頼政神社(錦町)

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 旧古河城最北端の土塁上に鎮座する頼政神社(古河市錦町9-5)。
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『古河市指定有形文化財・歴史資料
 頼政神社 手水鉢 一基・灯籠 二対・狛犬 一対
 昭和五十二年四月四日指定
 古河市錦町九番五号
 元禄九年(1696)、古河城主松平信輝は、城内の立崎郭に先祖源頼政の墳墓(廟所)があることを知り、その社殿を修築してこれをまつった。その時、信輝の弟で高崎城主であった松平輝貞が大灯籠一対を寄進し、家臣たちが手水鉢一基・灯籠一対を奉納した。
 とくに輝貞寄進の大灯籠は、寄進者は判明しないものの、狛犬一対とともに江戸時代前期のすぐれた作風を今日に伝える石造遺品として注目される。
 なお、頼政神社は大正元年(1912)に河川改修のため、立崎から現在地に移された。
 平成十九年一月』

 上記の他に、古河藩第五代藩主土井利益によって延宝五年(1677)に城内守護の神として創建されたとする説もあるのだそうだ。
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 一の鳥居。
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 古河城下復原図。
 この図で見ると、現在頼政神社がある場所は御作事役所と書かれた所になるので、昔はもっと南に鎮座していたのだと言うことがわかる。
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 二の鳥居。
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 境内社。
 頼政神社には境内社として八幡宮と大鳥神社があるそうなので、こちらがそのどちらかなのかな。その右脇には稲荷社。
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 拝殿。
 拝殿左の祠には白馬の像が納められていたので、神馬庫かな。左端は水神宮。
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 狛犬。
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 横から。

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 水神宮(古河市錦町9-4)。
 中には木祠が三つ並んでいる。
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『移轉合併之記
水神社は古昔より船渡町の鎮守にして始堤外字外野に在り町民の崇敬厚かりしも明治四十五年中渡良瀬川改修起工の爲境内及び船渡町の過半其河幅内に入り崇敬者諸方に轉住す以是將來維持の便宜を稽い頼政神社の境内に移轉合併して社殿の修理を完成し特に金五拾圓を醵出して之を基本財産中に獻納し以て永遠祭祀の途を確立せり茲に顛末を勤して不朽に傳うと言爾
大正三年十月』
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 坂を下りて行くと、鳥居。
 額には水神宮の他に舩魂大明神と大杉大明神の名が浮き彫りにされている。
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 なんだろう? 扉が三つあるので三柱の神が祀られているように思えるが、名を記したものが無いのでわからない。水神宮・舩魂神社・大杉神社なら数は合うけど、でもそれは頼政神社の隣にあるしなぁ。
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「史蹟 古河藩作事役所址」の標石。

 以上で12月23日参拝分終了。そして今年の更新も終了。時間が足らなくて雀神社などは巡れなかったが、それはまた来年かな。
 使用機材はK-7にDA15mm、DA21mm、DA35mm Macro、FA50mm F1.4。Coolpix P7100。
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鎮火稲荷神社(大手町)

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 東片町自治会々館前に鎮座する鎮火稲荷神社(古河市大手町4)。
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 本殿。
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「史跡 古河藩盈科堂及教武所趾」と彫られた標石。ここには藩校である盈科堂と武道の稽古場があったそうだ。
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 鎮火稲荷神社から少し南へ下ると稲荷神社(古河市錦町1)があるのだが、見た感じ民家の庭先を抜けて行かなければならないようなので、位置のチェックだけして参拝はパス。

正定寺(大手町)

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 福寿稲荷神社の西隣に位置する浄土宗證誠山宝地院正定寺(古河市大手町7-1)。
 顧り阿弥陀の台座には利勝寶地院正定寺と記されている。正式な山号は證誠山だが、別名で利勝山とも呼ばれているそうだ。これはこちらの寺院が寛永十年(1633)に土井利勝によって開基されたことによるものだろうか。
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 赤門。
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『茨城県指定文化財 絵画・絹本着色 土井利勝肖像画
 昭和三十九年七月三十一日指定
 土井利勝(1573-1644)は寛永十年(1633)下総佐倉城主から古河城主となった土井家の祖であります。
 寛永十五年(1638)から正保元年(1644)まで江戸幕府の大老職にあり家康秀忠家光に仕えて幕府の基礎を築いた幕閣の一人であります。古河地方の開発にも貢献する所が大きかった古河城主の一人であります。
 當寺正定寺蔵の「土井利勝肖像」画は絹本着色の画像で江戸時代の作で作者は不詳であります。
 昭和四十三年一月五日』
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 本堂。
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 法然上人像と土井利勝公像。
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 鐘楼。
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『念仏塚(南無阿弥陀仏の塔)
 1645年、古河城主利勝公の供養のためと「時の鐘」としてその子、利隆らにより鐘つき堂建立。
 1754年、住職八世快誉上人の時代に町民奉仕三千人、五年の歳月により、新たに一丈五尺の土盛り。念仏を称えながら土を突き固めたので念仏塚という。
 2010年、浄土宗宗祖法然上人八○○年遠忌記念に檀信徒浄財により鐘つき堂の再建』
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 稲荷堂。
 身替不動尊と三河稲荷(享和三年(1803)二月)、唐津稲荷(安永七年(1778)正月)が納められている。
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 侍従樅碑と弁天堂。
 弁天堂には、春日局が徳川家光より拝領し、養子である堀田正俊が譲り受けたと伝えられる開運辨財天像が納められているのだそうだ。堂内に貼られたポスターには1682年とも書かれているので、弁天堂が建てられ、辨財天像が奉納されたのがその年(天和二年)であるとしたら、堀田正俊が暗殺される二年前ということになるか。
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『侍従樅碑(土井利勝公御代記)
 土井家初代利勝公(1573-1644・行年七十二才)
 徳川家康居城の浜松城で誕生。家康の御子と刻まれている。(4行目下段)
 1633年、古河城主(16万117石)となる。
 1638年、江戸幕府初代大老となる。
「侍従」は役職名。「樅」は利勝公逝去し、別邸内に衣冠を埋め、そこに大樅の木があるのが理由。この石碑は土井家十四代利与建立。昭和八年、正定寺に移築』
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 弁天堂内。
 七福神像と白蛇像、鬼面などが置かれている。そう言えば、来年は巳年だっけなぁ。
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 古河七福神の一つである辨財天と水神。
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『とき門について
 黒門わき潜戸を家臣の土岐なる者、緊急のため、乗馬のまま乗り入れて、無事、勤めをはたした。臨機応変な働きに土井公より褒美に名馬を賜った。石碑の左面に馬名が刻まれている。以後、巷では「とき門」と呼ばれ、時に応じて敏なり、として立身出世門と称された。
 子孫が先祖の栄誉を忘れないように、馬頭観世音を奉納した。(1830年代)』
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『古河市指定文化財・建造物 旧土井家江戸下屋敷表門(正定寺黒門)
昭和四十三年四月一日指定
古河市大手町七番一号
 この門はもと東京の本郷にあった旧古河藩主土井家の下屋敷の表門であったが、昭和八年(1933)に土井家の菩提寺である当正定寺に移築。寄進されたものである。
 江戸時代の大名屋敷に多く用いられた薬医門と呼ばれる型式で、両側に袖塀がつき、向かって左側に潜戸がある。また、屋根瓦には、土井家の家紋である「水車」があしらわれている。
 平成二十年一月』
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 黒門。

福寿稲荷神社(中央町一丁目)

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 浄土宗大蓮山潮雲院隆岩寺と浄土宗證誠山宝地院正定寺に挟まれた位置に鎮座する福寿稲荷神社(古河市中央町1-7)。
 明治八年(1875)頃までは隆岩寺の守護神とされていたそうだ。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
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 お狐さま。
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 古河七福神の一つ、寿老人。
 後ろの狐は、嘗てあった玉垣の一部。
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 社殿西側から。
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 境内社。
 台座に昭和三十九年(1964)一月吉日の文字はあったが、何神社なのかは不明。額には祈願交通安全と書かれているので、とりあえず交通安全神社と呼んでおこう(笑)
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 大国神社と淡島神社。
 淡島神社脇の案内板は文字が殆ど流れ落ちていて判読不能。
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 稲荷神社と土公神。
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 厳島神社。
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 西の鳥居。

 ※2013/12/02追記
『田町にあり、祭神は豊宇気毘売命である。社伝では、天正年間(1573~92)の創建で、古河城主小笠原秀政の信仰が厚く、祈願所としたことにはじまるという。また、明治八年(1875)ごろまでは隆岩寺の守護神でもあった。本殿は南向き流造銅板葺一・五坪である。
 祭礼は初午祭と九月十九日の例祭である。福寿稲荷は、福の神としての信仰も厚いが、盗難除けとしても近在から多くの人たちの参拝を受けてきた。また。ここにはお稲荷様の枕があり、その枕を借りると夜泣きする赤ん坊が泣かなくなるという信仰がある。枕一つを借りた場合、二つにして返すことになっている。以前は福寿講もあったが現在はなくなった。
 境内社としては、淡島神社(少彦名命)、大国神社(大国主命)、厳島神社(奥津姫命)などがあり、それぞれ稲荷神社を参拝に来た人たちの信仰を受けている』(「古河市史」より抜粋)

瘡守稲荷神社(横山町一丁目)

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 天満宮から北へ向かって行くと、ドミニカ餃子の向かい側に瘡守稲荷神社(古河市横山町1-10-7)が鎮座している。
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『臼井家守護社笠森稲荷記録
初代梅蔵   栃木より現臼井屋敷に移り住む
二代目久兵衛 安政初午屋敷の一画に守護社としてこれを建立
三代目熊蔵  (襲名)久兵衛を名乗りこの社を守護す
四代目爲次郎 先代を見習いこの社を守護す
五代目秋次  明治三十七年十二月一日主七十九才
       現存酒類の販売を主とし繁栄しこの守護社笠森稲荷を改造修復をす
 昭和五十七年六月』

天満宮(横山町一丁目)

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 紺屋町会議所隣に鎮座する天満宮(古河市横山町1-6)。
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 狛犬。
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 拝殿。

 ※2013/12/02追記
『明治五年(1872)まで、薬王山地福院という真言宗の寺があり、そこが天満宮の別当をつとめていた。一説によると、その地福院の六代住職の宥伝が創建したといわれる。また、土井家の家臣の日暮七郎左衛門の屋敷にまつられていたものが屋敷替えのとき残ったともいわれている。したがって日暮天神ともいわれ、同家には天神の画像もあったが、それも神社に奉納されたという。天満宮の扁額は安永八年(1779)に市川泰溜が書いたものである』(「古河市史」より抜粋)

神宮寺(横山町一丁目)

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 真言宗豊山派真龍山心城院神宮寺(古河市横山町1-1-11)。
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 参道右手側に……なんだろう。賽銭箱には包み抱き稲紋と二つ穂変わり抱き稲紋が混ざったような稲紋がついていたから、稲荷社なのかな。
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 狛犬。
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『神宮寺の由来
寺 名  真龍山 心城院 神宮寺
宗 派  真言宗豊山派
総本山  奈良県桜井市初瀬の長谷寺
本 尊  不動明王
安置佛  十一面観世音菩薩(茨城県指定有形文化財)
     地蔵菩薩、歓喜天
 此の寺は室町時代、後花園天皇の御代、即ち文安三年(1446)五月、良宥上人の開基でもと鎌倉にあり、関東公方足利成氏の帰依が深かった。成氏が関東管領の上杉憲忠と争い、これを謀殺した為、幕府の追討を受け、康正元年(1455)古河城に移り、古河公方と称したが、この時、成氏の守り本尊である十一面観音菩薩像を良宥上人が守護して、共に古河に移り、古河城中の観音寺曲輪を賜り、一宇を建立して心城院と号した。後ち成氏の命により、此の十一面観音菩薩を雀明神の本地佛とし心城院を以って別当祈願所とし、公より法施として寺領七石を賜った。その後元和六年(1620)城主奥平美作守忠昌が、城増築の為、町割りをした際、現在地に移り、真龍山心城院神宮寺と号した。これは、鎌倉神宮寺の旧名によるものである。慶安元年(1648)八月徳川三代将軍家光公より当時十二世住職俊賀の代、改めて朱印七石を賜る。貞享五年(1688)一月三日類火に遭い寺宝、縁起等を焼失した。元禄四年(1691)再建され、大正七年(1918)大修繕し、現在に至る。
 十一面観音菩薩像(茨城県指定有形文化財)は古河の総鎮守、雀神社の本地佛として、永く同神社境内の観音堂に安置されてあったが、明治二年(1869)また神宮寺に移された。
 平成二十二年十一月』
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 本堂。
 大棟には輪違い紋と五三桐紋が付いている。
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『茨城県指定有形文化財・彫刻 木造十一面観音坐像
 昭和六十三年一月二十五日指定
 古河市横山町一丁目一番一一号
 神宮寺の名に「神宮」という神社の意味があるのは、かつて古河の総鎮守である雀神社を監督する立場の寺であったことからきている。そして、当寺本尊の不動明王とは別にあるこの観音は、雀神社を子にたとえれば、その親にあたるものとして、もとは雀神社境内の観音堂にまつられていたが、明治時代初年の神仏分離政策によりこの神宮寺にもどされてきたものである。
 この像は両足を組んだ像高四七センチの坐像で、腕は二本、左手に蓮の花をさした水瓶を持ち、頭上の天冠台の上に九面、頂上に一面の化仏が乗り、本面とあわせて十一面の観音となっているが、ほかに失われた化仏のあった形跡がある。桧の寄木造で、眼は水晶、全体に彩色がほどこされている。
 寺伝によると、古河公方足利成氏の保護を受けた良宥が鎌倉から古河に移したもので、平安時代の定朝の作であるというが、作風からすると室町時代中期以前の作の見本といえるような彫刻であるという。紀年銘がないのが惜しまれる。
 平成二十年一月』

諏訪八幡神社(本町一丁目)

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 古河駅の西側に鎮座する諏訪八幡神社(古河市本町1-3-49)。
 諏訪八幡の名は、かつては古河城諏訪郭(現歴史博物館)にあったことからで、諏訪神社と合祀していると言うわけではないようだ。
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 参道左手側に招福八幡水、右手側に水屋。
『この水磐石は古河城主松平伊豆守信輝公の老臣松井五郎右衛門尉興紹ほか家来十六名により宝永七年(1710)に八幡宮に寄進されたものである。
 ふるさと創生事業町内憩いの広場造成のおり水屋を再建する
 平成八年三月吉日』
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『当社は初代古河城主足利成氏公が相模国鶴岡八幡宮より勧請して康正元年(1455)城内諏訪の地の艮の隅に祀り鎮守とせり
 足利時代滅び徳川時代に移り 寛永十年(1633)城主たりし土井利勝公は城内に諏訪郭を構営し而うして古河城の鬼門除けを名目として当社と大楽院を寛永十三年(1636)新町に移して小祠を旧地に残せり
 然る所新町に移り一度火災に遭いて神社荒廃しあれども 元禄年間に松平伊豆守源公信輝古河城主たるとき老臣松井五郎右衛門興紹が諏訪郭に住して其地の小祠と新町八幡宮の廃社同然の祭神とは同社なるを知り 元禄九年(1696)改て丹心至誠をこめて霊宮を造営して騎馬の御祭神を奉納す
 其の后 宝永六年(1709)迄の間に 再び祝融の炎に罹り縁起宝物及び興紹の奉納目録等烏有に帰せるも興紹奉納する処の御祭神は火を免かれて現在に到る
 明治三十七年(1904)鳥居並社殿の修復成りて茨城県より公認神社の社格を獲たり
 昭和三十七年(1962)五月吉日 町内氏子崇敬者により社殿改築並に石鳥居を奉納して奉遷式を挙行す
 茲に當八幡宮の来歴を記し永遠に後世に伝云爾
 昭和三十七年五月吉日』
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 拝殿。
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 古河七福神の一つ、布袋。

竹駒稲荷神社(本町一丁目)

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 古河駅の北西に鎮座する竹駒稲荷神社(古河市本町1-4-11)。名前から見て、宮城県岩沼市の竹駒神社から勧請したものなのかな。
 この鳥居は昭和七年(1932)十月建立のもの。
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 お狐さま。
 台座には「明治三十八年第十月新調 石工 木村伊之助」と刻まれている。1905年だ。
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 二の鳥居。
 こちらは昭和四十六年(1971)六月の建立。
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 拝殿。
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 斜めから。

 ※2013/12/02追記
『鍛冶町にあり、祭神は宇賀之魂命であるが、当所は隣接している宝輪寺の守護神であったと伝えられる。
 祭礼としては二月の初午、三月十五日の春祭り、九月二十二日の例祭、十一月二十二日の秋祭りなどがある。なお、境内社としては春日神社と金山神社がある』(「古河市史」より抜粋)

小蓋宮稲荷神社(東三丁目)

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 古河簡易裁判所の西側に鎮座する小蓋宮稲荷神社(古河市東3-4)。
 当神社の御神体は京都伏見稲荷大社の御神体と同じです。と書かれているので、御祭神は宇迦之御魂神なのだろう。
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『小蓋宮稲荷神社再建にあたりて
 古河市市政四十周年記念の年に、多くの方々のご賛同、ご協力によりまして、ここ雷電一丁目に小蓋宮稲荷神を再建することができました。四季折々に訪れるみなさまの心のよりどころとなることを祈念いたします。
 平成二年十一月吉日』
 創建時期等は不明。
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 古河市指定天然記念物の大欅。
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『古河市指定文化財・天然記念物 小蓋宮の大欅(こぶたのみやのおおけやき)
 昭和四十九年五月二十三日指定
 古河市東三丁目二三七番地
 かつて畑作中心の古河の農家にとって、春から夏にかけての雹による被害は、恐るべきことであった。小蓋宮は畑にふたをして雹害から農作物を守る神として信仰された。昔はこの辺りは畑の中心地であり、そこに社が祀られ欅が植えられたのである。
 この大欅は、目通り周囲約七・三メートル、高さ約三一・二メートル、樹齢は六○○年と推定されるが、樹勢は旺盛で、四方に枝張りがよく樹形も美しい。今は周囲がすっかり市街地となったが、その中心部にある老樹として貴重なものとなっている。
 平成十九年一月』

香取神社(東本町一丁目)

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 古河駅の東側に鎮座する香取神社(古河市東本町1-5)。
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 拝殿。

秋葉神社(本町二丁目)

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 古河市立古河第二小学校の北側、古河駅西口のそばに鎮座する秋葉神社(古河市本町2-2-14)。
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『由緒並遷宮記念碑
當社は弘化二年(1845)皇紀二千五百年武州北足立郡指扇なる秋葉神社より勧請し嘗ては駿州三尺坊大權現をも合殿として尊信し來りしが明治年間に至り現地に社殿を移し明治二十三年(1890)町内守護神として尊崇し昭和四年(1929)五月吉日社殿の新築成り神威愈々輝き為に町内安穏を致し殊に明治二十七八年(1894-95)の日清戰役を始とし外征うある毎に其全勝と出征者の武運長久とを祈願し只管其加護の厚きに感激し尊信歳と共に厚きを致せり乃ち有志相圖り奉賛會を設立し境域の擴張整備基本財産の蓄積保管に努め昭和十八年(1943)十一月二十七日に埼玉縣々社秋葉神社より改めて神璽を奉齋し奉り同年十二月七日に尊嚴なる遷宮式典を執行し神威彌々高く神徳益々洽きを致せり仍而有志相諮って此碑を建つと爾云
昭和十九年五月建』
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 本殿。
 秋葉神社だから大棟中央の羽団扇紋はわかるとして、その両脇にあるうねうねっとした紋はなんだろう?
 後ろに見える建物には七軒町秋葉神社社務所自治会会議所と書かれた看板が掛かってるので、この辺りは古くは七軒町と言う地名だったのかな。
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 裏手に回ると、苔生した石祠と狛犬。旧本殿なのかな。狛犬の台座には昭和四年四月の文字有り。
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 古河七福神の一つ、毘沙門天。
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 稲荷神社。

蛭子神社(中央町三丁目)

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 古河市立古河第一小学校の東側に鎮座する蛭子神社(古河市中央町3-9-1)。
 古河市観光協会のサイトでは蛭子神社、Googleマップでは西宮大神、こちらに置かれていたパンフレットでは恵比寿神社……どれが正しい名前なんだ、この神社。
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『大工町恵比寿神社
 当、恵比寿神社はえびす大神(蛭子大神)を祭祀する神社です。
 えびす様とは右肩に釣竿、左小脇に鯛を抱えて座した福徳円満なエビス顔のお姿で描かれ、開運、商売繁盛、漁業の神様としてよく知られておりますが、一般的には、えびす様はイザナギノミコトの第三子、蛭子尊がえびす様になったと言われています。えびす様が蛭子神であるとする説は、記紀神話〔古事記、日本書紀〕で蛭子をエビスと訓じているからと云われています。
 恵比寿神社の総本社は兵庫県西宮市の西宮神社で、当社はその御分霊として認証されております。本殿正面には「西宮大神」の献額があります。
 当社の御由緒を尋ねますと、大工町の氏神として、現在地より少し南の地、当町五千七百五十番地に勧請したのがはじまりです。碑文によれば、社殿の造営は文化十一年(1814)であります。古くより霊験顕著をもって知られ、民衆の崇敬を集めておりましたが、幕末の風雪百年を経て社殿も大破し明治四十五年(1912)三月、総代、氏子、世話人相謀り広く寄付金を募集して、現在の土地を購入し、社殿を修復して遷座したものであります。境内の本殿左に建つ[神社移転之記]の碑銘を見れば、関東一円の奉賛者の芳名が刻まれており、当時の人々の篤き信仰心と当社に対する深い崇敬の念がしのばれます。来る平成二十六年は当社の鎮座造営二百年の記念すべき年を迎えます。本年三月十一日の東日本大震災では正面の石灯籠も破損いたしましたが、皆様のご協力をお願いして、修復し、次世代へ祈りこめて二百年祭をとり行う所存でございます』
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 古河七福神の一つ、恵比寿。

神明宮(本町二丁目)

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 古河市立古河第二小学校の西側に鎮座する神明宮(古河市本町2-12-37)。
 こちらの前に、ここから少し南にある八幡宮にも行ってみたのだが、地域の方々による正月に向けた大掃除の最中だったので邪魔にならないようにパス。帰りがけにもう一度寄ってみたのだが、入口にチェーンが張られていたのでやはりパス。
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 本殿。
 嘗ては正蔵院の境内社であったのだが後に町内管理になり、亦明治十年(1877)境内に古河小学校分校が設立された為、現在地に移転したとのこと。猶、正蔵院は廃仏毀釈により消滅し、本町一丁目にある尊勝院に吸収されたそうだ。
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 古河七福神の一つ、大黒天。
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三神町稲荷神社(中央町三丁目)

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 古河歴史博物館の東側、三神町自治会会議所(古河市中央町3-7)の裏に鎮座する三神町稲荷神社。尤も、会議所は拝殿も兼ねているようだけど。
 拝殿の扉には古河七福神の朱印は神社北側の塚田製茶店側に置かれていると書かれた紙が貼られているが、七福神巡りはしていないので、まぁ別にいいか。
 ちなみに三神町の名前の由来は諏訪郭の八幡神社大工町の蛭子神社、そしてこちらの稲荷神社からであるのだそうだ。
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 古河城の鬼門除けとして創建され、明治になってから町内で管理されるようになったとのこと。古河城の築城は1180年代頃とされているようだが、こちらの創建時期がいつ頃なのかは不明。
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 神社入口。
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 その脇に福禄寿。

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 稲荷神社から東へ向かって行くと、県道261号線との合流点脇に古河城御茶屋口門址がある。
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 案内板。
 上の図面で赤○の付いている所が三神町稲荷神社。

子ノ神社(長谷町)

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 長谷町自治会館真裏に鎮座すると言うか自治会館が社務所や拝殿も兼ねている子ノ神社(古河市長谷町2-14)。
 こちらに着いた時は丁度境内の掃除が終わり、地域の方々が引上げて行くところだった。
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 狛犬。
 こちらの狛犬は古河市内で最も古いものだと、残っていた方が教えてくれた。
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 元禄十六稔癸未五月十八日と刻まれているが、台座などではなく狛犬本体に刻まれているのは初めて見たような気がする。ちなみに元禄十六年は1703年。
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 本殿。

 ※2013/12/02追記
『子の権現は、通称ゴンゲン様と呼ばれ、御神体は秩父の三峰神社から勧請している。現在は長谷町の鎮守になっているが、以前は長谷町在住の士族三十五人の共同所有であった。その後、士族の離散や戦後の固定資産税納入のこともあって、昭和四十一年(1966)から現在のように町内の鎮守になった。
 一般に脚気・神経痛に利益があるといわれ、県内はもちろんのこと、栃木県や埼玉県からも願掛けに来る者もある。願がかなうとお礼参りとして、草鞋やブリキの模造品を奉納した。また、希望者には、氏子が奉納した草鞋を売り、それを神社の維持費に当てた。このほか、伊勢参拝をする者は、長旅の安全を祈ってから出かけるものもあった』(「古河市史」より抜粋)

台町稲荷神社(長谷町)

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 神明神社から少し北へ向かうと、茨城県道261号野木古河線に面して稲荷神社(古河市長谷町1-4)が鎮座している。
 帰り際にこの前を通ったら正一位臺町稲荷大明神と書かれた幟が立てられていたので、臺(台)町稲荷神社と呼ぶのが正しいのだろうか。
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 青面金剛と如意輪観音×2。
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 アップで。青面金剛……で、いいんだよね。首が挿げ替わっているようだけど、元々このデザインだったものを修復したのかな。
 長享なのか貞享なのか、ちょっと読み取り難い。
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『稲荷神社由緒並遷宮記念碑
當社は寶暦二年(1752)本多美濃守忠敞古河城主たりし時、山城國伏見より勧請したる者にて祭神は保食神也。始め當社は現在の地点より南方約一町(約109.09メートル)長谷道の東側に在りて根岸㔫膳の守護に係りしを明治十二年(1879)現地に移し正一位稲荷大明神を稱し、町内守護神と仰ぎ毎歳初午例祭末九日を以て祭祀を行え神威倍々崇く加護歳と共に厚く洽く宏大なる神徳を浴するに至れり會々奉賛會成。神苑擴張基本財産の蓄積保管を行う即ち宅地百四坪畑地四畝六歩を神苑に擴張し拜殿の改築及び本社神域の石垣を建造す。昭和十九年(1944)四月山城國伏見官幣大社稲荷大神に代参を派遣し改めて神霊を奉齋し同年十月二日の佳辰を卜して盛大なる遷宮式を擧行し爰に神恩感謝の誠意を捧くるを得たり。仍ち事の由を録して永く後世に傳う爾云。
昭和二十三年三月吉日』
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 拝殿。
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 金網で囲われたお狐さま。台座には昭和十六年(1941)二月の文字有り。
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 社殿斜めから。

神明神社(長谷町)

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 古河庁舎の北側に鎮座する神明神社(古河市長谷町1-22)。
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 ※2013/12/02追記
『旧村社、祭神は大日留女尊である。創立年代は不詳であるが、古河公方足利成氏が社殿を造営したのが始まりといわれ、明治二十五年(1892)三月村社になった。明治三十四年(1901)一月二十日社殿は火災のため焼失、同年五月に再建されている。祭礼は一月一日が元旦祭、祈念祭は三月八日、例祭は九月十五日、新嘗祭は十月十五日である』(「古河市史」より抜粋)

羽黒神社(原町)

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 古河市役所古河庁舎の東側に鎮座する羽黒神社(古河市原町3-28)。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
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 狛犬。台座に平成四年(1992)五月の文字有り。
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 狛犬。台座に文化六己巳年(1809)三月の文字有り。
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 三峯神社。
『羽黒神社境内末社たる三峯神社の由緒
三峯神社は創立年代不詳。社記に慶長六年(1601)羽黒神社長谷蔵前依り此の地に移轉と共に移遷す。往昔は當神社の坤の方(南西)に藁葺宮とし奉齋し在るも明暦参年(1657)に瓦葺宮と改築し大正四年(1915)銅葺宮石礎と改め雨覆を築きたり。當社には明暦参年臺原講を創立し秩父三峯に登山し地方講社最初の講とし厥の名高し依って官幣大社月山神社主典東條實氏并講元たる関口榮次郎氏の盡力により大正拾参年(1924)九月五日茨城縣知事次田大三郎殿の縣指令第貮四八六號三峯神社を境内末社に昇格の件許可す。
是れ氏子の繁榮と本講・旺盛は實に神威徳大なる加護なりとす。
大正拾参年九月拾壹日本殿銅葺宮石礎雨覆建物木造鳥居は茨城縣指令建第壹○五号號にて財産登録認可濟なり。
昭和八年(1933)五月貮拾参日石華表は茨城縣指令建第四五号號にて財産登録認可濟なり。
旹于石華表獻納記念・爲め氏名を碑陰に列記すと云爾
昭和八年拾壹月貮拾五日 羽黒神社々掌東條實撰文併書』
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 榛名神社と不動稲荷社。
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『古河市名木古木指定
 樹種類  榧
 推定樹齢 一三○年
 樹高   二十二・○○メートル
 幹廻り  二・七○メートル
 管理者  羽黒神社氏子
 指定理由 市内唯一の古木
 平成六年十二月吉日』
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 青面金剛、不明、稲荷社、御菊稲荷社。
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 青面金剛。寶永四丁亥年(1707)十一月の文字有り。
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 社殿裏から奥に向かうと、奥の院ではなく青面金剛が控えている。
 こちらは宝永元甲申天(1704)十月の文字がある。

 ※2013/12/02追記
『旧村社。祭神は倉稲魂命で五穀豊穣の神として信仰されてきた。もとは長谷の神明様のあるネコヤマにあったが、慶長二年(1597)原村に移され、原村の鎮守となった。その後、土井利勝時代の寛永十三年(1636)正月には、とくに鴻巣の組屋敷をここに置いたので、組屋敷の人々が直接奉仕していた。
 祭礼は三月八日が春祭り、七月十五日が例祭、十二月十七日が新嘗祭である。以前は祭礼日に氏子全体の宮籠りがおこなわれたが、大正六年(1917)村社に昇格し、古河町の供進使が参拝するようになってから宮籠りは廃止になった。
 なお、ここには三峰参拝の台原講があり、毎年五月に、原町二人、台町二人の四人が世話役となって二十人が参拝に行っていた。また、羽黒神社崇拝者の出羽三山神社参拝旅行もおこなわれてきた。境内社としては稲荷神社と三峰神社がある』(「古河市史」より抜粋)

稲荷神社(上大野)

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 国道125号線上大野東交差点のすぐ西側に鎮座する稲荷神社
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 以上で12月8日参拝分終了。
 今月はなんか仕事が増えたので休み少なめー。
 使用機材はK-7にDA21mm、FA43mm、50-150mm II。Coolpix P7100。

一言主社(下片田)

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 国道125号線上大野東交差点と大川用排水路の中間辺りに鎮座する一言主社(古河市下片田140)。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
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 社殿斜めから。
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 秋葉神社(迦具土命)と八坂神社(素盞鳴命)。
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 末社殿。
 浅間神社、根勢大明神、愛宕神社、雷電神社、大杉神社が祀られている。
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 根勢大明神。

大日神社(尾崎)

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 国道125号線と東仁連川の間に鎮座する大日神社(古河市尾崎1238)。
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『旧指定村社大日神社
 大正二年(1913)一月下記の神社が合社され大日神社となる。
  村社  神明神社 三和町尾崎杉の前四三六三
  村社  香取神社 三和町尾崎香取八○三
  村社  香取神社 三和町尾崎杉の前四四七一
  村社  八坂神社 三和町尾崎鴨山二九三一
  村社  八坂神社 三和町尾崎中台二七四五
  無格社 諏訪神社 三和町尾崎諏訪二二八
  無格社 天神神社 三和町尾崎東田二五八○
  無格社 粟嶋神社 三和町尾崎星の宮五九七
  無格社 愛宕神社 三和町尾崎東田二二○四~五
  無格社 雷電神社 三和町尾崎松葉一二四八
  無格社 猿田神社 三和町尾崎加下向地内

 祭神  大日霊貴命
 配祀神 素盞鳴尊 (八坂神社)
     経津主命 (香取神社)
     建御名方命(諏訪神社)
     少名彦名命(粟嶋神社)
     軻遇突知命(愛宕神社)
     猿田彦命 (猿田神社)
     菅原道真公(天神神社)
     別雷命  (雷電神社)

 昭和十四年(1939) 指定村社となる
 昭和二十七年(1952)宗教法人設立

 社詞 疲れたる魂よみがえる禊かな
 社紋 左三つ巴

 合社以来八十年近くの歳月が経過しその老朽化も甚だしく氏子総代一同協議し天皇陛下の御即位を記念し神社及社務所を改築して神々をその清なる所に安置しようと計画。ここに大日神社及社務所改築奉賛会を結成。氏子各位より協賛金を迎ぎ建立するものなり。
 平成二年十一月吉日』
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 狛犬。
 台座には昭和二十四年十一月八日と刻まれている。
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 拝殿。
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 末社。
 石祠は何神社なのか不明だが、右端の石塔には「潮音了海法師覚位 延享元甲子歳十二月廿三日」と刻まれているので1744年のもの。
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 根勢大明神と青面金剛。
 青面金剛は元文五年庚申(1740)の造立。

陣屋稲荷神社(東諸川)

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 カスミストア三和店前から東南に向かうと陣屋稲荷神社(古河市東諸川66-1)が鎮座している。
 額には陣屋稲荷大明神と書かれ、屋根には三つ引両紋がついている。この辺りにはかつて三浦氏の陣屋があったそうだから、守護神として祀られていたのかも知れない。
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 本殿。
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 不動明王と青面金剛。
 不動明王は享保十年(1725)十一月の造立。

長宮神社(諸川)

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 諸川公民館の隣に鎮座する長宮神社(古河市諸川433)。
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『長宮神社由来
 長宮神社所在は大字諸川字仲町谷。坪数は六五四坪。祭神は建御名方命。社格は村社。創立は不詳。祭日は十一月十五日十六日。宝物は八花形神鏡一面と曲玉一連、神剣一振でその由緒はわかっていない。
 その昔、諸川明神下に創建されたものを現在の位置と交換して移した。昔から諸川の鎮守であった為、永享年間(1438)に柑路信濃守(一万七千石)が師河(諸川)城主の時宮殿を再建して長宮神社と称した。
 後に戦いで焼失してしまったが延宝五年(1677)四月に再建された。のち正徳二年(1712)三月正一位を贈られ、明治二十三年(1890)三月この地に移転した。神霊は信濃の諏訪祠を移したものと言われている。氏子は当時六十四戸』
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 拝殿。
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 狛犬。
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 祭神 諏訪神社 建御名方命(農耕神)
 配祀 香取神社 経津主命(剣神武神)
    八坂神社 素盞鳴尊(防災除疫神)
    八幡神社 誉田別命(武神)
    浅間神社 木花咲耶姫命(縁結・安産神)
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 長宮神社の歌。
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 御神木の白橿。
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八幡宮(諸川)

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 古河市立三和北中学校の東側、十字路附近に位置する諸川八幡塚古墳の墳頂に鎮座する八幡宮。
 GPS情報を取っておくのを忘れてしまったので正確な位置ではないが、大体この辺りだったかな。
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 諸川八幡塚古墳の表示杭。
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 墳頂。
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 八幡宮の名が刻まれた石祠。明治三十二年(1899)のもの。

香取神社(五部)

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 茨城県立三和高等学校の西側、五部公民館の隣に鎮座する香取神社(古河市五部349)。
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 赤と白の鳥居。なんかヘンだ。
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 元文五年庚申(1740)十月造立の青面金剛。
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 拝殿。

鷲神社(上和田)

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 西仁連川の西側に鎮座する鷲神社(古河市上和田804)。
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 二の鳥居。
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 石段の脇には狛犬ではなく神使の鷲が控えている。
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『鷲神社奉賛の記念碑
 鷲神社は上和田の北端の台地に鎮座し、天穂日命を御祭神として時どきの住人の篤い崇敬を集め、幽玄にして森厳な森に囲まれて悠久の時の流れと共に屹立して参りました。
 時移りて平成の御世になり、特に崇敬の念の篤い氏子中の有志が相集いて、神社境内の整備の奉仕に尽力しました。まさに平成八年(1996)のことでした。爾来二年有余の年月を要して、境内の整備の規模は約五千平方米に及びました。その成果により、御社を遠くからも拝することができるようになりました。有志の篤い思いに支えられた神社境内整備の奉仕の姿が、氏子中の崇敬の念の更なる昂揚を呼び、平成十年鷲神社奉賛会の結成をみるに至りました。ここに鷲神社奉賛会は崇敬者の篤志を結集して、整備なった境内に錦上花を添えんと鳥居燈篭等に奉納者の銘を刻し、奉納奉りました。
 この一連の事業は、氏子中の有志の篤い崇敬の念が大勢の崇敬者の心の共感を呼び完成を見たものです。竣工にあたり、未来永劫に渡って鷲神社の御神威の益々の隆盛と崇敬者の彌栄とを鷲神社奉賛会として祈願し、ここに記念の碑を建立するものです。
 平成十年十一月吉日』
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 拝殿。
 拝殿前には側面に文久二壬戌年正月吉日と刻まれた真新しい石燈籠がある。背面には東日本大震災により再建とも刻まれているので、去年か或いは今年に建て直されたものであるのだろうが、少なくとも文久二年(1862)以前からこちらの神社があったことは確かなようだ。
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 狛犬。
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 社殿斜めから。
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 社殿西側の末社。
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 社殿東側の末社。
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 末社。
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 砕けた額には弁財天の名が刻まれている。こちらの鳥居も去年の震災の際に倒れてしまったのだろうか。
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 駐車場側から見た参道。
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 遠景。

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 鷲神社から北に向かって行くと民家の隣にある神社……でいいのかな? 社名を記したものは無く、建物の中は空っぽだったので、もしかしたらどこかに合祀された後に鳥居と拝殿だけ残ったものなのかなとも思ったが、周辺にあったコンクリートの垣根には平成10年1月吉日奉納と刻まれたプレートが埋め込まれているので、どうだろうなぁ?

香取神社(上片田)

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 大川に架かる駒込橋から少し西側に鎮座する香取神社
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 拝殿。
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 境内社。

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 香取神社の少し北側に清瀧山来迎院大善寺(古河市上片田368)がある。
 奥に見えているのは聖観世音菩薩堂。
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 清瀧山来迎院大善寺。

御嶽山神社(上片田)

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 地図を見ると香取神社社務所(古河市上片田441-1)と書かれ、また実際にそのように看板も設置されているのだが、行ってみたら拝殿には御嶽山と書かれた額が掛けられ、御嶽教の碑もあった。と言うことで、エントリー名は香取神社社務所ではなく御嶽山神社で。
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 拝殿。
 建物の右側が香取神社社務所になるのかな。ところで、どこの香取神社の社務所なのだろう? 北と南に香取神社があって、その中間に位置しているのだよね、ここ。
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 御嶽山神社。
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 石祠。

鷲香取神社(駒込)

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 大川の東側に鎮座する鷲香取神社(古河市駒込653)。
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 拝殿。
 名前から察するに、鷲神社と香取神社が合祀されているのだろう。とすると、御祭神は天穂日命と経津主命か。
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 狛犬。
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