氷川神社(東中野一丁目)

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 第六天神社の脇を道なりに西へ歩いて行くと、氷川神社の前に出る。
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 南参道と二の鳥居。
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 三の鳥居。
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 雨に濡れているおかげか、つややかな狛犬。
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 参道突き当たりに拝殿。
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 参道右手側に神楽殿。
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 拝殿。
 こちらの神社はよほど信仰されているのか、雨だと言うのに次々と参拝者が現れてはお参りをしていた。中には祝詞をあげるお爺さんもいたほど。
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 狛犬。
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『中野の氷川神社
 この神社は、旧中野村の総鎮守社で、創建は長元三年(1030)に武蔵一の宮である埼玉県大宮市(現さいたま市大宮区)の氷川神社から勧請したと伝えられています。室町時代の応永年間(1394~1427)に社殿を改築した伝えもありますから、中野村の開発とともに鎮座も古いことがうかがわれます。
 祭神は素佐之男尊・稲田比売尊・大己貴尊の三柱で、例祭は九月十四・十五日ですが、もとは二十六・二十七の両日でした。
 江戸時代には護摩修行が行われ、湯立神楽をあげ、淀橋・上宿・下宿・西町・仲宿・打越・囲・原の氏子がそれぞれの地区の幟や提灯の美を競いました。豊年には、獅子舞・相撲・力石くらべなども行われて、近在をあげての盛大な行事になっていました。明治・大正期の華麗な神輿や山車の巡行はいまも語り草になっています。
 拝殿にある中世の石の狛犬をはじめ、境内には中野の歴史を語る多くの遺品があります』

 こちらの由緒書きには書かれていなかったが、ググってみると、こちらは源頼信公が平忠常征討の際に武蔵国一宮大宮氷川神社より勧請したもので、文明九年(1477)には太田道灌が豊島泰経・泰明兄弟討伐の際に戦勝祈願を行い、凱旋後に社殿を造営したとの記録もあるそうだ。
 ちなみに源頼信は源頼光の弟で、藤原道兼・道長兄弟に仕えて道長四天王の一人に数えられた人物である。太田道灌は扇谷上杉家に仕えた名将で、川越城や江戸城を築城したことでも知られる。また、中野にある神社は太田道灌に縁の有るものが多いようだ。
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 境内社の塩竃神社と稲荷神社。
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 その隣に御嶽神社と北野神社、庚申塔。
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 御神輿や山車が納められていると思われる倉。
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 西参道側の二の鳥居。
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 狛犬。
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 狛犬のそばに狸。…なんで?
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 東京都道317号線山手通りに面して建てられた、西参道側の一の鳥居。

 以上で9月23日参拝分終了。
 使用したのはK-7にDA18-55mm AL WR。防塵防滴ボディと簡易防滴レンズのおかげで、雨の中でも比較的安心して使えるのはありがたいね。DA18-135mm ED AL [IF] DC WRには然程興味は無かったのだけど、K-5と一緒に購入するのも検討してもいいかも。
 今回、当初はもう少し南まで歩き、西に回って中野駅を目指すつもりだったのだが、思った以上に雨脚が強くて二社参拝した時点でそれ以上の参拝を断念。次の機会に期待しよう。
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第六天神社(東中野一丁目)

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 東中野駅東口から南へ歩いて行くと、大六天神社が鎮座している。
 駅を出た時から降っていた雨はここまで来た時にかなり強くなったので、しばらく神社の軒先をお借りして雨宿りをしていた。
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『御祭神 
  天神第六代坐榊皇大御神
  面足尊
  惶根尊
 御神徳 
  緒産業繁栄・安産子育の神
 月次祭 
  毎月十八日
 御由緒 
  悠久の昔江戸蔵前の第六天神宮(榊神社)の御分霊を奉斉。古来より第一の別宮として尊祀せられて居ります』
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 拝殿。
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琴平神社(柏倉町)

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 琴平神社表参道入口。
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 苔生した石段を上ると鳥居。
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 →
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 →
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 三箇所目の石段を上るとこんな看板が。鳥居からここまで約20分。
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 確かに、道は緩やかになっている。
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 先程の看板からここまでおよそ3~4分。
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 更に2~3分程歩くと次の看板があるのだが…
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 いきなり草茫々になっていてちょっと気力が萎える。
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 しかしすぐにまた草が無くなり、次の石段が見えて来る。
 石段を上らずに奥へ進むと回り道になるが、緩やかな坂が山頂付近まで続いている。自分はこちらでも上りは石段、下りは坂道を使うことにした。
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 聖徳太子神社の石段とどっこい程度に急傾斜の石段。
 三枚連写するつもりがを四枚目を切ってしまったので予想外の手振れが入ってしまったが、なんとなく面白い効果になったので使ってみる(笑
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 山頂に到着。鳥居からここまでおよそ30分。体力の有る人ならもう少し早く到着できるだろう。
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 愛宕神社。
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『社名 愛宕神社
 祭神 軻遇突智命(火防神)
 例祭 二月二十五日(現在は四月第一日曜日十月第一日曜日)
 創立 寛政四年(1792)九月二十四日
 由緒 
  下都國都賀郷柏倉村産神として東福院社主柏倉家高橋藤兵衛彦左衛門、大工柏倉兵右衛門等に依り柏倉の愛宕山山頂に愛宕大権現中祈所として神社を建立され鎮座されました。社法に依り大正十一年八月吉日に当神社に合祀されました。参拝者多数ありました。
  昭和二十年十二月十四日火災にて本殿・拝殿・社務所・神楽殿・旭額殿・茶屋(程島様)全焼の時、又昭和四十八年三月二十五日の山林火災の時は四方火の海と化したが不思議なるかや火は近寄らず社殿は焼失はしませんでした。老朽した社殿を見るに見かねて当神社氏子の建築業野澤晃氏が奉納され見事な社殿になりました。平成五年十二月吉日(伊勢神宮式年遷宮記念)に遷宮。
  参拝者の荒高なる神様と益々信仰深める』
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 琴平神社拝殿。
 ググってみたところ、こちらは舟運の安全や商売繁昌を祈願して安永元年(1772)に讃岐の金刀比羅宮から勧請されたものであるらしい。
 社殿裏にはマムシ注意のプレートが付けられていたが…出るのか、マムシ。まぁ、琴平神社の神様は蛇神でもあるけどさぁ。
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『本殿改築記念碑
 当部落の産土神琴平神社の本殿は大東亜戦争後間もなく業火に遇ひ灰燼に帰して以来、幾度か再建の議起ると雖も機熟せず永らく延引するの止むなき有様。氏子一同見るに忍びず遂に昭和三十四年七月十日之が敢行と決議し八月十日着工。以来四方の浄財湧然と集り九月二日上棟式の儀を経て昭和三十五年三月十三日見事盛大なる遷宮式を挙行する次第。我等一同感激に堪へず茲に広大なる神徳を敬ふと共に大方の芳志を刻して永へに讃へんとす。
 昭和三十五年 三月吉日』
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「琴平神社 大錨 壹挺 量目百廿貫余 明治十五壬午三月」と彫られているが、大錨が奉納されたと言うことだろうか。
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 琴平神社の本殿裏に足尾神社。
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 獣頭人身の…なんだこれ。狛犬? 随神?
 片方の首が無くなってしまっているのが惜しまれる。
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 社殿の裏から西へ裏参道が延びているようなので、少し見てみようと思い、下りて行くことに。
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 振り返ってみると、なんだか裏参道の方が立派なんじゃないかと言う気がして来る。
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 道も整っていて歩き易い。
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 6~7分程も歩くと「県道峠 8-9分」と書かれたプレートがあるので、とりあえずここまでとして戻ることに。

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 しかし、やはり気になったので126号線を佐野方面へ走って行くと、19番カーブの標識脇に琴平神社参道入口がある。
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 標石脇に石祠。
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 やはり、こちらの方が歩き易い。
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 ここから先が琴平神社の社有地であると看板に書かれている。
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 そこから1分程でこの看板。えーと、参道入口からここまで10分かかってないんだけど。
 更にここから1分程歩くと、先程見た「県道峠 8-9分」と書かれたプレートのある地点に到着。裏参道からなら表参道の半分程の時間で到着できて、しかも道も良いので疲れない、と。でもまぁ、やっぱり表参道からきちんと参拝したいよね。
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 裏参道入口向い側にも道が続いているようなので少し歩いてみたのだが、かなり奥まで続いているようで、さすがにどこまで行けるか試せる程の時間も体力も無いので断念。
 また、このカーブを越えるとそこからは佐野市になる。

 以上で9月18日参拝分終了。
 使用機材はK-7にFA28mmとDA35mm、APO-LANTHAR 90mm、APO-LANTHAR 180mm。K10DにDA15mmとDA70mm。
 今回は八坂神社が多かったなぁ。参拝した22社の内8社ってことは1/3以上が八坂神社か。

八坂神社(柏倉町)

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 琴平神社を目指して県道126号線を西へ向かっていると、神社らしきものが見えたので立寄ってみたら八坂神社だった。こちらの神社は地図に載っていないので予想外だ。

聖徳太子神社(柏倉町)

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 浅間神社から西へ向かうと柏倉温泉太子館があり、その中に聖徳太子神社が鎮座している。
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 温泉客でなくとも参拝はできるようだ。
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 大門を通り抜けると礼拝堂があり、その先に鳥居と聖徳太子神社が見える。
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 大門脇にも聖徳太子堂があるが、こちらはいわゆる里宮にあたるのかな。
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 石段上り口に狛犬。
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 急傾斜の石段。
 右側の細い石段は遠回りながら緩やかな坂道になっているので、急な石段を上るのが嫌な人はそちらを使うといいだろう。自分は上りは石段を使い、下りは坂道の方を使ってみた。
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 拝殿は開け放たれている。
 太子館のサイトを見ると、館主八代の祖先である大阿久仁左衛門源兵衛が享保二年(1717)に太子堂を再建し、代々太子を尊崇していたので太子館と名付けられた、と書かれている。再建したのが享保二年と言うことは、創建はそれよりも古いことになるのだろう。
 また、ググってみて結果、こちらは聖徳太子を主祭神としている他に天照皇大神・稲荷大神・大山祇大神・木花開耶姫大神・弁財天大神も祀っていることが判明。
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 拝殿の隅には聖徳太子と思われる石像を納めた厨子と祠。
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 拝殿前から見下ろすと、周辺が一望できる。
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 駐車場から見た聖徳太子神社。

浅間神社(柏倉町)

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 県道75号線を東へ戻り、八坂神社前から県道126号線を北上して行くと真言宗豊山派成就院の西に浅間神社が鎮座している。ちなみに成就院の東側には朝日塚古墳と言う円墳があり、お稲荷様を祀った祠があるのだそうだ。
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 拝殿の前に愛宕社。
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 大願成就碑と八坂大神御神輿殿改築費奉賽者の名を記した板碑。とすると八坂神社の御神輿殿が有る筈なのだが、はて? 見当らないな。
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 浅間神社の隣には北柏倉公民館。

星宮神社(小野口町)

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 県道75号線へ戻りずーっと南下して行くと、あさひヶ丘カントリークラブの南東に星宮神社が鎮座している。が、社号標石が見え難いのでうっかり見落とし易い。むしろ反対側にあるエロ本自動販売機の建物の方が余程目印になる。
 また、こちらは道が細いので車で入るのは少し無理があるが、標石横の民家の左側から神社手前まで道が延びているので、そちらに入って行くことができる。
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 鳥居。
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 参道は石段が続いているのだが、草茫々で少し歩き難い。
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 石段途中右手側に庚申塔。
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 拝殿。
 新築記念碑には昭和五十五年十一月十五日建之と記されていたが、それ以外はさっぱり判らず。
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山の神神社(小野口町)

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 75号線に戻って西へ進むとすぐに二又に分かれるのだが、そこで75号線から外れて右へ…と思ったら工事中で封鎖されていた為、ニッコークリエート産業西側の細い道から回り込むことに。
 しかし、どこから上って行けばいいのか判らない。入口らしき場所はあるのだが、すぐに畑に遮られて進めそうにない。まさか畑を踏み荒らして行く訳にもいかないので丁度作業をしていたお婆さんに訊いてみると、少し西の民家脇から参道が延びているのでそちらから入って行けるのだと言う。なるほど、自分が入口だと思ったところはそもそも入口ですらなかった訳だ。
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 お婆さんに言われた通りに歩いて行くと、鳥居の前まで到着。
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 山の神神社と言うことは、御祭神は大山祇神なのかな。
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 拝殿の奥にも鳥居。
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 逆から。富士塚だろうか?
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 塚頂には石祠が二つ並んでいる。どなたを祀っているのかは判らないが、もし富士塚であるのなら浅間神社と小御岳神社だろうか。

狩岡神社(皆川城内町)

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 八幡宮から南下し、県道75号線を西へ向かうと割とすぐ右手側にそば屋の看板が見えて来るので、そこで右折して細い道を進んで行くと狩岡神社前に到着する。鳥居手前には青面金剛。
 神社背後には狩岡古墳群が分布しているそうなので、こちらも古墳の一部なのかな。
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 参道。
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 拝殿兼本殿覆い屋。
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 中には狩岡神社本殿の他に左右に小さな祠が見える。
 天井付近に打たれた板を見ると、中央が狩岡神社で左が三峯神社、右が八坂神社であるようだ。その右に何か書かれた板が掛かっているのだが、文字が小さくてさすがに読み取れない。かろうじて八坂の文字とか人名が並んでいるらしいということは判るので、由緒書きでは無さそうだ。
 また、ググってみると金精様が祀られているようなのだが、それらしいものは見当らない。

八幡宮(皆川城内町)

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 皆川城址公園の西側、皆川城カントリークラブの入口手前に鎮座する八幡宮。
 駐車場らしきものがあるなと思ったらそこは既に皆川城CCの敷地だったので、やむなく路肩に駐車。
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 鳥居。
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 庚申塔と猿田彦命。
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 拝殿。
 改築記念碑があったので平成元年十二月に改築されたことだけは判ったが、それ以外のことは由緒書き等も見当らず、ググってみても詳細不明。
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 狛犬。
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 境内社。
 おそらくこちらも八坂神社ではないかと思われる。右側の石祠三つは見当も付かず。

雷電神社・厳島神社(皆川城内町)

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 栃木市役所皆川出張所の裏、皆川城址公園の麓に鎮座する雷電神社の鳥居。
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 雷電神社。
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 雷電神社のすぐ左側に厳島神社。こちらは鳥居は無く、注連縄が張られているだけ。
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 厳島神社らしく、周囲に小さいながらも堀が巡らされている。
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 皆川城址公園案内図。
 結構広そうだが、今回はのんびり見て回っていられる余裕が無いのでパス。また来る機会があったら見て回ろう。
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『皆川城址
 室町時代皆川氏を名乗った長沼秀宗が築いたこの城は、山の形をそのまま利用したものでその形から「ほら貝城」とも呼ばれている。城山を登るとその中腹に井戸の跡や土塁武者走りが残っていて、当時をしのばせる。
 この皆川地区公民館(旧中学校跡地)は皆川城に桝形に建てられたものであり、現在の公民館の西側に土塁西から南にかけて濠が残っている。
 この東方に存在する持明院は、皆川城の鬼門除けとしたものらしい、白山台に流鏑馬や草競馬で名高い東宮神社の一廓をなしたものであり、神社は城の守護神として祀られたものであった。また西方の金剛寺には皆川城歴代の墓がある』

八坂神社(皆川城内町)

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 県道75号線を西へ向かうと照光寺の北側、県道126号線と合流する地点に八坂神社が鎮座している。
 また、ここは栃木市福祉バス皆川コース6番八坂神社社務所前停留所ともなっている。そして駐車場は無い。
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『八坂神社御輿修復記念碑
 ここ皆川宿町屋に鎮座まします八坂神社は、我等地区住民の守り神であり、また現存する御輿は百数十年の歴史を持ち、近在に例を見ない誇るべき文化的遺産でもある。而しながら年を経て漸く損傷の甚だしきを見るに至ったので、祖先より受け継いだ遺産を更に長く子々孫々に伝えるべく、氏子一同、心を一にした協賛奉加により、一大修復を企図し、茲に見事に完成するに至った。仍ってこの事蹟を碑に刻み記念とする所以である。
 昭和五十六年九月吉日』
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 拝殿、と言うか御神輿庫?
 左側の祠は市神社。とすると御祭神は神大市姫命かな。素盞嗚尊の妻であるし、岐の神でもあるようなので交差点であるこちらに鎮座しているのはふさわしいのかも。
 それにしても、皆川城内町には八坂神社が多いなぁ。ここで五ヶ所目だ。大皆川町の八阪神社だって皆川城内町との境付近と言うか、東宮神社の目と鼻の先だもの。

八坂神社(皆川城内町新町)

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 荒宿の八坂神社とこちらの間には永野川が流れているので県道75号線経由で回り込み、マイコール株式会社の向い側に鎮座する八坂神社へ。こちらには今年の五月にも一度来ていたのだが、その時は拝殿前にバンが横付けされていたので撮影出来なかったのだ。
 参道右手側には社務所を兼ねた新町公民館がある。
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 拝殿。
 手前左手側には改築記念碑が建てられている。
『八坂神社改築記念碑
祭神
 素盞嗚命・奇稲田姫命・大己貴命
創祀
 嘉吉三年(1443)荒宿八坂神社の分社として創祀
八坂神社由来
 荒宿に在住した麦倉健蔵氏の明治三十四年に調進した文書によると、大同二年(807)に荒宿一帯に悪疫が流行し悲惨な状況であったのをみかねた名僧金輪坊貞観和尚が何とか救済しようと一念発起し、武蔵国大宮郷(現さいたま市大宮区)の氷川神社の御神影を現在の荒宿の地に迎え悪疫消除天下泰平を祈願した。その御神威により悪疫は消滅したので八坂神社崇敬の念がにわかに高まり御神輿を奉納し巡行祭礼することとなった。その御神輿は嘉吉三年に大破したが持明院二世俊道法師の尽力により再建された。同年に荒宿中字新町坪に分社を創祀されたと調進されている。
 分社地は八坪だったのを坂田文作氏が地続きの四畝十三歩を社地として寄進し、更に昭和十五年に石鳥居を奉納された。
 昭和二十五年には氏家・実氏によって御神輿が奉納され、昭和五十五年に巻島好秋氏と総代の協力により山車が奉納された。今回氏子の総意により本殿・本殿覆・拝殿を改築することとなり、裏面記載の通り氏子の奉賛金及び新町にゆかりのある方々並びに篤志家の御奉賛により荘厳な八坂神社の落成をみるに至った。ここに改めて関係者一同八坂神社改築落成を奉祝し奉るとともに、敬神の念厚き氏子並びに崇敬者の幸福と繁栄に御加護を垂れさせ給うよう祈願し八坂神社改築の碑文とするものである。
 昭和五十九年七月吉日』

 持明院と言うのは荒宿八坂神社の北、聖地公園の西にある真言宗豊山派の寺院。
 嘉吉三年は七月に室町幕府七代将軍足利義勝が僅か十歳で死去した年であり、九月に後南朝の一派が後花園天皇の内裏を襲撃して三種の神器を強奪した禁闕の変の起きた年でもある、と。

八坂神社(皆川城内町荒宿)

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 東宮神社の北西、皆川城東小学校の西側に八坂神社が鎮座している。左奥に見えるのは荒宿公民館。
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 祠の中には御幣が三本立てられており、左から二荒山神社、大神宮神社、雷電神社。…あれ、八坂神社は? 他に祠は見当らないのだが、もしかしたら公民館の中に納められているのだろうか。よく見ると公民館の入口に注連縄らしきものが掛けられているし。
 新町の八坂神社の改築記念碑によると、こちらの創建は大同二年(807)に金輪坊貞観が悪疫消除の為に大宮の氷川神社から勧請したものであると言う。

東宮神社(皆川城内町)

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 皆川城内集会所から東北自動車道の側道を北東へ走って行くと東宮神社の二の鳥居前に出るのだが、こちらは県道75号線に面して建てられた一の鳥居。
 左側に見える建物は鳥砂公民館。
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 県道75号線を挟んで南側に…なんだろう。文字は無いけど、庚申塔?
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 二の鳥居。駐車場はこの奥、神社東側にある。
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 石段を上ると右手側に末社殿。
 左から大鷲神社、小安神社、天満宮、稲荷神社、八幡神社、雷電神社、野木神社、龍神社。
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 神楽殿。
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 拝殿。
 栃木市観光協会のサイトによると、こちらの神社は天喜元年(1053)に源義家が奥州下向の際に東国鎮撫を祈願した社であり、その後、永享元年(1429)に長沼淡路守秀宗が氏神である春日神社を勧請して東宮大明神とし、皆川六十三ヶ村の鎮守と定めて尊崇したのだそうだ。以前、神田町の東宮神社でも書いたが、皆川城の東にあるから東宮神社だと言う判りやすいネーミングだ。
 また、毎年五月五日には流鏑馬が行われるらしい。
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 狛犬。
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 本殿。
 必要以上に近付いたり、拝殿の引き戸を開けたりすると警報が鳴って警備会社に通報する装置が設置されていると言う警告文があちこちに張られていた。普通に参拝している分には何も問題は無いとは言え、そんなものが必要になると言うのはなんとも悲しいものだね。
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 御大典記念碑。
 右側に犬養毅敬題と刻まれている。
『下野皆川郷郷社東宮神社人皇四十八代 稱徳天皇御宇神護景雲年間創立鎮座而祭神媛大神
 天兒屋根命武甕槌命経津主命之四柱也人皇六十代 醍醐帝御宇于美濃南宮于奥州北宮于攝
 津西宮下野之東宮實謂日本四社之一也是皆自在古之傅説也神威赫々神徳耀々洽光被四表闔
 郷氏子崇拝奉仕無窮天 桓武帝御宇延暦年間坂上田村麿奉 勅征奥途次來當社祈戦捷 後
 冷泉帝御宇天喜年間源義家征奥羽之途次亦來祈戦捷而有霊験凱旋之際再來于此地稱礼祭行
 流鏑馬式其古式今尚存焉人皇百一代 後花園帝御宇永享八年皆川山城守氏秀公始築城于皆
 川郷而居焉奉東宮神社以爲鎮護神毎歳春秋二季必祀焉輙爲武運長久之祈願寛永年中山城守
 隆庸公敬神之心更篤再建於本社拝殿末社及鳥居等又別建石灯籠二基一基既破却一基今尚現
 存焉寛永十九年當社爲六十三村總鎮守云咸共永傅旧記又口碑哉庶人之信仰倍加其厚矧於
 闔郷氏子崇拝奉仕悠久者乎抑明治維新一大改革凡剗除旧來之陋習文物制度大率一新矣當時
 我邦大好西洋文化擧朝野模倣之苟取彼之長捨短素無害也雖然彼我主客和其輕重而克行之天
 下者葢非有卓見高識之士不能爲也特西洋諸國與我邦異其國體文物制度亦不得不然或有適彼
 而不適我者是以苟取捨選擇誤之或有不得免其弊害者歟果也今日之思想界既蒙其影響我邦固
 有之精神文明益衰動傾物質文明漸爲險惡之思想以爲彼我主客輕重失其之所致也乎鳴呼誰
 爲国家可得不憂慮哉今也政府亦既有見于此深憂之不措不惜多大之費額専講敬神以善導於思
 想之方法矣時偶遭遇御大典各地一齊遽記念新築之議起矣於是當社々司惣代諸君與氏子一同
 速遂協議應分醵出或篤志家之寄贈或神社之貯金皆集之以充工費或日其土工中自社前四尺許
 之地下鍍金茶筒形之者現其周圍有彫刻文曰皆川庄東宮大明神十羅刹女 奉納大乗妙典六十
 六部卅番神享禄 八月吉日鈴木勝家云與當社似有縁由者距今四百三年 後奈良帝御宇将軍
 足利義晴時代也然而當社拝殿之新築社務所之改造神楽殿之移轉玉垣及石垣石坂等之築造皆
 悉成矣特境内甞以狹隘開鑿之便齋庭以爲 今上天皇御即位御大典記念其美擧最有意義者也
 昭和三年十一月起工翌年十二月竣工其間殆一年有餘其新殿構造内容頗堅實而外觀荘嚴神徳
 益輝神人之懌可知也是即氏子惣代竝工叓委員諸君之盡力與氏子一同戮力協心之結果也奉祝
 御大典之盛事祈 聖壽之萬々歳願氏子一同之繁榮无窮矣頃惣代諸君胥謀欲建碑以慱御大典
 記念新築於永久惣代谷部兵五郎君大出文治郎君來請余文余以淺學菲才堅辭焉尚以大賀忠内
 君小暮源次郎君再來請余感激其熱誠交誼不特辭不顧淺學不文應需記之
  昭和六年五月 縣社太平山神社兼東宮神社々司 小林公仁麿書』


 これを見ると、創建時期は神護景雲年間(767-770)で御祭神は媛大神と天兒屋根命、武甕槌命、経津主命の春日四神。醍醐天皇の御世(897-930)には美濃の南宮、奥州の北宮、摂津の西宮、下野の東宮で日本四社の一つとされ、桓武天皇の御世(781-806)には坂上田村麻呂が奥州征伐の途上で戦捷祈願を行い、後冷泉天皇の御世(1045-1068)、天喜年間(1053-1058)には源義家が奥州征伐の途上で戦捷祈願を行い、凱旋して戻る時に再び立ち寄り流鏑馬を行ったが、これは今尚祭行されている。後花園天皇の御世(1428-1464)には永享八年(1436)に皆川山城守氏秀公が築城を始め、東宮神社を皆川郷の鎮守とした。寛永年中(1624-1643)山城守隆庸公が神社を再建、寛永十九年(1642)には六十三ヶ村の総鎮守となった…で、いいのかな。どうも皆川城が建つ遥か以前から東宮と呼ばれていたようだが、春日神が勧請されて来る前はどなたが祀られていたのだろうか。
 栃木市観光協会の方では長沼淡路守秀宗が勧請したと書かれているが、こちらに記された皆川山城守氏秀と言うのは秀宗の子なので、時期的にはそう大差は無いか。ただ、皆川姓を名乗るようになったのは氏秀の子の宗成からだそうであり、山城守になったのは宗成の子である成勝からのようなので、長沼淡路守氏秀と言うのが正しいのかな。また、東宮神社を再建した皆川山城守隆庸は氏秀の五代後の皆川家当主であり、片柳町の東宮神社を建立した皆川山城守俊宗は隆庸の祖父にあたり、神田町の東宮神社を建立した皆川山城守広照はその子、つまり隆庸の父にあたる人物である。ちなみに、藤原秀郷の子孫でもあるそうだ。
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 本殿東側の小さな丘の上に天満宮。


八坂神社(皆川城内町城下南)

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 東北自動車道の下をくぐり、皆川城内集会所の東を流れる藤川を渡るとすぐにある城下南公民館の東側に八坂神社が鎮座している。
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 藤川の脇に…えっと、観音堂だったかな。

白山神社(皆川城内町向山)

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 八坂神社から先程通った道を逆戻りし、向山公民館から東の奥へ入って行くと白山神社が鎮座している。
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 拝殿。
 この辺りで白山神社は珍しいような気がする。

八坂神社(皆川城内町滝ノ入)

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 傑岑寺からずーっと南下して行くと、滝ノ入公民館の手前に八坂神社が鎮座している。

傑岑寺(皆川城内町)

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 八阪神社から西へまっすぐ走って行くと、突き当たりに曹洞宗建幢山傑岑寺が鎮座しており、参道前には建幢山白華林傑岑禅寺と彫られた石がある。
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 山門。
 ここで門をくぐらず右の道を上って行くと高房神社の前に出るのだが、まずはきちんと正面から入って行こう。
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 彫刻の施された門は閉じられていて入れない…かと思いきや、門の右手側から入れるようだ。でもその前に周囲を一回りして来よう。
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 門前から右へ下って行くと高房神社。
 傑岑寺の由緒などは公式サイトに記されているのだが、何故か境内にあるこちらの神社については一言も触れられていない。こんなことなら本堂に居たお坊さんに訊いておけば良かった○刀乙
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 高房神社後ろから。
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 庫裡の脇を抜けて奥へ歩いて行くと、道了堂へと続く石段がある。
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 道了堂。
 天正十五年(1587)に寺の鎮守として寺の境内に祀られたが、東北自動車道の建設により移転せざるを得なくなり、昭和四十七年(1972)三月二十日に道了堂と附属石祠の移転が完了したのだそうだ。
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 道了堂の裏に鎮座する石祠。こちらが一緒に移転してきた祠なのだろう。でもどなたが祀られているのだろう?
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 道了堂から傑岑寺の裏を回ってぐるりと道が続いている。
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 傑岑寺本堂。
 天文二十三年(1554)、時の領主である皆川山城守俊宗公が居城の壕外に西接する谷津山の地に堂宇を建立し、弘治二年(1556)に天嶺呑補和尚を招請して開堂したと傑岑寺の公式サイトに書かれている。また、傑岑寺の名は皆川俊宗公の戒名に、山号は俊宗公の父である皆川成勝公の戒名に由来するそうだ。
 ちなみに天嶺呑補を調べてみると、大中寺の六世住持である快叟良慶の弟子で、天正二年(1574)下野に傑岑寺を開き、翌年大中寺を再建して大中寺七世住持となったと書かれているが…あれ? 1556年と1574年じゃ18年も違うぞ。また、Wikipediaには天嶺呑補が大中寺を再建したのは永禄五年(1562)と書かれているし、こちらは13年違う。しかし、栃木市観光協会のサイトを見ると、永禄四年(1561)に焼失した大中寺の大伽藍を再建したのは快叟良慶の甥にあたる上杉謙信であり、天嶺呑補が大中寺を再建したのは天正三年(1575)と書かれている。うーん?

八阪神社(大皆川町)

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 大岩橋を渡ったらすぐに左折して狭い道を走って行くと、やがて八阪神社が見えて来る。
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 こちらは八阪神社(素盞嗚命)と御霊神社(大己貴命)、鹿島神社(武甕槌命)が合祀されている。しかし、八坂じゃなくて八阪なのね。大阪の八阪神社から分霊したのかな?
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 庚申塔と青面金剛。
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 拝殿。
 左側に石祠が二つ並んでおり、右から御霊神社、鹿島神社。その左奥にあるのは石仏のようだ。

岩出天満宮(岩出町)

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 永野川に架かった大岩橋の南東に鎮座する天満宮。
 由緒書き等は見当らず、ググってみてもHitしないので詳細は不明だが、地図によっては八坂神社と記載されていることもあるので、八坂神社が合祀されているのかも知れない。
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 本殿。
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神明宮八坂神社(薗部町四丁目)

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 栃木工業高校の南西にある薗部町五丁目公民館の脇に鎮座する神明宮八坂神社。
 公民館自体が通りからやや奥にあるため判り難いが、薗部町五丁目公民館入口と書かれた看板があるのでそれを見落とさなければすぐに見つけられる。…一度見落として通り過ぎてたよ○刀乙
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 拝殿。
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 詳細不明の石祠と庚申塔。

 ググっていて気が付いたのだが、ここから南東に少し行った所に薗部町配水池があり、その南側に位置する古墳の上に愛宕神社があったようだ。事前に知っていれば…○刀乙

天満宮(新井町)

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 稲荷神社から一本東側の道を北上して行くと、左手側に天満宮が見えて来る。
 社殿に隣接して新井町公民館が建っており、やはり社務所を兼ねている。
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 参道右手側に神楽殿。
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 神楽殿脇の石碑。
 大正十四年九月二十日に賀陽宮恒憲王、翌年二月一日に閑院宮春仁王がこちらに御参拝なされたことを記念してのもののようだ。
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 狛犬。
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 拝殿。唐破風懸魚には一斉に咲く梅の花の彫刻が施されており、また瓦当一つ一つにも梅紋が施されて、これでもかとばかりに天満宮であることを主張している。
 由緒書き等は見当らない為、詳しいことは不明。
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 御神木の欅。
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 こちらの欅は天然記念物に指定されており、案内板が設置されている。ついでに神社の案内板も設置してくれればいいのにな…。
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 境内社。
 鹿島神宮・稲荷神社と書かれた小さな額が掛けられていた。左側の倉は神輿殿。
 鳥居と石燈籠の間にある板碑には男體山と刻まれていた。
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 道を挟んで東側にずらりと並ぶ石祠群。
 右奥が曲玉神社で右から三番目は二荒神社。他は不明。
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 二荒神社と曲玉神社の間の石祠。猿らしきものが彫られているが、三猿とも違うようだ。
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稲荷神社(泉川町)

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 錦着山入口北交差点から県道75号栃木佐野線を西へ向かい、赤津川に架かった泉橋を渡ると信号脇にセブンイレブンがあるので、そこで右折して北へ向かうと左手側に稲荷神社が見えて来る。
 鳥居の奥に見えているのは稲荷神社に隣接した泉川町公民館。神社の社務所も兼ねている。
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 鳥居をくぐると右手側に神楽殿。
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 狛犬。
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 拝殿。
 由緒・御祭神等は不明。
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 境内社。
 左側はでかでかと天王と書かれているので、八坂神社だろう。倉になっているので、御神輿が納められているのかも。
 右側は御幣が三本納められていたが、詳しいことは不明。
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 末社。
 右端は青面金剛で、右から二つ目は浅間大神。他は不明。
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 庚申塔や青面金剛。

田原八幡宮(新吉水町)

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 天満宮から南へ向かうと田原八幡宮があるのだが、なかなか見つけられず、周辺を随分とうろうろすることになってしまったが、結局どまんなかたぬまに車を置いて徒歩で探したら割りとあっさり見つけられた。しかも、見つけてみれば駐車場がしっかり有るじゃないか○刀乙
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 二の鳥居と東明寺古墳。
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『佐野市指定史跡 藤原秀郷公墳墓 1基
 昭和42年6月28日指定
 直径24m 高さ3m 円墳
 周囲の平坦面と切石を含めると、直径35.6m、高さ5mの墳墓となる。
 藤原秀郷公は、上野国(群馬県)赤岩に生まれた。天慶三年(940)二月、朝廷に背き乱を起こした平将門を、平貞盛と協力して討ちとった。その戦功により従四位下に叙せられ、武蔵(東京都・埼玉県)・下野(栃木県)の国守に任じられた。正歴二年(991)九月に没し、ここに葬られたと伝えられる。
 かつてこの近くに、秀郷が開基となり、大僧都知海法印が開山した大同山東明寺(元和三年(1617)に廃寺)があったことから、「東明寺古墳」ともいう』
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 古墳の北側に田原八幡宮。
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 狛犬。
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 本殿。
 八幡宮ではあるが、御祭神は藤原秀郷公。かつては墳頂に鎮座していたのが、こちらに下ろされたのだそうだ。

 以上で9月11日参拝分終了。
 使用機材はK-7にDA40mmとFA28mm、FA77mm、APO-LANTHAR 180mm。K10DにDA15mm。IXY Digital 400。

天満宮(新吉水町)

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 新吉水地区コミュニティセンターの西側に鎮座する天満宮。コミュニティセンター南側の田沼吉水駅前郵便局が良い目印になるだろうか。
 現在は境内の造成中のようで、コミュニティセンターと神社の間に駐車禁止と書かれたカラーコーンが置かれていたので、コミュニティセンターの駐車場を借りることにした。
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 改めて、鳥居。
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 拝殿。
 先ほどの小見町の天満宮からこちらまではとても近く、また今回は参拝しなかったが、下小見地区にも天満宮があるそうで、この比較的狭い地域に天満宮が三つもあると言うのは、藤原秀郷公が菅原道真公を深く崇敬していたことと関係があるのだろうか。
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 日露戦争従軍記念碑の左側の石祠は為朝神社。すると御祭神は鎮西八郎源為朝だろう。従軍記念碑右側の少しだけ立派そうな祠は詳細不明。
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 神武天皇遥拝所。
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 本殿左右から。
 塗り直されたばかりなのか、彫刻に施された色彩はかなり鮮やかだ。…うん? なにかおかしいな。天満宮なのに、なんで梅紋ではなく左三つ巴紋なんだ? あぁ、そうか、藤原秀郷公が使っていたのがこれだ。唐沢山神社の神紋も左三つ巴紋だったものな。とすると、こちらの神社はやはり秀郷公縁の神社と言うことになるのだろう。
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 本殿裏の彫刻。左右の彫刻は中国の故事を元にしたような感じだったが、こちらの雷神は随分と日本風だ。
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 全景。

天満宮(小見町)

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 神明神社から南下して行くと、どまんなかたぬまの西の交差点に至る手前左側に天満宮が鎮座している。
 ところで、赤見町の駒場交差点から吉水町の道の駅交差点までを繋ぐ道って何て呼んだらいいんだろう。
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 狛犬と拝殿。
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 こちらの狛犬は石塚町の熊野神社久保町の日枝神社の狛犬と似たような形をしている。
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『佐野市指定有形文化財 養蚕額 1面
 平成4年6月16日指定
 縦85cm 横165cm
 この額は、昭和三年(1928)十月、小見養蚕組合で、養蚕の振興を願って天満宮へ奉納したものである。桑切り、桑くれ、運搬、おこ上げ、繭かき等の養蚕作業に従事する男女十九人と、運搬する馬一頭が描かれている。
 画家は、当時の小見新宿に住んでいた郷土画家の清水秋塘で、後に出流原に移り住み、そこで没したといわれる。
 養蚕業の衰退した現在、当時の養蚕作業の様子を知ることができる資料として貴重である』

 養蚕業の発展を願うなら、蚕影神社や天白神社の方がいいんじゃないかと思うのだが、菅原道真公の所領が桑原であったとも言われているようなので、その辺りの繋がりなのかな。
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 養蚕額。
 保護の為にビニールで包まれており、円偏光フィルターを着けても反射を除去しきれない。
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 天満宮の社殿横に境内社。
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 床はコンクリートで固められており、祠の周囲には石造りの瑞垣が見える。
 また、祠には三五の桐や左三つ巴紋が見えるが、いったいこちらは何神社なのだろう。
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 末社。
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 小見町公民館の脇に稲荷神社。

神明神社(小見町)

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 榊神社から西へ向かい、小見原公民館を目印に進んで行くと、公民館北側の道端に神明神社が鎮座している。
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 由緒書きどころか額や社号標石も無いので、参拝した時は何神社なのか判らなかったが、帰宅後にググってみたら佐野市の公式ウェブサイトにこちらの神社の記述があったので、神明神社と判明。と言うことは、御祭神は天照大神であろう。
 しかし、創建時期や由緒などはやはり不明。
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 神社の脇に地蔵祠。
 道路に面して、ダイナミックな文字で青面金と彫られた石塔が建てられている。剛の文字は見えないが、青面金剛であるのは間違いないだろう。天明丁未年七月朔日とあるので、天明七年(1787)のものか。徳川家斉が第11代将軍に就任したり、田沼意次が失脚して松平定信が寛政の改革に着手した年だそうだが、そう考えると、しみじみと古い物なのだなぁと感じる。

榊神社(吉水町)

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 東明庵から南下して行くと、北関東自動車道の下を潜った少し先に慶安寺と榊神社への案内標識が有るので、それに従って進むと右手側に榊神社が見えて来る。
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 拝殿。
 撮影していた時には気付かなかったが、よく見てみると屋根の上に狛犬型の留蓋が設置されている。
 こちらも由緒書き等が見当たらなかったのでいつものようにググってみると、吉水駅前情報と言うブログにこちらの神社のことが記載されていた。それによると、こちらの御祭神は保食神、或いは豊受大神であり、古くは白鳥神社境内にあったが、現在地に遷座したとのこと。が、その白鳥神社がどこにあるのかは判らない。
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 本殿。
 背面には七福神の彫刻が施されている。
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 愛宕神社。
 右側の石祠は詳細不明。
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 扠首束には鬼の首のような木像が設置されている。
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 末社群。
 八つの祠が並んでいるが、いずれも不明。
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 神楽殿。
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『佐野市指定無形文化財 吉水榊神社太々神楽
 昭和53年12月12日指定
 この神楽は、赤見村大門(佐野市赤見町大門)に伝わる太々神楽を、昭和二年(1927)、吉水在住の有志数名が伝授を受け、これを吉水の鎮守である榊神社に奉楽し、氏子の五穀豊穣と家内安全を祈願したことに始まる。
 神社への奉楽は吉水敬神講の人たちにより、春祭(四月第四日曜)と秋の例祭(十月第四日曜)に行われる。神楽は、神々が舞う前に素面に白装束で御幣・鈴などを持ち、神楽殿周囲を清める舞に始まる。
 演目は、
  1.猿田彦之命の舞  2.岩戸開きの舞  3.事代主之命の舞
  4.八幡大神の舞   5.大王之命の舞  6.大国主之命の舞
  7.素佐能男之命の舞 8.経津主之命の舞 9.稲荷大明神の舞(白狐)
 10.住吉大神の舞  11.金山彦之命の舞 12.大山津美之命の舞
の十二座であるが、普通は時間の制約上、1.猿田彦之命の舞、2.岩戸開きの舞、3.事代主之命の舞を主とし、大胴・ツケ太鼓・笛に合せて勇壮に、厳粛に、或いはユーモラスに演じられる』

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 境内全景。

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 榊神社の前から鳥居をくぐらず、社号標石の右へと入って行くと、榊神社と慶安寺の間の細い参道に馬頭観世音の板碑。
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 青面金剛と地蔵菩薩。
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 庚申青面金剛尊と青麻山青麻大権現。
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 薬師堂。
 薬師堂から左に行けば榊神社境内、右に行けば慶安寺境内。

八坂神社(吉水町)

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 県道16号線を南下し、のぞみ動物病院前で南西へ入って行くと右手側に救世山東明庵が見えて来る。こちらは佐野坂東三十三ヶ所札所の十八番札所でもある。
 ちなみに山門の右側に見える赤い屋根が東明庵で、正面に見える建物は吉水上公民館。
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 こちらの御本尊は馬頭観世音菩薩。
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 佐野坂東観音巡礼開創供養塔。
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『佐野市指定有形文化財(考古資料) 石造佐野坂東観音巡礼開創供養塔 1基
 平成11年3月30日指定
 形状 笠付墓塔(中央に馬頭観音立像の浮き彫り)
 総高 162cm、幅 39cm、奥行き 24cm

 救世山東明庵は、元禄四年(1691)に本源雲谷が開いた寺院である。雲谷は、近隣の寺院等に呼びかけ、坂東三十三ヶ所の観音霊場になぞらえた「佐野坂東三十三所」を開創した人物である。雲谷は同行三十三人と、寺院に参籠しながら佐野坂東三十三所を巡り、元禄十一年(1698)八月十七日に巡り終えた。
 この供養塔は、それらのい事業を記念して建てられた供養塔である。庶民の観音信仰を知る上から貴重な資料である』
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 地蔵祠。
 左のぼこぼこした石は庚申塔であるようだ。
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 吉水上公民館に隣接して八坂神社が鎮座している。
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