三鴨神社(岩舟町下津原)

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 栃木県道67号桐生岩舟線と県道282号中岩舟線が接続する下津原交差点の南東300m程の位置に鎮座する三鴨神社(下都賀郡岩舟町下津原1145)。
『平成二十三年 三月十一日
 東日本大震災 国内史上最大
 震度七強 県内震度六強
 鳥居全壊(約七○年余前に奉納)
 復旧再建
 平成二十四年一月二十九日』
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 二の鳥居。
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 拝殿。
『本社の創立は、享保三(1718)年一一月一五日である。商売繁盛・厄除開運・金運・福の神として篤く尊崇されている。事代主命を主祭神と仰ぎ、相殿には健御名方命・香々背男命・稲倉魂命・武甕槌命・櫛御氣野命・天太玉命・火産霊命・伊邪那美命・白山姫命・若狭姫命・若狭彦命を配祀する。本殿は、氏子達の浄財によって建立された』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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 狛犬。
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 本殿。
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 末社殿。
 祠は三つだが、梁に打ち付けられた板には諏訪神社・八阪神社・青木神社・稲荷神社の名が記されている。後ろの壁は笠鉾御輿納舎。
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 以上で5月25日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA21mmとDA35mm Macro、DA70mm。K-7に50-150mm II。
 次の週末、つまり6月1日はAsrielのライブに行って来るので、神社巡りはお休み。
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稲荷神社(岩舟町下津原)

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 小山公園の南西900m程の位置に鎮座する稲荷神社(下都賀郡岩舟町下津原387-2)。
 稲荷神社社殿兼社務所兼新田公民館、と言う所か。

五世神社(岩舟町畳岡)

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 畳岡文化伝承館の隣に鎮座する五世神社(下都賀郡岩舟町畳岡845)。鳥居の額には五世大明神とある。
 ちなみに畳岡文化伝承館とは、栃木県と岩舟町の推進する「ふるさとルネッサンス推進事業」による「伝承文化の継承とふれあい農園づくり」のテーマの下に築造された、どう見ても普通に公民館。新築落成記念碑には平成十四年三月とあるので、11年前か。
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 拝殿。
 参道左側には舟形水盤。
『主祭神 天津火多加彦炎出見命
 文化元(1804)年建立の鳥居あり(春雨立文化元甲子歳五月吉日願主徳基及村中)。主祭神は天照大御神の曾孫にあたり、山幸彦の名で知られている。経津主命・稲倉魂命・棚機姫命・素盞鳴命・大日孁貴命を配祀。境内社摂社には八坂神社(素盞鳴命)・菅原神社(菅原道真公)を奉斎する。氏子達の生活全般にわたって神威を広く発揮される神々である』(「栃木県神社誌」より抜粋)
 現在の鳥居は平成八年(1996)の建立。
 五世大明神の名の由来は、伊弉諾尊・伊弉冉尊から数えて五代目に当たるからなのだろうか?
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 狛犬。
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 社殿斜めから。
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 菅原神社・八阪神社。
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 御神木。

三峯神社(岩舟町畳岡)

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 小山公園の南側に鎮座する三峯神社(下都賀郡岩舟町畳岡)。
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 拝殿。
 こちらは「栃木県神社誌」に記載されていないので詳細は不明だが、三峯神社ならば御祭神は伊弉諾尊・伊弉冉尊だろう。
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 雷電宮。

浅間神社(岩舟町静)

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 コスモスホール北側の山頂に鎮座する浅間神社(下都賀郡岩舟町静2494)。麓にある鳥居(ここ)はコスモスホールに隣接する武道館のほぼ真裏。
 鳥居の脇には庚申塔と石祠が二基あるが、何神社なのかは不明。
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 鳥居手前の木の根元に道祖神。参道途中右手側には大黒天。
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 参道は途中から石段が無くなり岩場になるが、登り易いので問題無い。
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 拝殿。
 その手前には「與玉太明神 庚申猿田彦大神 天鈿女命 寶祚之隆當與天壌無窮 天下泰平五穀成就郷中安全 于時享和三癸亥歳中冬十五日 」云々と刻まれた八角柱。享和三年は1803年。

『境内地の石碑に、享和三(1803)年一一月一五日建立の銘文(享和三癸亥歳中冬十五日天下泰平五穀成就郷中安全)あり。本社の御祭神木花開耶姫命は山の神大山祇命の娘で、天孫命の妻となり山幸彦・海幸彦を出生。その生涯に因み、山火鎮護・五穀豊穣・養蚕守護・縁結び・子授け・安産の御神徳をもち、氏子達の篤き信仰を集めている』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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 拝殿左側に末社。
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 本殿裏の岩場に「第三嶽 伊豆大権現」。
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 八角柱前から東側に下りて行くと、「小御嶽 石尊大権現」。後ろの岩にも同じ名が刻まれている。
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 また少し下りると「第五嶽 日吉?神」「第六嶽 鹿島大神」。
 第一・第二・第四は見当たらなかったが、どこだろう? 拝殿脇の石祠がそうだったのか、或いは本殿裏側から北麓へ下りる道もあるようだから、そちらにあるのだろうか。
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愛宕神社(岩舟町静)

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 国道50号佐野バイパスを挟んでコスモスホール(岩舟町文化会館)の南東に鎮座する愛宕神社(下都賀郡岩舟町静3090)。
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 社号標石前に辨財天。側面には明治廿六年(1893)九月十×日と刻まれている。
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 拝殿。
 右手前端には十九夜塔と青面金剛塔。
『創立年月日不詳。境内地の石碑に、「文政十一戊子(1828)年十一月吉日」と記入の銘文あり。本社は金銀財宝守護・金運・招福・鎮火・火防の御神徳をもつ火産霊命を主祭神と仰ぎ、また大雷命・水波賣命を配祀し、例祭には賑やかに祭典を斎行している。本殿は氏子達の浄財によって奉納されたものである』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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 天満宮と疱瘡神。
 天満宮の側面には明治廿六年九月十九日と刻まれている。疱瘡神の側面には明治廿六年×××九日。先の辨財天と合わせ、三基とも同日に建立されたようだ。
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 末社。
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 聖徳太子碑。
『大正十年四月聖徳太子千三百年記念として土器製造職工組合員にて建立されました。茂呂御門街道西側に東向に鎮座され土管業者及職人の神として深く多くの人々に崇拜されて参りましたが戦前村の救災事業にて道路の拡張の為に青木文治宅内に遷座され今日まで五十有余年の年月が立って参りましたが業界も戦事中食糧増産に協力し盛況な時代もありましたが時節柄化学製品の出現や外米の輸入、農水省の減反対策により土管の需用も減少し同業者の転職、廃業が相継ぎ残る者も少なくなり相談の結果総代、神官に相計り愛宕神社内に遷座させて戴きました次第です。
 平成八年四月二十四日建之』

稲荷神社(岩舟町静)

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 県道11号線脇に位置する株式会社フカサワ 両毛支店の西側に鎮座する稲荷神社(下都賀郡岩舟町静)。
 側面には昭和三十四年三月十二日と刻まれているので、1959年の建立。

稲荷神社(岩舟町和泉)

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 栃木県道11号栃木藤岡線と県道36号岩舟小山線が交差する、和泉交差点の南西に鎮座する稲荷神社(下都賀郡岩舟町和泉1575)。
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 二の鳥居と拝殿。
『創立年月日不詳。御祭神稲倉魂命は五穀豊穣の神として崇められている。また国家安泰・家内安全・学業成就・合格祈願等の御神徳をもつ菅原道真公を配祀する。神域に建立された本殿・幣殿・拝殿は、共に氏子の浄財によって奉納されたもの。氏子の崇敬深く今日に至る』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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 斜めから。
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 浅間宮。
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 末社。

鶴巻神社(岩舟町和泉)

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 特別養護老人ホーム清松園の西側に鎮座する鶴巻神社(下都賀郡岩舟町和泉821)。
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 拝殿。
『佐野家から預かっていた藤原家の家宝・鶴巻の鎧を返還する際、使者・何某五郎が当村を通行するや、雷鳴轟き鎧が龍に奪われた。時に馬上の五郎は刀を抜き鎧を龍から奪還。ここに五郎は僧となり、鎧を祭って鶴巻神社を勧請したという。主祭神である藤原氏の遠祖天児屋根命は、国家安泰・災難厄除け・出世開運の神として篤く崇敬されている』(「栃木県神社誌」より抜粋)
 んー? つまり鶴巻の鎧は佐野家に返されずにここで御神体にされてしまったと? なんだかしっくりこない話だ。この伝説だけではいつ頃の創建なのかはわからないし、鶴巻の鎧と言うのも謎だ。佐野氏と言うか藤原北家秀郷流に所縁の鎧と言えば避来矢と室丸があるけれど、鶴巻と言う鎧はググってみても出て来ないなぁ。
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 社殿斜めから。
 脇に小さな石祠があるが、何神社なのかは不明。
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 地蔵尊。
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 お堂。
 十六番所と書かれた木札が打ちつけられているが、何堂なのかは不明。天児屋根命の本地仏は地蔵菩薩であるから、地蔵堂なのかなと推測。
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 お堂の裏に並ぶ馬頭観音塔や青面金剛塔、庚申塔、十九夜塔など。
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 鶴巻神社の裏、北から東にかけてゆるく盛り上がっているので古墳か館址なのかと思ったのだが、検索をかけてもそういう話は出て来ないので関係無いようだ。

和泉天満宮(岩舟町和泉)

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 栃木県道36号岩舟小山線脇に位置する岩舟静和郵便局の北東に鎮座する和泉天満宮(下都賀郡岩舟町和泉1336)。
 こちらは「栃木県神社誌」に記載されていないので詳細不明。
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 庚申塔。
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 拝殿。
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 冨士浅間大神・石尊大神・大山祇大神・角行霊神・食行霊神。

星宮神社(岩舟町静和)

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 東武日光線静和駅の南側、第224号踏切傍に鎮座する星宮神社(下都賀郡岩舟町静和2364-21)。
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 拝殿。右隣には静和愛宕公民館が建てられている。
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『星宮神社の由来 ─沖之島鎮守の神鎮守─
 当地星宮神社は、その昔安土桃山時代(1521~1555)一○五代後奈良帝の御代永年中に星宮大明神として創建されたと伝えられ、今よりおよそ四百四十年の長い歴史を有し以来今日まで氏子等の信仰も厚い。
 その後、幾度かの修理を経て明治三十八年四月七日愛宕神社・神明宮・諏訪神社・猿田彦神社を合祀して村の社に神・霊を合わせ並べてまつった。
 年月が立つに従い社殿の腐敗は甚だしくこのままには捨て置き難い現状だった。氏子一同は社殿の再建を熱望していたが多額の費用と労力を要し着工できず今日に至った。
 終戦後神社の隣接地の樹木は伐採されて中学校が新設されますます神社の尊厳も薄らぎ社殿の損壊も甚だしいので、氏子と協議しこの際神社を部落の中央である庚申塚(干支の一つでかのえ申で三猿または青面金剛を刻んだ庚申供養の塔)をこの地に移し現在に至っている』

『主祭神 磐裂神・根裂神
 当社は、大永年中(1521~28)の創建と伝えられている。主祭神は雷神様として篤く信仰され、火防と道の守り神である火産霊神・大日孁貴神・建御名方神・猿田彦神を配祀し、例祭には神徳奉賛の祭典が斎行されている。拝殿・明神鳥居(大正一五年一○月一七日)は、共に氏子達の浄財によって奉納されたものである』(「栃木県神社誌」より抜粋)
 現在は靖国鳥居になっている。
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 社殿後ろに並ぶ庚申塔など。
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 青面金剛。
 元禄九丙子天(1696)十一月造立。

熊野神社(岩舟町静戸)

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 国道50号岩舟小山バイパス鯉ヶ島交差点西側に鎮座する熊野神社(下都賀郡岩舟町静戸1603-5)。
 前回参拝しようとした時は駐車スペースが無くて断念したので、今回は少し北側にある鯉ヶ島公民館に車を停めてから参拝。……あれ? 東側から入って来れば車を置けるスペースがあるぞ? 三年の間に、少し変わったのか。
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 拝殿。
『当社の創建は不詳であるが、明治末期に八坂神社を合祀したと思われる。長寿の神伊弉諾命と子授けの神伊弉冊命を主祭神と仰ぎ、山の神素盞鳴命を配祀する。社頭の賑わいを見せる夏祭り(八月一日に近い日曜日)は、男性のみの奉仕によって斎行されている。本殿・拝殿は共に神域の更新を願い、氏子達の浄財によって奉納されたものである』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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 本殿の後ろに八坂大神御輿殿。
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 末社。
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 末社。
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 末社。

宇都宮神社(岩舟町静戸)

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 国道50号岩舟小山バイパス鎧ヶ淵交差点から北上すると、左手側に宇都宮神社(下都賀郡岩舟町静戸591)が鎮座している。
 こちらには三年程前にも参詣しているのだが、その時のエントリーでは柴宮神社と書いている。が、どうやら宇都宮神社と言う名が正しいようだ。隣接する芝宮公民館にも「宇都宮神社社務所」と書かれた看板が掛けられていたし。……なんで気付かなかったんだろうなぁ、前回。

『創立の詳細は不明であるが、享保一七(1732)年二月二三日、京都神祇官より正一位柴宮大明神の名を下賜された。明治初年、宇都宮神社と改称し、同一○年、村社に加列。主祭神大己貴命と共に、商売繁盛・厄除開運・金運・福の神の御神徳をもつ事代主命を奉斎し、神威高揚の祭典を行なっている。氏子の崇敬厚く、守護神として今日に至る』(「栃木県神社誌」より抜粋)
 宇都宮神社に改称した理由は書かれていないので不明。
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 拝殿。
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 享保四己亥年(1719)十月造立の青面金剛や宝暦十三癸未年(1763)造立の念仏供養塔、文化四丁卯年(1807)十一月造立の如意輪観音など。

稲荷神社(岩舟町静戸)

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 静戸厳島神社から少し東へ向かった所に鎮座している稲荷神社(下都賀郡岩舟町静戸1082)。
『本社の創立は遼遠にして、詳細不明であるが、正徳四(1714)年甲午八月の寺社御改帳と記した古文書の一部写しに、「稲荷明神境内三反歩除地」とある。当時は該面積を所有し、明治初年上地され現境内地となった。当社の主祭神稲倉魂命は五穀豊穣の神として崇められ、猿田彦命を配祀する。本殿は氏子達の浄財によって奉納された』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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 拝殿。

 以上で5月18日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mmとDA21mm、DA35mm Macro、DA70mm。K10Dに50-150mm II。

厳島神社(岩舟町静戸)

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 栃木県道36号岩舟小山線脇に鎮座する厳島神社(下都賀郡岩舟町静戸961)。
『創立年不詳。海・航海・運輸・交通安全守護の御神徳をもつ市杵島姫命を主祭神として仰ぎ、祭典を斎行している。昔、この里は曲ヶ島(地名)との商業・交通の要衝であり、境内地に船着場の跡が池のような形で残っていたが、現在は埋め立て地となっている』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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 拝殿。
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 末社と青面金剛。
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 右側の青面金剛には享保五天子十一月吉日とあるので1720年の造立。

八坂神社(大平町新)

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 静和鹿島神社の南東約500m程の位置に鎮座する八坂神社(栃木市大平町新1)。
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 拝殿と狛犬。狛犬は昭和五十四年(1979)十一月の造立。
『主祭神 素盞鳴命
 例祭  八月一日(現行は例祭日に近い日曜日)
 当社は、かつては天王宮と呼ばれていたが、明治時代の初めに八坂神社と改称し、村社となった。明治四四年(1908)に稲荷神社を合祀し、同四五年には大杉神社を合祀した。夏の例大祭に行われる、お囃子とひょっとこ踊りが有名である』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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 八坂神社東隣の遊具場端に鎮座する石祠。何神社なのかは不明。

諏訪神社(大平町真弓)

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 大平運動公園の東側、磯山の中腹に鎮座する諏訪神社(栃木市大平町真弓1531-1)の一の鳥居。
 一の鳥居の位置はここ。拝殿まで大体350mくらいかな。
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 二の鳥居。
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 参道。
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 三の鳥居。
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 左手側に授与所。
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『諏訪神社
 祭神 建御名方命
 由緒 藤原秀郷、平将門を征討の時、信濃國一之宮諏訪神社へ祈願し、神助に依って
   勝利を得、後に東國鎮護として該神を勧請す。維持承平二年(932)二月なり。
   秀郷深く尊崇し、西御庄拾二郷神領に寄附す。
    御維新の際明治五年(1872)郷社となり、明治十年社格改正の節、村社に列し、
   その後明治二十八年十二月重ねて郷社に昇格した。
 例祭 四月十五日
    十月九日』

『天慶の乱に際して、藤原秀郷は信州諏訪大明神に戦勝祈願をした。神助により勝利し、判官代に任ぜられて小山庄に居城。磯山に諏訪大明神を勧請して、神領を寄進した。明治五年、一三ヶ村の郷社となる。同一○年、戸籍区画改正の際に村社となるが、請願により同二八年に再び郷社となった』(「栃木県神社誌」より抜粋)
 栃木県神社誌には、こちらの諏訪神社の別名として磯山神社の名が記されている。
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 狛犬。
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 拝殿。
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 拝殿内部。
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 本殿脇の狛犬。
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 本殿裏から。
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 神楽殿。
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 龍神社と白山社。
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 三日月社と琴平社。
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 拝殿左脇の末社。左側は猿田彦大神。他は不明。
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 八幡宮。
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 表からでは銀杏の枝葉で見え難いので鳥居裏から。
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 八幡宮神璽の納められた石祠。左の石祠は不明。
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 愛宕神社。
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『愛宕神社は、明治政府の神社合祀奨励に応じて、明治三十九年(1906)二月八日諏訪神社のある磯山の御竜石に近い所に、原若の地から祠を移し、地域住民の守護神として祭られておりました。この度、原若連皆様より御寄付を戴き、鳥居を修復建立し、そのお名前を祈念碑に刻みました。
 平成二十一年五月吉日』
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『昇格記念碑
 天穂日命八十代孫出雲国造正三位勲一等男爵千家尊福篆額
下野国在一靈祠都賀郡真弓邑諏訪神社是也而其剏健在于朱雀
天皇天慶當時平将門反畧關東諸州叵傲然逞僭擬山焔孔熾于時
下野掾藤原秀郷竊憂憤禱其討伐于所甞信敬之諏方軍神既而挺
身舉兵奮戰斃之尋滅黨與八州悉平定帝嘉其功叙從四位下任下
野武藏両國守拜鎮守府将軍而将軍以為此戦捷也在于冥助宜莫
謝焉粤奠神域真弓里丕經始宮殿謹奉諏方本宮之分靈祀焉以長
為皇基守衛東國鎮護之神社殊納荘園拾有貳郷為神領令稱西御
荘止輸神税禁他賦課専隆禴禘嘗烝之典加*将軍自仕流鏑馬神
事亦詣信濃本宮傳射法奨武道後世國人長弓馬為遺澤也終卋為
君國敬重當社尚及子孫是以四方滋仰神徳焉爾來千歳矣猶儼然
至明治廿八年官列郷社茲社司氏子諸氏欲勤石傳不朽囑予記予
其神裔藏古書其傳相同義不得辭則為諸記爾
           信濃 神 朝臣正八位矢島正守謹撰
              栃木縣屬勲七等××義嗣敬書』
 *は「方」+「冉」
 ×は破損していて読み取れない部分。
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 水槽。
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『この水槽は昭和十八年(1943)年株式会社日立製作所栃木工場がこの大平の地に操業を開始した際工場の工業用水供給のため建造されその後昭和四十年(1965)まで重要な役割を果たした。
 当時を偲ぶ由緒ある建造物として爾今この水槽を永く保存するものである。
 尚建設当時の宮司 大和田長十郎氏
    初代工場長 清成通氏
 昭和六十三年五月吉日』
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 遠望。

諏訪神社(大平町蔵井)

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 永野川に架かる諏訪橋のすぐ南東に鎮座する諏訪神社(栃木市大平町蔵井1080)。

『主祭神 建御名方命
 創立は不詳。「大平町誌」には、藤原秀郷が平将門調伏のために信濃の諏訪神を勧請したとあるが、坂上田村麻呂の伝説も残る。明治三六年(1903)、字西元の羽黒神社・字永東田の永東神社・字山ノ下の井臺神社を、同四二年(1909)、字西元の愛宕神社を合祀。大正一○年(1921)に社殿を造営した。配神として少彦名命・櫛御気野命を祀り、境内社に大杉神社・愛宕神社がある』(「栃木県神社誌」より抜粋)

 んー……大平町誌の蔵井諏訪神社の沿革の項目には「不詳」としか書かれてないけどなぁ。真弓諏訪神社の項目には藤原秀郷が勧請したとは書かれているけれど。大平町誌の全てに目を通したわけではないので、別の頁にあったのかな。
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 拝殿。
 左側には神輿舎。その奥に境内社…かと思ったら物置だった。
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 狛犬。
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 末社。こちらが大杉神社なのだろうか。
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 愛宕神社。
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 左から青面金剛塔、三猿、庚申塔、庚申塔、青面金剛。
 青面金剛は正徳五乙未天十一月(1715)の造立。

八龍神社(大平町西山田白石)

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 大平町西山田3251に鎮座する八龍神社。
 貫がゆるく弧を描く明神鳥居はあまり見かけないように思える。
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 本殿と鞘殿。
 本殿の隣にも二つの祠があるが、三ついずれも天照皇大神宮神璽が納められており、何神社なのかは不明。
「栃木県神社誌」によると、御祭神は高龍命(たかおのみこと)。弘仁年間(810~24)の創建で、竜王之命を祀る。寛文十二年(1672)、領主北条右近の嫡子が重病を患った時にこちらに参って祈願したところ、たちまち平癒したことから御神徳に感謝して社殿と別当東福寺を建立したと伝えられる。大正十二年(1923)に社殿を焼失したが後に再建。
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 富士嶽神社。
 左後ろには庚申塔と青面金剛。
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 青面金剛。
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 絵馬。
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 参道入口脇の庚申塔。

金山神社(岩舟町五十畑)

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 両毛線26番静和踏切の北側に鎮座する金山神社(下都賀郡岩舟町五十畑239)。
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 金山神社と境内社。
 御祭神は金山比古命。「栃木県神社誌」によると、約五百年程前に山間の小集落地であった当地住民が農地造成の為に開拓した際、木の根や岩石の円滑な除去やより良い鉄製農機具の製造、子宝などを祈願して金山比古命を勧請したと伝えられているとのこと。またこの近在で金山比古命を祀る神社は他に無いのだそうだ。
 木の根や岩石の除去、鉄製農機具の製造などと言う点では磐裂神・根裂神でも良さそうな気がするのだが、そちらは祀られていないのだね。そう言えば、磐裂神・根裂神の本地仏は虚空蔵菩薩。虚空蔵菩薩は先程の報恩寺前の石碑に本尊虚空蔵菩薩と記されていたっけなぁ。
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 青面金剛。
 延宝八年庚申(1680)十一月の造立。
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 末社群。いずれも何神社なのかは不明。
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薬師堂(大平町西山田立花)

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 八幡宮から少し西へ向かうと、真言宗豊山派立花山報恩寺のそばに鎮座する薬師堂(栃木市大平町西山田2537)。
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『立花山報恩寺薬師堂建立記念碑
 報恩寺薬師堂は久喜山八幡宮別当として天明八年(1788)に建てられ寛政六年(1794)に入佛された。當所の大工須藤甚七により築かれた。二百有余年の歳月を経るもので老朽腐食し補修出来ない状態となり薬師堂再建にあたり、玉正寺住職、報恩寺檀徒全員で協議し賛同を得られたので、浄財を募り薬師堂を建立す。合わせて同所に有った石碑を再建供養致し記念碑を建てる。
 平成十一年六月吉日』
「大平町誌」には源義家が奥州征伐の帰路の途中に別当報恩寺を建立したと伝えられている、と書かれている。
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 虚空蔵菩薩の姿が刻まれた石碑。

八幡宮(大平町西山田立花)

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 大平町ぶどう団地内に鎮座する八幡宮(栃木市大平町西山田2414)。
 右手前の石は庚申塔。
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 参道。
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 拝殿。
『創立は、境内地の御朱印によると、嘉永二(1625)年である。明治四○年(1907)五月三日、村社となる。当社は、立花一円の守護神として、多くの人々の崇敬を集めてきた。現在も、西山田立花地区の人々の信仰の拠り所となっている』(「栃木県神社誌」より抜粋)

『当社は、弘仁年間(810~824)藤原冬嗣が小祠(小八幡)を建立したのに始まるといわれる。八幡太郎源義家が奥州征伐の折りに当社の戦勝祈願し、帰路の途中、神殿・拝殿・宝蔵・別当報恩寺を建立したと伝えられている』(「大平町誌」より抜粋)

 創建時期に大分ズレがあるのだが、どちらが正しいのだろう? 栃木県神社誌が平成十八年発行、大平町誌が昭和五十七年発行であることを考えると、新しい方が正しい記述になっているような気はするのだけれど。
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 社殿斜めから。
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 末社と改築記念碑。その奥は倉庫だろうか。改築記念碑には大正十一年(1922)四月吉辰と刻まれている。
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 巨石と末社殿。六社が合祀されているようだが、いずれも何神社なのかは不明。

鷲神社(岩舟町鷲巣)

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 岩船山と馬不入山(うまいらずやま)の中間辺り、鷲巣の溜池そばに鎮座する鷲神社(下都賀郡岩舟町鷲巣384)。
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 二の鳥居。
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『鷲神社改築記念
祭神を天日鷲命とする鷲神社の由緒沿革は詳らかではないが、昔より鷲巣の農業産業特に子供の疫病風邪の神様として区民の尊崇をあつめ、大正九年(1920)岩舟村の村社となり、三月十五日を春祭、旧十二月初酉の日を例祭「とりのまち」とし往事は岩舟小学校の学童の参拝もあり、「あまさけ」等を接待し祭典は盛大なものであった。文政六年(1823)、明治二十八年(1895)夫々建改築された鞘殿及拝殿は近年にいたり其の腐朽著しく本殿も危険になった為、氏子一同相はかり改築する事に決し、氏子及び当字出身者の篤志寄進を仰ぐと共に境内の立木の一部を売却し、之を資金として氏子の奉仕によって拝殿及び鞘堂の完成を見たもので昭和四十八年(1973)十二月二十日「とりのまち」を大祭として竣工記念式典を挙行し、神威の益々あらたかなる事を祈願し奉ったものである』
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 拝殿。
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 狛犬。
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『鷲神社は桃山時代に建立されたと伝えられています。祭神は主神天日鷲命で、保食命・猿田彦神・大山祇命・市杵島姫命がいっしょに祭られています。
 本神社は「お酉様」とも呼ばれており、毎年の旧暦11月の初酉日(現在は12月の第1日曜日)にはお祭りがおこなわれ、伝統ある郷土神楽などで賑わいます。
 人々の間には、この神社に卵や酒(甘酒)などをお供えし参拝すれば、流行病・悪病・風邪の病にかからないと古くから伝えられています。
 昔は、本殿の回りを松の大木が囲み、鷲の大群が松を渡り飛び、巣を作っていたと伝えられています』
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 神楽殿。
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 拝殿斜めから。
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 左から雷電神社、末社(側面に宝珠紋があるので稲荷神社と思われる)、この写真では木に隠れて見えないが両部大日如来塔、稲荷神社、富士神社。
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 末社群。
 十三基の石祠が並んでいるが、社名が記されているのは右端の秋葉山神社だけ。
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 境内社と石燈籠。

於咲浪除稲荷神社(佃一丁目)

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 佃堀を挟んで森稲荷神社の東側に鎮座する於咲浪除稲荷神社(中央区佃1-8-4)。
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 左が浪除稲荷神社で右が於咲稲荷神社。
 鳥居にかかる白いぼんやりとしたものはレンズに付いた水滴のせい。
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 さし石と刻まれた力石。瑞垣の脇にもう一つあるのだけれど、撮影するのを忘れていた。
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 向かい側に佃天台地蔵尊への入口があるそうなのだが、見落としていた…○刀乙

 以上で5月11日参拝分終了。他にも何箇所か巡ろうかとも思っていたのだが、GRのイベント開始時間が迫っていたのと雨でかったるくなっていたので残りはパス。実のところGRの方も行くの止めようかななんて考えもちらりとよぎってみたり。同日に原宿でオリンパスPENのイベントも行われていたけど、最近のオリンパス機にはあまり魅力を感じないのでそちらはどーでもいいやと。
 使用機材はK-5IIsにDA18-55mmWR。Coolpix P7100。

住吉神社(佃一丁目)

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 佃堀の傍らに鎮座する住吉神社(中央区佃1-1-14)。その一の鳥居は隅田川に面して建てられている。
 住吉小橋の奥に見える櫓は石川島燈台。
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 参道側から。
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 二の鳥居。
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『佃島由来
 天正年間に徳川家康公が摂津の多田の廟に参詣された時、田蓑島(現代の大阪市西淀川区佃町)の漁夫等が漁船によって神崎川の渡船を勤めたので田蓑神社にも参拝され、その時田蓑村の名称を佃と改められた。すわなち漁業の傍ら田も作れという意であった。天正十八年(1590)家康公が関東へ下降された時、佃村の漁夫三十余名が従えられ、田蓑神社の神主平岡正大夫の弟權大夫好次という者が、住吉大神の分霊神を奉戴して同行して安藤対馬守、石川大隅守等の邸内に一時安置していたが、寛永年間に鉄砲洲の向の三角洲(百間四方)を幕府より賜わり、築島工事を起して正保二年(1645)それが完成したので本国の村名を取って佃島と称えることになった。その一部を社地と定め社殿を造営した。正保三年六月二十九日と記録されている』
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 手水舎。
 その右奥に二宮尊徳像があり、左奥に入って行くと鰹塚がある。
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『住吉神社の水盤舎・陶製扁額
 所在地 中央区佃1-1-14
 住吉神社は江戸初期に、摂津国西成郡(大阪府)佃村の漁民が江戸に移住した後、正保三年(1646)に現在地に創建された佃島の鎮守です。
 当社は、創建以来、佃島の鎮護のみならず、水運関係の人々から厚い信仰を受けてにぎわいました。
 水盤舎は欅材の切妻造、瓦葺きの建物です。明治二年(1869)に再建され、同四十四年に改築されました。水盤舎の欄間は、明治二年再建時のものを使ったと推定されています。欄間の正面には石川島の灯台と佃の渡し、側面には帆をはった回船や網をうつ小舟、背面には磯の景色、また内側にも潮干狩など、佃島の風景が彫られています。石造の水盤には「天保十二年(1841)白子組」と見え、木綿問屋組合が寄進したものです。
 正面鳥居の上にある扁額は、珍しい陶製で、白地に呉須で額字や雲文を染付けています。明治十五年(1882)六月に製作され、額字の筆者は有栖川宮幟仁親王です。
 水盤舎と陶製扁額は、共に中央区民有形文化財に登録されています。
 平成九年三月』
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 狛犬。
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 拝殿。
 こちらの神社は篤く崇敬されているようで、拝殿脇で雨宿りしている間にも次々と、覚えている限りでも十は下らぬ数の参拝者がやって来ていた。
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『住吉神社略縁起
御祭神 底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命(住吉三神)
    息長足姫命(神宮皇后) 東照御親命(徳川家康)
例祭  八月六日

「西の海阿波伎の原の潮路より顕われ井でし住之江の神」と卜部兼直の和歌にあるように住吉大神は、遠き神代の昔、筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原に於いて顕われた伊邪那岐大神の御子、底筒之男命、中筒之男命、表筒之男命の三柱の神です。
 神宮皇后三韓征伐の際、皇后自ら御親祭をなさり住吉三神の御守護により無事達成なさりました。その帰途、摂津国西成郡田蓑島(大阪佃)にお寄りになり住吉三神を遙拝になりました。これが大阪佃の住吉の社(田蓑神社)の起源です。
 遥か後、天正年間に徳川家康公が摂津の多田の廟に参詣の時、田蓑島(大阪佃)の漁夫達が漁船をもって神崎川の渡船を勤めた由縁で家康公がこの島の住吉の社(田蓑神社)にも参詣し、家康公の漁業の傍ら田も作れとの事で、村名を田蓑から佃に改めさせました。そして田蓑の名を残すため社名を住吉神社から田蓑神社へと改めました。
 天正十八年(1590)家康公は関東下降の際、家康公の命により摂津国佃の漁夫三十三人と住吉の社(田蓑神社)の神職平岡正大夫の弟、権利大夫好次が分神霊を奉戴して江戸に下り、寛永年間に幕府より鉄砲洲向いの干潟を賜り、築島工事を起こし、正保二年に竣工し、元の名から佃島と名付け、住吉明神の社地を定めて、正保三年(1646)六月二十九日、住吉三神、神宮皇后、徳川家康公の御霊を奉遷祭祀しました。これが佃住吉神社の起こりです。
 佃島は江戸湊の入り口に位置し、海運業、各問屋組合をはじめ多くの人々から海上安全、渡航安全の守護神として信仰を集めました。
 その後、月島、勝どき、豊海、晴海と埋め立てが行われ、その地域の産土神として信仰されています』
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 龍神社。
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『龍神社
 祭神 龍姫大神(豊玉姫神)
    於迦美大神・竜王弁財天
 文政五年(1822)住吉神社の境内に水を司る神、龍姫大神(豊玉姫神)が龍神社として創建されました。その後佃島に白蛇が現れ、人々はこれを龍神(於迦美大神)と崇め佃の町の中に祠を建てて祀りました。しかしこの祠は漁師が網を渋釜で煮る作業場の近くにあったため火熱の害を受け易く、ある時網元の夢枕に祭神が現れ、住吉神社の境内へ移りたいとの神託がありました、これを受けて天保九年(1838)に住吉神社境内社の龍神社に合祀されました。翌年になると日本橋老舗白木屋の守護神として祀られていた大弁財天の御神徳が大き過ぎるため、持ちきれず龍神社へと合わせて祀られました。龍神社と大弁財天を合わせて「龍王弁財天」とお呼びするようになり、今日では開運出世・金運上昇・商売繁盛・学業成就・芸能達者・病気平癒の御神徳を持つ神として、崇敬を集めています。また弁財天の縁日が「巳の日」であることから、多くの方々がこの日に参詣しました。現在龍神社の例祭は「さくら祭り」期間中の三月下旬頃行われます』
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 末社。
 社名を示すものは見当たらないが、公式サイトを見ると古河神社の名があるので、こちらがそれであると思われる。
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 左は船魂神社、右は疫神社と疱瘡神社。
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 入船稲荷神社。
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 青銅燈籠。その奥に見えるのは五世川柳水谷緑亭句碑。
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 神楽殿。
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 石塔と鰹塚。
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『鰹塚
 鰹節問屋は江戸時代から、住吉大神を生業繁栄の守護神として奉賛してきました。
 神社建築では、棟木の上に鰹節に似た円柱状の飾り木「堅魚木」が横に並んでいます。わが国最古の法典である「大宝律令」(701)「養老律令」(710)に海産物調賦に、堅魚、煮堅魚、堅魚煎汁(煮詰めたエキス)の記録があるように、大和民族は古来より鰹を食し、保存料、調味料としても利用してきました。
 東京鰹節類卸商業協同組合は、鰹の御霊に感謝慰霊の意を込め、また豊漁を願い、昭和二十八年(1953)五月「鰹塚」をここに建立しました。費用は組合員九十六名の積み立てによる浄財でまかなわれました。
 塚石は鞍馬石(高さ七尺、幅四尺)、台石は伊予青石(高さ三尺)であります。
 表面の揮毫は、日展審査委員で組合員・鰹節問屋「中弥」店主でもある「山崎節堂」氏、裏面の碑文は慶應義塾大学名誉教授「池田弥三郎」氏によるものです』
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 佃小橋から見た佃堀。看板左奥の建物が住吉神社。
『此の場所には、江戸時代後期寛政拾年(1798)、徳川幕府より建立を許された大幟の柱・抱が、埋設されておりますので立入ったり掘り起こしたりしないで下さい』
 三年に一度の渡御祭の際に掘り起こされ、それ以外の三年間は川底に埋められているのだそうだ。Youtubeに掘り出しや埋設の状況を撮影した映像がUpされていたりするのだが、大変な労力がかけられているのだなぁ。
 亦その祭りの時だけ建てられる黒木鳥居もあるそうなのだが、当然今は建てられていない。ちなみに前回の渡御祭は去年だったので、しばらくは見られそうにない。

森稲荷神社(佃一丁目)

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 東京メトロ有楽町線月島駅の北側、佃堀の傍に鎮座する森稲荷神社(中央区佃1-4)。
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『森稲荷神社の由来
 正保元年(1644)江戸隅田川に埋立として出来た鉄砲州干潟百間四方を徳川家光に招れ摂津国西成郡佃村から東上した漁民が慶安二年(1649)江戸城内評定所に於いて拝領し島の名を佃島として居住することになった森孫右衛門一族の推挙により孫右衛門の実弟九左衛門の娘の妙を嫁とした佃忠兵衛則之が佃島の初代名主を勤めることになった。
 佃島の発展と住民の安泰を祈願するために森家の敷地内(現在地)に稲荷神社を造り信仰したことが継承され現在に至るも住民の信仰が厚く毎年二月初午祭を執り行っている』

三五稲荷神社(勝どき一丁目)

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 勝鬨橋の南側、東京都道304号晴海通りの傍らにデニーズ勝どき店があるので、その脇を東へ入って行くとプラザ勝どきの一隅に三五稲荷神社(中央区勝どき1-1)が鎮座している。
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 本殿。
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 お狐さま。
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『三五稲荷神社由来
 当稲荷神社は、明治三十七年(1904)三月五日に、京都伏見稲荷神社の分神として創建されたものであります。以来、勝どき河岸倉庫地区の守護神として、当地に鎮座されて居ります。
 祭神は倉稲魂命であります。「倉稲」は食物の意味で五穀を司り、農作物を護る神といわれています。初期の倉庫業においては、米穀を主とする農作物が主要な貨物であった為、稲荷神社を祭り、倉庫の守護を祈るということが、ごく自然な発想で行なわれたようであります。
 毎年三月五日と当社創立記念日には、日頃の御加護に感謝し、社業の発展と、地域の平安を祈願して、三五稲荷祭を執り行って居ります。
 平成三年十月十九日』

 三五稲荷とは変わった名だなと思ったら、三月五日の創建だから三五稲荷なのか。
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波除稲荷神社(築地六丁目)

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 水神社から南東に向かって歩くと、すぐに波除稲荷神社中央区築地6-20-37)の前に出る。

『江戸開府(1603)時の慶長江戸絵図には、今の日比谷のお堀の辺りまで汐入を描き、八重洲の海岸に船の役所が見えます。開府前より始まった江戸城西丸の増築に掘られた、お堀の揚げ土を以って日比谷入江から埋め始められた、江戸東南海面埋立は、その後全国の諸侯七十家に千石に一人の人夫を出させ、後にはその埋立の役員の名をとり、尾張町、加賀町等と名附けられました。
 明暦の大火(1657)の後に四代将軍家綱公が手がけた最後の埋立の工事の困難を極めたのが、この築地海面でした。堤防を築いても築いても激波にさらわれてしまうのです。
 或夜の事、海面を光りを放って漂うものがあり、人々は不思議に思って船を出してみると、それは立派な稲荷大神の御神体でした。皆は畏れて、早速現在の地に社殿を造りお祀りして、皆で盛大なお祭りをしました。するとそれからというものは、波風がピタリとおさまり、工事はやすやすと進み埋立も終了致しました。萬治二年(1659)の事です。
 人々は、その御神徳のあらたかさに驚き、稲荷大神に「波除」の尊称を奉り、雲を従える<龍>、風を従える<虎>、一声で万物を威伏させる<獅子>の巨大な頭が数体奉納され、これを担いで回ったのが祭礼「つきじ獅子祭」の始まりです』
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 拝殿。
 18mm(135換算約27.5mm)では狭いなーと思いつつも、雨が降って来ているのでレンズ交換をする気になれず、そのままで。
『衣食住・殖産産業・商業の守り神である「倉稲魂命」をお祀りし、波除様と尊称されます。
 現在の社殿は昭和十二年(1937)に出来たもので、御祭神の繋がりが有る伊勢の神宮(外宮)と同じ唯一神明造で造られており、国産の檜が使用され、戦前では東日本で最後に御造営された神社の御社殿です』
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『獅子頭一対(中央区民文化財)
 木造、金梨地塗り。嘉永元年(1848)三月、南本郷町の島屋藤次郎が発起人となって製作されました。不思議とその後の天災や戦災にも修理中であったり助け出されたりと無事で、昭和二年(1927)に世話人より、もと南小田原町一丁目の獅子の付属品であった眼球と獅子毛と共に神社に奉納されました』
 ちなみに手前ではなく後ろの獅子頭がそれ。
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 獅子殿。
『江戸時代、厄除・災難除の象徴として多くの参詣者を集め又当神社祭礼「つきじ獅子祭」の名称の元をもなした「厄除天井大獅子」は江戸末期に焼失以来その復興を待たれておりましたが、平成二年に神社の御鎮座三百三十年を記念し、樹齢約三千年の黒檜の原木を用いて高さ2.4m、幅3.3m、重さ1t。往時に勝るとも劣らぬ、名実共に日本一の厄除天井大獅子として、加賀鶴来の現代の名工・知田清雲氏とその工房の手により再興され、神楽殿を基礎より全面改築された獅子殿に納められました』
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 摂社の弁財天社。
『江戸時代の御本社の御創建に時を同じくお祀りされた縁の有る事から摂社として大切にお祀りされています。また水にご縁のある御祭神に因み手水の施設を組み込んだ造りになっております。
 中に納められております「お歯黒獅子」は江戸時代に東都名物で在りました雌の大獅子を祭礼で担ぐ様に高さ一尺の台座を含め高さ2.2m、両耳幅2.5m、総重量700kg、総漆塗り一木造りで、木彫・加賀獅子頭の名工の流れをくむ現代屈指の彫刻師・知田清雲氏とそれを支えた熟達の加賀の職人達の技により、紅色の肌地にお歯黒を施し金箔押しの巻き毛で腰高の姿に平成十四年再興され、この雌を表す頭の宝珠の中に弁財天・市杵島姫命の御神像が収められております。
 学芸の才能と豊かな財をなす福徳の神「市杵島姫命」をお祀り、この御祭神を俗に弁財天と称することから弁財天社と呼ばれます』
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 お歯黒獅子と厄除天井大獅子。
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 玉子塚と末社殿。
 天照大神、大国主命、少彦名命、天日鷲命の四柱が祀られている。
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 すし塚と海老塚。
『すし塚の由来
"すし"日本の風土に育ち日本の誰れもがこよなく愛し自慢している食べ物それが"すし"永い永い伝統の中にある"すし"しかしその歴史の蔭にいくたの魚介が身を提してくれたであろうか
世人の味覚をたのしませそしてまたわたし達のたつきの基になってくれたさかなたちそれらあまた魚介の霊を慰めとわに鎮まれかしと祈り而して永遠の食物としてのすしを表徴するためこゝゆかりの地にすし塚を建てたゆえんである。
 昭和四十七年十一月一日』
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 鮟鱇塚と活魚塚。
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 蛤石とおきつね様。

魚河岸水神社(築地五丁目)

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 築地中央卸売市場内に鎮座する魚河岸水神社(中央区築地5-2-1)。
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『魚河岸水神社遙拝所由来
「水神社」の歴史は古く、天正十八年(1590)徳川家康公の江戸入府とともに移住してきた日本橋魚市場の開祖・森孫右衛門ら摂津国の佃村・大和田村の漁師たちが、大漁・海上安全と子孫繁栄を祈願して「弥都波能売命」を祀った「大市場交易神」がその始まりといわれています。
 明治三十四年(1901)には神田明神の境内に「水神社」本殿が建立され、日本橋魚市場は関東大震災以後に築地に移転し、現在地に遙拝所が建立されました。
 以来、築地魚市場の守護神として「水神さま」とお呼びし、魚河岸会の人々の篤い崇敬によって大切に守られています。
 この場所は、江戸時代は松平定信公庭園跡で、明治維新後は海軍用地となり、境内にある「旗山」の碑は、日本海軍発祥の地のゆかりを記す貴重な史跡です。
 尚、毎年二月には神田明神境内の水神社本殿、御参拝が行なわれています。また遙拝所でも一・五・九月の年三回神事が執り行われています』
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 旗山碑には以下の文が刻まれている。
『此處ハ往昔徳川幕府ノ時松平定信ノ別業浴恩園内勝地タル賜山ノ一部ニ属ス明治二年海軍廰衙ヲ此地ニ置ク五年本省設立後海軍卿旗ヲ此丘陵ニ樹ツ世人呼ンテ旗山ト称ス此地ヤ實ニ海軍経營ノ根基ヲ為セリ蓋シ其發祥ノ地ト謂ツヘシ尓來春風秋雨幾星霜省廰轉移シ僅ニ一二ノ衙門ヲ畄ムルノミ地形漸ク変リ旧時ノ情景亦尋ヌルニ由ナカラントス乃チ旗山ノ地點ヲ相シテ一碑ヲ建テ以テ記念ト爲スト云爾
 昭和十二年一月五日
 海軍大臣 永野修身』
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 水神社。
 神紋は…波巴紋かな、これは。
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 狛犬。

GR 体感&トークライブ

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 5月11日、つまり昨日港区のTABLOIDで行われた「GR 体感&トークライブ」に行って来た。
 先に神社巡りしていたので11時半の開場には間に合わなかったが、トークライブは12時からなので問題無し。赤城氏のトークはメーカーサイトを見れば書かれているようなことばかりだったので大して面白くはなかったが、内田氏のトークは実写画像を交えてのものだったので、とても面白かった。……GRを買う気なかったのに、欲しくなってしまったじゃないかああ。
 帰りに秋葉原のヨドバシでCOOLPIX Aも触ってみたのだが、持った感じとしてはAの方が好みかな。でも操作系はGRの方がこなれている感じで、使い易そうではある。
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 歴代GR Digitalと銀塩GRシリーズ。
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