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諏訪神社(今井町)

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 新義真言宗西光寺の北西に鎮座する諏訪神社
 駐車場は無いので、北側にある今井町集会所に駐車。
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 社殿。
 創建は和銅元年(708)で、信濃国諏訪大社から勧請されたものであるそうだ。
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 日露戦役記念碑と神社改築記念碑、田畑七反七歩奉納碑、雷電大神。
 改築は昭和四十三年(1968)に行われたようだ。
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 末社。
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 末社群。
 左から秋葉大神、牛頭天王。後は不明。
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日枝神社(山王町)

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 日蓮宗本妙寺の北側に鎮座する日枝神社(伊勢崎市山王町405)。
 駐車場が無いので裏口に駐車。
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『日枝神社略誌
鎮座地 群馬県伊勢崎市山王町四○五番地
祭神  主祭神 大山咋命 (日枝社・宿組 上原)
    配祀神 倉稲魂命 (稲荷社・東組)
        建御名方命(諏訪社・下原)
        誉田別命 (八幡社・中内 元宿)
        櫛御気野命(熊野社・中内 元宿)
        伊弉冉命 (白山社・道満)
由緒 当社の起源は和銅元年(708)近江国比叡山山王明神を当地に勧請とも、延喜元年(901)修験三光院創建とも伝える。
 文久九年(1272)三光天子を安置するという(現存)。
 後一条天皇の頃(1016~36)時の郡司勅命により国家安全を祈願。降って元和年間(1615~24)日光例幣使奉幣又寛政十一年(1799)日光例幣使藤原教清卿「山王大権現」の神号額奉献。現在保存さる。
 尚伝承によれば領主那波氏及び酒井氏共に厚く崇敬され毎年九月十九日(旧暦)の祭式に流鏑馬。神輿・山車・神馬・獅子舞等の神事を行い社殿修復、祭祀復興、神田奉納など伝えられる。
 那波氏が住民に害をなす鷲を御神徳により境内から退散させた故事も伝う。
 明治初年神仏分離令により社名を「日枝大神」と改め、次いで現在の「日枝神社」となる。明治末年村内の五社を合祀し村社となる。
 昭和二十二年(1947)日本国憲法施行とともに村社の社格消滅し、昭和二十八年宗教法人として認証される。
祭日 元旦祭  一月一日
   春季例祭 四月三日
   秋季例祭 十月十七日』

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 参道左側に神武天皇遙拝所。
 石柱タイプじゃないのは珍しいような気がする。
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 日露戦役記念碑の周りに末社群。
 蚕影大神×3と諏訪大明神は確認できたが、他は不明。
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 拝殿。
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 神紋は加茂葵紋のようだ。
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 狛犬。
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 社殿斜めから。
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 神楽殿。
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 境内北西端に、一つだけぽつんと離れた末社。

千本木神社(南千木町)

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 菅原神社から南下して行くと、千本木神社の前に出る。
 駐車場は無いが境内への乗り入れは禁止であるようなので、鳥居の横にある南北千木町屋台庫のシャッター前に駐車。
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 こちらの御祭神は五十猛命で、永禄三年(1560)に上杉謙信(この当時はまだ長尾景虎)が厩橋城(前橋城)攻めの折に、こちらに立ち寄り戦勝祈願をしたと伝えられているようだ。
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 拝殿。
 こちらも茂呂村第22号墳と呼ばれる円墳の上に建てられている。
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 狛犬。
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 寄ってみる。
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 拝殿左側の祠。どなたを祀ったものかは不明。
 そして祠の前の石。文字が刻まれているが、なんの意味があるのだろう? わりと新しい感じだけど。
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 秋葉宮。
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 末社群。
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 後ろから見ると、右端に天神宮と刻まれた石があるのがわかる。
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菅原神社(北千木町)

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 日野見屋酒店の東側に鎮座する菅原神社
 駐車場は無いので、日野見屋酒店の西側にある北千木町会議所前のスペースに駐車。
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 文化十一年(1814)再興と書かれているので、創建はそれ以前になるのだろう。
 由緒等は不明。
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 双体道祖神。
 延享五戊辰年とあるので、1748年のものだ。
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 相輪のついた石祠。

水神宮(美茂呂町)

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 退魔寺の南側、広瀬側に架かる光円橋のそばに鎮座する水神宮
 そばに立てられた杭には「雨乞石宮 文化十三年丙子建立」と書かれているので、こちらの水神宮は1816年に建てられたものであるようだ。
 退魔寺の伝説で、石田三成が妖怪を退治したのが光円橋付近だから、この辺りだったのかな。その頃にはまだこの水神宮は無かったわけだけれども。
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 額の部分には水神の文字がしっかりと残っている。
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 水神宮の案内杭と石原為久翁碑。
 石原為久と言うのは荒木流拳法第十五代目の師範であるそうだ。
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退魔寺(美茂呂町)

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 飯福神社から西へ向かうと、わりとすぐに真言宗豊山派石岡山不動院退魔寺(伊勢崎市美茂呂町3612)に到着。
 退魔と言う言葉は豊田有恒による造語だと聞いていたが、こちらの寺が香華院から退魔寺に改称したのは江戸時代初期であるようなので、一般的に使われていたかどうかはともかく、古くからありはしたのだろう。
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『第二十三番 石岡山不動院退魔寺、子安観音
 応安四年(1371)城主茂呂勘解由左衛門尉源義輝、城内の光円坊を改め、香華院を創立。弘法大師御自作の不動明王を本尊とし、小俣鶏足寺より道照禅師を開山の師と仰ぎ、帰依したことに始まり、その後、宥秀和尚の時に退魔寺と改称したと伝えられる。
 また所伝によると石田三成当地を通過した折、当時、土橋(光円橋)付近に毎夜妖怪が現れ、庶民このために難渋すると聞き、退治したので石田氏の徳をたたえ寺号を改め、寺紋を石田氏の紋にしたともいう。寛文二年(1662)火災に罹り、同十年再建。大日如来(胎蔵界)を安置、延宝五年(1677)不動堂を再建、昭和十六年(1941)再度不動堂を二十三世慶隆和尚によって再建し、今日に至る。

  悪魔をば皆退けし 茂呂の寺
      大慈大悲の誓いなりけり

 第二十四番、赤城山龍昌院、聖観音』

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 不動堂。
 堤守護神十三仏内第一不動様、と書かれた杭がそばに立っていた。
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 不動堂と本堂の間に聖観世音堂があり、その手前左側に聖観世音菩薩と十一面観世音菩薩。
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 本堂。
 そばには茂呂城址本丸跡と書かれた杭がある。茂呂城は永禄年間(1558~70)に那波城主那波氏によって築かれた城で、那波氏の勢力が後退すると金山城方が占拠し、由良氏家臣の根岸三河守が城主となったが、天正十八年(1590)に小田原北条氏が滅亡すると廃城となったとのこと。
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 大悲観世音菩薩・弘法大師・興教大師、毘沙門天。
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 ぱっと見、不動明王のようにも見えたが、確かに左手に宝塔を持っている。

飯福神社(美茂呂町)

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 茂呂郵便局の横から伸びる参道を上って行くと飯福神社(伊勢崎市美茂呂町3412)に到着。参道右側に駐車場有。
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 鳥居。
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『飯福神社
鎮座地 伊勢崎市大字茂呂三、四一二番地
祭神 主祭神 保食命
   配祀神 大物主命
       誉田別命
       火産霊命
       倉稲魂命
       菅原道真命
       菊理姫命
       最上命

由緒 当社の創建年代は明らかではないが、伝承によれば、建武年間(1334~36)に宗良親王が父君後醍醐天皇の命を受け征東将軍となって東国に赴いたが、御子の尹良親王薨去後は新田一族を率いて王事を尽していた。
 その宗良・尹良両親王の御息所にちなんで、ここに「位々登美」の御神霊を奉祀した事が始まりとされている。その後は那波氏によって再興されたが、正親町天皇の御代の永禄五年(1562)、北條氏の兵乱に遭って社殿は悉く破損した。しかし、由良氏によって修理がなされ、天正年間(1573~92)には、竹姫公の采邑となった。江戸時代に至ると、伊勢崎城主酒井日向守忠能によって修理が加えられ、明治維新以来は氏子の経営するところとなった。明治七年(1874)、村社に列せられ、同四十年(1907)九月十七日、境内末社の愛宕神社・秋葉神社・菅原神社、字堤の飯福神社・同境内末社の琴平神社・八幡神社、及び字宮上の秋葉神社、字白山の白山神社・同境内末社の菅原神社・疱瘡社を合祀して今に至る。
 境内には、大正十四年(1925)建立の「古銭発見碑」があり、以前は桜の名所でもあった境内地を氏子達は「カミノヤマ」(上之山)と称している。

境内末社 榛名神社 埴安姫命
     赤城神社 大己貴命
     加茂神社 別雷命』

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 拝殿。
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 頭の平べったい狛犬。
 脇に立てられた看板によると、願いを込めて撫でるといい福を授けてくれるとのこと。
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 天下…かな? なんだろう、この石。
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 末社群。
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 鳥居の額には奉納としか書かれていないので何神社なのかはわからないが、脇に双体道祖神があり、御利益も縁結びや夫婦円満などのようなので、そのあたりだろう。
 右に見える石祠や石塔のうち、中央のものは八坂大神のようだ。他は不明。
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『古銭発見碑
大正十年五月十三日枯損木拂下の許可得其根柢を掘採する際憂然一甕を發掘す中に永樂通寶六千四百枚と其他の古銭數種合て七千九百三十九枚とを秘藏しありたり而して其埋藏者を知ること能わず乃ち國法に遵い本縣廳を經由し全部之を東京帝室博物館に納付したり
 大正十四年二月十七日建碑』

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 末社群。
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 国定霊神と庚申塔。
 国定霊神ってなんだろう。国定忠治かな?
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 いい福神社。
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 二つ並んで注連縄の巻かれた石。
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 西の鳥居。

八幡宮(今泉町一丁目)

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 国道462号線と県道14号線、県道295号線の合流する今泉一丁目交差点の東側に鎮座する八幡宮(伊勢崎市今泉町一丁目1101)。
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 古墳ぽいなと思ったら、ビンゴ。直径約30m、高さ約3.2mの円墳で、茂呂村第45号墳とも呼ばれているようだ。
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 拝殿。
 由緒書き等は見当たらず、ググって見てもHit無し。石灯籠の台座に文化十癸酉年閏十一月吉日と刻まれていたので、1813年以前からあったのは確かだろう。
 からっかぜというサイトにこちらの神社の記述を発見。それによると、大永年間(1521~27)、北条氏と長尾氏が争っていた境界に村人が建てた神社であり、その後、北条氏が戦勝祈願を行い勝利したことから信仰を高めたとのこと。
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 社殿左側に御嶽塚。
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 社殿右側には末社群。
 社号が確認できたのは秋葉社と金毘羅社のみ。
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 墳丘西面に庚申塔と鳥居。
 鳥居の額には飯福大明神と刻まれている。
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 墳丘東面にも鳥居。こちらの額には…愛宕山でいいのかな? 一文字目と三文字目が異体字なので確証は無いけど。
 三つの鳥居にそれぞれ違う名前の額が掛けられているということは、こちらの神社には八幡・飯福・愛宕の三社が合祀されているのだろう。

三峰神社(東本町)

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 新伊勢崎駅の北東、県道2号線古河街道の南側に鎮座する三峰神社(伊勢崎市東本町87-8)。
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 右の祠の中に三峰神社の文字が見えるが、瓦には「丸に立梶の葉」紋がある。梶の葉紋と言うと諏訪神社系に多いような気がするが、どうなのかな。
 左の祠の瓦には三つ巴紋があった。
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Author:梁瀬
無駄な徘徊でCO2を増やす、
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