過去ログ一部削除

 アップロード可能容量の残りが少なくなって来たので、過去ログの一部を削除。具体的にはフィギュアのカテゴリーを全消去。あのカテゴリーは大きいファイルが多かったので、削除したら結構空き容量を確保できた。
 いっそのこと、ここは神社のカテゴリーのみ残してあとは消してしまおうか。そうすれば神社ネタとデジカメネタと落描きが混在するカオスっぷりも解消できそうだし。落描き等は新たにブログを立ち上げるかPixivに移ってしまうのも手か。でもファイル削除だけでも結構面倒だしなぁ・・・。
 まぁ、そのうちどうにかしよう。
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母衣輪神社

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 県道152号線と128号線の交差する八木宿交差点より南東へ250m程進むと左手側に見えて来る。
 標縄柱の左に聳え、覆い被さるように茂っているのは足利市重要文化財の銀杏の木。目通り周は4.2m、高さは約13mにもなり、樹齢は200年~300年程であるそうだ。
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 参道右側に由緒を刻んだ石碑。
 これによるとこちらの祭神は瓊瓊杵尊と日本武尊であるのだが、由緒を読むとどの辺りに瓊瓊杵尊が関係しているのかさっぱり判らない。
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 正面に拝殿。左手側に社務所。右手側の大きな木はこれまた足利市重要文化財の楠。目通り周は3.16m、根周りは9m、高さは約13mであると言う。こちらも樹齢は200年程になるそうだ。
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 拝殿前に並ぶ狛犬。
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 拝殿。棟木には三つ巴の神紋。
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 拝殿内。奥には本殿が見える。
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 社殿東側の駐車場から。
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 境内社其之壱、八坂神社。
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 境内社其之弐、多々幸稲荷神社。
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 稲荷神社の参道右手側には石祠が二つと庚申塔が四つ並んでいる。
 シンプルな造りの石祠には三社宮と刻まれていたが、母衣輪神社・八坂神社・稲荷神社で三社ということだろうか? 隣の石祠は境内社に含まれていないところを見ると、昔はこれを稲荷神社の祠としていたのだろうか。

 これで9月14日参拝分終了。
 K10DにFA24-90mm F3.5-4.5 AL [IF]をメインに据えて撮り歩いた訳だが、FA24-90mmは色ノリやキレは悪くないのだが、他のFAレンズやDAレンズよりも些か逆光に弱いのが難点か。

開運稲荷神社

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 八坂神社前の道を北上すると十字路の角に金子建設が見えて来るのでそこで右折。用水路に沿って東進すると福居保育所があるのでその先の交差点を越えて50m程の位置に鳥居と社号標識が建っている。
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 この写真には写っていないが、右手側には由緒書きがある。それによると、
「 友之郷開運稲荷神社
 祭神 保食神(ウケモチの神)
 現在の福居南町は、往古より下野の国 梁田郷 友之郷と称し、当神社の創立は第五十六代清和天皇の御代、貞観年間(今から1,100年前頃)京都伏見稲荷神社の御分霊を友之郷の守護神として奉遷したものと云われています。
 友之郷八木宿は古来より交通の要衝に位置し、人馬の往来が多く、江戸時代初期には京都朝廷より日光東照宮への例幣使街道沿いの主要な宿場町として栄え、友之郷開運稲荷神社には参拝者が絶えず、また縁日には神社境内のほか参道にまで楽市(現在で言う自由市場)が立ち並び、近郷からの物資に満ち溢れ、人々は自由に商いし、村日血は皆憩い潤い、五穀豊穣・商売繁盛・開運成就・家内安全の村社として大いに賑わったとされています。
 時代は移り明治・大正・昭和にかけては、あでやかな歌舞音曲が漂う福居花街を背景に、その賑わいは近郷には類を見ないほどのものでした。
 現在の本殿は天明六年(西暦1786)に改築され、更に大正十一年に再改修されて現在に至って居ります。今日では、静かな杜のたたずまいの中、風格有る社殿に施された豪華な彫刻や、蔵物の極彩色の絵馬等に往時の隆盛が偲ばれます。
 近年、同村社の持つ歴史・文化的価値を見直す運動の盛り上がりと共に、往古を偲ぶ楽市(自由市場)の復活を目指す気運が高まっています。
 平成八年十月吉日 友之郷開運稲荷神社社務所」
 と書かれているのだが、伏見稲荷神社って主祭神が宇迦之御魂大神で、配神に佐田彦大神(サタヒコノオオカミ)、大宮能賣大神(オオミヤノメノオオカミ)、田中大神(タナカオオカミ)、四大神(シノオオカミ)であって保食神は祀っていないんじゃ・・・?
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 石段の左側に庚申塔。
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 階段を上ると拝殿前にお狐様が。
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 拝殿内部。
 扁額に書かれた「開運」の文字がまるで取って付けたかのように浮いている。
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 拝殿左側に並ぶ天満宮と八坂神社。
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 更にその奥には庚申塔と石祠。
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島田町御厨神社

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 八坂神社の真向かいにある御厨神社。
 こちらもやはり子供の頃は遊び場になっていた。今では低く見える神社周りの垣根でさえも、昔はとても高く見えたものだ。
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 拝殿正面。奥には戦没者慰霊碑が見える。
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 拝殿の裏手に石祠。
 こちらが本殿になるのか、或いは御厨神社なので前の大きな祠が天照大皇神でこちらは豊受媛神なのだろうか。
 が、少々気になるのが上の方に付いている星型の紋。これって安倍晴明判紋? いや、むしろ左右の戦没者慰霊碑と絡めて五光星と見るべきか? 大日本帝国陸軍では弾除け(多魔除け)の験担ぎで軍帽に刺繍されていたそうだし。
 そもそも、この御厨神社の由来も祭神も全く判らないのだ。八坂神社の境内に三栗谷区画整理第三区事業竣工記念碑があるが、もしかしたら元々は御厨神社ではなく三栗谷神社だったのではないか、などと思ってもみたり。
 ・・・でもまぁ、こういう時の自分の想像って大抵外れて結局妄想で終わるんだよね。
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島田町八坂神社

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 覚性院の北側へと廻って用水路沿いに西へ進み、二つ目の十字路で北へ折れると石造りの大きな鳥居が見えて来る。千年以上の歴史を持つと言う由緒正しい神社だが、自分は小学生の頃まで近くに住んでいて遊び場になっていた為か、荘厳さよりも親しみやすさを感じてしまったりもする。
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 鳥居をくぐってすぐ右手側には手水舎。手水舎が使い物にならなくなっている神社は少なくないが、ここは水盤下の水道から水が流れ込んでいるため、いつでも綺麗な水が張られている。手水舎の隣には手洗い場があり、今でこそ水道になっているが、昔は井戸水を汲み上げていたものだ。
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 標縄柱の下の方に、首だけの狛犬がこんにちは。あからさまに後付けなのを見ると、破損した狛犬の首だけを再利用したものなのだろうか。
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 参道右手側に並ぶ、大きな改築記念碑と特大の改築記念碑。
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 こちらは全身のある狛犬。稲荷神社にあった狛犬とよく似ていることから見て、同時期の物なのだろう。
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 横から。
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 石板に刻まれた由緒書き。
 創建当時は牛頭天王と奉称したとあるが、自分が子供の頃も八坂神社と呼ぶよりも天王様と呼んでいた記憶がある。と言うか、今でもこの辺りでは天王様と呼んでいるのではないだろうか。
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 由緒書きの裏に隠れるように立っている八坂神社霊殿舊址碑。
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 正面に拝殿。左手側に神楽殿、右手側に社務所。社務所と拝殿は屋根付きの渡り廊下で繋がっており、渡り廊下の下をくぐって裏手に回ることができる。
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 神楽殿。
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 神楽殿側から見た拝殿と本殿。及び社務所。
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 拝殿内には金色の狛犬がおり、奥の扉は閉じられている為に本殿は見えない。
 幔幕に描かれた図柄はヤツデと言うか天狗の団扇かな? この八坂神社は厄除けや病魔退散の御利益があると言われているそうだから、その辺りからか。
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 古い神社だけあってか、年季の入っていそうな木が何本かある。左側の写真の木には注連縄の跡のようなものがあったので、御神木なのかも。でも右側の写真の木の方が異様な迫力があるのよね。

覚性院

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 稲荷神社前の道を東へまっすぐ400m程も進んだ所で十字路を北へ向かい、そのまま進んで突き当たりが覚性院。正式には稲荷山覚性院阿弥陀寺と呼ぶらしい。
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 堂内。
 こちらにはもと島田鎮守稲荷神社の本地仏であった茶吉尼天の像が祀られているのだが、拝観はできないとのこと。この写真では見えないが、奥の方に稲荷大明神と書かれた扁額が置かれていた。
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 堂内の壁に掛けられた茶吉尼天の絵。
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 境内端に天満宮。

島田町稲荷神社

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 先ほどの富士塚前まで戻り、そのまま700m程も北上して行くと左手側に稲荷神社が見えて来る。
 一の鳥居は明神鳥居だが、二の鳥居は何故か神明鳥居。
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 二の鳥居をくぐると拝殿前に狛犬。筋肉もっちりで凛々しい顔付きだが、どこかコミカルな雰囲気がある。
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 拝殿とその後ろに続く本殿。
 珍しい形の御神紋だなと思って調べてみたら、宝珠紋と呼ばれるもので、稲荷神社などでよく使われるものらしい。焔宝珠紋にも似ているが、宝珠の周りが狐の尻尾に見えて仕方がない。
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 拝殿内部。
 正一位稲荷大明神の扁額が掛かり、奥に見える本殿の脇には一対の狐が控えている。
 が、「稲荷神社 島田町」で検索してヒットするサイトを見てみたりすると、ここの祭神は伊弉諾尊・伊弉冉尊を主祭神として、配神に五十猛命と大雷命を祀っていると書かれていたりする。稲荷神社でありながら祭神が稲荷神でないというこの不条理。
 古くは荼吉尼天を祀っていたようだが、神仏判然令によって祭神が変わってしまったのだろうか? しかしそれならなぜ倉稲之魂神や豊受媛神、或いは保食神でなく伊弉諾尊・伊弉冉尊なのだろう。
 ちなみに、こちらに祀られていた荼吉尼天の像は現在は同町内にある覚性院で祀られている。そして「稲荷山覚性院」で検索をしてヒットしたサイトを見ると、この稲荷神社の祭神は保食神であり、足利義兼によって勧請されたもので、神仏判然令以前は覚性院が管理をしていたと書かれている。どちらが正しいのだろう?
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 本殿裏手左側に並ぶ境内社。
 左側の写真は天満宮。右側の石祠群には陶器の狐がやたらと置かれているが、いずれも額の文字が潰れていたり額自体が無かったりで正体不明。
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庚申塔群

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 円済橋手前で矢場川に沿って南下して行くと右手側に島田公園が見えて来る。公園前の矢場川に架かった庚申橋を渡らず、そのまま南東へ進んで行くと今度は田中瀬橋が架かっており、その手前左手側に庚申塔が並んでいる。
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 左端には青面金剛と三猿。

 しかし、えらく迷走しているな、自分。土地鑑のある人なら判るかも知れないが、円済橋を中心にして東へ行って西へ行って北へ行って南に来たわけだ。しかもこの後、また北に向かって行くわけだし・・・。

島田町浅間神社

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 円済橋を渡り、再び島田町へ。
 北東へと道なりに100m程も進むと道が二又に分かれているのだが、その角に富士塚がある。
 石段手前には社号標石にも見える石柱がたっているが、冨士北口登山五十度碑とあるので記念に奉納したものなのだろう。石段を上って左側にある石碑は三十三度碑。
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 右側には食行霊神と小御岳磐長姫命。
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 塚の頂にある、おそらくは浅間神社。
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 その脇に壊れた石祠。以前はこちらが社だったのだろう。

藤本町稲荷神社

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 円済橋を渡って藤本町へ入り、カーブ先の二叉路を南へ向かうと正面に稲荷神社がある。
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 参道右側、鳥居の手前に並ぶ庚申塔。
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 鳥居の先にはこちらを見下ろして来る一対のお狐様。
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 拝殿。この写真は斜め前から撮っているが、鳥居側から見ると何故か横を向いている。
 おかしいなと思い、拝殿の向いている方をと見遣れば、そちらにも鳥居が見える。すると、今入って来たのは脇参道と言うことになるのだろうか?
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 扁額には上野惣社除尼姫稲荷社と書かれているが、ググってみてもさっぱり。玉姫稲荷や菊姫稲荷などは女性の守り神として尊崇を集めたと聞くから、ここもそう言ったものなのだろうか。ところで除尼姫ってなんて読めばいいの。じょにひめ?
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 拝殿の中に掲げられた額の中に女性のような絵があるのだが、これが除尼姫だろうか。
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 神楽殿。
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 拝殿の左脇に小高い塚があり、塚頂に謎の石祠。左下に見える石柱には御神燈の文字が見える。
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 塚の麓には富士嶽社。
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 富士嶽社より更に一段下がった所に小御岳磐長姫命と食行霊神。
 通常、富士塚は塚頂に浅間神社があるものだが、ここはなぜか麓辺りに富士嶽社があり、塚頂にはそっぽを向いた謎の石祠があると言う不思議。
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 富士塚の左には石の上に載った石祠。更にその左に建てられたばかりなのか、何も納められていない覆い屋があった。
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 拝殿左奥、塚の西側にも石祠。これは二柱の神を祀っているのだろうか? 片方塞がれているようだけど。
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 反対側へと廻り、社殿右奥。こちらには天満宮がある。
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 東側から。
 こちらからは拝殿が正面を向いているので、こちらが表参道になるのだろうか。しかし社号標石も無ければお狐様の姿も無い。やはりこちらが表とは思い難い。
 そう言えば、上野の花園神社も表参道に対しては横を向き、脇参道に正対していたっけ。

島田町天満宮

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 島田町と藤本町の間を流れる矢場川に架かった円済橋から南東に100m程の位置にぽつんと建っている天満宮。
 なんでこんな所に建っているんだろう。

小曽根町浅間神社

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 神明宮より南東へ向かい、八坂工業団地から筑波小学校の脇を抜け、県道278号線に合流したら東へ200m程進んだ所に小さな看板が立っている。この看板脇の坂を上って行った先に浅間神社があるのだが、結構見落としやすい。実際、看板に気付かずにスルーしてしまい、永宝寺の裏まで行ってしまった。

「足利市重要文化財(史跡)
小曽根浅間山古墳 一基
 全長約58mの前方後円墳。墳丘の高さは前方部が約3m、後円部が約7mと前方部が低く、短い特徴がある。出土する円筒埴輪は、縦ハケで口縁部を受け皿状にし、方形あるいは巴形の透かし孔を有する。
 以上のような墳丘の形状や埴輪の様相は、前期古墳の特徴を示すものであり、藤本町の藤本観音山古墳とともに市内における稀少な前期古墳として貴重である。また、埴輪は県内で最古の様相を示すものであり、古墳文化導入期の社会を解明するためにも貴重な古墳である。
 平成15年6月20日指定
 足利市教育委員会」
 と書かれているが、周囲は民家が建ち並んでおり、古墳の一部は削られてしまっていたりする。
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 墳頂に建つ浅間神社。塀で仕切られていて奥には進めないが、塀の向こうには末社や下りの階段が見えた。
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 右端は稲荷神社だろうか? 残り二つは皆目見当もつかない。
 脇に階段があったので、古墳を回り込めば上って来られるかもと思ったのだが、前述したように周囲は民家になっているので入ることができない。もしかしたら末社ではなく北側の家の屋敷神なのかも知れないが、それにしては向きがおかしいので、やはり末社なのだろうか。

県町神明宮

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 県駅の脇を通る道を南西へと進んで交差点を越え、十字路にさしかかったら右折、そのまま道なりに進めば神明宮前に到着する。県駅からは直線距離にしておよそ700m程か。
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 四段ほどの石段を上るとすぐ左手側に庚申塔。
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 神明鳥居と、その手前両脇に狛犬。
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 境内は広め。向かって左側に境内社が並び、上の写真には写っていないが、右手側には社務所がある。
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 左奥は八坂神社。手前に並ぶ石祠群は額が破損していたり文字が潰れたりしていて、どなたを祀ったものなのかは不明。
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 横から。

金塚稲荷神社

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 八雲神社からは大通りを避けつつ南下して朝倉町を過ぎ、福居町へ。40号線に架かる朝倉跨線橋東側のX字路を南へ進んで行くと龍泉寺があるのだが、今回の目的地はその隣と言うか敷地内と言うか、微妙な位置にある稲荷神社。
 まっぷるにもGoogleマップにも記載されていない神社だが、Wristletさんの参拝記に記されていたのでその存在を知ってみたり。本当にいつも貴重な情報ありがとうございます。
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 鳥居の手前には正一位金塚稲荷大明神改築記念碑と彫られた石碑が立っている。後ろに見えるのは言わずもがな。
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 二の鳥居の奥、拝殿前には狛犬によく似たポーズのお狐様。
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 拝殿。ゴースト出ちゃった。

 これで9月7日参拝分終了。
 大した量でもないので二日~三日でupし終わると思っていたのだが、四日もかかってしまった。最近なんだか色々とやる気がおきないのー。

田中町八雲神社

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 中橋を渡って足利市駅を越え、そのまま38号線を南下して右手側に多部田歯科医院が見えたらそこで右折。西に向かってまっすぐ進めば100m程で八雲神社前。ちなみに駐車場は無い。
 足利市内にある八雲神社はここで七箇所目。Wikipediaには足利市内に五社と書かれているが、実は七社あったりした訳で。
 社号標石の裏、鳥居の左手前に由緒を記した石碑があり、それによると、
「当神社は、平安年間に創建されたと伝えられております。裏山に古墳瓦窯跡地、山頂に足利長尾氏の、富士山砦址地がある。
 現在、古墳上蓋岩と、出土刀が保存されている。
 古代、田中は田中郷と言い、伊勢神宮の、神領で御供米を耕作する皇室直属の農民と農地で条理もあり歴史にその名が残されております。
 天正十八年(1590)羽柴秀吉軍により足利長尾氏は滅び神宮領は没収されて徳川氏領となり検地をされ田中村と改まる。
 元禄十年七月(1697)金御幣寄進 椎名甚大夫正信、宝暦十二年二月(1762) 本殿再建される。
 正一位牛大明神、別当医王寺の棟札がある。
 江戸後期(1848)頃石灯篭寄進 田部井新右衛門義信(藩御代官)
 明治二年(1869) 八雲神社と改称される。
 平成十年四月(1998) 本殿保存大修理が完成する。
 御祭神 素盞嗚男尊
 併記社 石尊宮、天満宮、三峯宮」
 と言うことだそうだ。しかし、文体が安定してないな、この碑文。他人のことは言えないけど。
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 狛犬。吽形の方が妙にギョロ目だ・・・。
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 階段を上りきった先には拝殿。左に見えるのは社務所。
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 右側へ回り込むと、裏手に鳥居があり、額束には天満宮とある。右側に並んでいる石碑は奉納記念碑だったり寄進者の名前が刻まれていたり。
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 左から石尊宮、天満宮、三峯宮。と言うことは祭神は大山祇神、菅原道真公、伊弉諾尊・伊弉冉尊か。
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 こちらは社殿左裏に並ぶ庚申塔群。こちらの祠の祭神は判らないが、庚申塔と並んでいるところを見ると、猿田彦神だろうか?

水神宮

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 八雲神社前から県道67号線を東へ向かい、通二丁目交差点で南へ。踏切を越えた先の十字路を東に進み、永楽跨線橋下の駐車場で北へ折れるとすぐ左手側にある。
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 水神宮と刻まれた石碑と、何故か鳥居から外されている扁額。
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 中を覗きこむと石の祠が二つ並んでいる。左の大きな祠が水神様だと思うが、右はどなただろう?
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通五丁目八雲神社

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 織姫神社大鳥居前の交差点を南に向かい、通四丁目交差点から西に数歩歩けば八雲神社の前に着く。ここからそう遠くない所に緑町八雲神社があるが、緑町のものが上社でこちらは下社になるそうだ。
 ちなみに、こちらの祭神は素盞嗚尊ではなく奇稲田姫命。
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 鳥居の脇には銀杏の木が生えている。目通り周は3.45m、高さは25mだと言う。
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 参道途中には小さな神橋のようなものがあり、右側に手水舎がある。
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 左を向けば白塗りの蔵が並んでいる。祭具殿だろうか?
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 拝殿。柵に阻まれ、これより先には進めない。
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 なので、回り込んで柵の隙間から撮影。望遠レンズがあれば反対側の歩道橋の上から狙えたのかも知れないが、この日は最も長焦点のレンズでも70mmだったので、無理。
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 同じく、柵の隙間から境内社を撮影。祭神は不明。

明石弁天

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 八幡宮より更に南下、第二中学西の交差点で足利環状線を離れて川沿いに進んで行くと見えて来る。足利七福神の一つでもある(ただし足利七福神は11ヶ所ある)。
 こちらは美人弁天と称しているようだが・・・はて、二年前に参拝した時にはこんなのはやってなかったような気がするのだが。
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 拝殿。看板には市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命のいわゆる宗像三神が祭神であると書かれている。
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 狛犬。全く面白味が無い。
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 拝殿の右奥へと進んで行くと、参道右側に織姫神社、突き当たりに天満宮がある。
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 拝殿手前の参道途中にあるお堂の中には一面八臂の弁天様。これは金光明最勝王経というお経に書かれている姿だとか。
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 お堂の左右にも弁天様。こちらは二臂で琵琶を持っているが、大日経というお経に書かれている姿だそうだ。妙音弁財天とも呼ぶらしい。
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 三弁天の対面にある弁天様。こちらも妙音天タイプ。
 ・・・んー、宇賀辨財天タイプのものは無いようだ。まぁ、宇賀神も混ぜるとお稲荷様とかも入ってくることになってややこしくなるからねー。

三奇八幡宮

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 284号線を南下し、江川町二丁目交差点南側より西に伸びる細い道の入口に江川町八幡宮と小さく案内表示があるのでそこを入って行くと、突き当たりに鳥居が見えて来る。
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 江川八幡宮は足利頼氏により勧請され、主祭神は誉田別尊。左殿に長尾景長、長尾景春、右殿に斎藤伊豆守を合祀し、地元では三奇八幡宮とも呼ばれているそうだ。実際、一の鳥居の脇にある石灯篭にも三奇八幡宮と刻まれていた。
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 二の鳥居手前右側には神輿を納めた祭具殿。左側には社務所があった。
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 階段を上って右側に水盤・・・だよね?
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 拝殿。
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 拝殿手前右脇に立つ案内板。
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 別角度から。
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 拝殿奥右手側に並ぶ境内社。右から二つ目が天王宮、その左が機姫宮。左端は多分御稲荷様。
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 こちらは左奥にぽつんと離れて立つ境内社。祭神は不明。

江川大神宮

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 県道284号線を北上して行くと、袋川と交差する辺りに三辻橋という小さな橋が架かっているのだが、その橋の手前、284号線の左下に天照皇大神宮と刻まれた社号標石が建っている。Googleマップにもまっぷるにもこの辺りに神社があるとは記載されていないのだが、地元の民話を集めた北の郷物語には月谷町に程近い江川町の山上に大神宮があると書かれている。実際、三辻橋より南側が江川町、北東が田島町、そして北西に月谷町があるのだから、北の郷物語に書かれている大神宮と言うのはここのことなのだろう・・・が、これ、入って行くの無理。
 四月と十月に例祭があるそうなので、その頃になれば登って行けるようになるだろうか?

助戸町稲荷神社

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 県道67号線を八束穂稲荷神社より更に東に向かって行くと北側に見えて来る。一の鳥居こそコンクリートの神明鳥居だが、その奥に六基の朱塗りの鳥居が連なっている。
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 三の鳥居と四の鳥居の間に待ち構える狐。
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 鳥居を抜けるとトリコロールな拝殿。奥に見えるのは助戸一丁目集会所。
 稲荷神社であることは判るのだが、この神社の由来などは不明。
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八束穂稲荷神社

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 鹿嶋御嶽神社の北を走る県道67号線を東に向かうと旬亭という日本料理の店があるのだが、その隣にある駐車場の中にぽつねんと建っている小さなお稲荷様。屋敷神のようにも見えるが、Googleマップにはしっかり記載されている。
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鹿嶋御嶽神社

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 助戸郵便局前まで戻り、先程スルーした鹿嶋御嶽神社へ。
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 神明鳥居の手前両脇には狛犬。
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 割と広い面積が日陰になるので涼むのには良さそうなのだが、休憩禁止の張り紙のせいか人の姿は見当たらない。
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 鹿嶋神社の祭神は武甕槌命であろうが、御嶽神社の方の祭神はどなただろう? 御嶽神社は赤城神社以上に祭神が一定していないので判らない。しかも場所によっては「おんたけ」だったり「みたけ」だったりするのも困る。
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 多分、神楽殿。
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 境内社。しかし何神社なのかは判らない。
 この神社の面白いところは社務所と本殿が繋がっていることだろうか。神楽殿も隣接しているので、雨が降っても祭事を執り行うのに困ることは無さそうだ。

助戸町御嶽神社

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 飯成神社より北東に向かい、両毛線の踏切を越えた先にある助戸郵便局前の十字路を西へ進んで行くと理容院があるのでそこの十字路を南に入って行くと民家の脇に鳥居が見えて来る。鳥居には扁額が付いておらず、拝殿にも神社の名を示すものは無いのだが、Googleマップでは御嶽神社となっている。
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 拝殿の裏手には小高い塚があり、聖徳太子と刻まれた石碑とその前に石祠が三つ、左下に祠が見える。塚の高さは3mくらいかな? 草が茂っていなければ登って行けそうだったのだが。
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 塚の上には「八海山提頭羅神 御嶽山座王大権現 三笠山刀利天」と刻まれた石碑がある。どうやらここは御嶽教の神社であるようだ。

飯成神社

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 県道8号足利館林線沿いにある足利税務署前の交差点を北へ進んで行くと右手側に小さな神社が見えて来る。社殿自体はあまり目立たないが、朱と黒の稲荷鳥居が人目を惹く。きちんと掃除もされていてこざっぱりとした綺麗な神社だ。
 飯成→いいなり→いなり→稲荷なのだろうが、なぜ飯成という字を使ったのだろう? ちょっとググってみたら愛媛や新潟、福島、北海道にも飯成神社はあるようだ。稲荷神は食物神でもあるので飯成でも特に違和感があるわけでもないのだが、ちょっと不思議。
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岩井山赤城神社

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 福寿大橋の西側、渡良瀬川がC型にくねった北側に位置する離れ小島のような山だが、室町時代末期には長尾景人によって勧農城と言う城塞が築かれ、上杉勢の拠点になっていたそうである。
 ちなみにこの写真は福寿大橋を背に、渡良瀬川南側の堤防から撮影。
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 堤防北側から。左側に伸びる橋は岩井橋。岩井山の手前には白鴎大足利高野球グラウンド。
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 岩井橋より撮影。左手側中腹に赤城神社が見える。
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 入口。左側に案内看板が立っている。
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 階段を上り、左を向くとすぐに鳥居。参道左側に手水舎があり、右側に崩れかけ廃墟と化した家屋がある。
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 参道に沿って進んで行くと右手側に社殿がある。こちらの祭神は磐筒男命(イワツツオノミコト)と磐筒女命(イワツツメノミコト)。赤城神社は祭神が一定していないなぁ。
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 狛犬。
 吽形の左側から奥へ、舗装はされていないがそれなりに切り開かれた道が伸びており、蜘蛛の巣を払いながら進んで行くと、乳房地蔵尊という額の掛かった小さなお堂が見えて来る。
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 お堂の前にはお地蔵様がずらりと並んでいる。
 お堂より奥はお墓だらけで進んで行くのが申し訳ないような気分になってくるが、頂上には城跡があるのだろうと思い登って行ってみたのだが・・・上も墓だらけだった。
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 お堂の前を右に進んで行くと赤城神社へ。石段を下りて墓を横目に進んで行くと民家の横へと出ることになる。

上之宮神社

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 足利市は渡良瀬川で南北に分断されているため幾つもの橋が架かっているのだが、その内の一つ、福寿大橋の脇から渡良瀬川北側の堤防へ自転車を進め、東へと走って行くと堤防の下、北側に上之宮神社が見えて来る。三月の初め頃にも一度参拝しているのだが、その時はあまり撮影をしていなかったので改めて参拝。
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 拝殿。鎧戸で覆われており、中は見えない。
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 拝殿の右奥には水神宮と刻まれた石祠と神輿の納められた祭具殿らしき小屋、そして正体不明の石祠と末社。扉が三つあるが、三柱の神が祀られているのだろうか。
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 拝殿左側には天照皇大神と刻まれた石碑があり、その奥に二つの石碑と九つの石祠が並んでいる。
 石碑は左側に「岩永姫命」、右側に「烏帽子磐 身禄霊神」と刻まれており、石祠は左から三つ目が天王社。左から二つ目には彦大神とのみ文字が残っていたが、猿田彦神だろうか。そう言えば、ここって猿田町なんだよね。
 ところで、この上之宮神社自体の祭神はどなたなのだろう?
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