稲荷鬼王神社

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 職安通りを東へ歩いて行くとそのうちに鬼王神社前交差点に当るので、そこで南に進むとすぐに稲荷鬼王神社がある。区役所通りは何度か歩いたことがあるが、さすがにこちらの方まで来たことは無かった。
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 拝殿の向こうにガラス張りのビルが見えるってのも、なんだか凄いなぁ。
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 狛犬。・・・うん、なんかインパクト凄い。
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 蹲った姿の鬼の頭上に水鉢を乗せた珍しい様式・・・と言われても、よく見えない。
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 参道左手側に恵比寿神社・・・と、額には書かれているが、由緒書きには三島神社と書かれており、御祭神は事代主命。新宿山ノ手七福神の一社で、開運恵比寿神社とも呼ばれているそうだ。
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 こちらの向い側にある「かえる石」に水をかけ、かえる石をさすりながら三回願をかけると願いがかなうそうだ。交通安全・開運・金運・縁結び・健康・その他所願などの御利益ありだとか。
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 拝殿。
 拝殿前から左へと参道が伸びており、その途中に由緒書きが設置されている。
『稲荷鬼王神社御祭神
お稲荷様 宇賀能御魂命
鬼王様  月夜見命・大物主命・天手力男命

稲荷鬼王神社由緒
「鬼」というと私達はとかく悪いイメージをもちがちですが、古来、「鬼」は神であり「力」の象徴でもありました。又「鬼は悪魔を祓う」といわれ、すべての災禍を祓う力があります。その為、鬼を祀ったり、鬼の名のつく社寺は全国に幾つもあります。しかし、その「鬼」の王様という意になる「鬼王」という名のある社寺は全国で当社のみです。この為、江戸時代は近在の農家の人達だけでなく、江戸から武士や商人、職人と多くの人が参拝にまいりました。現在では地図で見る新宿の中央にある唯一の神社としても注目を集め、全国から当社の御神徳を得ようとする方々が詣られております。扠この全国一社福授けの稲荷鬼王神社の由緒は左記の通りです。
 古来より大久保村の聖地とされたこの地に承応二年(1653年)、当初の氏神として稲荷神社が建てられました。宝暦二年(1752年)紀州熊野より鬼王権現(月夜見命・大物主命・天手力男命)を当地の百姓田中清右衛門が旅先での病気平癒への感謝から勧請し、天保二年(1831年)稲荷神社と合祀し、稲荷鬼王神社となりました。それ故、当社の社紋は稲荷紋と巴紋の二つがあるのです。紀州熊野に於いて鬼王権現は現存せず、当社はそれ故、全国一社福授けの御名があります。この鬼王権現は、湿疹・腫物を初め諸病一切に豆腐を献納し、治るまで本人或いは代理の者が豆腐を断ち、当社で授与される「撫で守り」で患部を祈りつつ撫でれば必ず平癒するといわれ、明治十五年頃まで社前の豆腐商数件がこの豆腐のみにて日々の家計を営んでいたといわれたほどでした。今日でも広く信仰されています。この信仰について江戸時代の「新編武蔵風土記」だけでなく、時代は下って文豪、永井荷風も書き記しております。尚、当社では「鬼王様」の御名に因み、節分時鬼を春の神として「福は内、鬼は内」を唱えます。

追記 明治時代に旧大久保村に散在していた、火の神である火産霊神の祠や、盗難除けの神などの大久保村の土俗の神々が合祀されました。大祭は九月十八日で、神輿はその前後の日曜・祝日に出御します。この宮神輿は鬼面の彫られた珍しいお神輿です。
追記 江戸時代に既に特異な「鬼王」という名の神社を勧請するのに地元に抵抗感が無かったのは、この土地が──文書では残っていませんが──平将門公(幼名・鬼王丸)に所縁があったのではないかとも言われています』
 境内社は三島神社(祭神は事代主命)と浅間神社(祭神は木花開夜昆賣命)の二社。火産霊神などを祀った祠は見かけなかったが、見落としたかな。
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 先の狛犬ほどのインパクトは無いが、どっしりとした、どことなく愛嬌も感じる狛犬だ。
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 狛犬と拝殿の間に置かれた天水琴。竹筒の先に耳を近付けると、キン・・・キン・・・と小さいながらも澄んだ音が聞こえて来る。
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 富士塚の上に浅間神社。西大久保の厄除け富士とも呼ばれているそうだ。
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 参道を挟んで浅間神社の向い側にも富士塚。
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 神社裏、と言うか東側の鳥居。

 26日に参拝したのは以上の二社。
 花園神社も参拝して行きたかったのだが、時間が無いので今回は見送り。今回はK-7(D-BG4無し)にDA21mmとDA40mmのみで動いてみたが、やはりこの組み合わせはコンパクトだ。
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成子天神社

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 ペンタックス スクエアに行ったついでに近場の神社を参拝して行こうと思い、成子天神社へ。
 ペンタックス スクエアの入っている新宿センタービル西側から北へ向かって歩き、新宿警察前交差点に突き当たったら西へ歩いて行くと、青梅街道に面して鳥居が建っているので判り易い。
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 100m足らずの参道を歩いて行くと二の鳥居が見えて来る。
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 二の鳥居の前には金属製の少々刺々しい門が設置されており、梅鉢紋が付けられている。
 それにしても、鳥居の前に洋風の門があるのは少し違和感がある。
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 参道右手側に・・・なんだろう。御神輿でも入っていそうな感じ。
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 狛犬。
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 拝殿の手前、参道右側に大鳥神社。御祭神は日本武尊。社の壁に「大鳥神社・大鳥居御造営  奉納 昭和五十六年十一月三日 (以下奉納者名)」との額が掛けられていたが、大鳥居とはどれだろう。
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 拝殿。
 左側には赤い橋が架けられている。
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 橋の先は・・・神楽殿、かな?
 橋の下には柵が設置されて通り抜けることが出来ないが、奥の方に鳥居が見えた。
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 社務所の壁に立て掛けられた看板には富士塚やら七福神やらと書かれているが、しかし境内を見回してみてもそれらしき物は見当たらない。
 帰宅してから調べてみたら、先程の立入禁止の柵の向こうから富士塚に繋がっているそうだ。富士塚は毎年正月七日間だけ開放されているとのことだが、高さ12mの富士塚と言うのは少し見てみたいような気がしないでもない。
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 大鳥神社脇の鳥居。向きを考えると、やはりこの鳥居は大鳥神社の鳥居ではなく、奥に見える稲荷神社の鳥居なのだろうか。それにしても、狭い。
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 鳴子稲荷神社。御祭神は宇迦之御魂命。
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 境内から西に出て、道に沿ってぐるりと神社の裏手へと回り込んで行く途中、観音様のような物が見える。どうやらこれが富士塚の頂きに立つ木花咲耶姫命の像なのだろう。えぇ~?
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 ぐるっと回り込むと、木に絡まれた鳥居に到着。奥の方には赤いアーチ状の橋が見える。参道途中右手側がやたらと明るいが、そちらに富士塚があるのだろう。
 ちなみにこの鳥居の前にも背の高い門があり、しっかり閉じられている。
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 ブロック塀の上へカメラだけ突き出してライブビュー撮影。神社裏は駐車場になっているのだろうか?

秋葉乃兎神社

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 中央通りを挟んでじゃんぱら秋葉原5号店の向かい側に見える、朱塗りの鳥居と麻生太郎首相人形のあるこちらが秋葉乃兎神社(一部では西又神社とも呼ばれている様子)。えぇ、もう今回はネタで。
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 饅頭とか大福とかどら焼きとかを巫女さんの格好をした店員さんが売っている。神社エールはいいとして、すくみずサイダーの関連性が判らない。
 自分は抹茶三重包餡を買ってみたが、結構美味しい。
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 イメージキャラの絵は西又葵が担当しており、西又神社とも呼ばれる由縁になっている。
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 地下一階は胎内洞窟。
 巫女さん(偽)から暗いとの注意は受けていたが、マジ真っ暗。しかも右に左にうねっているので方向感覚がおかしくなる。まぁ、元々方向感覚は怪しかったりするんだけど。
 アトラクション内撮影禁止とのことなので、胎内洞窟の様子はASCIIの記事参照。
 そういや店内に入るの忘れてた。四人で行動していたのに誰も気付かなかったなぁ。
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 ちなみに毬琳だった頃はこんな感じ。

雀神社

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 341号線を北上し、柿沼交差点を越えて700m程進んだ所で右手側に見えて来る。駐車場は無い。
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 鳥居の額には「正一位雀宮大明神」
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 拝殿。赤と黒のエクスt・・・じゃなくてコントラストが印象的。
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 神徳無窮と大きくレリーフされた石碑。
 全て漢字だったり一部読み取り難い部分もあったりするけれど、どうやらこの神社の由緒が刻まれているようだ。それによると、こちらの御祭神は天鈿女命。享保三年(1718年)十月十九日に正一位雀宮大明神位を戴き、明治戊申歳秋九月に八坂大神と天満天神を合祀すると増築して官指定神餞幣帛料供進神社となった・・・かな? 明治戊申歳というのは明治四十一年(1908年)のことだろうか。この石碑が建てられたのは明治四十二年十一月であるようだけど。
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 遥拝所。
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 社殿の右手裏側に末社が三つならんでいるが、いずれも稲荷神社の文字が刻まれていた。
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 東側より。
 帰宅してから調べてみたら、東へ700m程の距離に小曽根神社という神社があったようだ。まるで気付かなかった。

 本日はこの二社のみ。なんと言うか、タイミングが悪かったなぁ。
 使用したのはK-7にFA43mmとFA28mm、K10DにDA18-55mmWR。FA28mmはK10DよりもK-7と合わせた方が写りは良いような感じがした。

高城神社

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 市街地の神社も参拝してみようと思い341号太田熊谷線を南下して行くと、本石にさしかかった辺りでお祭りの雰囲気が。山車も出ているし裃姿の人達も見受けられる。
 へぇお祭りかーなどと思いながら見晴公園に隣接した荒川公園へ向かうものの、駐車場がないので路駐かなと思ったら祭りの為20日から22日は駐車禁止の看板が。仕方が無いので鎌倉町の宇佐稲荷神社と八坂神社へ向かってみたら、オゥ、こちらも駐車場がアリマセーン。
 そんなわけで、次に向かったのが高城神社。許可証のない方は駐車禁止との看板が立てられていたので、丁度境内を掃除していた神職の方(見ただけでは禰宜なのか出仕なのか判らん)に尋ねてみたら参拝目的ならば駐車OKということなので、社殿に隣接する高城記念館の前に駐車。
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 拝殿を背に、三の鳥居側から撮影。奥に見えるのは二の鳥居で、国道17号線に面して一の鳥居が建てられている。できれば一の鳥居から撮りたかったが、誤解されるのもなんだしな、と。
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 三の鳥居右側に由緒書き。
『平安時代延喜五年(905年)約1,070余年前、宮中において延喜式、式内社に指定された、大変古い神社です。
 現在の社殿は、寛文十一年(1671年)に忍城主、阿部豊後守忠秋公が厚く崇敬され遷宮された建物です、「えんむすび」「安産」の神であり「家内円満」「営業繁栄」に導く神として崇敬されている』
 御祭神は高皇産霊尊。すると高城は高木が変わったものだろうか。
 ググってみると石田三成による忍城攻めの際に社殿を焼失したということだが、忍城攻めは天正十八年(1590年)だから、再建されるまでの80年ほどは社殿が存在しなかったことになるのか。
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 熊谷市指定有形民俗文化財の常夜灯。
『この燈籠は高さ二百七十五cmという青銅製の大きなもので、天保十二年(1841年)に建てられました。燈籠の台座には、県内はもとより江戸・川崎・桐生・高崎・京都など、広範囲に及ぶ一五○名もの紺屋の名前が奉納者として刻まれています。このうち熊谷の奉納者は約四十名に及んでいます。
 当地では、江戸時代中頃から藍染業が活況を呈していたことが知られており、明治時代後半は紺屋の最盛期であったといわれています。
 常夜灯は高城神社が藍染業者から厚い信仰を受けてきた事実を語る資料として、また、藍染業の盛況を知る記念碑ともいえる貴重なものです』
 藍染業者からの信仰が厚かったのは、明治以前は愛染明王を祀っていたからだそうだ。つまり、藍染=愛染の語呂合わせのようなものだろうか。
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 拝殿。
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 拝殿手前左側には六社(七社)を納めた末社殿。
 左から伊奈利大神、香取大神・鹿島大神、大國主大神、八幡大神、琴平大神、白山大神。
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 脇に回りこんで、本殿の屋根。
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 参道左側、高城記念館の前に天神社。しかし御祭神は少名彦名大神。
『御祭神「少名彦名大神」は医薬、子育ての守護神として、厚く崇敬され特に当社玉垣内の赤石は御神徳・御神威のやどった御石として、往古よりこれを拝借し「丈夫な歯がはえますように」との長居をこめてお食初めの儀式を行ない、赤石は二個(倍にして)、返納する風習が受け継がれております』
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 玉垣内の赤石というのは、参道の両脇に敷き詰められている石のことだろうか。
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 天神社の隣に熊野神社。
『永治年間、此の付近一帯に猛熊が往来し庶民の生活を脅かし悩ました、熊谷次郎直実の父直貞この猛熊を退治して、熊野権現堂(現在箱田に熊野堂の石碑あり)を築いたと伝えられる。
 明治維新の後、熊野神社と称し、その御祭神伊邪那岐命を祭り、明治四十年一月十四日に当高城神社境内に遷し祭られた。
 また同年四月二十日に熊野神社地六十二坪(現熊野堂敷地)を高城神社に譲与された。
 この熊野神社(熊野権現)と千形神社(血形神社)そして圓照寺の関係は深く、直貞によって築かれ、熊谷の地名を産んだとも伝えられる』
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 熊野神社の前にある末社。こちらは由緒書きが設置されておらず、詳細は判らなかったのだが、プチ神楽殿さんには星宮神社であるとの記述があった。
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 熊谷酉の市起原碑。
 毎年12月8日に酉の市が行われているということだが、はて、こちらの神社で鷲神社は見かけなかったのだがな。・・・いや、星宮神社があったか。浅草にある鷲神社は明治以前は妙見菩薩と習合していたということだから、そのへんで繋がっているのかも。
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 高城記念館の裏手にある鳥獣慰霊碑。
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 東の鳥居。
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 西の鳥居。

 この後は千形神社と奴稲荷神社を参拝しようかと思ったのだが、千形神社は境内駐車禁止の看板があり、奴稲荷神社はなんかもういいやって気分になっていたのでスルーすることに。うちわ祭りとタイミングが合いさえしなければもう少し楽だったのかも知れない。高城神社の参拝もなんだか落ち着かなかったし。
 こちらには折を見てもう一度来ることにしよう。

出雲乃伊波比神社

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 県道11号熊谷小川秩父線の坂井南交差点の南に架かる下田橋から和田川に沿って西へ進むか、11号線沿いにある脇の道を北上して行くと出雲乃伊波比神社がある。
 実はこちらの神社には先週も立ち寄ってはいたのだが、丁度お祭りであったので山車も出ていてラッキーと思ったら駐車できる場所がなくてやむなく撤退することに○刀乙 今回は祭りが無いので集会所前に置けたけど。
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 鳥居の前には八雲橋が架かり、橋を渡ると左側に社号標石が建てられている。
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 正面に拝殿。
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 参道左側に由緒書き。
『本社は、もとは鹿島神社といわれていたが、明治二十八年に出雲乃伊波比神社と改称された。祭神は、武甕槌命である。
 境内には、氷川神社、八坂神社、龍田神社、稲荷神社、天満神社、神明神社、山神社、富土浅間神社などが合祀されている。
 本社の祭神武甕槌命は、神話時代の高天原で、国土平定役の白羽の矢が、まず経津主命に立てられたとき、力に自信の溢れている武甕槌命もその役を希望して、二神が協力して国土平定の大役を果したという。武勇絶倫しかも協力性に燃えた国づくりの華々しい勲功の神である。
 また、社前の和田川に架けられた太鼓橋は、昔から八雲橋といわれ、この橋をくぐって子供のはしか平癒を祈頼するものが多く、昭和の初め頃まで「はしか参り」が列をなしたものである。
 境内に祀らている神々の祭日のうち、特に七月十五日の八坂祭りは、昔から「板井の天のう様」として近在に知られ、明治四年からば太鼓の「ヒバリバヤシ」を載せた屋台が「みこし」と一緒に板井区内をにぎやかに一巡するようになった』
 ググってみると、神名帳考証などには祭神は大己貴命や天穂日命と書かれているとの記述もあり、古くは大己貴命や天穂日命であったものが武甕槌命に取って代わられてしまったようだ。「いずものいわい」が「出雲の祝い」であるなら大己貴命と天穂日命であるのは判るのだが、出雲を占領した武甕槌命が祭神であるのはなんとも皮肉。高天原側から見れば正しいのかも知れないけど。
 ちなみに出雲乃伊波比神社は近隣では他に入間市宮寺の出雲祝神社と毛呂山町岩井の出雲伊波比神社、寄居町赤浜の出雲乃伊波比神社、吉見町黒岩の伊波比神社の四社があり、入間市の祭神は天穂日命と天夷鳥命、兄多毛比命。毛呂山町は大己貴命と天穂日命。寄居町は素盞嗚尊。吉見町は天穂日命と誉田別命。誉田別命を除けば見事に出雲系ばかりだ。経津主命の別名が伊波比主命であることを考えれば、経津主命を祀っている所があっても良さそうなのだが。
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 拝殿左側に境内社群。
 左奥に両神大神社。その手前の石碑には富士山浅間神社とあり、一つ石祠を挟んで右側に小御嶽神社と刻まれた石碑がある。この二つに挟まれていると言う事はこの石祠は大山祇神を祀っているのかも、ということで山神社だろうと推測。
 その右側には五社納められているようなのだが、いずれも名前が消えていて何神社なのか判らない。それから少し離れて社殿裏手にある大きな境内社は氷川神社ではなかろうか。
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 本殿裏に弥勒尊。
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 拝殿右側にも末社。しかし何神社であるかは判らず。
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 この日は雨のせいで行動開始が遅くなってしまったせいか、九社しか回ることができなかった。残念。
 使用機材はK-7にDA35mmとFA77mm、*istDSにDA15mmとFA43mm。さすがに*istDSではK-7に勝てる部分は殆ど見当たらないが、しかしDSを手放す気はさらさら無い。K-7、K10D、*istDSの三台の中で最も手に馴染むのがDSだったりするせいかも知れないけれど、でも操作性と性能は三台中最低だ(笑)

鬼鎮神社

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 再び鬼鎮神社へ。
 集会所と公民館が隣接しているので、駐車スペースは広い。
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 参道突き当たりに拝殿。
 参道両脇の灯明に照らし出されるであろう拝殿も見てみたいものだが、これ、いつ灯されるのだろう?
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 青銅製の狛犬。すっきりとしてしなやかな体躯だ。
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 拝殿正面にはコミカルな赤鬼と青鬼の描かれた額が掛けられており、その上に朱雀、そして鬼瓦。
 御神幕に描かれた五三の桐は、この神社を創建した畠山重忠公の家紋であるそうだ。
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 拝殿の柱には何本もの金棒が括り付けられているが、これは祈願成就の際に奉納されたものであるという。その奥に見える絵馬も多数奉納されているし、こちらの神社の御神徳はかなりのもののようだ。
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 狛犬の前から左に伸びている参道へと歩いて行くと、由緒書きがある。
『埼玉県比企郡嵐山町に、畠山重忠公が御造営された菅谷館(菅谷城)があった。当神社は、その鬼門除けの守護神として、鎌倉街道に沿って建立され、節分祭、勝負の神として有名である。
 約八百年前、安徳天皇の御代、寿永元年に創建され、御祭神は衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)、八衢比古命(やちまたひこのみこと)、八衢比売命(やちまたひめのみこと)で、主神の、衝立船戸神は、伊邪那岐命が黄泉の国を訪れた後、筑紫日向の橋小門の阿波岐原で、禊祓いをして持っていた杖を投げ出した時、杖より生まれた神である。それが幅広く解釈されて、悪魔払いの神、家内安全商売繁昌の神、受験の神と、人生の指針を示し、強い力を授ける神として崇められている。
 節分祭は、鬼鎮神社において一番大きなお祭りで、この日は何千何万の人々が「福は内、鬼は内、悪魔外」と連呼する、日本でここだけの鬼の祭りであり、境内は大変な賑わいを見せる。
 遠く千年の昔から、勇名を馳せた坂東武者、明治以降の出征兵士の崇敬篤く、戦後は、受験必勝の神様として参拝者は後を絶たず、社頭を賑わしている。
 このようなことから「鬼に金棒」と昔から云われている金棒のお守り、祈願成就の赤鬼青鬼の絵馬を授与される方が、非常に多い。』
 こちらの神社の歴史に関しては、「GO! GO! 嵐山 3」というサイトの川島のカテゴリーに詳しく書かれている。詳しすぎて適当に抽出するのも無理。
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 祭具殿と神楽殿。
 どうやら先程立ち寄った時に見かけたのは八坂神社の祭りの一環だったようだ。18日(土曜日)に準備していると言うことは、19日(日曜日)が祭りなのだろうか。
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 額が掛けられていないが、おそらくこちらが八坂神社なのだろう。
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 社殿の脇に古札納所と焼却炉。煙突のデザインも凝ってるなぁ。
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 古札納所の手前に毘沙門塔。これまた鬼門封じかな。
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天岩戸宮

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 鬼鎮神社を参拝しようと思ったらなにやら祭事を行っているようだったので、邪魔にならないよう一旦スルーして69号線に出たら鶴巻運動公園の東にあるセブンイレブンで水分補給。
 そしてそのままセブンイレブンの南にある交差点を西へ向かえばいいものを、なぜかトチ狂ってそのまま69号線を南へぐるっと回って国道254号線に合流、嵐山三差路交差点を通過してその先の交差点で西へ・・・約600mで済むところを約1.7kmも走るって、どんだけ駄目なんだ自分○刀乙
 ともかくあとは真っ直ぐ進み、消防分署入口交差点を越えたら300m程先で二手に分かれている道の間に天岩戸嵐山明が指宮がある。
 どこぞかの新興宗教かとも思ったが、特に××教とか書かれていることもないので参拝することに。
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 天磐戸宮というだけあって、岩戸らしきものがあり、階段を上った先に拝殿がある。
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 ・・・むぅ、なんか胡散臭いことが書かれているようないないような。
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 由緒の刻まれた石碑。
「畏くも当宮は高千穂天岩戸神社の御神霊を厳かに御斎祀する直宮で御祭神は神漏岐神漏美大神、大宮能売神(天鈿女神)、天手力男神、直昆神。 (以下略)」
 どうやらこちらは天岩戸神社から分霊した神社のようだ。と言うことは神社本庁に属してるのかな。高千穂の天岩戸神社の主祭神は天照大神だが、こちらは神漏岐・神漏美大神。高皇産霊神と神皇産霊神の別名だそうだから、やはり皇統に繋がる神か。
 とりあえず、新興宗教の施設でなくて良かった。

淡洲神社

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 阿和須神社前を西へ向かうと放光寺の先で二手に分かれるので、南西へ向かうと鬼鎮神社、北西へ向かうとこちら淡洲神社へと至る。こちらの鳥居も瓦屋根のついた両部鳥居。
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 二の鳥居と参道の突き当たりに拝殿。
 こちらの御祭神は速御玉姫命であるらしい。
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 拝殿左側に末社。何神社なのかは不明。
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 社殿左裏手に・・・なんだろうこれ。
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 社殿右裏手にも末社。やはり何神社なのか判らない。

阿和須神社

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 上市野川橋脇の交差点を西へ向かい、関越自動車道の下をくぐって100mも進むとすぐ北側に阿和須神社があるのだが、なぜ道の南側に社号標石と一の鳥居があるのか不思議。標石のすぐ右は民家になっており、左と背後は畑。脇の農道を少し歩くとすぐ市野川に突き当たるというこの位置に、なぜ?
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 二の鳥居は瓦屋根も付いた立派な両部鳥居。
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 二の鳥居の手前に由緒書き。
「当社の本宮は大和国添上郡にある阿波の神社である。
 垂仁天皇曾孫三枝の別連の末裔が此の郷を開き後柏江郷の戸主直道継の末裔によって永仁年中(1293年~1298年)字御山の台に三柱の神霊を祀ったと伝えられる。寛永元年(1624年)に至り祐海法師により現地に遷座し、その後寛延二年(1749年)十一月金雄法師および氏子一同にて社殿を再建した。明治六年(1872年)村社となり大正五年(1916年)指定村社に昇格した」
 こちらの御祭神は大鞆和気命(応神天皇)、気長足日売命(神功皇后)、武内宿弥命の三柱で伊古乃速御玉比売神社と同じだが、淡洲と阿和須で読み方が同じでも、こちらは大和国添上郡の阿波の神社を勧請したものなので、速御玉姫命とは関係無いようだ。ところで阿波の神社ってどこのことよ? 率川阿波神社の御祭神は事代主命だから違うだろうし。
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 境内一望。
 左から八坂神社、稲荷神社、阿和須神社。
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 狛犬。なんだか人間っぽい顔立ち。目だけはメフィラス星人みたいだけど。
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 本殿。
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 本殿脇にぽつんと鎮座する石祠。
 本殿の裏がなんとなく古墳っぽい感じがしたのだが、ググってみてもそのような記述は見つからなかった。

 記述と言えば、添上郡の神社を神社を調べていたらwikipediaの添上郡にこんな記述が。
「古くは添(そほり)と称したが、これは新羅の都を徐伐(ソホル)、百済の都を所夫里(ソフリ)、現在の韓国の首都をソウルと称するのと相通じ、朝鮮語で都を意味する言葉であるとされる。[要出典]」
 ・・・えーと、これはアレかな、アレだろうな、うん。韓国起源説をこんなとこでまで見ることになるとはw

月輪神社

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 福正寺の向かいに月輪中丸集会所があるので、そこに車を置いてすぐ隣の月輪神社へ・・・行くとすぐ拝殿前なので、そこから参道を南へ歩いて行くと朱塗りの鳥居がある。
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 両部鳥居なのでかつては福正寺の管理下にあったのかとも思ったが、福正寺は天台宗なので関係無いかも。
 参道の左側にはいくつかの遊具も設置されていたが、遊んでいる子供とかいるのだろうか。
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 拝殿前。
 集会所側から見ると古墳の上に建てられているっぽいなと思ったら、やっぱり古墳だった。
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 狛犬。ごっつい。
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 由緒書き。
 こちらの御祭神は須佐能男命と月輪兼実公、木花佐久夜毘咩命、味鉏高彦根命、豊受姫命、菅原道真公の六柱。
「当社は和銅二己酉年(709年)に大宮氷川神社の神霊を此の地に分社したと鎮守名に記載されており、その後建久九戊午年(1198年)三月、月輪兼実の霊を合祀して氷川大明神と称した。享保八年(1723年)九月宗源宣旨により正一位の神位を贈られた。明治維新の際明神号を廃し氷川神社と称し明治四十一年(1908年)三月大字内の五社を当社に合祀して今までの氷川神社号を月輪神社と改称した。明治四年村社となり、大正五年指定村社に昇格した」
 ・・・五社? 一柱足りないような気がするが、重複する神社があったのだろうか。
 いや、それよりも「建久九年三月、月輪兼実の霊を合祀」の部分につっこむべきか。月輪兼実とは九条兼実のことで、薨去したのは承元元年(1207年)四月だから建久九年(1198年)の時点ではまだ生きているのだが、まさか生前に既に神として祀られていたとでも。ちなみに福正寺に隣接する月輪勢至堂は九条兼実の安泰を祈願して1196年に奉祀されたとのことで・・・え? 奉祀って普通は生きている人には使わない言葉だよね? 1196年は「建久七年の政変」によって関白の地位を追われただけで、死んでいるわけじゃあないんだが・・・。わし、何か間違えてるかな。
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 拝殿左側にある境内社・・・なのだが、なんだろうこれ。
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 神社の北西側にある蠶魂之碑と月輪稚蚕共同飼育所建設記念碑。しかし、こういうものがある割には近隣に蚕影神社も無ければ織物に関連した神社も無い不思議。
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 北側の道路に面して社号標石。

 この辺りには稲荷神社が多いのだが、市野川周辺域は駐車スペースに困るところばかりなのでスルー。

羽尾神社

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 滑川消防分署の西200m程の位置に羽尾神社。
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 こちらの御祭神は倭建命と藤原恒儀公。天長六年(829年)に藤原恒儀公の嫡子恒捉公と家臣である藤原行連によって創建されたとのこと。
 そしてここには書かれていないが、ググってみると、こちらの神社には琴平神社と天神社、浅間神社、愛宕琴平神社、稲荷神社の五社が合祀されているそうだ。また、合祀されている琴平神社の御祭神は金山彦命であるということだが、どちらの琴平神社だろう。
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 境内の端近くに石祠。何神社なのかは不明。
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 参道。
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 拝殿。額には鎮護宮と書かれている。
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 羽尾神社前の農道を南東へ歩いて行くと47号線に合流するのだが、その脇に神社入口と刻まれた石柱が建てられている。

稲荷神社

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 滑川消防分署交差点の南東に倉林沼があり、そのほとりに稲荷神社の鳥居がある。
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 参道突き当たりに祠。
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 祠の前のプレートには注意書き。
 怒らせるとかなり強烈に祟ってくれるようだ。

八幡神社

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 先週参拝した須賀広の八幡神社前を東へ1kmくらい走って行くと、左手側に八幡神社が見えて来る。先週は帰宅してからこちらの神社の存在に気付いて○刀乙となったが、今週は帰宅してから1kmほど南東に淡洲神社があったことに気付いて○刀乙 173号線は福田交差点以北は殆ど使ったことないから記憶になかったわ。
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 境内の左端の辺りに由緒書き。
 あの踊る埴輪はこの近くから発掘されたものだったのか、へぇ。
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 拝殿前には野原八幡神社災害復興記念碑。
 記念碑の右半分には神社の由緒が刻まれ、左半分には再建時の経緯が刻まれている。
「当社の祭神は誉田別命である。伝聞によると社蔵の九石は創建当初から祀られており、神霊の宿る石として大切にされてきた。当社の創建年代は明らかではないが棟札によると寛永十年(1633年)武川衆の後を受けて稲垣家の領地となり寛永二十年稲垣安芸守は村内の安泰を祈り本殿を再建した。その後、当地は元禄十一年(1698年)前田安芸守の領地となり、宝暦十一年(1761年)に領主前田半十郎は本殿を造営した。拝殿前の一対の石燈籠は前田信知の後室が天保三年(1832年)に、また大きな石灯籠は行田市矢場の中川盛次氏が昭和六十年(1985年)に奉納したものである。別当にも変遷が見られ、寛永二十年の棟札には別当金蔵院源覚法院、宝暦十一年の棟札には別当正宝院源久法院代、風土記稿には幸子不動院配下の本山派修験八幡山大徳院が載っている。明治維新で別当大徳院は復飾して森本肇と名乗り、明治二年神官職から教導職を許され同十年祠掌に補せされた。なお、境内には末社の雷電宮、三峰宮、鹿島宮、愛宕宮、山之神宮、稲荷宮、天満宮の七宮が鎮座しており、また道路際には天保二年に建立された庚申塔の外、八基が道の神として祀られている。
 平成八年六月二十二日(1996年)夜半、地域で歴史を伝える唯一の文化財である拝殿・幣殿・本殿及び社務所が不審火により一瞬の内に灰燼に帰した事に氏子中はじめ近郷近在の人々は驚愕した。幸いにも二千萬円の火災保険に加入していたので再建気運が高まり、地区役員や氏子総代有志により神社再建準備会が発足。数度の氏子全体会議を経て再建することが決定し、委員長玉川宮司、委員総勢三十余名による野原八幡神社再建委員会が設立された。(めんどくさいので以下略)」
 平成九年三月に再建が完了したとのこと。
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 狛犬。阿吽の位置が逆になっている。
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 拝殿左側に境内社群。左奥の建物とその手前の間に山之神大明神を祀った石祠が挟まれている。
 左奥には四つの幣束が納められており、左から天満天神社、稲荷神社、山之神社、愛宕神社。それから鹿島神社、三峯神社、雷電神社。
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 庚申塔群。その後ろが古墳跡なのだろう。

湯殿神社

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 407号線を北上し、日産サティオ埼玉北奈良店で左折、300m程進むと湯殿神社がある。
 ちなみにサティオの北100m程の位置に横塚山古墳がある。
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 拝殿。
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 左裏手に正体不明の末社。
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 拝殿右側に八坂神社と庚申塔群。

 これで11日に参拝した分は終了。一日に22社も回ったのは初めてだ。以前滑川町の辺りで働いていたことがあるので、そこそこの土地鑑はあるのが幸いしたかな。
 この日の使用機材はK-7にFA31mmとAPO-LANTHAR 90mm、K10DにDA18-55mm WRだったのだが、K10Dの方がHIT率高いのはなんでよ。やっぱり画質的にはK-7<K10Dかなぁ。一応パラメータを弄ってデフォルトよりは好みの画質になるようにしてみたのだが、もう少し調整が必要かも。あ、でも分割測光やAWBはK-7の方が優秀。と言うかK10Dの分割測光とAWBが莫迦なんだけど。
 そして関係ないけど初めてペプシしそを飲んでみたのだが、ウマーイ。あとでまた買ってくることにしよう。

奈良神社

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 豊布都神社の北を走る359号葛和田新堀線を北東へ向かって行くと、中奈良交差点に差し掛かる手前左手側に榎本酒店があり、その脇の道に鳥居が建てられている。
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 一の鳥居をくぐって200m程進むと二の鳥居。
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 三の鳥居。
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 鳥居をくぐってすぐ右側にたぶん神楽殿。
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 拝殿。
 参道左側に由緒を記した紙が掲示されており、それによるとこちらの御祭神は奈良別命。
『奈良別命は崇神天皇の皇子豊城入彦命の四世の孫に当り、仁徳天皇の御代に下野国の国造りに任ぜられ武蔵野の沃野に分け入り、その徳によって荒地を拓き美田を墾し、人々の発展と安住の地を作られた。そのため郷民がその徳を偲んで奈良神社を建立し祀ったものである』(国造本記/慶雲二年/文武天皇の御代の記述)
『奈良神社の御祭神には後光が射しており、或る時奥州で蝦夷の反乱があったので、これを征討するため奈良神社の神霊を奉じて出兵し転戦しつつ進んだが向うところ敵ないの状態で年老いた者や体の弱い者も同行したがご祭神のお陰で全員無事であった』(検古記/和銅四年/元明天皇の御代の記述)
『奈良神社の境内から忽然として水が湧き出し、これにより六○○余町が水に恵まれた水田となった。また病人が出るたびに奈良神社に祈ったところ、すぐに御利益があったので人の生命に係ること故皆んなが御祭神を家庭にお招きし大切に崇めた。この習慣が今なお続いている』(検古記/和銅四年/元明天皇の御代の記述)
 この他、Google先生に訊いてみたところ、古くは奈良神社の他に熊野権現も鎮座しており、中世には熊野権現に尊崇が集まった為に熊野権現に合祀されてしまったが、天正十八年(1590年)に小田原城が落城すると当社を保護していた忍城主成田氏長がこの地を去ったため(北条氏滅亡後は蒲生氏郷に仕え、後に下野国烏山に封ぜられたという)、長慶寺の管理下に置かれることになったと言う。その後、神仏判然令によって長慶寺から独立すると明治七年に村社に列格、明治四十二年に近隣九社を合祀して奈良神社と改称、現在に至る。
 合祀されたのは諏訪大社(火産霊神/西田)、愛宕神社(火産霊神/奈良新田)、諏訪社(建御名方命/久保)、年行社(大国主命/後原)、神明大神社(大日孁貴神/善竜寺)、箱根神社(彦火火出見命/葉草)、浅間社(木花咲耶姫命/葉草)、八坂神社(須佐男命/中妻)、伊奈利神社(豊宇気毘売神/二ツ道)の九社でいずれも本殿合祀。諏訪大社の祭神が火産霊神になっているのはなんだかなと言う気がするが。
 また、当社の北東、407号線脇にある横塚山古墳が奈良別命の墓であるとする説もあるそうだ。
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 堅牢墜神と刻まれた石塔と末社群。
 左から国魂神社、八坂神社、怡母社、金山社、天神社、伊奈利社。
 ・・・しかし、堅牢墜神って聞いたことのない名前だな。って言うか、なんだろう、この厨二臭すら感じる文字列は。
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 忠魂碑。

豊布都神社

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 国道17号線深谷バイパス玉井北交差点の東にある豊布都神社。尤も、自分は407号線側から入って行ったのだけど。
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 豊布都神社と言う名前から、御祭神は武甕槌命だろうと思っていたのだが、こちらの鳥居に掛けられた額には御霊宮大明神と書かれている。はて?
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 参道を右に外れると本殿末社修復記念碑があり、当神社の由緒なども刻まれている。
 それによると、古くは鎌倉景政公の霊を祀っていたが、明治五年九月村社申立の際に武甕槌命を祭神として豊布都神社と改称したということだ。それ以前は御霊社と称していたらしい。
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 拝殿。
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 左は物置。右は八幡神社。
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 左は冨士御嶽神社。右は八坂神社。八坂神社の奥に見えるのは古札納所。
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 金比羅神社。
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日吉山王宮

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 国道140号線と県道385号武蔵丘陵森林公園広瀬線の交わる運動公園前交差点の西にある山王宮交差点より農道へ入って行くとすぐに日吉山王宮・・・なのだが、途中軽トラックによって道を塞がれていたので埼玉日産熊谷広瀬店の後ろからぐるりと回り込むことに。
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 西を向くと宮塚古墳。
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 石段を上って行くと日吉山王宮。
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 ちなみに日吉山王宮が建てられているのは92号古墳の上。

御嶽神社

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 69号線に戻り、すぐ先のX字路を北側へ入って行くと御嶽神社がある・・・のだが、あれー? 地図を見る限りでは鳥居前まで道がある筈なのだが、草に覆われていて、無理。
 仕方がないので農道の広くなっている部分に車を停めて、歩いて行くことに。
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 左側からなら入って行ける。
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 しっかりとした石段が続き、その先に二の鳥居。
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 二の鳥居をくぐると社殿は無く、塚と石造りの賽銭箱がある。
 なんか御嶽教っぽい感じだなと思ったら、二の鳥居の柱の根元辺りにしっかり御嶽教と書かれていた。あぁ、やっぱり。
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 塚の頂きには國常立尊・國狹槌尊・豐斟渟尊とあるが・・・御嶽教の御祭神って國常立尊・大己貴命・少彦名命、又は御嶽山座王大権現・八海山提頭羅神王・三笠山刀利天の三柱じゃなかったっけ?

兵執神社

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 天満天神宮前より西へ進むと69号深谷熊谷線に合流するので、そこから北へ向かい、古里交差点を越えて200m程先のY字路の間に兵執神社の社号標石。隣の石祠はおそらく道祖神だろう。
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 社号標石の右の道をまっすぐ進むと突き当たりに鳥居。
 左の坂を上って行くと神社脇の公民館前まで入って行けるので、路上駐車の心配はない。
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 草でふかふかした参道を上って行くと、ここからコンクリ打ちの参道に。
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 獅子舞の記述はあるのだが、神社の由緒などは書かれていない。なので、いつものようにGoogle先生に訊いてみると、「GO! GO! 嵐山 3」というサイトにこちらの神社の記述があり、由緒は不明だが御祭神は武甕槌命であるとのこと。
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 獅子舞の案内板の後ろに天満宮。
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 参道を歩いて行くと、右手側に愛宕神社と八坂神社。
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 参道左手側に末社群(白山神社、小女郎神社、日吉神社、山神社)と八幡神社。
 先程のサイトの記述によれば、明治四十年六月六日に境内社八坂神社(素盞嗚尊)と無格社愛宕神社(火産霊神)、無格社小女郎神社(拷幡千々姫命)、無格社稲荷神社(倉稲魂命)、無格社八幡神社(品陀和氣命)、無格社日枝神社(大山咋命)、無格社山神社(大山祇命)を移転して合祀したとのことだが・・・白山神社の記述が無いな。大正以降に合祀されたのだろうか。白山神社と小女郎神社の二社で一つのエリアを与えられているのも不可解だ。
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 八幡神社の隣に明敵大明神。聞き覚えの無い名前だな・・・さて、Google先生に訊いてみようか。すると嵐山石造物調査会というサイトがHit。明敵は「みおとき」と読むことと地元の神であるということが判明。水神か天候神か龍神かは判らないが、妙に物騒な響きであるように感じられる。なんと言うか、サーチアンドデストロイみたいな。
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 拝殿。
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 拝殿左前に神武天皇遥拝・・・その後はなんて読むんだろう。IMEパッドを使っても、似たような文字すら見当たらない。
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 拝殿左側に三峯神社。
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 拝殿右奥に鎌倉稲荷神社。
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 お狐様。

天満天神宮

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 手白神社の西南500m程の位置にある天満天神宮。ちんまい。
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手白神社

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 神社前の道は狭く、そして駐車場もない。他に車が来ないことを祈って路肩に駐車。はふー、急げー。
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 狛犬。
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 こちらの神社は天治元年(1124年)九月十五日に当時の村長である蘆田基氏によって創立されたもので、御祭神は手白香姫命。大正十二年(1913年)に峯野神社と五竜神社、六所神社が合祀されたと書かれているが、嵐山町の古文書を読む会というサイトに記載されている手白神社御由緒調査書を見ると、厳嶋神社(弁才天命)と小嶋稲荷神社(倉稲魂命)もあるようだ。
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 拝殿。右に見えるのは吉田第一区集会所。
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 拝殿前より左へ向かうと神楽殿。
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 神楽殿前を右へと登って行くと境内社。はたして稲荷神社なのか厳嶋神社なのか。稲荷神社であるらしい。
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 境内社の横からだと本殿がよく見える。
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 上からではなく、玉垣越しに本殿。こういう時はライブビューが役に立つ。
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 本殿裏の・・・湧き水? こちらが弁天様なのだろうか。

 7月19日追記。
「GO! GO! 嵐山 3」と言うサイトに手白神社の記述があり、そちらによると主祭神である手白香姫命の他、大貴巳命と大山祇命、金山彦命、高霊神、市杵島姫命が配祀されているとのこと。
 また、神社の由緒書きには合祀されたのは峯野神社と五竜神社、六所神社としか書かれていないが、琴平神社(峯野神社の境内社)と厳島神社(無格社)も合祀されているという。
 他にも境内社の稲荷神社には六所神社境内社の稲荷神社と峯野神社境内社の稲荷神社、無格社稲荷神社の三社が合祀されているとのこと。

淡洲神社

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 大六天神社前より更に北西へ。
 工業団地北入口バス停先の交差点を越えたら、長沼川に沿って南下して行くと右手側に淡洲神社。
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 淡洲神社と言うことは、こちらの御祭神は速御玉比売命になるのかしらん。
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 鹿島神社と天神社。

大六天神社

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 中伊古の集会所前の道を、今度は北西へ向かって走って行くと右手側に大六天神社前バス停留所があるのだが、あやうく見落としてしまうところだった。
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 大六天と書かれた額らしきものが掛けられているが・・・御祭神が判らない。ぱっと思いつくのは第六天魔王なのだが、大六天神社でググってみると、どうも場所によってまちまちな様子。

伊古乃速御玉比売神社

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 再び47号線を南下。江森自動車の先の信号で右折したら田尻橋を渡って一つ目の信号で左折。少し進むと右手側に中伊古の集会所が見えて来るので、そこで右折したらあとは真っ直ぐ進むと右手側に伊古乃速御玉比売神社が見えて来る。
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 鳥居の前に由緒書きがあるものの、あまり詳しいことは書かれていないのでいつもの如くGoogle先生に訊いてみることに。
 すると、仁賢天皇の時代(488年~498年)に蘇我石川宿禰(武内宿禰の子)の子孫が気長足姫命(神功皇后)、大鞆和気命(応神天皇)、武内宿禰の三柱を祀ったのが始まりであるようなのだが、しかし本来の祭神は速御玉比売命ともあり、江戸時代には淡洲明神とも呼ばれていたとのこと。
 また、創建当初は二ノ宮山上にあったが、文明元年(1469年)にこちらへ遷座したそうだ。ちなみに二ノ宮山はここから西へ700m程の距離にあり、山頂にはこちらの神社の奥宮があるとのこと。・・・前もって判っていたらそちらにも行ったのになぁ。
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 二の鳥居。
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 御神木。
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 拝殿。
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 裏手左側に金刀比羅神社。
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 少し高くなった所に天満天神宮。
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 少し離れた所に・・・なんだろう、これ。大きさから見てもただの末社とは思えない。

弁天宮

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 47号線を南下して有限会社イズミの先で左折、高根カントリー倶楽部へ向かって走ると左手側に弁天池が見えて来るので、そのほとりに弁天宮がある。
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 中には木製の祠が納められている。
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 弁天池の中に石祠。こちらが元々の弁天宮なのかな。

高根神社

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 南小西交差点まで戻り、47号線を南下すると里美橋の先で緩くカーブしているので、その先にある満讃寺前から南へ向かって伸びている道をまっすぐ進むと高根神社の入り口に到着する。
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 狛犬。
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 社号標石と、その右側に由緒書き。
 御祭神は味鋤高彦根命、伊弉諾尊、伊弉冉尊の三柱であるとのことで、かつては高根山に鎮座していたそうだ。ちなみに高根山はここから南東へ約1km程の距離であり、その周辺一帯がゴルフ場になっている。しかし、元高根と書かれていると言う事は、今の高根山とは違うのかな?
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 鳥居。
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 拝殿。
 拝殿前まで車で入って来ることもできるが、今回は麓に置いたまま徒歩で。
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 拝殿前のみならず、屋根の上にも狛犬。
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 瑞垣の隙間から本殿。
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 拝殿の前を通り過ぎ、山頂へ向かう途中に末社群。
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 左から榛名神社・三峯神社、牛頭社、稲荷神社、金比羅神社、諏訪神社、八坂神社。その右の石祠四つは不明。更にその右の石碑二つには弥勒大菩薩、星宮神と刻まれていた。
 末社群の左を抜けて進んで行くと奥の方に建物が見えたが、神社とは関係無さそうだったので下山。地図を見ると山頂付近に老人ホームが記載されているので、おそらくそれだったのだろう。

重殿稲荷神社

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 八幡神社より西へ300m程戻ると重殿稲荷神社がある。
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 池に挟まれた参道をちょろっと歩くと拝殿があり、すぐに行き止まり。

八幡神社

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 47号線を南下、南小西交差点で左に折れ、そのまま東へ1km程走ると左手側に八幡神社が見えて来る。駐車場は無いが、神社裏に集落センターがあるのでそちらの駐車場に停めることができる。
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 参道。
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 二の鳥居。
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 由緒書きによれば、延喜十七年(917年)創建とのことなので、先程の柴八幡宮より更に300年近く古いことになる。
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 神楽殿。
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 拝殿。
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 斜めから。
 左側に見える小さな石塔には天満天神宮と彫られている。
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 境内社群。
 左から白山社、厳島神社、天満社、御嶽神社、阿夫利神社、榛名神社、稲荷神社、三峯神社。それから少し離れて祠が一つあるが、こちらは不明。もしかしたら天満天神宮かも知れない。

柴八幡神社

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 千代交差点を越えて400m程南下したところで西へ折れ、そのまま走ると八幡神社が見えて来る。
 駐車場は無いので、少し通り越した所で路肩に駐車。
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 由緒書きによれば、創建は後鳥羽天皇建久年中(1190年~1198年)とのことなので、800年以上経っていることになる。
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 正面に拝殿。額には柴八幡宮とあった。
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 参道左手側に天満天神社と大山祇神社。
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