花山町御嶽神社

IMGP5053s.jpg
 県道365号板倉籾谷館林線に出たら西へ向かい、花山町交差点先の信号で北へ折れると右手側に御嶽神社。駐車スペースなど全く無いので、車の来ない所で路肩駐車。急げー。
IMGP5059s.jpg
 しかし、変わった所にあるものだ。
IMGP5065s.jpg
 こちらが本殿になるのかな。

 これで12月27日参杯分終了。
 今回の使用機材はK-7にDA15mmとFA43mm、FA77mm、K10DにDA21mm。FA77mmは使うことは無さそうだけど、一応持って行っておこうかと放り込んでおいただけだったのだが、意外に出番が多かった。自分の影が写り込まないようにするのに、中望遠があると便利だな。
 さて、今年参拝した神社の数はここで216社目。結構参拝して歩いたものだなぁ。来年はどれくらい参拝できるだろう。
スポンサーサイト

花山町富士嶽神社

IMGP5021s.jpg
 362号線に戻ったら、アメニティショップイシイの脇の道を西へ走って行くと、やがて右手側に富士嶽神社が見えて来る。こちらは富士塚古墳と呼ばれる前方後円墳で、墳長は約65m、前方部の高さ約4m、後円部の高さは約9mほどになるそうだ。
 古墳の東側には富士山集会所があるので、そちらの前に駐車できる。
IMGK5738s.jpg
 福寿嶋神社。
IMGP5029s.jpg
 んー? 十七三夜なのか廿三夜なのか、判らん。
IMGK5736s.jpg
 一際大きなこちらの木は御神木なのかな。
IMGP5032s.jpg
 二の鳥居。
IMGP5035s.jpg
 神楽殿。
IMGP5039s.jpg
 境内社覆い屋と頌徳碑。
IMGK5733s.jpg
 その中。何神社なんだろう?
IMGK5710s.jpgIMGK5704s.jpg
 石段の左右に石祠と食行身禄霊神。
IMGP5046s.jpg
 拝殿。
IMGK5715s.jpg
 拝殿内部。
 菅原神社と稲荷神社、大山祇神社が合祀されているようだ。
IMGK5722s.jpg
 小御嶽石尊大権現と大天狗。
IMGK5755s.jpg
 集会所側から見上げてみる。
IMGK5762s.jpg
 聖如意輪観自在尊。文化元甲子年十月大吉祥日とあるので、1804年のものだ。

羽附旭町皇大神宮

IMGK5684s.jpg
 木造の神明鳥居。額が外れて台石に立て掛けられている。
IMGK5686s.jpg
 拝殿。
 左側へ抜けて行くと、先ほどの雷電神社がある。
IMGK5692s.jpg
 狛犬。
IMGP5002s.jpg
 雷電神社側から見た皇大神宮。

楠町雷電神社

IMGK5681s.jpg
 362号線を南下して行くと、市営東部住宅団地の南西に新興白旗集会所があり、そこに隣接して雷電神社が建てられている。
 そしてここから振り返ると、すぐそこに羽附旭町の皇大神宮があったりする。その距離、ほんの数歩。

楠木神社

IMGP4991s.jpg
 362号線を南下し、カワチ薬品館林東店の南側に位置する楠木神社へ。
 しかしこちらは駐車スペースはあるものの、駐車禁止の看板があるので、カワチ薬品のすぐ南にある首洗堰揚水機場脇のスペースに駐車。
 揚水機場の横に「古蹟 洗堰」と刻まれた石碑がひっそりと建てられている。よく見ると下の方にも文字が刻まれており、「延元二年七月二日楠木正成公の首級を洗ひたる所」とある。
IMGK5632s.jpg
 と言うことで楠木神社へ。
 こちらの御祭神は前述の楠木正成公で、館林観光ガイドには『南北朝初期の延元2年(1336年)足利尊氏の軍勢に敗れ、楠木正成は自刃しました。言い伝えによると、遺臣らは主君の首を塩漬けにし、旅に出ました。たまたま館林を通りかかり、大樹の根元で休んだ後、いざ出発の段になって首が重たくなり、運ぶことができなくなりました。そこでこの地に葬り、小祠を建てたのが、楠木神社の始まりと言われています』と記載されている。
 が、延元二年は1337年で、正成公が討ち死にした湊川の戦いは延元元年(1336年)七月四日(旧暦で5月25日)。洗堰の碑文も考慮すると、ここまで一年近くも放浪していたことになるが…白骨化してるんじゃないか? そもそも、正成公の首級は京都六条河原に晒された後に尊氏公の配慮により親族の許へ送り届けられ、大阪府河内長野市の観心寺に葬られたそうだから、どう言う理由でこちらの神社の謂れが出来上がったのか不思議だ。
IMGK5635s.jpg
 鳥居をくぐると、右手側に庚申塔と青面金剛。右側手前の石柱には「閑院宮春仁王殿下 御手植之楠」と刻まれている。
IMGK5646s.jpgIMGP4971s.jpg
 手水舎と楠。水盤には正成公の家紋である菊水紋のレリーフが施されている。

『クスノキ(クスノキ科)
 幹まわり二○メートル、高さ四○メートルにもなるもっとも寿命の長い樹木の一種である。樟脳をとる木としても有名。葉をもむと良い香りがする。
 このクスノキは樹齢百年を超える名木である。
  昭和五十七年度』

 楠は前述の閑院宮春仁王殿下が御手植えされたものかとも思ったが、昭和57年(1982年)の時点で樹齢百年以上となると、閑院宮春仁王殿下(1902-1988)は関係無いのかな? 
IMGK5641s.jpg
『楠公記念楠 東郷平八郎』
 …何故に東郷平八郎? こちらの神社は古くは野木神社と呼んだそうだから、乃木希典ならまだ判らないでもないのだが。実際、乃木希典は下都賀郡野木町にある野木神社には何度か参拝しているそうだし。
IMGP4973s.jpg
 小さな神橋を渡ると、その先に拝殿。
 賽銭箱にも菊水紋が描かれている。
IMGP4984s.jpg
 ちらりと見える本殿と覆い屋。
IMGK5664s.jpg
 鞘殿と瑞垣の間に朽ちた木が覆い屋付きで囲われている。
 御神木かとも思ったが、もしかしたらこちらが正成公の首級を埋めたとされる木なのかも。…にしては小さいか?
IMGP4981s.jpgIMGP4978s.jpg
 神樹坐碑と楠木神社坐碑。どちらにも由緒が記されているのだが、漢文いやーん。
 ざっと見る限りでは、六条河原に晒された首級は正成公のものではなく、宇佐美河内守正安の首級を以って正成公の首級とし、本物の正成公の首級は塩漬けにして橋本八郎正員ら七名の遺臣が持って甲斐へ逃げ、三浦越中守義勝に寄り、橋本正員は山本五郎国正と名を変え、他の六名も皆名を変えたが敵の追撃に遭い、山本と太田の二名は殉死。残った五名は微服を纏って敵の追跡を避け、北畠顕家を頼ろうとして陸奥へ向かう途中、この地を通りかかった時に炎熱焼くかの如き暑さに見舞われ、巨松の陰で午睡をとっていたところ霊夢を得、正成公曰くしばらく此の地に鎮座すべしとして樹下に首級を葬らせ、一祠を造営し、足利氏からの嫌疑を避ける為に楠から久須の二音を省いて乃木神社と号し、この巨松を神木と仰ぎ、五名は此の地に土着して五苗と呼ばれ、子々孫々奉仕することにしたとのこと。また、明治五年(1872年)の政府神社調査の際に神官が誤って祭神を草野姫命としてしまった為、木呂子退蔵などの有力者の力も借りて里人が上表し、二十年の歳月をかけて誤謬を正したとも。そして明治二十五年(1892年)九月三十日に楠木神社と改めたそうだ。
 明治五年と言えば、兵庫県神戸市に楠木正成公を祭神とする湊川神社が創建された年でもあるなぁ。湊川神社では正成公の他に配祀神として楠木正行卿と楠木正季卿、そして湊川の戦いにおいて楠木兄弟と共に自刃したとされる十六名の家臣(菊池武吉、江田高次、伊藤義知、箕浦朝房、岡田友治、矢尾正春、和田正隆、神宮寺正師、橋本正員、冨田正武、恵美正遠、河原正次、宇佐美正安、三石行隆、安西正光、南江正忠)が祀られているそうなのだが、鳥居巡礼というブログの記事によれば、五苗となった遺臣の名は伊藤義知と江田高次、岡田友治、冨田正武、三石行隆だそうで、それに橋本正員を加えると全員湊川で自刃した筈の人達ばかりだ。
IMGK5655s.jpg
 末社群。左奥二つは稲荷大明神と八幡宮。右端のものは「奉造立野木御賽前」と彫られている。
IMGK5667s.jpg
 諏訪神社。
IMGK5674s.jpg
 十九夜塔とお地蔵様。その隣は中身空っぽ。古札納所のような感じだった。

四ッ谷町富士嶽神社

IMGK5615s.jpg
 362号線を挟んで稲荷神社の東側に鎮座するのがこちらの富士嶽神社。
 石段左側に小御嶽磐長姫命。そして苔虫神&櫻大刀自神。
 石段右側に烏帽子岩 食行霊神。
IMGK5618s.jpg
『富士嶽神社由緒
 祭神 木花佐久耶毘売命  外二柱
 当社創建の年月は詳らかではないが此の地に「明治二年(一八六九年)四ッ谷村中」と銘のある祠があった。この度、道路拡幅により敷地の一部提供に伴ない外溝を整備、石垣を復元して再建したものである。
 平成七年(一九九五年)八月
 四ッ谷町氏子一同』

四ッ谷町稲荷神社

IMGK5606s.jpg
 JA東部カントリーエレベーター北側の農道を東へ向かい、県道362号山王赤生田線に合流したらすぐ北側に稲荷神社がある。
 社殿の裏側に車を置けそうなスペースがあったので、そちらに駐車。
IMGP4946s.jpg
 道祖神。
IMGK5611s.jpg
 こちらもお稲荷様かな?
IMGK5609s.jpg
 たぶんお稲荷様。
IMGP4955s.jpg
 拝殿内部。
 正一位稲荷大明神との額が掛けられている。

当郷町冨士岳神社

IMGK5591s.jpg
 神明宮より100mほども北上すると、道端に冨士岳神社。
 石段左側は磐長姫命小御嶽山とあり、その左右に苔虫神、櫻大刀自神と刻まれている。
 石段右側は烏帽子岩 食行霊神。

当郷町神明宮

IMGP4941s.jpg
 当郷神社の北東400m程の位置に鎮座する神明宮。
IMGP4942s.jpg
 拝殿の右に小さな石祠が見えるが、どなたを祀ったものかは不明。

山王山古墳

IMGP4921s.jpg
 松林寺の南、善長寺の西に位置する山王山古墳。駐車スペースは無いので市民体育館の駐車場に車を置いて歩いて行ったのだが、松林寺の駐車場を借りれば良かったかなぁ。
IMGP4927s.jpg
『館林市指定史跡 山王山古墳
 一.指定年月日 昭和五二年八月三○日
 一.所在地   館林市当郷町一九七五の二
 一.時代    古墳時代

 城沼北岸の洪積台地上に築かれた前方後円墳である。
 現状で長さ四七メートル、後円部径三七メートル、高さ五メートルを測り、周囲には濠がめぐっていたことが昭和五十九年の調査で確認されている。
 埋葬施設は、横穴式石室と考えられているが未調査である。
 昭和一三年刊行の「上毛古墳綜覧」に記載された郷谷村一号墳がこれにあたり、全長一四二尺、後円部高さ一七尺の前方後円墳と記されている。
 また、同記録に出土品として「金環、刀十口」とあるが、その一部は隣の善長寺に保管されている。このほかにも周囲から埴輪片が採取されている。
 出土した埴輪欠などから六世紀後半から七世紀初頭(古墳時代後期)に築造されたものと考えられている。
 前方部と後円部の一部が削平されてはいるが、市内に現存する古墳のうちで、最も良く原型をとどめている。
 館林市の古代、特に古墳時代の社会環境を知るうえで貴重な遺跡である。
 館林市教育委員会』
IMGP4932s.jpg
 木階段を上って行くと、墳頂に石祠が鎮座している。
IMGK5570s.jpg
 山王山古墳と言うくらいだから、祀られているのは山王権現だろう。
IMGP4936s.jpg

当郷神社

IMGP4916s.jpg
 当郷町の郷谷公民館の南東、JA館林市郷谷支所の向かいに位置する当郷神社。
 Google先生にお伺いしてもまるで判らず。東郷平八郎でも祀っているのかとも思ったが、あちらは東郷神社だから字が違うか。城沼のほとりにあることから見て、おそらく厳島神社系統ではないかとも思うのだが、はてさて。

 2015年2月8日追記。
 こちらの御祭神は菅原道真公と八重事代主命で、正暦三年(992)三月の創建。明治三十九年(1906)に村社菅原神社と無格社長柄神社を合併して当郷神社と改称したとのこと。
IMGK5542s.jpg
 朱塗りも鮮やかな両部鳥居。
IMGK5548s.jpg
 拝殿。
IMGK5553s.jpg
 祠の中には三峯神社の神璽が納められていたので、おそらく三峯神社だろう。
IMGK5557s.jpgIMGK5563s.jpg
 拝殿裏手脇に祠が一つずつ建てられていたが、中身は空っぽ。

尾曳稲荷神社

IMGP4801s.jpg
 先月21日にこちらに来た時は骨董市が開かれていた為参拝はしなかったのだが、骨董市が開かれるのは毎月第三・第五の土曜日と言うことなので、今回はセーフ。
IMGK5424s.jpg
 こちらの尾曳稲荷神社は本町二丁目の宵稲荷神社(初曳稲荷神社)や朝日町の夜明稲荷神社と同じ「狐の尾曳伝説」を謂れにもつ神社の一つだが、この辺りはかつての館林城内に当たるせいか、他の二社に比べてとても大きい。
IMGP4810s.jpg
 参道脇には文化財の説明や神社の由緒を記した板が設置されている。
IMGK5428s.jpg
 市指定重要文化財である館林城絵馬と明治戊辰戦争磐城進撃絵馬、明治戊辰戦争凱旋絵馬の説明板。
IMGK5429s.jpg
『尾曳稲荷神社創建と由来
 祭神   倉稲魂命
 合祀祭神 誉田別命・素盞鳴命・倭建命
 第百五代後奈良天皇の御世第十二代足利義晴将軍の時天文元年(昭和五十一年から四百四十五年前)城主赤井照光は享禄元年正月舞木城主の許へ年賀の途中子供が孤児を捕え殺そうとしているのを救ってやった処その夜更一老翁が顕れて、子供の助かった礼をのべ照光の居城大袋よりも館林が要害堅固の土地であると説き明晩御案内申し上げようといいおわって姿を消した。翌晩果して老狐が顕れ尾を曳て先導し字侍辺に始まり字加法師に来て夜が明けた別れに臨み、もし築城完成の暁は永く当城の守護神に使えよう私は稲荷の神使新左衛門であると言い終り形を没した。照光はこれに依って築城しその名も尾曳城と号し城中に稲荷郭の一郭を設け社殿を造営し尾曳稲荷神社を奉祀した』
IMGK5435s.jpg
 由緒を記した板の裏にはこちらの神社の祭日が書かれている。
IMGK5434s.jpg
 市指定重要文化財の一つ、秋元康朝所用具足(卯花糸威金箔伊予札胴具足)の説明板。
IMGK5438s.jpg
 二の鳥居になるのか、六の鳥居になるのか…?
IMGK5446s.jpg
 お狐さま。その向こうに三の鳥居(七の鳥居?)
IMGK5452s.jpg
 こちらにもお狐さま。
IMGK5463s.jpg
 拝殿。
IMGK5474s.jpgIMGK5467s.jpg
 ずらりと立てられた幟で半ば隠されてしまっているお狐さま。
IMGP4834s.jpgIMGP4828s_20091228010145.jpg
 狛犬。
IMGK5477s.jpgIMGK5472s.jpg
 大小のお狐さま。
IMGP4847s.jpg
 拝殿左へ回ると末社群。ロープ(注連縄?)が張られていて、ここより足を踏み入れるのは躊躇われる。
IMGK5494s.jpg
 石段手前に猿田彦神。
IMGP4849s.jpg
 全部お稲荷さまなのかな?
IMGK5503s.jpg
 ライブビューは便利だな、と。
IMGK5496s.jpg
 縮小しているので見えなくなってしまったが、木の幹に相合傘が刻まれている。ミユキとヒロシってのも、なんかベタだなぁ。
IMGP4855s.jpg
 お狐さまがいっぱいいるので全部お稲荷さま? と思いきや宇賀神の名も見える。
IMGP4861s.jpg
 ずらーり。
IMGP4866s.jpg
 南無馬菩薩、とあるが、馬頭観音のことだろうか。それよりも左下の白いお狐さまが可愛らしい。
IMGK5514s.jpg
 本殿裏にある、やっぱりお稲荷さま?
IMGK5527s.jpg
 なぜかこんなところにお狐さま。
IMGP4891s.jpg
 反対から。
IMGK5530s.jpg
 本殿脇に並ぶ境内社三社。
IMGK5535s.jpg
 本殿。
IMGK5520s.jpg
 本殿の裏に弁財天の鳥居。
IMGP4879s.jpg
 弁天様らしく、祠の周囲は水を湛えた堀になっている。
IMGK5526s.jpg
『つつじの館林七福神めぐり
 市杵島比売命 花の尾曳弁財天
 七福神は福徳を授ける神と古来より信仰され、インド・中国・日本などの神々を組み併せた国際色豊かな福神です。
 弁財天(妙音楽天)は人の汚れを払い、雄弁と財宝を授け、子孫を恵み、又学問と技芸の神であり、琵琶はこの神の象徴である。
 その本源はインド神話の河川の神格化であり、瑞穂国日本では水を司る神として信仰された。河川は人間生活の基礎、白蛇はきれいな水と弁天様のシンボル「弁天様だ、殺すなと母はとめ」(古川柳)
 昔、境内と続いていた城沼はウルム氷期(約二万年前)台地を削った鶴生田川の浸食谷古くは、この沼の浮島に祀られ、昭和三年江島神社から勧請平成七年上屋新築神紋を授与された』
IMGK5538s.jpg
 鳥居の左の社殿は神楽殿、かな?
IMGP4911s.jpg

夜明稲荷神社

IMGK5414s.jpg
 県道7号佐野行田線を朝日町交差点で西へ折れたらすぐ南へと折れ、そのまままっすぐ走ると夜明稲荷神社がある。神社の隣は南区民会館になっているのでその前に駐車。
IMGP4789s.jpg
 鳥居の左前には観音堂。
IMGK5381s.jpg
『夜明稲荷神社由来
 鎮座地 館林市朝日町
 祭神  倉稲魂命
 当社は天文元年(1532年)館林築城のさい城主赤井照光によって創建されたと伝えられ城の守護神として、また当地の産土神として尊崇されている。築城四年前の享禄元年(1528年)正月当地大袋というところに住んでいた照光は、近藤林で子ギツネの危難を救った。するとその親ギツネは報恩のため、天下にまたとない城地を案内することを約束、その年の七夕の宵約束に違わず親ギツネは姿をあらわし尾を引きながら縄張りを先導、たまたまこの地にきたとき引終ると「私の主人の稲荷神は、ながく城下にとどまり守護し給うお考えである。築城のうえは社殿をつくり給い」と、告げると姿を消した。そのときすでに夜明けであった。その後、入城した榊原康正は社殿を再建以後歴代城主は入封のつど参拝し、また年々蔵前五俵を奉納し神社の維持につとめた』
IMGK5411s.jpg
 拝殿。
IMGK5407s.jpgIMGK5402s.jpg
 お狐さま。
IMGK5390s.jpg
 お狐さまの隣に百度石。

椿田稲荷神社

IMGK5371s.jpg
 7号線へ戻ったら佐野方面へ北上。渡良瀬大橋を渡るとしばらくして左手側に椿田稲荷神社の看板が見えて来る。
IMGP4690s.jpg
 一の鳥居。…脇参道側でも一の鳥居と言っていいのかな。
IMGP4697s.jpg
 意外と駐車スペースは広い。しかし何故いもフライ…。
IMGP4704s_20091226231616.jpg
 三、四、五の鳥居。でも奥の階段側が表参道なんだろうな、やっぱり。
IMGP4705s.jpg
7号線側から。
IMGK5358s.jpg
 そう言えば、稲荷神社以外では鳥居がずらりと連なっているのは見かけないな。
IMGP4715s.jpg
 参道左側に末社群。これ全部稲荷神社なんだろうか。
IMGP4718s.jpg
 鳥居の間にも。
IMGP4725s.jpg
 階段の先に拝殿が見えるが、左右から幟が圧し掛かるように掛けられている。
IMGP4726s.jpg
 でもその前に、こちらにも末社がずらり。
IMGK5328s.jpgIMGK5329s.jpg
 お狐さま。ちょっと意地悪そうな顔をしている。
IMGP4735s.jpg
 拝殿。
IMGP4738s.jpg
 扁額の両脇に絵馬が掛けられている。
IMGK5325s.jpg
 ずらっと並んだお狐さま。
IMGP4747s.jpg
 右手側へ回ると、こちらもお稲荷さまかな?
IMGP4780s.jpg
 ずらりと並んだ末社群。…全部お稲荷さまなのかなぁ。
IMGK5343s.jpg
 川入水神と河嶋大明神。
 どうやら全部がお稲荷さまと言うわけでもないようだ。
IMGP4759s.jpg
 拝殿左手側に回ると、やはりこちらにも末社群。
IMGP4774s.jpg
 ずら~り。
IMGK5333s.jpg
IMGK5335s.jpg
 これだけの数があると圧倒されてしまう。それだけこちらの神社が信仰されているという証左なのだろうけど。
IMGP4784s.jpg

 これで12月26日参拝分終了。午後になってから動き出したので、四社しか回れなかった。
 今回はK-7にFA50mmとDA35mm、K10DにDA15mmを使用。

下早川田町神明宮

IMGP4668s.jpg
 天王神社から西へ600m程走って行くと、神明宮がある。駐車スペースは無いので、路上駐車を余儀なくされる。幹線道路からは外れているのがせめてもの幸いか。
 右に見える石碑は灌漑竣工記念碑。左側の大きな石碑はこちらの神社の由緒を記しているようなのだが、漢文なので脳味噌が拒否反応を(笑)
 とりあえずぱっと見た限りでは、寛政辛亥(寛政三年=1791年)五月に上毛邑楽郡渡瀬村下早川田神明宮を改築、後に湯殿社と川久保の日枝神社、押切の諏訪神社を合祀した、というところかな。
IMGK5257s.jpg
 鳥居をくぐってすぐ右手側に冨士嶽神社と富士登山三十八度記念碑。左の小さな石祠は亀磐蓬莱八所龍王と刻まれているように見えるが、なんのことやら。
IMGK5263s.jpg
 庚申塔とか道祖神とか。
IMGK5275s.jpgIMGP4676s.jpg
 どなたを祀ったものかは判らないが、こちらが湯殿神社なり日枝神社なり諏訪神社なりなのだろうか。…あれ、数足りないな。
IMGK5270s.jpg
 御神燈と狛犬が並び、奥に拝殿。
IMGK5288s.jpgIMGK5282s.jpg
 狛犬。
IMGP4685s.jpg
 拝殿。
IMGP4679s.jpg
 後ろから。

天王神社

IMGP4649s.jpg
 県道7号佐野行田線に合流したら佐野方面へと北上し、下早川田町交差点の先で7号線を下りるとすぐ左手側に見えて来る。駐車場は無いが、すぐ先のトンネル脇にスペースがあるのでそちらに一時駐車。
IMGP4651s.jpg
 拝殿なのか祭具殿なのか判らないが、中には御神輿が納められている。
IMGK5245s.jpgIMGK5251s.jpg
 こちらが天王神社なのかとも思ったのだが、額に彫られた文字は天王でも八坂でもなさそうだ。雷…にしてはバランスがおかしいし、なんと彫られているのだろう?
IMGP4662s.jpg
 目の前はすぐ7号線。

足次町赤城神社

IMGP4617s.jpg
 県道8号足利館林線から邑楽広域農道を東へ走って行くと足次西交差点手前に渡瀬公民館があるので、その脇の道を南へ入って行くと赤城神社前に出る。神社脇には鎮魂塔があり、その前に車を置くことができる。
IMGK5154s.jpg
『赤城神社の由緒
 往古の渡良瀬川東岸に鎮座する当社は、建仁二年(1202年)新田義重が勢多三夜沢の赤城本営より勧請し、新田氏代々の守護神としたと伝えられる。以来天保年間に総村中による修築、明治六年(1873年)八ヶ村の郷社、同四十年同地内十二社の合祀、大正十年(1921年)社務所の創築等により社叢を深める。戦後途絶えた神楽も近年信仰の心が高まり、春秋の祭典には青年による囃も響き、赤城神社眷属のムカデ絵馬は、市文化財に指定され愈々内外の脚光を浴びる。ここに後々の弥栄を念して氏子総代相計り浄財を以ってこの碑を建立す』
IMGK5156s.jpg
 鳥居。
IMGK5163s.jpg
『館林市指定重要文化財
 ムカデと梅樹絵馬
 千匹ムカデ絵馬
 指定年月日 昭和五十四年七月三十日
 所在地   館林市足次町四九四 赤城神社
 時代    江戸時代

ムカデと梅樹絵馬
 上部屋根形の絵馬で、筆者は北尾重光です。
 中央に大きく雄渾な筆致でムカデを描き、右側に梅樹が上部に向かって枝を延ばしている様子を極彩色で描いています。
 左上部には「處願成就」、左中央に「天保十一歳庚子二月」その下に「館林 宮杉某」、右側に下に「紅翠□館林住人北尾重光筆」と墨書され、天保十一年(1840)二月宮杉某なる人が諸願成就を願って赤城神社に奉納したものと考えられます。
 ムカデは赤城の神の眷属といわれ、梅は子授けや安産祈願によく描かれたものといい、ムカデと赤城神社の係わりや、当時の人々の信仰の様子を知る上で貴重な資料です。

千匹ムカデ絵馬
 上部屋根形の絵馬で、筆者、制作年代とも不詳です。
 薄赤色に彩色した小さな数多くのムカデを前面に、その上部に青い松を描き、中央上部には「奉納」と墨書されています。
 この絵馬は、赤城神社の氏子が、ムカデの精霊にあやかって、諸祈願をし、赤城神社に奉納したものと考えられています。
 ムカデは赤城の神の眷属で、赤城神社の氏子はムカデを大切にするといわれ、庶民信仰の様子と赤城神社とムカデの係わりを示す資料として重要です。』

 梅が子授けや安産祈願によく描かれたと言うのは、梅=生め、って語呂合わせなのかね。
IMGK5158s.jpg
 拝殿。
IMGK5238s.jpgIMGK5235s.jpg
 狛犬。この辺りはこの系統のデザインが多いのかな。
IMGK5240s.jpg
 神楽殿…かな。
IMGK5170s.jpg
 三峯神社。
IMGK5177s.jpg
 山神宮。
IMGP4626s.jpg
 拝殿左側には末社が五つ並んでおり、左手前から天満宮、厳島社、大神宮、西の稲荷、雷電神社。
IMGK5206s.jpg
 奥の宮。と言うことは、赤城神社か。
IMGK5212s.jpg
 左手前は東の稲荷、右奥は熊野神社。
IMGP4628s.jpg
 左手前から出羽三山、不明、古峯神社。

大月町御嶽神社(奥宮)

IMGP2114s.jpg
 では奥宮へ。
IMGK5052s.jpg
 登り始めるとすぐに御神燈。嘉永七甲寅とあるので1854年のものか。
IMGK5062s.jpg
 参道は細いがわりと緩やかなので登りやすい。
IMGK5065s.jpg
 ここにも御神燈。
IMGP2140s.jpg
 御神燈とその奥に如意輪観音。
IMGK5071s.jpg
 ここにも御神燈。天保十三壬寅と刻まれている。つまり1842年のもの。
IMGK5077s.jpgIMGK5080s.jpg
 岩の上の石には降魔の剣が描かれ、剣身には不動明王とある。
IMGP2156s.jpg
 更に登ると二十三夜供養塔。
IMGP2166s.jpgIMGK5085s.jpg
 そこから左に歩いて、お地蔵様…かな?
IMGK5092s.jpg
 奥宮に到着。
 山頂を目指すなら、この右を抜けて進んで行く。
IMGK5100s.jpgIMGK5097s.jpg
 お地蔵様と…どなた? 不動明王、かな?
IMGP2189s.jpg
 山頂ではないけど見晴らしの良い所まで少し登り、足利市外を眺めてみる。

 これで12月19日参拝分終了。
 今回はK-7にDA15mmとDA18-55mm WR、*ist DSにFA31mmを使用。山中移動中心の時は、やはりズームレンズの方が楽だなぁ。SIGMAの17-70mm F2.8-4 DC MACRO OS HSMはまだペンタックス用は出ていないけど、出たらちょっと欲しいかも。
 そして最近W41CAのバッテリー消耗が早くなってきたので、帰宅途中に最近の携帯電話のチェックなど。CA003とか良さげかなぁとか思っていたら、なにこれめっさ高ぇ。携帯に6万近くなんて出せんわー。CA004でも2万ちょいか。…予備バッテリー買って、もう少しW41CAを使うことにしよう。いまのとこコレで全然不満無いし。

大月町御嶽神社(里宮)

IMGK4972s.jpg
 大月町の威怒神社の北にお姫様神社、東に御嶽神社があると言うことなので、威怒神社の隣の集会場に車を停めて、まずは近そうなお姫様神社探索へ。
 写真の場所からまっすぐ進めば御嶽神社、左へ進むとお姫様神社に行けるらしい。ちなみに情報源はいつものごとく楚巒山楽会様のところから。
 …が、しかし、どこまで行ってもお姫様神社が見つからない。深井製作所の南東にある池の脇で二股に分かれているが、左に進むと深井製作所の裏手に出、右は墓場の前を抜けてなお進んで行くとやがて藪に阻まれる。藪漕ぎをして進んでみても、やがて無意味なことに気付いて戻ることに。
 仕方が無いので近所の方を見つけて話を聞いてみると、その人は長くこちらに住んでいるがお姫様神社なんてものは聞いたことがないとのこと。ただ、おしめさま神社というものはかつてあったが、深井製作所の建設時(平成四年)に潰されてしまったか、或いは残っていたとしても薮に呑まれて判らなくなってしまったとのことだった。と言うことで、お姫様神社の探索は無理ー。
IMGP2050s.jpg
 石灯篭まで戻り、東へまっすぐ進んで行くと奥に参道の入口が見えて来る。
IMGP2056s.jpg
 道は整備されていて歩きやすい。
IMGP2059s.jpg
 しばらく歩くと石段が出て来るので、これが見えて来たら御嶽神社まではすぐ。
IMGP2070s.jpg
 左側にしっかりした石段が見えたらそこを登って行くと突き当たりに御嶽神社の里宮がある。
IMGK4990s.jpg
 拝殿。かなり崩れかかっているように見えるが…
IMGK4992s.jpg
 見えるどころか半壊している。
IMGK5018s.jpgIMGK5013s.jpg
 狛犬。
IMGK5002s.jpg
 狛犬の脇の石段の先には奥宮に続く参道が伸びている。
IMGP2110s.jpg
 階段の脇には首の取れた狛犬が。
IMGK5020s.jpg
 信之霊神、金陵霊神とあるのは御嶽教関連かなにかかな。
IMGK5026s.jpg
 建坐王神廟記なのか建王廟坐神記なのかよく判らないが、どうやら由来らしきものが彫られているようだ。
IMGK5029s.jpg
 新井家は先祖代々御嶽大神信仰家にして権中教主源吾霊神は十四歳にして既に信仰の道に云々…とあるが、なんだろうこれ。御嶽教関連なのは間違いないが、こちらの神社を建てた人のことを記してあるのかな? 上に彫られている文字は源吾霊神坐碑、だろうか。
IMGK5049s.jpg
 さらにその奥に石碑と石灯篭が見える。こちらの石碑は二霊神坐碑とあるようなので、これまた御嶽教関連だろう。
IMGP2130s.jpg
 こちらの石祠の額には御嶽山と刻まれているが、これが奥宮と言う訳ではない。

 長くなりそうだから、奥宮は次のエントリーで。

小俣町八坂神社

IMGK4962s.jpg
 県道67号線を桐生方面へ向かって行くと、県境に伏見稲荷神社があるのだが、その手前の細い道を北へ入ってまっすぐ進むと右手側に八坂神社がある。
 ちなみにその道、67号線を東から進んで来るには問題ないが、西から進んで来た場合はとても入り難いので、西から来た場合は伏見稲荷の西にある信号から入るのが無難。
IMGK4970s.jpg
 中には御神輿が納められ、その他に…なんじゃこりゃ。えーと、冷蔵庫?

小俣町八幡宮

IMGP2045s.jpg
 めぐみ幼稚園前の道を南東へ向かい、新上野田橋を越えた先の変形十字路附近に小さなお堂のような八幡宮がある。
IMGK4942s.jpg
 中央が八幡宮で、左の石祠は稲荷神社のようだ。その間にあるものはなんだろう?
 それにしても、右側のスペースが妙に気になる。

小俣町山神社

IMGK4948s.jpg
 小俣駅南東に位置する山神社。
 めぐみ幼稚園前の踏切を渡って県道227号線に合流し、北西へ向かうとすぐ右手側に見えて来る。県道67号線から小俣田町交差点で北上する方が判り易いかも?
IMGP2036s.jpg
 石宮の額部分には山神社と刻まれている。
IMGP2030s.jpg
 石宮の左に庚申塔。
IMGK4911s.jpg
 ずらりと並んだ庚申塔群。後列中央には青面金剛が鎮座し、最前列左側にはお地蔵様に馬頭観音、水神宮なども。
IMGP2024s.jpg
 少し離れて馬頭観音碑。

IMGP2014s.jpg
 踏み切り南側に三面六臂の…阿修羅? の訳は無いな。馬頭観音か。

葉鹿町愛宕神社

IMGK4899s.jpg
 無量院の北東に雷電神社があると言うことなのだが…見当たらない。
 墓場の裏から回り込み、雷電山の麓へ下りて行く途中、見つけたのは雷電神社ではなく愛宕神社。
IMGP2002s.jpgIMGK4898s.jpg
 少々読み取り難いが、彫られた文字は愛宕で間違いないだろう。
IMGK4892s.jpg
 お地蔵様と…なんだろう?
IMGP2004s.jpg
 更に下りて行くとお堂がある。初めはこちらが雷電神社かと思ったのだが、前に回りこんでみると、お堂の中に不動明王らしき像が見えた。近所の方にも訊いてみたのだが、やはりお不動様だとのことなので、こちらは不動堂のようだ。
 雷電神社については詳しいことは判らないが、無量院の近くにあるらしいと言うことなので、今度は境内を横切って雷電山山頂へ。
 …うわ、枯葉が積もっていて滑る滑る。脇にロープが張られているのは、滑り落ちるのを防止する為だろうか?
 山頂まで登ると水道施設があり、周囲を囲った柵には立入禁止の看板が掛けられているが、水道施設前から東へと道が伸びているのでそちらへ進むと少しして小さな岩舞台のような場所へ出た。一応道もあるので下りて行こうとして…うわ、枯葉で滑る滑る。これはやばい。麓まではそれほどの距離でもなさそうだが、こちらにはロープは張られていないので一気に滑り落ちる危険性もある。登山靴でも履いていればそうでもないのだろうが、如何せん普通の靴なので危険要素は減らしたいところ。なので来た道を戻って下りることに。
 結局雷電神社は見つからなかったが、仕方が無いか。

小俣町愛宕神社

IMGP1973s.jpg
 土師天神宮の横から藪漕ぎをしながら山を登るとすぐに整備された道に出るので、山頂へ向かって歩いて行くとやがて大きな送電塔が見えて来る。送電塔の方へ行き、そのまま藪の中を突き進んで行けば隣の水道山まで行けそうだと言うことだが、今回の目的は愛宕神社だし、藪の中を歩くのは遠慮したいのでそちらはパス。
IMGP1978s.jpg
 しばらく進んで行くと、右手側に玉串らしきものを縄で巻きつけた木が。御神木、と言うことでもなさそうだが、はて。
IMGK4868s.jpg
 山頂に愛宕神社。
 そう言えば、足利市内の愛宕神社って殆ど山の上にあるような気がする。
IMGK4875s.jpg
 本殿の上には愛宕山の文字が見える。
IMGP1984s.jpg
 楚巒山楽会様の掛けられたプレートを発見。山中にある神社の情報は大抵こちらの方のサイトで仕入れているので、いつもお世話になっております。

 そして来た道を戻り、今度は藪漕ぎをせずにちゃんと道を使って下りて行ったら、なんと土師天神宮の鳥居の脇に到着。うぅ、全然気付かなかった○刀乙

土師天神宮

IMGP1948s.jpg
 葉鹿町にある無量院の前の通りを西へ少し進むと、北側に愛宕山への入口がある。
IMGK4886s.jpg
 ここで藪の中へと入って行ってもすぐに行き止まりになるので、標縄柱の左を通って登って行く。
IMGK4815s.jpg
 と、すぐに土師天神宮と額の掛かった鳥居が見える。
IMGP1958s.jpg
 拝殿。
 菅原道真公の十七代前の先祖である野見宿禰は土師氏の始祖でもあるので、こちらの御祭神はその二柱なのかな?
IMGK4832s.jpg
 拝殿内部。
IMGP1965s.jpg
 拝殿裏手には石祠などがあるが、なぜ柵の中?
IMGK4850s.jpgIMGK4859s.jpg
 左奥は金毘羅宮。右手前は文宣王、つまりは孔子。
 石祠の方は判らない。大黒様らしき置物があるが、関係あるのかな。そう言えば、大阪府藤井寺市にある道明寺天満宮の境内にある土師神社は天夷鳥命と野見宿祢、大国主命の三柱を祀っているそうだから、充分ありえるか。
IMGK4856s.jpgIMGK4862s.jpg
 どちらもさっぱり判らない。
IMGK4842s.jpg
 柵の前から左奥へと歩くと、水没と言うか泥に呑まれかけた石祠があるが、どなたかを祀っているのか廃棄されたものなのかも判らない。

冨士嶽神社

IMGK4805s.jpg
 清水川を渡って南東へ進み、県道227号小俣桐生線に出たら足利市街方面へ歩いて行くと冨士嶽神社がある。
 こちらの御祭神は木花開耶姫命なのか、磐長姫命なのか、どちらだろう。
 それにしても、大月町の天満宮や多田木町の日光三社大神社でも思ったけど、神社の境内にゴミ集積所があるのってどうなのよ。
IMGP1947s.jpg
 末社。

 これで12日参杯分終了。栄富稲荷神社以外は小俣小学校西の熊埜神社に車を置いて徒歩で移動していたのだが、思ったよりも時間がかからなくて良かった。さすがに鶏足寺とその隣の天満宮にまで行っている余裕は無かったけど。
 今回はK-7にDA15mm、FA28mm、APO-LANTHAR 90mm、*istDSにFA43mmを着けて歩いていたのだが、栄富稲荷神社と日光神社ではDA15mmでさえ収め切れない部分があり、もう少し広角域を強化しようかななんて考えてみたり。

小俣町日光神社

IMGK4791s.jpg
 さらに清水川に沿って北上し、二つ目の橋が架かった所で右へ向かうと日光神社の鳥居が見えて来る。
IMGK4748s.jpg
 道が細いので、15mmでも鳥居を正面から撮るには狭すぎる。
IMGK4760s.jpg
 階段を上り切った先に拝殿。
 拝殿右側には御神輿を納めた祭具殿。左側には末社群。
IMGP1913s.jpg
 十四の末社が並んでいるが、両端は崩れていて原型を留めていない。それでも右端は台座部分に維大権現という文字が残っていたので、おそらく金毘羅大権現だろうという予想はつく。そして右から二番目は天満宮、三番目は機神。あとは不明。
IMGK4786s.jpg

今宮神社

IMGP1881s.jpg
 清水川に沿って桐生方面へと歩いて行くと、川の東側に今宮神社の鳥居が見えて来る。
IMGP1885s.jpg
 長くはないが、そこそこ急な上りになっている石段。
IMGK4740s.jpg
 拝殿。
 今宮神社と言っても、京都の今宮神社なら御祭神は大己貴命、事代主命、奇稲田姫命の三柱だが、鹿沼の今宮神社なら御祭神は大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命の三柱だ。さて、こちらの神社はどなたを祀っているのだろう。ここからそう遠くない位置に日光神社があることを考えると、大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命である可能性が高いか?
 それにしても、ライブビューを利用して、腕を高く上げて撮影すると超広角レンズでもパースをきつくせずに済むのは便利だなぁ。
IMGK4715s.jpg
 拝殿左側に並ぶ末社群。
 中央には出羽三山。右端は額に織女神と刻まれていた。その他は不明。
IMGK4729s.jpg
 拝殿裏手には庚申塔群。

山崎稲荷神社

IMGK4682s.jpg
 こちらの神社に参拝するのは去年の三月以来か。
IMGK4679s.jpg
 前回と代わり映えも無く。
IMGK4678s.jpg
 拝殿内部。
IMGP1874s.jpg
 前回は気づかなかった、拝殿裏の木のうろ。鉄板製の鳥居が散乱している。

小俣板碑

IMGK4665s.jpg
 先ほどの石碑群の北80m程の位置にあるお堂。
IMGK4640s.jpg
『考古資料 小俣板碑
 この板碑は高さ199cm、幅約43cmの緑泥片岩製で県内に存する石製の板碑では最大のものである。板碑下部には「右為 性阿弥陀仏 成仏得道 文永十二年 乙亥三月日 行忍敬白」の銘文があり、文永十二年(1275年)に行忍という僧が阿弥陀の浄土に成仏せんことを願ってこの板碑を造立したことがわかる。
 板碑の頭部は型どおりに二条線を刻む。身部の彫刻は外周に二本の線で輪郭帯を作り、その中に多数の散蓮華を彫る。上部には美しい天蓋をあらわし、その下に主尊の阿弥陀如来を半肉彫りして、その下に脇侍の観音・勢至菩薩の顔を半肉彫りで、それ以外を線彫りで表現した華やかなものである。
 造立者の行忍という僧がどういう人であったのかはわかっていない。
 (昭和三十二年六月三十日 栃木県指定)』
IMGK4651s.jpg
カレンダー
11 | 2009/12 | 01
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
ブログ内検索
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
最近のトラックバック
FC2カウンター
プロフィール

Author:梁瀬
無駄な徘徊でCO2を増やす、
方向感覚に不案内なヒト

リンク
RSSフィード