上之村神社(上之)

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 古宮神社から西へ向かうと、割とすぐに上之村神社の前に出る。
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『社前の堤(堤の由来)
 応永年中(1394-1428)成田郷の領主成田家時が従者と館の東にある森の小祠の前を芦毛の馬に乗って通った時、何に驚いたのか馬がハネ上がり家時は落馬してしまった。何んの神様の祟りかと、付近の老人に聞いてみると、この社は久伊豆神社と雷電権現で、この神様は芦毛の馬に乗ることから、神前を芦毛の馬に乗って通る者は必ず神罰を蒙る伝えがあり、そのためだったという。
 家時はこの神威に驚き乗馬の芦毛を神馬として奉納以来当社を崇敬し直接神前を通るは勿体ないと、この堤を築かせたという』

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 こちらがその堤だが、神様微妙に心が狭いな。
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 狛犬。
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『熊谷市指定文化財建造物 上之村神社鳥居
 指定年月日  平成九年十一月三日
 所 在 地  熊谷市大字上之十九番地
 この鳥居は、上之村神社正面にあって、木造の両部鳥居形式のものです。
 平成七年の解体修理の際に、柱のほぞから、願主と大工の名前とともに、寛文四年(1664)六月十二日の建造を示す墨書が発見されています。
 建造以来すでに三三○年以上も経っている当鳥居は、笠木や控柱の上に板屋根を設けるなど耐久性にも充分考慮された、市内最古の木造鳥居として重要です』

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『熊谷市上之村神社社叢ふるさとの森
 昭和五十九年三月三十日指定
 身近な緑が、姿を消しつつある中で、貴重な緑を私達の手で守り、次代に伝えよう、この社叢が「ふるさとの森」に指定されました。
 この神社は、室町時代の応永年間(1394-1427)に創建され、久伊豆大明神、雷電権現を祭り、水乞い、雷除けの神として多くの人々に信仰されてきました。
 参道に並ぶ見事な松は、樹齢四○○年と言われ、その姿は、訪ねる人に守護神の威厳を伝えています。
 林相としては、主に、クロマツ、スギ、クスノキなどから構成されています』

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 富士塚。
 塚の頂には富士嶽神社が鎮座し、他に醫薬大神や道了山、高尾山、小御嶽神社、猿田彦大神、食行霊神・角行霊神などの名が見える。
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 末社。
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 神楽殿。
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 由緒碑。
『郷社上之村神社  祭神 事代主命
由緒 當社創立ノ年度詳カナラズ應永年中忍ノ城主成田左京亮家時神威ヲ
   崇メ社殿ヲ再建シ爾来奕葉崇敬シテ神田若干ヲ附ス其後天正十八年
   成田家忍退城ノ翌年東照公巡狩トシテ通路アリ社木森々トシテ生茂
   リ煩ル幽境ノ景況ヲ覧セラレテ時ノ侯人伊奈備前守ヲシテ神社ノ来
   由ヲ諮問セラル従テ翌慶長九年ニ及ンテ社領三十石境内数町諸役免
   許神供祭禮修造等不可懈怠ノ?朱印ヲ寄附セラレタリ明治六年郷村
   社々格選定ノ際當社ヲ以テ旧第十五区拾九ケ村ノ郷社ニ列セラル明
   治四十年四月二日神饌幣帛料供進指定神社トス

 摂社大雷神社   祭神 大雷神
由緒 従来雷電権現ト称シ上之村神社摂社タリ創立再建上之村神社ニ同ク
   シテ今古村民ハ両神社ヲ以テ鎮守ト並称シ且ツ近隣ノ信仰却テ本社
   ヲ壓ス王政革新ノ後明治二年今ノ社?ニ改リ同六年社格選定ノ際摂
   社故ノ如シ

祭日 例祭  七月廿何、廿八日両日
   新年際 三月十日
   新嘗祭 十一月廿七日
   月次祭 毎月廿八日』

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 拝殿。
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 拝殿の内側に掛けられた絵馬の一部。
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 上之村神社本殿と雷電神社の周囲は瑞垣に囲われており、正面には立派な門が取り付けられている。
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 大雷神社と上之村神社本殿を瑞垣越しに。
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 合祀殿。
 夷神社と荒神社、事任神社、天神社、住吉神社が祀られている。
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 神輿庫。
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 諏訪神社。
 御祭神は建御名方命と八坂刀売命。
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 こちらにも合祀殿があるようだが、何神社が祀られているのかは不明。
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 本殿裏にそれぞれちょこんと鎮座する末社。


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 以上で2月26日参拝分終了。
 使用機材はK-7に50-150mm II。K10DにDA15mmとDA21mm、FA31mm、DA70mm。
 先々週末から先週頭にかけてはPCの修理と環境の復元に時間を取られて神社参拝をしている余裕は無かったが、現在は大体復旧できている。しかし、以前よりも多少とは言えCPUのパワーも上がっている筈なのに、以前の環境より重くなっているような気がするのは何故なんだろう…。
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古宮神社(池上)

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 伊豆三島神社前の愛染橋を渡って南西へ向かい、次は古宮神社へ。
 鳥居の前に車止めがあるが、右手側に池上集会所があるのでそちらに駐車できる。
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『古宮神社
 鎮座地 北緯 三十六度九分十秒
     東経 百三十九度二十五分二十六秒
     海抜 二十三・四米
 御祭神 石凝姥命 いしこりどめのみこと
     少彦名命 すくなひこなのみこと
     武甕槌命 たけみかづちのみこと
 由緒
  社傅に當社は紀伊國日前國懸神宮より石凝姥命を勧請し長寛二年
 (1164)はじめて社殿を造立す。當初岩倉社と稱し文安二年(1445)少
 彦名命武甕槌命を相殿に祀り拝殿を建立。江戸期に入り京都吉田家
 より古社の故を以て古宮神社の社號を賜はる。古来婦人守護子育守
 護の信仰あり。
 例祭
  八月二十八・九日神輿渡御及び獅子舞の奉納あり
 社寶
  古獅子頭 寛永五年(1628)在銘』

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 社務所改築記念碑。
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 二の鳥居。
 額には「古宮神社 岩倉大明神」と刻まれている。
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 参道左手側に神輿庫。
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 末社かな?
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 拝殿。
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 棟木には神紋が描かれている。両脇に波、その内側に左三つ巴紋。中央は横木瓜紋のようだが、なんでホームアイコンの中に入ってるんだろう。
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 狛犬。
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 塞神と石祠二基。
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 靖国社・愛宕社・天神社の三社が合祀されている。
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 稲荷神社。
 そばの石碑には富堅稲荷講五周年記念と記されていたので、富堅稲荷神社が正しい名前なのかな。
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 お狐様。
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 稲荷神社裏に並ぶ末社群その一。
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 その二。
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 こちらも稲荷社?
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 池上集会所入り口右手側に「東宮駐駕之處」と刻まれた石柱。


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伊豆三島神社(下川上)

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 伊弉諾神社前の道をまっすぐ東へ向かって行くと星宮公民館前に出るので、そこからもう少し東へ向かうと下川上自治会館の隣に伊豆三島神社と愛染堂が鎮座している。ちなみにこちら、正式な法人名は三島神社伊豆神社合殿社と言うのだそうだ。
 由緒等は不明。
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 不動明王と青面金剛。
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 愛染堂。
 創建は大同元年(806)で、洪水で星川に流れ着いた愛染明王の像を村人が引き上げてお堂を作り、そこに祀ったのが始まりであるのだそうだ。ちなみに、伊豆三島神社の前を流れている川が星川。
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『民俗資料 愛染堂愛染明王
 愛染明王は、寶乗院愛染堂の本尊として伝来したもので、像は一五四・五cmを計り、愛染明王??ては全国的に???い。染色業者による愛染信仰の本尊として、歴史??民俗的資料価値をもつものである』

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 愛染堂を裏から見ると…あらら。お堂の周囲にロープが張られていたのはこう言う訳か。
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 余談だが、星宮公民館があるので近くに星宮神社でもありはしないだろうかと思いググってみたのだが、この辺りの古い地名が星宮だったのね。残念。

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伊弉諾神社(上川上)

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 熊谷スポーツ文化公園の南に鎮座する伊弉諾神社。
 社号標石の前には石祠と庚申塔が並んでいる。石祠は文化十四年(1817)のもの。
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 観音祠。如意輪観音の石像と馬頭観世音と刻まれた石塔が納められている。
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 鳥居。
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 指定文化財を記した柱が立てられていたのだがろうが、今では根元が折れて傾いてしまっている。
『民俗資料 相撲絵馬(一枚)
 熊谷市指定文化財(昭和四十五年十一月指定)
 江戸時代、社殿修築のとき資金集めのため江戸本場所相撲の勧進相撲をこの境内で催した記念に奉納されたものです。

 絵 画  黒馬図
 熊谷市指定文化財(昭和三十一年十一月指定)
 江戸時代の狩野派の画風の大絵馬で、横一三九、五Cm、縦八十一、五Cmの大きさであり、力量ある素描力と構成力により生命の躍動が感じられるものです』

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 神橋と突き当たりに拝殿。
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 橋を渡るとすぐ右手側に稲荷社と石祠。
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 石祠には蛇の姿が浮き彫りにされているので厳島社かと思ったのだが、その下には天王の文字が。ただ、天王の前にも四文字くらいあるようなのだが、よく読み取れない為に何天王なのかが判らない。
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 遥拝所。
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 神輿庫。
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 琴平社。
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 竈社。
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 本殿裏に並ぶ石祠三基。
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 八幡社。
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 本殿。
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 ググってみた結果、伊弉諾尊・伊弉冉尊を御祭神とする熊野系の神社であると言う事は判ったのだが、創建年代や由緒などは不明のまま。

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熊野神社(大塚)

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 県道303号線を挟んで熊谷スポーツ文化公園の東側に大塚古墳があり、その墳頂に熊野神社が鎮座している。表参道から車で入って行くのは無理なので、一本東側の道から大塚古墳と隣接している曹洞宗龍昌寺圓通殿へ。
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 一の鳥居。
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 二の鳥居。
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 大塚古墳の墳頂に熊野神社。
 ググってみたところ、こちらの御祭神は熊野夫須美命・速玉男命・家都御子神。境内社に宇賀神社と豊蚕神社、塞神社、三峰社、榛名社、天神社の六社が存在するそうなのだが、どれがどれやら。そして神社の創建年代や由緒などは不明。
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『熊谷市指定文化財 大塚古墳
 指定年月日  昭和三十四年十一月三日
 所 在 地  熊谷市大字大塚
 大塚古墳は、古墳時代後期(七世紀前半)につくられた円墳で当地を支配していた豪族の墓であろうと推定されています。
 墳丘は、直径約五九m、高さ一・二mの基壇上に直径約三五m高さ四m以上の円丘がのった形です。全体で、五・二m以上の高さになると考えられます。
 現存する墳丘は、北西部分のみ残存していて、墳丘全体の約四分の一が残っている状態です。
 二度にわたる発掘調査により、埋葬施設は、奥室・前室をもつ複室構造の胴張型横穴式石室であることが確認されています。
 石室内から、鉄製小札・鉄鏃・金銅製鞘尻金具・勾玉のほか、金箔装漆塗木棺の破片が出土し、西側の基壇上からは、須恵器の甕が列をなして出土しました』

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 狛犬。
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 別アングルで。
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 石段途中に末社。
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 拝殿。
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 拝殿手前にも末社。
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 拝殿右手側にも末社。左奥の祠は三峯神社。
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 古墳南西から。
 左側の石燈籠そばの石には猿田彦大神の文字が彫られている。
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 二十三夜塔。
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 圓通殿前に石仏。


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中嶋明神(上中条)

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 上中条交差点から東へ向かい、県道303号線を南下して行くと青木堀の手前にある中島農村公園脇から東へ向かって行くと中嶋明神が鎮座している。
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 こちらの中嶋明神はMAPPLEには赤城神社と記されていたりするのだが、神幕に描かれている宝珠紋から見て、稲荷系であるのだろう。
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 天神宮。
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 社殿裏手の末社。もしかしたらこちらが赤城神社であるのかも知れない。
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日吉山王社(上中条)

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 八幡集会所から西へ歩いて行くと、熊谷厄除大師とも呼ばれる天台宗別格本山常光院があり、その境内に日吉山王社が鎮座している。山王鳥居の実物を見たのはこれで二箇所目だ。
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 日吉山王社と言う事は御祭神は大山咋神と大己貴神だろう。
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 隣には鐘楼。

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 天台宗龍智山常光院毘廬遮那寺山門。
 こちらの常光院は県指定史跡である中條氏の館跡でもあり、また同じく県指定史跡である天野彦右衛門忠重(初代忍城の城代)以後三代の墓もあるのだそうだ。
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『藤原鎌足十六代の子孫の判官常光公が長承元年(1132)武蔵の国司に任ぜられて下向し、この地に館を構えて中條の姓を用いた。その子有家の長男従四位下中條藤次家長は文武両道に秀で、鎌倉幕府の評定衆となり我が国最初の法律である貞永式目を定めた。建久三年(1192)二月祖父常光公の菩提を弔うためその館を寺とし龍智山びろじゃな寺常光院と名づけた。以来廿五の末寺を有し天台宗の大寺として十万石の格式で待遇された。
 昭和廿六年三月埼玉県は往時の境内地一万八千余坪のうち現在の境内地全域三千四百余坪を、史跡として指定し、文化財と永くして後世に伝えることにした』

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 延享二年常光院廿三世邦教上人書之古図。
 と言う事で1745年当時の常光院の見取り図が描かれているが、山王堂と記されているのが現在の日吉山王社だろう。そしてそこから左へ目を移すと千形社と記されているが、現在の地図を見るとそこに千形神社はない。何処かへ遷座したのか、或いは合祀されたのか。
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『厄除大師縁起
 当山にお祀りしてある厄除大師は永観三年(985)の正月三日に遷化されたので元三大師と申し上げます。
 大師は修行の結果、神通力を得られて多くの人々の苦難を救われ、今もなお角大師のお姿のお札が厄よけとして家々の門口に貼られます。
 この魔物のように見えるお姿は降魔の修法で自ら恐しい姿を示して厄病を降伏したときの姿といわれ、また、三十三身に変化してそれぞれの苦しみに応じた霊験をあらわし私達を救って下さいます。どこのお寺や神社にもある「おみくじ」を制定されたのも元三大師さまです。
 この霊験あらたかな大師は各地で祀られておりますが、当山では秘仏として今日まで公開しませんでしたが、皆さまの強い要望で一千年の御遠忌を期として御信心の方にご霊験をお分ちしていただくことにいたしました』

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 本堂。
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八幡神社(上中条)

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 三幸神社から北西に歩いて行くと、八幡集会所がある。なんとなくその名前にピンと来るものがあったので立ち寄ってみたら、やはり神社兼集会所になっているようだ。社号は記されていなかったが、名前から見て八幡神社だろう。
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 裏手には石祠が二つ並んでおり、左側の祠には天神宮と刻まれている。

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三幸神社(上中条)

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 八坂神社北側のセブニレブンで水分補給をしたら、県道83号熊谷館林線を東へ進み、上中条交差点から北へ入るととすぐに三幸神社。
 社号標石のそばには殉国英霊塔。
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 鳥居。参道左手側には川南自治会館。
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 鳥居の左手前側に富士嶽大神。
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 狛犬。
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 川南自治会館脇に末社。
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 拝殿。
 由緒などは不明。
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 末社と肩から鼻までが欠けた石仏。たぶん如意輪観音だろう。
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 日本廻国供養塔。

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八坂神社(上中条)

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 川北神社の西を走る県道303号弥藤吾行田線を南下して行くと、突き当りの交差点そばに位置する上宿集会所に隣接して焔魔堂と八坂神社が鎮座している。
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 民俗資料の五輪塔所刻板石塔婆。
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 八坂神社の右側に焔魔堂。
 そうい言えば、足利の閻魔堂の境内にも八坂神社があったっけ。

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川北神社(上中条)

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 熊谷上中条簡易郵便局の南側に鎮座する川北神社。
 鳥居の左側には水越別方寺会館があるので、そちらに駐車できる。
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『恭惟當社祭神者人皇第十二世景行天皇皇子日本武尊
 也年十六奉勅赴九州女装單身平定強賊熊襲時有東國
 蝦夷異人種之賊未服王化極横暴苦良民皇子父奉詔下
 東國徇駿河相模上総進入奥州鎮定之遂旋軍経下野上
 野征討武蔵信濃賊祖先追慕皇子功徳不巳其年代雖不
 許奉祀為此中條村上中條川北郷之氏神産土神號吉野
 神社累世崇敬不有敢懈矣明治四十三年五月二十日相
 議合祀郷内荒宿鎮守秋葉神社水越?奉祀八王社改稱
 曰川北神社大正五年一月十一日供神饌幣帛定為村社
 矣夫神靈?鎮守甚為尊厳而社殿狭隘不便祭事於是氏
 子中有志將建築社殿東奔西走大盡力衆議克協大正七
 年十月二十日起工新築神殿拜殿其所資金?千有餘圓
 明年一月十六日竣工擧遷宮式典因記神社由来興建築
 大要彫石遺于後昆云?』


 んー、御祭神は日本武尊で、創建年代は不明だが上中條川北郷の産土神として吉野神社と号し、明治四十三年に荒宿の鎮守である秋葉神社と水越の八王社を合祀して川北神社に改称した、でいいのかな。
 荒宿の秋葉神社と言うのが先程のアレのことなら神社が無くなっているのは納得できるのだが、しかしその頃から無くなっていたとすると現在の地図に記載されているのはおかしいように思える。
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 末社。
 右手前は三峯神社。奥の三つの石祠は不明。
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 狛犬。
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 拝殿。

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八幡神社(日向)

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 荒宿集会所から葛和田新堀線を北東へ向かい、日向集会所前で南へ折れると割とすぐに八幡神社。
 以前、長井神社の南東500m程の位置に八幡神社があるようだと書いたが、それがこちら。
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 本殿。
 鈴の代わりに鰐口だったり線香立てがあったりと、仏教色が見える。
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 末社。

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秋葉神社 跡地(上中条)

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 湯殿神社から東へ向かって行くと、荒宿集会所の南側に秋葉神社が鎮座している筈なのだが……無いね。
 何処かへと遷座したのか、或いは集会所の中に置かれているのかは判らないが、少なくとも、今ここに秋葉神社は無い。右の方に見えている小さな祠は隣家の敷地内にあるので、屋敷神であるのだろう。
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 注連柱は残っているのだけどねぇ。

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湯殿神社(四方寺)

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 埼玉県道359号葛和田新堀線脇に鎮座する湯殿神社。
 西別府奈良新田・四方寺とほぼ横一列(と言うより二等辺三角形?)に並んで鎮座しているが、意図的にそう配置されたのだろうか。創建時期が判らないのでなんとも言えないけれど。
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 拝殿。
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 本殿。
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 末社。左側の石祠には文化五祀戌辰六月と刻まれていたので、1808年のもの。
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 末社。
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 拝殿横にも境内社。
 布袋尊の像が置かれているが、何か関係あるのだろうか。

 それにしても、寒かった。

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八坂神社(今井)

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 聖天宮から南下して行くと、曹洞宗萬頂山集福寺の南東、市立今井集会所そばに八坂神社が鎮座している。
 鳥居にも社にも額は無く、GoogleマップとMapion等には神社名の記載無し。しかしMpaFanとMAPPLEには八坂神社と記載されており、鳥居脇の石碑にも八坂白山両社と記されていた。石碑にはおそらく由緒の類が記されていると思うのだが、黄色い苔に覆われていて読み取ることが出来なかった。
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 拝殿。
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 末社。

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 以上で2月11日参拝分終了。
 使用したのはK-7に50-150mm IIとK10DにFA31mm。こういう天気の日にはDA18-135mm WRが欲しくなるなぁ。と言うか、なんで雪になると知っていてDA18-55mm WRを持って行かなかったんだろう。そうすればあと何社かは参拝できただろうに○刀乙
 それはそれとして、K-5 Limited Silver予約しそびれた。懐的にちょっとどうかな、と言うことで一日悩み、結果買おうと思ったらもう予約締め切られていた。こういう数量限定品を買う時は考えたら駄目だね。

聖天宮(下奈良)

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 猿田彦大神社から南西に下って行くと、萬有製薬のやや南に聖天宮が鎮座している。
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 本殿。
 神前幕には交差した二股大根が描かれている。また、額には「歓喜天」の文字が。
 ふむ、こちらは神仏習合したままなのかしらん?

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猿田彦大神(西城)

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 西城神社前から南下して行くと、江袋第二揚水機場南西の十字路脇に猿田彦大神を祀る社が鎮座している。
 この近くには西城本丸跡と記された石碑があるそうなのだが、まったく気付かなかった。
 前九年の役で武功を挙げた齋藤実遠が源頼義より長井庄を与えられて西城を居館とし、当時の武蔵国司であり西城の主でもあった成田助高はここより南の上之に居を構えたと言うことだそうだが、すると先の西城神社は嘗ては城内にあったのだろうか? ちなみに、西城を築いたのは成田助高の父である藤原道宗だそうだ。
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 塞神でもある猿田彦神が四辻の角に祀られているのは不思議でもなんでもないが、猿田彦神は天白神とも関連付けられる神であるので、天白神を祀る西城神社の近くに猿田彦神が祀られていると、やはり何か関係あるのかなと考えてしまう。

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西城神社(西城)

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 先日参拝した上須戸の八幡大神社の南西に鎮座する西城神社。
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 拝殿。
 左奥の祠には御神輿が納められていたが、神輿殿とは違うような気がする。八坂神社と言うパターンが多いような気もするが、確証が無いのでなんとも言えない。
 由緒等を記した物は見当らず、拝殿の中を覗き込んで見ると「大天縛」と書かれた額が掛けられていた。大天縛…つまり大天白神だね。この辺りには大蛇退治伝説が残っていることから見て、古くから水害に悩まされていたのだろうとは前のエントリーにも書いたけど、そう言うことを先に知っておくと、水害や風害を除く神としても信仰される天白神が祀られているのはすとんと腑に落ちる。由緒等が判らないと、何故その神様がそこに祀られているのだろうと思うことも少なくないが、やはり地理状況の影響は少なからずあるものだよね。半ば想像だけど。

大きな地図で見る

八幡大神社(上須戸)

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 福川に架かる潤友橋の南西に鎮座する八幡大神社。
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 合祀社のようなのだが…よく判らない。瓦に「金」の文字があったので金刀比羅社の可能性もあるかも?
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 紀元二千六百年記念碑。
 由緒などが記されているようなのだが…殆ど読み取れない。が、後冷泉天皇の天喜四年(1056)に鎮守府将軍源頼義が奥州征討の途上、葛の渡を渡らんとする時霖雨に遭って逗留した際、日向上須戸の邊にて大蛇退治をし、安倍一族殲滅の吉兆ならんと全軍の士気大いに昂り諸将士勇躍進發した云々と記されているので、長井神社の創建とほぼ同時であるのは間違いないようだ。
 他にも、戦国時代には忍城々主である成田長康の尊崇を受けたとか、慶安二年(1649)に江戸幕府三代将軍徳川家光から社領五石を賜ったなどと記されている。江戸時代は一石がおよそ300坪だそうだから、五石はその五倍で1,500坪。一坪は約3.3平方メートルだから、その1,500倍で約4,950平方メートル。大体5キロ四方に及ぶ所領と言うことか。
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 拝殿。
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 狛犬。
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 拝殿内部。
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 八坂大神。
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 だけど何故か瓦には天狗の面と天狗扇が。
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 八坂神社の脇に天照皇太神宮。先祖代々霊碑ともあるが、どちら様の?
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 拝殿左側に末社。

 以上で2月5日参拝分終了。
 使用機材はK-7にDA21mmとDA35mm Macro、DA70mm。K10Dに50-150mm II。
 当初の予定では八ツ口の伊勢神宮も参拝するつもりだったのだが、周辺を二周したのに見つけられなかった。ぐぬぅ。

長井神社(日向)

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 葛和田橋を渡って福川を越え、西へ向かうとやがて左手側に長井神社が見えて来る。
 鳥居の額には旧称である八幡宮の文字が刻まれている。
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 社号標石から少し右に入ると塞神。
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 参道途中右手側に稲荷社…かと思ったら、額の部分に宇賀神と刻まれていた。
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 拝殿。
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 こちらの留蓋瓦は元八幡宮だけあって、鳩のようだ。
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『長井神社略伝
 この神社は、品陀別命・息長帯姫命外八柱の命が御祭神である。一○五七年(天喜五年)に、源頼義が安陪貞任を討つため東北地方へ行く時当地に滞在した。この時、竜海という池に大蛇がすんでいて村人を悩ますと聞き、島田大五郎道竿という者に、弓矢と太刀を与えて大蛇退治を命じた。道竿は利根川まで道竿堀を掘り、水を落として大蛇を退治した。これは東北地方平定の吉事としてこの神社を祭った。
 当社は日向の鎮守として御神徳を仰ぎつつ、家族や地域の平安をお守りしている。特に、昔から安産、血の道などの婦人病に霊妙な御利益ありと伝えられる』


 ふむ、長良神社に伝わる藤原長良公の大蛇退治と似た話だ。あれも利根川を大蛇に見立てた話だし、賊徒鎮圧の為に利根川近くに来ていた長良公が村人の願いを受けると言うところもよく似ている。昔からこの辺りは水害に悩まされていたと言うことだろうか。
 また、島田大五郎道竿の大蛇退治についてググってみると、竜海があったのは当時の武蔵国司である成田助高の居城(現在の西城辺り)の東であり、大蛇を退治した場所に八幡宮を勧請し、大蛇の出た所に辨財天を祀ったとある。先程参拝した厳島神社の工事記念碑にも沼の主として大蛇が棲んでいたと伝えられているとの記述があるし、あの辺りが竜海の一部であったのかも知れない。
 略伝には竜海から利根川まで道竿堀を掘って水を落としたとも記されているが、地図を見ると上須戸から弁財、善ケ島、八ツ口を通って妻沼にまで道閑掘が続いているものの、現在は利根川には繋がってはいない。大正末期から昭和初期にかけて改修され、利根川ではなく福川に排水するようになったのだそうだ。だが、それはそれとして、長井正八幡宮は道閑掘のすぐ西側に位置しており、また、長井神社から1km程西に向かうと福川の南、潤友橋の傍にも八幡大神社が鎮座している。そちらは成田氏の東城跡であるのだそうだ。上には大蛇を退治した場所に八幡宮を勧請したと書いたが、他にも、源頼義が大蛇の潜んでいた所から三本の矢を放ち、その矢の落ちた所それぞれに八幡宮を祀ったとの言い伝えもあるようので、日向・上須戸・善ケ島なら丁度三箇所だ。尤も、長井神社の南東500mちょい辺りにも八幡宮があるようなのだが。
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 神輿殿。
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 神輿殿の脇に末社群。
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 天満宮とその脇に小さな石祠。

成就院(俵瀬)

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 稲荷神社のすぐ東側に真言宗豊山派寳林山成就院妙音寺。
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 こちらは新四国霊場第二十五番だそうだ。
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『成就院改築記念
寳林山成就院妙音寺は慶安四年賢精上人開山以来三百十四年法燈連線として今日に至る。御本尊は大日如来を安置す。尚当寺奉安の地蔵菩薩は開山上人佐渡国分寺より請来せるものにして新羅三郎義光の守本尊と伝えられ又身代地蔵尊として霊験殊の外あらたかに近郷の信仰を集む。その間文化五年本堂再建を行う。本堂は平屋建草葺四十二坪庫裡七坪五合なり。然るに百五十七年の風雪次第に堂宇を損傷し屋根修理維持も資材不足等により遂に改築のやむなきに至る。茲に昭和三十八年一月改築を発起し三年計画にて檀徒及び信徒多数の信心を結集し浄財の奉加を得、昭和四十年三月本堂十八坪庫裡七坪五合の大事業を完成す。佛天の加護檀徒信徒の協賛相寄り相待ちてこの浄業を達成す。各偉功を顕彰し以て後世に伝う。
昭和四十年三月十八日』

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 庚申塔やら馬頭尊やら色々。
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 青面金剛と不動明王。
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 お地蔵様と…なんだろう。聖観音かな?

稲荷神社(俵瀬)

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 神明社から東へ走って行くと、俵瀬コミュニティセンターに隣接して稲荷神社が鎮座している。
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 二の鳥居。
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『武幡羅郡俵瀬村
 奉納石灯籠 弁財天御寳前 正徳六丙申年二月吉日』
 とあるので1716年に奉納されたもののようであるが、こちらの神社には辨財天も合祀されていると言う事か。
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 拝殿。
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 留蓋瓦には阿吽の逆になった狛犬が。
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 境内社と猿田彦太神。
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 末社群。
 右端の石祠には『天神地祇八百萬神 稲田姫命・稲荷大明神・牛頭天王宮・歳徳王明神』と刻まれている。
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 仙元社。
 その手前には小御嶽石尊・大天狗・小天狗。仙元社の横、道路側に仙元大日神。

神明社(葛和田)

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 県道59号線と83号線の合流する秦小学校前交差点から、北回りでも南回りでもどちらでもいいから東へ向かって行くと神明社が鎮座している。が、神社東口は封鎖されていたので鳥居の前に突っ込んで駐車。
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 参道脇に小さな狛犬。
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 拝殿。
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 狛犬。
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『改築記念之碑。
神明社は天照皇大神を鎮祀し葛和田の鎮守と崇敬して来りしものなれどその創設は不詳なり。社領十五石一斗の御朱印を慶安二年に下賜せられしと言えるを見てもその年所久しきを知るなり。明治四十年五月以降葛和田全域神社大杉神社外八柱合祀す。昭和四十二年時代の要求により境内の整備を行う。全氏子協議の結果委員会を結成、第一期工事予算金五十余万円を以て起工し雑木を伐採し適地植樹をなす区画を整然となすにブロック塀延長二百五十三米を建設し昭和四十三年三月竣工。引き続き第二期工事として圣年久しきによる腐朽甚しき建造物の修復を協議中偶々五月十六日子供弄火により拝殿草葺屋根消失直ちに改築委員会に切り替え内外信者の浄財二百八十余万円を以て従来の建坪五十五平方米屋根工法は草葺を廃し日本瓦葺となし斉藤隆彦氏の請負となり昭和四十四年七月竣工す。尚神職は上杉家二代に次いで現島田家三代に亘り奉仕するなり。
 昭和四拾四年七月二十五日』

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 境内社と猿田彦大神。
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 大杉神社神輿殿と御嶽塚、末社群。
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 天狗面常陸坊海存とあるが、海尊じゃなかったっけ? と思い、ググってみたら海尊でも海存でもどちらでもいいのね。
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 神輿。
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『大杉神輿の由来
江戸時代、葛和田・大野・俵瀬村は利根川の川岸場として賑いの地であった。大杉神社は利根川に注ぐ道竿堀の南に在ったが大正三年堤防工事に伴い現在の地、神明神社に合祀されたものである。
その昔、荒宿の与助という腕の良い船頭がおり江戸まで三十余里の船路を運行していた。ある日、与助が百石船に、米・野菜・薪等を積んで江戸に向かって出発した。二日目に霞ヶ浦の西浦に差し掛かった頃一天俄にかき曇り凄まじい暴風となった。腕に自信のある与助であったが操る船は木の葉の様に揺れ今にも波に飲まれんばかりであった。思わず口をついて出た言葉は「南無大杉大明神」日頃厚く信仰している大杉様におすがりしようと一心に祈念するうち、これは不思議、荒れ狂う波の上に白髪の大杉様が白雲に乗って静かに現れ木の葉の様に揺れ動く与助の船を片手で掴みあれよあれよとと言う間に波静かな海へ運んでくれました荷物を無事に届け村に帰った。与助の口からこのことを聞いた村人達はいまさらの様に大杉様の霊験あらたかなることを感じ、そのお礼と以後船路の安全を祈念して当初江戸末期享和一年(1801年)に神輿を造営した、と伝えられており明治六年(1873年)に現在の大神輿に作り替えられ、年に一度の祭礼を毎年七月二十六日と決めその大神輿を担ぎ村内を一日がかりで練りまわり揉みに揉んでさらには利根川に入れいつしか暴れ神輿といわれ関東地方でも有名なお祭りのひとつに数えられる様になった。
平成五年一月二十五日付大杉神社祭礼行事として町の文化財に指定され現在の祭礼は時代の変化にともない七月下旬の土・日曜日に変更し盛大に行われている』

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『力石
 この石は、昔から祭りが近くなると、力自慢の村人達が境内に集まり、力比べをして身体を鍛えたと言われている石です。
 当時はこの石が持ち上げられないと、一人前として認められないため、若者達は毎夜密かに練習にはげんだと言い伝えられています。
 境内には昔、数拾個の石があったと長老達は記憶しております。現在石は参個残っており、一二○キログラム~二○○キログラムあり、当時の人々の力が偲ばれています。この石が持ち上げられないと、江戸末期より受け継がれている関東一のあばれ神輿は担がせてもらえなかった、とも言い伝えられています。
 皆さん力試しをして怪我等されても、一切の責任は負いません』

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 境内北東端に凱旋記念碑と末社二つ。石祠は明治十六年(1883)のもの。

山神社(葛和田)

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 山神社前から南下し、県道59号線に出たら東へ向かい、石川商店前で北上すると西島公民館の隣に山神社が鎮座している。
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 鳥居。
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 拝殿。
 棟木にヤツデを模した神紋が見える。
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 本殿。
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 拝殿裏には庚申塔と巳待供養塔、石祠、庚申供養塔。庚申供養塔は正徳四午年十二月とあるので、1714年のもの。

山神社(大野)

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 稲荷神社から南下して行くと、十字路の角に山神社が鎮座している。
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稲荷神社(大野)

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 善ケ島神社から北東へ走って行くと、利根川の堤防脇に稲荷神社が鎮座している。
 善ケ島神社からでも迷うことは無いと思うが、正直、ミニストップ妻沼弁財店西側の道をまっすぐ北上して行くのが一番判りやすい。
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 お狐様。
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 二の鳥居。
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 石段の登り口に首のもげたお狐様。反対側のお狐様は殆ど壊れていた。
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 拝殿。
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 石段の右手側に三峯神社と石祠。
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 拝殿の手前にもお狐様。
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 拝殿の屋根には何故か小天狗。
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 本殿。
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 青面金剛と庚申塔、馬頭尊、馬頭観音。祠の中にも馬頭観音。
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 青面金剛アップ。

善ケ島神社(善ケ島)

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 埼玉県道59号線を北上して行くと、高野山真言宗龍泉寺の南側に善ケ島神社が鎮座している。
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 冨士嶽神社と冨士嶽浅間神社。
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 大国主尊。
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 日露役凱旋記念碑と渡唐天神宮、天満宮。
 天神宮の後ろに梅の木。
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 拝殿。
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 稲荷神社、末社群、三峯神社。
 末社群の中央は石尊大権現とその左右に小天狗、大天狗。右端は海上大明神。

稲荷社(弁財)

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 厳島神社から少し東へ歩くと、道路脇に稲荷社が鎮座している。

厳島神社(弁財)

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 八幡宮から北東へ向かい、埼玉県道59号羽生妻沼線へ出るとミニストップ妻沼弁財店に隣接して厳島神社が鎮座している。
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 岩を刳り貫いて作ったのだろう水盤。天明六丙午年四月吉日とあるので1786年のものだ。
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 参道左手側に石祠。側面に梅鉢紋があるので天神社かと思われる。
 宝暦六子歳とあるので1756年のもの。
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『當社は辨財天を祭神とし村名なりしを見れば古社なるべけれとその年代は詳ならず往古は弁財山薬王寺持なれど一時上須戸西光院の兼務せしことあり明治維新の際神仏分離の制定により厳島神社と改称して日向島田大衛氏兼務し爾来子孫相継を現宮司の奉仕するところとなる
境内は往時三反五畝歩余あり周囲犬余の老杉欝蒼として晝尚暗く狐貉の棲息せしことあり社殿の後を利根川の本流東に流れて日向裏に向ひ舟運の便ありしと言ふ其の後享保十六亥年利根川大洪水の際上川邑樂郡境界へ川筋変更して辨天沼となり面積一町八反歩余深さ百余尺周囲には葦一面に生茂りて鴻鶴の来り遊ぶあり沼主として大蛇の棲みしことありと伝へらる
大正三年秋今の清浄池を残して埋立て耕作地となす抑此の部落の草分けは僅に八戸なりしか其の後戸数次第に増加し毎巳年開扉祭典を執行する事となり明治二十六巳年には社殿の改築をなす
當社は天災地変を消滅し福徳智慧延壽財宝の守護神として四隣の信仰厚く吾等氏子も亦崇敬神殿の保全に専念しつゝありしが偶枯木を賣却したる浄資金二十有余万円にて社標旗枠石垣石階段敷石社殿修理記念碑等を竣工し之を記念する爲此の碑を建つ
 昭和二十八年四月』

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 拝殿。
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 留蓋瓦には御神使の蛇が。
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 拝殿の左側に三峯神社。

長井正八幡宮(善ケ島)

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 白山神社から北上して行くと、妻沼東運動公園の北東、畑の中に鎮座する長井正八幡宮。
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 鳥居の脇に…なんだこれ。
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 二の鳥居と拝殿。
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 本殿と木彫りの仏様。八幡大菩薩…ではないだろうし、なんだろう。
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 二の鳥居前から左へ向かうと石祠が一基。
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 二の鳥居前から右へ向かうと石祠が二基。
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