羽黒神社(羽黒町)

DSCN0288s.jpg
 馬見塚町交差点から県道295号線を北上し、広瀬川に架かる豊受橋を渡ってまっすぐ下りて行くと羽黒神社(伊勢崎市羽黒町25-2)前に到着。
 拝殿の隣には「神道霊学塾 羽黒祈祷所」と書かれた看板と建物がある。
 由緒等は不明だが、こちらの神社が町名の由来になっているのだろうか?


 以上で3月25日参拝分終了。
 最近はなぜか週末と言うと天気が悪くなるので、珍しく日曜日に動いたのだが、よく晴れて暑いくらいだった。そしてどうやら、今週末も天気は崩れるようだ…。
 使用機材はK-7にDA15mmとDA21mm、DA35mm Macro、FA50mm、50-150mm II。そしてCOOLPIX P7100。
スポンサーサイト

飯玉神社(馬見塚町)

IMGK7111s_20120328213420.jpg
 国道354号線馬見塚町交差点の東側に鎮座する飯玉神社(伊勢崎市馬見塚町903)。
 こちらの神社には駐車場は無いが、東側に隣接する延命寺か更にその東に隣接する中町公民館の駐車場に駐車可能。
DSCN0276s.jpg
『由緒
一、主祭神 保食命
一、配祀神 素盞鳴命・倉稲魂命・建御名方命
      天児屋根命・迦具土命・別雷命
      菅原道真命・大己貴命・豊受比売命
      日本武命・大山祇命・大日孁命

 当社の創建は明らかではないが、後小松天皇の御代の応永年間(1394~1412)大江広元の庶子、那波掃部輔によって再興されたと伝えられている。当社はもと上社と下社の二社からなり、明治四十二年(1909)三月勅令により両社と延命寺境内にあった八雲神社を合祀し、同年八月この地に社殿を移築し奉遷した。昭和五十五年合祀七十周年記念事業として社務所、水舎を新築した。
平成八年四月社殿改築奉賛会を結成し、社殿の改築、境内地の拡張と整備を行い平成九年六月一日に竣工し今日至る。

一、祭典日
 元旦    歳旦祭
 四月三日  春季例祭
 十月十七日 例大祭
 十二月末日 交通安全祈願祭
       大祓式』

IMGK7131s_20120328213419.jpg
 拝殿と狛犬。
IMGK7118s_20120328213418.jpg
 飯玉稲荷神社。
DSCN0281s.jpg
『飯玉神社改築記念碑
 飯玉神社はその歴史は古く、伊勢崎佐波神社誌によれば、後小松天皇の御代応永年間、上野国那波城主那波掃部輔により那波総社飯玉神社(現伊勢崎市堀口町)の分霊を奉祀されたと伝えられている。
 当神社は元上社(現三ッ橋町)下社(現本町)が馬見塚邑の鎮守の神として鎮座し奉祀されていたが、明治十一年(1878)、一村一社令により下社が上社に合祀された。同四十二年(1909)勅令により現在地に社殿を移築し境内末社の菅原神社・神明宮・稲荷神社・諏訪神社・春日神社・秋葉神社・八雲神社の七柱之神を合祀し奉遷した。爾来氏子崇敬者篤く信仰を捧げ平和と繁栄を祈念し、その時々に社殿の改修を行い尊厳を守り今日に至ったが、多年の風雪により損傷著しく諸氏相諮り改築奉賛会を結成し神社財産と氏子及び縁りある各位の浄財をもって社殿の改築、境内地の拡張と整備が工事者の誠意と匠技により荘厳に竣工した。篤志者の芳名を刻み後世に伝えんとこの碑を建つ。
 平成九年七月十三日』

IMGK7121s_20120328214844.jpg
 石鳥居。
 額には「神武天皇」の文字が残っている。
IMGK7129s.jpg
 末社群。
DSCN0285s.jpg
 東の鳥居。

豊武神社(大正寺町)

IMGK7064s.jpg
 国道354号線と国道462号線の交差する除ヶ町交差点のやや東に鎮座する豊武神社(伊勢崎市大正寺町272)。
 神社の北西側に隣接して駐車場があるが、案内板が出ているのでわかりやすい。
DSCN0270s.jpg
『豊武神社
御祭神
 誉田別命
 建御名方命 倉稲魂命
 保食命   日本武命
 大日孁命  大物主命
 素盞鳴命  大山祇命
 手力雄命  菅原道真命
 別雷命

御神事
 一月一日    元旦初詣
 一月十日    新年祈願祭
 二月三四日   節分追儺式
 四月三日    春季例祭
 十月十七日   秋季例祭
 十二月二十八日 交通安全祈願祭
 十二月二十八日 年中御清浄大祓式

由緒
 当社は元八幡宮にて旧社でその創建年代は元和二年(1616)火災のため記録を焼失して詳らかでないが、神威赫灼霊験顯著で、往年疫病が流行し四境は感染して多くの死者を出したが当社の氏子は更に感染した者なく、村民一夜霊夢に感じて本社の階壇にあった竹の弓手張を格家の戸口に一張づつ懸け祈願して悪疫の侵害を免れたと言う。弓矢八幡の神として弓術者の信仰厚く弓術者の奉額がある。社殿左額は旧く年代不明だが、右側は明治三十年の額で社務所内明治四十五年と社前に昭和三十五年の奉額があって昔から今日に至っている。社域に浦風林右エ門の相撲辻があって文久元年(1861)に創設されたと記録がある。その相撲辻にあった九十五貫の大石が参道に立っている。

明治四十二年己酉十二月四日 合祀
大正寺 八幡宮 
  神殿は明治二十四年(1891)改築を起工し翌年竣工した。
  木材は野州那須山の桧材を使用した。
下道寺 飯玉神社
    末社 神明宮
  跡地は韮川北の橋東で南へ二枚目の田圃である。
  社殿は境町東新井の神社に売って現存している。
富塚  諏訪神社
    八幡宮・神明宮
  現在会議所前の諏訪神社本殿がそれで、茅葺の拝殿があった。
  神明宮は瀬端にあって八幡宮は城山にある。
除ヶ  飯玉神社
    末社 諏訪神社
  飯玉神社は小此木常七称工務店作業所の北方で、諏訪神社跡地は本郷二六二番地一三七㎡元グロック工場跡。
下福島 八郎大明神
  本殿は八斗島稲荷神社に現存している。豪華な彫刻は近在に珍しく立派で榛名神社山門の彫刻と同型である。
分社  八郎大明神
  昭和四十五年十月十七日合祀より還暦六十年に元奉遷した。
  那波の八郎大明神伝説は「伊勢崎の伝説」の本に書いてある。

 五柱の神社とその末社を合祀して豊武神社と改称した。
 富塚のト、除ヶのヨ、大正寺のタ、下道寺のケを取ってトヨタケと命名したと伝えられる。

龍の絵 拝殿天井の中程にある龍の絵と鳥居奉額の書は松本広洞の作品
   で、表島鳥居奉額の彫刻は井田吉弥の作で奉納した。
獅子頭二箇 除ヶ飯玉神社境内にあった大欅を安政三年(1856)に伊勢
   崎侯江戸屋敷に献上した。その根元で淵名の弥勒寺音八が彫刻して
   伊勢崎藩主が除ヶ飯玉神社へ奉納した。
裏鳥居 下道寺飯玉神社の石鳥居で、現在下道寺公民館の千年の松がこの
   石鳥居によりかかっていた。宝暦十一年(1761)。
石燈籠 御神燈一對 寛政二年(1790)庚戌
    常夜燈一対 慶應二年(1866)丙寅
    奉納御神燈 施主富塚村 戸丸伝右衛門元智敬白

昭和五十一年十一月十日 天皇在位五十年記念』

IMGK7099s.jpg
『豊武神社の道標
 豊武神社は、かつて大正寺村の八幡様が祀られていました。境内には、豊受地区で最も古い年号が記された道標が残されています。道標は、神仏への功徳になるものという理由から建立される場合が多かったようです。
 この道標は、二十二夜信仰にもとづき、正面に如意輪観音の座像が美しく彫られ、塔の右に「安永八己亥三月吉日」、左に「二十二夜供養」、そして台石正面に「村中男女」、台石左に「右ちゝぶ」(秩父)、「左日光」と刻まれています。安永八年は西暦一七七九年で、この道標は、以前、例幣使道沿いに建っていたと思われます。
 平成十八年三月』

IMGK7070s_20120328204339.jpg
 拝殿と狛犬。
IMGK7106s_20120328204338.jpg
 社殿西側から。
IMGK7072s_20120328204338.jpgIMGK7074s.jpg
 豊武天満宮。
IMGK7097s_20120328211036.jpg
 神楽殿。
IMGK7078s.jpg
 末社群。
IMGK7081s.jpg
 衣笠稲荷神社の鳥居。
IMGK7094s_20120328211034.jpg
 衣笠稲荷神社。
IMGK7088s.jpg
 お狐さま。もう一方は破損していた。
IMGK7083s.jpg
 衣笠稲荷の隣にも末社。
 この塀の向こうが駐車場になっている。

雷電神社(中町)

IMGK7033s.jpg
 県道18号線と国道354号線の交差する堀口町交差点から国道354号線東国文化歴史街道を西へ向かって行くと、カーブの脇に雷電神社(伊勢崎市中町57)が鎮座している。
 雷電神社の社務所を兼ねる中町公民館とは400m程離れており、そちらはチェーンが張られていて駐車できなかったので飯玉神社西側にある名和公民館に駐車して歩いて行ったのだが……雷電神社北側に駐車場らしきスペースがあった。以前にも何度かこの前を通り、それに気付かずにいたので駐車場は無いものだとばかり思っていたが……む、無駄なことを……○刀乙
DSCN0256s.jpg
 社号標石の裏に由緒が刻まれている。
『傳曰當社は往昔大雷命を奉祀、社殿を富町字北川原(現在の今井町)に創建し、毎年九月十五日祭典執行し一般の崇敬厚く神威之昭々たる世人之知る處也。其後社殿之遠隔之地故崇敬之實得難く、神威を懼れ、仁孝天皇之御宇文政三年(1820)九月現今之地に奉遷し、爾来信徒之崇敬益々厚く毎年二月九月爾度祭典執行す。明治四拾年(1907)二月群馬縣訓令甲第九號に依り信徒協議之上明治四拾三年五月拾日、土地五段十畝三歩を寄付し、以て當社永遠維持之方法を設定したる所以なり』
IMGK7043s.jpg
 富士塚か御嶽塚かはわからないが、とにかく塚の上に石祠が鎮座している。
IMGK7056s_20120327222804.jpg
 側面に宝珠紋があるが、稲荷神社だろうか。
IMGK7037s.jpg
 拝殿。
DSCN0255s.jpgDSCN0254s.jpg
 拝殿正面の壁には龍が浮き彫りにされている。
IMGK7050s_20120327223041.jpg
 拝殿左側に末社。
IMGK7051s.jpg
 庚申塔群。

飯玉神社(堀口町)

IMGK6969s.jpg
 県道18号線飯玉神社前交差点脇に鎮座する飯玉神社(伊勢崎市堀口町472)。
 神社裏手に駐車場あり。
DSCN0227s.jpg
『那波総社 飯玉神社
 祭神は保食命・大国魂命です。社伝によれば、安閑天皇の元年(534)、国主が丹波国(京都府)笹山から神霊を迎えてお祀りしたのが始まりといいます。寛平元年(889)、天災が続いたので国主の室町中将によって、豊年を祈って神社が建てられました。
 応仁(1467~1469)以来、田畑が荒れてしまい、農民が困っているのを憂い、領主那波氏が領地内に当社を総本山として、九十九の飯玉、飯福神社を分祀したといわれています。神社の行事として、ムギマキゴシンジと通称される神集祭があります。
 平成十八年三月』

IMGK6974s_20120327202323.jpg
 参道左手側に十寸穂国笹稲荷神社の鳥居。
IMGK6978s.jpg
 稲荷神社拝殿。
 こちらがどういった由来なのかは不明。
IMGK6992s_20120327202321.jpgIMGK6991s.jpg
 お狐さま。
IMGK6980s_20120327205322.jpg
 聖徳皇太子と大きく彫られた碑の前に石祠が二基。右側のものは聖徳太子を祀っているようだが、左奥のものは八の文字だけが確認できた。八坂か八幡か、或いはこの辺りなら八郎の可能性もありか?
IMGK6996s.jpg
 十寸穂国笹稲荷神社の鳥居の右側に八幡宮。
IMGK6998s.jpgIMGK7000s.jpg
 御鎮座碑と琴平神社。
IMGK7012s.jpg
 神武天皇遙拝所。
IMGK7006s_20120327210909.jpg
 石燈籠のそばに鎮座する末社。
IMGK7003s.jpg
 参道右手側に八坂神社。
IMGK7029s.jpg
 狛犬と拝殿。
DSCN0240s.jpg
『祭神
 保食命 (別名 豊受大神)
 大國魂命(別名 大國主神)
 配祀神四柱
 境内末社 十四社ナリ

 二十七代安閑天皇元年鎮座せらる。
 三十七代孝元天皇御代国司奉幣せられる。
 寛平元巳酉年国司室町中将再建し同年宇多天皇神鏡を下賜給う。
 六十七代後一条天皇郡司に命じ神殿を改造。
 那波太郎広純此の地領するに依り氏神とし封内九十九個所に飯玉飯福を分祠す。
 尚天武天皇白鳳九年勅命に依り神事式を行う。是実に那波の神事又麦播神事と云うは当神社のことなり。式典は中根家を以て執り行うと伊勢崎風土記に有り』

IMGK7013s.jpg
 社殿左側にも末社。
IMGK7016s.jpg
 石祠の右には富士山と彫られた額があるので、浅間神社なのかも。
 文政元戊寅七月とあるので1818年のもの。
IMGK7021s.jpg
 末社。
 左は文化五年(1808)七月、右は文化十三年(1816)八月のもの。
IMGK7025s.jpg
 末社。
IMGK7030s.jpgDSCN0244s.jpg
 日露戦役記念碑とその左側に石祠。

八郎神社(福島町)

IMGK6967s.jpg
 県道18号線を北上し、境橋を渡った次の交差点東側に八郎神社(伊勢崎市福島町2-1)が鎮座している。
IMGK6954s.jpg
 拝殿。右側は社務所になっているようだ。
 こちらの御祭神は群馬八郎満胤命。
 玉村町の火雷神社のエントリーでも僅かに触れたが、群馬八郎満胤は光仁天皇の御世(770~781)、上野国群馬郡の地頭であった群馬大夫満行の八男で、容姿に優れ文武にも秀でていた為、満行は八郎を総領に立てて、その七人の兄を八郎に仕えさせた。満行の死後は都に上り、三年間精勤した後に目代(国司代理)の職を授かったが、七人の兄はこれを妬み、夜襲をかけて八郎を殺害。屍骸を石の唐櫃に入れて高井郷にある鳥食池東南の蛇食池の中島のにある蛇塚の岩屋に投げ込んだが、八郎はその三年後に龍王や伊香保沼・赤城沼の龍神、鳥食池の大蛇などと親しくなり、神通力を身につけ大蛇と化して七人の兄達を殺害したのみならず、その一族や妻子眷属まで生贄に取って鏖殺した。更には上野国の人々までも手に掛け始めたので、帝は生贄を一年に一回だけにするよう宣旨を下すと八郎はそれに従い、その後二十年程も続いたが、奥州に向かう途中であった宮内判官宗光がその年の生贄である尾幡権守宗岡の娘海津姫(16歳)と夫婦の契りを結び、海津姫の身代わりとなって大蛇に立ち向かい、一心に法華経を唱え続けた。すると大蛇は恨みを消し、神となって上野国の人々に利益を施すことを誓って岩屋の中に戻って行った。その夜、大地が揺れ、大雨と共に雷鳴が轟き、大蛇は那波郡の下村で神となって顕現した。人々はこれを八郎大明神と呼んで祀ることにした。
 と言う伝説があり、明治四十二年(1909)に大正寺町の豊武神社へ合祀され、本殿は八斗島町の稲荷神社へ譲ることとなったが、本殿移転の夜に大風が吹き荒れ雷鳴が轟いたと伝えられているのだそうだ。その後昭和四十五年(1970)に現在地へ分祀され今日に至っているとのこと。
 内部に貼られた「群馬八郎を知っていますか」と言うポスターにはこの八郎神社のほかに前橋市総社町の蛇穴山古墳や高崎市吉井町の辛科神社、高崎市榛名山の榛名神社、甘楽町白倉の白倉神社の天狗面などが写っていたので、それらもこの伝説に縁のある場所なのだろう。
IMGK6964s.jpg
 不動堂。
DSCN0217s.jpgDSCN0221s.jpg
 釈迦誕生像と制多迦童子、不動明王、矜羯羅童子。
IMGK6959s.jpg
 庚申塔に地蔵尊、如意輪観音。
DSCN0212s.jpg
 庚申塔に囲まれた金毘羅大権現。

八斗島稲荷神社(八斗島町)

IMGK6902s_20120326214533.jpg
 国道462号線を越え、県道18号線沿いにある八斗島町交番手前で西へ向かって行くと八斗島稲荷神社が鎮座している(伊勢崎市八斗島町1406)。
DSCN0169s.jpgDSCN0177s.jpg
 社号標石左側に石尊大権現と道祖神。そして鳥居左側に由緒を刻んだ石碑。
『稲荷神社由緒
当社は天正年間(1573~92)今を去る四百余年前創立して、当時那波城主大江顕宗奥州九戸戦争の際討死せしかば、其の民境野主水吉澄・五十嵐無兵衛知徳の両人遺志を奉じて当国利根川中州島と云う所悉荒野を開拓して田野となし、並に五穀五柱の神を勧請して祭祀す。本社即ち之也。又地名改めて八斗島と云い、吉澄の子八斗兵衛宗澄・知徳の子と共に其の志を継ぎて耕耘鋤に怠りなかりしかば、衆人其の徳を感じ遠近より集りて現今の如き村落となれり。安政二年(1855)三月十五日、名主五十嵐八兵衛・組頭五十嵐善兵衛・仝境野半右エ門・仝五十嵐茂兵衛・仝黒沢弥右エ門・仝境野三郎右衛門等の協力に依り上棟するや、稲荷神社鎮座祭神・倉稲魂命・大宮姫命・大田命・大己貴命・保食命の神々を祀りしも、現在の本殿は元下福島八郎神社で間口一間奥行五尺の本殿を明治四十三年村社指定となるや豊武神社と合併し、同四十三年八月大洪水の為戸数六十二戸全村床上浸水にて県より見舞金として金百圓也を受け、其の金にて当時世話人小暮幸次郎・境野誉三・境野吉之助・氏子総代境野長太郎・境野仙三・境野誉三・五十嵐弘次郎・黒沢東馬・社掌荻野美恭・仝牛久保瓶哉の相談の結果、右下福島本殿を金六拾圓也にて買求め、残金は雑費として現在本殿に鎮座するや軈て当社を稲荷神社と尊稱し其の徳を表彰せり。爾来遠近相伝えて豊作の神となし、賽者常に絶えず。本社祭日は毎歳陰暦二月初午の日及び九月二十九日両日也。本社は木造作りにて桁十五尺五寸杉伐三面作り破風造・向拝付茅葺十五坪二合二勺、宅地は三百七十坪の民有地である』

IMGK6951s.jpg
 一の鳥居と二の鳥居。
IMGK6906s_20120326214531.jpg
『力石の由来
一、七拾五貫目の石(約281キログラム)
  明治三十年頃当神社の秋季大祭に当所住人吉野円三が境内に於てこ
 れを担ぎ三間位(5.4メートル)歩いたという
一、四拾参貫の石(約161キログラム)
 同年代当所住人で力持ちの下記の人達が交代で神社の周囲を担ぎ歩い
 たという
  石川伊之吉・境野民治・黒澤安兵衛・森田太郎・境野照吉
一、吉野円三
  明治元年埼玉県児玉郡旭村大字三友に生れ後に八斗島に移り舟大工
 新井団次郎(半三郎の祖父)宅に同居して舟頭として明治三十年の洪
 水で家屋を流出して福島へ転居したという
一、力石
  元倉賀野より五料に移り当時舟頭で若者が力競べにこの石を担ぎ勝
 つ者が持って来たという
 昭和五十二年六月吉日
 平成九年十二月吉日再建』

IMGK6949s.jpg
 拝殿。
 大棟の飾り瓦には「丸に尻合せ三つ葵」紋が見える。
IMGK6917s.jpgIMGK6915s_20120326220914.jpg
 お狐さま。
DSCN0183s.jpg
 本殿。
DSCN0185s.jpg
 本殿側面に施された彫刻。
 三顧の礼のシーンかな? 左から張飛、関羽、劉備、諸葛均だろうか。全然違うかも知れないけど。
DSCN0187s.jpg
DSCN0191s.jpg
 本殿背面と側面の彫刻。
DSCN0194s.jpg
DSCN0193s.jpg
DSCN0195s.jpg
 上段の勇壮な彫刻と違い、下段の彫刻はどこかのんびりとした雰囲気の内容だ。
IMGK6919s.jpg
 鵜戸大権現。
IMGK6924s.jpgIMGK6926s.jpg
 大杉神社と蚕影神社。
IMGK6947s_20120326223804.jpg
 西の鳥居と末社群。
 一番手前に八坂神社。右から四番目に疱瘡神。そして一番奥、鳥居のそばに戸隠大権現。
DSCN0179s.jpg
 御嶽山神社。
DSCN0202s.jpg
 二十二夜塔、大黒天、庚申塔、供養塔、二十三夜塔。

諏訪神社(上仁手)

IMGK6899s.jpg
 長沼八幡宮から南下して行くと、利根川の堤防手前に諏訪神社(本庄市上仁手212)が鎮座している。
 駐車場は無いので、少し東に向かった所にある上仁手公会堂に駐車。
IMGK6880s.jpg
 戸隠神社。
IMGK6894s_20120326212544.jpg
 拝殿。
 由緒等は不明だが、諏訪神社なのだから御祭神は建御名方命だろう。
DSCN0157s.jpgDSCN0159s.jpg
 狛犬。
IMGK6888s.jpg
 末社。
 左側の石祠は稲荷宮。石燈籠の側面には享和元辛酉歳吉祥日とあるので、1801年のものだ。

長沼八幡宮(長沼町)

DSCN0265s.jpg
 韮川に架かる八幡橋のすぐそばに鎮座する長沼八幡宮(伊勢崎市長沼町甲24)。
 駐車場は無いが、八幡宮前の道に僅かながらも退避エリアがあるのでそちらに駐車。
DSCN0140s.jpg
 由緒書きは有ることは有るものの、下半分が消えていて殆どわからない。境内社には秋葉神社・稲荷神社・飯玉神社・熊野神社・伊勢宮の五社が祀られているようだ。
DSCN0143s.jpgDSCN0144s.jpg
 狛犬。
DSCN0149s.jpg
 拝殿と手水舎。
IMGK6857s.jpg
 神楽殿。
IMGK6865s.jpg
 秋葉宮。
IMGK6867s.jpg
 末社四社と大黒天。
IMGK6871s.jpg
 東を向いた北の鳥居。

稲荷神社(下蓮町)

IMGK6821s.jpg
 下蓮町交差点のやや南東に位置する稲荷神社
 駐車場は無いが、三柱神社から歩いて行ったので問題無し。近くに下蓮町会館があるのでそちらに置けるかも。
IMGK6825s_20120318133746.jpg
 拝殿。
 古墳かと思ったけど、違ったようだ。石段左側には庚申塔。
IMGK6828s.jpg
 龍と鶴。
IMGK6842s.jpgIMGK6831s.jpg
 蚕景山神社と石祠。
 蚕景山神社の裏面には明治二十七年三月十七日とある。
IMGK6837s_20120318133745.jpg

 以上で3月17日参拝分終了。
 あと数箇所は巡れるかとも思っていたのだが、雨が降ったり止んだりと鬱陶しいのでここで撤退。
 使用機材はK-7にDA18-55mm WR、それとCOOLPIX P7100。

三柱神社(下蓮町)

IMGK6791s_20120318130553.jpg
 国道354号線と県道295号線、296号線が交わる下蓮町交差点のやや南西に位置する三柱神社(伊勢崎市下蓮町767)。
IMGK6792s.jpg
 鳥居が三基並んでおり、右側の一の鳥居から正一位飯玉大明神、諏訪大明神、飯玉大明神の額が架けられている。
IMGK6799s.jpg
 拝殿。
IMGK6818s.jpgIMGK6817s_20120318130550.jpg
 狛犬。
DSCN0097s.jpg
 主祭神に倉稲魂命、誉田別命、建御名方命の三柱。
 配祀神には菅原道真公と保食命。
IMGK6807s.jpg
 末社群と新築記念碑。
IMGK6805s.jpg
『三柱神社 新築記念碑
 当神社は始め下蓮沼村に倉稲魂神を奉祀、飯玉神社と称し、弘治年間(1555~1557)那波氏の創建と伝える。
 国領村八幡宮、飯島村諏訪神社、上蓮沼村飯玉神社が夫々の産土神として祀られていたが、明治四十二年(1909)勅令により合祀し、三柱神社と改称す。
 爾来、氏子篤く信仰を捧げ、平和と繁栄を祈念し今日に至ったが、多年の風雨により損傷著しく、諸氏相議り、その遺風を後世に伝えんと此の度奉賛会を結成し、氏子及び縁りりある各位の浄財により社殿を新築、工事業者の誠意努力により荘厳に完成する。
 志篤かりし芳名を刻み後の世に伝えんとこの碑を建立する。
 平成五年四月三日 春季例祭』

IMGK6803s.jpg
 蚕景山大神と大欅。
IMGK6801s_20120318132817.jpg
 神楽殿。

菅原神社(境小此木)

DSCN0107s.jpg
 広瀬川に架かる武士橋西側に鎮座する菅原神社(伊勢崎市境小此木2167)。
 こちらの前に浅間神社に参拝するつもりだったのだが、どう見ても民家の敷地と繋がっていたり、駐車スペースが無かったりでスルーすることに。なお、菅原神社には広い駐車場がある。
IMGK6786s_20120318111418.jpg
『菅原神社誌
主祭神 贈正一位太政大臣 菅原道真公
合祀神 素盞鳴尊 大稲田姫命 八柱御子神
    大国主命 建御名方命 木花咲姫命
    加具土命 豊受姫命  大雷命
    日本武尊 応神天皇
由緒  古伝によれば日本武尊御東征の折当地一帯を眺められ朝日の里と仰せられたという利根・烏川両川の運んだ沃土と水利の地に何時か人々が住み着き、鎌倉時代新田氏に属した小此木彦次郎盛光が此の地を領し北野雷電の松の傍らに天満宮を祀る。その後戦国時代金山城主由良氏に属した小此木左衛門尉長光が境城に據って此の地を領し天満宮を興し天正十八年(1590)徳川家康公江戸城以後祭祀は里民の手に移り寛永年間(1624-45)社殿造営、安永年間(1772-80)改築。明治十一年(1878)村社に列し地内各組の小社を合祀して現在に至る』

DSCN0067s.jpgDSCN0069s.jpg
 狛犬。
IMGK6769s_20120318111419.jpg
 参道と拝殿。
DSCN0080s.jpg
『当社沿革並合社碑記
元亨年間(1321~1323)一の巨松ありて老幹半天に真立し松聲風に激して雷の如し、依て雷電松と称す。樹下に一石祠ありて其の祭神詳ならず。然し共小此木彦次郎盛光崇敬の念厚く、神領を寄進し後、小此木左衛門尉長光此の地に封せらるるや天文二年(1533)五月二十五日、領土の安全を祈り幣帛を奉る。元和年間(1615~1624)巨松??ち村の北方荒野に位す之れ所謂北野なるが故に天満宮を奉祀せるものなりとして之て主祭す。寛永八年(1624~1644)九月神殿を営み後安永二年(1773)十月社殿を再建し明治十年(1877)七月村社に列す。同四十年(1907)十月二十三日宝暦年間(1751~1763)創建に係る字?士塚に祭祀せる浅間社及び天明八年(1788)六月創始せる字神明の八坂社並に境内末社秋葉社を合祀し、次に字原の八幡宮及び境内末社菅原社・雷電社・大己貴社、字熊野の熊野社及び稲荷社並に境内末社菅原社・琴平社、字南塚越の住吉社、字神明の神明宮、字諏訪の木の稲荷社を合祀し明治四十一年(1908)十二月八日更に字伊勢久保の熊野社及び境内末社城峯社・神明宮、字前久保の諏訪社を合祀す。大正十五年(1926)六月四日幣帛供進指定神社となる』

IMGK6773s_20120318122209.jpg
 英霊殿。
IMGK6777s.jpg
 英霊殿の裏に石祠と庚申塔群、旧狛犬。
IMGK6784s.jpg
 顔面部が大幅に崩れ去ってしまっているが、尻尾はまだまだ形を残している。

雷電神社(境島村)

DSCN0046s.jpg
 県道295号線を西へ向かって行くと、新井建築の南東に雷電神社が鎮座しているが、この辺りの道は車一台分程の幅しかないので対向車が来たらOUT。神社裏手に駐車場らしきスペースがあるのだが、本当にそうかわからないので、ここよりやや東にある西島前河原住民センターに駐車。
 元写真はどんよりしすぎていたので、PhotoScapeを使ってオリンパスのドラマチックトーンっぽい感じにレタッチ。
IMGK6748s.jpg
 正面。
DSCN0106s.jpg
 末社。
IMGK6758s_20120318103142.jpg
 賽袋…?
IMGK6754s.jpg
 山神宮、不明(石らしき文字が見えるので石尊権現か?)、青面金剛×2。
IMGK6760s.jpgIMGK6761s.jpg
 青面金剛UP。
IMGK6749s_20120318103145.jpg
 沿革碑。
『上野國那波郡前川原村は土地五拾余町歩を有し農蠺業に適す。舊石高百六拾四石五斗七升九合。幕府の直轄に屬し旗本跡部氏の配下なり。歳々水害の為に隣村との境界不明となる。仍て元禄十四年(1701)三月、隣地長沼飯島下蓮沼小此木木島傍示堂宮戸我野牧西の九ヶ村名主立會の上境界を改む。爾後年々大満水有りて荒亡夥しく享和二年(1802)改めて貮拾四町貮段八畝歩となる。爾来川瀬益々悪く文化十三年の大水には家屋の被害甚だしく村民為めに散々に居住し折悪き者に至りては四五度も移住し寺院圓滿寺も又流失以後廃寺となる。文政五年(1822)の洪水には全村欠け落ち依て字上村畑地に移住せし所同七甲申年(1824)八斗島上仁手の間より古利根に欠け入り西通り堤防敷十間流潰し家屋二十四五戸の内十三軒押し流され余儀なく名主外二軒は元家敷跡字飯田に移住し余は東西の隣村に借家仮禺し小船渡世をなし追々に歸住す。後天保丙申七年(1836)の大水には村の西北より潰入し中央を横断し島村に貫流す。安政六己未年(1859)七月の大洪水には民家床上浸水五尺余砂礫三尺餘も居込み流失家屋五軒耕地は一層の砂石と化し農作物皆無となり住民の困難極度に及ぶ。明治元年(1868)代官所を廃せられ岩鼻縣となり四年群馬縣に屬し六年熊谷縣の所轄となり九年再び群馬縣に歸す。抑も當村は古圖に依るも利根川敷なし十二年四月郡區町村編成汰實により東飯島国領下蓮沼前川原長沼上蓮沼の六ヶ村総合戸長役場を東飯島に置き後獨立して戸長役場を置く。十五年佐位郡島村と合併し爾後西島と一?をなす二十九年四月佐位郡佐位那波両郡合して佐波郡となる。四十三年未曾有の大洪水には被害言語に晝し難く是に治水の議起り事業成りて大正三年内務省河川改修工事施行に際し全家屋移轉を命ぜられ依り現地に住す村民一同協議の上沿革を記して後世この傳う云爾。
 昭和十一丙子年三月十五日建設』

 …これ、神社の沿革じゃなくてこの地域の沿革だね。

諏訪神社(境島村)

IMGK6741s_20120318090644.jpg
 境島村北公園の西側に鎮座する諏訪神社(伊勢崎市境島村373-277)。
 案内板などは見当たらなかったのでググってみると、Go!伊勢崎というサイトがHit。どうやら由緒を記した石碑があったらしい。気付かなかった○刀乙
 そちらによると、創建時期は天正年間(1573~1591)で、武田信玄の臣であった粟原太郎左衛門が信濃国の諏訪大社より御分霊を奉祀して氏神としたのを起源とするとあり、その後、島村の地が小此木から分離して一村をなす時に中島の飯福神社から離れて当社を村の鎮守社となったと言う事だが、飯福神社に合祀されていたのだろうか。
 更にその後、明治十年(1877)に村社に列せられ、同四十二年(1909)一月十四日に字新地の無格社稲荷神社・雷電神社・水神社、字新田の無格社稲荷神社と境内末社浅間神社、字立作の無格社稲荷神社、字北向の無格社神明宮、字西島の無格社戸隠神社・大杉神社・三峯神社・手長男神社を合祀。大正三年(1914)に河川改修によって元地が廃されると現在地に社殿を建築し、同五年(1916)六月二十五日に遷座。
 建御名方命を主祭神とし、配祀神として大山祇命、木花開耶姫命、大雷命、素盞鳴命、罔象女命、久々能智命、櫛明玉命、大日孁貴命、天手力男命、船玉命、宇迦之御魂命を祀っているのだそうだ。
IMGK6728s_20120318090644.jpg
 拝殿正面。
IMGK6737s_20120318090643.jpg
 社殿東側から。
IMGK6731s.jpg
 石祠と庚申塔群。
IMGK6732s.jpgIMGK6735s.jpg
 青面金剛と如意輪観音。

COOLPIX P7100

IMGK6708PS.jpg

 最近、偶にPowerShot G7の調子が悪くなることがあるので、壊れる前にとCOOLPIX P7100を購入。
 最初はパナソニックのDMC-GF3Xにしようかと思っていたのだけれど、センサーを改良したGF5が出るとの噂が流れて来たり、P7100の操作性が素晴らしく良かったり、なにより27,000円と言う破格のお値段に惹かれてこちらに決定。しかもキタムラで購入したので、Tポイントを使って23,600円。なんでこんなに安くなってるんだろ。
 あと、少し気になったのがソニーのNEX-5N。DMFによるAFからMFへのスムーズな移行とピーキングでピント位置が明確に判るのは素晴らしい。デザインはどうにも好きになれないけれど。

 前面ダイヤルからグリップ部、軍艦部の並びなどはCONTAX G2を彷彿させる。そんなクラシカルな外観なので、上の写真もPhotoScapeで周辺減光をかけてみたりAgfa風のカラーにしてみたり。

IMGK6700PS.jpg

 こちらはセピア調にしてからクロスプロセス。

玉村八幡宮(玉村町下新田)

IMGP3117s.jpg
 国道354号線に面して建てられた玉村八幡宮(玉村町下新田1)の一の鳥居。
IMGK6615s_20120306210505.jpg
 随神門。
IMGK6616s_20120306211306.jpg
IMGK6618s.jpg
 門の天井絵。絵には俳句が添えられている。
IMGP3125s.jpg
 門をくぐって境内へ。
IMGP3129s.jpgIMGP3128s.jpg
 狛犬。
IMGP3167s.jpg
 境内案内図。
IMGP3165s_20120306214548.jpg
 駐車場の端に猿田彦大神。
IMGP3168s.jpg
 境内側から随神門を見ると、こちらには放生楼の額が掛けられている。
IMGP3132s.jpg
 参道左手側に三猿。
IMGK6620s.jpg
 淡島神社と猿田彦神社。こちらでは人形神社と加恵瑠神社とも称されているようだ。
IMGK6684s.jpg
 御神木の楠木。夫婦楠木とも呼ばれているようだ。
IMGK6627s_20120306215647.jpg
 手水舎と由緒略記。
『玉村八幡宮由緒略記
鎮座地 群馬県佐波郡玉村町下新田一番地鎮座
祭神  誉田別命
    気長足比売命
    比命 ほか十五柱を合祀
由緒
  当社は、鎌倉初期の建久六年(1195)源頼朝公によって、玉村町
 角渕の地に創建奉斎された角渕八幡宮を元宮とする。口碑によれば、
 頼朝公が新田館より三原へ赴く途次この地に休息し、烏川の地形が鎌
 倉の由比ヶ浜に似ていたために上野奉行安達藤九郎盛長に命じ、鶴岡
 八幡宮の御分霊を勧請奉安せしめたという。以来、関東管領畠山満家・
 白井城主長尾左衛門尉憲景等による再建修造がなされた。江戸時代の
 初めには、関東郡代伊奈備前守忠次が当地一帯の新田開発(天狗岩堰
 開削)に際して、一大事業の成就を神前に祈り、慶長十五年(1610)
 無事竣工をみるに及び、神助への報賽と玉村鎮守のため角渕八幡宮本
 殿を上・下新田境の此地に移築修造した。これが現在の玉村八幡宮で
 ある。慶安二年(1649)には幕府より朱印地三十石を寄進され、また
 歴代の前橋藩主の月詣を得ると共に、数次の修造がなされた。このよ
 うに武門武将の崇敬を得たばかりではなく、正保三年(1646)の日光
 例幣使街道開設後は、当地が第一の宿場として栄えるにつれ、道中安
 全や開運招福を願う一般庶民の崇敬も集めることとなり、以来「玉の
 里の八幡さま」として親しまれる。
  また、古来より特殊信仰として、いぬ・い年生れの守り神という戌
 亥八幡信仰があり、その御神徳は今も尚おおいに発揚されるところで
 ある。

本殿 三間社流造高欄銅板葺
   永正四年(1507)の造営にして慶長十五年の修造と伝えられ、
  室町様式と江戸初期様式を併せ持つ建造物として、明治四十一年
  に国指定特別保護建造物(現在、国指定重要文化財)に指定され
  た。その構造様式中、蟇股・海老虹梁・大瓶束・肘木・斗栱など、
  時代様式を現すものの中でも蟇股の形や彫刻の意匠は桃山時代を
  遡るものとして注目される。
   昭和十一年の文部省指導の解体修理に際し、従来の桧皮葺屋根
  を銅板葺に改めた。
幣殿 切妻流造
拝殿 入母屋流造

 両殿の内部板壁八面には各面に唐獅子が描かれ、邪気を祓う八神獣と
して神殿内の清浄を守護する。

例祭日 十月十六日
宝物  御神號掛軸(後西天皇御宸筆)
    呉朱印
    太刀(銘菊一文字)ほか』

IMGP3142s.jpg
『力石
 表題として「玉遊」と刻されたこの力石は、重さ四十八貫(百八十キロ)。これを担ぎ上げた力自慢の名を刻し記念として石を神社に奉納したもので、江戸時代後期の弘化四年(1847)、武蔵国神奈川(現在の横浜)の徳次郎と同岩槻の長次郎の両名が、当地の世話人達の前で見事にこの石を担ぎ上げたと刻まれている。この事は玉村八幡宮の名が遠く神奈川の地まで聞こえていたことを示し、その信仰圏の広さを物語るものである』

IMGK6634s.jpg
 神橋と中門。
IMGK6676s_20120306215645.jpg
 横から。
IMGK6635s.jpg
 拝殿正面から。
IMGP3157s.jpg
 石燈籠の案内板。
IMGK6671s_20120306221217.jpg
 拝殿斜めから。
IMGP3145s_20120306221612.jpg
 社殿概要図。
IMGK6672s_20120306221611.jpg
 竹内勇水句碑。
『町文化財 竹内勇水句碑
 啼きすてて 思いなげなる雉かな
 句意は、けんけんという雉子の短い鳴き声のさらりとしたようなさっぱりした心境を、この声に託したものであります。
 竹内勇水は、江戸時代中期より後期の俳人。享保十三年(1728)生まれ、下新田の人です。名は徳往(のりあき)、通称源右衛門、屋号を岸屋と云い代々宿役人でした。江戸時代の涼袋と交渉をもち子弟も多く那波俳壇を代表する俳人でした。また、書にも巧みで玉村八幡宮境内の芭蕉十六夜塚や自句の碑にも彼の筆跡が見られます。
 文化九年(1812)没、八十五才、墓は神楽寺東墓地にあります。
 平成八年十二月』

IMGK6638s.jpg
 厳島神社。
『厳島神社の祭神は市杵島姫命で通称「絵馬かけ弁天」といい御利益は、「財運向上」「恋愛結実」「対人円満」「家内安全」の願いが叶うと言い老若男女の信仰があり”影参り”として目を閉じ心を鎮め、左廻り右廻りで、後ろに廻りながら霊力をいただき、精神上や生活上の御加護が得られるとされる。この弁天様に掛けられた絵馬には多方面よりお参りに来られた方たちの様々な願いがこめられています。また願いが叶えられてお礼参りに来られた人の絵馬も奉納されています』
IMGK6641s.jpg
 神楽殿。
IMGP3149s.jpg
 稲荷神社(宇迦之御魂命)、猿田彦大神、古峯神社(日本武尊)。
IMGK6647s.jpg
 国魂神社。こちらでは戦没者の霊を祀っている。
IMGK6669s.jpg
 五神社(熊野神社、春日神社、住吉神社、菅原神社、飯玉神社)、道祖神、稲荷神社、石尊大権現。サイトの方を見ると飯玉神社ではなく日枝神社と書かれているが、はて?
 蔵と五神社の間からは道が伸びており、神楽殿と国魂神社の間に繋がっている。
IMGK6658s_20120306223114.jpg
 三峯神社、八坂神社、八坂神社、御神札納所。

IMGP3084s.jpg
 玉村八幡宮の南に位置する称念寺の稲荷神社。


 以上で3月3日参拝分終了。
 箱石の貫前神社と小泉の飯玉神社にも行こうと思っていたのだが、時間が足りなかった。
 使用機材はK-7にDA15mmとDA21mm、DA35mm Macro、DA70mm。K10Dに50-150mm II。

稲荷神社(玉村町上新田)

IMGK6593s_20120306193416.jpg
 国道354号線東国文化歴史街道沿いに鎮座する稲荷神社(玉村町上新田1590)。
 駐車場は無く、隣接する萬福寺の入口にも進入禁止の看板が設置されているので、玉村八幡宮の駐車場に置いて先にこちらを参拝。改めて地図を見直してみると、すぐ近くに上新田公民館があったのね○刀乙
IMGP3109s_20120306193415.jpgIMGP3112s.jpg
 お狐さま。
IMGK6603s.jpg
 鳥居と拝殿。瓦には宝珠紋。
IMGP3104s.jpg
『稲荷神社改築記念碑
 当神社は、稲荷大神として衆知される「宇迦之御魂命」を主祭神とし、また火防せの神の「火産霊命」八坂さまとも称される「素盞鳴命」天神さんの「菅原道真命」三柱を配祀神として奉祭する。創建の由緒は文化九年(1812)上新田区小柴地内より現在地に奉祭したのを起源とする。古来よりの慣例として二月十一日の例祭に際しては、古風の獅子舞が執行されている。伝えによれば、ある年これを執行しなかったところ氏子中に災害が相次いだために日を選んで祭事を復興し不浄を祓ったところ霊験の著しく、以来敬神の念も益々加わり。今日までも伝えられているという。しかし、社殿は奉祭時の建造のままで。老朽化が甚だしく倒壊の心配があるために、このたび氏子及び区民一同の協賛を得て拝殿の改築、並びに大鳥居の立替え、玉垣の整備を施行する運びとなった。
 時あたかも今年は「平成の御大典」という特別な年にあたり、平成天皇の御即位奉祝をも後世に伝えるものとする。
 平成二年十月吉日』

 んー、玉村八幡宮のサイトの方がより詳しく書かれているなぁ。
 岩鼻の代官が領内を見廻る際に度々馬が暴れる場所があるので、不思議に思い従者に付近を調べさせると小祠があることに気付き、これに参拝したところ馬が静かになったので、以来春秋二回の巡回の度に立ち寄り、篤く崇敬したと伝えられているのだそうだ。改築記念碑にも記されているように、文化九年に小柴から現在地に遷座したということなので、祠がいつからあったのかはわからないようだ。
 明治六年(1873)には村社に列せられ、同十年(1877)に字角町、三丁目、四丁目より八坂神社を移転して境内社とした後、同四十四年(1911)二月二十五日に境内社の八坂神社と菅原神社、そして字新田西の稲荷神社を合祀して今に至るとのこと。
IMGP3103s_20120306202345.jpgIMGP3101s_20120306202342.jpg
 改築記念碑の左、境内隅に庚申塔と道祖神、猿田彦大神。記念碑の右隣に末社。
IMGK6601s_20120306202344.jpg
 疱瘡神、末社、道祖神。
IMGP3092s.jpgIMGP3094s_20120306202343.jpg
 社殿裏手にも末社。
IMGP3090s_20120306202342.jpg
 秋葉神社。
IMGP3088s.jpg
 末社二社。左側の祠の額には正一位と刻まれていた。

稲荷神社(玉村町上新田)

IMGK6578s.jpg
 板井の諏訪神社からまっすぐ南下して行くと玉村歯科医院に突き当たるので、そこから少し南西に向かった処に稲荷神社が鎮座している。自分はそこから少し東に位置する新田住民センターに駐車したが、鳥居の前に駐車できたかも。
IMGK6581s.jpg
 創建時期や由緒等は不明。御祭神は宇迦之御魂命。
 明治四十四年(1911)二月二十五日に例幣使街道沿いの稲荷神社へ合祀されたが、今尚こちらで祀られているとのこと。
IMGK6586s.jpg
 庚申塔と道祖神。
IMGK6587s_20120306001803.jpgIMGK6585s.jpg
 馬頭観音。

富士塚(玉村町板井)

IMGK6573s_20120305222633.jpg
 MAPPLEを見ると諏訪神社の南側に赤城神社の名が記載されているので歩いて行ってみたのだが…無いぞ? 代わりにあったのは赤城神社ではなく富士塚
 もしかしたら、昭和六十一年に諏訪神社に合祀された赤城神社の跡地がこちらなのかも知れない。
IMGK6562s.jpg
 塚頂には木花咲耶姫命と石祠。
IMGP3073s.jpgIMGP3079s.jpg
 塚の西斜面に月夜見命、南斜面に大山祇命。
IMGK6567s_20120305222629.jpg
 南側から。

諏訪神社(玉村町板井)

IMGK6538s.jpg
 板井公民館の北西に向かうとゆるやかなカーブの脇に鎮座している諏訪神社(玉村町板井1021)。
 駐車場は無いので境内に駐車。
IMGK6534s.jpg
 道祖神と双体道祖神。
 双体道祖神には宝暦六年十二月吉日とあるので1756年のもの。
IMGP3058s_20120305215352.jpgIMGP3059s.jpg
 狛犬。
IMGP3069s.jpg
 拝殿。
 創建年代や由緒等は不明だが、昭和六十一年(1986)に玉村町大字板井字赤城辺鎮座の赤城神社を合祀したそうだ。
IMGP3061s.jpg
 末社。
IMGP3062s.jpg
 同じく末社。
 右側の石祠には十菊花紋らしき紋様が刻まれている。
IMGK6544s_20120305221344.jpg
 境内西端に並ぶ末社群。
IMGK6548s.jpg
 同じく境内西端に末社。
IMGK6550s.jpg
 首無し地蔵。
 首の代わりに丸い石が載せられている。

八坂神社跡地(玉村町板井)

IMGP3041s.jpg
 板井東部公民館(玉村町板井1119)敷地内に八坂神社が鎮座……していない。
 弘化三年(1846)に作られた牛頭天王像を祀る八坂神社(旧称 牛頭天王宮)がある筈と言うかあった筈なのだが、どこへ移転したのだろう。
IMGP3045s.jpg
 御嶽大神を中心に三笠山大神、八海山大神、覚明霊神、一山霊神。そして八坂神社跡地と書かれた柱。
IMGP3047s.jpg
 石祠二基は何神社なのか不明。八坂神社の境内末社として菅原神社と疱瘡神社があったようなので、もしかしたらそれかも。
 他には大己貴尊、天駟霊星、堅牢地神などと彫られた石塔が並んでいる。
IMGP3053s.jpg
 青面金剛。
IMGP3056s_20120305212054.jpg
 道祖神。

天満宮(玉村町福島)

IMGK6508s_20120305204826.jpg
 利根川に架かる福島橋の南側、福島橋南交差点の南東に位置する天神古墳の墳頂に鎮座する天満宮。
 駐車場は無いので、やや北西側にある福島公民館(玉村町福島1286)に駐車。
 神社合祀令により明治四十三年(1910)三月三十一日に廃社とされるも、今尚こちらで祀られているという。創建時期や由緒は不明。
IMGK6511s.jpg
 拝殿。
 正面左柱には昭憲皇太后御歌「日に三度 身をかへりみし いにしへの 人の心の まことならひてしがな」
 右柱には明治天皇御製「目に見えぬ 神にむかいて はじざるは 人の心の まことなりけり」
IMGK6514s.jpg
 末社や道祖神、庚申塔、二十三夜塔など。
 右端の芭蕉句碑には「梅か香に のつと 日の出る 山路かな」と彫られている。
IMGK6521s_20120305204824.jpg
 馬頭観音。
IMGK6529s.jpg
 西側から。

諏訪神社(玉村町樋越)

IMGK6477s.jpg
 上樋越公民館(玉村町樋越782)南側に鎮座する諏訪神社。
IMGK6478s.jpg
 拝殿。
 由緒等は不明。
IMGP3029s.jpgIMGP3027s.jpg
 狛犬。
IMGP3021s.jpg
 末社群と道祖神、庚申塔。
 どれがどれやらわからないが、稲荷神社と大麻彦神社、神明宮、月読神社があるそうだ。
IMGK6494s.jpg
 稲荷神社かと思いきや、秋葉神社。
 側面には安政三丙辰年八月二十七日とあるので1856年のもの。
IMGP3023s_20120305201109.jpg
 牛頭天王。
 側面に天保五午年五月吉日とあるので1834年のもの。
IMGP3031s_20120305202056.jpg

飯玉神社(力丸町)

IMGK6406s_20120305183018.jpg
 藤川西側の田圃の中にでんと鎮座する飯玉神社(前橋市力丸町870)。
 駐車場は無いので力丸町会議所に車を置いて歩いて来たのだが、神社南側の道路脇に設置された車止めの前に置けたかも知れない。
IMGK6414s.jpgIMGK6413s_20120305183017.jpg
 狛犬。
IMGK6463s.jpg
 拝殿。
 神紋は左三つ巴紋。
IMGK6417s.jpg
 御昇位・神社合併記念碑と本殿上屋葺替鳥居再築記念碑。
 下川渕カルタに「三丸の守護 飯玉神社」と書かれているが、三丸とは力丸町・徳丸町・房丸町のことだろうか。
IMGK6466s.jpg
 神社合併記念碑の裏にはその内容が刻まれているのだが……読み取り難い。
『明治四十年九月十八日得許可合社本村境内末社菅原神社及
 字?川祭祀無格社熊野神社???境内末社三嶋神社???
 神社??????????稲荷神社無格社菅原神社?明治
 四十三年三月四日許可合社下川渕村大字徳丸字高堰祭祀村
 社稲荷神社仝境内末社八坂神社女體神社衣笠神社大麻彦神
 社及大字房丸村字飯玉祭祀村社飯玉神社仝境内末社神明宮
 尺地神社愛宕神社春日神社八坂神社諏訪神社八幡神社菅原
 神社焉以上合祀社名改稱飯玉神社旧神社跡地及樹木悉得官
 謹與為本社附屬』

 えーと、明治四十年(1907)九月十八日に境内末社の菅原神社と無格社熊野神社、三嶋神社、稲荷神社、菅原神社その他を合祀。同四十三年(1910)三月四日に下川渕村大字徳丸字高堰の稲荷神社とその境内末社であった八坂神社、女體神社、衣笠神社、大麻彦神社。房丸村字飯玉の飯玉神社とその境内社である神明宮、尺地神社、愛宕神社、春日神社、八坂神社、諏訪神社、八幡神社、菅原神社を合祀して飯玉神社と改称した、と。
 創建時期や元の名称などは不明。主祭神は保食命だろうか。
IMGK6424s_20120305192036.jpgIMGK6420s.jpg
 双体道祖神と道祖神。
IMGK6428s.jpgIMGK6431s.jpg
 庚申塔と天王宮。
IMGK6433s_20120305192845.jpgIMGK6436s.jpg
 三峯神社と大黒天尊。
IMGK6438s.jpg
 青麻宮。
IMGK6444s_20120305193024.jpg
 末社。
 周囲の丸い石は全て庚申塔。
IMGK6449s_20120305193024.jpg
 猿田彦大神と庚申塔。
IMGK6450s_20120305193023.jpg
 天神宮とその他末社、庚申塔。
IMGP3004s.jpg
 北西から。

荒魅宮(力丸町)

IMGK6381s_20120305002654.jpg
 荒魅宮は臨済宗円覚寺派善昌禅寺(前橋市力丸町174)の境内に鎮座している為、善昌禅寺の山門をくぐって入る。
 駐車場は東側にあるが、車は力丸町会議所に置いてきたので今回は関係ない。
IMGK6389s.jpgIMGP2979s.jpg
 山門をくぐるとすぐ左手側に十一面千手観音。
IMGP2977s.jpg
 観音像の脇に…なんだろう。これも観音様だろうか。
 安永三年三月十八日と刻まれているので1774年のもの。
IMGK6386s.jpg
 荒魅宮。
 三寶大荒神(竃神)を祀っているようだ。
IMGK6391s.jpg
 荒魅宮の隣にも祠。
 中には木造の祠が納められていたが、どなたを祀ったものかは不明。小さな陶器のお狐さまが置かれていたが、それだけで稲荷社と判断するのは早計だろう。
IMGP2982s.jpg
 大黒天尊。
 米俵には宝珠紋があり、また下の石塔にも大黒天の文字が刻まれている。
IMGK6396s.jpg
 善昌禅寺本堂。
 一文字三つ星紋は毛利家の家紋として有名だが、那波氏も同じ家紋を使っていたので、こちらの寺は那波氏に所縁があるのだろう。
IMGP2987s.jpg
『小槌重寶弁財天
 台座は、霊験あらたかな東京浅草寺・旧雷門の礎石にして夜な夜な不思議な現象あり。
 突如、巳歳に因み、白大蛇の奉納あり。
 観音経より「重寶」と命名、ここに祀る。
 時に、当山創建五百八十年』
IMGK6398s_20120305010155.jpg
 弁財天の案内板の奥には白蛇像。二股に分れた舌もきちんと作られている芸の細かさ。
IMGP2989s.jpg

力丸城跡(力丸町)

IMGP2993s.jpg
 力丸町会議所裏手に残る力丸城跡。
 関係無いけど、力丸と言うと声優の力丸 乃りこさんを思い出してしまう。
IMGK6377s.jpgIMGK6472s.jpg
『貞治五年(1366)那波日向守宗広により築城。後に箕輪城主長野信濃守の管する処となる。北西約百米の本丸跡(約千五百坪)は城屋敷と呼ばれていた。
 因みに、この石碑は歴史ある下川渕村役場の正門一対の別されにして片しは役場跡地に。
 この由縁の誇りをもって、古城の外濠跡に之を建てる。
 平成十二年(2000)十月吉日』

稲荷神社(玉村町藤川)

IMGK6363s_20120304221510.jpg
 県道40号藤岡大胡バイパス藤川交差点やや北側から斜めに入って行くと、藤川公園の南東側に稲荷神社(玉村町藤川115)が鎮座している。
 駐車場は無いが、神社裏手に僅かなスペースあり。
IMGP2961s_20120304221509.jpg
 拝殿。
IMGP2963s.jpg
 玉村町子弟重要無形民俗文化財 藤川稲荷神社・悪魔祓いと書かれているが、玉村町役場のサイトを見ると、この藤川稲荷神社と飯塚の飯玉神社のそれぞれの境内に祀られている八坂神社の祭りであるとのこと。祭り当日には獅子頭をかぶった子を中心に子供達が地域の各家を廻り、人々の頭を獅子頭で挟むことで悪魔を祓うと言い伝えられているのだそうだ。
IMGP2968s.jpgIMGK6366s.jpg
 末社。
 八坂神社、諏訪神社、秋葉神社、中宮様、稲荷神社の五社がある筈だが、石祠は三基しか見当たらなかった。

IMGK6369s.jpg
 稲荷神社のすぐ北側に位置する忠霊塔。

飯玉神社(玉村町飯塚)

IMGK6328s.jpg
 飯塚公民館の東側に鎮座する飯玉神社(玉村町飯塚376)。
 駐車場は無いが、鳥居前に数台くらいは置けるスペースあり。
IMGK6356s.jpg
 境内に広がる大きな松の木。
IMGK6333s.jpg
 拝殿。御祭神は保食命。
 応仁二年(1468)に那波顕宗が領民の安泰を願って堀口村の飯玉大明神の分霊を奉遷し、社殿を建てたのが始まりである。この辺りの飯玉神社は創建に関しては大体同じであるようだ。大正十四年(1925)六月二十五日にはここよりやや南、大字飯塚と大字藤川の境付近に鎮座していた大鷲神社を合祀し、現在に至るとのこと。
IMGK6335s_20120304214136.jpg
 末社群。
 金毘羅宮や天神宮、熊野大権現、猿田彦大神、蚕影山、庚申塔などは確認できたが、他にも秋葉社と八坂社があるそうだ。
IMGK6352s.jpgIMGK6339s_20120304214137.jpg
 大黒天尊と双体道祖神。

尺司神社(玉村町樋越)

IMGK6298s.jpg
 大字樋越と大字藤川の間を流れる藤川に架かる藤川橋の北西に鎮座する尺司神社
 駐車場は無いので、少し西へ向かった所にある中樋越公民館に駐車。
IMGK6305s.jpg
 拝殿。
 御祭神は八衢彦命・八衢姫命。由緒等は不明。
IMGK6325s.jpg
 裏手には道祖神や庚申塔、坐像石仏の他に石祠が七基。うち二基は天王宮で一基は諏訪宮。
IMGK6310s.jpg
 ブロックに囲まれたこちらは古札納所かと思いきや、中には古峯神社が納められていた。

神明宮(玉村町樋越)

IMGP2924s.jpg
 県道24号高崎伊勢崎線森下交差点の北西側に鎮座する神明宮(玉村町樋越412-4)。
 駐車場は無いので境内に駐車。
IMGK6239s_20120304200326.jpgIMGP2930s.jpg
 鳥居前の坂の右下に鎮座する石祠。
 厳島社だろうか。
IMGP2927s.jpg
 参道と二の鳥居…ではなく四の鳥居。
 神社入口にあった鳥居は三の鳥居であるそうだ。
IMGP2936s_20120304200324.jpgIMGP2938s.jpg
 狛犬。
IMGK6244s.jpg
 拝殿。
IMGK6281s.jpg
 本殿。
IMGK6251s_20120304201718.jpg
『神明宮・春鍬祭の由来と行事
神明宮の創立と位置
 長寛年号(1163~1165)頃、玉村御厨の中心として祭られていたもので、樋越古神明砂町にできた神社であり、安元年間(1175~1177)足利忠綱により再興され寛保二年(1742)の台風に依り大洪水が出て約五○○メートル位南に流され、現在の神人村神明原に位置しております。
 現在の所在地名は、玉村町樋越四一二-四になります。

春鍬祭の動機
 樋越古神明砂町の神明宮跡地は、天明三年(1783)の浅間山大噴火による土砂等によってその跡地は原形もわからないほどになってしまいました。
 樋越の耕作者神明宮跡地の神田・十箇所(一反歩)を掘り起こし、整地をして水を引き入れ、水田として稲作をしました。
 その神田から収穫した稲穂を、樋越の耕作者が作頭となって毎年献上したことが、現在の春鍬祭例大祭の始まりと言われています。
 寛政十年(1798)から現在まで毎年実施されており、今年で二百有余年になる伝統文化であります。

神明宮の御由緒記
 樋越の古神明砂町は、当時那波郷里の一角に属した大社であり、神官が十数人居た。
 祭日が現在の二月十一日になったのは、明治六年(1873)に暦が太陽暦に変わった頃に定められたと言われています。

神明宮の氏神(祭神)と祭典について
「大日孁貴命(内宮)
 豊受姫命 (外宮)と致し、配祀神は十四社を祀る。
 伊勢大神宮の御分霊を奉祀せるものにして高倉天皇の御代、安元年間藤原秀郷の末裔、足利又太郎忠綱が之を再興し、鎮座地を樋越神人村八王塚にして年々二月十一、長田狭田の式、併せて、抜穂の式、として古神明砂町に神田一反歩を有していた水田より献上した」と伝えられている。
 又、秋祭も十一月二十三日と決められ、現在も新嘗例祭として続けられている。

神明宮の鳥居の配置について
 第一鳥居は、武州賀美郡勅使川村字天神にあります。
   現在は、丹生神社になっています。
 第二鳥居は、玉村町南玉に礎石があります。
 第三鳥居は、現在の神明宮参道入口にあります。

重要無形文化財指定への経緯
 春鍬祭は、その伝統と祭事の内容が高く評価されて、
 昭和四十六年四月玉村町より、重要無形文化財の指定を受ける。
 平成十二年三月群馬県より、重要無形文化財の指定を受ける。
 平成十四年二月国の文化庁より重要無形文化財の指定を受ける。

 この度、神明宮本殿改修にあたり、神明宮の歴史を記し記念とする。
 平成二十三年一月二十三日』

IMGP2941s.jpg
 神楽殿。
IMGK6255s.jpg
IMGK6295s.jpg
 境内東端に並ぶ十四基の石祠。
IMGK6274s.jpgIMGK6276s_20120304202408.jpg
 神社裏口と言うか北口の傍に鎮座する石祠。
IMGK6261s.jpg
IMGK6269s.jpg
 境内西端にも石祠群。
IMGK6257s_20120304203018.jpgIMGK6267s.jpg
 少し離れてぽつんと鎮座する石祠。
 案内板には十四社を配祀と記されているが、数えてみると三十基の石祠がある。例によって玉村八幡宮のサイトを見てみると、
 愛宕神社   (火産霊命)
 一元神社   (日本磐余彦命)
 草奈岐神社  (日本武命)
 伊佐奈美神社 (伊弉冉命)
 冨士神社   (木花開耶姫命)
 熊野神社   (櫛御気野命)
 天津神社   (天御柱命)
 国津神社   (国御柱命)
 於保止志神社 (大歳御祖命)
 鴨神社    (天神玉命)
 御井神社   (津長井命)
 伊弉諾神社  (伊弉諾命)
 雷神社    (雷八柱命)
 田植神社   (積羽八重事代主命)
 倉稲鬼神社  (大宜津姫命)
 千依姫神社  (千依姫命)
 鏡神社    (天糠戸命)
 厳嶋神社   (市杵嶋姫命)
 風神社    (級長津彦命、級長戸辺命)
 国見神社   (大日別命)
 高天原神社  (万諸大命)
 清野井庭神社 (草野姫命)
 瀧原神社   (速秋津彦命)
 御縣神社   (天津彦根命)
 御舟神社   (中筒男命)
 荒祭神社   (瀬織津姫命)
 佐々津彦神社 (佐々津彦命)
 伊雜神社   (天鈴桙命)

の二十八社が境内社として記されている。それでも二社足りないのだけれど、明治四十一年二月六日に境内末社七社と村内の二十三社を合祀したと記されているので、それなら丁度三十社になる。
カレンダー
02 | 2012/03 | 04
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
ブログ内検索
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
最近のトラックバック
FC2カウンター
プロフィール

Author:梁瀬
無駄な徘徊でCO2を増やす、
方向感覚に不案内なヒト

リンク
RSSフィード