定慶稲荷神社(北区盆栽町)

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 ディスカウントセンタージャパン大宮植竹店の向かい側に鎮座する定慶稲荷神社(さいたま市北区盆栽町445 )。
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 一の鳥居。
 柱には「定慶稲荷神社創建二百五十年記念」「平成十九年三月吉日 氏子中」と刻まれている。
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 二の鳥居。
 柱には「奉納 卒寿記念 平成十七年三月吉日 新井日三郎」と記されたプレートが打ち付けられている。
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 拝殿。
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 お狐さま。
 台座には「平成十九年三月吉日 氏子中」と刻まれている。
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 斜めから。
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社殿改築記念碑
定慶稲荷神社
祭神 倉稲魂命
 この辺りは定慶新田と称し本郷村の持添新田であった
 身辺武蔵風土記稿によると篠原定慶といへる江戸の人が大宮来り住みこの地を開きしをもてかく名づくと記されてゐる
 宝暦七年十二月この地の鎮守として稲荷神社を建立新田開拓者の名を頭に冠し以て定慶稲荷神社と称せしものである
 爾来本江町の氏子の篤き信仰に支へられてこの度御鎮座二百五十年を迎へここにその記念事業として社殿の造営境内地の整備等を行ふ
 平成十九年三月一日
  宮司 岩井隆興


 以上で7月22日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA16-85mm。X30。
 ウォーキングカウンターは27,490歩。
 この後は大宮に行き、新刊を購入してから帰宅。
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大和田天神(見沼区大和田二丁目)

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 天神山公園の東側に鎮座する大和田天神社(さいたま市見沼区大和田町2-334)。
 鳥居の柱には「昭和三年十一月建之」と刻まれている。
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 置かれていたミニパンフレットによると、こちらの天神社は『寛文年貢帳』(1668)と『元禄検地帳』(1690)にその名が記されており、「八郎兵衛・惣右衛門家」一門の氏神として江戸時代より現代まで敬われ、また正月になると「天神養黎民」「弌■潤福澤」(万民を養い、一番の幸と福を潤す)と嘏辞の記された幟が掲揚されるとのこと。■の部分はIMEパッドでも出て来ない。明治三十三年に土呂村の書道家である川島半川氏に揮毫されたものであるそうだ。
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島村香圃頌徳碑
 文部大臣 松永東 謹書
君名は裕一香圃と号し大和田の人縣立浦和中學校を卒へ農事試験場練習所本科に入り農學を修む昭和十三年年若くして大砂土村会議員に當選引績を大宮市制第一回市会議員となり二期當選この間大宮市消防団長埼玉縣指導農業協同組合連合会専務理事等に推され郷土の發展福祉に盡瘁せらる偶吉田芳雨先生東部推理組合の組織を企図せらるゝや率先参画副組合長として揚水機設置場敷地を提供し事業の遂行を容易ならしむ芳雨先生頌徳建碑の議成るや揚水場敷地と共にその敷地を大宮市に寄贈し當組合永遠の基礎を樹てらる因つて組合員並有志相謀り永く感謝の意を傳へ茲に本碑を建設す
 昭和三十三年四月十三日 撰文撰書 武藏一宮氷川神社権宮司東角井光臣

不明(見沼区大和田町一丁目)

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 欧風カレー・ギーと言う店の傍に鎮座する祠(さいたま市見沼区大和田町1-1527)。
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 見た感じ稲荷社かなとは思うのだが、祠の壁のカオスさの為になんとも言い難い。
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 東面には仏様の顔のレリーフの他に三峯神社の絵馬と三嶋神社の絵馬、瑞巌寺の絵馬、善光寺の絵馬。北面にはよくわからない男性の顔のレリーフと幸福駅の駅名標と切符を模ったグッズ。西面には羽衣を纏ったふくよかな人物のレリーフと武蔵第六天神社の絵馬、武蔵一宮氷川神社の絵馬、二見興玉神社の絵馬が打ち付けられており、なんともよくわからない。
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 祠の背後には「春翁沙彌霊神 宝暦十辰年十二月朔日■八事」と刻まれた石塔と「辨財天 ■■十二■年七月■■」と刻まれた石塔がある。
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白山神社(見沼区南中丸)

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 南中丸東公園の東側に鎮座する白山神社(さいたま市見沼区南中丸1371)。
 三年前、ここから200mと離れていない神明神社に参拝しているのに、その時はこちらの神社に気付いていなかったのだなぁ。本当に見落とし多いな自分。
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 拝殿。
 石川県の白山比咩神社のパンフレットが貼られているが、こちらの神社の由緒書きは見当たらない。
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 額の文字は薄くなっているが、正一位の文字は確認できたので稲荷社だろう。
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 普門品供養塔。
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 社殿裏から。
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神明神社(見沼区蓮沼)

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 埼玉県道2号線蓮沼交差点の南西120m程の位置に鎮座する神明神社(さいたま市見沼区蓮沼298)。
 鳥居前の幟枠には「照徹六合」「光華明彩」と刻まれている。
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神明神社 御由緒
 さいたま市見沼区蓮沼二九八
□歴史
 江戸期蓮沼と呼ばれた当地は、南部を猿ヶ谷戸、北部を蓮沼と称していた。当社はこの猿ヶ谷戸に鎮座する。『風土記稿』蓮沼村の小名猿ヶ谷戸の項には、「猿ヶ谷戸村など唱へて、おのづから別村の如くに呼ぶ」とあり、古くから一村独立した意識のある地域である。
 創祀は、往古村人が伊勢神宮の御師より御祓大麻を受けて祀ったことによると伝える。祭神は『明細帳』に天照大御神と載る。
 社殿は、間口二間四尺ほどの品格ある入母屋造りで、以前のものは文化二年(一八〇五)の造営と伝える。現在の社殿は、明治十三年に氏子の松沢伊与吉棟梁が二一日間籠って造営している。拝殿内の正中にある明治十三年十月吉日の太々御神楽奉納絵額には、新たな社殿造営の旨を神宮に奉告し、御神楽を奉納している図が描かれており、猿ヶ谷戸村発起人田島文右衛門ほか一三名の名が記されている。また、境内の幟立は、この造営を記念して建造したもので、天照大御神の教え導く道は人の生きる道であるとの旨が記されている。昭和十九年、村社となる。
 別当は『風土記稿』に中野村正法院門徒、真言宗の自在山蓮華院正福寺で、氏子の多くは本寺である正法院の檀下である。
 明治初年、神仏分離により正福寺は当社から離れるとともに、昭和十九年村社に列せられた。
□御祭神と御神徳
 ・天照大御神・・・五穀豊穣、家内安全、子授安産、開運隆盛
□御祭日
 ・元旦祭(一月一日)   ・祈念祭(二月二十七日)
 ・大 祓(七月二十七日) ・お日待(十月九日)
 ・新嘗祭(十一月二十七日)

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 章山松澤君碑。
 蓮沼会館傍の道標には「神明神社(松沢章山の碑)」と記されていたくらいだから文化財的なものなのかと思ったのだが、松沢章山でググってみてもまるで出て来ない。
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 鳥居。
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 拝殿。
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 稲荷社と辯才天。
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八雲神社(見沼区蓮沼)

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 蓮沼会館脇に鎮座する八雲神社(さいたま市見沼区蓮沼501)。
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八雲神社 御由緒
 さいたま市見沼区蓮沼五〇一
□歴史
 当地は往古、南部を猿ヶ谷戸村、北部を蓮沼村と称していた。当社の鎮座する地は、この南部の猿ヶ谷戸村で『風土記稿』蓮沼村の小名猿ヶ谷戸の項には「猿ヶ谷戸村など唱へて、おのづから別村の如くに呼ぶ、此地の内にも内谷戸・外谷戸・中郷耕地などいへる字あり」と載せる。
 鎮座地は「岩槻道」の側にあり、境内の「文政二年己卯(一八一九)十月吉日 蓮沼村内猿ヶ谷戸講中」が建立した馬頭観世音菩薩には、「この方ふかさく はらいちミち」「右いわつき 左をふミや 大山道」とある。
 古くから境内に樹木はなく、昭和四十五年に八雲会館ができる前は、山茅の茂る地であったという。
 創建については、口伝に、昔、岩槻道を通って村に進入する疫病を防ぐため、その守護として街道側に社を勧請したと伝える。以来、天王祭や獅子回しを行い、村人の無病息災を祈願している。
 祭神は、『明細帳』に素盞嗚尊とある。
 社殿は、一間社流造りの小祠で、小塚の上に祀られている。これは昭和二十四年十月、猿ヶ谷戸鎮守の神明神社末社の厳島神社を参考にして造営されたもので、氏子の大島徳太郎棟梁の作である、なお、旧本殿の造営は、弘化二年(一八四五)であったと伝える。
□御祭神と御神徳
 ・素盞嗚尊・・・武運長久、厄除け、商売繁盛
□御祭日
 ・天王祭(七月十四日) ・お獅子様(七月十五日)

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□大宮・岩槻道コース□ 蓮沼と八雲神社
 現在の蓮沼地区は、かつては蓮沼村とも猿ヶ谷戸村とも呼ばれており時代によって両方の呼称が使われていました。
 神社前の道は大宮と岩槻を結ぶ江戸時代からの道で東西を結ぶ重要な道で、蓮沼会館の西側には庚申とや道しるべの馬頭観音があります。この道から原市(上尾市)や大門(浦和市)などへ続く道が分岐しています。
 この八雲神社では、7月1日に天王講が開かれ、14日には花やボンボリを作り神輿を神社前に据え、祭礼を行います。翌15日には約30人で「獅子廻し」と称し、無病息災を祈って地区内を巡行します。

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 本殿。
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 力石。
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 八雲神社東側の馬頭観音と地蔵尊と六地蔵。
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 蓮沼会館の西側に庚申塔と……なんだろう、神輿庫だろうか。
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 馬頭観音と青面金剛と庚申塔。
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 馬頭観音・庚申塔の案内板の横に道標。
□大宮・岩槻道歴史散歩コース□ 古い道と馬頭観音・庚申塔
 大宮と岩槻を結ぶ古い道沿いには、江戸時代の年号を刻んだ数多くの石造物を見ることができます。この道の幅約3.6mは、昔の道の標準的な幅で、今となっては狭く不便ですが地域の歴史や文化を知るうえでは大変重要な道です。保存されている3つの石造物は、左の1つが馬頭観音、右が庚申塔で市内の古い道沿いには必ずといってよいほどに見ることができる貴重な歴史資料です。
 左の馬頭観音は、江戸時代後期の文政2年(1819)に立てられ、右側面に「この方 ふかさく はらいちミち」、左側面には「右いわつき 左をふミや 大山道」と市内のみならず上尾市原市、岩槻市さらには庶民信仰の一つとして江戸時代中頃から流行した大山詣で知られる神奈川県の大山阿夫利神社への方角が刻まれています。
 右の庚申塔は、江戸時代中期の正徳6年(1716)に蓮沼の内の猿ヶ谷戸地区の人々により建てられ、51年後の明和4年(1767)に色を塗って供養したことが記されています。庚申信仰が続いていた証でしょう。

稲荷社(見沼区蓮沼)

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 タムロン本社の南西に鎮座する稲荷社(さいたま市見沼区蓮沼)。
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 左の末社は何神社なのか不明。
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 斜めから。
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 後ろから。
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不明(見沼区東門前)

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 埼玉県道2号線東門前交差点の北側、西松屋さいたま七里店の東隣に鎮座する祠(さいたま市見沼区東門前)。
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 額も無ければ神紋も無い為、何神社なのかさっぱりわからない。
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稲荷社(見沼区東門前)

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 和食さと大宮七里店の脇に鎮座する稲荷社(さいたま市見沼区東門前230)。
 鳥居の柱には「平成二年七月吉日 浅子昭一建之」と刻まれている。
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 棟に宝珠紋があるので稲荷社だろう。

稲荷神社(見沼区新堤)

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 さいたま市立七里小学校の南西に鎮座する稲荷神社(さいたま市見沼区新堤)。
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 鳥居。
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 お狐さま。
 台座には「寛政十年二月初午」と刻まれているが、その上に乗っているこちらは比較的最近になってから作られたものなのだろう。
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 本殿は覆屋と瑞垣に囲われている。
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稲荷神社 御由緒
 当社は、綾瀬川を東に望む大宮台地上に鎮座する。境内は、桜・杉・楢・櫟などが林立し、武蔵野の面影をとどめている。鎮座地南西側は、菱沼の低地で、近年までは水田が広がり、この中に稲荷免と呼ばれる社有地があった。
 創建は、当地の世襲名主を務めた大長島と呼ばれる長島家を筆頭に「文殿」と呼ばれる松本家、「西の家」と呼ばれる柳沢家により行われた。これらは永禄九年(一五六六)に織田軍の攻撃により、伊勢国長島より下野国足利に逃げ延び、更に当国岩槻領慈恩寺に身を潜め、当地に僧形にて土着帰農した家々であると伝える。
 祭神は、五穀の実りを守護する倉稲魂命である。また、境内の眷属像は、寛政十年(一七九八)二月初午に郷中安全を祈願して氏子中が奉納している。石工は、市場町(岩槻)の名工荻原伊兵衛である。
 社殿は、二間四方の寄棟造り、本殿は朱塗りの一間社流造りである。
 慶応三年(一八六七)三月の奉納額は、琵琶を弾く武将の図が描かれており、「鎮守正一位稲荷社」と記されている。これは氏子の与三郎・鉄五郎・志知蔵・喜久蔵・与兵衛・長五郎・吉五郎・藤五郎の名前が見られる。
 明治六年、『明細帳』によると村社に列せられた。
□御祭神と御神徳
 ・倉稲魂命・・・五穀豊穣、商売繁盛
□御祭日
 ・初午祭(三月初午)

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 本殿。
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 斜めから。
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 後ろから。
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 力石と水盤、そして破損したお狐さま。
 力石は二つとも宝暦五乙亥年九月に奉納されたもので、重さは左の物が三十二匁目で右の物が三十八匁目。水盤は側面に「弘化三丙午歳九月吉日」と刻まれている。宝暦五年は1755年で弘化三年は1846年。
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湯殿神社(見沼区東門前)

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 七里駅入口交差点から埼玉県道105号線を南東へ200m程向かった所に鎮座する湯殿神社(さいたま市見沼区東門前356)。
 幟枠には「嘉永四辛亥■」「玄月大安日」、入口脇の地中に埋もれた石柱には「元治元十一」「當村氏」と刻まれている。嘉永四年は1851年、元治元年は1864年。
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 鳥居を境内側から。
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 拝殿。
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湯殿神社 御由緒
 さいたま市見沼区東門前三五六
□御縁起(歴史)
 当地は、『風土記稿』に「風渡野村枝郷門前村」とある。初めは、風渡野村一村であったが、江戸初期に分村して門前村となった。この門前という地名の由来は、当地に社領二十三石の鷲明神社があり、その門前が発達して村となったことによる。この鷲明神社は、当地の字「上の宮」に鎮座していたが、当地が分村独立するに及び、本村である風渡野村へ遷座したといわれている。
 当社は、この鷲明神社の本村遷座により、新たな門前村の鎮守として、山形県東田川郡鎮座の湯殿三所権現(『風土記稿』では「湯殿三社」と載る)を勧請したものと伝える。この勧請に直接関与した修験は明らかではないが、本村である風渡野村の本山派修験多宝院あるいは当山派修験竜蔵院が考えられる。
 鎮座地は、「原市鳩ヶ谷道」の側にある字道際である。昭和二十年まで、社殿裏手に目通り九尺もある男松の大木があり、街道を通る者の目印になっていた。
 祭神は、大山祇命・月読命・志那都比古命・志那津比賣命である。
 別当は、真言宗の伽羅陀山極楽寺延命院で、旧埼玉郡中嶋村金剛院の末である。この寺は、『郡村誌』には明治五年に廃寺と載るが、現在も堂宇が残り、供養も続けられている
□御祭神
 ・大山祇命 ・月読命 ・志那都比古命 ・志那津比賣命
□御祭日
 ・元旦祭(一月一日) ・春祭り(二月二十六日) ・大祓(七月二十六日)
 ・例 祭(十月九日) ・新嘗祭(十一月二十六日)

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 水盤の側面には「文政二己卯年九月吉祥日」と刻まれている。文政二年は1819年。
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 社殿を県道105号線側から。
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 末社。
 稲荷社だろうか。鬼瓦部分の左三つ巴紋が気になるけれど。

天神社(見沼区風渡野)

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 風渡野緑地公園の隣に鎮座する天神社(さいたま市見沼区風渡野204)。
 幟枠には「大正四年十一月十日」、鳥居の柱には「昭和三年十一月」、一の鳥居の奥の幟枠には「嘉永七甲寅年九月吉日」と刻まれている。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
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 斜めから。
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 後ろから。
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天神社 御由緒
 さいたま市見沼区風渡野二〇四
□御縁起(歴史)
 当地は、大宮と岩槻の中ほどにある東西に細長い台地上にあり、東部には見沼代用水東縁が、西部には悪水堀が流れる。
 当社参道の前を南北に通る道は古道で、当地から南に進むと江戸に通じているので江戸道、北に進むと原市(上尾)に至るので原市道と呼ばれる。寛政十二年(一八〇〇)六月の村絵図によると、江戸道沿いから当社の参道が始まり、入るとすぐに鳥居があり、更に進むと本殿が描かれている。また、本殿裏手の境内東寄りに池が描かれている。この池は「天神池」と呼ばれていたという。
 当社の創祀については、『風土記稿』に当地が「三沼代用水を引けども旱損あり」と記されるように天水場であったことから、祭祀は初め天神に降雨を祈るものであったと思われ、かつての村絵図の池は、溜池であったと考えられる。
 祭神は、菅原道真公である。境内には、明治三十五年七月に氏子中が建立した「菅公千年記念碑」がある。
 『明細帳』によると、明治六年四月に村社に列せられ、同四十一年四月十三日、大字風渡野字鷲の無格社鷲神社と同境内社の熊野社・稲荷社・秋葉社・神明社、同年八月二十日、大字東門前字道際の村社湯殿社と同境内社の稲荷社二社・雷電社を合祀した。
□御祭神と御神徳
 ・菅原道真公・・・学問成就、家内安全、五穀豊穣
□御祭日
 ・元旦祭(一月一日)  ・祈念祭(二月二十五日)・ふせぎ(五月十五日)
 ・夏祭り(七月二十五日)・お日待(十月十日)  ・新嘗祭(十一月二十三日)

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□大宮・岩槻道歴史散歩コース□ 天神社
 菅原道真を祭神とする風渡野の鎮守様です。県道大宮・岩槻線(旧国道16号)が社の北側を通っていますが、社の木々が豊富で、自動車の騒音を遮っています。
 2月と7月の25日には天神講が開かれ、7月24日の宵宮には盆踊りがあり賑わいます。冬には受験生の参拝も増えるそうです。拝殿内には、八岐大蛇退治の絵馬をはじめ伊勢講の奉納額などがあります。
 参道鳥居前を左折すると七里支所に至りますが、この道は古い道で、大宮・岩槻道歴史散歩コース□南は江戸へ通じていたので「江戸道」、あるいは北へ進むと原市(上尾市)へ至るので「原市道」とも呼ばれ、風渡野の中央を南北に通る主要道でした。この道と七里支所前で交差する東西の道は、東は岩槻、西は大宮へと至る重要な道でした。散歩コースは、大宮・岩槻道を歩きながら格地区の見所を案内しています。
 さいたま市教育委員会 生涯学習部文化財保護課

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 御神木。
御神木保存の由緒
 此の木は杉の巨木にして風渡野天神社の御神木として氏子及び参拝者の崇敬のもとに神社と共に永く栄えて来ました。周囲四、五米高さ約四〇米樹齢約三百年と推定され度々の落雷及び暴風雨等の被害を受け、また大気汚染等により昭和の御代に入りて衰えを見せ遂に昭和三十年頃には老朽も甚だしく強風時等の倒木の危険を感じられ地上六米位の処より胴切りして起きましたが、その後の風化進行も激しく平成の御代に入りて腐朽が進み減失の怖ささえ感じられてきました。昔日のあの雄大な御神木の姿が消滅してしまうのを痛み氏子一同の惜念の声高く崇敬の総意によりまして充分なる修復をなし茲に記念保存するものなり
 平成八年六月吉日
風渡野天神社保存会建立 保存会々長 冨張八郎 記す

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 御神木の脇には力石が置かれている。
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 三峯社。
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 鷲神社。
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 稲荷社。
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 菅公千年紀碑と改元記念碑。
 改元記念碑の裏には沿革がびっしりと刻まれているのだが、反射してよく見えないのと後ろの木が妨げになってうまく撮れないので諦めた。

氷川神社(見沼区宮ヶ谷塔三丁目)

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 埼玉県道2号線に南面する氷川神社(さいたま市見沼区宮ヶ谷塔3-230)。
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 鳥居の脇に設置された案内板。しかし神社の由緒書きは設置されていないのであった。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
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 斜めから。
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 後ろから。
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 末社。
 お狐さまがあるので稲荷社なのかなとも思うが、卐らしきものも見えるから違うかも。富士講関連の石碑などでは卍はよく見かけるからそっち関係なのかな。「猫のあしあと」さんのところを見ると宮ヶ谷塔氷川神社の末社として雷電社、或いは山神社と記されているのでこれまたどちらなのかよくわからない。
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 力石。
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小川刀自墓誌銘
小川刀自諱登久埼玉縣北足立郡春岡村宮谷塔人善五郎第三女也資性謹厚而有巧思
幼表怙恃備甞辛酸及長習機織之業精勵刻苦技漸孰後有故出江戸爲有馬候臣早川某
乳母慶應元年五月從主至久留米時年二十七其地有井上某女創織久留米縞者機業漸
行然機具不良布質尚粗不足以博市價刀自爲苦心計盡作一長機具及附屬器以開機業
其所織出輝於久留米市場市價頓貴時明治九年也爾来遠近子女聞風來習者五百餘人
刀自日夜提撕不倦三十有餘年如一日業益進久留米縞名聲揚於海内販路日開年増其
産達三十餘萬段所得價二十五萬圓毎歳増産其地之富益加久留米縞同業組合贈刀自
以彰徳状又年贈金以報其徳明治四十三年九月十五日歸郷組合及弟子等胥謀張祖道
之宴厚贐以報其恩刀自誕於天保十一年十二月一日以大正二年十二月二十四日終浮
屠氏追號曰永山實性禅定尼久留米縞組合聞刀自之訃賻以香華資金五十圓致追慕之
情初刀自納婿生子曰榮三郎繼家今茲欲建碑以圖不朽篤志者爲致力輔之村長小澤益
太郎以状來屬銘於余嗟呼興國産廣公益若刀自者有髯丈夫所不及不獨爲婦人之龜鑑
也其可不銘哉銘曰
  女工甚精 敎人能進 何以致之 雄謹且信 更作機杼 又揀錦絲
  市價頓貴 名聲四馳 販鬻日開 克富家國 千載不朽 刀自之徳

大正四年六月  ■埼玉縣北足立郡長従五位勲四等 早川光藏撰文并篆額
             埼玉縣女子師範學校教諭 ■石木村増二敬書

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金光山不動尊(見沼区宮ヶ谷塔三丁目)

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 東武野田線第37号踏切の北東に位置する金光山不動尊・馬頭観世音堂(さいたま市見沼区宮ヶ谷塔三丁目
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 扁額には「足立順禮三拾壹番 馬頭観世音」、「金光山不動尊 大正八年一月吉日 材木商 小川幸内」と記されており、鰐口には「宝暦二壬申正月吉日 宮ヶ谷戸村中」と刻まれている。大正八年は1919年で宝暦二年は1752年。
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 市指定文化財である円空作竜頭観音像の案内板。
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 江戸時代のお墓と石仏墓。
 その奥も墓地となっている。

淡島社(見沼区宮ヶ谷塔三丁目)

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 第六天神社の南西200m程の十字路脇に鎮座する淡島社(さいたま市見沼区宮ヶ谷塔三丁目)。
 社名を記したものが見当たらない為何神社なのかわからず、十字路脇にあることから道祖神的なものだろうかと思っていたのだが、宮ヶ谷塔氷川神社に設置されている案内板にこちらのことが記されていたので淡島社と判明。
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 淡島社の少し西側にも祠(さいたま市見沼区小深作)があるのだが、屋敷神のようにも思えたのでパス。鬼瓦部分に梅鉢紋のようなものが見えたので天神社なのかな。
 

第六天神社(見沼区宮ヶ谷塔三丁目)

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 国道16号線東大宮バイパス宮ヶ谷塔(北)交差点の南西100m程、自動車整備工場の南隣に鎮座する第六天神社(さいたま市見沼区宮ヶ谷塔三丁目)。
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 社殿前の石燈籠は左側が天保八酉年(1837)六月、右側が嘉永二酉年(1849)の造立。
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 カスタムイメージを銀残しにして撮ってみたらなんかいい感じになった。
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神明神社(見沼区小深作)

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 見沼代用水東縁に架かる神明橋の傍に鎮座する神明神社(さいたま市見沼区小深作604)。
 鳥居の柱には「平成二十三年三月十一日建之」、傍らの社号標石には「村社小深作神明社」「明治四十二年六月十日」と刻まれている。
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 幟枠には「嘉永二己酉年六月吉辰」と刻まれている。
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神明神社 御由緒
 さいたま市見沼区小深作六〇四
□御縁起(歴史)
 当地は、綾瀬川を東に望む台地と綾瀬川流域に開けた鶴巻沼の低地からなる。小深作の「さく」には、狭間の意があることから、当地の地名は綾瀬川の狭間に由来する。
 当社は、小深作の北方「字中島」の見沼代用水東縁を望む大宮台地上に鎮座し、祭神は天照大御神である。
 化政期(一八〇四‐三〇)の記録として『風土記稿』小深作村の項には、神明社は慈眼寺持ち、末社は稲荷社であると載る。当社の別当である真言宗慈眼寺は、大悲山と号し、正観音を奉安する旧深作村の覚蔵院の門徒寺である。同寺は、明治初年に廃寺となり、現在跡地は宅地となっている。
 『明細帳』によると、明治四十二年六月十日、大字小深作字小深作前村社神明社・同境内社疱瘡社・三峯社・稲荷社・雷電社、同字無格社竈神社、同大字字程島無格社厳島社・同第六天社、字半縄無格社天神社の九社を合祀し、村社に昇格した。また、同日畑一反四畝歩を境内に編入した。
 明治四十三年一月二十七日、村社昇格により本拝殿を新築した。このうち本殿は神明造りで、屋根は茅葺きである。現在のような銅板葺きにしたのは、平成三年四月である(社蔵棟札)
□御祭神と御神徳
 ・天照大神・・・五穀豊穣、子授安産、開運隆盛
□御祭日
 ・祈念祭(二月二十八日) ・春祭り(四月三日)
 ・新嘗祭(十一月二十八日)

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 力石。
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 拝殿。
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 後ろから。
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 末社。
 中に陶器の狐があるけど神紋が左三巴紋だったりするので何神社なのかわからない。左の石塔は嘉永四辛亥年正月造立の第六天。
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掬來堪可濯裳衣一道渓流繞翠徹靈境不知幾千載老杉皆是十餘圍陰沈白日午無景肅穆清風神有威纔出廟門多雑沓人々■得太麻歸
明治三十年歳次丁酉春三月
半領中根聞稾

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 宝篋印塔と観音堂。

稲荷社(見沼区小深作)

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 七里駅の北西300m程、田中畳店の西側に鎮座する稲荷社(さいたま市見沼区小深作)。
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 左の祠の中には嘗ては神社名が記されていたであろう神額があるのだが、文字が殆ど消えていてまったく読み取れない。右の祠の中には陶器の狐が置かれているので稲荷社なのだろう。

 この時は知らなかったのだが、ここから250m程南下した所にある風渡野第二自治会わし山会館の脇には「鷲神社鎮座之址」と刻まれた石碑が建てられている。またこちらの方に行く機会があれば確認してこよう。

白山神社(見沼区春岡一丁目)

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 東武野田線七里駅の北西900m程の位置に鎮座する白山神社(さいたま市見沼区春岡1-18)。
 鳥居の柱には「文政三庚辰年十一月吉日」と刻まれている。文政三年は1820年。
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 拝殿。
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 末社。
 左の石祠は文字が薄れており判読できなかった。右の祠の中には三峯神社の神璽が置かれていたので三峯神社であるのかも知れない。
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 八幡宮と天満宮。
 天満宮の側面には「皇明文久三癸歳■正月吉祥日」「武刕足立郡南部領深作村」と刻まれている。文久三年は1863年。
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 観世音菩薩。
 側面には「享和元辛酉年九月吉日」と刻まれている。享和元年は1801年。
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 力石。
 左側のものは明治二十四年九月に奉納された三十二貫目の石。右側のものは文字が薄くなっていてわかりにくいが、文化十年四月かな?
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 水盤。
 天保七申三月吉日と刻まれているので1838年に奉納されたものなのだろう。
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大宮地区土地関係有縁無縁万霊塔(北区土呂町二丁目)

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 土呂駅の南側、中島踏切のすぐ東側に位置する大宮地区土地関係有縁無縁万霊塔(さいたま市北区土呂町二丁目)。
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 正面には「大宮地区土地関係有縁無縁萬霊」、東面には「交通事故犠牲者無縁之霊」、西面には「大祖元以來金色生幼変無縁之霊」、北面には「一切之大供養完全令成仏 平成五年十月十七日建之」とある。
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 たぶん稲荷社だと思うのだけど、確証が無い。なのでエントリー名は万霊塔の方で。
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 以上で7月8日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA16-85mm、FA50mm F1.4。X30。
 ウォーキングカウンターは25,732歩。
 この後は大宮に行き、新刊を購入してから帰宅。

植竹稲荷社(大宮区宮町四丁目)

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 盆栽町会館の隣に鎮座する植竹稲荷社(さいたま市大宮区宮町4-6)。
 鳥居の柱には「昭和二十二年十月吉日」と刻まれている。
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 境内。
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 本殿。
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 清水瀞庵翁紀功碑。
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盆栽村
 所在地 さいたま市盆栽町二五一
 観る人の心に大きな感動とやすらぎを与える盆栽は、永い歳月をかけて私たちの祖先が自然の中から生み出した「生きている芸術品」といわれている。
 大宮の「盆栽村」が発祥をみるのは大正十四年(一九二五)のことである。当時、東京に住む盆栽業者が、環境の悪化と関東大震災により、盆栽造りに適した新天地として、広くて空気のよいこの地を選んで移住してきたのが始まりである。
 武蔵野の一角の草深い地で狐狸が住み、まだ電灯もない時代であったが、開拓は百年の大計によるユニークな「自治村」の建設を目指して進められ、苦節の末、今日にみられる整然たる環境の「盆栽村」を作りだした。
 十万余坪におよぶこの「盆栽村」には、気品と格調をそなえた十数万本の盆栽が育成され、国内はもとより、世界各国からここを訪れる人々があとをたたず、今や四季を通じて静かなブームを呼んでいる。
 昭和六十年三月

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 こちらの稲荷社を撮影していた時に光化学スモッグ注意報の放送が流れていたが、光化学スモッグなんて聞いたのは随分久しぶりな気がする。

百体庚申社(北区土呂町)

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 産業道路を挟んでENEOS大宮公園SSの西側に鎮座する百体庚申社(さいたま市北区土呂町)。
 鳥居の柱には「昭和七壬申年秋建立」と刻まれている。
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□氷川の森・見沼西縁歴史散歩コース□ 百体庚申社
 ここは土呂町です
 庚申の日に信仰を行う庚申信仰は、江戸時代に庶民の間に広まったもので、市内には信仰をしめす庚申塔が約190か所に残されており、現在でもわずかながらも信仰を続けている所があります。
 この百体庚申社は、土呂町在住の新見国一郎氏が福の神として、60日に一度めぐりくる庚申の日ごとに一躰ずつ石像の猿を奉納したもので、約17年の歳月を要して完成したものです。一般の庚申塔は複数人数による信仰が成就の暁に一基建立されますが、新見氏の例は市内でも唯一の例ではないかと思われます。猿一躰一躰がそれぞれの表情をしており、生き生きとしています。
 ここから西へ向かうと盆栽町(四季の家・漫画会館・盆栽園)・大宮公園・氷川神社へと続く「氷川の森コース」、産業道路を越え東へ向かうと「見沼西縁コース」へと続いています。

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 庚申塔。
 側面には「釋實乘禅門 正定位 文政十三寅年十月二十日」と刻まれている。文政十三年は1830年。
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 東側から。

御嶽社(大宮区寿能町二丁目)

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 東武野田線第9号踏切の北東160m程、線路脇に鎮座する御嶽社(さいたま市大宮区寿能町二丁目)。
 以前はここから100m程南西にあったようだが、いつ頃移転したのかはわからない。
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□見沼西縁歴史散歩コース□ 御嶽社
 ここは寿能町2丁目です
 この社は村の鎮守で、関ヶ原の合戦があった慶長5年(1600)に土呂村の領主初鹿野昌久が甲州から同氏の氏神として勧請したものと伝えられています。初鹿野氏は甲州武田家の家臣で武田家滅亡後土呂へ移ったものです。明治40年に市民の森の北方、神明社に合祀されましたが、昭和14年1月に旧地へ新築再興されたものです。
 当社のほかに初鹿野氏ゆかりの場所として、東方約50mの御嶽墓地内には三代初鹿野昌次及び昌久の子昌季の墓が、北方の地には土呂地蔵堂があり、同地周辺に陣屋を構えていたといいます。また、片柳の萬年寺には同寺を火災による荒廃から復興させた昌久が中興開基として葬られています。

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 西を向くと線路の北側に地蔵堂が見える。
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地蔵堂(土呂町)

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 東武野田線第9号踏切の90m程北東に位置する地蔵堂(さいたま市北区土呂町)。
 以前は現在地の130m程北にあったようだが、現在その辺りは更地になっている。
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土呂の地蔵堂
 所在地 さいたま市北区土呂町一五一〇
 この地蔵堂は、地元の人の話によると、かなり古くから、この地にあって、村民の信仰をあつめていたといわれている。一説には、江戸時代の土呂村領主旗本初鹿野氏が近くにある同家の墓守堂として建てたものといわれているが、『新編武蔵風土記稿』には「村民の持」と記されているのみで、その創建や由来については詳かでない。
 地蔵堂には、現在、本尊の地蔵菩薩のほか、薬師如来、大黒天の三像が安置されている。
 なお、初代初鹿野昌久は甲斐国武田の家臣であったが、主家滅亡後、徳川家康に仕え、天正十八年(一五九〇)徳川氏の関東入国に伴って土呂村の領主となったもので、この地蔵堂付近に陣屋を築き、以来幕末まで知行した。同氏が甲斐国から勧請したという御嶽社は幾度かの変遷をみて、現在隣の薄田氏屋敷内に祀られている。また、東武線南側の墓地跡には初鹿野氏の墓碑が残っている。
 昭和六十年三月

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 地蔵菩薩。
 左端の石柱には大日如来の姿が彫られ、その下に「奉納日本神社佛閣拝礼」、側面には「南無阿弥陀佛」と刻まれている。
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宗像神社(北区土呂町二丁目)

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 浅間神社の200m程南東に鎮座する宗像神社(さいたま市北区土呂町2-40)。
 鳥居の柱には「昭和七年二月吉日建立」と刻まれている。
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宗像神社即弁財天社
御祭神 田心姫命
    湍津姫命
    市杵島姫命
例祭 一月二十五日
 当社の創始は不詳であるが古来見沼七弁天の一つと称され弁天耕地住民の氏神として尊信されてきた。社殿内の碑には正面に弁財天左右両側に夫々
 安永六年四月吉日
 松永孫三良
の文字が刻まれている
 現在の社殿は昭和五十六年七月十六日弁天耕地氏子十五軒の浄財により旧社殿をそのまま模して改築したものである

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浅間神社(北区土呂町二丁目)

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 市民の森・見沼グリーンセンターの南西に鎮座する浅間神社(さいたま市北区土呂町2-51)。
 鳥居の柱には「昭和四十四年五月十七日建之 秋山信一」と刻まれている。
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 右手側には小御嶽大神。

神明社(北区土呂町二丁目)

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 市民の森・見沼グリーンセンターの北側に鎮座する神明社(さいたま市北区土呂町2-83-1)。
 鳥居の柱には「大正七年四月建立」と刻まれている。
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神明社 御由緒
 さいたま市北区土呂町二‐八三
□歴史
 当社は、大宮台地の東端に鎮座している。境内東側は低地で、江戸中期まで見沼が広がっていた。地名の「土呂」は、「瀞」と同じく静かに水をたたえる場所を示す語であることから、見沼に由来している。
 創建年代は、資料がなく明らかではないが、中世展開した伊勢信仰により勧請されたものと思われる。また、境内に近年まで土呂の大杉として親しまれた杉の大木の年輪は約八百年でったことから、これを見ても古社であることが知られる。ちなみに時代は下るが、境内にある文政五年(一八二二)の庚申塔は、かつて土呂在家の道山と呼ばれる所にあり、当地では伊勢参りの旅に出発することを「鹿島立ち」といって、当社に参拝してからかならずここに立ち寄って出掛けたと伝えている。
 別当は、『風土記稿』に、真言宗の水光山神前寺浄織寺であると載る。同院は、明治初年の神仏分離後、同五年に廃寺となったが、このとき同院の長屋門を当社境内に移築、改造し、神楽殿とした。
 明治六年四月、村社に列せられた。同十三年二月、本殿を改築し、拝殿を新築した。『明細帳』によると、同四十年五月、大字土呂字御嶽無格社御嶽社・同境内社三峯社、字稲荷山無格社稲荷社、字植嶽無格社稲荷社・同境内社神明社の五社を合祀した。
 社領は、廃寺となった浄職院と合祀した五社の土地、田五反一畝と畑三反三畝八歩があったが、農地改革により失っている。
□祭神
 ・天照大御神
□祭祀
 ・元旦祭(一月一日) ・祈念祭(二月二十一日)・春祭り(四月一日)
 ・祇園祭(七月十四日)・日待祭(十月八日)  ・新嘗祭(十一月二十四日)

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神明社
 所在地 さいたま市北区土呂町二‐八三‐一
 神明社は、土呂の字「神明」にあった浄職院持ちの社で、創建については明らかではありませんが、祭神は天照大神を祀っています。
 明治の初めまでは、現在の本殿の南側に、西向きに建てられた小社であったといいます。明治六年(一八七三)土呂村の村社となり、同十三年に現在のように造営され、この時神楽殿も造られました。神楽殿は、神仏分離によって明治五年に廃寺となった浄職院の長屋門を改造したものでした。
 その後、同四十年には土呂の四社(御岳社・植竹稲荷社・稲荷山稲荷社・八雲社)をここに合祀しました。
 戦前までは、毎年四月の祭日には、神楽殿で神楽や源太おどりが奉納されて賑い、地区民の年中行事の楽しみの一つであったといわれています。
 なお、本殿西側には、源義家の箸立伝説で有名な杉の古木がありました。この古木は、埼玉県指定の天然記念物(土呂の大杉)として保護されてきましたが、樹齢がつきて立枯れ、昭和四十五年に姿を消しました。また、神楽殿も老朽化して戦後取払われました。
  平成二十四年三月

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 鳥居をくぐってすぐ左手側に青面金剛と庚申塔。
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 拝殿と狛犬。
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 本殿。
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 なんだろう? 神輿庫だろうか。
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 八雲社。
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 祭りの準備中。
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鷲神社(見沼区大和田町二丁目)

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 市民の森・見沼グリーンセンターの南東に鎮座する鷲神社(さいたま市見沼区大和田町2-463)。
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鷲神社 御由緒
 さいたま市見沼区大和田町二‐四六三
□歴史
 当地は芝川左岸の大宮台地上に位置し、地名の大和田は、見沼の湾曲部にある地を意味する。当社は、この見沼を西方に望む台地際の急崖「鷲山耕地」に鎮座し、境内は近年まで杉の大木が林立していた。
 創建は中世、太田荘の惣鎮守である鷲宮神社(久喜市鷲宮鎮座)を勧請したことによる。太田荘の荘域は、現在の行田・羽生・加須全域、鴻巣・熊谷の一部と、南埼玉郡、北葛飾郡の一部であったが、鷲宮神社の信仰圏は、岩槻方面から見沼東岸にまで及んでいたものと思われる。
 主祭神は、天照大御神の右の角髪に巻いた御統から化生した天穂日命である。
 社殿は、安政二年(一八五五)の建造と伝える総欅の入母屋造りである。特に社殿入口の唐破風屋根は、近村には見られぬ高さを誇る豪壮なものである。
 別当は、『風土記稿』に中野村(さいたま市見沼区南中野)の正法院門徒の真言宗真福寺と載せるが、同寺は明治六年八月に廃寺となった。
 『明細帳』によると、明治六年村社に列せられた。また、往古、字塚の愛宕社が、次いで同四十年五月、字本村耕地の無格社火産霊社、境内社八雲社・天満社、同字無格社稲荷社、字椿耕地の無格社皇産霊社、字保浄耕地の無格社稲荷社が合祀され、同四十三年十一月、神饌幣帛料供進神社に指定された。
□伝説
 昔、当社近くの見沼に笛を吹く美女があらわれた。笛を聞くものは、舟に乗って沼にいくが、帰ってくる者はいない。ある若者が弓矢にて美女を射る時、にわかに黒雲がわき、豪雨となる。美女の姿はすでになく、笛のみが残されていた。村人はあの美女は竜の化身であったという。この笛は当社に伝えられた。
□祭祀
 ・歳旦祭(一月一日) ・祈念祭(二月二十三日)・神輿浄祓祭(七月一日)
 ・神幸祭(七月十五日)・例 祭(十月二日)  ・新嘗祭(十一月二十四日)

 拝殿脇の合祀碑には
 「字本村千七百番地 火産霊神社 八雲神社 天満宮 三峯神社
  字本村千八百一番地 稲荷社
  字椿二百十一番地 皇産霊神社
  字保浄二千二百三番地 稲荷社
  字鷲山千九百四番地 猿田彦神社 他三ヶ所」
 とも記されているが、上記の由緒書きには三峯神社や猿田彦神社などの名は記されていないのは何故なのだろう。
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 左の石燈籠には「月照暗」、右の石燈籠には「日暉朙」と刻まれている。
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 拝殿。
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 狛犬。
 台座には「嘉永二酉年十一月吉日」と刻まれているので1849年の造立なのだろう。
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 神楽殿。
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 末社。
 稲荷社だろうか。
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 造化三神。
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 末社なのか神庫なのかわからないが、脇の石燈籠には「奉納秋葉大権現御宝前 寛政十二庚申歳十一月吉日」と刻まれているのでもしかしたら秋葉神社或いは火産霊神社であるのかも?
 その手前には砲彈方匙と記された戦利品奉納記念碑と合祀碑が建てられている。
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砲彈方匙
戰利兵器奉納ノ記
是レ明治三十七八年役戰利品ノ一ニシテ我カ勇武ナル軍人ノ熱血ヲ濺キ大捷ヲ得タル記念物ナリ茲ニ謹テ之ヲ獻シ以テ報賽ノ微衷ヲ表シ尚
皇運ノ隆昌ト國勢ノ發揚トヲ祈ル
 明治四十年三月
     陸軍大臣寺内正毅
         正八位物部福臣謹冩

 合祀碑の方は殆どの文字ははっきりと残っているのだが部分的に薄くなっていたり崩し字で読めない所があったりするので書き写すのは諦めた。
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小学校修築記
明治五年政府下令立小學於町村北足立郡大和田與隣村共設一校後合大砂土村村中凡有三校而大和田居其一二十五年列尋常小學生徒益進然修廢寺而充校教室狭隘引光不冝師生倶難三十四年七月父老會區民議修築僉兪之乃醵千有餘金而充其費置委員若干而■事八月起工炎熱不倦工精夫勵夙夜拮据越九月成地則高燥舍則面陽構造堅牢引光得宜舍師有屋游習有塲百爾完備庶幾無遺憾矣三十五年得併置高等小學於戯非地豐人富仁美之里則焉能至于此爾今爾後登斯校修斯學者其可不亦益自勉而舉其績以報父老之徳乎
 明治三十五年九月
    埼玉縣北足立郡長正七位勲六等早川光蔵撰文并篆額
                   同郡書記田山嘉十郎書

 ■部分は廾の左上中央上右下に丶が付き、その下に目と言うもので、IMEパッドを使っても出て来ないのでわからない。
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 日露戦争記念碑と神宮拝詣之碑。
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 神輿庫だろうか。
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 さて、ここから南西に200m程、天神山公園の東側に大和田天神社があるのだが……見落としていたぁー ○刀乙
 この日は他にも植竹稲荷の西にある定慶稲荷も見落としていたし・・・・・・あー、また後であちらに行った時に参拝して来ることにしよう。

稲荷社(見沼区大和田町二丁目)

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 大和田駅の北側に鎮座する稲荷社(さいたま市見沼区大和田町二丁目)。
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 額には「正一位稲荷大明神」。
 扉には「賽銭泥棒等による破損防止の為お金は投入しないで下さい」と書かれたプレートが掛けられている。また、左下の小祠にも「お金はありません。開けないで下さい」とのシールが貼られている。
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