天祖神社(目白五丁目)

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 南長崎一丁目交差点の150m程北東、首都高中央環状線傍に鎮座する天祖神社(豊島区目白5-7-14)。
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 狛犬。
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 拝殿と境内。
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 末社。しかし何神社なのかは不明。
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『天祖神社の創建は約二百年前である。境内の手水鉢の刻字から文政十一年(1810年)頃と証明される。又神社の規模は手水鉢からみても相当なものと推測される。氏子は江戸時代から大荒椎(オオアラシ)と呼ばれた大和田、新井、椎名町の地域の住民で部落の鎮守様とされ、折々秋祭り等も共同で行なわれた。田と畑の平地の中の茅葺き農家の人々の収穫の祈りと喜びを捧げる神社であった。近年は地域の名稱も南長崎三丁目北部、南長崎二丁目、南長崎一丁目、目白四丁目、目白五丁目と呼ばれる。最近五十年は神社も激動する時代の直撃を受け數奇な運命を辿った。昭和二十年春の戰災により全燒廃虚となり終戰を迎えた。戰後世相も生活第一で神社軽視の風潮が強く多難の時が続くが次第に生活が安定すると共に、郷土見直しの声が起きた。昭和四十二年に明治百年を記念して氏子有志の非常なる努力で、社殿境内の復興ができた。そして平成八年山手通りの拡幅による社殿撤去、境内削減の状態から二年后、平成十年十一月ここに新しい天祖神社が誕生した。これは長崎神社宮司、氏子總代及地元有志各位の熱意ある奉仕と努力で完成したものである。昔の人は社殿で町の豊かさを知り、鎮守の森で町の人々の心の豊かさを知ったときく。私達も豊かな心で新しい鎮守の森を創りたい。やがて迎える二十一世紀のために。
 平成十年十一月吉日』
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 東の鳥居。

 以上で2月6日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA20-40mm、DA15mm、FA31mm。X30。
 ウォーキングカウンターは21,581歩。
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豊坂稲荷神社(目白三丁目)

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 JR山手線目白駅の西、目白会館脇に鎮座する豊坂稲荷神社(豊島区目白3-2-13)。
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 こちらは由緒書きが見当たらないが、豊島区のサイトにこちらの神社についての記述がある。それによると、かつては学習院の構内にあったが現在地に移転。豊坂に面していることから豊坂稲荷と呼ばれるが、江戸時代には八兵衛という人が仕え守っていたことから八兵衛稲荷とも呼ばれるとのこと。更にググってみると、この地に移転して来たのは明治四十一年(1908)で、学習院が四谷から目白へ移って来るに際しての移転であるようだ。また古くは此花咲耶姫稲荷とも呼ばれており、御祭神は若宇賀女命と木花咲耶姫命の二柱である。
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 お狐さま。
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 市来嶋神社。
 手前の石はなんだろう? 幟竿枠のようにも見えるが、木枠で囲う理由がわからない。
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