朝日森天満宮(天神町)

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 星宮神社北口から西へ50m程歩いて行くと、十字路北側に朝日森天満宮の一の鳥居がでんとそびえている。

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星宮神社(大蔵町)

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 例幣使街道を東へ戻って行くと、味噌まんじゅう屋と佐野信用金庫の間から星宮神社の参道が北へと伸びている。
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 銅造鳥居と狛犬。
 狛犬の後ろに案内板が設置されている。
『銅造鳥居
 享保二十乙卯年(1735)三月金屋町総鋳物師棟梁大工職という刻名がある。
 天明鋳物の名匠たちが協力し、天明宿の総氏子が奉納した明神鳥居である。
 昭和三十三年(1958)に市の有形文化財に指定された。
 当神社は、節分祭が行われることで有名である。
 高さ 424cm、柱周囲 106.05cm』
『和算の額
 天和三年(1683)当地出身江戸住の村上庄兵衛吉重の奉納による和算の額である。長い間風雨にさらされ、さらに火災にあって判読は困難であるが、文面は別に記録されている』
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 鳥居の右側に境内社。
 左側が機殿神社で右側が高礼稲荷神社。小さな石祠も見えるが、よく判らない。
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 機殿神社と高礼稲荷神社の間にも石祠がみつしりと詰まっている。
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 石段脇の御神燈も金属製。
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 拝殿。
 由緒書き等は見当らなかったが、栃木県神社庁のサイトに星宮神社の記述があった。それによると、創建時期は久安年中(1145~1150)で、延宝四年(1677)に逝去した領主井伊掃部頭直澄の遺金と近郷奉賀金三五○両をもって、天和三年(1683)に社殿を改築して現在に至っているそうだ。また、プチ神楽殿さんには星宮神社が天明宿の氏神として祀られる前は犬伏地区富岡にあり、これを慶長五年(1600)佐野修理大夫信吉が現在地に移転させたとの記述もある。旧社地は七ツ塚と呼ばれ、塚を北斗七星の形に配置してこの地を星宮妙見大菩薩を祀る地としているのだとか。
 主祭神は天津日高彦瓊々杵尊で、配祀神に磐裂神・根裂神。神仏判然令施行前までは虚空蔵菩薩も祀っていたそうだ。
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 本殿を横から。
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 本殿の右側に浅間神社。
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 本殿の裏を回って星宮雷電神社。
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 神楽殿。
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 神楽殿の脇に小さな…稲荷神社かな。
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 階段を下りると厳島神社。
 御神使の蛇も鋳物で造られているのかな。
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 階段から振り返って拝殿を見上げてみたり。
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 星宮神社北口。
 こちらが駐車場になっているようだが、今回は徒歩なのであまり関係無い。

 参拝した時には気付かなかったのだが、どうやら敷地の外に庚申宮があったらしい。また、境内社を線で繋ぐと北斗七星の形になるそうなのだが…なるか? 厳島神社が貪狼星(ドゥーベ)、雷電神社が巨門星(メラク)、浅間神社が禄存星(フェクダ)、星宮神社が文曲星(メグレズ)、機殿神社が廉貞星(アリオト)、高札稲荷神社が武曲星(ミザール)、庚申宮が破軍星(ベネトナシュ)と見れば、文曲星の位置がずれていることを除けば、まぁ、なるか。

熊野神社(大町)

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 例幣使街道を西へ向かい、大町交差点で北へ折れると大町公民館の隣に熊野神社が鎮座している。
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    『熊野神社由緒
     所在地  栃木県佐野市大町八四四番地(両毛線佐野駅より1.5キロ
     主祭神  伊弉那岐命、伊弉那美命
     神 紋  三ツ巴
     例 祭  四月九日(春) 十月九日(秋)
           神社は昔、寺子屋の発祥地に依り現在でも
          春祭には地元小学校入学児童の祈願祭有り
     殿 造  本殿流造り瓦葺き 間口一間 奥行一間一坪
           幣殿瓦葺 一・四坪
           拝殿瓦葺 五・○坪
     社務所  平屋造り瓦葺き 一○坪
     鳥 居  一基 神明造り花崗岩
     境内地  四八・九九坪 参道 岩船石
     宮 司  星宮々司 新村貴一
     氏 子  一七○戸 昭和四十七年前後
           崇敬者 五○○名
     由 緒 沿革慶長年間天明小屋町地区地割後田沼町より奉還せり
     (年号)慶長 (年代)一六一三年社』
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 拝殿。
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 本殿。
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 境内奥には出流天狗受難碑などの石碑が並ぶ中に「月山・湯殿山・羽黒山」と彫られた板碑もあった。

地久稲荷神社(万町)

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 孫太郎神社から南へ歩いて行くと、例幣使街道に出る手前に地久稲荷神社が鎮座している。
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 拝殿。
 こちらの由緒などは判らなかったので、例によってググってみると、二ヶ月ほど前のMSN産経ニュースにこちらの神社の記事が掲載されていた。なんでも、佐野市が「町会のお宝・自慢調査」とかを行った際に万町町会のお宝として選ばれたと言うことらしいのだが、それなら案内板などを設置してもっとアピールしてくれればいいのに。
 町会のお宝・自慢調査の内容は佐野市の広報誌で紹介されているそうなので、佐野市の公式サイトから広報誌のバックナンバーを探してみると、2010年6月15日号に掲載されていた。
『地久(ちきゅう)稲荷神社
 所在地:万町90番地
 文化三年(1,806)に作られ、日光例幣使街道絵図に記載されている稲荷様と思われます。
 天長地久を乞い願う守護神として地久稲荷と命名されました。3月19日に例祭、7月15日には子供が神輿を担いで練り歩く夏の祭りが開催されます。特に花柳界の信仰が深く、縁結びや子供達の健やかな成長を温かく見守る子育て稲荷として知られています。周囲には賑やかな往時を偲ぶように「江戸街道」「殿町通り」「芸者横道」などの地名が残っています』
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孫太郎神社(伊賀町)

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 佐野駅の北にある城山公園の東駐車場に車を置き、そこから佐野駅南口へ出たら西南へ歩いて行くと伊賀町公民館の隣に孫太郎神社が鎮座している。
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『伊賀町鎮守 孫太郎神社縁起
 通称「孫太郎様」として親しまれているこの神社は、今を去る千六十有余年の昔に創建されたと言われています。
 天慶の乱(938~940)に平将門を討った田原藤太秀郷により、天命の春日ノ岡(現在の城山公園)に建てられた寺の守護神として祀られました。しかし、寺も神社も保元・平治の乱(1,156~1,159)に兵火に遭い、荒廃してしまいました。その後、文永年間(1,262~1,272)に寺は俊海上人によって再興され、同じ時期に神社もまた修復されましたが、その再建に力を尽くしたのが孫太郎と称していた秀郷八代の子孫に当たる足利家綱でした。里人達は、それを大変に徳としまして、それから後神社の名を「孫太郎明神」と誰いうとなく呼びならわし、いよいよ崇敬の念を篤くしたとされています。
 尚、異説として鎌倉時代の武将・佐野孫太郎義綱が讒言にあって、領地をすべて没収されるという悲運に遭いましたが、稲荷社に自身の無実が晴れることを懸命に祈願したところ、その甲斐あって疑いが晴れ、無事に領地を取り戻すことが叶いました。その謝恩の念を込めてそれまで無名であった稲荷社を春日ノ岡に「孫太郎神社」としてお祀りしたのが由縁であるという故事も伝わっています。
 慶長七年(1,602)唐沢山城城主・佐野修理太夫信吉は春日ノ岡に新しく城を築くこととし、天命の街づくりに着手しました。このために従来あった寺は安蘇川(現在の秋山川)左岸に城下の防備を兼ねて移されました。この寺が厄除け大師で知られる春日岡山惣宗寺であります。しかし、稲荷社は新たな春日岡城の守護神としてそのまま鎮座されました。その往時、神徳のあらたかな社として参詣者は日々市をなすほどの賑わいを見せたと伝え残されています。
 やがて時移り大正六年(1,913)三月、関係者特に伊賀町有志の尽力により城山公園に鎮座する孫太郎神社を現孫太郎公園内に遷座し、町内鎮守の神として尊崇されて参りました。その後平成七年(1,995)十月駅南土地区画整理事業に伴い現在地に遷宮、今に至っております。また春日岡城、唐沢山城の守護神であるとして北向きに構える社であられることは、全国でも稀な存在として注目されています。
主祭神 豊受姫命
配神   宇賀魂神、猿田彦神、豊城入彦神』
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 末社。

 佐野駅構内の東に摩利支天神社があると聞いたのだが、佐野駅北口から南口へと通り抜ける間にはそれらしいものは見当らなかった。プラットホームまで降りないと駄目かな。

諏訪神社(高萩町)

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 赤城神社の北を走る県道270号線を東へ向かい、高萩町交差点を越えると左手側にかつはな亭が見えて来るので、その脇で左折、T字路で右折すれば諏訪神社の前に出る。神社の東側に駐車場あり。
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『諏訪神社 下野之国高萩鎮座
御祭神  
 主祭神  建御名方神
 妃 神  八坂刀売神
御神徳  
 五穀豊穣・心願成就・交通安全・開運長寿
合 祀
 厳島神社(市杵島姫命)
 日枝神社(大山祇命)
 八坂神社(須佐之男命)
 天満宮 (菅原道真公)
 このほか浅間神社(木花之佐久夜毘売命)が境内の一角に祀られている。

由緒沿革
 当社の創立は詳らかではないが、寛元二年(1,244)信州諏訪神社より分祀したことを古老の口碑は伝える。
 元禄四年(1,691)卯月八日には大破した拝殿を再建したことが棟札により分かり、明治七年(1,874)神武天皇相殿に奉祀する際にも再建が行われている。
 昭和十六年(1,941)年には紀元二千六百年記念事業として境内拡張、社殿移転が施工され、その記念碑が境内に建っている。
 なお、現在の社殿は昭和六十三年(1,988)に大改修したものである』
 神紋は丸に違い鎌。
 ところで、日枝神社の御祭神って大山祇命ではなく大山咋命だったと思うのだけど、こちらでは大山祇命を祀っているのか。
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 拝殿。
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 本殿裏面の彫刻。
 桴を振りかざす褌一丁のおっさんの周りに大きな槌と雲間から走る稲妻のようなものが彫られているが、これは雷神かな。槌があるから武甕槌命だったりして?
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 境内社。これが浅間神社かな。
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 日枝神社。
 その隣には仮殿とあるが、はて?
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 境内拡張・社殿移転竣工記念碑と神楽殿。
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 地租改正絵馬は栃木県内においては二件しか確認されておらず、その内の一件がこちらの神社に納められていると言うことのようだが、するともう一件は足利市梁田町の星宮神社のものと言うことになるのか。

赤城神社(植下町)

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 佐野バイパス植下町交差点から北上し、無人精米所の脇を西へ入って行くと赤城神社が鎮座している。
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 参道。
 この参道の右側に駐車場がある。
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 自動車祓所。
 交通安全の神様かな。
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 銅造の鳥居。
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 案内板が設置されており、それによるとこちらの鳥居は明和六年(1,769)に造られたもので、高さ4m5cm、周囲1m51cm。昭和33年1月10日に佐野市の文化財に指定されたのだそうだ。
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 伊勢神宮第六十回式年遷宮記念碑だが、こちらの御祭神である彦狭島王命と日本武命の名前も記されている。
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 拝殿。
 佐野市観光協会のサイトを見ると群馬県前橋市富士見町の赤城神社からの分霊と書かれているが、その割には何故か御祭神は彦狭島王命と日本武命。彦狭島王命は豊城入彦命の孫で、景行天皇五十五年(125)に天皇より東山道十五国の都督に任ぜられたが、任地に赴く途中で病死してしまったのだそうだ。日本武命は景行天皇の御子だが、景行天皇四十三年(113)に東征の途中で病死した話は有名。どちらも同時代の人で、遣り残したことがあるまま世を去ってしまったという点が似ているか。
 プチ神楽殿さんを見ると、創建は景行天皇五十五年(125)で、彦狭島王の遺骸をひっそりと移して奉葬したのが始まりであり、天慶八年(945)に遷宮の際、上毛野延喜式内社赤城神社より日本武命を勧請して合祀し、狭島を改め赤城明神と号したと書かれているが、それ以前は狭島神社と称していたのだろうか?
 また、日本書紀には彦狭島王は春日穴咋邑に到った時に病死したが、その死を悼んだ東国の百姓がひそかにその遺骸を盗み出して上野国に葬り祀ったと記されているのだそうだ。でもここって上野じゃなく下野だよね。他にも日本武命が東征の際にこの地に陣を張ったとの伝承があるそうで、日本武命を勧請したのはそのあたりが理由なのかな? また、太平洋戦争末期には本土決戦に備えて戦車の隠し場所にもなっていたのだそうだ。
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 本殿裏面。上は黄石公と張良で、下は三猿か。…どういう繋がりなのか皆目判らん。
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 境内社と神楽殿。
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 末社。
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 自動車祓所の脇から裏へ回ると石祠が並んでいるが、どれがなにやら。
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 奥へ歩いて行くと、四ツ塚がある。
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『四ツ塚
 藤原秀郷公将門を討って御凱陣の武具を祝納された処と言い伝えられている
 又一説に当赤城神社の御祭神日本武命東征の帰途当地に一夜宿された御旧地なりとの伝説も有る
(享保十五年神主早乙女大膳藤原政苗の遺した古文書による)』

神明宮(飯田町)

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 天満宮から東南へ向かうと真言宗豊山派延命山光永寺があり、その東南に神明宮が鎮座している。
 駐車場は無いので、近くの飯田公民館に駐車。
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 鳥居をくぐる前に右手側を見ると石祠と板碑(猿田彦大神と彫られている)があり、その間から低い石段が延びている。
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 石段を上ると右手側に小御嶽石尊大権現。
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 額などは無かったので何神社なのかは判らないが、こちらの神明宮には冨士塚があるそうであり、また石段脇に小御嶽石尊大権現を祀った祠があることから見て、浅間神社なのではないだろうか。
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 陶製の小さな狛犬…と言うかシーサーかな、これ。
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 こちらは神明宮の狛犬。
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 拝殿。
 こちらの由緒等は不明。
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 鰹木は三本で、菊花紋ではなく五七の桐が施されている。
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 神楽殿と末社殿。
 左から八雲神社、不明(文字が部分的にしか見えず、子王と書かれているように見えたが、合っているかどうか自信が無い)、諏訪神社、茂呂神社、天満宮、熊野神社、不明(文字が薄くて判読不能)。
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 末社殿の中には五枚の絵馬が掛けられていたが、殆どが当時の人々を描いているのに対してこの一枚だけ雰囲気が違う。張飛・劉備・関羽かな。
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 末社。
 左から不明、金毘羅大権現、稲荷神社。
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 こちらにも末社。詳細不明。
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 北参道。

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 飯田公民館。
 何故か入口に狛犬がいる。
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 9月11日追記
 こちらの御祭神は天照皇大日霊命と豊受比売命で、元和五年(1619)に蓼沼治郎右衛門と小林庄平兵衛の両名が伊勢参宮をした折に分霊を受け、村の鎮守神としたのだそうだ。

天満宮(大古屋町)

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 国道50号佐野バイパス南側の側道から秋山川に架かった大古屋橋を渡るとすぐに天満宮。
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 左側が天満宮。右は産泰神社。
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 天満宮の本殿覆い屋。
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 天満宮と産泰神社の間に石祠があり、額の部分は大分剥げ落ちてしまっているが、「間」の文字だけは残っていた。浅間神社だろうか。
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 十九夜塔とお地蔵様。

坂和神社(田島町)

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 再び坂和神社へ。
 鳥居の額には坂和大明神とあるが、はてさてどなたが祀られているのやら。
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 拝殿。
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 幣殿と本殿。
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 境内社。
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 境内社其の二。脇に建てられた石碑には扶桑教云々とあったので、こちらは扶桑教の礼拝施設なのだろう。
 手前左側は小御嶽石尊大権現。右側は食行身禄。
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 境内社なのか廃棄されたものなのか、ちょっと判り難い。
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 境内社。
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 崩れてしまっている。

 以上で8月28日参拝分終了。
 使用機材はK-7にDA15mmとDA21mm、FA43mm、APO-LANTHAR 90mm。*ist DSにFA31mm。
 先日ソニーのα55/α33が発表されたけれど、ちょっと良さそうかも。個人的にはα(と言うかミノルタ)はあまり好きではないしファインダーがEVFだと言うのもなんだかなぁとは思ったりするのだけれど、小型軽量ボディだとかオートHDRだとかマルチショットNRだとかGPS機能だとかと言った部分が神社を撮影するのに便利そうだなぁと。まぁ、現在の環境でも特に困ったりすることは無いのだけれど。と言うか、こんなメモ程度の撮影しかしていないのならコンパクト機でも充分なんじゃね? とか言われそうではあるが(苦笑)

茂呂神社(馬門町)

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 佐野観光農園前を東へ向かうと茂呂神社があるのだが、民家の脇にあるので気付き難い。
 祠の中を覗き込んで見ても、御祭神などは不明。そしてググってみても、やはり判らず。
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 茂呂神社の北側の道端に建てられた馬頭観自在尊と青面金剛。

堀田稲荷神社(植下町)

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 国道50号線へ出たら、植下町交差点から東北に入って行くと堀田稲荷神社が鎮座している。
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 石段を上った脇に兵主大権現。
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 植野城陣屋内に鬼門封じの為に建てられた稲荷神社で、ここは土塁址であるのだそうだ。
 植野城は貞享二年(1,685)に佐野藩主堀田正高によって築かれたが元禄十一年(1,698)に廃城。文政九年(1,826)に堀田正敦により再築城されたそうだが、この稲荷神社がいつからあったものなのかは不明。

神明宮(伊保内町)

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 御嶽神社からまっすぐ東へ向かい、秋山川に架かった伊保内橋を渡るとすぐ南側に神明宮。
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 神明鳥居。
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 拝殿。
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 境内社。
 額も掛かっていないので何なのか判らなかったが、裏に回ったら富士一山と刻まれた石祠があったので、扶桑教のものかも。
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 末社群。
 右から二番目が三峯神社であること以外は不明。
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 左から二番目の石祠の向拝部分に顔が彫られている。上の広がっている部分は扇かな?
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御嶽神社(庚申塚町)

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 県道7号線を挟んで西濃運輸佐野支店の東側に鎮座する御嶽神社。
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 拝殿。
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 大講義新田之明水霊神。
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 子袋薬師堂。
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 如意輪観音とお地蔵様。
 奥に見えるのは7号線。

大鹿神社(船津川町)

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 宝登山神社から東へ向かって行くと、大鹿神社が鎮座している。
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 拝殿。
 こちらも由緒書き等は見当らないのでググってみると、藤原秀郷公が武蔵守に任じられた際に建立したと伝えられているのだそうだ。しかし、佐野市には秀郷公が創建したと伝えられる神社が多く見受けられるのだが、秀郷公は神社建立マニアだったのだろうか。いや、まぁ、それだけ神仏への信仰心が篤いってことなんだろうけれど。もしかしたら、秀郷公とは関係無いけどネームバリューに頼って秀郷公縁の神社と言ってる所もあるかも知れないし。
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 大鹿社、なのかな。鹿の草書体に似ていると言えば似ているか。
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 本殿。
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 末社。
 文化十一甲戌四月吉日とあるので1,814年ものであるのは判るのだが、何神社なのかは不明。

 9月11日追記。
 こちらの御祭神は武甕槌命で、天慶三年(940)に藤原秀郷公が従四位下下野武蔵守に叙位された時に天命郷の春日岡山に建てられたが、永正六年(1509)に現在地に遷座し、大鹿神社と称したとのこと。
 宝永年間(1704~1711)に本社を再建、正一位に授けられて隆盛したが天明六年(1786)と慶應二年(1866)に火災を被っているそうだ。

宝登山神社(船津川町)

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 船津川小学校の北側を回りこんで東へ走って行くと、道端に宝登山神社が鎮座している。
 左側の石塔は富士登山三十三度記念のもので、その隣の石祠は詳細不明。
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 本殿。
 こちらの神社も由緒等は不明。

正一位雷電宮(船津川町)

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 船津川小学校の西側に真言宗豊山派宝光寺があり、その南西に雷電宮が鎮座している。
 梅野森天満宮の次は田島町の大塚神社を参拝するつもりだったのだが、見つからなーい。民家の脇にある筈なのだが、それらしいものが見当らない。仕方がないので次に金精神社へと向かったのだが、これまた見つからない。跡地らしきものはあるのだが、祠などは見当らない。どこかへ遷宮してしまったのだろうか? 次に坂和神社へ行って見たのだが、お子様やらその保護者らしき方々がたくさん居たのでそこは後回しにすることにして御嶽神社へ…と思ったら途中で道が判らなくなって、たぶんあっちとばかりにテキトーに走っていたら宝光寺前に着いていた。
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 拝殿。
 由緒書き等は無かったのではっきりとはしないが、すぐ南を流れる渡良瀬川を渡れば館林市があり、そしてその東が板倉町であることを考えれば、板倉雷電神社から勧請したものではないだろうか。
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 本殿。
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 三峯神社。
 その周囲の石祠は、三峯神社左側に合掌仏の坐像、右側に金比羅大権現・大大明神。右側手前の石祠には富士山の文字。

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 神社東側の道端にお地蔵様と青面金剛。右から二番目のお地蔵様の台座には三猿の姿も見える。
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 十九夜観世音。
 十九夜と言うことは如意輪観音だと思うのだが、立像は初めて見たような気がする。それに腕の数も足らないような。むしろポーズ的には十一面観音のように見える。

梅野森天満宮(君田町)

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 キリスト教会前から南下し、一つ目の信号で右折すると、平田薬局の向い側に梅野森天満宮が鎮座している。
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 生馬大神。
 日支事変とあるので、軍に徴発された馬の供養の為なのかな。
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 拝殿。
 梅の森があって天満宮が建てられたのか、天満宮があって梅が植えられたのか、どっちだろう?
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 末社。
 何神社なのかは不明。
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 本殿。

八坂太田両神社(大橋町)

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 免鳥町交差点から東へ一つ目の信号で南へ折れるとCIアジア佐野キリスト協会があるので、そこから東南へ向かうと大橋町西部公民館があり、その後ろに八坂太田両神社が鎮座している。どうやら公民館が社務所だけでなく、拝殿まで兼ねているらしい。
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 神楽殿?
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 本殿。
 八坂太田両神社と言うことは八坂神社と太田神社が合祀されているのだろう。とすると、御祭神は素盞嗚尊と猿田彦命、天鈿女命になるのかな?

八坂神社(免鳥町)

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 栃木県道67号線免鳥町交差点の北東に新田町公民館があり、それに隣接して八坂神社が鎮座している。
 しかし、ここは免鳥町なのになんで新田町公民館なんだろう。そもそも佐野市内に新田町なんて無いし…。

伊勢山大神宮(相生町)

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 西宮神社と佐野駅の中間辺りに位置する伊勢山大神宮。
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 石段の脇に倒れている狛犬。
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 拝殿。
 額に天照皇大神宮と書かれている通り、こちらの御祭神は天照大神。
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 とてもマッシヴな狛犬。
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 横から。
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 境内社。
 左は額部分の一文字目が崩れて無くなっている。その下は山金大神と彫られているように見えるが、よく見れば山金ではなく峯かも知れない。とすると、三峯大神だろうか。
 右の祠は手懸り無し。
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 愛宕神社。
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 明治天皇御製碑。
『我国は 神のすゑなり 神祭る
  むかしの手ふり 忘るなよゆめ』

 写真を撮り忘れてしまったが、御製碑の横に伊勢山神社再興記念碑が建てられていた。
『抑伊勢山神社は文禄元年二月の創立にして山名と社名を同じくす。
 当時信徒も多く社殿も広壮なりしが徳川幕府の頃井伊領となるに及びて神社所在地は単に御林と称して荒蕪を極め、明治維新土地丈量の際遂に官有に属せり。
 明治十一年現境内地五畝二十六歩の拂下を請願し民有社地と為したるも狭隘なりしかは更に数周囲の地の拂下を出願したるも水源官林の故を以て許可なかりき。其後に至り偶官より全国の神社に対し財産の蓄積及び境内の設備等に関し督励ありしかは神職小野清造氏、之を機とし永代太々講を設立し当時の総代楡居由蔵・森戸睦三郎・飯塚造酒之助・相田兵蔵、世話人石倉島五郎・上岡清作・茂呂居十三郎・横塚岩蔵・茂呂居勝三郎諸氏と共に至誠以て日夜盡瘁し、明治三十七年九月周囲の官林四反四畝歩を神社境内に編入せんことを内務農商務両省に出願し、技手出張実地調査となるや水源官林にあらざる理由を陳述し、遂に明治四十年三月三十日を以て編入許可を得たり。
 茲に於て新に神楽殿を建築し、益荘厳を添え崇敬者をして仰敬の念を起さしめ、傍ら財産の増殖を講し且つ年々特志の寄付金を積み立て今や保存資金多額に上り本社の維持を永遠に全うすることを得るに至れり。惟うにこれ一に神威の然らしむるところなるも、亦神職及総代世話人諸氏の労苦多きことによると謂うべきなり。此頃有志相謀り碑を建て其由来を記し、寄附者の氏名を刻し以て不朽に伝えんと欲し来たりて余に文を請わる。乃ち其梗概を叙す。
 大正三年九月十五日』

 と言うことで、創建は文禄元年(1,592)二月。江戸時代井伊領になる頃には荒廃していたと言う事だが、佐野が彦根藩井伊家の領地となったのは寛永十年(1,633)。すると、創建から40年程で荒廃してしまったことになるか。閑馬町の八坂神社には寛永十年は疫病が猛威を振るったと書かれていたから、その影響もあるのかな。ちなみに、井伊家の領地だったのは明治五年(1,872)までの239年間だそうだ。
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 フェンス際に建てられた猿田彦大神。

 以上で8月21日参拝分終了。
 今回使用したのはK-7にDA15mmとDA21mm、DA35mm、APO-LANTHAR 180mm。*ist DSにDA70mm。
 当初はあと五社巡る予定だったのだが、水分不足から来る体力切れやら気力低下によりバテバテ。伊勢山大神宮からは目と鼻の先である佐野駅北側の有料駐車場に車を置いていたこともあって、ここでリタイヤ。
 ちなみに佐野駅北側の城山公園には無料駐車場もあるのだが、そちらは朝8時30分にならないと駐車場が開かないので、6時頃から動き出していた自分としては有料の方しか選択肢が無い訳で。尤も、そちらも最初の3時間は無料なので大した金額にはなっていない。
 金額と言えば、自分はお賽銭に10円玉を放り込んでいるのだが、聞く所によると10円は「縁遠」に通じるので良くないなどと言う話もあるそうだ。自分は10円は「拾縁」に通じるので「放った縁を神様が拾ってくれる」と都合良く解釈していたりするのだけれどね。ほら、捨てる神あれば拾う神ありなんて言葉もあるし。

西宮神社(久保町)

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 観音山公園の西、浄泉寺の向かいに鎮座する西宮神社。
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『西宮(蛭子)神社 えびす様
 主祭神 事代主神  例祭 十一月十九日
 境内地 四七○坪
 本殿  流造銅板葺  幣殿 切妻造銅板葺  拝殿 入母屋造銅板葺
由緒沿革
 そもそも西宮神社を蛭子神社と書「えびす」と読む主祭神は事代主神で出雲神話に現れる神で、大国主命を父として天照大神の命を受け国土の献上を大国主命に進言する。民間信仰としては、生業を守護幸福をもたらす神霊として信仰されその姿は、烏帽子に狩衣指貫を付け、釣竿を肩に鯛を抱えて姿をみても分かる様に恵比寿は漁民の信仰神であったが、いつの頃か農業神・商業神として祭られ、七福神として大黒天と並び代表的な福の神となる。当地西宮神社は「栃木県神社誌」によると大永三年(1,523年)今から四八六年前、佐野根古屋青柳(今の栃本)に勧請したのが始り唐沢城主佐野盛綱が祭るその後、唐沢の居城が春日岡(城山公園)に移るに伴い、東組屋敷に祭る。慶長五年(1,600年)城主佐野信吉は、所領三万九千石を没収され、信州松本へ追放され幕府直轄領(天領)となったが、元和二年(1,616年)三九三年前小山城主本多上野介正純に給れ、翌元和三年社は正純の命により阿蘇沼北久保に所替となる(現在地)
 その後1,934年(昭和九年)今から七五年前十月に改築・総工費・金五千八百四拾弐円四十銭で現在に至る。例祭の十一月十九日は、近郷近在より商売繁昌の恵比寿講で賑う』

 …なんか日本語として不安になる本文だが、それはまぁいいや。
 右上の神紋の下に福岡・恵比寿神社と書かれているので、福岡の十日恵比寿神社から勧請したのかな。神紋も同じだし。
 しかし、蛭子と書いてえびすと読むのはまぁ普通だが、ヒルコとルビをふっておきながら蛭子命は祀っていないとかどうなのよ。
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 なんだろう、これ。神輿殿かなにかかな。
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 拝殿。
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 本殿。

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 西宮神社の裏にあるお堂と祠。
 しかし詳細は不明。
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 虫除馬頭観世音。……虫除け?

日枝神社(久保町)

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 佐野駅の東およそ600mに位置する観音山公園内に鎮座する日枝神社。
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 狛犬。
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 拝殿。
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 社殿の裏手に回ると、登り口に石祠が三つ並んでいる。
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 手前は本殿の真裏に位置する石祠。奥に見える祠は浅間神社。
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 引地山観音堂。
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 神馬舎と閻魔大王堂。
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 観音堂と日枝神社。
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 薬師如来堂。
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 南富岡町公民館の脇に建てられた神輿殿。

鷲宮神社(犬伏上町)

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 浅間山を降りたら県道16号線を南下し、堀米町交差点から県道141号線を東へ歩いて行くと昌福寺入口の看板が見えて来るので、そこから北へ歩いて行くと鷲宮神社の鳥居が見えて来る。
 鳥居の柱には「日韓合訪記念 明治四十三庚戌歳十二月」と彫られているので、建立されてから丁度百年になるのか。
 また、Mapionを見るとここまでの途中にもう一つ鷲宮神社が記されている(MAPPLEでは大枡塚古墳となっている)が、それらしいものは見当らない。帰宅してから古墳系のサイトを見ると大枡塚古墳の墳丘に鷲宮神社があるが、そこへ行くには民家の敷地を抜けて行かなければならないようだ。そりゃあ、見つからんわなぁ。
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 石段と御神木の杉。樹齢はおよそ600年ほどであるとのこと。
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 狛犬。
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 拝殿。
 ググってみると、こちらの神社は栃木市都賀町の鷲宮神社から勧請されたもので、御祭神は天日鷲命であるとのこと。また、毎年12月の第一日曜日に酉の市が行われるそうだ。
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 屋根の上の狛犬とビオランテ(違)…ではなく唐獅子と牡丹かね。
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 こちらにも。
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 神楽殿。その右に御神燈と石祠。
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 鷲宮神社一千年記念碑。
 裏には「昭和四十六辛亥年十二月初酉日」と彫られているが、1,971年から一千年遡ると971年となるので、創建は平安時代中頃になるのか。
 藤原秀郷公が平将門討伐の祈願をしたと伝えられているそうだが、創建が970年前後だとすると、承平天慶の乱は939年なのでそりゃ無理だろう。
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 境内社。
 どなたを祀っているのかは不明。
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 向かい合った狛犬。
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 正面から。
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 狛犬の脇に末社。
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 稲荷神社。左の石祠は不明。
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 左二つは不明。右端は西宮神社と大神宮。
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 左三つの石祠は不明。右は神明宮のようだ。
 奥に赤い屋根が見えるが、特に何も祀られてはいなかった。
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 白馬の木像が納められた神馬舎。

浅間神社(奈良渕町)

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 地図で見ると小梥神社の北東に浅間神社があるのは判るのだが、そこへ至る道が無いのでどこから入って行くのだろうかと思っていたら、なんのことはない、小梥神社のすぐ脇に浅間神社への入口があった。
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『浅間山のおたきあげ
 浅間山のおたきあげは、浅間山山頂で、梅雨明けの土曜日の夜に行われる火祭りである。山頂にその年にとれた小麦わらや山頂付近の古木を高く積みあげ、午後八時、神官が火を点じると、人々は手に持った松明に火を移し、一斉に我が家を目指して駆け降りる。そして家を一周する。これは、悪霊や蛇が入らないための清め、呪いであり、厄よけの行事である。このような形式の火祭りは他に例がなく、関東の奇祭とも呼ばれている。
 平成九年八月』
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 初めのうちは石段があるが、すぐに剥き出しの岩が続く道になる。が、道が拓けているおかげか思いの他登り易い。
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 しばらくすると、再び石段になり、その先に石祠が見える。
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 石段左手側に石祠。
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 御神燈付きの石祠。
 丁度ここで降りて来るおばちゃん二人組のハイカーとすれ違い、挨拶を交わした。
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 もう一つ石祠。なんだってこんな岩壁にあるのやら。
 この先は少し傾斜がきつくなっているが、手摺が設置されているので問題は無い。
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 ここまで来てようやく鳥居。
 鳥居の足元には女浅間山と書かれたプレートがある。また、下へ続いていると思われる脇道も延びており、もしかしたら小梥神社の裏へと延びていた道がここに繋がっているのかも知れない。調べてみる気にはならなかったけど。
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 鳥居から先はなだらかな道が続いており、しばらくすると大きな岩がある。近くの木に富士浅間岩と書かれていたので、それがこの岩の名前なのだろう。
 また、岩の少し上に拝殿再建の石碑が建てられていた。
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『拝殿再興之碑
 浅間山は、その山容が霊峰富士に似て古来山岳信仰の聖山なり。山頂に浅間神社を祀り、名物のお炊きあげの神事は連綿数百年承継の伝統を有す。
 火祭りは、最夏の夜松枝を芯に積み重ねし麦藁への点火に始り、その火柱から採火した松明を手に駆け下る信者等の群像あかあか赫く様は、まさに壮観なり。
 往時人里に流行せる疫病退散祈念の行事なれど近年奇祭の名声急激に近県に及び今や市内有数の観光行事なり。
顧みれば当社はかつて此の地に本殿拝殿を擁せしが戦後荒廃し、昭和三十七年四月解体霧散す。これを惜しみ再興の声おこり加えて行事の隆盛を背景に機熟し、衆議を重ね奈良渕町民挙げて労力奉仕し拝殿を再興す。これ郷土を愛する近隣社会連帯の発露にして、その事蹟を碑に銘し永く記念す。
 昭和五十四年七月建之』
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 ここでお炊き上げの点火が行われるのだろう。あの岩だらけの坂道を駆け下りて行くのはかなり危険なんじゃないかと思うのだが、もしかしたら鳥居の脇から延びていた道を降りて行くのかな?
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 拝殿。
 佐野市観光協会のサイトを見ると、こちらの浅間山の標高は192mであるそうだ。足利の浅間山は標高108mだから、倍近い高さだ。
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 本殿。
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 本殿の後ろに回って北を見ると、唐沢山がよく見える。

小梥神社(奈良渕町)

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 県道16号線を越えて北東へ歩いて行くと、奈良渕団地の北側に小梥神社神社が鎮座している。
 梥は非常用漢字であり、松の異体字なので小松神社と書いた方が機種依存しなくていいかなとも思うけど、社殿の額や碑にも梥の字が使われているから、そのままで。
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 石段を上った先に拝殿が見える。
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 拝殿。
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 社殿裏から。
 山の奥へと道が続いていたが、奥の院があると言う話も聞かないのでパス。
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 末社群。
 左から愛宕神社、山神社、天満宮、八坂神社。
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 石祠やら記念碑やら。
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 制空神社。
 ○の中に翼の付いた錨と桜の花が彫られているが、帝国海軍に関連したものだろうか。
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『小梥神社改築記念碑
 緑濃き唐沢山の麓奈良渕の里に、天太玉命を祭神とする小梥神社は天慶九年(946年)の昔、藤原秀郷の創建と伝えらる。
 爾来当地の鎮守の宮として霊験あらたかに、里人挙りて敬神の念厚く祭祀に努め今日に到れり。
 されど永き歳月に渡る風雪に幾度か損傷し、当時の先祖達の尽力により修復改築を重ね今日迄神社を護持し来れども、近年老朽甚だしくもはや全面改築の他なしと衆目一致し、氏子相諮り昭和六十三年(1,988年)九月改築委員会を結成し広く呼びかけたるところ勧進に応じたる者多数に達し多額の寄進を得たり。
 斯くて宮大工として名声高き足利の名匠川島利世氏の設計施工の下新しき神殿見事に完成し、我等の宿願遂に果し得たり。
 時に平成四年(1,992年)九月二十七日なり。
 白日晴天に輝くとき社殿の壮麗たとえん方なく、澄み渡る月明に神域寂として静まるとき森厳極まりなし。
 茲に神社改築の概要を碑に刻み永く後世に遺さんとす。
 願わくは、後生の人々遠き先祖より伝承の美風を熟思せよ。
 平成五年五月吉日』

 藤原秀郷公による創建で、どうして天太玉命を祀っているのだろう? 天太玉命の子孫とされる斎部氏は中臣氏とは対立していたのではなかったかな。記紀においても天太玉命と天児屋根命は役割が殆ど同じなのだから、藤原氏の祖神である天児屋根命なら判るが、態々対立していた勢力の祖神を祀る理由はなんなのだろう。
 ちなみに、御祭神は天太玉命とのみ記されているが、ググってみると配祀神として伊弉諾尊と伊弉冉尊も祀られていると、「両毛野糞のつれづれ学習野糞」というブログに記載されていた。
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 神楽殿。
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 奈良渕小梥神社神楽沿革。

 尚、神社の南西側に七福神なども祀っていると思われる稲荷神社があるのだが、近くの人に訊いて見たら、そちらは屋敷神であるのだそうだ。

雀宮神社(堀米町)

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 堀米駅の北西、ハーモネートスクエアの向かいに雀宮神社が鎮座しているのだが、その神社らしからぬ外観は一種異様だ。
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 公民館と合体しているせいか、神社と言うよりも施設と言った雰囲気が強いように感じられる。尤も、それは自分がこの土地の人間ではないからそう感じてしまうのかも知れないが。
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 由緒書きなのだが…文字が殆ど消えてしまっていて、何と書かれていたのか判らない。なのでググってみると、藤原秀郷公が朱雀天皇を尊崇して創建したものであるらしい。
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 末社群。
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 朱雀山如意輪観音堂。
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 こちらの由緒書きも大分文字が消えてしまっているが、創建から一千年以上は経っているようだ。

稲荷神社(堀米町)

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 八幡宮南の十字路を西へ歩いて行くと、道端に稲荷神社が鎮座している。

八幡宮(堀米町)

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 佐野駅の北東、県道141号線と151号線の交わる内堀米交差点のすぐ東側にやはた公民館があり、その脇に一の鳥居があるのだが…木で見えん。
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 鳥居の手前に狛犬。
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 鳥居裏から。
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 鳥居をくぐると道路の右手側に八坂神社。
 八幡宮の参道脇にあると言うことは、境内社にあたるのだろうか?
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 八坂神社前に石祠。社名などは記されていなかったが、MAPPLEを見ると八坂神社の場所が西之宮神社と記されているので、もしかしたら西之宮神社なのかも知れない。
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 まっすぐ北へ歩いて行くと、二の鳥居が見えて来る。
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 二の鳥居の手前、道路左側に厳島神社。
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 石段を上って行くと、三の鳥居と狛犬。
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 随神門かな。
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 拝殿。
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『旧郷社 八幡宮
 例祭日 四月三日 十月十五日
 主祭神 誉田別命
 配 神 水主君命  水貝津土命
  田心姫命  彦狭島王命

 天慶六年(943)八月十五日、天慶の乱と呼ばれた平将門の反乱を鎮定された功により、朱雀天皇より従四位下の位階を賜り武蔵下野両国の守に任ぜられました藤原秀郷公が居城を唐沢山に築くにあたり、山城の国(京都)の男山八幡宮を鬼門の方、都賀の小野寺郷八牧の沢に勧請し、城の守り神に祀り代々崇敬されておりました。
 後に慶長七年(1,602)、後裔佐野信吉公の時、徳川幕府から山城禁止令が出され山の上に居城を置くことが出来なくなり、春日山姥ヶ城(現佐野公園)に移るについて八幡宮も小野寺郷より堀籠(堀米)天王山の中腹に遷宮されたのであります。それより佐野城の守り神として崇敬されておりましたが、慶長十九年(1,614)徳川幕府の外様大名潰しの厄難に逢い佐野家は改易となり、佐野城は廃城となって秀郷公以来六百七十五年間続えた祭主を失って八幡宮は土地住民の信仰の柱となっておりました。
 明治となり、官では由緒ある神社であるとして明治十年(1,877)郷社の命を拝し、近郷十八ヶ村(安蘇郡南東部・下都賀郡西北部)の総鎮守として指定され、大正十年(1,921)三月十七日付にて栃木県指令の神社として祭典も栃木県に於て行われるようになり、県庁より派遣された奉幣使によって祭典費は下賜され、神威赫々として庶民を霑しておりました。
 御祭神誉田別命は知性英邁なお方にして仏教では最高の地位の大菩薩の称号を賜り、御母神功皇后と共に大陸の文化と学問を身につけた日本最初の学問の神として知られたお方であります。霊験ある神であるとして太平洋戦中は戦さの神であると信じられて誤解されていた時期もありましたが、家運隆昌・家内融和・勉学の向上・学業成就等に御利益のある真の平和の神であることが証明されているのであります。尚、神殿の位置が佐野市街の鬼門の方に当るので、厄除け開運の神として御参詣なされる方の多いのはその御利益からでありましょう。人の運不運は神によって授るもので神を敬い信ずる心のある方にこそその恵みはあるものと固く信じます。
 昭和六十年四月三日』

 水主君命と水貝津土命は聞き覚えの無い名前だが、どんな神様なのだろう? そもそも水主君はなんと読むのだろう。なんとなく水神っぽい名前ではあるけれど。水貝津土はミカツチと読めそうなので武甕槌命のことかなぁ。
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 境内社。祠の中は暗くてよく見えないが、「護国神」と書かれた紙が貼られていた。
 その隣の石祠は、左から不明、不明、稲荷神社・八幡宮。
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 本殿裏の丘の上にも境内社。
 扉が二つあるので、二柱の神が祀られているものと思われる。
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 本殿裏から。
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 神武天皇遥拝所。

天満宮(豊代町)

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 最勝院の隣に天満宮があったことを思い出し、丁度雨が止んだので参拝。
 仙波交差点と三日月神社の間くらいに常盤中学校があるのでその脇を抜け、突き当たったら右へどんどん進んで行けば真言宗智山派清瀧山最勝院に到着するので、そちらの駐車場に車を置いたら瑠璃光如来堂から左奥へ歩いて行くと天満宮の横に出る。
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 拝殿。
 こちらは長禄二年(1,458)に北野天満宮から勧請されたものだそうで、御祭神は菅原道真公。
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 狛犬。
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 左側は詳細不明。右側は月山・湯殿山・羽黒山供養塔。
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 天満宮欅伐採社殿造営記念奉額。
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 拝殿斜めから。
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 本殿側面の彫刻。
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 本殿裏面の彫刻。
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 側面の彫刻。

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 瑠璃光如来堂。
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 最勝院本堂。

 以上で8月12日参拝分終了。
 使用機材はK-7にDA15mmとDA40mm、DA70mm。K10DにFA28mm。
 天気予報では雨が降るのは午後からと言うことだったのだが、予報より早く降って来てしまったので予定数を回り切れなかったが、こればかりは仕方が無い。
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