境香取神社(境町宮本町)

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 国道354号線宮本町交差点の東に建てられた、境香取神社(猿島郡境町宮本町1758)一の鳥居。
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 一の鳥居改築記念碑。
『香取神社一の鳥居は本殿建築以来職工組合が主体となって、二十年毎に改築されたが、このたび神社の尊厳を維持するため永久的鳥居の改築にあたり氏子総代及び建築職工組合合議の上建設す』
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 二の鳥居。
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 鳥居をくぐるとすぐ左手側に八坂神社。
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 稲荷神社鳥居。
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 稲荷神社。
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 お狐様。
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 稲荷神社の裏には先代であろうか、お狐様と石祠。なかなか面白い顔立ちをしている。
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 平成二年(1990)五月に日本たばこ産業株式会社水耕開発センターの建立した庚申塚。
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 倒れた日枝神社。
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 参道に戻って、狛犬。
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 中には木祠が二つと大黒天・恵比寿像が納められていたが、何神社なのかは不明。
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 白山神社。
 祠の中にはなんだかよくわからないシチュエーションの石額があり、「江戸四つ谷稲垣氏?山」と浮彫りにされた文字が読めるが、なんだろうコレ。
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 休憩所であるようなのだが、現在は物置と化している。
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 狛犬二号。
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 狛犬三号。
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 玉垣前に八幡宮。
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 拝殿。
 わりと大きな神社なのに、由緒書きが無いのは残念だ。
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 神楽殿。
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 拝殿左側に大きな池があり、こちらが蚊の大量発生源になっているのだろう…じゃなくて、池の中の小島と繋ぐ石橋が架かっている。しかし実際、時期のせいもあるだろうが池の周囲はやたらと蚊が多く、鬱陶しい。
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 辨財天。
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 山王大神と五重石塔。
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 石橋を辨財天側から。
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 天満宮。
 右の祠には宝珠紋がついていたので稲荷神社だと思うのだが、石祠の脇に天満宮の額が置かれていたり、釘の詰まった瓶や豆腐パック、蛇口ハンドルらしきものまで放り込まれており、まるで物置のようだ。
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 天満宮~浅間神社間の参道脇に左三つ巴紋のついた祠があったのだが、何神社なのかは不明。
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 浅間神社の鳥居と下田権現社。
 下田権現と言うのは初めて聞く名前だが、どなたを祀っているのだろう。
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 初山祭の案内板と軍馬西効之碑。
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 石段を上った先には浅間神社。
 基礎コンクリートには平成二十三年六月吉日と刻まれており、去年改築されたばかりであるようだ。
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 浅間神社本殿。
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 塚から下る途中に猿田彦大神と道祖神。
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 塚の麓には左から馬頭観音×3、三峯神社、猿田彦大神、浅間神社。
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 嘉永六癸丑年(1853)三月造立の青面金剛。
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 二十三夜供養塔と庚申塔。
 二十三夜は天明五乙巳年(1785)霜月、文政改元奎次戊寅(1818)六月、天明八戊申(1788)季十一月。庚申塔は寛政八龍集丙辰(1796)のもの。
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 浅間大神と庚申塔。
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 水神宮の鳥居。
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 水神宮。
 御祭神は罔象女命。
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 水神宮の裏に舩玉大明神(嘉永六丑(1853)二月)と大杉大明神(寛政九丁巳歳(1797)九月)。
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 太子宮の鳥居。
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 太子宮。
 太子と言うことは、御祭神は聖徳太子だろうか。
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 以上で5月26日参拝分終了。
 今月は群馬県伊勢崎市、埼玉県加須市、茨城県古河市、千葉県野田市と四県に渡ってうろついたわけだが、一ヶ月の間にこれだけ広く移動したのは初めてだ。それにしても、遠いと思っていた所でも、実際に行ってみると意外と近いものなのだな。
 今回の使用機材はK-7にDA15mmとDA21mm、DA35mm Macro、FA50mm。COOLPIX P7100。
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水神宮(関宿台町)

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 大柳大龍権現神社から北上して行くと、堤防脇に上谷中集会所があり、その隣に水神宮が鎮座している。
 堤防沿いにまっすぐ北上するのがわかり易くはあるのだが、舗装されていない部分が多いのでロードスターでは少々走り難かった。関宿用水堀沿いに移動した方が楽だ。
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 拝殿。
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『水神宮改築記念碑
当鎮座水神宮は水難除の守護神として安政四丁巳年(1857)正月吉日十一名の船持有志に依り創建されました。其の昔川の恵を生業とし、船運送の盛んなりし頃地域住民の繁栄と船運の安全を祈願して氏子船頭に厚い信仰がありました。爾来七十有余年の長い歳月を経て其の間数回の移転を余儀なくされ御神体露呈のお姿であられましたが昭和十年(1935)に氏子崇敬者に依って多額の浄財寄進を仰ぎ社殿社務所が建立され現在の姿になりました。昭和十二年(1937)氏子六名の篤志に依り鳥居が奉納され昭和四十二年(1967)利根川堤防拡張工事に伴い移転、現在の地に鎮座。以来五十有余年社殿、社務所の荒廃甚しく氏子崇敬者協議により社殿修復を決議し多額の浄財を寄進又労力を奉仕し殊に社地の高揚整備に重きをなし社殿修復、土囲、外柵工事等完成。以て平成四年(1992)七月吉日遷座祭を行い氏子一同御神徳の弥高を拝し誠に悦びに堪えない所であります。
尚社務所の新築工事に於ては町のコミュニティ事業の助成を受けて四月に完成し自己資金は氏子二十四戸が各十七万円據出し建設基金とする。
此の崇高なる由を記念して永く後世に伝えんとするものである。
 平成四年七月吉日』
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 社殿側面に屋根を支える力士像。佐野市の沼鉾神社にも似たようなものがあったけど、他では見かけた覚えが無いな。

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 水神宮のやや南に十九夜供養塔(安政三丙辰年(1856)三月)と謎の石祠。

大柳大龍権現神社(関宿台町)

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 関宿製罐南側の道を東へ向かって行くと、利根川の堤防脇に大柳大龍権現神社が鎮座している。
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『大柳神社建立記念碑
鎮守大柳大龍権現神社はその昔より近郷住民や利根川を上下する船頭の厚い信仰あり。
明治四十三年(1910)河川敷拡張工事に伴い第一回移転が行なわれ大正十二年(1923)に鳥居を、昭和三年(1928)に社殿が建立され、昭和二十九年(1954)第二回移転に依り現在の地に鎮座す。爾来五十有余年社殿の荒廃甚だしく改築の議起るや、氏子崇敬者挙って協賛、多額の浄財を寄進し建設の資に充てむ。
かくて昭和五十五年(1980)十月十二日社殿を竣工し新室に御神体を奉遷之を壽ぐ。工事は終始一貫順調に進行し誠に神人和合の現われと云うべし。此の由を記念碑に刻し永遠に子孫に伝えんとす。
氏子十一名は各々一金貮拾萬円也を據出し之を建設の基金とす。
 昭和五十五年十二月吉日』
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 台座に狐の姿が彫られた稲荷神社と、その左側に……なんだろう? 楠玉大神か船玉大神だろうか。崩し字なのでよくわからない。
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 拝殿。
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菅原神社(東高野)

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 はやま工業団地入口交差点の南西に鎮座する菅原神社(野田市東高野37)。
 駐車場は無いので、車は東高野自治会館に置いてそこから徒歩で。
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 拝殿。
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『菅原神社改築の碑
当鎮守菅原神社は御祭神に菅原道真公にましまし宝暦拾参年(1763)この地に創建せられ氏子はもとより近隣の尊崇篤く高大なる神徳を仰いで今日に至りました。社殿は長き年月を経て荒廃石段鳥居とも老朽甚しく氏子一同の総意により八ヶ年計画を以って御修造のこととなり氏子崇敬者一同浄財を捧げ労力を奉仕し工事を氏子の建築業者三社に請負せ昭和六十一年(1986)二月二日仮遷座社地を整備し社殿石垣鳥居を総工費二千萬円を以って完成。依って同年十一月十六日の吉日に遷座祭を齋行。氏子一同と共に神徳の弥高を拝し誠に悦びに堪えない所である。
地域の益々の向上と氏子崇敬者の弥栄を祈誓し記念といたします。
 昭和六十一年十二月吉日』
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 稲荷神社。
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 地図に載っていないので気付かなかったが、ここから少し南東へ向かった所に神明神社があるようだ。

山王神社(東高野)

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 はやま工業団地入口交差点の南東、東高野自治会館の敷地に鎮座する山王神社
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 山王神社。
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 北側から。

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 自治会館北側の三叉路脇に六地蔵。
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『路分け六地蔵
 この六地蔵は享保二年二月(1717)につくられた後背型丸彫り六地蔵です。石碑に「二年丁酉二月」と彫られています。これは享保の時代を表しています。全体的に五十センチ程度と小さく、多少風化はしていますが、可愛らしく丹精につくられたものです。また、「村同行十八人、秋花・つ空・圓心・雪口」と刻まれていますが、人の名前なのか不詳です。
 六地蔵の信仰は古く、平安時代から始まったといわれています。六地蔵の六道(地獄道・飢餓道・畜生道・修羅道・人間道・天道)とは、菩薩がいろいろな姿に変化し、輪廻転生(何度も生まれ変わる)を繰り返し、さまよう全ての生物を苦痛から救済するといわれる仏教思想にちなんで、六体の地蔵尊を安置し、供養したことから始まります。その後各地に多くつくられるようになりました。
 六地蔵の側に「天保八年九月吉日」(1837)と年号が刻まれている二十三夜塔があります。路分地蔵といわれる由縁となった石仏です。側面に「左・木間ヶ瀬・右・江戸道、ほうしばな」とあります。また、六地蔵と並んで、即身成仏の伝説を持つ卵型(無縫塔)のお坊さんのお墓もあります。
 この小さな六地蔵に子供の幸せのすべてをかけてきた庶民の長い歴史が刻まれている様で味わい深いものがあり、地域の人たちに長い間愛されつづけてきた六地蔵です。そして長い間路分け地蔵として旅人や多くの人たちに役に立ってきました。今でもこの三叉路と路分け地蔵が立つ場所は、当時のままの姿で残っており、またこの付近の道筋も変わっていません』

富士浅間神社(関宿台町)

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 県道17号流山街道を南下すると、関宿台町浄水場北側に富士浅間神社(野田市関宿台町1006)が鎮座している。
 白山神社の次には長命庵北側の笠間稲荷に参拝するつもりだったのだが、明らかに民家の敷地内なのでパス。
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『富士浅間神社改築記念碑
当鎮守浅間宮の御祭神は木花開耶姫命御神にましまし創立の年代は詳らかにしませんが氏子はもとより近隣の尊崇篤く毎年六月(みそか)祭礼日には初孫の山詣者昔より数多く高大なる御神徳を仰いで絶える事無く今日に至りました
大正十四年(1925)四月再建の社殿は六十有余年の長き年月を経て荒廃極に達し特に交通量の悪化に伴い屋根瓦の被害は日増に甚しく併て石段等の老朽氏子一同恐懼して昭和六十三年(1988)十一月改築の議起り氏子総会に議り御修造の決議となり氏子崇敬者一同一協恭一心浄財を捧げ労力を奉仕し建築業者金井工務店に請負わせ仮遷座本殿竣工続いて特志者の申出に依り鳥居を奉納社地を整備水屋等すべての工事完成 平成元年(1989)一月十五日落慶正遷座祭を挙行氏子一同共に仰いで神徳の弥高を拝し誠に感悦に堪えないところであります 益々国の隆昌と世界平和共存共栄併て氏子崇敬者の弥栄を祈誓して記念とします
 平成二年六月吉日』
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 塚の頂に富士浅間神社社殿。
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 右石段口には道祖神と謎の石祠。
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 拝殿。
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 西側から。
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 東側から。

白山神社(関宿台町)

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 先程の白山神社から少し東へ向かうと、野田市西町集会所の隣にも白山神社(野田市関宿台町882)が鎮座している。
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 拝殿。
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 龍の彫刻が施されているが、まるで象の牙のような髭だ。
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 天満宮。
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 十九夜供養塔と地蔵祠。
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神明神社(関宿内町)

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 内町自治会館の南側に隣接して鎮座する神明神社(野田市関宿内町172)。
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『神明神社
 此の神社は、天照皇大神を主祭神に、正八幡大神・熊野大権現の三柱を奉祀しております。
 此の地は、天正三年(1575)、関東一円を支配した、小田原城主北条氏政により、近江之国(滋賀県坂田郡柴原町番場)から勧請した通幻寂霊禅師が永徳三年(1383)に開山したとされる、曹洞宗の大本山、安国山総寧寺(傘下の末寺7,213ヶ寺・管轄する寺院の数17,351ヶ寺)の境内地であったことから、内町の地名が付いたと言われております。
 神佛習合の時代、その総寧寺が別当をしていた神社を、近郷の里人たちは産土神として尊く崇敬しておりましたが三代将軍徳川家光の帰依により、寛文三年(1663)、総寧寺は御朱印地が加増され市川市国府台に交換転地となりました。
 総寧寺転地後の正徳元年(1711)、祷念同唱の氏子の勧進に拠り、遺された御神霊を礎に、この地域の鎮守様として現在の神社が創建され、今日に至っております。
 その間、明治四十三年(1910)には不慮の火災で焼失。社殿を檜皮葺から亜鉛鋼板葺へと改築し、また、昭和二十七年(1952)には江戸川の大規模な河川改修により移転を余儀なくされ、曳家工法を用いて、馬場通りから現在地に移設されました。
 改築後百年、社殿の老朽化も甚しく、雨漏り等の懸念から、氏子の総意により創建三百年の記念事業として社殿を新たに造営し遷座をするに至りました。
 平成貳拾参年拾月九日』
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 愛宕山大権現(天保九戊戌年(1838)正月)と猿田彦大神(昭和二年(1927)十一月)。
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 内守稲荷神社。

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 神社向かい側に地蔵堂。
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 庚申供養塔、青面金剛、聖観音…かな?
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 馬頭観世音と十九夜供養塔。

香取神社(関宿元町)

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 時宗吉祥寺の西側に鎮座する香取神社(野田市関宿元町88)。
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 拝殿。
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 境内社二社の間には馬頭観世音菩薩。
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 左側の境内社。わかりません。
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 右側の境内社。随身を従えた…菅原道真公かな?
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 こちらは勝軍地蔵…かと思ったら、よく見れば愛宕山大権現の文字が見える。まぁ、勝軍地蔵は愛宕権現の本地仏だから同じでいいんだけど。

稲荷神社(関宿江戸町)

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 江戸川の東側を走る県道26号線の側道下に鎮座する稲荷神社。左側の建物は大日堂。
 鳥居手前右側に移転記念碑と思われる石碑があるのだが、文字が薄くなっていて読み取り難い。大正三年の江戸川改修工事により大日堂と共にこちらへ移転して来たようではあるが、創建時期等は不明。
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 大日堂と稲荷神社。
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 稲荷神社に掛けられたこの額は、大船渡でいいのかな?
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 青面金剛と庚申塔、二十三夜塔。
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 弘法大師、十九夜供養塔、馬頭観音。
 右端の馬頭観音は貞享五年(1688)のもの。

八幡神社(関宿江戸町)

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 香取神社の南東、清信墓苑の入口そばに鎮座する八幡神社
 上町会館横の稲荷神社前からそのまま西に向かえば早かったのだが、うっかり存在を忘れてしまい、香取神社に参拝した後で思い出した。
 拝殿前の石燈籠には「奉納武運長久 干時寛政十二庚申」とあるので1800年のものなのだが、神社の創建時期などは不明。
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 青面金剛。

香取神社(関宿江戸町)

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 江戸川堤防の東側に鎮座する香取神社(野田市関宿江戸町25-1)。
 野田市のサイトの「八州廻りと野田の人びと」という項目には天保十三年(1844)に天王社(現在はこちらの香取神社に合祀)の祭礼で起きた騒乱事件の顛末が記されているが、こちらの神社の由緒等は見当たらず。
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 狛犬。
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 参道左側に富士塚。
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 大杦大神と猿田彦大神。
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 青面金剛(寛政三年(1791)四月造立)と角行霊神。
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 天満宮と稲荷神社。
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 塚頂に浅間大神。その横、一段下に熊野神社。
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 境内社。
 波を模った留蓋瓦がついているが、川や海に関係した神様が祀られているのだろうか。ぱっと思いつくのは八幡、住吉、大杉、金刀比羅、祓戸と言ったあたりだが、全く関係無い可能性もある。こちらの香取神社には八坂神社が合祀されているので、もしかしたら八坂神社と言うことも?
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 神明祠。
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 拝殿正面。
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 斜めから。
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『移轉紀念之碑
當鎮守香取神社並に八坂神社は共に旧城主の歸仰深く鎮座数百年字南側百廿八番地を神境とす尓來亦諸神社の遷座あり茲に大正三年(1914)内務省起業河川工事に係る江戸川改修施行の為の境内の買収に會す則ち氏子等協議現地を購入。大正四年三月工を起し社殿改築の業を竣成す同年六月十四日遷宮式を奉修し永へに鎮護の威徳を仰ぐと云尓
大正七年六月建設』

『移轉紀念之碑
當鎮守香取神社並に八坂神社は共に旧城主の帰仰深く鎮座数百年字北側二十五番地を神境とす尓來亦諸神社の遷座あり茲に昭和三十一年(1956)建設省起業河川工事に係る江戸川改修施行の為の境内の買収に会す則ち氏子等協議現地を購入し昭和三十一年九月工を起し社殿改築の業を竣成す三十二年四月遷宮式を奉修。永へに鎮護の威徳を仰ぐと云尓
昭和三十二年四月建設』

 大正四年(1915)と昭和三十二年(1957)に遷座をしたようだが、改変コピペのような碑文だなぁ。
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『香取神社新築記念碑
 昭和五十四年(1979)二月十六日
 香取神社共有の土地江川沖の内二反三畝(二十一人の名義)を茨城開発公社に売却し、六三○万が香取神社の共有財産となる。
 右金額を、神社新築の基本金とする』
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 なんだろう、倉庫かな?

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 神社前に建てられた関宿関所跡の碑。
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『関宿関所と棒出し
関宿関所
 幕府は、江戸と地方を往来する船が必ずこの関所を通ることからここに関所を置き、船の積荷や人改めを厳しく行いました。この関所を通るためには通行手形がないと通ることができませんでした。
 関所があった場所は、江戸川流頭部の堤防が突き出した「棒出し」と呼ばれる施設の上に置かれ、関宿藩が関所の管理をしていました。

棒出し
 棒出しの設置時期は、文政五年(1822)、天保期(1830~43)など諸説がありますが、天明三年(1783)の文書には棒出しの記述があることから天明三年には既に設置されていた可能性があります。
 棒出しの目的は、利根川・逆川・江戸川への水量調節にありました。
 昭和二年(1927)に関宿水閘門が完成すると昭和四年(1929)に撤去されました』

稲荷神社(関宿台町)

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 野田市関宿台町交差点の西、二股に分かれたその中間に鎮座する稲荷神社
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 文政六癸未年(1823)二月造立の十九夜塔。
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 元文三戊午年(1738)十一月十三日造立の虚空蔵菩薩と……読めん。
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「瑠璃殿」と「薬王殿」の額が掛けられた御堂。
 こちらには鈴が、稲荷神社の方には鰐口が下げられていたが、普通逆ではなかろうか。
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 御堂の脇に祠。

稲荷神社(関宿台町)

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 野田市関宿台町交差点から流山街道を南下すると、JAちば東葛関宿支店の南東に稲荷神社が鎮座している。
 一の鳥居は平成五年(1993)に建てられたもの。
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 拝殿。

稲荷神社(関宿町)

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 鈴木貫太郎記念館の北、おやしき会館の隣に鎮座する稲荷神社。
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 拝殿。
 石燈籠には明治四十年二月初午の文字有り。
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 西から。

香取神社(関宿台町)

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 鈴木貫太郎記念館の東、茨城千葉埼玉県道26号境杉戸線沿いに鎮座する香取神社(野田市関宿台町2712)。
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 社号を刻んだ岩の隣、駐車場入口に石碑。
『建碑之由来
 関宿町が天正十八年(1590)久松松平因幡守康元が入城以来二十三代久世廣業迄約二百八十年の間、城下町・宿場町として栄えて来た事は、よく知られるところであるが、代々の藩主が敬神崇祖の念に篤く、特に天王祭が盛儀として実施されるようになったのは古記録によると、十代藩主板倉阿波守重郷の明暦三年(1657)の頃に「この年六月七日・十二日御領主様の代佐武門前牛頭天王神輿御入御、国家安全・武運長久・五穀豊穣の御祈祷御祭禮相勤め御領内順行仕る」と。又神輿警護の役人・神官・氏子等に御酒・御赤飯を給る云々」とあり「以後代々これに倣ふ」と記されていることから、江戸時代の初めから行なわれていたことが解る。
 天明六年(1786)藩主久世隠岐守廣誉の時「六月の天王祭町に過ぎたる華麗さなり」とある。この時代は所謂「天明の飢饉」の時に当るが、敢えて天王祭を行なったのは、災厄を拂ひ、領民皆福を願ってのことであったと見るはひがめだろうか。いついかなる時にも敬神崇祖の念を失うことのなかった先人の心情が胸をうつ。伝統とは継続であるという教えでもある。時移り平成七乙亥年(1995)十一月十二日、関宿城御三階楼を模して建設された、「千葉県立関宿城博物」の開館を機に、台町・江戸町の江戸時代より伝わる神輿二基を古式に則って渡御を行う。八坂神社の旗幟を先頭に、五色旗・神馬・榊・天の鉾旗を擁し宮司新納茂外二名の神官の先導により「わしよわしよ」と阿呍の掛声と共に門前に進み、御祈祷御修祓の後未だ嘗て見ることのなかった二神輿の相揉みが奉納され、當に特筆すべき盛儀であった温故知新の心も新たに茲に浄財をもとに記念碑を建設し、後世に我が町にかかる伝統祭礼行事のあることを知らしめ、この灯を消すことのないことを祈り伝えおくものである』
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 参道左側の狛犬。
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 参道右側の狛犬。
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 鳥居。
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 稲荷神社。
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 拝殿。
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 八坂神社。
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 書かれていることは先程の石碑の碑文とほぼ同じ。
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 末社殿。
 祠が二つ納められていたが、何神社なのかは不明。

砂山稲荷神社(関宿三軒家)

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 関宿城博物館のやや南東に鎮座する砂山稲荷神社(野田市関宿三軒家243)。別名を関宿城鬼門除稲荷。
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 狛犬。
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 鳥居。
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 狛犬。
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 拝殿。
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 由緒書きはあるのだが……うん、殆ど読めない。
 昭和四十年八月二十一日に一陣の竜巻が起こり、社の屋根が飛び松の大樹が根こそぎにされたが付近の民家は無事であったという部分は読める。ごく最近にもご近所のつくば市で竜巻が起きていたが、発生し易い土地柄なのかな。
 ググってみると、こちらは関宿藩十二代藩主久世大和守広之が関宿城内の鬼門除けとして寛文九年(1669)七月に建立したものであるのだそうだ。御祭神は倉稲魂命。
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 社殿脇の塚には天満宮。そのそばには弘法大師八十八所と刻まれた石塔。
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 関宿城博物館は砂山稲荷神社の北西にあるが、関宿城本丸跡は南西、江戸側寄りにある。

稲荷神社(関宿台町)

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 茨城千葉県道17号結城野田線博物館入口交差点から北西に向かって行くと、大工町新川岸三軒家自治会館の西側に稲荷神社が鎮座している。
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 十九夜塔。
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 水神宮。
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 拝殿。
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 本殿。
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 お狐様。

浅間神社(板倉町板倉)

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 国道354号線と群馬県道367号線の交差する稲荷木交差点の南側、藤の木橋のそばに鎮座する浅間神社
 石祠の側面には「大正八年五月吉日 篠原鉄五郎建之」と刻まれている。
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『此之地より東の方百メートル地点に祭られていた浅間神社が堤防工事のため此之地に移転。
 祭礼日・初山祭礼 旧五月三十日夜~六月一日
 平成元年三月一日建立』
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 以上で5月19日参拝分終了。
 使用機材はK-7にDA15mm、DA21mm、DA35mm Macro、FA50mm。K10Dに50-150mm II。COOLPIX P7100。

香取神社(茶屋新田)

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 茨木県道228号線沿いに鎮座する香取神社(古河市茶屋新田246)。
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『香取神社建立について
 此の地、茶屋新田。「氏神」。香取神社。その創建は大層古い。しかし近年老朽化著しく、建て替えの必要に迫られ、氏子の皆様と協議の結果、香取神社再建「新築」の道が開かれました。旧香取神社取り壊しの時、今日まで建立不詳であった建立の年が、本殿屋根脇に飾り付けてあった懸魚、その裏側に墨痕鮮やかに書かれて居た。「宝永元年」と云う文字で立証され、之が香取神社創建の年と思われる。時代を遡ること弐百八拾五年余と言う。茶屋新田先賢達の残された遺徳が偲ばれる。その後、何回かの修復を経て氏子の守護神として鎮座して参りました。そして平成元年拾弐月拾日新築落成式が挙行され香取神社の歴史が増し未来の世代への橋渡しが出来ました。この間氏子の皆様の暖い御支援、そして幾多の人々の献身的な御努力と尊い奉賛金により香取神社が建立された事実を記し、建立に尽力された方々に深甚なる感謝の意を表すと共に、将来この地に於いて郷土を愛する者が互に助け合い、時移り世が変わっても良き風土良き伝統を踏まい共存共栄の灯を燈す事を願いながらこの記念碑を建立するものである。
 平成弐年七月吉日』
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 拝殿。
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 狛犬。
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 奥の祠は三峯神社。
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稲荷神社(砂井新田)

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 二幸総和工場の東側に鎮座する稲荷神社
 東側に砂井新田ちびっこ広場があるので、そこの駐車場に駐車。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
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 お狐様。
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 末社。

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 砂井新田ちびっこ広場西側の丁字路脇の御堂。扁額には美帰堂と書かれている。

香取神社(上砂井)

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 上砂井公民館の隣に鎮座する香取神社(古河市上砂井259)。
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 拝殿。
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 本殿と幣殿。
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 左から雷電宮、八坂社、稲荷社。

香取神社(大山)

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 古河市中田集会所から東へ向かい、東北新幹線高架橋をくぐると香取神社(古河市大山1061)。
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 拝殿。
 石灯籠は平成二十三年(2011)七月に再建されたもので、背面には「平成二十三年三月十一日 東日本大震災により崩壊」と刻まれている。
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 本殿。
 扉が三つ見えるのだが、三柱の神を合祀しているのだろうか。
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 末社殿と神輿殿。
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 末社殿左から……なにコレ。
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 お公家様のような木像は菅原道真公だろうか。
 そして雷電大神・浅間大神。
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 左は天満大…なんだろう。一番下は査のようにも見えるけど、ちょっとわからない。天満大自在なのかな。右側面に八幡大神、左側面に天???。背面には天保十四年戼九月吉日とあるので1843年のもの。
 右は愛宕山。

 ※2013/12/02追記
『旧村社で、経津主神のほかに、八幡神社の祭神である誉田別命と稲荷神社の祭神の保食命を合祀している。社伝によると、承平三年(933)に平将門の三男が、社殿を再建したという。その後、再三にわたる水害で社殿が破損したが、相馬氏が修理、安永三年(1774)には名主のの秋庭惣右衛門らが社殿を改築したが、文化四年(1807)に火災のため焼失、このとき古文書類も一切失ったという。現在の本殿は間口二間、奥行一・五間である。
 境内社としては八坂、浅間、雷、天満、琴平、疱瘡、愛宕、白山などがあり、それぞれ信仰されてきた』(「古河市史」より抜粋)

白山神社(中田)

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 中田地区で二つ目の白山神社(古河市中田根瓦1101)。神社合祀令による統廃合を受けなかったのか、或いはそれ以後に建立されたものなのだろうか。
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 狛犬。
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 稲荷神社。

白山神社(中田)

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 古河市中田集会所のやや北に鎮座する白山神社(古河市中田237)。
 ここと次に参拝した白山神社はどちらも駐車スペースが無いので、車は古河市中田集会所に置かせてもらい、そこから徒歩で。初めはこちらの前に鶴峯八幡宮を参拝する予定だったのだが、鶴峯八幡宮に到着してさて、と思ったところで数十人からの団体さんも到着し、境内で昼食をとり始めたので今回は鶴峯八幡宮はパスすることに。
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 拝殿。
 石燈籠には安政二乙戼四月とあるので1855年のものだが、こちらの神社の由緒は不明。
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 狛犬。
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 稲荷神社。
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 どことなくコミカルな狛犬。
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 祠の中には一対の狐が浮彫りにされた石祠が納められている。
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 境内社。
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 何神社なのかは不明。右の小さな石祠は水神宮。
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 猿田彦大神。
 昭和五十五年(1980)七月吉日と刻まれているが、手前の注連柱には昭和三年(1928)十一月と刻まれている。

香取神社(中田新田)

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 古河市浄化センターの600m程南に位置する向原古墳の墳頂に鎮座する香取神社(古河市中田新田200)。
 駐車場は無いが、古墳西側の道端にかろうじて退避できるスペースがあるのでそこに駐車。
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 二の鳥居。
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 拝殿正面。
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 境内社。
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 境内社。
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 猿田彦大神と青面金剛。
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 不動尊・水神宮・録事尊。
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 社殿西側から。

 ※2013/12/02追記
『祭神は経津主神で、明治四年(1871)四月十一日村社になったが、その沿革は不詳である。本殿は南向きで流造瓦葺間口三間奥行二間で六坪になっている』(「古河市史」より抜粋)

愛宕香取神社(坂間)

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 いちの湯のすぐ南に鎮座する愛宕香取神社(古河市坂間72)。
 地図には愛宕神社と記載されているが、額には愛宕大権現・香取大神宮と並んで刻まれている。
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 拝殿。
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 左から愛宕社香取社合祀紀念碑、石燈籠、稲荷社(寛保元年(1741)辛酉九月)、稲荷社、八幡宮(寛保元年辛酉九月)、??大権現、石燈籠。

 ※2013/12/02追記
『かつては香取神社が坂間地区の鎮守であった。愛宕神社は天保八年(1837)九月二十八日に、内田康五郎氏の先祖が京都の愛宕神社を火伏せの神として勧請したものであったが、後に焼失、文久元年(1861)十一月十八日に再建された。その後、昭和十二年(1937)に、この二社が合祀され、香取神社を現在地に移転したもので、現在の姿になったのは比較的新しいことになる』(「古河市史」より抜粋)

青神覚龍王(鳥喰)

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 鳥喰の香取神社の南東、畑の中と言うか道路際と言うか、そんな所に祠が見えたので立ち寄ってみた。
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 東から。
 階段があるので参拝しよう。
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 祠には名を記したものが無いので何神社なのかは不明。ただ、塚が築かれ、その頂にあることから浅間神社なのではないかなとも思うのだが、確証は無い。
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 なので、エントリー名はこちらに刻まれた靑神覺龍王を採用。しかし、聞き覚えの無い名前だ。

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 そしてもう一社。位置的にはこちらの方が香取神社に近い。
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 神社名は不明。隣の石祠も一番下の「神」以外の文字が崩れ落ちてしまっている為手がかり無し。

香取神社(鳥喰)

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 新久田の香取神社から南東へ下って行くと、鳥喰公民館脇に香取神社(古河市鳥喰546)が鎮座している。
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 鳥居の前に宝篋印塔と青面金剛。
 宝篋印塔の四面にはそれぞれの方位を示す四方梵字が刻まれているのだが、本来西を示す面が南を向き、南を示す面が東を向き…と言うようにずれてしまっている。
『(南向面)經曰若有有?能於此塔種植善根必定於阿
      耨多羅三藐三菩提不退轉乃至若有應?阿
      鼻地獄者若於此塔一禮拜一圍遖必得解脱
 (西向面)又曰或見塔形或?鐸聲或聞其名或當其影
      罪障悉滅所求如意塔及??所在之處一切
      如來神力所護其處不爲?風雷電霹靂所害
 (東向面)因斯善利我及衆生罪障頊滅佛杲早圓
 (北向面)下総國葛飾郡鳥喰村中 寚磿六年龍集丙子冬十一月日』

 寚磿は宝暦なので、宝暦六年ということは1756年だ。なお、?としたところもきちんと文字の形が残っているのだが、おそらくは異体字であるのだろう、IMEパッドで入力しても出て来ない。また、青面金剛の方はよく読めないが、享保二年(1717)か三年であるようだ。
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 宝篋印塔に刻まれた四方梵字。
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 参道。
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 参道途中に石祠があるが、何神社なのかは不明。
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 拝殿。
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 拝殿脇に末社。
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 石祠には「不動?・水神?・?ロコ?」と刻まれており、不動と水神はわかるが三つ目がさっぱりわからない。が、中田新田の香取神社にも同じものがあったので、「不動尊・水神宮・録事尊」であることが判明。
 木祠の方は稲荷神社であるようだ。
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 すぐそばに御堂もあるが、何堂なのかは不明。
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 十九夜念仏供養塔と普門品供養塔、秩父西国坂東供養塔。少し離れたところに馬頭観世音。
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 ※2013/12/02追記
『社伝によると、正徳年間(1711~16)に香取神宮の神霊を勧請して創建したもので、そのときに山形県から湯殿神社も勧請したといわれているが、これは現在境内社となっている。旧村社で、本殿は南向き神明造瓦葺方一間一坪の建物である』(「古河市史」より抜粋)
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