浅間神社(磯部)

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 国道354号線脇にあるラーメン屋の少し東側に位置する浅間神社(古河市磯部71)。
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 塚の頂に社殿が鎮座している。
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 以上で10月27日参拝分終了。
 使用機材はK-7にDA15mmとDA21mm、DA35mm Macro、50-150mm II。Coolpix P7100。
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香取大神宮(女沼)

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 県道250号線と東北新幹線高架橋の立体交差するポイントのやや北東に鎮座する香取大神宮(古河市女沼1668)。
 こちらもまた鳥居の額に八幡宮と香取大神宮の名が刻まれている。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
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 狛犬。
 台座には「二人久紀元秋九月之吉」と刻まれているように見えるのだが、これは元久か文久のどちらかかな。元久元年だとすると1204年。文久元年なら1861年。さすがに鎌倉時代はないだろうから、文久の方か。
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 本殿。
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 境内社。
 神社名は記されていないが、左は塚の上にあることから見て浅間神社かな。右は像の台座に梅の木の彫刻が施されているので菅原道真公だろうから、天満宮か。
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 末社殿と獅子奉納庫。
 左から山神社、浅間神社、雷電神社、水神宮、稲荷神社、愛宕神社、神明神社、雷電神社が納められている。
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 古河市無形民俗文化財「女沼のささら(獅子舞)」案内板。
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 左から聖観音菩薩祠、阿弥陀如来祠。右は数珠と中啓を持った僧侶像があり、台座に権大僧都法印雲海不生位と刻まれていたのでお坊さんの位牌みたいなものかな。
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 地蔵菩薩。
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 ずらりと並ぶ石仏。
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稲荷神社(女沼)

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 総和中学校の北西、県道250号古河総和線の脇に鎮座する稲荷神社
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 中には笠間稲荷の神璽が納められていたので、笠間稲荷神社からの分霊なのかも。
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 丸に抱き三つ柊紋とでも言えばいいのか、抱き柊の間にもう一つ柊を追加した形の紋が付いている。

加波山神社(上辺見)

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 香取神社のすぐそば、道端に鎮座する加波山神社
 茨城県桜川市の加波山神社からの分霊かな。とすると御祭神は国常立尊・伊邪那岐尊・伊邪那美尊の三柱か。

香取神社(上辺見)

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 香取神社(古河市上辺見649)。
 額には香取大神宮と八幡大神宮の名が並んで刻まれているので、こちらもその二社が合祀されているのだろう。
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 二の鳥居。
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 三の鳥居。
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 狛犬。
 台座には昭和六年(1931)四月十五日と刻まれている。
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 拝殿。
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 古河市指定有形民俗文化財「伊勢参宮并古市場遊興図絵馬」の案内板。
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 日月浅間大神。
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 三峯神社。その右に四つの石祠があるが、木に阻まれてよく見えない。
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 青面金剛、地蔵菩薩、如意輪観音。そして右側に立ち並ぶ馬頭観音。
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『御神木紀念
天文二十二癸丑年(1553)遷宮紀念移植。地上壹丈余の高さより毫も優劣無く東西に分岐し遥に之を望めば雙樹の競争として天を摩するが如く實に壮觀なりしを惜哉、明治三十五年(1902)暴風の際西方の一幹は吹き折られ昭和七年(1932)十一月十四日東方の一幹又々暴風に吹倒さる。村民相謀て建碑、永遠に傳うるものなり。
一 樹齢三百八十年余
一 周圍目通二丈一尺五寸
一 長さ拾八間一尺』
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 八坂神社。
 その裏にお堂があるが、何堂なのかは不明。
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 地蔵菩薩と不動堂。
 中には中央に不動明王立像が置かれ、その左右に大師像が置かれていた。

香取神社(下辺見)

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 ドラッグストアクリエイトSD古河下辺見店の北側に鎮座する香取神社
 鳥居の柱には「文政十三庚寅年十二月(1831)吉日 願主 長濱清助」「昭和十三年戊寅(1938)九月吉日再建 今泉耕地一同」と刻まれている。
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 拝殿。
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 狛犬。
 台座には「大正八年(1919)一月吉日 長濱勝太郎」と刻まれている。
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 拝殿の中には木祠が二つ並んでいる。
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 万延元年十一月(1860)の庚申塔と慶応元年十二月(1866)の二十三夜塔。そして右端で倒れているのは寛政十二年十一月(1800)の庚申塔。
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 弘化四年十月(1847)の十九夜塔と文化十三年十月(1816)の湯殿山月山羽黒山西国秩父坂東巡礼百箇所供養塔、大正十年三月(1921)の十九夜塔。
 十九夜塔に彫られた仏様は如意輪観音だが、百箇所供養塔に彫られているのは千手観音かな。

八龍神社(西牛谷)

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 ヤマダ電機テックランド古河店の西北西、茨城県古河市西牛谷と栃木県下都賀郡野木町南赤塚の境付近に鎮座する八龍神社
 額には八龍神社と並んで雷電神社の名が記されているので、八龍雷電神社とでも呼ぶべきなのかな。
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 東から。
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 石燈籠には「安永五十甲?二月吉日」と刻まれているように見えるが、日本の歴史上50年以上続いた元号は昭和だけなので安永五十ではないのだろう。安永丑十なら1781年になるけど、それだと甲の部分がおかしくなるのでこれも違うのだろう。二文字目に永が付いて尚且つ20年以上続いた元号は応永と寛永だけだが、しかし応永二十も応永三十も寛永二十もいずれも甲年ではないのでこれまた違うように思える。うーん、わからん。
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 神社向かい側のゴミ収集所脇に広いスペースがあるので、そちらに駐車可能。

香取八幡神社(西牛谷)

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 ジョイフル本田古河店のすぐ南側に鎮座する香取八幡神社(古河市西牛谷373)。
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 鳥居の右側に青面金剛と二十三夜供養塔。
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 旧二の鳥居と現二の鳥居。
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 狛犬と拝殿。
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 社殿東側から。
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 末社殿。
 三社あるが、何神社なのかは記されておらず不明。
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 大日如来。

日月神社(東牛谷)

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 友愛記念病院の北東に鎮座する日月神社(古河市東牛谷915)。
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 二の鳥居。
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 参宮記念碑の立ち並ぶ参道。
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 狛犬。
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 狛犬。
 嘉永元年戊申九月吉日と刻まれているので1848年のものだが、狛犬の下の台座は昭和六十一年(1986)三月に奉納されたもの。と言っても、その台座はこの写真の中に写っていないのだけど。
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 拝殿。
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 斜めから。
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『日月神社由緒沿革
一、祭神   大日靈貴命、月読命
二、境内神社 厳島神社、稲荷神社
三、祭祀   祈念祭 四月六日、献穀祭 十一月十九日、神輿の渡御 旧六月十五日
四、由緒沿革
  天慶の乱鎮定の勅命を奉じた下野国住俵藤太藤原秀郷、諸将と熟議をこらし軍を進め
 ここに本陣を定め錦の御旗をたてて天神地祇をまつって戦勝を祈願したところ、神明の
 お加護をたまわり、遂に平将門誅伐の大任を果たすことができた。
  これを記念し錦の御旗の日月をとって社名として創建した。
  明治になって村社に列格、明治四十年六月厳島神社を合併。
  明治二十七年十二月一日、宗教法人設立。
五、施設   本殿神明造り銅ぶき 五十八年瓦ぶき
       拝殿間口四間、奥行三間
       灯篭、狛犬、手洗
六、境内   二四三,一二坪
 昭和六十二年七月吉日建之』
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 稲荷神社と厳島神社。
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 八臂の辨財天坐像が彫られた石塔。

白山神社(小堤)

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 下宿公民館に隣接して鎮座する白山神社(古河市小堤118)。
 鳥居には平成二十三年十一月吉日と刻まれているので、およそ一年前に建てられたばかりのようだ。拝殿もまだ真新しいし、こちらも去年新築されたばかりなのだろう。
 鳥居の手前には昭和三十七年(1962)十一月に建てられた鳥居建立記念碑があるので、49年前か。神社の由緒などを記した碑は見当たらなかったけれど。
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白山神社(関戸)

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 総和北中学校の南側に鎮座する白山神社(古河市関戸769)。
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 狛犬。
 石燈籠は平成二十二年(2010)九月十二日に神社改築記念兼古河市合併五周年記念として奉納されたようだ。つまり、こちらの神社は二年前に改築されたばかりと言うことか。
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 拝殿右側には境内社。
 左から大師祠、稲荷神社、神輿庫になっている。
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 神社裏の角に猿田彦大神。

白山神社(稲宮)

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 国道125号線上大野小学校入口交差点から南下して行くと、道端に白山神社が鎮座している。
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 本殿。
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 道路に対して背を向けているので、地図で位置を確認していなかったら気付かなかったかも。

三社神社(上大野)

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 国道125号線上大野交差点から少し東へ向かった所に鎮座する三社神社(古河市上大野836)。
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 二の鳥居。
 一の鳥居もそうだったが、額には正一位三社大明神と彫られている。こちらを香取神社として登録しているマップサイトもあるので、三社のうちの一社は香取神社なのだろう。この近辺の香取神社は八幡神社と合祀しているものが多いので、残りの二社のうちの一社は八幡社かな? あとこの近辺で多い神社と言うと白山神社なのだが、どうなのだろう。
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 参道。
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『三社神社は古来当地の鎮守様として、氏子の心のよりどころとなり存在してきたが、幾星霜をかさねるうちに、施設の一部に老朽化が進み、修復をとの声があった。
 折しも、平成十二年(2000)十一月、国道改良事業が決定し、これに伴い、境内敷地、立木、幟旗掲揚塔が道路拡張の対象となり、その売却、移動が必要となった。
 この機に、修復、改築の話が具体化し、蔵の改築、合社の修復及びこれらを納める建物の改築、手水舎の改築、幟旗掲揚ポールの新設、駐車場の新設の各工事をおこなった。
 これらの工事にかかった経費(一,三三四萬円)には、道路拡張に伴う保証金(八八五萬円)と農業排水処理用地売渡金の一部を充てた。
 この度、これら工事の完成にあたり、茲に記念の碑を設立する。
 平成十三年十二月吉日』
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 拝殿。
 狛犬前の左側の石燈籠には弘化五年申二月十九日と刻まれているので1848年のものだ。こちらの神社の創建時期は少なくともそれ以前になるのだろう。ちなみに右側の石燈籠は明治三十一年(1898)戊戌大陰九月のもの。
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 昭和八年(1933)十一月に伊勢参宮を記念して奉納された狛犬。
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 狛犬。
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 天満宮。
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 合社殿。
 左から八龍神社、稲荷神社、浅間神社、八幡神社、大日神社、愛宕神社。
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 本殿裏に蔵。
 三つ引き両紋が付いているが、三浦氏に縁があるのかな? ここから東に向かうと東諸川に三浦氏の陣屋跡があるそうだから、縁が無いと言うことも無いのかも。

山王神社(小堤)

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 小堤交差点から国道125号線を少し東へ向かうと、真言宗豊山派円満寺と総和小堤郵便局の中間にあるたつみ庵と言う蕎麦屋の西隣に山王神社が鎮座している。
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 拝殿。
 窓硝子や鬼瓦に梶の葉紋が見える。

香取八幡神社(小堤)

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 国道125号線と茨城県道190号境間々田線の交差する小堤交差点から北上して行くと、やがて左手側に香取八幡神社(古河市小堤1175)が見えてくる。
 鳥居の額には小堤神社と彫られているので、以前はそう称していたのだろう。
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 二の鳥居。
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 拝殿正面。
「正一位小堤八幡宮 正一位香取大明神」と彫られた額が掛けられている。
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 狛犬。
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 大正十年(1921)九月、皇太子裕仁親王殿下(後の昭和天皇)の御渡欧を記念して奉納された狛犬。
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『平成十九年(2007)、天高く豊穣に恵まれた秋季祭に、社殿一新の大事業がここに落慶をみる。
 この香取八幡社は数百年前からこの地に鎮座し、五穀豊穣、無病息災、家内安全、来福開運と御神徳崇高にして、永年の風雪に耐え万民を潤しておられましたが、老朽化が著しく社殿を拝するに忍びず、長年の懸案となっていた改築との念で全氏子に幾度か諮り、敬神の念、篤き総意に英知を募り約一年の工期を費やして完成した。
 氏子はもとより多くの篤志者より尊い浄財の奉賛を賜り、その貢献度は誠に大きいものであります。よって左記の通り一新するに至った。
 この鎮守様は香取大明神、八幡宮の二社を主祭神として、合社殿に菅原神社二社、稲荷神社二社、浅間神社、鷲神社、豊受大明神、熊野神社が祀られております。香取大明神は経津主命を主祭神として比売神、天児屋根命等を合祀した神で、本宗は千葉県香取市に鎮まります。香取大明神は鹿島神宮の主祭神と天照大神の命を受けてこの国土を平定した神様であります。伝承によれば神武天皇十八年(BCE643)の創建である。八幡宮は西暦269~310年までの第十五代応神天皇を主座として神功皇后と比売神の二神を配祀する例で、本宗は九州大分宇佐の宇佐神宮である。これを第五十六代清和天皇時代の貞観二年(859)に本宮の宇佐から、山城南部の男山に勧請された。これが石清水八幡宮である。
 それから何年の後にこの地に勧請されたか詳らかではないが、昭和二十三年(1948)十月八日に記された由緒書きがある。それによると第百十四代中御門天皇時代の享保十八年(1733)に改築したと記されているから、これよりかなり以前に鎮座していたことになる。この年十月二十五日付けで両社は正一位を授かっている。その後、第百十九代光格天皇の時代寛政三年(1791)改築したとある。更に明治二十七年(1895)本殿、拝殿を改築したと記されている。昭和二十三年には茅葺き拝殿を瓦屋根に改修している。
 そしてこの度平成十九年に幣殿、拝殿、向殿を改築、合社殿を移設し間口三間から四間に増改築、御手洗、厠に至る迄新築、石倉の屋根を修復、本殿の床、外壁をはり替え、参道及び上り口をコンクリート舗装した。以上の工事を一同一心にして神徳を拝し誠心誠意努力した結晶が心の糧として一新され、慶賀の至りであります。よってこの地の平安と繁栄を祈念するものでありここに記念碑を建立する。
 平成二十年十一月吉日』
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 合社殿。
 左から菅原神社、菅原神社、鷲神社、浅間神社、稲荷神社、熊野神社、豊受大神、稲荷神社。
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 社殿東から。

稲荷神社(南町)

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 白銀稲荷神社から少し西へ歩くと、コーポMINAMIA(古河市南町2-11)の裏に稲荷神社が鎮座している。
 右奥に見える鳥居が白銀稲荷神社の鳥居。
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 祠とお狐さま。
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 馬頭観世音。
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 東側から。

 以上で10月20日参拝分終了。
 使用機材はK-7にDA15mmとDA21mm、DA40mm、DA70mm。Coolpix P7100。

尾鍋稲荷神社(下山町)

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 白銀稲荷神社のすぐ隣に鎮座する尾鍋稲荷神社(古河市下山町15)。
 白銀稲荷神社と纏めるべきかとも思ったが、一応地区が違うので別のエントリーで。
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 拝殿正面。
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 お狐さま。

 ※2013/12/02追記
『下山三丁目に白銀稲荷神社と相並んで存在している。そして、尾鍋神社は白銀稲荷神社から分霊をわけてもらった稲荷神社で、両社は夫婦の関係にあるといわれている。当神社は下山三丁目の町内鎮守で、町内会がその管理にあたっている。神体は幣束で、祭礼は旧二月初午と十一月十八日である。昔は非常なにぎわいをみせたが、現在はさほどではない。
 なお、尾鍋神社は学問の神、病気全快の神としての信仰を受けている。また、尾鍋神社を信仰すると、家が栄えるという。ここの神の使いは白ギツネで、昔、それを見て犬だと思って追いはらい、病気になってしまった人があった。そこで祈祷師をたのんで祈ってもらったところ、キツネが神社を修理してくれたお礼に来たのに、追い払われたので罰を与えたということであった。そこで豆腐をあげたところ全快したという。これは大正の頃の話として伝わっている。現在は石造鳥居と木造鳥居があり、稲荷の石像には「明治二十八年下山東洋会」の銘がある』(「古河市史」より抜粋)

白銀稲荷神社(下山町)

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 古河赤十字病院から少し北西に向かった位置に鎮座する白銀稲荷神社(古河市下山町16)。
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 お狐さま。
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 末社。
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 本殿。
 石造の額には白銀宮と彫られている。
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 斜め下から。
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 鳥居の向い側に猿田彦大神。
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 道を挟んで右手側に尾鍋稲荷神社。

 ※2013/12/02追記
『下山三丁目にある斎藤家の稲荷神社で、正一位白銀稲荷大明神といい、神体の入っている箱には「奉安鎮 文久二年四月吉辰 城州紀伊郡 稲荷本宮 中津瀬陸奥守」とある。祭日は旧二月の初午の日と、十一月十九日で、土井家の藩士であった斎藤本家の個人所有の稲荷神社である。なお本殿などを修理したことを示す「昭和五十二年十一月吉日修復 斎藤一族」の石碑をはじめ、「文久二年壬戌二月吉日」の銘のある狐石塔一対、「昭和十四年十一月吉日 斎藤幸三郎 川鍋長太郎 木村巳之助 印出周作 長沢留吉 高野久太郎 早乙女藤太郎 粕田精一 小倉友四郎 清水喜七 川島平六 印出栄作」の銘のある御手洗石や石造鳥居もある。
 祭礼に、斎藤家では神酒とお供え餅をあげ、近在の人々はスミツカレや赤飯などを供えている。実際には斎藤家の氏神の色彩の強い神社であるが、隣には町内鎮守があるため、信仰者が斎藤家だけとは限定されないようである』(「古河市史」より抜粋)

八幡神社(大堤)

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 大堤交差点から北西に入って行くと、大堤公民館の隣に八幡神社と香取宮(古河市大堤774)が鎮座している。
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 古河市指定有形民俗である文化財湯立神楽図絵馬の案内板。
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 狛犬。
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 狛犬。
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 拝殿と本殿。
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 土地献納記。
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 境内社。
 脇の看板からは文字が流れ落ちてしまっているので、何が書かれていたのかはわからない。
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 香取宮の鳥居。
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 香取宮。

鮭延寺(大堤)

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 国道354号線に面した、曹洞宗正源山鮭延寺(古河市大堤1030-1)入口。
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 大乗妙典六十六部供養塔。
 こちらのお地蔵様の錫杖を見ると、十字架らしきものが彫られている。古河藩に隠れ切支丹がいたと言う話もあるようだし、やはりそう言ったものなのかな。
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 その少し東側にある祠。
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 石塔の周りに角髪の童子像が十四体、それとなんだかもこもこしたものが並んでいる。この写真だと一体隠れて見えないけど。
 それにしても、なんだろうコレ。
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 国道4号線を渡って本堂へ。
 寺号標石には鮭延寺の下に鮭延越前守秀綱墓所、熊澤蕃山墓所とも刻まれている。
 鮭延寺は正保三年(1646)に死去した鮭延秀綱の遺徳を偲んだ家臣達が古河藩二代藩主土井利隆に請い、慶安元年(1648)に秀綱の菩提を弔う為に開山したと伝えられている。
 鮭延秀綱は山形藩主最上義光の家臣であったが、最上騒動を理由に元和八年(1622)最上家が改易されると佐倉藩主土井利勝(後に古河藩主)の預かりとなり、その翌年に五千石で土井利勝に招かれた武将である。知勇兼備にして情け深く、また欲の無い人物であったそうだ。最上生徒会書記兼会計で鮭型の走狗の元ネタになった人ですモン!
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 本堂。
 大棟には四つ目結紋、竜胆車紋、六つ水車紋が見える。四つ目結は鮭延氏の家紋で六つ水車紋は土井氏の家紋だが、竜胆車紋は誰の家紋だろう?
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 鮭延秀綱の墓。
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 左に熊澤息游軒伯継之墓。その右隣に息游軒妻矢部氏之墓。
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 案内板と墓前の石碑。
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 案内板アップ。
 鮭延秀綱の墓の方には案内板無かったのになぁ。

道祖神・八龍神(大堤)

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 トモヱ乳業(古河市下辺見1955)のやや西側、国道354号線脇に鎮座する道祖神と八龍神
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 道祖神と八龍神。
 この辺りは丁度大堤と下辺見の境目になるのでどちらに属するのかなとも思ったが、石祠の側面に総和町大字大堤と刻まれているので大堤の方なのだろう。
 裏側を見ると、何故か揃えられたスニーカーが置かれていたり、草鞋やサンダルが散らばっていたりする。足の神様として信仰されているのだろうか。
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 嘉永七寅…かな。とすると1854年だ。
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 馬頭観世音。右は不明。

稲荷宮(磯部)

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 香取神社から西へ歩いて行くと、民家の入口脇に稲荷宮が鎮座している。
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 お狐さまと稲荷宮。
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 御嶽山大神、阿畄魔哉神、金山大神。

香取神社(磯部)

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 国道354号線と茨城県道56号つくば古河線の交差する釈迦北交差点のすぐ北側に鎮座する香取神社(古河市磯部1820)。
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 鳥居。
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 拝殿。
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 狛犬。
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 本殿の壁面には兎と龍の彫刻が施されている。
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『神徳赫赫 建碑之碑
 夫れ神は人の敬に依って其の威を増すとは古来謂う所なり。仰々香取神社は東磯辺の鎮守として霊験灼なる大神にて氏子の崇敬厚く社運益々発展す。其の後政府の神社維持法により大正八年(1919)一月五社を合祀す。神社社有地は畑地七反三畝二十五歩。共有地三町○六畝。宅地五五六坪を所有し氏子の人等これを耕作す。戦後農地法施行により社有地共有地共に耕作者に解放された(一部耕作者に残る)。当時の売渡価格は反当三百円~四百円である。其の後昭和二十三年(1948)十二月神社境内地九二三坪四合八勺が無償譲与され神社所有となる。後政府の農地被買収者給付金法施行により開放農地に対し報償金として十ヶ年償還の債券金三十五万円が交付された(五五六坪は報償金の対象外)。昭和三十七年(1962)四月立木売渡金により本殿の茅葺屋根を瓦葺にて葺替す。其の後茨城県道路改修工事の為昭和四十二年(1967)二月十三日境内地五四一,○三平方米売渡す。爾来拝殿も近年殊に腐朽した為氏子一同協議の結果売渡金五十万円を以って拝殿移転改築と幣殿を造営する事に決し昭和四十二年四月是が竣工を見るに至った。茲に深甚なる御神慮を畏み各位協賛の赤誠に感謝し事の概要を誌し後世に伝う。
 昭和四十三年四月十日』

『合祀記念
 明治三十九年(1906)以降政府矮小の神社を合併し資産を増加し維持法を鞏固ならしむことを奨励す。當東磯辺には古來小社散在せるを以て其維持方法及人心の融合上亦便ならず以是官の許可を得村社香取神社に五社を合祀し跡地並に立木共讓與を受け基本財産となす。依て合祀神社名を碑表に刻し後世に傳うと云爾。
 天神社天穂日命 神明社天御中命 青龍社豊玉姫命
 熊野社文須見命 稲荷社保食命
 大正十一年九月』
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 稲荷神社(祭神 保食命)。
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 末社。
 左から熊野神社(祭神 久須毘命)、青龍社(祭神 豊玉姫命)、稲荷社(祭神 倉稲魂命)、天神社(祭神 天穂日命)、神明社(祭神 天御中主命)。

金乗院(釈迦)

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 釈迦香取神社から少し北西に向かうと真言宗豊山派金乗院(古河市釈迦105)がある。
 香取神社に駐車場は無く、またその横の釈迦農村集落センターはチェーンが張られて駐車できなかったので、こちらの境内に駐車させてもらった。
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 阿弥陀如来。延宝三乙卯年(1675)二月。
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 釈迦如来堂。
 釈迦如来と薬師如来、観世音菩薩が祀られている。

香取神社(釈迦)

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 古河市立釈迦小学校の南隣に鎮座する香取神社(古河市釈迦268)。
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 中には宇迦之御魂命と書かれた御神璽が納められていたので、稲荷神社だろう。
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 参道。
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 狛犬。
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 拝殿。
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 本殿。
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 百度石と合祀記念碑、農地改革開放国有地無償譲与記念碑。
『合祀記念
 明治三十九年(1906)以降政府矮小の神社を合併し資産を増加し維持法を鞏固ならしむことを奨励す。當釋迦には古來小社散在せるを以て其維持方法及人心の融合上亦便ならず以是官の許可を得大正三年(1914)十一月村社香取神社に四社を合祀し跡地並に立木共讓與を受け基本財産となす。依て合祀神社名を碑表に刻し永遠に傳うと云爾。
 八坂社素盞鳴尊 雷電社別雷命
 天神社天穂日命 嚴島社市杵島姫命』
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 神輿殿。
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 神楽殿……かな?

高野八幡宮(高野)

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 高野集落センターのやや東に鎮座する高野八幡宮(古河市高野1473)。
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 拝殿。
 こちらの神社では平将門公の首を祀っているそうなのだが、由緒などを記した案内板が無いので詳しいことはわからない。将門公の首が飛んで来たとか、南向きの社殿が一晩で藤原秀郷公の領地がある北の方向を向いたなどと言う伝説が残っていると言うことだが、将門公の首はあっちこっちに飛んで行くねぇ。ここからそう遠くも無い幸手市の浄誓寺にも将門公の首塚があるし。
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 狛犬。台座には天保十二年辛丑(1841)九月と刻まれている。
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 稲荷大明神。側面には萬延二年辛酉(1861)二月と刻まれている。
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 境内社。
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 境内社。左の方には「平成九年度宝くじ助成施設」と書かれた板が掛けられているが、はて?
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 中には色鮮やかな祠。
 魚眼ズーム持って行けば良かった……○刀乙
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 側面。
 現在は本殿を新築中。
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 後ろから。
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 高野八幡宮から少し西へ歩くと地蔵祠がある。
 右側に並ぶ石塔の中には地蔵菩薩や馬頭観音の他に焔摩天の名前もあった。
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 蝋燭地蔵として有名らしいのだが、知らなかったデスヨ。しかしなんだか目つきが少し恐いんですけど、このお地蔵様。
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 青面金剛。延宝八年(1680)十一月のもの。

神明神社(水海)

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 古河市立水海小学校のやや南に鎮座する神明神社(古河市水海775)。
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 鳥居。
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 参道の突き当たりに拝殿。
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 狛犬。両方阿形のように見えるなぁ。
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 昭和九年(1934)十一月奉納の狛犬。
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 社殿斜めから。
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 右は鹿嶋大神宮・伊勢大神宮。左はどなたを祀っているのか不明だが、側面に元文六辛酉年(1741)正月二十八日と刻まれている。
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 愛宕神社・香取神社と稲荷大明神。
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「宝暦四甲戌稔九月十九日 下総国葛飾郡下川邊荘 水海村内城惣村中」と刻まれている。こちらの神明神社の由緒はわからないが、1754年頃には既にあったと見て良いだろうか。上には1741年の石祠もあることだし。
 また水海小学校のある辺りは古河公方足利政氏に仕えた簗田政助によって築かれた水海城があった場所であると比定されているそうだが、水海村内城という地名から見てこの神明神社の辺りも水海城の敷地内だったのだろう。尤も、水海城は天正年間(1573~92)に廃城になったそうなので、1754年には既に城は無かったことになるか。

三島神社(水海)

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 古河市総和水処理センターのやや南東に鎮座する三島神社(古河市水海188)。
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 厳つい顔つきながらもどこかユーモラスな狛犬。台座には昭和十八年(1943)十一月十五日と刻まれている。
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 拝殿。
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 こちらは平成二十三年(2011)十一月奉納の狛犬。
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 慰霊碑と社殿再建記念碑。
『三島神社社殿再建記念之碑
鎮座 茨城県猿島郡総和町大字水海(町水海)百八十八番地(現在は茨城県古河市水海188)
本社 祭神 大山祇命
 境内神社 朝日の宮「八幡神社 天満宮  稲荷神社」
 境内神社 夕日の宮「大神宮  住吉神社 浅間神社 水神宮」
 町水海の鎮守である当社は伊豆三島神社と分祀したものと古くから伝えられている。室町時代の関白近衛房嗣公第三子天台宗寺門派大本山聖護院門跡道興准后の廻国雑記に道興准后が当社の坊に逗留したことが記されている。
 口碑によれば古河公方の権臣で当地の領主梁田氏はここ水海を本拠として城郭を構えた。ために住民も集まり住宅は増し社寺も数多く建てられた。梁田氏は当社を篤く崇敬し当社は当地方における著名な神社となった。境内は東西百間南北約六十間約六千坪でその最東端が現時の当社境内である。その西北に明治六年(1873)夏焼失して廃寺となった別当満蔵院の跡がある。梁田氏は天正末期に衰亡し水海は「内分」と「町分」の二つに分離して次第に衰微し當社も荒廃して江戸時代を迎えた。徳川三代将軍家光公は慶安元年(1648)八月二十四日神領五石を寄進。それより社中竹木御免許の霊社として明治維新に至った。
 明治四年(1871)五月社格を村社と定められた。大正二年(1913)水海字香取耕地無格社八幡神社、水海字天神東天満宮を朝日の宮に。水海字日下部無格社浅間神社、同境内神社水神宮を夕日の宮に合祀す。
 昭和二十七年(1952)十二月一日宗教法人設立。昭和五十九年(1984)八月九日落雷により本殿拝殿焼失。昭和六十一年(1986)十一月十五日社殿再建す。本年秋祭の佳日を卜し社殿再建記念碑を建設す。
 昭和六十二年十一月十五日』
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 朝日の宮。
 八幡神社、天満宮、稲荷神社が合祀されている。
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 夕日の宮。
 大神宮、住吉神社、浅間神社、水神宮が合祀されている。

香取神社(前林)

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 古河市総和水処理センターから少し西へ向かった位置に鎮座する香取神社(古河市前林1631)。
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 狛犬。台座には昭和十四年(1939)と刻まれている。
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 左が香取神社。右は八坂神社。
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 境内社。
 脇の水盤には稲荷大明神と刻まれているので、どちらかが稲荷神社なのだろう。
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 左端の石碑には五行程に渡って文字が刻まれているのだが、薄くなってて読み取り難い。八幡大神と春日大神の文字が見えるので、その二神が祀られているのかも。
 そして辨財天、大山都美命・宇麻弥戸命(明治十五午年(1882)三月)、雷電宮(文久二年壬戌(1862)四月)。宇麻弥戸命とは厩戸皇子(聖徳太子)のことかな。
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 右は水神大権現(明和五戊子歳(1768)九月二十九日)。左は不明。

稲荷大明社(前林)

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 前林地区農業集落排水処理施設のやや西側に鎮座する稲荷大明社
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