法楽寺

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 車で織姫神社に向かうには織姫観光道路を上って行くことになるが、その入口近くにあるのが正義山法楽寺。
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「曹洞宗 正義山法楽寺
 正義山法楽寺は、足利義氏によって建長元年(1249年)に草創された。法楽寺の山号と寺号は義氏公の法名、「法楽寺殿正義大禅門」に因る。
 天文年間(1532-54)の火災後、法楽寺は開山太岫玄修和尚によって弘治三年(1557年)、曹洞宗として再興される。その後正徳二年(1712年)二代足利藩主戸田忠囿は、法楽寺を戸田家の菩提寺としたが、万延元年(1806年)再度の火災を被ってしまう。
 足利の伝説『片葉の葦』は、法楽寺山門外にあった『阿弥陀ヶ池』にまつわるものである」
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「曹洞宗 正義山法楽寺
 法楽寺は足利義氏公、足利藩主戸田家、その藩主達の菩提寺であり、多彩な人物にゆかりのある寺である。
 古くは金沢文庫に残る『諸要事集』『悟性論』等が鎌倉時代中頃、僧朗海によりここで書写された。
 またここに埋葬された藩士数十名の中に、足利学校保存運動の中心人物相場朋厚、砲術家の佐藤久太郎などがいる。さらに明治末期。俳句結社『古池連』をおこした皆川真龍は当山第二十世住職である」
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 本堂。
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 境内端にお稲荷様。
 こちらは大正十五年(1926年)に皆川真龍和尚が愛知県の豊川稲荷から勧請したものなのだそうだ。
 平成十一年(1999年)に改築し、現在は荼枳尼天と白山を祀っているとのことだが、白山とは白山神社のことだろうか。お寺だから、十一面観音になるのかな。
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 お狐さま。
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 足利義氏公墓所。

 これで26日参杯分終了。
 今回は寄井町の辺りまで行こうと思っていたのだが、起きた時間が遅かった為に足利市内の神社に変更。前日に二次裏(may)の神社スレで徹夜してしまったのがいけなかったか。でもあのスレ面白すぎて途中で撤退するには惜しかったんだよなぁ。
 今回使用したのはK-7にDA15mmとFA28mm、K10DにFA43mm。色の差を少なくするためにどちらもWBは太陽光を選び、K-7はA1、K10DはM1B2の調整をしたのだが、それでもまだK10Dの方がアンバーが強いようだ。ふーむ、次はケルビン値を同数値にしてみようかな。
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織姫神社

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 いままで春季例祭と秋季例祭のエントリーを立てたことはあっても、神社自体のことはあまり書いてなかったなぁ、と言うことで今更ながらに織姫神社など。
 ところで織姫神社の所在地は西宮町3889となっているのだけど、地図を見ると参道の途中から本城三丁目に入っているように見えるのよね。まぁ、どうでもいいけど。
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「足利織姫冷水
 この織姫のおいしい水は山紫水明の地足利で自然のろ過作用によりみがかれ天然のミネラル分を豊富に含んだ地下水を原水としております。
 ご来足の記念にぜひご賞味下さい」

「国登録有形文化財 織姫神社社殿
 昭和12年に建築された鉄筋コンクリート造の建物で、中央に拝殿、その両側に翼廊を配する形は、日本古来の寝殿造建築をモデルにしています。当時の神社建築は木造が主流でしたが、設計者である小林福太郎(1882~1938)は、鉄筋コンクリートを用いて木造建築の意匠を再現しました。
 参道の階段を上った織姫山の中腹に立地し、朱色の建物が緑の山並みと青い空に映え、ひときわ鮮やかに眼に映ります。
 織姫神社は、織物を中心とした足利の産業を信仰面から支えてきた存在であり、本市の近代化を語るうえで欠かせない貴重な文化遺産です。
 主祭神は「天八千々姫命(あめのやちちひめのみこと)」「天御鉾命(あめのみほこのみこと)」のニ神を勧請してお祀りしており、近年は、産業振興と縁結びの神社として、多くの参詣者に崇められています。
 神楽殿・社務所・手水舎と共に、平成16年に国登録有形文化財になりました」

 織姫神社は以前は機神さまと呼ばれ、通四丁目にあったそうだが、明治十二年(1879年)にこちらに遷宮。しかし翌年に火災に遭い、再建されたのは昭和十二年(1937年)ということなので、57年間も社殿が無かったことになる。
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 鳥居をくぐって階段を上って行かずに、左へと向かうとえんむすび坂へ。
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 織姫公園見取り図。
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「足利織姫神社造営碑 碑文(口語訳)
 日本の国は、昔から神の国といわれています。万世一系の皇室があって世界に例のない国体です。そして日本独特の神社があります。神社は伊勢大神宮を始めとして、官弊社、国弊社、府、県社、郷社、町、村社など格付けはさまざまですが、いずれも国民信仰の中心で、国体に即して国民生活と密接につながっています。
 昔 天祖 天照大神が高天原を治めていたころ、天御鉾命を神々の衣服を織る役職につかせ、天八千々姫命を織女に命じて衣服を織らせました。足利に鎮座する織姫神社が産業振興の守護として、天御鉾命・天八千々姫命の二柱の神をお祭りしてあるのはこのことに由来しているのです。このように織姫神社の根源は、遠く神代の時代にまでさかのぼり、由緒は奥深いものがあります。
 下野国は、関東のだいじな所に位置し、文化は早くから開け、産業も大いに興り、織物の国として知られていました。なかでも足利は織物の生産地として平安朝のころは、絹織物を朝廷に献上するようになりました。このようなことは史実としてさまざまな形で伝えられています。以来数百年、時代によって栄枯盛衰はありましたが、祭祀は絶えることなく続いていました。
 明治維新、国運の隆昌と同時に産業もますます発達し、社殿を現在の地に移しました。しかし、明治十三年十一月、火災により社殿は一朝にして灰燼に帰してしまいました。その後五十年余り、有志の人々がたびたび再建を企てましたが成就しませんでした。たまたま、昭和八年皇太子殿下(現天皇陛下)の御降誕を記念として、産業振興を祈願し社殿の造営を決定しました。奉賛会を、組織し、浄財を募り、工事に着手しました。造営主任技師小林福太郎、工事担当者小川清次郎を責任者として、昭和九年工を起し、昭和十二年竣工しました。四年間の歳月をかけて完成しましたが、神域の拡張は一千余坪、その経費は総額十五万円、規模は広壮、紺碧燦然として旧時の面目を一新しました。
 社殿は足利市の中央にあり、その他はさわやかな高台、背後には緑濃い松林の丘陵を隔て、甲信の群山を霞がただよう彼方に望むことが出来ます。遠くは岳蓮(富士山)がひときわ高く青空にそびえ、絢爛たる眺望はみごとなものです。いわゆる朝日のきらめき、夕陰の情景、自然はさまざまに美しい変化を見せます。更にその上を願えば、春秋の大祭毎に多くの人々が集まり崇敬の念をいただいてくださること、それが市民振興の源となり、産業振興の活力ともなります。このことは太古より現在まで、現在より遠い将来まで変えることはありません。
 奉賛会長 殿岡利助、建築委員長 原田政七、社掌(神主)日下部幸俊 三君は、これを後世に伝えるために碑の建立を計画しました。そしてその碑文を書いて欲しいと私のもとに来られました。私はそれを快くお引き受けして、その由来をこの一文にまとめました。これを石に彫って後世の人たちに末永くつたえてください。
   昭和十六年五月六日 建石   足利 岩澤諒弐 書」
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 鳥居。はたしてこれは一の鳥居なのかニの鳥居なのか。
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 ニの鳥居。・・・三?
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 狛犬。
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 歴史のひろばから南を向くと、正面に足利富士こと浅間山。その山頂に男浅間神社が見える。
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 縁結びひろばにはしあわせの絆像と足利織姫神社御神徳碑。しあわせの絆像が双体道祖神にしか見えない。
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 参道途中に蕎遊庵。そう言えば、まだ一度もここに入ったことがない。
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 手水舎。
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 狛犬。
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 正面に鳳凰殿。
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 社務所。
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 御神木のスダジイと神楽殿。
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西宮神社

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 足利工業高校の東に位置する西宮神社。
 神社の裏手に回ると駐車場があるのだが、そのまま上って行ったら境内にまで到着してしまった。ふむ、どうやら社務所の裏が駐車場だったようだ。正直、ロードスターで上り下りするのは遠慮したい。
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「当社は、慶長八年(1603年、江戸幕府ができた年)代官小林重郎左衛門が摂津国(兵庫県)の西宮神社を勧請し創建した。
 商売繁盛、財福清廉の「福の神」としての恵比寿神の神徳は、関東一円にわたり、関東総社として多くの人々の崇敬が篤い。昭和五十年には、鎮座四百年祭が盛大に行われた。
 十一月十九、二十日の秋季大祭は、十数万余の参拝者で賑わい、一キロの参道を、お宝売りをはじめ、さまざまな店が並ぶ。境内の神楽殿では、お神楽の奉納も行われ、近郷最大の名物行事となっている」
 足利で有名な神社を三つ挙げるとしたら、織姫神社と緑町の八雲神社、そしてこの西宮神社だろうねぇ。
 ちなみに御祭神は事代主命と蛭子命のニ柱で、福居町のニ柱神社と同じ。あちらも毎年十一月の末には恵比寿講を執り行なっている。
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 ニの鳥居。
 そう言えば、こちらの神社に来たのは一体何十年ぶりだろう。子供の頃に一度両親に恵比寿講に連れて来てもらって以来か。記憶が定かでないが、小学生になるかどうかという頃だったような気がする。あの頃はこの程度の階段でさえとても深く思えたものだ。
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 左側は手水舎。右は神楽殿。右奥の建物は神輿殿。
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 西宮神社奉讃歌の碑。
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 神楽殿。
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 西宮神社鎮座四百年記念碑。
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 拝殿と本殿。
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 境内社。
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 稲荷神社。御祭神は宇迦之御魂命。
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 秋葉神社。御祭神は火産霊命。
 その手前に、観音様?
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 神明宮(皇大神宮)。御祭神は天照大御神。
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 八坂神社(天王様)と山神社。御祭神は須佐之男命と大山祇命。
 祠の後ろに見えるのが裏参道。八坂神社と山神社、裏参道は平成五年十一月に完成したと八坂神社裏の石碑に記されていた。

山下町白山神社

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 春日神社から西へ道をうねうねと走って行くと、山栄電子の向かいに白山神社がある。正直、この辺りは道が入り組んでいて判り難い。池の北側に駐車場があり、そこそこ広いスペースがある。
 神社の前には大きな池があり、最初は白山神社ではなく厳島神社なのではないかと疑ってしまったが、鳥居の額にはしっかり白山神社と書かれていた。
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「白山神社
 清水家の祖先が加賀(石川県)の白山神社を分霊して建てられたと伝える。
 清水家は中世から近世にかけて、この地を支配した豪族であった」
 加賀と言うと、白山比神社が勧請元かな。すると御祭神は菊理媛神・伊弉諾尊・伊弉冉尊か。
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 庚申塔群やら末社群。末社は右奥から二番目が牛頭天王。後は不明。
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 逆側から、拝殿と本殿。
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山下町春日神社

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 市営春日団地の東に位置する春日神社。写真の鳥居はニの鳥居であるそうなので、春日神社前の道をずっと南へ向かって行けば一の鳥居があったのだろうか。長松寺前からこちらに入って来たので、そちらには気付かなかった。
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 鳥居をくぐって右手側に末社。祠の周りに堀があり、市の文字が読み取れることから市杵島姫命を祀った厳島神社だろう。
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 右へ向かうと駐車場があり、道をそのまま進むと長松寺へと続いている。
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「春日神社
 藤原氏の氏神であり平安時代から鎌倉時代にこの地方を支配した豪族(藤姓足利氏)によって建てられたものと思う。
 鑁阿寺の棟札に山下二郎大夫春日兼重の名がのっている」
 と書かれているのだが、春日兼重って誰よ?
 藤姓足利氏によって建てられたとすると、文永ニ年(1265年)に源姓足利氏である足利泰氏によって建立された長松寺よりも古いことになるが、プチ神楽殿さんの山下春日神社の項目を見ると、「享録二年三月二十七日杉之坊という行者が、奈良の春日大神四柱の分霊を奉遷して小祠を建立した当社の起源である」と書かれている。享録二年と言うと1529年だ。藤姓足利氏が滅亡してから300年以上経っている。
 しかしそれはさておくとしても、何故にこんな所に春日神社? 足利には他にも奥戸町と小俣町に春日神社があるが、それらは藤原氏の勢力圏に近い場所なので納得もできるのだが、この辺りは足利氏の勢力圏の真っ只中ではなかっただろうか?
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 石仏。お地蔵様・・・ではないよなぁ。白衣観音かな?
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 拝殿。
 左側に見えるのは神輿殿。
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 御神輿が二つ並んでおり、その奥に祠が三つ見える。
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 幣饌料供進指定記念碑。大正十年五月二十一日。八幡宮社司山崎金作謹書。
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 本殿裏に末社群。中央は天神社。その左はおそらく稲荷神社。あとは不明。
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 拝殿と本殿。
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 社務所。

御尺神社

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 足利清風高校の手前100m程の所で西側へ伸びる細い道を上って行くと、突き当たりの左側に祠が見えてくる。こちらは以前Wristletさんがブログに書かれてたので、それを参考にして行って見たのだが、なるほど、確かに車で入って来るのはつらい。MAPPLEを見ると神社前から長松寺前まで道が続いているのだが、実際に行ってみると途中から徒歩でないと通れない道になっている。一応、祠の前までは車でも上って来られるし、切り返しのできるスペースもかろうじてある。また、祠の北東にある建物は天理教の足利分教会であるようだ。祠の左に写っているのはただの廃墟と思われる。
 扁額には御尺神とあるのでこちらの御祭神はミシャグジさまなのだろうが、なぜこんな所に?
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 祠の裏手に石祠があるが、どなたを祀ったものかは判らず。
 石祠の左に見える石柱はなんだろう。金精様のようにも見えるが、ミシャグジさまを祀った神社なら金精様があってもおかしくはないか。

山下町愛宕神社

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 山前駅の北側にある足利商高入口交差点を北に進み、一つ目の信号で右折して50m程も進むと北側に古墳があり、その墳頂に神社が建てられている。
 隣家との間に車一台分ほどの狭い道が古墳裏まで続いているが、切り返して来られるほどの広さはないので、あまり奥まで進むと戻って来るのに苦労する。
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 拝殿。その左には神輿殿。
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 左側は稲荷神社。右側二つは不明。
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 裏手に回るとテーブルとベンチが置かれている。
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 如意輪観音。

長井神社

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 341号線を北上して行くと福川に差し掛かる前、井殿橋の南東に長井神社がある。
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 拝殿。
 御祭神は判らないが、平安時代末期にはこの辺りは長井別当と呼ばれる斎藤実盛の領地であったから、もしかしたら斎藤実盛公を祀っているのではないかなと予想。ちなみに長井神社の西200m程のところに斎藤実盛の館跡があるそうだ。
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 拝殿右側に回って、何神社だろう。
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 拝殿左側に大黒天と馬頭観世音。
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 拝殿と本殿。瑞垣の上には有刺鉄線が張られている。

 これで20日参杯分終了。
 この日の使用機材はK-7にDA21mmとAPO-LANTHAR 90mm、K10DにDA35mm。K-7はホワイトバランスをほぼCTEで使っていたが、随分と派手な色になるなぁ。K10Dは太陽光で撮っていたから、色の差がすんごいことに。以前、雅の色がおかしいと書いたことがあるが、雅とCTEの組み合わせのせいだったのかも。
 それにしても、今回参拝した神社は祭神の判らない所が多かったなぁ。

赤熊神社

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 上岡交差点から407号線を西へ向い、上岡地蔵前バス停留所で左折、道なりに進むと途中で道幅が車一台分程になるので注意。
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 拝殿。瓦に赤熊の文字が見える。
 兜につける赤い飾りのことを赤熊と言うそうだし、神紋が三つ巴なので武門の神様ではないかとも思うのだが、ふむ、さっぱり御祭神の見当がつかない。
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 拝殿裏手に回ると、境内社。しかしよく判らない。
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 拝殿前から右奥へ入って行くと、稲荷神社がある。

上岡諏訪神社

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 407号線を北上し、上岡交差点で右折。少し進むと右手側に集会所があるのでそちらに車を置かせてもらい、西へ30m程歩くと諏訪神社の鳥居が見える。
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 拝殿。ピント外した○刀乙
 こちらは上岡地区の鎮守であるそうだ。
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 参道左側に天神社と八雲神社。祭神は菅原道真公と素盞嗚尊。
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 参道右側に稲荷神社と白山神社。祭神は倉稲魂神と菊理媛神。
 奥に見える墓地は妙安寺のもの。
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 拝殿裏にあるこちらは古札納所かな。下にある源義経が座った石、と言うのが激しく胡散臭い。

玉太岡神社

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 三度、玉太岡神社へ。今度は誰もいなーい。
 こちらへは吉見小学校かJAくまがや吉見がいい目印になる。そうそう、とうかん山古墳は吉見小学校の南にあり、名前から推測できるように、墳頂には稲荷神社があるそうだ。後で行って見ることにしよう。
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 参道を歩いて行くと、拝殿。拝殿の右にはカラフルな遊具がある。
 こちらの神社は五反林地区の鎮守神であるそうなのだが、どなたが祀られているのか判らない。
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 東松山市指定天然記念物の大榎。昭和三十七年三月二十六日指定。
 大榎の根元には稲荷神社・・・だったかな。
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 本殿前に狛犬。なかなか端正な姿をしているのだが、よく見えない。
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 ・・・しまった、コンパクト機を使えばフェンスの隙間から撮影できたじゃないか○刀乙
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 本殿裏手に境内社。おそらく摂社だと思うが、何神社なのかはさっぱり。

冑山神社

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 舩木神社から一度玉太岡神社へ戻ってみたら、まだ車が停まっていたので今度は冑山神社を参拝。
 まんぷく亭東松山店というラーメン屋が良い目印になるが、神社前には駐車場が無いので周辺をぐるりと回って置けそうな場所を探すことに。
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 二の鳥居。
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「埼玉県指定文化財 史跡 甲山古墳
 指定 平成元年三月十七日
 所在 大字冑山字賢木岡西
 甲山古墳は、比企丘陵の北東部に位置し、標高約五一メートルの丘陵上に構築された古墳です。古墳の形がちょうどかぶとの様な形からこの名がつけられました。
 この古墳は、墳形が中段にテラスをもつ円墳で、規模は南北径が約九○メートル、高さが約一一・二五メートルあります。円墳としては、さきたま古墳群の丸墓山古墳(径一○五メートル)についで県内第二位の大きさをほこっています。
 墳頂には、八幡様の本殿が、また墳丘東側には冑山神社がもうけられ、これをつなぐ石段や参道で一部墳丘が変形しているようにみえます。
 この古墳の正式な発掘調査はなされていませんが、江戸時代の地誌である『新編武蔵風土記稿』には、「(略)この塚を掘った時に、石槨の中より甲冑や馬上の塑人(埴輪)・玉・鏡・折れた大刀などが出土した。(略)」と記載されており、この遺物の内容や、近年大里村教育委員会が採集した円筒埴輪の破片から、築造時期は古墳時代後期(六世紀頃)と推定されています。
 この甲山古墳とともに、北へ約一キロメートル先の大字箕輪にも、とうかん山古墳と呼ばれる全長七四メートルの前方後円墳があり、当時この地域にはこれらの巨大な古墳を造れる、大きな勢力が存在していたと考えられています」
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 拝殿? 案内板に描かれてた古墳全体図は西を上にしているので、墳頂から見て東にあたるこちらが冑山神社になるのだろう。
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 古墳の案内板を読む限りでは、こちらが冑山神社になる・・・よね? まるで境内社のようだ。日吉神社。社殿の横には屋根替工事奉納者の名前を記した板が張られていたが、その板には山王様と記されているので御祭神は大山咋神と大己貴神になるのだろう。
 左側に見える石碑は鎮火神社。
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 拝殿の裏に回ると石段が墳頂まで伸びている。
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 八幡神社。どう見てもこちらの方が大きい。
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 改修作業中なのだろうか? こちらの本殿は宝暦二年(1752年)に造られ、昭和五十四年五月十四日に熊谷市指定有形文化財に登録されたそうだ。
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 墳頂から見おろしてみたり。
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 案内板を見ていなかったら、絶対こちらが冑山神社と拝殿だと思う。
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 拝殿内部。
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 冑山の南西に配水場。

舩木神社

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 吉見神社の次は玉太岡神社を参拝するつもりだったのだが、拝殿の横に車を停めて休んでいるかたがいたのでスルーし、船木台五丁目の舩木神社へ。地図で見ると割と簡単に着けそうなのだが、しかしこの辺りは住宅街になっていてあまり見通しが良くない為迷い易い・・・と言い訳をしてみる。
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 拝殿。
 さて、こちらの御祭神はどなたなのかね。近くを九頭龍川や和田吉野川、荒川が流れているし、船木台という地名から見て船の建材を産出していたのかもと思うと川や水運に関係した神様のような気がする。
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 狛犬。
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 末社群。左から天神宮、白山神社、八幡神社・諏訪神社・日枝神社、不明×3。
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 神社の北側は阿諏訪野公園。
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吉見神社

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 県道257号線へと合流したら南下し、和田吉野川の上に架けられた漆喰橋を渡って少し走った辺りで右手側に社号標石と鳥居が見えてくる。MAPPLEには岩見皇神宮と記載されているが、標石には「郷社 吉見神社」とある。Googleマップでも吉見神社と記載されており、岩見皇神宮とはどこから出て来た名前なのか判らない。
 画面の左端に神明鳥居が見えているが、これは神社に向かう途中にあった須長家の奥津城のもの。入口の両脇にはそこそこ古そうな狛犬も控えており、この辺りの名家なのかと思いググってみたら、吉見神社の管理代表者と相上神楽の保存者がどちらも須長家の人だった。そして吉見神社の管理代表者の人は他にも船木神社(船木台)、春日神社(小八林)、高城神社(高本)、冑山神社(冑山)、八幡神社(津田)、八幡神社(玉作)、諏訪神社(下恩田)、南市田神社(中曽根)の管理代表者も兼ねていた。神主さんなのかな。
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 一の鳥居。突き当たりで右を向くと神社がある。
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 二の鳥居。
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 参道右側に末社。左は櫛岩間戸神、右は豊岩間戸神。
 奥に見える井戸は飲用不可との張り紙があった。
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 神楽殿。
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 こちらは参道左側の末社群。
 左から天神宮、金毘羅大神社、頭大宮、辯才天女宮、牛頭天王、不明、不明、八幡宮。・・・頭大宮ってなんだろう。
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「村指定無形民俗文化財 相上神楽
 指定  昭和五十四年五月十四日
 所在地 大里村大字相上
 期日  七月十五日、吉見神社境内
 相上神楽の起原は、江戸時代中期、天保六年(1835年)八月に関東地方を襲った嵐により、荒川や吉見神社の背後を流れる和田吉野川の堤防がまさに決壊しようとしていた。その時、村人が吉見神社に祈願したところ災害を免れることができた。こののち村人が神楽殿を建設し報賽したのが始めと言われている。
 相上神楽は、坂戸市の大宮住吉神楽の系統に属し、曲目は、国取、三人和合、氷の川、岩戸開等であったが、昭和四十年代後半に奉楽されたのを最後に途絶えてしまった。
 そして、平成七年、相上地区の住民により神楽を復活させようと相上神楽保存会が設立され、子供たちを中心に伝承者より神楽舞や囃子を受け継ぎ、大祭のおりに奉楽している」
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 末社がずらりと並んでいるが、何神社なのかはさっぱり。
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 左はおそらく稲荷神社。中央は一際大きいので摂社だと思うが、詳しいことは不明。右の石碑には天神社と刻まれている。
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 拝殿と本殿。建築様式は神明造になっているようだ。
 拝殿前に設置された門は閉じられているので、門の前から参拝。瑞垣が一部開いているのでそちらから入ることはできるのだが、やめておこう。
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 右奥の方にも末社がずらりと並んでいるが、十社中で御祭神が判ったのは一社だけ。上筒之男神、中筒之男神、底筒之男神と書かれていたので、住吉神社だろう。
 それにしても、ここはどれだけの神様を合祀しているのだろう。2の8の14の3の10で37。それに本殿の神様を合わせて三十八柱か。そもそも、ここの御祭神はどなたなのだろう。天照大神のような感じはするが、確証は無し。
 ググっていたら、こちらの神社は古くは神明社や天照太神宮と称し、上吉見領の総鎮守だったと記載されたサイトを発見。ということは御祭神は天照大神になる。岩見皇神宮というのも古い名前の一つだったのかも知れないが、何故に吉見でなく岩見?
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 彼岸花。

 こちらの御祭神の情報はきまぐれ旅写真館の和田吉野川のページから取得。それ以外にも川周辺域に関する情報が多く、役に立つなここ。

高本高城神社

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 南市田神社からずっと南下して行くと大里中学校の南、中曽根と沼黒、高本の境に高城神社がある。神社の北から西にかけてフェンスが張られているが、フェンスの北側は中曽根地区、西側は沼黒地区となっている。
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 一見すると雨覆屋根のついただけの明神鳥居だが、よく見ると柱と台石が八角形になっている。
 こちらの御祭神は高皇産霊神。つまり高木神。
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 末社群。左手前から瀧祭神社、水神宮、天神宮、天満宮、牛頭天王、武之内稲荷神社、不明。
 吉所敷と沼黒にあったという瀧祭神社の祭神は瀬織津姫命だから、こちらのもそうかな。水神宮も川の神だろうから、すると近くに川は・・・うん、600m程南に和田吉野川と通殿川が流れている。天神宮と天満宮は、どちらも菅原道真公だろうなぁ。
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 遷宮記念碑。
 昭和四十五年四月十日、第二次和田吉野川改修に際し、社殿がその地域に入ってしまっているのでこちらに遷座することになった、ということのようだ。
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 拝殿。

南市田神社

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 諏訪神社前の道を南下、突き当たったら東へずーっと走り、鈴木商店前で北へ折れ、用水路手前で右折。というルートで行ったのだが、諏訪神社から養護施設おお里前の交差点まで戻り、そこから東へ直進して市田小学校前の交差点で南下、と言うルートの方が判り易かったかも知れない。
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 神橋を渡って二の鳥居。
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 神楽殿。
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 なんだろう、これ?
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 狛犬。
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 拝殿。
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 本殿。木に邪魔されてよく見えない。
 こちらの御祭神は瀬織津姫命。瀬織津姫命は穢れを川に流す神であり、南市田神社の50m程北にも通殿川が流れている。瀬織津姫命はほかにも天照大神の荒魂であると言われたり天白神であるとも言われたりしているが、その正体がよく判らない神様だ。
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 神社合祀碑。
 明治四十三年四月に小泉村の八尾神社と愛宕神社、神明社、屈戸村の氷川神社と伊奈利神社、?坂神社、手島村の氷川八幡神社と阿夫利神社、津田新田村の八?神社、吉所敷村の瀧祭神社、沼黒村の瀧祭神社、中曽根村の五社神社と伊奈利神社を纏めて合祀したようだ。?坂神社と八?坂神社はどちらも八坂神社かな。
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 合祀碑の裏に末社群。
 左から不明、天満宮、八坂神社、八坂神社、牛頭天王宮、不明、不明。左端は三つ星の神紋があるが、三つ星を使う神社ってどこだろう?
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 南市田神社の東側には金胎寺。

下恩田諏訪神社

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 先程の三峯神社の西を通り抜け、道なりに走って行くと県立養護施設おお里が見えて来るので、その前の交差点を南に折れ、200m程も走ると西側に諏訪神社が見える。
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 鳥居。
 こちらではささら獅子舞が奉納されるようだ。
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 参道途中の神橋を渡ってすぐ右側に境内社。どなたを祀ったものなのかは不明。右側の小さな石祠は辨財天。
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 参道途中右側に境内社群。左から春日神社、天満天神宮、三峯神社。
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 左から水速女大神、不明、若宮八幡宮、不明。
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 秋葉山神社と金山大権現。
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 稲荷神社。なぜこんなことに・・・。
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 参道の突き当たりに拝殿。
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 拝殿の前に狛犬。
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 神社合祀碑。とあるが、なんかほかにも色々書かれている。が、よく判らん。
 明治四十一年十月に本殿と拝殿の建設を起工、翌年七月に竣工。四十三年に上恩田村の諏訪神社と中恩田村の稲荷神社、御田神社を合祀、かな?

登由宇気神社

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 407号線に戻って北上すると東側にちゃくろというリサイクルショップが見えてくるので、その脇の細い道(407号線に面して社号標石が建てられている)を300m程東へ走って行くと北側に登由宇気神社がある。道幅は車一台分程しかないが、神社の少し先に駐車スペースがあるのでそちらに置くことができる。
 余談だが、MAPPLEにはちゃくろ、Googleマップにはちゃくちゃくちゃくと記載されているこのお店。検索をかけるとGoogleマップの方が正しいようだ。でも自分の目にも店の名前はちゃくろと書かれているように見えたのだが・・・もしかしてちゃく「ろ」ではなくちゃく「3」なのかね。
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 閑話休題。
 用水路の上に架けられた神橋らしき小さな橋を渡ると左手側に由緒書きらしきものがあるのだが・・・読めない。豊受大神の名前が読み取れるので御祭神は判るのだが、そもそも登由宇気神社って名前で豊受媛命を祀っていなかったら詐欺だろう。豊宇気だと古事記式の表記か。
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 そして鳥居の手前に狛犬。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
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 ここにも狛犬。
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 拝殿から左側へ回り込むと境内社群。
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 金比羅神社。
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 稲荷神社。こちらの御祭神は豊受媛命ではなく宇迦之御魂神。
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 厩戸命碑。
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 菅原神社。
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 本殿の裏を回って反対側に八坂神社。

 参拝を終えて車へ戻ろうとしたところで地元の方が通りかかり、少し話しなどしたのだが、その方はこちらの神社を登由宇気神社ではなく八坂神社と思っていた様子。それだけ夏祭りが印象的なのかも知れないが、神社前の通りに燈篭をずらりと並べるだけで出店などがあるわけでは無いそうだ。登由宇気神社自体の例祭などはどうなっているのだろう。訊くのを忘れていた。

上恩田三峯神社

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 一ヶ月ぶりの更新~。
 熊谷市は上恩田にある三峯神社。まずは先にここより北450m程の位置にある登由宇気神社に参拝するつもりだったのだが、うっかり通り過ぎてしまったのでこちらから。
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 三峰遷宮記念碑、とあるが、以前は違う場所に祀られていたということか。遷座の理由などは刻まれていないので詳しいことは不明。
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