樺崎八幡宮(樺崎町)

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 久しぶりに樺崎八幡宮など。前に参拝したのが2008年の11月23日なので、1年8ヶ月ぶりか。前回参拝した時は神橋の脇に民家があったのだが、今は無くなっている。
 なんでいきなり樺崎八幡宮かと言うと、Sphereと言うエロゲメーカーの製品である「ヨスガノソラ」に登場する叉依姫神社のモデルがこちらの樺崎八幡宮であると言うのだ。最初の公式壁紙を見たときは似ているとは思ったものの、まさか本当にそうだとは思いもしなかった。ちなみにそのことが書かれているのは、2010年5月28日分のSphereスタッフページなので、情報遅れもいいところだ。
 ついでに言うと、自分はヨスガノソラは未プレイだったりする。あ、いや、体験版だけはやったな。
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 樺崎寺跡復元予定図。
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 二の鳥居。
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『樺崎八幡宮
 足利義兼は、晩年鑁阿と号し建久年間生母菩提のため、理真上人を開山として法界寺を創建しました。法界寺は鑁阿寺を壇上とした奥の院で、義兼もここに住み念仏三昧し、正治元年に当地で入寂しました。樺崎八幡宮は、義兼の入定後、子の義氏によって八幡神を合祀したことに由来します。法界寺は、明治以降廃寺となりましたが、この地は樺崎八幡宮を含めて、足利源氏関係の遺跡として極めて貴重なものです』
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『樺崎八幡宮本殿
 桁行二間 梁間二間 両側面は高欄付縁張
 銅板葺  江戸時代
 樺崎八幡宮は、正治元年(1199)、足利義兼の入定の地に八幡神を勧請し、義兼の霊を合祀したことに由来する。
 本殿は、天和年間(1681~1684)の再建といわれ、昭和六十三年度・平成元年度の保存修理で、本来の造りであった隅木入春日造(軒唐破風)に復元した。
 この建物は、意匠上においても種々の面で卓抜したものがあり、歴史的由来とあわせて価値の高い建造物である。
 (昭和六十一年九月二十四日 足利市指定)

 足利義兼は、奥州藤原氏征伐の後、建久年間(1190~1199)、この地に下御堂(法界寺)を創建した。義兼は正治元年、当地にて入寂、その子義氏は、法界寺の緒堂宇を整備するとともに八幡神を勧請した。
 足利将軍家の衰退とともに法界寺もその庇護するところを失い、現在は樺崎八幡宮を残すのみである』
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『樺崎八幡宮について
 祭神 誉田別命 源義兼
 祭日 4月19日(春祭) 10月19日(例祭)
 1月1日(歳旦祭) 12月31日(大祓)
 由緒沿革
 鎌倉時代の建久年間(1190~1198)に足利義兼が鑁阿寺を創建し、理真上人にこの地を寄進して、法界寺(下御堂)を建立した。義兼自身も晩年はここに住み、正治元年(1199)に死去した。その子義氏は、ここに鑁阿寺の奥の院として赤御堂を建てた。これは義兼公の廟墓で、御影堂でもある。さらに八幡神をも祀った。
 八幡宮社殿は八幡山の中腹にあり、本殿床下には「足利義兼公御廟」の墓標が立てられている』
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 石段を上った先に拝殿がある。
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 拝殿。
 拝殿の中や本殿に関しては前回参照。ちなみに、叉依姫神社とは違って社殿裏に坂道は無い。が、裏山の中には琴平神社が鎮座しているのだそうだ。
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 拝殿の脇にひっそりと鎮座する厳島神社。
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 社殿北側に神楽殿。
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『北の郷物語 その六十話 樺崎八幡宮と大々神楽
 樺崎八幡宮は、康平六年(1063)、源義家の勧請と伝えられ、樺崎寺で生入定した源姓足利氏二代義兼が合祀されて以来同氏歴代の廟所となり、鑁阿寺の奥の院に位置付けられました。明治時代の神仏分離で樺崎八幡宮として存続が図られ、その後神社政策により合祀した赤坂宮内の示現神社の神楽殿を移築して伊勢からもたらされたと言う大々神楽十六座を氏子が奉納しました。昭和五十六年(1981)、神楽保存会が発足、平成三年(1991)に神楽殿を一新しています。
 大々神楽十六座
01 太平の舞  02 導きの舞  03 児屋根の舞
04 岩戸の舞  05 八幡の舞  06 恵比須の舞・火男の舞
07 大国の舞  08 鹿島の舞  09 住吉の舞
10 金山の舞  11 稲荷の舞・白狐の舞 12 水神の舞
13 山神の舞  14 織姫の舞  15 榊掘の舞
16 大蛇退治の舞』
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 坂道側から。ヨスガノソラのイメージボードっぽいのを狙ってみたが、画角がちと足りなかったようだ。
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 坂を下って行くと菅公廟。
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『北の郷物語 その百二十話 樺崎菅公廟と飛梅
 菅公こと菅原道真は、荒魂の雷神格の一方、和魂の文神格も勧請されました。明治十四年(1881)に地元有志が第十四区樺崎小学校に天神講の祠廟、菅公廟を建立、合併で北郷第三尋常小学校に移り、変遷を経て昭和三十八年(1963)、足利市立大月小学校に改称、移転した際、裏山に放置されました。平成十八年(2006)、住民の尽力で天神信仰を重んじた源氏の氏神社の樺崎八幡宮境内に遷座し、菅公を慕い京から大宰府に飛来した梅花の飛梅伝説に因み献梅されました』
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 境内に戻り、今度は社殿南側から。
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『多宝塔跡
 発掘調査では5.7×5.7mの大きさの礎石建物跡が確認され、14世紀には瓦葺きの建物に改修されていることがわかりました。樺崎寺の多宝塔は、1226年に4代住持になった熱田弁僧都重弘により、その父の供養のため建立されたとされています』
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 多宝塔跡。
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『供養等覆屋跡
 山の斜面の岩盤を削りだし、平らにしたところに3×3mの大きさの礎石建物が建てられていました。お堂の中には義兼の子、義氏の供養塔である五輪塔が置かれていたと伝えられています。
 樺崎八幡宮絵図には五輪塔10基が並ぶ足利氏御廟の右手に義氏の五輪塔が描かれています』
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 供養等覆屋跡。
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 供養等覆屋跡のそばに織姫神社。
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『礎石建物跡
 御廟跡北端の下層から出土した建物跡は3×3mの大きさで、周囲は1mの幅で縁が回り、建物の中央奥には石積基壇があります。周辺からは13世紀の瓦が出土しています。
 足利氏の一族等を供養するための、御廟の前身となる建物跡です』
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『足利氏御廟跡
 発掘調査では南北20.4m、東西6.5mの大きさの基壇が確認されました。この基壇の上に五輪塔10基が並べられ、瓦葺の覆屋が建てられていたことがわかっています。10基の五輪塔は足利氏歴代の供養塔で、明治の神仏分離令により菅田町の光得寺に移され、現在は保存処理中のため足利市教育委員会で保管しています。
 周辺から出土した瓦には「応永二十年」(1413)と書かれたものがあり、鎌倉公方・足利持氏によって先祖の廟所が整備されたと考えられます』
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 御廟跡。
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 南側へ下りて行くと、濠の跡かな。
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 神社南東に広がる池。
 K-7を地面すれすれまで下ろしてライブビュー撮影してみたが、液晶がろくに見えないので殆どノーファインダー状態。SONYのαやニコンD5000、パナのG/GHシリーズならこういった状況でも楽なのかも知れないけど、それだけの為に買う気にはならんなぁ。

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 ついでなので、樺崎八幡宮の東側、用水路脇に鎮座する子育て地蔵尊と厄除薬師如来堂。
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 庚申塔と青面金剛、地蔵尊。
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 庚申塔と青面金剛。

 以上で6月26日参拝分終了。そう言えば、足利市内の神社を参拝したのは、今年はここが初めてだ。殆どヨスガノソラとは関係無くなった上に過去の参拝時より詳細な内容になってしまったけど、ま、いいか。このブログは神社参拝日記だし。
 今回使用したのはK-7にDA15mmとDA21mm、FA43mm、FA77mm。K10DにFA31m。
 今月はあまり参拝できないかと思っていたが、なんだかんだで毎週動けていたのでそれなりに数行ったなぁ。むしろ先月と先々月がおかしいんだ。来月は新作ゲームがあったり、半年ぶりに足利に帰って来たダチと出かける約束が入っていたりするので、今月より参拝数は減りそう。
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八衢道祖神社(上台町)

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 佐野市駅の西口脇に鎮座する八衢道祖神社。
 奥に見えるのは佐野警察署南交番。地図を見ると上台町と七軒町の境にあってどちらなのか判り難い(Mapionでは神社と交番のどちらにカーソルを合わせても七軒町と表示される)が、栃木県警のサイトには上台町と記載されているのでそうなのだろう。
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 御祭神は八衢彦命と八衢姫命なのか、それとも猿田彦命なのか、どちらだろう?
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 この後、星宮神社を探して鐙塚町287番地まで行ってみたのだが、住宅ばかりで神社らしきものは見当らなかった。半ば予想していたとは言え、やはりがっかりするなぁ。
 そうなると、考えられるのは二つか。
 1.あぶつか公園南側の正体不明のお堂。
 2.嘗ては鐙塚町287にあったが遷座した。
 しかし、お堂の方は裏がお墓のようになっていたので星宮神社とは考え難い。そして遷座したとするなら、位置的にはあぶつか公園内の星宮神社こそがそれっぽい。この辺り、詳しいことが判らないのでさっぱりだ。

毘沙門堂(寺中町)

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 愛宕神社の南側にある植野小学校から西へ歩いて行くと、四辻の角に毘沙門堂がある。
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 三峯神社。
 田圃の中に祠のようなものが見えたので、行ってみると、
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 道祖神かとも思ったのだが、瓦に左三つ巴紋が見える。牛頭天王、と言うか八坂神社かな?

愛宕神社(植上町)

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 弟之神社前からずーっと南下して行くと、左手側に愛宕神社が鎮座している。
 MapionやYahoo地図を見ても、形はあれども名前は記されていない。MAPPLEには愛広神社と記載されているのだが、ググってみると「安蘇郡植野村郷土誌」に愛宕神社と記載されているようなので、こちらは愛宕神社なのだろう。ちなみに、その郷土誌には神社の由来が記されているそうなのだが、こちらの神社には由緒書き等は設置されていなかった。
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 本殿。

 9月11日追記。
 こちらの御祭神は軻遇突智命で、元和三年(1617)十月二十四日に高橋惣左衛門を始めとする高小路の住人が火伏せの為に丹波国桑田郡より分霊したのだそうだ。また、神仏判然令施行前は地蔵菩薩も祀られていたとのこと。

弟之神社(植野町)

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 愛宕神社から更に南下して行くと、佐野市駅の東、植野町公民館の隣に弟之神社が鎮座している。読み方は「おとのじんじゃ」でいいのかな?
 由緒書き等は見当らなかったので詳しいことは判らないが、弟之神社でググってみたら東照宮の一つとしてリストアップされているようなので、御祭神は徳川家康公なのだろうか?
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 拝殿。
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 本殿。扉の部分に牡丹の花のような彫刻が施されている。
 左側の木像は胸の部分に梅紋のようなものが見えるので、菅原道真公だろうか。
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 裏側に回ると、三峯山大権現。
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 壊れかけた祠があるが、どなたを祀ったものかは判らない。
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 稲荷神社…だと思う。額の部分には…なんだろう? 塚の部分は読めるのだが、その上が判らない。
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 壁際にも末社。これまた何神社かは判らず。

愛宕神社(金吹町)

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 金屋稲荷神社から金屋仲町交差点まで戻り、そこから南へ歩いて行くと金吹町公民館の隣に愛宕神社が鎮座している。
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『愛宕神社 縁起
 御祭神 火彦霊大神(ほむすびのおおかみ)
 元治元年(1864年)夏七月、世上騒然として各地に大火発生、人心の不安その極に達した。時に佐野のわたり?南の里に居住する先人たち相寄りかつてささやかなみやしろを創建し、火伏せの神として郷人の信仰をあつめていた。古事記伝によれば、天地創成の頃火を司どる日本最古の神さまであらせられる。その後、諸般の事情あって、大正三年(1914年)四月二十六日、朝日森天満宮に合祀されたが、昭和十年(1935年)の秋再び現在地に分祀されたのである。火はもののはじめ、縁の発するところとして縁結びの神とあがめられ明治年間には若い男女の参詣が絶えなかったという。現在の社殿は志あつい人々によって三度目の新築になるものである。願わくば広く一般の信仰ますます厚くなりますように』
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『地蔵尊について 沿革と霊験
年代その他はかならずしもつまびらかではないが、代々古老の伝え聞くところによれば、天保年間、一人の旅の行者の説得により近隣の人々力をあわせて佐野のわたり東の郷道に六体の地蔵尊を建立した。現在の高萩街道である。以来この地方の人々が遠路旅立ちの際には、この地蔵尊に供物をささげて旅の安全を祈願したという。まさに交通安全のみ佛である。別名六地蔵様と尊称されて参詣者の絶えることはない。明治末期信心深い町内の有志によって、現在地に移しまつり奉安されている。
本来の名は長寿のみ佛として延命地蔵さまと呼ばれていたが願いごと諸事叶う霊験のあらたかさによって、広く江湖の信仰をあつめているお地蔵さまである』
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 愛宕神社。
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 地蔵尊。右側には庚申塔、左側に六地蔵。
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金屋稲荷神社(金屋下町)

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 三日月神社から一本南の通りへ戻り、そこから東へ歩いて行くと、佐野小学校の北側に金屋稲荷神社が鎮座している。
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 参道右側に境内社。何神社なのかは不明。
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 狛犬。大分崩れてしまっている。
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 拝殿。
 手前の案内板には由緒等が記されていたのだろうが、殆ど読み取ることができない。
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 本殿裏側から。
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 境内端の壁際に青面金剛。
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 神社東側に金屋下町町内会所があり、その脇に地蔵堂。
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 金屋下町町内会所の脇に石祠が並んでいるが、これらは廃棄されたものなのだろうか。

三日月神社(大和町)

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 住吉神社から一本北の通りへ歩いて行くと、ヤマト医院の向い側に三日月神社が鎮座している。それにしても、この周辺はやたら医者が多いな。
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 鳥居と拝殿。東側には大和町公民館が隣接している。
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『三日月神社
 主祭神 月読命(ツキヨミノミコト)
 副祭神 少彦名命(スクナヒコナノミコト)
 文治二(一一八六)年。大明山の唐沢城主佐野太郎基綱の実家、佐野庄司成俊の娘のために安養院三日月庵を唐沢山麓安蘇川辺の青柳円寿堂境内に建て、さらにまた城内西の木戸葛の渓にある滝の上に社を建て、藤原秀郷の御内兜に安置してあった守護神をまつった。
 唐沢廃城に際し、三日月唐沢不動尊縁起など当社御本尊並びに、縁起物宝修法什物などを携えて、佐野小屋町三丁目(現在地)に移り、三日月堂を建立した。爾来、北中三丁目を初め諸信徒の祈願所となる。
 文化年間、三日月大神の金碧宮殿流れ母屋造りを造進、次いで祠堂を新築し、文政五(一八二二)年八月十五日、本社・拝殿とも竣工。明治五(一八七二)年、月読神社と改称した。
 大正四(一九一五)年九月十七日、社名を三日月神社と改称した』
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 降魔剣は三日月唐沢不動尊に関連したものだろうか。
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 拝殿の壁に掛けられた絵馬。
 現在の三日月神社とは大分違うようだが、唐沢山城が廃城になったのは慶長十二年(1607年)なので、この絵はその頃の様子を描いたものなのだろう。
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 石碑と青面金剛。

住吉神社(金屋仲町)

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 八坂神社北側の交差点から東へ歩いて行くと、くすのき整形外科の東側に住吉神社が鎮座している。
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 拝殿。

八坂神社(大祝町)

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 金山神社からまっすぐ東へ歩いて行くと、すぐに八坂神社。100m程しか離れていないので、金山神社前からでも見える。
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 八坂神社の奥に大祝町公民館があり、その隣に防火稲荷大明神。
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 その脇にとげぬき地蔵。
『とげぬき地蔵の由来記
 関東霊場の一つ、東京巣鴨とげぬき地蔵の分身にて、衆生済慶諸々の願いこめて祈念致しますと必ず願い事が叶う不思議な力を現す地蔵尊です。又は子育て地蔵とも申します』

金山神社(金井上町)

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 鹿島神社から北東に向かって歩いて行くと、大祝公園の北側に隣接して金山神社が鎮座している。
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 鳥居をくぐると、すぐ右手側に案内板。
『かねがみさまと天命鋳物
 佐野市は、その起源を天慶二年(九三九)そする鋳物の産地で、この地で造られた鋳物は天命(明)鋳物と呼ばれ、その伝統が今日まで連綿と息衝いています。
 当金山神社は、天命鋳物の最も栄えた江戸時代中期の寛保二年(一七四二)に創建され、「かねがみさま」と呼ばれて、鋳物師や住民の厚い信仰を集めていました。
 ご祭神は、金山彦命、金山姫命の二柱で、総称して金山大明神。創建当時の社殿は天命鋳物繁栄を象徴する荘厳華麗なものだったことが絵図(文化三年・一八○六)から想像されます。
 金山神社の歴史を物語る資料として、宝暦十年(一七六○)に書かれたという「天明鋳物師由来書」が納められていました。この古文書は、佐野の鋳物師達が金屋寺岡から金屋町に至る三度の住居変遷を記述した貴重な文書です。又、天保三年(一八三二)に鋳造された日光輪王寺梵鐘(今も時を告げている)。その木型が拝殿額として奉納されていました。(現在、佐野市郷土博物館に展示)
 私のこよなく愛する天命鋳物。その繁栄の時代に建造され、栄枯盛衰と共に、今日に至った「かねがみさま」への信仰が、市民並びに佐野を訪れる人達の心に、より深まることを願う次第です』
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 拝殿。
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 拝殿の扉には彫刻が施されている。
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『金井上町鎮守 金山神社由来記(抄)
 佐野は古くは天命(天明)と呼ばれ、平安朝の昔より鋳物業が殷賑を極めていた。製品は鳥居・燈籠(釣り燈籠)・銅祠・仏像・梵鐘・鰐口・茶の湯釜などが著名で、国の重要美術品に指定されたものも少なくない。中でも湯釜は室町時代、東の天命、西の芦屋と喧伝され、数多くの名品を世に送り出した。正に天命鋳物は、佐野市が全国に誇り得る美術工芸品である。
 鋳物を業とする人々、つまり鋳物師(いもじ)の崇敬篤い神が、通称カナガミ様と言われる「金山神社」である。御祭神は金山彦命(かなやまひこのみこと)・金山姫命(かなやまひめのみこと)の二神で、治安二(一○二二)年に祀られたと伝える。しかし、鋳物師達が金井上町・金屋仲町・金吹町などに定住したのは、唐澤山城主佐野信吉が城山公園に築城(春日岡城)の工を起こした慶長五(一六○○)年以降であるので、現在地ではない。
 伝承によると天命の鋳物師達は、はじめ旗川の東岸寺岡村に住居し、治安三(一○二三)年に犬伏宿鋳師入(どじのいり)に移り「安三」と銘打った茶釜を製造したという。更に大治元(一一二六)年、城山公園の西北に位置する是閑・田町・堀米朱雀に移住した。してみると金山神社は、犬伏宿に創祀されたことになる。
 慶長五年後、鋳物師達は町割の済んだ所定の場所に居を構えた。時を同じくして金山大明神を現在地に祀ったことだろう。寛保二(一七四二)年社殿を再築、次いで享和二(一八○二)年、江戸神田紺屋町二丁目の宮大工、田中伊兵衛が棟梁となり改築された。文化三(一八○六)年作成の「中山道例幣使道分間延絵図」には、鮮やかな朱の鳥居とともに、落成して間もない神社が描かれている。鋳物師達は改築を祝い、社前で燈籠二基・火鉢三個・平釜一個などを鋳吹き奉納した。なお社守いわゆる別当は、春日岡山惣宗寺の院主が代々勤めていた。
 日光・輪王寺には天保三(一八三二)年四月、天命鋳物師によって鋳造された梵鐘が、今なお時を告げている。かつて、この梵鐘の木型が拝殿に奉納されていた(佐野市郷土博物館に展示)。木型には前年の天保二年六月二十五日に、梵鐘鋳造に立ち会った作事奉行や日光奉行など七名が墨書されている。ほかに「大楽院様」と筆太にあるのは依頼主であろう。鋳物師は、大川四郎次をはじめとする大川・正田・小島・三木ら十八名であった。
 明治五(一八七二)年、神社は無格社に列せられ金井上町の鎮守となった。例大祭は九月十五日のほか、元日を歳旦祭(さいたんさい)と称して氏子のほか鋳物業に携わる人々がお詣り、家内安全・商売繁昌などを祈願する。なお平成十七年の秋祭りには、佐野鋳物工業組合の方たちにより「金鈴」が奉納された』

 ふむ、佐野は古くは天命もしくは天明と呼ばれていた、と。すると浅田神社の天命総社と言うのは佐野の総社と言うことになるのか。…馬門町一帯の総社ではあっても、佐野の総社と言うのはどうかなぁ。

鹿島神社(赤坂町)

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 鷹部屋稲荷神社から北へ少し戻ると、佐野厄除大師の南東に鹿島神社が鎮座している。
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『鹿島神社
一、主祭神 健御雷命
一、配神 大日孁貴命・伊邪那美命・豊受姫命
一、境内神社 八坂神社・織姫神社・秋葉神社・三峯神社
一、鎮座地 佐野市赤坂町五番地
一、由緒沿革
 西暦九四三年(天慶六年)十一月十九日
  俵藤太秀郷のちの藤原秀郷公(下野武蔵守)
  平将門(下総国)征伐勅命により、鹿島大神(常陸国)に戦勝祈願する。
  遂に勝利を収め、従四位下に叙せられ下野武蔵の両守に任ぜられる。
  秀郷公ますます神霊の奇験を感じ鹿島本宮より、当国佐野の庄
  天明山鹿沢城内の藤ヶ崎に奉遷し、田原家の軍守神と崇敬し
  その後、佐野安房守基綱の代に佐野の庄春日山(現・城山公園)に移遷した。
 西暦一、六○二年(慶長七年)
  秀郷の末裔佐野信吉公、徳川公の命に因り春日山に築城していたとき、
  本社を天明郷三海に遷祀した。
 西暦一、六二七年(寛永四年)十一月十七日
  赤坂村字小路(現・佐野市赤坂町五番地)に遷祀し、以後今日の鹿島神社を
  中心として繊維産業が隆盛となり、赤坂町の発展へと繋がれ、氏子の人達から
  氏神様として信仰を集めている。
 西暦一、六七一年(寛文十年)
  本社再建
 西暦一、七一八年(享保三年)
  神位宗源宣旨を以て正一位を授けられ正一位鹿島大明神と称す。
 西暦一、八七二年(明治五年)
  鹿島神社と改め村社に列せられ現在にいたる』
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 拝殿と本殿。
 本殿は周囲を囲まれていてよく見えないが、なぜか天井は覆われていない。
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 拝殿の前左脇に三峯神社と庚申塔。
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 拝殿右側に八坂神社と織姫神社。妙に味気無さを感じるのは何故だろう。
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 本殿裏側から。
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 御神木。奥に見えるのは厄除大師。
 厄除大師にはお参りしなかったのだが、境内には東照宮や春日稲荷神社、愛宕神社なども祀られているそうだ。

鷹部屋稲荷神社(赤坂町)

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 神明宮前の道を南下して行くと、そのうち左手側に鷹部屋稲荷神社が見えて来る。拝殿の脇に駐車できそうなスペースはあるのだが、チェーンが張られていたのでそちらから入ることはできなかった。しかたがないので、この時間なら車の通りは殆ど無いだろうと思い、鳥居前の道端に停車。と言うことで手早く参拝しよう。
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 参道左手側に境内社。脇の石碑に扶桑教の文字があるので、浅間神社だろう。
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 拝殿。
 鷹部屋稲荷神社という珍しい名前だが、鷹狩りと何か関係あるのかな。
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 本殿。

神明宮(天明町)

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 足利から佐野へと県道67号線を東へ向かい、秋山川を越えると大町交差点があるので、そこで南へ折れるとすぐに神明宮が鎮座している。幸いにも社務所前にチェーンなどは掛けられていなかったので、駐車スペースには困らなかった。
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 本殿。
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 境内社。
 後ろに神明宮・八坂大神両社新築記念碑が建てられていたが、本殿の前に八坂神社と思われる神輿が置かれていたので、こちらが八坂神社というわけではないようだ。宝珠型のような窓もあるし、稲荷神社なのかな?
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 由緒っぽいものが刻まれているが、二つに折れていたりALL漢文だったりで、よく判らない。

浅沼八幡宮(浅沼町)

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 浅沼町交差点の脇に位置するロックタウン佐野店内の宮脇書店で漫画やらTRPGリプレイやらを買い込み、ロックタウン南西の浅沼八幡宮へ。
 境内駐車禁止との看板が立てられていたが、今回は徒歩なので問題無し。
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『八百年祭記念碑
 阿曽沼城は鎌倉に源氏の幕府が開かれようとした十二世紀末、治承のころ、藤原秀郷流阿曽沼民部四郎広綱公によって築かれ、以来阿曽沼氏歴代の領内経営の根據であった。さらに築城と同時にその守護神として八幡宮を創祀し深い信仰を捧げてきた。鎌倉武将として誉れ高い広綱公から四百三十余年の間阿曽沼氏を城主として栄えてきたが、慶長十九年(1614年)、宗家がこの土地を離れるに及んで阿曽沼城もついに廃城となった。
 爾来三百六十余年、八幡宮は鎮守の神として里人の崇敬ますます厚く、幾たびか社殿の増改築が行なわれて今日に至っている。境内には当時の土塁と濠の一部が残り、八百年の栄枯の歴史と盛衰の面影を偲ばせている。
 終戦以来三十三年間、国をあげて郷土を守り、自然の風致を愛護する風潮日と共に高まり、環境保全の運動も勃興して、鎮守神の信仰もいよいよ昂揚せられる時期となる。
 昭和五十一年(1976年)十一月、氏子総代と町内の有志が発起人となり八幡宮創祀、広綱公築城八百年祭奉賛会を設立し、その記念の事業を企てたところ、地区内外七百五十余名に及ぶ敬神各位のご理解ある協賛を得て社殿及び境内の改修復旧の工事を行なう。輪奐美しく、荘厳さを増した神域として整備されて、八百年祭を執り行う運びとなる。
 浅沼八幡宮のご新徳をいよいよ宣揚し、草創以来の祖業を顕彰するとともに、浅沼の歴史を永く後世に伝え留めるためご協力をよせられた各位に心からの感謝を捧げるものである。
 昭和五十三年九月十七日』
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 拝殿。
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 狛犬。
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 拝殿右側に阿曽沼城之跡と記された石碑が建てられている。
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 拝殿左側に正一位七社大神宮。
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 天満大自在天神、金山大神宮、冨士宮大神宮、前之宮大神宮、稲荷大明神と記されているが、これでは七社ではなく五社ではないだろうか。
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 七社大神宮の裏に並ぶ末社群。
 左から稲荷神社、金山神社、大塔宮社、前之宮神社、冨士神社。
 大塔宮社が天満宮社なら、先程の板に書かれていたものと一致するが、しかしどう見ても天満宮社ではなく大塔宮社だった。ところで、大塔宮社と言うことは護良親王を祀っているのだろうか?
(6月27日追記。
 大塔宮社に護良親王を祀っているのかと言う予想は、どうやら合っていたようだ。鐙塚とこちらの八幡宮には護良親王の首塚があると言う伝説が残っており、その首を運んだのが阿曽沼民部五郎と言う人物であるのだそうだ)
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 三峯神社。
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 石祠には特に記されてはいなかったが、恵比寿神の像が置かれているところを見ると、やはり恵比寿様を祀っているのかな。
 また、石祠の上には案内板が設置され、それには
『この濠はおよそ八百年前、阿曽沼広綱公によって築かれた阿曽沼城(八幡宮の境内を北隅として東西役一八七m、南北約二三五m、面積約四三九ヘクタールの規模)のお濠の残りで、佐野市重要文化財に指定されています。大切に保存しましょう』
 と書かれている。
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 八幡宮社殿裏に八坂神社。
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『佐野市指定重要文化財 阿曽沼城跡鴛鴦塚碑
 この地はおよそ八百年前に阿曽沼民部大輔広綱によって築かれ戦国末に廃城となるまでの四百年間阿曽沼城のあった所である。
 鎌倉幕府の有力な武将阿曽沼(浅沼)氏は、この城によって本拠地阿曽沼郷をはじめ、軍功によって賜わった遠野(岩手県遠野市一帯)、世能(広島県の一部)、飯田(長野県飯田市)その他の所領を統治した。
 城は鎌倉時代の他の城と同じく周囲に濠をめぐらし土塁と防柵に囲まれた典型的な方形平城で、約四千六百平方メートルの広さであった。
 社殿向かって左手のおしどり塚歌碑は鎌倉時代の弘安六年(1283年)に書かれた沙石集の歌を書いたものである』
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 こちらがその鴛鴦塚歌碑。
『自然石を使った碑面に「日くるればさそひしものを安蘇沼のまこもがくれのひとりねぞうき」とあり、裏面には天保2年(1831)とある。
 碑はもと相生町の千鳥が渕にあったが、明治年間に現在地へ移したものといわれ、昭和44年市の有形文化財に指定された』

 以上で6月19日参拝分終了。今週は三社だけ。

伊勢山大神宮(伊勢山町)

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 あぶつか公園の西側を走る県道270号線を北へ歩いて行くと、伊勢山町交差点の南東、ハウス食品関東工場の北側に伊勢山大神宮が鎮座している。
 由緒書き等は見当らないなと思っていたら、隣接する犬伏東こどもクラブの裏に伊勢山公民館・伊勢山大神宮建設記念碑が建てられていた。
『趣意書
 私たちが先祖から引きつづき住んでいる、ここ佐野市伊勢山町は古くは江戸時代中期ごろ例幣使街道の宿場町として栄えた犬伏の宿の南に位置し、居住民一同揃って敬神崇祖の美風を受けつぎ、報恩感謝の一大事業として、心より敬慕する伊勢皇太神宮に、御神楽を奉納し、内宮・外宮を参拝し、御神体を拝受して、町内の現在地を選び奉安するため、昭和六十年遺産を投じて伊勢山大神宮と公民館を新築して今日に至っている。
 よってここに由来を記述し銘を刻む。
 昭和六十年八月吉日』

 昭和60年と言うと1985年だから、創建から25年しか経っていないのかとも思ったが、拝殿裏に建てられた鳥居が昭和49年2月6日に奉納されているのだから、創建自体はもっと古いのだろう。
 この建設にかかった費用は、地域住人15名が先祖伝来の共有山林5.5キロ平米を犬伏東小学校用地として売却して資金に当てたのだそうだ。
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 狛犬。
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 拝殿の裏側にも鳥居。
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 拝殿の下に…なんだろう? 丸太のようなものが見えるが、御神木の跡と言う感じでもない。樺崎八幡宮の下には足利義兼公の墓標が立てられていたが、これもそのようなものなのだろうか。或いはこれが拝受したと言う御神体? …の訳はないな。

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 ハウス食品関東工場の東を流れる三杉川の渕から望む三毳山。
 8月15日の大文字焼きではここに点火されるのだろう。すると、大の文字の下にちらりと見える屋根が八幡神社だろうか。

星宮神社(栄町)

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 天気予報では昼頃には雨が上がるようなので、いつもよりは遅めの時間ではあるけど、出発。多少は降られても良いように、念の為にDA18-55mm WRを装着して行ったのだが…よく晴れたなぁ。
 そんな訳で、こちらは栄町にあるあぶつか公園内の星宮神社。こちらの公園には駐車場は無いと佐野市のオフィシャルサイトに書かれており、地図を見ても近くに駐車できそうな場所も見当らなかったので、文化会館に停めて東へ1.2km程歩くと鐙塚公園。ちなみに、公園北側の通りに車が数台並んでいたので、公園を利用する人はそこに停めるのも少なくないようだ。
 また、途中でニッカポリマの前を通りかかったら、敷地内に割と大きめな稲荷神社を発見。鳥居(額には丸東稲荷神社と書かれていた)やお狐様もあるので、よく信仰されているのかな。
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 青面金剛堂と庚申塔。
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 青面金剛。
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 青面金剛堂の隣にネットの張られた祠があったが、こちらが何神社なのかは判らず。
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 鳥居。
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 石仏とかなんかよく判らんもの。
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 拝殿。
 由緒や御祭神などは不明。
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 拝殿左側に八坂神社。
 改築記念碑には昭和63年11月吉日竣工と記されており、星宮神社と八坂神社を一緒に改築したようだ。
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 拝殿前右側に浅間宮。
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 浅間宮の横に末社が並んでいるが、何神社かは不明。左側の石祠には萬延元庚申年(1860年)十一月吉日とあり、右側の石祠には明治廿七年(1894年)五月吉日とあった。
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 社殿裏右手側にも末社。こちらも不明。
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 社殿裏左手側に末社二つ。やはりこちらも不明。

 この後、鐙塚町287番地にも星宮神社があるそうなので探してみたのだが、見つからなかった。Mapionで見ると、あぶつか公園の南側が鐙塚町289番地なのですぐ近くなのだろうと思っていたのだが、それらしきものは無し。お堂のようなものはあったのだが、神社ではなさそうだ。
 なので、帰宅してからGoogleで検索をかけてみたら、そのお堂よりもう少し南に行ったところが287番地だったらしい。先に調べておけば……○刀乙

浅田神社(馬門町)

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 県道9号佐野古河線を北上して行くと、界小学校の東側に浅田神社が鎮座している。
 社号標石には「下毛野国 天命総社」とあり、また鳥居の額にも天命総社と書かれているが、こちらは浅田神社。
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 鳥居をくぐって右手側に八坂神社。
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 左手側に粟嶋神社。
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 参道右手側に仙元神社。
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 参道左手側には御嶽山神社と嶽普明大神。その左奥に阿留摩耶大権現。
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 神楽殿、だろう多分。
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 五霊神社。
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 五霊神社の隣に馬頭観音…かな? 仏様の頭上に小さな上半身が乗っているようにも見えるので、十面鬼ゴルゴス…じゃなくて宇賀辯才天のようにも思えるが、はてさて。
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 なんだろうと覗き込んでみたら、いきなりギョロリとした目の木馬と目が合ってしまった。上の写真ではそれなりに明るく見えるが、実際には薄暗い中に馬の首が浮かんでいるように見えるので、少しびっくりする。
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 拝殿。
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 額には天命惣社浅田大神とあるが、御祭神はどなた様だろう? 由緒書き等は見当らなかったのでいつものようにググってみると、景行天皇五十六年(126年)に勧請されたもので、古くは天命総社や阿曾大神宮とも称していたそうだが、大神宮ということは御祭神は天照大神になるのだろうか。阿曾はこの辺りが以前は安蘇郡だったからかな。
 こちらの御祭神は大己貴命と事代主命、豊城命の三柱で、蝦夷征伐に向かう日本武尊がこちらに神籬を建て(630年のことであるらしい)、後、その址に神社を建てて天命郷の総鎮守となったのだとか。また、現在の社殿は1854年(嘉永六年~七年)に建てられたものだそうだ。
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 狛犬。
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 本殿。
 本殿の壁には見事な彫刻が施されていたが、なんの話を描いたものなのか判らなかった。

 以上で6月12日参拝分終了。
 使用したのはK-7にDA15mmとDA21mm、FA28mm、DA70mm、APO-LANTHAR 180mm。K10DにFA50mm。そしてPowersht G7。さすがに180mmは神社撮影で使うには長すぎて使い所に困る。写り自体は好きなので、広ささえあれば積極的に使ってみたいレンズではあるのだけれどなぁ。

稲荷神社(藤岡町都賀大谷田)

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 金吾堂製菓栃木工場の南東に鎮座する稲荷神社。駐車場は見当らないので、都賀集会所の駐車場に停めてそこから徒歩。
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 拝殿。
 拝殿右手側に社殿改築記念碑があったが、由緒などは記されていなかった。
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 お狐様。
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 拝殿裏手右側に境内社。
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 左手側に末社とお狐様。

幸神社(藤岡町都賀台沼)

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 天満宮から北西へ向かうと幸神社が鎮座している。県道9号線沿いにあるエネオス藤岡西SS北側の交差点で西に折れるとすぐの場所。
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 拝殿。
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 鈴は無く、なぜか代わりに棒がぶら下がっている。
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 改築記念碑。
 由緒も記されているのだが、所々で文字が薄くなっていて読み取り難い。とりあえず判る範囲では、こちらの御祭神は猿田彦命で正徳元年(1711年)に創建され、紀元2600年奉祝記念として社殿の改築が行われたのだそうだ。この石碑が建てられたのは昭和15年11月23日であるようなので、確かに紀元2600年だ。
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 社殿裏に末社。
 かなり傷んでいるが、水らしき文字が見えるので水神宮かも。
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 神社前の三叉路脇にお地蔵様。
 宝暦六丙子十一月とあるので、1756年に作られたもののようだ。

天満宮(藤岡町都賀台沼)

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 県道9号線と三杉川の中間辺り(9号線の西側、三杉川の東側)に位置する天満宮。
 MAPPLE、Mapion、Yahoo地図のいずれにおいても白山神社と記載されているのだが、行ってみたら拝殿の軒下に天満宮と書かれた額が掛かっていた。鳥居には額は無い。
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 狛犬。
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 社務所や集会所も兼ねているのだろうが、注連縄が無かったらとても神社には見えないだろう。
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 しっかり天満宮と書かれている。白山神社はどこへ?
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 末社群。
 中央は神明宮で、その右が天満宮。他は不明。

嶽神社(藤岡町都賀川沼)

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 県道9号佐野古河線を西へ走って行くと、9号線脇に嶽神社が鎮座している。途中に金比羅神社もあったのだが、うっかり通り過ぎてしまったので、そちらはまた後日と言うことにしよう。戻るのめどい。
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 拝殿。
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 額は無いが、拝殿正面に上半身だけの狛犬が五つ並び、拝殿側面にも同様の狛犬が並んでいた。
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 嶽神社・公民館移転新築記念碑。
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『村社嶽神社は文明十三年(1481年)九月創建、日本武尊命を祀り天正元年(1573年)八幡神社を合社、安政五年(1858年)十一月再建、昭和四十八年(1973年)十一月建設省起業渡良瀬川下流改修工事に依り已むなく移築の運びとなり、昭和五十年(1975年)十月建設委員会を設立。一年余の歳月を有し、嶽神社および浅間神社は、創建地より北西約十米、公民館は北に約十米、移転新築す』

 細かいツッコミになるが、日本武尊命ってヤマトタケルノミコトノミコトって読むのかな?
 それはそれとして、こちらの神社は嶽神社に八幡神社を合祀しており、浅間神社は境内社ってことなのかな。
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 大乗妙典六十六部廻国供養塔。
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 水神宮。
 境内ではなく、渡良瀬川の流れる南側を向いている。
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 これまた南側を向いた境内社。こちらが浅間神社なのだろうか。

田中霊祠(藤岡町藤岡山合)

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 六所神社から南へ走って行けば大前神社まではそう遠くないのだが、ここまで予定より少し時間がかかってしまっていたので今回そちらはパスすることにして、県道168号線まで戻ったら南へ下って行くと高取交差点に出るので、そこから少し東へ向かうとすぐに田中霊祠が見えて来る。
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 鳥居と祠号標石。
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『田中霊祠
 足尾銅山鉱毒事件と谷中村の貯水池化による廃村反対運動に生涯をかけた田中正造翁の5分骨の1つとカツ子夫人を祀ったものです。
 田中正造翁は、大正2年(1912)9月4日73才で死去し、雲龍寺(館林市)で密葬、総宗寺(佐野市)で葬儀後分骨式が行われ、旧谷中村高沙の嶋田熊吉邸内に、田中霊祠として奉られましたが、渡良瀬川河川改修により、大正6年(1916)3月3日現在の地へ移り、以来毎年4月4日を例祭日としている』
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 田中霊祠拝殿造営之碑。
 これには田中正造翁の功績が記されているのだが、かなり大きい石碑にびっしりと刻まれているので書き写す気にはなれない。
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 歌碑。正直読めない。
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「義気堂々貫白虹 昭和四年九月 於田中霊祠前 頭山満」と刻まれている。
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 浅間神社。
『此の浅間神社は文久元年(1861年)谷中村石橋の袂に建立したものを大正六年(1917年)現在地に移し平成十年(1998年)一月吉日再建したものである』
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 物置、かな?
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 拝殿。
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 額には「田中霊祠」の脇に内閣総理大臣鳩山一郎書とある。

六所神社(藤岡町甲本郷東)

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 天満宮から県道168号静藤岡線を越えて東へ向かって行くと、真言宗豊山派長福寺福寿院の南東に六所神社が鎮座している。福寿院北側の十字路に六所神社の社号標石が建てられていたのだが、丁度その辺りで測量を行なっていたのでそちらの撮影はパス。
 また、途中の田圃の中に赤城神社もあったのだが、駐車スペースが無いのでスルー。
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 鳥居。
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 参道左手側に境内社。何神社なのかは判らないが、この手のタイプは八坂神社の御神輿が納められていることが多いような気がする。
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 参道右手側に神楽殿。
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 参道左手側に社殿改築記念碑。内閣総理大臣岸信介書と記されているが、一体どんな関係が?
 裏側に由緒でも記されていないかと期待したのだが、そんなものは無かった。
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 拝殿。
 由緒書き等が見当らないので詳細は不明。名前から察するに、六つの神社を合祀しているのだろうか。
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 狛犬。
 鱗を思わせる体表のでこぼこは神倉神社の狛犬を思い出すが、あちらとはまた違う造形だ。角と擬宝珠も付いている。
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 本殿。
 DSLRではレンズが瑞垣に引っかかってしまうので、隙間からPowershot G7で撮影。こういう時にコンパクト機は便利だが、でももう少し広角も欲しいかも。
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 拝殿左手側に境内社。
 は宮神社のように見えるが、そんなわけはないので一体なんだろう?
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 その後ろに根本山神社。
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 御神輿が二つ納められていたが、中には愛宕山と書かれた額も掛けられていた。
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 内側の壁に六所神社天満宮と書かれた板が打ちつけられていたので、こちらは天満宮なのだろう。
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天満宮(藤岡町甲新井新田)

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 藤田神社から東へ向かい、三鴨小学校の先にある三鴨公民館西側の道を南へ下って行くと右手側に天満宮の鳥居が見えて来る。
 天満宮の向い側に駐車場らしきスペースがあるが、よく判らないので新井公民館兼社務所の横に駐車。
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 神社合祀碑。
 ところどころ読めない部分があるので抜粋すると、こちらの御祭神は正一位菅原道真公で、例祭日は陰暦の3月25日と9月25日。他に番場の無格社神明宮(祭神は大日靈貴尊。例祭は陰暦11月15日)と同じく番場の無格社北宮神社(祭神は大己貴命。例祭は陰暦10月20日)、立堀の無格社八幡宮(祭神は誉田別命。例祭は陰暦8月15日)、前谷の無格社厳島神社(祭神は市杵嶋姫命。例祭は陰暦4月初巳)を明治40年に合祀したようだ。
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 狛犬。
 微妙にイっちゃってる目つきが怖い。
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 拝殿。
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 八坂神社。右側の石祠は八幡大菩薩。
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 幣殿の下に置かれたこれは山車だろうか。

藤田神社(越名町)

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 願成寺橋を渡り、西へ歩いて行くと田圃の中に藤田神社の鳥居が見えて来る。
 畦道を車で入って行くのは無理っぽいと思って川岸に車を置いたまま歩いて来たのだが、神社の西にある金蔵院側からなら社務所前まで舗装路が続いていた○刀乙
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 拝殿。
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 石段とスロープの脇に小さな狛犬。
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 社殿改築・社務所改築記念碑
『天慶年中(九三八~九四七)藤原秀郷公が勧請したと伝えられている。
 元は越名字元社に鎮座していたが、嘉吉三年(一四四一)十一月十九日現在地に遷したと伝えられている。
 元和四年(一六一八)の頃は藤太大明神とも称されていた。
 宝永五年(一七○八)三月二十五日神階正一位を賜る。
 文政九年(一八二六)十二月再建、昭和二十六年(一九五一)拝殿の改修がなされたが、本殿、幣殿、拝殿ともにいたみがひどく、須藤真通氏の善意により社殿を改築、また当社には社務所も無いところから、須藤盛皓氏のご好意により社務所も新築することとなり、両氏の多額の御奉賛に対して、氏子一同力を協せここに完成させることができた』

 藤太大明神と言うことは、俵藤太を祭神としているのだろうか? 藤太が藤田に変化したと言うのもありえないではないが、しかし勧請した人が藤原秀郷公本人とあっては、それも考え難い。そもそもどこから勧請したのかも判らない。
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 社殿裏に並ぶ末社群と庚申塔など。
 左奥から不明、角行霊神・食行霊神、赤城大明神、不明(稲荷神社かも)、八幡宮、不明x4。
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 三猿ではなく二猿と言うのは珍しいなぁ。そして青面金剛。
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 北西へと目を遣れば、三毳山の姿が見える。

金蹄神社(藤岡町都賀西幡張)

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 星宮神社から南西へ向かい、突き当たったら西へ向かうと東北自動車道と三杉川の中間辺りに金蹄神社が鎮座している…のだが、途中で一本道を間違えてしまった為に、県道9号線を経由してぐるりと遠回りをしてしまった○刀乙
 写真を見れば判るように、駐車スペースなど確保しようがないので願成寺橋の東、三杉川沿いの待避所に駐車。
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 当然のように由緒書きなどは無く、ググってみても金蹄神社に関する情報は見当らない。
 名前から察するに、馬力神のようなものなのだろうか。

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 三杉川沿いの待避所(じゃないのかも知れんけど)に設置されていた鳥居のようなもの。
 小便禁止とかごみ捨て禁止などに鳥居マークが使われると言う話は聞いたことがあるが、これもそのようなものなのだろう。

星宮神社(藤岡町都賀東幡張)

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 道の駅みかもの400m程南側に鎮座する星宮神社。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
 由緒書きなどは見当らなかったが、ググってみたらこちらの御祭神は天香々背男命であるそうだ。…もしかして、三毳山の麓にある天香々背男命を祀った神社の三箇所目って、ここか?
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 狛犬。
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 社殿裏手右側に末社。
 左奥は天満宮・雷電宮。左手前は不明。右の崩れた石祠も不明だが、冨士の文字が刻まれていた。
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 社殿左手側に末社群。
 左から水神宮、庚申社、稲荷神社、雷電神社、八幡神社、愛宕神社、天満宮、八坂神社、厳島神社、稲荷神社。
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 神楽殿兼物置?
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 駐車場側から。

琴平神社(藤岡町大田和)

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 三毳神社から西へ下りると山頂中継広場があり、そこの案内板を見ると天狗岩の脇に琴平神社があるようなので、標識に従って歩いて行くと、
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 琴平神社はっけーん。
 神社の後ろの岩が天狗岩であるそうだ。
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『三毳山の名石(藤岡町)
 天狗岩
 三毳山七石のひとつ。相模の国最乗寺の守護神道了天狗を祀る。渡良瀬川舟運の信仰の一つ』
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 天狗岩。

 下りでは七曲がり坂を下りて行ったのだが、所々ショートカットできる階段が設置されている為、かなり楽だった。

三毳神社(藤岡町大田和)

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 みかも山公園南口の東側に鎮座する三毳神社の里宮。
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 狛犬。
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 鳥居と手水舎。
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 里宮の拝殿。
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 神楽殿。
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 神楽殿の脇に万葉歌碑。
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『万葉歌碑(藤岡町指定文化財第六号)
 万葉歌碑は昭和二十二年五月三日日本国憲法制定を記念して建てられました。これは「万葉集」巻十四東歌の一首を刻んだもので、
  しもつけぬ  みかもの山の
   こならのす  まくはしころは
           たかけかもたむ
 とあり、解釈についてはいろいろありますが、下野国(現在の栃木県)の三毳山にはえている小楢の木のようにかわいらしい娘は、いったい誰の笥(食器)を持つ、すなわち誰の妻になるだろうか、という意味です。
 昭和五十九年二月』
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 参道脇に末社群。
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 南口広場東側の散策道入口。
 案内図を見ると、うねうねと曲がりくねっている七曲がり坂より奥宮まで一直線に続いている散策道の方が早そうだと思ったのだが……。
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 思いの他勾配がきついが、この辺はまだ楽なうち。
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 舗装路に出て、この案内板から先がきつい。たかが200mと侮ってはいけない。
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 続く石段。
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 途中からは岩場になるが、その脇に階段が作られているのでそちらを使ったほうが楽。それでもここまでに息が切れて、休み休み上っていたりするのだけれど。
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『三毳山の名石(藤岡町)
 日本武尊の足跡石
 三毳山七石のひとつ。参道の石段の一つ。大きな足跡は巨人にふさわしい』

 三毳山七石と書かれているが、藤岡側に七石(日本武尊の足跡石・硯石・天狗岩・謙信の鞍掛石・夫婦石・蝋燭岩・犬石)と佐野側に七石(黒立岩・牛石・犬石・花籠岩・唐土岩・姥石)の計十四の巨石があるようだ。さすがに全部を見て回る気にはなれないけれど。
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 足跡石を別角度から。
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 ひぃひぃ言いながら上って行くと、そろそろゴール間近を思わせる石段が見えて来る。
 それにしても、いくら山登りが久しぶりとは言え、体力無さすぎだろう、自分。
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 あ゛ー、まだ上り階段がぁー。
 しかし、きっとこれを上れば奥宮に違いない。でもその前に息を整えて、と。
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 階段途中で振り返ると、都賀が一望できる。
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 よし、奥宮だ!
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 もう一度振り返ってみたり。
 三毳山の標高は229mだそうだが、この辺りだと標高はどれくらいなのだろう。
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 本殿。
 こちらの御祭神は主祭神に日本武尊、配祀神に天香々背男命と聞いていたが、八坂神社も合祀されているのだろうか。
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 社殿裏手に末社。
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 神社裏から西へ下りて行くと、途中に硯石がある。
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『三毳山の名石(藤岡町)
 硯石
 三毳山七石のひとつ。弘法大師がこの硯を使って龍の字を書き、降雨祈願をしたという』
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 石の中央がくぼんでいて、確かに硯のように見えないこともない。
 この硯石の伝説から鑑みるに、先程の十海龍神は弘法大師の祈念によって現れた龍神を祀ったものとみるべきだろうか。まぁ、弘法大師云々は眉唾物だが、雨乞いで龍神や雷神に祈るのはよくあることだから、そう見当外れでもないと思う。
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