正一位稲荷大明神(東浦和五丁目)

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 埼玉県道235号大間木蕨線と県道103号吉場安行東京線が合流する東浦和駅前交差点の南側に鎮座する正一位稲荷大明神(さいたま市緑区東浦和5-2-10)。
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 「稲荷社天王様鳥居新築落成寄附金」芳名額が奉納されている。
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 末社。
 左の祠は名が記されていないので何神社なのかは不明。もしかしたら前述の芳名額に記されている天王宮がこちらであるのかも知れない。
 右側の小さな石塔は疱瘡神。
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大間木氷川神社(緑区東浦和五丁目)

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 JR武蔵野線東浦和駅の250m程北に鎮座する大間木氷川神社(さいたま市緑区東浦和5-20-2)。
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赤山街道
 所在地 浦和市大字大間木
 赤山街道は、関東郡代の伊奈氏が寛永六年(一六二九)に陣屋を構えた赤山(川口市赤山)に向かう街道であった。街道の起点は与野市あたりと考えられ、浦和市内の木崎・三室。尾間木地区から八丁堤を通って赤山に通じていた。
 伊奈氏は、成和源氏の流れを汲む武人で、信州伊奈に住んだことから伊奈氏を称した。その後三河に移り松平氏、徳川家康に仕え、家康の関東入国後、伊奈氏は小室(伊奈町)、鴻巣などに一万石を領し、小室や土屋(大宮市)などに陣屋をおいて累代治水事業に力を注いだ。
 三代目半十郎忠治は、関東郡代となり、また勘定奉行も兼ね、赤山領七千石を拝領し、赤山に陣屋を移した。忠治は治水、灌漑、新田開発に力を入れ、特に利根川、荒川の大改修を行い、寛永六年には八丁堤を築き見沼溜井造成に着手した。
 現在、赤山街道は与野市や浦和市内で赤山横町とか赤山通りと呼ばれ、歴史と生活が結びついた道路となっている。
 昭和五十八年三月

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 拝殿。
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 少し斜めから。
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 狛犬。
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浦和市指定有形文化財(建造物) 大間木氷川神社本殿 一棟
 指定年月日 昭和四十七年四月十九日
 この本殿は、「神社明細帳」には、寛文七年(一六六七)、武蔵国一宮氷川神社(大宮市)の造替にあたり、旧本殿を買受けて建立したとある。さらに、平成七年の修理の際、寛文七年二月、氷川大明神一宇を造立した旨が記された棟札が見つかり、この地での建立時期を明らかにすることができた。
 本殿は、一間社流造り、屋根、旧・こけら葺き(現・こけら葺き形銅板葺き)で、桁行二・五六メートル、梁間二・四五メートルの身舎に奥行一・九六メートルの向拝がつく。土台上に立ち、身舎柱は円柱(縁より下は八角形)で、長押、頭貫、腰貫で固め、柱上は連三斗組となる。中備は蟇股で、正面は鳳凰、左右は牡丹の彫刻である。柱間は、正面が幣軸に板唐戸、他の三面が横嵌板となる。正面および両側面は浜縁がめぐり、脇障子、高欄がつく。妻飾りは、虹梁・太瓶束式である。向拝柱は、大面取りの角柱で、身舎柱とは海老虹梁で繋がれている。向拝柱には、絵様木鼻のある水引虹梁を架し、柱上連三斗組、中備は蟇股で、竹に虎の彫刻がある。正面に五級の木階を設け、向拝柱の前面に大床を張る。軒は二重の繁棰で、飛檐棰は先端に反り増しが見られる。
 平成五年七月、拝殿の火災で罹災し、大きく焼損したが、平成七・八年にかけて浦和の補助事業として根本修理を施し、寛文期の姿に復した。
 この本殿は、武蔵一宮の旧本殿と考えられる貴重な遺構であり、建立年代を明らかにし、規模大きく、意匠も優れた建築として、極めて保存価値が高いと言える。
 平成八年十一月

氷川神社 御由緒
さいたま市緑区東浦和五-二〇-二
□ 御縁起(歴史)
 「風土記稿」大間木の項に、当社は「氷川社 当村及び大間木新田・大牧・搗島等四か村の鎮守なり、搗島村民の持、末社 第六天社、牛頭天王、疱瘡神、天神社、八幡社、荒神社、稲荷社、神明社、別当三光院本山派修験、中尾村玉林院配下なり、本尊不動を安ず、長一尺五寸許、智證大師の作と云、什物、笈一、亀井六郎奥州下向の時背負し物なりと云(以下略)」と記されている。
 往時別当であった三光院の末裔である仲田家には「風土記稿」にも挿絵の残る室町期の優れた漆工芸品である椿紋鎌倉堀笈(県指定文化財)が残されている。笈とは、行脚僧・修験者などが仏具・食物・衣類などを入れて背負う箱のことで、「風土記稿」では源義経の家来である亀井六郎重清にちなむものであるとしている。この真偽は定かではないが、亀井六郎の屋敷跡とされる所が三光院の本寺に当たる玉林院が所在した中尾村にあったと伝えられている。この笈を背負った三光院の先祖がこの地に土着して当社の祭祀を司るようになったものと思われ、当社の創建も室町期までさかのぼることが推測される。
 市指定文化財になっている一間流造りの当社本殿は「明細帳」によると、寛文七年(一六六七)三月に武蔵国一宮氷川神社が再建された際、旧本殿を買い受けたものである。
 なお、いつのころか稲荷社二社と石神井社を当社に合祀したという。
□ 御祭神と御神徳
 ・素盞嗚尊・・・武運長久、厄除け、商売繁盛
□ 御祭日
 ・初拝み(一月一日) ・例大祭(七月二十三日)

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 本殿。
 瑞垣でよく見えないが、さいたま市役所のサイトに掲載されている写真で全体を見ることができる。
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 末社群。
 本殿西側に大國主神・少彦那命、八幡皇大神、竈神、年神。
 本殿東側に菅原天神、宇賀神、疱瘡神、香取神・鹿嶋神。
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本殿復興の記
大間木氷川神社本殿は、武蔵一宮大宮氷川神社旧本殿を寛文七年(一六六七)に譲り受け建立したとされる優れた建築で、昭和四十七年に浦和市の文化財に指定された。以来、その保護につとめてきたが、平成五年七月七日、拝殿火災に際し焼損を受けた。しかし、復元可能との判断から、指定解除は免れ、浦和市、神社、氏子が力を合わせ不退転の決意で復興の道を歩むこととなり、平成七、八年度において浦和市の助成と指導を受け解体、復元の工事を進めた。
そして平成八年十一月二十六日見事に竣工、三百有余年前の姿がよみがえった。その際、寛文七年の棟札の発見もあり、文化財としての価値もさらに高まった。なお、本殿の保全と神域の威厳を保つため、引き続いて周辺の整備を行った。
ここに、この本殿が永遠に伝えられることを願い、その概要を記すものである。
大間木氷川神社再建委員会

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 歌碑。
 この地域の方達が詠んだと思われる歌が五首刻まれている。
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青面金剛(中央区大戸三丁目)

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 大戸氷川神社から80m程西の道端に鎮座する青面金剛(さいたま市中央区大戸6-1)。
 大戸公民館前には「庚申坂」と書かれた板が立てられていたが、この青面金剛に由来するものであるのだろうか。
 また、向い側の民家入口前には馬頭観音も鎮座しているのだが、個人宅の敷地内かどうかわからなかったからパス。
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 青面金剛の側面には「奉庚需供養之處」「文化八年四月吉辰」と刻まれている。文化八年は1811年。

 以上で7月30日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mm、DA20-40mm、DA10-17mm Fish Eye、50-150mm II。X30。
 ウォーキングカウンターは20,393歩。小まめに水分補給をしていたのだが、暑さの為に全て汗で出て行ってしまったようだ。帰りの電車内が涼しくて極楽だった。

大戸氷川神社(中央区大戸三丁目)

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 大戸公民館脇に鎮座する氷川神社(さいたま市中央区大戸3-14)。
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『経緯
平成参年壱月四日午前零時半頃、不審火により拝殿が全焼本殿並びに三峯神社が半焼する被害を蒙った。その後日増に再建を望む声が高まり地元有志及び、氏子総代が相図って再建を決定、再建委員会を組織し大戸全域に広く浄財を募った結果多くの協賛を得るに至った、平成四年七月弐拾六日起工以来工事も順調に推移、同五年五月拾五日めでたく竣工した。
よってこれを記念し、この碑を建立せるものである』
 由緒書きは見当たらなかったので詳細は不明。
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 狛犬。
 台座には「昭和二年二月十七日」と刻まれている。昭和二年は1927年。
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 拝殿。
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 本殿。
 瑞垣の 隙間 狭い。
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 八雲神社。
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 末社群。
 左から稲荷社、神明社。阿夫利神社、八幡社、天神社、稲荷神社、榛名神社、古峯神社。御嶽神社、三峯神社。
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 御嶽神社・三笠山神社・八海山神社。
 天照皇大神と伊勢参宮記念碑。
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 力石。

御嶽神社(中央区大戸三丁目)

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 お聖さまの北60m程、民家の入口脇に鎮座する御嶽神社(さいたま市中央区大戸3-1)。
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 大神宮と稲荷社。

お聖さま(中央区大戸一丁目)

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 埼玉県道57号の脇、道路側に背を向けて鎮座するお聖さま(さいたま市中央区大戸1-31)。
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 二の鳥居と祠。
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『民俗資料 大戸のお聖さま
 所在地 さいたま市大戸一丁目三一番
 時 代 江戸時代末期
 お聖さまの御身体は、男性の生殖器を形どった石棒です。高さ五六cm、胴部径二六cm。お聖さまは安産の神、出産に立会う神です。また、災を除去する呪力の源泉としても崇拝されました。あるいは良縁や子宝を得る願掛や下の病の治療を願ったりするむきもありました。願掛は絵馬をもってしました。願いが成就すると木製の男根を奉納する人もいました。
 周辺の地からは縄文時代の石棒、石剣、土偶などの呪術具が出土し、お聖さまの生まれた理由もこの土地がらにあります。現在の御身体は江戸時代末期のものと伝えられます。
 平成九年(一九九七)市指定文化財となる』
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 扉が中途半端に開いていたので、ちょっと失礼しますねと呟いて御神体に拝謁。
 撮影後には閉めておいたけど。
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 祠の中には他にも多数の金精様が。
 包茎の金精様って初めて見た気がする。

庚申塔(桜区西堀九丁目)

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 城北信用金庫西堀支店の西側に設置された庚申塔などの石造文化財(さいたま市桜区西堀9-26)。
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『日向鎌倉街道の石造文化財
 この前を通っている道は鎌倉街道と呼ばれてきた古道です。ここにある四基の石造塔は、右から馬頭観音(宝暦五年-一七五五)、庚申塔(宝暦七年)、庚申塔(文化十年-一八一三)そして二十三夜塔(嘉永二年-一八四九)です。農耕や運搬に使う馬の保護、庚申信仰、月待供養など当時の人々の様々な民間信仰を知ることができます。
 そしてもう一つ大切なことは、右側の一基以外は全て道標になっていることです。最初の場所から動いているものもありますが、石塔は旅人に道案内をする役目も持っていたのです。特に一番大きな石塔の背面には、よのい(与野)道、はやそ(早瀬)道、とうまん(道満)道、わらひ(蕨)道、江戸道というように、行先の地名が刻まれています。
 これらの石造塔は、この地域の歴史や文化を知る上で欠かせない大切なものであり、このたび、将来にわたって保存を図るために日向地区の多くの方々の浄財を募って整備が行われました。
 平成二十五年二月吉日』
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 青面金剛と馬頭観音。

柊稲荷大明神(桜区西堀十丁目)

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 株式会社柊建設の脇に鎮座する柊稲荷大明神(さいたま市桜区西堀10-12)。
 名前や鎮座地から見るに、元来はこちらの家の屋敷神であるお稲荷様を他の人でもお参りできるようにしているのだろうか。由緒書きが無いので詳しいことはわからない。
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南元宿氷川神社(桜区南元宿一丁目)

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 埼玉県道57号さいたま鴻巣線の南側、南元宿自治会館脇に鎮座する氷川神社(さいたま市桜区南元宿1-8)。
 鳥居の柱には「奉納 高野重正 昭和三十三年一月日」と刻まれたプレートが埋め込まれている。
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西堀氷川神社(桜区西堀八丁目)

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 須黒稲荷神社の北西300m程、西堀ひかわ幼稚園の隣に鎮座する氷川神社(さいたま市桜区西堀8-26-1)。
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 両部鳥居。
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 参道右手側に八千矛神社と天照皇大神。
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 参道左手側に三峯神社。
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 日本武尊かな。
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 狼。
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 三峯神社。
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 丸山稲荷神社。
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 神楽殿。
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 拝殿。
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 狛犬。
 台座には「寛政十一年己未十月吉日」と刻まれているので、1799年の造立。
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『西堀氷川神社 御由緒
  さいたま市桜区西堀八-二六-一
  電話(048)(852)(1680)
● 御縁起(歴史)
 西堀の開発は鎌倉時代と伝えられ、畠山重忠がこの地を領した時、真鳥山城を築き、家臣の真鳥日向守を代官としてこの居館に居住させたという。
 社蔵の「武蔵国一宮氷川大明神社縁起」(元禄十二年)によれば、当社は西堀の鎮守として応永年間(一三九四-一四二八)に武蔵一宮の氷川神社を勧請した社とされる。また、「風土記稿」は当社について「氷川社一宮の男神女神を移し祀れり、本地は観音なり、当社を上の宮といひ、隣村田島村の氷川社を下の宮と称す、慶安元年(一六四八)社領十石の御朱印を附す」と記し、江戸時代の状況を知ることができる。なお、現在の本殿は、江戸中期から後期に建造された二間社流造り杮葺きの優美な建築で、市指定文化財となっている。なお、「算額」(関流)も市指定文化財である。
 明治十三年の古図には当社と調神社(現浦和区)の二社が軍事道路とともにスケッチで残っている。
 氏子区域は、明治四十一年から西側に隣接する町谷(町屋)村から神明社・御嶽社・稲荷社の三社を合祀し、現在の氏子区域として運営されている。境内には天神社・御祖霊社・宮比社・榛名社・八千矛社・三峰社・七福神を祀った宝船・山車祭器・神輿庫等がある。
 他にお伊勢さま参拝記念の碑や日露戦争凱旋記念額並び記念樹も現在も残っている。
● 御祭神と御神徳
 ・須佐男尊・・・武運長久、家内安全、厄除け、商売繁盛、交通安全
 ・奇稲田姫命・・縁むすび、安産、子育て
● 御祭日
 ・元旦祭(一月一日)    ・節分祭(二月三日)  ・建国祭(二月十一日)
 ・春祭り(三月第一日曜日) ・大祓式(六月三十日) 
 ・神幸祭(七月十五日に近い日曜日)
 ・例大祭(十月七日)    ・天神・神楽殿祭(十一月三日)
 ・新穀感謝祭(十一月二十三日)』
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 さいたま市指定有形文化財である西堀氷川神社本殿と関流算額の案内板。
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 鳥居の脇に御嶽神社。
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 左奥から天満宮、祖霊社。右手前は不明。
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 七福神。
 その隣には以前は末社が建てられていたようなので、現在は再建中なのだろう。
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 西の鳥居。

須黒稲荷神社(桜区西堀一丁目)

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 中浦和駅の北西300m程の位置に鎮座する須黒稲荷神社(さいたま市桜区西堀1-16)。
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 一の鳥居。
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 二の鳥居。
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 三の鳥居。
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 五の鳥居。
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 社殿。
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 お狐さま。

別所沼弁財天(南区別所四丁目)

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 別所沼の小島に鎮座する別所沼弁財天(さいたま市南区別所4-12)。
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『別所沼弁財天由来記
落羽松が沼の周囲を巡るこの島は、古くから弁天島と呼ばれるように「別所沼弁財天」が奉祀されている。昭和二年この島を構築した小島長次郎氏によって東京、深川の洲崎神社から分祀された。その後、昭和四十年に氏子・有志により覆屋・向拝宮を改築、手水舎も建立し現在に至る。
御祭神は「市杵島姫命」で、仏教との習合により弁財天として祀られている。福徳財宝の神として親しまれている七福神のなかの女神で「妙音天」ともいわれている。
その起源を遡れば、インドの河川神「薩羅薩伐底」であり水辺に多く祀られている。
「金光明最勝王経」によれば、「弁財天を信奉する者は、弁舌、知恵を授けられ、その庇護により長寿と繁栄を得て福徳の山を築き、技芸に熟達するであろう、さらに弁財天の主誓願は転禍為福であるから、一切の苦難も鎮められよう」と説かれている。
この向拝宮内には、八本の御手の左に槍、輪、弓、宝珠、右に棒、鍵、矢、刀を持し荘厳さの中にも慈悲をたたえた八臂弁財天座像が安置されている。
 例大祭 五月三日 午前十時より』
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 狛犬。
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 橋。
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 その脇でなにやら除幕式の準備をしていたが、なんだったんだろうコレと思いググってみたら、「浦和うなこちゃん」という石像のお披露目式だったようだ。昨年十一月に盗まれたものが発見されないので新たに設置したとのことだが、こんなの盗んでどうするんだろうなぁ。
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鹿嶋神社(浦和区高砂四丁目)

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 埼玉県庁前交差点から西へ120m程、高砂四丁目公会堂脇に鎮座する鹿嶋神社(さいたま市浦和区高砂4-9-1)。
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 祠の脇に置かれたコレはなんだろう?
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稲荷社(南区別所三丁目)

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 別所公会堂の東側、さいたま市消防団別所分団車庫脇に鎮座する稲荷社(さいたま市南区別所3-7)。
 鳥居の柱には「別所農家組合建之」「昭和五十三年初午」と刻まれている。
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まんざらく(南区別所五丁目)

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 別所公民館の敷地端に鎮座するまんざらく様(さいたま市南区別所5-21-13)。
 「まんざらく」とは聞き慣れない名だが、ググってみると地震除けのまじない文句と言うものが出てきた。雷除けの「くわばら」のようなものだろうか。まぁこちらの「まんざらく」様が地震除けと関係あるのかどうかも定かではないのだが。
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『縁起
此の祠は農家共有の通称一本杉と呼ばれる総面積一八四坪の灌漑用溜池の辺りに祀られていたもので古老の口伝によれば「まんざらく」様と称し一時は信仰の対象として隆盛を極めたとのことである
今回近隣の発展に伴い市の公民館建設用地に提供し一角を分筆してここに祭祀した
昭和五十三年四月』
 石碑の隣にも石祠のような物があるが、なんだかわからない。
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稲荷社(南区別所一丁目)

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 国道17号別所坂上交差点脇に鎮座する稲荷社(さいたま市南区別所1-21)。
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 由緒とかはワカリマセーン。
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起志乃天神(浦和区岸町五丁目)

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 岸町公民館の西側に鎮座する起志乃天神社(さいたま市浦和区岸町5-8-9)。
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 由緒書きはあるにはあるのだが、大部分が薄くなっていたり消えていたりしてわかりにくい。とは言えまぁ大まかなことはわかるか。
 当社は青山家の祖先である藤原朝臣忠勝が京都より移り住む際、永仁六年(1298)に北野天満宮より勧請したものであり、明治四年(1871)に名主である青山貞勝により石祠が建立された。昭和二十一年(1946)には高砂小学校にあった旧奉安殿を当地に移築し、石祠は新社殿に内蔵された。さらに境内地は浦和市児童遊園地に指定され、昭和五十五年(1980)社屋の修築と周辺の整備が行われたとのこと。
 藤原朝臣忠勝の名は先の神明社のプレートにも記されていたなぁ。どのような功績のある人だったのかはググってみてもさっぱりわからないけど。
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 社殿。
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 左から青面金剛塔、少彦名命、不明、天満宮、猿田彦大神。
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神明社(浦和区岸町二丁目)

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 調神社から南東へ400m程、青木医院のそばに鎮座する神明社(さいたま市浦和区岸町2-6-8)。
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 鳥居。
 柱には「昭和十三年五月建之」と刻まれている。
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 拝殿。
 その前には福だるまとやらが設置されているが、なんだろうこれ。
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 本殿。
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『神明社 御由緒
□ 御縁起(歴史)
 岸町三丁目の中山道沿いに鎮座する調神社は、社伝によると崇神天皇の御代の創建で、勅命により伊勢神宮の斎主倭姫命が当地に来て、この岡を選び調物を納める倉を建て、武蔵野の初穂米や調の収納所と定めたとされ、主祭神は伊勢の内宮と外宮と同一の天照大御神と豊受比賣命の二柱で素盞嗚命を配祀する。
 当社はこの調神社の南東に当たる岸町二丁目に祀られており、祭神は天照大御神の別称である大日孁貴命である。口碑に「当社は調神社の末社である」ということから、その創建には調神社とのかかわりがあったと考えられる。「郡村誌」に当社は「永仁年中(一二九三-九九)の勧請」とのみ記され、その経緯については明らかでない。調神社にかかわる社であるとするならば、同社の創建の古さから推して、当社の創立も鎌倉期の永仁年中にまでさかのぼるのは至当であろう。
 別当は「風土記稿」によると、浦和宿玉蔵院末の真言宗福寿寺であった。「郡村誌」に既に見えないことから、明治初年に廃寺になった模様である。
 古老の記憶によれば、昭和初めの当社境内は雑木林や身の丈ほどの笹薮で覆われていて、その中に数本の老杉の大木がそびえていた。この老杉の根元に祀られていた石祠が当社で、氏子から「神明様」と呼ばれていた。昭和十年の社殿建設を機に本格的な整備が進められた。
□ 御祭神
 ・天照大御神 ・豊受比賣命 ・素盞嗚命
□ 御祭日
 ・例祭…八月第三日曜日』
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『当神明社は今を遡る六百七十余年前の永仁六年藤原朝臣忠勝がここに一宇本堂を建造し伊勢皇大神宮(御祭神大日孁貴命)を奉斎せられたのが抑々の由来である
時移り社は全く荒廃せるを昭和十年地域の敬神先覚有志は多くの浄財を得て社殿を創建し鳥居を築く
今や三十周年を迎えるに当り吾々は先輩の志を継ぎ斜面に盛土し境内を拡め社殿を移築修復す 更に雨覆殿を新築するなど益々神徳を奉仰し神威の昂揚に努める又神苑を子供遊園として整備し広く庶民の福祉を祈念するものである
 昭和四十年八月十九日』

八雲神社(浦和区元町一丁目)

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 笹岡稲荷神社から370m程東に鎮座する八雲神社(さいたま市浦和区元町1-21-3)。
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『八雲神社 御由緒
 さいたま市浦和区元町一‐二一‐三
□御縁起(歴史)
 当社は、氏子から「天王様」と呼ばれ親しまれている。創建の年代は明らかでないが、口碑によれば、往古、本太を疫病が襲い多くの村人が倒れたため、牛頭天王社を勧請し、神輿を作って疫病消除の祭りを始めたという。祭神は建速須佐之男命である。
 氏子の旧家は、石井・石塚・加藤・吉野などの姓を名乗る家々で、中でも石井重徳家は名主を務めた家柄である。現在、当社の境内地は石井重徳家ほか五〇名の共有地となっている。また。境内地周囲の土地は、当社の北方に居を構え、屋号を「ホウエンサマ」あるいは「ホウゲンサマ」と呼ばれる石井賢一家の所有である。その屋号やかつてその庭先に不動堂を祀っていたことなどを勘案すると、同家は「風土記稿」元太村の項に見える「光台寺 本山修験、中尾村玉林寺の配下、医王山光膳寺と号す、本尊不動」の裔と推測され、往時当社の祭祀にかかわっていたものであろう。
 また、「風土記稿」元太村の項には、天台宗延命寺の境内社として「天王社」が見え、あるいはこの社が当社のことであるとも考えられるが、現在当社と延命寺は一キロメートルほど離れており、往時の両者のかかわりについては明らかでない。
 明治初年の社格制定に際しては、地内の氷川社が村社とされ、当社は無格社とされた。
□御祭神と御神徳
 建速須佐之男尊・・・災難除け、安産、家内安全
□御祭日
 夏祭り(七月中旬)』
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 三峯神社。
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 石仏群と末社。
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 左から青面金剛(宝永二天乙酉年(1705)三月吉日)、馬頭観音(弘化二乙巳天(1845)四月吉日)、馬頭観音(寛■午年立)。
 寛の付く元号で午年は寛平十戊午年(898)か寛弘三丙午年(1006)、寛仁二戊午年(1018)、寛治四庚午年(1090)、寛元四丙午年(1246)、寛正三壬午年(1462)、寛永七庚午年(1630)、寛文七丁未年(1667)、寛延三庚午年(1750)、寛政十戊午年(1798)となるが、他の石仏の造られた年から見て寛文以後だろうなぁ。
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 庚申供養塔(延享三丙寅(1746)天月日)、不動明王(天保三壬辰(1832)三月吉日)。

 以上で5月28日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mmとDA20-40mm、50-150mm II。X30。
 この後は大宮で新刊を購入してから帰宅。

笹岡稲荷神社(浦和区常盤三丁目)

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 浦和橋の東側、常盤三丁目自治会館隣に鎮座する笹岡稲荷神社。
 鳥居をくぐって左(北側)に笹岡大稲荷神社(さいたま市浦和区常盤3-26-13)、右(南側)に笹岡小稲荷神社(常盤3-27-17)。
 何故二つあるのだろうと思いググってみると、名前は同じだがそれぞれ別の宗教法人であるのだそうだ。
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 大稲荷社の鳥居。
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 社殿。
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 側面には金属製の小さい鳥居が括り付けられている。
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 お狐さま。
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 小稲荷社。

三角稲荷神社(浦和区本太三丁目)

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 国道463号線高架下の三角地に鎮座する三角稲荷神社(さいたま市浦和区本太3-27-1)。
 鳥居の柱には「明和七寅歳二月初午」と刻まれているので1770年の建立。また幟枠には「神靈崇萬古」「民福受千秋」「明治二十五歳初午 當所氏子中建之」と刻まれている。
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『三角稲荷神社 御由緒
 さいたま市浦和区本太三‐二七‐一
□御縁起(歴史)
 本太の西端に鎮座する当社は、旧本太村の北部一帯に古くから住む石井姓と石塚姓を名乗る両一族が氏神として祀った社である。
 本太村の光膳院光台院には、かつて不動尊、阿弥陀如来、稲荷社の三つの神が祀られていた。本太の西端に鎮座する当社は、村人達がこの神を戴き、本太の三角地に社を建立して、お祀りするようになった。祭神は宇賀御魂神である。
 建立した年は不明であるが、現在ある石造りの鳥居が明和年間に建てられたものなので、それ以前の創建ということになる。また、社名にある「三角」については、境内地が三角形をした土地であったことに由来し、近所の人達からも崇拝されている。
 「風土記稿」本太村の項に、「稲荷社 光台寺持」とあり、江戸期は光台寺が別当を務めていたことがわかる。更に、この光台寺については、同項に「本山修験、中尾村玉林寺の配下、医王山光膳寺と号す、本尊不動、弥陀堂」とある。同寺は明治初期までには廃寺となったようであるが、現在の元町一丁目の石井斉家がその子孫で、「ホウエン(法印)様」の屋号で呼ばれている。なお、同家も当社の氏子である石井一族の一員である。
 本太の旧村社であった本太四丁目に鎮座する氷川神社の「明細帳」によると、無格社であった当社は、明治四十年六月七日に同社に合祀されたことになっているが、昭和九年から二十年の間に同社の「明細帳」から削除され、再び当社の「明細帳」が復活している。ただし、氏子の中では当社が氷川神社に合祀されたことや、復祀したということが実際に行われたことはなかったといわれ、あくまで書類上の操作で行われたことのようである。
□御祭神と御神徳
 倉稲魂命・・・五穀豊穣、商売繁昌
□御祭日
 初午祭(二月初午)』
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 二の鳥居。
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 拝殿。
 手前には鳥居の台石が残っている。以前はここにもう一基の鳥居があったのだろうか。
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 力石。

三峰神社(浦和区常盤一丁目)

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 慈惠稲荷神社の60m程北東に鎮座する三峰神社(さいたま市浦和区常盤1-3)。
 鳥居の柱には「昭和六年七月一日」と刻まれている。
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慈惠稲荷神社(浦和区常盤一丁目)

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 常盤公園の北東、埼玉県道65号線に面して鎮座する慈惠稲荷神社(さいたま市浦和区常盤1-5-15)。
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 市神。
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『さいたま市指定史跡 浦和宿二・七市場跡
 指定年月日 昭和三十七年三月三十一日
 浦和の市場は戦国時代に開設されたものと考えられ、天正十八年(一五九〇)には豊臣秀吉の家臣である浅野長吉から喧嘩口論などを禁じた「禁制」が「浦和市」に対して出されています。浦和市は月六回開かれる六斎市と呼ばれるもので、毎月二と七の日に開かれたため(二日・七日・十二日・十七日・二十二日・二十七日)、「二・七市場」といわれています。
 江戸時代、十返舎一九は「代ものを 積重ねしは 商人の おもてうらわの 宿の賑い」と詠み、浦和の市の賑いを表現しています。
 また、川口芝の長徳寺住持である龍派禅珠は、ある歳の暮れ、浦和の宿で萩。屠蘇、麹、膠、末醤(味噌と醤油)、新暦などを購入しています。
 周辺では、蕨(一・六の市)、鳩ヶ谷(三・八の市)、与野(四・九の市)、大宮(五・十の市)で市が設けられており、毎日どこかで市が開かれていたことになります
 平成十九年三月二十二日』
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 二の鳥居。大正十四年(1925)二月建立。
 手前の庚申塔の側面には「富士山 大山 引又 道」と刻まれている。昔は道標でもあったのだろうか。
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 お狐さま。
 台座には大正十四年二月吉日と刻まれているので、二の鳥居と一緒に奉納されたものなのかも。
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 拝殿。
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 木鼻。
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 宝珠紋。
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 本殿と狐の彫刻。
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 本殿裏の末社。
 何神社なのかはわからなかったが、ググってみたところ八雲社であるようだ。ちなみに右奥の小さな石柱は疱瘡神。
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仲町稲魂稲荷神社(浦和区仲町二丁目)

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 ファミリーマート浦和仲町店の西側、細い路地の脇にひっそりと鎮座する仲町稲魂稲荷神社(さいたま市浦和区仲町2-9)。
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 お狐さま。
 台座には「昭和四十四年五月吉日」と刻まれている。
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第六天神社(浦和区岸町四丁目)

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 調公園北側の民家の隙間に鎮座する第六天神社(さいたま市浦和区岸町4-18-6)。
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『調町内鎮座第六天神社縁起
 旧岸村の清岡。この地に鎮座ましまして、調神社とともに七社明神の一に数えられ、近郷近在の人々に尊崇されてきた第六天神社はわがふるさとの奉斎するいわれある土地の守護神であります。
 御祭神は高天原第三神朝の第六代天津日嗣と称えられる。
 面足命(別名 穂千田比古命)
 吾屋惶根命(神后)
をお祀りしているところから、第六天社。または一等六天社とも申し上げ、その御子の倉平顔比古命(クラヒラツラヒコノミコト)や、金子甘美金希代命(カネコウマシカキシロノミコト)とともに、穀物貯蔵法や刀剣、鉾や農機具等の製法発明等、農産業発展に尽くされた神様で、面足命とおくり名のあるとおり、福よかな好美顔で高天原でまつりごとをされたので、他の神々にも敬慕され、縁結び、商売繁昌、子育神、火難災厄除神……等民福安栄の象徴として、後世までお祀りされ信仰されてきた、縁起のよい神様であります。
 その歴史的伝統的由緒等は、慶安二年の記録をはじめ、断片的ながらも事実がとどめられ、その由緒の正しさを今日に伝えております。
 昭和四十五年。当地、調自治会発起にて社殿の整備が行われ、ともに祭礼も恒例化したことを機に心よりこの故郷の弥栄を期待し、祈願するものであります。
 例大祭 七月二十日
 歳亘祭 一月 二日』
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 拝殿。

 調公園の中にも小祠があったのだが、この日は公園で骨董市が行われており、祠の周囲にもずらりと並べられていた為近寄れず。まぁ、また後で行った時にでもいいか。

調神社(浦和区岸町三丁目)

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 JR浦和駅の南西500m程の位置に鎮座する調神社(さいたま市浦和区岸町3-17-25)。
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 御神使の兎。
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『由緒畧記
当社は天照大御神、豊宇気姫命、素戔嗚尊の三柱を祭神とする延喜式内の古社にして古くより朝廷及び武門の崇敬篤く調宮縁起によれば第九代開化天皇乙酉三月所祭奉幣の社として創建され第十代崇神天皇の勅命により神宮斎王倭姫命が参向此の清らかな地を選び神宮に献る調物を納める御倉を建てられ武総野の初穂米調集納蒼運搬所と定めらるる、倭姫命の御伝により御倉より調物斉清の為め当社に搬入する妨げとなる為鳥居、門を取拂はれたる事が起因となり現今に到る』
 調(ツキ)神社と言う名のくせに御祭神は月読尊じゃないのかよと言いたくなるが、由緒を見ると、昔の税制度である租庸調の調が名前の由来なんですかね。天保年間に書かれた江戸名所図会には月読尊を祭神とすると記されていたりもするそうだけど。
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 調神社が有する文化財の案内板。
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 元宮司の像。なにゆえ……?
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 手水舎。
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 兎の口から水だばー。
 水盤の台石にも兎の姿が刻まれている。
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 拝殿。
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 神楽殿。
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 狛兎の先代様だろうか。
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 金毘羅神社。
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 調宮天神社。
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 池の中にも兎。
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 何故かある童子像。
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 長谷川かな女句碑。
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 池の上に架けられた橋を渡ると、
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 稲荷社の両部鳥居。
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 稲荷社。覆い屋の中の祠は調神社の旧本殿である。
 左側の小祠は稲荷社分社。その後ろには久久能智大神。
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 柵の向こうにも二つの祠が見えるが、入れないので何神社なのかはわからない。

白山神社(浦和区神明二丁目)

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 睦神社から北東へ向かって行くと、埼玉県道213号線から路地に少し入った所、民家に挟まれる形で白山神社(さいたま市浦和区神明2-24)がちんまりと鎮座している。
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 大槻大明神。
 万延元年(1860)三月二十一日の造立。

 白山神社の南西100m程の交差点傍に金山稲荷と書かれた扁額の掛けられた小祠があるが、塀やネットフェンスで囲われている為参拝できず。地図にも記載されていないし、屋敷神なのかな。

睦神社(南区白幡一丁目)

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 武蔵野線武蔵浦和駅の東500m程、白幡自治会館傍に鎮座する睦神社(さいたま市南区白幡1-16-13)。
 鳥居の柱には「昭和五十年七月吉日建立」と刻まれている。昭和五十年は1975年。
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『市指定天然記念物 睦神社社叢
  昭和四十七年七月十九日指定
  所有者 睦神社
 この睦神社は、大宮台地の南縁の舌状台地上にあり、境内にはシロダモ、ヤブツバキ、ビナンカズラ、キチジョウソウなどの暖地性植物が多く自生しています、これは、この台地の縁辺にかつて太平洋の暖流が打ち寄せており、この地一帯に暖地性常緑広葉樹が繁茂していたことの名残のものです。
 この地の古い植生を伝える社叢として、保存価値の高いものです。
 昭和五十七年一月』
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 二本の参道が交差している。右側に下りて行くと池の前に出る。
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 拝殿。
 神額には富士社とある。ググってみると、当社は元来は富士浅間社であったが、明治四十年(1907)に大字浦和領別所の村社稲荷社、大字浦和領辻の村社熊野社、大字文蔵の村社神明社と各々の境内社、そして大字白幡から無格社の諏訪社と八幡社を合祀し、明治四十二年(1909)に大字浦和領別所から無格社神明社・十羅神社・稲荷社×3・第六天社×2を合祀した後、明治四十四年(1911)に睦神社と改称したとのこと。
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 社殿斜めから。
 左側の建物は神輿庫。傍らの神輿新装記念碑の裏には「八雲神社 神輿新装奉賛者芳名」が刻まれているので、八雲神社の神輿なのであろう。
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『浦和市指定有形民俗文化財
 石尊講木製奉納太刀 一口
  安永五年、白幡邑講中の銘がある
  平成九年三月四日指定
 この木製奉納太刀は長さ三・三一メートルで、睦神社拝殿内部に納められている。桐製で目釘穴は二個ある。表面に墨で「奉納大山石尊大權現 大天狗 小天狗 御宝前 謹言」、裏面には「大願 安永五丙申年 六月吉祥日」「武州足立郡白幡邑 講中」とあり、この地域で行われていた石尊講(大山講)中の人々が、大山阿夫利神社に奉納するために、安永五年(一七七六)に製作したもんである。白幡の大山講は現在も続いているが、この太刀を持って大山参りをした記録は残っていない。
 納め太刀は、大山阿夫利神社及び大山の先導師の坊(大山参りの講中が利用する宿)などに、江戸末期から明治期にかけての長さ一間(約一・八メートル)から一間半(約二・七メートル)のものが相当数現存する。また、各地の講の地元にも残っていると思われ、浦和市内でも白幡のほかに四谷、道祖土、大間木八丁で確認されている。しかし、この太刀の製作年は、現在確認されているなかでも古いものといえ、工芸品としても、その意匠の素朴なことは、納め太刀の当初の姿を伝えているものと思われる。規模も市内の四口のなかでは、「天明二年」(一七八二)の銘がある四谷の太刀の三・六七メートルに次いで長大である。(四谷の太刀も同時に市の有形民俗文化財に指定されている。)
 なお、かつてはこの太刀を睦神社境内(崖下)の池に立てて雨乞い行事が行われていた。同様のことが四谷の太刀についても確認されているが、これは大山阿夫利神社が雨乞いの対象でもあったために、大山への納め太刀が大山参りと切り離されて、直接雨乞い行事に結び付いたものと考えられる』
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 境内社。
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 左から三峰神社、稲荷神社、諏訪神社。
 左の鳥居は昭和三年(1928)十月、右の鳥居は昭和八年(1933)七月の建立。
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 お狐さま。
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 八幡神社・阿夫利神社合祀社。
 鳥居は昭和八年七月の建立。
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 睦神社参道下の池。
 雨乞い行事を行った池と言うのはこれのことなのだろう。

神明神社(南区根岸一丁目)

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 さいたま市文化センターから少し西へ向かうと、交差点の傍に神明神社(さいたま市南区根岸1-23-9))が鎮座している。
 由緒書き等が見当たらないのでいつものようにググってみると、創建年代は不詳だが、おそらく江戸中期ではないかとのこと。
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 鳥居の柱には「大正十一壬戌年七月建之」と刻まれている。大正十一年は1922年。
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 拝殿。
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 末社群。
 左から稲荷社、天満社・三峯社・八幡社合祀社、不明、鹿島社。
 石祠には社名が記されていないが、収められている木札には「子育」の文字が見えるので、そのような御利益のある神様なのだろう。
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