隼人稲荷神社(東日暮里五丁目)

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 日蓮宗善性寺の境内端に鎮座する隼人稲荷神社(荒川区東日暮里5-41-14)。
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 鳥居の柱には「昭和四十七年三月吉日」と刻まれている。
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 拝殿。
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 お狐さま。
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金福稲荷神社(南千住五丁目)

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 南千住駅の北西およそ300m程、浄土宗真覚山菩提院西光寺の東に鎮座する金福稲荷神社(南千住5-16)。
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『金福稲荷神社縁起
 当金福稲荷神社は、文化七年(1810)江戸時代の史家林大学頭編纂による「新編武蔵風土記稿」中に、この近一体は往昔「武蔵国中村」と称せられ、今から凡そ六百年前の貞和五年(1349)足利時代に現西光寺境内地に「金子福寿稲荷」として創建されたものと記録され、その後、天文年間に西光寺が建立され、この金福稲荷が由緒ある霊験あらたかな神として地元の崇敬の中心となっておりました。かかる由緒深い稲荷神社が戦災後信仰深い有志の方々により昭和三十二年(1957)二月に西光寺境内に再建復元され、この度現在地に遷座いたし、益々地元の福祉と発展の守護神としてお祀りした次第であります。
 昭和五十三年四月記』
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 以上で1月31日参拝分終了。
 使用機材はFUJIFILM X30とFinePix AX300。
 先月は珍しく仕事が忙しかったので、神社巡りが出来たのは最終日の31日だけ。今月はさすがに休日出勤するほど忙しくはならないようなので、神社巡りもいつものようにできるだろう。

日枝神社(南千住七丁目)

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 隅田川の南岸に鎮座する日枝神社(南千住7-23-17)。
 こちらも門が閉じられていて境内に入ることはできない。
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『山王清兵衛(日枝神社)
 日枝神社は、江戸時代山王社とよばれた旧中村町(千住宿)の鎮守であり、正和五年(1316)に建てられたと伝える。
 この社の入口にあたる旧砂尾堤土手北端に歯神清兵衛を祀った小祠がある。いずれかの藩士清兵衛が虫歯の痛みに耐えかねてこの地で切腹し、遺言によってその霊を祀ったという。俗に山王清兵衛とよばれ、歯痛に悩む者が祈願して効き目があれば、錨をくわえた女性の絵馬を奉納する慣わしで、千住の歯神として有名であった』
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 社殿。
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 日枝神社のおよそ100m程南、くすりの福太郎南千住七丁目店前の交差点脇に鎮座するこちらが歯神清兵衛を祀った祠なのだろう。

素盞雄神社(南千住六丁目)

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 日光街道脇に鎮座する素盞雄神社(南千住6-60-1)。公式サイトもあり。
 御祭神は素盞雄大神と飛鳥大神(事代主命)であるそうだが、鳥居脇の掲示板には素盞雄命・事代主命・大己貴命の三柱の名が記されていた。
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 狛犬。
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 拝殿。
 境内案内によれば拝殿の西側に末社三社(福徳稲荷神社、菅原神社、稲荷神社)がある筈なのだが、パイプテントが張られていて見えなかった。
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 獅子山と狛犬。
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 浅間神社の鳥居。
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 富士塚の頂あたりに見える石祠が浅間神社だろうか。中腹には小御嶽石尊大権現。
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 瑞光石。
 ズイコーと聞くとオリンパスのレンズを思い出してしまうが、あれも瑞光から命名したものだしなっと。
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『瑞光石
 瑞光石は、素盞雄神社の祭神が翁に姿をかえて降臨した奇岩といわれ、「瑞光荊石」とも称される。また、この塚を「古塚」と呼んだことから、小塚原の地名の由来をこれにもとめる説もある。
 嘉永四年(1851)には周囲に玉垣を築き、元治元年(1864)には浅間神社を祀った。
 万延元年(1860)に編纂された「江戸近郊道しるべ」には、千住大橋架橋の際、この石の根が荒川(現隅田川)まで延びていたため、橋脚がうちこめなかったという伝承を紹介している』
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 狛犬。
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 庚申塔三基。
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 森昌庵追慕碑と松尾芭蕉碑。
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 日光街道側に建てられた東の鳥居。
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『素盞雄神社
 小塚原・三の輪・下谷通新町・三河島・町屋など、区内で最も広い地域を氏子圏とする鎮守で、「てんのうさま」とも呼ばれる。
 石を神として尊崇する信仰は全国各地にみられるもので、当社も石神信仰に基く縁起を有する。延暦十四年(795)、荊石が微妙な光を放ち、その光のうちに翁の姿をした二神(素盞雄命・事代主命)が現れて神託を告げたという。そのためその石は「瑞光石」と呼ばれ、出現した二神を祭神として祀る。
 宝暦年間(1751~64)頃まで行われていたという千住大橋綱曳は、その年の吉凶を占う当社の神事で、「東都歳時記」(天保九年)にその勇壮な様が描かれている』
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 南千住図書館側に立てられた西の鳥居。
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 南千住図書館前に復元された橋本左内の墓旧套堂。
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若宮八幡宮(南千住六丁目)

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 若宮八幡児童遊園の端に鎮座する若宮八幡宮(南千住6-35-8)。
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『若宮八幡神社と八幡太郎義家伝説
 若宮八幡の名のとおり仁徳天皇を祭神とする。平安時代、奥州攻めに向かう八幡太郎義家(源義家)が、荒川の「渡裸川の渡し」を渡る際、目印に白幡を立てたとも伝える。足立区千住仲町の白幡八幡は、この白幡が納められた神社という言い伝えを持ち、この付近が古くから渡河地点であったことを推測させる。
 婦人の病に効験があるとされ、祈願して治った時には二股大根を描いた絵馬を奉納するという。近隣の崇敬を受け、平成十四年に社殿の新造営が行われた』
 ……うん? 白幡八幡宮は千住仲町ではなく千住宮元町では? と思ったが、ググってみたら元和二年(1615)から明治四十一年(1908)までは千住仲町の氷川神社に合祀されていたようだ。
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 狛犬。
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 拝殿。
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 向拝虹梁の彫刻。
 経本を読む女性と武人と多頭の龍……これ、奇稲田姫を守って八岐大蛇と戦う素盞嗚尊かな。なんでここに?
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 虹梁の横には邪鬼の彫刻。
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 斜めから。
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 地図を見ると、ここから北西に向かって行くと荒川自然公園のそばに鹽竈神社があるのだが、ストリートビューで確認したら、あ、ダメだこれ。そこにある会社の守護神かなにかだ。と言う事でそちらはパス。

熊野神社(南千住六丁目)

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 隅田川の南岸、千住大橋のそばに鎮座する熊野神社(南千住6-70)。
 こちらの神社も門扉が閉じられていて境内に入ることはできなかった。
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 本殿もよく見えない。
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『熊野神社
 創建は永承五年(1050)、源義家の勧請によると伝えられる。
 大橋を荒川(現隅田川)にかける時、奉行伊奈備前守は当社に成就を祈願し、文禄三年(1594)橋の完成にあたり、その残材で社殿の修理を行った。以後、大橋のかけかえごとの祈願と社殿修理が慣例となった。
 また、このあたりは材木、雑穀などの問屋が立ち並んで川岸とよばれ、陸路奥州道中と交差して川越夜舟が行きかい、秩父・川越からの物資の集散地として賑わった』
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『千住の河岸
 江戸時代、千住大橋袂の河岸には、秩父から荒川の水運を利用して高瀬舟で運ばれてきた材木を取り扱う家が並んだ。古くからこの地で材木商を営んできた旧家に伝わる文書(「両岸渡世向書物」荒川区指定文化財)からは、これら千住の材木商が農業の合間を利用して材木を取り扱うようになったことにはじまり、それが材木問屋に発達するに至った経過などがうかがえる。
 材木問屋は、千住大橋袂の熊野神社門前に多く、江戸への物資集散の拠点となるに至った。熊野神社には、弘化二年(1845)、千住の材木商が寄進した手洗鉢(荒川区登録文化財)や常夜灯が残り、材木商たちの信仰の一端をうかがい知ることができる、これらの材木問屋は、江戸時代の千住宿や近代以降の南千住の発展に大きく寄与した』
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『千住大橋
 文禄三年(1594)、徳川家康が江戸に入った後、隅田川に初めて架けた橋。架橋工事は伊奈備前守忠次が奉行を務めたが、工事は困難を極めた。忠次が熊野神社(南千住六丁目)に祈願したところ、工事は成就し、以来橋の造営の度に残材で社殿の修理を行うことが慣例になったと伝えられる。また、この架橋を機に、江戸中期まで行われていた小塚原天王社(現素盞雄神社)天王祭の神事「千住大橋綱引」が始まったという。当初は今より、二○○メートル程上流に架けられた。単に「大橋」と呼ばれたが、下流にも架橋されると「千住大橋」と称されるようになったと伝えられている。
 千住大橋は、日光道中初宿、千住宿の南(荒川区)と北(足立区)とを結び、また、江戸の出入口として位置付けられ、多くの旅人が行き交った。旅を愛した松尾芭蕉もここから奥の細道へと旅立ち、真山青果の戯曲「将軍江戸を去る」では、最後の将軍徳川慶喜の水戸への旅立ちの舞台として表現されている。
 現在の鋼橋は、昭和二年(1927)、日本を代表する橋梁技術者増田淳の設計により架け替えられた。ブレースドリブ・タイドアーチ橋の現存する最古の例である。「大橋」のプレートは、四○○年にわたる千住大橋の歴史を伝えている』

胡録神社(南千住八丁目)

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 隅田川の畔、汐入公園のそばに鎮座する胡録神社(荒川区南千住8-5-6)。
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 二の鳥居。
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 狛犬。
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 仔狛犬。
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 拝殿。
『胡録神社略誌
 御鎮座地 東京都荒川区南千住八丁目五番六号

 御祭神  面足尊(おもだるみのみこと)
      惶根尊(かしこねのみこと)

 御創立  永禄四年(1561)八月

 御由緒  胡録神社は、永禄四年八月川中島合戦の折、上杉の家臣高田嘉左衛門なる者戦に敗れ、図らずも集いし拾弐名と共に、厄を逃れて落ちのび高田・杉本・竹内の参名当地に至り永住し、其の守護神たる面足尊・惶根尊の両神を一祠に奉齋崇敬せり後、嘉永五年(1852)九月拾九日神殿を改築せりし社なり。
 御祭神面足尊・惶根尊は神代七代の初神、國之常立神から数え第六代の神に当たられ、体の整い足る神、國の整い足る神と解される。
 汐入の辺りはその昔、蛎殻を石臼にかけ胡粉(人形の上塗りの塗料)を作り関西方面まで出荷する生業が盛んであったが、今やその職人もなく家屋の土台石となっていた臼もある。
 境内には、古い石臼が奉納されている。その華やかかりし時を経て、八代目嘉左衛門の頃に、汐入大根の栽培の地と変革し、人気の高い作物であったが、今では其の畑もなく、昭和の末頃から汐入地区の再開発の計画が進められ、平成の初期には見られた木造建築の旧家一方もなく取り崩され、多くの地主は高層住宅へとその生活を移されました。
 平成十年(1998)の計画により、当社もその限りにあらず、境内地を前方に遷座することとなりました。平成十五年(2003)九月正遷座祭が齋行され、現在の景観が完成いたしました。

 境内末社  道祖神は、猿田彦命を祀り、人々此の汐入の村より出るには航路の安全を願い、入るには無事を感謝し、常に安全を守護する神として尊崇し、奉賽の状を捧げるに草履を供えて祈願す。
 猿田彦命は天孫降臨の折り、天八衢に道案内をされた。
 境の神とも云われ、禍悪を里の中に入れないように里との境に祀られ、延喜式祝詞には、「八衢彦、八衢姫、岐の神に、根の國底の國より荒び疎び来む物に相混じり相口会う事無くして…」とあり四方八方よりの禍を祓い除ける祈願が記されている。
 昔境の地点は市が多く開かれ、男女交歓の場となりしに、縁結び、子授け、子守りの神と崇められている。

 刀塚   高田嘉左衛門は慶長五年(1600)五月、関ヶ原より落ちて、「自ら刀を抜いて人を斬ってはならぬ」と鎧兜を地下深く埋めた。昭和三十四年(1959)九月町の有志が集い、汐入の開拓を永久に伝えるべく、埋地と伝承される南千住八丁目一の四十番地(旧高田安秀宅)付近に祀った。
 平成十二年(2000)四月再開発の為、関係者総意により境内に移され刀塚として祀る。

 例大祭  六月一日(昔古は九月十九日なり)』
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 天保十年己亥(1839)九月造立の狛犬。
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 本殿。
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 道祖神と刀塚。
 由緒書きの隣には奉納された草鞋が掛けられている。
『道祖神御由緒
 御祭神 猿田彦尊
 御由緒 往古は旅行安全祈願の神様として、亦足の神様として、汐入の村落の出入口に祀られていたが、現在では、胡録神社の境内に移され祀られているのであえう。神代の昔、天孫降臨の砌、道案内を勤めた神様という故事により旅の安全、足の病気平癒の神様として崇められ、祈願の折は草鞋、草履を奉納して参拝する。亦耳の病気の折は二個のお椀に穴をあけて奉納するなどの風習は今でも受け継がれ守られており、最近では、道の神様でもあるということで交通の安全を祈願する人々もおられる』
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『胡粉を挽いた臼
 昔このあたりは地方橋場村小字汐入といわれ、今から一五○~三○○年くらい前当汐入では胡粉づくりが盛んに行われ「汐入大根」と共に有名でした。
 汐入産の胡粉は品質極上で、人形、おしろい絵具の材料、能面仕上げ、元結などに使われ"かき殻"を焼いて、この石臼で粉にし、水でさらしてから丸め、乾燥して再び微粒子にして出来上がります。
 大変な重労働でしたが、機械で作られるようになってから衰微し、今では幾つかの挽臼が汐入に残っており、これは其の内の一つです』
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 東の鳥居。
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 北の鳥居。
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