出来島伊奈利神社

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 男沼小学校西側の道を北へ向かうと、途中二手に分かれるので左へ進んで行くと堤防手前左側に伊奈利神社がある。
 音から見て伊奈利=稲荷であるのだろうが、この字を当てるのは埼玉県に多く見られるような気がする。こちらの神社は八坂神社の暴れ神輿が有名だということなのだが、伊奈利神社自体の祭礼はそうでもないのかね。
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 拝殿前は広く、ベンチもいくつか設置されている。ゲートボール場として使われているのだろうか。
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 拝殿前から右へ向かうと石段があり、それを上ると・・・おや?
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 板壁で気付きにくいが、石段を上らずに右へ歩いて行くと石祠の前まで行けるようだ。それにしても、なぜこんな隠すような造りになっているのか。
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 どなたが祀られているのか、さっぱり判らない。
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 右奥には大きな石燈篭。
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 戻ろうとした際に、ふと視界に入った石碑。堀川神社と刻まれているが、はて、大坂の堀川神社のことだろうか。すると蛭子命かな?

 本日の参拝は以上。
 使用機材はK-7にDA35mmとDA15mm、DA21mm・・・なのだが、最初の白山神社以外はDA21mmだけで事足りてしまった。今回のカスタムイメージは「雅」を使ってみたのだが・・・ないわー。この色はないわー。以前にも雅を使って違和感を覚えたのだが、この空の嘘臭い青は好みに合わないし、鳥居や標石が青白くなってしまっているのもヘンだ。とりあえず、今後は神社撮影には雅を使わないで行くことにしよう。
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鎮守神明社

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 276号線を西進し、飛田稲荷神社を右目にスルー。男沼公民館前で右折し、突き当たったら左を向くと鎮守神明社。数台分の駐車スペースあり。
 鳥居の左右に社号標石が建てられており、左に「鎮座天満宮」、右に「鎮守神明社」とある。
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 拝殿。正面の額には神明宮。
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 拝殿右に境内社。宝珠紋らしき形の穴が開けられていると言うことは、稲荷神社なのだろうか。或いは御祭神が豊受姫命なら外宮ということもあるか?
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 左裏手に石祠。こちらが天満宮になるのだろうか。

摩多利神社

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 白山神社から南へ140m程戻ると東側に古墳跡があり、その墳頂に摩多利神社がある。
 こちらは駐車スペースがあるので路上駐車しなくてもすむ。
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 背中側はブロック塀になっているので、これより下がれない。
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 石段の手前には左右に庚申塔群。右端には猿田彦神の名前も見える。
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 摩多利神社ということは祀られているのは摩怛利神(摩多羅神とも)なのだろう。この神様もなんと言うかまぁ、天台宗の神様として日本に入って来た(と言うか、半ば円仁を脅して祀らせたような)のに、色々な属性をくっつけられてしまってよく判らん神様になってしまっている。
 以前、七母殿のエントリーで摩怛利神は大黒天や七母天と習合したと書いたけど、調べなおしてみると他にも茶吉尼天や聖天、妙見菩薩などとも習合しているらしい。ちなみに妙見菩薩は北極星の化身とされているが、摩怛利神は輔星の化身とされているようだ。輔星にはアルコルとか洞明星と言う呼び名もあるそうだが、死兆星と言う呼び方をすると「あぁ」と思う人も多いのではないだろうか(笑)
 塞神としての面もあるようなので、庚申塔があるのも納得。先程の白山神社にあった塞神もこちらに関係しているのかな。しかし、調べるほどになんでもありと言うか、胡散臭い話になって行くなぁ、この神様は。
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 本殿の裏に末社。おそらく稲荷神社だろう。

妻沼台白山神社

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 刀水橋の南、登戸交差点を西へ向かうとすぐ45号線と276号線に分岐する交差点があるのだが、そこでどちらにも向かわず交差点北側にあるむさしや食堂右の道をまっすぐ走って行くと左手側に白山神社が見えて来る。駐車場は無いので神社脇に路駐。
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 鳥居前の石碑には大きく塞神と彫られている。どこからかこちらに運び込んだものだろうか。
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 拝殿。右奥に見える建物には神輿が納められていた。
 周囲をぐるりと回ってみたが、末社などは見当たらなかった。

境宮神社

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 JA足利三和前から南へ200m程歩いて行くと、道の脇にぽつんと標石が立っている。ここより右が松田町で左が板倉町と言うことのようだが、実際、ここで分かれてるのかな?
 ともかく、この標石の脇から境宮神社に入って行けるのだが、あー・・・これは普通に219号線を走っていたら気付かないわ。なにせ参道と呼べるほどの道はなく、民家の脇を通り抜けるとその裏に神社がありましたって感じなので。
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 ちんまーり。
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 こちらの神社に関する伝説が宗泉寺の掲示板のNo.181に記載されていたので引用させてもらうと、
『狢谷戸(むじなげいと)のお稲荷さま

 お稲荷さまの創建についてハッキリしたことはわかりませんが、元禄10年(1697)1月野火のため社殿を焼失し、同13年(1700)2月28日に再建したという記録がありますので、それ以前であったことは確かである。
 さて、このお稲荷さまには、次のような伝説が残されています。
 昔、松田村(松田町)と板倉村(板倉町)の間に、境界をめぐって大論争が起きました。
「ここまでがうちの村だ」
「絶対そんなことはないッ。わしは年寄りに、昔からここまでがうちの方の村分だとハッキリ聞いている」
 地形上、これといった目印もないので、この論争はいくら続けてもきりがありません。そのうちに気の早いのが、
「どれだけいったらわかるんだ。あくまで無理を通そうというのか」
「何をッ、無理をいっているのはお前の方じゃないか。口でいってわからなけりゃ、わかるようにしてやろうか」
「いいとも、そっちがその気なら、こっちだって覚悟があるぞ」
 売り言葉に買い言葉、お互いに血の気の多いのがすっかり頭にきて、あわや一色即発、血の雨が降りそうな険悪な状態にまで発展してしまいました。
「待て待て、短気はいかん」
「まあまあ、そんなに興奮しないで・・・・・」
あわてて両村の年寄り連中が、中に割って入りましたが、とどのつまりは、お互いの主張を繰り返すばかりで、さっぱりラチがあきません。
「どうだろう。お稲荷さまに伺いをたててみたら・・・・・」
村人の一人がこう提案し、皆もそれに賛成しました。早速、両村の代表が打ちそろって稲荷山に登り、ことの次第を告げてお祈りしました。すると、どうでしょう。社殿の裏手にある大岩が、大きな音をたてて二つに割れ、ハッキリと境界を示したではありませんか。
 両村の代表は、今後二度とこのような騒ぎを起こすまいと誓い合い、その境界の目とおし、お稲荷様と反対側になる街道の西にお宮を祀り、大岩の割れ目とお宮を結ぶ線を両村の境とすることにしました。
 境界を示した大岩は今も残っています。おそらく20トン以上もあろうと思われる大きな岩で、真ん中あたりから二つに割れ、その割れ目から樫の大木がそびえています。
※ 街道の西側に建てられたというお宮は、第18分団から少し南に寄ったあたり、道路から30メートルぐらい入ったところにあって、境宮(さかいのみや)神社と呼ばれています。

参考資料
・ 続足利の伝説         台  一雄 著
・ 在地土豪と南北朝の動乱  柳田貞夫 著』

 とのことで、先程の標石に「従是」と刻まれていたのはお稲荷さまの決定に従うと言う意味だったのだろうか。
 しかし、「お稲荷様と反対側になる街道の西にお宮(境宮神社)を祀り」とあるが、そのお稲荷様は一体どこにあるのだろう? 地図を見ても219号線の東に稲荷神社は見当たらない。ずーっと東へと目をやれば284号線の東に稲荷神社が記載されているが、しかしそちらは松田町でもなければ板倉町でもなく月谷町。さすがに行道山を越えてと言うのは離れすぎだろう。とすると、これは境宮神社があるのはお稲荷様の西ではなく、街道の西ということか。ではお稲荷様があるのは境宮神社の西側と言うことになる。たしかに境宮神社の裏手には山があり、MAPPLEを見ると山の中心から北東が松田町、南西が板倉町に分かれている。しかし、MAPPLEにもGoogleマップにもこの山に稲荷神社は記載されていない。
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 境宮神社の左に石祠があり、額には氏・・・なんだろう? 無理矢理読もうと思えば淦の崩れた字と見えないことも無いのだが・・・違うよなぁ。お稲荷様系だろうとは思うのだが、或いは件のお稲荷様をこちらに遷座したのだろうか。
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 境宮神社の右脇から山へと入って行けそうではあったのだが、途中から藪になっていて登るのいやんな状態なのでこれ以上は進まずに撤退。もしかしたら山の上に件の大岩があるのかも知れない。

 本日の参拝は以上。
 使用機材はK-7にFA31mm。カラーモードは「鮮やか」を使ってみたが、意外にも絵造りは「風景」よりも穏やかな感じだ。*istDSの鮮やかモードは見られたものじゃないってくらいに酷いものだったし、K10Dの鮮やかモードもいまいち趣味に合わなかったが、K-7の鮮やかモードは悪くないな。

松田町八坂神社

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 琴平神社前から真っ直ぐ西へ向かうと途中で二又に分かれるが、ここで南へ折れると郵便局の脇へ、そのまま西へ向かうと219号線に合流し、松田町一丁目自治会館の50m程北側に出る。
 元々は境宮神社周辺に駐車できそうな場所が無いのでこちらに停めようと思っただけで、自治会館の敷地内に八坂神社があるなどとは全く知らなかった。自治会館前まで上らなければ気付かなかっただろうから、ある意味ラッキー?

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 写真一枚でエントリー終了なのもなんか寂しいので、JA足利三和裏にあった石祠など。
 松一自治会館前からJA前までは大体350mちょっと。JAの向いに足利松田郵便局があるので、むしろそっちの方が目印になる。
 JA脇の道から善光寺へ向かう途中にあるのだが、なんとなく進入禁止と言われているような感じがした為、ここより先には進んでいないのでどなたを祀ったものなのかは不明。

松田町琴平神社

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 足利松田郵便局前で松田川沿いの道へと入り、あとは道なりに走って行くと左手側に琴平神社があるのだが、気付かずに喜福寺前まで行ってしまい、Uターン。
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 琴平神社の前に虚空蔵菩薩堂。これが無かったら琴平神社に気付くことは無かっただろう。ちなみに道は琴平神社の南を走っており、琴平神社の額は東を向いている。
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 虚空蔵菩薩堂と琴平神社の間に庚申塔とお地蔵様。

要害山雷電神社

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 本日最後に行ったのは要害山雷電神社。かつては板倉城と言う山城があり、現在でも遺構が僅かに残っているそうだ。
 脇に自治会館兼社務所があるので駐車場には困らない。
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 が、雲行きが悪くなって来たのと藪を踏み越えて行くのが嫌だったので、ヘタレな自分としては数秒考えて撤退を決定。もう少し登り易そうな時に来ることにしよう。

 今回はK-7にDA18-55mm WRのみ。一応交換レンズは持って行ったのだが、出番無し。
 カスタムイメージは「風景」を選んでみたが、かなり鮮やかでシャープネスが強い。悪くは無いが、もうちょっと柔らかめの方が好みかなぁ。

板倉町産泰神社

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 羽黒橋を渡り、219号線へと向かう途中に産泰宮の社号標石。
 このまま道なりにてくてく歩いて行く。
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 途中、田圃の中に石祠が見えたので撮影。K-7では望遠域が足りないのでこれだけPowershot G7で。
 石祠の右に見える石には堀江宗家之墓と刻まれており、六之丞八幡宮と関係があるのかも。
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 さらにてくてく歩くと、そのうち松田川に当るので前山橋を渡ってその先へ。
 橋を渡って左へ進むとすぐ二又に分かれているので右へ進み、あとは道なりに歩いて行くと突き当たりに鳥居が見えて来る。
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 鳥居の左奥に庚申塔群。
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 石段はさほど長くない。
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 手摺の向こうに夫婦岩。
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 神楽殿・・・ではないな。狭いし。
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 階段を上り切った先には拝殿。思っていたよりもちんまり。
 産泰神社と言うことは御祭神は木花開耶姫命かな。
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 巳待塔やら末社やら。大山祇命や根本神の名も見える。
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 こちらが神楽殿かな。

板倉町雷電神社

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 庚申塔群前まで戻り、そこから東へ300m程歩いて行くと雷電神社がある。民家の脇を抜けて行くなど、なんとなく堤谷の子の権現を思い出してしまった。
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 社務所らしきものがあるので、車でも来られたかも知れない。
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 坂道の途中に出羽三山の石碑があり、その下に雷電大神と刻まれている。
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 雷電神社と末社二つ。
 御祭神は・・・どなただろう。雷神は数が多いので神社の名前だけでは判らない。
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 雷電神社の裏へと登り、山頂付近から撮影。
 正面に見えるのは要害山。右は高尾山だろうか。

六之丞八幡宮

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 板倉町集会場に車を置いて東へ歩いて行くと、左手側に羽黒古墳の案内標識と庚申塔群が見えて来るので、標識の示す方へ。
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 社務所・・・なのかな?
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 プレハブ小屋を越えて登り道に入ると、すぐ右側に羽黒古墳への道を示す案内標識が倒れている。
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 古墳の方へは向かわず、まっすぐ進むと奥に鳥居が見える。
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 鳥居には六之丞八幡とある。
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 拝殿。
 中には祠は無く、六之丞八幡宮と羽黒神社の神璽が並んで置かれていた。もしかしたら、こちらは拝殿ではなく本殿なのかも。
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 社殿前には由来を記した石碑があるのだが、全て漢字で記されている。
 八幡宮ではあるが、祀られているのは一揆の中心人物として処刑された堀江六之丞。詳しくは百姓一揆というブログに記載されているのでそちらへ。そちらを見ると、元は堀江神社と呼ばれていたようだ。
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 社殿の裏、岩壁に錆びた鳥居と石祠が見える。羽黒神社だろうか?

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 先ほどの案内標識まで戻り、標識の示す方へと歩いて行く。
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 二分程で羽黒古墳に到着。

雷神宮

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 板倉橋の近くにある集会所前の細い道を南下すると雷神宮がある。社務所の前が広いので駐車スペースには困らない。
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 本殿。
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 その脇にお稲荷さま。
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 南を向くと要害山が聳えている。
 要害山の山頂にも雷電神社があり、こちらの雷神宮の600m程東にも雷電神社がある。なんでこんな近距離に雷電神社が集中しているのだろう。
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板倉町白山神社

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 219号線を越え、板倉橋を渡って東へ進んで行くとつつじヶ丘カントリー倶楽部の看板が見えて来るので、その左側にある集会所脇の庚申塔群前に駐車して160m程歩くと左手側に白山神社が見える。
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 石垣の上に建つ鳥居と拝殿、いずれにも額が掛かっていない。
 それにしてもしっかりとした石垣だ。城址でもあるのだろうか。
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 末社群四つ。しかし何神社なのか不明。
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 こちらの末社も不明。
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 フェンスを回り込むと、奥の方に石段が見えるのだが、これ進めるの? 地図を見てもただ山が広がっているだけのようだし、ここより先に行く必要性は無さそうだ。

板倉神社

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 粟谷神社の南東300m程の位置にある板倉神社。
 地図を見ると、坂西北小前の信号から入って行くのが一番判り易いのかも知れない。
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 二の鳥居。
 鳥居の前には蛇のようにのたくった注連縄が掛けられている。
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 拝殿と狛犬。
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『足利市重要文化財(民俗文化財)
 板倉神社の神迎祭
 板倉神社で毎年旧十一月初午の夜に行われる神事である。
 国内の神々は、旧十月(神無月)に出雲大社に集合し旧十一月一日に国元へ帰るとされるが、板倉神社は出雲大社と親戚のため、残務処理をしてから一足遅れて旧十一月初午の夜帰ってくるといわれ、この夜に「神迎祭」が行われる。
 朝から氏子は大きな注連縄飾りをして準備し、夜になると氏子達は神殿に集合してお祓いを受ける。各自白丁を着て、高張提灯、太鼓、ホラ貝、神主、神輿、高張提灯の順に行列をつくり、前後左右にお賽銭箱を持ち、氏子の老若男女も手に手に家紋の入った提灯を掲げて「ダイショ、ダイショ、オムカイショ」と唱えながら村境の大前坂まで行って神を迎えるのである。帰路は静かな行列となって神社に戻り、奥殿に神霊を遷して終わる。
 昭和五十七年四月二十一日 指 足利市教育委員会』
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 拝殿の戸には手書きの由来書きが貼られている。
『板倉神社の由来
 春祭 四月十五日
 秋祭 十月十五日
 板倉神社の祭神は大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命の三柱の神様をお祭りしてあり日光二荒神社の分霊となって居ります。大國主命は世に福の神、縁結びの神、又商売繁盛の神として一般から崇められ慈愛深き事は因幡の白兎を救われてお話で有名であります。故に大神の御神徳を仰ぐ為には大神の神意神業に習って聡業を励み、行いを慎み、福徳円満の心を心として親睦和合を旨として慈愛を以って交わり品位を高め心身の安寧を計るべきであります。

神迎祭の由来
 旧十月一日はお神のお立ちと称して国内津々浦々の神が出雲の大社に集合して色々と相談をなさる為に旅立つ日であります。それでこの月は神様がお留守になるので俗に神無月と云っております。
 相談が終り旧十一月一日にお帰りになるのでこれをお迎いするのが神迎祭であります。板倉神社の神様は出雲の大社とは親戚の為残務整理のお手伝いをし一足おくれて旧十一月初午の夜お帰りになります。
 昔からこの日は仕事を休みご馳走を作ってお迎いのお祝をします。夜になって氏子の当番の者二十人程社殿に集まりお祓いを受け各々白丁を着て神輿をかつぎホラ貝を吹き太鼓を打ち高張を掲げ氏子の老若男女は手に手に提灯を掲げて行列を作り静々と村境までお迎いに行きます。神社に戻り奥殿に神霊を遷し階段で〆を張ります。神様が旅の疲れでお休みになっているので神前に近寄れないのであります。今日から十二日目を神事明と称して〆を取除き参拝が許されます。
 昭和四十七年十月十五日  宮司 長島覚弥太 謹記』

 ちなみに松田神社も日光二荒山神社からの分霊であり、やはり神迎祭(おかえり、と読むそうだ)の神事を行うそうだ。粟谷神社でも神迎祭はあるようなので、やはり粟谷神社も日光二荒山神社からの分霊なのだろうか。・・・しかし、日光二荒山神社の分霊なのに、何故にこちらの地域だけ神迎祭があるのかしらん?
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 拝殿の裏に回ると石段が伸びており、その先に本殿が見える。
 この辺りの神社は拝殿よりも数段高くなった場所に本殿が置かれているものが多いなぁ。松田神社もそうだし、粟谷神社や八幡宮もそうだった。
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 石段を上り切ると、正面に本殿。額には二荒大神と書かれている。
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 左を向くと、境内社がずらりと並んでいる。それにしても、結構広いな。
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 天満宮と疱瘡神、あとはなんだろう? なにかペンで書いた跡はあるのだが、肝心の部分が薄くなっていて判らない。つーかペンで書くなよ。
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 八幡宮。
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 左端はお稲荷さまっぽい感じではあるのだが、額には「?祀宮」と刻まれており、よく判らない。右端も不明。
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 中央には石の棒。金精様かな。
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 本殿裏にも石段があり、上った先に石祠があるが、どなたを祀ったものかは判らない。

粟谷町山神社

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 粟谷神社前から北へ進み、大舟地区の林道を走って行くとやがて二又に分かれ、そのYの字の間に山神社がある。
 このまま林道を北へ進めば猪子峠を経て猪子トンネル前に到達できる。西へ進むと石尊山方面へと続いているが、地図を見ると途中で途切れているようだ。
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 鳥居の下まで杉の根が張り出して来ており、鳥居よりも存在感を主張している。
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 杉の木の間を通り抜けると・・・拝殿になるのかね、これ。屋根がブルーシートで覆われているが、これのおかげで神社が見つけ易くなっている。風情は無いけど。
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 拝殿(?)裏へ回り込むと庚申塔が二つ。
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 大きな杉の間の石段を上ると山神宮と書かれた赤い屋根の祠とその右に苔生した石祠。
 御祭神は不明だが、西に石尊山があるところから見て大山祇命だろうか。

粟谷神社

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 熊野神社鳥居前の道を北東へ大体1.5km程走って行くと、左手側に粟谷神社が見えて来る。
 駐車場が広いので、車の置き場に困ることがないのはありがたい。
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 石段を上ると狛犬がお出迎え。三本の木を組み合わせたものは鳥居か注連縄の代わりだろうか。なんにしても、ここから神域と言うことだろう。
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 石段を上り切ると拝殿。社務所も兼ねているのだろうか。
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 拝殿裏の石段を上ると鞘殿があり、中に本殿が納められている。
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 本殿。こちらの御祭神は大己貴命であるそうだ。
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 本殿の両脇に控える小さな祠。
 どなたを祀っているのかは判らないが、すぐ近くにある板倉神社の御祭神が日光三神(大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命)であることを考えると、こちらもそうであるのかも知れない。
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 鞘殿右側に末社群。
 中央の三つのうち二つは日光神社と生駒神社であることは判ったのだが、もう一つは不明。
 きのこのような形の石柱の右に見える石祠は金毘羅宮。右奥の六つのうち、後列中央は毘沙門天。他は不明。
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 鞘殿左側に機神宮。
 こちらは天明七年(1787年)に金井繁之丞とその兄である金井仙右衛門によって建てられたものであると言う。御祭神は栲機千千姫命であるそうだが、金井繁之丞が34歳の時に生神様として一緒に祀られたとのこと。ちなみに金井繁之丞の生誕を宝暦四年(1754年)とする説と宝暦八年(1758年)とする説があり、もし宝暦四年生まれならば、機神宮を建てた翌年にはもう祀られていたと言うことになるのだろうか。
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 機神宮本殿。
 屋根には何かが突き破って来たかのような穴が開いている。

別格高尾山第一分社

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 以前のエントリーで葉鹿町の熊野神社のことを書いたが、そこより東へ200m程進むと広い三叉路があり、そのすぐ手前、民家の庭先に別格高尾山第一分社と刻まれた社号標石が立っている。
 参道が藪に埋もれていることは先刻承知。熊野神社の裏手から高尾山に登れると言うことなので、車は熊野神社前に置いてきてあるのだ。
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 と言うことで、熊野神社脇の道を上って行くとこんな所に突き当たるので、正面の細いダートへ。
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 てくてく歩く。
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 てくてく歩く。
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 やがて少し広い場所に出るので、そこで右を見ると細い紐が張られている。注連縄の代わりと言うことだろうか。
 ダートに入ってからここまで大体三分ちょっと。緩やかで登り易い道だ。
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 紐をくぐって進んで行くと、少し登ってすぐに山頂。そして高尾山第一分社。
 本来の参道を登って来るとこう見えるのかな。ダートからだと左の石祠と板壁の間に出て来ることになる。
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 草で覆われていてろくに見えないが、多分これが本来の参道。こんなとこ登って来るの、無理。
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 左から大天狗、小天狗、石尊宮。
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 額の部分には高尾山と刻まれている。・・・これが本殿? じゃあ隣のってなに?
 まぁそれは置いといて、こちらの御祭神は飯縄権現と言うことになるのかな。
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