福富町の天満宮

IMGK0140s_20110424165347.jpg
 福富町の天満宮前を通りかかったら、鳥居に「キケン」の貼紙が。
IMGK0142s.jpg
 どうしたんだろうと思って見てみたら、どうやら笠木の部分がズレてしまっているようだ。地震の影響なのかな。
IMGK0151s.jpg
 ついでにお隣の円成院の如意輪観音と青面金剛。
 K-7に銀残しは無いのでPDCU4で現像。石仏には結構合うかもしれない。
スポンサーサイト

瘡守稲荷神社(稲荷町一丁目)

IMGK9965s.jpg
 末広稲荷前から南下して行くと、県道47号線のやや南に稲荷神社が鎮座している。
 社号碑の裏には大正十五年十月建とある。
IMGK9984s_20110417220805.jpgIMGK9987s_20110417220804.jpg
 お狐さま。
 石灯籠の台座部分にも狐の彫刻が見える。
IMGK0020s.jpg
 拝殿と境内末社。
 額には正一位瘡守稲荷大神と書かれている。
IMGK9972s.jpg
 中に見える丸いものは御神体の鏡かな?
IMGK9975s.jpg
 左側は倉庫になっているようだ。


大きな地図で見る

 以上で4月16日参拝分終了。
 実はこの後、深谷商業高校の北300mほどの位置に火の見塚古墳(墳頂に手長神社)があると言う事で探して歩いたのだが…見つからない。帰宅してから調べ直したら、どうやら微妙にずれた場所を探していたらしい。むしろ瑠璃光寺からの方が近かったようだ。おおまかな位置は見当がついたので、また後ほどにでも探してみることにしよう。
 今回の使用機材はK-7にDA10-17mm FisheyeとDA15mm、FA28mm、FA77mm。K10Dに50-150mm II。

稲荷神社(稲荷町三丁目)

IMGK9846s.jpg
 中山道を東へ向かうと、唐沢川を渡ってほどなく北側に稲荷神社の社号標石が見えて来る。
IMGP1767s.jpg
『稲荷神社(稲荷町)
 康正年間(1455~56)深谷に城を構えた上杉房憲は、城を鎮護するために一仏三社を勧請したと伝えられる。この話に出てくる「一仏」とは瑠璃光寺の寅薬師のこと、「三社」とは末広稲荷・永明稲荷・智形明神の諸社のことである。寅薬師と末広稲荷は城の鬼門守護、永明稲荷は同じく戌亥守護、智形明神は城内守護の社として祀られたものであった。当社はこの三社の一つ、末広稲荷のことであり、城下の発展に伴い稲荷町の鎮守として、その住民から厚く信仰され今に至っている。なお、別当は、当初地内の東源寺であったが、文政年間以降は修験の宝珠院が奉仕し、明治元年(1868)の、神仏分離令まで務めた。
 平成十四年二月 深谷上杉顕彰会』


 こちらの御祭神は倉稲魂命。
 末広稲荷がここ、智形明神は先程の冨士浅間神社。では永明稲荷はどこにあるのかと言えば、深谷市役所の北側にある高台院の本堂裏なのだそうだ。……市役所前通り過ぎて来ちゃったよ○刀乙
IMGK9852s_20110417210229.jpg
 社務所。でけぇ。
IMGP1769s.jpg
 一の鳥居。
IMGK9858s.jpg
 狐の彫刻が施された水盤。
IMGK9906s.jpg
 二の鳥居。
IMGK9941s.jpgIMGK9945s.jpg
 狛犬。
IMGP1783s.jpgIMGP1780s.jpg
 石段を上ると両脇にお狐さま。
 台座には昭和五年四月吉日とある。
IMGK9913s.jpg
 拝殿。
 こちらの拝殿と本殿は文政年間(1818~30)に再建されたものであるそうだ。
IMGP1796s.jpg
 虹梁には翼だか鰭だかを広げた龍の彫刻が施されている。
IMGP1777s.jpg
 そしてその下には長い身体を狭苦しそうにくねらせた龍の彫刻。
IMGK9867s.jpg
 社殿西側には富士塚があり、麓あたりには古峯神社が二つと庚申塔。
IMGK9885s.jpg
 塚頂には浅間皇大神、元祖等神霊、小御嶽大神。…等神霊ってなんだ?
IMGK9888s.jpg
 天神社。
 田谷にあった天神社を明治四十五年にこちらに移転し、大正七年には西島にあった天神社が合祀されたとのこと。
IMGK9902s_20110417212922.jpg
 こちらも天井に花鳥図が施されている。
 左側の小さな石塔には高尾山の文字が見える。ところで最近は高尾山の文字を見ると高尾サンダーという言葉が脳裏によぎるんだがどうしよう。どうでもいいな、うん。


大きな地図で見る

管領稲荷神社(仲町)

IMGK9822s_20110417205238.jpg
 冨士浅間神社から西南へ向かって歩いて行くと、深谷小学校の南側に管領稲荷神社がある…のだが、見ての通り民家の敷地を通り抜けなければならないようだ。
IMGK9825s.jpg
 裏手へと回り込んでみたのだが、やはり無理。
IMGK9828s.jpg


大きな地図で見る

冨士浅間神社(元住町)

IMGK9729s.jpg
 深谷市市民文化会館に隣接して鎮座する冨士浅間神社。
IMGK9738s.jpg
『富士浅間神社
 この社の祭神は木花開耶姫命・瓊々杵尊で、社宝は宗源宣旨と宗源祝詞である。
 明治以前には智形神社とよばれ、深谷城内に鎮守としてまつられた五社の一つで、永享十二年(1440)勧請と伝えられている。江戸時代、寛永年間深谷城主酒井讃岐守が再興した。
 深谷城は、上杉房憲が康正二年(1456)古河公方との戦いに備えて築城したもので、天正十八年(1590)豊臣秀吉の関東攻略により落城した。江戸時代には松平・酒井氏が居城したが、寛永十一年(1634)廃城となった。この城は低湿地に取り巻かれた平城で、社をめぐる池と水路は深谷城外濠の名残をとどめている。
 昭和五十九年三月 深谷上杉顕彰会』

IMGP1727s_20110417200929.jpg
 鳥居をくぐってすぐ左手側に琴平神社。
IMGK9744s.jpg
 厳島辨財天。
IMGP1728s.jpg
 稲荷神社。
IMGP1732s.jpgIMGP1731s.jpg
 お狐さま。
IMGP1751s.jpg
 加藤省吾顕彰碑。
IMGK9750s.jpgIMGK9747s.jpg
 狛犬。
IMGK9753s.jpg
 三峯神社と末社群。
IMGK9762s_20110417202210.jpgIMGK9771s.jpg
 境内社。
 祠内に立て掛けられた柱には「祝上棟 天之思兼命 手置帆負命 彦狭智之命」と書かれているが、琴平神社と書かれた札も見える。
IMGK9774s_20110417202208.jpg
 拝殿。
IMGK9816s.jpg
 外濠跡。
IMGK9792s.jpgIMGK9794s.jpg
 拝殿脇の階段を上ると狛犬が。
 本殿周りに鞘殿が建てられて締め出しを食らってしまったのだろうか。
IMGK9807s.jpgIMGP1760s.jpg
 反対側に回り込んでみると、やはりこちらも締め出されていた。


大きな地図で見る

楡山神社(原郷)

IMGK9441s.jpg
 瑠璃光寺から東へ向かい、県道127号線に出たら北上して行くとすぐ楡山神社前に到着。
IMGK9430s.jpg
『楡山神社大ニレ
 埼玉県指定天然記念物
 昭和二四年二月二二日指定
 楡山神社の御神木となっている古木で、目通り約三・六メートル、樹高約一○メートル、樹齢は約六○○年と推定されています。
 ニレは、山地性の落葉樹で、ハルニレとアキニレがありますが、この木はハルニレです。ハルニレは、皮を剥ぐと脂状にぬるぬるするところから別名ヤニレともいいます。樹皮からは繊維が採れ、縄などが作られました。北海道から本州の山地に自生していますが、この木は関東地方の平野部にあるという点で貴重です。
 楡山神社は、平安時代につくられた「延喜式神名帳」に記載される古社で、幡羅郡の総鎮守です。
「楡山」の由来は、昔からこの地方一帯に、ニレの木が繁っていたことによるといわれています。
 平成六年三月 埼玉県教育委員会』


 と案内板には書かれているが、現在では枯れてしまったのか、御神木は既に切り倒されていた。
IMGK9723s_20110417171002.jpg
 神楽殿。
IMGK9457s.jpg
『楡山神社神楽殿碑誌
本神楽殿は今年二月挙行したる国難打開戌年参宮会報賽記念の為め奉納せる建築にして神社所蔵の木材を用い鉄道省交付の国体奨励金を資として造営竣功せるものなり洵に現代の美挙にして嘉績永く後昆に伝ふべし仍て茲に其の梗概を誌し以て同行二千名の至誠を称揚す
 昭和九年歳次甲戌極月』

IMGK9608s.jpg
『楡山神社社殿修営境内整備の碑
 楡の木茂る楡山神社は伊邪奈美命を祀り延喜式内の古社として祈年祭には國幣に預る班に入り朝廷の尊崇を始め武将庶民の崇敬も篤いこの地方の鎮守であった。明治の御代になってからは郷社に列格入間県第八大区また幡羅郡の總社として神社神職の取締り所としてもその重きをなした。大正十二年社殿を修営して県社に昇格し幣帛供進指定神社となり昭和九年氏子の伊勢参宮を記念して神楽殿を改築し神人和合して神徳弥々洽く神威益々高きものがあった。然るに其の後は大東亜戦争勃発し時局世情の激変に遭ひ心ならずも社殿修営の機を得ず年経て雨風の損ひも著しくなったので氏子總代人たち憂い悚み良き折をと思ひめぐらしていた処恰も明治百年の佳き年を迎へることとなった。明治元年十月明治天皇の諮らせ給うた、神祇を崇め祭祀を重んずるは皇國の大典にして政教の基本なり、との御聖旨に叶う敬神崇祖の諄風を守り豊なる郷土の発展を祈念するにまことに良き折を定め奉賛会を設立して浄財を勧募したところ赤誠溢るる氏子崇敬者らの多大なる協賛を得て本殿拝殿の修営を始め各所の修理参道境内の整備をも完成することが出来た。ここに奉賛会役員たちの労を多とし会員各位の芳名を列記して永く記念とする。
 昭和四十五年十一月二十三日』

IMGK9465s.jpg
 二の鳥居。
 掲示板にはヨレヨレになった紙に由緒等が記されていた。
『楡山神社由緒
【御祭神】
 伊邪那美命。一柱。
 夫の伊邪那岐命と共に、国土や山川草木の神々をお生みになった神。「国生み」の神。
 末子に火産霊神をお生みになって後、鎮火の法を教え諭した神。
【鎮座地】
 埼玉県深谷市大字原郷三三六番地。
 旧埼玉県大里郡幡羅村大字原郷。
 旧武蔵国幡羅郡幡羅郷原ノ郷村。
 古くは幡羅ノ郡(はらのごほり)といっていたのを、近世に漢字を改めて原郷としたという。
【御社名の由来と御神木・御神紋】
 御社名の由来は、御神域一帯に楡の木が多かったことによる。正面大鳥居の脇の楡の古木一本は、代々御神木と崇められ、樹齢一千年ともいい、現在は埼玉県の文化財(天然記念物)に指定されている。
 当社の御神紋の「八咫烏」は、初代神武天皇の東征の際、南紀の熊野から、翼の大きさ八尺余りの道案内で、大和に入ったという故事から、当社が熊野権現といわれた時代に定まったものといわれる。
【御創立と沿革】
 五代孝昭天皇の御代の御鎮座という言い伝えがあった。
 大字原郷全域から東隣の大字東方の西部にかけて分布する木之本古墳群(木之本は小字名)は、奈良時代ごろのものといわれ、古くからひらけた土地であることをうかがわせる。現在の末社の天満天神社(富士浅間神社)や知知夫神社も、後世の創祀ではあるが、古墳の塚上に祀られていたものである。かつては境内の森の奥にも塚があり、「里人不入の地」といわれた。

 延喜年間(平安時代)、醍醐天皇の御代に朝廷の法規などをまとめた書「延喜式」の「神名帳」の巻に、「武蔵国幡羅郡四座」のうちの一社「楡山神社」とある。すなわち朝廷より幣帛を賜った古社であり、「延喜式内社」といわれる。
 旧原ノ郷村は、平安時代中期の北武蔵の武将・幡羅太郎道宗の再興になる地域である。神社の南西に史跡「幡羅太郎館址」がある。当時から幡羅郡の総鎮守、幡羅郡總社といわれ、御社名を幡羅大神ともいった。
 康平年間(1058~1065)、源義家の奥州征伐の時、幡羅太郎道宗の長男の成田助高は、当社に立ち寄って戦勝を祈願したという。成田家は後に行田の忍城主となっていったが、当社は成田家代々の崇敬が篤かったという。
 徳川時代には、旧社家の没落と共に別当天台宗東学院の管理する所となり、熊野三社大権現と称したこともあった。当時より節分の日の年越祭は盛大であり、「権現様の豆撒」などともいわれた。
 明治に入り、御社名を楡山神社にもどす。明治五年、旧入間県八大区の郷社に制定される。大正一二年県社に昇格。
 大正二年、中絶していた年越祭を再興。戦中戦後の一時期は中断していたが、戦後に神職氏子の努力によって復興させ、毎年節分当日は巨万の賽客で賑わい、追儺の神事や花火(戦前は「おだまき」と称した地域伝来の花火)などの行事が夜遅くまで続く』

IMGK9555s.jpg
 拝殿。
IMGK9651s.jpgIMGK9653s.jpg
 狛犬。
IMGK9719s.jpgIMGK9713s.jpg
 背面も。
IMGK9469s_20110417174239.jpg
 拝殿に掛けられた算学絵馬。
IMGK9705s_20110417172353.jpg
 土地譲与許可書を記した石碑。
 またこちらには楡山神社を大鎮守、愛宕神社を小鎮守として信奉して来たとも記されているが、この愛宕神社とは幡羅中学校の東側にある愛宕神社のことだろうか。
IMGK9471s.jpg
 招魂社と知々夫神社。
 知々夫神社に祀られているのは知々夫彦命と八意思兼命。
IMGK9480s.jpg
 しかし、知々夫神社にはなぜか妙見星神の文字が。掲示板に貼られていた案内書によれば、知々夫神社は妙見様とも呼ばれており、幕末期に木之本と根岸の境にある妙見山古墳に勧請されたものであると云う。富士講や法華宗に関係するものと見られており、眼病や養蚕の守護神とされているとのこと。
IMGK9486s.jpg
 天照皇大神。
IMGK9492s.jpg
 八坂神社。
 古くから境内末社であったが、根岸にあった八坂神社と合祀されたのだそうだ。御祭神は須佐之男命。
IMGK9498s.jpg
 大雷神社。
 原新田より移転したもので、御祭神は大雷神。根岸の三峯神社が合祀されており、伊邪那岐命・伊邪那美命も祀られている。
IMGK9503s.jpg
 手長神社。
 城西ほか各地の同名の神社を合わせて祀っているとのこと。御祭神は天手長男命で、火伏せの神として崇められているそうだ。
IMGK9507s.jpg
 大物主神社。
 御祭神は三輪大物主命と少彦名命。案内書には記されていなかったので、他の末社よりは最近になってこちらに祀られることになったものと思われる。念の為にググってみたら、楡山神社の公式サイトに東原の大物主神社と古くからあった境内社の金刀比羅神社・怡母神社を合祀したものと記されていた。
IMGK9510s.jpg
 天満天神社。
 木之本の仙元山古墳に鎮座していたものをこちらに移転したとのことで、同所にあった富士浅間神社と小御嶽神社、根岸にあった市杵島神社と天神社が合祀されている。主祭神は菅原道真公で、他に市杵島姫命と木花佐久夜比売命、岩長比売命が祀られている。
IMGK9513s.jpgIMGK9535s_20110417182026.jpg
 荒神社。
 根岸にあった荒神社をこちらに移転したもので、同社境内にあった諏訪神社と春日神社が合祀されている。火産霊命、奥津比古命、奥津比売命の三柱を主祭神とし、他に御穂須々美命、天津児屋根命、斎主命、武甕槌命、比売命が祀られているとのこと。春日四神が春日神社の祭神であると見ると、御穂須々美命が諏訪神社の祭神と言うことになるのだろうか。聞き覚えの無い名前だったのでググってみたところ、建御名方命の妹にあたる神様であるようだ。
 また、石燈籠には享和三癸亥歳九月吉日との文字が刻まれており、1803年に奉納されたものだと判る。
IMGK9619s.jpg
『拝殿の鬼瓦の由来
 此の鬼瓦は明治四十三年の拝殿再興以来、平成十一年五月までの八十九年の長い間酷寒酷暑風雪雨に耐えておりました。然しながら屋根全体が歪みと破損等で止得ず平成十一年五月に屋根全体を新規に葺替えし、一対の鬼瓦は後世に残すため氏子総代会で、ここに保存することといたしました。
 平成十一年五月吉日』

IMGK9675s_20110417184100.jpg
 県道275号線に面して鎮座する伊奈利神社。
 中原の伊奈利神社をこちらに移転したもので、木之本の伊奈利神社と富士守稲荷神社、城西の地神社を合祀したとのこと。主祭神は豊受毘売命で、他に大地主命と埴山毘売命が祀られている。
IMGP1694s_20110417184059.jpg
 寒神社(道祖神)と書かれているが、塞の間違いかな?
 御祭神は久那戸神、八衢比古神、八衢毘売神の三柱。
IMGK9687s_20110417184050.jpg
 県道127号線に面して立つ鳥居。
IMGK9698s.jpg
 案内板と馬頭観音。
『楡山神社
 当神社は、平安時代に編纂された「延喜式神名帳」に記載されている古い神社で、幡羅郡の総鎮守であり、祭神は伊邪奈美命である。
「楡山」の由来は、昔からこの地方一帯に楡の木が繁茂したことによる。境内の正面に神木とされる樹齢約六百年の楡の木があり、樹高約九メートル、幹回り約三・六メートルで、天然記念物として県の指定を受けている。
 江戸時代は、「熊野三社大権現」と号したが、明治の神仏分離により社号を楡山神社にもどした。
 二月の節分祭は近郊の人々でにぎわい、赤鬼・青鬼の人形を人々が奪い合う珍しい風習がある。
 また、深谷市指定文化財として、和琴・磐笛、佐文山筆熊野三社大権現扁額がある。
 平成三年三月』

IMGK9693s.jpg
 お地蔵様と大黒天、庚申塔など。
 このお地蔵様は疣地蔵とも呼ばれているそうで、上述の怡母神社とはこのお地蔵様のことであると楡山神社のサイトに記されている。


大きな地図で見る

瑠璃光寺(稲荷町北)

IMGK9348s_20110417161415.jpg
 当初は参拝するつもりは無かったのだが、折角だからお参りしてして行こうと思い予定変更。
IMGK9305s.jpg
 定門。市内最古の建造物として、深谷市の文化財に指定されているのだそうだ。
IMGK9222s_20110417161408.jpg
 本堂。
IMGK9278s.jpg
『寺歴
 寺号  深谷山 瑠璃光寺
 開基 「新編武蔵風土記稿」は大同二年(807)と記し、
   「寺伝」には承和二年(835)
 開山  慈覚大師
 宗旨  天台宗比叡山延暦寺末
 本尊  釈迦如来
 名宝  秘仏薬師如来  木像行基菩薩 作
     八臂観音    伝 慈覚大師 作
     金紙紺泥法華経 享保十二年
 文化財 仁王門、薬師堂、定門、深谷山扁額、
    古瓦、曲玉、青石塔婆、明画

 深谷山光明院瑠璃光寺。通称薬師堂とも言われている。当時の起立を大同二年又承和二年とされているがその間二十八年の差あれどもその創立は平安時代で当市第一といえよう。当寺の全盛時代は鎌倉時代で所謂七堂伽藍完備し現在仁王門の正面薬師堂あたりに本堂があった。それより東に庫裡があったと見え、現本堂の裏手には昔時庭園と思惟される跡が残っている。大樹巨木がうっそうとして往時における大寺の面影歴然としている。
昭和初期境内より鎌倉時代の古瓦青石塔婆が出土し古くして盛んだった当時を偲ばしめている。この青石塔婆は建治二年八月十五日に建立されたものである。なお開山慈覚大師御手植えと伝える椎樹がある。
 薬師堂本尊は寅ヶ淵より出現せられ、作は室町時代。深谷城主の鬼門除けとして有名だったと伝えられる。
 本堂前の小門はその構造は簡素小規模のものだが建立は天正十七年といわれている。
 仁王門は享保年間の建立で葵の紋章がつけてある。扁額「深谷山」は佐文山の書である。寺伝によれば天海僧正が徳川家康の遺骨を日光に奉遷の際、表むきには川越より館林方面に行列を仕立て、実は川越より古鎌倉街道を深谷に下り、当門に暫時休憩雨宿りした後世良田長楽寺に向いたる由にて幕府は右の如き由緒にて特に御朱印十石を賜わり明治初年に至ったのである。この仁王門は霊験あらたかで子供がここに詣でて仁王の股を潜れば麻疹が軽減されるといわれ毎年陽春の頃賑わっている。
 昭和五十三年三月吉日 第六十三世 考純 代』

IMGK9276s_20110417161403.jpg
 仏足石。
IMGK9253s.jpg
 聖観音像。
IMGK9211s_20110417161359.jpg
 五重塔。
IMGK9245s_20110417162235.jpg
 瓦。
IMGK9234s_20110417162234.jpgIMGK9236s.jpg
 留蓋瓦。
IMGK9282s.jpg
 青石塔婆。
IMGK9300s.jpg
 慈覚大師御手植椎。

IMGK9329s.jpg
 仁王門。
『瑠璃光寺
 天台宗で深谷山光明院といい、開山は慈覚大師。大同二年(807)創建と伝えられる。鎌倉時代には七堂伽藍を完備し、室町期、深谷城主上杉氏は当時の薬師堂の寅薬師を、城の鬼門除けとして深く崇拝した。江戸時代、天海僧正が徳川家康の遺骨を、日光に奉遷の際、当門に休憩したことから、幕府から慶安二年(1649)御朱印寺領十石が下付された。境内の板碑は建治(鎌倉時代)のもので、側に慈覚大師御手植えの椎の樹もあり、本堂前の定門は構造簡素だが、建立は天正十七年で、深谷落城の前年である。仁王門は享保年間の建立で、仁王の股をくぐると「はしか」が軽いということから、近郷の人々の信仰をあつめた。
 昭和五十九年三月 深谷上杉顕彰会』

IMGK9342s.jpgIMGK9332s.jpg
 仁王。
IMGK9353s.jpg
 天井には花鳥図。
IMGK9369s.jpg
 参道。
 この写真には写っていないが、参道左手側には不動明王、釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩、地蔵菩薩、弥勒菩薩、薬師如来、観世音菩薩、勢至菩薩、阿弥陀如来、阿閦如来、大日如来、虚空蔵菩薩の十三仏が並んでいる。
IMGK9171s.jpg
 鐘楼。
IMGK9173s.jpg
 地蔵堂。
 延命地蔵尊、子育地蔵尊、閻魔像、奪衣婆像が安置されており、泥の団子をお供えして願を掛け、成就した後に米の団子をお供えするという風習が伝わっているそうだ。
IMGK9186s.jpg
 薬師堂。
 寅ヶ淵より出現されたと伝えられる、秘仏薬師如来、日光・月光菩薩及び十二神将が安置されており、十二年に一度、寅年にのみ御開帳されるのだそうだ。
IMGK9193s_20110417164729.jpg
 堂内に掛けられた絵馬。関羽と周倉かな?
IMGK9196s.jpg
 こちらは虎の描かれた絵馬。
IMGK9203s.jpg
 薬師堂と本堂を結ぶ回廊。


大きな地図で見る

山王社(稲荷町北)

IMGK9118s.jpg
 諏訪神社前からまっすぐ南下して行くと瑠璃光寺前に出るので、瑠璃光寺の駐車場に車を置いてすぐ東側の山王社へ。この位置からの見た目では判り難いが、稲荷町北古墳(亦は瑠璃光寺東古墳)と呼ばれる古墳であるのだそうだ。
IMGK9136s_20110417155920.jpg
 山王社。
IMGK9133s.jpg


大きな地図で見る

諏訪神社(上敷免)

IMGK8885s.jpg
 明戸諏訪神社南西の県道127号線と県道275号線合流ポイントから西へ向かい、しばらく走ると上敷免の諏訪神社が見えて来る。
 ここから少し南西へ向かうと、深谷上杉氏の筆頭家老である岡谷加賀守香丹の築いた皿沼城跡があるそうだ。とすると、こちらの諏訪神社は皿沼城の鬼門除けとして建立されたものなのだろうか。
IMGK8904s.jpg
 天王宮。
IMGK8940s.jpg
 拝殿。
IMGK9033s_20110417150525.jpgIMGK9036s.jpg
 狛犬。
IMGK8955s.jpg
 稲荷神社。
 皿沼城内には伏見稲荷が祀られていたそうだが、こちらの稲荷社はそちらから移転したものなのだろうか。
 石灯籠には元禄七甲戌年とあるので1694年のものか。
IMGK8958s.jpg
 左側に清瀧日本武大神。中央に御嶽山大神・三笠山大神・八海山大神。
IMGK8978s.jpg
 囧御先大神。


大きな地図で見る

諏訪神社(明戸)

IMGK8712s_20110417143640.jpg
 浅間神社から県道127号線を西へ向かい、明戸(東)交差点を越えて南下するとすぐ右手側に諏訪神社が見えて来る。
IMGK8718s.jpg
 津島天王宮と神楽殿。
IMGK8730s.jpg
 津島天王宮の天井には花鳥図だけでなく龍や鹿、鯉、仙人らしき人物なども描かれている。また、神輿の手前には木像の鬼の首らしき物も見える。
IMGK8741s.jpg
 津島天王宮と記された額。こちらの天井にも絵が描かれている。
IMGK8760s.jpg
 諏訪神社拝殿。
IMGP1628s.jpgIMGP1625s.jpg
 狛犬。
IMGK8794s.jpg
 土地譲与書を記した石碑。
IMGK8789s_20110417144933.jpg
 稲荷神社。
IMGK8787s.jpg
 稲荷神社本殿。
IMGK8804s_20110417145455.jpg
 境内社。
IMGK8807s_20110417145454.jpgIMGK8814s.jpg
 瓦には小嶽山とあるが、中には三峯神社の神璽が納められている。
IMGK8860s.jpg
 隣接する明戸西部自治会館の前に遙拝所。


大きな地図で見る

浅間神社(上増田)

IMGK8684s.jpg
 住吉神社東側の道を北上して行くと、国道17号線深谷バイパスを越えて埼玉県道127号線に出る手前に浅間神社が鎮座している。
 左側には八坂大神、右側には稲荷大神と浅間大神が合祀されている。
IMGK8700s.jpg
 八坂大神。
IMGK8693s.jpg
 稲荷大神&浅間大神。


大きな地図で見る

住吉神社(宮ケ谷戸)

IMGK8625s.jpg
 上増田交差点から県道263号線を南下すると、無量寺の北西に住吉神社が鎮座している。
IMGK8670s_20110417135812.jpg
 御陵遙拝所。
IMGK8638s.jpg
 芭蕉句碑。
「能見れは薺花咲く墻根かな」と刻まれている。
IMGK8657s.jpg
 こちらの句碑は読み取り難いのでググってみたら、やはり芭蕉の句で「秋の野や草の中行く風のおと」と刻まれているそうだ。
IMGK8643s.jpg
 拝殿。
 この辺りはかつて宮ヶ谷戸城があったのだそうだ。手水舎の瓦には丸に根笹紋が施されていたが、宮ヶ谷戸城主の用いていた紋なのだろうか?
IMGK8652s.jpg
 社殿の周囲を一回りしてみたが、末社などは見当たらなかった。


大きな地図で見る

諏訪山神社(上増田)

IMGK8480s.jpg
 埼玉県道263号線と上武道路の交差する本田ケ谷交差点より少し北西に向かうと、増東自治会館の東隣に諏訪山神社が鎮座している。
IMGK8487s_20110417132814.jpg
 二の鳥居。
IMGK8578s.jpg
 遙拝所。
IMGK8571s_20110417132814.jpgIMGK8573s.jpg
 鳥居をくぐると狛犬。
IMGK8501s.jpg
 拝殿。
IMGK8508s.jpg
 土地譲与許可書を記した石碑。
 由緒等は埼玉県神社誌を参照しろとも記されている。
IMGK8514s.jpg
 諏訪神社・白山神社合祀記念碑と諏訪神社設備記念碑。
IMGK8519s.jpg
 末社。
IMGK8534s.jpgIMGK8560s.jpg
 八坂神社だろうか? 中には小さな神輿が納められている。
IMGK8547s.jpg
 深谷市指定第16号保存樹木の欅。
IMGK8607s.jpg
 神社西側の道路わきに立てられた案内板。
『増田氏館跡
 増田氏館は、室町時代の豪族、増田四郎重富の館跡といわれ、市の史跡に指定されている。
 資料によると増田四郎重富は、扇谷上杉氏に攻められ、この地を捨てて比企郡高見町(小川町)四ツ山城に移った。文明十五年(1483)消失した男衾郡野原村(江南町)文殊寺を再興し、長享元年(1487)二月三日没した。
 法名は傑山英公居士と称し、同寺内に墓がある。
今でも雑木林の下に昔のおもかげを語るごとく土塁が歴然と残っているが、北側の堀跡は、区画整理で道路となった。
 なお、明治四十三年の大洪水でも館の屋敷内には浸水しなかったそうである。
 平成六年一月 深谷上杉顕彰会(第二十六号)』



大きな地図で見る

八幡神社(妻沼)

IMGP1595s.jpg
 男沼公民館から北上し、利根川沿いの堤防道を東へ走って行くと大里郡利根川水害予防組合第三号水防倉庫の少し先に八幡神社が鎮座している。
IMGK8402s_20110403195551.jpg
 拝殿は無く、本殿の周りの瑞垣と覆い屋根がある。
 由緒等を記したものは見当たらないのでいつものようにググってみると、こちらの神社は源頼朝が那須に巡行する際に祀ったと伝えられているのだそうだ。
IMGK8350s_20110403195550.jpg
 庚申塔と八幡宮湧泉記。
IMGK8419s_20110403195549.jpg
 本殿。
 壁面には神功皇后の三韓征伐を描いた彫刻が施されている。
IMGK8358s_20110403200838.jpg
 裏手には水神宮と若宮八幡宮。
IMGK8399s_20110403200838.jpg
 西側から。
IMGP1586s.jpg
 北側の堤防上から。


大きな地図で見る

 以上で4月2日参拝分終了。
 使用機材はK-7にDA15mmとDA21mm、FA43mm。K10Dに50-150mmII。G'z One Type-X。
 帰宅途中、足利のWonderGOOでPSP-3000を買って行こうかと思ったら、既に無くなっていた○刀乙 二日前には5台ほどあったのに…うぅ、やはり見かけた時に買っておかないといかんのね。

稲荷神社(男沼)

IMGK8316s.jpg
 男沼分団第一部前から南西に向かって歩いて行くと右手側に風張集会所が見えて来るので、そこからもう少し西へ歩くと稲荷神社が鎮座している。
IMGK8319s.jpg
 甲子塔と石祠。
IMGP1556s_20110403193945.jpg
 遠景。

IMGK8334s.jpgIMGK8330s.jpg
 風張集会所前のお地蔵様や観音様。
IMGK8328s.jpg
 態々歩いて来なくても、風張集会所に駐車スペースあったんじゃないか○刀乙


大きな地図で見る

飛田稲荷神社(男沼)

IMGK8301s.jpg
 雷電神社から南下して県道276号線に出たら東へ走って行くとそのうち左手側に飛田稲荷神社が見えて来る。しかし駐車スペースは無いので少し西に戻って男沼公民館に駐車。
IMGK8292s.jpg
『稲荷神社移転之碑
当社は元亀年間(1570-1573)祖先太郎兵衛氏神に祭祀せしを創めとし慶長九年(1604)伊奈備前守様並に天野彦右エ門様検地の際五畝歩除地とせられ後貞享元子年(1684)堀田筑前守検地六畝貮拾歩に改む明治初年又九畝拾六歩と改められ稲荷神社境内として上地官有となる明治四十年(1907)四月証拠品添付土地払下出願し許可せらる元地番百九番より百三十五番氏神に合祀移転せり』

IMGK8277s_20110403184940.jpg
『飛田稲荷神社後記
抑 当社は右移転碑の通りなるも当?佳洲に至り神徳顕著なる当社を獨祭することなく一家一門と共に祀らんと祖父建傳翁に計りたるに翁も直に賛成せり依て協議の上中の宮床下石垣を修復し鳥居旗框を新調し花木を奉納し境内を整備し永く一家一同の親睦と繁栄を祈願し茲に碑を建て後世に傳へんとす』

IMGK8298s.jpg
 拝殿。
IMGK8268s_20110403184939.jpg
 本殿。
IMGK8274s.jpg
 裏手に石祠二基。
 MAPPLEには稲荷神社ではなく天神社と記載されているので、三基の石祠のいずれかが天神社であるのだろうと思われる。

IMGP1565s.jpg
 男沼公民館前の交差点脇に鎮座する石祠。道に背を向けているので道祖神ではなさそうだが、どなたが祀られているのだろう? こちらの畑の土地神様なのかな。
 余談だが、男沼公民館から北に向かうと鎮守神明宮が鎮座している。


大きな地図で見る

雷電神社(出来島)

IMGK8241s_20110403181616.jpg
 稲荷神社東側の道をまっすぐ北上して行くと雷電神社前に到着。
IMGK8256s.jpgIMGK8232s.jpg
 由緒等は不明。
IMGK8246s.jpg
 几号水準点。
 ググってみると、どうもこちらの神社は神社そのものよりも水準点の方が有名なようだ。

 ここから少し北東へ向かうと伊奈利神社があるが、そちらに参拝したのももう一年半程前になるのか。


大きな地図で見る

稲荷神社(間々田)

IMGK7979s.jpg
 聖天堂から東へ向かい、能護寺の東側を南北に走る埼玉県道276号新堀尾島線に合流したら北へ。するとすぐに稲荷神社参道の標石が建てられているのでそこからまっすぐ進んで行くと稲荷神社前へ。
IMGK7992s.jpg
 稲荷神社鳥居。
 左手側に間々田コミュニティセンターがあるので、そちらの前に駐車できる。
IMGK7998s.jpg
 境内。
 なんか古墳っぽい感じだなと思ったら、やはり円墳であるようだ。ただし古墳でなく塚である可能性も残るとのこと。
IMGP1507s.jpgIMGP1505s.jpg
 狛犬。
IMGK8055s.jpgIMGK8061s.jpg
 鏡餅…じゃなくて、なんて言うんだコレ。
IMGK8010s_20110403164750.jpgIMGK8028s.jpg
 お狐様。
IMGK8004s.jpg
 拝殿。
IMGK8190s.jpg
『合祀碑
 詔曰祭祀神祇者皇囶大典政教基本也太政官宣曰神社者國
 家之宗祀也仲尼曰明郊社之禮禘襠之義者治天下國家夫是
 始視北掌乎是所以 皇天大祖之統治天下者之重祭祀為政
 教之基本也恭惟上古 列祖列聖之 天祖之神勅遵奉寳祚
 天壌共無窮祭政一致之謨訓統御寓内莫重祀與民與軍之三
 政是所以 天日嗣之 天皇天地共日月尊厳無窮也惟比伊
 奈利神社者鎮祀于埼玉縣武藏國大里郡男沼村大字間々田
 奉齋 天祖大日孁貴尊豐受姫命素戔鳴命也鎮座年月未詳
 豐受神者坐此地稲荷社又曰下之社 天祖神者鎮齋小字伊
 勢神明社或曰上之社進雄命祀小字天神坪稱八坂社間々田
 所載令義解和名鈔武藏國風土記稿大日本史國郡志幡羅郡
 長井莊而名地也蓋住古開創村落遥所奉齋伊勢囶内外之
 神宮歟有後花園天皇文安元年改造社殿棟札及慶長寛永年
 間撿地圖帳本社地免租地者可証古社也 皇政復古太政官
 遵奉禁神佛混淆之官令清潔社殿置神職焉 明治五年九月
 入間縣令河瀬秀治掯命列村社明治三十九年奉 勅令神明
 八坂両社合祀於本社移轉于事任諏訪羽黒天滿天神之四社
 境内末社請願于埼玉縣廰乃允許焉明治四十二年七月三十
 一日埼玉縣知事島田剛太郎殿奉 勅令列本社神饌幣帛料
 供進之社格是乃氏子衆諸至誠貫徹本社寄進金糓田畑設定
 神社財産尊 皇敬神重 皇囶國體之尊厳爲建國家無窮子
 孫悠久之基礎柱石也鳴呼忠誠也偉勲也哉乎
 明治四十三年三月九日』


 えーと、創建時期は不詳だが元々こちらに豊受姫命を祀る稲荷神社(または下之社)があり、進雄命(素盞鳴尊)を祀る小字天神の八坂神社と大日孁貴命を祀る小字伊勢の神明社(または上之社)、それから事任神社と羽黒神社、諏訪神社、天満天神社の境内末社が合祀されている、と。
IMGK8177s.jpg
 神楽殿。
IMGK8064s.jpgIMGK8067s.jpg
 境内社。中には目つきの悪そうな石像が納められており、注連縄から垂らされた紙垂にはボールペンで小さく天神と書かれていたので、こちらは天神社なのかも知れない。
 左奥に見えるのは猿田彦大神。
IMGK8076s.jpg
 倉庫かな?
IMGK8085s.jpg
 武尊山大神、辨財天・水神宮、阿留摩耶天。
IMGK8080s_20110403170220.jpg
 こちらも紙垂に天神の文字が。
IMGK8091s_20110403170221.jpg
 境内社。
 左の縦長の社は天満宮。その右の長屋には神輿庫と湯殿神社・秋葉神社・八坂神社。右端の社は蚕影神社。
IMGK8139s.jpg
 こちらの石祠はなんだろう?
IMGK8145s_20110403173059.jpg
 墳丘の斜面に立ち並ぶなんたら霊神の数々。
IMGK8174s_20110403173058.jpg
 神武天皇と豊斟渟尊・国常立尊・国狭槌尊。
 なんたら霊神が多いことから見て、この斜面は御嶽塚も兼ねているようだ。
IMGK8148s_20110403173057.jpg
 末社群。
IMGK8154s_20110403173056.jpgIMGK8160s_20110403173055.jpg
 染殿大神と八方金神。
IMGK8165s.jpgIMGK8169s_20110403174638.jpg
 猿田彦大神と覚明霊神。


大きな地図で見る

大日堂(江原)

IMGK7944s_20110403161106.jpg
 先程の聖天堂から少し西へ歩くと大日堂がある。
IMGP1451s.jpgIMGP1457s.jpg

聖天堂(江原)

IMGK7917s_20110403155335.jpg
 摩利支天堂東側の道を北へ向かって行くと、江原東部自治会館の北側に聖天堂が鎮座している。
IMGK7923s.jpg
 庚申塔や青面金剛の並ぶ中に混ざって、辨財天と湯殿山・羽黒山・月山の文字も見える。
IMGK7883s.jpg
 聖天堂。
IMGK7892s.jpg
 中を覗くと…なんか神社っぽい。
 首の無い狛犬らしきものと「秋葉神社大前鎮火祭」と書かれた木札、そして干乾びた大根も見える。
IMGK7898s_20110403155331.jpg
 裏手に回ると菅原神社。
IMGK7930s.jpgIMGK7941s.jpg
 二十三夜塔と蚕影神社、そして石祠。


大きな地図で見る

摩利支天堂(江原)

IMGK7880s.jpg
 45号線を東へ戻ると、見落とす心配は無いくらい大きく書かれた「高野山真言宗 摩利支天」の看板が見えて来る。また、摩利支天堂の北側側面には「開運総本山摩利支天尊 荏原氏館跡」とも大きな文字で書かれているため、こちらも人目を引く。
IMGP1437s.jpg
 百度石。
IMGK7807s_20110403152004.jpg
 摩利支天堂。
 ガラス戸に貼られた紙には、こちらのお堂には荻野吟子が奉納したと思われる額が納められていると書かれていた。
IMGP1430s.jpg
 深谷市の指定文化財である荏原氏館跡の案内板と芭蕉句碑。
IMGK7845s.jpg
『荏原氏館跡と芭蕉句碑
 本館跡は現在の摩利支天堂の周辺三町(約三二七メートル)に及ぶ範囲に所在し、武蔵七党の一つ、猪俣党に属した荏原太郎が居住していたと伝えられている。
 現在では館の痕跡を見ることはできないが、利根川の堤防の一部は、かつて館の土塁であり、戦国時代末期、豊臣秀吉よる小田原征伐の際に、忍城(現在の行田市郷土博物館周辺)の水攻め石田三成の指揮により、取水施設として改修されたものと伝えられている。
 境内に建つ句碑は、江戸末期から明治初期に活躍した江原出身の俳人、市川市月(玄香庵)が、明治十七(1884)年に、俳聖松尾芭蕉を偲び建立したものである。
 寒菊や 粉糠のかかる 臼の端
の句が刻まれている。
 平成十年一月 深谷上杉顕彰会(第三十三号)』

IMGK7859s.jpg
 末社群。
IMGK7877s.jpg
 左から辨財天、青麻三柱大神、摩利支天宮。


大きな地図で見る

冨士神社(江原)

IMGK7795s.jpg
 県道45号線を西へ向かい、高野山真言宗浄光寺西側の道を南下して行くと北深谷病院の東側に冨士神社が鎮座している。地図で見ると浄光寺東側の道を南下して行って方が早そうだが、途中から車で通るのは困難になるので避けるが吉。
IMGK7775s.jpg
 社号標石そばの石塔。側面に天明二壬寅年二月吉日と刻まれているので1782年のもの。
IMGK7699s.jpg
 拝殿。
 冨士神社と言う名前から御祭神は木花開耶姫命だと思われるが、創建時期等は不明。
IMGK7702s_20110403142702.jpg
『鳥居復元之碑
昭和三十八年五月二十二日真夏にも劣らぬ高温の午後四時過ぎ南方に現われた黒雲は強風に乗じて西南方に位置を替え一瞬の中にやや褐色の無味な妖雲に化し瞬間五○メートルを超える大旋風に吹き返り強烈な稲妻雷鳴豪雨に次いで鶏卵大の雹を加えてその量頗る大辺りは咫尺も弁ぜぬ物凄き数分間おそろしき古今未曾有の通り魔は農作物の全滅をはじめ家屋樹木その他に甚大なる爪跡を残し古来堅固に存在した当神社大鳥居も遂に倒潰の惨禍を受け御神威の尊厳維持のため之を放置し得ぬ状態になったので氏子一同相計りここに復元の工を起し完成を見たので其の大要を江湖に伝える次第である
 昭和四十年十月十八日』


 鳥居の柱には「武蔵国幡羅郡明戸村大字江原堀米蓮沼氏子中」「明治二十四辛卯年十一月建之」と刻まれていたから、立て直したと言う事か。
IMGK7706s.jpg
 境内社。八坂神社かな?
IMGP1406s.jpgIMGP1411s.jpg
 狛犬。
IMGK7717s.jpg
 拝殿西側に小さな塚。
 右側に見える庚申塔は明和六丑天正月吉日とあるので1769年のもの。
IMGK7722s_20110403145438.jpg
 小宮社と蚕影神社。それと小さくて見え難いが若宮八幡宮。
 小宮社は元治二乙丑年五月吉日と刻まれているので1865年のもの。
IMGK7732s.jpg
 若宮八幡宮。
IMGK7715s.jpg
『指令社第四二三三號
 譲與許可書
  冨士神社
埼玉縣大里郡明戸村大字江原字西冨士宮三四五
 神社境内地 二七八坪○○勺
       立  木  共
右冨士神社譲與申請の件許可する
 昭和二十五年一月二十五日
  東京財務部長井上義海

敬神崇祖は我國古来伝統の情操にして尊皇愛国は國民の信念なり神社は郷邑の産土神として郷土を守護し神威を廣く長く埀れ給うかかるが故に地方神社は多く鎌倉時代より武将又は土豪に依りて崇敬せられ徳川時代に除地の寄進をうけ明治維新にありては祭政一致によりて国家の宗祀となり社格を附與せらる我鎮守冨士神社も庶民の富士山信仰によりて創建せられ中古地方武将蓮沼氏江原氏等の崇敬厚く水帳記載除地を有し来りたる所尚明治四十一年五月十九日政府より神饌幣帛料供進指定を受け益々社威を顕揚す我等氏子も又心の故郷と信じ尊び御神徳を仰ぎ報本反始の誠を捧げ年々の大小の祭祀を奉仕し恩頼を恐みける偶々昭和二十一年二月未曾有の制度変革により神社は宗教となり祭政分離の國家方針に従い法律に依り江原蓮沼堀米氏子の努力によりて上記の境内地を昭和二十五年一月國より無償譲與せらる然れども氏子の敬神の念は益々熾烈にして村民愛郷の精神に依り社運発展期して看るべき者あらん
茲に譲與の次第を刻して後昆に傳う
 昭和二十七年四月 當社宮司』

IMGK7738s.jpgIMGK7745s.jpg
 左側の石祠は塚の脇にひっそりと、右側の石祠は鞘殿の裏に鎮座しているが、どちらも何神社なのか不明。


大きな地図で見る

薬師堂(永井太田)

IMGK7688s.jpg
 埼玉県道45号本庄妻沼線の永井大田交差点より少し西へ向かうと45号線に背を向ける形で薬師堂が鎮座している。
IMGK7673s_20110403140127.jpg
 門の棟木部分には下がり藤紋が付いているが、この辺りは藤原北家の流れを汲む斎藤氏の地でもあったから、その関係なのかな。
IMGK7649s.jpg
 青面金剛に馬頭観音、如意輪観音などが並んでいる。
IMGK7663s.jpg
 薬師堂。
CA3I0016s.jpg
 ついでに先週機種変更したG'z One Type-Xでも撮ってみたり。意外とちゃんと写るのに驚いた。でも以前使っていたW41CAと違ってヒンジが二軸式ではなかったりサイドにレリーズボタンが無かったりするので構え難い。


大きな地図で見る
カレンダー
03 | 2011/04 | 05
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
ブログ内検索
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
最近のトラックバック
FC2カウンター
プロフィール

梁瀬

Author:梁瀬
無駄な徘徊でCO2を増やす、
方向感覚に不案内なヒト

リンク
RSSフィード