箭弓稲荷神社(箭弓町二丁目)

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 再び南下して、箭弓稲荷神社へ。
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 二の鳥居。
 写真では雨が降っているが、自分が到着した9時半頃ではまだ晴れていた。

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八雲神社(野田)

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 時間に余裕があったので、道を戻って野田と松山の境に鎮座する八雲神社へ。
 滑川と市野川に挟まれたこの場所なら、同じ素盞嗚尊を祀る神社でも祇園系の八雲神社より水神としての性格も持つ氷川神社の方がありえそうなのだが、なぜ八雲神社なのだろう。
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 拝殿。

子育浅間神社(上野本)

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 氷川神社の東200m程の位置に鎮座する子育浅間神社。
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 左から八幡大神、馬頭観世音、青面金剛尊、石祠×2。稲荷神社かな?
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 突き当たりに社殿。
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 浅間神社の拝殿と末社の稲荷神社。

氷川神社(上野本)

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 県道66号線を更に南下し、上野本交差点で国道254号線を西へ。上野本西交差点手前の横断歩道橋で右折すると、すぐに氷川神社。
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『金谷もちつき踊り 県指定民族文化財
 大字上野本の氷川神社の秋の祭りに、五穀豊穣を祈願して奉納されます。
 伝承によれば、平安時代に坂上田村麿が蝦夷征討の折この地を通り、岩殿山に住む悪竜を退治し、村人を救ったことから始まったとされています。村人は喜びのあまり踊りながら餅をつき、坂上田村麿をもてなしました。
 その後、毎年の祝とともに技巧が加わり、今日のような「もちつき踊り」になったと伝えられています。
 踊りは大杵による曲づき(片かむりづき・両かむりづき・よろけづき等)と小杵による曲づき(にらめづき・けこみづき・十文字づき等)があります。
 氷川神社の祭典は春が四月十七日、秋が十一月二十九日ですが、踊りの奉納は十一月二十三日の勤労感謝の日のみとなっています』
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 拝殿。
 拝殿手前右手側に再建記念碑が二つ並んでおり、片方は逆光となり碑文は読み取り難かったが、もう片方は順光だったので普通に読み取れた。それによると、昭和四十四年暮に境外地を売却し、そうして得た資金に氏子からの寄付金と東松山市からの公会堂建設補助金を合わせて再建に着工し、翌四十五年十一月二十九日竣工したとのこと。
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 末社群。
 右から二番目は山神社。あとは不明だが、左奥から二番目は梅鉢紋が刻まれていたので、おそらく天神社ではないだろうか。

七鬼神社(若松町一丁目)

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 66号線を南下して行くと、若松町一丁目交差点脇に七鬼神社が鎮座している。
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 鳥居。
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 七鬼神社と言うごつくて珍しい名前の神社だが、ググってみても詳細は不明。ヤクジンさまとも呼ばれ、8月18日が例祭であるようだ。ヤクジンさまと言うのは疫神なのか薬神なのか。まぁ、前者だろうな。しかし、鎮座している場所が五叉路の脇であることを考えると、疫神と言うよりもそれらを防ぐ塞の神なのではないかと言う気もする。
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 本殿。屋根のとがり具合が鬼の角のようにも思える。
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神明神社(神明町一丁目)

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 地図で見た感じ、車で入るのは無理そうだと思い御茶山自治会館前に車を停めて歩いて行ったのだが、民家前の参道らしきものは予想以上に細く、人一人分ほどの道幅しかなかった。
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二尾稲荷神社(神明町一丁目)

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 東松山医師会病院の南側、新明町自治会館の西に鎮座する二尾稲荷神社。
 自治会館前の道は一方通行なので、県道66号線側からしか入れない。
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 金属製の鳥居。
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 参道は短い。
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三島神社(原島)

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 ヤマダ電機前まで戻ったら、407号線を渡ってさがみ典礼前を東へ。突き当たったら北へ向かうと三島神社まではすぐ。
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 鳥居をくぐるとすぐ右手側に富士塚。
 塚の頂には冨士嶽大神が祀られ、他にも食行霊神や角行霊神、小御岳大神、冨士守稲荷大神の名も見える。塚の右側には浅間神社。
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 末社。額は無かったが、おそらく稲荷神社と思われる。
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 甲子大黒天。
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 拝殿。
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 社殿改築記念碑。
『鎮守三島神社は静岡県三島の三島六社を勧請されたと伝えられ、大山祇命を祭神とし、古くから当地域の守護神であった。
 旧社殿は本殿と拝殿の間を透塀をもって囲ってあったが、老朽甚しく改築の必要に迫られ、昭和五十二年十月十五日改築が議決された。翌年四月二十六日着工、七月三十日完成する。
 新社殿は本殿と拝殿の間を幣殿とする標準の形とした。併せて末社二棟の修復並に境内の整備を実施する。費用として神社所有地原島宇伊奈利一三四二番の山林二八九平方米を処分しその売却金及び氏子の寄付金を以ってこれに当てる。
 ここに碑を建てて永く改築を記念する。
 昭和五十三年十月十五日』
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 拝殿右側には御嶽塚。
 塚の頂には御嶽山大神・八海山大神・三笠山大神が祀られ、他にも大己貴命・少彦名命・日本武尊、大江神社、摩利支天尊、天大元五柱神、覚明霊神・普寛霊神・一心霊神・盛心霊神、?昌霊神、御嶽岩戸神社などが祀られている。清瀧と彫られた下には四柱の神の名が記されているのだが、近寄って撮影するのを忘れていたので、なんとなく読み取れる部分だけ見ると、瀬織津比神・気吹戸主神・速佐須良比神と書かれているようだ。もう一つ、速の字が見えるので、残りは速開都比神かな。つまり祓戸四神だ。

 以上で4月24日参拝分終了。
 今回使用したのはK-7にDA18-55mm WRとDA70mm、*ist DSにFA50mm。DA18-55mmのテレ側は絞らないとほわんほわんで解像力が不足するのが痛いなぁ、と言うことでFA50mmの良さを再認識だ。
 それにしても、これで今月の更新数66か。今までは58が最高でなかなかそれを越えられなかったのだが、一気に越えたなぁ。

大雷神社(新島)

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 伊奈利神社より西へ歩いて行くと、大雷神社が鎮座している。駐車場は無いので、伊奈利神社の駐車場に置いて来るのが吉。
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 二の鳥居。
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 狛犬。
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 拝殿。
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『大雷神社 由来
 当地新島は文禄年間(西暦一五九二年)に新島右近が開墾し、慶長年間(西暦一六○八年)には玉井村分と謂われ、元禄期(西暦一六八八年)までには新島村として独立するようになりました。江戸時代には旗本戸田氏や白須氏の領地となり、明治二十二年幡羅郡新島村から大里郡大幡村大字となり、昭和七年四月一日に熊谷町大字新島、同八年五月一日、熊谷市大字新島となる。
 当社は古くは大電八公社(ダイテンハクシャ)として現在の熊谷市大字新島大天白北三百二十八番地に鎮座しxx、祭神は別雷命です。安土桃山時代にxx村人の守護神として祀りあがめられてきました。後にxx雷神社と改め、明治四十二年四月十五日稲荷社(祭神 倉稲魂命)、xx貴社(祭神 大己貴命)、箱根社(祭神 伊弉諾尊・伊弉冉尊)を合祀し、風の神、安産の神として近郷の人々の信仰を集めてきました。後に風の神が風邪の神として子供のクッx(現在のジフテリア)の悪疫除の神様として崇拝されました』

 大雷神社と言うのだから、御祭神は大雷命だと思っていたら別雷命だとは驚きだ。古くは大電八公社と称したのであれば、それこそ八雷神(大雷、火雷、黒雷、折雷、若雷、土雷、鳴雷、伏雷)を思い出すが、別雷命であるのなら雷電神社ではなく、賀茂神社から勧請したのだろうか。しかしそれよりも、大電八公でダイテンハクと読ませる方が興味深い。大天白神は星神・水神・農耕神・産泰神などの性格を持ち、別雷命も雷神としての面以外にも水神や農耕神としての性格があり、またこちらの神社では産泰神としての性格も持たされていることを考えると、両神を同一視している可能性もあるだろうか?
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 末社殿。
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 中には大黒天と石祠が一つ。石祠の方は祖神社と刻まれているのは判るのだが、一文字目が見えなかった。道祖神社なのか天祖神社なのか御祖神社なのか、或いはそれ以外なのか。
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 社殿裏、と言うか東側から。鳥居や拝殿は西を向いているので、伊奈利神社から歩いて来ると裏手に到着してしまうのだな。

伊奈利神社(原島)

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 熊谷警察署の北にあるヤマダ電機テックランド熊谷本店の北西に鎮座する伊奈利神社。
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 二の鳥居。
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 左から神輿殿、荒神社、八幡神社、神庫。
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 拝殿。
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 社殿裏の石祠。破損しており、破棄されたものなのかどうかも不明。
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 厳島神社。辨財天とも書かれている。

歓喜天(本町一丁目)

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 66号線沿いに南下し、小池商店と中勉商店の間の西側に伸びた細い道を入って行くと、柵が張られていて行き止まりになっているが、その先に歓喜天社が見える。
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 柵越しに撮影し、更にトリミングをして中央拡大。

八雲神社(本町一丁目)

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 上沼公園の東側、埼玉県道66号行田東松山線の脇に八雲神社が鎮座している。
 鳥居は、この辺りではあまり見かけない中山鳥居。そう言えば、明善谷沼傍の八雲神社も中山鳥居だったか。
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『八雲神社 市指定文化財
 社殿は、間口二・六m、奥行三・六m単層切妻で正面軒は唐破風となり、その下に千鳥破風がおいてあります。社殿は切妻の面もすべて彫刻で飾られています。正面は花鳥及竜と唐獅子・左側は神功皇后新羅征伐凱旋の場、右側は須佐之男命大蛇退治の場、背面は天照大神の天岩戸の場が刻まれています。
 他の神社の彫刻と異なり、伝統的なものに取材し、豊かな民族的色彩を有する特色をもっています。
 昭和三十三年一月 境内より左記の銘文が発見されました。
   惟時安政六年四月奉再勧進請者也
   法主祈願現住権律師亮覚敬白
   祇園牛頭天王
 この彫刻は安政六(一八五九)年四月の再勧進請のときに製作されたもので、彫工飯田仙之助が三人の弟子に技を競わせたものといわれています』

 …で、こちらの神社の由緒は? と言うことで、いつもの如くGoogle先生に訊いてみると、創建時期などは判らなかったが、こちらの八雲神社は松山神社の末社であり、7月の第4土曜日に例大祭が行なわれると言うことは判った。
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 正面から。
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 66号線側から。こちらの面は須佐之男命の大蛇退治か。
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 神庫。

日吉神社(日吉町)

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 松山神社前から北へ歩いて行くと、上沼公園交差点の手前に日吉神社が鎮座している。わりと控えめな佇まいで、鳥居よりも日吉神社駐車場入口の看板の方が目立っているくらいだ。
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『日吉神社御由緒
 祭神 大国主命
     大山咋命
 創建 江戸時代文化十五年二月(一八一八年)近江国日吉山に鎮座する地主神・安産子育て・家内安全・学業成就の守護神日吉山王大権現を当地に勧請、社殿を建立する。
 ※ 日吉町の地名はここより始まる。
  明治四三年九月 社殿・再建
  平成二年十二月 社殿・類焼
  平成三年 九月 再建・遷座
 祭典日
  元旦祭
  春季例大祭 四月初旬
  秋季例大祭 九月 第一土曜日
 ※ 神社の呼称を日枝から日吉に改める。
  平成一九年九月吉日』
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 鳥居をくぐると、左手側に辨財天。
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 再建記念碑にも由緒が刻まれている。
『御由緒
 当社の御祭神は大山咋命である。
 文化十五年二月近江国日吉山に鎮座まします安産・子育の守護神日吉山王大権現を当地に勧請し社殿を創建す。
 その後、明治四十三年九月社殿を再建す。
 平成二年十二月十一日社殿類焼し灰燼に帰し、直ちに氏子・崇敬者再建に着手す。
 平成三年九月吉日竣工遷座奉祝す』
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 拝殿。
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 額には日枝大神と浮き彫りにされている。
 由緒書きにも「神社の呼称を日枝から日吉に改める」と書かれているので、古くは日枝神社と称していたのだろう…って、おや? 神社の創建が日吉町の町名の由来のように書かれていたが、日枝神社と称していた頃でも日吉町だったのだろうか?

松山神社(日吉町)

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 東松山市役所の脇から不動横丁へと回り、上沼公園方面へ走って行くと松山神社の看板が見えて来るのでそちらへ入り、神社南側の神庫前に駐車。
 鳥居があるのは神社南東側なので、一旦出てから入り直し。
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 参道右手側に社務所。
 …あぁ、こっちに車を置けば良かったのか。鳥居前からも入れるようになっているのだし。
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 参道。
 右手側には民家もあったりする。
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 歌碑のような、違うような。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
 由緒書きなどは見当たらなかったので、いつもの如くGoogle先生に伺ってみると、こちらは康平六(一○六三)年に氷川神社として創建され、寛永元(一六二四)年に熊野神社を合祀。明治十六(一八八三)年四月、社号を氷川神社熊野神社から松山神社に改称したとあり、御祭神は伊邪那美命とのことだが、元が氷川神社なら素盞嗚尊・奇稲田姫命・大己貴命も祀られているのではないだろうか?
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 本殿。
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 境内社の大鳥神社。
 拝殿の柱には大鳥神社の他に浅間神社の名も記されており、二社が合祀されているのだろうか。
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 手前の額には鷲宮大明神、奥の額には大鳥神社と記されている。
 こちらも由緒書きは見当たらなかったが、東松山観光協会に記述がある。それによると松山神社の末社として享和元(一八○一)年九月に再建されたとあるが、創建はそれよりも古いと言うことになるのだろう。また、毎年12月15日に酉の市が行なわれているそうだ。
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 神楽殿。
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氷川神社(松山町三丁目)

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 市ノ川の氷川神社前を南東へ走り、県道47号深谷東松山線に合流したら西へ。サンクス前を北東へ入ると車一台がギリギリ通れる程の幅の道を抜けると松山町三丁目の氷川神社前に出る。神社の隣に松山町公会堂があるので、そちらに車を停めることができる。
 ちなみに、市ノ川の氷川神社前を南西に走って行った方が早かったのだよね○刀乙
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 左から愛宕神社、氷川神社、倉庫。
 倉庫前には氷川神社新築記念碑が建てられており、平成二年七月十五日とあった。が、由緒などは記されていなかった。残念。
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 愛宕大権現像。勝軍地蔵尊と言ってもいいけど。
 貞享三丙寅天九月吉日とあるので、1686年に造られたのだろう。

氷川神社(市ノ川)

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 県道391号線を南下し、市野川を越えたら一つ目の信号で西へ。突き当たりのセブンイレブン前で南へ向かうとすぐに氷川神社が見えて来るのだが、駐車場が無い。
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 拝殿。
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 境内社。詳細不明。
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赤城神社(野田)

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 県道391号線を南下して、次は野田の赤城神社へ。
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『野田の獅子舞(市指定無形民俗文化財)
 野田の獅子舞は毎年七月十四日の夏祭、十月十四日の秋祭に赤城神社に奉納される。
 獅子舞の由来は、今から三百数十年前寛永年間にこの地の名主長谷部平兵衛福兼によって始められたと伝えられている。
 獅子を「メジシ」「オジシ」「ダイガシラ」と呼び、袴に白足袋姿で八畳程の敷物の上で舞う一人立ちの三匹獅子舞で座敷獅子と云われている。

 野田の獅子頭(市指定有形民俗文化財)
 代々獅子元を務める長谷部家に、寛永年間の作と云われる獅子頭が残っている。竜頭形式の獅子頭で、桐材を用いた素朴なものである』
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 狛犬。
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 赤城神社・鳥居再建記念碑。
『一、赤城神社は、永正年間より長い間住民の安全を見守って下さいましたが、老朽化が進み氏子の創意により再建。
 一、鳥居は、何者かに依り車で破壊された為に再建』
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 拝殿。
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 右奥に末社。
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 左側にも末社。
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 再建記念碑。
『赤城神社は室町時代文亀二(一五○二)年二月、此の里に祀らる。今より四百六十年前也。
 御祭神は大國主命、豊城入彦命彦、狭島命と素盞嗚尊、菅原道真公を合祀す。
 永正二乙丑(一五○五)年一月四日、松山城主上田正直公より里名野田と賜るに依って野田村鎮守社と改め奉祀す。本殿は当時の建造に倣て宝暦十一辛巳(一七六一)年十二月に修復並びに外殿建立。安政元(一八五四)年春、雨乞い祈願の為御池を掘り、翌安政二年秋に大願成就の意を以って拝殿を建て奉る。
 外殿二百二年拝殿百八年の星霜を重ねて老朽す。氏子協議の結果外殿拝殿を再建す。総工費壱百七十五万円なり。建碑して記念に録す。
 昭和三十七年十月十月十四日』
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 社殿裏手にある池。これが雨乞い祈願の為に掘られた池なのだろうか。

八雲神社(大谷)

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 307号線まで戻り、東に進んで大谷交差点で391号線を南下。大木技研の脇を回り込んで南下して行くと明善谷沼の東側に八雲神社が鎮座している。
 ところで地図を見直して気付いたのだが、吉庚集会所バス停前から東へ入って行った方が早かったんじゃないか。なんでこう、遠回りばかり…○刀乙。
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 本殿覆い屋。
 拝殿は昭和四十六年三月に建てられたと石碑に刻まれていたが、こちらの神社自体の創建はいつ頃なのだろう。

八雲神社(大谷)

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 先程の八雲神社から南下して行くと東松山ぼたん園があるのだが、その手前の道端に八雲神社が鎮座している。
 4月24日から5月5日まではぼたんまつりを行なっているが、それほど混んでいる様子でもなかった。とは言えぼたん園前に停めるのもなんとなく憚られるので、八雲神社の北東にある待避所に駐車。
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 拝殿。
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 本殿。
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 祠の裏に境内社が二社並んでいるが、詳しいことは不明。
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 道端には如意輪観音や馬頭観音など。

八雲神社(大谷)

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 307号線から東松山ぼたん園へ向かう途中に見かけた八雲神社。吉庚集会所バス停の脇辺りだったかな。
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 こちらの面は馬頭観音だらけ。
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 聖徳皇太子。右奥の方には地蔵菩薩と如意輪観音…かな?
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 八雲神社。
 なんだかこの組み合わせは珍しいような気がする。

秋葉神社(大谷)

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 天神社から東へ歩いて行くと、右手側に丸太の階段が見えて来るが、ここを上って行くと秋葉神社の裏手に出てしまうので、きちんと参拝したいならこの先の十字路で右折して、民家の脇を通り抜けて行くことになる。
 まぁ、自分はそんなこと知らなかったので神社の裏から入ることになってしまったのだけど。
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 表から入って来ると、きちんと社号標石や鳥居がある。
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 輝度差が激しかったのでPSE8.0で弄りまくってみたが、やはり不自然か。レタッチの本でも買って勉強しようかな。
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 社殿の壁に掛けられた絵馬。
 他にも繭の奉納額も掛けられていたが、秋葉権現は養蚕の神ではないのだから、もしかしたらこちらには蚕影神社が合祀されてでもいるのだろうか。

天神社(大谷)

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 307号線を渡り、東松山CCの北西側へ歩いて行くと、天神社が鎮座している。
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 御祭神は菅原道真公だろう。
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 大雷神社と荒神社、そしてこちらの天神社は宮司さんが同じであるようだ。

荒神社(大谷)

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 大谷交差点から県道307号福田鴻巣線を西へ向かい、森屋商店の脇で右折すると宗悟寺の手前に上郷公会堂があるのでこちらに車を置いて、そこから徒歩で西へと歩いて行くとゴルフ場の脇に荒神社が鎮座している。
 ちなみに、ここから307号線に沿って北西に歩いて行くと、山田の淡洲神社まではすぐだったりする。
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 神社前の道は舗装されているが、ウォーキングトレイルなので歩行者専用。
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 鳥居。
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 丸太の階段を上って行くと、荒神社。
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 で、こちらの御祭神はどなたなんだろう?
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大雷神社(大谷)

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 上岡交差点で右に折れ、県道391号大谷材木町線を南下して行くと大岡小学校前の交差点に雷電山古墳の看板が掛けられているので、それに従ってゴルフ場方面へ進んで行くと、途中右手側に大雷神社への参道が伸びている。
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『三千塚古墳群 昭和三十一年二月市指定史跡
 大岡地区には、雷電山古墳を中心として、数多くの小さな古墳が群集しています。これらの多くの古墳を総称して「三千塚古墳」と呼んでいます。
 三千塚古墳群は、明治二十年~三十年頃にそのほとんどが盗掘されてしまいました。そのときに出土した遺物は、県外に持ち出されてしまい不明ですが、一部は国立博物館に収蔵されています。三千塚古墳群からは、古墳時代後期(六~七世紀)の古墳から発見される遺物(直刀・刀子・勾玉・管玉など)が出土しています。
 雷電山古墳は、これらの小さな古墳を見わたす丘陵の上に作られています。この古墳は、高さ八m・長さ八十mの大きさの帆立貝式古墳(前方後円墳の一種)です。雷電山古墳からは、埴輪や底部穿孔土器(底に穴をあけた土器)などが発見されています。
 雷電山古墳は、造られた場所や埴輪などから五世紀初頭(今から千五百年位前)に造られたものと思われます。また、雷電山古墳の周辺にある小さな古墳は、六世紀初頭から七世紀後半にかけて、造られつづけた古墳であると思われます』
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 参道の左側に社務所があり、駐車場も広め。
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 鳥居。
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 石段の先に大雷神社の拝殿が見える。
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 拝殿。
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 額は龍のレリーフで囲われている。
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 明治百年記念之碑。
『大雷神社由緒沿革
 当神社は伊邪那美命の御子大雷命を奉斎し、御創建は今から壱千百十餘年前清和天皇の御代貞観元(八五九)年巳酉四月十二日と社伝に言い伝えられている。
貞観六(八六四)年辛亥七月二十二日には武蔵従五位下大雷神従五位上を授けられ、三代実録武蔵風土記等の古文献にも記載されている如く古代より有名な神社である。
古代より当地は山間の地にして水利の便非常に悪く五穀良く稔らず、大神を祭祀してより五穀豊穣が伝えられ盛夏干旱の時村民挙げて降雨の祈願をし遠近郷の農民も降雨の祈願に詣でて深く信仰された社殿は、雷電山と号する古墳の嶺を平坦にして大神を鎮座し、社殿の周囲には昔日埴輪の残片が多く古考の説に此の地は武蔵国司の墓と伝承され、付近一帯には陪臣の墓と思われる数百の古墳の群が散見せられた。
寛政十(一七九八)年壬午四月二十五日再建の社殿は村内はもとより、大神の御神徳を称せる近郷近在の人等によって上遷宮が執行された。
寛政の頃には、関東取締役人の御沙汰によって行なわれた特殊神事の奉納相撲は両関が揃い盛大に開幕され、明治以前まで続けられ大谷のぼた餅相撲と名高かった。
寛政十年から五十九年後の安政四(一八五七)年、近くの山火事により類火して本社火災の折、御神体と奉斎せる幣串自から社外に飛び去りしより神顕の広大さに村民崇敬者益々畏敬の念を深め、この幣串を今も御神体として奉斎する。
安政四年の火災後五年の歳月を経て現本殿が再建された。
昭和四十三年十月二十三日』

 干支の表記がおかしいような気がするんじゃよ? 貞観元年巳酉→己卯、貞観六年辛亥→甲申、寛政十年壬午→戊午の筈。
 それはさておき、こちらの御祭神は大雷命だけなのかな。末社などは見当たらなかったが。
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 墳丘の裾野、レストハウスへ通じる道の端に立てられた案内板。
『大雷神社祭礼相撲場跡 市指定史跡
 旧大谷村の総鎮守大雷神社の社殿を中心に、辻(相撲場)が二ヶ所あり、一の辻・二の辻と呼ばれ、一の辻は大相撲に・二の辻は草相撲に使用されていました。辻には三百席ぐらいの桟敷席が、傾斜地を巧みに利用して造られていました。
 現在は二の辻だけが残っています。
 大雷神社の相撲は、江戸時代中頃から行なわれていたと伝えられています。相撲の興行には、領主だけでなく関東取締役の特別の許可が必要でした。
 相撲興行には、近在の人々が大勢集まり、「関東三代辻相撲」の一つといわれるほどににぎわいました。
 この日、祝酒とともに「ぼたもち」を相撲見物の人たちにふるまったことから「大谷のぼたもち相撲」とも呼ばれ、大変親しまれていましたが、明治二十年頃を最後にその姿を消しました』
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 北西側から。
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入雲大神(大谷)

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 407号線を南下し、上岡地蔵前で西へ折れ、そこから北西へ向かうと赤熊神社へ向かってしまうので南西へ向かうと道端に祠がある。
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 額には入雲大神と書かれているが、これ、八雲大神の書き間違えがそのまま定着しちゃったとかってことじゃないだろうなぁ。御祭神も素佐男尊って書かれてるし。…いやいや、「入」に見えるがよぉ~く見ると僅かに離れているので、「八」かもしれんね、これは。

八坂神社(楊井)

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 森林公園北口の西側、民家の集中した裏側に八坂神社が鎮座している。古墳かなとも思ったのだが、ググってみても出ないので古墳ではないのかも。
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 左側が八坂神社。右側は白山神社。
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 八坂神社裏に末社群。しかし三明藤開山以外は判らず。

白髭神社(楊井)

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 万吉橋交差点から東へ向かい、国道407号線に合流したら森林公園北口入口の手前で西へ入っていけば白髭神社まではすぐだったのだが、うっかり通り過ぎてしまったので阿弥陀如来龍命堂の方までぐるりと大回りをしてようやく白髭神社へ。どれだけ無駄に走っているのだか○刀乙
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 庚申塔。
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 二の鳥居。
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 石段の先に白髭神社の拝殿が見える。
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 白髭神社と天満宮。
 天満宮の御祭神は菅原道真公で確定だろうが、白髭神社の御祭神はどなただろう。こちらは渡来人の信仰が厚かったそうだから、猿田彦神と高麗王若光でいいのかな。
 ちなみに周囲には瀬戸山古墳群が広がっており、白髭神社の裏(北側)には瀬戸山105号古墳、天満宮の右(東側)には瀬戸山252号古墳がある。
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 詳細不明の末社。周囲は瀬戸山104号古墳。

氷川神社(万吉)

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 埼玉県道11号熊谷小川秩父線万吉橋交差点西側に鎮座する氷川神社。
 車に乗ったまま鳥居をくぐると右手側に万吉第二集会所があるので、その前に駐車。神社北側にも鳥居があるが、そちらを乗車したままくぐるのは無理。
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 拝殿。
 一見狛犬がいないように思えるが、実は屋根の上に鯱のようなポーズの狛犬がいる。
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 拝殿左側に富士塚。
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 塚頂には大黒天と冨士嶽神社が祀られている。
 塚麓の石祠は詳細不明。
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 神社合祀碑。
『官幣大社氷川神社宮司正六位勲六等額賀大直篆額
 謹按敬神祭祇者上古以来國家之禮典也中世以降莫道漸衰是以類禋之
 禮或不修望秩之典殆不舉至明治大正百度復古其制完備神祇崇敬之道
 立矣猗興盛矣哉埼玉縣大里郡吉岡村萬吉之里古来奉祀神祇者九百氷
 川神社在壹本松是為村社曰伊奈利神社在榎曰赤城神社在上大風曰伊
 奈利神社在上平塚曰大天白社在曲輪曰神明社在上伊勢原曰伊奈利神
 社曰八坂神社並在前原費八幡神社在前平塚皆無格社也以其散在里中
 祭祀之儀漸衰況於修繕莫祠宇乎是則所以輕國家之禮典里人等常以為
 憂焉會神社合祀令出衆躍然大喜協議一決乃相地ト域以明治四十二年
 十二月得官允合祀八社於八幡神社改稱氷川神社旦購周圍土地八百七
 拾餘歩以廣其境域翌年一月行遷座式大加修理更改繕本殿新築幣殿拜
 殿建設祭器庫所費貳千五百六拾餘圓悉里人所献其後造成基本財産又
 設定初穂組合者年圖資金之増殖四十四年五月官淮定饌幣公薦之格
 歳持舉祀典可謂神威加荘厳也磋虖如比則天佑神助所在邦家之隆昌郷
 黨繁榮豈可測哉属者胥議欲樹合祀碑以傳未不朽使余記其事余奉祀職
 者豈可以不文而辭也哉乃叙梗栞云爾
 于告大正七年戌午十月中元』

 たぶん合っていると思うけど、もしかしたら読み間違えている部分があるかも。
 明治四十二年十二月に一本松の伊奈利神社と榎の赤城神社、上大風の伊奈利神社、平塚の大天白神社、曲輪の神明社、伊勢原の伊奈利神社、前原の八坂神社と八幡神社を合祀、かな? 合祀八社於八幡神社改称氷川神社、の部分が気になるけど、万吉には元々氷川神社があったようなので、改称して氷川神社になった訳ではないと思うけど。…はぁ、漢文の読み方なんてすっかり忘れ去ってるなぁ。
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 神社合祀碑脇の石祠。稲荷神社っぽい感じ。
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 合祀碑の裏に三峯山神社。
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 その裏にお狐様。しかしその先に稲荷神社がある訳ではない。
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 県道81号熊谷寄居線に面して建てられた北側の鳥居。

冨士浅間神社(広瀬)

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 国道140号線彩甲斐街道の広瀬交差点で北へ折れると、すぐ左手側に冨士浅間神社が見えて来る。
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 額は付いていないが、冨士浅間神社でいいのだろう。と言うのも、右に見える鳥居に冨士浅間神社と書かれた額が掛かっているので、じゃあこっちはなによ? とか思ってしまった訳で。
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 狛犬。
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 別位置から。
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 拝殿。
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 拝殿脇のこちらは、なんだろう。祭具殿かな。
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 こちらも冨士浅間神社とあるが、冨士塚。
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 冨士守稲荷大明神。
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 小御岳石尊大権現。
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 詳細不明の末社と天手長男神社。
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 食行身禄霊神。

 これで4月18日参拝分終了。
 今回はK-7にFA31mmとDA18-55mm WRを使用。尤も、FA31mmを使ったのは最初の雷電神社と最後の冨士浅間神社だけなのだけど。DA18-55mmは便利で描写性能も悪くないけれど、ズーミングでF値が変わってしまうのはやっぱり困りもの。F2.8通しの標準ズームが欲しいところではあるけれど、特にこれと言ったものも無いので、もうしばらくはDA18-55mmと単焦点の組合せで頑張るかな。

長山稲荷神社(嵐山町川島)

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 そして先週は見つけられなかった長山稲荷神社へ。
 ローソン滑川町月輪店北側の交差点脇にある自動販売機の向かい側に細い道が伸びており、そこに入るとすぐに朱塗りの鳥居が見えて来る。と言うか通り側からでも赤いものがちらりと見える。…交差点の通りは今月三日にも徒歩で通っているのに、その時は全然気付かなかったなぁ○刀乙
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 鳥居以外も赤い。
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 長山稲荷神社のみならず、境内社も全て稲荷社っぽい感じ。
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 通りを北へ歩いて行くと、道端に青面金剛と馬頭観音、かな。この写真のみ四月三日に撮影したもの。
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