高砂神社(石原)

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 一気に熊谷市まで戻り、先週参拝した赤城久伊豆神社の北側に鎮座する高砂神社へ。
 金井電気商会の隣に鎮座しているが、地図に書かれていなかったらまず気付かないだろう。
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 兵庫県の高砂神社を勧請したものであるなら、御祭神は素盞嗚尊と大己貴命、奇稲田姫になるのだろうが、こちらの由緒が判らないのでなんとも言えない。

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 こちらは勤労青少年ホーム前交差点そばのラーメン屋の東側に鎮座する神社。しかし、どなたを祀っているのかは不明。手前にある石祠はお稲荷様っぽいけれど。

 これで3月20日参拝分終了。
 使用機材はK-7にFA28mmとDA40mm、DA70mm。K10DにDA15mmとDA21mm。そしてIXY Digital 400。
 帰宅途中に書店に寄って、TRPGリプレイやらラノベ、漫画を買い込んで更に懐を寂しいことに。あー、今月はまだ一週間近く残ってるんだよな…。
 それはさておき、どうも最近はブログに使う写真をアップロードしようとすると失敗することが多い。時には何度もアップロードをし直さなければならないので、記事を書く速度が落ちる落ちる。障害情報を見ても、自分の所は問題が発生していない筈なのだが、不思議だ。まぁ、今週末は新作ゲームに時間を割くので、今月の更新はこれが最後になるから、いいか。
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稲乃比売神社(寄居町鉢形)

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 波羅比門神社から北上し、県道294号坂本寄居線と合流する交差点で右折したら城南保育所前で左折、北上すると稲乃比売神社前に出るのだが、うっかり通り過ぎてしまったので保育所の先から回り込むことに。
 駐車場と呼べるものは無いが、駐車できるスペースはある。
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 拝殿。
 こちらも由緒書きの類は見当たらないのでGoogle先生頼り。御祭神は稲乃比売命と素盞嗚命、稲田姫命、大己貴命、少彦名命の五柱。古くは氷川神社と称していたが、明治になってから現在の名に改称したそうだ。すると、昔は素盞嗚尊が主祭神だったと言うことなのだろうか。稲乃比売命で検索をかけてもここと赤浜の三嶋神社くらいしか出て来ないので、この辺り特有の神様なのかも。
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 本殿。
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 こちらは社名が記されていなかったので、どなた方が祀られているのか判らなかった。

 すぐ西には鉢形城公園があり、城山稲荷神社と諏訪神社が祀られているのだが、城跡を見て回るのは時間がかかりそうなので、今回はパス。後で改めて参拝に行こうと思う。

波羅比門神社(寄居町西ノ入)

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 ゴルフ場の北側を回って折原駅前を抜け、道なりに南下して行くと右手側に波羅比門神社が見えて来る。
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 鳥居の額には三匹の青龍が絡み付いている。
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 鳥居をくぐると正面に波羅比門神社。右手側に八坂神社、左手側に稲荷神社が見える。
 こちらも御祭神は瀬織津姫命。保田原の波羅伊門神社は北に荒川、熊谷市中曽根の南市田神社は北に通殿川、熊谷市高本の高城神社は南に和田吉野川と通殿川が流れていたが、こちらは東から南にかけて深沢川が流れている。
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 スロープを上って八坂神社へ行こうとしたら、突然警報が鳴り出して吃驚だ。見れば、拝殿の角にセンサーが設置されており、このスロープを上ろうとすると警報が鳴り出すようだ。当然、下りも…。
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 警報は無視して八坂神社へ。
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 八坂神社の脇に石祠が鎮座していたが、どなたを祀っているのかは不明。
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 波羅比門神社の拝殿と本殿。右端に稲荷神社が見える。
 そして下りて行くと、ピロピロピロピロピロピロピロピロピロピロピロピロピロピロピロピロ……。
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 稲荷神社。
 こちらにはセンサーは設置されていないようで、近寄っても警報は鳴らなかった。尤も、すぐ隣は民家の庭先だったりするのだけど。
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 撮影していたら、金色に光る目で見られているような気がしてビクっとしたのだが、よく見れば奥にいるお狐様の鼻が光っているだけだった。
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 稲荷神社側から波羅比門神社本殿。

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 波羅比門神社前の畑の中にでんと居座る巨石。なにか謂れがあるのだろうか。

平和神社(寄居町鉢形)

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 露梨子交差点から三ヶ山神社までの道を戻り、山口製作所前の十字路を西へ折れ、山側へ走って行くと途中からコンクリートで舗装された狭くて急な上り坂になるので少々不安になりつつもそのまま上り、貯水場(だったかな?)の脇を通り抜けると下り道の途中に平和神社が鎮座している。
 これ、絶対東から入って来るより北からの方が楽だ。勾配も緩いし、通りからの距離も短い。でも北から上って東へ下りるよりは、東から上って北へ下りる方がマシだろう。
 それはそれとして、こちらの神社はどの地図を見ても上の原神社と記載されているのだが、実際に来てみると、平和神社と書かれている。Google先生に訊いてみてもさっぱりだし、うーむ。
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 拝殿。
 壁面には「平和神社 昭和四十六年四月一日 拝殿新築寄付者」などと書かれた板が貼り付けられている。
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 拝殿内部。
 平和神社と書かれた扁額はあるが、それ以外にこれと言ってこちらの神社の詳細が判りそうな手懸りは見当たらない。
 名前から察するに、護国神社のようなものだろうか。しかし、そうであるなら忠魂碑なども見当たらないのが気にかかる。そう言えば、靖国鳥居ではなく鹿島鳥居だな、ここ。案外、武甕槌命や経津主命を祀っていたりするのかも。
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 拝殿左側に末社群。
 どなた方を祀っているのかは判らないが、猿の置物が混ざっているところを見ると、日枝神社辺りはあるのかも。

三ヶ山神社(寄居町三ヶ山)

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 路梨子交差点からずーっと南下して行くと、そのうち右手側にサイモクホームが見えて来るので、その先で右折すると三ヶ山児童館があり、その南側に三ヶ山神社の鳥居が建てられている。
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 緩やかな坂を上って行くと、すぐに三ヶ山神社。
 由緒を記したものは無く、祠にも手懸りらしきものは無し。Google先生もお手上げだ。鳥居の横でブルーシートにくるまれたものが怪しいが、ただの社号碑という可能性もある。
 山神様ってところかね。

壹岐天手長男神社(寄居町小園)

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 波羅伊門神社前を東武東上線に沿って東へ走り、上田古奇木館前を南へ入って行くと右手側に壹岐天手長男神社が鎮座している。ちなみに、この東武東上線沿いの道は一方通行のため、壹岐天手長男神社から波羅伊門神社に行くには一度南へ向かい、81号線→254号線→30号線と大きく回り込まなければならない。
 駐車スぺースは、写真右側の建物の脇にかろうじて一台分。こちらはMapionには小園區コミュニティセンターと記載されているが、何故か検索をかけても出ない。
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 拝殿。
 由緒を記したものは見当たらないので例によってGoogle先生に訊いてみると、こちらの御祭神は天忍穂耳尊と天手力男命、天鈿女命であり、こちらの神社の宮司さんの御先祖が壱岐国石田郡(長崎県壱岐郡郷ノ浦町)よりこの地に土着した折に、壱岐の天手長男神社より勧請したものと伝えられているとのことだった。また、「明暦元年(1655年)九月吉祥日、奉造立天手長男明神」と記された棟札もあるそうだ。
 社殿裏手に石田親壱翁碑と刻まれた石碑があり、宮司さんのことについて記されているようなのだが、周囲の木々により明暗差がありすぎて読み取れない。尤も、画像をいじればある程度は読み取れそうだが、ALL漢文なので気力が湧かない(苦笑
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 神楽殿。
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 左手側に並ぶ末社等々。
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 神武天皇遥拝所。
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 末社長屋。
 左から八幡神社、春日神社、津嶋神社、稲荷大明神、雷電神社、琴平神社。
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 達磨さんと石祠二つ。
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 市杵嶋姫命。
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 仙元大日神。
 ふむん? 木花開耶姫命と大日孁命を一緒に祀っているのかな?
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 本殿裏の御神木と、その根元に…なんだろう。何かの台座のようにも見えるが、よく判らない。

波羅伊門神社(寄居町保田原)

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 81号線をひたすら西へ進み、塩沢交差点で国道254号線に合流したら、更に西へ。露梨子(ロリ子、ではなくつゆなしと読むそうだ)交差点で埼玉県道30号飯能寄居線を北上したら鉢形郵便局先の交差点で右折、東武東上線の踏切を越えるとすぐ右側に浄恩寺があるので、その前を東へ進んで行くとやがて左手側に波羅伊門神社が見えて来る。
 駐車場は有り。
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 なぜか山門がある。
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 山門の中には仁王宜しく櫛磐間戸神と豐磐間戸神が。
 でも首が無かったり手足がちぎれていたりと、なかなかホラーなお姿に。
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 山門の裏に回ると、こちらには馬の像が納められているのだが、大きくてフレームに納めきれない。
 もっと広角域に強いコンパクト機も必要かなぁ。
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 山門を抜けると境内が一望できる。
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『波羅伊門神社神宝狐稲荷社改築記念碑
 波羅伊門神社は、文化十二年に建立されました。
 歳月の経過により老朽化著しく年々氏子間で改築か話し合われ機熟して早期改築のご賛同を得ました
 歴史的なこの大改築に巡り合わせた機縁を先人に感謝し併せて子孫長久の願いを籠めて本事業を計画し壱千六百万円の貴重な神社の財産を基に、氏子の皆様にご奉賛のご協力をご依頼申し上げ、百拾余名の皆々様の温かいご支援に依ってこの改築を成し遂げたのです。
 神宝狐稲荷社については、曽て大字保田原一二八杉山いと様がその土地を贈与により社有地として奉献された経緯があり孫に当たる大字保田原三七九杉山正徳様が改築奉献されました。
 茲に両事業の経過を略記すると共にご奉賛いただいた方々のぎ芳名を記し永久に後世に伝えようとするものです。
  平成十二年十月吉日』
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 拝殿。
 こちらの御祭神は祓戸四神の一柱である瀬織津姫命。瀬織津姫命は禍事や穢れを川から海に流す役目を受け持つ神である為、神社は川の近くに建てられることが多いようだ。
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 末社。
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 左は金毘羅宮。右は不明。
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 こちらが神宝狐稲荷社だろうと思うのだが、
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 梅宮社、と書いてあるように見える。
 或いは、祠の右下に見える極彩色の石祠が神宝狐稲荷社なのだろうか…いや、改築奉献されたと書かれているのだから、それはないか。
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 大黒天。
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 本殿裏に石祠が二つ。どなたを祀っているものかは判らないが、配置を見るとこちらも磐間戸神なのかなとか考えてしまう。
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 本殿裏手。地層が押し潰されたかのような、奇妙な形に盛り上がっており、奥には歌碑らしきものもある。
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 歌碑。
 なんと書かれているのかは判らない。
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 南米の巨石文明とかストーンヘンジを想起させられるが、これは一体なんだろう。意味もなく積み上げたと言うことはないだろうし。

出雲乃伊波比神社(寄居町赤浜)

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 畠山重忠史跡公園から南下して県道81号熊谷寄居線に合流したらひたすら西へ。花園橋(南)交差点を越えるとしばらくして右手側に出雲乃伊波比神社が見えて来る。
 神社東側に赤浜集会所があり、そちらに車を停められそうなのだが、生憎柵が閉まっていて入ることができなかった。なので、神社よりやや西側に進んだ先の坂道の途中にあった待避所にやむなく駐車。
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 鳥居をくぐるとすぐ左手側に末社群。
 浅間大神、天照皇大神、榛名社が並び、長屋には左から蚕影大神、三峯大神、古峯大神、天満社、愛宕大神、白山神社、伊奈利社が納められている。
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 神楽殿。
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 拝殿。
 正面の壁に八幡神社八社拝礼と書かれた板が打ち付けられていて不思議に思ったのだが、いつもの如くGoogle先生にこちらの神社のことを伺ってみれば、こちらは武蔵国造物部氏の氏神を祀る神社であったが、源頼義が奥州征討の戦勝祈願を行ったとされることから八幡社として崇敬されるようになり、明治三十三年に本来の名前に改称したのだそうだ。
 御祭神は須佐之男命と三穗津姫命、天照大神、誉田別命、天児屋根命他とあるが、出雲乃伊波比神社という名前のわりに伊波比主神(経津主神)が祀られていないのが不思議だ。
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 妙見社。
『妙見社御由緒
 赤浜地区の妙見社は、天正年間(西暦一五七三年~一五九一年)以前の遠い昔より妙見講を組織して、厚く信心して、今日なお「妙見様」の通称で親しまれていました。近年まで十二月三日の例祭日には、講中の家を順番に祭礼の準備やお祝の宿として集まり、幟が立ち先達様の祈願が終ると団子を配り、にぎやかな社頭となりました。
 諸般の事情により昭和五十年(一九七五年)三月三日を以って一時中止することになりました。長い年月で社殿の傷みも進み、倒壊寸前となり平成三年(一九九一年)二月十六日講中一同相談の結果、改築することに決定しました。四月三日仮殿遷座祭を斎行し社殿を解体したところ束木に「嘉永六年(一八五三年)癸丒孟春(みすのと丑年旧暦正月)奉造立講中為安全也」裏面には「大工 浅次良 又八」の二名が記録されていました。壁面の横板には「妙見宮殿修繕寄付連名及紀元二千五百五十五年 明治二十八年(一八九五年)と記されていました。
 平成三年四月十二日 上棟 六月二日 本殿遷座祭を斎行しました』
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 両方とも八坂社。

 この後、ここよりやや南に鎮座する小被神社に行こうと車に戻ってからこの前を通りかかったら、集会所前の柵が開いていた○刀乙
 また、小被神社の周辺は現在工事中により駐車スペースが無かったのでやむなく今回はスルーすることにした。尤も、工事をしていなかったとしても駐車スペースは無さそうではあるのだが。

畠山重忠公之墓(畠山)

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 畠山重忠史跡公園の南側に隣接して畠山重忠公の墓所がある。
 ぱっと見では墓所と言うより神社っぽい感じだが、館跡でもあるのだそうだ。
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『畠山重忠公の墓
 鎌倉時代の関東武士を代表する武将である畠山重忠公は、長寛二年(一一六四年)秩父庄司重能の二男として、現在のこの地の畠山館に生まれ幼名を氏王丸と言い、後に秩父庄司次郎重忠となった。
 剛勇にして文武両道にすぐれ、源頼朝に仕えて礼節の誉れ高く県北一帯の支配のみならず、伊勢国沼田御厨(三重県)奥州葛岡(岩手県)の地頭職を兼ね、鎌倉武士の鑑として尊敬されたが、頼朝なきあと北条氏に謀られて、元久二年(一二○五年)六月二十二日に二俣川にて一族とともに討たれた。時に重忠四十二歳、子重秀は二十三歳であった。
 この畠山館跡には、重忠公主従のい墓として六基の五輪塔がある。
 また、館跡には嘉元二年(一三○四年)の紀年号のある百回忌供養の板石塔婆、芭蕉句碑や畑和(元埼玉県知事)作詞による重忠節の歌碑などがあり、館の東北方には重忠産湯の井戸などもあって、通称「重忠様」と呼ばれて慕われ、現在は、この地一帯が重忠公史跡公園として整備されている』
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 こちらの中に畠山重忠公とその家臣五人の五輪塔が納められている。
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 五輪塔。中央のものが畠山重忠公の墓。
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『板石塔婆(昭和三十九・八・三十一指定)
 主尊は三弁宝珠阿弥陀一尊・種子(キリーク)
 記年銘 嘉元二年甲辰(一三○四年)卯月(四月)九日
 周辺に彫られている文字は、梵字の光明真言である。
 畠山重忠公が元久二年(一二○五年)六月二十二日、横浜二股川で戦死の後、百年忌に当って供養のため建立されたものと伝えられる』
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『畠山庄司重能の墓(昭和三十六・十一・三指定)
 重忠公の父重能の墓は、重忠墓の東南、椎ノ木の下にある自然石と伝わる。
 重忠公の祖先は秩父権守重綱以来秩父郡にあって、代々武蔵の総検行職を司どり、重能の代に秩父郡吉田町から、川本町畠山に居を移し、畠山庄司となり畠山姓を名乗った』
 …つまり、この石が畠山重能の墓?
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 社務所…ではないか。なんだろう。
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 畠山重忠公産湯の井戸。
『畠山重忠公産湯ノ井戸
 秩父より進出してきた、秩父荘司重能は武蔵国男衾郡畠山村(元大里郡川本町畠山)に館を構えました。のちの長寛二(西暦一一六四)年、秩父荘司重能と相模の豪族・三浦大介義明の娘眞鶴姫との間に二男として重忠が誕生し、その際用いた井戸として【重忠公産湯ノ井戸】と称され伝えられております。又、この井戸は、江戸時代の記録に残された、古井戸二ヶ所のうちの一つでもあります』
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 畠山重忠公之像。
 畠山重忠のエピソードの一つとして有名な鵯越の逆落としを再現したものだと銅像建立記念碑に記されていたが、このエピソードは源平盛衰記に記されているもので、吾妻鏡では畠山重忠は一の谷の合戦時には源義経の指揮下ではなく源範頼指揮下にある為、逆落としには参加していないと言う。そもそも逆落とし自体が創作であるとする説もあるそうで。
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稲荷神社(畠山)

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 畠山重忠史跡公園前の農道を東へ入って行くと畑の中に朱塗りの両部鳥居が見える。
 近くで草毟りをしている人がいたので尋ねてみたら、お稲荷様だと教えてくれた。

井椋神社(畠山)

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 秩父街道を西へ向かい、重忠橋(北)交差点で進路を南、重忠橋を渡ったら荒川南岸に鎮座する井椋神社へ。
 神社裏の鶯の瀬公園なら駐車スペースがあるのだが、この時はそれに気づかなかったので参道途中にある社務所の前に車を停めることにした。
 一の鳥居は満福寺の東側にあり、そこから参道がまっすぐ伸びている。
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 社務所。
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 二の鳥居。
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『井椋神社(いぐらじんじゃ)
 井椋神社は、畠山氏の先祖である将恒から武基、武綱、重綱、重弘、重能の代に至る間、秩父吉田郷領主として井椋五所宮を敬ってきた。その後、重忠の父重能が畠山庄司となって館を畠山に移した時、祖父重綱が勧請(分祀)したものである。
 初めは、井椋御所大明神、井椋五所宮と号していたが後に井椋神社と改称したものである。
 祭神は、猿田彦大神のほか四柱である。そのほか境内には近所の各神社が合祀され、蚕の神様である蚕影神社、源氏の白旗を祭った白旗八幡神社等がある。
 また、社殿の裏の荒川断崖に鶯の瀬の碑が建立されている』
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 蚕影神社。
 横の小さな石祠は左側が金毘羅大権現。右側は天の文字だけ残っており、その下の二文字分のスペースは破損してしまっている。おそらく、天神社か天満宮あたりの文字になるのだろう。
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 戦利兵器奉納碑と井椋神社之碑。
『砲弾 四個
 方匙 壹個
 戦利兵器奉納ノ記
 是レ明治三十七八年役戦利品ノ一ニシテ我カ勇武ナル軍人ノ熱血ヲ濺キ大捷ヲ得タル記念物ナリ茲ニ謹テ之ヲ献シ以テ報賽ノ微衷ヲ表シ尚
 皇運ノ隆昌ト國勢ノ發揚トヲ祈ル
 陸軍大臣寺内正毅』

『井椋神社は武蔵國大里郡本畠村大字畠山に在り猿田彦命天兒屋命武甕槌命経津主神比賣神の五柱の神を祀る村社なり其創始は遠く日本武尊東夷征討の時に在り是れ延喜式載る所秩父郡二座の内椋神社なり同郡吉田郷芦田村に鎮座す平将門謀反を起すや藤原秀郷追討の命を奉し来て祈願を籠め猿田彦命一神なり志を藤原祖神の四柱を合せ祭り井椋五所大明神と称す畠山重忠六代の祖秩父六郎将恒以後四代相續いて吉田郷の領主たり故に世々尊崇殊に厚か?しと云ふ天治年中重忠祖父秩父権守重綱居館を畠山に移すに當り椋神社を比地に勧請し井椋五所宮と称へ?王政維新の後明治三年十一月井椋神社と改称し村社に列せらる三十九年勅令の旨に基き四十一年十月無格社字山王日吉神社字諏訪亥諏訪神社字子の亥子大神社字冨士腰浅間神社を井椋神社境内に移轉し字如意稲荷神社を井椋神社末社稲荷神社に合祀し字八幡八幡神社を字栗坪白旗八幡神社とを合祀して井椋神社境内に移転す四十二年七月神饌幣帛料供進を指定せらる而て氏子等同心戮力して三十五年拝殿を建築し大正四年御大典記念をして石鳥居及社務所を建設し崇敬奉仕懈らず皆脳く誠を效す是に於て社頭愈整へ神威益揚る頃者氏子相謀り碑を建て其来由を後世に傅へんとし余の文を需む余深く敬神の志を慶ひ其所言の概要を誌すと云爾』

 んと、創建は日本武尊の東方遠征の頃(二世紀頃)で、後、元々は猿田彦命だけだったところに藤原秀郷公が藤原氏の氏神である春日四神(天兒屋命・武甕槌命・経津主神・比賣神)を併せて祀ったのが椋神社の始まりで、畠山重能が居館を移す際に畠山重綱がこの地に勧請した、と。
 ちなみに、上で亥と書いた部分は石碑の方では「山亥」となっているが、IMEパッドには登録されていない文字なので仮に亥としておいた。また、?とした部分は判読不能だった。
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 末社。
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 拝殿。
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 末社長屋。
 左から八坂神社、天神社、日吉神社、諏訪太社、八幡大社。
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 こちらは白旗八幡社と八幡神社、大雷社。
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 社殿裏手左側に荒神社と石祠三つ。
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 社殿裏手右側に回ると浅間神社。
 右奥には小御嶽神社と食行身禄霊神。左側の石祠は不明。

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 神社裏にある鶯の瀬。
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『鶯の瀬
 荒川のせせらぎの聞えるこの地を鶯の瀬といい、増水時でも川瀬の変わらぬ浅瀬である。
 ここは、畠山重忠公が榛沢六郎成清のもとに行き、帰路豪雨に逢い、洪水で渡れないでいるときに一羽の鶯が鳴いて浅瀬を教えてくれたと言い伝えられており、その故事を詠んだのが次の歌である。
  時ならぬ岸の小笹の鶯は
   浅瀬たずねて鳴き渡るらん
 また、この上流には、古くから熊谷市・江南村方面にかんがい用水を送ってきた六堰があり、遠く秩父連山を眺めながら鮎、ウグイ(通称ハヤ、クキ)等の釣り場として親しまれている名所でもある』
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 荒川。
 左端に見えるのは重忠橋。

白髭神社(上原)

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 秩父鉄道の踏切を越えて北へ走って行くと、国道140号彩甲斐街道の南側に白髭神社が鎮座している。
 駐車場は無いので、道路と注連柱の間の僅かなスペースに車を押し込むことに。
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 参道。
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 白髭神社で高麗明神と言うことは、御祭神は猿田彦命と高麗王若光かな、と思いきや
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『ロマン秘め、白髭様は高麗明神
 上原の白髭神社は、二十二代(一五○○年前頃)清寧天皇と武内宿禰(五代の天皇に仕え、大臣として三百年余り生存したという伝説上の人物)が祭神とされています。それだけに様々な言い伝えがあり、限りないロマンが感じられます』
 と言うことで、こちらの御祭神は清寧天皇と武内宿禰。
 妻沼にある白髪神社(しらひげじんじゃ)の御祭神も清寧天皇だそうだから、白髭と白髪が混同してしまったのかな。ちなみに清寧天皇は名を白髪大倭根子命(シラカノオオヤマトネコノミコト)と言い、生来の白髪であったそうだ。
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 社務所かな。
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 たぶん、浅間神社。
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 末社群。
 下の三つは不明だが、宝珠形の穴が開いているものは稲荷神社かも。
 長屋の方は左から金比羅宮、大神宮、秋葉宮、久壽志神、大山祇神、天神宮。
 久壽志神と言う名は初めて見たが、くすしと読むのかな。とすれば久壽志=薬師で御祭神は少彦名命になるのだろうかと推測。

知形神社(田中)

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 国道140号線秩父街道から武川交差点で県道69号深谷嵐山線を南下すると、応正寺の西側に知形神社が鎮座している。
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『知形囃子(昭和三十七年十二月二十五日指定)
 享保九年(1794年)頃知形神社の氏子により受け継がれたものである。毎年七月十五日夏祭りに十一の廊を神輿の渡御の先導になって奏でられたもので知形の囃子、馬鹿囃子、街道下り三曲よりなっている。秩父囃子の源流といわれ、よく似ている』
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 境内の大半はゲートボール場になっており、参道は脇に追いやられている…のかな?
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 拝殿と狛犬。
 由緒を記したものは見当たらなかったが、いつもの如くGoogle先生に訊いてみると、こちらの御祭神は瓊瓊杵命とする説と思兼命とする説があるようだ。
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 末社長屋。
 左手前から八坂神社、諏訪神社、琴平宮、雷電神社、見目神社、(判読不能)、手長神社、稲荷神社、八幡神社、荒川神社、金山神社、天満宮、愛宕神社。
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 本殿裏に御神木と末社。稲荷神社かな?
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 真言宗豊山派吉祥山応正寺入口。
 知形神社には駐車場が見当たらないので、この標石の左側に駐車させてもらった。

赤城久伊豆神社(石原)

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 荒川神社から大通りを西へ向かい、秩父鉄道の踏切を越えるとすぐ左手側に赤城久伊豆神社の鳥居が見えて来るが、こちらからでは駐車場に入れないので、一本先の道を左折すると駐車場へ。
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 参道入口脇に狛犬。
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 拝殿前にも狛犬。
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 拝殿。
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 富士塚。
 塚頂の冨士浅間大神の他、冨士森稲荷大神、埜守稲荷大神、小御嶽大神などが見られる。
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 富士塚の麓辺りに末社三つ。
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 本殿裏に末社群。どれがどれやら判らないが、神社合祀碑によると諏訪神社と琴平神社、白山神社、神明社、天神社、八坂神社、愛宕神社、それから伊奈利神社がいくつか祀られているようだ。
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 稲荷神社。
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 拝殿前から参道を北側へ歩くと、こちらにも狛犬が。
 中央に見えるのは神楽殿。
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 なんともダイナミックな造形の狛犬。台北製だそうだ。
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 後ろから。玉とか穴とかまであるよ、コレ。
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 おや、こちらが正しい入口になるのかな?
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 これで3月13日参拝分終了。
 今回の使用機材はK-7にDA21mmとDA70mm、K10DにDA15mmとDA35mm。
 帰宅途中にラノベや漫画を買い込んで、懐を寂しくしてみたり。…うーむ、蒼海ガールズ!は3巻で終了かぁ。もう少し続いて欲しかったものだが。

荒川神社(見晴町)

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 見晴公園の中に鎮座する荒川神社。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
 御祭神がどなたなのかは判らないが、荒川の水神様かな?
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 荒川神社の隣に塞神。
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 ずらりと並ぶ、伏見稲荷神社の鳥居。
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 稲荷神社拝殿。
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高城神社(宮町二丁目)

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 国道17号線市役所入口交差点脇の歩道橋の上から、高城神社の一の鳥居と二の鳥居。
 前回の時は撮影しそこねたので、今回は鳥居メインで。
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 一の鳥居。
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 二の鳥居。
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 三の鳥居。
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 境内に安置された旧二の鳥居。
『由来碑
 この石は、小松石(安山岩)で、参道の第二鳥居のものである。
 一六七○年(寛文十年)に旧忍城主阿部豊後守忠秋が献納したものであり、原寸は、高さ四・九メートル、横六・六メートルで、基礎は根巻きを含め三段になっていた。一九九八年(平成十年)十月七日に、事故により破損した。この由を後世に伝えるために、ここに第二鳥居の柱と笠木を置き、由来碑とする』

千形神社(本町一丁目)

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 奴稲荷神社から東へ歩いて行くと、左手側に千形神社が見えて来る。
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 神楽殿と拝殿。
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 毎年奉納相撲が行われているようだが、土俵なんてあったっけかな?
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 由緒を記した石碑。
 これによると、こちらの御祭神は天津彦火瓊瓊杵尊と天兒屋根命、天太玉命で、創建時期は不詳だが、熊野山千形院圓照寺の管理下にあったようだ。
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 境内の端の方に、正体不明の境内社。

奴稲荷神社(仲町)

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 八木橋百貨店の北に位置する熊谷寺の山門。
 その向かって右側に奴稲荷神社の鳥居が見える。嘗ては熊谷寺の管理下にあり敷地も繋がっていたのだろうが、現在は壁で遮られている。
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 一の鳥居。
 なぜか境内は駐輪場と化している。
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 お狐様。
 顔が砕けており、まるでクリーチャーかなにかのようになってしまっている。
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 二の鳥居。
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 お狐様。
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 別角度から。
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 おそらく社務所。
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 拝殿。
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『伊奈利神社
(俗称 奴稲荷 熊谷弥三左衛門稲荷)
鎮座地 熊谷市仲町四三番地
旧社格 村社
御祭神 倉稲魂命
合殿  徳川家康公
御由緒 当社の創建は元久二年(1205年・鎌倉)である。
    日ごろ稲荷神を深く信仰していた熊谷次郎直実は、戦場で数々の危難に遭っても、必ず
    熊谷弥三左衛門という武士によって助けられ、勝利を得た。余りの不思議さに直実が弥
    三左衛門にその素性を尋ねたところ「吾は、汝が信ずるところの稲荷明神なり。危難を救
    わんがために熊谷弥三左衛門と現じける」と言い、忽然と姿を消した。その霊威に感じた
    直実は、帰陣の後、熊谷寺境内に祠を設け稲荷大神を祀り、居城の鎮守とした。以来、当
    社は弥三左衛門稲荷と呼ばれるようになった。
    その後、慶長年間(1596-1615・桃山)に熊谷寺中興の祖幡随意上人が社殿を再建し、
    享保四年(1719・江戸)には正一位の神位を受けた。
    明治に入ると、神仏分離によって熊谷寺の管理を離れ、明治二年に鎌倉町の愛宕神社
    境内に一旦遷し祀る。
    同三十一年九月に仲町有志の奉賛と協力により、旧社地(現在地)に遷座され、村社とし
    て厚く信仰されるようになった。
    合殿 徳川家康朝臣 維新前まで熊谷寺境内に東照宮が祀られていた。明治二年神仏
    分離に伴い、伊奈利神社へ合祀され、現在に至っている。
信仰  「奴稲荷」の通称と共に当社は子育ての神として名高く、地元の熊谷市はもとより、遠くは
    横浜・本庄・高崎など各地に崇敬者がおり、その霊験はあらたかであるという。
    かつて、当社には、稲荷様の奴(ご家来)と称し、病弱な子供は三年とか五年とかの期限を
    決めてその間月参りを欠かさず行えば必ず丈夫になるといわれ、その期間中は稲荷様に
    奉仕している印として”もみあげ”(奴)を伸ばし、満期になるとそれを切って奉納する習慣が
    あった。こうした習慣は戦後すっかり廃れてしまったが、奴稲荷の名の起こりとして覚えて
    おきたいものだ。
    また、当社は繁華街にあるため、商売繁盛の神としても古くから信仰されており、とりわけ
    花柳界の人々から信仰が厚かった。往時は毎月八日が縁日で、旧中仙道から拝殿の前ま
    でずっと紅白の提灯を付けて、多くの参詣者で賑わったものであるが、関東大震災の後は
    町並みが大きく変わったため、縁日はやがて行われなくなった。
    更に、国道十七号の新道開通によって交通量が激増したため、昭和三十二年からは交通
    安全稲荷と称し、交通安全の神としても祀るようになり、この方でも多くの崇敬者を得
    ている。
    なお、昔から熊谷三社参りと称して、稲荷木伊奈利神社・高城神社・当社の三社を巡拝
    することが盛んに行われた。現在でも篤信家により行われている』
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 拝殿内部。
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 本殿。

愛宕八坂神社(鎌倉町)

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 宇佐稲荷神社の向い側に愛宕八坂神社が鎮座している。
 こちらの神社は文禄年間(1592年頃)に京都の八坂神社を勧請し、その後愛宕神社に合祀されたとのことだが、すると主になるのは愛宕神社の方になるのだろうか。MappleにしてもGoogleマップにしても、MapionやYahoo地図でも八坂神社と記載されているのだが。
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 拝殿。まだ少し雪が溶け切れずに残っていた。
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 御神輿殿。
 後ろに見えるのは鎌倉陸橋。
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 神輿殿の脇に遥拝所。
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 鳶職組合之碑と木遣塚。
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 左側は愛宕八坂神社。右側は宇佐稲荷神社。

宇佐稲荷神社(鎌倉町)

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 上熊谷駅と星渓園の間に位置する宇佐稲荷神社。
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 然程大きな神社ではないが、こざっぱりとした雰囲気がある。
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 拝殿。
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 屋根の上には鬼瓦ならぬ狐瓦。
 なんとなく植田まさしの描く絵に似てるなぁとか思ってみたり。

八坂神社(石原三丁目)

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 伊奈利神社からずずいっと南下し、箱田郵便局の南に位置する御嶽神社は民家の庭先に御嶽塚があるようなものだったのでスルーして更に南下し、北大通りに出たら西へ向かい、埼玉慈恵病院の南に鎮座する八坂神社へ。
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 拝殿。

肥塚伊奈利神社(肥塚二丁目)

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 熊野神社前から西へ歩いて行くと、交差点の脇に伊奈利神社が鎮座している。
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 こちらは倉稲魂命を主祭神とし、他に石凝姥命、市杵島姫命、誉田別命、大己貴命、須佐之男命、建御名方命、菅原道真公、宇須売命、伊弉諾命を祀っているそうだ。
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 拝殿。
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 鞘殿。

熊野神社(肥塚一丁目)

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 中央交差点に戻り、さいたま博通りを北上すると左手側にカメラのキタムラが見えてくるので、キタムラ前の交差点を西へ折れると間もなく熊野神社が見えてくる。
 熊野神社の他に辛神社も合祀されているようだが、辛神社ってなんだろう? ググってみても辛國神社や辛科神社などは出るが、辛神社は見当たらない。が、辛國神社も辛科神社もどちらも素盞嗚尊を祀っている神社ではあるようだ。素盞嗚尊を祀っているという点では熊野神社と共通しているか。
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白山神社(中央三丁目)

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 さいたま博通り(県道83号熊谷館林線)を北上して中央交差点で東へ折れると富士見中学校があり、富士見中学校の西側に白山神社が鎮座している。
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 如意輪観音に庚申塔、勢至菩薩など。
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 …なんだろう、これ。

箱田神社(箱田四丁目)

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 熊谷羽生線を西へと向かい、末広交差点を渡ったら中央公園を抜けて用水路沿いに歩いて行くと箱田神社が見えて来る。
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 狛犬。
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 拝殿。
 こちらは久伊豆神社(祭神は事代主命)と大雷神社(祭神は別雷命)、伊奈利神社(祭神は倉稲魂命)を合祀しており、明治四十四年(1911年)七月に箱田神社と称するようになったようだ。
 社殿は天保七年(1836年)に建てられたが、明治四十三年三月に改修工事に着工し、四十四年四月に竣工したと神社由来碑に記されていた。
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 境内社にも鳥居。
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 三峰山大神と大山祇大神を祀っている。
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 裏側には石祠と石塔が。
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 隣にも境内社。
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 牛の像があると言うことは、こちらは天満宮だろうか。
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 梅鉢紋もあるので、やはり天満宮なのだろう。
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 箱田神社の左側にも境内社の鳥居。
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 皇大神宮。
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 御神木の跡と、その隣に神社由来碑。
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 遥拝所。

御嶽神社(中西三丁目)

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 白鬚伊奈利神社から北大通りを北上し、藤間病院前の交差点で右折して北へ歩いて行くとそのうちに熊谷羽生線に突き当たるので、そうしたら東へ歩いて行くと御嶽神社前に出る。
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 御嶽塚の隣にある拝殿には御嶽山里宮と書かれた扁額が掛けられていた。
 御嶽塚の頂には例によって三笠山大神・御嶽山大神・八海山大神。他には摩利支天尊、大江大神、清瀧祓戸大神に加え御嶽教信者と思われるなんちゃら霊神の数々が。

稲荷木白鬚伊奈利神社(銀座三丁目)

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 熊谷駅前の駐車場に車を置いたら、高崎線を渡って銀座二丁目交差点そばの稲荷木白鬚伊奈利神社へ。
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 社号標石には正一位稲荷木伊奈利神社と刻まれているが、
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 鳥居の額には稲荷木白鬚伊奈利神社とある。
 白鬚の字があるということは猿田彦神も関係あるのかなと思いググってみたら、やはり御祭神は宇迦之御魂神と猿田彦神のようだ。
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 朱塗りの鳥居が連なっているのはいかにも稲荷神社っぽい。
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 御神輿殿。
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大雷神社(佐谷田)

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 ぐぃんぐぃんと南下して、元荒川通りを挟んでムサシトミヨ保護センターの北側に鎮座する大雷神社へ。
 境内に駐車場と言うよりは、どう見ても駐車場の中に神社がある。
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 帰宅してから気づいたのだが、近くに万平圓満神社なんてのがあったのね○刀乙

赤城神社(今井)

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 小曽根神社から東へ向かい、県道83号熊谷館林線を渡ると赤城神社が鎮座している。
 こちらは83号線に面して建てられている鳥居。
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 南側へ回るとこちらにも鳥居があるが、おそらくこちらが一の鳥居になるのだろう。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
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 裏手側には天神宮と諏訪社が納められている。
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 拝殿左手側には八坂神社。
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 境内に設置されている白熊の妙に寂しそうな風情がツボったので、トイカメラフィルターを掛けて撮影してみた。
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 社殿修復記念碑。
『平成十六年十月第五十九回国民体育大会秋季大会が熊谷市で開催されることになり、会場周辺整備のため当社赤城神社も土地の一部を割譲し大会成功のため協力をした。
 当社の創建は明らかではないが、造営記録としては、元和元年(西暦一六八一年)本殿再建の棟札がありその後の本殿修理の記録はない。
 再建後三百年以上を経過し老朽化したので、国民体育大会記念事業として本殿・諏訪社・天神社の修復をし、境内の整理・玉垣の整備等を行い十五年十月工事が完了した。
 本事業が滞りなく完遂できた事は、尊き御神威の賜物であり深く感謝し、今井地区の安寧を祈念し慈に記念碑を建立する。
  平成十五年十月十四日』
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小曽根神社(小曽根)

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 昨年7月に参拝した雀神社の東700m程の位置に鎮座する小曽根神社。
 駐車場は無いが、神社前の道路の一部が待避所になっているのでそこに駐車。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
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 小曽根神社の扁額の他に雀神社と天神宮の額も掛けられている。
 そう言えば、こちらの御祭神ってどなたなのだろう。
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 境内社。
 左側には三つの祠が納められ、右側には一つの祠が納められているのだが、何神社なのかは判らず。
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 境内社。
 こちらは白山神社と牛頭天王。
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 御嶽塚。
 中央には「三笠山大神・御嶽山大神・八海山大神」が鎮座し、その他に摩利支天や大江大神、清瀧権現、十二権現などの文字も見える。
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