左ヱ門1466)。
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『八幡香取神社
 祭神 譽田別命、経津主命、若宇迦比売命
 祭儀 例祭 七月十九日・九月九日
 創建は、寛永十二年(1635)松田佐左衛門信光が譽田別命を祀り、八幡神社と称したという。明治六年(1873)に村社となり、同三十八年(1905)七月に香取神社並びに八幡神社を合祀した。同四十三年(1910)三月別に香取神社を合祀して、社名を八幡香取神社と改称した。明治四十四年(1911)八月神饌幣帛料供進神社に指定された。
 境内には、本殿、幣殿、拝殿並びに社務所がある。参道には、鳥居二基、手水石狛犬もあり築山には六社が祀られている』
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 拝殿。
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 狛犬。
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 天満宮。
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 稲荷神社。
 その左には笠間稲荷神社・農稲荷神社。
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 社務所新築記念碑と猿田彦大神。
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 富士塚。
 頂には富士大神。中腹には浅間太神、石尊大権現、小御嶽神社などが見える。

鹿島神社(杉戸町広戸沼)

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 広戸沼集会所の200m程南に鎮座する鹿島神社(北葛飾郡杉戸町広戸沼98)。
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『鹿島神社
 祭神 武甕槌命
 祭儀 祈年祭 一月二十六日
    例祭  十月二十六日
 当社は寛永十二年(1643)の創立と伝えられている。江戸時代の初期、新田開発が進められ、耕地の安泰と五穀豊穣を祈願して創建されたものと思われる。
 境内には、稲荷神社(宝暦三年・1753)、富士浅間神社(文化七年・1810)、天満神社(同十五年・1818)の三社が分祀されている。
 明治五年(1872)社格制定に際し、村社となった。なお現在の本殿は慶応四年(1868)に造営されたものである』
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 稲荷神社(宝暦三癸酉九月)と天満神社(文化十五寅二月)。
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 拝殿。
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 富士塚。
 頂には浅間大神。
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 浅間大神の脇にも石祠があるが、こちらは名が記されておらず、不明。

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 広戸沼集会所(北葛飾郡杉戸町広戸沼128)の敷地端に鎮座する仙元大菩薩と石尊大権現。

中央神社(杉戸町並塚)

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 並塚集会所の隣に鎮座する中央神社(北葛飾郡杉戸町並塚1063)。
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 鳥居。
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『中央神社
 祭神 若宇迦比売命ほか十柱
 祭儀 十一月二十三日
 並塚村には、江戸時代に稲荷社二社、香取社四社、山王社一社、計七社が祀られており全て村持であった。明治五年(1872)には、字丸田の香取社が村社に列せられた。
 明治四十年(1907)、これらの神社をここ字北浦の稲荷社に合併し、社号を中央神社と改称した。大正二年(1913)、本殿を改築し、拝殿を新築したが、大正十二年(1923)の関東大震災で本殿が半潰する被害を受けた。現在の社殿は、当地出身の上原正吉氏(大正製薬社長、参議院議員)の尽力で昭和五十六年(1981)に改築された。境内にはその旨を刻んだ「中央神社由来記」がある』
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 拝殿。
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『中央神社由来記
北葛飾郡杉戸町大字並塚の中央神社は慶応四年(1868)六月二十五日稲荷神社の境内に香取神社の社殿を建て明治五年(1872)四月村社に列せられたのが始まりで明治四十年(1907)二月五日並塚地内の小字丸田、北浦、南浦、南前、沼田、土浮各地の村社、無格社八社と境内神社十社、計十八社を合祀し社殿を改築して、中央神社と改称。祭神に若宇迦比売命を配神に大山咋命外四柱を祀って並塚の氏神となった。昭和二十二年(1947)九月十五日カスリン台風で利根川の堤防が決潰して付近一帯が水没した際も水難を免れ、農耕馬の避難場となった。昭和二十五年(1950)同地出身の当時大正製薬株式会社社長上原正吉が参議院議員に立候補した際部落の方々が集って必勝祈願を行って当選。以来選挙の度ごとに祈願して連続五期当選、三十年間にわたって参議院議員として国政に参画し、その間国務大臣科学技術庁長官をはじめ数々の要職に就き、永年勤続議員として国会から表彰を受け、昭和四十三年(1968)には勲一等瑞宝章を、昭和五十年(1975)には勲一等旭日大綬章の光栄に浴した霊験あらたかな神社であるが、合祀以来七十余年風雪に晒されて朽ち果てていたのを見た上原正吉は、幼少の頃からの心の古里である氏神様がこの状態で放置されていてはならないと思い、小枝夫人と図って郷土の繁栄を願い、私財を投じて鹿島建設の施工で社殿を再建し、祭壇一式、外柵、水屋を造り、岩城造園施工の庭園も献納した。さらに大正製薬株式会社社長上原昭二、ちゑ夫妻が狛犬一対を孫夫妻の同社副社長上原明、正子が石燈籠一対を献納。また氏子総参加によって花崗岩の鳥居を再建し、神域内の整備が行なわれたものである。
上原正吉は波塚久野 糸屋という屋号の家の出身である。
 昭和五十六年十一月吉日』
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 上原正吉先生顕彰の碑。
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 末社群。
 大黒天と天満宮など。
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 末社群。
 大黒天、稲荷大明神、厳神社、天満宮など。
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 延命地蔵堂。
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『延命地蔵(ずらっぽうさま)
 所在地 杉戸町大字並塚一一○二
 昔、この並塚の地には、毎年夏になると悪い疫病がはやり、病にたおれ亡くなる者があとを絶たなかったと言う。村人たちは、一日も早く疫病が治まるよう神仏に祈っていたが、広まる一方で、手の施しようがなかったと言う。
 そんなある日、松の杖を突き、墨染めの衣を身につけた「すらっぽうさま」と呼ばれる老僧がこの地を訪れ、疫病で困り抜いている村のようすを見て、病気で苦しんでいる家を一軒一軒拝んで廻ったと言う。しかし、疫病はいっこうに衰えなかったため、ずらっぽうさまは生きたまま自分の体を仏にささげる「いけにえ」になる覚悟をきめ、七日分の食料と鐘を持って穴の中へ入り、念仏を唱えた。七日目の晩、地下から響いていた念仏と鐘の音は絶えてしまった。すると今まではやっていた疫病はおさまり、村人は元気になったと言う。
 以上が、ずらっぽうさまの伝説であるが、今でもずらっぽうさまの命日である八月二十四日には、供養が行われている。
 昭和六十一年三月』

荒神社(杉戸町並塚)

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 上才羽香取神社から北西に向かって行くと、神扇落悪水路の川縁に荒神社(北葛飾郡杉戸町並塚1529)が鎮座している。
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香取神社(杉戸町並塚)

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 上才羽自治会館の隣に鎮座する香取神社(北葛飾郡杉戸町並塚1383)。
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『鳥居改築記念碑
 当香取神社は、江戸中期の頃、上才羽上・下組氏子相集い、この地に創建され、爾来三百星霜、その間、幾多の天災地変に遭うも、厳としてその尊姿を止め来たる。
 偶々明治四十年(1907)一月、神社統合の令により、当社は村社中央神社と改称、他社と共に合祀さる。因って以後、その分身を守護神として崇敬し、現在に至る。
 今回、既設木造鳥居の腐朽著しく、氏子一同の総意により、御影石にて改築し、以て永久存続をと祈り上げ、謹んで此に奉納するものである。
 昭和六十三年三月吉日』
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 拝殿。

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 香取神社の北東に位置する杉山対軒遭難之地碑
『建碑之由来
 関宿藩江戸家老杉山對軒通称正臣先生が明治二年(1869)四月二十日午後七時頃三十九才の壮齢を以て凶徒に暗殺されたその地点は正に此の處である。この由緒ある地点も将来長い間には色々の変化の起ることに因って遂には不明になること保し難い乃ち地元の有志これを惧れ建碑を以て永久に保存し先生の徳を末代まで敬慕せんとする念願を以て大方に呼びかけたところ予想外の共鳴を得就中旧関宿藩士終戦宰相鈴木貫太郎氏令弟前靖国神社宮司鈴木孝雄氏は碑面の揮毫を快諾せられ忽にしてこの舉が完成された次第である。
 昭和二十四年十二月』

櫻神社(杉戸町深輪)

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 埼玉県道42号線椿交差点の南側に鎮座する櫻神社(北葛飾郡杉戸町深輪378)。
 左側の建物は神楽殿だろうか。
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『桜神社
 祭神 経津主命ほか七柱
 祭儀 例祭 七月十五日
 当社は明治四十二年(1909)桜井村の大字であった深輪と椿の両地区に鎮座しているすべての神社を合祀し、ここ字前島通(深輪)の稲荷神社境内に創建されたものである。社名は村名にちなんで桜神社と改めた。
 かつては「深輪の天王様」の名で近隣に知られ、多くの参詣者を集めたものであった。神輿や獅子頭は例祭の呼びものであったが、現在は境内に飾られているだけである。
 また境内には嘉永二年(1849)に建立された中国の禹王を線刻した木津内用水記念碑がある』
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 鳥居。
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 拝殿。
 拝殿脇の石燈籠には「天保二卯年六月十三日 深和部氏子中」と刻まれているので、1831年に造立されたもの。
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 拝殿の裏にあるこちらが本殿なのか、或いは境内社であろうか。また、その奥に稲荷神社が見えるが、こちらが案内板に書かれていた、元々ここに鎮座せられていた稲荷神社なのだろう。
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『稲荷神社落成記念碑
当稲荷社は当地豪族関口本家様の氏神であったと古老より言伝えられ明治初期頃当主関口弥五殿より一反有余歩の水田を添えて十五人持とし管理を上、中、下の三組に分けて耕し其の収穫の米にて初午祭に甘酒等を造り會食し氏子の繁栄と五穀豊穣を祈念し今日に至るも社殿も永い歳月風雪に晒らされ為に破損極に達し、氏子一同合議の上再建する運びとなり各位の浄財を仰ぎ旧社に勝るとも劣らぬ立派な社殿が建立され永年の念願茲に達成されたので記念碑を建て後世に傳えるものなり
 昭和五拾六年十二月吉日』
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 鳥居の奥には忠魂碑。
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 木津内用水記念碑。

 ここと椿の雷電神社との中間辺りに神明社があるのだが、神社前の道幅が車一台分しかなく、駐車可能なスペースが無いので今回はパス。

八幡神社(杉戸町屏風)

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 埼玉県道42号松伏春日部関宿線と県道319号惣新田春日部線、県道383号惣新田幸手線が合流する東川交差点の南東に鎮座する八幡神社(北葛飾郡杉戸町屏風115)。
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『八幡神社
 祭神 譽田別命(応神天皇)
 祭儀 例祭 十月十五日
    春祭 三月十五日
 当社は慶安年間(1648~51)に屏風村が成立したころ、村の鎮守として祀られるようになったと思われる。
 明治七年(1874)七月社格制定に際し村社となり、昭和三年(1928)十一月、現在の本殿と拝殿に改築した。境内には、雷電神社が祀られている。
 年間の行事は、初お神酒、春祭り、春の大祭、秋祭りなどがある。特に三月十五日の春祭りは「辻固め」といって、農作物の豊作祈願や悪疫退散を行っている。
 また、結婚式、成人式、七五三、お宮まいり等には多くの参拝者がある』
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 拝殿。
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 神社名は書かれていなかったが、こちらが雷電神社だろうか。
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 末社。
 もたれかかっているのは豊川神社。

雷電神社(杉戸町椿)

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 幸手市惣新田と北葛飾郡杉戸町の境に鎮座する雷電神社
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