櫻木神社(柳原町)

IMGK7294s_20130326201412.jpg
 県道2号線今井交差点から西南に進んで行くと、思川西岸の五叉路脇に櫻木神社(栃木市柳原町164)が鎮座している。
IMGS0809s.jpgIMGS0807s.jpg
 狛犬……いや、お狐様か?
IMGS0813s.jpgIMGS0814s.jpg
 狐だな、うん。
IMGS0800s.jpg
 拝殿と柳原公民館が合体している。
IMGS0821s.jpg
 庚申塔や青面金剛、末社など。
IMGS0816s.jpgIMGS0818s.jpg
 青面金剛。
 造立年月の部分が崩れていてよくわからないが、左のものは元禄、右のものは保の文字が見える。尤も、保のつく元号は多いのでいつ頃なのかわからないけど。
IMGS0819s.jpg
 三猿。
 元禄五壬申天九月十四日と刻まれているので、1692年のもの。
DSCN8836s.jpg

 以上で3月23日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mmとDA35mm Macro、FA50mm。K-7にDA21mm。Coolpix P7100。
スポンサーサイト

神明宮(壬生町福和田)

DSCN8821s.jpg
 県道172号線と北関東自動車道の立体交差するポイントよりやや南、福和田公民館の隣に鎮座する神明宮(壬生町福和田947)。
 172号線に対して背を向けているのでわかりにくい。と言うか当初の予定では福和田磐裂根裂神社の次に参詣するつもりだったのが気付かずに通り過ぎていた。

『古老の話によると、当社の創立は文化一四(1817)年のことだという。安政年間(1854~60)に社殿を改築。現在の社殿は明治時代後期に造営したものである。境内地は、明治四年(1871)の太政官布告により第一種官有地となる』(「栃木県神社誌」より抜粋)
IMGS0793s.jpg
 拝殿。
IMGK7289s.jpg
 斜めから。

八幡宮(壬生町助谷)

IMGS0737s.jpg
 栃木県道172号上田壬生線と県道71号羽生田上蒲生線の合流する壬生総合運動公園北交差点から少し北上した位置に鎮座する八幡宮(壬生町助谷575)。

『創立は、天文一九~永禄二(1550年代)年といわれる。八幡は天降った八つの幡をまつったことにちなみ、田畑の神とか、龍神といわれている。当社は応神天皇の御聖徳を称えるためにまつられた社である。現在の社殿は江戸時代後期のものである。秋祭りには太々神楽の奉納がある』(「栃木県神社誌」より抜粋)
IMGS0753s.jpgIMGS0754s.jpg
 狛犬。
 台座には慶應二年寅九月吉日と刻まれているので1866年のもの。
IMGS0749s.jpgIMGS0750s.jpg
 別角度で。
IMGS0738s.jpg
 鳥居。
IMGS0764s.jpgIMGS0767s.jpg
 狛犬。
IMGS0772s.jpg
IMGS0774s.jpg
 狛犬と言うより倒れた金精様のように見えなくも……。
IMGK7280s.jpg
 拝殿正面。
IMGS0783s.jpg
 斜めから。
IMGK7282s_20130326005229.jpg
 社殿裏から。
IMGS0781s.jpg
 三峯神社。
IMGS0777s.jpg
 神楽殿。
DSCN8819s.jpg

磐裂根裂神社(壬生町安塚)

IMGK7260s.jpg
 五味梨神明神社の南東、亀塚古墳の頂に鎮座する磐裂根裂神社(壬生町安塚405)。
 参道入口脇に駐車スペース有り。

『創立は詳らかではない。大正三年(1914)九月一四日に、字田屋敷の無格社御嶽神社、字内屋敷の無格社大杉神社、字植竹の無格社八坂神社、字古屋敷の無格社浅間神社を合祀した。氏子数は一二○戸。境内地は国有地であったが、昭和五二年(1977)に当時の役員の働きによって払い下げを受けた』(「栃木県神社誌」より抜粋)
IMGS0703s.jpg
 拝殿。
 亀塚古墳は全長55m程の前方後円墳であるのだそうだ。こちらはその前方部。
IMGS0712s.jpg
 末社。
IMGS0710s.jpg
 雷電塔。
 文政二天卯十一月吉日と刻まれているので、1819年のもの。
IMGS0714s.jpg
 左の祠の中には壊れた神輿が収められていたので、神輿庫なのだろう。
IMGK7273s.jpg
 墳丘上に倉庫。
IMGS0728s.jpg
 双体道祖神と薬師塔。その後ろに宝篋印塔。
IMGS0725s.jpg
 鳥居側から見た参道。

五味梨神明神社(壬生町安塚)

IMGS0689s.jpg
 姿川に架かる弥五郎次橋を渡って西へ向かうと、十字路北側にある上長田公民館の隣に神明神社(壬生町安塚3094)が鎮座している。地図には五味梨神社と記載されているが、神明神社が正しいようだ。
 駐車場は無いので、路肩に駐車。
IMGK7259s_20130325210507.jpg
 拝殿。
 左側には生馬神。「日支事変出征馬 昭和十二年」とも刻まれているので1937年のもの。
IMGK7255s_20130325210506.jpg

三嶋神社(上古山)

IMGS0680s.jpg
 東明神社の北西に鎮座する三嶋神社(下野市上古山1428)。
IMGS0670s.jpgIMGS0672s.jpg
 狛犬。
 台座に刻まれた文字部分が崩れているため、大正時代に作られたと言うこと以外は不明。
IMGS0644s.jpg
 末社。
IMGS0664s.jpgIMGS0665s.jpg
 狛犬。
IMGS0677s.jpg
 拝殿。
IMGS0645s.jpg
『皇大神人皇十一代垂仁天皇二十六年(紀元前4年)九月山陰道丹後の國磯宮より伊勢の國渡會郡五十鈴原山田の里に御遷坐あり。明治三十年(1897)千九百年の奉祝祭三月十五日に奉拜禮次に御神楽を奉奏す。因て記念の為額面を献す』

 …うん? これって伊勢神宮のことでないかい?
IMGK7247s.jpg
 社殿後ろから。
IMGS0649s.jpg

高尾神社(針ヶ谷町)

DSCN8795s.jpg
 新川を挟んで陸上自衛隊宇都宮駐屯地の西に鎮座する高尾神社(宇都宮市針ケ谷町255)。
IMGK7231s.jpg
 二の鳥居は基本的には台輪鳥居だと思うが、笠木の形がちょっと変わっている。
IMGS0632s.jpg
 拝殿。
 中に掛けられた額には高龗神社と書かれている。「たかおかみ」が「たかお」に変わってしまったのか、それとも高龗が高尾神に書き変わってしまったと言う事なのだろうか?
 ちなみに、ググってみると主祭神は日本武尊で、寛正二年(1461)の創建。その後宝暦五年(1755)に再建されたとのこと。高龗神社なのに高龗神が御祭神じゃないのかー。
IMGS0609s.jpg
 末社。
IMGS0620s.jpgIMGS0629s.jpg
 不動明王。高尾繋がりだろうか。
IMGS0622s.jpgIMGS0630s.jpg
 こちらも不動明王…か? 台座には造立寛文二年の文字が見えるので、1737年のもの。
IMGS0624s.jpg
 末社。
IMGS0626s.jpg

IMGS0637s.jpg
 遠景。

東明神社(上古山)

DSCN8771s.jpg
 上古山集落センターの北東、新川と西川田川に挟まれた位置に鎮座する東明神社(下野市上古山756)。
DSCN8775s.jpg
 鳥居。
IMGS0599s.jpg
 直径約22m×19m、高さ約1.5m程の円墳の上に拝殿が築かれている。東明神社古墳と呼ばれているのだそうだ。
DSCN8787s.jpg
『東明神社
無格社 下野市上古山七五六番地
主祭神 磐裂根裂大神
配 神 天照皇大神、大雷大神、大物主大神
例 祭 一○月一○日
氏 子 一○○戸一同
由緒沿革
 当社は、往古虚空蔵の宮と称して現在の地に鎮座せられて神威を振ったが明治四十二年(1909)十月十日時の惣代、藤田藤四郎、青柳幸次、高山清次郎氏等が氏子一同に議り、雷電神社、神明宮、金刀比羅宮を合祀す。
 氏子は東根坪、明之内坪、畑中坪に居住する崇敬者なるため、東根坪の東、明之内坪の明をとって東明神社と名前を改称した』
IMGS0602s.jpg
 末社と御神燈。
IMGS0606s.jpg
 末社と御神燈。

古山神社(上古山)

DSCN8766s.jpg
 新川に架かる柳橋の東に鎮座する古山神社(下野市上古山92)。
IMGS0590s.jpgIMGS0594s.jpg
 狛犬。
 台座には昭和五十九年十月十七日と刻まれているので、1984年のもの。
IMGK7209s_20130324220831.jpg
 拝殿。
IMGK7205s_20130324220830.jpg
 神輿殿と彰徳社。
IMGS0588s.jpg
 末社。
IMGK7211s.jpg
 庚申塔。

長田神社(下長田)

IMGS0545s.jpg
 姿川の西岸に鎮座する長田神社(下野市下長田440)。
 注連縄が蛇の形になっている。
DSCN8753s.jpg
『長田神社由来
 抑按ずるに長田の地は地形高台地を以て南北に連續しこれに沿いて東方に水田遠延す平安の末期頃其の農耕より開発せられ戸戸繁殖してそのみのりは永久住民の生命を保持し山海に豊む処なり。之當長田の語源にして由以なり降って三代将軍徳川家光公の御代千時寛永中當部落は大火災に遭遇し往古の古記録はことごとく灰燼に帰し詳しからずると雖も大火災後住民一同鳩首疑義の結果部落丑寅の方に火伏の神として火産霊命を奉鎮したる処天変地異は絶之住民は安んじて生業に精を出す様になったと専ら古老の口碑に傳れり之神愛宕大神と尊稱し奉る明治五年太政官布告により當村鎮守と定められ村社に列し愛宕神社と改稱す大正年中大字内に散在せる無格社天満宮仝雷電神社を合祀し長田神社と改稱せり大東亜戦に入るや壬生飛行場開場に當るや當社境内も全面強制的に場内統合計畫の線を引かれし為氏子一同連署を以て我鎮守を永久守護せんと縣社寺課に再度嘆願して止まず遂に御神慮の赫々御神威か四方に振いて熱勢なる嘆願も其の効ありて縣の許の栄冠に浴し今は瞼の杉檜荘厳の森は近隣まれにしていわくかん高き感を覺ゆる聖地なり安産守護、火災除、五穀豊穣、国家安康の神として四隣町村遠近より参詣者頗る夛き社なり』

 愛宕神社と天満宮と雷電神社が合祀されているということは、御祭神は火産霊命と菅原道真公、大雷命かな。
IMGS0550s.jpg
 二の鳥居。
 こちらの注連縄は蛇形にはなっていない。
DSCN8756s.jpgDSCN8758s.jpg
 狛犬。先代様だろうか。
DSCN8764s.jpg
 拝殿と狛犬。
IMGS0557s.jpg
 末社。
IMGK7198s.jpg
 なんか古墳っぽい感じだなーと思ったら、やはり古墳だった。長田塚古墳と呼ばれているようだ。
IMGS0571s.jpgIMGS0548s.jpg
 日露戦役徴発生馬神と庚申塔。

至宝神社(壬生町落合三丁目)

IMGK7187s_20130324211300.jpg
 北関東自動車道壬生インターチェンジの南側、至宝町公民館脇に鎮座する至宝神社(壬生町落合3-8)。
DSCN8744s.jpg
 詳細は不明。
DSCN8747s.jpg

四所神社(壬生町国谷)

IMGS0543s.jpg
 壬生総合公園の東南に鎮座する四所神社(壬生町国谷1005)。
DSCN8737s.jpg
『御祭神
 大日孁貴命・天児屋根命・大雷命
 素戔鳴尊・誉田別命・倉稲魂命
由緒沿革
 元禄九年(1696)
 野州壬生領国谷村寺社御改帳に次の記録がある。
  写 御長々壱尺四分 作知不申候
    御堂 高さ・七尺三寸 横・三尺
    地内 三畝弐拾壱歩 宮守り次郎兵衛
 大正初期国谷四地区の大神様を合祀、村社四所神社となり拝殿を造営。
 昭和二九年(1954)神社本庁包括下宗教法人四所神社となり国谷の産土神として現在にいたる。
祭礼日
 一月一日   歳旦祭
 三月二五日  春祭り(祈念祭)
 八月二五日  風祭り
 十一月九日  秋祭り(新嘗祭)
 十二月三一日 古札焼納祭』
IMGK7175s.jpg
 神楽殿。
IMGS0533s.jpgIMGS0534s.jpg
 狛犬。
IMGS0541s.jpg
 二の鳥居。
IMGS0530s.jpg IMGS0531s.jpg
 狛犬。
 台座には昭和拾八年拾二月吉日と刻まれているので1943年のもの。
IMGS0525s.jpg
 拝殿。
IMGK7177s_20130324205522.jpg
IMGS0527s.jpg
 周囲にはいくつか小高い盛り上がりがあり、古墳かと思ったのだが、どうやら館の土塁跡であるようだ。

磐裂根裂神社(壬生町福和田)

DSCN8721s.jpg
 黒川のほとりに鎮座する磐裂根裂神社(下都賀郡壬生町福和田519)。地図には惣の宮神社と記載されているが、正しくは磐裂根裂神社であるようだ。

『創立年代は不詳であるが、正親町天皇の御代、天正年間(1573~92)にはすでに鎮座していたと伝えられている。石灯籠も古く、また、社木も数百年経ったものがあったという。明治四年(1871)の太政官布告により、境内地は第一種官有地に編入された。大正五年(1916)二月に龍神社を合祀した』(「栃木県神社誌」より抜粋)
DSCN8730s.jpg
 鳥居。
DSCN8726s.jpg
 参道。
IMGS0510s.gifIMGS0508s.gif
 狛犬。
DSCN8728s.jpg
 拝殿斜めから。
DSCN8725s.jpg
『日露戦勝一○○年、第二次大戦六○年の記念に氏子一同、心を一つにして、当磐裂根裂神社の改修(屋根葺変、他)を奉納。左記の総代役員一同、永久の平和を誓い、その旨を奉る。
 平成十七年十一月吉日』
IMGS0488s.jpg
 末社。
 前列左から八龍神社、天満宮、稲荷神社、神明宮、琴平神社、雷電宮。八龍神社と雷電宮は大正四年二月吉日、それ以外は明治四十四年十一月十五日と側面に刻まれている。
 後列には二社あるが何神社なのかは不明。側面にはどちらも明治廿二年十一月十五日の文字。
IMGK7172s.jpg
 軍馬慰霊碑や徴馬記念碑、庚申塔などが並んでいる。
『改修記念
 悠仁親王殿下御誕生記念に数々の庚申様(猿田彦大神)を、美しい境内地に鎮座改修する。
 平成十八年十二月吉日』

星の宮神社(大平町富田)

IMGS0470s.jpg
 樋下稲荷神社より東に向かうと、東武日光線の踏み切りそばに星の宮神社(大平町富田1193-1)が鎮座している。
IMGS0464s.jpg
 二の鳥居。
IMGS0461s.jpgIMGS0462s.jpg
 青面金剛と庚申塔。
 青面金剛には享保元歳丙申仲秋と刻まれているので1716年のもの。
IMGS0455s.jpg
 随神門。
 中は空で随神いないけど。
DSCN8715s.jpg
 覆屋の中に本殿。
 御祭神は天香香背男命であるのだそうだ。
 5月19日追記:「大平町誌」や「栃木県神社誌」によると御祭神は磐裂命・根裂命。
 寛永十八年(1641)の神社調書に名が記されていることから、創建はそれよりも前と思われる。明治元年(1868)、神仏判然令により星宮明神から星宮神社と改称。明治以前の別当は富田の玉正寺と伝えられる。昭和二十六年(1951)二月三日の火災により社殿を焼失、その後再建し現在に至る。

 以上で3月16日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mmとFA28mm、FA43mm。K-7にDA21mm。Coolpix P7100。

樋下稲荷神社(大平町富田)

IMGS0448s.jpg
 県道11号富田バイパスのぶどう団地入口交差点南西に鎮座する樋下稲荷神社(大平町富田1392)。
IMGK7155s_20130320150100.jpg
 拝殿。
IMGS0445s.jpg
 冨士浅間大神。
IMGS0447s.jpg
 末社。

白山神社(旭町)

DSCN8703s.jpg
 開明橋から東へ歩いて行くと、旭町五丁目公民館の北西に白山神社(旭町8)が鎮座している。狭い。

熊野神社(河合町)

IMGS0433s.jpg
 巴波川に架かる開明橋の脇に鎮座する熊野神社(河合町6-10)。
 御祭神は伊諾那岐命で、創建時期は安政年間(1854~60)と伝えられているのだそうだ。

 参拝した時は開明橋の改修工事を行なっている最中だったので、鳥居が解体されているのはその際に一時的にどかされたからなのかな。車は駅前のコインパーキングに置いて徒歩で来た良かったけど、そうでなかったら通行止めで出直しになっていたところだ。
IMGS0439s.jpgIMGS0442s.jpg
 お地蔵さまと青面金剛。

東宮神社(片柳町二丁目)

IMGK7138s_20130319225554.jpg
 以前、神田町東宮神社のコメント欄にて小熊宏始さんから頂いた情報の通りに栃木駅から両毛線沿いに歩いて行くと、踏み切り近くに東宮神社(片柳町2-45)を発見。
IMGK7139s.jpg
『東宮神社
祭神 天児屋根命
 此の社は永禄六年(1563)皆川俊宗が川連城を支城にした時、北東の方位に社を祭祀し、鬼門除け及び川連城の守護神とした。
 天正十八年(1590)四月八日天下統一のため、豊臣秀吉の派遣軍上杉・浅野両軍の兵に攻められ落城してしまった。その時ここから逃れようとした家老の奥方や姫等が、敵兵の刃にかかり殺されてしまった、それを哀れんだ村人達がその霊の供養と五穀豊穣、無病息災を祈願してきた。
 現在も行事は続いており毎年四月八日に氏子による例祭を行っている』

三日月神社(平柳町二丁目)

IMGS0421s.jpg
 栃木県道2号宇都宮栃木線脇、ホームドライウシオダの向かい側に鎮座する三日月神社(平柳町2-8)。
 三日月神社と言うことは、御祭神は月読命かな。

蛇龍妙王神社(今泉町二丁目)

IMGK7117s_20130319210204.jpg
 東部日光線新栃木駅南側踏み切りのそばに鎮座する蛇龍妙王神社(今泉町2-6)。踏み切りでの危険回避の為に今泉神社に車を置いて歩いて来たのだが、駐車場は無いようなので正解だったようだ。鳥居の脇に一台分くらいのスペースはあるので、置けないこともないのかも知れないけど。
 以前、榎堂稲荷神社のエントリーでそのうちこちらに参拝しようなどと書いているが、それから早三年近く経ってしまっている。我ながらずぼらだな。
IMGS0393s.jpg
 境内端の小さな鳥居。
IMGS0406s.jpg
 ぐるりと回る参道。
DSCN8678s.jpg
『蛇龍妙王の歴史と由来
 史実と伝説によると承平七年(936)〔*1〕平将門がここ今泉郷の豪族今泉久兵衛方に大休止した。
 その時、突如雷鳴空天に響き陣屋の大木根元より白き大蛇が現れ、家臣が驚き斬り付け白蛇は池の水を「朱」に染め没入した。
 この様子を見た平将門は地鎮の主をあやめた過ちを悔い朱を嫌う蛇龍神と命名し祠を建てて供養し領民を災難より守り給えと祈願したと伝承していた。
 弘長六年(1261)〔*2〕鎌倉時代開祖日蓮大聖人の高弟日家上人が弟子行者を連れ下野今泉郷に入り平将門伝説を久兵衛孫より聞き蛇龍妙王と改め日蓮宗門の太鼓を打ち経を唱え、久兵衛一族・領民と共に祈祷した。
 時が変わり天慶三年(1338)〔*3〕足利時代に尊氏弟直義自ら征夷大将軍と称し、東北征途の途次に平将門の伝説を聞き蛇龍妙王の祠の前で戦勝祈願・天災・厄禍病難除けの祈祷も併せ行ったといい、爾来日家上人の教えを守り「朱」を嫌う守護神と伝承された。
 その後も今泉久兵衛子孫に代々申し継がれ豪農より藍玉を造り藍問屋に発展するに及び板橋久兵衛と改称したが板橋家十八代祠子「友作」は家業を嫌い文武を好み、水戸老公を慕い水戸へ行き「林子平」に学び士官して水戸藩士となったが、板橋家は次第に没落した。
 斉昭の代には幕末風雲急を告げ、尊皇の念止み難く、「友作」は姓を師より拝名し「林友作」と改め、同志と共に江戸に潜入、脱藩して浪人となり板橋家より軍資金を運び、武田耕雲斎・有村治左ヱ門等と計り、萬延元年(1860)安政の大獄後三月三日(桜田門外の変)〔*4〕大老「井伊直弼」に天誅を下し追手を逃れ浪々する。
「林友作」は維新の壬生戦争、天狗騒動にも参加したが合戦で傷つき同志と共に今泉の故郷に辿り着き数名の重傷者と「蛇龍妙王池」の清水で傷を洗い「笹」を傷口に当て治療すれば不思議にも数日で治癒したと近隣に広まり、五月一三日、日蓮宗門妙昌寺住職を招き「報恩感謝」の祈祷供養を営み平和を領民信者共々毎年当日祭礼を行う習慣となった。その後「林友作」は勤皇派画家、田崎草雲と行動を共にし足利に移住、大正初め八五歳で没す。
 明治時代、維新の大業なり日本発展躍進中、日清・日露戦役・満州支那事変・太平洋戦争等民族発展と自衛の戦争に従事した人々は「武運長久」を祈願しお守札と笹の葉を守り本尊代わりに身につけ出征したが、不思議にも重傷を負っても生還者が多く実例が多数に及び枚挙にいとまがない程であった。
 今や平和民主国家となり経済発展したと雖も、生きるための経済戦争とも言うべき生存競争が繰り返され厳しい世相を乗り切るためにも人々の心の安全に信仰心こそが必要な現代にあって「国家安泰」「家内安全」「交通安全」の守護神として、近隣をはじめ遠方より信仰者が次第に増え続けている』

 どうでもいい補足。
 *1 承平七年は936年ではなく937年。
 *2 弘長は四年までしか無く、1261年は弘長元年。
 *3 天慶三年は940年であり、1338年は延元三年。
 *4 桜田門外の変の時点ではまだ安政七年。万延元年になるのはその二週間後くらい。
DSCN8681s.jpg
 こちらが伝説に出て来る池? 後から造ったような感じではあるけど。
DSCN8689s.jpg
 末社。
IMGS0404s.jpg
 夫婦桜。
 元々二本の枝が絡み合って一本になっていることからそう名付けられたと書かれたプレートが打ち付けられていた。
IMGS0415s.jpg
 水盤。
IMGS0410s.jpg
 二・三・四の鳥居と拝殿。
IMGS0399s.jpgIMGS0419s.jpg
 蛇龍妙王像。

今泉神社(今泉町一丁目)

IMGS0374s.jpg
 今泉町公民館に隣接して鎮座する今泉神社(今泉町1-25-5)。
DSCN8668s.jpg
『昔、この地方は原野だった。慶長三年(1598)皆川広照の命により、若色和泉助政房が開墾し、和泉新田と称したが、慶長十三年政房の子三郎右衛門が継承してからは、今泉と言うようになった。
 今泉神社は、文禄年間(豊臣秀吉朝鮮出兵のころ)の創立で、天御中主命を祭ってあり、昔は妙見宮と称していたが、明治五年に今泉神社と改称した』
IMGS0392s.jpg
 手水舎の跡…かな?
IMGK7112s.jpg
 拝殿。
IMGS0388s.jpg
 南側から。
DSCN8673s.jpg
 末社。
 平成五年(1993)に再建されたもので、大杉神社(大国主命)、三峰神社(三峰大神)、愛宕神社(軻遇突智命)、稲荷神社(豊受大神)、天満宮(菅原道真公)、妙見宮(妙見菩薩)の六社が合祀されている。
IMGS0387s.jpg
 妙見宮。側面に文化六己巳年と刻まれているので1809年のものだ。

川連天満宮(大平町川連)

DSCN8650s.jpg
 栃木県道309号栃木環状線と県道11号栃木藤岡線の交わる川連交差点の脇に鎮座する川連天満宮(大平町川連516)。
 駐車場は無く、境内に乗り入れることに。
DSCN8653s.jpg
 ズーーム。
IMGK7100s.jpg
 拝殿。
 渡り廊下で社務所と繋がっている。

 5月19日追記:「栃木県神社誌」によると天正年中(1573~92)の創建で、代々の伊賀守氏に信仰されていたが宝永六年(1709)に社殿を焼失。その後、熊倉玄蕃が畑一反五歩を献納して社殿の改築を行ったと記されている。
「大平町誌」によれば、かつては愛宕神社と称し、代々の川連城主に信仰されていたが火災に遭い社殿を焼失。慶長年間(1596~1615)に再興。昭和二十七年(1952)、天満宮に改称したと記されている。
IMGS0359s.jpgIMGS0360s.jpg
 狛犬。
IMGK7103s.jpg
 本殿。
IMGK7110s.jpg
 忠魂碑の脇に川連護国神社。
IMGS0357s.jpg
 神楽殿。
IMGS0362s.jpg
『天満宮の神域に栃木‐藤岡線バイパス道路の通過に依りて神社移転の止むなきに至り神社役員相談の末神社本廰に申請其の承認を得る。昭和五十四年十二月に移転運営委員会を作る。其の委員と談り境外社地に假宮を作り假遷座を行う。其の后境内地の整備(元の敷地より一、四米平均地上げ)玉垣の建設本殿拝殿の移転を行い昭和五十六年三月二十八日、遷座の神式を奉仕す。引継ぎ相談役を選出して三者役員にて相談し社務所神楽殿の建設を行い昭和五十七年三月三十日奉祝祭を執行する。其の后に拝殿の屋根替え社標の建立を行いて此の事業を完了す』
IMGS0364s.jpg
 浅間大神・小御嶽大神・内外八海大神・角行食行霊神。
IMGS0366s.jpg
 左は諏訪神社(昭和七年九月十九日)。右は不明。またこの下にも小さな石祠があったのだが、そちらも不明。
IMGK7108s_20130319002535.jpg
 大平町史跡 川連城跡。
DSCN8659s.jpg
『町内川連の一部と栃木市片柳町にまたがって位置する川連城は、応仁年間(1467頃)川連仲利が築城したが、永禄六年(1563)皆川俊宗によって占領され、その後修築されたちいわれる複郭の平城で、東西380メートル、南北500メートルと大規模のものである。俊宗は川連城を占領すると太平山の中腹にあった星住山円通寺を川連へ移した。そして幾多の戦いに討死にした家臣菩提のため川連村の阿弥陀堂で常念物を供養した。その後天正年間(1573~1591)に皆川氏の政策によって二ヵ寺は栃木へ移された。現在の栃木市円通寺と定願寺がそれである。
 城の南側には城下繁栄策により村が形成されたが、江戸時代になると例幣使街道が通過し、富田宿と栃木宿をつなぐ中継点となった。
 川連城跡は昭和56年の県道宇都宮‐藤岡線バイパス道路工事や土地改良などによって、現在その遺構の大半は消滅した』
IMGS0370s.jpg
 青面金剛。

日枝神社(沼和田町)

IMGK7088s_20130318220048.jpg
 栃木市立南小学校の西に鎮座する日枝神社(沼和田町47)。
IMGS0342s.jpg
 拝殿。
IMGS0344s.jpg
 八坂神社。
IMGS0347s.jpg
 末社。
 うっすらと何か書かれていた跡は見えるのだけど、なんと書かれていたのかはさっぱりわからない。側面には昭和四十二年三月吉日と刻まれているので1967年のものであることだけはわかる。

雷電神社(大平町牛久)

IMGS0312s.jpg
 県立栃木翔南高校のやや東に鎮座する雷電神社(大平町牛久)。
IMGS0315s.jpg
 青面金剛と庚申塔。
IMGS0318s.jpg
 拝殿。
 御祭神は鳴雷神。配祀神に大物主神。
IMGS0323s.jpgIMGS0324s.jpg
 狛犬。
IMGS0322s.jpg
 右側は人麿大明神。左側は八坂神社。

愛宕神社(大平町土与)

IMGS0293s.jpg
 県道153号線からみずほクリニック前を西へ向かって行くと厳島愛宕神社(大平町土与300)が鎮座している。
 鳥居や拝殿には額が無く、また殆どのウェブマップに名称が記載されていないが、駅探やMapFanには弁天様と書かれているので、ならば厳島神社だろうと判断。……したのだが、ググっていたら青面金剛を専門に巡回されている方のブログに愛宕神社と書かれていたので、こちらは愛宕神社なのだろう。

 5月19日追記:「栃木県神社誌」によると御祭神は火産霊神。創建時期は不詳。明治四十年(1907)に神明宮を合祀。亦、厳島神社を合祀したがその年に氏子地域に多くの病人が出たことから元の地に戻したと伝えられると記されている。地図に弁天様と書かれているのはその名残だろうか。
IMGS0295s.jpg
 鳥居アップで。
IMGK7077s.jpg
 拝殿。
IMGS0302s.jpg
 本殿。
 その左右にも石祠が見える。また額も掛けられているのだが、よくわからない。
IMGS0304s.jpg
 青面金剛及びその他。
IMGS0305s.jpgIMGS0309s.jpg
 享保元丙申十一月(1716)と正徳五乙未年七月(1715)の青面金剛。
IMGS0310s.jpg
 石祠。

豊栄大神宮(大平町横堀)

IMGS0289s.jpg
 栃木県道153号線横堀交差点そばに鎮座する豊栄大神宮(大平町横堀629)。
 社名から推測するに、御祭神は豊受大神だろうか。この辺りには鹿島神社や春日神社もあるので豊布都神(武甕槌命)と言う可能性もあるかな?

春日神社(大平町横堀)

IMGS0235s.jpg
 巴波川に架かる吾妻橋のそばに鎮座する春日神社(大平町横堀330)。もう少し後に来れば桜で華やかな参道になっていたのだろうな。
 車止めがあるので、車ではこちらから入って行くことはできないが、一本西側の細い道から二の鳥居そばの駐車場に入って行くことができる。
『主祭神 天児屋根命
 配 神 武甕槌命・経津主命・比売神
 御神徳 家内安全・開運厄除・交通安全
 歳旦祭 一月一日
 例 祭 四月十日(御神楽奉納)
 夏 祭 八坂祭    八月第一日曜日
 秋 祭 人丸神社例祭 十月九日
 新嘗祭 十一月二十三日
 大祓祭 十二月三十一日』
IMGS0239s.jpg
 猿田彦神。
DSCN8621s.jpg
 松長山久遠院大森寺跡地。
DSCN8623s.jpg
『大森家記録(古文書より)
寛文五年十二月(1666) 奉造立不動明王像
 春日大明神御宝前護摩堂御本尊安置也
    松長山久遠院大森寺開山 豪辨法印
            (圓通寺二十二世)
寛文六年八月(1666) 下野国都賀郡横堀村吾妻の地に
 公方様(四代将軍家綱公)御安泰祈祷の為に
 春日宮建立し五拾石(五町七反九畝)寄進す
     従五位下 大森信濃守藤原朝臣頼直
寛文九年十二月(1670)
 春日大明神御本地涅槃像刺繍
 横に、八八米 縦に、七六米勧募寄進
 願主 松長山久遠院大森寺開山 豪辨法印
 涅槃会祭礼 二月十五日
寛文十年九月(1670) 下野国都賀郡横堀村久遠院宛
 大樹様(四代将軍家綱公)御寿齢長久天下安寧の為
 輪王寺宮一品法親王之仰執達書
 松長山久遠院大森寺は東叡山寛永寺直末となる
延宝五年十二月(1677) 春日大明神之縁起
 鵜妻川 藤なみかけて
     春日さす 吾妻の松や
          わかえそらむ
宝永三年八月(1706) 春日宮再興勧進別当久遠院諶昭法印代
宝永七年八月(1710) 春日大明神別当久遠院宛
 従一位様(六代将軍家宣公)より
 葵御紋附戸帳拝領す 祭礼例年二月十五日
          当山四世 諶昭法印代
明治十八年(1885)大森直之より刺繍涅槃像は日光市
 鉢石山観音寺に寄附す
明治三十二年(1899)上申書控(大森直之)家宣御台
 様拝領の葵御戸帳を返納致度徳川家達殿宛』
DSCN8617s.png
 春日大明神御宝前長歌。
IMGS0243s.jpg
 二の鳥居。
 柱には「奉寄進石鳥居 春日大明神御寶前武運長久」「亍時寛文五乙巳年」と刻まれている。
IMGS0252s.jpg
 神橋と拝殿。
IMGS0254s.jpgIMGS0255s.jpg
 狛犬。
IMGS0282s.jpg
 神楽殿。
IMGK7068s.jpg
 境内社。
 石祠は左から愛宕神社、神明宮、八幡神社、白山神社、天神地祇神社。中央が人丸神社。右端は八坂神社。
DSCN8639s.jpgIMGS0274s.jpg
 辨天神社と稲荷神社。

鹿島神社(大平町上高島)

DSCN8605s.jpg
 栃木市立大平東小学校のやや南に鎮座する鹿島神社(大平町上高島)。
IMGS0226s.jpg
 拝殿。
IMGS0211s.jpgIMGS0209s.jpg
 狛犬。
IMGS0215s.jpg
 大杉神社。
IMGS0217s.jpgIMGS0220s.jpg
 浅間神社(昭和三十八年四月十日)と愛宕神社(大正十三年十二月吉日)。
IMGS0225s.jpg
 社名は見えなかったが、おそらく厳島神社だろう。石祠の側面には大正十三年十二月吉日とある。
IMGS0230s.jpg
 境内南端の石祠。何神社なのかは不明。
IMGS0234s.jpg
 庚申塔と青面金剛。

高嶋神社(大平町下高島)

IMGS0171s.jpg
 栃木県道153号南小林栃木線と県道311号小山大平線の交差する下高島交差点の北東に鎮座する高嶋神社(栃木市大平町下高島)。
IMGS0175s.jpg
 二の鳥居。
IMGS0194s.jpg
 拝殿。
 由緒書きなどは設置されていないのでいつものようにググってみると、藤原秀郷が武運長久を願って鹿島神社をこの地に勧請し、後に社号を高嶋神社に改めたと伝えられているのだそうだ。と言うことは、御祭神は武甕槌命になるのだろうか。
IMGS0189s.jpgIMGS0190s.jpg
 狛犬。台座には昭和六年(1931)九月十九日と刻まれている。
IMGS0187s.jpg
 日清戦争陸軍徴発軍馬霊塔。
IMGS0197s.jpg
 比良伎ヶ丘と刻まれた石塔が建てられている。背面には明治三十八年氏子中と大きく刻まれているので1905年のものであることはわかるのだが、なんだろうコレ。 
IMGS0200s.jpg
 こんもりと盛り上がったこれが比良伎ヶ丘と言うことなのだろうか。と言うかそもそも比良伎ヶ丘ってなによ?

抜弁天厳嶋神社(余丁町)

IMGS0156s.jpg
 抜弁天交差点脇に鎮座する厳嶋神社(新宿区余丁町8-5)の南の鳥居。
DSCN8598s.jpg
『厳嶋神社・抜弁天
一、由来
 白河天皇の御代、応徳三年(1086)鎮守府将軍・源義家公は、後三年の役で奥州征伐の途上この地に立ち寄り、遠く富士を望み安芸の厳島神社に勝利を祈願した。義家は奥州鎮定後その御礼に神社を建て、市杵島姫命を祀ったのが当厳嶋神社の始めと伝えられている。(豊多摩郡誌参照)

二、江戸時代
 参道は南北に通り抜けでき、また苦難を切り抜けた由来から、抜弁天として庶民から信仰され、江戸六弁天の一つに数えられている。また山の手七福神を構成する弁財天でもある。
 江戸時代の地誌、大久保絵図(安政四年=1857)には、別当二尊院・抜弁天と記載され、また他の絵図にはここに稲荷神社があったことも示されている。
 徳川綱吉将軍の「生類憐みの令」により、この附近に二万五千坪の犬小屋が設けられていた』
IMGS0162s.jpg
 鳥居と社殿。
IMGS0165s.jpg
 堀では鯉も泳いでいる。
IMGS0157s.jpg
 北の鳥居。

 以上で3月9日参拝分終了。
 この後はフォーカシングスクリーンML-60やアイカップMⅡを購入したりペンタックスフォーラムに行って来たり、秋葉原でAsrielのインディーズ盤を3枚程購入してから帰宅。
 使用機材はK-5ⅡsにDA15mmとDA21mm、DA70mm。K-7にDA40mm。Coolpix P7100。
カレンダー
02 | 2013/03 | 04
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -
ブログ内検索
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
最近のトラックバック
FC2カウンター
プロフィール

Author:梁瀬
無駄な徘徊でCO2を増やす、
方向感覚に不案内なヒト

リンク
RSSフィード