来間稲荷神社(川原明戸)

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 榧木稲荷神社から南下し、突き当たった所で西へ向かうとすぐに来間稲荷神社が見えて来る。
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 参道が狭いのはいいとしても、脇の畑に踏み入る訳にはいかないので構図が最悪だ…。
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 やはりこちらも詳細不明。
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 お狐様。
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 やや西側に地蔵菩薩や阿弥陀如来などが並んでいる。

 以上で1月29日参拝分終了。
 使用機材はK-7にDA15mmとDA21mm、DA35mm Macro、DA70mm。K10Dに50-150mm II。
 帰宅途中で寒気がしたり少し頭が痛くなったりしたので風邪をひいたかと思ったが、そんなこともなかったようだ。えがったえがった。
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榧木稲荷神社(三ケ尻)

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 武体西交差点から少し西へ進んだ所にある榧木稲荷神社。
 古墳かとも思ったのだが、どうやら違ったらしい。詳細は不明。
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 祠には榧木稲荷大明神と書かれた幕が掛けられており、左奥に田中神社が見える。
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 田中神社から見た榧木稲荷神社。

田中神社(三ケ尻)

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 国道140号彩甲斐街道と埼玉県道47号深谷東松山線の交差する、武体西交差点の南西側すぐそばに鎮座する田中神社。
 駐車できるスペースは無いので武体自治会館に置くつもりだったのだが、ロープが張られていて無理だった。幸いにも武体西交差点脇にあるサンクス熊谷武体店の隣がパーキングエリアを兼ねているようなのでそちらに駐車。ついでにサンクスで水分補給。
 鳥居の額には「延喜式内 田中神社」と刻まれているので、こちらは式内社なのだろう。
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 参道。
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 二の鳥居。
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 鳥居奉献記念碑。
『抑々武蔵國四十四座の一社とたたえ奉る延喜式内田中神社の御祭神は武甕槌命少名彦名命天穂日命を奉斎し土人の古き伝説には田中天神と呼び菅原道真公併祀の鎮守にて家内安全交通安全学問高揚の神として氏子の崇敬今に壮んなり
 茲に御影石の大鳥居を御奉献し大神の御安泰と氏子の守護と繁栄を御祈念申し奉る
 右側に埋存せる天然石は常陸国鹿島の要石と同様の伝説を存す又武蔵國幡羅大里榛澤の三郡の彊域を示す境界石として永遠に伝えん』


 …要石? そんなのあったかな? いかん、見落としていたようだ。
 Google先生に訊いてみると、こちらは江戸時代には天神社或いは天神宮、田中天神社などと呼ばれていたが、天津神の天神であって菅原道真公とは関係が無かったのだそうだ。後に菅原道真公が合祀されたので両方の意味で天神社になった訳か。
 また、明治期に一時三ケ尻字新堀新田の八幡神社に合祀されたが氏子の嘆願により現地に復興されたとのことなのだが、三ケ尻と新堀新田にはそれぞれ八幡神社があるのだが、どちらのことなのだろう? 三ケ尻の八幡神社にはまだ参拝していないが、ここからそう遠くもない三尻小学校の北側に鎮座しており、新堀新田の八幡神社は今回参拝して来たばかりだ。
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 狛犬。
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 拝殿。
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 三峯社。
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 遠景。北西側から。

 どうでもいいことではあるが、田中天神社を「たなか・てんじんじゃ」ではなく「たなかたかし・じんじゃ」と読むとアレだね。いや、「たなかてん・じんじゃ」でもあまり違いはないか(笑)

薬師堂(大麻生)

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 正光禅寺のやや東側に位置する薬師堂。
 なんだか判らなかったのだが、赤城神社を調べている時にたまたまこちらの記述を見つけて薬師堂と判明。
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 針金を通した石が掛けられており、これも意味が判らなかったのだが、こちらの薬師様は目の治療に霊験があり、嘗ては穴の開いている石に糸を通して持って行って眼病治癒の祈願をしていたのだと書かれていた。
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 お堂の前に巡礼百番供養塔。
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 色々並んでいる。
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 鳥のレリーフが施されている。嘗ては鮮やかな色彩だったのだろうか。

赤城神社(大麻生)

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 大榮神社に車を置いたまま、秩父往還を歩いて赤城神社まで戻って来て見れば、赤城神社に隣接する正光禅寺の向かい側に駐車できそうなスペースが空いているじゃないか。赤城神社の方にばかり気を取られて反対側を見落としてしまうとは、ふふ、うっかりさんだな。……うぐぅ○刀乙
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 大黒天と庚申塔。
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 拝殿。
 ググってみたところ、こちらは三夜沢赤城神社から勧請したもので、御祭神は大己貴命と豊城入彦命であるようだ。
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 神輿殿と言うか…倉庫? 扉のすぐ向こうにボサボサ髪のマネキンが入っていたのには少し驚いた。
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 狛犬。
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 狛犬其之二。
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 逆向きで。
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 向拝虹梁にも狛犬…じゃなくて唐獅子かこれ。
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 合祀記念碑。
 背面には大正五年四月吉日とあるが、なにが合祀されているのかは記されていなかった。

大榮神社(大麻生)

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 秩父往還を西へ走って行くと正光禅寺の隣に赤城神社が鎮座しているのだが、駐車場が無いのでスルーし、その次に見えて来る大榮神社へ。こちらは社務所の横に数台分の駐車スペースがある。
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 合祀無償譲與記念・合併合祀移転碑。
 しかし…殆ど読み取れない。
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 大麻生地区の総鎮守と言うだけあって、立派な社殿。
 神明造りで千木が内削ぎ、鰹木が偶数と言うことは、主祭神は天照大神だろうか。
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 …なんだろう。神輿殿かな?
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 合祀社の鳥居。
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 合祀社。
 左から産泰神社、浅間神社、駒形神社、天神社、五社稲荷神社、八荒神社が祀られている。
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 弓場跡。
 …むぅ? なぜ神社にこのようなものが? そう言えば玉井大神社にオビシヤと言う神事があるそうだが、元々は弓を射てその年の豊凶を占う神事であるそうだから、こちらでも似たようなことをしていたと言う事だろうか?
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 こちらの神紋だろうか。見たことの無い形の紋だが、なんだろう。三つ輪違い紋や結び柏紋に似てはいるが、違うよなぁ。うーむ、判らん。

春日神社(小島)

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 久保嶋大神社から南下して行くと熊谷運動公園の北側に出るのだが、運動公園の東側を走る宮塚古墳通り沿いのサンクス熊谷運動公園店の南西に春日神社が鎮座している。
 鳥居の左側の祠は道祖社。鳥居の柱には宝暦二壬申歳三月吉日、武州大里郡小嶋村惣産子と刻まれているので1752年のもの。
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 狛犬。
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 末社。
 左から天神社、八坂社、稲荷社。
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 東側の鳥居。
 柱には廣瀬西廓氏子中とはあるが、何年の物なのかは不明。
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 拝殿。
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 向拝の内側に掛けられた絵。なんだろうコレ。
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 社殿の裏に境内社。
 向かって左が三峯社、右が寳登山社。

久保嶋大神社(久保島)

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 八幡神社から南東へ向かって行くと、久保島集会所の西側に久保嶋大神社が鎮座している。
 この日は丁度会合があったようで、駐車場は車と自転車がずらりと並んでいたがかろうじて駐車できそうなスペースは残っていたので一安心。しかし、スペースがあるのに道端に停まっている車があったのは不思議だ。
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 二の鳥居。
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『久保嶋大神社鳥居の由来
 所在地 熊谷市久保島四七一の二番地
 平成十六年十二月解体した際に、柱のほぞから願主と大工の名前とともに、嘉永二己酉年(1849年)四月吉日の建立を示す墨書が発見されました。
 建立以来一五六年ぶりに立て替えられた鳥居は、明神鳥居系の中でも両部鳥居と呼ばれ、笠木が反り返っている曲線構造です。柱は、転びと言われ少し斜めになっており、補助の控柱で支えているのが特徴的です。
 世界遺産で知られる厳島神社の鳥居と同じ型で、熊谷市内でも木造鳥居として極めて重要です』
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 拝殿。
 こちらの神社には由緒書きは無かったが、いつものようにGoogle先生に訊いてみたところ、江戸時代には山神社或いは山神大権現と称しており、御祭神は大山祇神と伊弉諾尊、伊弉冉尊。他に橘姫命と倉稲魂命、建御名方命、誉田別命、大日霊貴尊、素盞嗚尊、大雷神、軻遇突智命、天手長男神が祀られているのだそうだ。
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 狛犬。
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 拝殿の横に庚申塔。
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 境内社。三峯社と…稲荷社かな?

神明社(高柳)

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 籠原駅北口から中山道を東へ向かい、熊谷市高柳交差点の手前で南へ入って行くと、ふぐ料理屋のほぼ向い側に神明社が鎮座している。
 駐車場は無いが、ここまで徒歩なので問題無し。
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 由緒等は例によって不明。
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 伊奈利神社と天神社が合祀されている境内社。
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 三猿、大黒天、庚申塔。
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 神明社から南へ向かい、高崎線の踏切を越えて大通りを西へ歩いていけば、そのうちに新堀新田集落センターと八幡神社が見えて来る。周囲は殆ど遮る物が無いので、遠くからでもよく判る。

諏訪大神社(籠原南一丁目)

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 籠原駅南口のすぐ脇に鎮座する諏訪神社。
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 庚申塔に青面金剛、弁才天。
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 諏訪大神社社務所新築記念碑。
『当地新堀は平安時代に始まり神社所蔵の板碑に永仁二年とあり昔より栄えしときく当諏訪大神社の創立もまた古きものの年号は未だ不明なり
 安永年間大正寺境内恵日明神地内に借地致したるを明治三年春元社地七六五番地の壱現在の地に移り明治四十二年四月一日大字新堀本村三六七番地天神宮八坂神社及当境内社天神宮を合祀
 祭神は建御名方命菅原道真公建速須佐之男命を斎し奉る
 昭和二十三年十月二十日国有境内地無償譲與許可
 昭和二十七年九月一日宗教法人と成し現在に到る
 昭和四十一年三月二十七日七六六番地の壱を境内地に編入積立金を基本とし社務所を新築茲に篤志者の勤労奉仕と御奉賛を感謝し記念とす
 昭和四十二年三月二十七日』
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 天満宮の鳥居。
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 天満宮と八坂神社が合祀されている為か、鬼瓦の上に梅鉢紋、下に右三つ巴紋。
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 天満宮の脇に青野主馬塚と刻まれた石祠。
『明治元己巳冬王政一洗
 神佛混行不能為別當大
 正寺資孝隆濃州大垣藩
 十一歳得度十四歳時改
 青野主馬藤原孝治高柳
 栄新田當村鎮守緒社爲
 神主明治四辛未九月廿
 五日十六歳没葬者畔焉』
 …で、誰?
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 拝殿。
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 斜めから。
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 社務所。
 左奥の影になってしまっている所に神輿殿と万燈神輿庫。
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 社殿社務所改築神輿殿・新築 天満宮遷座改築 工事落成記念碑。
 裏には平成六年四月着工、平成七年三月落成と刻まれている。
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 籠原駅南口前。

八幡神社(新堀新田)

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 大雷神社から東へ向かって行くと、新堀新田集落センターの隣に八幡神社が鎮座している。集落センターの前には駐車禁止の看板が立てられていたが、道を挟んで神社の南側に駐車スペースがあるので問題無し。
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 社殿再建記念碑。
『當八幡神社は昭和三十四年九月二十六日の伊勢湾颱風の余波を蒙り本殿外宇及び拝殿に大災害を受け氏子一同驚愕と悲嘆の極に達した。このままに放置することは一刻と雖も忍びざるところ即日對策を協議した結果満場一致社殿の再建をなすこととし直ちに建築委員会を組織した。
 抑々當社は明治三十三年五月當時の氏子三十一戸総代根岸悌三郎根岸傳次郎柿沼久作建築委員代表石丸茂十郎棟梁柿沼百太郎各氏の努力と氏子の協力に依り本殿外宇は間口二間奥行二間半木造茅葺又拝殿は間口八尺奥行六尺木造瓦葺にて造営され氏子の尊崇の中心として今日に及んだ。
 たまたま昭和二十九年旧三尻村が熊谷市合併に際し字所有の新堀新田字赤土二二ノ一外二筆山林一反九畝十一歩は市の財産となったのを地元市議会議員浅見一郎湯本春吉両氏の盡力により上記の土地無償拂下げを熊谷市長に嘆願し一方市議会にも折衝した結果格別の温情を以て金壹封を當字に交付された。この意義ある金圓の處分に付き区長は区民に諮ったところ満場一致これが社殿の建築資金に充てることにした。
 更に昭和三十五年二月宮司及び主任総代神社本廰に封し社殿建築資材として立木伐採許可申請をなしたるところ許可を得直ちに起工又工事に要する人夫は総て氏子総意の勤労奉仕に依り茲に芽出たく竣工を見るに至った次第である。
 昭和三十五年十一月十五日』
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 拝殿。
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 ちょっぴり怪獣チックな狛犬。
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 社務所改修記念碑。
『当神社社務所は昭和三年に建設されたものであるが、七十五年の歳月により漸く老朽と損傷は看過しがたく、屋根瓦葺き替えをはじめとする大規模な改修を余儀なくされるにいたった。
 幸い、氏子全般の賛同をふまえ、伏して浄財を募ったところ、当神社氏子はもとより広範なる崇敬者の協賛を賜り、平成十五年四月、遂に着工の槌音を聞いたのであった。爾来工事は順調に進捗、新堀新田の里の早苗緑色を深める七月、予定通り完成をみたのであった。
 茲に往時社務所建設に関わった先人の努力に思いを致しつつ、今次改修に赤誠を捧げられた各位の芳名を碑面に刻し、功績を後昆に伝えんとする次第である。
 平成十五年十一月二十三日』
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 境内社。
 左側の祠には桜紋が刻まれていたが、すると木花之開耶姫命を祀っているのだろうか? 断定はできないが。中央の祠には右三つ巴紋が刻まれていたものの、この神紋を使う神社は多いのでなんとも言えない。右の祠は中空っぽ。
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 上写真の祠の間から奥へ入ると稲荷神社の鳥居。
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 稲荷神社。
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 レリーフ状のお狐様。
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 歌碑。
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 中央の祠は大六天社。文政十年丁亥三月吉日とあるので1827年のもの。右端はおそらく大黒天。他は不明。
 奥に見えるのは上記の稲荷神社。
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 三峯神社。

観音堂(拾六間)

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 大雷神社の西側に観音堂。
 大雷神社と徳蔵寺、観音堂は一つのエントリーに纏めようかとも思ったのだが、長くなりすぎるので三分割。
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 六地蔵。
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『六地蔵尊
 この地蔵尊は文政九年(1826年)拾六間村落合喜左衛門氏が寄贈したもので長い年月(一五○年間)閻魔堂に奉蔵されてあったものを昭和五十七年(1982年)ここに安置したもので岩石の風化を防ぐため屋根をつけた。
 地持地蔵  護讃地蔵
 宝性地蔵  破勝地蔵
 陀羅尼地蔵 弁尼地蔵
 法性地蔵  不休息地蔵
 鶏亀地蔵  延命地蔵
 法印地蔵  讃龍地蔵』


 落合喜左衛門氏の名は大雷神社の狛犬の台座にも刻まれていたが、信仰心の篤い人だったのだな。
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 観音堂の左手前に閻魔堂。
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『閻魔堂
 十王と葬頭河婆
 この像は安永四年(1775年)に観音堂を開山した慈誉秀弁大徳が中国四国秩父阪東を行脚して後、寛政十二年(1800年)に安置したものを昭和五十九年(1984年)に深谷市の根本彫刻師によって修覆したものである。
 堂は昭和四十一年(1966年)改築した』

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 閻魔堂の中には十王と葬頭河婆の像。
 奪衣婆(葬頭河婆)と懸衣翁はセットの筈なのに、懸衣翁の方はいないのね。
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『この観音堂は安永四年(1775年)徳蔵寺住職十三世栄澄代に慈誉秀弁大徳が願主となって本尊聖観音堂宇間口四間(5.2m)奥行五間(9m)のものを建立、明治十四年(1881年)修覆、間口四間奥行六間(10.8m)とした。昭和三十年(1955年)改築されて現在に至る。
 内部の色彩の施された彫刻がその当時の面影を偲ぶことが出来る。
 天保年間(1830~1844)徳蔵寺が焼失した後、昭和六年(1931)年本堂建立までの約一○○年の長い年月法事はすべてここで行われた』

徳蔵寺(拾六間)

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 真言宗豊山派摩尼山徳蔵寺と刻まれた標石が立ち、突き当たりに山門。
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 如意輪観音と地蔵菩薩。
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 山門の左側には熊谷市指定文化財を記した柱が立てられている。
『民俗資料 薬師と十二神将
 天然記念物 榧(かや)
       いちいがし
 薬師如来を本尊としている。舟形光背の十五体の石造物である。
 当時の薬師信仰を知る貴重な資料である。延宝五(1677)年造立』

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 六地蔵と大きなお地蔵様。
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 本堂。
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 瑠璃堂。つまり、薬師堂か。
 左奥に見えるのは大雷神社。

大雷神社(拾六間)

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 新堀(北)交差点から南へ下り、大きく二又に分かれる手前の歩道橋脇から東へ入って行くと、徳蔵寺の隣に大雷神社が鎮座している。
 参道の両側は徳蔵寺の墓地になっており、その墓地の西側に観音堂と閻魔堂、北東側に徳蔵寺がある。
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 二の鳥居。
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 参道の左手側に手水舎、突き当たりに拝殿。
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 額に記された文字は大電八公宮。
 以前参拝した新島の大雷神社も古くは大電八公社(だいでんはくしゃ)と称していたとのことだが、こちらとはなにか縁があるのかな?
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 狛犬。
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『嘉永四年辛亥冬十一月継上
 父記内清房之志建之
 孝子落合喜左衛門清渕
 昭和五十六年 辛酉十一月再継上
 祖先之志継建之』
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『熊谷市徳蔵寺・大雷神社社叢ふるさとの森
 昭和五十九年三月三十日指定
 身近な緑が、姿を消しつつある中で、貴重な緑を私達の手で守り、次代に伝えようと、この二つの樹林が、「ふるさとの森」に指定されました。
 徳蔵寺は、真言宗の寺院として、六〇〇年ほど前に建立されたと言われ、薬師如来と十二神将軍の石像は、古くから人々の深い信仰を受けています。
 大雷神社は、源平時代(1056年)に父の命を受けた源義家が、征途にあたり、この付近に十六間四方の兵舎を築き、五穀豊穣を祈り水神を祀ったのが起源とされています。
 周囲の都市化が進むなか、天に向う大樹の森は、かけがえのない緑です。
 林相としては、主に、カヤ、イチイガシ、マツ、クスノキ、スギ、ヒノキなどで構成されています』

 ふむ、元々は水神を祀っていたのか。とすると、大電八公は元は大天白だったのかも知れないな。雷神も大天白神も農耕や水に関係した神様であるし。
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 神輿社と神明社。
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 神明社前の狛犬…なのだけど、片方は唐獅子? いや、まぁ、吽形が狛犬で阿形が獅子だから間違ってはいないのだけど。
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 合祀社。
 産泰神社と天神社、稲荷神社、八坂神社、諏訪神社、御手長神社が合祀されている。
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鬼林稲荷神社(東方)

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 新堀(北)交差点から埼玉県道264号原郷熊谷線を西へ向かって行くと、やがて右手側に鬼林稲荷神社が見えて来るのだが、駐車場は無いので、そこからもう少し西へ行った所に南下郷自治会館があるのでそちらに駐車。
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 由緒等は不明だが、同じ東方地区内にある熊野大神社の境内社にも鬼林稲荷神社があるそうなので、もしかしたらそちらからの分霊なのかな?
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 本殿の前にお狐様。
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房守稲荷神社(別府四丁目)

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 別府第二公園よりやや北の十字路脇に鎮座する房守稲荷神社。
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 参道の脇には新旧のお狐様が並んでいる。
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 覆屋の中には扉が二つ付いた祠が納められていたが、稲荷神社以外にもう一社合祀されているのだろうか。
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 小さなお狐様の後ろに恵比寿と大黒天。
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内匠稲荷神社(大泉町丘山)

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 群馬県道314号古戸館林線丘山町交差点から南西に入った所に内匠稲荷神社が鎮座している。
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 由緒等は不明。
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 丘山住宅団地造成事業記念碑。
『この団地は、大泉町が首都圏整備都市開発区域の指定以来、工業都市づくりを目標とした住宅整備計画にもとづいて企画されたもので、事業主体を(財)大泉町開発協会と定め、地主及び地区代表者等関係者各位の力強い協力によって開発造成されたものである。
この地は、遠く先住民の住居跡とも伝えられ、利根河畔にのぞみ赤城浅間の連山を背に、格好の住宅地として、ここに住わる人々に幸多かれと祈りつつその概要をここに記す』

八坂神社(原島)

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 八幡神社前の道を南下して行くと、少し東に入った所に八坂神社が鎮座しているのだが、そちらからだと少々見つけ難いので、テレビ熊谷の南側から西へ入って行くのが判り易いかと思われる。
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 賽銭投入口から覗く拝殿内部。
 八坂神社の額の左側に掛けられた額に書かれているのは「神建雄命前」…かな? 「神槌雄命前」のようにも見えるし、うーむぅ。
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 遠景。

 以上で1月22日参拝分終了。
 使用機材はK-7にDA15mmとFA31mm、K10DにSIGMA 50-150mm II。
 今回はいつもより参拝した数が少ないが、動き出した時間がいつもより遅めだったので仕方が無い。昨夜PCが起動不能状態になったりしなければ、復旧に時間を取られる事無く朝から動けていたのに…。

熊野神社(代)

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 学校給食センター南側の十字路から西へ農道を歩いて行くと、畑の中に熊野神社が鎮座している。
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 格子にはガラスと金網が張られていたが、望遠レンズでぴったり付ければなんとかなるものだな。
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 遠景。北側から。

三熊神社(玉井)

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 八幡神社から少し西へ行った所に玉井行屋集会所があり、その前に三熊神社が鎮座している。
 祠の脇には庚申塔と大黒天、地蔵菩薩、如意輪観音。
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 中には猿のような形をした小さな石像がいくつも納められているが、これはなんだろう。名前から見て熊野系なのかと思ったのだが、もしかしたら山王系なのだろうか。
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 集会所の横に聖観音か十一面観音だと思われる石仏。

八幡神社(代)

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 407号線を南下し、テレビ熊谷前の交差点で西へ入って行くとすぐに一灯点滅式信号機があるので、そこから北上して行くと市立学校給食センターの少し北に八幡神社が鎮座している。
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 庚申塔の横に二~三台くらいは駐車できそうなスペース在り。
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 拝殿。
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 狛犬。
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 忠魂碑。
『明治維新以来、日本は近代化をおし進めて参りました。世界は動乱の日々が続き、二十世紀は戦争の時代とまで謂はれるようになりました。
 我が国は日清戦争を経てアジア太平洋戦争まで、戦争の連続でありましたが、この戦争ぐらい大きな犠牲を拂った戦争は嘗てなく、このような悲惨な戦争体験が、今日の日本の平和の礎えとなっているのであります。
 戦争終結以来、五十有一年が経過し、平和の尊さ、大切さ、有難さを実感し、かみしめて居る今日、祖国の安泰と郷土の繁栄を願いつつ、遥か遠い異郷の地に散華された九十二柱の大幡地区出身の英霊に対し、区民あげて感謝の誠を表す為、茲に大幡招魂社維持管理委員会と八幡神社氏子総代と相諮り忠魂碑を、八幡神社境内に建立し、永く遺芳を伝え、その霊を弔うものであります。
 殉国の英霊願わくは安らかに眠り、祖国日本と郷土大幡の弥栄をお護り下しさい。
 平成九年四月三日』
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 左は諏訪神社。右は判らなかったが、石碑に記されている招魂社だろうか?
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 八幡神社の裏にも祠があるが、中には大目如来と記された石塔と辨財天と記された石塔、そして詳細不明の石祠が納められており、なんだかよく判らない。
 また、祠の脇の石祠には素焼きの大黒天とお狐さまが置かれていたが、文字などは記されていないのでこちらもよく判らない。
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 祠の裏にもまた石祠。そしてやはり詳細不明。

八坂神社(代)

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 国道407号線を南下し、代(北)交差点で東に入って行くと、用水路脇の民家の隣に八坂神社が鎮座している。
 駐車するには少々手狭なので、近くにある代自治会館に車を置かせてもらった。

上根神社(上根)

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 福川に架かる井殿橋の北の交差点で埼玉県道341号太田熊谷線から少し東へ入って行くと、上根営農研修センターの西側に上根神社が鎮座している。ちなみに井殿橋の南側には以前参拝した長井神社がある。
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 鳥居をくぐった先には神牛が。
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 参道。
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『神域整備碑
天神に八坂を合祀する当社は霊験あらたかなるも北を走る町道は県道太田熊谷線から長井中央部に通ずる幹道で沿線の開発が進み平成元年五月東武鉄道妻沼線跡地が緑道に再生するに及び交通量が急増したしたため区民から歩道の設置が強く望まれた 特に当社の西北は湾曲して危険なため宮司氏子総代が区民と謀り町の道路改良に協力して二百二十㎡余の境内地を提供し鳥居伏牛像碑御影石柵等の施設を移転した 更に社殿の一部を改修して西南に擁壁を造成し併わせて平成二年十一月今上陛下御大典記念植樹と年番長金井薫氏の厚意により児童遊具を更新する等神域を整備し神威の高揚に大きく寄与された 茲に其の大要を碑に刻し氏子の篤き信心を称え地区の安寧を祈念して永く後に伝える
 平成四年春季祭日』
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 拝殿。
 整備碑にも記されていたが、こちらの神社は天神社と八坂神社が合祀されているそうだ。
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 狛犬。

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 上根神社の東側に薬師堂。
『草建由来
 享保二十如棟
 拾月十八日(1735年)
 妻沼村大工 八右衛
 当堂庫裏が明治の廃藩で忍県に属したが六年親藩の解体で埼玉県に編入以来地方自治法施行まで旧長井八村連合役場が続く』
 と薬師堂再建碑に記されていたが、こちらは平成十六年に再建されたようだ。
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 地蔵塔。

 ここから少し東に行った所に大性寺と言う寺があり、地図にはその手前に浅間社が記されているのだが、すっかり忘れてしまっていた○刀乙

秋葉神社(東別府)

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 国道407号線沿いに位置する横山塚古墳北側の道を西へ向かい、新奈良川を越えて突き当たったら北上。すると西側に京蔵寺が見えて来るので、その西側に隣接して秋葉神社が鎮座している。
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 秋葉神社なので御祭神は軻遇突智命だろうと思うのだが、寺に隣接していると或いは秋葉権現と言うこともありえるだろうか。
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 京蔵寺。
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 庚申塔や大黒天など。

 以上で1月15日参拝分終了。今回はいつにも増してちんまい神社が多かったなぁ。
 使用機材はK-7にDA15mmとFA28mm、K10DにSIGMA 50-150mm II、Powershot G7。
 さて、現在自分が主に使用しているブラウザはFirefox 3.6.13なので(あとはSleipnir 2.9.6とChrome 8.0.552.237)気付かなかったのだが、preでくくっているとIE系では文字が小さくなったりずれたりと、非常に読み難くなってしまっていたのだね。Chromeでは文字サイズは変わらないもののやはりずれるし。と言うことで今回からはpreは使わずにttでくくりbigで文字サイズを上げるようにした。現在preでくくっている部分もそのうちに直していこうと思う。
 なぜこんなことをと言うと、ふと思い立ってアクセス解析でブラウザ別の集計を見てみたら圧倒的にIEが多く、次いでChrome、Firefox、Safari。それからOperaがちょろっと。と言うことでIEでも見易いようにせんといかんなぁと思った次第であるわけで。それから、検索ワードで見てみるとここ最近の月間検索数はずっと樺崎八幡宮がトップに来ているのだけど、やはりヨスガノソラ効果なのかしらん?(笑)

浅間神社(玉井)

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 三神神社から南へ下って行くと、国道17号熊谷バイパスと埼玉県道264号原郷熊谷線の交差する玉井(南)交差点北側の田圃の中に浅間神社が鎮座している。
 神社前の農道は流石にロードスターで入って行くのは無理っぽいので違う農道に突っ込んで置き、徒歩で。
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 鳥居。平成十九年十月に奉納されたとのことで、まだまだ新しい。
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 庚申塔。
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 拝殿。
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 北側から。
 古墳っぽい感じだなと思ったら、やはり古墳だった。直径23m程の方墳であるそうだ。

三神神社(玉井)

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 春日神社から南へ歩いて行くと三神神社があるのだが…どう見ても民家の敷地内です。
 まぁ、こういうのも無いわけじゃないし、と言うことで入って行ってみることに。参道右側には社務所もあった。
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 二の鳥居。
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 三神稲荷神社。
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 湯殿山・月山・羽黒山供養塔。
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 拝殿と狛犬。
 神明系の造りと三神神社と言う名前から、天照大神・月読尊・素盞嗚尊の三貴神を祀っているのかと思ったら……
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『三神神社の由来
 私は昭和五十八年六月三日偉大な神通力をお持ちの神聖了開子様に初めてお会いしてから、そのお導きにより神に仕えることとなりました。
 昭和六十年五月十八日早朝、御神木に神を入こん致しました。そして昭和六十二年二月十八日に私の家の土地として神の入こんを致しました。さらに平成元年六月三十日に三つの神様の入こんがありました。それが三神神社の御神体であります。平成二年二月十五日神様から正式に社建立の御神許可が降りましたので同年三月十八日地鎮祭をし六十日間神地を清めてから五月十八日工事を始め、九月十八日上棟式をし平成三年一月十八日竣工二月十八日に第一回の春の例大祭を挙行致しました。
 三神神社は龍神の社であり、三つの神様です。
  運 幸運を招く神様  開運、商運、その他
  難 災難を除ける神様 地鎮祭、家相、方位除け、水子供養
  病 病気を避ける神様 難病、奇病、その他
 三神神社は日本で初めての神社です。
 分社を行うのは百年後と言われています』


 どうやら新興宗教である模様。いわゆる神道系新宗教と言うものか。

玉井大神社(玉井)

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 春日神社を参拝してから戻って来たら、人っ子一人いなくなっていた。15分くらいしか経っていないのだけど、ふむむ。あれか、丁度皆引き上げる所だったのか。
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 参道から。
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『「オビシヤ」について
 延暦十三年(794)賢憬という僧が當地に滞在中両眼を病んだ。このとき夢の中で告げられた地点に掘った井戸の霊水で眼を洗うと直ちに眼病が治ったという。この井戸の神を祭ったのだ神社の始まりと伝えられる。毎年三月十五日この神社で「オビシヤ」が行われる。これは豊作占いの神事の変化したものといわれすべて謡曲によって進行する祝宴に特徴がある』


 賢憬は山部皇太子(後の桓武天皇)の持病を治したことから後に桓武天皇の深い信頼を得たとか、延暦三年に大僧都に任ぜられたとかで学識の高い偉いお坊さんであるようなのだが、延暦十二年に死去しとるじゃないですか。十三年にここに来たのは誰だー。
 ところでググってみると、オビシヤと言うのは元々は弓を射てその年の豊凶を占う神事であった模様。
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 狛犬。
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『玉井大神社造営記念碑
 玉井大神社は延暦年中遷都の折即ち第五十代桓武天皇の御代藤原小黒丸左大辨紀古佐美南都興福寺僧賢憬等に内命を伝えようと四神相応の地を巡視していたとき僧某東国に下り当地に滞在中両眼をひどく病みその折偶々霊夢に感じ里人を鼓舞して井を掘らせその湧水を以て眼を洗い平癒したと伝えられる。その井の神を祭って井殿明神と称し里名の玉の井とはこれから生れたといはれる後社名を改め玉井大神社と称する様になった。御祭神は天津日高彦火火出見命を主神として十五柱を奉斉する。
 境内には古くから護摩堂と名づけられていた建物も老化し時代と共に氏子の数も増し護摩堂から社務所の改築の運びとなった。神社本庁のお許しのもと境内樹木三十数本を伐採しこれの材料とした。又同時に地域住民の集会所即ち自治会館としての機能ももたせ併せて小さいながらも神楽殿も建設された。熊谷市当局よりも多額の助成を受けた事も銘記すべきである。この社務所兼自治会館そして神楽殿の完成したのは昭和五十年のことである。なお御本殿には古く地元の彫刻師による彫り物の多くがあり永年風雨にさらされそのいたみが激しく保存すべしの声が高まる中で氏子総代長浅見孝一氏の率先寄進に依り奥殿外宮の完成を見た。その敬神の念には心うたれるものがある。これにつづき昭和四十年の夏キティ台風の襲来にあいその影響により杉の倒木は拝殿及び境内社をまつる八坂神社の屋根等に被害を受けた。神社役員総代そして自治会代表各位の度重なる協の結果氏子の総意により老朽化した拝殿でもあり併せて八坂神社の位置を少し西に移して改築することを決め氏子に造営委員会を組織し三ヵ年計画で改築のスタートをした。昭和五十六年十月十五日旧より四坪大きい拝殿の新築八坂神社の改築又境内地の境を示すブロック屏等の環境整備総てが完成したものである。
 当社は玉井地域の氏神様であり現代に生きる我々の責任として氏子各位の深い理解と御協力により完成されたものである。氏神の尊厳そして敬神の念を孫子に伝えることは当地域の繁栄をもたらすものである。ここにつつしんで造営の経緯を記すものである。
 昭和五十七年三月吉日』

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 拝殿。
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 本殿。
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 社殿脇に並ぶ末社。
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 拝殿の手前左側に八坂神社。

春日神社(玉井)

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 もちだ食堂から南へ向かうとすぐに玉井大神社が見えて来るのだが、隣接する玉井運動広場を利用している人達の車で参道脇が鈴生り状態だった(鳥居の前に停まっている車もあった)ので、先に玉井大神社の南西に鎮座する春日神社へ。
 隣には真言宗智山派玉井寺もあり、そちらには民俗資料の十王供養塔と史跡である玉井四郎の墓があるそうなのだが、どうも寺と言うのはいまいち入り難い。
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 鳥居も参道も拝殿も本殿も、みな真新しい。

諏訪神社(上奈良)

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 東別府神社から東へ向かって行くと、川を越えた先の交差点脇にもちだ食堂と言う食堂があるのだが、そこでそのまま東へ向かって行くとすぐに諏訪神社が鎮座している。
 道端にある神社だが、駐車できるスペースはそれなりにある。
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 祠の裏に三等三角点。

日先神社(東別府)

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 東別府神社の南東に鎮座する日先神社。
 詳しいことはさっぱり判らないが、御祭神は摩利支天尊でいいのかな? 祠の壁に嘗ては何か書かれていたのであろうと思われる板が掛けられているのだが、今では全ての文字がきれいさっぱり消え落ちてしまっている。
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