西方町八幡宮

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 293号線を足利へ戻る途中、道のすぐ脇に神社が見えたので立ち寄ってみることに。ここまで戻って来る途中に通り過ぎて来た神社も結構あったのだけど、大抵反対車線側だったからなぁ。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
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 拝殿内部。
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下奈良部町磐裂神社

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 南上野町の星宮神社の北東400m程に位置する磐裂神社。
 右側に見える石祠には雷電大神・豊年大神・八坂大神と書かれた木札が収められていた。
 こちらの神社は文永元年(1264年)に再建されたとのことなので、創建はそれよりも古くなるのだろう。また古くは星宮と称し虚空蔵菩薩を祀っていたそうだが、明治初年に磐裂神社に改称したのだそうだ。
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 参道は綺麗に掃き清められていた。
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 拝殿。
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 本殿脇に境内社群。
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 反対側にも境内社。

南上野町星宮神社

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 大和田町の星宮神社から直線距離でおよそ600m程北東にもう一つ星宮神社がある。
 敷地は大分広いようで、右奥の方にも鳥居が見える。
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 境内。
 二の鳥居は白木造りの神明鳥居。
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 参道の左側にプレハブがあり、その裏手に境内社群。
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 参道から右側に外れるとこちらにも境内社。
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 狛犬。
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 裏手より。
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 三の鳥居・・・に、なるのかな?

大和田町星宮神社

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 黒川の流れるすぐ近くに大和田町の星宮神社がある。
 星宮神社なので御祭神は天津甕星かなと思いもしたのだが、磐裂神・根裂神の本地仏が虚空蔵菩薩であり、先の根裂神社の例もあるのでこちらの御祭神も磐裂神・根裂神ではないだろうか。
 ググってみたら、こちらの神社はかつては三光神社と称していたが、明治初年に星宮神社に改称したとのこと。三光神社と言うことは御祭神は天照大神と月読尊、素盞嗚尊になるのだろうか。
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 鳥居をくぐってすぐ右側に境内社。
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 反対側、つまり左側にも境内社。白雲山とあるのは妙義権現だろうか。
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 狛犬。
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 ついでに正面から。
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 拝殿内部。
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 左奥の方にも境内社。
 左端の木札には稲荷社と書かれていた。その右が星宮稲荷。あとの二つは不明。

上石川愛宕神社

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 根裂神社から南へぐるりと回りこみ、流通団地中央通りにさしかかる手前に愛宕神社がある。
 形状的に見て古墳ぽい感じだなーと思い調べて見ると、やはり上石川大塚6号墳と呼ばれる古墳の上に建てられた神社であるようだ。
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 鳥居をくぐり、左を見ると石祠がある。が、どなたを祀ったものかは判らなかった。
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 階段を登った先に愛宕神社。
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 ちんまり。

上石川根裂神社

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 121号線を北上し、石川小学校前で左折して少し進むと根裂神社がある。
 こちらでは磐裂神・根裂神に加えて瓊瓊杵尊を御祭神としているそうだ。昔は星宮と称していたが、明治二年に根裂神社に改称したとのこと。
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 境内はひっそりとしている。
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 狛犬ーず一号。
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 狛犬ーず二号。
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 拝殿左脇に聳える高野槇と、その隣に境内社。
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 本殿裏手左側に境内社群。
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 本殿裏手右側に壊れかけた境内社。彫刻や彩色も施されている。

 二回目

下石川磐裂神社

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 運転免許証の更新の為に鹿沼の免許センターまで行って来たので、ついでに周辺の神社でも参拝して行こうかなと。
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 神社の前には公民館。
 磐裂神社と言うことはこちらの御祭神は磐裂神と根裂神だろう。鹿沼の周辺には磐裂神社や根裂神社、磐裂根裂神社と言った名前の神社が多いが、いずれも祭神は磐裂神と根裂神のワンセット。
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 拝殿左脇には神輿を収めた建物がある。
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 境内社。
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 二回目

瀧の権現神社

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 東毛少年自然の家の手前大体300m辺りに位置する瀧の権現神社。
 駐車場脇の説明看板には
「この地名の謂われは近くに八王子山系より流出する沢水が滝となり壮観を呈することから、この地が滝の入と呼ばれるようになったという。
 老松古杉のうっそうとした景勝の地に瀧の権現神社を建立したものと思われる。
 そして、明治の中ごろ滝ノ入鉱泉福寿館が開業した」
 と書かれている。滝の神様と言うと龍神とか瀬織津姫命と言ったあたりが思い浮かぶが、瀧の権現とは特に誰ということでもなく、こちらの土地神様のようなものなのだろうか。
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 境内社群。
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 庚申塔群。
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 神社の南側には沼。

温泉神社

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 開祖今井館と室田内科の間の道を北へ歩いて行くと右手側に温泉神社の鳥居が見えて来る。
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 もっと小さな神社だろうと思っていたら意外と立派な神社だった。
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 温泉神社と言えば祭神は大己貴命と少彦名命・・・ではなく、こちらは薬師如来。尤も、少彦名命と薬師如来は習合されることも少なくないので、まぁ納得。
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 階段の中央を手摺が走っているおかげで、狭い。
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 拝殿と境内社群。本殿脇にはなぜか物置が設置されている。
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 反対側にも境内社三つ。手前から年徳神、三峯山、よく読み取れなかったけど琴平宮かな。
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 階段を下りて行くと・・・なんだろう。薬師堂かな。
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 お堂の中。大量の三角布団が吊り下げられているのはどういう意味だろう。
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 庚申塔群。

阿弥陀如来堂

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 西山古墳の南側に位置する阿弥陀如来堂。
 仏像は厨子に収められているので見ることはできない。
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大山祇神社

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 西山古墳の麓近くに四阿があり、その向こうに小さな鳥居が見える。
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 石のプレートには大山祇神社とある。
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 大山祇神社から左奥へと進んで行くと西山古墳。この辺り一帯が古墳なのかと思っていたのだが、違うのかな。
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三島神社

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 藪塚町の西山古墳の北西に三島神社がある。神社の東側には三島神社公園があるので、そちらに車を停めることができる。それにしても、こちらの方に来るのも久しぶりだなぁ。
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 鳥居手前右側には道祖神と壊れかけた石祠。
 こちらの石祠の前には三島神社改修記念碑が建てられており、それには
「この神社の境内と周りには、縄文時代や古墳時代の住居跡があり、社殿の下からは子持ち勾玉も出土しています。これらのことから、ここは古くから信仰の場所だったのかも知れません。
 三島神社の勧請年代は不詳ですが、新田義重の孫義房が建久年間(一一九○~一一九九)頃伊豆国(静岡県)の三島大社から勧請したと言われています。また、元弘三(一三三三)年、新田義貞が鎌倉攻めのため旗挙げをした時、一族の長岡氏がこの神社に戦勝祈願をしたとも言われています。その後、新田氏が衰えたため、神社は荒れ果ててしまいました。寛政四(一七九二)年、村民が協力して祝詞と幣束を受け復興しました。
 平成十六年六月社殿の一部を修理した際に、寛政四年の祝詞や幣束、その他縄文時代の石棒破片、江戸時代の神鏡など神宝とも言うべき物が出てきました。これを機会に神社に関係する地域の皆様ご芳志をいただき、社殿や境内の改修を行いました。これを記念してこの碑を建立しました。
 平成十七年十月吉日
 三島神社改修及び祭典実行委員会」
 と刻まれていた。
 また、鳥居をくぐってすぐ左手側には神社の由来を刻んだ石碑が建てられている。
「この神社の祭神は事代主神(大国主命の子)である。この神は神話によると、出雲に住み父を助けていたが、国ゆずりの時に大いに働いたといわれている。この神社は静岡県三島市にある三島大社からの分社であるといわれているが、いつからここに祀られているのかは不明である。源頼朝が三島大社を崇敬したことから源氏の一族も崇敬するようになったといわれている。このことから源氏系である新田氏の一族藪塚氏によって勧請されたのではないだろうか
 神社のあるこの丘は自然の丘で少なくとも古墳時代の初め頃から祭祀場とされていた形跡がある。これは昭和十六年頃の社殿改修時に子持ち勾玉が出土していること、昭和五十九年の発掘調査でも東の方から石製の三種の神器の模造品が出土していることから想定できる。また、縄文時代中期(四千年程前)の住居跡もあったことから、昔から人が住んでいたこともわかったのである」
 三島神社と言うことなので祭神は大山祇神かと思っていたが、どうやら事代主神であるようだ。
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 狛犬。
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 階段を登りきった先には拝殿。拝殿には絵馬が一つだけ掛けられていた。
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 拝殿右側には青面金剛と庚申塔。その奥に三山代参之碑。三山と言うのは出羽三山のことだろうか。
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 拝殿左側には境内社群。
 廣木宮、蚕影山、天満宮、大年神、御井神、春日大明神、愛宕神社の文字は確認できたが、判らないもの多し。ところで廣木宮ってなんだろう。もしかしたら廣峯宮かも。
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 なぜか鳥居のあたりをうろちょろしていたチャボ。

血方神社春神楽

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 今日と明日は小山市の血方神社の春季例祭と言うことなので、友人と一緒に参拝。
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 人出は多く、賑わっている。特に神楽殿前でカメラやビデオを構えた人達が多く、足利の神社の例祭ではこれほどの数の撮影者はなかなか見かけない。栃木県内で巫女舞のある神楽はここを含めて二箇所しかないとも聞くし、珍しさもあるのかな。でも年配者の方も多かったし、お孫さんの晴れ姿を撮っていたりするのかも。そう言えば地元のケーブルテレビも撮影に来ていたな。
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 自分達は午前の部だけで引き上げてしまったのだが、午前の演目は五行の舞、那岐那美の舞、天狗の舞、八幡の舞、五行の舞、五行の舞、翁の舞、蛭子の舞の六座(八座?)。五行の舞が有名なのは知っているが、何故に三回も・・・。
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 那岐那美の舞。
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 天狗の舞。動きが激しくてブレるブレる。
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 八幡の舞。こちらも激しい動きでブレまくる。
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 五行の舞。
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 翁の舞。何故に翁が刀を持っているのだろう。
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 蛭子の舞。煙草を咥えたおかめなんて初めて見た。
 天狗の舞でもそうだったが、蛭子の舞の後にも餅やお菓子を投げるので神楽殿の前には子供が群がっていて微笑ましい。
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 脇のほうではひっそりとお花が売られていたり。

霊験稲荷社

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 今日は足利学校の中にある霊験稲荷の春季例祭。足利学校の参観料は有料(400円)なのでこう言う機会でも無いと参拝しに行く気が起きないのだが・・・しまった、人が多くて落ち着いて撮影できん○刀乙
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 鳥居の手前右側に由緒書きがある。それによるとこちらは450年以上の歴史があり、天文二十三年(1554年)に八幡大菩薩を合祀、明治七年(1770年)に稲荷大明神から正一位霊験稲荷社と改称したとのこと。と言う事は主祭神に宇迦之御魂神、配神に品陀和気命ってことかしらん。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
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 拝殿内部。
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 霊験稲荷社入口前では饅頭(だったかな?)を売っていた。

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 稲荷社の隣には孔子像。
 その前に一対の狛犬・・・とは違うのかな、これは。両方とも阿形だし。中國嘉祥武氏祠と刻まれているが、ググってもよく判らない。中国から取り寄せたってことだろうか。

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 足利学校の書院と方丈を繋ぐ廊下の途中に展示されている弁天宮。
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 池に囲まれた築山の上には複製された弁天宮が見えるが、北庭園には下りることができず、方丈の北側の廊下は封鎖されているので近付くことはできない。

 この他、遺蹟図書館では三月十九日から五月二十一日まで霊験稲荷社展を開いているのだが、撮影禁止なので写真は無し。
 1.足利学校稲荷社図(天保十二年奉納)
 2.正一位霊験稲荷社の図(明和元年)
 3.那須与一扇の的の図(明治二年二月)
 4.社殿袖部分彫刻「紅白梅」(明治九年二月寄進)
 5.石製狐像(嘉永三年九月)
 6.足利学校遺跡全図并略歴(明治三十五年三月十日発行)
 7.杉丸太鳥居奉納札(明治四十年)
 8.向い狐図(明治四十年)
 9.白狐図
 の九点が展示されているが、1~3は今日までの展示だそうだ。石製狐像は毛並みまで彫られた丁寧な作りのもので、つい見入ってしまった。

本城雷電神社奥院

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 本城の雷電神社に参拝したのはほぼ一年ぶり。今月の26日には春季例祭があるようだ。
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 拝殿裏から伸びるハイキングコース。
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 ハイキングコース起点から10分ほども登って行くと道標。ここまでは登り易いように木段が続いていたのだが、山を歩き慣れていない身にはかなりきつい。休み休み登っていたので、山歩きに慣れた人なら10分もかからないかも。
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 道標から右へと歩いて行くと見晴らしは良いのだが、どうやら目的地とは反対方向だったようだ。
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 道標まで戻り、両崖山と書かれた方へ登って行くことおよそ5分。石造りの鳥居を発見。鳥居は予想外に小さく、腰をかがめないとくぐれない。
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 鳥居をくぐると石祠がちょこんと鎮座ましましている。
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 石祠の左奥に四等三角点があり、それより少し下がった場所にある岩の上にプレートが置かれていた。
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 さすがに山頂だけあって見晴らしは良い。

 これであとは帰宅するだけ・・・だったのだが、雷電神社まで戻った時にはもう足がガクガクになっていた。五十部町の湯殿山神社や月谷町の飯縄神社に比べれば幾分は楽だったような気もするのだが、足へのダメージは一番大きかったようだ。ただ立っているだけで足が震えてきたが、自転車を漕いでいる分には楽だったので帰宅するのに不都合が無かったのは良し。・・・筋肉痛が怖いなー。

小谷辨財天

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 本城の青木病院前の道を北西へとずっと進んで行くと小谷辨財天への案内板が見えて来る。以前Wristleさんのサイトで見てから気にはなっていたもののどこにあるのか判らなかったのだが、楚巒山楽会代表幹事様の運営されている「やまの町 桐生」にこちらの神社の記述があったのでようやく判明。
 「すぐそこ→」と書かれてはいるが、この看板の左側の道をまっすぐ歩いて行くと二分ほどで小谷辨財天に到着する。
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 夏場なら鬱蒼とした木々に覆われてそれなりに趣きもあるのだろうが、今の時期では寂しいだけか。
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 本殿。

大月町浅間神社

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 生目神社の脇から伸びている道を南へと歩いて行くと右手側に浅間神社が見えて来る。
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 拝殿内部。本殿ちっちゃ!
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 境内社やら庚申塔やら。境内社はいずれも不明。
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 反対側にも。左奥の石祠は石尊宮。
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 西大月せんげん会館。

生目神社

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 川沿いの道を東側へと入って行くと突き当たりに生目神社がある。鳥居の額には生目八幡宮と浮き彫りにされているが、勧請元の生目神社は明治の初期に生目八幡宮から生目神社に改称されたそうなので、こちらの鳥居は改称前に建てられたものなのだろうか。
 こちらの神社は宮崎市大字生目の生目神社を勧請したものだそうなので、御祭神は品陀和気命と藤原景清公なのだろう。ちなみに藤原景清とは源平討魔伝で有名な平景清の本名。
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 拝殿内部。
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 拝殿の壁には絵馬がいくつも掛けられているのだが、どうにもエヴァンゲリオンのリリス(あちらは七つ目だが)を思い出してしまう。いや、むしろこれだけの数があると拘束制御術式を解放したアーカードか。まぁ、それはどうでもいいんだけど。
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 拝殿脇に正体不明の石祠。
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利保町御嶽神社

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 足利第一病院の西側の道を北上して行くと、名草川にさしかかる手前右側に御嶽神社。
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 これを見ると、こちらの御祭神は国常立命と蔵王権現(安閑天皇?)。他に諏訪神社、愛宕神社、雷電神社が合祀されているそうだ。
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 鳥居の脇に歌碑と庚申塔。
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 鳥居をくぐると左右に庚申塔や青面金剛がぐるりと配置されている。
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 階段を登りきると、奥に拝殿。
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 拝殿の裏手、左右に一つずつ石祠があり、左側は山神との文字が見えたが、右側は摩滅していて判らなかった。
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 拝殿の右側から山頂へと続く道が伸びているが、特に起伏も無い上に枯葉のおかげで滑りやすくなっている。
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 山頂には雷電神社。これが合祀されている雷電神社なのかどうかは不明。また、脇の小さな石祠も文字が刻まれていなかったので何神社なのかは不明。
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 雷電神社の奥へと道が続いていたので進んでみると、やがてお地蔵様らしき坐像が見えて来る。ここから先はお墓になっているようだが、脇に建てられていた石碑には愚山阿由葉鍋造碑とあったので、こちらも阿由葉家所縁の地のようだ。
 それはさておき、墓の脇を抜けて行けば山を越えて下りていけるようなので、失礼して進ませて頂く事に。
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 墓の脇を抜けると下りの石段があり、途中に根本山神社と浅間神社が並んでいた。

丸山町八幡神社

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 裁判所前にある八幡神社。
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 隣は丸山町の自治会館だが、社務所も兼ねているのかも。
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 拝殿内部。本殿は見えない。

助戸東山町雷電神社

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 助戸仲町の交差点で北上して行くと、東山小学校の向かいに雷電神社の鳥居が見えて来る。駐車場が無いのは判っているので、今回は自転車で移動・・・とは言え駐輪場もないので鳥居の脇に置いて進むことに。
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 石段が伸びているが距離はそれほどでもなく、わりとあっさり山頂に着くことができる。
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 山頂手前には四阿があり、右奥に見えるのが雷電神社。
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 本殿。新築されたばかりなのだろうか。
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 拝殿前からの眺望。
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愛宕大神

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 八束穂稲荷神社の脇を通りかかった時、ふと奥の方に鳥居が見えたので立ち寄ってみると、おや、こんな所に神社が。そう言えば、以前Wristletさんが八束穂稲荷神社の近くにもう一つ神社があると書いていたが、ここのことだったのか。・・・なんで前回気付かなかったかな。八束穂稲荷とはせいぜい十数mしか離れていないのに。
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 覆い屋の手前にはお坊さんらしき石像が。
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 扁額には刻まれた文字はいまいち読み難いが、木之霊大神と読めないこともない。木の神様と言うと、久々能智神か五十猛命・大屋津姫命・抓津姫命あたりだろうか。

 2015年5月1日追記。
 コメント欄で御指摘を受けました。木之霊大神ではなく、愛宕大神であるそうです。と言う事で、エントリーのタイトルも変更しました。
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