小俣町八雲神社

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 Wristletさんに小俣にも八雲神社があると教わったので、早速地図を確認して行ってみた。
 県道67号線を西進し、多々羅橋を渡った先の三叉路の真中の道を直進。長福院前を越えた辺りからゆっくり進んで行くと、右手側にちらりと鳥居が見えたのでそちらへ。
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 境内端の看板にはこう書いてあったのだが、当の山車は見られず。
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天神社

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 三重小学校西側の通りにある信号機のすぐ横に鳥居があるのだが、普通ならこの位置からでも社殿が見えそうなものなのにそれらしきものはまるで見えない。ちなみに右側は民家になっており、左側の坂を上るとゲートボール場になっている。
 まぁ、社殿が見えない理由はとても簡単。階段を上って行くと、
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 これ。
 以前は小さいながらもそれなりの社殿が建っていたと思われるのだが、今は小さな、めっさ小さな祠がちょこんと鎮座しているだけ。
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 祠には神社の名前を示すような手掛かりはまるで無いのだが、自分はここが湯殿山神社の下宮ではないかと見ている。
 誰か地元の方とでも会えればその辺りのことを訊くことができたのだろうが、なぜかこういう時に限って会いやしない。子供なら何人かいたのだが、さすがにカメラ構えた状態で小学生に声をかけるのも怪しまれそうだしなぁ。
 で、なぜここが下宮ではないかと思うかと言うと、湯殿山神社の参道入り口から200mちょっとしか離れていない上に、ここからは湯殿山がよく見えるからだ。
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 ほら、よく見える。
 他には何も無さそうなので次の神社へ向かおうかと思い、三重小学校の西側にある東山自治会館の駐車場に停めた車まで戻った時にふと脇を見ると自治会館の横手から石段が伸びており、上の方になにか見える。折角だから行ってみよう。
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 それなりの傾斜はあるがさして辛くも無い石段を上り切ると、正面に忠霊塔。
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 日清日露太平洋戦争戦没者合祀、とある。
 そこから右側へと向かうと、
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 三重村と足利市の合併を記念した碑が。
 この碑の裏手へと回り込み、左側へ伸びる道を上って行くと、
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 視界の開けた先には五十部の街並みが。位置的に見て、正面の小さな山は愛宕山だろう。とすると、山の上に突き出したアンテナは愛宕神社裏手にあった携帯電話用のアンテナか。
 これより先は無いようなので合併記念碑まで戻り、今度は右側へと伸びる道を。
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 もしかして、さっきの正体不明の祠まで続いているんじゃないかな、とか思っていたら、
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 本当に続いていた。さ、戻ろっか。

 6月4日追記。
 楚巒山楽会代表幹事さまからコメントを頂きまして、こちらの神社は湯殿山神社の下宮ではなく天神様であることが判明。すると、西舟の方からお聞きした湯殿山神社の下の宮と言うのは一体どこにあるのだろう? まさか、参道の途中にあった山神社がそれとか言うオチだったり? ぐぬぬ、湯殿山神社も山神神社もどちらも祭神は大山祇神だし、有り得なくはないなぁ・・・。

示現稲荷神社

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 県道40号線を挟んで足利公園の北東に位置する稲荷神社。大日薬師堂脇の道を100m程北上すれば良いということは判っているので、八雲神社の駐車場に車を置かせてもらい、そこからは徒歩で。
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 鳥居をくぐり、すぐ左手側には手水舎。
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 拝殿左手側の建物は社務所だろう。その前に石作りの柵があり、中に旧社殿跡との石柱が立っている。
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 お稲荷様だけあって、台座と思われるパーツには一対の狐の姿が見える。その奥の石碑には猿田彦大神の名が。
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 更にその後ろ、示現稲荷神社と浮き彫りにされた石の額と、元は祠の一部であっただろうパーツ。
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 拝殿向かって右側には改築記念碑と、御神木かな?
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 更に右奥。神楽殿のようにも見えるがどうだろう。
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 一旦鳥居より出て、左側にある鳥居へ。
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 途中、この辺りに伝わる伝説を記した看板が。
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 鳥居の奥の堂には二十三夜尊と書かれた額がかかっていた。
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 二十三夜尊堂の手前には道路側を向いて立つ小さな祠が。
 先程の看板には、神社の隣地の辻に天神様の像を祀った祠を建てたと書かれていたが、それはこれのことなのだろうか。しかし、中を覗き込んで見た感じでは天神様と言うよりも双体道祖神のように見えたのだが、はてさて。

瑞穂野町稲荷神社

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 栃木県道8号足利館林線を南下し、落合橋を渡る手前にあるガソリンスタンドの裏にある稲荷神社。地図を見ていなかったらまず気付かないと思ふ。
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 左奥の方にちょこんと鎮座している境内社。どうやらこれもお稲荷様のようだ。

仙元宮

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 鹿島神社に背を向けて立つこのユニットハウス、もとい神社が仙元宮。石灯籠なども見えるが、背後の鹿島神社に比べてあまりにもしょぼ・・・げほげほ、えーと、こぢんまりしている。祭神はたぶん木花開耶姫命。
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 仙元宮の文字の上の図柄は富士山かな。しかし、この額と鈴が無かったらとても神社とは思えない。いや、それ以前に地図に仙元宮の文字が無かったら絶対に気付かずにスルーしていただろう。
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 社殿脇から背後の通りを見下ろすと鹿島神社の鳥居が見える。超広角レンズで撮影しているのでこう見えるが、肉眼だともっと近い。
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 仙元宮の向かって右側を通る道の脇、ぎりぎり境内の端に立つ石塔と境内社。
 左の石塔には藤原とか大居士、右の石塔には「?興開??妙王」などの文字が見えるのだが、なんなのかさっぱり。境内社にも社名は無く、これまた何神社なのかも判らない。
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 仙元宮前から壁に沿って伸びる道を歩いて行くと、先程の鹿島神社参道と彫られた標石より南西へ70m程の位置へ出る。途中民家があり犬に吠え立てられるので、わざわざこちらから入る必要は無いだろう。

 時間的にはまだ余裕があったのだが、雲行きが怪しくなって来たのでこの日はここで神社参拝を打ち切って帰宅。その後一時間もしないうちに雨が降って来たので、撤退したのは正しかったようだ。

大月町鹿島神社

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 大月小学校の南西にあるセブンイレブン前の交差点を南東へ進み、突き当たった辺りで右に曲がると民家の前に標石が立っている。
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 標石の向いている方を見遣れば、と、確かに緩やかな上り道があるが、とても参道には見えない。地図によればここを入って100m程も進めば左手側に鹿島神社、右手側に仙元宮がある筈だ。ということで行ってみよう。
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 着いた。鳥居の額には鹿島神社の文字が見える。
 しかし、森に囲まれた神社は輝度差が激しくて撮影が厳しいなぁ。黒潰れを防ごうとすると高確率で屋根が白飛びする○刀乙 ダイナミックレンジ拡大機能で防げるようならK20Dの購入も検討しないでもないのだが、焼け石に水だろうな。
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 まぁそれはともかく、鳥居をくぐって参道を進もう。
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 鹿島神社ということで、こちらも祭神は武甕槌神と思われる。
 源姓足利氏と藤姓足利氏は梁田御厨荘を巡って激しく対立していたと言うが、この辺りは佐野にも近いので藤原氏の氏神である武甕槌神を祀った神社が多いのだろうか。尤も、北に樺崎八幡宮、西に江川八幡宮、東にも駒場の八幡宮と、源氏の氏神である八幡神も少なくないのだけど。
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 拝殿手前左側に並ぶ庚申塔群。
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 青面金剛は判るとして、こちらの祠はなんなのだろう?
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 裏手へと回り、鞘殿の隙間から本殿を見ることができる。
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 裏山から見おろしてみたり。
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 降りてきて、横手から。

利保町鹿嶋神社

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 出世稲荷神社から南下して行くと左手側に医王山持宝院が見えて来るので、その手前の駐車場に停めて境内へ。
 本堂を横目に墓場を抜け、山の方へと目を向けると木々の間に石の鳥居が見えるのでそちらへ。
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 額にははっきりと鹿嶋神社の文字が。鹿嶋神社なら祭神は武甕槌神の筈だが、持宝院の本尊は薬師如来だそうなので何故ここにあるのか判らない。
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 拝殿の中を覗き込むと、祠が二つある。一方は武甕槌神として、もう一方はどなたをお祀りしているのだろう。隣り合って祀られているのだから、ただの配神とも思えないが。
 上の方に見える三つ巴紋はなんだろうと調べてみたら、武芸の神に使われる神紋のようだ。なるほど、確かに武甕槌神は三大軍神の一柱と言われているしね。ちなみに経津主神、武甕槌神、建御名方神を三大軍神と呼ぶのだが、経津主神と武甕槌神でも天香香背男を打ち破ることは出来なかったそうだ。
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菅東山出世稲荷神社

IMGP0921k.jpg K10D+DA21mm

 諏訪神社からなら渡戸集会所の西にある渡戸一号橋を渡って光得寺の手前で左折すればすぐ着けたのだろうが、そちらのルートはチェックしていなかったので大月小学校の南西にあるセブンイレブンの脇からゆるゆると北西に進路を取り、道に沿って持宝院の脇を通り抜け、光得寺の手前で右折すると言う思い切り遠回りなルートで到着○刀乙。
 標縄柱前から左に伸びる道を入って行くと広い駐車場があり、石碑が一つと石祠が二つ。駐車場の奥に境外社が二つある。
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 出世稲荷神社獻木者芳名碑と、正体不明の石祠が二つ。
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 駐車場右手奥。柱と笠木が丸太材で出来ており、貫が角材で柱を貫き、額柄がある、と言う事は宗忠鳥居か。
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 熊野三社大権現、若宮八幡宮と刻まれているが、はてさて、どちらがどちらやら。或いはこの祠一つに合祀して隣の祠はまた別の神社なのか、どうにもさっぱり判らん。
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 舟のような形の石の上に祠が乗っているが、これは一体何者なのか。仮に若宮八幡宮であったとして、祭神は大鷦鷯尊(オオサザキノミコト 仁徳天皇)なのか誉田別尊(ホムタワケノミコト 応神天皇)なのか。うーむぅ。
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 標縄柱の奥に見えるのは社号標石。その隣にこの出世稲荷神社の由来と言うか伝説の書かれた小さな看板が立っている。
 左の標縄柱にも刻まれているが、この神社は正治元年(1199年)に足利義兼公によって勧請されたもので、出世や養蚕、子育に御利益があり、明治になって火伏せの御利益も追加されたそうだ。
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 参道脇には社務所があるが、どうやら開くのは祭りの時だけのようだ。ちなみに、春の例祭は3月16日に行われたもよう。
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 それでは、と石段を登り始めるとすぐに一の鳥居。正一位稲荷大権現と書かれた額に大きな注連縄、鮮やかな朱色が緑色の世界に映えている。
 鳥居の脇には注連縄の巻かれた杉の木があり、出世杉と書かれた看板が立っていた。
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 石段を登って行くと二の鳥居。こちらも大きな鳥居だが、一の鳥居に比べていささか地味だ。
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 奥には山門のようなものが見えている。社殿はその先だろう。
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 鈴が付いてはいるが、ここが拝殿ということでもないだろう。横長の木版には神社の由来と思われるものが書かれていたが、殆ど読めないくらいに薄くなってしまっていた。
 隣は手水舎だが、水は無い。

 少々長くなってしまったので、続きは↓で。

続きを読む

樺崎町諏訪神社

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 落合橋交差点で国道293号線から外れて南へと向かい、道なりに進むと右手側、やや山側に入った所に諏訪神社がある。山の反対側には熊野神社があるが、両社を繋ぐ山道は無いようだ。
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 鳥居の左側には猿田彦大神、右側には道祖神。道祖神の祠の中にはスズメバチの巣が出来ていたが、まだ活動期には早いためかハチ自体は見かけなかった。
 鳥居前の坂は境内に繋がっており、そちらに車を停めて参拝。
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 右手側に見える建物は馬坂会館と書いてあったので、社務所というよりは集会所のようなものだろうか。
 階段を上って諏訪神社。その隣に天王社がある。
IMGP9009s.jpg *ist DS+FA31mm

 緑町の八雲神社ほどではないが、縦長な拝殿・・・ではなく鞘殿。額も鈴も無いが賽銭箱だけは扉の向こうに設置されていた。
IMGP0909k.jpg K10D+DA10-17mm FishEye Zoom

 DA21mmでは収め切れず、DA14ではレンズが通らないので魚眼ズームかもーん。
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 背面には覗き込める隙間が無かったので、残念ながらどんな絵が描かれていたのか判らなかった。それにしても、右と左でどういう繋がりがあるんだコレ。
 諏訪神社の祭神である建御名方神は農耕神であり狩猟神であり軍神であり風神であり水神であり山神であるそうだが、この本殿の絵を見ると農耕神と山神の面をクローズアップしているように見える。或いはこれは建御名方神とは関係無く、この辺りに残る伝説かなにかを描いたものであるのかも知れない。要するに、判らん。
IMGP9016s.jpg *ist DS+FA31mm

 鞘殿の向かって左側には天王社。天王の文字は筆で書いたものかと思って見たら、板を刳り貫いたものだった。
 天王といえば牛頭天王。つまり素盞嗚尊だが、なぜここに祀られているのかは判らなかった。まぁ、そもそもこの諏訪神社の由来も判らないのだけど。

富士仙元宮

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 熊野神社から堤谷通りを戻り、長途路川の手前にあるT字路を右折、そのまま150m程も北上すると右手側に富士仙元宮があるのだが、生憎駐車できるスペースは無いのでそのまま進むと国道293号線と合流する少し手前の電柱の脇に停められそうなスペースがあったので、そこに停めて今来た道を戻って行くことに。
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 石燈篭の反対側にある石柱に彫られた文字は、足壮神、でいいのかな? 聞き覚えの無い神様だが、この神社の後ろにそびえる山の上に将門公の足が飛んで来たという伝説があるので、山の南の麓にある子の権現と関係があるのかも知れない。・・・無いのかも知れないけど。
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 賽銭箱と注連縄でかろうじて神社っぽくはあるものの、鳥居も無ければ額も掛かっていないので、前もって地図で調べていなかったらここが富士仙元宮であるとは判らないだろう。ユニットハウスのような社殿は風情が無いので面白くない。
 ちなみに仙元は浅間のことだそうで、浅間神社であるなら祭神は木花開耶姫なのだろう。

堤谷熊野神社

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 子の権現から堤谷通りを南東へ向かって走って行くとやがて二岐に分かれるのでそこを左へ入り、200m程も進むと左手側に熊野神社が見えて来る。
 鳥居の手前を左へと進んで行くと境内へと至るので、そこに車を停めることができる。
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 階段はさほど長くも無く、上りきった先には狛犬がお出迎え。
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 阿吽が逆になっている狛犬はたまに見かけるが、間違いなのかわざとなのか、はてさて。
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 熊野神社の祭神は家都御子神(ケツミコノカミ)、熊野速玉男神(クマノハヤタマオノカミ)、熊野牟須美神(クマノフスミノカミ)の三柱だそうだが、小俣町にある熊埜神社は伊弉諾命と速玉男命、事解男命なのだよね。こちらの祭神はどうなっているのだろう。
 ところで家都御子神は素盞嗚尊、熊野速玉男神は伊弉諾命、熊野牟須美神は伊弉冉命とする説と、熊野速玉男神は伊弉諾命と伊弉冉命の間の子、熊野牟須美神は天照大神と素盞嗚尊の宇気比によって生れた熊野櫲樟日命(クマノクスビノミコト)であるとする説があるらしいのだが、熊野速玉男神=伊弉諾命だと小俣町の熊埜神社は祭神がダブってしまうことになるから、後者の説を採っているのだろうかね。んでここで本地垂跡説を入れると家都御子神=阿弥陀如来、熊野速玉男神=薬師如来、熊野牟須美神=千手観音となるらしいのだが、素盞嗚尊の本地仏は薬師如来だから・・・おやー? なことになる。なんかもう、よく判らん。
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 境内の端には境内社が固まって三社、少し離れて一社の計四社があるのだが、いずれも額などは無く、何神社なのかは判らなかった。
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堤谷子の権現

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 国道293号線沿いにある大月小学校から北東へ200m程進んだところのT字路を東に折れ、長途路川を越えて進んで行くと左手側に「子之権現」と刻まれた石標が見えて来るのでここで左へと上って行き・・・と言いたいところだが、この先は民家へ続いているので車で入って行く訳にはいかない。道端にかろうじて一台くらいなら置けそうな余裕があるので、交通の邪魔にならないように停めることに。
 緩やかな坂を上って二軒目の民家の脇(と言うかどう見ても敷地内)の道を入って行くと、すぐ右手側に石段が見えて来る。
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 ここを上って行くと、ほどなくして祠が見えて来る。
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 子の権現と言えば普通は大己貴命を祀っているものらしいが、こちらの子の権現は討ち取られた平将門公の下半身が山の上に落ちて来たという伝説が残っており、そういった由縁もあって足腰の神である子之聖大権現(大己貴命)として信仰を集めたそうである。五十部町の大手神社には将門公の手、大前町の大原神社には将門公の腹、そして百頭町の地蔵院には将門公の弟の墓が、と足利には将門公に関係した神社やお寺があちこちにあるようだ。小俣町の鶏足寺は将門公を調伏、要するに呪詛を仕掛けたことで有名だし。
 それとは別に気になったのが、ここを代々守り続けているのが阿由葉家の人達であるそうなのだが、八坂神社天満宮にあった石碑に刻まれていた阿由葉神(ただの奥津城かも知れないけど)と何か関係があるのだろうか。畑にこちらの家人と思われる人がいたのだが、その時はスポーンと忘れ去っていたからなぁ・・・。
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 脇から。
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 足の神様だけあって、草鞋が沢山奉納されていた。

五十部町八雲神社

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 県道67号線沿いのしまむら西側の交差点を北へ入って行くとすぐ左手側にちんまりとした神社がある。当ブログでは四箇所目の八雲神社だ。ここには以前、三月上旬にも来たことがあるのだが、その時は撮影をしていなかったので改めて参拝。見ての通り駐車場は無いので路肩に停め、素早く撮影を済ませることに。
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 狛犬。
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 鳥居の額は文字が読み取り難くなっているが、こちらはしっかりと判る。
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 これで5月18日参拝分は終了っと。

山下町庚申塔群

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 蔦ヶ入から平石八幡宮へと向かう途中に庚申塔群があったので立ち寄ってみた。
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 向かって右側。
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 左側。
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 中央。扁額らしきもの。
 そしてなぜか中央の庚申塔だけ撮影を忘れるボケっぷり○刀乙

五十部町湯殿山神社

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 八幡宮前の道を南東へと進んで行くと池のそばに蔦ヶ入公民館があるのでそこに車を停めさせてもらい、そこから南東へずっと歩いて行くと山側に細い坂道があるのでそこを上って行くと湯殿山神社参道の入り口に着く。しかし、改めて地図を見てみると、三重小学校の西にある東山公民館に停めた方が近かったんじゃないか○刀乙
 それはさておき、この参道は登るのが大変だと聞いていたので気合を入れよう。
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 道幅はかなり狭いものの、傾斜は緩く石段もあるのでそれほど辛そうでもないかな。ただ、すぐ先に倒木が見えるのが気になるが。
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 ・・・えー、甘かったデス。石段はすぐに無くなったし、傾斜も強くなって来た。足元は落葉でふかふかしている上に前日の雨で土が崩れやすくなっている。おまけにやたらと蜘蛛の巣が張っているので、落ちていた手頃な枝で払いながら進んで行かなければならない。思ったよりしんどいかも知れんぞ、これ。
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 登り始めて4分程もすると、右手側に小さな石祠が見えて来た。
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 山神、とある。ならば大山祇神だろう。
 丁度いいのでここで少し息を整え、更に上へ。 ここからは傾斜がやや緩くなってはいるが、やはり歩き難い。途中、近くを何かが移動するガサガサという音が何度か聞こえたが、熊や猪が出るとの注意書きは無かったのでせいぜい猫か犬くらいだろう。・・・こんな人気の無い場所だったら、野犬相手でも充分死ねそうではあるけど。
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 山神社から3~4分も登るとなにやらそれっぽいものが。もしやここが山頂か? 奥に見える石祠にちょっとがっかりしながら登って行くと、
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 ・・・ちょっと待て。
 なんで琴平山神社なんだ。よもや間違えたのかと思ったが、地図を見る限り間違いようがない。とりあえず石祠に近付き、参拝と撮影を。
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 どうやら石祠は一つだけではないようだ。では、と正面の石祠の額を見れば、確かに琴平の文字が見える。
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 石祠は三つ。・・・いや、岩の向こうにもう一つあるようだ。よって、四つの石祠が固まって置かれていることになる。琴平神社の左にある祠は額が無く、何を祀っているのかは判らなかった。
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 更にその左。額には確かに何か彫られているのだが・・・読めん。
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 反対側に回り込み・・・これまた何神社なのか判らず。
 改めて周囲を見回せば、奥の方にまだ道が続いているのが見える。もしかしたら山頂への道ではなく下り道になっているのかも知れないが、ここまで来たら進むしかないだろう。下りならば、それはそれで良し。毒喰らわば皿まで、と言う言葉もある。・・・どうでもいいことかも知れないが、毒だけなら解毒剤があれば助かるかも知れないけど、皿を食ったらまず死にそうだよなぁ。
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 琴平神社より6~7分程も進むと、あぁ、あれだな、と判るものが見えて来る。麓から琴平神社までの道に比べると平坦と言ってもいい道なので、かなり楽に感じられた。
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 ・・・あれ? 湯殿山神社ならば他に月山と羽黒山がありそうなものなのだが、見当たらないな。
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 だが、額を見ると確かに湯殿山神社とある。もしや東神社と南神社を月山と羽黒山に見立てているのかとも思ったが、それは無いか。確かに月山は湯殿山の東にあるが、羽黒山は南ではなく北にある山だものな。そもそも東神社と南神社のある場所は平地だし。
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 祠には何も刻まれていない。
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 裏から。石垣のようなものがあるが、御神木なのだろうか? 注連縄ついてないけど。

 ところでここまでの道中、下の宮にあたりそうなものは見当たらなかったのだが、どこにあるのだろう? 心当たりが無いわけでも無いのだが、そちらにはまだ行っていないので未確認。

平石八幡宮

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 足利商業高校の北側に位置する神社。
 足利泰氏が建立した智光寺の境内に、文永六年(1269年)に鶴岡八幡宮より勧請したとのことだが、なぜか配神に大山咋神が。智光寺が天台宗の寺だったなら判らないでもないのだが、真言宗だったそうだからなぁ。
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「智光寺は足利泰氏が文永二年(1265年)この地に立てた寺であるが、寺運は次第に衰え、江戸後期に火災にあって全滅し、今はこの平石八幡宮を残すだけである。
 1965年、前沢輝政の発掘調査により浄土庭園型式の真言宗の寺で、寺域はこの神社を北隅として、およそ東西200m南北300mにわたることが確められた。
 泰氏は建保余念(一二一六年)足利義氏の次子に生れた。母は北條泰時の女である。足利氏の家督をつぎ鎌倉幕府に出仕し、22歳で丹後守から宮内少輔正五位下に進んだ。北條時頼の女を妻としたが三十六才の時出家して證阿と号し、この地に隠れ平石殿と呼ばれた。
 鑁阿寺南大門で武者行列を挙行し足利氏の威風を示した。これが現在の鎧年越のおこりである。文永七年(1270年)55歳で没した。法名を智光寺殿という。」
 と彫られている。
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 山頂に遺跡があるとのことだが、確認はしなかった。
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笠原稲荷神社

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 さて、山神社の参拝は済んだので次は先程スルーした笠原神社へ。
 金丸五十部通り脇に位置しているが、鳥居の前はすぐ民家になっているので北東側からやって来たら鳥居に気付かず通り過ぎてしまうかも知れない。
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 鳥居に掛けられた額には・・・読めない○刀乙
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 拝殿に掛けられた手彫り感満点な額には「正一位 笠原稲荷大明神」とある。笠原稲荷で検索すると茨木県笠間市笠間にある笠原稲荷神社が出て来るが、詳しいことは判らなかった。笠間には他に笠間稲荷神社というよく似た名前の神社もある。それはどうでもいいのか。
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 拝殿内部を覗き込んでみたり・・・って、本殿見えねーっ。
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 拝殿前にある胴が八角形の燈篭を見ると、なにやら彫られている。正面から右回りに、富士山、石尊宮、鹿嶋宮、日光山、湯殿山、??禮百観世音菩薩(一文字目は秦なのか泰なのか奏なのか。二文字目は潰れていて判読不能)、榛名山、秋葉山とあるが、一体どういう意味があるのだろう。
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 そして裏へと回り込むと、こちらにもお稲荷様が。本殿ということも無いだろうし、なんなのだろう。
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 金丸五十部通り側から。
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 笠原神社から少し離れた所には庚申塔が。

五十部町山神社

 神社検索サイトを見たら五十部町に山神社と湯殿山神社があると書いてあったので探してみたのだが・・・見つからない。Googleマップでダメ。MapFanでもダメ。まっぷるでもダメ、Gooでもダメ、マピオンで・・・なんかあるー! 三重小学校の北側にある山の山頂と西舟の池の先に鳥居のマークがあるのだが、番地から見て山頂にあるのが湯殿山神社で西舟の池の先にあるのが山神社だろうと当たりをつけてGo。
 途中にある笠原神社の脇を通り抜けるとすぐ西舟自治会館があるので、ここで左折してそのまま北上して行くと西舟の池がある。地図で見る限りではこの先に山神社がある筈なのだが、やや不安なので地元の人に訊いてみることに。すると、やはり山頂にあるのが湯殿山神社で、山神社は建設中の北関東自動車道をくぐった先にあるとのことだった。また、湯殿山神社までの道はかなりひどいらしく、今は祭りなどは下の宮で行われているとの話も聞くことができた。
 と言う事で更に北上して行くとほどなくして建設中と判る陸橋があったのでそこをくぐり、更に進むと舗装されていない山道になるので車を停められそうなスペースを見つけてそこから先は徒歩。
 地図には道の左側に鳥居マークがあったので左側に注意しながら進んで行くと、
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 うむ、なんだかそれっぽい感じの道と言っていいのかどうか迷うような道があるが、とりあえずそれは置いといてこのまま直進してみよう。
IMGP0510k.jpg K10D+DA18-55mm

 が、すぐに突き当たった。これより先に進むのは無理っぽいし、神社らしいものも見当たらなかった。殆どの地図に載っていないくらいだから小さな石祠かなにかだろうとは思うのだが、しかし道からそう遠くではないはずだし、近隣の方は山の神様と親しげな感じで言っていたから人の踏み入れないような所でもない筈だ。となると、やはり先程のあれが気になる。ということでそちらへGo。
 ・・・・・・どこー? 神社どこー? 200m位は進んで行ったと思うのだが、それらしきもの、まるで無し。前日の雨で足元は湿っているが、それ以外にもどこからか水が流れて来ているようで、うっかりすると滑ってしまう。とりあえずこのまま進んだらどこぞの山頂にでも辿り付きかねないし、先程聞いた話では建設中の自動車道より北側にあるのは間違いない筈なので、とにかくもう一度探し直してみようと思い陸橋の辺りまで戻ると・・・おろ? なんか小さなトタン屋根のようなものが視界の隅をちらりとな。あれか? でも、そこって工事現場の中じゃね?
 幸いにも日曜なので作業はしておらず、また周囲には仮設トイレがあるくらいで特に危険なものは無さそうだったので、お邪魔しまーす。
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 うん、間違いない、これだ。ちなみに位置は仮設トイレの真裏。なのでトイレの向こうを回り込んで登ることに。
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 石祠には申し訳程度の屋根が付いているが、しかしこれが無かったら見つけることは出来なかっただろう。
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 山神社ということはもしかしたら祀られているのは大山祇神なのかも知れないが、なんとなくこの辺りの土地神なのではなかろうかという気がしてならない。
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 道を挟んで反対側。山を刳り貫いてトンネルになるのだろう。

五十部町愛宕神社

IMGP0476k.jpg K10D+DA18-55mm

 さて、岩のごろごろしている道を登って行くと、あったよ、愛宕神社。
 注連縄が無かったら蔵か何かにしか見えない、愛想の欠片も無いような社殿だが、耐火性は良さそうだなぁ。流石は火伏せの神。
 とりあえず参拝をして、と。周囲をぐるりと回ってみると、まず社殿の手前左側に石祠。しかし何神社なのかはさっぱりだ。
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 次に裏手に回って見ると、少し下がった所に金属製のフェンスが張られており、その向こうに電波塔。フェンスに付いていた看板にはKDDIと書かれていたので、携帯電話用の電波塔だろう。お世話になっております(自分の携帯はau)。
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 と、まぁ、これ以上は特に無いようなので下りようか。
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 こんな感じの道がずずいっと続き、傾斜自体はそうきつくもないのだが、結構滑るので注意して下りて行く必要がある。多分、この細かい石がクセモノなんだろうなぁ。
 途中からはきちんとした石段に変わるのだが、石段になってからの方が傾斜は強いような気が。
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 そして鳥居前に到着。社殿から始まって鳥居がゴールというエントリーも珍しいな・・・。

南神社

IMGP0439k.jpg K10D+DA18-55mm

 以前参拝の為に来た時は隣家のワンボックスに邪魔をされたが、今回は・・・やっぱりあるよワンボックス。つか更に軽が一台増えている。
 しかし今回は諦めん。三重公民館の駐車場に車を停めて、そこからは徒歩で来たので軽とワンボックスの横を抜けて進むことができる。・・・あれ? 前回の時も路肩に自転車を置いていけば、もしかしたら通れたのかな? ま、今更どうでもいいや。
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 南神社、か・・・。由来とかはさっぱり判らん。ここから北東へ直線距離で1.4km程の所に東神社があるので、他に西神社や北神社があるのかと思えばそんなことは無い。まぁ北には毘沙門天があるけど関係無いだろう。となると南神社から見て北、東神社から見て西の方になにか中心となるような存在があるのかと思うのだが、そのへんにあるのは・・・湯殿山神社か? 足利の湯殿山神社と言えば葉鹿町と粟谷町の境の山頂にある方が有名らしいが、五十部町にもあるのだよね。この日はそちらにも参拝をしているので、それはまた後程。
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 拝殿の中を覗きこむと、奥に本殿が見える。妙にお狐様が多いのだが、するとここはお稲荷様ということなのだろうか。
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 脇から。
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 拝殿より右手側に少し離れて境内社。が、これまたなんの神様なのかさっぱり判らん。
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 撮影していた時は気付かなかったのだが、改めて見ると本殿の中に像のようなものがあることに気付く。これは、なんだろう?
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 南神社の拝殿より左側に回り込むと、なんだかよく判らない末社群がある。

 こんなものでそろそろ次の目的地である愛宕神社へ向かおうと思ったのだが、地図を見るとこの山の上、それほど遠くもなさそうなのでこのまま進んでみよう。幸い人の入った形跡のようなものもあるし。・・・・・・とか思ったのが甘かった。確かに初めのうちはまだ良かったのだが、途中倒木に遮られてそれを越えたり回り込んだり、越えたり回り込んだり、(中略)しているうちに岩の剥き出しになった、しかし明らかに人の手の入った道に出たので一安心。そして上の方を見れば、
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 なんかある。
 この後は次のエントリーで。

水使神社

IMGP0340k.jpg K10D+DA18-55mm

 栃木県道67号桐生岩舟線から三重小俣通りへ入り、一つ目の信号で右折、三重橋を渡って右の道へと進むとほどなく水使神社が見えて来る。
 三月上旬に一度参拝したのだが、その時撮影した写真が気に入らなかったので撮り直しも兼ねて再び参拝。前回は自転車で来たが、駐車スペースがあるのは判ったので今回は車で。
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 由来だけ読むとなんとも傍迷惑な神様のようにも思えるが、この他にも五十部小太郎に仕えていたイソが水底に沈んでいる小太郎の子を見つけて助けようとしたがそのまま溺れ死んでしまい、それ以後この淵のそばを通ると水中に呼び込まれるという怪異が起こった為、神として祀る事でイソの無念を鎮めたとの伝説もあると言う。どちらにせよ祟り神を鎮める為に創建された神社であるようだ。
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 鳥居をくぐると神橋ではなく権現橋が掛かっている。奥に見えるのはトイレ。
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 右を向けば絵馬堂との額の掛かった倉庫のような建物があるが、要は奉納された絵馬の保管所か。
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 それはさておき階段を上ろう。傾斜自体はそこそこ急だが、然程長くもないので辛くは無い。
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 二の鳥居の隣には手水舎と社務所が。・・・あ、二の鳥居の写真撮るの忘れてた。
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 反対側には火炎太鼓と彫られた碑が。
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 そのまま左奥へ進むと小さな祠がある。陶器の狐があるところを見ると、お稲荷様だろうか。
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 そして社殿。子育ての神でもあるせいか、絵馬の他によだれかけなども奉納されている。
IMGP6458k.jpg K10D+DA14mm

 参拝のために鈴の前に立つと、拝殿内の電灯が点いて水使権現の絵が見られるようになっている。ちなみにこの写真は前回参拝した時のもの。
IMG_5049.jpg Powershot G7

 賽銭箱越しに手を伸ばさなければならないので少しブレてしまっているが、水使権現はこんな感じだそうで。
IMGP0356k.jpg K10D+DA18-55mm

 そこから右を向くと、上の方に境内社が見える。
IMGP6432k.jpg K10D+DA14mm

 額が付いていないのでこれでは何の神様か判らないが、
IMGP0372k.jpg K10D+DA18-55mm

 中に安置された石祠の額には機神宮と刻まれている。すると祭神は天八千々姫命だろうか。
IMGP6437k.jpg K10D+DA14mm

 振り返ると境内が一望できる。右下の小屋は寶物殿だそうで、金精様が安置されている。
IMGP0396k.jpg K10D+DA18-55mm

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 画面内には収まりきっていないが、他にも大量の金精様やらなにやらがある。
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 覆屋が無いので本殿が直接見える。
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 反対側へと回り込むと、御神木・・・かな。

 参拝も撮り直しも済んだので、次の神社へ。

中川町神明宮

IMGP0284k.jpg K10D+DA18-55mm

 栃木県道5号足利太田線と県道40号足利環状線の交差する借宿町一丁目交差点を北西へ進むとすぐに二岐に分かれるのだが、どちらでもいいから直進直進ずーっと直進。すると突き当たりに見えて来るのが神明宮。
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 飛び石になっている参道というのは珍しいような気がする。拝殿手前右側に小さい明神鳥居があるのでそちらを見て見ると、
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 山神神社、とある。とすると祭神は大山祇神だろうか。しかし、何故に山神? ここはすぐ北側に渡良瀬川が流れており、少し離れてはいるが南側には矢場川が流れている。愛宕神社か秋葉神社であるなら納得もできるが、どう考えても山は関係無いだろう。不思議だ。
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 狛犬。
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 中には本殿。結構綺麗に片付いている。
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大岩毘沙門天

IMGP7265k.jpg K10D+DA10-17mm FishEye

 県道67号線から三重小俣通りへ入り、次の信号で右折、五十部東山通りを北上するとそのうちに金丸五十部通りと合流するのでそのまま北上。途中、左手側に厳島神社、右手側に最勝寺が見えて来るがとりあえずスルーしてうねうねと続く山道を上り続けると右手側に階段が見えて来るので、その階段を上ると毘沙門堂がある。階段前は少し広くなっているので駐車できる余裕もあるのだが、更に山道を上って行くと休憩所があるのでそちらに停めることに。この休憩所はビューポイントと呼ばれているようで、山の合間から足利の街並みを一望することができる。それほど面白い眺めでもないけど。
IMGP7174s.jpg *ist DS+DA14mm

 上の方を見れば桜の花が・・・って、実は参拝したのは四月上旬だったりする。
ise

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 仁王門。右側は鐘楼。
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 毘沙門堂。電線邪魔ー。
IMGP7255k.jpg K10D+FA31mm

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 説明書きの看板を並べてみたり。
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 本堂左手側にある山王社。桃山時代に作られたもので、境内の建物の中では最も古いものなのだそうだ。昭和52年2月に修復されたとも書いてあったが。
 ところでこの山王社は毘沙門鎮守堂なのだそうだが、おやー? 最勝寺は真言宗豊山派なのだが、山王社ということは天台宗なのではないかな? 山王とは比叡山の王という意味なのだそうだし。
IMGP7149s.jpgIMGP7150s.jpg *ist DS+DA21mm

 山王社の左側には西の宮大神、右側には大黒天。西宮大神は蛭子命だが、大黒様と並んでいるということは恵比寿様として祀られているのだろう。

村上町星宮神社

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 国道50号線を東へと向かい、渡良瀬川大橋を渡って一つ目の信号のある交差点(馬刺し屋の看板が目印になる)を左折、そのまま突き当たるまで直進するとその先右手側にある。
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 鳥居をくぐってすぐ左側には石碑群。その奥のプレハブのようなものはどうやらトイレのようだ。
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 さらにその隣は神楽殿。
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 そして横を向けば拝殿がある。
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 額は掛かっていなかったが、太い注連縄が張られていた。
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 拝殿左手側には末社群。
 左から三番目は疱瘡神、八番目は象頭山と彫られていたが、他のものは判らなかった。象頭山とはなんじゃいな? てことでGoogle先生に訊いてみると金刀比羅宮のある山のことらしい。なんで琴平神社ではなく山の方なんだろう。
 そのまま回りこんで右手側へ。
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 伊勢太々御神楽と刻まれた石碑が三つ。
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 更に右へと目を移せば、こちらにも末社が。中央二つはどちらもお稲荷様なのだろうか?
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 右奥は御嶽神社。
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 それらより少し離れた所に立っている御大典記念碑。
「傳説に曰く當社は源頼朝時代當地鎮護のため勧請したるものなり元
 禄十五年地頭牧野傳蔵より土地二反六畝十五歩を祭田として除地寄
 附せられ泉蔵院にて別当職を奉じ來り明治二年十二月亀田多門神職
 となり同二十八年十月拝殿の改築をなし同三十四年本殿を改築せり
 明治四十年十二月社掌亀田千頴奉職中大字内の無格社天満宮厳島神
 社榛名神社神明宮の四社を合併せり而して昭和三年十月栃木縣より
 幣帛供進を指定せらる本年御即位大典記念のたの境内に玉垣を造り
 尚二百年据置貯金として金壹百圓を郵便局に預入れ以て當社永遠の
 資金とする計劃を立てたり
  昭和三年十一月          吾妻村長 島田正平 謹書」
 とあるが、こちらの神社は虚空蔵菩薩にも瓊瓊杵尊にも関係無いのだろうか?
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 撮影中は大量の蝿がぶんぶんとやかましく飛び回っていた。五月の蝿と書いて五月蝿いとはよく言ったものだ。

瑞穂野町神明宮

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 赤城神社から西久保下日向通りを東へ向かい、県道8号線を越えて進むとやがて満宝寺が見えて来るが、その前を道なりに進んで行くと突き当たりに神明宮がある。満宝寺の脇を北へ向かってから右折するルートの方が早いのだけど、前述のルートの方が迷う心配は無い。
 ところで、なんでGoogleマップではここに限らず神明宮は全般的に表示されんのかね。おかげで最近ではMapFanなども併用して探す始末。
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 こちらの神明宮は面白い顔の狛犬がいると聞いて楽しみにしていたのだが、なるほど、これは確かに面白い。
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 なんと言ったらいいのか、ダイナミズム溢れる造形だ。ほとんど怪獣だよねー。
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 逆向きから。
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 拝殿は神明造になっており、小さいながらも品格のようなものを感じる。
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 注連縄のあるところを見ると御神木だろうと思うが、これは一体・・・。折れてしまったのだろうか。
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 別角度より。
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 境内社と日露戦役記念碑。
 境内社は一風変わっており、白山大権現と威徳天満宮を合祀した石祠があるかと思えば日光神社、熊野神社、ちょっと読み取り難くて判らない神社が配されている。
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 箱島神社なのか猛島神社なのか、はたまた全く違う神社なのか。うーむぅ。
 なんにしても、珍しいラインナップの境内社だ。

荒萩赤城神社

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 中日向の赤城神社から北東へ、直線距離にして300mと離れていない距離にある。姥川を渡って西久保田下日向通りを東へ向かうと間もなく三叉路があり、その角辺りに駐車場があって境内へと入れるのだが、そこから東へ100m程行った所が正しい入り口になる。
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 鳥居は比較的新しく、額には赤城神社の文字がくっきりと。しかしこの辺りは赤城神社が多いようで、ここから南東へ1km程の所にも赤城神社があったりする。
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 正面の拝殿へと続く参道の途中、右手側へと伸びる参道がある。
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 そちらへと目をやれば、石造りの鳥居と境内社にしては大きくも思える社殿が見える。額は掛かっていなかったのでどのような神社なのかは判らなかったが、それなりに由緒のあるものなのだろう。
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 やや崩れかけてはいるが、狛犬もしっかりといる。
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 別角度から。
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 参道脇には二つの末社があり、右側は産泰宮と彫られていた。残念ながら、左側は不明。
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 それでは、と赤城神社へと向き直ると標柱には注連縄ではなく金属のアーチが・・・って、ありなのかこれ。
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 獅子の方は鼻先が抉れてしまっていて、正面からだと鋼鉄ジーグのような顔になっている。
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 別角度から。こうして見ると大口を開けているように見えなくもないが、さすがに開け過ぎだろう。
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 赤城神社拝殿。こちらも額は無し。祭神は赤城大明神だろうと思うのだが、さて。
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 拝殿側より。本当に奥の社はなんなのだろう。

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 赤城神社手前、三叉路にある石祠。道祖神であろうか。
 トラックの向こう側は神社境内となっている。

中日向赤城神社

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 産泰神社北側の道を、途中東武伊勢崎線の踏切を越えて北上して行くと観音寺前の十字路に出るのでそこを右折、筑波小学校高松通りを進んで行くと左手側に癪除八幡宮が見えて来るが今回はスルー。そのまま交差点を直進、足森橋を越えた所で南下し、道なりに進んで御嶽神社を目指すがどうやらここは禊教の神社のようだったのでスルーして八幡宮前の交差点まで戻ることに。そこから県道148号線を北上、途中で西久保田下日向通りへと入り、久武大神宮の脇を通り抜けながら直進するとやがて十字路があるのでそこを右折、姥川を越えるとすぐに中日向古墳群が見えて来るが、その先に赤城神社がある。神社の向かって右側に駐車場があるのでそこに停めることにした。
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 ここには1号古墳から5号古墳まであり、その1号古墳の上に赤城神社が建っている。本来は前方後円墳だったらしいのだが、上部を神社で削られ、前方部は道路で削られ、もはや前方後円墳の形を成していないそうな。
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 額には赤城大神とあるので、祭神は赤城大明神と思われる。
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 拝殿右手側には境内社があったが、何神社なのかは判らなかった。つーか三つも合祀してるのかね?
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 そして拝殿の左手側。こちらには天満宮がある。絵馬もいくつか奉納されているようだ。
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 天満宮前からは階段が伸びており、鳥居の脇から直接登って行けるようになっている。
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 神社裏手に回り込むと古墳群。おそらく右手前が5号墳で左奥が2号墳かと。
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 これが3号墳なのは間違いないと思う。4号墳どこー?

高松町愛宕神社

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 産泰神社の近くにあることは判っていたのだが、探すのに少し時間がかかってしまった。まさか土手っぷちにあるとは思わなかったよ! ・・・いやまぁ、地図を最大まで拡大して見れば判ったことだったのだけどね。
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 愛宕神社なら祀られているのは軻遇突智命か。すぐ目の前が矢場川なのだから、火伏せの御利益は大きいだろうなぁ。
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 祠から振り返り、この堤防を越えると矢場川が流れている。
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 先程の階段を登った所。目の前の平成橋を渡り矢場川を越えるともう邑楽町鶉となり、群馬県に入ってしまう。
 この道を東側、河川公園方面に向かって歩いて行くと途中、左手側土手下に石造りの神明鳥居が見えて来るのだが、どう見ても民家の庭先にしか見えず撮影はしなかった。大きな石碑のようなものが見えたが、一体なんの神様を祀っていたのだろう。

高松町産泰神社

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 小曽根高松通りを東進して行くと、お地蔵様のいる五叉路の角にあるのだが、鳥居などは無いのでうっかりすると通り過ぎてしまうかも知れない。駐車場は無いが、向かいに高松町集会所があるのでそこに停めることに。まっぷるとNAVITIMEではここは白山神社ということになっているようだが、GoogleマップとMapFanでは産泰神社となっている。久武大神宮の例もあることだし、産泰神社の方を信用しておこう。
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 産泰神社ということは祭神は木花開耶姫命であろう。安産守護の神社であることは判るが、なぜここにあるのかなどの由来は判らなかった。しかし、木花開耶姫命が祭神だと安産ではあっても火事に見舞われそうな気がしてならない。尤も、この産泰神社の近くには火伏せの神である愛宕神社もあったりするのだが。
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 社殿裏手には石祠や庚申塚が並んでいる。
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 左奥から不明、疱瘡神、不明、道祖神。
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 二十三夜塔、青面金剛と三猿、馬頭観世音。
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 千庚申供養塔、馬頭観世音。
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 不明。もしかしたら、これが白山神社だったりするのだろうか?
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 社殿裏手、道路側から撮影。右下の突起は青面金剛。
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 産泰神社手前の五叉路。お地蔵様は道祖神とも縁があるのでこんな所にいるのだろう。

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 お地蔵様と言えば、産泰神社から西へ100m程の道端にもいらっしゃった。脇には庚申塚と馬頭観音碑が。

小曽根町御厨神社

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 県道278号線を永寶寺前で小曽根高松通りに入り、100m程も東進すると小曽根町自治会館があり、その隣が御厨神社入り口になっている。まぁ、国道122号線のいかつち交差点から北上した方が判り易いと思うけど、百頭町の神明宮から行くなら結局一本道みたいなものだし。
 自治会館の駐車場に停められれば良かったのだが、チェーンが掛けられていて入れなかった為、結局路駐することに。とは言え車道にはみ出さないくらいの余裕はあるのでまぁOK? 自治会館入り口の脇にガラス破損被害が頻発しているので警戒態勢にあるとの立て看板があったので、チェーンが掛けられていたのはそのせいなのかも。
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 一の鳥居。貫が角材と言う事は、神明鳥居ではなく靖国鳥居か?
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 二の鳥居。こちらも同様。ただ、金属ではなく石造りになっている。
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 神橋と三の鳥居。
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 よく見れば三の鳥居だけは他の二つと違い、伊勢鳥居に雨覆屋根が付いたものになっている。木造。
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 石燈篭の立ち並ぶ参道の奥には拝殿が見える。
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 拝殿の手前、右手側には手水舎とその向こうに社務所がある。立派な手水舎ではあるが、その龍の頭はちょっとどうかと(笑)
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 翻って左手側には石碑が立ち並び、右奥から合祀之碑、日露戦役記念碑、幣拝殿改築之碑、弐百年据置貯金・参道舗装記念碑、鞘殿改築記念碑となっている。
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 由緒書き等は見当たらなかったが、この辺りで御厨神社ならば主祭神は天照皇大神だろうか。裏手には八幡宮、稲荷神社、赤城神社、天満宮、春日神社、道祖神社、雷電宮、八坂神社、大黒天などがある。なぜか稲荷神社だけ三つもあるのだが。
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 狛犬。曲線ツールでも使って引いたかのようなラインが面白い。
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 拝殿から裏手へと回ると境内社が並んでいる。
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 右側の祠には八幡宮と稲荷神社。左側の祠には赤城神社。
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 天満宮。菅原道真公を祀っているだけあってか、石造りの梅鉢紋のようなものが見える。
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 稲荷神社、春日神社、道祖神社と三つもの神社が合祀されている。中を覗きこむと祭神の名を記した笏が安置されていた。
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 雷電宮。祭神は大雷命。
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 八坂神社と石祠が三つ。
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 手前左側から稲荷神、不明、大黒天。奥は八坂神社。これで稲荷神社が三つもあるわけだが、やはり御厨神社というだけあって穀物の神は大切なのだろうか。
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 神社裏手の道端には・・・えーと、お地蔵様かな?

 思いの外大きな神社で、既にここだけでお腹一杯になった感もあるものの、ここでまだ二社目。地図の確認をして次の神社へ。
 なお、この日の撮影では*ist DSにはDA21mmを、K10DにはDA35mmを付けっぱなしにしている。
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