百草八幡宮(百草)

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 京王百草園のすぐ南に鎮座する百草八幡宮(日野市百草867)。
 川崎街道から京王百草園までは緩い坂道が続いており、分倍河原駅から百草まで歩いて来てややヘロヘロになりかけていた身には少しばかりしんどいものの、のんびり上っていたのだが、百草園まであと130mと書かれた看板のある場所から急激に勾配が強くなり、途中何度か休みつつ上ってようやく到着。マジ体力無いわー○刀乙
 でも実は下りの方が膝に負担が掛かったりするので上りはまだマシだったりする。
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 神門と言う訳でもないのだろうが、雨覆屋根の付いたゲートがある。
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 拝殿と狛犬。
 由緒書きが見当たらないので日野市観光協会のサイトを見ると、創建時期は不明だが、少なくとも天平年間(729~749)には存在していたようだ。御祭神は誉田別命、気長足姫命、武内宿禰、源義家の四柱。
 康平五年(1062)、奥州征伐の折に当地に立ち寄った源頼義が再建したと伝えられているそうだが、しかし御祭神の一柱として祀られているのは頼義ではなく子の義家……。
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 拝殿前に小さな狛犬。
 台座には昭和五十三年十一月吉日とある。
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 拝殿斜めから。
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 本殿。
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 末社。
『秋葉山大権現 稲荷神社 御嶽神社 遷宮記念碑
 秋葉山大権現、稲荷神社、御嶽神社ハ古来ヨリ農村デ五穀豊穣、作柄ノ占ノ祈願等農家ノ神様トシテ祀ラレ、神社行事ガ行ハレタモノデ此ノ三社ハ明治六年ニ百草ノ農家四十八名ヲ以ツテ譲与ヲ受ケタ共有地ノ中ニ古クカラ祀ラレテアリマシタガ、明治三十六年ニ倉沢、百草、河内、後原ノ小字ニ分割サレタモノデスガ從来ヨリノ社地ハ其ノマゝ社有地トシテ四十八名ガ管理ヲ行ツテ来タモノデス。然ルニ時代ノ変化ト共ニ土地開発ノ波ガ迫リ、古イ歴史ヲ持ツ此ノ地域ハ、美シイ自然ノ姿ヲ存続スル事ハ出来ナクナツタ、依ツテ八幡神社現在地ヘ御遷座シ奉リ永久ニ記念スル為茲ニ之ヲ建テタルモノナリ。
 秋葉山大権現 遷宮前所在地 百草七七九番地 三畝十五歩
        昭和四十一年十一月一日 東電学園学校敷地ヘ
 御嶽神社   遷宮前所在地 百草九四九番地 七畝歩
        昭和四十四年七月 日本信販建設会社へ
 稲荷神社   遷宮前所在地 百草一○七八番地 一畝歩
        昭和四十四年十一月 帝京大学学校敷地ヘ
  昭和四十七年二月吉日建之』
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 どの祠が何神社なのかわからないが、
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 こちらは側面に大きく「秋葉山大権現」「明和六巳丑天九月大吉日 倉澤講中」と刻まれている。ちなみに明和六年は1769年。
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 阿弥陀堂。
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 銅造阿弥陀如来坐像案内板。
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 松連禅寺の碑。
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 松連禅寺の碑解説板。
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 八幡宮の社殿南側からぐるりと裏手に回って行くと、
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 松連寺詩碑が建てられている。
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 松連寺詩碑解説板。

 以上で4月18日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mmとDA20-40mm、50-150mm II。X30。
 この後は高幡不動駅まで歩き、そこからモノレールで多摩動物公園へ。京王れーるランドで鉄道むすめ巡り2015のスタンプを押し、グッズを買ってから帰宅。
 この日の歩数は31,448歩。大体15kmくらいは歩いたのかな。
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秋葉大権現社(程久保六丁目)

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 多摩動物公園駅から都道503号線を南西に向かって行くと、バッティングセンターの西側に秋葉大権現社(日野市程久保6-7-2)が鎮座している。
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 青面金剛と…お地蔵さま?
 青面金剛は側面に享保九甲辰年四月と刻まれているので1724年のもの。
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『秋葉権現神社一体を江戸時代鷹山に定められ上講中お鷹番の役を命じられ旗本曽根市之丞(地頭)より毎年報酬を戴き神社費にあてた。
 秋葉神社は明治四十三年(1910)他社二社と共に神明神社に合祀された。其の後も火伏の神として人々から深く信仰され鳥居石段等を奉納す。
 昭和六十年一月吉日』

 程久保神明神社に合祀された秋葉権現社と言うのはこちらのことであるようだ。
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 手前の石燈籠は側面に寶永五戊子年十一月十八日と刻まれているので1708年のもの。
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 祠の中には双体道祖神が納められているが、その手前に金神之大神璽と書かれた神璽が置かれている。
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 参道。
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 本殿覆屋。

神明神社(程久保八丁目)

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 多摩動物公園駅の北東に鎮座する神明神社(日野市程久保8-20-4)。
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 鳥居右側に観音堂。
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『この観音堂は 明治三十八年(1905)四月八日 日露戦争に際し 程久保有志等相謀り 十一面観世音菩薩を祀り建立したものである 本年その子孫ら相謀り再建した
 昭和五十三年十二月十日』
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 聖観世音菩薩……かなぁ? 側面には文化元甲子歳十一月吉祥日と刻まれているので1804年のもの。
 その隣の青面金剛は宝永五戊子年十一月吉日とあるので1708年のもの。
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 青面金剛。
 寛政十二庚申年三月吉祥と刻まれているので1800年のもの…にしては随分と綺麗なような。比較的最近になってから作り直されたものなのだろうか。
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 社殿。
 創建時期は不詳。御祭神は国常立尊・軻遇突智命・大山祇命。明治時代に秋葉権現社と山王権現社を合祀したとのことだが、地図に秋葉大権現神明神社と記載されているのはそのせいだろうか。しかし、同じように合祀されている山王社は……。
 それにしても、神明神社で国常立尊、山王社で大山祇命というのはなんだか違和感があるなぁ。
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 境内社。何神社なのかは不明。
 脇には金神大神と刻まれた石。
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稲荷神社(南平三丁目)

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 北野街道を挟んで八坂神社の南東、アーバンレジデンス205脇に鎮座する稲荷神社(南平3-20)。
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 神璽には伏見稲荷神社と書かれていたので、伏見稲荷からの分霊なのかな。
 ストリートビューで見ると、2010年2月の頃とは祠の形状が違うのがわかるけど、この間に建て直しされたのだろうか。

八坂神社(南平四丁目)

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 東京都道173号上館日野線(通称北野街道)と都道41号稲城日野線(通称川崎街道)が接続する高幡橋南交差点の南西に鎮座する八坂神社(日野市南平4-8-6)。
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 八坂神社新築記念碑。
『御祭神
 素盞鳴命・稲田姫命・牛頭天王

 八坂神社の由来
 八坂神社の創建は 詳らかでない 古文書等文献に依ると 永禄年間(1558~70)当村内八坂神社の境内に 別當福寿寺が創建 開山したと記録があり また 伝承によると それより相当以前より 祠としてあったといわれる
 日野市全体には 板碑が三百三基あり その内百基が当地にある その中には 平惟盛の墓の伝承で有名な文永八年(1271)の板碑もある 又 五輪塔 宝篋印塔など その数は日野市随一多い 部落全域には 樹齢六百年以上の柿の木が数多くあり この時代以前より 人々が多数住んでいた証である それ等の人々が敬神の象徴として 祠を祭ったのが自然の姿であり 八坂神社の創建もその頃と思われる
 当神社には 三軀の御神像がある 一、佛像的の御神像(鎌倉中期の作) 一、牛頭天王の御神像(享保二十年の作) 一、種類不明の御神像(享保年間以前の作)
 享保二十年(1735)には 京都の神祇官領 卜部宿禰兼雄より 正一位牛頭天王の神階を得ており 天保年間(1830~44)以後には七石五斗の朱印社領があった
 この地には「平」姓が多く 永い間平村と称され 古くは 多麻に属し 平之庄と称され その後徳常郷平村であり その間高畑平村と謂れていた時代もあった
 有名な高幡(畑)不動尊は 建武四年(1337)以前は 平村の一角にあった
 不動尊再建の用材総べて平村「木伐澤」より供奉したもので 再建の大檀那は 地頭平助綱とその妻であり 平村の人である 又 平村の人々の祖先は 桓武平氏の中で下総平氏の流れをくむ一族である
 その後 八坂神社は壽徳寺に移り 享保二十年 総欅造り三坪 高さ一丈余 周囲に彫刻を施した本殿を造営し 神紋を祇園守と定め 現在の場所に遷座する その間村民の敬神の心厚く 昭和六十年(1985)に 二百五十年目に当り 記念事業として 拝殿 覆殿 参道 玉垣 狛犬 灯籠 神輿 太鼓等総べて奉賛金をもってまかない 昭和五十八年(1983)より新築計画を始め 三年目で完成した
 氏子一同 祖先の志を継ぎ 子孫の繁栄を祈願するものである
 昭和六十年七月吉日』
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 拝殿。
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 斜めから。
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 境内社。
 何神社なのかは不明。
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 境内社。
 揖夜神社、天照皇大神宮、日枝神社が納められている。
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 六十六部日本四国供養塔(寛政十二庚申年十一月吉祥日)、庚申供養塔(安永八己亥八月吉祥日)、馬頭観世音(安政三丙辰二月金剛峯日)、青面金剛(安永二癸巳年十一月吉日)。寛政十二年は1800年、安永八年は1779年、安政三年は1856年、安永二年は1773年。

若宮愛宕神社(高幡)

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 京王線高幡不動駅の北側に鎮座する若宮愛宕神社(日野市高幡352)。
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 注連縄が掛けられているけど、何か謂れのある石なのかな?
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 拝殿。
 創建年代は不詳。御祭神は誉田別命と迦具土命であるそうだ。
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 正一位小野稲荷大明神。
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『神社之由来
正一位小野稲荷大明神
春日民族の小野氏、後世武蔵七党のうち横山党に属し子孫大いに栄える。この稲荷社はこうした一脈の小野氏系の子孫により勧請されたのであろうか創立年代等共不詳。古老の話に昔高幡山金剛寺不動縁起にまつわる稲荷社であると伝えられる。いつの時代か個人の屋敷稲荷として祀られていたが、その末裔の願により金剛寺住職の神牌を新たに奉じ昭和廿二年二月初午を朴して氏子一同の賛助により小社一宇再建勧請された』

高幡下田稲荷神社(高幡)

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 東京都道503号相模原立川線と都道41号線の交差する高幡交差点西側に鎮座する高幡下田稲荷神社
 時間が早かったせいか門が閉まっていた為境内には入れず、門の外から参拝。
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『高幡稲荷神社の経緯
(一)棟札
      聖主天中天    迦陵頻伽聲
       天満宮     天下泰平国土安穏   家門隆盛
梵字卍奉修繕稲荷神社寶殿一字爲        乃願主    如意也
       第六天王    風雨順時五穀豊穣   子孫長久
      哀愍衆生者    我等今敬禮
 裏
   南無堅牢地神
梵字
   南無五帝龍王

 稲荷神社勧請年度不詳延曁安政二卯年二月前代下田保政
 改造神殿尋至明治丗五寅年以乃破損仝年十一月当代四郎治
 加修繕且更新棟字之形模葺以鐵葉點翌丗六年二月十一日
 初午之日執行遷座焉
       高幡山中興第丗世 玉雅謹誌
(二) 高幡下田稲荷神社神璽
   武列多麻郡高畑村安?
 稲荷社神璽  道中外筐
    本宮祠官 松本築後守
 (註)昭和五十三年二月四日(土)晴天午後二時調査立会人同族下田昌久氏
    下田一族は下田昌久、下田雅一、下田憲次郎の各氏にして、地名高幡村小
    字鍛冶屋に居住する、家系は古く大和国下田村から移住したと稱し、
    一族は江戸時代以後から大いに繁栄する、昌久氏の祖々父下田四郎次
    の代に不動尊門前にて「まんじゅう」を製造販賣、「栄昌堂高幡まんじゅう」
    の名声は関東一円に及んだと言われている。第二次大戰の為材料入手困
    難のため二代目栄三郎で営業は止まる営業期間明治二十八年十月十八日よ
    り昭和廿年まで凡そ五十五年なり。   森久保忠雄記
(三)明治丗六年二月十一日に当代下田四郎次が神殿改修以来、六十余年がたち老朽化が
  激しくなった為昭和丗九年二月に建替えをした。
(四)その後当地周辺は(株)大成建設グループによる宅地開発事業を行った為現地に昭
  和四十九年二月に移築をし以後下田稲荷神社の整備をした。     下田昌久記』

八幡神社(三沢三丁目)

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 東京都道41号稲城日野線百草団地入口交差点東南に鎮座する八幡神社(日野市三沢3-23-3)。
 MAPPLEを見ると、少し西側に八幡神社遷宮旧跡記念碑があるようなのだが、行って見たらその辺りは造成中で記念碑らしきものは見当たらなかった。
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 拝殿。
 日野市観光協会のサイトを見ると、創建年代は不詳。三沢村上郷に寛永十六年(1639)社殿を造営、文化四年(1807)再建。明治四十二年(1909)中郷の神明社と下郷の神明社を合祀。
 御祭神は誉田別命・建御名方命・大山祇命。神明社を合祀しているのに、天照大神の名が入っていないのは何故だろう?
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大宮神社(落川)

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 百草園駅のすぐ南に鎮座する大宮神社(日野市落川1108)。
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 拝殿。
 日野市観光協会のサイトを見ると、創建年代は不詳ながら、寛文十年(1670)頃は三沢の大宮耕地に鎮座していたが文久二年(1862)に現在地へ遷座したのだそうだ。
 御祭神は大国主神・天宇受売命・宮比竜神・矢之渡波使命・大宮姫命の五柱。
 宮比竜神(みやひめのかみ)と矢之渡波使命(やのはばきのみこと)と言う名は初めて聞いたけど、どんな神様なのだろう。それにしても、宮比竜でみやひめと読むのは無理があるような気がする。元は宮比賣だったのだが、賣の部分が竜と書き間違えか何かで変わってしまったのだとは考えられないだろうか。
 矢之渡波使命はググってみたら、大年神の子である波比岐神のことであるようだ。屋敷を掃き清める箒の神であり、伊勢神宮では矢乃波波木神と言う名で祀られているのだそうだ。古事記には大年神は大国御魂命の父神と記されているので、大国主命と矢之渡波使命とは兄弟神と言うことになるのか。
 …ところで、観光協会のサイトが場所の記載を間違っていると言うのはどうなんだろう。

神明神社(落川)

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 京王線百草園駅東側の踏切そばに鎮座する神明神社(日野市落川649)。
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 拝殿。
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 御祭神は大日孁貴尊。
 御嶽社(大己貴命・少彦名命)と稲荷社(倉稲魂命)、山王社(大山祇命)が合祀されているようだが、山王社は大山咋命じゃないの?
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 境内社。
 左から稲荷社、山王社、元御嶽神社…かな。
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