神明社(四谷二丁目)

IMGS8503s.jpg
 府中市立四谷文化センターの北隣に鎮座する神明社(府中市四谷2-44-4)。
IMGS8490s.jpg
 拝殿。
IMGS8511s.jpg
 斜めから。
 幣殿や鞘殿は無いので、本殿は拝殿の中に納められているのだろうか。
IMGS8493s.jpg
『神社名  神明社
 主祭神名 天照皇大御神
 由緒
 当社は三社宮神明社ともいいますように、三柱の神様をお祀りしております。主祭神は右にもあげてありますように日本人の総祖神であられる天照皇大御神(通称お伊勢様)、合殿には農耕神であられ、また食物の神でもあられる宇迦之御魂神(通称お稲荷様)、天孫ニニギノ命が高天原から降臨された折に道案内をされ、後に外からの悪神や凶事を防ぐ神になられた猿田彦命(通称塞の神、道祖神とも。)の三柱の神々をお祀りしております。
 例祭は、天照皇大御神が毎年九月十五日の午前十時から、宇迦之御魂神様が毎年二月初午の日の午前十時から執り行っております』
IMGS8507s.jpg
 末社。
 大きい建物は神輿庫か祭具殿だろうか。
IMGS8510s_20150424004715029.jpg
 末社。
スポンサーサイト

間嶋神社(住吉町三丁目)

IMGS8460s.jpg
 住吉町第三広場に鎮座する間嶋神社(府中市住吉町3-71-2)。
 左端の石柱には権現橋と刻まれている。
『ごんげんばし
この橋は、四谷用水の一流路、下モ河原(しもがわら)大堀に架かる権現橋です。橋の名は、昔、間島(あいじま)神社が「子の権現」とよばれており、橋が神社の入口に架かることに由来します』
IMGS8466s.jpg
 鳥居。
 台石に嵌められたプレートには昭和六拾貳年四月建立とある。
IMGS8483s_20150423224447c17.jpg
 拝殿。
 古くは子の権現と呼ばれていたと言うことは、御祭神は大己貴命なのだろうと思ったのだが、ググってみたら間嶋大神と書かれていた。秩父の子権現を勧請したものであるそうなので、つまりは大己貴命なのだろうけれど。
IMGS8481s.jpg
 末社。
IMGS8485s_20150423224445c61.jpg
 石橋供養塔。
DSCF2649s.jpg
 間嶋神社西側の道端に青面金剛。
 享保二十乙卯天九月とあるので1735年の造立。
IMGS8489s.jpg
 西から。

御嶽神社(住吉町四丁目)

IMGS8451s.jpg
 中河原駅の北西200m程の位置に鎮座する御嶽神社(府中市住吉町4-6)。
IMGS8447s.jpg
 拝殿。
IMGS8458s.jpg
『御嶽神社由緒
 御嶽神社は、江戸後期文政年間の記録には、山王御嶽合社とあり、山王神社のご祭神である大山咋神と、火災・盗難除けで名高い東国の霊場西多摩の御嶽山より勧請した大阿奈牟知命をご祭神とし、合せ祀っている。
 明治三年十月村社に列せられ御嶽大神と称したが、同二十九年四月に御嶽神社と改称した。その後同じ中河原の八幡神社を合祀、ご祭神は応神天皇である。
 古来より中河原村の鎮守であり、福の神、縁結びの神として崇敬された産土神である。
 また武蔵国の護り神である大国魂神社と同じご祭神であるとも伝えられている。
 例祭日は九月十五日である。
 平成十三年三月吉日』

小野神社(住吉町三丁目)

IMGS8416s.jpg
 JR南部線西府駅と京王線中河原駅の中間辺り、中央自動車道南側に鎮座する小野神社(府中市住吉町3-19-33)。
 社号標石には「延熹式内 郷社小野神社 多摩郡八座内」と刻まれている。多摩市の小野神社と共に「武蔵国多磨郡 小野神社」の論社とされており、どちらかが本社でもう一方が分社であるそうなのだが、どちらがそうであるのかはわかっていないとのこと。
 御祭神は天下春命と瀬織津比賣命の二柱。
IMGS8420s.jpg
 社殿。
DSCF2637s.jpgDSCF2636s.jpg
 狛犬。
IMGS8426s_20150423002537ac3.jpg
 本殿。
IMGS8430s.jpg
 末社。たぶん稲荷社。
 右側の石燈籠は宝暦七丁丑年九月とあるので1757年のものだ。
IMGS8442s.jpg
 破損した鳥居の残骸。
 明和二乙酉■正月吉日の文字が刻まれているので1765年のもの。
IMGS8441s.jpg
 小埜宮廟碑。
IMGS8445s_20150423002538e0b.jpg
 秋葉山と刻まれた石燈籠。

御嶽大権現(西府町一丁目)

IMGS8403s.jpg
 西府駅南口に位置する御嶽塚古墳頂に鎮座する御嶽大権現(府中市西府町1-60)。
DSCF2611s.jpg
『府中市指定文化財(史跡) 御嶽塚
 平成16年3月31日指定
 御嶽塚は、もともとは古墳時代に築造された古墳で、直径約25mの墳丘と、その周囲に幅約7mの溝がめぐる円墳でした。その後、中世になると屋敷を濠で囲む約200m四方の区画の中心に位置することとなり、さらに、江戸時代には信仰の対象として祀られることになったと考えられます。
 現在、塚上に祀られている石祠には「御嶽大権現 安政五午年 十一月吉日 小野宮 願主 内藤伊助」の銘があります。御嶽信仰は、山岳信仰のひとつで、中世以降さかんになり、江戸時代に各地に広まりました。小野宮は、現在の住吉町3丁目に所在する小野神社周辺の集落で、本宿村に属していました。
 西府文化センター周辺では、御嶽塚の他にも、古墳時代後期の6~7世紀はじめ頃に築かれた13基の古墳が確認されています。墳丘に配された円筒埴輪や石室に納められた圭頭大刀、金銅製の耳飾などが出土しています。これらの古墳は、この塚の名に因んで御嶽塚古墳群と呼ばれています。その範囲は、東側の新鎌倉街道から西側の国立市境付近にまでおよんでいます。
 御嶽塚の北方約500mの位置には、国史跡武蔵府中熊野神社古墳が所在しています。御嶽塚古墳群よりも後の時代に築かれたもので、上円下方墳という国内でも数少ない墳形の古墳です。発掘調査の成果をもとにして、当時の姿に復元されています』
IMGS8413s_20150422221803c37.jpg

稲荷神社(本宿町一丁目)

IMGS8392s.jpg
 JR南武線西府駅の東300m程の位置に鎮座する稲荷神社(府中市本宿町1-4-1)。
 こちらも由緒書きが無いのでググってみると、詳細は不明だが、織田信長によって滅ぼされた朝倉義景の一族が当地に逃れ、その氏神をこちらに祀ったものであるとの言い伝えがあるのだそうだ。

『稲荷道(いなりみち)の名は、この道が稲荷神社の前を通ることに由来します。この道は奇秀学校(現五小)の通学路で、「学校道」に対する下の道として「下(しも)の学校道」とも呼ばれます』
IMGS8396s.jpg
 鳥居の柱には昭和二十八年四月建之と刻まれているが、62年も経っているのに随分と汚れが少ないように見える。
IMGS8401s.jpg

浅間神社(美好町三丁目)

IMGS8367s_20150421215207a15.jpg
 分梅通りを八雲神社から150m程北上すると、浅間神社前交差点そばに浅間神社(府中市美好町3-42-2 )が鎮座している。
 鳥居の柱には嘉永七甲寅年二月吉日と刻まれているので、1854年の造立。また鳥居の手前右側には庚申塔が祀られている。
IMGS8376s.jpg
 こちらの青面金剛と三猿が彫られた庚申塔は延宝二年(1684)二月に造立されたもので、市内では最も古いものであるのだそうだ。また昭和四十六年と昭和六十二年に移転し、平成十三年五月に元地である現在地に戻って来たのだとか。
IMGS8380s.jpg
 拝殿。
 由緒書き等が見当たらないのでググってみると、明治四十一年(1908)に稲荷神社と合祀して現在地に遷座して来たもので、旧社地は現在の多摩総合医療センターの辺りになるそうだ。
DSCF2594s.jpgDSCF2595s.jpg
 狛犬。
 台座には昭和二年四月吉日と刻まれている。
IMGS8381s.jpg
 末社二社。

八雲神社(分梅町一丁目)

DSCF2577s.jpg
 分梅通りに面して鎮座する八雲神社(府中市分梅町1-18-5)。
DSCF2574s.jpg
 鳥居の柱には安永七戊戌歳三月吉日と刻まれているので1778年の造立。
DSCF2560s.jpg
『天王宮八雲神社「天王さま」の歴史
 当天王宮八雲神社は、古くは天王宮と称され祀られて居ました。
 明治初期の神仏分離令により当祭神は、神仏習合とみなされて八雲神社と改号されましたが、今日も分梅(分陪、分倍、分配)地域の鎮守様として多くの方達の心の拠り所として慕われ祀られてきております。
 天王宮の祭神は牛頭天王、八雲神社の祭神は素盞嗚尊でありますが合祀されております。
 当社の創設年は未詳であるものの、分梅通り(陣街道、古鎌倉街道)に面した境内の東北角(社地)には、元応元年(1319年)の木に抱かれた石板碑、享保九年九月(1723年)に祭神像、安永七年(1778年)に石造の鳥居等が現存しております。
 今より遡る事約七○○年以前には、社は存在していたと思われています。
 現本殿は、安政四年三月(1857年)鎮守御宮請負書に依りますと、但し三尺五寸社、大流れ造り、腰四手先組、柱上三手先組、巨細絵図面の通、引渡しは万延元年十二月(1860年)と記されておりますが、今回の修復(2007年)で文久三年三月(1867年)に完成したことが新に判明しました。
 造りの概略は、腰に組物が付き屋根は、千鳥破風と唐破風の付いた一間社流れ造りで壁面全てに彫り物が刻まれた総欅造りです。神社の配置は、本殿を覆屋で囲い前面に、拝殿を置き、間に瑞垣で仕切られた幣の間を配置した形式となっています。例年の祭祀「天王祭」は、かつては春(旧暦五月二十五日に斉行されて居ました)が近年では、七月十四、十五日に近い土、日曜日に神輿、太鼓の巡行と共に斉行されています。
 神社祈願は、疫病除け、縁結び、安産、子孫繁栄、無病息災、家内安全
等に願いを朝夕礼ともに尽くされて来たと伝えられております。
 この様に歴史を刻み先人達により残された貴重な遺産を守り多くの崇敬者の信仰心とも相俟って先人の遺徳を子々孫々に亘り引き継ぎ、末永く祭祀を斉行しこれからも多くの人々の拠り所として皆様と共に崇敬の誠を尽くしてまいりたいと思います。
 また同境内にある稲荷神社も天王宮と同じく古くより祀られております。
 祭神は稲荷神(宇迦之御魂神)この祭神は、農業、穀物の神様で当分梅もほとんどの家が農業を中心とした地域であった事から祀られて来たと思われております。
 当社の創設年は未詳でありますが、覆屋は、平成四年九月に改築しました。
 神社祈願は、五穀豊穣であります。
 例年の祭祀は、かつては二月最初の午の日に斉行されて居ました、近年ではその日に近い土、日の何れかの日に斉行されています。
 又、九月一日には台風の風害から作物を守る為「風祭」と呼ばれる祭りが斉行されて居ましたが、近年では専業農家も少なくなり現在、斉行は中断されております。
 さらに、神社境内の奥には、高倉古墳群の一つ天王塚古墳(六世紀後期)が未調査のまま唯一現存の古墳として残されております』
IMGS8349s.jpg
 拝殿。
IMGS8359s.jpgIMGS8360s.jpg
 狛犬。
IMGS8358s_20150421213245c12.jpg
 社殿斜めから。
IMGS8353s_20150421213244a61.jpg
 稲荷神社。
 この裏手が天王塚古墳なのだが、撮影しておくのを忘れた○刀乙
IMGS8365s_20150421213854593.jpgDSCF2579s.jpg
 元応元年の板碑(レプリカ)。
『府中市指定有形文化財 八雲神社脇の元応の板碑
 指定 平成元年八月二十三日
 鎌倉時代の中頃から室町時代の末までのおよそ三百年の間、府中では埼玉県秩父地方や比企地方で産する緑泥片岩を板状に加工した供養塔婆が盛んに造立されました。このような石造の供養塔婆を板碑と呼んでいます。
 市内からは大小様々の六百基を超える板碑がみつかっていますが、この板碑は市内では最大級であり、加えて古道の傍らにあって造立当時に面影を残しているとみられる貴重なものです。
 この板碑は元応元(1319)年十一月八日に、大蔵近之という人物が亡き父親道仏の十七年忌追善供養のために建てたものと考えられています。
 八雲神社境内のこの板碑は、風化が著しくなり現状での保存が困難になったため、現在は複製を設置しています。
 平成二十四年三月』

浅間神社(美好町三丁目)

IMGS8330s_201504202210433cd.jpg
 日枝神社から西へ180m程向かうと浅間神社(府中市美好町3-56)が鎮座している。
IMGS8326s.jpg
 本殿。
IMGS8327s.jpg

日枝神社(美好町三丁目)

IMGS8319s.jpg
 JR南武線分倍河原駅と西府駅の中間辺りに鎮座する日枝神社(府中市美好町3-61-1)。
DSCF2555s.jpg
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
ブログ内検索
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
最近のトラックバック
FC2カウンター
プロフィール

梁瀬

Author:梁瀬
無駄な徘徊でCO2を増やす、
方向感覚に不案内なヒト

リンク
RSSフィード