吉野神社(吉野)

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 吉野集会所の隣に鎮座する吉野神社(幸手市吉野250)。
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『吉野神社と姥神様
 幸手市吉野二五○
 天文二十三年(1554)に幸手を治めていた一色氏は、北条一族と戦って敗れました。当時の城主一色直為の奥方吉野の前と、乳母の安の戸はこの戦いで亡くなり、その後この地方の子供に悪病がはやったため吉野の前を吉野神社に、安の戸を姥神様として祠ったところ、病気がおさまったと伝えられています。そのことから病気の子を持つ親や、乳の出ない親の信仰を集めました。
 吉野・安戸という地名もここからおこったとされています』
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 拝殿と狛犬。
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 拝殿正面には天満宮と卯之宮大明神・蕎麦嶽大明神の額が掛けられているが、卯之宮大明神は吉備津彦命であるとして、蕎麦嶽大明神って誰? 
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 末社群。
 宇賀神や若宮八幡の文字も見えるが、殆どは不明。

 以上で9月15日参拝分終了。
 使用機材はK-7にDA15mm、DA21mm、DA35mm Macro、FA50mm、DA70mm。
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香取神社(平須賀二丁目)

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 真言宗豊山派宝聖寺の北隣に鎮座する香取神社(幸手市平須賀2-452)。
 香取神社の脇に平須賀中株集落農業センターがあるので、そちらが駐車スペースになる。
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 鳥居。
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 狛犬。
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 拝殿。

香取神社(戸島)

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 戸島交差点から県道318号線を西へ向かうと道端にコイン精米所があるので、そこを北へ入るとすぐに香取神社(幸手市戸島1-57)が見えて来る。
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 天満宮。
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 稲荷神社。
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 拝殿。

 地図を見ると、こちらの香取神社のすぐ東側に乳母神社と言う神社があるのだが、行ってみたらどう見ても民家の敷地内なので参拝は断念。また、ここから北西に向かった所に吉野神社があり、そちらには北条氏との戦いで亡くなった一色直為の奥方を吉野神社に祀り、共に亡くなった乳母を姥神様として祀ったとも書かれているので、この姥神様を祀った神社が乳母神社なのではないだろうかと推測。

香取神社(戸島)

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 埼玉県道318号並塚幸手線と県道26号境杉戸線の交差する戸島交差点の北東、中原集会所の北側に鎮座する香取神社(幸手市戸島524)。
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 なんだろう、これ。
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 稲荷神社。
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 菅靈碑…かな。菅原道真公を祀っているのだろうか。
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 拝殿。

八幡神社(杉戸町遠野)

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 埼玉県道26号境杉戸線脇に鎮座する八幡神社(北葛飾郡杉戸町遠野337)。
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『八幡神社
 祭神 譽田別命、経津主命
 祭儀 祈年祭 二月十五日
    秋 祭 九月十五日
 当社の創建年代は明らかではないが、戦国時代には既に遠野の村落は形成されていたところから、この頃と思われる。
 通称「八幡様」であるが、八幡神社と香取神社の合殿であり「新編武蔵風土記稿」には、「八幡香取合社」とある。江戸時代には内国府間の正福寺が管理していた。明治六年(1873)村社となった。大正六年(1917)九月に八幡神社と改称された。境内社に天満神社がある。
 秋祭りの前日は「宵宮」と呼ばれ、境内と参道にはたくさんの灯籠がたてられる』
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 拝殿。
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 愛宕神社、天満宮、稲荷宮、辯才天・稲荷大明神。

香取神社(杉戸町本島)

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 真言宗豊山派大黒院の南側に鎮座する香取神社(北葛飾郡杉戸町本島683-1)。
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 富士塚。
 頂には富士嶽神社。
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 天満宮、金毘羅大権現、不明。
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 狛犬。
 台座には明治二十八年(1895)八月の文字が刻まれている。
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 拝殿。
 左の石燈籠は延享三丙寅年十二月(1747)、右の石燈籠は享保十三戊申年(1728)十一月。
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八幡香取神社(杉戸町佐左ヱ門)

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 佐左衛門集会所の傍に鎮座する八幡香取神社(北葛飾郡杉戸町佐左ヱ門1466)。
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『八幡香取神社
 祭神 譽田別命、経津主命、若宇迦比売命
 祭儀 例祭 七月十九日・九月九日
 創建は、寛永十二年(1635)松田佐左衛門信光が譽田別命を祀り、八幡神社と称したという。明治六年(1873)に村社となり、同三十八年(1905)七月に香取神社並びに八幡神社を合祀した。同四十三年(1910)三月別に香取神社を合祀して、社名を八幡香取神社と改称した。明治四十四年(1911)八月神饌幣帛料供進神社に指定された。
 境内には、本殿、幣殿、拝殿並びに社務所がある。参道には、鳥居二基、手水石狛犬もあり築山には六社が祀られている』
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 拝殿。
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 狛犬。
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 天満宮。
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 稲荷神社。
 その左には笠間稲荷神社・農稲荷神社。
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 社務所新築記念碑と猿田彦大神。
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 富士塚。
 頂には富士大神。中腹には浅間太神、石尊大権現、小御嶽神社などが見える。

鹿島神社(杉戸町広戸沼)

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 広戸沼集会所の200m程南に鎮座する鹿島神社(北葛飾郡杉戸町広戸沼98)。
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『鹿島神社
 祭神 武甕槌命
 祭儀 祈年祭 一月二十六日
    例祭  十月二十六日
 当社は寛永十二年(1643)の創立と伝えられている。江戸時代の初期、新田開発が進められ、耕地の安泰と五穀豊穣を祈願して創建されたものと思われる。
 境内には、稲荷神社(宝暦三年・1753)、富士浅間神社(文化七年・1810)、天満神社(同十五年・1818)の三社が分祀されている。
 明治五年(1872)社格制定に際し、村社となった。なお現在の本殿は慶応四年(1868)に造営されたものである』
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 稲荷神社(宝暦三癸酉九月)と天満神社(文化十五寅二月)。
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 拝殿。
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 富士塚。
 頂には浅間大神。
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 浅間大神の脇にも石祠があるが、こちらは名が記されておらず、不明。

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 広戸沼集会所(北葛飾郡杉戸町広戸沼128)の敷地端に鎮座する仙元大菩薩と石尊大権現。

中央神社(杉戸町並塚)

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 並塚集会所の隣に鎮座する中央神社(北葛飾郡杉戸町並塚1063)。
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 鳥居。
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『中央神社
 祭神 若宇迦比売命ほか十柱
 祭儀 十一月二十三日
 並塚村には、江戸時代に稲荷社二社、香取社四社、山王社一社、計七社が祀られており全て村持であった。明治五年(1872)には、字丸田の香取社が村社に列せられた。
 明治四十年(1907)、これらの神社をここ字北浦の稲荷社に合併し、社号を中央神社と改称した。大正二年(1913)、本殿を改築し、拝殿を新築したが、大正十二年(1923)の関東大震災で本殿が半潰する被害を受けた。現在の社殿は、当地出身の上原正吉氏(大正製薬社長、参議院議員)の尽力で昭和五十六年(1981)に改築された。境内にはその旨を刻んだ「中央神社由来記」がある』
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 拝殿。
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『中央神社由来記
北葛飾郡杉戸町大字並塚の中央神社は慶応四年(1868)六月二十五日稲荷神社の境内に香取神社の社殿を建て明治五年(1872)四月村社に列せられたのが始まりで明治四十年(1907)二月五日並塚地内の小字丸田、北浦、南浦、南前、沼田、土浮各地の村社、無格社八社と境内神社十社、計十八社を合祀し社殿を改築して、中央神社と改称。祭神に若宇迦比売命を配神に大山咋命外四柱を祀って並塚の氏神となった。昭和二十二年(1947)九月十五日カスリン台風で利根川の堤防が決潰して付近一帯が水没した際も水難を免れ、農耕馬の避難場となった。昭和二十五年(1950)同地出身の当時大正製薬株式会社社長上原正吉が参議院議員に立候補した際部落の方々が集って必勝祈願を行って当選。以来選挙の度ごとに祈願して連続五期当選、三十年間にわたって参議院議員として国政に参画し、その間国務大臣科学技術庁長官をはじめ数々の要職に就き、永年勤続議員として国会から表彰を受け、昭和四十三年(1968)には勲一等瑞宝章を、昭和五十年(1975)には勲一等旭日大綬章の光栄に浴した霊験あらたかな神社であるが、合祀以来七十余年風雪に晒されて朽ち果てていたのを見た上原正吉は、幼少の頃からの心の古里である氏神様がこの状態で放置されていてはならないと思い、小枝夫人と図って郷土の繁栄を願い、私財を投じて鹿島建設の施工で社殿を再建し、祭壇一式、外柵、水屋を造り、岩城造園施工の庭園も献納した。さらに大正製薬株式会社社長上原昭二、ちゑ夫妻が狛犬一対を孫夫妻の同社副社長上原明、正子が石燈籠一対を献納。また氏子総参加によって花崗岩の鳥居を再建し、神域内の整備が行なわれたものである。
上原正吉は波塚久野 糸屋という屋号の家の出身である。
 昭和五十六年十一月吉日』
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 上原正吉先生顕彰の碑。
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 末社群。
 大黒天と天満宮など。
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 末社群。
 大黒天、稲荷大明神、厳神社、天満宮など。
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 延命地蔵堂。
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『延命地蔵(ずらっぽうさま)
 所在地 杉戸町大字並塚一一○二
 昔、この並塚の地には、毎年夏になると悪い疫病がはやり、病にたおれ亡くなる者があとを絶たなかったと言う。村人たちは、一日も早く疫病が治まるよう神仏に祈っていたが、広まる一方で、手の施しようがなかったと言う。
 そんなある日、松の杖を突き、墨染めの衣を身につけた「すらっぽうさま」と呼ばれる老僧がこの地を訪れ、疫病で困り抜いている村のようすを見て、病気で苦しんでいる家を一軒一軒拝んで廻ったと言う。しかし、疫病はいっこうに衰えなかったため、ずらっぽうさまは生きたまま自分の体を仏にささげる「いけにえ」になる覚悟をきめ、七日分の食料と鐘を持って穴の中へ入り、念仏を唱えた。七日目の晩、地下から響いていた念仏と鐘の音は絶えてしまった。すると今まではやっていた疫病はおさまり、村人は元気になったと言う。
 以上が、ずらっぽうさまの伝説であるが、今でもずらっぽうさまの命日である八月二十四日には、供養が行われている。
 昭和六十一年三月』

荒神社(杉戸町並塚)

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 上才羽香取神社から北西に向かって行くと、神扇落悪水路の川縁に荒神社(北葛飾郡杉戸町並塚1529)が鎮座している。
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香取神社(杉戸町並塚)

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 上才羽自治会館の隣に鎮座する香取神社(北葛飾郡杉戸町並塚1383)。
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『鳥居改築記念碑
 当香取神社は、江戸中期の頃、上才羽上・下組氏子相集い、この地に創建され、爾来三百星霜、その間、幾多の天災地変に遭うも、厳としてその尊姿を止め来たる。
 偶々明治四十年(1907)一月、神社統合の令により、当社は村社中央神社と改称、他社と共に合祀さる。因って以後、その分身を守護神として崇敬し、現在に至る。
 今回、既設木造鳥居の腐朽著しく、氏子一同の総意により、御影石にて改築し、以て永久存続をと祈り上げ、謹んで此に奉納するものである。
 昭和六十三年三月吉日』
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 拝殿。

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 香取神社の北東に位置する杉山対軒遭難之地碑
『建碑之由来
 関宿藩江戸家老杉山對軒通称正臣先生が明治二年(1869)四月二十日午後七時頃三十九才の壮齢を以て凶徒に暗殺されたその地点は正に此の處である。この由緒ある地点も将来長い間には色々の変化の起ることに因って遂には不明になること保し難い乃ち地元の有志これを惧れ建碑を以て永久に保存し先生の徳を末代まで敬慕せんとする念願を以て大方に呼びかけたところ予想外の共鳴を得就中旧関宿藩士終戦宰相鈴木貫太郎氏令弟前靖国神社宮司鈴木孝雄氏は碑面の揮毫を快諾せられ忽にしてこの舉が完成された次第である。
 昭和二十四年十二月』

櫻神社(杉戸町深輪)

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 埼玉県道42号線椿交差点の南側に鎮座する櫻神社(北葛飾郡杉戸町深輪378)。
 左側の建物は神楽殿だろうか。
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『桜神社
 祭神 経津主命ほか七柱
 祭儀 例祭 七月十五日
 当社は明治四十二年(1909)桜井村の大字であった深輪と椿の両地区に鎮座しているすべての神社を合祀し、ここ字前島通(深輪)の稲荷神社境内に創建されたものである。社名は村名にちなんで桜神社と改めた。
 かつては「深輪の天王様」の名で近隣に知られ、多くの参詣者を集めたものであった。神輿や獅子頭は例祭の呼びものであったが、現在は境内に飾られているだけである。
 また境内には嘉永二年(1849)に建立された中国の禹王を線刻した木津内用水記念碑がある』
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 鳥居。
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 拝殿。
 拝殿脇の石燈籠には「天保二卯年六月十三日 深和部氏子中」と刻まれているので、1831年に造立されたもの。
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 拝殿の裏にあるこちらが本殿なのか、或いは境内社であろうか。また、その奥に稲荷神社が見えるが、こちらが案内板に書かれていた、元々ここに鎮座せられていた稲荷神社なのだろう。
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『稲荷神社落成記念碑
当稲荷社は当地豪族関口本家様の氏神であったと古老より言伝えられ明治初期頃当主関口弥五殿より一反有余歩の水田を添えて十五人持とし管理を上、中、下の三組に分けて耕し其の収穫の米にて初午祭に甘酒等を造り會食し氏子の繁栄と五穀豊穣を祈念し今日に至るも社殿も永い歳月風雪に晒らされ為に破損極に達し、氏子一同合議の上再建する運びとなり各位の浄財を仰ぎ旧社に勝るとも劣らぬ立派な社殿が建立され永年の念願茲に達成されたので記念碑を建て後世に傳えるものなり
 昭和五拾六年十二月吉日』
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 鳥居の奥には忠魂碑。
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 木津内用水記念碑。

 ここと椿の雷電神社との中間辺りに神明社があるのだが、神社前の道幅が車一台分しかなく、駐車可能なスペースが無いので今回はパス。

八幡神社(杉戸町屏風)

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 埼玉県道42号松伏春日部関宿線と県道319号惣新田春日部線、県道383号惣新田幸手線が合流する東川交差点の南東に鎮座する八幡神社(北葛飾郡杉戸町屏風115)。
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『八幡神社
 祭神 譽田別命(応神天皇)
 祭儀 例祭 十月十五日
    春祭 三月十五日
 当社は慶安年間(1648~51)に屏風村が成立したころ、村の鎮守として祀られるようになったと思われる。
 明治七年(1874)七月社格制定に際し村社となり、昭和三年(1928)十一月、現在の本殿と拝殿に改築した。境内には、雷電神社が祀られている。
 年間の行事は、初お神酒、春祭り、春の大祭、秋祭りなどがある。特に三月十五日の春祭りは「辻固め」といって、農作物の豊作祈願や悪疫退散を行っている。
 また、結婚式、成人式、七五三、お宮まいり等には多くの参拝者がある』
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 拝殿。
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 神社名は書かれていなかったが、こちらが雷電神社だろうか。
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 末社。
 もたれかかっているのは豊川神社。

雷電神社(杉戸町椿)

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 幸手市惣新田と北葛飾郡杉戸町の境に鎮座する雷電神社
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香取神社(惣新田)

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 東川集会所脇に鎮座する香取神社(幸手市惣新田630)。
 石燈籠には天保九戌年三月吉日とあるので1838年のもの。こちらの神社の由緒は不明だが、1838年より以前からはあるのだろう。
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 拝殿。

香取神社(惣新田)

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 浄土宗能満寺の南側に鎮座する香取神社(幸手市惣新田356-1)。
 中の石祠には雷電大権現・香取大明神・稲荷大明神と刻まれていたので、その三柱が合祀されているようだ。
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 香取神社の前には塚があるのだが……、
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 なんて読むんだ、これ。
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 東から。

香取神社(惣新田)

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 一ツ谷集落農業センター脇に鎮座する香取神社(幸手市惣新田425)。
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 拝殿。
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 末社。
 中央の天満宮(天保七丙申(1836)正月)以外は不明。

香取神社(長間)

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 中川に架かる天神橋の北西、本田集会所の隣に鎮座する香取神社
 注連柱の側面には「明治三十六年四月吉日」「北葛飾郡八代郷大字長間本田組」と刻まれている。
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 拝殿。
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 稲荷神社。

香取神社(惣新田)

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 新国道4号春日部古河バイパスと埼玉県道383号惣新田幸手線の交差する芝原交差点の西側、下澤集会所の隣に鎮座する香取神社(幸手市惣新田1074-1)。
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『下沢目木の香取神社
 幸手市惣新田一○七四-一
 昭和四十二年(1967)、当地区内にあった香取神社二社と稲荷神社が合祀され現在の香取神社となりました。祭神は経津主命(香取様)と保食命(稲荷様)です。
 鳥居の右柱には「文化九壬申(1812)二月吉日」、左柱には願主として「肥州宇土藩(現、熊本県)臣岡本拾右衛門隆穀妻もん」、「武州岡部藩(現、埼玉県)臣渡邊治右門重章母やそ」と刻まれています。遠いこの地に二人の女性が何を祈願したのか、今となってはそれすらも定かではありません』
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 拝殿。
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 拝殿前面の壁に力士像。
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『獅子の由来
 下澤の獅子は当地出身永田利平氏から厄病退散の守護神として寄進された。
 もとより永田氏宅地内に祀られていたが社殿改築を機として平成四年十月十九日香取社内に合祀されたものである。
 平成六年二月』
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 御嶽山・八海山・三笠山、國常立尊・国狭槌尊・豊斟渟尊、稲荷大明神。
 稲荷大明神は寛政九年(1797)造立。その少し下にある石燈籠には「宝暦八戊寅五月吉日 稲荷大明神」と刻まれている。宝暦八年は1758年なので、稲荷の石祠は1797年に再建されたものなのだろう。

戸隠大明神(惣新田)

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 香取神社の南東、県道42号線に面して鎮座する戸隠大明神
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 左から富士浅間宮、戸隠大明神、天満宮。
 天満宮は安政四丁巳年(1857)八月造立。
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香取神社(惣新田)

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 正福院の南東に鎮座する香取神社(幸手市惣新田1418)。
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 拝殿。
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 稲荷大明神×2。
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 秋葉大権現。

戸隠神社(惣新田)

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 北杉山集会所の隣に鎮座する戸隠神社(幸手市惣新田1622)。
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 青面金剛と……なんだろう。馬頭観音かな。右端は國常立尊・国狭槌尊・豊斟渟尊。
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 富士塚かなと思ったのだが、頂にあるのはどうやら猿田彦大神であるようだ。麓には辨財天があり、頂より一段下がったところにある石塔は不明。
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 拝殿。
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 庚申塔群。
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 稲荷大明神と青面金剛。
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 末社。
 左は不明。右は稲荷大明神。

細野神社(細野)

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 鹿島神社から少し西へ向かうと、県道42号線の手前に細野神社が鎮座している。
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 拝殿兼社務所と言ったところだろうか。
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 大師堂。
 その手前には左から庚申塔、十九夜塔、十九夜塔、大祖参神、稲荷大明神。
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 本殿。

鹿島神社(槙野地)

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 子の権現社から南西に向かうと、用水路のそばに鹿島神社が鎮座している。
 幸手市内で鹿島神社は珍しいような気がするが、観音院脇の香取神社も武甕槌命が合祀されていたし、長間の香取神社のそばにも鹿島神社があるから、この辺りでは香取と鹿島をセットで祀る傾向があるのかな。
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 明和二乙酉(1765)二月造立の稲荷神社。

子の権現社(槙野地)

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 槙野地集会所の南側に鎮座する子の権現社(幸手市槙野地707)。
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『子の権現社
 幸手市槙野地七○七
 子の聖を祠っており、足腰の病気や婦人病がなおるように祈願する人が多い神社で、参詣する人々は、わらじ・釜敷き・女性の髪の毛などを奉納していきます。
 境内の奥には周辺の道端にあった石塔が集められ、「下総国葛飾郡槙野地邨」と刻んだ庚申塔や、関宿・宝珠花や六萬河岸の渡し場への道しるべもあります。
 この一帯は下総台地の縁辺部にあたり、縄文時代から人々が住んでいたと考えられ、字井堀を中心としていくつかの遺跡が確認されています』
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 庚申塔に辨財天、青面金剛など。
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 青面金剛。
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六軒稲荷神社(惣新田)

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 九郎衛門香取神社前から県道42号線を南下して行くと、六軒集会所の北側傍に稲荷神社(幸手市惣新田2637-2)が鎮座している。
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 庚申塔と青面金剛。
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 延享三丙寅年(1746)八月造立の青面金剛。
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 仙元大菩薩と刻まれているので、小さいながらも富士塚なのだろう。
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 鳥居。
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 道祖神。
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 拝殿。
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『稲荷神社御由緒
 六軒は惣新田の東端に位置する新田開発の地で其の地名は當時の戸数が六軒であったことに由来する。
 当稲荷神社は之等の人々によって勧請創建されたが詳しい経緯については定かでない。
 御祭神は宇迦之御魂大神又の名を保食神・御食津神とも申し上げ五穀豊穣・商売繁昌の神として深い信仰を集めている。因みに全稲荷神社の御本社は伏見の稲荷大社である』
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 天満宮。
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 末社。

香取神社(惣新田)

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 埼玉県道42号松伏春日部関宿線三田交差点から南下して行くと、九郎衛門集会所の隣に香取神社(幸手市惣新田2780-3)が鎮座している。
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 拝殿。
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 稲荷神社。
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 六地蔵や庚申塔、青面金剛など。
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 青面金剛。
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香取神社(長間)

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 先程の香取神社から南へ向かうと、またすぐに香取神社(幸手市長間187)が見えてくる。
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 鳥居の横に庚申塔群。
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 参道右側に天神宮。
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 石燈籠手前と奥に末社があるが、手前のものは不明。奥のものは蛭子宮。
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 拝殿。
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 拝殿の左側に稲荷神社。

 以上で9月8日参拝分終了。
 使用機材はK-7にDA15mmとDA21mm、FA28mm、FA43mm、FA77mm。Coolpix P7100。
 このエントリーを書いている日にPENTAX K-5IIとK-5IIsが発表されたわけだけど……悩むわぁ。碑文とか石仏とかを撮影するにはローパスレスであるIIsの方がきっちり写してくれそうなのだが、普段の使用なども考えるとモアレの出難いIIの方が無難か。ま、どうせまたLimited Silverとか出るだろうし、それまで悩みながら待つとしようかな。

香取神社(長間)

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 長間集会所の南西に鎮座する香取神社(幸手市長間406)。
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 狛犬。
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 拝殿。
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 境内社。
 何神社なのかは不明だが、板倉雷電神社の神札が貼られているので、もしかしたら雷電神社なのかも知れない。
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 天満宮と石祠二基。
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 西から。

浄誓寺(神明内)

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 浄土真宗東本願寺派通光山浄誓寺(幸手市神明内1469)。
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『浄誓寺と将門の首塚
 幸手市神明内一四六九
 通光山浄誓寺と称し、浄土真宗の寺で、本尊は阿彌陀如来です。
 境内に高さ三m程の塚があり、頂に風化した五輪塔が立っています。ここに、天慶三年(940)の天慶の乱で、平貞盛・藤原秀郷等の連合軍と幸手で最後の一戦を交え、討ち死にした平将門の首が埋められたと伝えられており、市指定史跡となっています。
 付近にも、将門の血が赤く木を染めたことからつけられた、赤木という地名もあり、将門に関するいわれが多く残っています』

 この血の付いた木は何日経っても血の赤が褪せず、そればかりか衣冠束帯を纏った人が夜な夜な現れては付近を徘徊したことから、この木を御神体として将門公を祀り、赤木明神と称したと言う伝説も残っているそうなのだが、その木がどこにあるのかは不明。浄誓寺の南側であるらしいのだけど。
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 山門をくぐると左手側に薬師堂。
 この辺りには経津主命(本地仏は薬師如来)を祀る香取神社が多いから、そのへんも関係あるのかな。ところで地図を見てみると、浄誓寺の 西 それぞれに香取神社が鎮座しているのね。
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 本堂。
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 本堂の裏手に回ると首塚がある。
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 幸手市指定史跡である将門公の首塚。昭和五十八年(1983)三月二十四日に指定されたようだ。
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