稲荷神社(北平野)

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 埼玉県道346号砂原北大桑線と県道84号羽生栗橋線が接続する北平野交差点の西、北平野集会所の隣に鎮座する稲荷神社(加須市北平野366)。
 稲荷庵と言う蕎麦屋が目印になるが、営業しているようには見えなかったな。
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 拝殿。
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 お狐様。
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 天神社。
 昭和四十七年一月にこちらに遷座して来たようだ。
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 末社と愛宕尊(勝軍地蔵)。
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『有形民俗文化財 勝軍地蔵の石仏
 指定年月日 昭和六十一年十二月八日指定
 所 在 地 加須市北平野三六六番地
 所有者等  稲荷神社
 造 立 年 享保十一年(1726)
 勝軍地蔵は、地蔵信仰の一形態で、悪業煩悩の軍に勝つという意味のお地蔵様であり、また火伏せの神(火防神)として愛宕信仰の対象ともされてきました。
 中世その姿から武士の信仰厚く、特に足利将軍家の尊崇厚かったといわれています。
 この地方で建てられた勝軍地蔵は、主として愛宕信仰として、火伏せの神「愛宕様」と呼ばれる信仰からと思われます。当町内で唯一の勝軍地蔵です。
 愛宕信仰の歴史を知る貴重な資料として指定しました。
 昭和六十三年三月三十一日』
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 勝軍地蔵正面。
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 浅間大神。
 背面に明治廿四年十二月吉日と刻まれているので1891年の建立。左の石祠は何神社なのか不明だが、文化十三年(1816)の建立。

 以上で4月27日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mm、DA35mm Macro、DA70mm、DA10-17mm Fish-Eye。Coolpix P7100。
 八幡浅間神社と阿佐間八幡神社の屋根に偽色やモアレが派手に出てしまったが、今度からは念の為に絞りまくって回折を起こさせて偽色低減も考えた方がいいかも。使用説明書にも書いてあったことだし。
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安楽寺(杓子木)

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 先の八坂神社の南側、杓子木集会所の隣に位置する真言宗智山派姥亀山安楽寺(加須市杓子木328)。
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八坂神社(杓子木)

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 ライオン事務器大利根センターのすぐ南側に鎮座する八坂神社(加須市杓子木)。
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 その隣の塚の頂に浅間神社。中腹には食行霊神と小御嶽神社。
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 更にその隣に猿田彦大神。
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 石段右側に天神(文化七庚午三月=1810)と石祠。天神の上には二文字分くらいのスペースがあり、またうっすらと文字らしいものも見えるのだが、読み取れない。
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 石段を上ると伊雑宮、皇拝遥碑、豊受大神。右奥は前述の浅間神社。
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 更にその隣に大六天社と塞神。
 大六天社左側の石祠は秋葉神社。
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 十九夜供養塔。
 崩れた顔半面を補修したものなのだろうけど、まるで烏天狗のように見える。
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 全景。
 駐車スペースは無いので、車はすぐ南にある安楽寺に置かせてもらった。

八坂神社(松永新田)

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 中川に架かる鹿沼橋の東側、松永新田集会所の隣に鎮座する八坂神社(加須市松永新田)。
 石段の脇には天保五年甲午正月十五日と刻まれているので、1834年にはこちらの神社はあったことになるだろうか。鳥居には「大正二年六月建之 平成二十三年十月改修」と書かれている。境内端には砕けた鳥居の残骸が置かれているので、東日本大震災で倒壊したのかも知れない。
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 境内全景。
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『八阪神社新造神幟記
松永新田今屬于豊野村地褊戸寡田又庫下
多水害以故前時民甚窘焉明治維新之後水
路渫沃濫溢無患窪汚變而成膏*由加之和
氣融液連年豊穣於是村民大喜仰聖明之鴻
澤敬神之靈佑乃以明治廿六年各醵出若干
金新造神幟二竿請余書之以獻於村鎮八阪
神社焉夫敬君者君降其惠敬神者神降其福
敬之為道永弗可志也今又刋石請余記其事
欲辤不能遂作之記云
 明治廿六年六月 白石健撰弁書   』
 註:*の部分は「月曳」
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 富士塚。
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 塚の裾には十九夜観世音塔と参明藤開山三拾三度碑。
 塚の頂には仙元大菩薩・小御岳石尊大権現・食行身禄霊神。
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 末社。
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 倒壊した鳥居と十九夜観世音塔。

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 八坂神社の少し北側に地蔵祠と十九夜塔。
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 祠の脇に牛頭天王。
 明和二乙酉年十二月吉……かな? 明和二年なら1765年のものとなる。

八幡神社(杓子木)

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 生出八幡神社から西へ向かって行くと、八幡神社(加須市杓子木)が鎮座している。
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 天明五巳年正月(1785)建立の大毘沙門天。
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 拝殿。
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 文化十癸酉十一月(1813)建立の大和大神と寛政六寅九月(1794)建立の琴平大神。
 大和大神と言うのがよくわからないが、軽く検索をかけてみた感じでは大和の大神神社の神、つまり大物主命のことのようだ。
 んー、大物主命は蛇神、つまり水神と雷神としての性質を持つ神であり、毘沙門天と八幡神も水神の性質を持つ神だ。琴平神社の祭神は大物主命なので当然同じ。あれ、そう言えば金毘羅神も八幡神も毘沙門天も金属神としての性質も持っているんだっけ。すると、この辺りでは古代製鉄が行なわれていたのかな?

八幡神社(生出)

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 阿佐間交差点から西へ向かって行くと、用水路脇の田圃の中に八幡神社(加須市生出)が鎮座している。
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 拝殿。
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 稲荷神社鳥居。
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 稲荷神社。
 …だと思う。額などは無いので確定では無いが、祠の前に稲荷神社遷座記念碑が建てられているので稲荷神社なのだろう。
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 稲荷神社遷座記念碑。昭和六十一年四月吉日とあるので、1986年に遷座して来たのだろう。
『当稲荷神社は、生出三一三番地に鎮座坐しましたが、大利根工業団地造成に伴い、大利根町立豊野小学校の移転用地と成った為八幡神社の境内神社として、此の佳地に遷座する者也』
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 左から浅間大神・小御嶽石尊大権現・食行身禄霊神、八幡宮(明治七戌十一月十五日=1874年)、天満宮(寛政五丑年十一月吉日=1793年)、聖殿宮(明治廿六年十一月=1893年)、不明(明治十四寨辛巳二月=1881年)、不明、金毘羅神社(明治廿八年二月十日=1895年)。
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阿佐間八幡神社(阿佐間)

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 埼玉県道346号砂原北大桑線と県道316号阿佐間幸手線が合流する阿佐間交差点の東南に鎮座する八幡神社(加須市阿佐間991)。
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 拝殿正面。
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『阿佐間八幡神社 御由緒
○御縁起(歴史)
 創建年月日は定かでないが、承応二年(1654)には、村の鎮守とあり人々は八幡大神を阿佐間の守護神として崇め、八幡様に神恩感謝の誠を捧げ、折々のお祭りを厳粛に斎行してきた。尚江戸期には旗本松平家の知行地となっている。
 その間、元禄五年三月十五日(1692)社殿老朽化により改築を代官松平主計頭に願い出ている。元禄十五年三月十五日(1702)台風により社殿破損のため、松平主計頭金四両を寄進し修営。さらには、元禄九年九月十六日に新畑二反一畝三分を主計頭源昭利が寄進している。
 人々の信仰厚く、享保三年十二月八日(1719)には、神祇神道管領卜部朝臣兼敬の名において「正一位八幡宮」の宗源宣旨がなされている。
 氏子此を大いに慶び灯籠祭りをおこなった。それ以来九月十四日の「宵宮祭」には今日まで灯籠祭が続いている。
 更に文政三年(1820)社殿改築。明治三年(1870)社殿改築。その後一三○年を経て老朽化甚だしく、氏子全員の総意により、平成十五年十一月(2003)銅板葺の社殿に改築(日本建築工芸設計事務所監督)。
○御祭神と御神徳
 八幡大神(誉田別尊)
 殖産興業の神。邪を祓い悪を正す神。母子神の大愛を垂れたもう神、武家の信仰厚く武神として崇められる。大東亜戦争中は武運長久を祈る人々が社頭に額ずいた。
○祭典日
 ・歳旦祭(一月一日)      ・祈年祭(三月二十五日)
 ・春季例祭(四月十五日)    ・夏越大祓・子供神輿渡御祭(七月十五日)
 ・宵宮祭(灯籠祭)(九月十四日)・例大祭(九月十五日)
 ・大祓(十二月三十一日)    ・次日祭(毎月一日) ・日供祭』
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 狛犬。
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 拝殿斜めから。
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 社殿横から。
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 石碑と御嶽山神社・八海山神社・三笠山神社、秋葉神社。
『    撫山中島慶丸署額
埼玉縣武藏國北埼玉郡豐野村阿佐間八幡神社者奉祀
以爲鎮祠其來舊矣民人敬仰祭享豐絜闔村自古毎得免流行
指獗之厲渡與危害惨憺之盗火水災閭里静謐百穀豐穣繁壌
鼓腹各樂其業是皆厚浴神澤之明験也且近時日清之役里中
從軍者五人日露之役十二人皆跂渉海陸千難萬苦冒礟人?
弾雨灶之間奮戦勇闘踰年亘月會無一死傷焉自非明神之加
護安能全此霊徳冥麻嘻大矣哉旅是里之著族遠藤宇九??
林藏小川忠太郎小野寺市兵衛四氏主唱欲撰石?命巧??
製神幡立柱之礎石以奉献于祠前蓋表報恩之意也乃得??
之賛成募醵資金衆皆奮而出財凡計貮百餘圓也數日工竣功
遂樹廟碑以傳諸永世來就余嘱文因書慕梗慨以?之
 明治三十八年十一月
 鴛城齋藤武雄撰弁書               』

『秋葉大神碑陰記
遠江國秋葉山所祀大神鎮火訶盗靈功炳焉民皆仰
而賴之由是永正中武州足立郡指扇村民遙請其靈
祠焉而祭之今茲甲午北埼玉阿佐間之村民等又就
其祠請之建石書神號以為招祀之所焉嗟乎維新而
降聖明在上賢傑輔政天地訢合年穀穣盈雖瘠土僻
村室廬櫛比財蓄豊殖鎮火呵盗尤為今日之急務其
敬奉斯神也宣矣哉及徴予文遂書諸石陰
 明治廿七年九月  白石健撰弁書    』
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 金刀比羅宮。
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 若宮八幡宮と湯殿山神社・熊野山神社・白山神社。
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 八坂神社。

八幡浅間神社(間口)

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 埼玉県道316号阿佐間幸手線間口八幡神社交差点そばに鎮座する八幡浅間神社(加須市間口479)。
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 拝殿。
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 昭和四年四月十五日造立の狛犬。
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 拝殿と八坂神社。
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 本殿裏に末社殿。
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 浅間宮と稲荷大明神。

子之権現(北下新井)

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 加須市立元和小学校の南側に鎮座する子之権現社(加須市北下新井)。
 額の縁には昭和四十九年十月吉日と書かれているが、それが建立された日なのか額が奉納されただけの日であるのかは不明。
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 こちらの子之権現は飯能市の天台宗大鱗山雲洞院天龍寺から勧請したもののようだ。

庚申神社(北下新井)

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 加須市立大利根中学校の東北に鎮座する庚申神社(加須市北下新井)。
 青面金剛が祀られているので庚申堂なのではないかなと思ったけど、でも祠の中に庚申神社移築落慶記念と書かれた板が掛けられているので、庚申堂ではなく庚申神社。
 移築作業は平成十七年十一月二十三日着工、平成十八年二月五日竣工。庚申塔は延宝八年(1680)建立と書かれている。
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 左から普門品三万三千三百三十三巻供養塔(寛保元辛酉歳十月吉祥日=1741年)、青面金剛(延宝八年庚申霜月吉日=1680年)、地蔵尊(寛政九丁巳年十一月吉日=1797年)、地蔵尊?
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『欠折耕地の膳椀
 婚礼や葬式といった大勢の人寄せに使用する膳椀類は、個人所有もあれば耕地や林家組合で共同所有するものもあった。北下新井の欠折耕地では若連が芝居を行った際の収益で膳椀三○組をそろえた。膳椀は茶箱二つに収納して庚申堂に保管され、耕地内の家で人寄せがあるときは幾らかの金を取って貸し出している。その金を貯金し、膳椀が傷んだときの修繕費や購入費に当てているという。(大利根町史民俗編より抜粋)』

秋葉山神社・稲荷神社(琴寄)

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 大利根運動公園の南側に鎮座するお堂(加須市琴寄)。MAPPLEには稲荷神社と記載されているが、どう見てもお堂。
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 十二神将がいるので薬師堂かとも思ったのだが、中央の如来像は薬師如来ではなく、禅定印の形から見て釈迦如来だろう。
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 お堂の横に秋葉山大権現と稲荷大明神。
 お堂の方が釈迦堂でいいのかどうかわからないので、とりあえずエントリー名は確定している秋葉神社と稲荷神社で。
 秋葉山神社は文政十丁亥二月十八日(1827)、稲荷神社は寛政二年(1790)の建立。
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『佛説女人成佛経一千巻
 遠所奉安措供養之地蔵
 尊在女人對此尊像慙悔
 罪障致三拝者百千辜滅』
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 石碑の上部分には地蔵尊の姿と上記の碑文が刻まれ、下部分には血の池地獄に落ちる人とそれを見る仏の姿が刻まれている。
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 お堂前にずらりと並ぶ石仏。
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稲荷神社(旗井)

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 埼玉県道84号羽生栗橋線旗井西(駅入口)交差点前にあるセブンイレブン加須旗井西店の向かい側に鎮座する稲荷神社(加須市旗井)。
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 鳥居と拝殿。
 鳥居は平成二十二年三月(2010)の建立。
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 水盤。
 文政元年戊寅年九月(1818)と刻まれているので、こちらの神社の創建はこれと同時期か或いはそれ以前と言う事になるか。

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 旗井西(駅入口)交差点のすぐ北東、堀南三区大利根ハイツ集会所脇に並ぶ石祠など。
 左から山王神社、浅間神社、喰行身禄霊神、小御嶽神社、青面金剛。
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 山王神社(宝暦二天申十二月=1753)、浅間神社(明治十四戴歳次辛巳春三月=1881)。
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 食行身禄霊神、小御嶽神社。
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 青面金剛(延宝三年九月=1675)。

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 稲荷神社には駐車場が無いので、たなばた公園の駐車場を利用。
 四阿の隣に見える双つの塚の上には左におりひめ、右にひこぼしと刻まれた石碑が置かれている。

稲荷神社(中渡)

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 加須市立大利根東小学校の北東、利根川堤防脇に鎮座する稲荷神社(加須市中渡)。
 由緒書き等は見当たらないのでググってみると、こちらの神社明細帳には「寛延二年歳次己巳(1749)二月豊日従四位下行摂津守荷田宿禰信名」とあり、また伏見稲荷神社からの分霊であることを記した証書も伝わっているのだそうだ。と言うことで、こちらは寛延二年の創建で、御祭神は宇迦之御魂大神ということになる。
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 お狐様。
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 寛政四壬子歳十一月(1792)造立の水神宮と黒田大権現。
 黒田大権現がよくわからないが、黒田大和守と言う人を祀っているのだそうだ。かつて中渡村は久留里藩の領地で、寛保二年(1742)に沼田藩から転封された黒田大和守直純が藩主となったと言う事なので、祀られているのはその人なのかも知れない。
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 堤防から。鳥居の先はすぐ行き止まりになっている。
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 前述の通り、鳥居の先は行き止まりなので、こちらのお堂前から入って行くことになる。何堂なのかは不明。
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 西側から。
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 文化七庚午年三月(1810)の十九夜供養尊や元禄十七甲申年正月(1704)の権大僧都法仰弘誉不生位地蔵尊の他、読誦大乗妙典碑や如意輪観音、青面金剛などが並んでいる。
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 享保十一丙午年十月(1726)造立の青面金剛。
 右後ろに見える小さな石塔には「吉井町クリーンセンター落成記念 平成四年九月 吉井町」と記されたプレートが付いているが、これってこの辺りとは関係ないのでは…?

八幡神社(琴寄)

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 三尺排水路に架かる三尺橋の北側、用水路傍に鎮座する八幡神社(加須市琴寄)。
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 嘉永七甲寅五月(1854)造立の青面金剛。左のものは前面がごっそり落ちていてなんだかわからないが、十九夜塔っぽい感じがする。側面には天保九戌九月と刻まれているので1838年の造立。
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諏訪神社(琴寄)

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 琴寄新田主税集会所の前に鎮座する諏訪神社(加須市琴寄)。駐車場は無いので近くにあるおおとね野菊公園の駐車場を利用。
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 鳥居にも祠にも額は付いておらず、祠の中の神璽も幣に隠されて殆ど見えないが、諏の文字が見えたので諏訪神社であろうと推測。また端の方には雷電神社の神璽も置かれていたので、諏訪神社と雷電神社が合祀されているのだろう。この二社と言うことは、豊穣を祈願して建てられたものなのかな。
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猿田彦神社(中里)

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 前の週にうっかり忘れていた猿田彦神社(久喜市中里)。
 駐車場は無いので、近くの香取神社に車を置いてから参詣。この辺りで雨が降り始めて来たが、K-5IIsは防塵防滴なのでまぁ大丈夫だろうと。レンズは違うけどねー。
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 覆い屋の下には長椅子が置かれていたりして開放的。でも祠には覆い屋がかかって無いので雨曝し。
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 本殿。
 手前の物は賽銭箱ではなく線香炉。仏教色強め?
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 南無妙法蓮華経と刻まれた碑。法華宗か日蓮宗かな。

 以上で4月20日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mmとDA21mm、FA31mm、DA40mm、50-150mmII。Coolpix P7100。
 あー、ストリートビューは便利だなぁ。事前に神社周辺の状況がわかるから、駐車スペースの有無の確認や目印などを確認しておくことでうっかり通り過ぎてしまうことが減って凄く楽だ。

オヤジ大明神(栗橋東二丁目)

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 久喜市立栗橋小学校のすぐ西側に位置する井上酒店(久喜市栗橋東2-7-27)の店頭に鎮座するオヤジ大明神。ネタ枠なので神社仏閣のエントリーではなく未整理の方で。
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 井上酒店の北西の三叉路脇に猿田彦大神。

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 純米酒みなみと本醸造酒おじょうを購入。手前にあるどら焼きは静御前の墓の隣にある三笠屋と言う和菓子屋で購入。結構美味しかった。
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 そしてこちらは全国鉄道むすめ巡り2ndのミニスタンプ。最近壬生町に行ったり日野市まで行ったりしていたのはこれが目当てだったりする(笑)
 上段左は東京スカイツリータウン・ソラマチ内の東武グループツーリストプラザ、上段右はトイキングダムおもちゃのまち店で、下段左は京王れーるランド、下段中央は井上酒店、下段右は新栃木駅構内売店でそれぞれ購入。
 全国鉄道むすめ巡り2ndは全国15箇所で行なわれているが、残りの10箇所は遠いので時間的に無理。

焙烙地蔵(栗橋東三丁目)

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 国道4号線と国道125号線が合流する栗橋交差点から埼玉県道60号羽生外野栗橋線を下りて行くと、民家の脇に焙烙地蔵(久喜市栗橋東3-16)が鎮座している。
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『栗橋町指定文化財 焙烙地蔵
 昭和五十三年三月二十九日指定
 むかし、現在の利根川に関所が設けられ、人の通行をきびしく取締っていた時代、関所を通らないで渡った者、あるいは、渡ろうとくわだて事前に発見された者は、関所破りの重罪人として火あぶりの刑に処せられたと伝えられている。処刑場も地蔵尊のある現在の場所であったという。
 こうした多数の処刑者を憐れみ、火あぶりになぞらえて、その後土地の人が供養のため焙烙地蔵として祭ったものである。今も焙烙に名前を書き入れ奉納されているのが見受けられる。
 また、エボ地蔵ともいわれ、あげた線香の灰をエボにつけると治る、といい伝えられている』

 エボ地蔵の部分を読んでランサーエボリューションが脳裏に浮かんだが、地蔵の描かれた痛ランエボとかちょっとシュールだな。
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 焙烙地蔵尊。

一言神社(栗橋中央一丁目)

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 栗橋駅東口、静御前の墓から少し北東に向かうと民家前に一言神社(久喜市栗橋中央1-2-15)が鎮座している。
 GoogleやMapion、Navitimeなどのウェブマップでは久喜市栗橋中央1-2-15と書いてあるのだけど、神社の所在地をまとめたサイトや埼玉県庁公式サイトなどを見ると久喜市栗橋中央1-1046になっているのは何故なんだ。しかも埼玉県庁サイトは今月12日に更新されている筈なのに。まあいいや。
 こちらも由緒書き等は見当たらないのでググってみると、静御前の侍女であった琴路が最勝王院(現在の経蔵院)の境内に静御前の鎮魂の為に創建したものであり、静御前が今際の際にただ一言、義経の名を呼んで息絶えたので一言神社なのだとする伝説や、利根川の洪水の際に人柱にされた旅の母子が一言言い残そうとしたが叶わず村人達によって水中に投げ込まれてしまったので、その慰霊の為に一言神社が建立されたと言う伝説が残っているのだそうだ。こうなると、じゃあ御祭神は一言主神とは違うの? となりそうだが、実際のところは不明ながら一言主神がそうであると見做されているようだ。
 右側の小さな祠は稲荷神社。
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 元禄二己巳天十月(1689)造立の青面金剛。
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千勝神社(井坂)

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 栗橋駅の西南に位置する千勝神社(久喜市伊坂1339)。
 鳥居の石額には三島大明神・千勝大明神・御霊宮の名が刻まれている。
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 拝殿。
 由緒書き等は見当たらないのでググってみると、事代主命と猿田彦命を御祭神としているようだ。三島神社の事代主命と千勝神社の猿田彦命として、御霊宮に祀られているのはどなたなのだろう。
IMGS2252s.jpgIMGS2253s.jpg
 狛犬。
 台座には明治四拾壹年三月丗一日大々御神楽執行と刻まれているので1908年の造立。しかし壹と一が混ざっていたり三が参じゃなかったり、この新旧混ざり具合はなんだろう。
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 社殿東側から。
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 本殿裏手に庚申待供養塔。
 猿田彦命を祭神としている割には庚申塔が少ないな、ここ。どうやら青面金剛などはこちらのすぐ北側にある真言宗迎盛院に纏められているようだ。
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 子之権現神社。
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 浅間神社鳥居。
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 浅間神社と小御嶽神社。
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 雨宮神社と……なんだろう?

感覚稲荷神社(松永)

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 松永神社の南西に鎮座する感覚稲荷神社(久喜市松永)。
 ここから数メートル東に向かうと、改築されたばかりと思しき祠が三つ東を向いて並んでいるが、近くにいた人に地図に載っていないが個人所有の神社なのかと尋ねてみたらそうだとの答えがあったので、そちらは参拝していない。
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 この辺りは旧利根川堤防の跡で、鎌倉古道が通っていたのだそうだ。松永神社のそばにプレートが建てられていたのだが、撮影しておくのをうっかり忘れていた。

松永神社(松永)

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 埼玉県立栗橋北彩高等学校の南側に鎮座する松永神社(久喜市松永345)。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
 由緒書き等は見当たらないのでいつものようにGoogle先生に訊いてみると、永正二年(1505)に紀伊国(現在の和歌山県)から移り住んだ松長慶長(鈴木三郎)が土地を開発し、それより先に土地の開拓を行なっていた草加、村上、倉橋の三氏を祀った地神尊と共に、氏神として紀伊より勧請した熊野神社を奉斎。後、村内に星宮神社と香取神社、天神社を創建。現在の松永神社はこの内の星宮神社を母体としており、幕末に香取神社が合祀され、明治四十三年(1910)に熊野神社と天神社、稲荷神社を合祀し、大正三年(1914)に松永神社に改称したと言うことだ。また、松永神社になる前は星野神明社とも呼ばれていたようである。
 御祭神は天香香背男命・須佐之男神・伊邪那岐神・伊邪那美神の四柱であると言うことなので、星宮神社と熊野神社が主体になっているようだ。香取・天神・稲荷も合祀されているので、経津主命・菅原道真公・倉稲魂命も配祀神として祀られているのだろう。
 余談だが、松長村は延享四年(1747)に一橋家領となった時に松永村と改めたのだそうだ。
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 逞しい狛犬。
 台座には文化七庚午歳三月吉辰日と刻まれているので1810年の造立。
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 拝殿前左側の祠に納められた神輿。
 祠の中には雷電神社修繕寄附と書かれた板が打ち付けられているので、こちらは雷電神社と言う事になるだろうか。
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 左から稲荷社、天神宮、熊野大権現、地神尊。
 天神宮は文化六己巳九月(1809)、地神尊は天保二年辛卯九月(1831)の造立。
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 松永神社社殿両脇に建てられたこちらの祠には額などは無かったので何神社なのかは不明。ただ、先程の石祠に中には香取神社は見当たらなかったので、このどちらかが香取神社であるのかも知れない。
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 左側の祠の中には関羽と周倉を描いた大絵馬が掛けられている。

八幡神社(佐間)

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 国道125号線と埼玉県道316号阿佐間幸手線の交わる佐間西交差点の東、真言宗豊山派八幡山定福院の西隣に鎮座する八幡神社(久喜市佐間577)。
 鳥居を撮影していたら氏子の方々による境内の清掃が始まったので、邪魔にならないようにこちらは後回しにして先に羽黒権現神社、白山神社、元香取神社、八幡社を参拝。この四社は駐車場が無いのでこちらに車を置いて徒歩で移動。戻って来た時には既に清掃は終了していたので参拝。
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 拝殿。
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 歌舞伎絵馬案内板。
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 青龍権現社。
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 祠の中には辨財天と青龍大神。
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 嘉永三庚戌年(1850)造立の狛犬。
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 拝殿左側に愛宕神社。
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 愛宕神社本殿と狛犬。
 本殿の中には勝軍地蔵像が納められているのが見える。その隣に額が置かれているが、文字がうねっていてなんと読むのかわからない。
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 拝殿右側に神輿殿。
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 本殿裏手には笠間稲荷神社。
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 笠間稲荷神社横から。

八幡社(高柳)

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 臨済宗円覚寺派荷王山寶聚寺の北西に鎮座する八幡社(久喜市高柳)。
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元香取神社(高柳)

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 高柳寺新田香取会館の隣に鎮座する元香取神社(久喜市高柳2224)。
 元香取と言う名の由来はなんなのだろう? この辺りの地名は元ではないし、遷宮記念碑を見ると何処かの神社に合祀されたが故に元香取と言う名前になった訳でもないようだ。
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 拝殿。
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 元香取社遷宮記念碑。
 昭和十一年十二月十九日と刻まれているので、1936年に何処からかこちらに遷座して来たのだろう。

白山神社(間口)

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 先程の羽黒権現神社から少し北に向かうと、民家に挟まれる形で白山神社(加須市間口1887-2)が鎮座している。
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 右側の祠が白山神社。左の祠は何神社なのか不明。
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 末社。何神社なのかはこれまた不明。その右奥に見えるのは招魂社。

羽黒権現神社(間口)

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 光製薬丸山工場と民家の間の細い道を入って行くと、突き当たりに羽黒権現神社(加須市間口977)が鎮座している。
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 拝殿。
 羽黒権現と言うことは、御祭神は伊氐波神と稲倉魂命なのかな。羽黒神社でも場所によっては玉依姫命を祭神としていることもあるのでなんとも言えないけど。

横沼神社(琴寄)

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 上中妻集会所の隣に鎮座する横沼神社(加須市琴寄344)。
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『横沼神社社務所改築記念碑
明治八年琴寄村村社横沼神社社殿新築落成馬尋有社務所
改築之議然水害屢起村民因弊議逐輟物換星移社務所之狭
隘與舎屋之頽破益甚小林賢太郎中島甲子郎等常憂之偶大
正十三年四月併無格社所得之餘財與神社境内立木賣價及
氏子二百三十餘人之醵資得數千金於是起社務所改築之工
多年之宿願貫徹村民始欣然舉祭典今茲氏子等胥謀欲建碑
以不朽之嘱文?余乃記梗概繁以銘曰
  川邊之里 琴寄之郷 俗淳人和 崇祖敬神
  醵資協力 顛意茲成 刀水浩浩 民福悠悠
  建碑勒石 以告後昆
       衆議院議員正三位勲一等高橋是清篆額
        前衆議院議員勲四等小澤愛次撰文
              小林賢太郎平正通謹書
 大正十五年十一月十日』
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 元禄十三年(1700)二月造の水盤。
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『村社横沼神社合祀碑
神社は國家の宗祀にして是力盛衰は即ち皇化の汚隆に關す政府斯に觀るあ 大に崇敬の道を講じて施設最も務む神社合祀の事の如き亦其一に居る爰に埼玉縣北埼玉群元和村の村民等能く其意を體し明治四十三年五月相謀り無格社護世天神八幡諏訪雷電淺間湯殿愛宕塞横沼の十社を村社横沼神社に配祀し且つ其社領を併せて以て祭祀の嚴肅修造の完備を期せり惟うに本社の主神天穂日命は天孫降臨の際出雲に使して偉勲を建て給い神子神孫因て東國に封せられ其氏社を設くるもの頗る多し本社も亦蓋し其神裔の奉齋する所に係る今や本社は神饌幣帛供進の社に指定せられ神威赫赫正に以て民心を一にするに足る嗚呼神祇を尊崇するは皇國の大典にして政教の根源なり村民恒に能く其誠を致さは是力神化を蒙むるもの豈に唯一鄕一邑のみならんや
 大正三年甲寅六月吉辰
             正三位勲一等 男爵 千家尊福篆額
  東京帝國大學文科大學長正四位勲三等文學博士上田万年撰文
                 文 部 屬 玉井廣平謹書』

 こちらの主祭神が天穂日命と言うことは、元々は鷲神社だったのかな?
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 明治九丙子年(1876)三月十五日造の石燈籠と……なに、これ? 側面には天保五年甲午(1834)九月と刻まれている。
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 拝殿と狛犬。
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 狛犬。
 台座には「明治廿年十一月十五日 栗橋石工大島清吉」と刻まれているので1887年の造立。
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 横から。
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 末社。
 何神社なのかはわからないが、側面には享保十七壬子年と刻まれているので1732年の造立。
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 石段上に拝殿。
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 拝殿前の狛犬。
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 後ろから。
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 どちらも社名を記したものが無いので何神社なのか不明。随神なのかも。
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 本殿裏左に稲荷神社。その脇の小さな石祠は表面が崩れていて何神社なのかわからない。

天満天神宮・駒形大明神(琴寄)

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 有限会社志村鉄工の裏に鎮座する天満天神宮・駒形大明神(加須市琴寄466)。
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 安永二癸巳年三月(1773)の石燈籠。
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 十九夜塔と青面金剛、稲荷大明神。
 稲荷社は背面に天明三癸卯歳二月吉日と刻まれているので1783年のもの。

浅間大神(琴寄)

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 若宮八幡宮から少し南へ歩いて行くと、おおとね図書館の西側に浅間大神(加須市琴寄)が鎮座している。
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 浅間大神。
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 食行身禄霊神と小御嶽大神。
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