稲荷神社(彦成五丁目)

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 彦成五丁目公民館脇に鎮座する稲荷神社(三郷市彦成5-278-3)。
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 拝殿。
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 青面金剛と末社。

 この時は丁度地域の方々が公民館に集ってなにやら催しごとを行っていた為、邪魔にならぬようさっさと撤退。以上で12月12日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA20-40mm、DA15mm、DA35mm Macro、50-150mm II。X30。
 ウォーキングカウンターは21,942歩。
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仁蔵稲荷神社(仁蔵)

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 武蔵野物流早稲田営業所の北側に鎮座する仁蔵稲荷神社(三郷市仁蔵181)。
 鳥居の柱には「平成十八年六月吉日」と刻まれている。
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 拝殿。
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 青面金剛と浅間大菩薩。
 青面金剛の側面には「寶暦八戊寅年(1758)」、浅間大菩薩の側面には「天保十二■年(1841)十一月吉日」と刻まれている。天保十二年の干支は辛丑なので、破損している部分の文字は丑だろうか。
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 青面金剛を前から。
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 仁蔵稲荷神社そばの道路際に鎮座する稲荷社。境外末社なのだろうか。
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天満宮(早稲田四丁目)

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 大場川に架かる仁蔵橋の北側、ジュネスワン稲垣の隣に鎮座する天満宮(三郷市早稲田4-24-3)。
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 拝殿。
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 落成記念碑。
『建設の概要
この度当地仁蔵天神社所有の土地大場川通一八五の一(八八・五)坪を賣却し神社建設資金の主体として新築計画を立て、下の通りの建造物を建設す
 一、天満宮社    一棟
 一、辨財天社    一棟
 一、鳥居      一基
 一、幟       一対
 一、幟枠      一対
 一、石燈籠     一対
 一、土囲ブロック塀 一式
  石工 三郷市 篠田又蔵
  棟梁 流山市 国井敏勝
 昭和五十五年庚申年十一月吉日』
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 辨財天社。
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 青面金剛塔と水神宮。
 青面金剛塔の側面には「寛政九巳(1797)十一月吉日」、水神宮の側面には「天明五乙巳年(1785)十一月吉日」と刻まれている。

稲荷神社(早稲田三丁目)

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 三郷市消防団第一分団第4班機械器具置場の南隣に鎮座する稲荷神社(三郷市早稲田3-28)。
 鳥居の柱には「昭和五十三年初午改築記念」と刻まれている。
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 拝殿の手前には末社があるが、何神社なのかはわからなかった。台座の背面には「昭和五十三年九月改築記念」と刻まれたプレートが埋め込まれている。
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丹後稲荷神社(早稲田八丁目)

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 埼玉県道21号三郷松伏線に面して鎮座する丹後稲荷神社(三郷市早稲田8-17-8)。
 ググってみると、当社の創建は元和元年(1615)二月で、明和七年(1770)九月に稲荷社と称したとのこと。元来はこの地を拓いた伊原氏の屋敷の鬼門封じとして建てられたものが、村が大きくなるにつれて村の鎮守として崇められるようになったのだそうだ。
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 社号標石の左側には「萬葉遺跡葛飾早稻發祥地 昭和三十六年九月一日埼玉縣指定旧跡」と刻まれた標石が建てられている。
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 鳥居。
 向かって右側の柱には「天明六丙午歳春三月吉辰」、左側の柱には「昭和四十七年十月吉日」と刻まれている。1786年に建てられた鳥居が1972年に再建されたと言う事だろうか。
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 拝殿。
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 お狐様。
 台座には昭和四十七年十月と刻まれている。
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 鮮やかな彩色の彫刻だが、社殿全体がここ二年程の間に塗り直されたばかりのようだ。
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 拝殿左側の祠には天満宮と天照皇太神宮。右の祠には稲荷大明神。
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 社殿南西側から。
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 万葉歌碑。
 「にほ鳥の葛飾早稲を饗すともその愛しきを外に立てめやも」
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 お狐様。
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 右側のお狐様を横から見ると、こう。
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金平神社(早稲田八丁目)

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 三郷市立前間小学校の前、埼玉県道21号三郷松伏線脇に鎮座する金平神社(三郷市早稲田8-12)。
 社名を記したものは見当たらなかったが、GoogleMapに表示される写真を見ると金平神社とあるので、そうなのだろう。
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 丸に抱き茗荷紋が付いているが、これはこちらの神社を建てた方の家紋であろうか。
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 記念碑が建てられているが、手前の植木に遮られて全文を読み取ることができない。
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稲荷神社(小堀谷)

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 常磐自動車道三郷料金所の東側、小堀谷公民館脇に鎮座する稲荷神社(三郷市小谷堀276-1)。
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 鳥居の柱には「昭和五十六年六月吉日建之」と刻まれている。
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『移転記念碑
 当地は江戸時代初期頃開発が進み、二郷半領小谷堀村と称せられし頃より稲荷神社及び長養寺並びに共同墓地等、字鯛沼二五九番地を中心に隣接して所在し、三百有余年の永きに亘り、其々部落民の自治と信仰と地域社会住民の心のよりどころとして、其の機能を果たしつつ、今日に至れり。
 然るに昭和四十七年日本道路公団起業常磐自動車道建設計画が示され当該地を含む附近に料金所設置されるに及び、之等は総て全面移転の已むなきに至り、共同墓地は移転先の用地選定に困難を極めしも現菩提寺である光福院の隣接地を取得しえて、昭和五十五年全面発掘し改装を行い合同供養を行えり。而して他の用地は新たに現土地を買受け造成し一部を境内地となし昭和五十六年稲荷神社社殿を造榮し併せて鳥居燈籠等の附属施設と共に完成した六月遷宮を行い、旧長養寺跡に建築し使用中の公民館(集会所)は之を解体して新たに建築し大師堂も共に改築して昭和五十六年十一月竣工祝賀行事を行えり。其の後引続き五十七年改めて同工事の一環としての送電線鉄塔建設の為新敷地の一部買収となりし為入口附近を拡張し環境を整備し翌五十八年江戸中期頃より当地に連綿として伝はる狼塚よりの大般若供養塔を新たに堂を建立して之に納め部落永遠の平安と加護を祈念す。
 右工事計画発表以来十有余年、其の間関係者一同、心魂を傾注して之が対策に当り、一致協力して当地区未曾有の大事業を達成したこの機に、其の経緯の概要を誌して後世のための記念と爲す。
 昭和五十八年十一月吉日』
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 稲荷神社本殿。
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 出征者記念碑、稲荷神社改築記念碑、四国土州醫王山冩四十二番正一位稲荷大明神、戦役馬紀念碑、不明。
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 大師祠と観音祠。
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稲荷神社(後谷)

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 後谷公民館脇に鎮座する稲荷神社(三郷市後谷227)。
 鳥居の柱には「平成二十五年十月吉日」とのプレートがある。
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 拝殿
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 左奥には水神宮。他に六地蔵やら阿弥陀如来やら。

半田稲荷神社(半田)

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 JR武蔵野線新三郷駅の北600m程、半田公民館脇に鎮座する半田稲荷神社(三郷市半田430)。
 鳥居は昭和五十七年十二月吉日の造立。
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 拝殿。
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『稲荷神社
 市の北部に位置する半田は、かつて二郷半領と呼ばれていた農業地帯の一角を占めている。二郷半領は、葛飾早稲の通称で知られる早場米の産地として有名で、一説によると、当社は、古河公方が室町時代の初期に、この穀倉地帯を掌握するするために、自ら勧請した金町(現東京都葛飾区)の半田稲荷神社の分霊を、重臣の中村三郎胤隆に命じてこの地に祀らせてことに始まるという。
 近世においては、延宝二年(1674)三月に天神・弁天(現厳島神社)の二社を末社として勧請しているほか、享保三年(1718)十月十一日に宗源宣旨を受け正一位稲荷大明神に叙されている。また棟札によれば、寛政十二年(1800)に社殿を再建している。
 「風土記稿」半田村の項に、当社は「稲荷社 村の鎮守なり、万勝寺持、末社弁天 天神 庵 不動を安ず、社守の僧居れり」と載っている。この文中に見える庵は、神仏分離によって廃された後、社務所として建て直され、更に昭和四十三年には、半田地区の集会所とされ住民の利用に供している。なお、明治の初めまで当社を管理していた万勝寺は、明治四十二年六月に地内の観音寺を合併し、寺号を万音寺と改め現在に至っている。
 一方、神仏分離の後、当社は万勝寺の管理を離れ、明治六年には半田村の村社となった。神職は数度の更迭の後、恩田家が務めている』
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 天神社と厳島神社。
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 力石。
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 左から石燈籠、青面金剛(寛政四壬子天十一月吉日)、八大龍王・水神宮(天明三癸卯年三月六日)、青面金剛(文化八辛未十二月吉日)、青面金剛(文政九丙戌年十月吉日)。
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稲荷神社(栄一丁目)

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 中川の東岸そばに鎮座する稲荷神社(三郷市栄1-283)。
 酒井公民館と記された看板が掛けられているので、神社と公民館を兼ねているようだ。現在の地名は栄だが、かつては酒井と書いていたのだろうか。
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 ここから200m程南西の埼玉県道67号葛飾吉川松伏線脇にある境木公民館の隣にも稲荷神社があるのだが、それは後になってから気付いたことなので、この時はそちらには行っていない。ぐぬぬ。
 以上で12月5日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA20-40mm、DA15mm、DA70mm、DA FISH-EYE 10-17mm、50-150mm II。X30。
 この後は友人の勤務先で食事を摂り、それから帰宅。ウォーキングカウンターは32,521歩。

稲荷神社(谷口)

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 谷口西町集会所脇に鎮座する稲荷神社(三郷市谷口35)。
 鳥居の柱には「昭和六十三年十二月再建」と刻まれている。
 ググってみると、延享三年(1746)の創建で、明治四十年(1907)に稲荷社、辨天社、第六天社を合祀したとのこと。
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 参道。
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 お狐様。台座には「平成十一年十二月吉日」と刻まれている。
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 お狐様。台座には「慶應三丁卯十一月吉辰」と刻まれている。慶應三年は1867年。
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 二の鳥居。
 柱には「旹天明五乙巳龍集十二月吉祥日」と刻まれているので、1785年の造立。
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 お狐様。台座には「于時慶應三丁卯十一月吉辰」と刻まれている。
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 拝殿。
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 屋根の上には狐の形の留蓋瓦。
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 石の扁額にも狐の姿が。
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 庚申塔を収めた祠。その横には力石。
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 享保十四己酉年(1729)造立の青面金剛と、元禄二己巳年(1689)造立の庚申塔。
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 末社。何神社なのかは不明。側面には「寛政七卯年十二月吉日」と刻まれているので1795年の造立。

香取神社(花和田)

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 三郷自動車教習所の東、花和田町集会所脇に鎮座する香取神社(三郷市花和田416)。
 鳥居の柱には「平成十四年一月吉日」と刻まれている。
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『香取神社
 所在地 三郷市花和田四一六番号
 香取神社は、千葉県佐原の香取神宮を本社として、文明年間(1469~1487)に勧請した神社で、明治四十年二月五日神明神社、稲荷神社、羽黒山を合祀した。
 現在の中川は昔の利根川であり、この地方は下総の国になっていた。このため現在の中川の東側は香取神社が祀られ、西側は武蔵国で氷川神社が多く祀られていた。その後、江戸時代になってこの地方は江戸川の西側となり武蔵国になった。
 当神社の祭神は、経津主之命(別名伊波比主之命)で、その他に天照皇大神、宇賀能魂命、須佐之男命、伊弉再命、八大龍王命が合祀されている。
 合祀されている祭神のうち八大龍王命は、昔この地方の八人の名主が水害からこの地方を守うため、人柱となってくれた八人の命を水神様として祀ったものである。
 祭例は、元旦祭(一月十二日)、初午(二月の初午日)、夏祭(七月十五日)、秋祭(お日待、十月十五日)である。このうち夏祭は、以前山車と囃子で村回りをしていたが、現在は御神輿で町内を回っている。
 昭和六十一年三月』

 伊弉再命の振り仮名が「いざなぎのみこと」となっているのだが、伊弉諾命(いざなぎのみこと)なのか伊弉冉命(いざなみのみこと)なのか、どちらなのだろう。

『花和田香取神社改築経緯
 当社は昭和七年に建築された社殿の老朽化が進み雨漏りや屋根瓦が落ちてくるなど危険な状態となっていた。
 このため建設準備委員会が組織され平成十二年四月に氏子一同が決議し社殿厄神様神輿小屋を改築する事となる。
 建設資金は当社を崇敬信奉する多くの人々から寄付金が奉納され総額一億一千百九十五万六千円となる。
 建築工事は宮司の鈴木重保氏をはじめ氏子一同の協力を賜りながら建設委員会が中心となり平成十二年十一月に着工し平成十三年十月に上棟式を挙行し平成十四年七月に完成する。
 また建設資金より一千八百八十万円を町会に寄付してかねてから町会住民の念願であった集会所を併せて建築する事となる。
 ここに当事業にご尽力された方々や工事関係者に深く感謝し神のご加護と氏子一同の繁栄を祈念すると共にその功績を永く後世に伝える。
 平成十五年三月吉日』
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 参道左手側に羽黒神社、稲荷神社、八大龍王・水神宮。
 いずれの石祠も側面に「天明八戊申年正月吉祥日」、背面に「奉納(再建) 昭和五十九年一月吉日 花和田 田口政雄」と刻まれている。
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 厄神社。
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 狛犬。
 台座には「平成十五年七月吉日」と刻まれている。
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 拝殿。

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 香取神社の南西150m程の道端に鎮座する観世音菩薩と青面金剛。
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 観音像は延享三丙寅年(1746)冬吉辰の造立。青面金剛は製作年が刻まれていないが、手前の石柱には「天明三癸卯年(1783)正月吉日」と刻まれている。

熊野神社(彦江一丁目)

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 真言宗豊山派狩場山密乗院の北東に鎮座する熊野神社(三郷市彦江1-206)。
 彦江神社に合祀された密乗院持ちの熊野社が合祀後もこちらで祀られていたのだろうか。ググってみても全国の熊野神社を専門的に紹介しているサイトしかHitしないし、図書館に行って「三郷市史 民俗編」を見てもそれらしい記述は見当たらない。
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 こちらの、半ば草に埋もれかけている石祠はなんだろう?
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 GoogleMapに表示される写真を見ると以前は祠があったようなのだが、現在は鳥居のみが残っている。
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彦江神社(彦江一丁目)

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 彦江一丁目交差点のそばに鎮座する彦江神社(三郷市彦江1-152)。
 鳥居の柱には「平成二十三年一月吉日」と刻まれている。四年…と言うかほぼ五年前に建てられたばかりだ。
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 拝殿。
 賽銭箱の側面には「彦江村々社 彦江浅間神社」と刻まれているように、元々は浅間神社であったのだが、明治四十年二月に村社香取神社、釈尊寺持ちの日枝社と熊野社、密乗院持ちの熊野社を合祀した際に彦江神社と改称したのであるそうだ。
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 小御嶽石尊大権現・稲荷大明神合殿。
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 三峯神社。
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 貞享三年(1686)十一月造立の青面金剛と熊野神社。
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香取神社(彦沢一丁目)

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 彦沢集会所脇に鎮座する香取神社(三郷市彦沢1-63)。
 鳥居の柱には「平成九年六月吉日」と刻まれている。つまり1997年の造立。
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 参道左手側に力石。
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 参道。
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『香取神社並公民館完成記念之碑
埼玉縣武藏國北葛飾郡彦成村大字彦澤字内沼
 村社 香取神社
一、祭神 經津主命、武甕槌命、天児屋根命、比賣神、大日孁貴命
一、由緒 當社ハ元和年間村中協議ヲ以テ下総國香取神社ヲ遷
     シ祭リテ以テ村社ト號ス 其後年数ヲ經過シテ天保
     年中ニ方テ再ヒ本社ヲ創建セシト云フ 明治五年四
     月村社ニ許可 同四十年二月五日同村大字同字同無
     格社神明社ヲ合併
 以上の神社が合祀され外に十一面觀音立像が祀られ氏子一同の厚い守護神として、元和西暦一六一五年江戸時代初期の時代から今日に至るまで氏子の為に守護なされた尊い神様である。氏子の安泰は元より家内安全の為、何人と言えども宮司以外は絶對に御神体に手を俯れてはならぬ、過去に於て尊い人命を失って居る子孫繁栄の為、記念碑にきざみ後世に伝え置く。此様にあらたかな御神体を御祀りし神社も大東亜戦争の終戦を迎えてから米軍に占領され、信仰の自由となり村社に對する崇拜の念益々薄く、遂に屋根瓦は飛白き壁も落ち見るも無惨な神社に変り果てたのである。其の間十数年の間誰一人神社の事に付いては一言も言う者はなかった。たしかに神社どころではなかった其の日其の日の食糧すらない時代であった。そうゆう苦しみの中にやっと明るい灯が見えたのは、昭和二十七年当時に初めて社務所の建設と言う夢の様な話が出た。当時の区長鈴木惣次郎氏宅に於連夜の常会であった。総工費二十七万円、建設資金十三万円、残十四万円を三年拂と言う事で可決され、同年十月十五日には盛大な記念式典が行われた。当時の宮司鈴木重昌総代に、故鈴木明吉、故鈴木親吉、故鈴木惣次郎、故杉𣘺久三郎、故田中瀧藏、鈴木隆吉の各氏、以上の方々の教訓と資料を参考とした先輩達の指導の賜である。この頃から漸く氏子の方々の生活に於て潤いが出来、昭和五十三年頃から修理か新築の声がきこえる様に成って来た。一月十五日の例大祭に総代から此の問題に付いて提案されたが誰一人の発言もなかった。それ以上に茫然としたのは宮司から神社法人としての設立が先決である。それ以来宮司並総代が一丸となり一日も早い登記にと専念、遂に昭和五十四年五月十五日登記の完了となった。前後したが、同年一月十五日の例大祭に同様提案、漸く目出度い座敷に於て神社の新築、公民館も同様新築と決定された。愈々其の行動が開始され総代が七名、建設委員が十名、選出され十七名に依り、一日も早い完成にと夜も徹して打ち込んだのである。資金に付いては裏の山林を売却、神社の建築費とし二阡四百万円(当時米一俵一万六阡四拾円)を着手、続いて公民館代金壱阡七百六拾三万四阡円、其の資金に付いては前回同様三ヶ年拂の寄付と決定したのである。これは元より御神徳に依るものとは言え氏子の方々の並々ならぬ眞心の賜である。翌年昭和五十五年二月二十九日公民館の上棟式、続いて神社と設計施工者の努力に依り順調に進み、同年九月十三日町民あげての盆踊り大会、十四日には落成記念式典が嚴そかに行われた。遷宮祭には宮司三名、稚児百名、氏子総出に依り木の香漂う荘嚴な社殿に奉遷鎮座なされたのである。石原工務店並氏子一同の御苦労に對し髙く評価すべきである。神社庁より御褒めの禮状も当然ながら心暖まる氏子の方々には只々感謝の外ない。どうぞ其の心意気を記念碑に託し、皆様方の御功徳を後世に伝え、生涯忘れる事なく御神徳を得、子孫繁栄の為、強く正しい氏子である事を心から御願い申しあげる。
 昭和五十七年九月十四日』

 御祭神の名を見ると、香取神社と言うよりも春日神社であるような気がしてくる。
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 狛犬。
 台座には「平成十年十月吉日」と刻まれたプレートが埋め込まれている。
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 拝殿。
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 左は額の文字が流れていてわからないが、ググって見ると稲荷社のようだ。右も額の文字が薄れているが、なんとか水神宮・天神社であることがわかる。

拾町稲荷神社(番匠免一丁目)

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 篠田稲荷神社の南東200m程の位置に鎮座する拾町稲荷神社(三郷市番匠免一丁目)。
 鳥居の柱には「昭和五十三年初午 篠田又蔵」と刻まれている。
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 拝殿。
 手前の石燈籠は左の物が天明四甲辰年(1784)二月、右の物が天明九己酉年(1789)二月の造立で、前面には「奉納正一位拾町稲荷大明神」と刻まれている。
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 お狐様。

篠田稲荷神社(番匠免一丁目)

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 真言宗豊山派彦峯山観音寺迎攝院の東側に鎮座する篠田稲荷神社(三郷市番匠免1-248)。
『篠田稲荷神社由來碑
一、抑々上グ篠田稲荷神社ハ寶暦壬申二年二月篠田又兵ヱ外二名デ和泉国現大阪市泉北郡信太村信大森(篠田森)葛葉稲荷神社神主正四位松本和泉守様ニ御成願御分霊ヲ賜リ此ノ地ニ勧請シ奉ル
一、天保五甲午年二月建替 大工篠田久藏 施工者篠田常七五十二才
一、明治四十一戊申年十月政令ニ依リ村社神明神社ニ合祀ス
一、大正十三甲子年一月一日神明神社ヨリ歸社
一、昭和四十八癸丑年八月八日ヨリ稲荷神社敷地ヲ定メ玉垣ヲ造ル
一、昭和四十九甲寅年二月神明神社ヨリ歸社五十年記念ニ付改築 大工篠田忠明』

 大阪府和泉市葛の葉町一丁目の信太森葛葉稲荷神社より勧請した神社で、御祭神は宇迦御魂神、大己貴命、大宮姫命、素盞男命、猿田彦命、若宮葛乃葉姫の六柱。
 石碑に刻まれた社掌や世話人の名はいずれも篠田姓であるので、篠田一族によって祀られて来た神社なのだろう。
 鳥居の柱には「昭和五十八年一月吉日」と刻まれ、また参道端には「社屋修繕境内整備 昭和六十三年十月完了」と刻まれたプレートが埋め込まれていた。
IMGS5546s_2015121123441396b.jpgIMGS5547s.jpg
 お狐様。
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 拝殿。

神明神社(番匠免一丁目)

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 番匠免公民館の隣に鎮座する神明神社(三郷市番匠免1-126)。
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 狛犬。
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 拝殿。
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『神明神社
 所在地 三郷市番匠免一丁目一二六番地
 神明神社は、延元元年(1336)の春勧請し、明治四十年稲荷神社を合祀した。祭神は、大日靈貴尊(別名天照皇大神)で宇賀能魂命が合祀されている。
 祭礼は、元旦祭、例祭(御備社祭、一月二十日)、月次祭(毎月一日)、夏祭(大般若祭、七月七日前後の日曜日)、秋祭(お日待、十月十五日)である。
 例祭は、氏子一同の安全、天下泰平、五穀豊穣、開運等諸願成就を祈願する祭礼である。
 夏祭は、僧侶が神社で大般若をめくりながら読経し、終ると大般若を六個の箱に納めて天秤で担いで町内を練り歩いて各戸を回る。玄関にて箱をトントンと六回置いて次に回り、当番の家では、どの箱の一つに乗ったり、結んである縄などをちぎったりして五穀豊穣、無病息災を祈願している、
 秋祭は、豊作等に感謝する祭礼で、昔は宵宮から村中の人々が集まり、語り合いながら朝日の出るまで宴が行われた。
 なお、神明神社は、平将門(940年没)が守り神として長く信仰した神社として知られている。
 昭和六十一年三月』
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 力石。
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 豊受稲荷神社の鳥居。
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 豊受稲荷神社。

上口天満宮(上口一丁目)

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 真言宗豊山派神霊山善照寺の東に鎮座する上口天満宮(三郷市上口1-138)。
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 天満宮のすぐ南側に青面金剛と地蔵菩薩。
IMGS5484s.jpgIMGS5483s_20151211211140281.jpg
 青面金剛は享保二十一丙辰年(1736)二月、地蔵菩薩は享保十八癸丑年(1733)十一月の造立。
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 地図に記載が無かった為天満宮の存在は知らなかったのだが、善照寺の南側にある上口公園入口脇の柵に案内図が設置されていたので気付くことができた。
 そしてGooglemapに表示される写真を見ると天満宮の30m程南に水神宮があるのだが、民家の敷地っぽい感じだなぁコレ。

香取神社(上口一丁目)

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 子神社の南西230m程の位置に鎮座する香取神社(三郷市上口1-74)。
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 一の鳥居。
 柱には「耕地整理決裁金使用 八幡型鳥居修復工事 平成十六年四月吉日」と刻まれている。
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 二の鳥居。
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『神護爀灼之碑
吾里人皆崇祖敬神念敦ク古来伊勢講ヲ設ケ代拜者ヲ沠シテ里中ノ安寧ヲ祈願スルヲ恒トセリ大正十二年三月十七日社掌鈴木市太郎嚮導シテ下記十二名伊勢大廟ニ參籠太々神樂ヲ献シ神明ヲ慰メ奉リ歸路春日神社明治天皇廟熱田神宮北野神社平安神宮八坂神社伏見稲荷社等遍ク歴詣回禮行程半ヶ月ニ達セリ
此歳偶々九月一日午刻地大ニ震ヘ我武藏國慘害最モ甚シク家屋倒潰焼失三十餘萬戸死者七萬餘人ニ達ス而しテ吾里獨リ災害ヲ免レ京濱ノ罹災民三百餘名ヲ救恤セシハ同日同刻香取社ニ於テ激震中毅然鈴木社掌ノ月次祭ノ祝詞ヲ奉頌シ天照皇大神八百萬髪ニ里中ノ無難ヲ祈願セルト里人等百年不倦不怠崇祖敬神ノ赤心神明ニ通シ其加護ノ賜也即チ神護爀灼ノ徳ヲ碑ニ銘シ是ヲ後世ニ貽ス矣』
IMGS5430s.jpgIMGS5432s.jpg
 台湾産っぽい獅子。台座には「昭和六十一年二月二十六日建立」とある。
IMGS5435s.jpgIMGS5437s.jpg
 狛犬。
 台座には「大正十四年七月吉日建設」と刻まれている。
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 拝殿。よく見えん。
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『市指定無形民俗文化財 二郷半囃子・里神楽
 上口香取神社に合祀されている八坂神社の祭礼として、毎年七月十五日に行われるものであり、これは氏子の安全、厄病退散・五穀豊穣を祈願して行われるものである。このとき祭りを盛り上げるために行われるのが囃子と神楽である。
 この囃子は二郷半囃子といわれ、俗にいう五人囃子で、笛・太鼓・鉦などの楽器を使用し演奏される。流派は葛西囃子系であり、始まりは明治時代であるという。曲目はアゲ・囃子・聖天・鎌倉・四丁目・タマがある。
 また、上口地区で伝承されてきた神楽は俗に言う里神楽(民間で伝承されてきた神楽の総称)と言われ、祭りの余興として囃子とともに、舞われているものであり、その起源は江戸時代末期であると伝えられている。演目はサンバ・大蛇退治・恵比寿の鯛釣り・狐釣りなどがある。いつでもどこでも簡単に演出され、軽妙・洒脱・素朴で広く市民に親しまれている。
 指定年月日 昭和五十年二月二十九日』
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 拝殿斜めから。
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 本殿。
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 末社合殿。
 中には大六天社、八坂社、稲荷社、八幡社、羽黒社の五社が合祀されている。

子神社(彦倉一丁目)

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 彦野女體神社の350m程南に鎮座する子神社(三郷市彦倉1-60)。
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 拝殿。
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 狛犬。
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 大杉神社と稲荷神社。
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 稲荷大明神、水神宮、疱瘡神社、庚申塔。
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 神楽殿。
 破風には木の羽団扇が飾り付けられている。

彦野女體神社(彦野一丁目)

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 三郷市立彦成小学校の北東に鎮座する彦野女體神社(三郷市彦野1-42)。
 鳥居の柱には「文化七庚午九月」「世話人 宮田彦五郎 淺賀冨右エ門 鈴木■右エ門」と刻まれている。■の部分は由だか庄だかちょっとわかり難い。ちなみに文化七年は1810年。
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 参道に張り出した松の枝で拝殿はよく見えない。
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 拝殿斜めから。
 ググってみたところ、こちらの神社は筑波山神社の女神を勧請したもので、創建年代は不明ながら元禄十年(1697)には既にあったとの記録があるそうだ。
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 稲荷神社。
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 荒神宮。

香取神社(彦川戸一丁目)

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 上彦名香取神社の南西130m程、彦川戸公民館脇に鎮座する香取神社(三郷市彦川戸1-250)。
 鳥居の柱には「明和四丁亥立春吉祥日」と刻まれているので、1767年の造立。
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 狛犬。
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 拝殿。
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IMGS5278s_20151207213828574.jpgIMGS5276s.jpg
 向拝虹梁に施された彫刻。
IMGS5298s.jpgIMGS5300s_201512072138262df.jpg
 鳳凰と雉。
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 末社。
 何神社なのかわからなかったのでググってみたところ、八坂社と稲荷社の合殿であるようだ。
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 末社。
 右側は八大龍王・水神宮。側面に「天明三卯年三月吉日」と刻まれているので、1783年の造立。
 左側は何神社なのかわからなかったが、ググってみたところでは天神社であるそうだ。
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 末社。
 右三つ巴紋が付いているだけで社名は記されておらず、何神社なのかは不明。

香取神社(上彦名)

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 上彦名集会所脇に鎮座する香取神社(三郷市上彦名265)。
 鳥居の柱には「寶暦十年辰正月吉日」と刻まれているので、1760年の造立。
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 拝殿。
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 狛犬。
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 菅原道真公像とお狐様があるので、天神社と稲荷社が合祀されているものと思われる。
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女体神社(采女一丁目)

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 JR武蔵野線新三郷駅の西およそ650m程、采女集会所の脇に鎮座する女体神社(三郷市采女1-109-2)。
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『記念碑
当地ノ古事ハ記録無ク正確ニ記ルス事困難ナルガ森采女ト稱スル人
信田家ニ仕ヘシテ彦糸村ニ土着新田ヲ開拓セル故采女新田ト呼稱サ
レシト傳ヘラル 本村古時八木郷風早庄二合半領ニ属ス元彦糸村ノ
内ナリ貞享年中分村新田ト稱ス元禄八年地検ノ時ヨリ森采女ガ居村
ニ属セシヲ分村采女ガ名ヲ唱ヘ采女新田ト呼稱セリト云フ
明治二十二年町村制施行ニ際し彦成村ニ編入昭和三十一年町村合併
ニヨリ三郷村トナリ同四十二年町制施行三郷町大字采女新田トナル
当地ハ往時ヨリ稲作ヲ主トスル農業ニテ地形平坦地味肥沃ニシテ耕
地宅地ニ近ク其ノ惠マレタ農業状件ヲ生カシ一戸当リノ米生産量ハ
当町一二ヲ誇リ居リマシタガ昭和四十二年武藏野東線繰車場敷地ト
シテ面積ノ七割ヲ国鉄ニ買収サレ昔日ノ面影ハ一変セリ依ツテ当地
ノ沿革詳細ヲ記シ後世ニ記念スル
      昭和四十三年七月吉日  松本義春』
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 三峯神社。
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 左から八大龍王・水神宮、辨財天、不明(巳待講中とあるので、こちらも辨財天と思われる)、不明(大権の文字だけ確認)。
 八大龍王・水神宮は側面に「天明七未歳八月吉祥日」とあるので1787年の造立。左から三番目の石祠は側面に「奉建立巳待講中」「元文二丁巳年十月吉日」とあるので1737年の造立。
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稲荷神社(谷中)

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 谷中集会所脇に鎮座する谷中稲荷神社(三郷市谷中52-1)。
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 鳥居の柱には文化九申歳二月初午と刻まれているので、1812年の造立。
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 拝殿。
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 本殿。
 前部分が張り出しているのは珍しいような気がする。
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 後ろから。
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 日枝神社と天神社。
 鳥居の柱には「當社草創天正十九歳再ニ建文政十三年」「奉納主里正石井九卋宗右衛門源■政」と刻まれている。■の部分は忠なのか足なのか定なのかよくわからない。当地に土着した初代の石井宗右衛門(または惣右衛門)は源政同と言う名であるようだが、この鳥居を奉納したのは九代目。ググってみても出て来ない。
 日枝神社の台座には「當社草創 天正十九年」「再建 文政十一子年 東武風早荘 八木之谷中邨」、天神社の台座には「草庵寺境内ニ安置ノ処明治八年五月遷座」と刻まれている。天正十九年は1591年、文政十一年は1828年。
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 諏訪大神、三寶荒神、不明、八大龍王・水神宮、不明。
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『抑本町稲荷神社ハ西ニ秀峰富士嶽ヲ望ミ東ニ滔々ト碧水ヲ流ス阪東太郎ヲ背ニ負フ所ニ位置シ其ノ昔延享四年三月大余ノ巨木ノ覆ヒ茂ル現在地ヲ神域ト定メ嚴ニ鎮座マシマシテヨリ轉興亡幾星霜流轉変々トシテ時ハ移ロ歴史ハ変レト靈験モ新タニ氏子ノ信仰ノ的トナリ松籟ヲ神殿ニ響カセツツ家内安全ヲ見守ッテ今日ニ到ッタノデアル
時昭和三十八年ハ九・十月ノ異状渇水ニ依リ東京都民ハ其ノ日ノ飲料水ニモ事缺ク程ノ水飢饉ニ襲ハレ爲メニ都水道局ニ於テハ緊急對策トシテ水量豊ナ中川ヨリ江戸川ニ導水シ金町浄水場ニ送リ都民ノ渇ヲ癒ヤス處置ヲ取リシモノナリ其ノ道水路ガ境内地ニアタリ緑ノ巨木モ伐採サレ境内地ハ削リ取ラレ昔ノ俤今何處トナリ此レヲ機ニ部落ニテハ樹木ノ代リニ周圍ヲブロック塀ニテ圍ミ境内地ノ石垣燈籠其他一切ノ修理改築セシモノナリ
昭和三十九年十二月吉日 石井春吉撰文 沖鶴丹書』

 ググると当社は天正十八年(1590)に石井惣右衛門源政同が勧請したと出て来るから、延享四年(1747)の創建と言うことではなく、その年に当地に遷座して来たと言うことだろうか。
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 力石。

 以上で11月21日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA20-40mm、DA15mm、DA70mm。X30。
 飲食店勤務の友人が三郷店に転勤になったと言うので、では行ってみようと思い今回は三郷市の神社巡りをしてみたのだが、店の方は結構混んでいたので寄るのはヤメ。まぁその内にまた行ってみることにしよう。その後は秋葉原まで行き、新刊を購入してから帰宅。ウォーキングカウンターは23,599歩。

稲荷神社(市助)

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 富足神社から南へ650m程、大場川の東岸に鎮座する稲荷神社(三郷市市助1-115)。
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『稲荷神社建設之碑
敬神崇祖ハ我國惟神ノ大道國体ノ要素國民精神ノ
樞軸ニシテ郷土愛ヲ涵養スル日本民族ノ基本ナリ
故ニ社殿ノ興廃ハ其部落ノ消長ヲトスル足ル茲ニ
當字氏子敬神ノ觀念ヲ振起シ浄財ヲ據集シ奮勵努
力一致シ報本反始ノ實テ揚ゲ當部落ノ隆昌ヲ企圖
セント欲シ至誠ヲ以テ社殿ヲ建設シタリ
 神ハ人ノ崇敬ニ依テ稜威ヲ増大シ人ハ神ノ加護
 ニ依テ福祉ヲ増進スト爾云
昭和七年十月建之  神職 鈴木市太郎 撰并書』
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 拝殿。
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 藁龍。
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 昭和七年(1932)十月造立のお狐様。
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 疱瘡神と水神宮。
 疱瘡神は天保五午年(1834)、水神宮は寛政十二申年(1800)の造立。
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 遠景。
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 大場川を挟んで西側に位置する曹洞宗圓通山興禅寺。
 右側の赤い屋根の御堂はなんだかわからないけれど、御堂の前に不動明王の線刻碑があったので、もしかしたら不動堂なのかも。

富足神社(岩野木)

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 大場川上流排水機場の南150m程、大場川に架かる岩野木橋の東側に鎮座する富足神社(三郷市岩野木119)。
 御祭神は面足尊、惶根尊、猿田彦命。
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『市指定無形民俗文化財 幸房・岩野木の獅子舞
 富足神社は社伝によれば、明治四十三年(1910)三月十五日、早稲田村大字岩野木と同村大字幸房の各社を合祀して成立したといわれている。社名は、同村幸房の福富神社の「富」と岩野木の面足神社の「足」を組み合わせて「富足神社」としたと伝えられている。
 獅子舞の起源は、言い伝えによれば、大水に見舞われた時に、三頭の獅子頭が江戸川に漂着し、疫病が流行ったためそれを鎮めるために獅子舞が奉納されたといわれている。
 演目は一庭といい、全部で七庭(花がかり、御幣がかり、かんぬきがかり、弓がかり、網がかり、橋がかり、女獅子がかり)ある。各庭では女獅子、中獅子、大獅子の順で舞い、その後、それぞれのかかりの舞になる。庭により笛の曲が異なり、最後に全ての庭で三頭が神前にひざまずいて終わる。この間、先導役の猿は、猿まね踊りをしながら、見物客と交わる。以前は、十月十五日に興禅寺境内で、翌十六日に富足神社境内で舞っていたが、近年の社会情勢の変化に伴い、十月十五日前後の日曜日を祭礼日として一庭を奉納し、その前日を宵宮としている。
 指定年月日 平成十五年三月十七日』
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 拝殿。
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 狛犬。
 台座には平成十七年十月吉日と刻まれており、社殿建て替えの落慶記念に奉納されたものである。
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『社殿建て替え造営工事竣工記念顕彰碑
 当富足神社は、明治三十九年の勅令第二百二十号に基づき明治四十三年三月十五日に大字幸房福富神社、大字岩野木字大堤添面足神社、並びに同字大堤外猿田彦神社、及び同村地内の稲荷神社三社と香取。稲荷合殿一社の七社が合祀され、福富の「富」、面足の「足」を合わせ富足神社と命名されました。内陣には、金幣二柱、男神像、女神像、正一位稲荷大明神の神璽が祀られています。これらはこの地域に点在分祀していた産土神であり、先人達の信仰の対象でありました。
 また明治四十三年八月の記録的な豪雨により、当地区の殆どが水没する未曾有の水害があり、当時河川を管轄する内務省が江戸川改修工事をするため、当地区内社の移転を余儀なくされるという事情もありました。移転用地は、内務省が氏子総代吉田氏から、大字岩野木一一九番地、面積三百三十坪を譲り受け、富足神社の境内地として提供されました。このような経緯から、大正二年一月二十三日に富足神社の上棟祭が執り行われ、今日に至っています。
 現在までに九十有余年の歳月が過ぎ、社殿の老朽化が進み、最早風雪に耐えることは至難な状態になっていたことから、ごく自然な形で神社を建て替えようとの気運が高まりました。その背景には平成十七年という年は、つくばエクスプレスの八月開通・三郷中央駅の開業に神社の建て替えを合わせようということがあります。また懸案の興禅寺建て替え工事完成にも刺激され、推進する風潮が高まりました。さらに先人達が信仰・崇拝してきた遺物を護持しようという氏子の気持ちが表われた結果ともいえます。
 平成十六年八月建て替え検討会が立ち上げられ、氏子会代表者の全会一致決定、九月建設委員会発足、十月建設常任理事会が設立、浄財の調達等が協議されました。各地区代表有志の資金勧誘には、多額の資金が集まり、更に外溝工事一式及び旧石祠の移設整備、狛犬の建立、手水所等の設備も整えられることになりました。これは、先人達の信仰した氏神様のご霊験とご加護によるもので、当地域の将来への発展と興隆を予兆しており、悦びに堪えないところです。今後とも天壌無窮、五穀豊穣、国土安穏、氏子安全、家門繁栄、所願成就を謹んでお祈りいたします。
 平成十七年に入り、三月八日地鎮祭、四月二十九日上棟祭執行、十一月三日本殿造営工事竣工落慶の運びとなったものです。
 先人達がこの地を生活の基盤と定め、開拓に粉骨砕身、努力して美田を作り後世に残された遺業を称えこれを継承し、ここに社殿建て替え事業の落成竣工に際してご協賛者各位に深甚なる敬意と感謝を申し上げ、碑にその顛末を記し、その名も刻して後世のため永くこれを顕彰いたします。
 平成十七年十一月三日』
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 水神宮x2、申田彦大神、香取神社、天神社。
 左の水神宮は天明六丙午年(1786)、右の水神宮は明治廿一年(1888)三月六日再建。申田彦大神は寛文九己酉年(1669)。香取神社は嘉永四年辛亥(1851)十月建立。天神社は天保五甲午歳(1834)六月再建。
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 青面金剛x2、庚申塔、青面金剛、不明。残った形から見て、馬頭観音だろうか。
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 ちょっとだけアップで。
 左は享保三戊戌歳(1718)九月。中央は享保元丙申歳(1716)十月。右はわからなかったが、冠や武器の造形、鳥の有無などに違いが見られるので、違う時代なのだろう。また左の邪鬼は褌をしめていたり、右は邪鬼が二匹いたりなどの違いも見て取れる。
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 不明、庚申塔x2、水神宮、不明。
 左端は文久二戌年(1862)。左の庚申塔は文政五年午(1822)四月……かな? ちょっと分り難い。右の庚申塔は上の方が破損しており五月としかわからない。水神宮は天明七丁未(1787)八月。右端は天明六丙午(1786)三月。
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熊野神社(茂田井)

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 茂田井町会集会所脇に鎮座する茂田井熊野神社(三郷市茂田井615)。
 鳥居の柱には「安永六丁酉歳二月吉祥日」「流山石工 孫七」と刻まれている。安永六年は1777年。
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 叉木。
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 狛犬。
 台座には「昭和六年九月吉日 當字 要店號 石井増治郎」と刻まれている。昭和六年は1931年。
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 二の鳥居。
 柱の内側に「文化二乙丑年二月吉日」「中組 氏子中 石工 戸ヶ崎 林正明」と刻まれている。文化二年は1805年。
 実はこの柱に刻まれた文字と一の鳥居に刻まれた「流山石工 孫七」には初め気付かなかったのだが、たまたま居合わされた研究者の方から教えて頂いた。
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 奉納された砲弾。
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 拝殿。
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 金刀比羅宮と天満宮。
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 左から八大龍王・水神宮、三峯大権現、井戸水神宮、雷電社。
 井戸水神宮は大正五年(1916)十月、雷電社は明治十一年(1878)五月の造立。
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 光明真言百万遍塔。
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 青面金剛。側面には明和八辛卯歳十一月吉日と刻まれているので、1771年の造立。
 右は折れてしまっていてなんだかわからないが、馬頭尊だろうか。
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稲荷神社(茂田井)

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 茂田井熊野神社の北西100m程の位置に鎮座する稲荷神社(三郷市茂田井590)。
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 拝殿。
 大棟には右三つ巴紋が見える。
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