八坂神社(野田町)

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 野田下自治会館に隣接した八坂神社。
 薬師如来堂と八坂神社の額が並んで掛けられており、また鈴ではなく鰐口や青銅の鐘が下がっていることから見て、仏教色が強いようだ。

 以上で12月17日参拝分終了。
 使用機材はK-7にDA18-55mm WR。ひさびさの自転車移動に加えて風がやや強かったせいか、この日は筋肉痛が凄かった…○刀乙
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塔ノ木稲荷神社(久保田町)

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 田辺三菱製薬工場の南側、国道50号足利バイパスに架かる吉次塚歩道橋そばに塔ノ木稲荷古墳があり、その墳頂に稲荷神社が鎮座している。
 三年ほど前のエントリーで、田辺三菱製薬工場の北側にある浅間神社古墳周辺を延々探しても塔ノ木稲荷古墳を見つけられなかったと書いたが…そうか、南側かぁ○刀乙
 実はここを見つけられたのは、数日前にたまたま50号バイパスを走っていた時に、塔ノ木稲荷古墳を見つけられなかったことを思い出し、まさか南側にあったりするんじゃないだろうなと思って振り向いたら……あったー!? 車で移動していた時なので、目を向けるのが早くても遅くても見落としていたであろうバッチリなタイミングではあるのだが、なんともマヌケな話だ。
 ちなみに、写真右端に見える建物が田辺三菱製薬工場。
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 稲荷神社。
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 その横に、大正六年三月に建てられた忠勇碑。

天神社(高松町)

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 癪除八幡宮前から西へ向かい、観音寺西側の十字路を北へ向かうと高松天神山古墳があり、その墳頂に天神社が鎮座している。
 石段があるが、小さい上に傾いているので足元注意。
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 墳頂には拝殿の他には小さな水盤があるのみ。
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 額には「菅神廟」とあり、その横に「安政三年丙辰春三月之吉 藤原和弌謹篆」と記されている。1856年に奉納されたものであるようだ。

七社権現(高松町)

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 日向交差点から県道148号線を北上し、矢場川に架かる八幡橋を渡ってすぐ左に下りて行くと、民家の横の畑の中に七社権現が鎮座している。
 こちらは以前、癪除八幡宮のエントリーでWristletさんから教えて頂いた社で、素盞鳴尊の東征に付き従いこの地で命を落とした七人の従者を祀ったものであるのだそうだ。また、この七人の剣と素盞鳴尊の剣を合わせた八振りの剣を祀ったものが癪除八幡宮の境内社でもある八剣神社であるそうだ。
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 前からだと低木でよく見えないので斜めから。
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日向義民地蔵(日向町)

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 国道122号線と県道148号線の交わる日向交差点のやや西側に鎮座する義民地蔵尊堂。
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『寛文元年(1661)徳川三代将軍家光の第四子である徳川綱吉が二五万石で館林城主になった。
 このときの館林藩の城付の領地は、上野国館林領から、新田領、桐生領、下野国佐野領、足利領まで及んだ。
 綱吉は、寛文から宝永年間にかけて、領地全域の検地をおこない、年貢の増収を計ったが、こうしたなか、延宝三年(1675)の冬、領内の台之郷、石原、富田(現在は太田市域)などの村で年貢徴収にあたり、役人が「目こぼれ」と称し、年貢米一俵が三斗五升のところを一斗余分に徴収する事件がおこった。
 これに対し、山田郡台之郷村の小沼庄左衛門、森尻右馬允、栗原四郎兵衛、富田村の小沼久四郎、石原村の栗原三左衛門をはじめとする一八名の名主たちが代表となって、訴状を作成し、藩に申し立てを行ったが、役人に聞き入れられなかったことから、江戸へ上がり藩主に直訴を行った。
 これによって、農民救済の願いはかなったが、当時ご法度であった直訴を行った首謀者として一八名は捕らえられ館林藩に引き渡され、延宝四年(1676)日向刑場において処刑された。
 その後、元禄一七年(宝永元年・1704)農民の犠牲となって処刑された一八名への報謝の意を込め、その冥福を祈るため、日向村をはじめとする周辺の六十数か村の村民により一体の地蔵尊が造られ、供養されてきた。以後「義民地蔵」と呼ばれている。
 ここは、日向刑場跡でもあり、江戸時代の領主と領民に係わり、特に年貢取り立ての状況を知る上で欠くことのできない遺跡である』
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 地蔵堂の裏、国道122号線に向いて八坂大神。
 この角度からでは見えないが、柱には「悔い改めよ 聖書」と書かれた金属板が打ち付けられており、仏教と神道とキリスト教がこの一画に集まっているかのようだ。

子育観音堂(羽刈町)

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 国道122号線と県道20号線の交差する中野向地交差点から北へ向かうと、羽刈工業団地の西にある西原集会所裏に羽刈観音山古墳があり、その墳頂に観音堂が鎮座している。
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 子育観音と書かれた額が掛けられている。
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 青面金剛。
 享保十五庚戌天十一月吉日とあるので1730年のものだろう。

石盛稲荷大明神(邑楽町藤川)

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 国道122号線を東へ向かい、藤川用水に架かる琵琶橋を越えた先にある昭和建産手前の道を北へ入って行くと左手側に石盛稲荷大明神が鎮座している。
 写真左側が石盛稲荷大明神で、右側が三嶋大明神と宝登山神社。

松本稲荷神社(邑楽町石打)

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 八王子神社古墳から南東へ向かうと松本公園の西隣に松本古墳群8号墳があり、その頂に松本稲荷神社が鎮座している。
 近くには松本古墳群2号墳があり、その頂に椿稲荷神社があるそうなのだが、地図に載っていないのでどこにあるのか判らなかった。

八王子大明神(邑楽町石打)

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 藤川を越えて南下して行くと、松本古墳群3号墳頂に八王子神社が鎮座している。
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 拝殿。
 参道脇には石燈籠があり、天宝酉年九月吉日と刻まれている。天保年間で酉年は八年のみなので、1837年のものだろう。
 神社の由緒等は不明。

 2012年7月7日追記。
 邑楽町誌によると、こちらの御祭神は天之忍穂耳命・天之穂日命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命・多紀理姫命・狭依姫命・多紀津姫命の八柱。即ち、五男三女神。
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 拝殿西側から。
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 拝殿裏に三角点。
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 古墳北側から。

阿夫利神社(邑楽町藤川)

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 県道152号線沿いに鎮座する荒金町の菅原神社脇から荒金通りを南下して行くと、左手側に阿夫利神社と記された石灯籠が建てられている。
 しかしこの石燈籠脇の道を入って行っても民家があるのみで神社は無い。
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 石燈籠の横にはお地蔵さま。
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 石燈籠から南下して行くと、一本木公民館北側の民家前に阿夫利神社。
 山の神様なのに、川近くの丁字路脇とは変わった所にあるなぁ。
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